2024年12月26日
小さな分子を体内に設置したセンサーで持続的に測ることは可能になっている。最も普及しているのはブドウ糖を図るセンサーで、2万円以下で市販されている。測定にはグルコースオキシゲナーゼ酵素がセンサーとして使われ、発生する過酸化水素が電極で酸化されるときの電流を測定している。このとき、ブドウ糖はグルコン酸と過酸化水素に変化し、センサーから離れるので、何度もセンサーとして使える。
では同じ原理をタンパク質に適用して、体内の特定のタンパク質濃度が測れるか研究が続いているが簡単ではない。というのもタンパク質に結合できるセンサーを設計しても、タンパク質が結合すると簡単には離れないため、センサーが使えなくなってしまう。ブドウ糖のように都合良く反応すると他の分子に変化させることが難しい。
今日紹介するイリノイ州 North Western 大学からの論文は、微小電気刺激でセンサーを動かすことで結合するタンパク質の解離を促進するという難しい問題を解決した研究で、12月9日号 Science に掲載された。タイトルは「Active-reset protein sensors enable continuous in vivo monitoring of inflammation(能動的にリセットするタンパクセンサーは体内で持続的に炎症のモニターを可能にする)」だ。
センサーのアイデアだが、電極から DNA ストランドを伸ばし、もう片方に特異的にタンパク質に結合するセンサー(ここでは RNA で形成させたアプタマーと呼ばれる分子を使っているが抗体でも良いらしい)と電極と反応するフェロセンを結合させ、500mV の電流で DNA を電極に近づけて電極でフェロセンの電子を感知させるとき、センサーにタンパク質が結合すると、この反応が遅れることを利用して、タンパク質の結合を検出している。
ただ、この方法ではいったん結合したタンパク質が離れないのでセンサーが使えなくなってしまう。そこで、電場をかけてセンサーを振動させることでメカニカルにタンパク質を解離させることを着想し、95Hz の電場で完全にふるい落とせることを発見する。
これを元に、センサーを開発し、最終的に IL-6 と TNFα の自然炎症で分泌されるサイトカインを皮膚に差し込んだ針型のセンサーで検出できるか試みている。詳細は省くが、糖尿病ラットの皮膚に設置して2つのサイトカインをモニターすると、ファスティングを続けると両者とも皮膚で濃度が低下すること、そこにインシュリンを加えると一時的に上昇した後低下を続けること、そして LPS 刺激で炎症を誘導すると上昇に転じることなどを示している。
そして、この傾向が ELISA 法で計った血中サイトカインとほぼ一致していることを確認して、このセンサーを今後様々なタンパク質モニタリングに利用できることを明らかにしている。
最後に、センサーを設置したことにより体内の異常が誘導されないかも調べており、半日ぐらいであればセンサーを設置したまま生活しても問題ないことを示している。 以上が結果で、素人にもわかりやすいアイデアで感心する。もちろん実際のセンサーに仕上げる工学は私の想像を遙かに超える素晴らしい技術で、工学と医学の融合を絵に描いた論文だと思う
2024年12月25日
喘息の発症に腸内細菌叢が重要な役割を演じていることは広く認められており、北欧では帝王切開で生まれた子供の細菌叢を回復させるための便移植が進められている。メカニズムについてはまだまだはっきりしないが、細菌叢によって刺激を受けたタフト細胞が、喘息を悪化させる抗酸菌症を誘導する自然免疫リンパ球 ILC2 を誘導するからと考えられている。
今日紹介するカナダトロント大学からの論文は、ILC2 の活性化と肺への移動に細菌叢だけでなく、トリコモナス類の原虫が関わっていることを示した研究で、12月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「A gut commensal protozoan determines respiratory disease outcomes by shaping pulmonary immunity(腸の常在原虫が肺での免疫を変化させて呼吸器疾患のアウトカムを決定する)」だ。
この研究は、マウスの常在性原虫 Tritichomonas muris (Tm) を摂取させると、全身性の好酸球症が誘導され、肺にも好酸球の強い浸潤が見られるという発見から始まっている。肺の好酸球浸潤は喘息を悪化させる要因なので、Tm のような常在原虫が喘息の悪化原因になる可能性は高い。
この好酸球症の原因を探ると、Tm が腸内に住み着くと、IL-5 や IL-13 を分泌して好酸球症を誘導する自然免疫リンパ球 ILC2 が活性化され、腸内から肺へ移動することで、肺の好酸球の浸潤を誘導していることを発見する。この発見が研究のハイライトで、当然人間で起これば喘息を悪化させる要因になる。ILC2 の活性化から肺での好酸球浸潤まで、詳細にメカニズムが検討されているが、極めて複雑なので、実験の詳細は割愛して、実際に何が起こっているかの結論だけ紹介する。
寄生虫でも好酸球症が起こることが知られているが、Tm は直接 ILC2 に働くのではなく、まず細菌叢を刺激して、コハク酸の分泌を誘導、これがタフト細胞を刺激して IL-25 分泌を促進し、ILC2 の活性化を誘導する。このとき分泌される IL-5 は全身の好酸球増加を誘導する。
こうして腸管で活性化された ILC2 は、通常肺に存在する ILC2 とは異なっており、肺へと移行すると、そこで T細胞や B細胞と抗原非依存性の相互作用を起こし、刺激し合う。このとき、特に CD4T細胞は IL-2 を分泌して ILC2 の増殖を助ける。また ICOS リガンドを介した B細胞との相互作用により、肺での IL-5 分泌が起こる。
こうして活性化された好酸球浸潤が起こると、ハウスダストに含まれているダニによる喘息の重症度が高まる。すなわち、アレルギー反応自体は抗原依存性だが、好酸球浸潤により喘息が悪化する。
しかしながら、原虫が常在し、肺での好酸球浸潤が起こることは悪いことばかりではない。結核菌を吸入させたとき、肺上皮を超えて全身に広がろうとするが、これを好酸球がシールドを作って防いでくれることを実験的に明らかにしている。
では、人間ではどうなのか? Tm に似た原虫が人間でも常在することが知られている。また、腸内での寄生虫は全身のアレルギーに直接関わることも知られている。しかしながら常在原虫とアレルギーの関係を実験的に確かめるのは難しい。そこで、重症の喘息と、気管支拡張症の患者さんの痰を調べると、重症喘息者だけで原虫DNAが検出できる。ただ、マウスの場合 ILC2 の誘導は全て腸内で行われ、肺では原虫の寄与はないことから、この結果を原虫とアレルギーの因果性と結論するわけにはいかない。
以上、腸内で細菌叢との相互作用や、人間の常在原虫の寄与などまだまだ解明が必要だが、寄生虫だけでなく、原虫までも ILC2 好酸球を通してアレルギーに関わるという発見は面白い。
2024年12月24日
ウェアラブルデバイスで集める健康情報は、これまでの検査と比べ特異性では全く劣っているが、持続的に何ヶ月もデータをとることで、通常の診察室では決して気づけない変化を捉えることができるため、これまで知り得なかった身体の状態変化を教えてくれるのではと期待されている。例えば以前、Covid-19 の感染を、医療機関に行く前にウェアラブルデバイスで診断できる可能性について紹介した(https://aasj.jp/news/watch/18428 )。私は毎朝6kmぐらいを早足で散歩してからこの原稿を書くのを日課にしているが、自覚しなくても小さな変化がタイムの変化として現れるのを感じている。
今日紹介するイエール大学からの論文は、客観的な検査が難しい精神疾患の診断にウェアラブルデバイスが役に立つかを、診断名とともに遺伝子多型検査も加えてウェアラブルデバイスデータとの相関を調べて研究で、12月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Digital phenotyping from wearables using AI characterizes psychiatric disorders and identifies genetic associations( AI を用いたウェアラブルデータによるデジタル形質は精神異常を特徴付け、さらに遺伝的相関も特定する)」だ。
この研究では、米国で行われている学童を含む若年層のコホート研究を利用して、Fitbit として市販されているスマートウォッチを用いて心拍数、カロリー消費、アクティビティー、歩数、睡眠など7項目を連続的に記録し、これらのデータを罹患数の比較的多い不安症と、注意障害と相関させられるか調べている。
データは従来型の AI で大規模言語モデルは使っていないが、ウェアラブルからの連続データを、平均値や多様性など49種類の指標に分解したあと XGBoost と呼ばれる機械学習を用いたモデルと、連続データを軽量化してデコードする Xception と呼ばれるモデルを用いて、不安神経症と ADHD の診断に使える可能性を調べている。結果は満足できるもので、詳細は省くが ADHD の場合 AUROC と呼ばれる指標でそれぞれ 0.83、0.89 と診断の助けにかなり使えることが明らかになった。一方不安神経症の場合、それぞれ 0.69 と 0.71 で、診断能力は落ちるが役には立ちそうだ。また、どちらの場合も Xception モデルを用いる方が診断能力は高い。
通常 AI は診断までのプロセスがわかりにくいので、ここではどの指標が重要なのかを調べるため、それぞれの指標を除去してもう一度計算し直す作業を行い、診断に寄与する指標を探っている。結果、ADHD の場合、昼食後の心拍数が、また不安神経症では睡眠の長さや深さが最も大きく寄与することを示している。
ここまでなら多くの論文がすでに存在するが、この研究ではさらにそれぞれの指標と ADHD との相関が指摘されていた遺伝子多型との相関を調べ、SNP-rs186003 が起立時の時間と相関することを特定している。またそれぞれのモデルで得られるスコアが ADHD と相関するとして知られていたいくつかの遺伝子多型と相関することも示している。
最後に ADHD に限らず、遺伝子多型との相関を調べ、rs365990 、ミオシン重鎖のコーディング領域の多型が心拍数上昇に関わることを発見し、ウェアラブルのパワーを示している。そして同じ多型が双極性障害の多型とオーバーラップしているという面白い事実を特定している。
他にも眠りがちで活動性が低いことと相関する多型が、ADHD と関わることも発見している。
結果は以上で、他にも様々な多型がリストされているが割愛する。ウェアラブルデータは特異性が低いが、遺伝子多型と相関させることでメカニズムはわからないが精神状態を決めている身体的要因と相関していることを示し、医学のツールとして役立つと結論している。
特に傑出しているという印象はないが、Cell もこのような論文を掲載するのかと驚いた。
2024年12月23日
今年の11月、染色体外に飛びだして環状 DNA として存在するようになったガン遺伝子が多くのガンで認められ、増殖を促進するだけでなくガン免疫の成立を抑制するなど様々な機能を発揮して、ガンの治療を難しくしていることを紹介した。(https://aasj.jp/news/watch/25571 )。ただ、これまでの染色体外 DNA の研究は、すでにガンになった細胞について研究されてきたため、染色体外 DNA の形成自体が、発ガンを促進しているという明確な証拠はなかった。
今日紹介するスローンケッタリングガン研究所からの論文は、正常細胞に人為的にガン遺伝子を含む大きな染色体外 DNA 形成を誘導し、これが実際に発ガンに関わることを証明した研究で、12月18日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Engineered extrachromosomal oncogene amplifications promote tumorigenesis(遺伝子操作で染色体外発ガン遺伝子を増幅させると腫瘍形成が促進される)」だ。
この研究のハイライトは、皆が当たり前と思っていた発ガンと染色体外 DNA の関係を、ガン遺伝子を含む大きなゲノム領域を遺伝子操作でゲノム外に切り出して環状化することで、検討し直したことにつきる。論文を読むと、これまでどうしてこのような研究が行われなかったのか不思議な気がするぐらいだ。
研究では、p53 機能を抑制することが知られている MDM2 遺伝子領域を遺伝子操作して、Cre 組み替え酵素が働くと、MDM2 を含む 1Mb の大きな染色体外 DNA が形成され、さらにこの操作でできた染色体外 DNA を蛍光マーカーで追跡できるようにする方法を確立している。
この遺伝子操作法の有効性と、その結果生まれた染色体外 DNA が勝手に増幅する傾向にあることを、まずガン細胞株で確かめた後、MDM2 や Myc など、これまで染色体外 DNA として遺伝子増幅が起こっていることがよく知られた遺伝子が、正常細胞で染色体外 DNA として切り出されたらどうなるかを調べている。
まず、Cre 組み替え酵素を導入することで、Myc を含む 1.7Mb の染色体外DNAを誘導できるマウスを作成し、正常神経幹細胞を誘導する過程で染色体外 DNA を誘導し経過を追跡すると、時間経過とともに染色体外 DNA が増幅を繰り返すこと、しかも遺伝子増幅だけでなく複数の染色体外 Myc-DNA が染色体外でエンハンサー複合体を形成し、転写が高まることを示している。おそらく、正常細胞で染色体外DNA を誘導し、これにより遺伝子増幅が起こることを示した最初の例と言える。
次に、染色体外 MDM2−DNA を誘導できるマウスから線維芽細胞を培養し、Cre 組み替え酵素で染色体外 DNA を誘導すると、やはり MDM2 の遺伝子増幅が起こり、その結果線維芽細胞が不死化すること、さらに変異 HRAS 遺伝子と組み合わせると脂肪肉腫が形成されることを示し、正常細胞で MDM2 が染色体外 DNA として切り出されるだけで、増幅が始まり、細胞の増殖を促進し、最後にガン化を促すことを明らかにしている。
最後に、Myc 遺伝子を強発現したトランスジェニックマウスで MDM2 を染色体外 DNA に切り出すことで、Myc 強発現だけでは発生しなかった肝臓ガンが多発することを確かめている。
以上、誰もが想像していたことだが、染色体外で自発的に複製できる、ガン遺伝子をコードした染色体外環状DNAができるだけで正常細胞でも遺伝子増幅が始まり、他のガン遺伝子が加わると発ガンを促進することが初めて証明された。
幸い、染色体外で勝手に増え始めた環状 DNA は、細胞自体のストレスにもなるので、今後この系を利用して、染色体外ガン遺伝子を持つガンの新しい治療法を探索できるのではと期待する。
2024年12月22日
ノーベル賞を受賞したあと研究が加速する研究者を何人か思い浮かべることができるが、大事なことはバリバリの現役時代に受賞することと、十分な研究の蓄積が揃っていることだと思う。受賞後さらに生産性が上がって現在も論文が出続けているというと、2014年にグリッド細胞の発見で受賞したMozer 夫妻、2020年 CRISPR で受賞した Doudna さんがまず思い浮かぶ。ともかく論文を目にする機会が今も多い。
おそらく今年ノーベル化学賞を受賞した David Baker さんも、ノーベル賞で研究が加速したと言われる一人になると思う。今日紹介する Bakerさんの研究室からの論文は、10年以上にわたる蓄積の上に自然にはないタンパク質を設計し、それを組み合わせて5角形の面の周りに6角形の面が集まって形成された多面体がデザインでき、それをウイルスのように細胞内へ届けることができることを示した研究で、12月18日 Nature オンラインに掲載された。タイトルは「Four-component protein nanocages designed by programmed symmetry breaking(4コンポーネントからなるタンパク質ナノケージは対称性の破壊をプログラムすることでデザインできる)」だ。
Baker さんの論文は、それ以前の論文が頭に入っていないとわかりにくい。逆に言うと、それだけ多くの蓄積の上に新しい研究が可能になっている。この研究も10年以上にわたってウイルス粒子のようなタンパク質でできたケージを設計する研究に基づいている。このような高次構造形成できるタンパク質に学びながら、それに最適なタンパク質を設計する必要がある。先行する論文から、3本の手が出ている構造のタンパク質を単位としてできる5角形の面が集まった多面体構造に、少し構造が異なるがおなじように3本の手が出ている彼らが疑似対称性と呼ぶタンパク質を組み合わせると、5角形面の周りに6角形面が集まる形の多面体が形成されることを発見している。3本の手が出たブロックを使うことと、疑似対称ブロックを組み合わせる点がこれまでの Baker さんの研究から大きく進展した点だ。
先行研究では自然のタンパク質ベースにブロックを作っていたが、この研究では目的とする構造を実現できるタンパク質を設計している。このために、2年前に Science に Baker さんたちが報告したProteinMPNN と名付けられたタンパク質の構造要件を入れると、それを可能にするアミノ酸配列が出てくる AI モデルを使っている。言ってみればアルファフォールドの逆を可能にするモデルで、人工アミノ酸設計には必須のツールになる。
このように、この研究を可能にした蓄積の上に、数個の3本の手を持つタンパク質ブロックを設計し、大腸菌で発現させたタンパク質を混ぜ合わせたとき、期待通りの反応が進むかをクライオ電顕で確かめ、最終的に目的の20面体が形成できることを確認している。
最後にこうしてできた20面体が熱や pH の変化に抵抗性であることを確認した上で、細胞内に取り込まれるための分子を加えた構造を設計すると、ウイルスのようにほとんどのナノ粒子が細胞内に取り込まれていることを示している。
以上が結果で、ほしい構造からアミノ酸配列を設計し、またタンパク質ブロックが集まったときの構造を設計する新しいモデルを完成させ、ほぼウイルスと言っていいぐらいのナノケージを作るところまで可能になってしまった。生体投与は免疫の問題があると思うが、試験管内であればこれまでとは異なる分子導入ツールとして使えると思う。しかし、そんな応用より、新しいタンパク質を設計できることが感動的で、次はどんなタンパク質が生まれるのか待ち遠しい。
2024年12月21日
例年トップジャーナルがまとめた今年の10大ニュースを紹介してきましたが、今年はNatureもScienceも、どの論文が面白かったと言ったまとめは発表していません。そこで、12月26日、7時半から、参加者それぞれが持ち寄った今年一押しの論文を紹介し合いたいと考えます。プログラムとしては、まず私が各紙の今年の振り返りを簡単に紹介した後、いくつかの分野に分けて一押し論文を紹介し、今年のトレンドを探りたいと思います。そのあとで岡崎さんにCAR-T分野の一押し論文を紹介してもらいます。今回も直接参加希望の方にはzoom URLをお送りしますが、できれば今年の一押し論文をそれぞれ紹介していただければと思います。ふるってご参加ください。
2024年12月21日
様々な歴史的疑問を古代 DNA 解析を通して明らかにする研究について何度も紹介してきたが、今日紹介するこの分野をリードするドイツ・ライプチヒのマックスプランク進化人類学研究所からの論文は、梅毒に罹患していた古代人から原因菌であるトレポネーマの DNA を分離し、梅毒がコロンブス時代にアメリカからヨーロッパに持ち込まれたという通説が正しいことを明らかにした研究で、11月19日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient genomes reveal a deep history of treponemal disease in the Americas(古代ゲノムによってトレポネーマによる病気のアメリカ大陸での歴史が明らかにされた)」だ。
この論文を読むまで、梅毒はコロンブスのアメリカ発見以降、船乗りによってアジア・ヨーロッパに持ち込まれたと思っていた。しかしこの通説に関しては様々な異論があったようだ。一つは、熱帯型のトレモポネーマ感染症が何種類も知られており、赤道近くで世界的に分布が見られ、しかもサルにも感染が確認されていることから、必ずしもアメリカ起原でなくても現在の梅毒を説明できるとする議論があったようだ。もしアメリカ起原だとすると、これら熱帯型トレポネーマについてコロンブス以前にアメリカで進化していたことを示す必要がある。他にも、中世に存在したとされる性感染する癩病の記録や古代人の病理学が主張するコロンブス以前にヨーロッパ人で見られた梅毒の可能性なども主張されていた面白い領域だったようだ。
現在では抗生物質のおかげで進行した梅毒を見ることはほとんどなくなったが、それ以前は出産時に感染していた子供だけでなく大人にも骨膜炎が見られたようだが、 この研究ではまずアメリカ大陸から発掘された骨格の標本から梅毒に特徴的な病変を示す骨を探し、最終的にメキシコ、チリ、ペルー、アルゼンチンから5体の梅毒感染したコロンブス以前の骨格を見つけている。
期待通りこの骨から抽出したゲノムには本人のゲノムの他にトレポネーマのゲノムも発見され、これを分析して当時感染していたトレポネーマのゲノムを再構成している。再構成したゲノムがホストと同じような経年変化を受けていること、またホストの正確な年代測定などを検証した後、この5種類のトレポネーマゲノムを、これまで世界で分離されていたトレポネーマゲノムと比較し、トレポネーマの系統樹を作成している。
詳細を省いて結論だけを、コロンブス以前を含め多くのトレポネーマ(熱帯型も含む)の進化史をたどると、9000年ほど前にトレポネーマとしてアメリカ大陸で枝分かれし、人間の感染症として多様化し、その中で熱帯型も形成されている。おそらく熱帯型は起原が異なるのではなく、同じトレポネーマが熱帯地域で特別な表現系をとると考えられる。そして、現在存在する様々なトレポネーマの系統は全てコロンブス以前の南米に存在し、今回解析された5種類のとレポネーマの多様性の枠内に収まる。
以上の結果から、コロンブス以前に梅毒はヨーロッパに存在せず、アメリカ大陸のエンデミックがコロンブス以降ヨーロッパに持ち込まれたと考えられると結論している。
おそらくこの研究所では、世界中から様々な歴史問題が持ち込まれ、その解明に取り組んでいるように思う。
2024年12月20日
細胞移植は脊髄損傷の期待の治療と考えられてきたが、実際に人間への応用についての論文はあまり多くない。Clinical Trial Gov. を見ても現在まで36治験が登録されているだけで、そのほとんどは骨髄細胞や間葉系の幹細胞移植で、後は神経幹細胞が数件ある程度だ。神経幹細胞移植について発表された論文でもはっきりとした有効性が認められたケースは少ない。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、神経幹細胞株を製品化し1年以上経過した慢性脊髄損傷の患者さんを対象として治療を推進している Ciacci グループの研究で、12月17日 Cell Reports Medicine に掲載された。タイトルは「慢性胸椎脊髄損傷に対する神経幹細胞移植の第一相試験の安全性と効果」だ。
対象者は外傷性の慢性脊髄損傷で ASIA尺度A 、すなわち完全麻痺の患者さんで、2018年に移植が安全であることを報告した神経幹細胞株 NSI-566 を移植後、半年から2年経過した4人の患者さんの長期経過を報告している。
結果だが、一例が敗血症で亡くなっているが、移植との因果関係はなく、基本的には長期間安全性は保たれたという結論になる。
効果としての評価項目ごとに箇条書きにすると以下のようになる。
アロディニアと呼ばれる痛み閾値の過敏症は2例で改善、2例は変化なし。
MRI 検査でも異常増殖像、壊死像、炎症象は見られない。一方、テンソル法で調べた脊髄神経の走行は、安定はしているが移植の効果を示すようなリモデリングは起こっていない。
筋電図で筋収縮反応が2例で認められるようになっている。
自覚的、多角的な機能の回復が見られた。
で、少なくとも2例では明確な回復が見られている。この回復がどのような組織学的変化によるかは明確ではないが、症例数は少なくコントロールはないがこれまで見た中では幹細胞移植の効果を示す論文と言える。
次は遺伝性血管浮腫を CRISPR/Cas9 を使って治療する第2相の臨床治験で、アムステルダム大学のグループにより10月24日 The New England Journal of Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「CRISPRを用いる遺伝性血管浮腫の治療」だ。
CRISPR システムを用いる遺伝子治療は少しづつ進展しているが、これまでは変異遺伝子を対象にしていた。これに対し、この研究では遺伝性血管浮腫の原因遺伝子 SERPING1で はなく、この分子により活性化が抑制されているカリクレイン遺伝子をノックアウトする治療法だ。
SERPING1 に変異があると、プレカリクレインからカリクレインへの活性化を阻害できなくなり、活性化されたカリクレインが上昇、その結果ブラディキニンが活性化されてや凝固カスケードが活性化されることで、血管浮腫など様々な障害を起こる。従って、SERPING1 を対象にしなくても、カリクレイン遺伝子をノックアウトすると症状をとることができる。
この目的のため、カリクレイン遺伝子をノックアウトするガイド RNA とCas9mRNA をリピッドナノ粒子に詰めた NTLA-2002 が開発され、安全性を確かめる第1相治験は終了している。同じアイデアで RNAi 製剤なども開発されているが、遺伝子自体をノックアウトする CRISPR を用いることで治療を一度で済ますことができる。
完全な無作為化二重盲検治験で、コントロール6例、25mg10例、50mg11例、ナノ粒子を静脈投与して肝臓カリクレイン遺伝子をノックアウトしている。
治療は一回だけ行われ、症状と血中カリクレイン濃度で効果を確かめている。結果だが、2例で点滴中に気分が悪くなっているが、点滴を一時的に中断し、そのご終了後にしている。一例で GPT 上昇を見ているが、1ヶ月後に正常化している。
効果はてきめんで、自覚症状は全員で大きく改善している。また、血中カリクレイン濃度も、25mg投与で60%、50mg投与で85%低下し、このレベルが40週維持されている。 以上が結果で、CRISPRを用いた遺伝子治療が着々と進展していることが実感できる論文だ。
2024年12月19日
今日から2日続けて、最近読んで気になった臨床研究論文を紹介する。今日は調査研究、明日は最新の治験研究を選んだ。
まず最も驚いた The British Medical Journal 最新号に掲載された、アルツハイマー病と職業との関係を調べたハーバード大学の論文から紹介する。
タイトルは「タクシーと救急車運転手のアルツハイマー病による死亡率;人口ベースの横断研究」で、タクシーと救急車運転手に注目してアルツハイマー病を原因とする死亡率を他の職業と比べている。
この研究の背景には、ロンドンのタクシー運転手はアルツハイマー病(AD)で傷害される海馬が発達するという研究がある。複雑な町の地図を記憶し頭の中でたどる行動を繰り返すこと、また場所細胞やグリッド細胞が海馬に存在して、地図を参照するときに常に活動するからと説明されている。面白いことに、同じロンドンでも決まったルートを走るバスの運転手では海馬は発達しない。
これにヒントを得て、毎日海馬を使っていいるタクシー運転手は AD になりにくいのではと着想した。そこで、米国死亡統計で記載されている443の職業ごとに AD 死亡率を調べたのがこの研究になる。
結果は見事に的中して、タクシー運転手の AD 死亡率を1とすると、これより低い職業は救急車の運転手で、バスの運転手は3倍、船長で2.8倍、パイロットに至っては4.5倍になる。示された職業では救急車の運転手が一番低い。
もちろん統計の罠にはまっていないか検討は必要だが、これが正しいとすると AD も脳の働かせ方で進行を遅らせることができるという結論になる。
次は11月29日 Science に掲載された南カリフォルニア大学からの論文で、胎児/幼児期の砂糖摂取量と糖尿病の発症率を調べた研究で、タイトルは「最初の1000日間砂糖配給時代に過ごした人は慢性病から守られる」だ。
幼児期に砂糖摂取を抑えることの重要性はわかっているが、対象が妊婦さんや子供となると調べるのが難しい。この問題を、英国で戦後1953年3月まで続いた砂糖の配給時代と、それ以降で分けることで解決している。もちろん平均値で配給時に甘いお菓子を食べていた人も多くいると思うが、国民全体の砂糖摂取量は配給が終わると40%跳ね上がり、すぐに60%増加レベルで維持されている。
そこで、妊娠中のみ配給時代、妊娠から1000日まで配給、そしてそれ以降に分けて2型糖尿病と高血圧の発生率を調べると、配給を経験したポピュレーションが2型糖尿病になるリスクは半分以下になる。また、妊娠期だけでなく、幼児期にも配給で砂糖摂取が制限された方が発生リスクは低くなる。
高血圧や肥満でも同じ傾向が見られることから、胎児期から幼児期で、膵臓のインシュリン分泌システムが成熟するまでに過剰な砂糖を摂取することの問題を見事に指摘している。まさに、公衆衛生の問題として真剣に取り組み必要がある。
最後は米国がん協会からThe Lancet Oncology に発表された論文で、WHO統計から世界各国で若年者の大腸直腸ガンが増加していることを示した研究で、タイトルは「若年と高齢者の大腸直腸ガンの頻度の傾向:人口ベースのガン登録データ」」だ。
1975年から2015年まで、49歳以下、50歳以上で線を引いて、大腸直腸ガンの頻度を調べると、オーストラリア、西ヨーロッパ、そしてアメリカでは50歳以上の患者さんは低下傾向にあるが、若年者は上昇傾向が見られる。
一方アジアの国では、全国統計が進んでいる韓国では、両方のグループで上昇した後、ともに低下に転じており、同じような傾向がフィリピンでも見られる。
一方、日本は先進国と同じで若年層で増加が著しいが、高齢層でもまだ増加傾向は続いている。タイやトルコもよく似た傾向を示す。一方東ヨーロッパではまだ若年層の強い増加は見られていない。
などなどで、勝手に解釈すると、肉の消費が高い先進国では、50歳以上の大腸直腸ガンの増加はおさえられてきたかわリに、頻度は高くないが49歳以前の頻度が増加してきたので要注意という結論で、他の国はまちまちという結果で、何か結論するのは簡単でなさそうだ。
しかし、我が国は両方増加が見られるのは気になる。
明日は、細胞治療とクリスパー治療の治験を紹介する。
2024年12月18日
今年のノーベル物理学賞はニューラルネットワークを使った AI を実現したホップフィールドとヒントンに授与された。ニューラルネットと名付けられているように脳の神経回路にヒントを得た業績だが、AI 、特に大規模言語モデル(LLM)の成功は、もう一度我々自身の神経回路を AI と比較する研究分野へと発展している。
今日紹介するオーストリア科学技術研究所からの論文はこの典型で、我々のニューラルネットが拡大するとき戦略の一端を示してくれる面白い研究で、12月11日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Human hippocampal CA3 uses specific functional connectivity rules for efficient associative memory(ヒト海馬 CA3 領域は特異的な結合法則を使うことで連合記憶の効率を高めている)」だ。
てんかんが発生する場所を特定するための皮質電極を用いた研究により我々の脳の情報処理の現象論的特徴については理解が進み、脳の活動を大まかに解読することが可能になってきている。例えば、以前紹介した言語処理を脳と LLM で比べた論文などはその典型だ(https://aasj.jp/news/watch/19237 )。
今日紹介する論文は、情報処理のアルゴリズムではなく、ニューラルネットワークの構造と機能を回路レベルで比較しようとした研究になる。研究では、てんかんの発生場所を特定して切除された海馬 CA3 部位を細胞が生きているうちに脳のスライス培養に移し、そこに存在する興奮神経に電極を設置して、神経結合性の生理学的実験を行うとともに組織学的解析を組み合わせ、神経回路の特性を定量的に調べている。
てんかん病巣と行っても、組織学的異常はなくてんかんが生理学的病態であることを示唆しているが、それを確認した上で数個の錐体神経に電極を設置し、それぞれの連結を調べている。驚くことに、皮質と比べると CA3 内での神経間結合は極めて少なく、また CA3 に限ってみたとき、マウスでの結合性と比べると 1/3 以下に低下している。
では、人間の CA3 細胞内の結合は単純なのかというと、決してそうではない。神経細胞数でみると、マウスは10万程度の錐体神経が CA3 に存在するが、人間ではなんと170万個と10倍以上に増えている。一個一個の細胞でのシナプス結合が少なくとも、ニューラルネットとしてはマウス異常の結合性を持っている。さらに、細胞同士のシナプスが減ることで、正確で迅速な神経同士の結合が可能になっていることを、生理学的に確認できる。
これに加えて、細胞自体はマウスよりはるかに多く、しかも長い樹状突起を出すことでシナプスに相当するスパインの密度を減らしながらも細胞間の結合性は維持できるように進化することで、正確な情報伝達が起こるようにできている。
また、この樹状突起の構造により脳の様々な部位からの情報を統合しやすい構造ができている。
このようなマウスと人間との構造の違いを、ホップフィールドさんが考案したホップフィールド回路でパラメーターを変化させることで確かめる実験を行い、シナプスの数を減らすかわりに神経細胞数を増やす場合と神経細胞数をそのままにシナプス数を増やす場合で記憶性能を比べると、結合性を落としてニューロン数を増やした方が信頼性の高い記憶が可能になることを示し、進化の方向性が理にかなったものであると結論している。
結果は以上で、このように実際の回路の詳細をさらに詰めることで、AI ニューラルネットで調整できるパラメーターについてのさらなる可能性が生まれることで、脳研究も AI 研究もともに進化する素晴らしい時代が始まっている気がする。