昨日、今日と膵ガンの実験モデルについて紹介している。普通実験研究の方が臨床研究より容易だと思えるが、動物モデルの方がずっと難しい場合も多くある。中でも、マウスの抹消血中の細胞を利用する研究は大変だ。どんな熟練した研究者でも一匹のマウスからとれる血液量は0.5−1mlにすぎない。 今日紹介するハーバード大学からの研究は抹消血中に流れているガン細胞をマウス膵がんモデルで調べた研究で、おそらく血液を採取するのに苦労したと思う。ただ、今最も注目を集めている血中のガン細胞(CTC)を動物実験モデルと対比させる意味では重要な研究だ。論文のタイトルは「Matrix gene expression by pancreatic circulating tumor cells(血中の膵がん細胞は細胞外マトリックス遺伝子を発現している)」で、9月25日号のCell Reportsに掲載されている。
この研究では昨日紹介したのと同じマウス膵がんモデルを使っている。また抹消血からのガン細胞の分離にはマサチューセッツ総合病院が開発したCTC-iChipと言う機器を用いている。これを使うと、赤血球、白血球、ガン細胞を別々に調整する事が出来る。マウスに発生した膵臓がん細胞が抹消血で検出できる事を確かめてから、細胞を集めている。抹消血を流れている細胞は勿論多いはずはない。この研究では168個のガン細胞をようやく集め、それぞれの単一ガン細胞の遺伝子発現を別々に次世代シークエンサーを用いて調べ分類している。この結果導入された同じ遺伝子異常で誘導されるガン由来のCTCも幾つかのタイプがありそうだが、この研究では最も多いタイプに焦点を当てて調べ次の事を明らかにした。1)先ずCTCには分裂中の細胞は少ないが、元のガン細胞と遺伝子発現が大きく変化し、上皮の最も重要なマーカーEカドヘリンの発現は消失している、2)幹細胞に共通に発現する遺伝子が強く発現している、3)上皮細胞に発現する遺伝子と間質細胞に発現する遺伝子の両方がともに発現する中間的な細胞に変わっている、4)上皮と間質が相互作用する時に必要な遺伝子を強く発現している(これは転移する時に重要)、5)そして何よりも多くの細胞外マトリックス分子が発現している。マウスで明らかになったこれらの特徴はヒト膵ガン由来CTCでも同様に見られる。この結果を受けて、細胞外マトリックスを調達する能力がガンが血中に流れ転移するCTCの性質に関わるかを実験的に調べ、マトリックス遺伝子のうちSPARC遺伝子を抑制したガンを注射すると転移が押さえられる事を示している。勿論効果は完全ではないし、この研究だけで新しい創薬標的が明らかになったわけではない。しかし、しっかりした動物実験モデルと、ヒトのガンが対応できるようになると、創薬可能性が促進される事は間違いない。結局この対応はガンゲノムが明らかになったおかげで可能になっている事も強調したい。膵ガンは最も厄介なガンで、私も多くの友人や、同僚を失った。失った友人達はゲノムやCTCといった新しい方法の恩恵を受ける事はなかったと思う。これからの患者さんたちにこの様な技術が一刻も早く利用できるようになり、自分のガンを知って戦える日が来るのを望んでいる。