今日紹介するフロリダ大学からの論文は生体腎移植のドナーに代償を支払って良いかどうかを電話で無作為抽出した集団について行ったアンケート調査で3月23日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Views of US voters on compensating living kidney donors (有償の生体腎提供に関する合衆国選挙民の見方)」だ。
調査は乱数表で選んだ携帯番号に電話をして行ったアンケート調査で、16851人に電話かけ、1011の有効回答を得ている。アンケートはまず年齢、性別、収入など基本的な調査を行った後、自分の片方の腎臓を提供することができるか?できる場合、対象は家族友人か、あるいは見知らぬ人でもできるか?そして、もし健康保険から50000ドルの支払いが受けられるなら提供するインセンチブになるか?などを調べている。
まず有償の話が出る前に生体腎移植のドナーになる気持ちがあるかどうかを聞いたところ、なんと914人がイエスと答えている。しかも、場合によれば見知らぬ第3者に提供してもいいと考えている人たちが689人もいる。当たり前と思う人もいるかもしれないが、私にとっては驚きの数字だ。おそらく我が国の調査なら、これほど多くの人が見知らぬ人に腎臓を提供していいと答えないように思う。格差が問題になるアメリカは今も他人へのチャリティーを重視している国であることがわかる。
次に健康保険システムから5万ドルを受け取れるとすると、ドナーになるインセンチブが高まるか聞いている。結果は、親族友人にしか提供しないと答えたグループも含めて、60%程度がインセンチブが上がるだろうと答えている。 最後に、1011人からさらに選んだ635人に、有償の腎臓提供は社会の標準規範として良いかどうか聞いている。結果だが、635人全体では約60%の人が社会の規範にして良いと答えている。また、アメリカでは5万ドル以上を規範とすべきという意見が多数を占める。結果を見てアメリカがプラグマティズムの国であることを認識する。
以前紹介したかもしれないが、有償の生体腎移植を認めている国は珍しくない。例えばイランでは、経済制裁等による透析の困難を、国と民間が一体となったチャリティーシステムで克服している。実際ほとんど待ち時間なしで腎移植が行われるようだ。重要なことは、臓器を得る人たちは貧困層に属するが、その上に貧富の差を問わず移植が受けられるように設計されている。すなわち、チャリティーの体制が先にあって、その上に代償を支払う制度をかぶせることの重要性が分かる。当分我が国ではこの問題は浮上しないと思うが、格差が臓器提供を促すという構造だけは避けられるよう、議論を前倒しでしたほうがいいと思う。
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