2021年6月25日
これまで何度かアルタイ山脈にあるデニソーワ洞窟についての研究を紹介してきた。この洞窟からは、その名前の由来となったデニソーワ人のDNAが発見されただけでなく、ネアンデルタール人から現代人まで、様々な人類の骨が発見されている。しかも、ネアンデルタール人とデニソーワ人からできた子供の骨まで発見されているため、この洞窟をめぐって様々なドラマがあったと想像され、研究が進んできた。
そしてこれまでの研究をさらに前進させるメソードの革新として、ライプツィヒ・マックスプランク進化人類学研究所が2017年に発表した土壌に埋もれているDNA拾い出して、そこに生活した人類や動物を特定する技術が開発され、骨の発見されていない洞窟でも、そこに住んでいた人類を特定できることが示されたのは本年4月のことだった(https://aasj.jp/news/watch/15388)。
そして6月23日、同じマックスプランク進化人類学の研究者たちは、この技術をデニソーワ洞窟の様々な場所に適用して、そこで行われた人類のドラマを発掘した研究をNatureにオンライン出版した。タイトルは「Pleistocene sediment DNA reveals hominin and faunal turnovers at Denisova Cave(更新世の土壌に沈殿したDNAはデニソーワ洞窟の人類と動物層の変遷を明らかにする)」だ。
現在考古学的に100点がつくのは、石器などの考古学的遺物とともに、人骨、動物の骨が出土し、そこからDNAも完全に解読できることだろう。ただ、ほとんどの場合はそうは行かない。そこで、土壌DNA分析法の登場だが、この論文はこの技術が、手作りのパイロット研究の段階から、自動的・系統的方法へと変化していることがよくわかる。この研究のハイライトは、おそらくこのテクノロジーが成熟し、系統的に応用できる時代が来たということだろう。
まず、洞窟の様々な場所と地層を10−15cm画に分画して、なんと728箇所から系統的に土壌を取り出し、それを自動化した方法で処理することで、人類や哺乳動物の古代DNAを採取し、解読することに成功している。書いてしまうと簡単だが、これは途方もない努力で、論文の大半は、解析結果の妥当性を示すために費やされていると言っていい。
前回核DNAも解析可能と紹介したが、この研究で解析したのはミトコンドリアDNAで、場合によっては現在のDNAの混入を除外するため、脱アミノ酸化されたDNAだけに絞って、解析を行うことも行い、大体25万年前から、3万年までの洞窟の人類史をできるだけ正確に解読しようとしている。
結果、これまで通りこの洞窟は、25万年前、まずデニソーワ人が住み着き、その後20万年ごろからネアンデルタール人とデニソーワ人が入れ替わりながら生活する時代があり、14万年ごろ一時ネアンデルタール人だけが占拠した後、6万年前後には両者が入れかわりながら生活する短い時期の後、最後はネアンデルタール人、そして現代人と変化していることが明らかになっ
さらに、デニソーワ人、ネアンデルタール人も、これまで骨由来のDNAから明らかになった以上に多様な人類がそれぞれの時代で変遷しており、これまで知られていないネアンデルタール人のミトコンドリアまで発見されている。
この方法を用いると、人類に限らず様々な哺乳動物のDNAも発掘できる。人類のDNA が見つからない時代からクマのDNAは存在しており、その後クマ、ハイエナ、牛、馬、犬、そしてマンモスだけではなく、ラクダまでDNA が見つかっている。この動物DNAの存在と人類との関係はこれだけからはわからないが、今後洞の歴史を調べていくための切り札になる様に感じる。
素人の頭で理解できるのはこの程度だが、ともかく土壌のDNAでここまでのことがわかることに感動してしまう。前にも述べたが、DNAは周りの鉱物と反応して広く拡散するものではない様だが、それ以外の浸潤方法はないのかなど、これからさらなる検討が必要になる様に思う。でないと、他の手段で検証できない場合、想像力が事実を凌駕する心配があるが、期待は大きい。
2021年6月24日
新型コロナ禍が始まってから、人前での咳やクシャミは憚られる。実際コンサートでも、これまで楽章の間には必ず咳払いの音が聞こえたのに、今やほとんど聞かれなくなった。ただ、最近は少し聞こえる様になってきたので、気の緩みが出ているのかもしれない。
この厄介なクシャミは鼻からの感覚刺激により誘導される反射で、比較的単純な神経回路だと想像できるが、医学的にも重要視されていなかったのか、全容は解明されていなかった様だ。今日紹介するワシントン大学からの論文は、クシャミを誘導する刺激の入り口から、運動反射に繋がる神経まで、オーソドックスな方法で回路を特定した研究で、最新のテクノロジーを用いた複雑な研究が多い中で、比較的地味な研究だが、アプローチは論理的で、7月8日号のCellに掲載された。タイトルは「Sneezing reflex is mediated by a peptidergic pathway from nose to brainstem(クシャミ反射は鼻から脳幹へのペプチド作動性神経回路により媒介されている)」だ。
要するに入り口から出口まで、神経を辿っていけばいいわけだが、クシャミと言っても最初の感覚細胞が何なのか特定されているわけではない。私の様な素人は、コヨリで鼻をくすぐると言った機械刺激をすぐに考えてしまうが、さすがはプロで、痛み刺激物質カプサイシンがクシャミを誘導するというこれまでの報告をもとに、カプサイシンを刺激に用いている。この結果、最初の感覚細胞はカプサイシンに反応するTrpv1陽性細胞に絞ることができる。
この研究のもう一つの特徴は、カプサイシンエアロゾルを噴霧することで、自由に動き回っているマウスにクシャミを誘導できる様にし、音の録音まで動員してクシャミ反応を特定している。その上で、Trpv1刺激により、確かにクシャミ反射が誘導できることを確認している。
刺激の入り口がTrpv1細胞と特定できると、この細胞が発現して、次の神経伝達に関わる因子を特定することになる。Single cellレベルのPCRを用いて、Trpv1陽性細胞での様々な神経伝達因子の発現を調べ、いくつかの候補遺伝子をTrpv1発現細胞でノックアウトする実験を行い、最終的にNeuromedinがTrpv1神経が発現し、クシャミ反射に関わる分子であることを特定する、
次に、Trpv1神経細胞が投射する三叉神経節で、neuromedinに反応するポストシナプス神経細胞の特定にかかっている。まずカプサイシン刺激で興奮してc-fosを発現する三叉神経節の細胞を特定し、この細胞がneuromedin受容体を発現し、これを除去すると、クシャミ反応が消失することを確認している。
こうしてTrpv1と結合する、クシャミ回路の次の細胞が特定できたので、今度はneuromedin受容体を発現している三叉神経節細胞を標識し、この細胞が脳幹の呼吸調節に関わる神経節神経に投射していること、そして電気生理学的手法を用いて、この神経細胞がカプサイシンによる刺激により興奮することを確認している。
研究はここまでで、運動反射が起こるまでの求心回路の全貌が明らかにされたと結論できる。確かに研究自体に華やかさはないが、この回路の神経伝達物質が明らかになったことは、クシャミを抑えることが要求されるパンデミックの現在には朗報といえるだろう。
2021年6月23日
これまで2日間にわたって、マクロファージ、特に組織内で維持されているマクロファージの最新研究について紹介してきた。このように、同じマクロファージと言っても、何種類もの特異的なサブセットへ分化できるのがマクロファージの面白さで、しかも組織や刺激に応じて、この分化が起こる。最も典型的な例は、今回新型コロナウイルス感染への抵抗力として一時話題になった、BCG摂取による免疫トレーニングの話だろう。これはワクチンと違い抗原特異性はない。ただ、バクテリア刺激により、マクロファージが記憶を獲得し、これが次の感染時に強い反応を誘導するのに役立つという話だ。 専門的には、マクロファージなどのエピジェネティックなリプログラムが起こったことを示している。
今日紹介するUCLAからの論文は、マクロファージのリプログラム、すなわち染色体構造変化を誘導するための条件について調べた面白い研究で、6月18日号のScienceに掲載された。タイトルは「NF-kBダイナミックスがマクロファージのエピジェネティックリプログラミングを誘導する刺激の特異性を決めている」」だ。
炎症に関わる最も重要な転写因子の一つがNF-kBで、炎症に関わるサイトカインやケモカイン、そして2日前に話題にしたMMPタンパク分解酵素などがこの転写因子の支配下にある。従って、エピジェネティックなリプログラミングが起こる時も、当然NF-kB結合サイトの染色体構造変化起こると考えられる。
この研究では骨髄マクロファージを様々な炎症刺激物質で刺激後、HeK4me1結合ゲノム領域の変化を調べ、刺激により染色体構造が開いた結果現れてくるNF-kB結合領域1000個ほど特定している。面白いことに、これらの染色体変化はNF-kBの活性を変化させるだけでは影響をあまり受けない。すなわち、多くは染色体で閉ざされており、染色体のリプログラムにはシグナルが弱いと考えられる。そこで着想したのが、NF-kB活性が周期的に変化するという事実で、この周期的活動が染色体構造の変化を調節しているのではないかと考えている。
そこでNF-kBによる転写の様子が見れるようにした細胞を用いて、single cellレベルで転写を見ると、時間単位で振動を繰り返していることが明らかになった。この一つの原因は、NF-kBの核内以降を調節するIkB自体もNF-kBの支配下にあるためと考えられる。そして、染色体の変化と、NF-kBの周期的活性化とが逆の相関を持つことを発見する。
この結果を確かめるため、IkBが欠損して(普通はノックアウトすると生存できないので、TNFを発現させるトリックで、新生児時期を乗り越えられるように細工している)振動が無くなったマウス由来のマクロファージを用いて、刺激後ATAC-seq やH3K4me1を指標に染色体の開き具合を調べると、期待通り振動が無くなったマクロファージで染色体が開いて、リプログラムが起こっていることを示している。また、この変化は反応性の記憶として維持され、次の刺激がきたときに、さらに高い遺伝子発現が起こることを示している。
結果は以上で、NF-kBを活性化するシグナルが入ってもIkBが誘導されNF-kB活性の振動が起こることで、エピジェネティックなリプログラミングが抑制されているが、おそらく強い刺激や他の転写因子の参加によって振動が抑制されると、リプログラミングによる記憶(あるいはトレーニング)が成立すると考えられる。
これまで、NF-kB活性が振動することは知られていたが、振動と遺伝子発現はあまり相関がなかった。この研究の結果、振動がエピジェネティックな変化を抑える役割を持つことが示唆されたことで、炎症の記憶についての研究が一歩先に進んだと思う。面白い論文だったが、マクロファージひとつとっても奥が深い。
2021年6月22日
新型コロナに関わらず、飛沫で感染する全ての感染症は、人が集まって楽しむ機会に感染機会が高まる。この警告は、この1年何度も繰り返し繰り返し発せられてきたにも関わらず、完全な行動変容を促すことがいかに難しいかを示す統計が、6月21日ハーバード大学からJAMA Internal medicineに発表された。タイトルは「Assessing the Association Between Social Gatherings and COVID-19 Risk Using Birthdays(誕生日を例に集会とCovid-19リスクの関連を検定する)」だ。
このグループは、ソーシャルディスタンシングの警告が発せられている時でも、それが守られない機会として誕生日があるのではないかと着想した。もし誕生日に、お誕生会や、誕生パーティーが行われれば、当然感染機会が増える。
これを調べるため、260万家族の医療保険記録を精査し、2週間以内前に家族の誰かが誕生日を迎えていた時期とそれ以外の時期に分けて、それぞれの家族でのCovid-19発症を調べている。もちろん、地域や時期により感染状況は異なるため、感染状況を10段階にわけ、それぞれの状況で、誕生日により感染数が上昇するか調べている。
結果は明瞭で、最も感染状況が悪化している時、誕生日から2週間以内での感染数は、それ以外の週と比べて31%増加する。さらに面白いことに、誕生日が児童の場合と成人の場合を比べると、児童の誕生日だった場合10万人あたり15.8人増加したのに対し、成人の誕生日だった場合は5.8人の増加で止まっている。
要するに、パンデミックの中でも、子供の誕生会が行われ、これが感染者を増やす原因になっているという結論だ。
最もわかりやすい状況を取り上げ、具体的な結果を示すことで、注意を促す、納得の論文だと思う。
2021年6月22日
昨日、CSF1Rシグナル阻害により組織中のマクロファージを除去して、ガンの免疫を高める方法が治験段階にあり、その副作用としての浮腫が問題になっていることを紹介したが、実際にはマクロファージにも様々あり、単純な話ではない。私の理解では、いわゆる組織に居ついているtissue resident macrophage(TRM)がCSF1Rシグナル依存性だと思っているが、CSF1R阻害で期待できる効果はガンや組織によって大きく違っていると思う。そこで、この複雑性を知ってもらう目的には格好の論文を今日は紹介して、昨日の論文紹介をサポートすることにした。
論文のタイトルは「Tissue-resident macrophages provide a pro-tumorigenic niche to early NSCLC cells(組織常在マクロファージは初期の非小細胞性肺ガンの増殖を助けるニッチを形成している)」で、6月16日Natureにオンライン掲載された。
もともと肺には様々なマクロファージが存在しており、炎症の主役になっている。この研究ではそこに発生する非小細胞性肺ガン(NSCLC)に集まるマクロファージの種類を特定することから始めている。そして、マクロファージと言っても単一ではなく、なんと遺伝子発現プロファイルが全く異なる4種類のマクロファージが特定できることを発見する。また、マウス静脈にNSCLCを注射して移植した肺転移ガンでも、ほとんど同じ4種類のマクロファージが特定できることを確認する。
マウスで特定できた結果、どのタイプが血液幹細胞から常に供給されているマクロファージで、どのタイプが組織内で増殖しているTRMであるかを実験的に調べることができる。完全に人間と同じかはもちろん検証が必要だが、細胞の系列追跡実験から、TRMは、遺伝子発現からType Iと名付けた集団であることを特定する。
発現マーカーを使って、肺へ腫瘍が移行した後の腫瘍とTRMとの関係を見ると、最初入り混じって存在していた両者が、ガンを中心に、TRMを外側に配置した組織構造をとることを示し、両者が密接に相互作用をしていることを示している。
この相互作用の効果を調べる目的で、ガンのオルガノイド培養を行い、そこにTRM、あるいは骨髄由来マクロファージを加える実験を行うと、TRMを加えたときにのみ、腫瘍の上皮間葉転換がおこり、ガン細胞の遊走が高まることを示している。
最後に、TRMのみをジフテリアトキシンで殺す方法を用いて、NSCLCを移植したマウスのTRMを除く実験を行い、これによりCD8キラー細胞の浸潤が高まり、一方で抑制性T細胞の誘導が抑えられ、腫瘍縮小を促進することを示している。
この結果を裏返せば、TRMは、ガンへ働きかけて、悪性度を高めるとともに、免疫システムを抑えることでも、ガンを助けるという厄介な細胞であることを意味している。この研究では、TRMをCSF1R阻害で除去できるかどうかは示していないが、読者も、この細胞を除去することの重要性を理解してもらったのではと思う。
ではなぜこんな厄介な細胞を私たちが抱えているのかだが、昨日紹介した副作用からもわかるように、正常の組織維持に大きな役割を果たしている。皮肉なことだが、CSF1R阻害治療が進むことで、副作用を通して、TRMの機能の理解も進むと期待している。医学とはそういうものだ。
2021年6月21日
現役時代を振り返ると、あまりストレスもなく楽しんで過ごせた思い出が多いが、そのルーツは、最初に自分自身の研究室を持つことができた熊本大学時代に、それまで互いに何の接点もないのに、「一緒に研究しませんか」という私の呼びかけに応じて留学先から集まってくれた仲間との7年間にあったと思っている。中でも、新しい仲間がいなかったら自分では考えも及ばなかった仕事が、オクラホマからやってきた林さんの着想と突破力、ワシントンからやってきた国貞さんの分子生物学的知識、そして大学院生の吉田くんや江良くんたちが、ワイワイ楽しみながら完成させた研究、op/op大理石病マウスの持つCSF-1遺伝子の変異を特定した論文だ。
その後、私自身は、林さんと共に東レの須藤さんとこのシグナルを抑制するmAb、AFS98を作成した以外は全くopマウスについて研究したことはないが、この論文のおかげで、経済的苦境を何とか乗り越えて、ストレスのないラボ運営ができるようになったと有り難く思っている。
ところがガンの免疫療法が始まってから、CSF1Rの阻害剤やCSF1Rに対する抗体が、ガンを助けるマクロファージをガン局所から除去して、ガン免疫を高めるという可能性が示唆されてから、CSF-1を使った研究は再活性化され、臨床治験段階まで進んでいる。
抗体を注射する実験を最初にやった私たちは全く気づかなかったが、臨床例からこのシグナルを長期間抑制すると、顔の浮腫が副作用として必発することがわかってきて、その原因の特定が必要になってきた。今日紹介するミュンヘンにあるロッシュ研究所からの論文は、CSF-1シグナル抑制による浮腫の原因を特定し、治療法を開発した研究で6月16日Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Macrophage depletion induces edema through release of matrix-degrading proteases and proteoglycan deposition(マクロファージの除去はマトリックスを分解するプロテアーゼとプロテオグリカン沈着を介して浮腫を誘導する)」だ。
懐かしさから紹介することにしたが、研究はオーソドックスな病因解析で、地味だ。まず、浮腫の原因となる血管、リンパ管、マトリックスなど、様々な要因をCSF1R阻害マウスで調べ、最終的にマトリックスを分解するMMPの分泌が上昇し、その結果ヒアルロン酸やプロテオグリカンなどの保湿性のマトリックスが沈着し、そこに水分が溜まることで浮腫が起こることを明らかにしている。
驚くのは、長期間投与すると体重が30%も上がるほどの浮腫がくる点で、いかにマトリックスの保湿効果のバランスを取ることが重要かがわかる。
この研究では、マクロファージ自体から分泌されるMMP プロテアーゼが重要で、ファイブロブラスト、血小板、顆粒球などから産生されるMMPの影響は少ないことを示しているが、長期投与の場合も同じように結論できるのか、もっと他のマクロファージ依存性メカニズムがあるのかを明らかにする必要があると思う。
最後に、MMP阻害剤をCSF1R阻害と組み合わせた実験を行い、MMP阻害剤、特にMMP3阻害剤を組み合わせたときに、浮腫が抑制できることも示している。
また、臨床現場で血中のヒアルロン酸を指標にすると浮腫を早期に検出できることを示している。
以上が結果で、浮腫が起こることすら知らなかった私にとっては、なるほどと納得するとともに、熊本大学時代を思い出す論文だった。
熊本時代というと、ATLの発見者で、京大研修医時代、私の主治医にもなっていただいた高月清先生には大変お世話になった。高月先生の助けなしには、楽しい研究生活はなかったと思う。その高月先生が先日亡くなられた。思い出が一つずつ消えていくのも、避けることができない現実だ。
2021年6月20日
巷には免疫力を高めるヨーグルトといった宣伝が溢れているが、どこまで確かな治験に基づくものかほとんど分からない。有名な世界的研究所とコラボしているという事実で、製品が優れているという錯覚を生み出そうとする宣伝まで平気で行われているのを見ると、ここにも我が国科学技術の劣化を感じてしまう。
一方、ロイテリ乳酸菌のように、数多くの研究論文が存在し、トップジャーナルに何度も登場するプロバイオも存在する。自分で確かめることができない消費者のために、本当に効果のあるものを提供する力も、一国の科学力に直結する。栄養学は総合的人間学であり21世紀が栄養学の世紀でもあることを忘れて、マーケティングで済ませていると、今回のワクチンと同じ轍を踏むことになる。
今日紹介するカロリンスカ研究所とネブラスカ大学からの論文は、プロバイオティックスの研究とはこうあるべきだと教えてくれる研究で、7月22日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Bifidobacteria-mediated immune system imprinting early in life(新生児の免疫システムに見られるビフィズス菌によるインプリンティング)」だ。
これまでの多くの研究から、新生児期の免疫システムの発達経過が将来の健康に関わることがわかってきており、またこの発達に腸内細菌叢が関与することもわかっている。しかし、これを利用して新生児期の免疫システムを好ましい方向に向けることに成功した研究はまだない。
もともとカロリンスカ研究所は新生児期の免疫システムと腸内細菌叢の発達研究をリードしており、この研究でも、研究所で誕生した新生児208人について64種類の免疫に関わる細胞と355種類の血清タンパク質を経時的に検査するコホート研究を走らせている。この結果、生後すぐから腸内のCD4T細胞は抗原に反応して増殖、末梢血でも検出できるようになることがわかる。
これと並行して腸内細菌叢も変化を続け、特に母乳から供給される様々なビフィズス菌の増加は一般的に見られるが、その割合の個人差は大きい。
次に、腸内のビフィズス菌の量と、末梢血の免疫システムの関係を調べると、ビフィズス菌が多い子供ほど、炎症性サイトカインを抑えて抑制性T細胞を増やす方向への変化が見られ、逆にビフィズス菌が少ないと、キラーT細胞や炎症性細胞とともに炎症性サイトカインのレベルが高まることが明らかになった。特に、自然免疫を抑えるIL1RAの発現がビフィズス菌量と相関していることに注目している。
ではビフィズス菌の何が免疫システムを変化させているのか?著者らは、オリゴ糖分解能ではないかとあたりをつけ、腸内細菌叢のゲノム解析を進め、ビフィズス菌のオリゴ糖分解系に関わる遺伝子発現と抗炎症的免疫システムの発達が関わることを確認している。
このレベルで研究が終わるのが普通だが、この研究ではネブラスカ大学とベンチャーが共同開発したEVC001と呼ばれたビフィズス菌株を投与することで、腸内環境を抗炎症型に変えられないか治験研究を行なっている。今度はカリフォルニア大学で誕生した新生児60人に、1週目から4週目まで、1.8×1010菌を投与60日目に様々な指標を調べている。
結果は明瞭で、EVC001を投与した子供全員で、腸内細菌叢のオリゴ糖分解遺伝子発現が高まっており、抗炎症的サイトカインプロフィルに変化していることがわかった。
このメカニズムをさらに調べるため、子供の便の上清を集め、これを試験管内でCD4T細胞に加えると、未熟な細胞を培養した時、EVC001を投与された子供の便上清がTh1分化を強く誘導し、これがオリゴ糖分解産物による作用でインターフェロンβ依存的に誘導される、IL-27やIL-10により、抗炎症的環境が出来上がると結論している。また、CD4T細胞のガレクチンの発現を、腸内の抗炎症環境の指標として使えることも示している。
結果は以上で、コホート研究を基礎に、介入のためのプロバイオを開発し、その効果を人間で確かめたという驚くべき力作で、21世期のプロバイオ研究はこうあるべきというお手本になると思う。もちろん、今回参加した子供たちの長期の追跡研究も重要だが、本当に新生児の腸内環境を整えられる時代が来るかもしれない。
2021年6月19日
新型コロナウイルス(CoV2)を学んでいると、ウイルスゲノムが驚くほど巧妙に組織化されていることに驚く。ウイルスRNAがホスト細胞への侵入に成功すると、すぐ翻訳が始まる。この時は、ウイルスの3‘側にあるスパイクなどの構造タンパクは後回しにされ、まずウイルスゲノムの複製や、ウイルスゲノムを自然免疫から守るnsp群の翻訳が行われる。ただ、それぞれの分子が別々に翻訳されるのではなく、一本のペプチド(実際には2本)として翻訳されたものを、できたばかりの2種類のタンパク分解酵素で切り出すことで合成される。
このため最初に必要なタンパク分解酵素PLと3CLは、分子の並びの最初の方に位置して、翻訳出来次第ペプチドを切り出せるようになっている。必要な分子から無駄なく高効率に合成できる、まさに合目的な遺伝子の並びの美しさに、進化を感じることができる。
実際には、この最初の翻訳では、同じ一本のゲノムから、nsp10を境にした短いペプチドpp1aと、ウイルス複製分子を含む長いペプチドpp1abを合成されるが、これは長い方の翻訳が、1塩基フレームシフトして戻ってリスタートすることで、そのまま翻訳したらストップコドンにより翻訳が止まるのを避けて、長いpp1abが合成できるようになっている。
なぜ最初から全部作らないのか、不思議だが、このようなフレームシフトはウイルスでは見られても、決して私たちの細胞では起こらない。従って、このフレームシフトを阻害できれば、ウイルス複製酵素をブロックすることが可能になる。
今日紹介するチューリッヒ工科大学からの論文は、このフレームシフトが起こるプロセスを、RNAバイオロジーの粋を集めて解読し、この過程を標的にした薬剤開発が可能であることを示した研究で6月18日号のScienceに掲載された。タイトルは「Structural basis of ribosomal frameshifting during translation of the SARS-CoV-2 RNA genome(SARS-CoV2 ゲノムの翻訳時に起こるリボゾームフレームシフトの構造学的基礎)」だ。
この研究では試験管内のウサギ網状赤血球由来の翻訳系で、翻訳後のRNAがそのままリボゾームにとどまるような細工をした上で、フレームシフトが起こる領域にまで進んだ翻訳複合体がmRNAやtRNAも含めて精製できるようにして、フレームシフト前後の翻訳複合体の状況を観察している。
クライオ電顕を含む高度な手法を用いた解析が行われており、さすがウイルスRNA学のプロと感心するが、詳細は割愛して結論だけをまとめると次のようになる。
- フレームシフトが起こる3‘側に3箇所のステムループ構造からできたpseudoknotと呼ばれる構造が存在し、これがmRNAがリボゾームの翻訳トンネルの中に入るのを阻害する。これにより、翻訳がフレームシフトが起こる場所で一時停止する(実際停止していることは、2個のリボゾームが存在する場所を調べるdisome法を用いて証明している)。
- このpseudoknotはリボゾームに存在するRNAヘリカーゼで最終的には解消され、翻訳が進むが、一時的な停止による構造変化で、tRNAとマッチングするサイトが押されてコドンがずれ、この結果Asnに続いて、翻訳が再開するとき、Glyの代わりにひとつずれたコドンに対応するArg以降、複製酵素を含む長いpp1abが合成される。
- このフレームシフトの効率は、pseudoknotの構造だけでなく、短いpp1aaのストップコドンの位置、および、できてきたペプチドの構造で決まり、全てのコロナウイルスは、このフレームシフトを促すツィンクフィンガーサイトが保存されている。
- この構造変化の強さや時間で、2種類のペプチドが、同時に最も適したバランスで合成される。
- 現在存在する化合物ではまだ薬剤として利用するまでには至らないが、この調節機構を薬剤で変化させ、複製酵素合成を止める可能性がある。
以上、これまでも地道に研究が積み重ねられてきた領域で、フレームシフトの効率を調節するいくつかの要件が明らかになった研究と言ってしまえばおしまいだが、改めてフレームシフト機構の巧妙さを知り、頭の整理ができる素晴らしい論文だった。
ともすれば、インド株、イギリス株など、スパイク上の変異だけで語ることが多いが、実際にはウイルス増殖効率を決めている要件は複雑で、その差が病原性や感染性の差に繋がることも理解して欲しいと思う。
2021年6月18日
末梢血に漏れ出てきたガン由来のゲノム断片を検出して、体内に存在するガン細胞の有無を予測する技術は、リキッドバイオプシーと名付けられ、体内に潜むガンを検出できる期待の星として登場した。私も何回か紹介して、かなり期待したが、今のところ普及が進んだという印象はない。実際、早期に診断できたとしても、他の診断基準でガンの再発などがはっきりしない限り、リキッドバイオプシーの結果だけで、治療方針を変えることが難しい。結局何もできないなら、診断に利用する意味もなくなる。
今日紹介する英国Queen Mary 大学からの論文は、この技術を尿路上皮ガンのアジュバント・チェックポイント治療の効果予測に利用できることを示した研究で、6月16日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「ctDNA guiding adjuvant immunotherapy in urothelial carcinoma (尿路上皮ガンのアジュバント免疫治療を末梢血ガン由来DNAがガイドする)」だ。
これまで何回か紹介してきたが、手術可能な腫瘍を切除した後、取り残したガン細胞の存在を予測して化学療法などの全身療法を行うことをアジュバント治療、このアジュバント治療を手術前から行うことをネオアジュバント治療と呼んで、今や多くのガンに対する標準治療になっている。さらにこのアジュバント、ネオアジュバント治療をPD-1やPD-L1に対する免疫チェックポイント治療薬を用いて行うための治験が世界中で進行している。
この研究ではPD-L1抗体を用いた尿路上皮ガンアジュバント治療治験に、リキッドバイオプシーを組み合わせ、ガン治療効果を予測できないか調べている。まず、リキッドバイオプシーに用いるゲノムマーカーを探索する目的で、個々のガンのエクソーム解析を行い、最終的に16種類の変異をガンマーカーとして選び、このうち2種類以上のマーカーが陽性になった場合、末梢血ガンDNA(ctDNA)陽性と判断している。
さて、結果だが治験参加者全体で見た時、ctDNA陽性=ガンの残存を示しており、予後が悪い。すなわち、これまで通り手術の完全性を予測する方法としては有効なことがわかる。
この研究ではPD-L1に対する抗体によるアジュバント治療を行っており、これを利用してアジュバント治療効果をctDNA陽性、陰性例で比べると、明らかにもともと予後が悪い陽性例で効果がはっきりする。一方、ctDNA陰性例では、免疫治療の効果はほとんど見られない。すなわち、取り残しがある場合は、それをctDNAで診断でき、免疫治療の効果を期待できるという結果だ、さらに、ctDNA陽性例で、アジュバント治療により陰性に転換したケースでは、長期生存が期待できることも示している。
データを見ると画期的な結果に見えるが、よく考えると当然で、取り残しがあれば予後は悪いが、チェックポイント治療で対応可能で、その効果は1ヶ月目のctDNAで判断できるという話で、治療法としては何も変化がないのだが、ctDNA検査で治療効果の予測が可能という結果になる。
これを確かめるため、少数例ではあるが、外科手術前に免疫治療を行うネオアジュバント治療でもctDNA検査を行い、抗体治療の効果をctDNAで判断できることも示している。
最後に、これまで尿路上皮ガンの悪性度を示すバイオマーカーと、ctDNA検査から見られる免疫治療への感受性の相関についても調べており、まずctDNAで検出できるガン残存の頻度は、細胞周期関連遺伝子やケラチン遺伝子の発現と相関すること、そしてチェックポイント治療への感受性は、ガン組織のインターフェロン関連遺伝子の発現、扁平上皮ガン関連分子の発現、そしてガンの突然変異の数などが相関していることを示している。
ctDNA陽性例で細胞周期関連遺伝子発現が高いことは、より悪性度が高いことを示しており、取り残しが発生しやすいことと当然関連するが、ケラチン遺伝子の発現はひょっとしたらDNAの流出のしやすさに関わるのかもしれない。いずれにせよ、この論文は、ctDNAが治療効果を判定するバイオマーカーとして利用できることを、私に実感させてくれた。
2021年6月17日
高血圧と肥満が密接な関係にあることは誰でも知っている事実で、肥満の人が高血圧と診断されたら、減量が最初の治療になる。この原因は、肥満による動脈硬化など、大血管の問題が先行するからで、その後網膜、腎臓、神経系などの微小循環系の異常へと病気が進展すると考えている。
ところが今日紹介するミュンヘンのヘルムホルツセンターからの論文は、高脂肪食を続けて体重が増え始めると、視床下部特異的に微小血管が増生し、その結果交感神経の過興奮が生じて血圧が上がることを示した、ある意味意外な研究で、6月1日号のCell Metablismに掲載されている。タイトルは「Obesity-associated hyperleptinemia alters the gliovascular interface of the hypothalamus to promote hypertension(肥満によるレプチン上昇により視床下部のグリア血管界面が変化し、高血圧になる)」だ。
おそらく肥満と交感神経の興奮の関係を研究していたのではないかと思うが、まず高脂肪食で肥満にさせたマウスを調べると、高血圧が発症するより前に、視床下部の血管の密度が高まっていることを発見する。しかも、他の脳領域での血管網にはほとんど変化がなく、さらに血管内皮の基底膜の肥厚まで見られるようになることを発見している。
この発見が研究の全てで、あとは視床下部の血管増生を起点に過食まで、あるいは高血圧までの経路を、遺伝子ノックアウトや生理学を積み重ねて丹念に調べている。詳細は省いて、高脂肪食による肥満から順番に著者らが明らかにした経路を説明しよう。
- 高脂肪食を投与すると、白色脂肪組織が肥大し、肥満を抑えるホルモンの一つレプチンが誘導される。
- 通常レプチンは食欲や代謝の調節に関わる神経に働いて肥満を防ぐのだが、視床下部には血管に接して並んでいるアストロサイトが存在し、これがレプチンで刺激され、HIF1α経路を介し、最終的に血管増殖因子VEGFが局所で分泌される。
- こうして分泌されるVEGFにより、視床下部のみで血管密度が高まる。これは、視床下部特異的な現象で、レプチンが上昇しても、他の脳領域では血管増生は起こらない。
- 血管増生により、メカニズムは明確ではないが、視床下部の交感神経の興奮が高まり、これにより高血圧が誘導される。
- こうして誘導される高血圧は、レプチンのレベルが下がると、元に戻りうる。
以上が結果で、実際には細胞や時期特異的な遺伝子操作を繰り返してこの結論を導いており、ここまでしないと論文にならないのかと思うほど大変な力作だ。同じことが人間で起こっているかどうかを確かめるためには、視床下部の血管の状態を詳細に調べるテクノロジーが必要だが、簡単ではなさそうだ。肥満が器質的な高血圧だけでなく、反応性の高血圧を持続させるとすると、心筋梗塞など様々な病態を再検討する必要があるかもしれない。