アルツハイマー病 (AD) の殆どは遺伝性が認められないが、明確な遺伝的変異で起こる AD も明らかになっており、その一つがアミロイドを細胞膜から切り出すプレセニリン遺伝子の変異で、これにより βアミロイド(Aβ)の蓄積が早まり、いわゆる若年性AD が生じる。この遺伝性AD の発見により、アルツハイマー病には Aβ の蓄積が必要であるとする Aβ仮説が認められるようになった。
しかし、このブログでも紹介したが、同じプレセニリンの変異を持っていて Aβ が蓄積しているにもかかわらず、AD を発症しないケースが発見されている。一つは ApoE3 に生じた変異 (Christchurch変異) 、あるいは Reelin遺伝子の変異を合併している場合で、この変異により通常のADで見られる異常Tauタンパク質の脳内への伝搬が防がれて、Aβ蓄積にもかかわらず症状が出ない。この結果から、AD の症状は Aβ蓄積により異常Tau が脳全体に広がることが必要であるとする AD の Tau異常症仮説が示唆される。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、プレセニリン遺伝子変異を持つ家族の研究から発見された遺伝子変異にもかかわらず発症が防がれている1例についての研究で、2月10日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Longitudinal analysis of a dominantly inherited Alzheimer disease mutation carrier protected from dementia(アルツハイマー病の優性遺伝要因を持つにもかかわらず認知症が防がれた症例の長期の解析)」だ。
この研究はプレセニリン2の変異が発見された家族を追跡する DIAN と名付けられたコホート研究で、すでに4世代まで追跡が続いているが、これまで13例の発症が確認され、発症は45歳から50歳(平均49.3歳)だ。現在も発症前のキャリアーが9人存在し、これらはまだ発症年齢に達していないが、この研究で紹介された1例だけは変異を持っているにもかかわらず71歳まで発症が見られず、通常の生活を送っている。
ゲノムも含めてこの家族のデータが存在するため、このケースが発症しない原因についてより詳しい追求が可能と考えられ、発症年齢を遙かに超えた2011年(61歳)から2021年(71歳)まで、長期的な追跡が行われている。
ApoE や Reelin遺伝子変異が合併した例と同じで、この例でも Aβ の脳内の蓄積は強く認められるものの、異常Tau は側頭葉に限られ、脳全体に伝搬しておらず、Aβ から Taunopathy への転換が防がれていると結論できる。
ただ、ApoE や Reelin には変異がなく、他の要因で発症が防がれていると考えられる。そこでこのケースに特異的な変異の存在が探索され、3種類の特有の変異が見つかった。ただ、これらが明確に AD発症を防いだのかどうかについてはわからない。面白いのは Tauタンパク質の44番目のチロシンがヒスチジンに変わる変異が確認されており、これが異常Tau の発生を抑える可能性は存在する。
次に環境因子だが、最も特徴的なのはこのケースがディーゼルエンジンの技師で、仕事で何年も高温環境に晒されていた点で、暑さのためホースから水を浴びて冷やさざるを得ないほどの職場環境が特定された。もちろん推察でしかないが、この環境により神経でヒートショックタンパク質が誘導されたことが異常Tauの伝搬を抑えた可能性がある。
他には殆ど明確な要因は認められていない。従って、今後はこれらの要因を動物実験や、ゲノム研究から確かめていく作業が待っている。しかし、このような希なケースを発見するという意味で、ゲノムのわかった集団のコホート研究は重要だ。