脊髄損傷治療のゴールは切断された神経の再生だ。ただ、すべての外傷で始まる炎症や組織修復反応が神経再生の大きな障害になることがわかっている。従って、神経そのものの再生とともに、障害部位の周辺で起こる組織反応の抑制も重要な課題になる。例えば我が国の岡野さんたちによって示されたIL-6抑制による治療を始め、様々な方法がこのために開発されている。今日紹介するドイツ・ボンの神経変性疾患研究所からの論文は、これまでとは少し異なる方法でこの課題を解決しようとした研究だ。タイトルは「Systemic adminstration of epothilone B promotes axon regeneration after spinal cord injury (epothilone Bの全身投与は脊髄損傷後の神経再生を促進する)」だ。タイトルにあるepothilone B(エポチロン)は、細胞の微小管を安定させる作用のある抗生物質で、その作用機序から抗がん剤として利用されている。この論文では理由を示さず、この薬剤の微小管安定作用が脊髄損傷の神経再生に効果があるのではと研究が始まったことを述べている。同じ作用の薬剤と比べた時、マクロファージ刺激作用がないこと、また中枢神経系に到達できることからこの薬剤が選ばれたのだと思うが、着想の経緯がないと素人には唐突に感じる。いずれにせよ、脊髄損傷直後からこの薬剤を投与すると、微小管を安定させる効果があることを確認している。次に肝心の組織修復反応だが、フィブロネクチンやラミニンなどの間質への蓄積が著名に抑制される。一方、心配されたグリア細胞増殖阻害はほとんど見られない。次に、神経再生自体に及ぼす影響を調べるために、試験官内で線維芽細胞と神経細胞を培養すると、すぐに神経細胞の軸索形成が促進する。最後に実際の脊髄切断モデルにこの薬剤を投与すると、普通切断部位に起こる神経の退縮が抑制され、神経の再生が促進し、運動機能の障害がかなり抑制できるという結果だ。抗がん剤として使われている微小管安定剤を使ってみようというアイデア、組織反応だけでなく、神経再生も促進する効果があるという結果については評価できる。ただ、この分野ではこれまでも同じような報告が行われており、期待はずれに終わらないことを願う。これまで脊髄再生の論文を読んできて、最も印象に残ったのが昨年10月23日このホームページでも紹介したポーランドと英国の共同研究だ。この論文は1例報告だが、損傷後1年経過した患者さんの運動機能が回復したという点で画期的に思える。掲載されているレントゲンフィルムを友人の整形外科医に見てもらっても、完全な損傷で本当なら驚く結果であることを確認してくれた。今日紹介した研究は急性期が対象だが、もしポーランドからの論文が有望なら、組み合わせてさらに神経再生を促進させるような研究を進めてほしい気がする。脊髄損傷再生治療を心待ちにしているのは、損傷後時間が経った慢性期の患者さんだ。ぜひ慢性期治療の可能性の進展について、専門家の意見を聞きたいと思う。
3月16日:脊髄再生を促進する(3月12日号Science掲載論文)
3月15日:樹状細胞療法の新しいプロトコル(Nature オンライン版掲載論文)
ガンに対する免疫機能を高める樹状細胞療法は、健康保険の適用はないものの、普及している免疫治療と言える。様々な方法があるが、一般的には自己血から樹状細胞を調整し、ガン抗原を様々な方法でパルスし、患者さんに戻して免疫反応を誘導するというプロトコルが使われている。残念ながら我が国でこの治療法を提供する機関は、患者さん向けのサイトに全く治療成績を表示していない。従ってその効果についてははっきりしないが、科学的治験を行った論文からは一定の延命効果があることは明らかだ。今日紹介する論文を発表したデューク大学脳腫瘍センターのグループも、最も悪性のグリオブラストーマの治療として樹状細胞療法を積極的に取り入れており、その過程で見つかった新しい方法が治療成績を大きく改善することを発見し、Natureオンライン版に発表した。タイトルは、「Tetanus toxoid and CCL3 improve dendritic cell vaccines in mice and glioblastoma patients (破傷風トキソイドとCCL3はマウスモデルやヒトグリオブラストーマに対する樹状細胞ワクチンの効果を促進する)」だ。この論文は基礎研究から臨床研究へと進む通常の方向の逆で、臨床で効果が見られたプロトコルの科学的メカニズムを動物モデルを使って調べた研究だ。まずこの新しいプロトコルの効果を無作為化した12人について比べている。プロトコルだが、患者さんは全て樹状細胞ワクチンを受けるが、このグループはガン自身の抗原の代わりに、グリオブラストーマの多くが発現しているサイトメガロビールスp65分子のRNAを樹状細胞に導入して、ガンへのキラー活性を誘導している。さて、普通の方法で樹状細胞ワクチンを投与しても、6例全員が30ヶ月以内、ほとんどは1年で死亡している。しかし、樹状細胞ワクチンを投与する21日前に破傷風トキソイド・ジフテリアトキソイド混合剤を注射、その後ワクチン投与時に破傷風トキソイドを打つプロトコルだと、なんと半数が40ヶ月を超えて生存している。研究では主にマウスモデルを使って、この破傷風トキソイド前処理がなぜこれほど効くのか、そのメカニズムを探っている。詳細を省いて結論だけを言うと、破傷風トキソイドを2回注射することで、活性化CD4T細胞が誘導され、局所の炎症だけでなく、全身のリンパ節でケモカインが産生されることで、注射した樹状細胞ワクチンの局所リンパ節への移動が促進され、最終的にガンに対するキラーT細胞効率よく誘導できるという結果だ。この移動に、CCL3ケモカインが関わること、またリンパ節でCCL21ケモカインの発現が上がることもこの反応に関わることを示している。臨床結果が先にあって、そのメカニズムを後からモデル動物で明らかにし、安心して臨床研究をさらに進めるという典型的研究だと思う。いずれにせよ、これまで、試行錯誤的に行われてきた様々な免疫治療が、一歩づつ予測可能な治療へと変化しつつあることを実感させる研究だ。もちろん樹状細胞ワクチンをPD1,PDL1,CTLA4抗体などと組み合わせることも可能だ。免疫治療はどこまでガンに勝利するのか、期待が膨らむ。
3月14日:老兵は殺せ(Aging Cell4月号掲載予定論文)
Old soldiers never die, but fade awayは、トルーマンにより解任されたマッカーサーの引退演説の最後の言葉として有名で、日本語では「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と訳されている。訳がマッカーサーの真意を伝えているかどうか議論になったようだが、neverはうまく訳せているとは思えない。本当は自分の功績を讃えるニュアンスもあるように思う。しかしどんなに功績があろうと、新旧が入れ替わることで社会も身体も若々しさを保てる。このことをマウスの老化防止という観点から示したのが今日紹介するメイヨークリニックからの論文でAging Cell4月号に掲載予定だ。タイトルは「The Achilles’ heel of senescent cells:from transcriptome to senolytic drugs(老化細胞のアキレス腱:トランスクリプトームから老化細胞死誘導剤)」だ。もともと放射線障害やDANN修復を研究していたグループだろうか?いずれにせよ、まず観念が先に来るスタイルの論文だ。このグループの観念とは、「老化による障害は、老化により機能低下した細胞を完全に除去できていないためにおこる」だ。これを示すために、まず10グレイの放射線を照射し老化を誘導した脂肪細胞や血管内皮細胞の遺伝子発現を調べ、生き残った細胞で細胞死を防止するプログラムが働いていることを確認している。次に、このプログラムに関わる分子の中から、その機能を抑制すると完全な細胞死を誘導できる分子を探索し、細胞死を促進する一方、増殖細胞には影響を持たない6種類の分子を特定する。その上で、これらの分子の機能を抑制する分子を探して、ダサチニブと呼ばれるリン酸化酵素阻害剤、および抗炎症作用が知られている天然に存在するビタミン用物質、クェルセチンが、それぞれ脂肪細胞、血管内皮細胞の細胞死を促進する化合物として特定された。あとは、試験管内でこれらの化合物が確かに老化細胞を選択的に殺すことを確認した後、最後にマウスに対する影響を調べている。まず2年齢のマウスの心血管機能への影響を調べ、ダサチニブ+クェルセチン一回投与で心機能が改善することを見出している。即ち、老化してもなお心臓に残っている細胞を除去することで循環機能が改善するわけだ。次に、片足に強い放射線障害を与えたマウスに一回だけ両剤を投与し7ヶ月後の運動機能を調べると、トレッドミル検査で運動機能の改善が著しい。最後に、DAN修復欠損のため老化が早まったマウスに両剤を毎週飲ませると、運動障害をはじめ様々な老化による障害の発生が抑制される。実際の寿命については言及されていないが、要するに健康寿命が伸びるという結果だ。著者たちが予想したように、老兵は殺したほうが身体にはいいという結果だ。アイデアは面白く、ガンや老化による機能低下治療の一つの可能性を示した貢献だと思う。しかし年寄りから見ると複雑な結果だ。自分の体についてのことだと考えると、なんとか老兵を殺して元気になりたいと思う。しかし、その結果社会から見ると老兵が元気になり、新陳代謝が進まないという矛盾を抱える。おそらく、Old soldiers will survive, but hide away.が座右の銘としていいかもしれない。
3月13日:マウスの行動学から学べること(3月12日号Cell掲載論文)
食欲と摂食行動のつながりが正常でないと、拒食症や過食症を招く。幸い、この神経回路は人間だけでなく、ほとんどの高等動物にとって基本的な回路であるため、動物行動学をそのまま人間に当てはめることができると期待され、研究が行われてきた。中でも、視床下部に存在し、ニューロペプチドY(NPY)、GABA,そしてアグーチ関連ペプチド(Agrp)を分泌し、食欲に関わるレプチンなどの制御を受け、食欲と様々な行動を連携させるAgrpニューロンの特定がこの分野を大きく進展させた。とはいえ、未だ拒食症治療薬の決定打は開発されていない。今日紹介するエール大学からの論文はマウスの行動学を駆使してAgrpニューロンの役割を調べた研究で3月12日号Cellに掲載された。タイトルは「Hypothalamic Agrp neuron drive stereotypic behaviors beyond feeding (視床下部Agrpニューロンは摂食だけでなく定型行動を誘導する)」だ。脳研究の論文に目を通しているとエール大学からの論文が目立つ気がするが、この研究もそうだ。おそらくこのグループは、食欲から摂食行動への神経回路を調べていたのだろう。これに関連する行動として、餌がない空腹時に見られる行動を解析し(例えば餌を探して歩き回ったり、心理学的転移行動としての毛づくろいなど)、空腹時の行動を類型化している。次に、Agrpニューロンだけでカプサイシン受容体を発現するマウスを作成し、カプサイシンを投与してこのニューロンを興奮させた時に起こる行動を観察している。もちろん、空腹行動をとることから、満腹していても餌に飛びつく。また、餌のない時は餌を探す行動や、毛づくろいをする。この行動をさらに詳しく分析する目的で、Marble-buryingテストと呼ばれるケージ内のビー玉を床敷きで隠す強迫的繰り返し行動や、見慣れない物体に対する不安行動などを調べた結果、Agrpニューロンが摂食行動だけでなく、強迫的繰り返し行動を誘導し、不安行動を抑制することを見出した。重要なことは、この強迫繰り返し行動と摂食に関連する行動が、異なるAgrpニューロンにより調節されていることがわかったことだ。特に、この強迫繰り返し行動はNPYの阻害剤で完全に抑制されるが、摂食自体には影響がない。この結果から、神経性食思不全の患者さんが持っている強迫観念をNPYの阻害剤で治療できないかという提案を行っている。実際、神経性食思不全の患者さんでは血中のAgrp濃度が高いようだ。身体はなんとか患者さんに摂食を促そうと努力している証拠だ。しかし、患者さんでは強迫行動が強く、摂食に至らないという可能性は十分納得できる。もしこの興奮を他の強迫行動回路から切り離し、摂食へとつなげることができれば素晴らしいことだ。しかし一方で、人間の行動がそんな簡単な図式で説明できるはずがないという気持ちもある。この論文を読んで、マウスの行動学が進んでいること、神経細胞操作術の進歩はよくわかったが、予言通りNPY抑制剤が神経性食思不全症に効くかどうかは、この行動学の意義を判断する上で重要な試金石になる気がする。
3月12日:画期的止血法の開発?(3月10日号Science Translational Medicine掲載論文)
銃創・刺創など外傷性の出血に対しては、圧迫などで血流を抑え、輸液で循環血流量を維持しながら、早期に手術処置を行う必要がある。ただ、例えば先の震災や、大きな事故などでは、手術をする術者の手が足りない事が多い。こんな場合、少々の傷なら、もともと備わっている止血機能を高めることで、多くの人が救える可能性がある。これを達成するため、人工的血小板で止血を高める方法と、凝固系を促進し傷口のフィブリン形成を高める方法の2種類の方法が開発されている。今日紹介するワシントン大学からの論文はフィブリン塊形成を高める新しいペプチドについての研究で3月10日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「A synthetic fibrin cross-linking polymer for modulating clot propertyes and inducing hemostasis (フィブリン塊の性質を変化させ止血を誘導するフィブリン分子の合成架橋ポリマー)」だ。この研究はフィブリンに特異的に結合するペプチドをスペーサーでつないで、フィブリンを架橋する能力を持つように設計した水溶性ポリマーが、実際に自然のフィブリン塊形成を高め、またできたフィブリン塊の止血能力を高るか確認する、まさにトランスレーショナル研究だ。この方法で問題になるのは、フィブリノーゲンがトロンビンで切られてフィブリンができるまでは架橋材は働かないことを確認すること、及び大きなポリマーなので腎毒性などがないか調べることだ。試験管内の予備研究で、フィブリンだけに結合すること、フィブリン塊の強度を高め、隙間を減らすことなどを確認した後、いよいよラットを用いて、外傷性の出血を止める実験を行っている。実験ではラット大腿動脈に3ミリの切開を入れてまず圧迫止血なしに15分出血させ、その後生理食塩水を点滴して血液量を維持する条件で、ラットの状態を観察している。何もしないと、1時間程度でラットは出血死する。生理的フィブリン架橋材の第8因子を出血が始まった時に注射すると25%ぐらいは助かる。一方、新しいPolyStatと名付けられた架橋材を注射するグループは出血が止まり、全例生存するという画期的な結果だ。様々なテストで、このフィブリン塊が栓溶作用にも強く安定していることが示されている。さらに、副作用もほとんど認められず、注射後1時間ぐらいはクレアチニンが上昇し確かに腎毒性は見られるが、元に戻るようだ。ただ、ラットの実験だけでは手放しでは喜べない。もっと大型の動物で、外傷の種類も変えて適用を調べることが必要だろう。しかし、事故が起こってすぐに注射をしておけば手術までの時間が稼げるなら、これは大きな展開だ。AED並みに普及するかもしれない。この場合、静脈注射ぐらいは医師や看護婦以外もできるように学校で訓練が行われるかもしれない。いやおそらく、自動静脈注射機が開発されること必至だろう。ニーズはどこにでもある。問題は、それに気づかないことだ。
3月11日:蝶のベイツ型擬態(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)
専門にこだわらず様々な分野の論文を読み始めると、シマウマの縞や、電気ウナギの狩りなどあらゆることが研究されていることを実感する。当然研究にはお金が必要で、自腹を切って行う時代ではないので、役に立つ・立たないを問わずに研究を支援する公的な仕組みが多くの国に存在することを知って励まされる。そんな一つが、ちょうど1年前インド・タタ基礎研究所とシカゴ大学から発表された、蝶のベイツ型擬態がdouble sexと呼ばれる昆虫の性決定に関わる分子の多形によって起こることを示したNature論文だった。毒のない蝶の種類が、毒を持つ蝶の形態を真似るという現象を、ゲノム解読も含めあらゆる技術を駆使して明らかにした論文を読んで、研究結果自体にも感心したが、我が国でもこのような研究に十分な助成が行われているのか少し心配になった。その意味で今日紹介する東京大学藤原さんたちがNature Geneticsに発表した論文は、我が国でも同じような研究が行えていることがわかって、少しホッとした。同じ蝶のベイツ擬態の分子メカニズム解明を目指す研究で、タイトルは「A genetic mechanism for female-limited Batesian mimicry in papilio butterfly(papilio蝶のメス特異的ベイツ型擬態の遺伝的メカニズム)」だ。昨年の米•印共同論文とテーマは全く同じだ。おそらく擬態の責任遺伝子を特定するために競争していたのだろう。先を越されて大変な思いをしたのではないかと推察する。もし、先を越された原因が、シークエンサーが自由に使えなかったことなどの物量が原因ならさぞかし残念だったことだろう。とはいえ、諦めずにこの研究を完成させ、論文として発表したことに敬意を表したい。この研究はメスだけが擬態を示す遺伝子多型の原因を、ゲノム解析を含む様々な方法を駆使して、doublesexと呼ばれるオス・メスを決定する遺伝子の多型であることを突き止めている。結果は米・印共同論文と同じだが、この部位が多型を獲得できるようになった基礎として、遺伝子の逆位があること、そして何よりも擬態を示すdoublesex遺伝子を抑制すると、擬態が消失するという機能的証明を行っている。結果から、おそらく遺伝座の逆位が起こることでdoublesex多型による擬態への道が開け、この条件下で発生した多型を持つメス型doublesex分子が、羽の色を決定する機構を変化させることで、擬態が発生することが明らかになった。このように擬態が起こるメカニズムの大筋を明らかにした点で、重要な貢献だと思う。気になって藤原さんのデータを見ると、擬態についての研究で長期間の助成を受けているようなので、我が国も十分ではないにせよ、自然を理解することのみを目的とした研究にも助成が行われていることを確認でき、安心した。
3月10日:腸内細菌の多様性が食物アレルギーを防ぐ(Clinical and Experimental Allergy2月号掲載論文)
食物アレルギーは、我が国の乳幼児の1割、学童期の5%程度に見られる極めて有病率の高い疾患だ。ただこれはアレルギー症状まで発展する率で、食物に含まれる抗原に対する免疫反応は、実に3割に近い幼児で成立することがアメリカの研究によりわかっている。しかし、なぜ同じ食べ物を摂取して、一部の子供にだけ免疫が成立するのか、また免疫が成立してもほとんどの子供はアレルギーを発症しないのかについては実はよくわかっていない。最初は、遺伝的な体質の差と考えられていたが、徐々に環境因子の重要性が認識され、現在の研究の中心になっている。例えば、母乳により食物アレルギーを防げるとか、帝王切開による出産児はアレルギーが多いなどを報告する研究も数多く見られるが、完全にエビデンスで裏付けられたというわけではない。最近では、大人のアレルギー疾患と腸内細菌との関係についての研究の進展に伴い、乳児の食物抗原に対する免疫も、離乳食が始まる以前に成立する腸内細菌の影響があるのではと研究が始まっている。今日紹介するカナダ・アルバータ大学からの論文は、生後1年目に食物抗原に対する免疫反応の成立と腸内細菌叢との関係を調べた論文で、Clinical and Experimental Allergy2月号に掲載された。タイトルは「Infant gut microbiota and food sensitization:association in the first year of life (幼児のマイクロビオームと食物感作:生後1年目での関連)」だ。研究では166人の乳児について、1歳時点で牛乳、卵白、大豆、およびピーナツに対する皮膚反応を調べるとともに、3ヶ月齢、および1年目に便を採取、存在する細菌リボゾームRNAの配列を調べることで細菌叢の構成を調べている。さて結果だが、まず166人追跡すると、1年目でいずれかの食物抗原に反応する。確かに免疫の成立する頻度はかなり高そうだ。次に、免疫が成立した子供の腸内細菌叢と、成立がなかった子供の細菌叢を比較すると、免疫が成立している子供の細菌叢は多様性が見られず、圧倒的にEnterobacteriaceaeと呼ばれる種類で締められている。一方、普通ならもっとも優勢のBacteroidaceaeは極端に低い。この2種類の比を標識にすると、logスケールで大きな差が認められる。ただ、1年目になるとこの差は縮小し、詳細に見ると確かに細菌叢の構成は異なっているが、多様性が成立していることが明らかになった。この結果から、離乳食が始まる前の時期に成立する腸内細菌叢が食物抗原に対する免疫の成立に影響を持つこと、免疫が成立していても腸内細菌叢は最終的に平均値へと戻っていくことが明らかになった。今後は、この段階で正常型の細菌叢を構築するには何が必要か調べられるだうろ。おそらく、離乳食摂取前に細菌叢を調べてアレルギーの危険性を診断し、その上で細菌叢を正常化したり、食物の摂取法を工夫してアレルギー発症を予防する介入試験が行われる気がする。また改めて、腸内細菌も体の一部であることを実感した。
3月9日:人間の脳の進化:挑戦することvs理解すること(3月6日号Science掲載論文)
現在の地球を見れば、言葉を持つことで人間が、あらゆる生物種に君臨していることがよくわかる。もちろん2足歩行や、言葉を話す解剖学的構造などの身体能力などがこの人間の絶対能力の差に全く関わらないとは言わないが、なんと言ってもほとんどが脳の進化の結果であるのは間違いない。21世紀に入って、ヒトの進化で何が起こったか明らかにしようとゲノムから解析が行われ、ゲノム全体でヒトとチンパンジーの遺伝子配列の違いが、たかだか1%前後であることがわかった。ほとんど差がないことが強調されているが、30億塩基対の1%だから、3000万箇所の違いが存在する。脳の進化に関わる変化を見つけるのは簡単ではない。これにチャレンジしているのが今日紹介するエール大学からの論文で、脳発生に関わる遺伝子発現調節領域の進化の理解を目指した研究だ。タイトルは「Evolutionary changes in promoter and enhancer activity during human corticogenesis (ヒトの脳皮質形成過程でのプロモーターとエンハンサー活性の進化)」で、3月6日号のScienceに掲載された。この研究ではまず、ヒトの脳皮質の構造が大きく変化する発生時期の胎児脳組織で働いているエンハンサーとプロモーターを、結合しているエピジェネティック・マークを指標に特定し、対応する発生段階のマウスとアカゲザルの脳組織での活性と比べている。すなわち、ヒト独特の脳発生様式に関わる遺伝子発現調節を特定しようと試みている。翻訳される遺伝子自体にサルと大きな差が見つからないなら、まず調節領域を調べてるのは当然のことだ。とはいっても、発生段階ごとのヒト胎児組織を入手し、得られた貴重な組織からゲノムワイドのエンハンサー、プロモーター部位のリストを作ることは並大抵のことではない。これまでも紹介したが、エール大学はヒト胎児脳発生の研究が活発に行われているようだ。さて結果だが、エンハンサー、プロモーター各活性がヒトで上昇している部位が各ステージで、1000−5000箇所特定されている。しかも、この調節活性の差を、遺伝子配列の違いとして特定するのは今のところ難しいようだ。このように、DNA配列上の差を特定できない変化が1000以上存在すると、次のステップに進むのはなかなか難しい。この研究も結局はこのリストを作った上で、幾つかのアイデアを提示するだけで終わっている。最初に提案された方法は、ヒトエンハンサーと、サルエンハンサーを標識遺伝子につないでトランスジェニックマウスを作り、マウスの脳でサルとヒトの活性を調べる方法だ。論文では、マウスでは全く活性がないが、ヒトとサルで程度の異なるエンハンサー部位についてトランスジェニックマウスを作成し、ヒトとサルのエンハンサー活性の差をマウスの脳での発現で特定できることを示している。ただ、正直、これを真面目に他の何千箇所もの調節領域で繰り返して意味があるか疑問を感じる。ぜひ諦めず、提案したからには自らがこのまま探索を続けて欲しいと思う。もう一つの方法として提案されているのがネットワーク解析で、ヒトとサルの違いを多くの遺伝子が関わるネットワークの変化として捉える方法の導入だ。実際これまで脳発生について、異なる遺伝子ネットワークモジュールが90種類程度特定されている。この研究では、それぞれのモジュールでネットワークを形成している遺伝子について、今回特定された調節領域の変化をマップして、サルからヒトへの変化に関わるモジュールを探そうと試みている。また、確かに大きな変化が見られたモジュールを幾つか示し、その生物学的意味についても議論している。しかし、ではこのモヂュールからどのようなシナリオが描けるのか明確ではない。チャレンジスピリットに感心しながら、結局ゲノムワイドに様々な状態が記述できるようになり、ビッグデータを使った論文がトップジャーナルを賑わせている。最初の頃は、挑戦をしようとする心意気に賞賛を送るのだが、論文の数が増えていくにつれ、このビッグデータをどうプロセス理解へつながるのか明確でなく、論文のための論文ではないかとフラストレーションがたまる。考えが古いのかもしれないが、このモヤモヤを晴らしてくれる論文を心待ちにしている。
3月8日:高食塩食の効果もある(3月3日号Cell Metabolism掲載論文)
食塩の取りすぎは高血圧を招き、健康寿命を障害する重要な原因になるとして、減塩政策を呼びかけるWHOに呼応して、世界中で減塩の取り組みが進んでいる。英国などは、食品工業会を巻き込んで、食塩の消費量を1日6gに低下させるキャンペーンを行い、成功を納めているようだ。しかし、だれもが同じ方向を向くときは、少し気持ちが悪いと思ったほうがいいのかもしれない。今日紹介するドイツ・エアランゲン大学からの論文は、高食塩食がマクロファージの抗菌作用を活性化させることを示した研究で、3月3日号のCell Metabolism誌に掲載された。タイトルは「Cutaneous Na storage strengthens the antimicrobial barrier function of the skin and boosts macrophage-driven host defence (皮膚にNaを貯蔵することにより皮膚の抗菌バリアー機能を高め、マクロファージによる防衛機能を高める)」だ。この研究のきっかけは、体内のNa濃度を測定できるMRIを使った検査で、皮膚の感染部位のNa濃度が上昇しているという発見に始まる。本当に感染局所のNaが上昇するのか調べるため、マウス皮膚に感染を起こして実際の濃度を調べてみると、 MRIの結果に一致してNaの上昇が確認できる。この結果から、感染した皮膚ではなんらかのメカニズムで局所的Na濃度が上昇し、これがマクロファージなどを活性化して感染の拡大を防ぐのではないかと仮説を立て、実際に高濃度の食塩がマクロファージを活性化できるか調べている。その結果、マクロファージがLPSやTNAで活性化されるとき、高Naだと、Nos2と呼ばれる分子の産生が増強し、食菌作用が高まることを確認している。詳細は省くが、Naが細胞内のp38/MAPKシグナル分子を経て、NFAT5転写因子に至るシグナル経路を増強することで効果を発揮することをマクロファージで確認している。最後に、食塩の多い食事が原生動物ライシュマニアの感染を抑えるか調べ、感染後そのまま慢性炎症が続く通常の経過が、感染後20日後から炎症が抑えられることを観察している。確かに、傷口からの感染を食塩で防ぐ古来の知恵と会っているし、変に納得する結果だが、高塩食を食べさせると効果があるというのは驚きだ。ただ、普通点滴にはNaは入っているので、病人にわざわざしょっぱい食事を取らすこともないだろう。しかし、他の問題を引き起こす可能性が高い経口摂取の実験より、軟膏か何かで局所の濃度を上げる工夫の方が、皮膚の感染に対してなら安全に思えるのは私だけだろうか。とはいえ、感心するというより、面白い研究をしている人たちがいるものだというのが正直な印象だ。
3月7日:エボラビールスの侵入経路(2月27日号Science掲載論文)
昨年8月15日、エボラウイルス感染による激烈な症状が、ウイルスVP21分子が、ホスト細胞のSTAT1分子の核移行の阻害することでおこることを示した、Cell Host Microb8月号に掲載された論文を紹介した。この論文を読んで、ウィルスの巧みな戦略にも感心したが、世界中で研究が急速に進んでいることにも驚いた。今日紹介するテキサス大学ガルベストン校からの論文は、ウイルスが細胞に感染する時の侵入経路についての研究だが、全く同じ印象受けた。論文のタイトルは「Two-pore channels control Ebola virus host cell entry and are drug targets for disease treatment (Two-pore channelsがエボラウイルスの細胞へ侵入を調節しており、治療の標的になる)」だ。タイトルにあるtwo-pore channelとは、TCP1,TCP2の膜タンパクにより形成されるカルシウムチャンネルで、NAADPとPIP2により活性化される膜タンパクだが、細胞表面ではなく、細胞内のエンドソームに存在し、カルシウムの細胞質内への移動に関わっている分子だ。このグループがエボラウイルスの感染を防ぐ薬剤をスクリーニングしていた時、その過程で不整脈に利用されているベラパミルや、ミモディピン、ディリテイアゼムなどのカルシウムチャンネル阻害剤がウイルスの侵入を抑制することに気がついた。中でも、植物由来のアルカロイド、テトランドリンが最も高い効果を示した。エボラウイルスが、マクロファージの食作用でエンドソームに取り込まれ、細胞内に侵入するというこれまでの知見を考え合わせ,エンドソームに取り込まれたウイルスが細胞質に侵入する段階で、Two-pore channelが働いているのではと気がついた。後は簡単で、TCP1,TCP2遺伝子をノックアウトしたマウスの細胞をつかって感染実験を行うと、結果は予想通りウイルスはエンドソームに取り込まれたまま細胞質に侵入できない。最後に、マウスに感染できるようにしたエボラウィルスを使ったエボラ発症実験を行うと、テトランドリンは病気発症を強く抑えることが確認できた。これらの結果から、エンドソームに取り込まれたウイルスが、エンドソーム膜と融合して中のウイルスゲノムをホストの細胞質に注入するとき、Two-pore channelの機能が必須で、この機能を抑制する薬剤がウイルス感染を防ぐと結論している。この研究により、ウイルスの感染経路がほぼ明らかになったこと、そして何よりも、高い効果を発揮し、すぐに臨床に使える薬剤が発見できたことは大きいと思う。いずれにせよ、今の医学の実力を感じる研究だった。