2021年6月6日
胎児へのウイルス侵入は防げない場合が多いとはいえ、細菌に関しては、少なくとも医学部では、胎児は原則無菌状態で保たれていると教えていると思う。ただこれまで何度も何度も、よく調べれば少量とはいえ細菌が存在すること、あるいは胎盤を通して細菌が胎児に侵入することを示唆する論文は数多く出版されている。とはいえ、結局量の問題で、ほとんど意味のない現象として扱われてきたと思う。
これに対して今日紹介するシンガポールA*Starや英国ケンブリッジ大学を中心とする国際チームからの論文は、細菌の存在とともに、それに対する免疫反応の存在を示し、確実に胎児中の細菌が免疫システムに何らかの影響を及ぼしていることを示した研究で、6月24日号のCellに掲載される。タイトルは「Microbial exposure during early human development primes fetal immune cells(人間の初期発生過程での細菌への暴露は胎児免疫システムを感作する)」だ。
研究は、胎児に細菌が存在し、それ自身意味があることを検証するため、あらゆることを行なっている。
まず妊娠12-22週胎児の様々な臓器から血液細胞を回収し、CytoFと呼ばれる技術を用いて、存在する血液集団を解析し、大人に見られるほとんどのリンパ球が、胸腺やリンパ節だけでなく、末梢の組織にも存在すること、そして何より抗原に出会った経験のあるメモリー細胞が一定程度存在することを明らかにしている。すなわち、胎児の免疫系は何らかの刺激を持続的に受けていることを示した。
この刺激の元が細菌であることを示すために、様々な組織で16S解析を行い、量的には少ないとはいえ、組織ごとに違った細菌叢が存在することを確認する。
これまでの細菌検査はほとんどDNA解析に頼っていたが、この研究ではさらに進んで、各組織から細菌培養を行い、増殖してきた細菌の種類も特定している。さらに、胎児組織の走査電顕および、in situハイブリダイゼーションを用いて、組織学的にも細菌が存在することを確認している。
そして、この表と裏のデータを統合するため、組織から集めてきた樹状細胞に、高い頻度で存在している細菌を取り込ませ、同じ胎児から調整したT細胞を刺激し、細菌に対する免疫反応が起こること、また免疫記憶が成立することを示している。
以上が結果で、要するに表裏徹底的に実験を行い、胎児は無菌的ではなく、おそらく胎盤を通ってきた細菌が各組織で小さな細菌叢を形成し、胎児の免疫を刺激していることを示している。これが生涯にわたってどんな効果を及ぼすのか、面白い課題だが、さらに実験が難しい課題だ。
2021年6月5日
若年性のALSは極めて稀だが、我が国でも報告は散在する。ただ、明確な遺伝性が認められないケースでは、ほとんど病気のメカニズムが解明されることはなかった。
今日紹介する米国NIHを中心とするチームから発表された論文は、セリンパルミトイルトランスフェラーゼ(SPT)の第2エクソンの変異により誘発された若年性ALSの解析で、代謝経路の異常でALSが起こるなど、これまでにない特徴があることから、ALS全体の理解にも今後大きく貢献する可能性がある研究だ。タイトルは「Childhood amyotrophic lateral sclerosis caused by excess sphingolipid synthesis(過剰なスフィンゴリピッド合成により誘導される児童期の筋萎縮性側索硬化症)」で、5月31日Nature Medicineにオンライン掲載された。
まずこの研究に参加した期間で、若年期に発症したことが明確なALSを選び、ゲノム検査を行い、SPT遺伝子第2エクソンに何らかの変異を持つ、7家族11例を特定することに成功している。
親兄弟のゲノム検査と比べた時、6例は、両親には全く変異が認められないde novoの変異であることが確認されたが、1例は父親および、生まれてきた全ての子供が同じ変異を持っていた。驚くことに、全ての子供でALSが発症したにもかかわらず、父親は軽い神経症状があるだけで、正常の生活を送っている。また、この家族に見られた同じ変異は、他の2症例でも見られている。
このように、特定された遺伝子はパルミトイルCoAとセリンからセラミドが合成される代謝経路の最初の段階でスフィンガニンが合成される経路で、すでに同じ遺伝子の他のエクソンの変異によりhereditary sensory and autonomic neuropathy type 1と呼ばれる家族性疾患が起こることが知られており、この場合同じ酵素の活性の変化により、セリンの代わりにアラニンを使うため、セラミド形成が低下することが知られている。
ただ、ALSの変異では、本来の経路でのスフィンガニン合成自体が上昇していることから、おそらく酵素活性が高まる変異だろうと推測された。この点を探るため、iPSの遺伝子をクリスパーで編集し、同じ突然変異を持つ運動神経細胞を用いてSPT分子の活性を調べ、最終産物セラミドによって起こるフィードバック機構に関わるORMDL分子との結合が変異により欠損し、スフィンガニン合成調節機構が外れて、過剰合成が起こっていることが明らかになった。
この結果は、もしSPTの酵素活性を全般的に低下させることができれば、遺伝子変異をそのままに、治療可能であることを示唆しており、この研究でも患者さんのファイブロブラストを用いてsiRNAによるノックダウン実験を行い、酵素活性を正常化することが可能であることを示している。
残念ながらスフィンゴリピッドの合成が高まることで、なぜ運動神経特異的な変性が起こるのかについては全く言及されておらず、今後の問題になる。また、なぜ同じ変異を持つ父親で同じ病気が発症しなかったのかも解析が必要だろう。ただ、スフィンゴリピッドはインフラマゾームを介する慢性炎症の誘導因子としても知られており、おそらくこのラインの研究が今後出てくるのではないだろうか。とすると、代謝疾患と言っても、他のALSの発症機構を考える意味でも、重要なモデルになるような予感がする。
2021年6月4日
ゲノム情報=核酸配列と思うかもしれないが、決してそうではない。例えばオペロンやホメオボックスといった、遺伝子自体のクラスターといった1次元構築や、さらには3次元トポロジーも、ゲノム自体の重要な情報の一部になっている。
このトポロジーの解読についてはHi-Cを代表とする様々なテクノロジーによりわかってきたが、トポロジーが何により決まっているのかについてはよくわかっていない。
今日紹介するオランダ・ガン研究所からの論文は、トポロジーの種間の差を手がかりに、condensin IIによりこれが調節されていることを示した、面白い研究で5月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「3D genomics across the tree of life reveals condensin II as a determinant of architecture type(生命の系統樹を網羅した3DゲノミックスによりコンデンシンIIが構築の形を決めることが明らかになった)」だ。
この研究では、全ゲノムレベルで領域同士の距離を測るHiCを用いて、なんとクラゲから人間まで、様々な多細胞生物のゲノムトポロジーを調べ、それぞれの共通性と差異について比べている。ただ、これだけの種を比較するとなると、 HiCを使えるだけのゲノム解読が進んでいないと難しいため、今回調べた24種のうち、14種については、新たにゲノム解読の精度を自分たちで上げる努力を行なっている。
結果は、一般的な系統とは無関係に、セントロメアやテロメアで異なる染色体間での接触が見られるType Iと、染色体間の接触が少ないType IIに分類できることがわかった。その上で、Type Iと関連する分子を探すと、Type Iをとる蚊では、分裂期に複製されたDNAを正確に分配するコンデンシンII複合体がかけていることに気づく。
そこでコンデンシンがType IとType IIを決める分子かどうか調べるため、Type II型のヒト細胞でコンデンシンII複合体の形成を抑える操作を行うと、なんとセントロメアで異なる染色体同士が接合するType Iへとシフトすることを明らかにする。
ただ、重要なことはこのようなType II vs Type Iのシフトによって転写レベルが変化する遺伝子は、核膜近くのLAD と呼ばれるドメインに固定されて遺伝子転写が抑えられている一部の遺伝子だけで、ほとんど遺伝子発現には変化がないことで、コンデンシンが本来機能している分裂期の一種の適応として起こった変化ではないかと考えている。
これを確かめるため、分裂期をコンデンシンIIの有無で観察してみると、分裂期をへた後G1期でのセントロメアの集合がコンデンシンIIにより抑えられていることがわかる。また、コンデンシンIIがないと、核内で核染色体の領域が混じり合ってしまっていることも示している。
これらの結果から、おそらく染色体の数と長さの変化に適応してコンデンシンIIのレベルが変化し、比較的短いばあいは染色体を濃縮して分離するType II、染色体が長い場合は厳しく染色体を分離しないType Iが分かれたと考えている。
少し専門的だが、同じ種の中でも染色体の数や長さが大きく変化することを考えると、納得いく説明に思える。しかし、コンデンシンIIが欠損したType I細胞を維持し続けると、染色体が融合して長い染色体ができるのだろうか、興味が湧く。
2021年6月3日
あと何回、このホームページに6月3日とタイプすることができるだろう。幸い、73回目の誕生日を迎えることができた。私にとっては区切りの日なので、個人的趣味に合わせた論文や総説を紹介することにしている。今年は5月21日号のScienceに、いつも見習いたいと思っている同い年のde Waalさんが総説を書いていたので、それをだしにして、自由に想いを述べることにした。総説のタイトルは「Modern theories of human evolution foreshadowed by Darwin’s Descent of Man(ダーウィンの人間の系統により予示されていた人間進化の現代理論)」。
De Waalさんのさんの総説は、今年がDarwin のThe Descent of Man出版150周年にあたることを記念して書かれたもので、このテーマについて書ける最もふさわしい科学者が選ばれたと言える。De Waalさんはボノボなどの類人猿の観察を通して人類進化を研究している現役の研究者だが、何々学者と一言で表せないぐらい広い知識に裏付けられた論文や著作を書いている素晴らしい科学者だ。なかでも「The Bonobo and the Atheist (翻訳では道徳性の起源というタイトルになっている)」は、これまで哲学の主題として見られてきた課題が、まさに科学の課題であることを示した重要な著作だ。その意味で、The Descent of Manもまさに同じで、人間の社会やそれを支える道徳などの規範もまた科学の対象であるというダーウィンの確信を述べた著作だと思っている。
この年になっても、京大ではフレッシュな1年生に、彼らが向かおうとしている生命科学とは何かを講義させてもらっているが、私はダーウィンを、近代科学誕生とともに一旦棚上げにされた様々な非物理学的因果性を「ダーウィン・アルゴリズム」という形で科学に取り戻した科学者だ、と、教えている。授業の感想文を読むと、毎年何人かは、このダーウィンアルゴリズムが単純にゲノム情報だけを対象としていないことに気づいているのがわかる。これは、生物に集まる情報が決してゲノムに限らないためで、ボールドウィン効果と呼ばれたりしている問題だが、これに気づいた学生のうちには、さらに道徳や倫理の問題がこの延長にあることまで気づいているのに驚かされる。
今風に言うと、ゲノム情報の多様化に対するダーウィンアルゴリズムを対象とした種の起源を書く過程で、ダーウィンは同じアルゴリズムが適応されるかもしれない新しい2つの領域を考えていたのだと思う。
一つは、種の起源の最終センテンスで、
「生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し 、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ。」ダーウィン,渡辺 政隆. 種の起源(下) (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.4185-4188)。
と述べられている、生命を生み出す最初の過程で、この時ダーウィンが無生物から生物の進化に想いを馳せていたことがわかる。最近の研究を見ると、この化学進化でもやはりダーウィンアルゴリズムが成立することがわかる。
そしてもう一つがThe Descent of Manで、高次脳機能などにより生まれた新しい情報メディアもダーウィンアルゴリズムに従うことで、この進化にゲノムが支配されていくことで、人間が進化したことに気付いている。例えば、他人のために自分を犠牲にすると言う崇高な道徳性は、自分を犠牲にすることでゲノムから見れば当然早く淘汰されるはずなのに、この性質が集団に受け継がれるのはなぜかと言う問題について、社会内に形成された規範により遺伝的な選択が影響されることをはっきりと述べている。
私が解説するまでもなく、de Waalさんは、The Descent of Manのポイントが、1)人間の特質ももとを辿れば他の動物に見られることで、量的な差でしかないこと、そして2)おそらく2足歩行をきっかけとして新しい共同のあり方がうまれ、これを基礎に発展した社会と社会性が、人間の遺伝的進化を促したこと、であることを、様々な例を挙げて述べているのでぜひ読んでほしいと思う。
この2つ目のポイントを、de Waalさんはgene-culture coevolutionとうまく名付けているが、これの究極が、科学により可能になった遺伝子改変かもしれない。遺伝子改変は一見すると自然選択の否定に見えるが、gene-culture coevolutionの観点からは、ダーウィンアルゴリズムの範囲内かもしれない。繰り返すが、よくまとまった総説なので、若い人たちにはぜひ一読を進める。
最後に、誕生日に当たっての今の心境を少し述べて終わろう。
写真は、2年前ウガンダでマウンテンゴリラを見に行った時撮影した写真で、片方の目が失われた高齢の個体が、群の中で一心不乱に葉っぱを食べている姿を撮影している。もちろんゴリラの群れというと、それを統括するシルバーバックで、その威風堂々とした姿に感心するが、足場の悪い山道を青息吐息で歩いてきた高齢者にとって、年老いたゴリラが自由な生活を許されているのをみてもっと感動した。
私たち夫婦も、この高齢のゴリラと同じで、この年になっても自由に生きるのを許されている。その意味で、今まで以上に、人間の重要な要素としてde Waalさんがこの総説でリストした、
などの科学について、より理解を深め、皆さんに紹介していきたいと思っている。
2021年6月2日
感染症の特定には、病原体検査が必須で、様々なチャンネルで検査を増やすことが感染対策の基本になる。オリンピック参加の選手を毎日PCR検査と言ってもなんの不思議も感じない我が国でも、1年前には検査を拡大すること自体ナンセンスといった意見が多くの専門家から聞こえたのは嘘のようだ。
とはいえ、新型コロナウイルスの検査の主流は今もPCRや抗原検査だが、このHPで何度も紹介したように(https://aasj.jp/news/lifescience-easily/13013 、https://aasj.jp/news/watch/8385 )、クリスパーを用いた系に変わっていくと予想する。ただ、これまで用いられていたCas12やCas13のように、活性化されると周りの全ての一本鎖DNAを切る性質を用いた場合、ガイドを増やして様々な変異体もカバーすれば、感染を見落とすことはないが、感染している変異体を特定するには、単一のガイドを用いた検査をやり直す必要があった。
今日紹介するビュルツブルグにあるヘルムホルツ感染症センターからの論文は、通常用いられるCas9の新たな可能性を追求する中で、一回の検査でウイルス変異体を特定できる方法を開発した研究で、5月28日号のScience に掲載された。タイトルは「Noncanonical crRNAs derived from host transcripts enable multiplexable RNA detection by Cas9(ホストの転写物中の標準とは違うクリスパーRNAを理解することでCas9のマルチプレックスRNA検出が可能になる)」だ。
CRISPR/Cas9=遺伝子編集と頭の中が固定されてしまっていると、Cas9+ガイドRNAの組み合わせで、ターゲットを切断する過程を想像するだけで終わるが、クリスパーの生物学を研究している人にとっては、ガイドRNAはあくまでもcrRNAとtransactivating crRNA(tracrRNA)が結合したものだ。これを一体化させて遺伝子操作に使ったというのがダウドナさんとシャルパンティエさんの閃きだが、crRNAとtracrRNAを眺めていると、クリスパー領域に存在している遺伝子でなくても、crRNAとして働けるのでは考えるのは当然だ。
この研究ではカンピロバクターの持つCas9に結合する細胞内のRNA を集めてきて、Cas9にリクルートされるRNAの性質を詳しく調べ、tracrRNAと結合してCas9にリクルートされるRNAには、クリスパーシステム領域外に存在する、普通のmRNAの一部が存在していることを発見する。
このnoncannonical crRNAの機能も面白いところだが、著者らはtracrRNAと結合してCas9にリクルートするためのRNA条件を詳しく検討し、こうして得られた条件を元に、tracrRNAの一部に検出したいRNA配列を組み替え、さらにこうしてできたRNAペアにより活性化したCas9に切断させる蛍光ラベルしたインディケーターDNAにも、検出するRNA配列の一部を取り込むことで、サンプルの中に存在する特定のRNA配列に反応して、インジケーターDNAが切断されるという、RNA検出系LEOPARDを完成させている。
このときインジケーターDNAの切断後の長さを変えておくことで、複数の標的を検出し、しかも特定できる。この研究では、アジレント社の電気泳動システムBioanalyzerを用いて、インディケーターの長さを測定するパイロット系を用い、1μlに10コピーの感度で変異ウイルスを特定できることを示している。
この研究では、Bioanalyzerという普及が難しい仕組みを使っているが、将来はインディケーターの標識を複数にしたり、あるいは思い切って変異ウイルスの数だけのマイクロアレーを用いるといった使い方も可能だろう。いずれにせよ、実験室レベルでも、感染と同時に変異株の種類を特定できる検査が可能になったことは、今後の感染症対策にとっても重要だ。
2021年6月1日
振り返ってみると、大学院にも行ったことがない臨床の医者が、そのままドイツで基礎の研究を許されたことが、人生の転機だった。しかし実際にはプラスミドという言葉さえ知らない初心者が、よくまあなんとかやれたと今考えても冷や汗がでる。留学したケルン大学は、Spring Meetingを毎年開いており、当時の最新研究が聞けたのだが、私にとっては知識の欠如を思い知らされる場所だった。最初参加した会議が、DNAのメチル化についてのシンポジウムで、そのときP.シャンボンの講演で初めてエンハンサーという言葉を聞いたことを、今も不思議に覚えている。
その時から考えると、自分の頭もずいぶん進歩できたことを実感する。エンハンサーについても、常に知識のアップデートを繰り返してきた。今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、エンハンサーが特定のプロモーターとペアを組むメカニズムについてアップデートしてくれた面白い論文で、5月26日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Enhancer release and retargeting activates disease-susceptibility genes (エンハンサーの解放と再結合が病気に関わる遺伝子を活性化する)」だ。
エンハンサーとプロモーターの間がルーピングして、両者に結合する分子同士が相互作用して転写が誘導されるという構図は頭の中に入っているし、それがHiCなどの領域間の接触を調べる方法で証明されていることもわかっているが、ではなぜ特定のペアが結合するのかについては、確かに頭の中にもイメージはない。
この研究では、エストロジェンに反応するエンハンサーにより転写のスイッチが入る遺伝子と、そのエンハンサーとトポロジー的に結合する可能性がある、同じトポロジードメイン(TAD)に存在するその他の遺伝子のプロモーターを選んで、それぞれの関係性について調べている。
具体的にはエストロジェンに反応するエンハンサーが通常ペアリングしているプロモーターを欠損させた時、エンハンサーはTAD内の他のプロモーターの転写に影響するかという問いを、細胞レベルで確かめている。なぜこれまでこのような実験が行われなかったのか不思議だが、TADの概念が確立したことで、このような実験が可能になったと思う。
答えは明確で、もともとペアリングしているプロモーターが欠損すると、同じエンハンサーは欠損した遺伝子の代わりに、他のプロモーターに移って、遺伝子転写を誘導することを発見する。すなわち、一つのプロモーターから解放されたエンハンサーは、同じTAD内の他のプロモーターと相互作用するようになる。
このシフトが起こる分子メカニズムを探ると、TAD形成などのルーピングに関わるCTCF分子がプロモーターに結合している場合、エンハンサーの新しい標的になることがわかった。この実験の場合、TFF1という遺伝子のエンハンサー/プロモーターについて調べているが、TFF1プロモーターにはCTCF領域がある。そして、このプロモーターを除去すると、やはりCTCFが結合しているTFF3のプロモーターへ移行し、さらにTFF3のプロモーターも除去すると、CTCFが結合している次のプロモーターに移行するという具合だ。
言い換えると、TCTCFとコヒーシンによりDNAのルーピングが制御されTADが形成されるのと同じメカニズムで、エンハンサーとプロモーターがペアリングする場合があることを示した。
これだけでも十分面白いのだが、この結果は本来ペアリングしているプロモーターのCTCF結合部位に突然変異が入ると、エンハンサーが同じTAD内の他の遺伝子を活性化させてしまう可能性についても検討している。
まず、同じTAD内のガンとは無関係の遺伝子プロモーターの変異により、本来なら作用を受けないガン遺伝子のプロモーターが、本来影響を受けないエンハンサーにより活性化されることを示している。
また、パーキンソン病のリスク遺伝子として知られるRAB7L1の転写が、近くのパーキンソン病とは無関係の遺伝子のプロモーター領域の多型により高められることを示している。
全てのプロモーター/エンハンサーペアが同じメカニズムを使っているわけではないが、病気とは無関係に見える遺伝子の多型も、このメカニズムを介して他の遺伝子の転写に影響するという発見は、遺伝子の変化の意味を知る一つの重要なパイプになると思う。
P.シャンボンの講演以来アップデートを続けてきたエンハンサーの概念をまたアップデートすることができた。
2021年5月31日
最近ようやく落ち着きを見せてきたが、今回の感染者の波のピークでの入院率は兵庫県で10%台に低下し、自宅療養者の数は5千人をおそらく超えたのでは無いだろうか。数字だけからは何もわからないが、これと並行して兵庫県の死者数は急激に増加している。
このことから、重傷者の治療と並行して、無症状、軽症状と診断され、療養待機か、自宅待機を迫られる人たちのケアの重要性がわかるが、兵庫県のガイドラインを見ると、見守りについてようやく対策が始まっているものの、病気を進行させないための方策が全く存在しないことがわかる。
原理的に考えて、この時期に使える治療薬もないわけでは無い。特に直接ウイルスの増殖を抑える薬剤は、感染後すぐに5日間程度投与するという可能性はある。事実、病院薬として設計されている抗体薬については、感染初期に予防効果があることがわかっている。
自宅で服用できる薬といえば、昨年4月に大村先生の開発されたイベルメクチンがCovid-19増殖を抑える可能性を示した論文をいち早くこのHPで紹介したからか、なぜイベルメクチンを我が国は使わないのかとよく聞かれる。我が国発のノーベル賞受賞薬だから使うべきだという低俗な議論は無視することにして、原理的に感染初期に効果があっても良さそうな薬剤で、治験も進んでいるので、有効と判断されれば必ず利用されると思う。
ただ私の感じる大きな問題は、Covid-19治療薬の治験が入院者に限られており、無症状者から軽症までの人を重症化させないという、初期段階への治験がほとんど行われていない点だ。
例えば以前紹介したコロナウイルスnsp7がプロスタグランジン合成酵素と結合するとする細胞レベルの結果が、実際に治療に役立つか調べるため、新型コロナウイルス軽症感染者に対してかかりつけ医が投与したCox阻害剤が、入院を防いだかどうかを調べ、Cox2選択的阻害剤のセレコキシブは全く効果がなかったが、Cox1阻害効果があるインドメタシンは、入院者数を50%以上低下させたというScienceの論文は、原理がわかっておれば、初期治療として十分使えることを示しており(https://aasj.jp/news/watch/14287 )、この論文を読んだ後、私は自宅にインドメタシンカプセルを用意している。
これからの切り札と考えられるメインプロテアーゼ阻害剤(https://aasj.jp/news/watch/15255 )も同じで、中症、重傷者より、おそらく初期段階に著効を示すことが期待される。したがって、いわゆる療養施設、自宅療養者を対象に治験を行う仕組みを今整えて、第2/3相を我が国でも同時に行えるようすべきだろう。
イベルメクチンに戻ると、もし投与量の問題さえ解決するなら、私はやはり入院できない患者さんにたいして治験を行うだろう。
前置きが長くなりすぎたが、同じ発想で、初期段階の患者さんの肺での自然免疫を高めて、重症化を防ぐことを目指したのが今日紹介するペンシルバニア大学からの論文で5月18日号のScience Immunologyに掲載されている。タイトルは「Pharmacological activation of STING blocks SARS-CoV-2 infection(薬理学的にSTING を活性化することでSARS-CoV2感染を阻害できる)」だ。
この研究は、イベルメクチンの作用とも関係している。まず培養系を用いて、細胞にCoV2を感染させても、自然免疫を抑える様々なメカニズムを持っているため、インターフェロンが分泌され、その効果が現れるまでに48時間もかかってしまうことを示している。
ウイルスは感染後10時間程度で新しいウイルスを分泌できるようになるが、48時間自然免疫が止められることはその間に周りの細胞へとウイルスが広がるのを止められないことを示している。イベルメクチンの作用機序の一つは、分泌されたインターフェロンに対する反応の抑制を除くことなので、CoV2感染のようにインターフェロンの分泌が遅れてしまう場合、単独では効果が落ちてしまうと考えられる。したがって、効果を狙うならインターフェロンとの併用など、治療のための工夫が必要になる。
この研究では、CoV2感染により自然免疫が抑えられていても、自然免疫自体は機能しており、DNAウイルスを感染させたり、あるいはpoly ICを投与したりすると、抑制されていた自然免疫が回復することを次に示し、別ルートで自然免疫を高めて治療する可能性を示している。
この結果に基づき、CoV2で抑制されている自然免疫を活性化できる化合物をスクリーニングし、最終的には同じグループがガンに対する免疫を高めるために開発したdiABZIと呼ばれる化合物が、自然免疫を高めてCoV2の増殖を抑えることを示している。
最後に、初期治療や予防治療を考慮して、マウスの鼻にこの薬剤を投与する方法で、diABZIの前処置、あるいは感染との同時投与でマウスのARDS発症を抑えることができることを示している。
自然免疫を高めることは、ワクチンと同じように強い副反応が出ることなので、おそらく予防投与は難しいと思うが、個人的な印象だが原理も明確でかなり有望な気がする。内服や静脈投与とは違って、自宅でも可能な方法なので、是非感染直後の軽症者を対象とした治験を進めてほしいと思う。
私は医学知識があるので、読んだ論文が納得できれば、薬剤をあらかじめ手元に置いておくことができる。おそらく感染しても、この知識のおかげで少しは気持ちを安らかに保てるだろう。しかし、私の方法を一般化するためには、やはり治験が必要で、インドメタシンも勧められるとは思わない。
指定感染症ということで、本来なら病院でケアを受けられる人が、病院に入れないと、全ての通常医療から除外されてしまい、頼るものがないという状況はなんとかする必要がある。そのためにも、感染者の多い今こそ、感染後すぐの人たちを対象とした治験を計画し推進することは、医学の使命だと思う。私のような年寄りでも必要とされるなら、いつでも協力する。
2021年5月30日
この論文を読むまで、全ての抗体はFc領域のSS結合により2量体を形成し、VHVLを含むFab領域はH鎖のヒンジ領域のおかげで自由に動けるのだと思っていた。ところがFcだけでなく、Fab部分でもなんらかの機構で結合が起こってしまって、抗体がI型をとって、合体したFab全体が一つの抗原に結合する形の抗体が存在し、ほとんどの場合グリカンを認識していることがわかっていたようだ。
今日紹介するヂューク大学ワクチン研究所からの論文は、グリカンやグリコシル化されたウイルス感染によりI型の抗体ができる過程を調べた研究で5月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Fab-dimerized glycan-reactive antibodies are a structural category of natural antibodies(Fab領域で2量体化したグリカン反応性の抗体は自然抗体の一つのカテゴリーを形成する)」だ。
Fabで2量体化したI型抗体(FDG)が存在することを知らなかったのは私だけで、HIVのワクチン開発に関わる人にとっては当たり前の話だったようだ。中でもHIVの糖鎖修飾を受けたenvに対する抗体2G12は有名だったようで、HIV-Envにナノモルレベルの親和性で結合するFDGとして研究されていた。このような変形型の抗体の場合、なぜFab同士が結合できるのかが問題になるが、これまではVH部分が他方のFabとクロスするスワップと呼ばれる機構でFDGが形成されるとされていた。
この研究では、HIV-Envと同じグリカンを抗原にしてアカゲザルを免疫し、得られたモノクローナル抗体をクライオ電顕で観察して、実際にどの程度I型の抗体ができるか調べ、4種類の抗体のうち3種類がI型をとれることを示している。
それぞれの抗体について、I型になる機構を調べると、スワップがなくても、抗原との結合、あるいはVHのシステインを介して共有結合してI型をとることを示している。以上の結果から、グリカンの場合、両方のFabが同じ抗原に結合するI型をとったときに結合力が高まることを示している。
次に、HIVに感染した患者さんからグリカン反応性のB細胞を分離、7種類の抗体を遺伝子から再構成すると、なんと3種類がI型をとることがわかった。また、VHのシステインを介してI型を取る抗体も、抗原により選択されていることを示している。
最後にサルへのエイズウイルス感染実験を行い、感染後50日目のリンパ球から、中和抗体が分泌され、これも同じI型をとることを示している。
詳細は省くが、これらの抗体のV遺伝子を調べると、おそらく自己のグリカンに対して弱い刺激を受けていた自然抗体のレパートリーの中から、抗原や感染により、より高い親和性を持つように突然変異を蓄積したクローンが選択され、感染防御に寄与していることも示している。
もともと、グリカンに対する自然抗体が、より強く選択された抗体なので、グリカンが結合しているタンパク質にかかわらず反応する。今回用いたHIV-Envのグリ間に対する抗体は、ウイルスから酵母まで、様々な病原体に対して広い親和性を持っており、中和活性はないが新型コロナウイルスにも結合する。
以上のことから、このタイプの抗体のレパートリーをあらかじめ用意するか、グリカンに対する抗体を誘導するワクチンをあらかじめ作っておけば、病原体特異的なワクチンが出回るまで、人々を強い感染から守れる可能性を議論している。
いずれにせよ、抗原に結合してI型の立体構造を示す抗体が存在することを初めて知った。そして、様々な方向からワクチンの可能性が試されていることもよくわかった。
今回のパンデミックの教訓から、我が国でもワクチンへの投資が行われるようだが、ワクチンは、この論文にもみられるような、基礎的な研究の積み重ねの上にある。これをどう実現するのか、明確なビジョンを新しい世代が示すことが重要だろう。
2021年5月29日
長期に人間を追跡するコホート研究の重要性を学生さんに教えるとき、いつも例として示す論文がある。Annals Neuroscienceに発表された論文で、
タイトルからわかるように、「2カ国語ができるとボケずに済むか?」を問うている。なんとなく脳科学者が語りかけそうな内容だが、この研究がすごいのは、なんと1936年に始められたスコットランドのコホート研究の対象になった人たちが、70年後にもう一度調べられた事実で、実際ボケるかどうかなど、対象者が高齢になるまで待つ必要があることをはっきり示した研究だ。もちろん答えは、「2カ国語ができた人はボケにくい」だ。
このように集団を長期的視野で追跡してくれる人たちがいるから、私たちの老化に関わる正確な知識が高まっていく。そんな例が、最近のeLifeに2報も発表されていたのでまとめて紹介する。
最初の南カリフォルニア大学からの論文はボリビアに住む、まだ都市化の洗礼を受けていない農耕と狩猟で生活している世界一健康な民族として知られるチマネ人(英語版Wiki:https://en.wikipedia.org/wiki/Tsiman%C3%A9 )は、年齢に伴う脳の萎縮も遅いという研究だ。タイトルは「The indigenous South American Tsimane exhibit relatively modest decrease in brain volume with age despite high systemic inflammation(南アフリカ先住民チマネ族は全身の炎症が強いにもかかわらず、脳萎縮のスピードは比較的穏やか)」だ。
チマネ族は我が国でも何度も紹介されており、70%以上が今も様々な寄生虫に感染し、さらに全身の慢性炎症が顕著であるにもかかわらず、動脈硬化がほとんどなく、しかもメチル化などで調べたエピジェネティックな老化指標でも、都会人と比べ、老化のスピードが遅いことが知られている。
この民族からは他にも驚くべき話が飛び出しており、2015年にはチマネ族の女性の多産は回虫感染のおかげだという話がScienceに報告されている。
今日紹介する研究では60歳以上のチマネ人をバスで病院に連れて行き、CTを用いて脳画像を撮影、年齢に伴う脳萎縮のスピードを、都会人と比べた研究で、コントロールの取り方に問題がないわけでは無いが、チマネ人は心臓血管系だけでなく、脳の萎縮も遅いと結論している。
今日紹介したいもう一つの論文は、なんとケニア・アンボセリ国立公園のヒヒの群れの老化研究で、デューク大学を中心とする国際チームによりeLifeに発表された。タイトルは「High social status males experience accelerated epigenetic aging in wild baboons(社会的にランクの高いオスのヒヒではエピジェネティックな老化が加速する)」だ。
この研究がすごいのは、1971年から、すでに50年にわたりヒヒの群れが追跡されており、行動学的データとともに、定期的血液採取による様々な研究が始まっていることだ。すなわちそれぞれの個体の誕生時期についてもほぼ正確なデータが揃っている。
実年齢とは別に老化状態を調べる一つの指標がDNAメチル化状態をゲノム全体にわたって調べる検査だが、この研究では、血液細胞のこの検査による、メチル化状態から算定される年齢と実際の年齢のズレについて調べ、メチル化老化を促進する要素を調べている。
詳細を省いて結論だけを紹介すると、これまでメチル化状態を決める重要な要因とされてきた子供時代の様々な困難や、社会的絆は、この集団ではメチル化への影響は少なく、雄の社会的ランクが最も大きな要因になっているという結果だ。言い換えると、高いランクを維持するために、メチル化状態の老化が促進されるという結論だ。
個別の結果も示されており、最も低いランクから、0.7年でトップランクに躍り出た個体は、なんとメチル化年齢では2.6歳も歳を取っていたことが示されている。
他の研究で、ランクの高いヒヒの死亡率は高いようで、ボスを続けることのストレスがよくわかった。
以上、集団を記録し続けるコホート研究こそ、21世紀ゲノム時代に求められている。
2021年5月28日
アルツハイマー病(AD)=βアミロイドという時代が終わり、Tau、炎症、細胞老化、Proteostasis, 幹細胞と数え切れないほどの治療可能性が現れ、AD研究分野は新しい収穫期に入ったように見える。例えばTauタンパクへの介入では、5月12月号Science Translational MedicineではTauに対するモノクローナル抗体治療でTauの蓄積を抑制できるとする前臨床および第一相の治験論文が発表されていたし、
5月26日には同じScience Translational MedicineにPAC受容体を活性化して、ポストシナプスに集まっているTauを除去して、ADを治療する可能性が示唆されていた。
実際にはAβに対する抗体治療開発から分かるように、これらの治療方法でも前臨床研究からの長い道のりが待ち受けていることが予想されるが、AD克服も夢では無いことが実感できる賑わいだ。
そんな中で今日紹介するオランダ神経科学研究所からの論文は、マイクロRNAを用いて神経前駆細胞から分化細胞までの過程を高めてADを治療しようとする、少し毛色の変わった研究で、5月24日Cell Stem Cellにオンライン出版された。タイトルは「Restoring miR-132 expression rescues adult hippocampal neurogenesis and memory deficits in Alzheimer’s disease(miR-132発現を回復させることで成人アルツハイマー病海馬での神経生成を正常化し記憶を回復させる)」だ。
このグループは最初からADで神経前駆細胞からの分化細胞の供給が低下していることに焦点を絞り、これを正常化する方法を探ってきており、その中でこの過程に影響の大きい分子の一つとしてmiR-132を見出してきた。
この研究ではまず、AD患者さんの海馬歯状回で、神経前駆細胞の増殖が低下していることを確認し、ADには分化した神経細胞の変性に加えて、分化細胞を供給する幹細胞システムの活性低下があることを確認している。
あとはアミロイド沈着が促進するADモデルマウスを用いて、miR-132は運動により神経細胞に誘導され、分化細胞の供給を高めるが、アミロイドの沈着が始まるとmiR-132の発現が抑えられることを示している。
次に、miR-132をマウス海馬でノックダウンし、マウスに運動をさせると、普通ならmiR-132の上昇と並行して起こる神経前駆細胞の増殖分化が抑制されることを示し、miR-132が神経細胞増殖に関わっており、生きたマウスで発現量をコントロールできることを確認している。
あとは、ADマウスモデルにmiR-132を注射することで、前駆細胞から分化細胞への増殖を高めることが可能であること、その結果マウスの認知機能の低下を抑えられることも示している。
他にも、試験管内で人間の神経細胞を用いてmiR-132の影響を調べたり、miR-132により、mRNAの発現がどう変わるかなどを調べているが、効果のメカニズムに迫るところまでは行っていない。
以上、しかし割と投与しやすく、比較的長期間効果を発揮できるRNAによる治療が、しかも細胞の供給を高めることで可能だとすると、変性を防ぎ、失われた細胞の供給を高める、新しいコンビネーション治療開発が可能ではと期待できる。