2021年8月4日
免疫システムは全く予想できない生体プロセスに関わっている例があるが、今日紹介するペンシルバニア大学からの論文はそんな例だろう。タイトルは「Thymic stromal lymphopoietin induces adipose loss through sebum hypersecretion(胸腺ストロマ細胞リンフォポイエチンは皮脂の過剰分泌を介して脂肪組織を減少させる)」で、7月30日号のScienceに掲載された。
タイトルにあるTSLPは、胸腺ストローマ細胞から産生されるサイトカインで、現役時代IL-7とIL-7Raについて研究していたことがあるので、同じIL-7Raに結合するサイトカインとしてその頃から興味を持っていた。ただ、最初考えていたように、リンパ球の産生分化に関わるというより、最近では様々な炎症とTSLPとの関わりに焦点が移っているように思う。
著者らはTSLPが抑制性T細胞(Treg)を増加させ、またTregが肥満を抑えるというこれまでの研究にヒントを得て、TSLPが肥満を抑えるのではと着想し、TSLP遺伝子をアデノ随伴ウイルスベクターに組み込んでマウスに投与すると、皮下脂肪や内臓脂肪が低下し、その結果インシュリン感受性も高まり、何よりも体重が30%以上低下する。また、脂肪肝発生を強く抑えることができる。
最初この体重減少がTSLPによる炎症による結果ではないかと、組織学的に調べても明確な炎症像はないが、T細胞がTSLPに反応して起こる減少で、抗原は関与せず、TSLPに反応できるT 細胞ならこの現象を誘導できることを明らかにしている。
おそらく様々な可能性が追及されたと思うが、一般的な代謝の上昇では説明がつかず、最終的にTSLPを投与すると皮膚が脂ぎってくることに気づき(かなり観察力が鋭いと思う)、皮膚の脂肪が3倍近く上昇することから、皮脂腺からの脂肪分泌がTSLPに反応したT細胞により刺激され、その脂肪をリクルートするために、脂肪組織から脂肪酸が移動すると結論している。
シナリオにまとめると、TSLP、T細胞刺激、皮脂腺細胞の分化増殖刺激、皮脂分泌増殖、白色脂肪組織での脂肪分解、そして体重低下、という順番で進む過程で、言われると納得するが、ほとんど、「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じぐらいの、予想もしない過程になっている。
これはTSLPを過剰投与するという人工的条件で行われた実験だが、TSLP受容体をノックアウトしたマウスを用いると、皮脂腺細胞の増殖低下と、脂肪分泌の低下が見られることから、正常でもTSLPと反応するT細胞により、皮脂腺による皮脂の分泌が維持されていることも示している。
著者らは、この回路により、皮脂だけでなく、皮脂中の抗菌物質も分泌され皮膚が守られている可能性を示唆しているが、今後、ヒトでも同じことが言えるのか、あるいは様々な皮膚炎などの病理的状況でこの回路はどうなっているのかなど、知りたいことは多い。
いくら考えても不思議な過程だ。
2021年8月3日
昨日はACE阻害剤が白血球による感染防御機能を低下させるという、薬剤の副作用の話を紹介したが、今日紹介するエルサレム大学からの論文は、直接治療薬の副作用に関わらないが、間接的に現在行われているガンへの血管供給を標的にする治療が老化を早めるのではと、気になったので紹介する。タイトルは「Counteracting age-related VEGF signaling insufficiency promotes healthy aging and extends life span(加齢に伴うVEGF不足を補うことで健康的老化を促進し寿命を延長できる)」だ。
この研究はVEGFを抑える治療の副作用についての研究ではなく、VEGFが老化を抑制できることを示したポジティブな研究だ。もともと、老化は血管から始まると言われるが、これを大血管ではなく毛細血管の問題として捉えてみれば、当然VEGFでその量を増やすことが可能になる。
おそらく著者らは加齢とともにVEGF の機能を阻害する可溶性のFlt1が増加することを発見していたのだろう。この結果、利用可能なVEGF量は低下すると考えられるので、8ヶ月目から肝臓でのVEGF分泌量が高まるトランスジェニックマウスを作成してその効果を見ると、期待通り加齢が進んでも、ほとんどの臓器で毛細血管量は高いレベルで維持されることを確認している。
その結果、驚くことにマウスの寿命が40%近く延長する。しかも、生存曲線は理想的とされている健康寿命延伸型の曲線を描く。この理由を探っていくと、VEGFをある程度上げることで、あらゆる老化指数が改善することが明らかになった。
栄養代謝では、体重増加が抑えらるが、これは炭水化物の利用が亢進し、基礎代謝が上がることが主因で、これに対応して、脂肪組織で熱を生産するUCP1そ発現する褐色脂肪細胞が上昇している。 加齢に伴う内臓の脂肪組織や肝臓での脂肪蓄積が防がれる。 核が細胞の中心に来る不健康な筋肉の上昇をおさえ、筋肉中のミトコンドリア数を上昇させ、その結果酸素の消費量が上昇する。要するにサルコペニアを防ぐことができる。 骨粗しょう症が防がれる。 加齢に伴う慢性炎症を防ぐ。 懸念される腫瘍発生促進は見られないどころか、腫瘍発生を抑える。
以上が結果で、VEGFを少しだけ上昇させられれば、いいこと尽くめの結果が待っているという話だ。もちろんまだマウスの話だが、これほどの結果だと、人間でも調べてみたいと考える人は出てくるように思う。徐放型VEGFなどが開発されるのではないだろうか。
一方、この論文を読んで気になったのは、現在ガンの患者さんに使われているVEGF阻害剤だ。もしこの結果が正しいと、ガン増殖を抑えると同時に、血管老化を促進させることになる。とはいえ、こんな懸念がこじつけにしか思えないほど、素晴らしい結果だと思う。
2021年8月2日
今日から2回、臨床にも用いられている薬剤が思いも掛けない副反応を誘導する可能性を示した論文を紹介することにする。
最初の論文はロサンジェルスにあるCedars-Sinal Medical Centerからの論文で、なんと膨大な数の高血圧患者さんに服用されているアンジオテンシン転換酵素阻害剤が、白血球の細菌殺傷力を低下させ、感染抵抗性を下げるという研究で7月28日号Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「An ACE inhibitor reduces bactericidal activity of human neutrophils in vitro and impairs mouse neutrophil activity in vivo(ACE阻害剤は人間の好中球の細菌殺傷力を弱め、マウスでは白血球の活性が低下する)」だ。
ACE阻害剤は降圧剤として広く用いられており、アンジオテンシンIを分解して血圧を高める分子アンジオテンシンIIへ転換するタンパク質分解酵素だ。ただ、タンパク質分解酵素として他の基質に作用して、血圧を下げる以外の効果があることが予想される。
この研究グループは白血球でACEをノックアウトする実験から、この酵素で分解される何らかの分子が、白血球の細菌障害性に関わることを見出していた。
この研究はまず、ACE阻害剤(ACEI)と、アンジオテンシンII受容体阻害剤(ARB)を投与したマウスから白血球を取り出し、多剤耐性のMRSA、クレブシエラ、そして緑膿菌など、病院感染で問題になるバクテリアと共培養し、細菌殺傷能力を調べている。結果は恐ろしいもので、ACEIでは白血球の殺傷能力が強く阻害されるが、ARB投与群ではほとんど影響がない。すなわち、ACEはアンジオテンシンI分解とは全く異なる経路で、白血球の細菌殺傷機能を阻害することがわかった。
同じ実験を人間のボランティアでも行い、ACEIを7日服用することで、好中球の細菌殺傷能力が低下することを示している。人間の研究はここまでで、あとはマウスACEノックアウトモデルを用いてメカニズムなどの研究を行っている。
まず、こうして誘導した白血球機能低下が、マウスの細菌抵抗力を抑えるかどうかを調べるため、ACE―KOマウスにMRSAを静脈感染させ、細菌の除去能力を調べると、除去能力は強く低下する。また、ACEIを服用させたマウスも同じように抵抗力が低下している。
さらに、カテーテルで大動脈弁を傷つけたあと、少数のMRSAを投与するモデルで、弁への細菌の集積を抑える能力が、ACE-KOあるいはACEI投与群では強く抑制され、その結果は死亡率にまで反映されることが明らかになった。
以上のことから、ACEIは、少なくともマウスにおいて細菌感染症の抵抗力を低下させる。
この殺傷力の一部は、細胞内での活性酸素発生によることがわかっているが、ACEIがどの経路で細菌殺傷効果に関わるのか、そのメカニズムが問題になる。ARB阻害では同じ効果が得られないことから、アンジオテンシンI分解能とは異なる経路で効果が発揮されることになる。残念ながら、ACEが何を分解してこの効果が得られるのかは明らかにされていない。
しかし、様々な受容体下流で作用するp38シグナル経路を介するNOX2活性化が阻害されること、またACE活性が低下すると、白血球を局所に遊走させるリュウコトリエンの合成が低下し、白血球の寿命が短縮することなど、今後ACEの新しい標的を特定するために役立つデータを提供しているが、結局この現象の半分についてわかったという段階で論文は終わっている。
最も知りたいことが解明できなかったという点では不満が残るが、臨床上もう一度ACEIの副作用を調べ直すことが重要な課題となった。
2021年8月1日
以前も述べたが、ワクチン接種を躊躇する人の多くは、全く荒唐無稽な意見に惑わされているのではなく、「mRNAワクチンは初めて人類に使われるので、副反応など長期影響をもう少し見てから決断したい」という、当初は専門家からも聞こえてきた考えに基づいているように思う。
ただ、ほとんどの専門家がワクチン推進を唱えるようになった今、判断を変えない一般人が、何を根拠に躊躇しているのか、ぜひ詳しい分析をしてほしいと思う。専門家としていうと、ワクチン接種を受けるということは、当然様々なリスクが伴うことは明らかだ。そしてそのリスクをどう判断するのかも個人の状況によって異なる。従って、一般の方が副反応について、何が知りたいのかを知り、それに正確に答えるためのデータを早急に集めることが科学の使命だと思うが、現在まで何人に熱が出たとか、アナフィラキシーの頻度といった、医療統計的な答えしか専門家も持っていなかった。
今日紹介するCovid-19のGood Newsは、スタンフォード大学から7月12日Natureにオンライン出版された論文で、医療統計ではなく、ワクチン接種後私たちの体の中で何がおこっているのか、末梢血しか利用できないという限界はあるものの、徹底的な解析結果が出てきたことで、私たちの体にとってワクチンとは何かに、さらに詳しく答えられるようになった。タイトルは「Systems vaccinology of the BNT162b2 mRNA vaccine in humans (BNT162b2 mRNAワクチンの系統的ワクチン学)」だ。
この研究では、ビオンテックのmRNAワクチンを接種した対象者の抗体やT細胞反応だけでなく、1回目、2回目接種後の血中サイトカイン量および、免疫関連細胞の数を詳細に調べることで、mRNAワクチンの反応、副反応のメカニズムを探っている。
まずワクチンの効果を、中和抗体価および、T細胞反応誘導を指標に確認している。昨日述べたように、どちらの免疫反応も個人差は大きい。また、ワクチンにより誘導された抗体は、南アフリカ株に対してはほぼ十分の1の活性に落ちている。
さらに残念なことに、年齢と抗体価は逆比例している。この辺が、ファイザーが高齢者への3回目の接種を呼びかける根拠かもしれない。
効果については、これまでも多くの論文があるが、副反応の背景になる炎症誘導作用については、これまでほとんどデータがない。これについて、この研究では徹底的に調べている。
ワクチンでなくとも、mRNAを頻回に注射し続けると、炎症が誘導され、それによるエピトープ拡大現象により、自己抗体が誘導されることがあるが、2回接種では、自己抗体はほとんど誘導されない。 細胞レベルで最も目立つのはCD14CD16陽性のintermediate monocyteと呼ばれる、強い炎症惹起能力のある細胞の増加だ。これと呼応して、血中のインターフェロンγとその下流のシグナルが上昇する。 これらの上昇は、1回目の摂取でも起こるが、2回目の方が数段強い。 このインターフェロンγの作用をうけた末梢血は、炎症誘導型に転写プロファイルが変化する。また、2回目の接種では、自然免疫に関わる遺伝子の発現が誘導されるが、ほとんどは5日程度で正常化する。 Single cell RNA sequencingを用いて末梢血を分画し、ワクチンにより最も変化する分画を探索すると、CD14陽性intermediate monocyteを含むクラスターを特定している。このクラスターはまさにインターフェロンγを分泌する細胞が含まれるクラスターで、2回目の接種直後に上昇する。 これに対応する細胞クラスターは感染者ではほとんど発見できず、ワクチン接種特異的。 詳細は省くが、リンパ球の反応も含めてmRNAワクチンの末梢血への効果は、他のワクチンとかなり違っている。特に末梢血に抗体産生細胞があまり流れてこない点で、mRNAワクチンはユニーク。 mRNAワクチン特有のサイトカイン上昇や、細胞クラスター上昇の程度は、確実に抗体やT細胞反応の強さと比例している。これがそのまま発熱や痛みとどうつながるのかについては示されていないが、自覚症状ではなく、客観的データで判断した副反応が強いほど、免疫ができやすいと言える。
以上が結果で、最後の副反応が強いほど免疫も高いという話も含め、効果と副反応を単純に分けることの難しさを物語る結果だ。
昨日も述べたが、効果だけでなく、副反応についてもこのように徹底的に調べることができる。そして、mRNAワクチンといえども複雑な体の反応を誘導し、しかもその個人差は大きい。
残念ながらこの研究では最も重要なリンパ節での反応が調べられていない。ただ、これほどの数のワクチン接種が行われており、おそらく接種後事故で亡くなった人のリンパ節の研究結果も追々出てくるだろう。そのデータが今回のパンデミックに役立つか分からないが、間違いなく次のmRNA ワクチン開発に大きく役立つことは間違いない。
最後に個人的印象だが、このようなパンデミックな状況で、ワクチン接種のほうが怖いと言える人は、本当に勇敢な人だと思う。いち早くワクチンを接種した私は、臆病な人間なので、3回目も射ちたい。
2021年7月31日
またまた急速にCovid-19感染数が上昇し、せっかくオリンピックで盛り上がっているのに、我が国全体に重い空気が漂っている。幸い私たち高齢者はワクチン接種を済ませた結果、今のところは安心で、私も精神的自由を謳歌しているが、もし感染者がこのままで続くと、新しい変異発生や、免疫低下など、懸念材料は多い。
しかし、このブログでずっと強調してきたように、今回のパンデミックでは、あらゆる問題に科学は迅速に対応し、力強く答えてきた。最もわかりやすいのが、今やほとんど慎重な意見を語る人がいなくなったワクチン の科学だが、他にもメインプロテアーゼに対する内服薬の開発など、今年中にcovid-19が本当に風邪と同じと言えるようになると予想している。
そこで、我が国首相がすが(菅)るしかない科学者が、口をひらけばネガティブニュースと言う風潮を吹っ飛ばす意味でも、今日から2回に分けて科学から発せられたCovid-19についての重要な、しかし、ポジティブなメッセージを紹介しよう。
現在漂っている重い空気の一つの源は、インド型と呼ばれるデルタ株の急速な拡大で、これ自体は変異ができてしまうと、拡大を防ぐのは難しい。しかし、メディアで伝えられているように、ワクチンを接種すればδ株にも十分対応できることはわかってきている。
ビオンテックやモデルナワクチンで誘導できる中和抗体活性は、武漢型に対するそれの十分の一と言われているのに、なぜ感染や重症化を防止できるのか?免疫学をかじっておれば誰だって、それがT細胞による細胞性免疫の効果であることはわかるのだが、Covid-19でそれを示すのは難しい。
もちろんインド型の流行は始まったばかりで、これに対するT細胞の反応まで調べた論文は流石に見つからないが、基本的にT細胞免疫は変異に左右されないことを示す論文が、covid-19に関する細胞性免疫研究ではトップを走っている米国のラホヤ免疫学研究所から7月1日Cell Reports Medicineにオンライン掲載された。
この研究では、回復患者さんおよび、ビオンテックor モデルナのワクチン接種者について、武漢型および4種類の変異株(英国型、南アフリカ型、ブラジル型、およびカリフォルニア型)のスパイクアミノ酸配列をもとに調整したペプチドプールを準備し、それぞれに対するCD4およびCD8T細胞の反応を調べている。ワクチン接種者に関しては、接種後2週間目のT細胞の反応を調べている。
方法などの詳細は全て割愛し、ワクチンの効果のみに絞って紹介する。残念ながら、T細胞の反応も、抗体と同じで個人差は大きい。したがって、当然、人によってはワクチン接種したのに感染したと言う話になる。このリスクについては、ワクチン接種者の綿密なコホート研究を待つしかないだろう。
大事なことは、mRNAワクチンで、スパイクの様々なペプチドに対する免疫が誘導できること、そして武漢型でも変異型でも、その反応は大体同じと言う結果だ。これは、mRNAワクチンを接種した1人の人が大体10種類のスパイク由来ペプチドに反応できることから、変異により1−2のペプチドに対する反応が起こらなくても、他のペプチドに対して反応が残るために、変異型にも対応できることになる。
だとすると、デルタ型に関しても同じことが言えるので、現在のmRNAワクチンで、T細胞免疫に関しては十分対応できると言う結果だ。
次のgood newsは、SARS-CoV2と同じ仲間のコロナウイルスなら、ほとんど全てに効果があるモノクローナル抗体の開発が加速していることだ。
最近菅首相は、ワクチンとともにリジェネロンが開発した抗体カクテルにすがっているように見えるが、もっと未来を見た発言もできるよう、取り巻きも努力して、もう少しかっこいい指導者を演出すべきだろう。会見は見ているだけで気が滅入る。
難しい話になるが、スパイク分子は3個集まって、3量体をつくっていおり、ホスト細胞と反応が始まる前はプレフュージョン型という構造をとっている。この構造を安定化させてワクチンに使っているのが、ビオンテックとモデルナで、できた抗体は、スパイクに蓋する形で、その後ACE2と結合する部分が分子表面に出てこないようにして効果を発揮するので、多くの変異体にも一定の効果があると思う(これは確かめていないので個人的意見として聞いてほしい)。
このスパイク3量体が細胞側のACE2と結合する時、3分子全体が反応するのではなく、一個の分子の受容体結合ドメイン(RBD)が飛び出してきて、ACE2と結合、それによってスパイクのS1とS2が切り離されるきっかけを作る。こうして切り離されたあと、今度はS2部位が伸びて相手型の細胞へ突き刺ささり、細胞膜の融合がおこることで感染が成立する。
この最初の過程で飛び出してくるSIIと呼ばれるRBD部位は、SARSやcovid-19をはじめsarbecovirus科のコロナウイルスで保存されており、またこの部位が変異すると、機能が失われる確率が高い。
このプレフージョン型3量体では隠れているSIIRBDに対するモノクローナル抗体は、Covid-19だけでなく、SARSをはじめ様々なsarbecovirusに反応できることから、今後現れる様々な変異体に対しても効果を示す可能性があり、SIIに対するモノクローナル抗体開発が続けられてきた。おそらく一番乗りしたのは、GSKがヨーロッパで緊急使用許可を得たsotrovimabだと思う。
今日紹介したいワシントン大学からの論文は、同じSIIに対するモノクローナル抗体S2X259についての研究で、市場化と言う意味では少し遅れているが、効果のレパートリーから、SII RBDとの結合の構造解析まで、なるほど備蓄して将来の感染にまで備えられる抗体として期待できることがよくわかるだけでなく、ポストコロナのワクチン開発についてもヒントが示された素晴らしい研究だと思った。
まず、S2X259はこれまでのSII RBDに対する抗体以上に広い範囲のsarbecovirusを中和することができ、なんとコウモリ特異的なsarbecovirusにも効果がある。
これは、抗体のH鎖、L鎖の可変部全体を動員して、SII RBDの広い範囲にわたってスパイクと結合することができるためで、その結果G504の変異を除くと、ほとんどの変異に対して抵抗性を維持している。したがって、δ株を含む、現在存在するほとんどの変異に対して効果を示す。
あとは臨床研究が残っているだけだが、covid-19の変異体に対応するという点では、リジェネロンの抗体カクテル、GSKのsotrovimabも、かなり広く変異体をカバーできるので、この抗体が絶対必要というわけではない。
この研究の重要性は、SII RBDを標的にした抗体が、ほとんどのsarbecovirusに効果を示す点で、今回のパンデミックが収束したあと、新たなsarbecovirus科のコロナウイルスが現れた時も、この抗体ですぐに対応できる可能性がある点だ。備蓄抗体という新しい可能性が生まれるかもしれない。
さらに、今回のワクチン開発競争ではプレフュージョン型を抗原にするワクチンが大成功を収めたが、将来sarbecovirusならどんな新しいウイルスにも対応できるワクチンを設計することが可能であることをこの研究は示してくれた。最初紹介した論文で、T細胞反応はスパイクだけでなく、不思議なことにnsp3にも起こりやすい。T細胞を狙ったワクチンとともに、どんなsarbecovirusにも対応できる万能ワクチンも決して夢ではない。
科学はCovid-19の次を見つめて力強く歩んでいる。
2021年7月30日
生命誌研究館に在籍中は、現役時代にはほとんど読むことのできなかった様々な分野の研究論文や本を読んで、その時考えたことをまとめておいた。その時の内容は、このHPでは生命科学の現在 (https://aasj.jp/lifescience-current.html )としてまとめている。少し古くなったかもしれないが、普通大学ではなかなか系統だって習えない分野だと思うので、是非ご覧いただきたい。
この中の言語の誕生 (https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954 )には人間特有の言語に必要な条件について書いているが、私たちが経験する感覚インプットを、一度抽象化し、具体的なイメージとは異なる(言語の場合)音節と連合させることが、記憶力を高めるのにどれほど貢献しているかについてまとめておいた。ただ、この時はこの問題を扱った文献を紹介できなかった。
今日紹介するParis-Saclay大学からの論文は、まさにこの課題を扱った研究で、複雑なイベント情報を記憶するために、私たちの脳は、イベントの経験を法則化や抽象化していることを示した研究で、8月18日号Neuronに掲載される。タイトルは「Mental compression of spatial sequences in human working memory using numerical and geometrical primitives(人間は作業記憶形成時、空間的なイベントを数的•幾何的因子を用いて脳内で圧縮する)」だ。
門外漢には理解しづらい論文だが、人間の脳科学で用いられる方法論がよくわかる研究だと思う。
課題は円状に並んだ8つの点を、一定の法則に従って結ぶ矢印(すなわち点Aから点Bへの矢印)が画面上に現れるのを見ているうちに、いつ法則に気づくかを調べている。ただ法則は数多く存在するため、当然複雑になるとパターン予測は難しくなる。
実際には、矢印の提示を11回見ている間に、いつ法則に気付いて予測ができるようになったかを被験者にボタンで教えてもらう。また、パターンを覚えておいたあと、パターンに合致しない矢印を提示し、間違いに気づくかを調べる。
そしてこの課題を行なっている間に脳磁図を記録し、被験者の脳の活動パターンを計測している。通常、脳磁図解析は、行動に対応する脳部位を特定するために利用されるが、この研究では全く違う使い方がされており、なるほどと納得する一方、脳が上手く働いていると言う以上のことがこのような研究から明らかにされるのかと心配にもなる。
この研究では、課題を行う一定期間に記録した脳活動を機械学習させ、被験者の脳と同じように、機械も正しい判断ができるようになるか、そしてできるようになった場合、どのような情報を使って正確な予測が可能になっているか、を調べている。
期待通り、脳の活動パターンを学習した機械は、問題に向かっている被験者の脳の活動から、問題提示後150msで被験者が出す答えを予測できるようになる。すなわち、脳の活動パターンをデコードできたことになる。
面白いのは、問題が提示される少し前から活動している脳のパターンを組み入れると、初めて被験者の判断を正確に予測できる点で、それまでの学習で得られた抽象的な条件が、脳へのインプットが始まる前から活動していることがわかる。
もちろん、それぞれのドットの場所や、現れる順番認知に関する脳の反応パターンも機械学習でデコードすることができる。そして、順番回数に対応する脳のパターンは問題を解く間に周期的に現れる。
以上のように、実際のイベントの作業記憶が、数や順番、そしてそれをさらに抽象化した法則として脳内に記憶され、実際の体験を評価するのに使われていると言う結論になる。
基本的には、脳活動を解析するのではなく、脳活動が機械学習で予測可能になるかだけが実験のアウトカムなので、古い頭ではどうしても戸惑ってしまうが、脳の活動から行動を予測できるようになったので、次は脳のどの部位の、どの時間の活動がデコードに重要かが明らかになると、言語野の関与をはじめ、体験の抽象化やカテゴリー化の謎も解けるかもしれない。
このテクノロジーの究極を、例えでわかりやすく言うと、藤井聡太さんの対戦中の脳活動を機械学習させ、藤井二冠の次の手を予測するというゴールがあるように思う。その時、どの要素が機械学習結果に大きな貢献をするのか、興味がある。
2021年7月29日
感染される人間側から見ると、新型コロナウイルス粒子で一番重要なのは、当然、感染に使うスパイク分子ということになるが、ウイルスから見たら、ウイルス粒子の中で壊れやすい一本鎖RNAと結合して、絡まないよう守ってくれるNタンパク質は重要だ。
ウイルスの核酸を想像しているとき、ほとんどの人は裸の核酸を頭に浮かべているが、ウイルス粒子内で核酸と結合しているタンパク質は重要で、この差がウイルスの核酸の様式を決めていると思う。例えば、全ての真核生物の線状DNAがヒストンと結合してヌクレオソームを形成していることから考えると、原核生物と同じような環状DNAを持つウイルスと線状DNAを持つウイルスでは、間違いなく核酸と結合するタンパク質の重要性は異なっているはずだ。
今日紹介するフランス・マルセーユの国立科学センターとコロラド大学からの論文は、最近注目の巨大ウイルスの一つ、マルセイユウイルスがヒストンに似た分子を持っており、巨大なウイルスゲノムを畳んでいることを示した面白い研究で、8月5日号のCellに掲載された。タイトルは「Virus-encoded histone doublets are essential and form nucleosome-like structures(ウイルスゲノムにコードされたヒストン2量体はウイルス増殖に必須でヌクレオソーム様の構造を形成する)」だ。
コロナウイルスも大きなウイルスだが、マルセイユウイルス科はさらに10倍以上大きなゲノムを持っており、当然、絡まないようにDNA結合タンパク質が存在すると想像するが、これまでの研究で真核生物のヌクレオソームを形成するH2A、H2B、H3、H4ヒストンに相同のタンパク質をコードする遺伝子を有していており、しかもH2AとH2B、 H3とH4が一つの分子にまとまっていることが知られていた。
と言っても、私にとっては初耳で、イントロンも持つ大きなウイルスゲノムが、しっかり真核生物と同じヒストンを持っているのは驚きだ。
とはいえ、それぞれの相同性は30%しかなく、実際にヌクレオソームを形成しているかどうかを調べるのがこの研究の主目的だ。ただ論文を読んでいくと、ウイルスの精巧さがよくわかるので、それを頭に置きながら、結果を次のようにまとめてみた。
ウイルス粒子の中のDNAにマルセイユウイルス(MV)ヒストンは存在して、DNAと結合している。 MVヒストンはホスト細胞内で核だけでなく、ウイルスの転写や粒子形成が行われるウイルス工場にリクルートされ、ウイルスクロマチンを形成する。この結果は、ウイルスが真核生物のヌクレオソーム進化に関わった可能性すら示唆する。 ウイルス工場は感染後期に働きだす。すなわち、感染後すぐウイルスゲノムはホスト核内のメカニズムを使って転写を行うが、その後何らかのシグナルにより、核膜の機能が低下し、多くのタンパクがウイルス工場で利用できるようになる。 4種類のヒストンにDNAが巻きつく基本構造はほとんど同じであることがクライオ電顕を用いる構造解析でわかる。ただ一つのヌクレオソームに結合するDNAの長さは120bpと短い。 詳細は省くが、真核生物のヒストン4量体と比べると、様々な構造的違いを認めることができる。その結果として、真核生物のヌクレオソームと違い、DNAがオープンになりやすくなっている。これにより、ウイルスゲノムの転写が抑制されることなく維持されるのだろう。ここでは示されていないが、ウイルスゲノムはメチル化されないようにできているのか興味がある。
肝心のヒストン様タンパク質の構造の詳細は全て素っ飛ばしたが、極めて業目的に設計し直されている。これまで、巨大ウイルスというと、巨大で海に漂っている(https://aasj.jp/news/watch/14390 )というイメージだけを浮かべていたが、それだけ大きなゲノムを、うまくホストに合わせながら維持するための進化の見本市みたいなウイルスであることがよくわかる。この研究から、次のクリスパーに匹敵するようなテクノロジーすら出てくる可能性がある。今後も注目だ。
2021年7月28日
ガン組織をsingle cell RNA seqで解析した論文は数多くあるが、最大の問題は遺伝子の解析だけでは、検出しているT細胞がガン特異的に反応しているのかどうかわからない点だ。ガン抗原の数が限られている場合は、MHCとペプチドのテトラマーを用いて、特異性を同じ組織で確認することも可能だが、実際のガンでは様々な抗原に反応しているはずで、組織に存在したキラー細胞がガンに反応しているのかどうかは、解析したT細胞の抗原受容体(TcR)を特定し、再構成して、ガンに反応するか調べるという大変な仕事が待っている。
今日紹介するハーバード大学からの論文はまさにこの大変な仕事をやり切った力作で、これからのガン免疫療法に多くの示唆を与えてくれる研究だと思う。タイトルは「Phenotype, specificity and avidity of antitumour CD8 + T cells in melanoma(メラノーマの抗腫瘍CD8T細胞の形質、抗原特異性、そして抗原結合性)」で、7月21日Natureにオンライン掲載された。。
この研究は、5人のステージ3/4のメラノーマ患者さんからバイオプシーで採取したガン組織の細胞と、末梢血をガン細胞で刺激したT細胞についてsingle cell RNA sequencing (sRNAseq)を行い、形質とともにT細胞についてはTcR配列を決定している。このような研究は数多く存在し、少なくともメラノーマでは、組織内に高い頻度で特定のTcRが現れている。すなわちガン抗原特異的T細胞のクローン増殖が起こっていると想定される。
この想定を、出現頻度が高まったガン組織でクローン増殖が起こったと考えられるキラーT細胞のTcR遺伝子を再構成し、正常のT細胞に遺伝子導入し、TcRが反応している抗原を特定したのがこの研究の凄い点だ。そして、ここまでやらないとわからないことは多かった。詳細を省いて、結論を箇条書きにすると、
出現頻度の高いTcRは期待通り、ガン組織に反応しているキラー細胞だった。ただし、ガン抗原(ネオ抗原orメラノーマ特異抗原)に反応するTcRを持つT 細胞のほとんどは、いわゆる抗原刺激後疲弊したTex細胞だった。 組織キラーT細胞でガン抗原以外に反応するTcRの多くはウイルス抗原に反応しており、そのほとんどはメモリー型の細胞だった。 メラノーマ特異抗原に反応するキラー細胞TcRの抗原結合性は低いが、ネオ抗原を特定できたTcRとネオ抗原との結合性は高い。また、この結合性の解析から、突然変異によりMHC分子との結合性が高まる場合に、TcRの結合性が上昇した。 疲弊型Texは末梢血にはほとんど流れてこないが、末梢血でガン組織と同じTcRを持ったTexが多く検出されると、患者さんの予後が悪い。逆に、メモリー型の細胞が多い患者さんでは、予後が良い。
結果は以上だが、この徹底的な研究により、以下のことがはっきり理解できた。
ガン抗原特異的T細胞は組織中に存在し、増殖している。 ただ、疲弊型なのでほとんどは組織内で消滅する。逆に、PD-1抗体でこの疲弊を止めることの重要性がわかる。 これまでガン組織からガン抗原特異的T細胞を分離する試みが行われているが、すぐに疲弊型のT細胞へ分化してしまうことを考えると、TIL採取前から様々なチェックポイントを抑制し、組織内でのメモリー型を増やす必要がある。、また、培養でも疲弊を避ける方法が必要。 組織内に高い頻度で現れるTcRの解析は、プレシジョンメディシンにとって重要な情報になる。 疲弊型のT細胞をさらに前駆細胞型と、分化型に分けることができるが、前駆細胞型の多い患者さんの方がPD-1抗体治療に反応する。
この結果が他のガンにも適用できるのかどうかはわからないが、チェックポイント治療の方法や、組織内の自己キラー細胞を活用する治療に向けた大きな一歩が記されたと思う。
2021年7月27日
以前、ペーボさんたちが発表した、ネアンデルタール人由来のcovid-19重症化に関わる遺伝子多型(https://aasj.jp/news/lifescience-easily/13992 )、および抵抗力に関わる遺伝子多型(https://aasj.jp/news/watch/15012 )について紹介した。これらの論文は、我々の遺伝子が強い感染圧力の元で進化してきたことを示唆している。しかし、これら遺伝子多型がネアンデルタール人で起こったコロナウイルス流行の爪痕である可能性は低いと思う。
では、かって人類が遭遇したコロナウイルス流行の爪痕を知るための方法はないのだろうか。今日紹介するオーストラリア・アデレード大学からの論文は、ウイルスタンパク質と直接相互作用を行うホスト側の遺伝子に絞って、世界各地域をカバーする1000人ゲノムデータを比較し、多くの遺伝子領域で25000年以上前のコロナウイルスによる選択の爪痕が見られることを示した研究で、8月23日号Current Biologyに掲載予定だ。タイトルは「An ancient viral epidemic involving host coronavirus interacting genes more than 20,000 years ago in East Asia(東アジアで20000年以上前におこった、コロナウイルスと相互作用する遺伝子が関与するウイルス流行)」。
これまでコロナウイルスタンパク質と相互作用を示すホストタンパク質は400種類ぐらい特定できているが、この研究では、これら遺伝子領域に頻度高く保存されている領域がないか調べ、なんと日本人を含む東アジア人だけで、約50種類の遺伝子にselective sweepと呼ばれる保存されたストレッチが、高い頻度で維持されていることがわかった。
すなわち、東アジアだけで、コロナウイルスと関わる約50種類のタンパク質をコードする遺伝子の多様性を、強く低下させる出来事が、起こったことを示している。もちろん、他のウイルス感染により同じことが起こる可能性はあるが、これまで知られている他のウイルスタンパク質と関わる分子をコードする遺伝子で同じ検索を行っても、ほとんど引っかかってこないことから、コロナウイルスの流行が起こった確率が最も高い。
この領域の保存された長さから、いつ選択されたかなどが推定できるが、これらの遺伝子の頻度は770−970世代前に集中していることがわかる。今回リストできた全ての遺伝子で、この選択はほぼ同じ時期(世代数から25000年以上前と計算できる)に起こり(すなわち頻度が上昇し)、その後は大きな変化はない。
それぞれの遺伝子の発現と多型との関係を調べると、基本的には発現調節領域に関する多型で、遺伝子そのものの機能を変化させる変異はほとんど観察できない。
面白いことに、この遺伝子多型のほとんどは、肺を中心に、Covid-19の病態に関わる組織や臓器に発現しているが、重症化や感受性に相関するゲノムを調べたときに必ず登場する免疫機能との相関は低い。現在のcovid-19への抵抗力や感受性を調べると、当然免疫系の細胞と強く相関する遺伝子多型がリストされるが、最初からウイルスタンパク質との相互作用でホストの遺伝子を選ぶと、免疫系の遺伝子は完全に除外されるのだろう。
以上、読者には本当かどうか確かめがたい結果だが、東アジア人の先祖が25000年前に受けたレッスンが、もし、東アジア人の抵抗力につながっているなら、デルタ型も何とかしのげるかもしれない。
2021年7月26日
善玉コレステロール、悪玉コレステロールという用語は、それぞれHDL、LDLに対応する言葉として一般の方に広く認知されている。それぞれが、なぜ身体に良かったり悪かったりするのかについては、理解が進んできているが、炎症という切り口は、両者の機能を考える上で重要だ。
というのも、動脈硬化にせよ、糖尿病にせよ、同じ内因性炎症メカニズムが核になっていることが明らかになり、LDLやfreeコレステロールが炎症を誘導する細胞内のインフラマゾーム形成を活性化することがわかっている。
一方、HDLの作用は血中のコレステロールを回収する働きで善玉コレステロールと呼ばれているのだが、実際にはLPSを中和することで炎症に直接関わることも知られている。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、小腸で作られるHDL3が門脈を通って直接肝臓に入り、クッパー細胞のLPSによる活性化を阻害して炎症を抑える働きがあることを示した研究で7月23日号Scienceに掲載された。タイトルは「Enterically derived high-density lipoprotein restrains liver injury through the portal vein(腸由来のHDLが門脈を介して肝臓障害を抑える)」だ。
まずタイトルを読むと、「HDLは肝臓で作られているのに、腸で合成されたHDLがなぜ必要になるの?」と違和感を感じる。実際、HDL合成に関わるコレステロールトランスポーターABCA1は小腸でも強く発現しており、小腸でのHDL合成の必要性はよくわかっていなかった。
この研究では、まず小腸で合成されるHDLは、肝臓で合成されるHDLより小さなサイズのHDL3と呼ばれるタイプで、門脈中のHDLのほとんどを占めることを明らかにしている。
そして、この小型のHDL3こそがLPS結合性タンパク質と結合して、LPSと自然免疫に関わるTLR4との結合を阻害し、これにより肝臓のクッパー細胞の自然炎症誘導を抑えていることを明らかにしている。実際、肝臓で合成されるHDL2ではこの活性は低い。
この結果から、肝臓で合成できるLDLではなく、門脈へと移行できる小型LDL3をわざわざ小腸で合成することで、肝臓を炎症から守っていることが想像される。そこで、小腸の2/3を切除することで、腸内細菌叢のLPSの門脈への流入を高める方法を用いて誘導する肝臓の炎症モデルを用い、このとき残った小腸でのHDLの合成をノックアウトする実験を行い、期待通り炎症が増強することを確認している。
HDL合成に関わるABCA1遺伝子発現誘導にLXR核内因子が関わることが知られている。そこで、小腸切除による肝臓炎症誘導モデルマウスに、経口的に定量のLXR刺激化合物GW3965を投与すると、この薬剤は残っている腸管内だけで働き、腸内でのHDL合成を高め、肝臓での炎症や線維化遺伝子の発言を抑え、肝臓の炎症を抑えることを明らかにしている。
詳細なデータは全て割愛して結果を紹介したが、なぜHDLをわざわざ小腸で合成する必要があるのか、その理由がしっかり理解できた。
著者らは、この作用がLPSだけに限らないと考えているようで、もしそうなら経口的に少量のGW3965を服用することで、肝臓の炎症一般をかなり抑える可能性すら存在する。期待したい。