2021年6月17日
高血圧と肥満が密接な関係にあることは誰でも知っている事実で、肥満の人が高血圧と診断されたら、減量が最初の治療になる。この原因は、肥満による動脈硬化など、大血管の問題が先行するからで、その後網膜、腎臓、神経系などの微小循環系の異常へと病気が進展すると考えている。
ところが今日紹介するミュンヘンのヘルムホルツセンターからの論文は、高脂肪食を続けて体重が増え始めると、視床下部特異的に微小血管が増生し、その結果交感神経の過興奮が生じて血圧が上がることを示した、ある意味意外な研究で、6月1日号のCell Metablismに掲載されている。タイトルは「Obesity-associated hyperleptinemia alters the gliovascular interface of the hypothalamus to promote hypertension(肥満によるレプチン上昇により視床下部のグリア血管界面が変化し、高血圧になる)」だ。
おそらく肥満と交感神経の興奮の関係を研究していたのではないかと思うが、まず高脂肪食で肥満にさせたマウスを調べると、高血圧が発症するより前に、視床下部の血管の密度が高まっていることを発見する。しかも、他の脳領域での血管網にはほとんど変化がなく、さらに血管内皮の基底膜の肥厚まで見られるようになることを発見している。
この発見が研究の全てで、あとは視床下部の血管増生を起点に過食まで、あるいは高血圧までの経路を、遺伝子ノックアウトや生理学を積み重ねて丹念に調べている。詳細は省いて、高脂肪食による肥満から順番に著者らが明らかにした経路を説明しよう。
- 高脂肪食を投与すると、白色脂肪組織が肥大し、肥満を抑えるホルモンの一つレプチンが誘導される。
- 通常レプチンは食欲や代謝の調節に関わる神経に働いて肥満を防ぐのだが、視床下部には血管に接して並んでいるアストロサイトが存在し、これがレプチンで刺激され、HIF1α経路を介し、最終的に血管増殖因子VEGFが局所で分泌される。
- こうして分泌されるVEGFにより、視床下部のみで血管密度が高まる。これは、視床下部特異的な現象で、レプチンが上昇しても、他の脳領域では血管増生は起こらない。
- 血管増生により、メカニズムは明確ではないが、視床下部の交感神経の興奮が高まり、これにより高血圧が誘導される。
- こうして誘導される高血圧は、レプチンのレベルが下がると、元に戻りうる。
以上が結果で、実際には細胞や時期特異的な遺伝子操作を繰り返してこの結論を導いており、ここまでしないと論文にならないのかと思うほど大変な力作だ。同じことが人間で起こっているかどうかを確かめるためには、視床下部の血管の状態を詳細に調べるテクノロジーが必要だが、簡単ではなさそうだ。肥満が器質的な高血圧だけでなく、反応性の高血圧を持続させるとすると、心筋梗塞など様々な病態を再検討する必要があるかもしれない。
2021年6月16日
よほどの思想家は別として、アンチエージングは人間の素朴な希望で、それに応えるべく、巷には様々なサプリが溢れている。しかし、ほとんどの場合、その効果を正確に確かめるのは、簡単ではない。
以前、外国語教育が将来の認知能力に影響があるかを調べたエジンバラ大学からの論文を紹介したことがあるが(https://aasj.jp/news/watch/1660)、この研究はなんと1936年にスタートして、そのとき11歳だった児童が70歳を超えたあと、2010年まで70年以上にわたって観察し続けている。このように、本当にアンチエージング効果があることを証明するには、長い時間がかかる。
従って、多くのサプリは、老化研究に基づいているとはいえ、人間に対してアンチエージング効果があるかどうか確かめているわけではない。結局、有名人で元気な高齢者が服用しているからという錯覚マーケティングで、高齢者を引きつけるのが常套手段で、買う方もアンチエージング効果があるかどうか本当は知る術がない。
それでも、老化研究の科学をヒトに応用しようと思うと、科学的根拠があるサプリについては地道に治験を進めるしかない。そんな研究がワシントン大学栄養学研究センターから6月11日号のScienceに発表された。タイトルは「Nicotinamide mononucleotide increases muscle insulin sensitivity in prediabetic women(Nicotinamide mononucleotideは糖尿病予備軍の女性の筋肉のインシュリン感受性を高める)」だ。
老化を抑えるルートには、活性酸素などのストレス軽減、ゼノリシスなど、いくつかのルートが見えてきたが、この研究ではNAD依存性の脱アセチル化酵素サーチュインを活性化するNADの前駆体、nicotinamide monoclueotide (NMN)の服用効果を、BMIが30を越した平均61歳、糖尿病予備軍の女性を対象に調べている。
NMNは、アンチエージングサプリとして巷に溢れているが、高純度のNMNを提供する企業は多くなく、実際にはかなり高価なサプリだ。この研究では我が国オリエンタル酵母社のNMNを1日250mg服用してもらっているが、おそらく一錠数千円はかかるのではないだろうか。
全て無作為化偽薬を用いた臨床治験で、10週間服用後、採血だけでなく、組織バイオプシーまで行い、その効果を調べている。
おそらく最も重要な結果は、10週間服用すると、血中にNMN由来代謝物が上昇するとともに、筋肉細胞内の代謝物も上昇している点だろう。これまで示されてきたように、サーチュイン活性化に必要なNADは、白血球では上昇しているものの、筋肉では上昇しておらず、NMN服用は意味がないのではと言われてきたが、今回代謝物が上昇していることが示され、サーチュインの活性化が起こっていることを強く示唆した結果だと思う。
次に、インシュリンを一定レベルにしてグルコース利用を調べる方法で、筋肉のインシュリン感受性がNMN服用で高まることを示し、これがインシュリンシグナル経路が高まった結果であることを、AKTやmTORなどのリン酸化で示している。
ただ、この変化は筋肉だけで見られ、脂肪組織や肝臓のインシュリン感受性は変化しなかった。個人的には、全身の効果があるのではと思っていたが、脂肪組織や肝臓の代謝はあまりサーチュインに影響されないのかもしれない。
サーチュインは7種類もあり、核やミトコンドリアで働いているため、NMNが作用する分子経路を特定しづらくしているが、この研究ではNMN服用により筋肉に起こる遺伝子発現の変化、さらにインシュリンレベルを一定にした状態でのNMNの効果の両方を調べ、定常状態では遺伝子転写レベルで大きな変化はないが、インシュリン刺激で300種類以上の遺伝子転写が即座に上昇するよう、リプログラムが起こっていることを示している。
中でも、PDGFに反応するシグナル経路が高まっているが、これ自体は筋肉の代謝や運動力には影響がなく、インシュリン感受性を上げるのに一役買っているのではないかと結論している。
以上が結果で、10週間ではあるが、検出された効果が筋肉に限定していることには少し驚いたが、服用したNMNが、ほとんどの細胞にちゃんと侵入し、血液ではNADの上昇、筋肉ではNMN代謝物の上昇として検出されることが明らかになったことは、サプリを用いる医学が正しい方向へ歩み出す大きな一歩になったと思う。今後、他の効果についても綿密な研究がようやく可能になったと思う。
2021年6月15日
新型コロナウイルスの重症化までの経過を見ていると、動き出した免疫や炎症をタイムリーに抑えることの重要性を感じる。裏返せば、ガンのように免疫を高めたい時に、ノーベル賞の対象になったPD-1やCTLA−4以外に多くのチェックポイント機構が必要で、事実この数年で多くのチェックポイント分子が発見されてきた。
さらに、PD-1のような抗原特異的T細胞を対象にするだけでなく、免疫が誘導される局所の炎症を上げたり下げたりする仕組みも重要になる。局所炎症を上げて免疫を高めるために、ワクチンは自然免疫誘導刺激とセットになっているが、これも続きすぎると炎症が拡大するので、これを抑える仕組みが存在する。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、リンパ球ではなく、免疫を助ける樹状細胞などの骨髄球のチェックポイント機構TIM-3の機能をマウスで詳しく解析した研究で、炎症と免疫の最新研究を知る上でなかなか面白い論文だった。タイトルは「TIM-3 restrains anti-tumour immunity by regulating inflammasome activation(TIM3はガン免疫をインフラマゾーム活性化を調節することで制限している)」で、6月9日Nature にオンライン掲載された。
この研究はTIM-3と呼ばれる、リンパ球や樹状細胞など様々な細胞に発現している分子の機能研究と位置付けられる。この分子の研究は、もともとチェックポイント分子として臨床研究が進んでいる分子で、実験的にはTIM-3に対する抗体がガン免疫を高めることが知られている。ただ、PD-1のようにT細胞に効いているのか、それとも他の細胞を介してガン免疫に関わるのか、決着はついていなかった。
この研究では、マウスモデルで、リンパ球や樹状細胞などそれぞれの血液細胞系列特異的に遺伝子ノックアウトを行い、どの細胞でTIM-3の発現が抑えられたときにガン免疫を高められるか検討し、リンパ球ではなく、樹状細胞やマクロファージで発現が抑えられたときに、腫瘍局所のキラーT細胞が増加し、腫瘍を抑制することを明らかにしている。また、腫瘍組織に集まるCD8キラー細胞は、増殖性の高い一種の幹細胞タイプのT細胞で、ここから多くのキラー効果を発揮するエフェクター細胞が作られる。
すなわち、TIM-3が欠損すると、樹状細胞の機能が高まり、その結果CD8T細胞の幹細胞様の増殖が誘導され、ガンを抑えてくれていることがわかる。実際、TIM-3ノックアウト顆粒球を調べると、抗原を提示する能力が高まり、免疫増強に必要な分子の発現が高まっていることがわかる。
最後にTIM-3効果の分子機構をさらに調べていくと、TIM-3が欠損した樹状細胞では、自然炎症の核になるインフラマゾームの形成が高まっていること、そしてインフラマゾームの活性を、カスパーゼ1阻害剤、IL-1阻害剤、そしてNLRP3阻害剤を用いて抑制すると、TIM-3欠損による抗腫瘍効果は消失することを明らかにしている。 すなわち、TIM-3はインフラマゾームの形成を抑えて炎症を抑制する活性を介して、ガン免疫を抑えるチェックポイントであることがわかった。
以上のことから、TIM-3に対する抗体も十分役立つことはわかるが、もっと重要なメッセージは、ワクチンと同じで、免疫には必ず自然免疫活性化がセットでガン局所の炎症を調節して抗がん作用を発揮させることだといえる。インフラマゾームについては、ガンだけでなく、肥満から糖尿病に至るまで、研究が急速に進んでおり、ガン免疫治療にも大きな貢献が見込まれる。
2021年6月14日
「常識は破られるためにある」などとうそぶけるのは、破れたことがわかった後のことで、実際には、常識に照らして何かおかしいと感じる感性を突き詰めることができる人だけが、この言葉を語る資格がある。
今日紹介するマインツ大学からの論文は、組織中の白血球は必ずしも血管を通って移動してくるとは限らないこと、具体的には脳脊髄の髄膜に存在する白血球は、近接する骨髄から直接に開いている管を通って移動してくるという驚くべき発見で、6月3日Scienceにオンライン掲載された。タイトルは「Skull and vertebral bone marrow are myeloid cell reservoirs for the meninges and CNS parenchyma (頭蓋と脊椎の骨髄は髄膜と中枢神経実質中の骨髄球を直接供給する)」だ。
実際には常識には徐々に疑問が投げかけられるもので、米国やドイツの研究室から、頭蓋骨髄から脳へのチャンネルが存在し、炎症やガンなどの状況でこのチャンネルが機能して、血球のリクルートメントや、ガンの転移が起こる可能性が示唆されていた。
ただ、これまでは異常な状況での特殊なルートとして考えられてきたが、この研究では定常状態で骨髄から脳への直接ルートがどの程度使われているのか調べる目的で、蛍光標識されたマウスと普通のマウスの血管を吻合して30日間、血管を通る細胞を完全に一体化する方法を用いて、組織中の白血球が置き換わった率を調べている。もし全てが血管ルートを通るとすると、蛍光細胞と非蛍光細胞の比率は50/50になる。
実際、30日経つと末梢血だけでなく、多くの組織で比率は50/50になるが、脳及び脊髄の髄膜や硬膜の顆粒球はほとんど置き換わらないことを発見している。すなわち、血管を通る髄膜への顆粒球の移動はほとんどないという、驚くべき結果になった。
あとは、本当に血管を通らず、直接頭蓋や脊椎の骨髄から髄膜へ移動していることを確認する実験をこれでもかこれでもかと、繰り返し、
- 頭蓋骨髄のCXCR4ケモカインシグナルを抑制すると、近接する脳髄膜への顆粒球の移動が促進されるが、他の組織には影響がない。
- 蛍光分子を発現するマウス頭蓋骨を移植すると、移植後30日後でも近接する脳髄膜には標識か琉球が認められる。
- 放射線照射で骨髄造血を抑制する実験で、一部の骨を放射線からシールドすることで、限られた場所からだけ血液が供給される実験系を用いると、頭をのぞいて全身の骨をシールドした場合は、脳髄膜にはほとんど顆粒球がリクルートされないが、逆に頭の骨をシールドした場合は、ほとんど正常のリクルートが見られる。
など、創意に溢れる実験で、脳脊髄髄膜の顆粒球は、骨髄から脳へのチャンネルを通る細胞移動で起こることを示している。
さらに、移動してきた細胞のsingle cell RNA解析などから、この移動にCCR1ケモカイン受容体を刺激するケモカインが関わることも示している。
最後に多発性硬化症モデルや、脊髄損傷モデルで、神経系が障害されたとき、まず近接骨髄から白血球がリクルートされ、脳血管関門に邪魔されることなく迅速な細胞移動が可能になっており、血管を通る移動はその後起こることを示している。
重要な結果は以上で、定常状態でも、脳髄膜、さらに脳実質への顆粒球リクルートメントが、近接骨髄から直接行われることが証明されたのではと思う。もちろん多くの研究室で追試されることが必要だが、いったん非常識が常識になると、例えば脳内のリンパ管の存在の時と同じ様に、今度はその意義を巡って多くの研究が進むだろう。これにより、脳内の炎症と他の組織の炎症の違いなどの理解が進むことを期待したい。
2021年6月13日
現役を退いて8年になるが、生命科学分野の進歩や技術革新はいちじるしく、ウカウカすると新しいことが全く理解できなくなってしまうのではと恐怖を感じる。いよいよその時は論文ウォッチも引退になると思っているが、まだそこまではボケていないと走り続けている。
とはいえ、現役時代によく目にしたような内容の論文に出会うと、懐かしく紹介したくなる。今日紹介するフィラデルフィア、Perelman医学校からの論文は、発表から2ヶ月経ってはいるが未読の中に紛れ込んでいたので改めて読み直すことになった論文で、サルから人間に進化する過程で、汗腺を増加させて体を冷やす能力を身に着ける過程を、遺伝子の変化から推察する研究で、4月20日号の米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Repeated mutation of a developmental enhancer contributed to human thermoregulatory evolution (発生過程で働くエンハンサーに起こった繰り返す変異により人間の体温調節機構が進化した)」だ。
このグループは以前から汗の組織、エクリン腺の発生について研究しており、転写因子Engrailed1(En1)が、エクリン腺特異的に発現していること、さらにヒトの発生過程では、サルやマウスと比べると高い発現が見られることを発見していた。そこで、エクリン腺の数がヒトで多いのは、発生初期に皮膚プラコードでEn1の発現を調節するエンハンサーの活性に差があるからだと着想し、ヒトでの高い発現に関わる領域を探索している。
配列の比較から哺乳動物のEn1発現に関わる領域を209個所リストし、エピジェネティックスのデータベース、染色体免疫沈降法などを組み合わせ、最終的に23種類に絞り込み、ウイルスベクターに組み込んだレポーターシステムでマウス胎児に導入して、皮膚のプラコード特異的に発現する領域の中からECE18と名付けた領域を特定している。
次に同じ領域を、マウス、チンパンジーゲノムからクローニングし、同じレポーターシステムで調べると、期待通りヒトのECE18が最も高い活性を持っていることが確認できる。
あとは、ヒトケラチノサイトを用いて変異を導入したヒトECE18の活性を調べ、、ヒト特異的な高い活性にどの領域が必要か調べているが、これは難航したようで、結局SP1結合領域を中心にに幾つかの変異が蓄積することで、現在の人のECE18領域が進化したと結論している。
これを証明するため、最後にマウスECE18をクリスパーで人型にかえたマウスを作成し、2倍程度の発現の上昇が見られることを示しているが、残念ながらエクリン腺の数が増えた汗をかきやすいマウスまでには至らなかった。そこで最後に、En1の発現が半分に低下させたマウスを用いて、残っているEn1のエンハンサー領域をヒト型ECE18に変えたマウスを作り、ついにECE18がヒト型になるとエクリン腺の数が多くなることを証明している。
以上、転写調節研究を、進化と絡める起承転結のはっきりしたグランドストーリーの典型論文で、本当に懐かしく読んだ。ただ、ゲノム研究が進んだ今、おそらくこの領域を人間の進化や多様性からも見直すことが可能だろう。一枚の論文を書くために大変な労力が必要な研究だが、もっと多くのグランドストーリーを聴きたい。
2021年6月12日
例えば腫瘍の臨床診断の最後は病理診断で、最近では様々なバイオマーカーを用いて診断も行われる。しかし考えてみると、末梢血のバイオマーカーを用いた診断と比べ、腫瘍と他の細胞との相互作用について最も密度の濃い情報が得られるのが、腫瘍組織の免疫病理検査だが、この利点を生かして、治療戦略に大きく関与するところまでは行っていない。
実際FDAが認可した病理診断基準は、PD-1抗体治療の適用を決めるためのPD-L1発現を調べる病理検査しか存在しないようで、DNAレベルの検査やsingle cell RNA seqなどに早晩置き換えられるのではと危惧される。
今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は、免疫染色を用いた病理診断が普及できないのは、データの解読にバリエーションの大きい病理医などの人的ファクターがあるからではと考え、完全に人間を排除したプラットフォームを開発しようとする試みで6月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Analysis of multispectral imaging with the AstroPath platform informs efficacy of PD-1 blockade(マルチスペクトルの組織像をAstroPathプラットフォームで解析することでPD1治療の効果を予想できる)」だ。
研究自体は、機械でどこまで免疫染色した病理組織を読めるかと言う話だが、これを思い立ったモチベーションが、天体の分析に用いられるAstroPathというプラットフォームの存在だ。
現在高感度の反射望遠鏡で宇宙の広い範囲を撮影して、宇宙の精密な地図を作るSDSS計画が進行中だが、こうして得られた映像を解析する目的で作られたAstroPathを、6色異なるスペクトラムの蛍光色素で染色した組織の解析に使えるようにしたのがこの研究だ。
天体では星がまばらに存在しているので、組織観察には役に立たないと思われがちだが、SDSSにより示された天体は、数億個の星がぎっしりと詰まった像で、まさに細胞がひしめいている組織と同じで、確かに技術はそのまま利用できる。
ただ、このプラットフォームに合わせるためには、染色から工夫が必要で、示された図からみると、バックグラウンドが高くても、S/Nレンジを高めた染め方を新たに開発している。
あとは、単染色から始めて、細胞の輪郭、細胞あたりの蛍光強度の処理方法、など様々なパラメーターを最適化している。いずれにせよ素人には分かりにくい、しかし最も難しい過程だと思う。
その結果、大きな組織切片の億単位の細胞について、染色データを得て、任意のパラメーターについて2次元に再展開し、自動分析することが可能になっている。FACS解析と違って、蛍光強度については、4段階に分ける方法で分析しているが、これでも細胞一つ一つが41種類のどれかに分別され、驚くことに1枚のスライドから得られるデータ量は5TBになる。これを聞くと、病理診断から人的ファクターが除かれるのにはまだまだ時間がかかる気がする。
とはいえ、普及の問題は別にして、この方法で何が可能かを示す必要がある。この研究では、これまでの研究で示されていたCD8T細胞のPD1発現量が高いと、チェックポイント治療の効果は低く、一方、中程度から低レベルのPD1の発現が見られると治療効果は上がること、またCD163陽性の白血球が存在すると予後が悪いことなどを確認すると同時に、CD8陽性細胞の中の極めて稀な集団FoxP3+PD1+細胞の存在は、予後に強く相関することなどを示し、人的要因をのぞいてバイアスなしに解析することの意味を強調している。
最近の顕微鏡技術の発展のおかげで、実際に可視化することの重要性を嫌というほど感じるが、逆に判断には人間を除去することが重要とする、AI宣伝論文だろう。しばらくすると、優秀な病理医と、このAIの真剣勝負が始まる気がする。ただ、結果は見えている。
2021年6月11日
新型コロナ重症化リスクの最大の要因は老化で、昨日までの死者の数を見ると、まずほとんどが60歳以上で、60歳以下の死者は全体の5%に満たない。厚労省のデータだが、10代では今も死者0になっている。
この差を単純に免疫システムの違いで片付けることは難しく、また重症化から死亡に至る過程にサイトカインストームや線維化があることを考えると、当然、老化細胞の増加による慢性炎症が高齢者の死亡の背景にあるのではないかと想像できる。ただ、covid-19とsenolyticsで検索をかけても、数えるぐらいの論文がヒットするだけだった。
そこにミネソタ大学とメイヨークリニックから、動物実験レベルだがsenolyticsにより、マウスコロナウイルスに対する抵抗性を高めるという論文が6月8日Scienceにオンライン出版された。タイトルは「Senolytics reduce coronavirus-related mortality in old mice(老化細胞を除去するsenolyticsは老化マウスのコロナウイルス関連死を減少させる)」だ。
読んでみると、そのままCovid-19に適用するためにはいろいろ問題がある論文で、紹介しようかどうか迷ったが、一度は検討する価値がある可能性なので、判断は読者に委ねるとして、紹介することにした。
放射線照射モデルでの老化細胞がLPS刺激に対して高いレベルのサイトカイン分泌を示すことを確認した上で、腎臓内皮細胞を新型コロナウイルスのスパイクタンパク質S1で刺激すると、同じように老化細胞のみ強いサイトカイン合成が見られることを示している。
この実験では、ウイルス自体の代わりにS1で細胞を刺激している。たしかに、S1が自然免疫を刺激するという話はあるが、ウイルス自体を用いないと、参考にならない。というのも、コロナウイルスはタイプ1インターフェロンを抑える様々な仕組みを持っており、その上で誘導されるサイトカインストームを再現する場合は、やはりウイルス感染実験しかないように思う。
これで細胞レベルの実験は終わり、今度は一般の細菌叢に対する老化マウスの反応を調べている。この実験もユニークで、ペットショップから購入した一般環境で飼育されたマウスを1週間飼育することで汚された床敷きに、SPFマウスを晒して、感染を起こさせる実験を行なっている。驚くことに、若いマウスではSPFで飼われていても汚い環境に適応できるが、老化マウスは2週間以内に全例死亡する。そして、期待通り様々なサイトカインの発現が上昇している。私も論文はかなり読んでいるが、床敷で感染させるという実験は初めてだ。おそらくレフリーに指摘されたのだろう、マウスに感染するβコロナウイルスの感染実験でも同じことが起こることを示している。しかし、そうなら最初から汚い環境に晒すという複雑な実験をやめて、コロナウイルス感染に進めばよかったのにと思うのだが、実際には汚いマウスの床敷きがコロナウイルス感染モデルになると考えているようで、床敷きに晒すことで、マウスコロナウイルス感染が起こっていることを確認している。
最後に、この床敷感染実験によるマウスの死亡数が、サーチュインの活性に関わるとして知られているfisetin, さらには遺伝的senolyticsの系(p21が発現している細胞を薬剤で除去するシステム)。そして現在senolytics薬剤として用いられるダサニティブ+ケルセチンのコンビで、抑制することができることを示している。
以上が結果で、これでsenolyticsによりコロナ感染死亡を防げると結論している。ただ、Covid-19抑制に関わるsenolyticsを考えるとき、サイトカインストームから肺線維症が進行する過程を抑えられるのではと期待するが、読んでみてこの過程は無視されているように思える。すなわちこの研究では、ウイルスに対する免疫システムが老化で低下しており、これをsenolyticsで抑えるという話になっている。実際老化マウスではウイルスに対する抗体の産生が落ちており、senolyticsで抗体が回復している。また感染実験でも、感染量が増えると、病気の進行は遅らせても、マウスは最終的に死亡することから、肺線維症へスイッチするような病態を見ているようには思えない。
以上、紹介はしたものの、これをそのまま人間のcovid-19の重症化モデルに役立つとは到底思えず、よくレフリーも通したなと言う印象だが、senolyticsの効果については、もう少しわかりやすいモデルで、検証を続けることは重要だと思う。
2021年6月10日
最近のスマートウォッチでは心電図から酸素飽和度まで測定可能になっているが、もしこのレベルの異常が見つかれば、即、医師の診察室へ直行する必要がある。どの程度の数の人が、スマートウォッチで異常が出たからと医師を訪れているのか興味がある。実際には、年に一度の検診と比べたとき、毎日心電図を取る意味はそれほどないように個人的には思う。
このように、どうしても医学ツールとしてセンサーを発展させようとする試みがある一方、ほとんどのスマートウォッチでは、様々なセンサーを使って日々の体の活動を記録することができる。こちらの方は、定期検診では得られないデータで、ウェアラブルセンサーが普及して初めて可能になった。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、個人の活動性を調べたウェアラブルセンサーデータを病院での検査データと相関させるための機械学習開発で5月24日Nature Medicineにオンライン掲載された。タイトルは「Wearable sensors enable personalized predictions of clinical laboratory measurements(ウェアラブルセンサーを用いると病院での検査結果を個人レベルで予想できる)」だ。
個人的には、ウェアラブルセンサーは診断ツールとしての機能を磨くのではなく、個人の活動を記録し蓄積し、それを利用できるようにする方向で開発を進めて欲しいと思うが、この研究ではアップルウォッチ ではなく、Intel Basisを用いて、心拍数、運動、体温、そして皮膚電位の4項目について持続的に計測し、同時に対象者に月一回のペースで血液検査を行い、それぞれのデータに相関があるか調べている。
月一回の検査では、体温や心拍数も調べるが、毎日のデータの精度は圧倒的に高く、例えば日内周期はウェアラブルセンサーでないと拾えない。すなわち、アクティビティーと時間から推定される、いつどのような状況で測定したかも含めると、この4つの指標はなんと153のデジタルデータになる。
次にこれを血液検査と相関させると、それぞれの血液検査結果と相関するデジタルデータを抽出することができる。血液電解質を除くと、ほとんどの検査とデジタルアクティビティーを相関させることができる。
面白いのは、最も相関が高いのがヘマトクリットや、赤血球数などの血算データで、おそらく何らかの感染症や炎症を反映しているのだろう。残念ながら、この研究では病名までは対応させていない。
最後に、それぞれの検査データ値を、集団レベルの正常値に合わせるのではなく、月一で検査した平均値を用いて、そこからの変化と相関させると、より高い相関が見られ、この方法だと、血中電解質でも強い相関が見られるという結果だ。
以上、機械学習を磨けば、精度の高いアクティビティー記録がいかに役に立つかを示した研究だと思う。
私もスマートウォッチを愛用しているが、問題は機械学習により診断し、それを個人にフィードバックしたり、医療で用いたりするための基盤が必要になる。すなわち、医療の領域に入るためのregulationなどの議論が必要になる。そろそろ、マーケティングの目的ではなく、本当に医療に参入するための議論を始めてもいいように思う。
2021年6月9日
クライオ電顕のおかげで、新型コロナウイルス(CoV2)の様々な機能タンパク質の構造解析は急速に進んだ。この結果と思うが、ウイルス分子を標的にした薬剤開発も、単純なハイスループットスクリーニングではなく、タンパク質の構造から化合物をデザインする方向性がうまくいっているように思う。例えば、以前紹介したCoV2メインプロテアーゼの阻害剤のように、臨床治験にまで進んだファイザー社の化合物は、3次元構造を元に小さなユニットを組み合わせて設計された阻害剤だ(https://aasj.jp/news/watch/15255)。
この辺になると、私のようなアマチュアには到底計り知れないプロのセンスが必要になると思う。このようにCoV2、特にRNA合成酵素を見る眼差しのプロとアマの差をはっきり示す論文が米国NIHから6月3日Scienceにオンライン掲載された。タイトルは「Fe-S cofactors in the SARS-CoV-2 RNA-dependent RNA polymerase are potential antiviral targets (SARS-CoV2のRNA 依存性RNAポリメラーゼ中のFe-Sコファクターは抗ウイルス剤の標的になりうる)」だ。
現在、直接ウイルスに働きかける薬剤として認可されているのはRNA依存性RNAポリメラーゼ(RdRp)の作用でウイルスRNAに取り込まれ不安定化させるレムデシビルだが、間違いなくこのおかげで多くの命が救われた薬剤だ。もちろんnsp12/nsp7/nsp8が複合体を形成したRdRbの構造とレムデシビルの関係も解読されており、この薬剤の有効性を科学的にバックアップしている。
私のようなアマチュアは、この構造解析になるほどと感心し納得するが、プロにとっては気に掛かる点があるらしい。RdRpについてのほとんどの構造解析で、CoVで保存された箇所に亜鉛が結合していることが示されている。亜鉛との結合が必須のタンパク質など数え切れないぐらい存在するので、アマチュアはなるほどと納得するが、プロが見ると、実際には亜鉛の代わりに鉄と硫黄からなるFe-Sコファクターが同じ場所で活性に関わっているのではと疑ってみるようだ。
このグループは、タンパク質がFe-Sコファクターと結合しているかどうかを予測するソフトを開発しており、これを用いてnsp12を解析したところ、これまでFe-S合成に関わるとされてきたHSC20との結合部位にFe-Sが存在する可能性が示唆された。
次に鉄の同位体を用いて、Feがnsp12と結合していること、また酸化環境の中で精製したnsp12ではこの結合が失われていることを示している。そして、無酸素状態で精製したRdRp複合体にはFe-Sコファクターが結合しており、有酸素化で普通に生成したRdRpより強くRNAに結合することを示している。
これはRdRp複合体とヘリカーゼnsp13との結合がFe-Sコファクターにより安定化されることで、結論としてRdRpの活性は、亜鉛との結合でも維持されるが、高い活性、特にヘリカーゼと協調しながら複製するときにはFe-Sコファクターが必要であることを示している。
Fe-Sとタンパク質の結合が、活性酸素のスキャべんジャーとして開発されたTEMPOLにより阻害されることがわかっているので、最後にウイルス感染細胞をTEMPOLで処理すると、たしかにnsp12からFe-Sが遊離していること、そして400μMという少し高い濃度ではあるが、細胞中でのウイルス複製を抑えることを明らかにしている。
基本的なコファクターは様々な分子と結合しており、薬剤として使うと問題があるのではと思うが、この濃度では目立った問題は細胞レベルでは出てこないようだ。さらに、レムデシビルと相乗効果もあるようで、ひょっとしたら病院レベルで利用される薬剤になるかもしれない。
以上、論文だけからは本当に治療薬として使われるかどうかははっきりしないと思うが、しかしプロの目で見れば、これまでのデータから新しい創薬標的が見えるという典型例で、感心した。
2021年6月8日
Konrad BaslerがMycを導入した細胞が他の細胞との増殖競争で勝者になることを示したのは20年近く前だが、最近細胞競合はホットなトピックスになっている。これは競合に関わる分子が明らかにされ始めたためで、例えば、皮膚上皮のヘミデスモゾーム分子Col17Aの発現量に依存するニッチの取り合いから勝者と敗者が決まるという西村さんたちの研究は、老化の細胞動態を見事に説明した。
今日紹介する英国のCancer Research UK Beatson研究所からの論文は、腸の発ガンに関わるApc分子の欠損により、他の細胞を抑えて欠損細胞増殖が高まる競合に、Wnt分子を脱アシル化する酵素Notumが関わることを示した論文で、6月2日Natureにオンライン出版された。タイトルは「NOTUM from Apc-mutant cells biases clonal competition to initiate cancer (Apc変異細胞から分泌されるNotumはクローン間の競合に影響して発ガン過程を開始させる)」だ。
Side-by-sideでオランダ ガン研究所から、ほぼ同じ内容の論文が発表されている。ただ、Notumをより強調していたので、Cancer Research UKの論文に焦点を当てた。
Apcがβカテニンを分解してWntシグナルを高め腸上皮の異常増殖に関わることは教科書マターだが、この研究ではさらにApcがノックアウトされることで、他の分子機構が働き、Apc欠損細胞が競合に勝利すると考え、Apc欠損が引き金になって腫瘍化した細胞で発現しているmRNAを、正常小腸と比べ、最も大きな発現変化が見られた分子としてNotumを特定する。
Notumは既にWntの脱アシル化を介してWntシグナルを抑えることが知られており、正常細胞のWntシグナルを抑えるというドンピシャの分子が特定された。後は、Notumが正常幹細胞を抑えるかどうか、試験管内の上皮オルガノイド形成、およびNotumの発現を生体内で操作する実験を行い、Apc欠損細胞がNotum分泌を介してまわりのWnt依存性幹細胞の増殖を抑え、その結果細胞競合に勝利することを示している。
このとき、他のWnt阻害剤を操作しても影響はなく、腸上皮ではNotumだけがこの作用を持つことも確認している。
ショウジョウバエでは、Notumが周りの細胞を細胞死に追いやることが知られているが、マウス腸上皮ではメカニズムが異なり、幹細胞の分化を誘導することで増殖を抑え、最終的にApc欠損細胞が競合に勝利する。
最後に、ではApc分子欠損から始まる大腸ガン発生にNotumが関わるかを調べるため、Notum欠損マウスをApc-Minマウスに掛け合わせると、Notum欠損マウスでは発ガンが強く抑えられることを確認する。すなわち、Notum分泌により周りの細胞の増殖を抑えないと、前ガン細胞もガンへは発展できないことを示している。そして、Notumの酵素活性の阻害剤を加える実験で、Apc欠損細胞が細胞競合に勝利するのを抑えられることを示している。
以上、細胞競合というより、正常細胞による異常増殖抑止機構が常に働いていることの証明だが、Wnt経路の異常による発ガンにのみ有効なので、おそらく他の細胞競合メカニズムも存在するのではと想像する。