4月18日 爬虫類の温度依存的性決定の仕組み(4月17日号 Science 掲載論文)
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4月18日 爬虫類の温度依存的性決定の仕組み(4月17日号 Science 掲載論文)

2020年4月18日
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脊椎動物の中でも最も地球温暖化によって絶滅が危惧されているのが爬虫類だ。というのも多くの種で負荷時の温度によりオスメスが決定されるからで、卵が産み落とされた環境の温度が例えば上がりすぎると、孵化した個体が全てメスになり、生殖が不可能になる。

温度依存的性決定については興味を持っていたが、論文をフォローしておらず、性決定に関わる何らかの転写因子の温度感受性の問題かななどと勝手に思っていた。今日紹介するデューク大学からの論文はミシシッピーアカミミガメをモデルに、性決定過程の大枠を解明した研究で4月18日号のScienceに掲載された。タイトルは「Temperature-dependent sex determination is mediated by pSTAT3 repression of Kdm6b (温度依存的性決定はリン酸化STAT3によるKdm6bの抑制により決められている)」だ。

線虫から哺乳動物まで、オスの性を決定するマスター遺伝子としてDMRT1が知られているが、このグループはアカミミガメの性決定が、KDM6B:ヒストン脱メチル化酵素によるDMRT1遺伝子発現誘導を軸として行われていることを明らかにしていた。

今回の研究はこの軸を調節する上流の温度感依存的過程に関するものだが、対象となる野生動物の研究上の制限から、可能性の高そうな候補遺伝子を絞って、古典的な手法を用いて研究を行うことで進めている。こうして上がってきたのが、意外なことに通常サイトカインシグナルの下流にある転写因子STAT3で、まずメスを誘導する温度31度でSTAT3のリン酸化レベルが上昇すること、そしてSTAT3がKdm6bヒストン立つメチル化酵素遺伝子に結合していることを明らかにする。

STAT3のリン酸化が高まるのはメスを誘導する温度31度なので、リン酸化によりオスを決定するKdm6b遺伝子が抑えられる必要がある。そこで、STAT3阻害剤を用いてオス決定軸を形成するKdm6bおよびDmrt1の発現を生殖器官で調べると、期待通り発現が上昇する。すなわち、STAT3はKdm6bに結合して抑制因子として働いている。また、STAT3が活性化されメスを誘導する温度でSTAT3阻害剤を卵に注入する実験を行うと、生殖組織をオス型に変化させられることを示している。

最後に、では温度変化をSTAT3のリン酸化へと転換する仕組みについても、細胞内へ温度依存的にカルシウム流入が起こることでSTATA3リン酸化が起こるのではと仮説を立て、実際31度で細胞内カルシウム濃度が上がること、またカルシウムイオノフォア処理により、STAT3がリン酸化されることを示している。

データはここまでで、カルシウムチャンネルの温度依存的変化、細胞内カルシウム増加をシグナルとするSTAT3リン酸化、STAT3によるKdm6b遺伝子の発現抑制、その結果のDmrt1遺伝子発現抑制により、高い温度でメスが誘導されるというシナリオが示された。

まだまだ、温度感受性カルシウムチャンネルの特定、STAT3をリン酸化するメカニズムなど解明しなければならない点は残っているが、あとは時間の問題だろう。候補遺伝子を一つ一つ確かめていくという地道な仕事だが、温度依存的性決定についてはすっきりと整理がついた。

カテゴリ:論文ウォッチ

4月17日 変形性関節症とTET1:意外な取り合わせ(4月15日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2020年4月17日
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変形性関節症(OA)は特に高齢女性の運動能力を低下させる最大の原因だが、何十年も使い込めば関節が痛むのも当然と、私たち専門外はあまり興味を持てなかった。しかし、今日紹介するスタンフォード大学整形外科からの論文を読んで、単純に見えて奥の深い、しかも治療可能かもしれない面白い病気であることを認識した。タイトルは「Inhibition of TET1 prevents the development of osteoarthritis and reveals the 5hmC landscape that orchestrates pathogenesis(TET1阻害は変形性関節症を防ぎ、関節症への5hmCの関与を明らかにした)」だ。

おそらくOAの論文を読むのは初めてのような気がする。このグループはもともと人間のOAでゲノム全体に5hmCマークが増えてくることに興味を持って研究していたようだ。全く初耳だが、半月板障害での慢性炎症でDNAメチル化部位がハイドロオキシメチルに変わるというのは意外で、紹介することにした。

これまでの結果を半月板損傷によるOAモデルマウスで確かめ、OAが長引くとともに、ハイドロオキシメチル化(5hm)が進み、その結果1000近くの遺伝子発現が上昇することを確認する。すなわち、5hm化はOAの関節軟骨細胞を特徴付ける所見になる。

ではこれがOAの病理と関わるのか、Tet1ノックアウトマウスを用いてOAを誘導する操作を行い、Tet1が欠損すると、5hm化が抑えられ、それとともにOAの病理が強く抑えられることを示している。これはOAの進行をTet1操作で治療できる可能性を示しており、研究のハイライトと言える。

なぜこのような効果が見られるのか、Tet1ノックアウトにより発現が変化する遺伝子を詳細に調べており、例えば文化に関わるWntシグナルや、マトリックスの調節に関わるメタロプロテアーゼ、あるいは軟骨を守るために必要な転写因子など、遺伝子発現全体をOAの進行を止める方向へ再プログラムできる。この合目的性には驚くと同時に、Tet1とは何かを考えさせられる。私の頭の中でTet分子は、発生やガンのプログラムにとどまっていたが、考え直さなければならない。

いずれにせよ、Tet1はなぜかOA誘導のマスター因子として働いている。とすると、当然これを抑制することでOAの進行を止める可能性が出てくる。この研究ではOA患者さんの軟骨サンプルでTet1ノックダウンが期待の変化を示すことを確認した上で、同じ効果をTet全体の阻害剤2HG でも誘導できることを示している。

そしてマウスモデルで2HG を関節に注射して、OAの信仰を抑制できることを示している。

結果は以上で、慢性炎症で関節軟骨細胞のこれほど大きなプログラム変換がおこり、それにTet1による5hm化が関わるという発見も大変面白いが、それを治せる可能性が生まれたことは、期待できるのではと思っている。

カテゴリ:論文ウォッチ

近代哲学に取り掛かる前に、今話題のマルクス・ガブリエルを読んでみた(生命科学の目で読む哲学書 第13回)

2020年4月16日
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これまで12回、ギリシャ、ローマ、中世と哲学書を読んできた。大学時代から今まで、古典的な哲学書も比較的読んできた方だと思うが、系統だって読むことはなかった。時代を追って哲学書を読むという体験は今回が初めてだ。哲学を教えているわけでもないのに、ちょっと馬鹿げているとは思ったが、「この機会を逃せばもう気力は失せるだろう」と読み始めて、そろそろ一年になろうとしている。こんなことでもなければローマ時代や中世哲学書など手に取ることはまずなかったと思う。「しんどいか?」と問われれば、確かに「しんどい」し、何より他のことを犠牲にして本を読む必要がある。すなわち、論文を読むときと同じで読書が義務になる。しかし、しんどいだけではない。中世の著作でさえ、現代の哲学にまで続くルーツを発見することができるし、何よりもアリストテレス、オッカムなど、実際に読んでみないとその価値はわからない著作にも出会うことができた。とはいえ、ようやく中世を抜け出せるかと思うと、正直ホッとする。

近代哲学に突入できれば、一度は読んだことのある哲学書が多い。また紹介しながら、現代の科学や、生命科学の課題へ話題を広げて議論も可能だし、自分の考え(と言っても多くの人の考えに触れる中で形成することができた考え)を積極的に紹介することもできる。などと考えて、パスカルやロジャー・ベーコンを読み始めた時、ドイツの若手哲学者マルクス・ガブリエルが話題になっているのを知って、講談社メチエとして出版された「なぜ世界は存在しないのか」と「私は脳ではない」の2冊を読んで感心した。

図1 講談社メチエで出版された2冊のマルクス・ガブリエルの著書

「生命科学の目」のバイアスを持つ私の好みの問題だが、現代の哲学者に限ると、ラカンやガタリといった大陸の哲学者より、米国の哲学者の方が、同じ課題を共有でき、身近に感じて来た。実際、米国の多くの哲学者は現代科学(特に脳科学)についての造詣が深いし、つねに科学者との対話を保っているのが感じられる。といっても科学哲学に取り組んでいるというわけではない。形而上学や精神といった哲学本来の問題に挑戦している。例を挙げれば、サール、ネーゲル、デネット、そして哲学者ではないが脳科学者のディーコンなどで、いつかここでも取り上げてみようと思っている。しかしマルクス・ガブリエルを読んで、これまで感じていた大陸の哲学・米国の哲学などという区別は解消した。あまり長くない2冊の本だが、内容は重厚で、まさに現代を代表する重要な哲学者の一人だと思う。これから近代哲学の著作を紹介するときも、参考になる点は多い。そこでちょっと寄り道して今回はマルクス・ガブリエルを取り上げることにした。

これらの著書でマルクス・ガブリエルは、「世界」や「精神」といった哲学本来の課題が、20世紀以降は科学の専権課題になっているが、本当にそれでいいのか?と問う。そして科学にとらわれず多様な角度からのアプローチが必要で、哲学でしか取り組めない問題も多く存在すると主張する。難しい哲学用語を使わない素晴らしい翻訳なので(といっても原文は読んでいないが)、詳しい内容については、是非みなさんが自分で読んで確かめて欲しいと思う。新型コロナ感染による自粛で時間ができた人たちには間違いなくオススメの本だ。特に私たち科学者は、彼が新たに提起した哲学の課題についてどう考えるのか自問した上で、自分が属している科学という領域を再確認する必要があると思う。もちろん私にとっても、生命科学の課題を再考する機会になった。しかし、科学の手法や課題についての彼の理解、そして科学では扱えないと彼が考える課題の位置付けについては意見の相違を感じる点も多かった。そこで今回は本の紹介というより、科学者として彼の投げかけた問題にどう答えるか考えてみたい。

まず彼の著作の簡単な紹介として、マルクス・ガブリエルを褒めるところから始めることにする。

読んでまず驚くのは、彼の分野を超えた膨大な知識だ。しかも、普通哲学書を読んでいるとき感じるアカデミックな匂いがない。驚くべき「物知り」と言ってもいいかもしれない。その知識は、哲学は言うに及ばず、自然科学、芸術など、人間のあらゆる文化をカバーしている。彼が天才と呼ばれるのはこの点だろう。驚くのは、これらの知識が全て、彼の独自の視点を展開するために総動員できるよう整理されており、さらに誰もが身近に感じられる文章で語られる点だ。すなわち、哲学が知識として蓄積され、それらが彼の言葉として語られる。

彼のもう一つの特徴は、多くの人にわかってもらおうと、たとえ話や具体例を多用する点だ。「なぜ世界は存在しないのか」で彼は「世界とは何か」という形而上学問題について、

「わたし自身の答えは、最終的には次のような主張に行き着くことになるでしょう。たったひとつの世界なるものなど存在せず、むしろ無限に数多くのもろもろの世界だけが存在している。そして、それらもろもろの世界は、いかなる観点でも部分的には互いに独立しているし、また部分的には重なりあうこともある、・・。」マルクス・ガブリエル. なぜ世界は存在しないのか (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1335-1338). Kindle 版.

と独自の多元的認識論を提案する。すなわち、皆が共有できる一つの世界が存在すると考えるのは幻想で、独立しつつ重なり合う無限に多くの世界が現れるとする新しい多元論だ。その上で、我々の認識にとって存在とは、意味の場に現れたものを認識することだと語っている。

私が驚くのはこの議論自体ではなく、彼がこの概念を一般の人にわかりやすく説明する仕方だ。なんと、ジャクソン ポロックのアクションペインティング(私には意味を拒否した感性の塊としか見えないのだが、例としてウェッブ上の写真を見て欲しい:https://www.flickr.com/photos/piljun/6301137213)を例に概念を説明している点だ。そして、作品全体を眺めるだけでなく、一つの色に集中して筆の動きを読んでみるよう読者を促し、こうすることで一筆一筆がカンヴァス上の「意味の場」に提示されていることが理解され、私たちの頭の中に様々な「意味」の集まる「世界」が再構成されると語る。読んだ後ポロックの絵をもう一度見てもこの「意味の世界」は私のような凡人には見えてこないが、説明はとても新鮮だ。これだけで、十分ベストセラーになること請け合いだ。

美術の他にも、より大衆的な様々な映画も頻回に取り上げている。例えば、宗教、フェティシズム、商品と議論を進めた上で(なぜこのような連環が生まれるのかは本を読んで欲しい)、これを食肉消費(フェティシズム)、肉片から作られたソーセージ(商品)と連想して、最後にドイツの芸術家シュリンゲンジーフの「ドイツチェーンソー大量虐殺」の映画を例として解説している箇所は圧巻だ(彼についてはAASJでもYouTubeで取り上げている:https://www.youtube.com/watch?v=hbeG2z0lLJs&t=5976s)、

「そのようなヴルスト業界の真実は、一度見たらトラウマになりかねません。そのような事態が、クリストフ・シュリンゲンジーフの映画作品『ドイツ・チェーンソー大量虐殺』では、美学的に見て爆発的とさえ言える表現にまで先鋭化されています」

と、私にとっては見るにたえなかった超グロテスク映画の新しい側面を教えてもらって、なるほどと膝を打った。

もちろん古代から現代まで、哲学者の引用も多い。大事なのは、大陸or米国、過去or現代、という区別なく、各哲学者の著作に現れた「意味の場」が、マルクス・ガブリエルの中に蓄積され、メタ概念として彼の言葉で語られる点だ。多くの哲学者の思想が自由自在に集められ、形而上学や、精神といった哲学本来の課題についてのまとまった概念として、一般の人にもわかりやすく示されていく。しかしわかりやすいからといって、決して哲学の解説書といった類ではい。古代以来、人間が知ろうと努力してきた課題に真正面から取り組んでいる。わかりやすく語ることができるのは、知識が本当に身についているからなのだ。

さらに感心するのは、彼が哲学と科学を決して区別していないことだ。というより科学に対する厳しい批判を行ってはいても、科学を同じ問題を共有するパートナーと考えている。現代科学についてもよく理解しているからこそ自信を持って語れる。科学と哲学がパートナーとして同じ課題に取り組まなければならない点については私も全く同感なのだが、現代の脳科学やダーウィン主義を、哲学の可能性を認めない還元主義として批判する点については (後述)、生命科学者として一言述べたいので、以下「私は脳ではない」を題材に、彼の課題と、科学批判について見て行こう。

この本で彼が目指したのは、「精神哲学:精神を持つ生物としての私たちについて理解すること」、と明快だ。言い換えると、なぜ宇宙の中に生命が誕生し、その中から精神が誕生したのかという問題だ。このように問題設定されると、「え?これが哲学の問題?」と、確かに驚いてしまう。例えば、米国のディーコンのように「宇宙になぜ精神が存在するのか?」を総合的に扱おうとしている科学者/哲学者(彼は認知科学の教授で、哲学者と表現するのは間違っているかも知れない)も存在するが、これほど包括的に問題提起する現代の哲学者はまずお目にかかれない。

科学の問題にも自由に踏み込む米国の哲学者ですら(例えばダニエル・デネット)、「意識:解明される意識」、さらに生物について「進化:ダーウィンの危険な思想」といった具合に、全体の中から一部を取り出し、哲学として議論するのがせいぜいだ。マルクス・ガブリエルのように精神を宇宙の中に位置づけて、その理解を目指すと明言する現代哲学者は、少なくとも私は読んだことがない。そして、精神や意識の問題は、包括的な理解を目指すべきだという考えには私も科学者として完全に同意する。

これまで紹介してきたように、ギリシャ哲学や、あるいはスコラ哲学では、宇宙の中の精神は哲学が取り組むべき当たり前の課題だった。ただ、近代が始まった時点から、このような包括的な課題は科学に任せれば良いという風潮が徐々にたかまり、現代に至っている。この結果、彼が指摘するように「宇宙の中の精神」のような包括的問題については、科学的自然主義か、それと対立する宗教的神秘主義だけが取り組む課題になり、哲学はもはや土俵を下りた感がある。

この状況に対し、マルクス・ガブリエルは「宇宙の中の精神を理解する」と言った包括的な問題は今もなお最も重要な哲学の課題であると主張する。ではこの問に対する彼の答えはなんだろうか?

がっかりさせて悪いが、イオニアの哲学者のように「万物は水からできている、とか原子からできている」などといった解答が示されるなどと期待しても、結局答えは示されない。しかしこれは当然だ。もしこの問題に彼が納得できる説明を示していたら、それこそ大騒ぎになる。事実、哲学どころか科学だって、誰一人として宇宙の中の人間の精神の存在を説明できる人などいるわけが無い。

代わりに「私は脳ではない」では、「意識」、「自己意識」「実のところ私とは誰、あるいは何なのか?」「自由」とセクションを設けて、それぞれの問題に関して、科学、哲学、宗教がこの問題にどうアプローチしたか説明していく。大事な点は、ここで登場する哲学者の引用が「xxxが意識についてこう語った」と言った紹介ではなく、各課題に対するこれらの哲学者の考えが一度彼の頭の中で咀嚼された後、彼の意見として語られる点だ。すなわち、それぞれの哲学者の引用は、すべて彼の頭の中にある思想の核とつながっている。科学では様々な知識が蓄積し、一つの問題に対してその蓄積を持って説明するのが普通だが、彼は哲学、宗教を問わず、あらゆる分野の思想を蓄積して、それを自分の言葉で語るスタイルが可能であることを示している。もちろんこんな離れわざは誰でもできるわけでは無いが。

一方、同じ問題に対する科学領域からの知識は、もちろん彼の頭の中で咀嚼されてはいても、基本的には批判の対象として、手厳しく扱われている。少し長くなるが、一つの例を見てみよう。

「私はミラーニューロンがあることを否定するつもりはありませんし、それがなければ自己意識にも、他者の意識に対する意識にも到達できなかったかもしれないということを否定するつもりもありません。まったく同様に、人間の精神の状態にとって重要な生物学的土台が、偶然の──つまり、それを目的にして計画的になされたのではない──遺伝子組み換えによって生まれ、その後、環境の圧力によって淘汰・選択されたことも否定するつもりはありません。この惑星に意識をもった生物がいること、もしかしたら他の惑星にも意識をもった生物がいるかもしれないことは、宇宙という観点から見れば、偶然の産物です。つまり、特別な理由があって、そうなったわけではありません。あるものはある、それだけのことです」マルクス・ガブリエル. 「私」は脳ではない (Kindle の位置No.2576-2582).

と、精神の存在が、宇宙誕生以来の必然であるように語る科学(ほぼ物理学とオーバーラップする)に対して反論している。そして、特に最近になって科学は、宇宙から精神までいつか解明できるという思い上がった考えを持つ傾向があることを次のように批判している。

「宇宙の真理についての無知ゆえに、人間には精神をもつ生物としての己の立場を誤って判断する傾向がありますから、神経生物学のフィールドで我々の認識が進歩すれば、それは当然、自己認識の進歩に役立ちます。なぜなら、太陽は私たちが物を見るために輝いているとか、私たちに意識と自己意識があることは、「地上で」繰り広げられる見世物をはるか彼方から文字どおり見物する神の栄光のために催される一種の精神的シンフォニーであると信じるなら、まさに相当な勘違いですから。とはいえ、我々は神経生物学の知識のおかげで、自己意識について、エンヘドゥアンナ、ホメロス、ソポクレス、龍樹〔ナーガールジュナ〕、ジェーン・オースティン、アウグスティヌス、ビンゲンのヒルデガルト、ジョルジュ・サンド、ヘーゲル、ベッティーナ・フォン・アルニム、あるいはマルクスが有していた以上の理解を手にしていると考えるなら、それは誤解です。」マルクス・ガブリエル. 「私」は脳ではない  (Kindle の位置No.2595-2603).

ここでは、「神の栄光を信じる」宗教と比べると、科学は宇宙の真理対してよりまともなアプローチしているとは言え、古今の多くの哲学者の思想を凌駕できていると考えるのはまだまだ早いと述べています。

おそらく彼も、多くの科学者が、科学は全てを説明できるなどと思い上がることなく、黙々と目の前の問題に取り組んでいることを知っているはずだ。しかし、今も昔も、科学は宇宙から精神まで説明したいと考えようとしてきたのも確かだ。そして、この時こそ科学が思い上がる時だと彼は語る。例えばこの本では、利己的遺伝子のドーキンスや、神経学者エリックカンデルを名指しでこの思い上がりの例として批判している。しかしドーキンスもカンデルも、私たち科学者側では、哲学の素養があり、大きなパースペクティブで生命や精神を語れる科学者だと評価し尊敬されている。

彼が言いたいのは、科学者が科学を盾に「宇宙の中の精神」という「一つの世界」を普遍的に語ろうとするときに、落とし穴に落ちるという点だ。確かに私も含めて科学者も、大きな問題に大上段で構える時、哲学をしばしば引用する。これはすでに科学者が科学者であることをやめている証拠だと彼は思っている。だからこそ、私たち科学側のヒーローに対して「カンデルはカントを読んでいないか、読んでいてもわかっていない」と喧嘩を売って、「科学的」であることを裏付けようと、勝手に哲学者まで引っ張り出すなと叱責する。この叱責はさらにつづく。

神経構築主義は、繰り返し好んで、しかも不当にカントの説に寄りかかっていますが、カントのほうがよほど首尾一貫しています。それは、カントが、神経構築主義が絶えず巻き込まれる矛盾を見破っていたからです。主著『純粋理性批判』でカントがテーマの一つにしているのは、思考という事象の担い手を(非物質的な魂であろうが、脳であろうが)何らかのものとして同定するのは誤った推論であるのを実証することです。こういう誤った推論は自己認識という領域で私たちにつきまとっていて、カントはその誤りを暴こうとしたのです。カントはこういう推論に「誤謬推論」という呼び名をあてましたが、要は誤った推論のことです。誤謬推論が登場するのは、カントによれば、特に、思考能力の担い手はこの世のどこかで見つかるものでなければならない、と信じられているときです。思考能力の担い手は、非物質的で探し出すのが困難な魂や気〔Seelenkraft〕でも構いませんし、脳全体──いくつかの脳部位でも構いません──の中での、はっきりとは場所が特定できないながらも認められている特質や活動でも構いません。」マルクス・ガブリエル. 「私」は脳ではない  (Kindle の位置No.1282-1292). Kindle 版.

このような批判を読んだあとで、ドーキンスやカンデルの著書を思い返してみると、彼の言うのも一理あると思う。要するに、宇宙の中の精神という大きな「世界(マルクス・ガブリエルにとって世界は存在しないのですが)」に立ち向かおうとする時、科学の間違いが始まると批判する。

さらに具体的に指摘が続く。

神経中心主義が哲学を寄せつけないためにとる典型的な戦術は、まず「私」を「自然化」することです。つまり、「私」を自然科学的に説明したり理解したりできる対象の領域に編入するのです。そうして、「私」は言うなれば神秘的であるという特性を失います。現象の自然化とは、一見すると自然科学的に研究できそうもない現象を、その見かけに逆らって、自然科学で表現できるもの、探究可能なものとして扱うことです。したがって、ここで言う「自然な」とは、「自然科学で探究可能な」というような意味です。そして、このことはすでに多くの疑問を投げかけています。というのも、自然科学で探究可能であるとはどういうことなのかが、まったくはっきりしないからです。」マルクス・ガブリエル. 「私」は脳ではない (Kindle の位置No.3144-3151). Kindle 版.

すなわち、世界の理解に最も重要な主観的「私」を隠してわかった気になるのが科学の戦略で、この戦略だけで本当に世界を理解できるのかと問う。

そして最後の一撃だ。

「ですから、精神をもつ生物〔知的生物〕としての私たちの状況に新たな視線を投げかけるのは、今世紀に課された重要な課題です。私たちは唯物論〔物質主義〕を克服しなければなりません。唯物論は(物質エネルギーにも基づき、匿名の固い原因で成り立つ現実という意味での)宇宙に見出せるものしか存在しないと私たちに吹き込み、それゆえ意識からニューロンの嵐にまで還元することができる精神というコンセプトを必死で求めているのです。私たちは、多くの世界にある住民です。私たちは目的の王国で行動しており、そこでは自由のための一連の条件が提供されています。」マルクス・ガブリエル. 「私」は脳ではない (Kindle の位置No.5041-5046).

手厳しい科学批判だ。特に、「(一つではない)多くの世界に住み、目的論の王国で行動し、自由な私が存在する」と強調することで、「目的ではなく法則に支配されている一つの世界」を認める科学思想をわざわざ裏返して、NOを突きつけている。

私も少しムキになって紹介してしまったかもしれないが、「私は脳でない」は、現代の科学批判の本だというのが私の感想だ。では、この批判に科学者としてどう答えていけば良いのか。これについてはこれから多くの哲学書を読む中で答えて行こうと思っているが、とりあえず手短に私の考えを述べてみよう。

まず、「私たちは唯物論(物質主義)を克服しなければなりません」という点では私も完全に同感だ。しかしマルクス・ガブリエルがこう語るとき、科学=唯物論と言っているように思えてならない。もしそうなら、それは間違っている。唯物論は科学とは全く無関係だ。私が考える唯物論は、目に見える(物質による)因果性で現象を説明しようとする事で、誤解を恐れずわかりやすく言ってしまえば、物理学がそれに当たる。化学反応は複雑だが、それでも同じように目に見える因果性の連鎖で扱える分野だと思う。もちろん私たち生物も、目に見える物質からできており、物理や化学の法則に従って生き、死んでいくという点では、唯物論的だ。しかし、生物を物理学的因果性だけで説明することは不可能だと私は確信している。

例えば生物には物理世界(生命誕生前の地球に存在していたが因果性)に、生命と同時に誕生した「情報(もちろんその媒体DNAは物質ですが情報は物質ではありません)」が組み込まれている。しかも情報は核酸だけではない。エピゲノム、神経ネットワークなど、様々な媒体を使った情報が組み込まれている。例えば自然界で今、自然にDNAが生成することはまずない(もちろん不可能ではなく、少なことも一度はできてしまったのだが)。一方、どんな小さな生物の中でも、核酸の合成は普通に起こっている。これは、物理法則と、情報が統合されているからできることだ。さらに脳という神経ネットワーク媒体を介する情報のおかげで、人間は地球上にはけっして生じることのない物質を生み出してきた。今私が向かっているパソコンが生物なしに物理法則だけでできるには何年待てばいいのか?

では、科学が唯物論的自然主義ではないとすると、科学とは何か?ガリレオ・ガリレイを読むときに詳しく論じたいと思うが、科学とは事象の理解について、第三者とコンセンサスを得るためのプロトコルを認め合う集団(科学者)が形成するギルド活動だと思っている。このコンセンサス形成のためのプロトコルとしてギルドに認められている方法は、現在のところ数理や実験だ。数理は多くの人と一度にコンセンサスを取ることができるプロトコルだが、もちろん数理的に処理できるからといって正しいわけではない。また、実験は自分の体験を、他の人と共有する手段だが、コンセンサスを得るためには時間とコストがかかることが多く(重力波測定を考えてください)、しかも常に個別の事象だけを対象にせざるをえない。本当の意味で普遍的なコンセンサスを得る事は物理学以外は科学にとって苦手な作業だ。

しかし問題はあっても、実験や数理という手続きを踏めば、少なくとも他の科学者に認めてもらえることはできる。逆に、ギルド内では理論科学の概念が証明されるまで棚上げにされるのも、科学というギルドの規則から考えるとうなづける。このおかげで、私たちの直感とは全く外れるアインシュタインの相対性理論ですら、まず数理的に、そして重力波実験によりコンセンサスとして共有できるようになった。しかしコンセンサスを得るための独自のプロトコルを持つというだけなら、宗教も同じかもしれない。誰かの言葉を信じると決めておけば、信者内で概念を共有できる。

幸い、科学はこの問題を、概念の技術化を通して解決し、宗教や政治などとは異なる質のコンセンサスを形成できている。すなわち、科学ギルドで生まれた概念の多くは、技術化を通して、宗教信条から科学を批判する人とすら共有できる。イスラム教、仏教、キリスト教を問わず、スマートフォンを通して、皆さんは電磁気学の成果を共有しているはずだ。逆に、ギルドメンバーであっても、プロトコルを無視する(捏造する)と、その概念が正しかったとしても、もはや科学者というギルドを去らなければならない。

ただ、このような厳しいギルドのルールをどこまで守れるか、難しい問題だった。そのため17世紀近代科学が誕生した時、科学は物質的因果性に基づく物理学しか対象にできなかった。その結果、科学の対象から物質的因果性では到底説明できなかった生物や精神などが外れ、多くは宗教の領域に預けられることにななる。

しかし、ダーウィンの進化論、そして何よりも20世紀のシャノンやチューリングによる情報科学の成立により、非物理的因果性を科学として(すなわちギルドの認めるプロトコルに従って概念を検証する)扱うことができるようになって来た。今回読んだマルクス・ガブリエルの2冊の本では、情報や情報科学についてはほとんど言及がないのが残念だ。しかし、ダーウィンの進化論というアルゴリズムに情報科学(繰り返しますが、非物理的因果性と言っていいでしょう)が加わって、科学の範囲は大きく広がろうとしている。何よりも、一つの結果を科学というギルドの中で一般化することが可能になって来た(これについてはいつかもっと詳しく論じる)。

以前、柄谷行人さんが、カントのアプリオリは「他人」とおなじだと言っているのに感心したと書いたが、科学に他人とのコンセンサスを得るための揺らぎないプロトコルがあることで、主観的な概念を、他人と共有、すなわちアプリオリへと転換することが科学にはできる。一方、哲学には第三者と概念を共有するための確固たるプロトコルは存在しない。もちろん、マルクス・ガブリエルのように様々な思想を自分の頭の中でもう一度統合するという離れ業は可能なだが、どれほど多くの考えを統合できたとしても、それがコンセンサスになるという保証はない。

「私は脳でない」という彼の考えに私も納得できるのは、「・・・でない」という否定形だからだ。しかし今後哲学で「私はXX」とテーゼが示された時、このテーゼを共有するためのプロトコルは有るのだろうか。これは哲学書を読むときいつも感じる問題だ。おそらく、科学というギルド以外、このプロトコルを確立できたギルドはないと思う。

しかし、私は彼の科学批判を全面的に受け入れたい。まず科学者は、このギルドの中だけで科学者でありうるという点は重要だ。この不自由な牢獄から抜け出して、ちょっと広い世界で話をしてみたいという気になるのはよくわかるが、その時はギルドメンバーではなくなっていることを認識する必要がある。ギルドから離れて脳科学の概念に基づいて説明しても、その説明が科学的だと錯覚してはならない。ここでは、誰もが哲学者と同じ立場に立っている。

とはいえ、「宇宙の中の精神」について科学者も考える事は自由だ。しかし繰り返すが、このように包括的な課題を普遍的に考えてみる作業が哲学の本領と言え、この時は科学者も哲学者と同じ土俵にいる。もちろん自分のよく知っている21世紀に入って急速に進む脳科学の成果を「科学ギルドからの強固な概念」として取り込む事は、哲学的に考える時も重要だ。その意味で、科学者も常に普遍的に考えてみる事は大事で、幸い脳科学にはそんな科学者が多く存在する。

ギルドから一歩出たら哲学者と同じ土俵で対等に渡り合い、できれば協力し合う必要がることを忘れてはならない。ただ、このような対等の協力関係の成立は難しかった。今回彼の本を読んで、マルクス・ガブリエルは、同じ土俵で渡り合い、協力できる哲学者だと確信した。今後彼の新鮮な批判精神が、「宇宙の中の精神」についてわかりやすく説明してくれることを期待して待とうと思っている。我が国の哲学者だけでなく、若い科学者も彼と討論してみると面白い。

4月16日 今新型コロナウイルス症状として話題になっている臭いの受容は極めて複雑(4月10日号 Science 掲載論文)

2020年4月16日
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阪神の藤浪投手についての報道以降、新型コロナウイルスの可能性を調べる一つの症状として嗅覚障害が認められ、メデイアでも盛んに報じられている。最近 International Forum of Allergy & Rhinologyにカリフォルニア大学サンディエゴ校から発表された論文では、インフルエンザ症状を示した中で新型コロナと確定された患者さんの68%が嗅覚障害を示した一方、通常のインフルエンザでは16%で、嗅覚障害は100%ではないが、新型コロナと強く相関することを示していた。

今我が国では一般の感染がどの程度広がっているのか、クラスター対策が限界を迎えてしまったため、わからないという状況になっている。各地域でこれを調べる一つのアイデアがやはり同じ雑誌に紹介されていた。Google Trendを使って嗅覚障害に関わる様々な言葉が何回検索されているのかを調べると、その地域でのコロナウイルス感染者数とgoogle 検索数が高い相関を示すという研究だ。PCR検査を徹底的に行なっているドイツでも相関が見られることから、信頼できる方法ではないだろうか。メディアも、国の調査不十分を非難する前に、自前で様々な検索を行えばいい。前に紹介したように下水のPCR検査(https://aasj.jp/news/lifescience-easily/12703)と合わせれば、原発事故モニター並みの推定ができるかもしれない。

個人的には匂いに関わる単語検索数はかなり使えると思う。というのも、十年以上前私も感冒にかかり、すっかり匂いを失った。幸い徐々に回復したが、面白いことに花の匂い、香水の匂い、ワインの匂いなど良い匂いは回復し、今や前以上にワインテースターになった一方、臭いと言われる匂いは排泄物も含めて全く戻ってこない。介護向きの人間になったのも巡り合わせかと親の介護を待ち構えていたが、この能力を使う間も無く全員亡くなってしまった。

少し余談になったが、匂いを失うと回復するかどうかが不安になる。その結果間違いなく、検索は増える。一般の人にとっては藤浪選手の報道が一つのピークになると思うが、現在の検索数を調べてみるのは絶対おすすめだ。

と前置きが長くなったが、今日紹介したいコロンビア大学からの論文は個々の嗅細胞が様々な臭い物質に反応を示し、細胞の興奮を入り口で調節している可能性を示した論文で4月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Widespread receptor-driven modulation in peripheral olfactory coding (抹消の嗅覚コードの受容体依存性の調節は普通に起こっている)」だ。

この研究では匂いに反応する1万個近くの嗅覚細胞の興奮を、様々な匂い物質にさらして同時観察している。仕掛けは大掛かりだが、目的は単純で、1つの細胞が様々な匂い物質に反応する可能性を確かめようとしている。

これまでのコンセンサスは、それぞれの嗅細胞は原則1つの分子に反応して興奮し、ワインのような複雑な匂いは全て高次の統合で行われるとされていた。ところが、1万個単位の細胞を同時にモニターすると、1個1個の物質に対しては確かに反応細胞は分離しているように見えても、同時に2種類、あるいは3種類の分子に晒すと、1つの分子にしか反応しないと思われていた細胞の興奮がポジティブ、ネガティブな様々な影響を受けることがわかった。

詳細は全て省いて結論だけ紹介するが、匂い受容体は実際には様々な分子と反応することが可能で、興奮の閾値を超えるという点で調べると匂い物質との一対一で対応しているように見えるが、単独では刺激の閾値を越せない分子も受容体の反応をポジティブ、ネガティブに変化させられるということだ。要するに、一つの受容体で、何種類もの刺激に違う反応を示すということで、これは入り口から大変複雑だということを示している。なぜワインの匂いが区別できるのか、到底わかりそうもない。

コロナに戻るが、匂いが戻るまで、嗅覚障害に陥った人はgoogleやYahoo検索を続けるだろう。嗅覚細胞は新陳代謝する細胞なので、必ず回復すると言えるが、自分の経験では完全に元どおりにならなかった。おそらく、この回復過程で素晴らしい匂いを脳に焼き付けることで、ぜひ素晴らしい自分の匂い世界を形成してほしい。この論文が示すように、匂いの受容は入り口から複雑だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

4月15日 放射線照射したガンが免疫をすり抜ける仕組み(3月30日 Nature Immunology オンライン出版論文)

2020年4月15日
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昨日紹介した論文からもわかるように(https://aasj.jp/news/watch/12797)、ガン特異的抗原さえ発現しておれば、私たちに備わった免疫機構は極めてパワフルで、それだけでガンを抑えてくれる。このことがわかると、ネオアジュバント治療のように、まずチェックポイント治療を行なったあと外科治療を併用するという戦略が出てくるのは当然だ。

もう一つ期待されているのが、ガンを放射線や抗がん剤でまず傷害して自然免疫を高めておいたあと、副作用のある治療はやめて、チェックポイント治療に切り替える戦略で、昨年トリプルネガティブ乳がんについて調べた論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/10264)。ただ、この論文を読んで驚いたのが、シスプラチンのようなプラチナ抗がん剤はチェックポイント治療の前処置として強い効果があるのに、放射線照射は全く効果がない点だ。個人的には、切断されたDNAにより炎症が強く誘導できると考えていた。

今日紹介するテキサス・サウスウェスタン医療センターからの論文は私が抱いていたこの謎の答えを与えてくれた論文で3月30日号のNature Immunologyに掲載された。タイトルは「Tumor cells suppress radiation-induced immunity by hijacking caspase9 signaling (腫瘍細胞はcaspase9シグナルを取り込んで放射線による免疫反応を抑える)」だ。

放射線照射で免疫反が起こりにくい理由の一つは、なぜか腫瘍細胞の1型インターフェロンの分泌が抑えらるからだと知られていたようだ。このグループは放射線照射後の腫瘍細胞にインターフェロンを誘導できる薬剤をスクリーニングして、カスパーゼ阻害剤のemricasanがインターフェロンα、βともに分泌されるようになることを発見する。 すなわち、ガンが細胞死を調節するカスパーゼシステムをうまく利用してインターフェロンの分泌を抑えていることになる。

そこで、CRISPRを使って様々なカスパーゼ遺伝子ノックアウトを行い、casp9をノックアウトするとインターフェロン産生が戻ること、そしてその結果、放射線照射を受けたガン細胞に対する免疫反応が誘導され、ガンを消滅させられることを明らかにしている。

以上がこの研究のハイライトで、あとは

  • 放射線によりミトコンドリアDNAが上昇し、これを感知して自然免疫系が活性化されるが、この経路をcasp9は抑制している。
  • インターフェロンは、ガンのPD-L1発現誘導に必要で、これが阻害される放射線治療ではチェックポイント治療が効かなくなる。
  • Casp9を抑制して放射線照射したガンは、チェックポイント治療に高い感受性を示す。
  • Emricasanを放射線照射とチェックポイント治療に併用すると、ガン抑制効果が上がる。

などが示されている。

状況に応じて細胞の死に方を調節するカスパーゼシステムを逆手に取った、ガンの巧妙な戦略といっていいが、放射線がなぜチェックポイント治療と相性が悪かったのかよくわかった。もしこのシナリオが正しければ、放射線照射したガン局所に、インターフェロンを投与できれば、チェックポイント治療の有効性を高められると思うのだが、それが示されなかったのは残念だ。ぜひ検討してほしい。

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4月14日 免疫チェックポイント阻害によるネオアジュバント治療(4月6日号 Nature Medicine 掲載論文)

2020年4月14日
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現在乳ガンなど多くのガンでネオアジュバント治療が行われている。これは、手術前に放射線や抗がん剤を投与して、ガンをあらかじめ叩いておいた後、手術で切除する方法だ。この方法の有効性は様々なガンで確かめられており、放射線や化学療法というと、手術不能の場合の治療としていた従来の考えが大きく変わっていることを意味する。

もしステージが進んだ後でも効果のある治療法を前に持ってくることが高い効果を示すなら、オプジーボのような免疫チェックポイント治療も同じように手術前に持ってきてもいいはずで、まだ試験段階とはいえいくつかのガンでは効果が確かめられている。この方法のもう一つの利点は、必ず組織を切除するため、ガンに対する免疫反応の状態を組織上で確認できることだ。

今日紹介するオランダ ガン研究所からの論文はステージ3までの大腸ガンでCTLA4とPD1に対する抗体を組み合わせたチェックポイント治療の高い有効性を示す研究で4月6日Nature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Neoadjuvant immunotherapy leads to pathological responses in MMR-proficient and MMR-deficient early-stage colon cancers(ネオアジュバンタ免疫治療はMMRの発現を問わず初期段階の大腸ガンに対する免疫を誘導する)」だ。

タイトルで MMRと書かれているのはミスマッチ修復機構のことで、複製時のエラーを修復する機構が正常なガン(pMMR)と、低下しているガン(dMMR)を区別して治療効果を比べている。これまでの研究で、MMRが低下すると、ガンの突然変異の数が増え、結果ガン抗原の数が増えて免疫反応が起こりやすいことが示されてきた。

実際にはプロトコルにCox阻害剤まで入っているので、わかりにくいプロトコルだが原則はCTLA4に対する抗体とオプジーボを1回、2週間後にオプジーボだけ1回投与し、あとは手術だけで治療している。従って、未治療の患者さんで抗体治療がどの程度効果があるか、その時の組織反応はどうかが明らかになる。

結果は驚くべきもので、MMRが低下して突然変異が多い(実際に調べている)ガンではほとんどで腫瘍が8割以上縮小し、切除後の組織でガンの縮小をはっきりと確認できる。一方免疫療法が効きにくいとされている修復正常のガンでが完全寛解は2人しかないが、多くで一定の縮小は認められ、さらに進行はしていない。

それぞれのグループの切除組織の免疫状態を調べると、CD8T細胞の数の上昇はdMMR群で強く、効果と相関していることがわかる。他にも、これまでガン抑制活性と相関するとされている分子マーカーも詳しく調べているが、大腸ガンの場合CD8陽性 PD-L1陽性の細胞が最も臨床効果と関連することを示している。

しかし全般に低いとはいえ、pMMRグループでもCD8T細胞は上昇しており、一定程度の免疫反応が起こっていることは想像される。これをさらに確認するため、試験管内で形成させたガンのガン細胞組織に対する自己T細胞免疫反応まで調べ、臨床的には反応が見られなかったケースですら、一定のガンに対する免疫反応が起こっていることを明らかにしている。

以上が結果で、まずMMRが低下している場合、ネオアジュバント治療は今後の標準になる可能性を示唆する。末期に使用するのと異なり、2回注射だけで高い効果があり、経済的にお安上がりだろう。また、問題となる副作用もこの投与法ではまずでない。

問題はMMR正常群だが、それでもガンに対する免疫は成立しているようなので、今後プロトコルを変えて(例えばTGFβもブロックする)ネオアジュバント治療を行うことも考えられると思う。 今後長期予後が示されるまで結論は保留だが、それでも将来標準になる新しいプロトコルが生まれた実感がある。

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4月13日 自然免疫と脳発生(4月8日 Nature オンライン掲載論文)

2020年4月13日
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発生過程は最もDNA複製が活発な時期だが、活発であるということはDNA複製時のストレスによるDNA損傷が頻発する時期でもある。この時DNA損傷は修復されるが、それと同時に修復しきれない細胞は細胞死により除去される。問題はこの時どのように細胞が死ぬかで、これまでなんども紹介したように細胞の死に方は、組織や個体の混乱を引き起こさないよう行われる必要があるが、だからと言ってアポトーシスのように、常にひっそりと死ぬのがいいわけではない。当然死骸の処理も必要で、周りの細胞に警告を出す必要のある場合もある。

今日紹介するバージニア大学からの論文は神経発生時のDNA障害を起こした細胞はどのように死んでいくのか調べた研究で4月8日号のNatureに掲載された。タイトルは「AIM2 inflammasome surveillance of DNA damage shapes neurodevelopment (AIM インフラマソームによるDNA障害のサーベイランスは神経発生に必要)」だ。

この研究では最初からアポトーシスではなく、ピロトーシスを誘導するカスパーゼ1を活性化する時に形成されるインフラマソームと呼ばれる刺激分子複合体が、複製ストレスで生じたDNA障害で誘導されるかに焦点を当てて調べている。期待通り、DNA傷害が最も多く蓄積する生後5日目にASC分子を含むインフラマソームが形成された細胞が散見されることを確認する。

次にこのインフラマソーム形成に関わる遺伝子をノックアウトすると、インフラマソームは形成されない。そして驚くことに、生まれたマウスは強い不安神経症を示すようになる。しかし、記憶や認識などの他の神経機能は正常のまま残る。すなわち、インフラマソームの形成は、マウスの正常神経回路発達に必須であることが示された。

次に脳内のインフラマソーム形成過程に関わる分子を調べ、AIM2がDNA切断部位を認識しインフラマソームを形成することでカスパーゼ1を活性化することを明らかにしている。とするとピロトーシスが起こるわけで、サイトカインが分泌され周りに迷惑がかかりそうだが、確かにIL1やIL8が分泌されるが、これらの遺伝子をノックアウトしても、マウスの行動異常は発生しないことから、神経発生の現場ではなんの作用もないと結論している。

そして、カスパーゼはガスダーミンDに働き、細胞死を誘導することで、傷害の強い細胞を除去することで、最終的に神経回路形成を円滑に進めていることを示している。

結果は以上で、発生時にピロトーシスも動員されているが、サイトカインは発生時ほとんど役割を持たず、ピロトーシスも、アポトーシスと同じようにひっそりと細胞は死ぬという結論になる。ただ、気になったのは、どうして神経細胞全体でピロトーシスをブロックして、不安神経症だけが現れるかという点だ?うまく研究すると、不安神経症を示す発達障害を理解できるのではと期待している。

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自閉症の科学 42  コロナウイルスによる学校やケア施設の閉鎖状況を乗り越えるために、ASD児をもつ家庭が心がけるべきヒント。

2020年4月12日
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緊急事態宣言が出され、大都市圏では学校や施設閉鎖が延長された。もちろんASDの子供も例外ではない。この時、ASD の子供と自宅でどう過ごせばいいのかについて、10のヒントが4月1日号のBrain Scienceに掲載されていたのでそのまま訳して掲載する。

もちろん米国とわが国では事情も異なるし、またASDの症状は多様なので、 「米国ではこんな対応が指示されているのか」と、何かの参考にするという気持ちで読んでいただければ幸いです。

  • 新型コロナウイルスについて子供によく説明する。

ASDの子供は具体的な事象に即して認識して、抽象的なことを理解するのが苦手なことが多い。また、言葉でのコミュニケーションが苦手だったり、周りの現象を理解することも難しい子供達がいる。それでも、何が新型コロナウイルスか、なぜ家にとどまる必要があるのかを説明することは重要。説明は単純で具体的でなければならない。この目的で、意思伝達装置(例えば:https://ogw-media.com/medic/cat_it/4377)を使う可能性もある。また、新型コロナウイルスとは何かについてのパンフレットがあれば使える(例えば藤田医科大学の資料:http://www.fujita-hu.ac.jp/~microb/Final_version.pdf)。言葉で説明するときには、概念をわかりやすく示した図を使うことも重要(わが国でもこのような準備はできているのだろか?)。

  • 毎日の生活の時間割を作る

ASD児は実行力に問題があることが知られており、特に日常性が破壊されると毎日の過ごし方を計画できなくなる。このため、できるだけ早く毎日の活動を構造化することが重要。この状況では、家庭が活動の唯一の場になる。そこで1日の活動をいくつかに分けて、部屋を変えて行うことも役にたつ。このような時間割は知能に障害がある子供だけではなく、知能は正常のASD児にも役に立つ。また、この時間割を家族全体で行うゲームのように仕立ててもいい。黒板に、家族がその日何をするのか計画を書き入れてみたらどうだろう。

  • ある程度自由度を持った遊び

ASD児は遊ぶのが好きだが、感覚のトラブル、あるいは行動の反復性などから、苦手な遊びがある。いずれにせよ、1日のうち、遊びの時間を持つことは重要。これは一人で遊ぶことでも、だれかと一緒に遊ぶことでも良い。例えばLEGOを用いた治療は知能を問わずASD児には良い遊びの方法になる。この治療方法は子供の社会性を高める目的でますますポピュラーになっており、特に社会性に問題を抱えるASD児のような子供に適している。これを子供と親が一緒に遊ぶ、ある程度自由を持たせた遊びとして、自宅で行うことができる。(レゴセラピーについてはhttps://www.kango-roo.com/sn/a/view/4311を参照)。

  • シリアスゲームを使ってみる

シリアスゲームについてはウィキペディアを参照してほしい:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

シリアスゲームはASD児の社会による認知の促進、表情に現れる感情、感情的な仕草、感情的な状態の理解に役立つ。シリアスゲームはASD児の基本的教育資源として利用できる。多くのシリアスゲームは無料でウェッブからタブレットやPCにダウンロード可能。シリアスゲームは教育目的でビデオゲームやウェッブサイトの代わりとして使える。

  • 親とビデオゲームやインターネットセッションを共有する

ASD児はビデオゲームやインターネットに強い興味を示すことが多いが、現在のように子供達が家庭から出られない状況では、逆にはまり込んでしまう危険がある。子供がPCで遊ぶのを避けることは難しいが、現在のように親も家庭にいる機会が増えた場合、ビデオゲームやインターネットを親や、兄弟、あるいは介助者たちと共有できるよう過程でルールを作ることを考えてみると良い。これによって、子供が一人で孤立しインターネット中毒に陥るのを防げる。

  • 独自の興味の対象を見つけて親と共有する。

特定のものへの興味を持つことはASD児の特徴。このような興味を持つことの重要性については現在ますます理解されるようになっている。このような興味を持つことについては、親や介助者も積極的に励ますことが重要。興味の対象例としては、乗り物、地図、動物、漫画、地理、電子機器、そして歴史などを挙げることができるが、他にも多くの可能性がある。親と子供が自宅で過ごすようになった現在の状況は、このような興味に関する活動を一緒に行ういいチャンスになる。

  • 正常知能の子供のためのオンライン治療

ASDには、ASDとは別の精神的な脆弱性や病気を高頻度で抱えていることがよく知られている。これらの病気の中でも不安神経症は最も報告が多い。このような精神疾患が青春期に起こると精神発達崩壊につながる恐れがある。特に新型コロナウイルスによる非常事態はASDの子供にとって自分のこととして理解しにくい出来事と言える。このため、新型コロナウイルスの非常事態宣言が出る前から精神治療を受けていた場合、それを続けることは大変重要。ところが外出自粛状態では殆どのセラピストは対面での治療を中止せざるをえない。そこで、ビデオやオーディオを用いての遠隔精神治療を、毎週予約して受けることは大変大事なことになる。これにより、不安が解消され、気分をチェックし、子供が専門家と話す機会が得られる。

  • 親や介護者のため、毎週オンライン相談の機会を持つ。

ASD児の親は典型児や他の障害を持つ親より強いストレスにさらされており、また影響を受けやすい。現在のような事態になると、親だけで子供の面倒を見なければならない。この結果、それでなくとも疲れきっている親のストレスはますます高まる。この問題は子供の知能レベルとは関係ない。これに対し、子供のセラピストに毎週オンラインで相談の機会を持てると、かなり改善する。知能の遅れのある子供の場合、子供が自由に遊んでいる様子や、あるいは決められた課題を行なっている様子をホームビデオにとって、セラピストに見せることは役に立つ。また、知能が正常な子供の場合、この難局をどう乗り切ればいいのか対話形式で相談し、子供への対応方法の知識レベルをアップデートする時間にできる。

  • 学校とのコンタクトを保つ

学校で先生や友達と関係を保つことが学習の助けになることがわかってきている。毎日決まった時間を学校が指示するホームワークに、日課として続けることは重要だが、学校の社会的付き合いを維持するためには、少なくとも1週間に一回は、先生を含むクラスの誰かと接触を保つことが示唆されている。コンタクトを取る方法は子供の症状や性格による。問題なければ、オンラインでのコンタクトは重要な可能性だ。オンラインによる接触が嫌なASDの子供に対しては、先生やクラスの誰かに手紙を書いたり、あるいは直接電話で話すこともよい。子供と親の両方にとっても、特定の先生とオンラインや電話で接触を維持することは強く推薦できる。

  • 計画しない時間も重要 

すでに1−9で述べたように、ASDの子供が積極的になるよう刺激することは重要だが、1日のうち適当な時間を予備の時間として残すことも大事(例えば家の近くを散歩する)。というのも、緊急事態では子供の行動は型にはまってしまう可能性が高い。もちろんだからと言って心配することはないが、習慣が変化すると、ASDの子供のストレスレベルは高まり、紋切り型の行動が増えることがある。これは、ストレスを感じていることの現れで、決して退行ではない。

我が国では支援が進んでおらず羨ましいと思える点もあるかもしれないが、参考になる論文だと思い紹介した。

4月12日 新型コロナウイルスの標的細胞(EMBO J オンライン版掲載論文他)

2020年4月12日
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本庶先生がTVで、「コロナ研究のために100億円研究予算を緊急に使えるようにすれば、(マスクより:これは私の意見)、政府ができる最も有効なコロナ対策になる」と言ったという話を、SNSで見た。

私も全く同感だ。審査などに時間がかけられないので。どの研究に、どのようにお金を流すか、お金を提供する側の発想力が問われるが、そのためには役所(今こそ縦割りを排すべき)のチームが、常に自らの新しい知識をアップデートし、即座に判断する力をつけておく必要がある。

要するにあらゆる分野の専門家にこの病気と立ち向かってもらう必要がある。例えば、以前紹介した新型ウイルス感染経路の研究から、ウイルスは最初ACE2に結合した後、TMPRSS2(あるいはカテプシンも)により切断されることで細胞に融合することが確認されている(https://aasj.jp/news/lifescience-easily/12537)。さらに最近、Cov-2のスパイクにCov-1にはないFurin切断サイトがあり、これがACE2により強く結合して感染が広がる原因ではないかという研究も中国のプレプリント雑誌に出ている(http://www.chinaxiv.org/abs/202002.00062)。

とすると、ウイルスが感染する標的細胞はこれら3種類の条件が揃った細胞であると想像される。早速、英国サンガーセンターのグループを中心に、すでにデータが集められている肺の細胞に関するsingle cell transcriptomeデータを、新型コロナの視点から見直し、全ての気道の細胞が感染する訳ではなく、ゴブレット細胞と呼ばれる分泌型の細胞がACE2とTMPRSS2の発現が高いことを、やはりプレプリント雑誌に掲載している(https://arxiv.org/abs/2003.06122)。この研究で驚くのは、このような感染しやすい細胞は自然免疫に関わる遺伝子の発現も高く、これが空咳、サイトカインストームなどと関わっている可能性を示唆している。いずれにせよ、Cell Atlasなどこれまで蓄積してきた全てのデータベースの重要性と、single cell trascriptome解析の力を示してくれた。

もちろん、このデータを新しく確認することも重要だ。今日紹介するベルリン・シャルティエ病院からの論文は、毎日出る肺ガン患者さんの切除組織のガンが存在しない場所からsingle cell suspensionを調整し、single cell transcriptome解析を行い、ACE2,TMPRSS2,そしてFurinの発現を調べた研究でThe EMBO Jにオンライン出版された。タイトルは「SARS-CoV-2 receptor ACE2 and TMPRSS2 are primarily expressed in bronchial transient secretory cells (SARS-CoV-2の受容体ACE2とTMPRSS2は気管の分泌移行細胞に発現している)」だ。

実際には解析細胞数もそう多くなく、データもきれいでないなという印象を受けるが、問題は理解した上で大至急データを出すことを重視していることがよく理解できる。結果は、1)低いレベルでほとんどの細胞がACE2は発現している、2)2型肺胞細胞と分泌型移行細胞でACE2とTMPRSS2が強く発現している、3)Furinを同時に発現している細胞も一定の割合で存在する、4)Furinは線維芽細胞で発現が最も高い、などが結果だ。

Sanger Centerの研究と大きな違いはないように思う。今後鼻粘膜も含め、ウイルスが増殖中の細胞解析も出てくると思うが、その研究のための重要な基礎データとなっている。

以上のように、「今自分にできることはあるのか?」、を考えることが感染症専門家に限らず全ての科学者に問われているように思う。

隠居の私には知識を集めることしかできないが、いつでも協力したいと思っている。

カテゴリ:論文ウォッチ

4月11日 コカイン中毒に関する新しいメカニズム(4月10日号 Science 掲載論文)

2020年4月11日
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ヒストン修飾はクロマチン構造変化を調節する重要なメカニズムで、エピジェネティックな変化を理解するときのキーになっている。この修飾の中心はメチル化とアセチル化で、他にもリン酸化やユビキチン化も重要だ。

今日紹介するマウントサイナイ大学からの論文はなんとドーパミン神経ではヒストン3をドーパミン化することでクロマチンの調節が、なぜかコカイン特異的に行われていることを示し、コカインとは何かを考えさせる不思議な研究だ。タイトルは「Dopaminylation of histone H3 in ventral tegmental area regulates cocaine seeking(腹側被蓋野のH3ドーパミン化はコカイン中毒を調節する)」だ。

このグループはすでにヒストンがセロトニンと結合することを、セロトニン神経で明らかにしていた。今回の研究はセロトニンがヒストンと結合するなら、同じモノアミンのドーパミンもヒストン修飾に用いられてる可能性を探索していたと思われる。まず生化学的にヒストン3(H3)の5番目のグルタミン、トランスグルタミナーゼによりドーパミンと共有結合すること、そして典型的なドーパミン依存性褒賞反応の一つコカイン中毒者の腹側被蓋野を集めて調べると、ドーパミン化のレベルが低下していることを発見した。

この発見が研究のハイライトで、あとは動物を用いてドーパミンH3の変化と、コカイン中毒について順番に検討している。

まず自分でコカインを摂取するようになった中毒ラットを作って、コカインからの離脱過程を調べると、最初は強く低下していたドーパミン化H3が、離脱後30日目には回復してくる一方、他のヒストン修飾はほとんど変化がないことを発見する。

次にドーパミン化が起こらないH3の変異体をドーパミン神経に導入して、一旦下がったドーパミン化H3が回復できないようにすると、離脱期間中にコカインにより起こる遺伝子変化の正常化が抑えられること、その結果ドーパミン神経の興奮が低下し、コカイン中毒からの離脱ができないことを示し、ドーパミン化がエピジェネティック調節に関わっていると結論している。

以上が結果で、現象論的には極めて面白いと思う。実際、他の褒賞反応を調べても同じことは見られず、腹側被蓋野のドーパミン神経に限れば今のところコカインでだけ見られる反応だ。コカインがドーパミンのトランスポーターをブロックする作用で精神作用を誘導していると考えると、単純にドーパミン依存性の褒賞反応が起こるだけではこの変化は起こらないと考えたほうがいいいのかもしれない。

ある意味で、コカインがあらゆるプロセスをすっ飛ばして褒賞反応を誘導できることを納得した。

カテゴリ:論文ウォッチ