カテゴリ:論文ウォッチ
2月6日朝日新聞(岡崎)記事:新型出生前診断、染色体異常の2割見落とし,米研究
2014年2月7日
今日の朝日新聞の岡崎さんの記事は高齢出産を考えられている読者が興味を持つ出生前遺伝子診断の話だ。出生前に胎児の遺伝子検査をすることで染色体や遺伝子異常を早期に発見し、異常が見つかった場合人工中絶するというメニューが我が国を始め各国で合法的に提供されるようになっている。もちろん胎児の選別に反対して検査を拒否する事も自由だが、検査を受ける方の気持ちも理解する必要がある。事実英国では診断後中絶を決断されるケースが9割を超すようになっている。我が国の現状はどの程度把握されているのだろう?今日岡崎さんが取り上げた研究は、胎児の異常を調べるための新しい遺伝子診断法(NIPTと呼ばれる)の診断率についての調査だ。胎児の染色体や遺伝子診断はこれまでおなかに針を刺して羊水中の胎児細胞を採取し、その細胞を用いて行われていた。しかし、低い確率とは言え破水して流産を起こす危険は皆無ではなかった。これに代わるより安全な方法として、お母さんの血液に流れているほんの少しの胎児由来DNAを調べる検査(NIPT)が開発され普及して来た。ただはっきりしているのは、この方法は知りたい異常を前もって決めておく必要がある。そのため21番目の染色体が3本になるダウン症などはほぼ間違いなく診断がつくが、18番染色体異常の場合は90%に診断率が落ちる。さらに問題は、21、18、13番染色体、及び性染色体の異常以外の遺伝子異常には全く無力である点だ。これまでの調査からも、羊水検査で異常が見つかる例の2割は、母親の血液を調べる方法では診断がつかない事が知られていた。岡崎さんが紹介した研究はこれを大規模な調査で裏付ける研究だ。残念ながら学会発表と言う事で、紹介されている研究を読む事は出来なかった。ただ、調べてみるとこの様な大規模研究はこれまでも行われ、論文として発表されている事がわかった。中でも、デンマーク全体の妊婦さんについての調査はいろいろな点で学ぶ所が多いので、岡崎さんの記事に加えて紹介したい。論文はUltrasound Obstetrics and Gynecologyオンライン版に掲載されたばかりで、タイトルは「Potential diagnostic consequences of applying non-invasive prenatal testing (NIPT); a population-based study from a country with existing first trimester screening (非侵襲的出生前診断を用いる診断上の問題:妊娠第一期スクリーニングが行われている国(デンマーク)の住民についての研究。)」だ。羊水検査と比べると診断率は低いが胎児の異常を調べるために超音波検査や生化学検査が既に使われており、出産年齢などを加味してリスクを算定する事が出来る。デンマークでは妊娠第一期に全ての妊婦さんがこの検査を受ける。その上で、医師と相談の上羊水検査やNIPTを受けるシステムが整っており結果が記録されている。この研究ではこの統計結果を4年にわたって調査し、NIPT診断の問題点を統計的に調べた。結果は岡崎さんが記事にした研究と同じで、23%の染色体異常がNIPTでは見過ごされる。特に45歳以上の高齢出産では、頻度の高い典型的染色体異常とは異なる異常が多発する事が予想されるため、NIPTは勧められないと言う結果だ。もう一つ重要な結果は、染色体異常を直接調べる検査ではないが、染色体異常を示した胎児では必ず超音波検査と生化学検査のどちらかで異常が見られた点だ。この結果に基づき、この論文では先ず超音波と生化学検査で一次スクリーニングを行い、問題のある人だけ医師と相談の上、年齢などの様々なリスクを勘案してNIPTか羊水検査を決めれば良いと提言している。おそらく我が国でもこれはガイドラインとして参照できる提言ではないだろうか。特に高齢出産が増えつつある事を考えると、是非我が国でも明確な指針として採用するのが懸命だと思った。もちろん羊水の染色体検査技術も急速に進歩している。CGHと呼ばれるDNAアレー法を用いる方法が安価になれば、しらみつぶしに異常を調べる事ができる。もちろん個人の負担でなら今でも出来る。そしてその先には全ゲノム配列決定があるだろう。様々な可能性を前もって考えておいた方が良さそうだ。 なお、この結果の計算根拠となった表は参考になるので後で翻訳して掲載しておく事にした。
2月5日CRISPR狂躁曲(Cell誌2月号掲載論文)
2014年2月5日
CRISPRと呼ばれるテクノロジーが遺伝子改変の世界を変えつつある事をこれまでも紹介して来た。私はこの技術の可能性を知り、理解し、試してみる事が生命科学に関わる人達にとって重要だと確信している。このため、一般の方にとってはあまり面白くないとは知りながら、CRISPRの様々な使われ方を紹介して来た。今日紹介する論文もCRISPRの可能性を語る研究で、中国雲南省にあるサル学研究所など中国の動物開発に関わる幾つかの研究所の仕事だ。論文は今月号のCell誌に掲載され、「Generation of gene-modified cynomolgus monkey via Cas9/RNA-mediated gene targeting in one cell embryo (一細胞胚のCRISPR法操作によるカニクイザルの遺伝子改変)」がタイトルだ。実験は簡単で、人工授精卵にCRISPRに必要なCas9遺伝子mRNAと標的遺伝子配列を破壊するのに必要な短いRNAを注入する。培養細胞と違って、卵はRNAを注射するのが容易なので、ベクターなどを用いる必要はなく、必要なRNAセットを直接注入するだけでいい。最初の実験では、全ての卵に3種類の標的遺伝子を破壊するためのRNAセットを混合して同時に注射しており、うまく行くと複数の遺伝子を同時に破壊する事が期待できる。最初パイロットとして15個の卵が使われているが、4個でNr0b1遺伝子、7個でPpar-γ、9個でRag1遺伝子の破壊に成功し、そのうち6個ではPpar-γ、Rag1両方の遺伝子が破壊できていたと言う結果だ。現在研究が進行中で、19匹の胎児の出産を待っているが、Ppar-γとRag1がそれぞれ破壊された子供が既に誕生していると言う。遺伝子破壊が起こった子供の出来た時点で論文を投稿し(12月)、1月には採択される異例のスピードだ。まさに狂躁・競争曲だ。この背景には、遺伝子改変サルでしか出来ない研究が多くあることを示している。事実、今回遺伝子破壊した遺伝子もなかなか良く考えてある。Nr0b1は性決定に関わる遺伝子で、動物の生殖補助医療に携わる研究者なら興味は大きいはずだ。加えて、Ppar-γは糖尿病や肥満などの生活習慣病の研究に重要だし、Rag1は細胞移植の際免疫抑制の必要のない宿主サルを得る事ができる。小保方さんの様なサプライズはないが、可能性のある課題を系統的に実現に導く能力の高さが中国の研究には存在する。これまでも紹介したように、馬力のいる研究分野の中国の力は最近急速に伸びて来ている。ゲノムや動物モデルなどはその典型だ。日本でもサル胚操作が出来る施設は多くあるが、おそらく馬力では到底かなわないだろう。とは言え日本でもサルモデルの確立をのために多額の助成金が出ている。是非しっかりと追いついて欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ
緊急企画:2月23日(日曜)14時−16時 ニコニコ動画でSTAP論文徹底解説
2014年2月5日
AASJでは患者さん達と一緒に実際の論文を読もうと言う企画をすすめてきました。しかし、小保方さんの論文の反響があまりに大きいので、ニコニコ動画でこの論文を隅から隅まで徹底解説する事にしました。幸い、実際の取材にあたっている毎日新聞の須田記者(科学環境部)も参加いただけるので、須田さんのアドバイスを受けながら、出来るだけわかりやすく解説します。また、もしこの点だけは聞きたいと言う質問があれば、前もってメールを送っていただけば出来るだけ対応します。では2月23日日曜日、是非AASJチャンネルをご覧下さい。
カテゴリ:活動記録
2月4日:私たちのゲノムの中のネアンデルタール人ゲノム(Nature オンライン版)
2014年2月4日
後悔先に立たずと言うが、年を重ねるほどこの実感は深まる。数学が苦手で医学部に行ったが、そのまま何の努力もしないで今に至っている。このため数理が必要な分野は苦手だ。しかし21世紀文明の基盤になると思っているゲノム研究も数理の必要な分野だ。特に化石ゲノムの研究になると、数理の必要性は明らかだ。過去に起こった事は実験として繰り返せない。このため、様々な数理的手法が合理的推計に利用される。今日紹介する仕事も基本的には数理の仕事と言っていい。これまで紹介したように、ネアンデルタール人の全ゲノムがかなりの精度で決定され始めた。ここから生まれた最初の大きな発見は、今のヨーロッパ人やアジア人のゲノムの中にネアンデルタール人のゲノムの一部が見つかるが、アフリカの人には見つからないと言う事実だった。即ちヨーロッパやアジアに住むホモサピエンスとネアンデルタール人は歴史のどこかで交雑を行っていたと言う事だ。今日紹介する研究はこのネアンデルタール人の遺伝子が私たちゲノムのどこに残っているのかを特定する研究で、ハーバード大学が中心となった共同研究だ。もちろんあのPaaeboさんも著者の中に入っている。論文はNatureのオンライン版に掲載され、タイトルは「The genomic landscape of Neanderthal ancestry in present-day humans (現代人の中にあるネアンデルタール人祖先を眺める)」だ。ほとんど同じ内容の論文がワシントン大学からScienceオンライン版に掲載されており、タイトルは「Resurrecting surviving Neanderthal lineages from modern human genomes (現代人のゲノムからネアンデルタール人の残存する系統を復活する)」だ。この二つの論文は異なる数理的解析法を用いているが、ともに現在得られるヒトゲノムデータとネアンデルタール人ゲノムデータを比べており、ゲノム配列決定や考古学の実験などは全く行っていない。この分野で実験と同じだけ、情報処理が重要になっている事がよくわかる。今回はNature誌の論文を紹介する。この研究が使った数理的手法は「条件付き確率場」と言う方法で、現代人の遺伝子配列にネアンデルタール人というタグをつけるための処理方法と考えてもらえばいい。実際には1000人ゲノムプロジェクトで配列が公開されている一人一人のゲノムの各部位をネアンデルタール人とネアンデルタール人の遺伝子を持たないアフリカ人のゲノムと比較して、どこがネアンデルタール人から来ているのかを染色体地図上にマッピングする研究だ。結果は大変面白い。例えば皮膚細胞機能に重要なケラチンと言う分子をはじめ、皮膚や毛の発生に関わる遺伝子が存在する領域にネアンデルタール人由来の遺伝子が集まっている。ネアンデルタール人の持っていた優れた皮膚の特性を私たち現代人が受け継ぎ、お世話になって来た事がわかる。他にも、ループス、胆汁性肝硬変、クローン病などの自己免疫疾患や、2型糖尿病に関わりがあるとされる領域にもネアンデルタール人由来部分が多く見られるようだ。おそらくネアンデルタール人由来部分が流入する事で病気が防がれるようになったと思われる。これとは逆に、ネアンデルタール人遺伝子が全く見られないゲノム領域も見つかる。特に面白いのは、精巣に発現している雄の生殖能力に関わる遺伝子が多く存在するX染色体上の長い領域に、ネアンデルタール人由来の部分が見つからないという発見だ。これは、この部分がネアンデルタール人に置き換わると、雄の生殖能力が失われる事を意味している。事実、この領域にある遺伝子の多くは精巣で発現している。これらの結果は、ネアンデルタール人とホモサピエンスは交雑可能だが、交雑により生殖能力が低下するほど既に系統樹上かなり離れてしまっている事を示唆している。一方、現在の人種間での交雑ではこの様な事は起こっらない。Science誌に掲載された論文では、交雑が進化の特定の時点だけで起こったのではなく、何回も繰り返されて来た事や、アジア人により遺伝子流入機会が多かった事も示されている。研究は恐ろしい速度で進展している。ゲノム情報と数理を駆使して新しい歴史が書かれているとおもうとわくわくする。このように、ゲノム研究には数理を駆使する事の出来る人材が多く必要だが、一体我が国の現状はどうなのか、少し心配になっている。
カテゴリ:論文ウォッチ
2月2日:サッカークラブの全面協力による減量プログラムの効果(1月21日The Lancet掲載論文)
2014年2月2日
小保方さんの論文は個人的思い出もあって少し詳しく紹介したら好評だったようで、「いいね」とのメッセージが2000を超えた。これほど反響がある事はないので、次はニコニコ動画で一般の人と論文の読書会をしようと計画している。しかし私たちのホームページではシングル一シューにこだわらない事が基本であり、地道に様々な分野の論文を紹介して行くことを続けようと意を新たにした。是非多くの方に引き情報源として利用して欲しい。今日は先ず小保方熱を冷ますために、減量を目指す面白いプログラムについての論文を紹介する事にした。論文は1月21日号のThe Lancetにグラスゴー大学のグループが発表した。タイトルは「A gender-sensitized weight loss and healthy living programme for overweight and obese men delivered by Scottish premier league football clubs (FFIT):a pragmatic randomized controlled trial (スコットランドプレミアサッカークラブが男性のファンに提供する男性向け減量と健康生活プログラムの効果:無作為化治験)」。研究は単純だ。747人の減量を考えているサッカーファンを、スコットランドプレミアリーグの協力で集め、374人を積極的に減量指導をするグループ、残りの333人を観察するだけの対象グループとして無作為にわけて体重を1年にわたって調べている。直接指導を受けるグループでは毎週、競技場のピッチやスタジアムでの90分プログラムに基づくエクササイズを行い、加えて減量のための生活について教育も受ける。直接指導は12週続け、残りはメールやクラブからの情報提供などを中心に経過を観察すると言うスケジュールだ。対照群も含めて全ての参加者には減量の意義と方法などについて書いてある小冊子を配布する。対照群について、減量についての意義や方法を教える冊子は配るものの、やり方は個人に任せている。結果は明瞭で、指導を受けたグループでは12週の指導で約5kgの減量に成功し、減量を12ヶ月維持する事に成功したと言う結果だ。もちろん我が国でもこのような試みが行われている事は間違いがない。ただスコットランドプレミアリーグのチャンネルを通してプログラムが行われ、プレミアリーグも助成金を提供している事、最初からプログラムを登録し、科学的論文としてまとめる事を目的としている事、そして最後にこのプログラムで使った費用を開示してプログラムの普及が医療経済的にも有意義である事をしっかり示している点だ。過去30年で肥満人口は倍増している。我が国でも様々な施策や研究が行われているが、スポーツファン層の気持ちをうまく捉えたこのような想像力にあふれた研究は見た事がない。日本はサッカーだけでなく、プロ野球や、大相撲など多くのファン層のあるスポーツがある。さすがに大相撲で減量プログラムと言うわけにはいかないだろうが、あこがれのサッカーのピッチや野球のグラウンドで減量指導を受けれると言う事で、ファンも増え、プロスポーツの公共性も上がり、肥満人口が減れば一石三鳥だ。プロスポーツは文科省の管轄で、厚労省ではないなどと馬鹿げた声が聞こえてきそうだが、病気を予防して医療費上昇を抑える事は我が国全体が考える問題だ。研究側も小保方さんからだけでなく、この様な例からもアカデミックな縛りにとらわれずに自由な発想で研究を計画する事の大事さを学ぶ必要があると思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
1月31日:公的バンクへ預けたデータは預けた個人の自由なアクセスを補償すべき(1月24日号Science誌掲載の意見)
2014年1月31日
私は21世紀文明の柱の根幹の一つはゲノムだと考えている。なぜそう思うかについては、「21世紀ゲノム文明」に詳しく述べようと現在奮闘中だが、様々なゲノムデータベースの充実や、考古学や歴史学がゲノム解析と融合して新しい科学へと変化していく様を見ると、書かなければならない事が増えて焦ってしまう。現在進む個人ゲノム解読の先には、ゲノムも含めた個人の情報が蓄積された途方もないビッグデータが生まれる。我が国でも、このビッグデータをどう扱うのかと同時に、セキュリティーやプライバシー保護といった新しい倫理問題についても議論が始まっている。先週号のScience誌にバンクのあり方について核心をついた意見がでていたので紹介する。ハーバード大、アムステルダム大、ロンドンキングスカレッジの研究者の発表した共同意見で、「Raw personal data:providing access (生の個人情報:アクセスの提供)」がタイトルだ。意見は明確で、私たち個人が医学研究に提供した材料から得られるゲノム情報などの全ての情報は、提供者に自由に利用させるべきだと言う主張だ。もちろん自分でお金を払ってゲノム解読を依頼するサービスの場合には、これは当たり前だ。しかし公的なバンクになると様子は違っている。例えば我が国では、患者さんとデータが連結されていたとしても、患者さんのリクエストに応じてその人のデータを提供しない事を納得した上での協力を要請している。しかし例えば提供組織からゲノムが読まれてそれがバンクに保存されている場合、研究用のデータとしてだけではなく、提供者個人にとっても貴重な情報になることは間違いがない。Scienceに掲載された意見では、提供者が自分のデータに自由にアクセスできる事の積極的な意味を提示している。1)全体の中の砂粒でしかない個人データにアクセスできると言う事だけで透明性が上がり、研究する側もデータ改変などがしにくくなる。2)研究者と研究対象者の対称性が確保され、この新しい関係から複雑な人間の病気や性質に関する新しい科学が生まれる、3)研究対象者が自分のデータを見る事で、何を提供しそれが何に使われるかはっきりと知る事が出来るため、自分で研究参加への決断が出来る、の3点だ。もちろん研究の秘密厳守(例、2重盲検)、セキュリティー、ハッキングなど多くの問題がある。ただ、それを理由に提供者のアクセスを遮断するのではなく、逆にそれを補償するためのテクノロジーを開発して解決すべきと主張している。そして最後に、「生のデータにアクセスできる過程は、後で研究についての情報を貰う権利を確保する事とは全く別の話だ。どんなに包括的な情報を被験者が理解できるようにして提供したとしても、生のデータセットにアクセスできる権利を差し止める事にはならない」と締めくくっている。私もこの意見に完全に賛成だ。当分我が国ではこの様な議論が官やアカデミアからは生まれることはないと思い、あらゆる公職を辞して、民間からこの様なデータバンクを造れないか活動している。しかし、もし我が国政府やアカデミアがこの方向を真剣に目指すなら、もちろん協力は惜しまないつもりだ。
カテゴリ:論文ウォッチ
1月30日:酸浴による体細胞リプログラミング(1月30日Nature誌掲載論文)
2014年1月30日
メディアはこの話題で持ち切りだ。何人かの知り合いの記者からもコメントを求められた。自分の考えは全て自分のチャンネルを通してだけにしようと決めているので、メディアにコメントするのは全てお断りした。勿論このホームページ(HP)に書いた事を私の意見としてメディアに載せていただく事は、HPの宣伝にもなるので歓迎だ。さて、この論文については私も関係者の一人なので、まずそれを断っておく(神戸理研発生再生研究センター(CDB)に昨年まで在籍、現在も顧問)。意見にバイアスがかかるのを恐れ、これまでCDBの研究を取り挙げる事を控えていた。しかし小保方さんの論文への反響が大きいので、禁を破ってこのHPでも自分の考えを書き残す事にした。
この論文には私も思い出が深い。最初にこの話を聞いたのは仕事でイスラエルに滞在していた約1年半前の事で、メールでの依頼に応じて論文のレフェリーコメントにどう答えればいいのかなどボストンのバカンティさんと電話で話をした。その後帰国してから、若山研に寄宿して実験をしていた小保方さんと出会って論文についてアドバイスをした。話を詳しく聞いて研究の内容についてももちろん驚いたが、小保方さんと言う人物にも強い印象を受けた。特に最初の論文のドラフトを読んだ時、自分の気持ちをそのままぶつけた初々しい書き様に、普通の研究者とは違うことを確信した。その時と比べると、今回久しぶりに目にした論文は堂々とした成熟した論文に変わっていた。苦労が実ってよかったと我が事のように思う。
個人的感想はこの程度にして論文について述べよう。最初話を聞いたときと比べるとずいぶん進んでいる。新しく研究を支援した笹井さんや丹羽さんのアドバイスのおかげだろう。内容は、体細胞を酸性溶液に30分ほど浸けるだけで、ES細胞とは違う、おそらくESより未熟な段階の多能性幹細胞へとリプログラミングが誘導でき(リプログラムと言う非生理的状態について議論する場合未熟・成熟を云々するのは間違っているのかもしれない)、またこの未熟性のおかげで、このSTAP細胞からES細胞株や、これまで知られていなかった全能性の幹細胞株を、培養に加える増殖因子を変える事で樹立できると言う結果だ。面白いか?と問われると当然yesだ。大体、酸にさらすと言う発想は尋常ではない。また、増殖性の低い全能性幹細胞STAPと言う概念、さらにSTAPを起点とすると、これまで難しかった全能性の細胞株や、これまで知られている多能性幹細胞とは少し違った性質を持つ細胞株が出来た事もオリジナリティーに富む大きな貢献だ。ただ問題は、驚きが論理的な納得に変わらない点だ。おそらくこの点が論文採択までに苦労が強いられた原因だろう(新聞を見ると採択されず泣き明かしたとまで書いてある)。論理的に納得できるようになるには、この現象の背景にあるメカニズムを理解する必要がある。酸や他のストレスでエピジェネティック機構が影響を受ける事は私も想像できる。再現性の高い実験結果である事も十分示せていると思う。しかし、エピジェネティック機構の揺らぎが、なぜ全能性のネットワーク成立に落ち着くのかなど、納得できない点が多い。おそらく体細胞では厳密に押さえられている多能性遺伝子が、酸や様々なストレスで開放され、多能性の転写ネットワーク形成を自然に促すのだろう。Octなど多能性ネットワークの核になる遺伝子の決定力が他の分子を凌駕しているなら、あり得る話だ。まただからこそ、多くの多能性に関わる遺伝子が体細胞では絶対に発現しない様抑制を受けているのかもしれない。事実Octだけでリプログラムが進むと言う話はこれまでも報告されている。ただ、これは全て私の想像だ。いい仕事は更に多くの疑問を発生させる。
何れにしても小保方さんの結果により再認識させられるのは、どの方法でリプログラミングを誘導しようとも、リプログラミング自体が生理的な過程ではないことだ。事実、私たちのゲノムは30億塩基対という膨大な物だ。この30億塩基対のエピジェネティックな状態の細部を思い通りに制御するなど至難の業だ。このため、表面的な転写ネットワークは同じでも、リプログラムのされ方が異なる多様な状態が可能なのだろう。おそらく、今後も様々な状態の全能性・多能性の幹細胞が報告される事だろう。山中さんのiPSが火をつけた「誰でも簡単に試験管内で誘導できる体細胞リプログラミング」と言う革命はますます拡がりを見せている。
さて報道の方だが、安全で早い多能性幹細胞の新しい作成方法と言う点を強調した記事と、独特のキャラクターを持つ若い女性と言う小保方さんを強調した記事とに分かれているようだ。後者の記事は私も大歓迎だ。特に多くの女性が理系を目指すようになるのではと期待する。理研で独立研究者として小保方さんを採用したのは彼女が20代の時だ。慣例や階層性にとらわれずに組織さえその気になれば日本の女性はもっともっと活躍する。
一方、この方法がこれまでの方法より安全で役に立つと言う記事は願い下げたい。例えば樹立までのスピードを考えると、このHPでも紹介したJacob Hannaの全ての体細胞が7日でリプログラムできるという研究は論理的な説得力がある。更に強調したいのは、これまでの方法に基づく臨床研究実施が、我が国ではすぐそこまで来ていることだ。ここでどちらがいいかと議論を始めるとすぐ時間が過ぎる。おそらく、治療を心待ちにしている患者さんは間違いなく混乱しているはずだ。この領域は急速に進歩している。従って、新しい方法が続々生まれる事を最初から予想して、その時々の手順、指針、規制を常にアップデートできる方策を考える必要がある。最終的にどの樹立方法が選ばれるかは、将来リプログラミングが広く臨床に普及すれば、自然に消費者が決めるだろう。また、STAPだろうとESだろうと、そのまま移植する事はない。再生医学への応用で考えると、本当の勝負は大量に分化した細胞を調整する方法の開発だ。またこのHPで紹介した膵島を体内で維持するためのチェンバーのように、医療材料の開発により違ったレベルの安全性が実現されるようになるかもしれない。 メディアも競争について気になるなら、特許が日本かアメリカかを調べた方がいい。元々この仕事は小保方さんがバカンティ研で一人で始めた研究だ。ハーバードでもプレス発表があった。我が国独自の技術だなどと考えると、ぬか喜びになるかもしれない。もちろん、特許が全てアメリカに握られていたとしても、小保方さんを我が国にリクルートできた事の方が大事だ。優秀な人材確保は人口の減り続ける我が国に取っては急務だ。さらに、この仕事によってリプログラミングや多能性の研究に新しい展望が開かれた。なぜこんなことが起こるのか?リプログラミングの研究は加速し、私もこの現象を納得して理解できる日も近いだろう。幸い丹羽さんや若山さんなど、この分野のエキスパートが近くにいる。楽しみだ。
我が国の助成方針や報道の仕方を見ていて一つ懸念するのは、小保方さん自身が「ヒトSTAPの樹立を急ごう」などと臨床応用を目指した研究に移ってしまう事だ。幸い小保方さんを採用するときのインタビューで、彼女は私たち凡人の頭では思いつかない研究計画を提案していたので安心している。日の目を見なかったが最初のドラフトで「生への欲求は生物の本能だ」と、なぜ細胞にストレスを与える気になったのかの説明を始める感性は尋常ではない。彼女の様な人に自由にやってもらう事こそ我が国のためになる。小保方さんも是非国民の期待を手玉に取りながら、気の向くままに研究をして行って欲しいと願っている。
カテゴリ:論文ウォッチ
1月29日慢性リンパ性白血病の抗体治療(1月26日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
2014年1月29日
ホームページでは出来るだけ治療法に関する大規模治験の論文を紹介したいと思っている。今日もその一つだ。高齢者に多い腫瘍の中には白血病がある。中でも骨髄異形成症候群(MDS)と慢性リンパ性白血病(CLL)は頻度が高く、ゆっくりとした経過をとるとはいえ根治が困難だ。この状況を打開しようと新しい薬剤の開発が続けられており、今日紹介するのは、CLL治療に使える新しい抗体薬の効果を確かめる臨床治験の結果を報告したドイツからの論文で、1月26日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。「Obinutuzumab plus chlorambucil in patients with CLL and coexisting condition (CLLとそれに併発する条件を持つ患者に対するObinutuzumab+chlorambucilの併用の効果)」がタイトルだ。研究では781人の患者さんが無作為的に3群に分けられ、これまでCLLに用いられるアルキル化剤(DNAを断裂させる)単独、あるいは抗CD20抗体との併用で治療を受ける。抗CD20抗体はrituximabと呼ばれ、既にCLLに高い効果を示す抗体薬として利用が進んでいる。今回の研究は抗体薬の効果を確かめる事が目的ではなく、この抗体に特別な糖鎖を加えて効果を高めた抗体薬Obinutuzumabとrituximabを比較するのが目的だ。治療効果の判定は、細胞や遺伝子検査で検出される白血病細胞が消失している期間を調べている。まず、両方の抗体とも、chlorambucil単独と比べると、白血病細胞なしで過ごせる期間は格段に伸びる。実際、治療終了後すぐに行われた検査でも、治療効果の高さははっきりしている。更に、新しい改変抗体を使うと、完全に白血病細胞が消える率がrituximab併用に比べて2.5倍以上になり、改変によって確かに効果が上がっている事が確認されたと言う陽性の結果だ。この研究では約3年後までしか追跡が行われていないので、更に長期の追跡を行う必要がある。それでもこの期間内で白血病細胞が消失した患者の割合が高い事から、長期に追跡すれば更に良い結果になるのではと期待が述べられている。製薬会社から見れば、そろそろ特許が切れそうなrituximabより効果の高い新しい抗体を開発できた事は将来のセールスを約束してくれるうれしい結果だ。もちろん、患者にとっても朗報だが、治療にどの程度のコストがかかるのか、いつ健康保険でカバーされるのかなど問題はある。また、血液細胞の減少や感染、注射に対する過敏反応は効果の最も高いobinutuzumabの方に高い頻度で見られたのも問題だ。ただ、副作用による死亡例はobinuzumabの場合が最も低く、全般的には対処可能な範囲で収まりそうだ。今回対象になった患者さんの平均年齢は72−74歳だった事からもわかるように、CLLは高齢者の病気だ。あと5年もすれば私も危険年齢に達するが、この様な結果を見ると励まされる。
カテゴリ:論文ウォッチ
1月28日 聴診器のなくなる日(Global Heart誌12月号掲載)
2014年1月28日
すこし古くなったが、12月号のGlobal Heartという心臓関係の雑誌に興味をひく編集者のコメントが出ていたので紹介する。「How relevant is point-of-care ultrasound in LMIC? (低開発国でのベッドサイドでの携帯型超音波診断装置はどれほど適切か?)」と言うタイトルで、最近市場に出回って来たポケットにも入る携帯型超音波診断装置が個人医師の必携器具になり、聴診器を医師のポケットから駆逐する日が近いかもしれないと占っている。私も不勉強で、超音波診断装置と言うと小さいと言っても高々パソコン程度の大きさかと思っていた。しかし、アメリカ陸軍の肝いりで、戦場でも使える携帯型超音波診断装置の開発が行われ、現在では大手GEヘルスケアを始めアメリカで幾つかの会社がポケットに入るサイズの超音波診断装置を数千ドルで販売している。我が国でも、コニカミノルタから同様のスペックの装置が販売されているようだ。コメントでは、アメリカ陸軍の期待通り、既にこの装置はpoint-of-care、診療現場になくてはならない機器になりつつあるらしい。先ず戦場や救急車、患者運搬リコプターなどに急速に軍で普及したようだ。コストが下がると普及は加速する。ハリケーン被災者や、ハイチ地震では、これまで他の機器が必要だった症例の半分以上の正確な診断に役立った。この結果を見て、WHOも設備が整っていない医療現場で最初に導入すべき装置であると勧告を出した。そして今や世界各地の難民キャンプではこの装置の使用方についての訓練が最優先に行われていると言う。この様な状況を見た上で、聴診器が発明されて200年になる今、ついに聴診器が医療現場から消えるプロセスが始まったのではと結論している。即ち携帯型超音波診断装置はそれほど破壊的ポテンシャルを持っているようだ。実を言うと、私が病院で働いていたときはまだ超音波診断自体が普及していなかった。超音波診断になれていない古い世代の私にとってもこのコメントは説得力があり、病院から聴診器が消える姿が想像できる。当然明日聴診器が消える訳ではない。ただ、初診時に極めて高い診断を可能にする安価な機器の利用法の教育は急務だ。この機器に聴診器機能を与える事は簡単だろうし、ウェアラブルにする事も出来るだろう。この様な機器は医師とともに使い易さを磨く事が商品競争力につながる。幸いまだ日本企業もこの分野でしっかり勝負をしているようだ。ひょっとしたらウォークマンのように世界中の家庭に普及させる事も出来るかもしれない。我が国の教育現場や、医療イノベーションでもこの状況が把握されているのか心配だ。
カテゴリ:論文ウォッチ
1月27日がんのエクソーム検査はつらい真実も告げる(1月13日号Cancer Cell掲載論文)
2014年1月27日
これまでがん細胞の持つ遺伝子の中で蛋白質へ翻訳される部位(エクソンと呼ばれる)のDNA配列を全て決定するエクソーム研究の急速な進展を紹介して来た。これはほとんどのがんが遺伝子の変化によって起こる事、そのため出来るだけがんについて知る事が治療戦略を練るのに役立つと考えるからだ。事実悪性黒色腫、乳がん、肺がんの一部などではエクソーム解析が治療戦略に役立つという勇気づけられる報告が相次いでおり、がんのエクソーム解析を20万サンプルまで行い、完全なカタログを造ろうと動きが加速している。しかし研究が進む事で、逆に一筋縄では行かない腫瘍が存在する事もまた明らかになって来た。元旦に自戒も込めて紹介した低グレードのグリオーマがその例だが、今日紹介する論文もがんの難しさを思い知らされる研究だ。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学のグループが1月13日付けのCancer Cellに発表した論文だが、またボストンからかとため息が出る。タイトルは「Widespread genetic heterogeneity in multiple myeloma:implications for targeted therapy (多発性骨髄腫に見られる遺伝的多様性:標的治療に対する含意)」がタイトルだ。この研究では200を超す多発性骨髄腫のエクソームが調べられ、その中の17腫瘍についてはエクソームだけでなく全ゲノムを解読して、この腫瘍の発生に共通のメカニズムがないか調べている。多発性骨髄腫とは、抗体を造るリンパ球が最終分化した形質細胞の腫瘍だ。進行は比較的ゆっくりしているが、根治がなかなか難しい。12月8日にこのホームページで紹介したレナリドマイドなどが効果を持つ事が知られているが、更に多くの薬剤の開発が期待される。あまりに専門的になるので、結果の詳細について紹介する事は差し控えるが、この腫瘍の共通の弱点を見つけて治療すると言う点では、残念な結果が報告された。もちろん多発性骨髄腫でも他の腫瘍と同じ細胞の増殖に関わると思われる遺伝子の突然変異が見られる。その中には、黒色種の半分以上に見られるBRAFと呼ばれる遺伝子や多くのがんで見られるRAS遺伝子の突然変異も含まれている。ただ問題は、多くの患者さんで、一人の患者さんの中に既に違った突然変異を持つ数種類のがんが混じっており、共通の分子経路が見つけられない。結局、薬剤だけでは全ての腫瘍を殺す事が期待出来ない事になる。治療戦略を考えるため、この研究でも試験管内で薬剤の効果を調べる実験を行っているが、予想通り一部の腫瘍細胞にしか効果がない事が示されている。このように、腫瘍についてよく知る事が逆に治療の困難を予測する結果に終わることもある。科学は時に残酷だ。私見だが、それでも私はがんのエクソームを知る事は、何も知らずに治療を行うより大事だと思う。もちろん現在でも幾つかの遺伝子に狙いを絞って遺伝子検査が行われるようになって来た。ただ、エクソーム解析では情報のレベルが格段に違う。例えばこの研究でも、患者さんの中には共通の機序で発生した一種類の腫瘍だけしかない場合もある事が示されている。特定の遺伝子だけについて調べてこの分子の変異が見つかっても、他の全ての遺伝子まで情報が得られるエクソーム解析と比べると、他の遺伝子はどうなのか不安が残る。また、異なる突然変異が混じっている場合も、エクソーム全部がわかっていると、そのデータから薬剤を組み合わせる事で効果的戦略を立てる事が出来る場合もあり、実際そのような例がこの論文でも示されている。現時点では検査が失望に終わるとしても、腫瘍の事を出来る限り知る事は意味があると私は思う。現時点でエクソーム解析はまだ大きな大学でだけ可能な検査だ。また、現在50万円程度かかる検査コストも問題だろう。ただこの費用は普及が始まれば急速に低下することは間違いがない。私は余裕のある人から調べて行く事で、普及が促進すると思っている。このため、まだ自分でコストを負担する必要があるとは言え、希望すればこの検査を受けられるようにする事の意味は大きい。検査はDNA配列を決定すればそれで済む事ではない。配列に現れる意味を正確に理解するための情報解析が必須だ。この分野の人材が我が国には不足している。特に将来サービス提供の主体になる民間企業の人材についてはほぼ無いに等しい。私も公的な職は辞したが、民間セクターの確立のために努力したいと思っている。
カテゴリ:論文ウォッチ