4月7日:万能薬でも無理な事もある。( 4月2日号 The Lancet掲載論文)
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4月7日:万能薬でも無理な事もある。( 4月2日号 The Lancet掲載論文)

2014年4月7日
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おそらく、妊娠、出産、育児の期間は正確な医療情報が最も必要とされるときだろう。巷には多くの情報が溢れており、現在ではソーシャルネットを通した口コミも大きな効果を持っているはずだが、正確でないと混乱の元になる。医療情報について言うと、信頼できるかどうかは統計学を基礎にした科学的検証を受けているかどうかだ。しかし多くの情報が科学的検証を受ける事なく流布している。従って、私たちも病気の方だけでなく、親になる方々にも、科学的検証を受けた情報を出来るだけ集めて提供したいと考えている。今日紹介するのは1−2度流産を経験された方(習慣性の方は除外している)の妊娠、出産に低用量アスピリンが有効かを確かめるための無作為2重盲検法(統計学的には一番厳密な調査法)を用いたアメリカ国立衛生研究所からの論文だ。タイトルは「Preconception low-dose aspirin and pregnancy outcomes:results from the EAGeR randomized trial(妊娠前からの低用量アスピリン服用の妊娠に対する効果:EAGeR無作為化治験)だ。これまで紹介して来たように低用量アスピリンはがんや卒中の予防など多くの疾患を防ぐ効果が科学的に確かめられた万能薬だ。実験的な研究では子宮内膜の増殖を助ける事もわかっており、これまで習慣性流産の患者さんの流産防止に有効であると言う報告もある。今回の研究はより一般的な状況で、1−2回流産を経験して心配し始められた方々が対象だ。約1200人の妊娠を希望されているが20週以内に流産を経験された方々を集め、半分に低用量アスピリンと葉酸、もう半分に偽薬と葉酸を妊娠前から投与して、両群の妊娠、出産を比べている。結論だが、投与群の方が妊娠反応などの診断率が上がると言う結果はあるが、出産数及び、正常・異常児の出産率ともに統計的な差はなかった。逆に、低用量アスピリン服用を続けても生理のサイクルに影響はなく、また胎児の異常を誘導する事もない事は重要だ。現在では若い人達も万能薬としての低用量アスピリン服用を続けている可能性があるが、妊娠したからと言って中止する事もないようだ。しかしどんな事でもしっかり科学的に検証しているのには頭が下がるし、またThe Lancetの様な超一流紙がそれを取り上げる事で、世の中に正確な情報を提供する。悪貨が良貨を駆逐する事がない様、私たちも是非努力を続けたい。
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4月6日:脳の統合データベース(Natureオンライン版掲載)

2014年4月6日
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今日紹介する話は一般の人には理解してもらいにくいと思ったが、危機感を持ったので取り上げる事にした。   脳機能、特にヒトの脳機能の解明は21世紀の中心課題だ。その結果各国もこぞって脳研究に巨額の助成金を提供している。私はこの分野は素人だが、1年間論文を読んで来て、ことヒトの脳研究となるとアメリカの力を思い知らされる事が多い。今日紹介する2編の論文からもこの底力を窺い知れる。ともにNatureオンライン版に掲載されたばかりで、両方ともワシントンのアレン脳研究所の研究だ。一つは脳内の神経ネットワークのデータベースを作るための研究で「A mesoscale connectome of the mouse brain(マウス脳の中規模の神経連結マップ)」、もう一方は「Transcriptional landscape of the prenatal human brain(出生前ヒト胎児脳の転写全像)」だ。最初の仕事では、脳の各領域間を結合している神経軸索を可視化する方法と、深い組織を詳しく調べる事の出来る2光子顕微鏡を使って、マウス脳細胞間の連結を調べたと言う研究だ。技術はどの研究所でも使っているが、アレン研究所はこの研究を手始めにいくつかの完全な配線図を完成させるための技術や情報処理を進めると言うはっきりとした長期的視野がある。まだまだ入り口だが、立体的配線図が既に示され、将来何が可能になるかについても示してくれている。もう一つの研究は、胎児期の脳の各領域での遺伝子発現をいつでも調べる事が出来るデータベースを作成する目標を立て、マイクロアレイによる各部位の網羅的遺伝子発現解析、in situ hybridizationによる個別の遺伝子解析、組織染色、MRIを統合して、自分が調べたい領域に発現している遺伝子を調べることが出来るようにしている。これもまだスタート段階にあるデータベースだが、脳発生過程でこれまで議論されて来た幾つかの問題について新しいソフトウエアを用いた解析を行い、現段階のデータベースでも様々な疑問に答えられる事を示している。特に自閉症や複雑な精神疾患に関する新しい発見があった時、この様なデータベースがあることが極めて重要になる。自閉症分野などではすぐにこのデータベースから新しい研究が生まれる様な気がした。専門的になるので論文の紹介はこの程度にするが、この論文を読んでいてアメリカの脳研究、そしてアレン研究所恐るべしという思いを強くいだいた。ガリレオの時代から実際の実験が難しい時、数理科学の存在が必要になる。ただ、ゲノムや脳ネットワークでは法則に基づいた数理は使えない。そのため、先ず長期的視野で計画された統合的なデータベースが必要になる。この論文で私はアレン研究所の存在を初めて知ったが、この様なデータベース作成を重点的に行っている研究である事を実感した。データベースは巨額のお金が必要だ。従って誰もが対話できる構造を持ったフレンドリーなデータベースを完成させるため科学者が一致して支える必要があり、足の引っ張り合いをやっているようではまともなデータベースは出来ない。我が国でも統合データベースプロジェクトと言うのがあったと記憶しているが、ここまで統合的なプロジェクトは進んでいるのだろうか?ゲノムもそうだが、これからこの分野には数理を研究する人が必要だ。しかし、肝心のデータが揃ってないと、この様な数理の人材が育つはずはない。一度我が国のデータベースの問題点について調べてみたいと思った。
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4月5日:自分の終末の「事前指示書」の効果(4月2日号The Journal of American Geriatrics Society誌掲載)

2014年4月5日
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高齢で病院にかかると、日本の病院でも事前指示書の提出を求められるようになって来た。病気が進んで意思表明が困難になった時を想定して、延命のためだけの治療を拒否する意志を前もって表明するためだ。我が国で事前指示書が使われるようになったのはつい最近の事だが、アメリカでは1980年頃から市民活動が始まり、1990年にPatient Self-Determination Actが制定され、2009年にはオバマ大統領も自分が事前指示書を書いている事を宣言し、多くの人に指示書の準備を呼びかけた。この背景には、延命治療は通常高額で医療費を圧迫すると言う国民的認識がある。この様な運動のおかげでアメリカでは急速に事前指示書が普及しだし、その効果を検証しながら事前指示の内容を改訂している。この様な調査の一つが今日紹介するミシガン大学からの論文で4月2日号のThe Journal of American Geriatrics Society誌に掲載された。タイトルは「Advance directive completion by elderly Americans: a decade of change(高齢アメリカ人の事前指示書準備:10年間の変化)」だ。調査では2000年から2010年に死亡した約6000名について、死亡時の状況、事前指示書の準備の有無などを親族等の代理人から聞き取り調査を行っている。政府の梃入れもあって、2000年に事前指示書を用意していた人は47%だったが、2010年には72%に上昇している。確かにアメリカでは事前指示書が急速に普及が進んでいる。そのうち57%がDPAHCと呼ばれる法的永久委任状で、残りがLiving Willと呼ばれる一種の遺言の様な形で書かれている。いずれにせよ、正式な書類を残す事が普通になっている事はよくわかる。ただ指示書によって医療費のかかる入院が減ると期待されたが、実際には指示書に関わらずほとんどの人は死ぬ2年前に一度は入院しており、病院で死ぬ率も指示書の有無とほとんど相関はなかったと言う結果だ。この結果に基づいて、例えば病院で死にたいのかホスピスがいいのかなどより詳細な事前指示書を用意するとともに、事前の希望をより具体的な計画として示す工夫がないと、入院率を下げる事にはならないと結論している。我が国でも事前指示書を普及させるだけでなく、是非この様な調査を行い、誰もが安心できる指示書のために改訂を重ねる事が必要だと思う。
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4月4日:あらゆるがんに普遍的に効く薬剤の開発は可能か?(Nature オンライン版論文)

2014年4月4日
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個別のがんの遺伝子を調べ、増殖に関わる分子を標的にする薬剤の出現はがん治療を大きく変えた。今も多くの研究が分子標的の発見、それに対する薬剤の開発に注がれている。しかしがんと正常細胞を分けるがん特異的性質があってそれを標的にできれば、あらゆるがんに使える薬が開発できる。この目的で研究していた2つのグループ、一つはスウェーデンカロリンスカ大学、もう一つはオーストリア科学アカデミー研究所からMTH1と呼ばれる酸化プリンヌクレチドを分解する酵素が標的としてがん治療に利用できる可能性が発表された。論文のタイトルはそれぞれ、「MTH1 inhibition eradicates cancer by preventing sanitation of the dNTP pool (MTH1阻害はdNTP貯蔵をクリーンに保つプロセスを阻害してがんを消滅させる)」と「Stereospecific targeting of MTH1 by (s)-crizotinib as an anticancer strategy(s−クリゾティニブは立体構造特異的にMTH1を抑制してがん治療に利用できる)」で、同時にNatureオンライン版に発表された。詳細は省くが前者はMTH1を最初から標的にした分子の開発、後者はメカニズムのわからないSCH51344と名付けられた化合物の標的探しからMTH1にたどり着き、この阻害剤としてs−クリゾティニブを同定したと言う仕事だ。MTH1の機能を簡単に言うと、酸化された核酸を元に戻す役割をしていると言える。急速に増殖しているがん細胞は酸化ストレスにさらされており、核酸プールが酸化される。酸化された核酸を遺伝子に取り込むと、遺伝子が切れて細胞は死ぬ。これを防ぐ一つのメカニズムとしてがんではMTH1分子の発現を上昇させて、酸化した核酸を正常に戻している。今回発表された2編の論文は、MTH1誘導現象ががん特異的で、この分子を標的にする薬剤で直腸がんなど幾つかのがんを消滅させる事が出来ると言う結果を報告している。論文からだけではなぜMTH1ががん特異的に上昇するのかなどはまだ不明な点も多い。しかし後者の論文では、多くのがんの原因遺伝子であるRAS分子と関わりがある可能性を考えているようだ。いずれにせよ、マウスを使ったモデル実験では大変有望株に思える。副作用だが、MTH1遺伝子が欠損したマウスは正常に生まれて来て成長する。即ち正常細胞の生存にはこの分子は必要ないと言う事になる。とすると薬剤としては更に有望だ。水をさすとすると、長期に使った時、脳細胞の変性を誘導しないか心配だ。事実九州大学の中別府さん達はこの分子が脳障害を防ぐのに役立つ事を示す論文を発表している。しかし、がんを消失させる方が優先される事もあるだろう。他の抗がん剤と比べると全身の副作用は少ないと期待できる。もちろん短期治療に使う場合はもっと安心できるだろう。是非開発を加速して欲しい薬剤だ。
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4月3日:シマウマの縞は何のため?(Nature communicationオンライン版掲載)

2014年4月3日
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「お母さん、どうしてシマウマには縞があるの?」 「多分ライオンから身をまもるためじゃない?」 と言うのは動物園を訪れた親子の定番の会話だ。しかし子供のために(?)この質問にまじめに取り組んでいる研究グループがいるのを知って驚いた。これはカリフォルニア大学デービス校のグループで、先日Nature communicationsオンライン版に掲載された。タイトルは「The function of zebra stripes(シマウマの縞の機能)」だ。研究では、地球上の様々な野生種の馬を比べ、縞の存在と、ライオン、ハイエナ、温度、森林様態、そしてアブ及びツェツェバエの活動などとの相関を調べている。結果は予想を覆し、1−2の例外を除いて、アブの活動期間やツェツェバエの存在と縞の存在が最も相関があったと言う結果だ。事実シマウマの分布は、アブの活動期間の長さやツェツェバエの分布と重なる。また血液を吸っているハエのいる確率は縞がある馬の近くのハエほど低いというデータも示している。更にシマウマは馬の中では毛が短いらしい。この様なデータからこのグループの出した答えは、「あのね、シマウマは毛が短いでしょう。だからアブやハエに血液を吸われやすいのよ。代わりにアブやハエが嫌う縞を持って血を吸われにくくしているの」になる。しかしアブやハエに血を吸われることがそんなに問題なのだろうか。論文にはこの点についての引用論文が示されており、それによるとアメリカで牛がアブにさされて一日に失う血液はなんと200-500ccに達するそうだ。実際、殺虫剤を散布することで牛の体重は2ヶ月で40ポンド増えるらしい。アブ恐るべし。
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4月2日:突然変異を元に戻す(3月31日発行Nature Biotechnology掲載論文)

2014年4月2日
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一般的に遺伝子治療と言うと、機能が低下している遺伝子を様々なベクターを使って外から補ってやる治療だ。この場合、自分の遺伝子に起こった変異が治るわけではない。これを可能にするには、ゲノム遺伝子の編集を効率よく行うための技術が必要だ。ここでも紹介して来たように、CRISPRと呼ばれる技術が生まれて、ゲノム遺伝子の編集も可能ではないかと皆が思うようになった。これをいち早く示したのが今日紹介する論文で、アメリカMITとハーバード大学から3月31日付けのNature Biotechnologyに掲載された。「Genome editing with Cas9 in adult mice corrects a disease mutation and phenotype(Cas9を用いたゲノム編集で大人のマウスの突然変異を治し症状を改善させる)」がタイトルだ。内容は全くタイトル通りで、Cas9遺伝子と、標的遺伝子へCas9を導入するのためのRNAを組み込んだベクターを作成し、このベクターを、遺伝子編集するための小さなDNA断片とともに静脈注射するだけだ。この方法では、肝臓細胞の1/250で遺伝子編集が狙い通り起こり、この細胞が増殖して変異細胞を置き換える事で、マウスの体重は減らず組織学的にも正常肝細胞が増えている事が確認されたと言う結果だ。CRISPRのおかげで夢がどんどん実現している実感がある。今の所肝臓以外の臓器でも効率よくゲノム編集が起こるかは不明で、人への応用のために克服すべき事は多いが、持って生まれた突然変異を治す時代が来るのは時間の問題だと感じる。今の所は肝臓だけだとしても、肝臓で働く遺伝子に突然変異を持って生まれてくる子供も多く、開発を加速して欲しいと期待する
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4月1日:抗がん剤のさじ加減(Natureオンライン版記事)

2014年4月1日
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昨日は抗がん剤耐性の乳がんについての研究を紹介し、標的は同じでも異なる薬剤を使うと耐性を克服できる可能性があると期待を述べた。今日は同じ薬でも使い方で耐性を克服できるかもしれないと言う可能性を示す論文を紹介する。オランダがん研究所の研究で、論文はNatureオンライン版に掲載されている。「Reversible and adaptive resistance to BRAF(V600E) inhibition in melanoma(BRAF経路を抑制した時の悪性黒色種の耐性は可逆的で適応的だ)」がタイトルだ。研究はわかりやすい。このページでこれまで何回か紹介して来たように、悪性黒色腫の約半分がBRAF遺伝子の特定の突然変異が原因で発生する。従ってBRAFやそのシグナル経路に対する薬剤がよく効く。しかし薬剤を続けていると他のシグナル経路が活性化され薬剤が効かなくなる。悪性黒色種の場合細胞表面にEGFRやPDGFRなどの増殖因子受容体が出てくる場合が耐性獲得の最も多い原因である事が知られている。なぜ抗がん剤治療でこのような別のシグナル経路が現れてくるのかを明らかにするのがこの研究の目的だ。この反応に働く遺伝子をしらみつぶしにあたり、遺伝子の発現を誘導するSox10分子が抗がん剤治療により活性化され、これがもう一つのTGF-βシグナル経路を介して薬剤耐性の原因となる増殖因子受容体の出現を促している事を突き止めた。ただこのEGFR分子の発現は新しい遺伝的変化が起こる結果ではなく、がん細胞の薬剤に対する反応で、薬剤を中止するとEGFR やSox10の発現はがんから消えると言う事が明らかになった事が重要だ。この結果に基づきこのグループは、がんの標的治療を少し休む「休日」をもうければがんの薬剤耐性を克服して同じ薬をより長く使えるのではと提案している。がん治療にさじ加減大事だと教えてくれる面白い研究だ。
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3月31日:非小細胞肺がんの新薬(3月27日号The New England Journal of Medicine掲載)

2014年3月31日
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非小細胞性肺がんの原因遺伝子ALKは我が国の間野さん(現東大)達によって特定された。このおかげでこの分子を標的とするファイザー社発治療薬クリゾティニブが開発され、末期の患者さんのがんを大幅に縮小する事が可能になった。しかし治療例が増えるに連れ、ほとんどの症例でクリゾティニブ耐性がんが出現する事もわかって来た。耐性がんは、これまで働いていなかった増殖シグナルががんの増殖に働き始めることにより生まれる可能性がある。この考えで、EGF受容体シグナルを抑制する治療法が開発され試されているが、約10%程度の患者さんにしか有効でない。このため、クリゾティニブ耐性になった非小細胞肺がんにも効く薬剤が待たれていた。今日紹介するのはこの目的でノバルティス社が開発したALK阻害剤セリティニブの第1相、第2相の試験の報告で、マサチューセッツジェネラルホスピタルを中心とする国際チームにより3月27日号のThe New England Journal of Medicineに発表された。タイトルは、「Certinib in ALK-rearranged non-small-cell lung cancer(ALK遺伝子再構成による非小細胞肺がんに対するセルティニブの効果)」だ。研究では投与量を調べる目的の第一相に続き、効果検証への治験へと拡大している。研究では1日400mg以上投与した患者さんについて詳しく報告している。結果は極めで有望で、クリゾティニブの効果がなくなった耐性がんの患者さんも約6割がセルティニブに反応し、がんの増殖が止まったと言う結果だ。今後第三相試験による治療効果の詳しい検証が行われるだろう。今回報告された結果を見ると、完全治癒をもたらす薬剤かどうかは疑問だ。ただクリゾティニブを使った事のない患者さんでは半分近くで25ヶ月間がんの進行が止まっており、これまで以上のより有効な薬剤として第一選択薬になる可能性は大きい。もちろんいい事ばかりではない。副作用についてはセルティニブの方が強いようで、約10%の患者さんが薬剤の服用を中止している。この研究からわかる最も重要な点は、ALK阻害活性がより強い薬剤なら、耐性発生のメカニズムに関わらず耐性がんに効果がある事だ。即ち、耐性が獲得された場合もALKは増殖ドライブに重要な働きをしており、より効果の強い薬剤が発見されればがんをコントロールできる可能性だ。11月13日このページで紹介した様に、同じ事はホルモン療法抵抗性乳がんにも言える。いい標的分子の発見ががん治療の可能性を拡大する事がよくわかる仕事だ。
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3月30日:自閉症の脳組織障害(3月27日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2014年3月30日
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これまで自閉症児の研究については重点的に紹介して来た。子供の育成は我が国の重要課題である事は当然だが、将来の科学研究助成政策を考えるためにも重要だと思っている。まず自閉症は人間特有の脳の病気だ。たしかにモデル動物はあるが断片的でしかなく、メカニズムの一部の検証に利用できても、病態の全像理解には向かない。ゲノム研究からも何百もの遺伝子が関わる複雑な病態である事がわかっている。しかし早期診断が可能になって来ており、脳の可塑性を信じて様々な治療法を試してみる事が出来る。また、自閉症の東田さんが自ら語る本を始め、ブログなど自閉症児自身からの主観感覚の記録が始まっている。無論動物の脳ですら複雑でそのいつになれば理解したと言えるのかわからない事は確かだ。しかしだからといって、動物脳の理解の延長がそのまま人間の脳の理解はでない。質的に違う対象であり、人間の理解は後からと言う話にはならない。さらに人間の脳や病態を理解するためには他にも社会と真の対話による様々な社会的準備も必要だ。最先端の研究を知って、これが我が国でも可能かチェックリストを作る必要がある。その一つが自閉症患者さんの脳組織の利用だ。今日紹介する研究は自閉症児脳組織を用いて遺伝子発現を調べたカリフォルニア州立大学サンディエゴ校からの仕事で、3月27日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Patches of disorganization in the neocortex of children with autism(自閉症児大脳新皮質にパッチ状に現れる脳組織構成異常)」だ。研究では2歳から15歳までの自閉症児の凍結脳組織を組織バンクから手に入れて、様々な遺伝子の組織内での発現をin situ hybridizationと言う方法を用いて調べ、全く新しい重要な発見に至っている。先ずこの仕事の重要性は子供の脳を調べている点だ。これまで大人の脳を調べた仕事はあったが、治療可能性を考えると様々な変化が加わる前の子供の脳を調べる意味は大きい。結果だが、自閉症児の脳は普通の染色で調べても正常人と変わる事はない。しかし遺伝子発現を調べると、普通なら大脳皮質の特定の層全体で発現が見られる遺伝子が、自閉症時の脳では虫食い状に欠損している場所が見つかると言う結果だ。さらに、欠損した領域の周りでは同じ遺伝子発現が亢進しており、特定の分子を発現した細胞の分布や移動に異常がある事を疑わせる。この異常は調べた11例中10例に見られるが、正常児では11例中1例にしか見られない。異常の見られる遺伝子は、自閉症に関わりのある遺伝子だけでなく、様々な遺伝子発現で見られ、また皮質の3、4層に強く見られる事から、細胞移動などの脳細胞分布異常の結果ではないかと結論している。事実この結果は、これまでこのページで紹介して来た生理学的解析や、ゲノム解析結果とも一致する点が多い。何よりも、欠損が部分的である事は治療可能である事を期待させる結果だ。私の様な素人にも大変説得力のある研究だった。   この1年自閉症についての研究を読んで来て気づくのは、特にアメリカで自閉症の研究が急速に進みつつある事だ。完全な理解は到底無理とあきらめず、出来る所から様々な研究を積み重ねて行く。臨床と基礎が連携して実際の人間をしっかり研究する。そして今日紹介するように、患者さんの貴重な資料が利用できる対話と体制がある。助成額も大きいと思うが、それだけでない社会的支援を感じる。我が国では何が可能で何が可能でないのかチェックリストが必要だと思った。
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3月29日:治験参加者とソーシャルネットワーク(Nature Medicine3月号掲載意見)

2014年3月29日
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ちょうど1年前あらゆる公職を退き、私人に戻ることを私が決断した一つの理由は、患者さんたちがソーシャルネットワーク(SNS)でつながり、医療システムの主役になる時代に参画したいと考えたからだ。既にこのページで紹介したPatientlikemeはその典型で、特定疾患の患者さんが集まる会とは違った可能性を持っている。確かにSNSには暴露性、セキュリティーなど様々な問題がある。ただSNSの抱える問題の反対側にとてつもない可能性がある。例えば今大騒ぎになっている小保方さんの捏造問題もそうだ。SNSがなければ秘密を発見できなかったかもしれない。それ以外にも、匿名でないSNSで語る多くの人の言葉にそれぞれの人となりが自ら暴露されて行く。その集まりが科学界と思うと、この問題を梃に日本の科学者、報道、役所の関係をしっかり分析したいと思う。同時にSNSが科学的論文のコモンズ化(一般の人が利用できるデータにすること)を加速させている事も実感する。MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんと科学論文がコモンズ化できるか議論した事を思い出す。当時私は否定的だったが、今は特に医学分野で重要な課題だと思っている。しかし、今日紹介する意見で問題にされている医学治験に対するSNSの問題は考えた事がなかった。ファイザー薬品の臨床研究部門のヘッド、Craig H Lipsetさんの意見で、3月号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Engage with research participants about social media (治験の参加者のソーシャルメディアへの関わり)」だ。問題にしているのは、患者さんが参加する臨床研究の秘密性とSNSの暴露性の間に生まれる対立の問題だ。患者さんの身体を実験台に使ってしか出来ない治験を最も厳密に行う場合、無作為化した2重盲検法が採用される。即ち出来る限り秘密性を上げ、治験参加者を出来る限り「物化」する努力が行われる。しかし人間を物化する事ほど困難な事はない。特に他の患者さんと比べて自分だけ改善しない事がわかったりすると、精神的に参ってしまって病気は悪くなる危険がある。パリ・ネッカー病院の私の知り合いから聞いた話だが、ハンチントン病の細胞治療で実際には幹細胞治療を受けていたにもかかわらず、プラシーボコントロールに回されたと自分で判断して自殺した患者さんまでいたようだ。この状況はSNSが普及し、アメリカでは59%の人がネットを通して健康情報を得るようになった今はより深刻になっているというのがLipsetさんの意見の要点だ。即ち治験の秘密性が暴露される危険が増している。幾つかの例が挙げられている。このページでも紹介した日本発の多発性硬化症に対する薬剤フィンゴリモドの治験が2007年に行われたとき、一人の患者さんがFTY720という薬品名まで出して、治験過程での自分の経験や症状をブログで克明に発信していたようで、当然他の参加者もこれを見て自分と比べたはずだ。また、ベルテックスファーマが行ったC型肝炎薬の治験では、最初の段階で参加者がウェッブ上で議論を行いそれがそのまま発信されている。他にもPatientlikemeに登録する患者さんの多くが参加したALSの治験では治験の論文が出るより前にPatientlikemeでの情報の解析から治験結果が論文報告される自体に至っている。もちろんLipsetさんにもどうすればいいと言う方策はない。おそらく陪審員制度に見られるように治験参加者により積極的な秘密保持をお願いする事が当面の方策だろう。しかしSNSの暴露性をそのまま取り入れた無作為化2重盲検法に代わる新しい科学のあり方を考えるのも21世紀ではないかと思っている。この問題は間違いなく私たちAASJの最重要課題だ。
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