2021年8月26日
今日から2回、言語についての論文を紹介する。
さて一昨日、ライプニッツを、現在、我々が理解している細胞理解にかなり近いイメージを持っていたとする「モナド論」解題をアップロードしたが(https://aasj.jp/news/philosophy/17672 )、ライプニッツの名前を、数学の研究所ではなく、自然史に近いNaturkunde博物館付属の研究所につけているのが、Leibniz Institute for Evolution and Biodiversity Scienceで、同じ意見の人がいると思うと心強いが、今日紹介するのはこの研究所からの論文で、コウモリの赤ちゃん語(Babbling)から、成人型への発語への転換を研究して、この過程が人間のそれと多くの類似性があることを示した研究で、8月20日号のScienceに掲載された。タイトルは「Babbling in a vocal learning bat resembles human infant babbling(コウモリの発語学習でのbabblingは人間の幼児のbabblingに似ている)」だ。
全く知らなかったが、コウモリの赤ちゃんも、大人の発語とは全く異なる、赤ちゃん特有のbabblingを行うことが知られていたらしい。この研究では、パナマとコスタリカで、20匹の幼児の発達を追跡するとともに、その間の行動と発語を記録し、最終的に216種類のbabbling発語の中から55056シラブル分離し、それを大人の発語と比べている。個々でシラブルとは、明確に分離した音の塊と考えれば良い。
結果は、
コウモリの幼児は大人の発語とは全く異なる、特有のbabblingを生まれてすぐから発声する。 ただ、決まったシラブルを持つbabblingを発声するのは2.5週目からで、それが7週間続く。 babblingのシラブルは、個体ごとに大きく異なるが、人間と同じで同じ音の繰り返しが多い(da-da, pa-paのような感じ) 人間とは異なり、親は子供のbabblingに反応しないことから、社会的コミュニケーションの意味はない。従って、大人型の発語のための本能的な練習と考えられる。 実際、大人型のシラブルの原型が徐々にbabblingシラブルの中に混じるようになる。 3ヶ月でコウモリは離乳を果たすが、このとき大人言葉はせいぜい25シラブルに過ぎない。また、どのシラブルを学習するかも全くランダムで、決まっていない。 大人型シラブルの学習は、始まると急速に増加し一定に達する。決して順番に学習するものではない。
などなどだ。これを人間と比べると、babbling発生に時間がかかること、大人言葉に似ていても異なる特有の構成を持っていること、様々なシラブルが発声すること、子供ごとにbabblingレパートリーが異なること、リズミックであること、babblingは特に社会的要求を反映しないことなど、確かに似ている。おそらくbabblingで私たちは発語の自然訓練を行うようできているようだ。
それはともかく、個人的には、大人型のシラブルが混合を始め、それが言葉として独立した途端に、急速にレパートリーが増えるという、人間の言語獲得過程との類似性に感銘を受けた。これが、人間の言語獲得と、チンパンジーやボノボの言語獲得の違いで、コウモリの脳科学は進みつつあるので、この辺の秘密も解けるかもしれない。
普遍文法を唱えたチョムスキーも最近では動物に普遍的な脳過程として言語を考える総説を書いている。ずいぶん先になると思うが、是非生命科学の目で見る哲学でも取り上げたいと思っている(頭がぼけていなければだが)。
2021年8月25日
遺伝子が重複して組織での遺伝子発現が正常より上昇してしまうと病気になる多くの病気が存在する。わかりやすいのはダウン症のように染色体数が増えることで起こる病気だが、MECP2重複症のように、局所的に遺伝子が重複する場合もある。このような状態の治療には、RNAase 依存性のアンチセンスオリゴ核酸(ASO)や、Dicer依存性の2本鎖RNAを用いるRNAiやshRNAを用いて、mRNA量を半分程度に低下させる方法が考えられ、開発が進んでいる。
今日紹介する東京医科歯科大学からの論文は、DNAとRNAが結合したheteroduplexに脂肪を結合させることで、遺伝子制御効率を高められるだけでなく、全身投与した核酸薬が脳血管関門を通って脳組織で働けることを示した研究で8月12日、Nature Biotechnologyにオンライン掲載された。タイトルは「Cholesterol-functionalized DNA/RNA heteroduplexes cross the blood–brain barrier and knock down genes in the rodent CNS(コレステロールとDNA/RNA ヘテロドゥプレックス結合体は脳血管関門を通ってマウス中枢神経で遺伝子をノックダウンできる)」だ。
ワクチンで注目されている核酸テクノロジーだが、我が国でも様々な研究開発が行われていることがわかる研究だ。このグループは、両端(Wingと呼んでいる)に修飾RNAを持った、DNAとRNAのheteroduplexをもちいる核酸薬を独自に開発し、ASOと同じようにRNaseH依存的に遺伝子ノックダウンできること、さらにこれにビタミンEやコレステロールを結合させると、細胞へのデリバリーが高まり、高いノックダウン効果があることを示してきた(HDO技術と名付けている)。
この研究では、同じように設計したHDOが、全身投与するだけで自然に脳組織に到達し、そこで遺伝子ノックダウンが起こることを示すための詳細な技術的検証が行われている。
例えばHDOを静脈投与するだけで、神経変性に関わることがわかっているノンコーディングRNA、Malat1の発現を脳内のほぼすべての領域、および全ての細胞種で、半減させられることを示している。また、一度に大量を注射するのは難しい場合、連続投与すればさらに効果が高まることが示されている。そして得られた結果は2週間がピークだが、効果は1ヶ月以上長続きできることも示している。一定レベルにRNA量を落とせばいいMECP2重複症のような場合はかなり期待できるデータだ。
個人的印象だが、コレステロール結合HDOだけが何もしなくても循環から脳へ移行するという今回の結果は驚くべき結果だと思う。我が国発の核酸技術として発展してほしい。ただ、投与量についてみると、直接脳内に注射する場合と比べると、ほぼ10倍のHDO を投与する必要がある。この場合、全身性の遺伝疾患の場合は、脳以外の組織でのノックダウン効率と、神経組織内での効率が変わることになり、例えば脳症状が最も強いが、全組織で発現が見られるMECP2重複症に使うのは難しいかもしれない。
しかし、脳に入るかどうかは別にしてHDOの効率は高そうなので、髄腔投与であっても、高い効果が見られる気がする。是非進展することを願うが、wing付きのheteroduplexに脂肪を結合させる設計から推察すると、さぞコストがかかるのではと少し心配だ。
2021年8月24日
今回Covid-19に関する研究を眺めていて感じるのは、様々なワクチンや治療手段が前臨床研究から臨床治験に至るまで迅速に論文として発表されている点だ。とはいえ、全く論文を発表せずEUとFDAの承認を得たモノクローナル抗体薬がsotrovimab(VIR-7831)で、ベンチャー企業Vir Biotechnologyが開発、GSKが製造販売している(https://jp.gsk.com/jp/media/press-releases/2021/20210604_gsk-and-vir-biotechnology-announce-sotrovimab/ )。
この抗体について最初に知ったのは治験結果をレポートした3月のNature記事で、なんと2003年にSARSからの回復者から分離してきた抗体薬であること、そしてδ株を含むほとんどのCoV-2に高い効果を示すことが書かれていた。
残念ながらsotrovimabについてはその後も論文は発表されていないが、7月31日に紹介したワシントン大学からの論文(https://aasj.jp/news/watch/17067 )では、1)Covid-19から回復した36歳男性から、Sarbecovirusに属するほとんどのコロナウイルス(変異株も含めて)に反応するsotrovimabと良く似たモノクローナル抗体が分離できたこと、2)このような広いスペクトラムの反応性は、抗体が認識しているRBD領域がSarbecovirus共通に保存されているスパイク分子内に隠れている部位であること、3)抗体の結合はACE2との結合を直接阻害するのではなく、抗体結合によりスパイク自体の構造が変化し、スパイクS1領域が乖離してしまったpostfusion formができてしまうことで、正常な膜融合の確立を下げていることを示した。
おそらく上に書いたスパイクの変化はほとんどの方には理解不能だと思う。これは、スパイクを用いてウイルスが侵入する過程が極めて複雑で、一般に説明されているようなACEとスパイクが、鍵と鍵穴となってウイルスが侵入するといった話とは全く違うためで、これに興味ある学生さんはScience Museum Groupの提供している解説を読んでほしい(https://www.sciencemuseumgroup.org.uk/blog/coronavirus-the-spike/ )。
いずれにせよ、sarbecovirus全体に反応できる抗体が人間で誘導できることは明らかになったが、どの程度の確率でこのような抗体が誘導できるのかについてはわからなかった。
今日紹介するシンガポール国立大学医学校からの論文は、以前SARS-CoV1に感染既往のある人にファイザー/ビオンテックmRNAワクチンを注射すると、ほとんどのケースで同じようなsarbecovirus全体に反応する抗体が誘導できることを示した面白い論文で8月19日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。
この研究では、SARS既往のある人、Covid-19回復者、コロナウイルス既往歴のないワクチン接種を終えた人、Covid-19回復者でワクチン接種を終えた人、そしてSARS既往者でワクチン接種を終えた人、それぞれの血清を、δ株を含む様々なCoV2, センザンコウウイルス、コウモリウイルス、そしてSARS-CoV1ウイルスの感染実験(実際のウイルス感染ではなくpseudo-中和試験)系で調べている。
結果は驚くべきもので、ワクチンや感染はウイルス特異的な抗体だけを誘導するが、SARS-CoV1感染者がCoV2のスパイクに対するmRNAワクチン接種を受けると、ほぼ全員ですべてのウイルスに対する中和抗体が誘導される。さらに、この結果を確かめるために、真性のウイルス中和試験も行い、SARS既往者がワクチン接種を受けたときだけ、すべてのウイルスに対する中和活性があることを示している。
結果は以上で、誘導された抗体がワシントン大学の論文が明らかにしたスパイク部位を認識しているのかどうかはまだわからない。しかし、変異株も含めsarbecovirus全体に強く反応できる抗体がヒトで誘導できること、しかも抗原を工夫することで、ほぼ100%の確率で同じような抗体を誘導できる可能性が示されたことから、今後起こるsarbecovirus感染も含めてカバーできるワクチンの開発が可能になったことを示している。
すでに多くの人がワクチン接種した現状でも、同じようなクローンを引っ張ってこれるのか、まだまだハードルは高いが、パンコロナ抗体とパンコロナワクチンの可能性を示唆する驚くべき論文だと思う。
2021年8月23日
留学時代は別にして、在籍した研究室では、実験動物飼育は動物施設に中央化されていない場合も多く、助手から教授時代まで、週一回のケージ交換は教室全員が参加して行う恒例行事だった。善し悪しはともかく、この恒例行事のおかげで、実験マウスの生態をいろいろ観察することができた。特に、遺伝子改変した大事なマウスが生まれる場合、母親がしっかり育ててくれるよう、注意を払った。
今日紹介するニューヨーク医科大学からの論文は、新生児の声を聞いて子供を巣に運んだり、巣から出ないようにケアする母親の行動を、まだオスとの交配も経験したことのない処女メスが、他のメスから学ぶ行動の脳回路を解析した研究で、回路研究としては普通のレベルだが、行動としては個人的馴染みもあり、面白いと思った。タイトルは「Oxytocin neurons enable social transmission of maternal behaviour(オキシトシン神経は母親の行動の社会的伝達を可能にする)」で、8月11日のNatureにオンライン出版された。
研究では、処女メスと、子供をケア中のメス(子供も一緒に)を同居させたとき、メスが処女メスを子供のケアをするように導く行動を対象に、その脳回路を調べている。
数え切れないほどマウスの子育てを見てきたが、それでも他のメスが、処女メスに子育てを教えるという行動には気づかなかった。元々子育ては本能にプログラムされているが、教えてもらうことで1−2日でほとんどの処女メスは、この本能プログラムを発揮できるようになる。そして、この学ぶ期間にオキシトシン神経を抑制すると、学びが遅延することを明らかにしている。また子育てを学習中の処女メスのオキシトシン神経は、学習中に興奮する。
このオキシトシン神経は、学習とは無関係に、母親が子供のケアを行うときには必ず興奮する。従って上記の結果は、子供の声が聞こえる中で行われる、初経験の子供のケアを学ぶ過程にも、同じオキシトシン神経を興奮させて予行演習を行っているように見える。
次に、学習過程を単純にするために、処女メスに透明な敷居を隔てて、視覚インプットだけでメスの子育てを学ばせると、これだけでも子育て行動を学ぶことがわかる。また、オキシトシンがないとこの学習は起こらない。この状況でオキシトシン神経の興奮を見ると、期待通り興奮する。このとき学習なしで、光遺伝学的に視覚神経からオキシトシン神経の投射を刺激すると、同じように学習が起こる。
大事なのは、学習過程で興奮するオキシトシン神経が、子供の声を聞かせたときに興奮する聴覚領域に投射し、興奮すると子供の声に対する反応が高まる点だ。これは、オキシトシン神経から、聴覚領域への投射があることを示しているが、実際この投射経路にオキシトシン阻害剤を注入すると、学習効果はなくなる。
以上、少しごちゃごちゃした実験だが以下のようにまとめることができる。
子育て行動は元々本能としてプログラムされているが、オキシトシン神経の興奮が、子供の声に反応する聴覚領域に投射することで、学習により聴覚反応の閾値を下げる回路が成立しており、学習によりこの回路を刺激することで、本能プログラムが誘導される閾値を下げられる。すなわち、オキシトシン神経は、本能と学習をつなぐ重要なハブになっていることを示す。
オキシトシンは様々な社会行動に関わっているが、本来の本能行動を起こりやすくすると言うシナリオは面白かった。
2021年8月22日
甘い炭酸ドリンクは、夏の暑いときに爽快感を与えてくれる。しかし、このようなドリンクに含まれる果糖と蔗糖の混合物high fructose corn starchは、カロリー摂取による肥満だけでなく、直接肝細胞を傷害して脂肪肝を誘導したり、あるいは大腸まで到達すると、大腸ガンの増殖を誘導するなど様々な問題があることがわかっており、シュガードリンクはcovid-19並の死者の原因になっているのではとする厳しい目が向けられている。
このような事情で、果糖の生物学は急速に進展しており、このHPでもすでに3回紹介している(https://aasj.jp/news/watch/8072 、https://aasj.jp/news/watch/9897 、https://aasj.jp/news/watch/13459 )。これらを読んでもらうと、果糖も適量だと小腸で分解されグルコーススパイクを起こさないことも紹介しており、今後、私たちが甘いものを求める欲望を果糖で実現したいとき、何を考えればいいのかよく理解できると思う。
そして、今日も果糖の知られざる一面を明らかにした論文が、コーネル大学から8月18日Natureに発表された。タイトルは「Dietary fructose improves intestinal cell survival and nutrient absorption (食物中の果糖は腸細胞の生存と栄養吸収を改善する)」だ。
タイトルを読むと、果糖の良い一面を探索したのかと思ってしまうが、実際は逆で、果糖が大腸ガンの増殖を助ける仕組みを知りたいと研究を始めている。そのため、まず果糖を食べ続けた場合、小腸はどうなるのか調べてみると、4週間摂取した場合、十二指腸から空腸まで、果糖が到達していると思われる領域の絨毛がなんと25-40%も増大する。
これほど吸収面が増大すると、当然栄養吸収も上がると予想されるが、実際、果糖とともに高脂肪食を与えると、果糖が入っていない場合と比べ体重が増加し、体脂肪も増加する。
絨毛の長さが伸びると言うことは、果糖により腸上皮の細胞増殖・細胞死バランスが変化したことを示している。そこで、細胞の増殖や、細胞死について検索すると、果糖は細胞増殖には全く関わらず、腸細胞の寿命を延ばす効果があることが明らかになった。
寿命の延びるメカニズムをさらに探索すると、もともと上皮細胞が絨毛の上部に達すると、酸素不足により細胞死メカニズムが働き細胞が上皮から排出されるのだが、この低酸素による細胞死から上皮が守られる結果、寿命が延び、絨毛が伸長することがわかった。
そして、低酸素状況下の細胞生存を調節しているのがピルビン酸キナーゼM2(PKM2)という酵素で、このモノマーはHIF1αと結合して転写活性を変化させ、低酸素ストレス状態で細胞の生存を調節する働きがある。果糖の効果が腸上皮のPKM2が存在しないマウスでは全く見られないことから、果糖がリン酸化されて生成されるF1Pが、直接PKM2に結合することで、PKM2モノマーを増やし、HIF1αによるストレス下での細胞増殖をサポートすることを発見する。
結果は以上で、基本的には一つの代謝経路が、様々な経路とリンクすることで、思いもかけない働きを示すことが理解できる研究だ。最後に、同じ経路は大腸ガンでも働いており、果糖が大腸まで達すると、ガンが低酸素ストレスを乗り切って悪性化する可能性を示している。
以上、果糖の悪い側面を強調したことになるが、HIFを介して細胞の生存を高める可能性は、場合によったら良い効果になる可能性がある。果糖の正しい使い方を明らかにすることは、栄養学の重要な課題になってきた。
2021年8月21日
バレット食道は、食道粘膜が胃と同じような円柱上皮へ置き換わる状態を指し、食道に発生する腺ガンの母地になるのではと考えられているが、バレット細胞の由来については、胃と食道上皮の境目の細胞、食道腺と2説あり決着がついていない。さらに、食道ガンの中でも欧米人に多い腺ガン(日本人ではたかだか1割程度でほとんどは扁平上皮ガン)がバレット細胞由来かどうか、現在も重要な問題になっている。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文はバレット細胞および食道の腺ガンの起源を、正常と異常のヒト組織を集め、single cell RNA sequencing (sRNAseq)をはじめとする様々な方法を駆使して明らかにした研究で、8月13日号Scienceに掲載された。タイトルは「Molecular phenotyping reveals the identity of Barrett’s esophagus and its malignant transition(分子レベルの解析によりバレット食道細胞とその悪性転換が一つの過程であることが明らかになった)」だ。
この研究では、まずバレット細胞の起源と考えられる食道腺と胃食道境界組織を採取、組織学的およびsRNAseqを用いて解析、上皮細胞をいくつかのタイプに分類している。さらに、胃や食道の他の上皮についてもこのコレクションに加え、最終的に最もバレット細胞に近い細胞を探索している。
その結果、遺伝子発現プロフィールで見たとき、扁平上皮化した食道細胞に続く噴門部の上皮細胞が、最もバレット細胞と近いことを発見する。
元々バレット細胞は食道上皮がプログラムされ直して、胃の上皮に転換したとされているが、この考えだと噴門上皮がそのまま食道へと伸びてバレット細胞へ転換したことになる。この点をさらに確実にするため、DNAメチル化解析や、ATAC-seqによる染色体のアクセシビリティー解析などを行い、バレット細胞と噴門上皮への分化が連続した過程であることを示している。
この過程でバレット細胞特異的に発現が見られる遺伝子を調べると、c-MycとHNF4Aが特定される。そこで、噴門上皮細胞のオルガノイド培養を行い、そこにMycとHNF4Aを導入する実験を行い、噴門上皮細胞からバレット細胞への転換が誘導できることを示している。
ただ、バレット細胞も、分化型のバレット細胞と、そこからメタプラシアを起こして細胞系譜が不鮮明になった未熟型バレット細胞に分けることができる。最後に、これらバレット細胞と、食道ガンのsRNAseqを比較すると、未分化型バレット細胞と食道腺ガンとの連続性が確認された。
以上の結果から、食道腺ガンの発生過程では、まず噴門部上皮がMycとHNF4Aを発現してバレット細胞へと転換し、これが未分化転換を起こした後、最終的に食道の腺ガンが発生すると考えられる。そして、この論文では、胃カメラでバレット症候群と診断できるサイズの病変が見られなくとも、ミクロのレベルで同じ過程が起こることで、食道腺ガンが発生すると議論している。
新しい組織学を実感させる、丹念な研究で、バレットからガンまでの過程を一つのシナリオで捉えられるという提案は、食道ガン発生を考える上で重要な考えだと思う。今後、なぜ日本人には腺ガンが少ないのかも、このスキームを当てはめて遡ってみると、理解できるかもしれない。
2021年8月20日
AASJの事務所は自宅から数分の距離だが、三宮駅の近くに位置している。行き帰り、いそがしい町の人通りを毎日目にするが、いつも通りの平和な風景だ。ところが帰宅した後、テレビで報道される自宅療養(というより自宅放置)の悲劇の切迫感を聞くと、町の風景とのギャップは大きい。どちらが現実かと戸惑うが、自宅放置感染者が東京で3万人を超えているとすると、大災害に見舞われているという方が現実なのだろう。同じような非日常的な切迫感が我が国全体を覆った3.11を思い返すと、今は難局への協力を訴える政府自体の切迫感も欠けているように思う。せめて、大臣皆が作業着を着て陣頭指揮するぐらいの演出がないと、人の気持ちは変わらない。
このような演出の欠落を見ると、要するに政府に適切にアドバイスする人材がいないのか、適材適所ができていないことを実感する。現在の課題は、法定伝染病としての医療体制が崩壊した現状で、自宅放置者に適切な医療を届けることだ。政府の手持ちはワクチンと、リジェネロンの抗体カクテルだが、もう一つ大事なのは、国民に届けられる有効な新しい介入手段を洗いだし、いち早く調達してくるタスクフォースだろう。
多くの方はすでに読まれたのではと思うが、上のレポートは、英国のワクチンタスクフォースの活動を評価した英国のレポートだ。驚くのは、これを一種の経産省が行っている点で、根拠なしの感覚だが、これも適材適所が根付いている証拠のように思える。
そして何よりも、評価の対象になったワクチンタスクフォースの議長に、バイオ企業のことを知り尽くし、密接な交流を持つ英国のベンチャーキャピタリストKate Bingham(https://en.wikipedia.org/wiki/Kate_Bingham )が選ばれ、その任期の6ヶ月で、英国での数種類のワクチン調達を実現し、最後にその活動を評価まで行って使命を終えている点だ。いずれにせよ、ただ科学知識があるというのではなく、世界中の業界に顔の利く人材を選んだ適材適所は素晴らしい。
ともかく災害に対応するにはその場しのぎだけでなく、近い未来も想定した必要な課題をリストして、それを半年単位で解決する冷静なタスクフォースが重要になる。今からでも遅くない。素晴らしいタスクフォースができることを期待したい。世界には調達したい多くの技術が存在する。
例えば現在リジェネロンの抗体カクテルに期待が集まっているが、回復患者血清を用いた治療から考えると、抗体による変異株誘導の危険性は常に考える必要がある。その意味で、変異株はもとより、ほとんどのコロナウイルスに効果があるモノクローナル抗体の開発が進んでおり、変異出現の選択圧になる危険は少ない(https://aasj.jp/news/watch/17067 )。そのうちの一つGSKのsotrovimabは、δ株にも有効で欧州ではすでに認可されている(https://jp.gsk.com/jp/media/press-releases/2021/20210604_gsk-and-vir-biotechnology-announce-sotrovimab/ )。この抗体は、元々新型コロナウイルスではなく、SARSウイルスに対する抗体から分離され、Covid-19にも有効性が確認されており、最初からsarbecovirus全般に効果が期待される。新しい変異株出現も予想して、我が国のタスクフォースがこのような抗体を調達できることを期待する。
うれしいことに、我が国も第3相国際治験に参加している飲み薬の一つにメルクのMolnupiravirがある。感染が確認されたらすぐに服用できる飲み薬で、系列としてはレムデシビルと同じで、ウイルスのRNA合成で取り込まれて、突然変異を多発させ、ウイルス増殖を抑える効果がある。おそらくこれは現状に最もマッチした薬剤で、我が国で治験が行われていることは期待できる。
Molnupiravirが、レムデシビルやアビガンと比べたとき、より期待できることを示す生物学については、8月11日にNature Structural and Molecular Biologyオンライン掲載された、ドイツゲッティンゲンのマックスプランク研究所から発表された論文を読むとよくわかる。
まず経口投与可能で、日本メルクも発表しているように、感染がわかった時点で自宅で5日服用すればよい。服用すると、ウイルスのRNA合成酵素により認識され、CTPやUTPの代わりにウイルスRNAに取り込まれる。そして、MTPを取り込んだ鋳型は今度は、GやAともペアリングしてしまうため、どんどん突然変異の数が増え、翻訳レベル、および複製レベルでウイルスの活動を抑え込むというメカニズムだ。
MTPの優れている点は、取り込まれたとき、RNA合成酵素システムを止めないことで、Mを取り込んだRNAが完成して、指数的に異常RNAを増やしていく。この点で、RNA合成酵素が止まってしまうレムデシビルやアビガンと決定的に異なり、耐性もできにくいと想像できる。治験結果が待ち遠しいし、規制当局も今から情報を集めて、迅速な認可が可能になるよう準備してほしいものだ。
これに少し遅れて、メインプロテアーゼ阻害剤がファイザー、塩野義により開発され、治験が進んでいる。おそらく中国からも出てくる(https://aasj.jp/news/watch/15255 )。国産にこだわらず、可能性はすべて我が国でも治験を進める必要がある。実際、自宅放置者が増加している今こそ、我が国は治験の中心地になれるのではないだろうか。
最後に、ワクチン3回目接種の話が出ているが、これを考えるとき面白い論文がオックスフォード大学から8月18日号のScience Translational Medicineに掲載された。
これはすべて動物実験の話だが、しかし時間スケールとしてはこれから半年を視野に入れるタスクフォースの課題にもなり得る。
研究は、今使われているアストラゼネカのワクチンを鼻から注入することで、筋肉注射より強い肺炎予防効果が得られることを示している。ともかく一回投与で、今拡大中の肺炎を抑えることは可能かもしれない。特に、アストラゼネカワクチンは、我が国で行き場を探している。公衆衛生学的に重要なのは、鼻から免役することで、気道からのウイルス分泌を強く抑えることができる点で、新しい変異株への効果は不明だが、考慮に値する。同じことがmRNA ワクチンでできるかどうかわからないが、個人的感触だがあらゆる細胞に感染できるアデノウイルスの方が優れているように思う。
ほかにもこの一週間だけで、新型コロナの明るいニュースは数多く発表されている。是非そのような中から国民にいち早く提供できる技術を調達するタスクフォースが我が国にもできるのを期待したい。
最後に、ワクチン3回目に一言。現在のmRNAワクチンはスパイクpre-fusion form に蓋をする抗体を誘導するので、比較的変異体にも対応はできる。また、T 細胞の反応は将来の変異体もカバーできる。ただ、変異体の出現が起こる以上、同じ配列で対応するのではなく、ワクチン認可の際、臨機応変に変異体の配列に変えた核酸ワクチンを迅速に認可する仕組みを用意しておくのも、重要な課題だと思う。
2021年8月19日
21世紀に入って、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤は様々なガン治療に使われ始めている。個人的には、多くの分子がHDACの対象になること、および多数のHDACが存在するため、完全に機能を押さえることが難しいことから、効果に疑問を持ってはいるが、ガンによっては高い効果を示すケースも示されてきた。例えば皮膚に浸潤するT細胞リンパ腫(CTCL)では3割の患者さんが一度は完全寛解を達成する。
最初これらのHDAC阻害剤はガンの増殖進展に関わる分子のエピジェネティックな調節機構を介して効果を示すと考えられてきたが、免疫チェックポイント治療が普及し、HDAC阻害剤がその効果を高めることが知られるようになり、ガンだけでなく、ガン周囲組織や免疫系のエピジェネティックスに作用することもわかってきた。この結果、現在HDAC 阻害剤と抗PD−1抗体などを組み合わせた臨床治験が進んでおり、チェックポイント治療のパートナーとして定着する予感がする。
今日紹介するノースカロライナ大学からの論文はマウス膀胱ガンをモデルに、HDAC3 阻害剤がガンネオ抗原の発現を高め、ガン免疫を高める可能性を示した研究で、現在進むチェックポイント治療とHDAC 阻害剤の治験を側面から援護する研究だ。タイトルは「Entinostat induces antitumor immune responses through immune editing of tumor neoantigens(Entinostatは腫瘍ネオ抗原を編集することでガン免疫反応を誘導する)」で、8月16日号のThe Journal of Clinical Investigationに掲載された。
まずマウスモデルで、HDAC3阻害剤entinostatが、免疫系が存在する場合のみガン抑制効果を持つこと、またentinostat投与マウスガン組織ではCD8キラー細胞が上昇していることを確認した後、この腫瘍が発現している922種類のガンネオ抗原がentinostat投与でどう変化するか調べている。
試験管内でentinostatを処理すると、期待通りガンのネオ抗原の発現は高まる。一方、腫瘍を移植した後entinostatを処理した腫瘍では、逆にガンのネオ抗原の発現が強く抑制されている。すなわち、ネオ抗原を発現したガン細胞がキラーT細胞により除去されていることが示唆されている。これを裏付けるように、試験管内でentinostat処理したガン細胞は、よりキラーT細胞に感受性を示す。またにガンに浸潤するT細胞でいくつかのネオ抗原特異的T細胞の数を調べ、確かにネオ抗原特異的免疫反応が高まっていることを確認している。
以上の結果に基づき、最後にentinostatとPD-1抗体を組み合わせたガン治療実験を行い、チェックポイント治療を組み合わせることで完全にガン細胞を除去する確率が大幅に高まることを示している。
以上が結果で、膀胱ガンでもHDAC阻害剤とチェックポイント治療の組み合わせの治験が急速に進む予感がする。長く期待されてきたガンのHDAC阻害剤治療も新しい衣を着て大きく進展すると期待している。
2021年8月18日
21世紀は栄養学の世紀になると予想している。というのも、人間の栄養学を変える様々なテクノロジーが開発され、また栄養学的データベースも急速に整備が進み始めている。これは、ゲノムやエピゲノムと言った生物学的指標だけではない。例えば、スマフォやウエアラブルツールを使った大規模データ取得、さらには、安全なアイソトープを用いた代謝の測定法など、多面的な技術革新が進んだ結果だ。
今日紹介するデューク大学を始め、我が国の栄養研や筑波大学も参加した国際コンソーシアムからの論文は、6421人という大規模な数の人間のエネルギー消費量を測ったデータベース構築の研究で8月13日号のScienceに掲載された。タイトルはズバリ「Daily energy expenditure through the human life course(人間の一生にわたる毎日のエネルギー消費量)」だ。
この研究の目的はただただエネルギー代謝を新生児から高齢者まで計測して、人間の一生での変化を集めたデータベースを構築するというものだ。このために、International Doubly Labelled Water Databaseが設立され、2020年、初期の目標にしていた6700人近くのデータを集めることに成功し、これをまとめたのが今回の論文だ。
エネルギー消費というと、完全に閉鎖系で活動して酸素や炭酸ガスの出入りを調べるヒューマンカロリメトリーを思い出すが、doubly labeled water というのは全く初耳で、興味を惹かれ、なるほどと感心して紹介することにした。
できないことはないが、6000人以上の様々な世代のエネルギー代謝をヒューマンカロリメトリー室につれてきて測定するのは簡単ではない。それを解決するのがこのdoubly labeled water法で、まずこれから説明しよう。
この方法は、被験者に一定量の重水素からできた水と、酸素18同位元素からできた水を投与し、この水素同位元素と、酸素同位元素の体内での濃度を調べることで、代謝量を測定する方法だ。最初、同位元素は体内のウォータープール(WP)に溶け込んでいくので、体液のアイソトープの濃度が上昇していく。このときの上昇速度からWPの量を測定することができるが、さらに水の分布から体脂肪とそれ以外のボディーマスを計算することができる。
さて、平衡状態に達した後、同位元素は体外へ排出されていくが、このとき水素同位元素は水とともに排出されるが、酸素同位元素は代謝による二酸化炭素産生によっても排出される。この排出のされ方の違いから、エネルギー代謝を計算できるという原理だ。昨日のマンモスの行動範囲測定や、今日の代謝測定は、すべて正確に同位元素の濃度を測定できるようになった結果だが、そのおかげで6000人を超える規模のエネルギー代謝データベースが完成した。
結論としては、
エネルギー代謝は脂肪を除いたボディーマスと相関する。 新生時期、脳を含め急速にボディーマスが成長する段階では、エネルギー代謝が上昇し、大体5歳ぐらいでピークを迎え、20歳代まで急速に低下する。 20歳代から60歳代までは、エネルギー代謝は一定に維持されている。 65歳を過ぎると、緩やかにではあるがエネルギー代謝は低下を始める。これは、脂肪を除いたボディーマスの低下に一致する。 妊娠中は大きなボディーマスの変化が起こるはずだが、エネルギー代謝は一定に保たれる。
要するに、高齢になると様々な器官が萎縮し、エネルギー代謝が落ちるという結果だが、例えばこれを無理に変更させた方がいいのか、それとも歳相応に生活した方がいいのかなど、今後の問題になるだろう。筋肉だけ増やせばいいという話ではないはずだ。
今後も栄養学についての論文は積極的に紹介するつもりだ。
人規模のデータから解析する(8月13日号Science掲載論文)
2021年8月17日
9月に入ると、ケニアのセレンゲティ国立公園では、ヌーやシマウマの川渡りが見られる季節に入る。私たちも4年前、この川渡りを見に出かけた。写真やビデオで紹介される川渡りは、まさに渡っている時の映像が示されているので、渡りのサイトに行けば、そのまま川渡りが見られるのかと思っていた。ところが、実際は全く想像したのとは異なり、ヌーやシマウマの大群が岸までやってきているのに、なかなか渡り始めず、あたかも決断できない政治家といった感じで、渡るかと思うと後ずさりして、川を見つめる繰り返しを、なんと4時間近く見る羽目になった。それでも必ず渡りますというガイドの言葉を信じてじっと待っていると、バカなのか、あるいは自己犠牲をいとわない高貴な性質を持っているのか、一匹のヌーが川に飛び込んだ。案の定このヌーは渡る途中でワニの犠牲になるのだが、このヌーに導かれて岸で待っていたすべての動物が川に飛び込むスペクタクルを見ることができた。要するに渡るときに、ワニの危険が待っていることを知っているのだ。それでも、最終的に新しい場所に移動するのは、食物を求めてのことなのだろう。
現存の草食動物から考えて、もっと大きなマンモスは食物を求めて当然広い範囲を移動すると想像されるが、化石になった動物の分布を調べることはできても、個々の動物の移動について調べるのは難しい。これに対し、今日紹介するアラスカ大学からの論文は、マンモスの牙から得られる窒素、酸素、炭素、およびストロンチウムの同位元素からマンモスの生涯とその移動範囲を調べようとした研究で、8月13日号のScienceに掲載された。タイトルは「北極圏のマンモスの生涯と移動範囲」」だ。
ゾウの牙は年齢とともに少しづつ伸びていくので、根元から先まで、そのゾウが生きていた環境が記録されている。タンパク質としてはコラージェンはDNAより安定で、そのときの新陳代謝を反映できる。さらに、骨にはストロンチウムが取り込まれるが、ストロンチウム87とストロンチウム86の比は、生息していた土壌を反映することもわかっている。すなわち、ストロンチウムの同位元素と、アラスカ各地のストロンチウム同位元素の分布を重ね合わせることで、あるときマンモスがどこに生息したかがわかる。
実はこの方法は、歴史学的にも用いられており、例えば英国のリチャード三世の生涯についての解析に用いられているのを紹介したことがある(https://aasj.jp/news/watch/2055 )ので、是非参照してほしい。
さて結論を急ぐと、今回対象になったアラスカ生息のマンモスは、遺伝子解析から雄であることがわかっている。炭素や窒素同位元素の量の変化から、28歳の冬、飢えで死亡したと考えられる。
移動範囲から、大体3ステージに分けることができ、新生児期には親と一緒に大体250kmぐらいの範囲の縄張りを、冬は南、夏は北と移動する。ただ、成人になると、おそらく生殖機会を求めて、これまでとは全く異なる範囲の移動を行い、その後は同じように大体250−300kmの範囲で生活をすることがわかった。基本的には現在の象とあまり変わることはないようだが、冬の飢えは繰り返されている。
一匹の個体について、これだけのことがわかるというのが研究のポイントだが、冬に飢えて死んでいたなら、温暖化でどうして生き残れなかったのかという疑問がわく。これに対し、温暖化の結果、草原ではなく森林が優位になることで、結局マンモスが食べる植物も消失したのではと考えているようだが、古生物学が動物の化石だけではなく、その地域の植物も含めた生態学知識が必要なことがよくわかった。