神経疾患には、例えばアルツハイマー病、パーキンソン病といったように、発見者の名前がついた病気が多く、学生の頃神経疾患を学ぶのに苦労するに原因になっていた。私の学生時代は、これらの病気の原因はほとんどわかっておらず、高々遺伝性があるかどうかぐらいが精一杯だった。その後分子生物学が発展し、多くの病気のメカニズムが明らかになり、治療法開発も視野に入ってきた疾患の数は確実に伸びている。今日紹介するテキサス・ベーラー大学からの研究は、アンジェルマン症候群と呼ばれる病気の治療が可能であることを示した研究でNatureオンライン版に掲載されたところだ。タイトルは「Towards a therapy for Angelman Syndrome targeting a long non-coding RNA(長いノンコーディングRNAを標的にしたアンジェルマン症候群治療に向けて)」だ。このアンジェルマン症候群はUBE3Aとなずけられたタンパク質ユビキチン化酵素遺伝子の突然変異で起こる遺伝病だ。と言っても普通の遺伝病と違って、インプリンティングという一方の染色体からの遺伝子だけを抑制するメカニズムを巻き込んだ複雑なメカニズムで起こる病気で、教師の側から言えば試験に出したくなる病気だ。この遺伝子の存在する領域では、母方の染色体でインプリンティングされている領域がある。ただこの領域はUBE3A自体の調節領域ではなく、遺伝子をコードしていない長いRNA(ncRNA)の転写を調節している領域がインプリンティングで抑制されている。すなわち、このncRNAは母方の染色体では抑制されているが、父方の染色体では発現している。さらに複雑なことに、神経細胞ではこのncRNAが離れているUBE3A遺伝子の転写を抑制するところまで伸びてくるのだが、他の細胞では途中で伸長が止まる。その結果として父親側からきた染色体のUBE3A遺伝子だけが、神経細胞だけで抑制されるという極めて複雑な状態になっている。なぜこのように複雑な制御が必要かを考えると、おそらく神経細胞ではUBE3A分子の量を半分にしておかないと分子が毒性を発揮しだすからだと思うが、ヒトでもマウスでも同じような調節を受けていることから、大事な調節機構なのだろう。この状態で母親側のUBE3A遺伝子が変異を起こすとどうなるだろうか?残っている父親側からのUBE3Aはサイレンスされているため、神経細胞だけでUBE3Aが欠損する状態が生まれる。これが病気の原因だ。しかし、父方の遺伝子は実際には全く正常で、エピジェネティックにもメチル化されているわけではなく、ただncRNAで抑制されているだけだ。そうなら、このncRNAを抑制するRNAを細胞内に導入すれば治るはずだと、この可能性に挑戦したのがこの研究だ。まだ全てマウスの段階の研究で、詳細は全て省くが、結果は明瞭だ。培養細胞はもちろんのこと、この抗ncRNA作用のあるRNAを直接脳脊髄液に注射したり、時には海馬に投与すると、完全ではないが脳内でのUBE3A分子が回復し、安定に作られるようになった。さらに、行動解析から記憶の回復も見られることから、この方法が治療として有効であることを示している。もちろん、ncRNAの転写を止めたわけではないので、治療としては他の方法を組み合わせる必要があるだろう。しかし、一旦成長した脳でも効果があることは勇気づけられる。ぜひ治療まで持って行って欲しいと思う。現役の頃なら試験に出したくなる論文だった。