2025年1月14日
医療分野へのAI野大規模言語モデルの導入は着々進んでいる。特に期待が持てるのが、これまで専門家に頼らざるを得なかった診断分野への導入だ。特に病理診断に関しては多くの論文が発表されており、徐々に実用化が進むと期待できる。これ以上に大きな期待を集めるのが、以前紹介した AlphaMissense による遺伝子変異の機能的意味を教えてくれるモデルで(https://aasj.jp/news/watch/22948 )、特に我が国で遅れているゲノム診断の一般診療への普及を後押しできるのではと期待する。
とはいえ、AlphaMissense は分子構造をベースに変異を判断しているので、特定の変異の最終的な機能的意味を示すことはできない。このギャップを埋めるためには、多くの変異症例を集めるのと細胞レベルであらゆる変異の分子機能へのインパクトを調べる必要がある。
今日紹介する米国ガン研究センターからの論文は、変異により乳ガンのリスクが大きく上昇することが知られている BRCA2 遺伝子の一定の領域で起こりうる全ての変異を網羅的に導入し、各変位の機能を細胞学的に確かめた大変な研究で、1月8日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Saturation genome editing-based clinical classification of BRCA2 variants(飽和的遺伝子編集を用いて BRCA2 変異の臨床的分類を行う)」だ。(同じ Nature にメイヨークリニックからほぼ同じ内容の論文が発表されている。)
この研究は、BRCA2 遺伝子で起こりうるほぼ全ての変異を再現して、その機能を調べるという途方もない課題にチャレンジしている。このために、BRCA2 遺伝子を一つだけ持つ ES 細胞を用いて、この遺伝子の 2479−3216 領域 (CTDB ドメイン)に、原理的に入りうる全ての1アミノ酸変異を含む変異を導入している。
このような網羅的変異導入のために、筆者らが Saturation Genome Editing と呼ぶ方法で、CRISPR/Cas9 で切断を入れた後、同時に存在させるデザインされた変異を持つ DNA 断片と相同組み換えを起こさせるという、大変な方法で6000種類もの BRCA2 変異を持つ ES 細胞を作成している。
ES 細胞は BRCA2 遺伝子なしでも生存するが、DNA が障害を受けると修復が起こらず死滅する。これを利用し、6000種類の遺伝子変異を導入した ES 細胞集団に遺伝子障害を誘導するシスプラチン有り無しで培養し、シスプラチン無しで維持されている変異(基本的には全ての変異は生存に影響がない)と、シスプラチン添加後14日に維持されている変異( BRCA2 機能が正常に保たれる変異)を比べることで、消失あるいは減少した変異( BRCA2 機能に影響する変異)を特定している。簡単に書くのがはばかられるほど大変な実験だと思うが、このおかげでスプライス異常などの大きな変異だけでなく、1アミノ酸塩基の変異に至るまで機能的インパクトを決めることができている。
さらに、14日後に残っている変異遺伝子の割合から、機能的インパクトを定量化することもできている。その結果、高度、中程度、ある程度病理的から、不明、大丈夫と思われる、ほぼ大丈夫から、大丈夫まで変異を分類することに成功している。
調べられた6000のうち、4724は正常で、高度に病理的と判断されたのは1200程度に収まっている。また、高度に病理的と判断された変異は、BRCA2 分子のヘリカルドメインにほぼ集中していることもわかった。
重要なことは、これまで評価された変異について情報を提供している ClinVar と比べて、不明という変異が大幅に減少した点で、最終的に不明として残ったのは353にとどまった。
さらに重要と思われるのは、先に紹介した Google AlphaMissense などのコンピュータ予測との比較で、明らかに ES 細胞での機能検査と一致しない変異が存在するものの、概ねよく一致している点で、大規模言語モデルもさらに改良を加えることで、安心して使える様になると予測できる。
他にも臨床例との比較など、今回の結果を徹底的に検証しているが割愛する。ここまでしてリアルワールドの機能にこだわったデータを示すことで初めて、バーチャルな AI の利用が可能になることがよくわかる重要な論文だと思う。
2025年1月13日
光遺伝学が広く使われるようになったおかげで、マウスの様々な本能行動の背景にある神経活動を特定できるようになった。特に食欲についての研究の進展は、GLP-1 受容体刺激による肥満抑制という臨床的ニーズと相まって大きく進展している。
おそらくサルでも同じような研究が可能になると思うが、遺伝子操作に限界があり、神経活動を丹念に調べて統計的に解析する方法が今後も中心になる。ただ、サルの場合安定したデータをとるため、例えば腕の運動を調べるときは、他の場所を固定して神経活動を調べるのが普通になっている。
今日紹介するイタリア・パルマ大学の研究は、従来の行動制限下での生理学的実験を、よりサルの自由意志に基づく行動学実験へと転換する可能性を追求しており、ひょっとしたら形而上学の重要なテーマとして考えられてきた自由意志の問題にも発展しうる面白い研究で、1月10号 Science に掲載された。タイトルは「Neuroethology of natural actions in freely moving monkeys(自由に動けるサルの自然な行動の神経行動学)」だ。
この研究では脳の運動野にクラスター電極を設置したサルを用いて、口や前肢の運動時の単一細胞レベルの神経活動を記録する実験を、従来のようにサルを狭いケージに入れて行動を制限したときと自由にサルを行動させて行ったときで比較している。自由な行動をさせる場合、運動の評価が重要でそのためにいくつもビデオカメラを設置してサルの行動を完全に把握できるようにしている。全般的な神経活動を比べると、期待通り自由に行動しているサルの方が個々の神経の反応は多様性に富んでいる。
次に自由行動サルの各神経と行動の種類を調べると、制限された実験条件で得られる結果と大きく異なり、様々な行動に多様な反応を示す単一神経が多く存在することがわかった。これは、一つの末梢レベルの行動のためには体幹の動きを制御する必要があるためで、このような連携はこれまでの実験では見過ごされてきた。
次に同じ電極を使って刺激を入れて運動を誘導する実験を行い、例えば木を登るという運動を誘導できる神経細胞は手の動きに反応する神経だが、頭や体幹の動きに関わる神経でも誘導され、様々な神経のシナジーがセットとしてコードされていることがわかる。
次に同じ動きを異なる事件条件で誘導したとき反応する神経を調べると、同じ行動で同じように反応する神経と全くことなる反応を示す神経に分かれることがわかる。さらにデコーダーを用いて神経活動と運動との相関を調べる実験から、神経活動から明確に行動を予測できることがわかる。
一番面白いのは、自由に動いたときの神経活動で学習させたデコーダーは行動制限下での運動も予測できるが、制限下の神経活動で学習させたデコーダーは自由に行動できるサルの神経活動から運動を予測できないという結果だ。すなわち、自由運動では重複した神経細胞が参加するより複雑なアンサンブルが存在し、そのセットが何らかの意志により誘導されていることになり、予想されて結果とは言え、運動を誘導する刺激、すなわち意志を理解するための重要なステップだと思う。
動物園では同じ行動を延々と繰り返している動物を見ることができる。もちろんスペースの制限もあるのだが、特定の行動を続ける自発性の背景をいつも知りたいと思う。そして自発性の理解の向こうに初めて、自由意志問題が脳科学の対象に上がってくると考えながら動物を見ている。
考えるより前に行動する可能性を示したリベットの実験は、自由意志問題として哲学者にも有名だが、この論文のような地道な努力を重ねた上でしかこの問題は扱えないと思う。
2025年1月12日
今年も気になる臨床研究として、最近気になった臨床研究をまとめて紹介していく。今日は3編の論文を紹介する。
最初は12月5日 The New England Journal of Medicine に米国衛生研究所から発表された論文で、胎児異常の出生前診断目的で行われる血液中に流れているcell free DNAの配列を調べる検査で異常と報告されたが、胎児、あるいは生まれた子供には異常がないケースを選んで、この異常が胎児ではなく潜んでいるガンによる結果である可能性を調べた研究だ。タイトルは「Prenatal cfDNA Sequencing and Incidental Detection of Maternal Cancer(出生前のcell free DNA sequencing検査で母親に偶然見つかるガン)」だ。
この研究では、cell free DNA sequencing 検査(12機関により提供されており、SNP か sequencing が用いられている)で異常、あるいは判断不明とされたケースで、胎児あるいは生まれてきた子供に異常が認められなかったケース107例について(89例が妊娠中、残りは出産後)、血液のガンマーカー、全身 MRI を用いてガン検診を行っている。48%でガンが発見されており、血液の cell free DNA 検査が極めて高い確率でガンを反映していることを示している。発見されたガンは、31例がリンパ腫で、DNA が血中にでやすいのだと思う。続いて、9例が大腸直腸ガンで、残りの4例は乳ガンという結果だ。
遺伝子検査異常のタイプも調べており、胎児や子宮筋腫で見られるトリソミーや染色体欠損とは異なることから、診断的価値は高いと思う。
次は1月9日、フランス パリのパリ病院機構から Nature Medicine にオンライン発表された論文で CAR-T 治療に用いた T細胞から白血病が発生する確率を調べた研究で、タイトルは「T cell malignancies after CAR T cell therapy in the DESCAR-T registry( DECART-T に登録された CAR-T 治療後に発生した悪性化)」だ。
この病院機構の中には最初の免疫不全遺伝子治療を行い、白血病発生を経験したサンルイ病院も含まれており、移植した細胞のガン化の問題はフランスの得意分野と言っていい。この研究では CAR-T に DESをかぶせたデカルト-T に登録して B細胞系のガンに CAR-T 治療を行った患者さん、3066人を4年間追跡して、リンパ系の悪性腫瘍の発生を調べた結果だ。治療後4年たつと0.6%に T細胞の悪性腫瘍が見つかっており、通常よりは高いと思う。しかし、移植した CAR-T 由来と思われるものは1例だけで、頻度は低いという結果だ。また、遺伝子を調べると PLAAT4 と呼ばれるガン抑制遺伝子として知られる遺伝子に導入したキメラ遺伝子が飛び込んでおり、これがガンを引き起こしたと考えられる。ただ、それが悪性細胞として検出されるのに4年かかって居ることから、今後他にどのような変化が起こったのか重要な材料だと思う。
最後のメリーランド大学からの論文は遺伝子改変ブタ心臓移植2例目で、我々が異種移植の問題を解決できていないことを明確に示す研究で、1月8日 Nature Medicine に掲載された。タイトルは「Transplantation of a genetically modified porcine heart into a live human(遺伝子改変されたブタ心臓のヒトへの移植)」だ。
最初の移植例は60日目に亡くなりその結果は論文として詳しく報告されており、ここでも紹介した(https://aasj.jp/news/watch/22458 )。死因は血管網の破壊で、リンパ球の浸潤がないことから、何らかの抗原に対する抗体が引き起こした異常と考えられ、例えばガンマグロブリン投与などは避けるべきであることが示された。
2例目は最初の例を参考にしながら2例目に臨んだが、今回も30日ぐらいは正常に機能したにもかかわらず、その後は治療に全く反応せず40日目に治療を中断、死亡している。
今回はガンマグロブリン投与は行っていないが、IgG を中心とする抗体の沈着と血管内皮への補体沈着が見られて、血管異常により心臓の機能が失われている。ただ、最初の例で疑われたブタの持つ病原菌の作用は否定された。
今回の結果を次に生かして少しでも進展が見られるか、拒絶反応の神秘はまだまだ解けていない。
2025年1月11日
コロナが収束して海外渡航が許されるようになってから3年間、動物や鳥を見る目的の旅行は、安全性も考えてオーストラリアにしている。驚くことに、生活圏の近くで多様な動物や鳥を見ることができる。また、実際に行かないとわからないほど実に多様性は高い。今日紹介する論文が対象にしているのはカンガルーやワラビーと、オナガキンセイチョウだが、写真に示すように種として白いワラビーが生息しているなどとは、見るまで全く想像していなかった。
今日紹介する最初の論文はダーウィンにある北部準州博物館からの論文で、65000から40000年前に多くのカンガルーやワラビーが絶滅した原因が気候変動ではないことを示唆する研究で、1月10日の Science に掲載された。タイトルは「Dietary breadth in kangaroos facilitated resilience to Quaternary climatic variations(カンガルーの食の幅が第4紀以降の気候変動への抵抗力を高めた)」だ。
90%の動物が絶滅した65000-40000年前というと、ちょうどオーストラリアにホモサピエンスが進出してきた時代になる。従って、絶滅に人間が関わるという考えは当然存在するが、気候変動が激しかった時期で、それが絶滅に繋がったと考える人も多い。
オーストラリアの場合、カンガルーに絞ってこのときの絶滅原因を調べることができる。この研究では食事の面からこれに迫ろうとしている。現在のカンガルーは草を食べており、気候変動で草原がなくなると絶滅する可能性はある。この研究では、化石の歯に残る傷跡から、鮮新世のカンガルー化石の歯を丹念に調べ、灌木も含めて従来考えられてきたより様々な植物を食べていたことを突き止めている。従って、特定の餌に依存していたために気候変動に弱かったという結論は正しくないと結論している。これを裏返すと、人類によって多くのカンガルーやワラビーが絶滅に追いやられたと考えるのが妥当なようだ。
もう一編の米国自然史博物館からの論文は、写真に示したオナガキンセイチョウの嘴の色の多様性についの研究で、12月号の Current Biology に掲載された。タイトルは「Spread of yellow-bill-color alleles favored by selection in the long-tailed finch hybrid system(オナガキンセイチョウの黄色い嘴を形成する遺伝子は自然選択で広がった)」だ。
一昨年、ダーウィンを起点に北オーストラリアを1週間楽しんだが、そのとき見たオナガキンセイチョウは写真に示すように嘴は黄色く、これが普通だと思っていた。しかし、この論文を読んでダーウィンを境に東では嘴が赤いことを知った。
この研究ではこの差が生まれる原因を調べ、赤い色の元になるカロチノイドを酸化できないために、黄色い嘴になったことを明らかにする。しかし、酵素が欠損したわけではなく、網膜には赤いカロチノイドが存在する。従って、嘴の色に関わる遺伝子が変化したと考えられる。
その遺伝子を調べると、決して単一の遺伝子で説明できるものではなく、CYPJ19 というノンコーディング RNA、酸化酵素の転写を調節する因子、これらの遺伝子をさらに調節している遺伝子、など少なくとも4種類の遺伝子が関わっていることがわかる。すなわち一つのフェノタイプに関わる遺伝子同士のエピスターシスガ起こっている。そしてこれらの変化はほぼ10万年前に起こって、黄色と赤の嘴を持つ2種類のオナガキンセイチョウができた。ただ、黄色の嘴がなぜか生存可能性が高く、5000年ほど前から境界領域では黄色を決める遺伝子の導入が進み、オレンジ色の嘴が多く見られるようになっている。実験室レベルでは特にペアリングに差がないことから、選択要因を調べることは、自然選択を理解する上で格好の材料になっている。
まだまだオーストラリアは広いので、是非機会を見つけて自然を楽しみたい。
2025年1月10日
リンパ管はないとされてきた脳内にも老廃物を洗い流すための現在では Glymphatics と呼ばれるシステムが存在することは、このブログを始めたばかりの2013年10月に初めて知った(https://aasj.jp/news/watch/608 )。その後 Glymphatics についての研究は着実に進展しており、特に眠りと Glymphatics の活動との関わりについて研究が進んでいる。
今日紹介するデンマーク・コペンハーゲン大学からの論文は、Glymphatics の流れを調節する因子として青班核から周期的に分泌されるノルエピネフリンが重要な役割を演じていることを示した面白い研究で、1月8日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep(ノルエピネフリンに媒介されるゆっくりとして血管運動が睡眠中の Glymphatic の脳外排出を促す)」だ。
この研究では自由に動き回れるマウス脳にノルエピネフリンセンサー、血管でのアルブミンのセンサー、脳波計,そして筋電計を設置して睡眠中の変化を調べ、ノルエピネフリンの分泌量と血管径が逆比例することを確認している。すなわち、ノルエピネフリンにより血管が収縮して血流量が減るというサーキットができている。さらに光遺伝学的に青班核を刺激する実験で、青班核がノルエピネフリンのソースで、この結果血管の収縮が起こることを確認している。
この実験に、脳室内注入した蛍光ラベルデキストランで脳脊髄液 CSF の流れを調べる検査を重ね合わせると、CSF は見事に血管の収縮と逆の相関を示し、ノルエピネフリンが分泌され血管が収縮すると CSF の流れが上昇するという関係にあることを明らかにしている。
CSF の変化が血管により誘導されていることを直接示すため、光遺伝学的に血管の収縮を誘導する実験を行い、血管の収縮によって直接 CSF の流れが上昇し、デキストランの脳からのクリアランスが上昇することを明らかにしている。
ただ CSF 流量が上がるように見えても、実際の老廃物のクリアランスを反映しているかわからない。そこで、脳室に放射線トレーサーの除去率を調べ、最終的なクリアランスと相関するのがノンレム睡眠中に短時間脳波上で覚醒する回数と強く相関していることがわかった。すなわちノンレム睡眠中にノルエピネフリンの分泌が起こるとそこで脳波が覚醒状態を示すことから、覚醒自体が問題ではなく、ノンレム睡眠という状態でノルエピネフリンが分泌されること自体が重要で、これにより血管の収縮、拡張を制御して CSF のポンプとして使っていることがわかる。
最後に、GABA 作動性受容体を活性化する睡眠剤の影響を調べると、睡眠誘導という点では極めて効果が高いにもかかわらずノルエピネフリンの分泌が全く消失し、その結果 Glymphatic の機能が発揮できないことも示している。
以上が結果で、睡眠中も青班核が周期的にノルエピネフリンを分泌することで Glymphatic の機能を維持していることを示し、臨床的にも重要な研究だと思う。特に、睡眠導入剤については、Glymphatic への影響のない薬剤のリストがほしい。この機能が低下している高齢者やアルツハイマー病患者さんでは配慮が必要な気がする。
2025年1月9日
グリオブラストーマは膵臓ガンと並んで治療が困難なガンだ。ただ他のガンと比べると Glioblastoma Multiforme (GBM) と呼ばれるだけあって極めて多様な形態を示し、遺伝子検査が可能になった今では腫瘍内のゲノム多様性は大きいことが知られている。
今日紹介するカナダ・トロント大学からの論文は、マウス GBM モデルを用いて、ガン発生の初期からガン細胞の多様性を追跡した研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Gliomagenesis mimics an injury response orchestrated by neural crest-like cells(グリオブラストーマの発生は神経堤様細胞が参加する損傷反応に似ている)」だ。
初期の GBM の研究が難しいため、発生過程はほとんどわかっていない。そこで、p53 と Pten 、2種類のガン抑制遺伝子を任意の時間に神経細胞からノックアウトする GBM モデルを用いて、発ガンスイッチを入れてから定期的に脳を MRI で検査し、早いステージからガン発生を検出する努力を行い、初期、中期、後期と異なる時期の GBM 組織や細胞を採取することに成功している。
Single cell RNA sequencing により GBM は少なくとも6種類以上の異なる細胞に分類でき、それぞれはさらに増殖の有無で分けることができる。要するに最初の段階から様々な細胞腫からできており、それぞれが増殖している。
ただ、初期段階から追跡できたことで、後期にはほとんど存在しない神経堤細胞を特徴付ける遺伝子を発現するガン細胞が、初期から中期に大きな割合を占め、その後急速に低下することが明らかになった。また、これと平行して初期から中期にかけて、間葉系の幹細胞といえる細胞腫が増殖していることがわかった。ガン抑制遺伝子をノックアウトする同じCre組み替え酵素で神経細胞をマーキングしているので、脳内の間葉系幹細胞 (MSC) も神経由来と考えられる。
一方後期で最も増殖しているのは神経幹細胞様の遺伝子発現を示しているが、由来を追跡すると神経堤細胞様の細胞に起原があり、この細胞が増殖を続けるうちに様々な変異を蓄積して神経幹細胞様の前駆細胞へと変化すると考えられた。
本来成熟脳には存在せず初期段階で出てくる神経堤様細胞と MSC の出現を正常脳で誘導する条件を調べると、脳に損傷を受けたとき、同じような細胞が現れることが明らかになった。すなわち、GBM 発生初期過程で脳組織が何らかの損傷を受けて、これが多能性を持つ神経堤様細胞とそれを支持する MSC の増殖を誘導する可能性が示唆された。
この実験系では、発ガンのスイッチは p53 と Pten 遺伝子がノックウとされることなので、それぞれの遺伝子ノックアウトと脳の損傷との関係を調べると、Pten 遺伝子がノックアウトされることで組織損傷が誘導されることがわかった。
以上に基づいて発ガン過程を考えると、まず p53 により発ガンのスイッチが入り、Pten ノックアウトにより脳損傷が誘導されると、神経堤様細胞、そしてそこから MSC が誘導され増殖を始める。それぞれは増殖の助け合いセットを形成して増殖を続けながら、神経堤様細胞は様々な系列へ分化して多様性を形成する。この過程で、遺伝子コピーの増幅や欠損が起こり、ゲノムでも多様化するが、その結果神経幹細胞様のガンが最も大きなポピュレーションとして勃興し、神経堤様細胞数は低下する。
このシナリオを確かめるため、最後に人間の GBM 手術サンプル組織上で網羅的に遺伝子発現を調べる Visium 法を用いて調べ、神経堤様細胞を含むマウスで見られた種類が存在することを確認している。また、腫瘍を形成するクローンを特定し、同じクローンが様々なタイプの細胞を形成していることを明らかにしている。
以上が結果で、MRI で初期のガンを特定するという一手間で、GBM の多様性の基盤が明らかにできている。治療のヒントまでは出てこないが、初期であれば MSC による腫瘍増殖のサポート分子をブロックしてガンを抑制する可能性はある。
2025年1月8日
エボラウイルスの電子顕微鏡 (EM) 写真を見たことがあるだろうか。国立感染症研究所のホームページに掲載されているので(https://idsc.niid.go.jp/idwr/kansen/k02_g2/k02_32/32_04.jpg )是非ご覧いただきたいが、ひもが絡まったような驚くべき形をしている。これはウイルス粒子がいくつかのユニットタンパク質が束状に集まって紐構造を作るためで、最終的には900nmぐらいの長さに揃っている。
この特異な構造が感染後1日で形成されるが、今日紹介するドイツ ハイデルベルグ大学からの論文は感染後ウイルスが形成される過程を丹念に追いかけた研究で、12月31日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Nucleocapsid assembly drives Ebola viral factory maturation and dispersion(ヌクレオカプシドの組み立てがエボラウイルス工場の成熟と分散を主導する)」だ。
Covid-19 で多くの研究者がウイルス研究に参加したおかげで、細胞内でウイルス粒子(ヌクレオカプシド:NC )が形成される過程で、ウイルスの拡散やタンパク質が濃縮した相分離体が形成され、これがウイルス工場として材料を集め組み立てる工場として働くことがわかってきた。
この研究では、細胞内の分子のクライオ電顕など形態学的解析方法を駆使して、相分離体の形成から NC の形成までを丹念に追いかけている。感染後初期から NC ができるまでが詳しく示されているが、詳細は省いてウイルスができるまでの結論だけをまとめることにする。
まず感染によりウイルスRNA が細胞質に侵入すると、ウイルスのポリメラーゼで複製が起こり、RNA が複製されると同時に、ホストのリボゾームを用いてウイルスがコードするタンパク質の合成が始まる。こうしてできたウイルス構成成分は細胞内で相分離体を形成し始める。この相分離体はほとんどの細胞成分からは分離されているが、形成には中間径フィラメント・ビメンチンを必要としている。また、リボゾームは周りに存在して分子を供給する。このように、部品を細胞から調達するウイルス工場が相分離体として独立し、拡大する。
ウイルス粒子成分が集まると、自然に NC の形成が始まるが、最初は構成成分が繋がったらせん構造として現れる。この構造は様々な大きさを持っているが、RNA を中心に核タンパク質と外郭タンパク質のユニットが集まった束構造を形成し、最終的に RNA を含んだ900nmのウイルスが組み立てられる。
細胞工場として働く相分離体は効率よく構成成分が集まれるよう粘性が低いが、束状の NC の形成が始まると、急速に粘性を消失し、工場としての機能が消失し、球状の相分離体は消失する。これによりウイルスの NC は細胞内の様々なシステムと相互作用が可能になるが、特にウイルスの NP40 を介してアクチンと結合することで、ウイルスは細胞膜へと輸送され、さらにアクチンの再構成を介して細胞外にバッディングする。
以上が結果で、ウイルス工場が相分離体として形成され、ウイルスの組み立てを効率化するとともに、組み立て終わるまで隔離していること、そして相分離体を自然に解消することで、細胞膜への移動を可能にするアクチンとの結合が始まることなど、ウイルスの見事な戦略を教えてくれる素晴らしい論文だ。おそらく、工場をうまく攻めることで、エボラ完全制圧も可能になると思う。
2025年1月7日
性染色体以外の染色体は常染色体と呼ばれ、基本的には2本ずつ存在している。教科書的には、両方の常染色体上の遺伝子は同じように発現すると考える。しかし、何らかのきっかけで片方の染色体だけから遺伝子発現が見られることがあり、これを monoallelic (単一対立遺伝子性) 遺伝子発現と呼んでいる。Monoallelic 遺伝子発現 (MGE) が起こると細胞レベルの遺伝形式が複雑になり、片方に遺伝子異常がある場合その表現が複雑になる。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、免疫不全に関わる突然変異を MGE の視点で見直した研究で、驚く結果ではないが臨床的には重要な研究と言える。タイトルは「Monoallelic expression can govern penetrance of inborn errors of immunity(Monoallelicな遺伝子発現が遺伝的免疫疾患の浸透率を決めている)」だ。
このグループは長く遺伝性の免疫不全の診療と研究に関わっていた。その中で、遺伝子変異がはっきりしているのに症状の出方に個人差が多いことを 、MGE の視点で説明できるのではと着想した。そこで、正常ボランティアから T細胞のクローンを樹立し、ゲノムと RNAを 比較することで MGE を検出する系を確立し、MGR がどのぐらいの頻度で起こっているのかをまず調べている。
その結果、4−5%の遺伝子で MGE が見られることから、MGE が決して希な現象でないこと、さらに遺伝的免疫不全に関わる遺伝子でその頻度が高いことを確認している。
当然 MGE はエピジェネティックな機構で起こると考えられるので、ヒストン修飾や DNA メチル化に関わる遺伝子をT細胞クローンで抑制したとき、MGE が変化するかを調べ、ヒストンの H3K27 メチル化に関わる JMJD3 及び DNA メチル化の維持に関わる DNMT1 が遺伝子発現のバイアスを変化させるケースがあることを示し、おそらく様々なエピジェネティックな機構で MGE が起こることを明らかにしている。
後は、このグループの臨床例から MGE が以下に病気の表現系を複雑にしているかを調べている。実際、MGE が起こる免疫に関わる遺伝子リストを見て驚くのは、JAK1、HOD2、STAT1 といった免疫シグナルに関わる遺伝子が含まれている点だ。
この研究では PLCγ2、JAK1、STAT1 遺伝子変異の症例について考察している。
まず同じ PLCγ2 変異を片方の染色体に持っている患者さんの B細胞を調べ、抗体の量が多い患者さんでは B細胞が正常遺伝子を使っている率が高く、逆に抗体量の少ない患者さんでは、突然変異を持つ染色体からの遺伝子発現が高いことを確認している。
このような差が生まれやすいのは特に gain of function (GOF) と呼ばれるドミナントタイプの変異で、例えば JAK1-GOF 変異では自己免疫やアトピーになる。そこで、おなじ JAK1-GOF 変異を持つ患者さんで発症している人とほとんど正常の人を比べると、病気が出ない人は正常遺伝子の方が選択的に発現している一方、症状のある人では MGE はなく両方の染色体から遺伝子が発現していた。
同じように、STAT1-GOF 変異ではカンジダ症など免疫不全が起こるが、変異遺伝子を持つのに発症していないケースでは、正常遺伝子の選択的発現が起こっている。
以上が主な結果で、遺伝子診断で異常が見られても発症しないケースが高い頻度で存在することを示している。また、このような症例は PCR で診断が可能なので、ゲノムだけでなく、RNA も調べることで臨床に生かしていけることを示している。言われてみると当然の結果だが、臨床では忘れがちな問題をクローズアップさせた実践的な研究だと思う。
2025年1月6日
1月13日午後2時よりジャーナルクラブを開催します。今回は脊損患者さんのリクエストに応えた企画で、友人の伏見さんを始め患者さんが直接参加されます。最近の論文から、歩行を学習したAIを用いる電気刺激療法と、最近報告された神経幹細胞移植治療に関する論文を紹介する予定です。患者さん以外にもオープンですので、直接参加したい方はリクエストしていただけばURLを送ります。
2025年1月6日
研究側にいると、遺伝性の希少疾患の治療法開発が加速しているように感じる。実際 CRISPR/Cas を用いる遺伝子編集の臨床治験成功の論文を目にするようになったし、ClinicalTrial Gov. でも100近い治験が進んでいる。さらに、遺伝子疾患を遺伝子治療ではなく薬剤で治療する試みも進んでいる。なんと言っても昨年の一押しは FOP 患者さんで新しい異所性の骨形成を完全に抑制する内服薬の開発についての論文だが(https://aasj.jp/news/watch/24563 )、他の遺伝子疾患でも薬剤探索が進んでいる。
今日紹介するイェール大学からの論文は、滑脳症と呼ばれる脳の皮質が肥厚して脳のしわ(脳回)ができなくなる病気を、現在うつ病の治療薬として治験が行われている内服薬で治療できる可能性を示した研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Dysregulation of mTOR signalling is a converging mechanism in lissencephaly(mTOR シグナル異常は滑脳症共通のメカニズム)」だ。
滑脳症の原因遺伝子としては10種類以上の遺伝子が知られており、多様なメカニズムで起こる状態だと考えられているが、組織学的には神経幹細胞から発生した神経細胞が分化して移動する過程が傷害されている。
このグループは、これまで知られていなかった滑脳症の原因遺伝子として PIDD1 遺伝子を特定し、この機能を研究する目的で、PIDD1 変異患者さんから iPS細胞を作成、さらに正常 iPS細胞に PIDD1 変異を導入し、滑脳症形成過程を試験管内で調べている。
期待通り、神経オルガノイド形成初期からこの変異により脳室側に存在する幹細胞の数が増えていることがわかる。さらに時間がたつとオルガノイド最外層の Cortical Plate が肥大することを突き止める。細胞学的には神経幹細胞の増殖が高まり、分化が遅れることで起こる異常であることが特定される。
そこでこの細胞学的変化の背景を single cell RNA sequencing を用いて正常オルガノイドと比較することで調べると、一番目立つ変化として mTOR 経路の分子の発現異常が特定される。また、プロテオームの解析でも、同じように mTOR シグナルの低下による変化が最も目立つ変化として特定された。
残念ながらなぜ PIDD1 機能低下により mTOR シグナルが低下するのかについては特定されていない。しかし、他のタイプの滑脳症からiPS細胞、そして脳オルガノイドを作成し、プロテオームを調べると mTOR シグナル異常が見られることを発見している。
そこで、現在うつ病の治療薬として治験が進んでいる内服で脳特異的に作用する mTOR 活性化剤 NV-5138 を培養に加えると、PIDD1 異常だけでなく、他の原因の滑脳症 iPS細胞由来の脳オルガノイドの組織学的変化が正常化する。さらに重要なのは、オルガノイド形成50日目ですでに cortical plate 肥厚が起こってしまった後でも、この薬剤を加えると細胞の分化と移動が促進され、正常の脳構造がかなり回復する点で、生後に治療を行っても効果が得られる可能性がある。
以上が結果で、子供には使われたことはないと思うが、第一相の安全性試験はクリアされた薬剤なので、比較的早い時期に滑脳症にも適用されるのではと期待する。