2016年12月14日
キュレーションサイトWelqによる間違った健康情報提供が大きな問題になっている。背景には健康情報の正確性だけでなく、剽窃といったキュレーションサイト自体が持つ問題もあり、構造は複雑だ。しかし、情報の正確性のみを問うなら、キュレーションサイトだけの問題ではなく、一般メディアや、コマーシャル、そして専門誌ですら同じ問題を抱えている。このことは、同じことが専門論文を紹介している私自身の問題でもあることを意味している。
一方、健康情報に対する市民の強い要望とSNSの普及は、間違った情報が簡単に拡散することを意味している。Welqの事件をきっかけに、医学情報に関わるあらゆる層が議論を始める時がきた。
このタイミングで医学情報の正確性の問題と、間違った情報により簡単に燃え上がる市民のヒステリー反応について強い口調で議論しているボストン大学とハーバード大学在籍の、おそらくホルモン療法に関わる医師や研究者からの意見がEMBO Reportsに掲載された。タイトルは「Overselling hysteria (誇大宣伝ヒステリー)」だ。
この論文では、審査を経て医学雑誌に掲載されている論文が、メディアの誇大宣伝により簡単に市民のヒステリックな反応を誘導し、その結果治療の恩恵を受けれるはずの多くの人の健康が損なわれる例をあげて、医学情報の市民への提供のあり方を真剣に議論している。
例として使われたのは、高齢男性のフレイル(虚弱)の原因であるテストステロン(男性ホルモン)低下を補うためのホルモン補充療法が心血管障害を誘導する危険があるという、The New England Journal of Medicine及びJAMAに掲載された論文をベースに、NY Timesが「テストステロンの危険な過大評価」という記事に端を発したヒステリーの話だ。実際この報道の結果多くの市民が不安を抱き、最終的にはFDAや医師の側にもテストステロン治療には心血管障害がつきもで、できる限り避けたほうがいいという先入観が広がってしまったことを指している(この論文を読むまで実際私もそう思っていた)。
同じことは女性の更年期障害に対するホルモン療法にも言える。実際には多くの更年期障害に悩む女性が健康に過ごすことができるのに、Women’s Health Initiativeによる大規模調査で、心疾患や乳がんの危険性があることが指摘され、それが報道されるとなんと80%もの治療が中止されている。
いずれの場合も、論文をよく読むと、副作用の頻度は高くなく、さらに複雑な統計処理が行われて理解しにくくなっている。驚くことに、テストステロンのJAMA論文に至っては、計算間違いでその後論文が撤回されている。また論文全体でみると、副作用を強調する論文はほんの一部で、大半の論文では問題は指摘されていない。そして、2016年に発表された最大規模のテストステロン治験では、なんと心血管障害は同じか低い傾向にあることが示された。また、Women’s Health Initiative は、その後最初の結論を覆し、ホルモン療法を推奨する結果を導いている。
重要なことは、論文の撤回や、新しいこれまでの報道結果と反対の結論についてはメディアは興味を示さない、あるいは意図的に無視して報道せず、市民にはヒステリーだけが残るという結果に終わる。事実、私もテストステロンは心血管障害を高い確率で起こすと思ってしまっていた
このように、トップジャーナルに掲載された一部の論文が、メディアにより一方的に報道され、市民ヒステリーが広がり、医療を制限し、最終的に病気を増やす。しかも、医学論文の半数は再現が難しく、現場の医者は研究論文を読む時間もなく、医学雑誌も一般ウケを狙って、論文掲載前には一般メディアに論文を送る馴れ合いの構造を持っている。しかし、一般メディアは論文の内容を正確に吟味することはなく、市民に訴えるかのみを指標に掲載を決めている。これを知ると正確な医学情報などどうしたら得られるのか途方にくれる
さてどうするかだが、
1) 医学雑誌と一般メディアが互いにもたれ合っている構造があることをしっかり認識して報道を見ること。
2) 審査を経ていても、一つの医学論文だけで何が正しいか判断できないことを知ること。
3) 大規模調査で統計的に有意とされる差異も、実際の臨床現場ではほとんど問題にならないことも多いことを認識すること。
4) 統計手法が極めて複雑になっており、これによる解釈間違いが起こることを知ること。
5) どんな結論も、最初に書く側、読む側が持っている思い込みに左右されていること。
がこの論文の結論だ。要するに、ヒステリーを避けるためには冷静さが必要だという当たり前の結論で終わっている。
キュレーションサイトによる医療情報提供の問題が市民に認識されたのはいい機会だ。この機会に、我が国でも医学医療情報の提供の仕方、受け取り方について真剣な議論を始めてみよう。
2016年12月13日
現代の人間社会では、必然的に多数の人と関わりを持つ必要がある。人と出会う時、相手がいま何を考えているのか常に測りながら、頭に浮かんだイメージと相手の行動の誤差をうまく調整する「付き合い」と呼ばれる行動を繰り返す。この中で、自然と「相性」が生まれ、この相性が相手に対するイメージを固定化し、「付き合い」のあり方を変えていく。
このように、私たちは自分の判断を基準に関わりのある人を自然に類型化して付き合いに生かしているが、心理学や医学の世界ではこの類型化をより客観的・実体的にする試みが続いてきた。
中でも性格の類型化のため現在最も用いられているのがbig five personality testで、設問への答えを分析して性格を、1)neuroticism(情緒不安定)、2)extraversion(外交的)、3)Openess to experiencee(好奇心旺盛)、4)agreeablenesss(協調的)、5)conscientiousnesss(良心的、誠実)に類型化している。
今日紹介するカリフォルニア大学・サンディエゴ校からの論文は、この類型の遺伝学的背景をGWAS(全ゲノムにわたる遺伝子型関連解析)を用いて調べた研究で12月5日Nature Geneticsにオンライン掲載された。
この研究では23&Meで遺伝子診断サービスを利用した方の性格テストおよび、もともとの性格と遺伝子多型を関連させるための研究から、白人に限って約20万人のデータを集め、性格と関連する遺伝子、同じ遺伝的要因をもつ性格と精神疾患の特定などを調べている。
まず、それぞれの類型と相関する遺伝子多型を探すと、関係してそうなSNPが幾つか見付かるが、その中で統計学的に優位に相関するSNPが良心的性格に1個、外交的性格に5個、そして情緒不安定に2個を特定している。多くはこの研究で初めて特定されたSNPだ。
実際には、これらのSNPにより周りにある遺伝子の脳での発現がどう変化するのかを調べる必要があるが、この研究では到底そこまで進んでいない。しかし、特定したSNPのうち6種類は脳での遺伝子発現に関わる可能性、さらには外交的性格のSNPの一つは、性格を決定づける強い要因を持っている可能性を示唆することは述べている。
最後に、それぞれの性格、および精神疾患を遺伝的関連性を元に主成分分析して、
1) 情緒不安定と、他の4つの性格は遺伝的に相反する性格、
2) 情緒不安定以外の4つの性格は遺伝的にも相関がある、
3) 精神疾患と性格類型は連続的に遺伝的相関を持っている、
4) 情緒不安定とうつ病は遺伝的に強く関連する、
5) 外向性と注意欠陥・多動性障害は遺伝的に強く相関する、
などを示している。
性格の類型と精神疾患が連続していることや、各類型間の関連などはなるほどと思わせる結果だが、遺伝要因で決まる性格の詳細を明確にするにはまだまだだと思う。ただ、これが理解できて初めて、教育とは何か、教育でやるべきことが明らかになる。今後全ゲノム解析を元に、研究が進むことを期待している。
2016年12月12日
ガンに対する免疫治療の根治力が明らかになってから、自己ガンや自己ガン由来の抗原を使うワクチン療法、あるいはガン細胞とリンパ球を試験管内で培養して調整したキラーT細胞を移植する治療法の開発が進んでいる。今日はそんな論文2編を紹介する。
最初の米国国立衛生研究所からの論文はガン細胞の増殖を支える変異型KRASがガン抗原として働いた大腸直腸癌で肺転移をもつ患者さんの症例報告で12月8日のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「T cell transfer therapy targeting mutant KRAS in cancer (ガンの変異型KRASを標的にするT細胞移植治療)」だ。
タイトルにあるように変異型KRASはガンをガンたらしめている最も重要な分子だが、正常細胞には存在しない。すなわち、ガン抗原としての資格がある。KRASは薬剤の開発が難しいが、これを抗原にして免疫を成立させればこれほど都合のいいことはない。この研究は最初からKRASに対する免疫療法を目指していたわけではない。ガン組織に浸潤しているT細胞を試験管内で増幅してから患者さんに戻す免疫療法の治験を行っていた患者さん12例のうち1例の患者さんで変異型KRASに対するキラーT細胞を確認し、またこのT細胞を移植した患者さんでは、7箇所あった転移巣の6箇所が消失し、効果がなかった1箇所も除去できたという、1例報告だ。
1例報告とはいえ重要なメッセージの多い論文だ。まず、KRASに対してキラーT細胞が誘導できることが明らかになった。次に、この症例では幾つかのKRASに対するクローンが混じっており、移植後の定着の程度はクローンにより異なっている。そして、キラーT細胞を移入した同じ患者さんで、他の転移巣は全て消失したのに、全くT細胞が作用できなかったガンもあること(おそらく環境の問題)は、ガンの免疫療法を考える上で重要な発見だと思う。この点の分析から、治療法はさらに改良されるだろう。
この研究では、変異KRASに対するT細胞受容体も特定しており、将来はこの遺伝子を患者さんのT細胞に導入する治療も可能になるだろう。また、KRASペプチドに対するキラーT細胞の樹立も今後さらに加速するように思う。まだ一例とはいえ、大きなブレークスルーになる気がする。
もう一編はボストンにあるベス・イスラエル医療センターからの論文で、急性骨髄性白血病の細胞と、患者さんの樹状細胞を細胞融合させ、それをワクチンとして免疫に用いる治療法の治験に関する論文で、12月7日付のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Individualized vaccination of AML associated with induction of antileukemia immuneity and prolonged remission(緩解期の急性骨髄性白血病(AML)に対する個人用ワクチン治療は白血病に対する免疫を誘導し緩解期を延長する)」だ。
詳しい方法は省略するが、この研究のハイライトは、白血病細胞と樹状細胞を細胞融合させた細胞をワクチンとして使うというアイデアが全てだ。実際には、治療前に白血病細胞や樹状細胞を採取、その後化学療法で緩解を誘導する。ただ、AMLの場合緩解が長続きしないことはよくわかっている。緩解導入後、白血病細胞と樹状細胞を融合させた細胞を放射線処理して皮下に注射し経過を見ている。
驚くことに、17例の患者さんのうち12例で免疫が成立し、現在平均で四年以上にわたって緩解が続いているという結果だ。この中には70歳を越した患者さんもおられ、驚くべき結果だ。
これまでのように樹状細胞にガン細胞を食べさせる代わりに、細胞融合してしまうというアイデアは面白い。そして、これまで骨髄移植が困難だった高齢者のAMLや骨髄異形成症候群の治療に大きな光が見えてきたと思う。移植後は他の治療を一切行っていないことから、うまくやれば安上がりだ。チェックポイント治療を提供する会社も真っ青になる結果だ。ぜひ我が国でもサービスが始まることを願う。しかし、免疫系の力はすごい。
2016年12月11日
私たちAASJはパーキンソン病の患者さんとの付き合いが深いが、運動障害のために患者さんが毎日大変な思いで生活しているのを目の当たりにする。私たちにできることは知れているが、理事の藤本さんや麻生さんも、なんとか助けたいという強い気持ちに駆られているのが、はためからもみてもよくわかる。そして患者さんも、私たちも、全員が病状を遅らせるだけでもいいから多くの治療法が開発されることを強く願っている。
幸い、この病気の研究者は多い。おかげで、なんとか入り口にある治療法が続々開発されている印象がある。CiRAの高橋さんの細胞治療もそうだが、遺伝子治療、薬剤治療と、可能性を示す論文は数多い。
今日紹介する2編の論文は、病気の進行を遅らせる治療法につながる標的分子の研究で11月30日号と、12月7日号のScience Translational Medicineに掲載された。古い順に、「Nigral dopaminergic PAK4 prevents neurodegeneration in rat models of Parkinson’s disease (ラットのパーキンソン病モデルで黒質のドーパミン神経のPAK4は神経変性を阻止する)」と「Mitochondrial pyruvate carrier regulates autophagy, inflammation, and neurodegeneration in experimental models of Parkinson’s disease(ミトコンドリアのピルビン酸キャリアはパーキンソン病の実験モデルでオートファジー、炎症、神経変性を調節する)」だ。
今日は2編紹介するため、長くなると読みにくいと思うので、できるだけ短く紹介する。
最初の論文は韓国・忠北大学医学部からの論文で、PAK4と呼ばれる分子が、1)ドーパミン神経で発現し、患者さんでは低下していること、2)強制発現させるとラットのパーキンソン病モデルで神経死を抑えることができること、3)この分子はCRTC1分子のリン酸化を介してCREB転写因子を発現させ細胞死を防止すること、などを明らかにしている。その上で、レンチウィルスベクターを用いた遺伝子治療でPAK4を発現させれば病気の進行を遅らせられると提案している。遺伝子治療であるという点、そして発がんの危険性などをクリアできれば治療標的としては可能性があると思う。
この論文よりさらに可能性が高く、実際治験も進んでいるのが次の論文で、ミトコンドリア内へピルビン酸を運ぶキャリアを阻害する化合物MSDC-0160が様々なパーキンソン病モデルで神経死を防ぐという研究だ。
この論文を読んで初めて知ったが、これまでPPARγ阻害剤として糖尿病治療に使われてきたthiazolidinedione(TZD)は、ピルビン酸キャリア(MPC)の阻害作用があり、これによってβ細胞の保護作用を発揮していることが最近明らかになっていたことだ。そして、TZDはこれまでの経験でパーキンソン病の進行を防止する効果があることが知られていたことだ。
この研究ではMPC阻害剤として開発されたMSDC-0160を、人細胞株、線虫、マウスモデルなどで検討し、αシヌクレン蓄積によるパーキンソン病での細胞死を防ぐことができることを見つけている。研究ではメカニズムについて詳しく調べているが、ピルビン酸のミトコンドリアへの移動が抑えられることによる代謝障害がmTOR経路を介して、オートファジーを正常化、炎症を収め、ミクログリアの活性を下げることで、全体として神経が保護されると結論している。
重要なのは、この薬がすでに糖尿病に12週間投与され、効果や副作用のデータが存在すること、またアルツハイマー病の治験が進んでいる点だ。おそらく、パーキンソン病にも治験を始めるのもそう難しくないだろう。是非期待したい。
2016年12月10日
これまで2回にわたってトランプ政権に対する科学界の懸念を取材した科学紙の記事を紹介してきた。なぜこれほど科学者が心配しているかというと、彼が科学技術予算を減額するからといったレベルではなく、彼の言動から判断される彼の行動規範が、科学者一般の考え方と本能的に相容れないところがあるからだと思う。私自身も一言一言に恐怖感すら感じる。そこがトランプラリーと浮かれている経済界の人たちと根本的に違う点だろう。
そして極め付けともいえる恐ろしいトランプの行動が、12月5日、モントリオール在住のフリーランスの記者Owen DyerさんがThe British Journal of Medicineに明らかにされた。タイトルは「Andrew Wakefield calls Trump “on our side” over vaccine after meeting(Andrew Wakefieldがトランプと会談の後、ワクチン問題で「我々の味方」と呼んだ)」だ。
このAndrew Wakefieldとは、1998年Lancetにはしかワクチンが自閉症の原因であるという捏造論文を書いた張本人だ。私も、小保方事件と比較してWakefield事件については詳しく述べているので参考にしてほしいが(
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishikawashinichi/?p=4#artList)、この捏造論文のおかげで反ワクチン運動が勢いづき、英国や米国で新たなはしかの流行が起こり、死者まで出た。Wakefieldは、共著者全員とLancetの編集者が捏造を認めたことで、失脚したが、米国の反ワクチン運動団体の支援を得て、現在も活動している。
この記事でDyerさんは、Wakefieldが選挙前にトランプと会談し、会談後Wakefieldが「トランプは反ワクチン運動の味方で、3種混合ワクチンが自閉症を誘発することを認める政治家だ」とコメントしたことを報告している。
いくら選挙前で、また反ワクチン運動が大きな票田であるからといっても、Wakefieldと会ったこと自体が問題だ。トランプとは直感に頼る煽動家で、科学的に考えることなど全く意に介していないことを示している。普通取り巻きがこのような会談を阻止するのだが、結局取り巻きも同じ穴の狢だろう
さらにDyerさんはトランプのTwitterを調べ、トランプが従業員の子供について、「ワクチンを接種して、発熱し、自閉症になった」ツイートし、さらに「大統領になったら一度に幾つかのワクチンを接種する現在の方法はやめさせ、何回にも分けて接種させる」とツイートしていることを明らかにしている。これを読んで暗澹たる気持ちになる医学関係者は多いはずだ。
私自身、個人が直感的に反ワクチン論を展開することに何の問題も感じないが、医学的な研究論文を全く無視した議論の展開は許すことはできない。
この問題に関しては、大統領になってからトランプが心変わりし、専門家の意見に耳を傾けることを切に祈るが、まずCDCのワクチン行政にどう介入するか様子を見る必要があるだろう。その意味では、厚生福祉長官のトム・プライスが鍵を握るが、Dyerさんは信用できないと切り捨てている。
トランプの真実を最も語る記事だと思う。
2016年12月10日
時間という言葉で私たちが思い起こすのは、過去や未来を含む比較的長いスパンのことだ。今日紹介するポルトガルの「未知の問題についてのChampalimaud研究センター」から12月9日号のScienceに発表された論文は、タイトルが「Midbrain domapine neurons control judgement of time (中脳のドーパミン神経が時間の判断を支配する)」だったので、このような時間の問題にチャレンジする研究かと思って読んでみた。
残念ながらこの研究が対象にしている時間は、過去と現在といった時間の認識ではなく、音と音の感覚の区別の脳メカニズムについての研究で、例えてみれば単語の音節のようなものだ。とはいえ、音の認識には極めて重要な高次機能で、ノーベル賞に輝いたオキーフさんたちの空間認識の機能とともに、研究が時間についても進展していることを知ることができた。
脱線するがこの研究が行われた、「未知の問題についての研究センター」という研究所の名前は挑戦的だ。ウェッブで調べてみるとガンジー記念碑を設計したチャールズ・コレアが設計した極めてモダンな建築で、そこで時間の認識についての研究が行われている。是非一度訪れてみたいと思わせる研究所だ。
研究は例によって、光遺伝学によるニューロンの興奮操作と、光を用いたニューロンの活動記録に、行動記録を組み合わせた定番の脳研究だ。マウスを訓練し、二つの音の間隔が1.5秒より長いか短いかを判断させ、正解の場合にはほうびがもらえる課題を行わせる。十分訓練すると、1.5秒前後のインターバルでは不正解が多くなるが、1秒以下、2秒以上だとほとんど正解するようになる。
次にこの判断がドーパミン神経の作用であることを確かめるため、ドーパミン(DA)ニューロン特異的に神経活動を抑えると、すべての時間で失敗率が上昇する。したがって、 DAニューロンの興奮がこの判断を決めている。
以上を確認した上で、音を聞いて判断をし、ほうびをもらう過程のDAニューロンの活動を記録すると、最初の音、次の音、判断、そしてほうびをもらう順序で活動が記録できる。実際には訓練で形成した表象と、2番目の音を聞いたときの感覚とが作用しあいほうびをもらえるという期待が生まれる。この2番目の音を聞いた時の興奮パターンと、短い・長いという判断、そして正解・不正解の結果とを比較することが行われている。
実際の実験の内容を説明するのは難しいが、結果として2番目の音を聞いた後、DAニューロンの興奮が強いと正解している。また、2番目の音を聞いた時のDAニューロンの興奮の長さは、短い・長いの判断と逆比例している。すなわち、形成されたイメージとの比較がうまく合わないときは、反応が低下する。そして興奮パターン記録の解析から、内部イメージ自身がDAの興奮として時間を刻んでおり、実際の音と比較していることを明らかにしている。
最後にこれを確認する目的で、トライアルの間に光でDAニューロンを興奮させ、実際判断する時間をずらせることを確認している。
残念ながら、訓練した時間の内部イメージがどこに形成され、DAニューロンに投射しているのかなど詳細は不明だ。まだまだ研究は始まったばかりという感があるが、言葉や音楽の基本認識に重要なきっかけになるように思う。
時間と空間が先験的と考えたカントが最近の脳研究を読んだらどう言うだろうかなとついつい考えさせる挑戦が進んでいると確信する。
2016年12月9日
インシュリンを産生する膵臓のβ細胞を試験管内、あるいは体内で誘導する方法の開発が進んでいるが、多くの研究者が注目する一つのアプローチが、共通の前駆細胞から分化してきた膵島のα細胞とβ細胞の間で分化転換を誘導する方法の開発だ。というのも、Pax4とArxの二つの転写因子で体内での分化転換を誘導できるという報告があるからだ。とはいえ、この分化転換過程の分子メカニズムはよくわかっていなかった。
今日紹介するオーストリア分子医学センターからの論文は、マラリア治療に用いられるアルテミシニンがα細胞からβ細胞への分化転換を誘導するという発見から、分子転換の分子メカニズムのほとんどを明らかにした力作で来年1月12日Cellに掲載される予定だ。タイトルは「Artemisinins target GABAa receptor signaling and impair α cell identity (アルテミシニンはGABAa受容体シグナルを標的にしてα細胞のアイデンティティーを損なう)」だ。
同じ号に、アルテミシニンの話だけが抜けたコートダジュール大学からの論文が掲載されているが、今回はオーストリアからの論文を選んだ。実際、この論文を読んで、論理的に、しかし地道に実験を進めていくグランドストーリーに久しぶりに出会った気持ちがした。
研究はまず、α細胞のアイデンティティーを決めているArxをβ細胞株に強制発現させるとインシュリン産生が低下する実験系の構築から始まる。この系で、Arx発現の効果をキャンセルできる化合物をスクリーニングし、アルテミシニンとその誘導体アルテメテールがArxの機能を阻害することを見出す。
次に、アルテメテールが結合する分子を化学的に探索し、アルテメテールの標的がGephryinで、この分子の安定性を高めることを発見する。
次に、gephryinの細胞内濃度が高まると、GABAa受容体と結合して、GABA受容体シグナルが高まり、その結果としてインシュリン産生が高まっていることを確認する。
もともとGABAはβ細胞で作られ、α細胞のグルカゴン産生を抑制することが知られており、ここまでわかってくるとシナリオのゴールが見えてくる。すなわち、アルテミシニンはGABAa受容体の活性を高め、α細胞の機能を抑制し、インシュリンを産生するβ細胞への分化転換を促すというシナリオだ。
これを確かめるため、今度はβ細胞を減少させたゼブラフィッシュにアルテミシニンの誘導体アルテメテールを処理し、膵臓β細胞の数が増えることを確認している。また、マウスを使った実験で、アルテメテールは確かにα細胞からβ細胞への分化転換を誘導していることを確認している。またラットの糖尿病モデルを用いてアルテメテール投与により血糖の低下が見られることを示している。
最後にヒト膵島から得られたα細胞をアルテメテールで処理する細胞レベルの実験から、アルテメテール処理でGABAa受容体シグナルが高まり、その結果グルカゴンの分泌が止まり、まだよくわからない分子経路を介してArx分子を核内から核外へと移動させることで、Arxの機能が抑制され、α細胞のアイデンティティーを決定している様々な分子の発現が低下し、代わりにβ細胞分化に関わる様々な分子の発現が上がり、インシュリン分泌が起こるというシナリオを完成させている。
大変な仕事量であることがよくわかる仕事で、細胞分化について久しぶりにグランドストーリーを聞いたという気持ちになった。
ではマラリアでアルテミシニン治療を受けた人は低血糖にならないのかなど、面白い問題が残る。今アルテメテールが固形癌に効果があるか治験が行われているようで、この過程の検査データや剖検から重要な発見があるように思える。この研究の先には、糖尿病全体に対する新しい治療法開発の可能性も存在するだろう。期待したい。
2016年12月8日
結核と同じで、梅毒もとうに克服されたと考えている人は多いのではないだろうか。
梅毒はもともとアメリカ大陸の風土病で、コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち込んだとされている。事実、ヨーロッパでの流行は、スペインも参戦した1495年ナポリ戦争が最初だ。その後ヨーロッパ列国のアジア、アフリカへの進出に伴い、世界中に拡大した。幸い戦後抗生物質が開発され、例えば我が国では1950年には5万人を超えていた新規感染者は急速に低下し、1000人以下になる。
しかしWHOの統計では、2008年時点で全世界に1000万人の感染者が存在すると想定されている。このうち9割は開発途上国に集中しているが、驚くことに21世紀に入って多くの先進国で患者数が増加してきた。国立感染症研究所の統計によると、我が国でも増加傾向にあり、梅毒の新しい流行が始まったのではと保健当局は警戒している。
この急速な流行の原因を知るためには、梅毒の原因菌Triponema Pallidum (TPA)が感染を繰り返しながら遂げてきた変化を調べる必要がある。先日、非結核性抗酸菌の進化について紹介したように(
http://aasj.jp/news/watch/6137)、これを可能にするのがゲノムだ。様々な地域で患者のTPAを集め、そのDNA塩基配列を比べることで進化の軌跡をたどることができる。しかし他の感染病と異なり、梅毒の場合これが難しい。TPAは細胞内で増殖するため、まず培養が難しく、現在も菌はウサギに接種することで維持されている。このため、患者さんの組織から直接分離した菌を調べて、菌の進化を追跡することがほとんどできていなかった。
今日紹介するスイス・チューリッヒ大学を中心とする研究グループの論文は、最近古代人のゲノム解析にも用いられるDNAキャプチャー法を用いて多くの患者さんのTPAゲノムを比べ、最近の梅毒流行の原因の一つを特定した研究で12月5日発行のNature Microbiology に掲載された。タイトルは「Origin of modern syphilis and emergence of a pandemic Treponema pallidum cluster(現在の梅毒の起源と流行しているTreponema Pallidum群の出現)」だ。
研究ではおそらく第1期に現れるしこり(硬性下疳と呼ばれている)や潰瘍からTPAをかき取って、そこからDNAを調整している。一部のサンプルは、ウサギの体内で維持されている株化された菌を用いている。サンプルは13カ国、70人の患者さんから集めている。当然サンプルには患者さん自身のDNAが大量に存在するため、キャプチャー方と呼ばれる方法でTPAゲノムだけを精製し、その配列を解析している。一人の患者さんから得られるサンプル量が少ないため、80%以上の配列が解読できたのが28例と減ってしまったが、TPAのゲノム進化を解明するためのデータが初めて得られたことになる。
ゲノムからまず明らかになったのは、非性病性梅毒と呼ばれる一群の皮膚疾患の原因菌とTPAは完全に分離される点だ。これにより、TPAを単独で進化してきた菌として解析が可能になった。
今回配列を比べた梅毒TPAは、現在の患者からはほとんど分離されない、かってアメリカで流行したニコル系統と、現在の患者から分離され全世界に広がっているSS14系統に分かれる。すなわち、梅毒の再流行の原因として問題になるのはSS14系統と特定された。SS14は全世界に広まっているにもかかわらず、多様性が低いことから、極めて最近進化した一系統が流行していると考えられる。
配列からTPA進化の歴史を探ると、ニコル系統も、SS14系統も1774年頃に現れた共通祖先由来と特定できる。コロンブスが持ち込んだのでは?と不思議に思われるだろうが、おそらくヨーロッパで300年近くをかけて感染性の高い系統が生まれ、それが現在のTPAの共通祖先になっている。
問題は、現在流行中のSS14系統のTPAがエリスロマイシンなどのマクロライド系抗生物質に対する耐性遺伝子を持っていることで、梅毒や淋病などの治療に多用されるアジスロマイシンに耐性菌の出現が現在の流行の背景にあると結論している。
もちろんマクロライド系抗生物質への耐性獲得が全てを説明するわけではなく、解読するゲノムの数を増やし、配列の変化を詳細に検討することが重要だ。いずれにせよ、SS14は人類が抗生物質を開発して以降、新たに現れたTPAの系統と言えることから、早いうちにこれを抑え込む手立てを講じることが求められる。一般の人にとっては、新しく進化した菌による梅毒が静かに広がり、自分も感染する可能性があることを知ることが重要だろう。
2016年12月7日
自分で経験しないとなかなか実感できないが、年をとると急に筋肉の衰えを感じる。早い遅いは人によるだろうが、日常の鍛錬では対応できない衰えが必ずある。これまでの研究から、この鍛錬で対応できない衰えは、失った筋肉を補ってくれる幹細胞が減少するからだと考えられる。事実、Pax7という筋肉幹細胞の分子マーカー陽性の細胞は年齢とともに減少することが知られている。
今日紹介するドイツ・イエナにあるライプニッツ研究所からの論文はこの謎の一端を説明した研究でNature オンライン版に掲載された。タイトルは「Epigenetic stresss responses induce muscle stem-cell ageing by Hoxa9 developmental signal(エピジェネティックなストレスが発生に必要なHoxa9シグナルを介して筋肉の老化を誘導する)」だ。
このグループは最初からHox遺伝子に焦点を当てていたようだ。Pax7陽性幹細胞を分離し、すべてのHox遺伝子についてその発現を若いマウスと老化したマウスで比べると、Hox9aだけが強く上昇していることを発見する。次に幹細胞の試験管内増殖系で、Hoxa9欠損マウス幹細胞を調べると、若いマウスには影響がないが、老化マウスの幹細胞が増殖能を回復する。Hoxa9を抑えることで老化マウスの幹細胞機能が回復することをアンチセンスRNAによるノックダウンを用いて確認し、Hoxa9が誘導されることが筋肉老化の重要な原因であることを証明している。
つぎに、では発現が抑えられているはずのHoxa9だけが老化とともに上昇するのか調べるため、Hoxa9プロモーターのヒストン修飾を調べると、期待どおり活性型に変わっている。そして、このヒストン修飾の変化がMll1(ヒストンメチレース)とMdr5の作用であることを確かめ、これらの遺伝子ノックダウン、あるいはMll1とMdr5の相互作用を抑制する薬剤により、Hoxa9の発現が抑制され、幹細胞の機能が回復することを明らかにしている。
この遺伝子特異的エピジェネティック変化に対し、遺伝子全般では老化とともに遺伝子発現抑制型のヒストン修飾が増える一方、幹細胞の増殖が誘導されると遺伝子全体で活性化型のヒストン修飾に急速に変化することを示している。若い幹細胞はこれの逆の反応を示すので、この遺伝子全体にわたるエピジェネティックな変化も老化幹細胞が失われる重要な要因になっていると示唆している。事実、ヒストンのアセチル化に関わる遺伝子をノックダウンすると、老化幹細胞の増殖が改善することも実験的に示している。
最後に、Hoxa9発現が幹細胞の増殖を抑えるメカニズムを知るため、Hoxa9を強制発現させる実験を行い、STAT3,TGFβ、Wntシグナルに関わる分子が強く誘導されていることを発見している。ShRNAを用いたノックダウン実験でこれらの分子が増殖を抑えていることも確認している。
これらの結果から、「老化とともに筋肉幹細胞には様々なストレスがかかり、一つはMdr5を介するHoxa9特異的なエピジェネティックな変化が起こる。こうして発現したHoxa9はSTAT3,Bmp,Wntなどのシグナル分子を活性化し、幹細胞の増殖状態を変化させる。これとともに、遺伝子全体でエピジェネティック状態が大きく変化し、幹細胞自己再生抑制に寄与する」というシナリオを提案している。
これがすぐ老化による筋肉の衰え防止に役立つかどうかはわからないが、十分納得できる面白い研究だと思う。
2016年12月6日
腸内細菌叢がもう一人の自己として、私たちの健康に重要な働きをしていることはよくわかっているつもりだが、自閉症や躁鬱病などの脳機能にまで影響するという論文が出てくると、受けを狙いすぎているのではとあまりのフィーバーぶりが心配になってくる。事実今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文のタイトルを見たときも同じ印象を受けた。タイトルは「Gut microbiota regulate motor deficit and neuroinflammation in a model of Parkinson’s disease(腸内細菌叢はパーキンソン病モデルでの運動障害と神経炎症を調節する)」で、12月1日号のCellに掲載されている。
腸内細菌叢研究がブームになる要因は、細菌が全く存在しない無菌マウスを利用できるようになったことで、様々な病気モデルマウスを無菌状態と、菌が存在する状態で飼育して起こってくる変化が見つかれば、話が成立する。この研究では神経細胞にαシヌクレン遺伝子を過剰発現させたパーキンソン病モデルマウスを無菌と有菌状態で飼育、両者を比較することから始めている。期待通り、3種類の運動機能を調べると、細菌叢が存在するマウスでは機能低下が著しく、また大脳でのシヌクレンの蓄積が更新し、同時に大便の量が低下することを発見している。すなわち、細菌叢の作用によりシヌクレン蓄積が促進し、また腸の機能も低下するという結果だ。
あとはメカニズムを調べればいい。まず、無菌状態と比べて細菌叢があると最も影響を受けるのがミクログリア細胞で、無菌状態では炎症活性が低下し大きさが小さくなっている。すなわち、細菌叢が作用するミクログリアを介する炎症がシヌクレン蓄積を促進するというシナリオだ。この最終原因として、最終的に細菌叢が分泌する単鎖脂肪酸がミクログリアの活性化と運動機能不全に関わることを示している。
最後に、実際のパーキンソン病患者さんの細菌叢が正常人と比べて偏りがあること、パーキンソン病患者さんの便を無菌マウスに移植して運動機能を調べると、機能低下が激しいことを示している。
結論的には、パーキンソン病自体が腸内細菌叢を変化させ、この変化がより運動機能低下に関わるという結果になる。抗生物質で、菌をすべて叩けばシヌクレンの蓄積は抑えられるが、長いスパンで考えると現実的な治療ではない。残念ながら単一の細菌を移植したノトビオティックな実験系を使っていないので、どの細菌が原因となる単鎖脂肪酸を分泌するのか特定できていない。かなりフラストレーションの残る論文だ。私がレフリーなら、菌の特定までやって始めてアクセプトする。他にも、このモデルはαシヌクレンをThy1分子のプロモーターで発現させているが、リンパ球には発現していないのか気になる。もし発現しておれば、炎症や腸管の障害については他のシナリオも考えられる。おそらく、普通はCellに掲載されることはない論文に思える。「事実は小説より奇なり」と意外性だけを狙ったらこんな論文になると思う。
とはいえ、もしこの話が本当なら、パーキンソン病の進行を遅らせる可能性はある。ノトビオティックマウスを用いた地道な研究を望みたい。