9月4日 Dipeptidase-1は好中球の移動を調節する接着因子として働く(8月22日号 Cell 掲載論文)
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9月4日 Dipeptidase-1は好中球の移動を調節する接着因子として働く(8月22日号 Cell 掲載論文)

2019年9月4日

昨日に続き今日も生体膜酵素に関する研究を紹介する。今日の酵素はDipeptidase-1で、アミノ酸が2つ結合したdipeptideを加水分解する作用がある。ただ、今日紹介するカルガリー大学からの論文はこの酵素の酵素活性ではなく、好中球を肝臓や肺に動員するための接着因子としての作用に着目した研究で8月22日号のCellに掲載された。タイトルは「Dipeptidase-1 Is an Adhesion Receptor for Neutrophil Recruitment in Lungs and Liver (Dipeptidase-1は好中球が肺や肝臓に移行するときの接着受容体として働く)」だ。

このグループの目的は好中球が肺や肝臓に浸潤して時に命に関わる障害を起こす時に働く接着分子を発見することが目的だ。ただ、これまで知られているセレクチンやインテグリンなどの接着因子の中にはこのような分子が今も見つかっていなかった。

そこで、炎症を起こした肺や肝臓で好中球が血管に結合し、浸潤を始めている時に利用する分子を、マウスの好中球の遺伝子を発現しているファージライブラリーを炎症を起こしたマウスに注射し、肝臓や肺に結合しているファージを選び出すことで捕まえようとしている。実際にはこのプロセスを5回繰り返し、肝臓や肺に結合するための分子を濃縮し、取れてきたペプチドがDipeptidase-1に結合することを発見した。また、好中球もDipeptidase-1を導入した培養細胞に直接結合できることも明らかにした。

ただ、好中球の接着にはDipeptidase-1の酵素活性は全く必要がないことも明らかになった。従って、この研究はDipeptidase-1が生体膜酵素だけではなく、血管内皮上の接着因子として働くことを明らかにした。Dipeptidase-1はこれまで細胞接着因子として考えられたことがなかったため、見落とされてきたと考えられる。

次に、Dipeptidase-1が本当に好中球の接着因子として働くかを調べる目的で、Dipeptidase-1をノックアウトしたマウスを作成して調べると、好中球の肺や肝臓への浸潤が抑えられることを確認している。

最後に、LPS(エンドトキシン)注射によって誘導される致死的な炎症が、Dipeptidase-1をノックアウトしたマウスでは起こらないこと、あるいはDipeptidase-1に結合する好中球ライブラリーから得られたペプチドも、好中球とDipeptidase-1の結合を阻害して、エンドトキシン投与してもマウスが生存できることも示している。

以上が結果で、一般的な接着因子の他に、白血球の組織への動員を調節する分子として生体膜酵素Dipeptidase-1とそれに結合する白血球側のペプチドを特定し、エンドトキシンショックに対する治療方法を開発したことは高く評価できる。ただ、見落としているのかもしれないが、この白血球側のペプチドがどの分子に相当するのかがはっきり書かれていない。Dipeptidase-1の研究としては完璧なのだが、最後にモヤモヤが残ってしまった。

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更年期障害のホルモン補充療法による乳ガン発生リスク(8月29日The Lancetオンライン掲載論文)(20 19.09.03)

2019年9月3日

我が国での普及は5%に達していないと思うが、閉経による様々な症状を、エストロジェン、あるいはエストロジェン+プロゲステロンのホルモン補充によって治療するホルモン補充療法(MHT)は、欧米で広く普及している。自覚症状だけでなく、動脈硬化、骨粗鬆症、肌の老化などが防げ、気持ちも前向きになるなど、いいことづくめに思えるが、ホルモンを補充することで乳ガンの発症リスクがあるという指摘がなされた。

今日紹介する英国を中心とする国際共同チームが英国の医学誌The Lancetに発表した論文は、MHTの乳ガンリスクについてのほぼ決定版と言える論文で、閉経後乳がんを発症した約10万人の患者さんについての調査研究だ(The Lancet: http://dx.doi.org/10.1016/S0140-6736(19)31709-X)。

結論だけをまとめると、MHTは間違いなく乳ガンのリスクを高める。特に、エストロジェンにプロゲステロンを加える治療法はさらにリスクを高める。

様々な統計数値が計算で示されているが、最も分かりやすい例だけ説明すると、

  • 毎日プロゲステロンを服用するMHTを5年以上続けた場合、20年後に乳がんを発症する率は、MHTを受けない場合の6.3%から8.3%に上昇する(すなわち100人あたり2人多く発症する)。
  • 一方、エストロジェンのみのMHTの場合、リスクは上昇するが6.3%から6.8%に増加が止まる。
  • 10年以上MHTを続けると同じ条件でのリスクは倍加する。

以上が結果で、まず間違いなく乳ガンリスクは高まると言っていいだろう。

ただこれは全て欧米での調査結果で、これをそのまま日本人のリスクに当てはめられるかどうかわからない。

またMHTの多面的な効果はすでに実証されており、乳ガンリスクを理解した上で、MHTを続ける意義は十分ある。今後この治療を説明するために重要な統計は、MHTを受けた場合の疾患を問わない生存率で、これがわかれば更年期の女性も自分でMHTを受けるかどうか、十分考えて決断することができる様になるのではないだろうか。

9月3日 アデノシン受容体と骨粗しょう症(8月21日号 Science Advances 掲載論文)

2019年9月3日

酵素というと細胞内に存在するタンパク質を思い浮かべるが、細胞膜上で機能する生体膜酵素も存在しているが、その機能の解析はまだまだ進んでいない。この2週間に面白いと思った生体膜酵素の論文を2報目にしたので、今日から紹介することにする。1日目の今日はデューク大学から8月21日号のScience Advancesに発表された骨粗しょう症に関わるectonucleotidaseの研究を紹介する。タイトルは「Dysregulation of ectonucleotidase-mediated extracellular adenosine during postmenopausal bone loss (閉経後の骨粗しょう症で見られるectonucleotidaseによりできる細胞外アデノシンの調節異常)」だ。

このectonucleotidaseとは、細胞膜上で細胞内から出てきたATPをアデノシンへと分解する酵素システムで、細胞膜タンパク質なのでCD39とCD73という命名がされている。

この研究では卵巣を摘出したマウスを用いた閉経モデルでCD39,CD73の発現を調べ、卵巣摘出で骨髄でのCD39/73の発現が、血液細胞を含む様々な細胞系列で低下していることを発見する。一方、エストロジェンを加える実験で、骨芽細胞系、破骨細胞系ではエストロジェンで最後のアデノシンへの分解を媒介するCD73が低下、その結果としてアデノシン濃度が低下することを発見するる。すなわち、エストロジェンによって合成の上昇した細胞外アデノシンが、閉経後の骨形成に関わる可能性が示唆された。

そこで、アデノシン受容体A2BRを骨芽細胞や破骨細胞前駆細胞でノックダウンすると、骨芽細胞の活性が低下、逆に破骨細胞形成が低下するので、アデノシンは骨形成を高め、骨の分解を抑えることがわかった。

この結果は、閉経後もアデノシンからのシグナルを維持できれば、エストロジェンがなくても骨形成を維持できることを示唆しており、これを確かめる目的でA2BR受容体を刺激する薬剤を卵巣摘出マウスに投与すると、全体の骨の体積や、骨梁の数の低下が抑えられることを示している。

例えば、エストロジェンでCD73は低下するが、CD39はどうして上昇するのか、その結果確かにアデノシンは低下するが、AMPの合成は上がるのではと考えられるが、その影響はなど、まだまだ調べることは多いと思うが、少なくとも私が知っている骨形成や破骨細胞活性化とは全く異なる機構のシステムなので、今後閉経後の骨粗しょう症だけでなく、ほかの骨形成異常にも利用価値が出てくるのではと期待される。

もちろん更年期障害にはホルモン療法が高い効果を示す。しかし、先週発表されたThe Lancetの論文では、ホルモン療法を受けると間違いなく乳がんの発症リスクが上がることが証明されている。その意味でも、この経路は重要だとおもう。

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9月2日 Liquid Biopsyの現状(8月28日号 Science Translational Medicine掲載総説)

2019年9月2日

胎児の染色体異常を母親の血液に漏れ出てきたDNAで診断するliquid biopsy検査が普及しているが、ガンの診断を、血中に流れるDNAやガン細胞そのもので行うliquid biopsyも開発されており、何年か前に何回も紹介した。しかし、その後あまり多くの論文を見ることがないように思う。もちろん、技術が当たり前になってより専門性の高い雑誌に掲載されているため見つからないのかもしれないのかなと思っていたが、タイミングよく8月28日号のScience Translational MedicineにVogelsteinをはじめとする大御所が集まってこの領域の現状を短く報告してくれていたので、面白いと思った点を箇条書きにして紹介する。タイトルは「Applications of liquid biopsies for cancer (Liquid biopsy のガンへの応用)」だ。

  • 技術的には、エピジェネティックスも含め、点突然変異や欠損など様々な変異を捉えることができる。
  • 血中DNAの半減期は1時間なので、血中DNAの多くは白血球とガン細胞由来だが、ガン患者さんでは血中のDNA自体が時に10倍に高まるが、ガン細胞由来DNAだけとは考えにくいので、この原因を調べることは重要。
  • 質量分析を組み合わせて、確実な早期診断が可能になる。
  • ガンの診断時、バイオプシーせずにガンの変異をしらみつぶしに調べる目的には、技術も発達しており利用価値が高い。また、抗ガン剤を選ぶためにも重要(しかしコストは?)
  • 手術後、現在は副作用はあるにしても想定される転移巣を叩くため、アジュバント治療が行われるが、これを行うかどうかの基準として使える可能性がある。実際、血中のDNAやガン細胞数などは再発率と相関する。
  • 治療経過、特に再発を早期に診断するマーカーとして使う可能性はほぼ完全に確立している。新しい変異が起こってガンが薬剤耐性を確立する過程を診断する方法の確立は加速してほしい。
  • ガンを発見するための集団検診として使うのはまだ難しい。現在のところは患者さんを混乱させるだけ。

以上がこの総説で触れられた重要な点だと思う。だいたい思っていたのと同じだが、要するに役に立つことは間違い無いので、コストに見合う補助検査として使えるよう、体制を整えるべきだという結論だと思う。例えば我が国で実際にどの程度普及しているのか、もしよかったらお教え願いたい。

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アリストテレス 形而上学 :プラトンからの決別と4因説(生命科学の根本問題) (生命科学の目で読む哲学書 第7回)

2019年9月1日

アリストテレスの最後は「形而上学」(岩波書店 出隆訳)を選んだ。この著作はひとつのまとまった著作ではなく、また「形而上学とは何か?」などが議論されている本ではない。岩波版の訳者、出隆の解説によると、実際のタイトル「τὰ  μετὰ  τὰ  φυσικά」の意味は、「自然学の次に来る(メタ フィジカ)という意味で、前回まで紹介したように、自然に魅せられ観察と思索に没頭したアリストテレスが、その経験をもとにさらに実体が存在し動いている世界の原理について整理を試みた14の独立したエッセーだと考えればいい。まとまった思想が語られるわけではないので、よほどアリストテレスの興味がある人はともかく、自然科学者に是非読むよう推薦する本ではないと思っている。

ではなぜアリストテレスの最後に「形而上学」を取り上げることにしたのか?

それは「形而上学」は難解でもこの著作はその後の自然学の歴史を考える上で重要だと思っており、なかでも、

  • その後に続くカソリックのヨーロッパを考える時、アリストテレスを宗教から独立した、実体を重視するギリシャ哲学として確認しておくこと(これがヨーロッパ中世で捻じ曲げられていく)、
  • 生命科学の課題をアリストテレスの四因説から考えること、

が、この本を通して可能だと考えるからだ。

おそらく、アリストテレスが生きていた時代も、ギリシャ市民は「デモクリトスはこう言っている」などと過去の哲学者、自然学者を引用しながら、口角泡を飛ばして議論するほど、哲学好きだったのではないだろうか(私が勝手に考えており根拠はない)。しかし当時の哲学者は自然の原理に対して、個人的な考えを自由に表明していた(例えば万物は水からなるというタレスから原子論のデモクリトスまで)。言い換えると、自ら問題を設定して自らの頭で解決を模索する点では共通しているが、そのための決まった方法があるわけではなく、観念を弄んで結局各人が好き勝手なことを言うという状況になっていた。しかもアリストテレスに先駆けてそれまでの思想の集大成を試みたプラトンでさえも、結局は神秘主義的説明を排除せず、恣意的な考えを展開することになる。以前紹介したように、プラトンは彼以前の多くの考えを提示したうえで、ソクラテスというヒーローがそれを論破するというドラマ仕立てで、ファンを説得しようとしたが、その思想はイオニアの哲学者と比べると、更に神秘的、超越論的様相を帯びている。

しかしアリストテレスはこの考え方に説得されなかった一人で、全ての実在より先に形相が存在するなど、何の根拠もないと考えていた。というのも、動物誌をはじめとする自然学諸作からわかるように、たぐい稀なる自然観察能力を備えていたアリストテレスからすると、世界を理解するためには、訳のわからない神や形相から始めるのではなく、まず自分が経験する自然(フィシス)から始めるのが当然だったと思う。

例えば、12巻の出だしを引用しよう。

「この研究は、実体についてである。蓋し、ここで捜し求められている原理・原因は、実体のそれだからである。そして、そのわけは、もし存在する全てが或る全体的なものであるなら、実体こそはその第一の部分だからである。もしまた全ての存在がただある相続く系列をなしているだけだとしても、やはり実体が第一の存在であって、その次は性質としての存在、その次は量としての存在であろうから。・・・・・・なおまた、実体より他には離れて存在するものは何も無い。そしてこのことは、すでに昔の人々もその実績によって証拠立てている。というのは、この人々の捜し求めた原理とか構成要素とか原因とかは実体のであったから、ところで、今日の人々は、どちらかといえばむしろ普遍的なものを、より多く実体であるとしている」

ここでは、昔(イオニア)の哲学者は、まだ実体(=自然:フィシス)から始めているのに、プラトンをはじめとする最近の哲学者は、先に普遍的なものがあるという前提から始めていると明確にプラトンの問題を指摘している。

しかし、形相であれ、神であれ、プシューケースであれ、アリストテレスは普遍的な原理を決して排斥しないで考えることが重要だと確信していた。ただ全てはフィシスから始めるべきだと考えており、普遍的な原理などはフィシスの後に続く問題(「フィシスに続く=メタフィジカ」)として考えるものだと強調した。この「形而上学」にまとめられた著作自体は、一般向きとは到底言えないが、フィシスから始めて普遍を考えるという態度が、アリストテレスをプラトンから分けており、のちの人がこの著作集に「形而上学」と名前をつけた理由だと思う。

これほどフィシスから始めることを徹底したアリストテレスなら、「最後までフィシスが全てである」と唯物論を宣言してよかったはずだ。実際私の学生時代、「形而上学的」という言葉は、まちがった考え方の代名詞だった。しかし科学的、実証的方法が確立していなかったアリストテレスの時代、形而上学を拒否して唯物論を主張するのは難しかったと思う。また、彼の先生はあくまでもプラトンだ。その結果、フィシスから始めることを主張したアリストテレスも、普遍的な問題を考えることの重要性は確信していた。そして、「実在とは何か?」「あるとは何か?」という問題が、フィシスの背景にある普遍を考えるためにまず考えるべき問題だと考えた。

例えば第4巻の書き出しを引用しよう。

「存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもをも研究する一つの学がある。この学はいわゆる部分的(特殊的)諸学のうちのいずれの一つとも同じものではない。というのは、他の諸学のいずれの一つも、存在を存在として一般的に考察しはしないで、ただそれのある部分を抽出し、これに付帯する属性を研究しているだけだからである。例えば数学的諸学がそうである。さて、我々が原理を訪ね最高の原因を求めているからには、明らかにそれらはある自然(実在:フィシス)の原因としてそれ自体で存在するものであらねばならない。ところで、存在するものどもの元素を求めた人々も、もしこのような「それ自体で存在する」原理を求めていたのであるとすれば、必然にまたそれらの元素も、付帯的意味で存在するといわれるものどもの元素ではなくて、存在としての存在の元素であらねばならないそれ故に我々もまた、存在としての存在の第一原因をとらえねばならない」

要するに、私たちが経験している実在が存在するかどうかこそ個別を超えた普遍的問題で、「なぜ実在するのか」という問いを考えることこそ哲学の課題だと主張した。

こんな文章を読むと、多くの読者は「自分が経験している自然が実在するかどうかを問うとは、アリストテレスもわざわざ話を難しくして観念をもてあそんでいる」と思われるだろう。しかし宗教はともかく、現代の哲学や科学で「あるとは何か」を問うことは流石に無くなったが、この「あるとは何か」という問題はその後の哲学では重要問題として続く。しかも現代になっても、「ある・なし」問題が世間一般に共有されると、急に形而上学問題になってしまうことがある。例えば、政治家や役人が「有るを無い」と言い張るのは、当たり前すぎて今や問題にもならないが、科学的問題ですら世間に共有されるとケンケンガクガクの議論になる例は数多い。

5年前の小保方事件を思い出してほしい。この時小保方さんが発した「STAP細胞はあります」という一言を巡って、専門家から一般市民まで、この「あります」とは何かを口角泡を飛ばして議論しなかっただろうか?キッカケは小保方さんが「あります」を、世間の問題にしてしまったことにあるのだが、科学者にとって「あるかないか」は追試が可能かどうかどうかで終わるはずだった。しかしその時並行して行われた「捏造があるかないか」が重なると、この「あるか無いか」は急に複雑になってしまい、これに研究組織や政治家の思惑、さらには議論に参加した様々な人の思いが合わさって、多くの「ある・なし」が渦巻く大混乱になった。この議論に真剣に参加した多くの人たちに申し訳ないとは思うが、私から見てこれほど馬鹿げた騒ぎはなかった。すなわち、科学に終始すればこの問題がいつか無理なく処理されることはわかりきっていた。つまるところ今も人間は「形而上学議論」が好きなのだ。

このように「存在自体」を冷静に議論するためには、皆が認める統一的な手続きが必要になる。ただ、このような手続きは現在でも「実証的科学」分野以外ではまだ完成しておらず、アリストテレスの時代に皆が納得できる説明を導き出すなど到底できなかった。ただ、この点についてもアリストテレスはしたたかで、「私のいうことを聞け」などと命令するのではなく、現実的に考えていた。

例えば同じ4巻には次のような文章がある。

「真理についての研究は、ある意味では困難であるが、しかしある意味では容易である。その証拠には、何人も決して真理を的確に射当てることはできないが、しかし全体的にこれに失敗しているわけではなく、かえって人各々は自然に関して何らかの真を語っており、そしてひとりひとりとしては、ほとんど全く、あるいはごくわずかしか真理に寄与していないが、しかも全ての人々の協力からはかなり多大の結果が現れている。したがって、このように真理が、あたかも俚諺に「戸口までも行けないものがあろうか」とあるようなものであるとすれば、この意味では真理の研究は容易であろう。しかし、全体としてはなんらかの真を有しえてもその各部分についてはこれを有しえないという事実は、まさにその困難であることを明示している」

要するに個別の理解の中にも真理があり、それが統一できないからと諦めることはなく、全体を俯瞰することで、困難だが共通の真理も見えるかもしれないと言っている。この柔らかな思考には本当に感心する。

このように実体に即しつつ、存在や真理についての普遍性を考えることが重要だと考えていたアリストテレスだが、ではこの著作を通して、何か明確な地点に到達しているかというと、残念ながらそうではない。「有ると無いは同時に存在しない」といった当たり前の論理学的結論(実際には物理学ではこの論理すら越えることがあるが)と、「形相のような普遍性が実体より先にある」と考えるプラトンの明確な否定を除くと、明確な結論に到達できず、全てが尻切れとんぼで終わってしまっていると思う。

実際、後半の巻を読み進むと、プラトンの提案する普遍性の全否定がこれらの著作の主要な動機ではないかとすら思えてくる。その結果、最後は結論というより、問題は未解決のまま終わるという苦渋が滲み出たエンディングになる。例えば4巻は、

「存在するものは転化するのが必然である。なぜなら、転化は或るものから或るものにであるから。しかしまた、全てのものがあるときには静止しまたは運動しているのではなく、またすべてのものが常にそうしているというのでもない。というのは、動いているものには常にこれを動かす或るものがあり、しかもその第一の動者それ自らは、不動であるから」。

と終わってしまう。要するに、自然の転化には必ず原因があるはずだが、運動や転化の最初の原因については何ら明確な答えは示せていない。まあ今の物理学ですら、ビッグバン以外に実証的には理解ができていない。

先に引用した12巻にしても、ああでも無い、こうでも無いと議論を続けた後(ここでもプラトンの否定は重要項目になっている)、最後は

「誰にしても我々のいうように、動かすものがそれらを一つにするのだと言うより他には、なんと言うことも出来ない。そしてまた、ある人々は数学的の数が第一のものであると語り、そしてその様に常に或る実体に接続してある他の実体があり、これらの各々にそれぞれ異なる原理があると語っているが、これは全宇宙の実体をただの挿話とするものであり、またその原理を多数とするものである。だが、全存在は悪く統治されることを願わない。」

と書いた後で、哲学とは無関係のホメロスのイリアスまで引用して、

「多数者の統治は善ならず、ひとつの統治者こそあらまほし」

と終わっている。

すなわち「普遍的な原理というのは必ずあり、それがなければ全ての現象は統一性のないお話で終わると思うのだが、このような普遍性は「あらまほし」とはいえ、何かはわからない」と吐露している。すなわち「形而上学」で普遍的問題として挑戦した、「存在とは何か」とか「実体=自然と普遍」の問題については、挑戦はしたものの、答えを得るには至っていないと、言葉は悪いが匙を投げた印象だ。

ネガティブに書いてしまったが、この結末は当然の話で、プラトンでもカントでも、誰だってこの「形而上学」問題について考え方を提出できても、それを一般理解として普遍化することは、いくら議論をかさねても難しい。政治や宗教の場合は多数決や、あるいは「信じなさい」という命令で解決できる(もちろん本当の解決ではない)。しかしこれらの解決法はともに哲学や自然学とは無縁だ。結局これが可能になるのは、17世紀ガリレオにより、多くの人が共有できる一般理解を得るための実験や観察といった科学の実証的手続きが示されるまで、一つの思想が一般理解として共有されることは不可能だった(これについては17世紀に入ってさらに詳しく議論したい)。

そしてアリストテレスが最終的に行き着いたのが、「世界を動かす原理」を現象に共通に見られる「原因」として整理してみようという作業だ。このような考え方は、宗教、特に絶対神を信じる宗教では存在しない。というのも、宗教の場合全ての原因が神だからだ。先に引用した「動いているものには常にこれを動かす或るものがあり、しかもその第一の動者それ自らは、不動であるから」 の不動の第一の動者を神としてしまえば、全ては解決する。事実、哲学や科学でさえ、この第一動者を神秘的に説明したいという誘惑からなかなか逃れるのは難しかった。

動物誌や霊魂論とともに、形而上学を読んで、結局アリストテレス独自の境地として見えてくるのは、普遍性の問題を例えば第一動者が何かを議論して神秘的な議論に陥るのを避けて、

「我々がある物事を知っているといいうるのは我々がその物事の第一の原因を認識していると信じる時のことだからであるが」(第1巻3章)

と述べているように、世界で何かが起こるとすればそれには必ず原因があるはずで、現象を理解しようとすればまずその原因について理解しなければならないと言う方向性だ。そしてこれが、有名なアリストテレスの4因の考えに結実する。

このアリストテレスの4因は、自然の観察を通して生まれてきており、自然論諸作には度々登場するが、形而上学でこの4因については1巻にまとめられている。しかし、4因の考え方自体は姿を変え他の章にもなんども登場する。例えば前述の「多数者の統治は善ならず、ひとつの統治者こそあらまほし」とわざわざイリアスから引っ張り出してきた「善」は、彼の「最終因、目的因」に相当する。

アリストテレスの4因は、「形相因」「質料因」「作用因」そして「目的因」からなるが、「形而上学」一巻では、

「原因というのにも4通りの意味がある。すなわち、我々の主張では、そのうちの一つは物事の実態であり何であるか(本質)である。けだし、そのものが何のゆえにそうあるかは結局それの(何であるかを言い表す)説明方式に帰せられ、そしてその何のゆえにと問い求められている当の何は究極においてはそれの原因であり原理である。次に今一つの原因は、者の質量であり期待である。そして第三は物事の運動がそれから始まるその始まり(始動因としての原理)であり、そして第4は第三のとは反対の端にある原因で、物事が「それのためにであるそれ」すなわち「善」である。というのは善は物事の生成や運動の全てが目指すところの終わり(すなわち目的)だからである。」

と説明している。ただ、これを読んだだけで4因をスッと納得できる人はそう多くないだろう。そこで、もう少しわかりやすい説明を3巻2章から引用しておこう。

「例えば同じ家についていうも、その家のできる運動の出発点(始動因=作用因)は技術であり建築家であるが、それが何のためにかというその終わり(目的因)は出来上がった家の家としての働き(役割)であり、そしてその質料因は土や石であり、その形相因は家のなにであるか(本質)を表す説明方式である。」(第3巻2章)

この文章から考えると、作用因や質料因は私たちが物理学で考える力や質量とそれほど変わらない。そして、目的因は文字通り住むためという目的、そして形相因とは「家とはなにか」という私たちの概念ということになる。例えば住むために洞穴を掘ってもいいが、家を建てるという時の概念は洞穴とは違い、作業も異なる。ここでアリストテレスは、プラトンの形相を正しくも「脳の働き=説明方式」と看破している。

アリストテレスは、このように4因を当てはめれば、どんな現象も過程として整理することができると考えていた。例えば、なぜ月が動いているのかについて言えば、必ず動きを始動させるための質量に対応する作用因が存在するはずであるということ理解される。もちろんその作用因の本体はわかっていないが、それでも過程としては一定の理解ができたことになる。万が一神秘主義が好きな人にしつこくその原因を聞かれれば、すべては「善」という目的が始動させているとでも答えることすらできる。

さらに生物の行動を観察すれば、常に「・・・のため」という目的に満ち溢れている。実際目的因が行動を始動させるという感覚は、生物の専門家でもなかなか逃れることはできない。例えば機能には必ず目的概念が内在しており、専門家の議論で「何のため」という質問が出ても、違和感は全くない。

例として、例えばビーバーが木を集めて川をせき止めるという行動を考えてみよう。たしかに「川がせき止められる」のだが、これが行動の目的ではなく、この場合「ねぐらを作る」ことが目的因になる。すなわち、ビーバーは巣作りのため川をせき止めるということになる。この目的にむけて、木(質量因)が集められ(作用因)、最終的にダムが作られる(形相因)という過程が始動することは誰もが理解できる。このレベルでは、アリストテレスも、今の動物行動学者もあまり違いはない。

このように4因説は、あらゆる現象を、便宜的にではあっても説明できてしまう魔法の杖として使えることが評価できるるし、逆にこれがその後実証的科学の芽生えを阻害したとも言える、2面性を持つ。とは言え、これまで紹介したように、アリストテレスを読めば、彼が世界の全てを説明できるという不遜な気持ちを毛頭持っていなかったこともわかる。しかし、この4因というスーパーツールで世界がうまく整理できてしまった結果、後の人がそれを説明と勘違いしてしまったのだと思う。

ただ、質料因と作用因が物理学として実証科学に移行した17世紀以後の生命科学の歴史を眺めてみると、物理では科学的な因果性ではないと排除された形相因と目的因を、生物学が中心になって実証科学にしようと進んできたことがよくわかる。例えば今の物理学では、宇宙のデザイン(形相)や目的といった問題は科学の対象ではなくなり、全ては例えばビッグバンに代表される作用因による始動から続く過程として説明するようになった。そして、デカルトの2元論によって、残りの2因を心=神の問題として棚上げされ、生物ですら質料因と作用因だけで説明しようと模索が始まる。

しかし、そうは問屋が卸さない。奇しくもアリストテレスが目的因を善と呼んだように、生物や人間を観察すると、決して物理的質料因や作用因で説明できない、形相や目的が満ち満ちている。ただ、多くを実証科学として扱いきれていないだけで、これが今も生命や人間を「生気論」や「神秘主義」的に捉えることの妥当性を訴える主張の根拠になっている。

しかし、その後のダーウィン進化論、20世紀の情報科学、そしてその生物学的産物としての分子生物学や脳科学は、アリストテレスの考えた目的や形相を徐々にではあるが、実証科学の領域へと引き戻している。その意味で、アリストテレスの形相因、目的因を考えるとき、いつも生命科学の課題を再認識させられる。またこのことを示したいと思うからこそ「生命科学者の目で読む哲学書」を始めており、今後もこの線に沿ってこの作業を進めるつもりだ。

3回にわたってアリストテレスを紹介してきたが、私の最終評価はバートランド・ラッセルとは異なり、アリストテレスは決して目的論マニアなどではなく、18世紀以降の生命科学の先駆けとすら言っていい絶対に買いの哲学者だと思う、生命科学者にはぜひ読んでほしい。

9月1日 ガン転移研究の画期的実験手法(8月29日 Nature 掲載論文)

2019年9月1日

ガンが恐ろしいのは、局所で増殖するだけでなく体の様々な場所に転移するからだが、この時、転移先の組織とポジティブとネガティブに組み合わさった様々な相互作用の結果、その組織に転移するかどうかが決まる。この相互作用については転移先のガンの周りにある組織の研究として最重点分野になっているが、転移が始まったばかりの小さなガンについては周りの組織を選んでとってくるのが簡単でないため、研究が進んでいなかった。

今日紹介する英国のクリック研究所とケンブリッジ大学からの論文はこの問題をなるほどと感心させる方法で解決し、転移ガンの周りの組織を解析した研究で8月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Metastatic-niche labelling reveals parenchymal cells with stem features (転移先のニッチ細胞を標識により実質細胞ニッチの幹細胞的性質が明らかになった)」だ。

転移ガンと隣接する周りの組織を研究するためには、まず隣接している細胞だけを選択的に集める手法の開発が必要だ。これまで、顕微鏡下でレーザーで細胞を集めたり様々な方法が用いられているが、どこの研究所でも簡単にできるという方法はなかった。

このグループは、ガン細胞自体に周りの細胞を標識させようと着想し、膜通過性の蛍光タンパク質をガン細胞に分泌させる方法を開発した。すなわち、ガン細胞が蛍光物質を分泌すると、そのタンパク質は細胞質に自分で浸透し、周りの細胞も蛍光を発するようになる。使われた各コンポーネントは特に新しいわけではなく、言われてみればなぜこの方法がこれまで使われていなかったのか不思議なぐらいだが、まさに膝を打つとはこのことだと思う。

試験管内やガン細胞を注射して転移させる実験から、確かに周りの細胞が蛍光ラベルされることを確認して、ガンの周りに存在する様々な細胞を取り出して、ガン細胞との相互作用を調べている。

この研究ではマウスの乳ガン細胞の肺転移をモデルに使っているが、例えばガンの周りにある好中球を、普通の好中球と比べると、確かに活性化されており、ガンの増殖を助ける力が強いことを明らかにしている。

おそらく最も重要な発見は、ガンの周りに肺の上皮細胞が存在しており、これが2型の肺胞細胞であること、そしてガンにより様々な肺上皮細胞へと分化できる未熟幹細胞へと理プログラムされていることを明らかにした点だ。この理プログラムがなぜ起こるのかなどは今後の課題だが、このテクノロジーにより初期過程から研究が可能で、期待できる。

もちろんテクノロジー自体は、発現系を工夫すれば転移にとどまらず、細胞間相互作用を調べるための重要なテクノロジーになるだろう。急速に普及するのではという予感がする。

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8月31日 同性とのセックス行動の遺伝背景(8月30日号 Science 掲載論文)

2019年8月31日

同性と気軽にセックスすると聞くと、コミュニケーションの手段として性行動が使われているボノボを思い出す。相手を殺すこともあるチンパンジーと比べるとこの行動がボノボの平和的倫理性に基礎となっているように思うが、では人間ではどうなのだろう。

自らもホモセクシュアルであることを公言する脳科学者サイモン・リーバイのQueer Scienceを読むと、ホモセクシュアルの権利を求める運動は、この性質が生まれや教育の問題だとする世間に向かって、この性向が生まれついてのものであることを認めさせるところから始まる。

今日紹介するオーストラリア・クイーンズランド大学を中心とする国際チームの論文は、まさに同性とのセックス行動の遺伝的背景を扱った研究で8月30日号のScienceに掲載された。タイトルは「Large-scale GWAS reveals insights into the genetic architecture of same-sex sexual behavior (大規模ゲノム検査から同性に対する性行動の遺伝的背景を考える)」だ。

しかし、UKバイオバンクや、民間のゲノムサービスによりゲノム検査を受けた人の数が増えると、これまで考えられなかったような弱い遺伝的傾向についても調査が可能になる。この研究では50万人近いデータが集まっているUKバイオバンクと、23&meなどの民間ゲノムサービスを受けた人の、性的な好みを調査し、遺伝的な背景を特定しようとしている、いわゆるGWAS(全ゲノムレベルでの相関検査)だ。

ただ、ホモセクシュアルだけを対象とするのではなく、同性とのセックス経験のあるすべての人をリストしており、ボノボ的気楽な関係も含んでいる。UKバイオバンクの構成は圧倒的に白人中心だが、驚くのは男性で4.1%、女性で2.8%が同性とのセックス経験があると答えている点だ。さらに、この比率は若い世代ほど高まっており、例えば1940年生まれの男性なら2%なのに、1970年生まれの男性は6%を超えている。白人が中心だとしても、私にとっては驚きの結果だ。

このように、ホモセクシュアル以外の同性セックス経験者を全部含めて調べたのがこの研究の特徴で結果をまとめると、次のようになる。

  • GWASによりはっきりと相関性のある遺伝子多型として5種類が同定され、臭いの感受性、性発達に関わる遺伝子の多型が含まれていることから、遺伝的な背景は存在する。
  • 遺伝性がみられるとしても、はっきりと有意差が見られたこれらの多型で説明できる部分は1%程度で、実際には多くの遺伝子が絡み合う複雑な背景を持っている。
  • 同性とのセックスと相関する遺伝子群が関わる、他の性質を調べると、性格や病気など様々な性質がリストされるが、中でも双極性障害、マリファナの利用、セックス相手の数などが強く相関している。
  • 同性セックスといっても、完全にホモセクシュアルから興味本位の経験まで、大きく行動は変化するが、完全なホモセクシュアルに近いほど遺伝的相関は高い。

他にも様々な解析が行われているが、この4つが重要な結果だと思う。要するに、何か特定の遺伝子で決まるほど単純ではないが、私たちの性格が遺伝子の影響を受ける程度に、同性セックスも影響を受けているという結論になると思う。

今後はサイモン・リーバイが示したような、より明確な脳の解剖学的変化とGWASを組み合わせることが重要になると思うが、MRI検査が進むUKバイオバンクならこれも可能だろう。

カテゴリ:論文ウォッチ

3歳以下のてんかんに対するケトン食(2019.8.30)

2019年8月30日

今日の論文紹介は、ケトン体と幹細胞の話だったが(http://aasj.jp/news/watch/11238)少し理解しづらかったと思うので、一般向けの記事として、10年にわたって治療法のない3歳以下の幼児のてんかん患者(109人)に対してケトン食療法を続けた、シカゴにあるルリエ小児病院の経験について報告した論文を紹介する(Scientific Reports 9:8736, 2019)。

平均1.4歳という幼児でも、ケトン食を始めると3ヶ月で約4割の子供でてんかん発作が50%減り、20%の子供ではほぼ完全に発作をコントロールできたと言う、素晴らしい結果だ。さらに問題になるような副作用は見られず、3歳以下の子供でも安全に治療できることから、一般治療が困難なてんかんの場合、ケトン食は重要な選択肢になると結論している。

一機関だけの結果で、さらに長期の効果、あるいはケトン食をやめたらどうなるかなど、まだまだ知りたい点は多いが、研究を拡大する十分な動機になる論文だと思う。

個人的に興味を持ったのは、幼児に食べさせるケトン食のベースになる加工食材を簡単にネットなどから手に入れることができる点で、この病院でも積極的に市販品を使ったプロトコルを作成して、誰でもが簡単にケトン食を続けられるようにしている。輸入でもいいので、我が国でも簡単に利用できるようにして欲しいと思った。

自閉症の科学32:末梢神経の興奮性を変化させて自閉症を治療する可能性

2019年8月30日

少し執筆上の不自由を感じたので、Yahoo Newsに記事を書くのをやめることにした。そのため、書きためた自閉症の科学記事のAASJホームページへの引越しなどに手間取って、新しい論文を紹介するのが遅れていた。ようやく新しいHPの体制が整ったので、8月読んだ中では最も重要だと思う論文を最初に紹介したいと思う(Orefice et al, Targeting Peripheral Somatosensory Neurons to Improve Tactile-Related Phenotypes in ASD Models(抹消の体性感覚を標的にする治療はASDモデルの触覚に関わる症状を改善する)Cell 178, 867-886, 2019)。

自閉症スペクトラム(ASD)を、発達段階の外部との接触、特に様々な感覚器を通しての接触の異常として理解する考え方があり、実際ASDの人達の手記を読むと、十分説得力がある考え方だ。

この論文の著者らもこの考えに立っているが、普通は中枢神経系の状態と考えるASDを、すべて末梢神経の異常として捉えられないかという更に大胆な仮説を立て実験を行なっている。

まず、ASD様の症状を示すマウス遺伝子変異モデルを用いて、同じ変異を末梢神経だけに限局した時どうなるかを調べ、中枢神経は全く正常でも、末梢神経でShank3やMECP2などの遺伝子が欠損すると、同じ様にASD症状を示すことを示している。

さらにこの逆の実験、すなわち遺伝子変異マウスの末梢神経だけに正常遺伝子を発現させる実験を行い、ASD症状が改善することを示している。

これらの遺伝子変異はGABA受容体の興奮性を低下させることが知られている。このGABAを神経伝達に使う神経は、抑制性神経と呼ばれており、感覚器の場合、感覚神経の興奮を抑制する働きがある。すなわち、GABA受容体の興奮が低下すると、感覚神経が逆に過敏になる。

そこで、著者らは脳には到達しないが、GABA受容体の興奮を高める薬剤を使って、感覚神経の過敏性を発達期に抑える実験を行い、末梢神経の興奮レベルを正常化させると、ASD症状が抑えられることを明らかにした。

以上の結果は、ASDの多くの症状が、末梢神経の興奮レベルの変化に起因しており、これを脳には影響のない薬剤で正常化させることができるという画期的な可能性を示している。すでに薬剤も特定されていることから、安全に臨床応用をするめるためには、どの様な体制が必要なのか、速やかな論議が進むことを期待する。

また、人間のASDを末梢神経異常の観点から比べる研究が加速して欲しいと思う。中枢系よりはるかに治療可能性がある。この研究でモデルにつかわれたMECP2遺伝子変異は、欠損症と過剰症の2タイプが存在するので、両者を比べる研究から重要なヒントが得られる予感がする。期待したい。

(この論文は重要なのでYoutubeで解説することを計画している)

8月30日 ケトン体は幹細胞維持に働く( 8月22日号 Cell 掲載論文 )

2019年8月30日

炭水化物をグッと抑えた食事からカロリー摂取するケトンダイエットは、サッカーの長友選手による宣伝効果もあって、普及が進んでいる。それだけでなく、これまで紹介してきたように、難治性のてんかんや発達障害にも効果があることが示されているが、要するに糖質なしで脂肪を燃やして持続できる身体へと、からだをプログラムし直してくれる。だとすると、単純なカロリー代謝の問題ではなく、本当は複雑な分子カスケードが誘導されている気がする。

今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はケトン体が幹細胞のエピジェネティックスを変化させて未分化性の維持に働く仕組みを示した研究で、今後のケトン食の利用を考える上でも大きな示唆になる研究だと思う。タイトルは、「Ketone Body Signaling Mediates Intestinal Stem Cell Homeostasis and Adaptation to Diet (ケトン体のシグナルは腸管幹細胞のホメオスターシスと食事に対する適応を媒介する)」で、8月22日号のCellに掲載された。

この研究はマウスの腸管細胞の遺伝子発現を調べていた時、ミトコンドリアでケトン体合成の最初の過程に関わるHMGCS2が幹細胞特異的に強く発現しているという発見に始まっている。

そこで、ケトン合成が幹細胞でどのような働きがあるのか調べる目的で、まずこの酵素を腸管や腸管幹細胞でノックアウトしたマウスを作成すると、腸管の幹細胞システム全体が崩壊し、また試験管内でのオルガノイド形成が強く抑制されることを発見する。すなわち、幹細胞の自己再生が抑えられ、分化が早く誘導され、その結果幹細胞システムの維持や再生がうまく動かなくなる。

次はこの現象のメカニズムを探る必要があるが、著者らはHMGCS2ノックアウトによりパネット細胞が6倍近く増加することに着目する。というのも、Notchを抑制すると同じことが起こることがこれまで広く知られていた。そこで、Notchの下流遺伝子の発現をHMGCS2ノックアウトマウスと比べると、Notch阻害と同じ遺伝子が動いていることを確認、またNotch抑制をHes1レポーターでも確認している。

期待通りHMGCS2ノックアウトの効果はケトン体を外から加えることで正常化するので、ケトン体を試験管内のオルガノイド形成で加える実験系を用いて、ケトン体がヒストンアセチル化阻害剤と同じ効果があり、幹細胞でケトン体が枯渇するとヒストンのアセチル化が低下することを確認している。すなわち、ケトン体がヒストンアセチル化酵素を阻害することで、Notch転写を介して幹細胞の自己再生をコントロールしていることが明らかになった。

最後にケトン食と糖質食を食べさせる実験で、ケトン食が腸管の幹細胞システムを活性化する一方、糖質食は幹細胞維持機能を阻害することを示している。

これらの実験は、ケトン体がなぜ大きな細胞レベルの変化を誘導するのかの一つの理由を教えてくれる。すなわち、ヒストンというエピジェネティック過程を直接阻害することで、多様な変化を誘導できることを示している。

腸管の幹細胞について言えば、ケトン食で幹細胞が維持されるとすると、一つ懸念されるのは発がんを促進しないかだし、逆に期待できるのは老化を防ぐかという問題だ。腸管について言えばHMGCS2ノックアウトマウスがあるので、この問題に対する答えはすぐ出てくるだろう。注視する必要がある。

カテゴリ:論文ウォッチ