2016年2月29日
昨年の今頃は2013年にギニアで始まったエボラ出血熱がアフリカで猛威をふるっていた。様々な対策にもかかわらず、患者の隔離で感染拡大を抑える以外、試された治療法はほとんど無力だったが、感染後回復を遂げた患者の血清は高い確率で感染を予防することができたことが報告された。これを受けて、エボラ出血熱を生き延びた患者さんから、ウイルスを制御する抗体を調整して治療に使おうとする試みが進められている。
今日紹介するアメリカNIHからの論文は10年以上前のエボラ感染者からエボラウイルス感染細胞を除去することができる抗体を単離し、アカゲザルの感染抑制に成功した研究でSience express (サイエンスオンライン版)に2月25日掲載された。タイトルは「Progtective monotherapy against lethal Ebola virus infection by a potently neutralizing antibody (エボラウイルス中和活性が高い抗体を用いた致死的エボラウイルス感染に対する治療の確立)」だ。
研究では今回の西アフリカで流行したエボラウイルスではなく、1995年に発生したエボラ出血熱発症後幸いに治癒した患者さんの血清を調べ、10年以上経過した後でもエボラウイルスに対する高い抗体価を保っている患者さんを選んで、この抗エボラウイルス抗体の性状を調べている。
もちろん抗体価が高いと言っても、患者さんから大量の血清を調整することは難しいため、治療効果のある抗体を産生するB細胞を分離し、それが発現している抗体遺伝子を単離する戦略をとっている。この目的のため、末梢血のB細胞にEBウイルスを感染させ不死化させ、その中からエボラウイルスを中和する抗体を産生しているB細胞株を分離している。発病後11年後に抗体が血中に検出できるのは不思議ではないが、その抗体を作るB細胞が末梢血から得られというのは驚きだ。いずれにせよ、こうして分離したB細胞株の中から有望な抗体を作っている2種類のB細胞株を分離し、この細胞が発現している抗体遺伝子を特定している。2種類の抗体とも、エボラウイルスの感染性を中和し、さらにエボラウイルス粒子を発現している細胞を除去する活性を持っている。すなわち、治療用の抗体として望まれる性質を全て持っていることを明らかにしている。さらにこの研究では、これらの抗体遺伝子が出来てくる過程でどのように突然変異を蓄積したかを、変異が起こる前の遺伝子と比べて明らかにしている。最後に、エボラウイルスを感染させたアカゲザルを用いて、この抗体の効果を調べ、期待通りAb114と名付けた抗体を単独で投与することで、アカゲザルの発症を完全に抑えることに成功している。
特に目新しい戦略ではないが、この結果はエボラ出血熱のような治療方法が決まっていないウイルス感染に対して、以前の流行で生き残った患者さんの末梢血が重要な材料として将来の感染対策に大きな役割を果たせることを明らかにしている。同じような治療困難なウイルス感染症は多い。感染を生き抜いたヒトから治療抗体を揃える研究はかなり有望な方向性のように思う。
2016年2月28日
一部のミトコンドリアが持っている遺伝的変異のために、脳神経や心筋を中心に細胞のエネルギー代謝が低下し、進行性の病態を示すミトコンドリアが治療標的として注目されている。一つはCRISPRなどの遺伝子編集を用いることでミトコンドリアの変異を直接正常化させる可能性が出てきたこと、もう一つは、ミトコンドリアの遺伝子変異が特定されている場合、胚操作を使って正常なミトコンドリアを持つ卵子に核を移植して病気を防ぐ治療が、イギリスで原則認められるようになったことがある。このmitochondoria replacement techniqueを医療に使っていいかどうかについての考え方をまとめた総説がThe New England Journal of Medicineに出ているので、生殖工学の倫理問題について興味ある人たちは参考になると思う(Falk et al. Mitochondrial replacement techniques-implications for clinical community (ミトコンドリア置換テクニック:臨床家へのの示唆))。
もともとミトコンドリア病は理解しにくい病気だ。一つの遺伝子変異が全てのミトコンドリアに存在するのではなく、変異を持ったミトコンドリアと、正常のミトコンドリアが混在し、正常のミトコンドリアが頑張ってくれれば、必ずしも細胞が破綻するわけではない。しかし、エネルギー代謝が高い脳や心筋などの細胞では異常ミトコンドリアが負担になり、その結果細胞の機能が著しく低下、ミトコンドリア病が発症する。ただ、どのような条件で異常ミトコンドリアが細胞に負担になり始めるのかわからないことが多い。要するに、ミトコンドリアのダイナミズムについて私たちは知っているようで、知らない。
その意味で今日紹介するエール大学からの論文はミトコンドリアのダイナミズムを知る上で勉強になった。タイトルは「UCP2 regulates mitochondrial fission and ventromedial nucleus control of glucose responsivenesss (UCP2はミトコンドリア分裂と視床下部腹内側核によるブドウ糖に対する反応のコントロールを調節する)」だ。
この研究のハイライトは、血中のブドウ糖のセンサーの役割を演じている視床下部服内側核の細胞が、高濃度のブドウ糖にさらされると、ミトコンドリアの分裂を誘導するDRP1分子の発現が上昇し、ミトコンドリアの数が増える一方、ミトコンドリアのサイズが小さくなるという発見だろう。不勉強なのでこれが細胞の代謝にどのような影響を持つのかわからないが、この神経細胞だけが高濃度の血中ブドウ糖に反応して、ミトコンドリアが分裂するとは、ミトコンドリアのダイナミズムを実感する。
残念ながらこの論文も、ミトコンドリアの分裂についての話はここまでで、ミトコンドリアの分裂からどう話が進むのか期待して読み進んでも、あとはミトコンドリアの分裂を誘導するDRP1の発現を支配しているUCP2分子の機能解析に移ってしまう。UCP2遺伝子のノックアウトと過剰発現マウスでのインシュリン感受性の変化が主題になっている。
結果をまとめると、高ブドウ糖で刺激される視床下部内側核細胞の興奮はUCP2に依存しており、この細胞自体ではUCP2が誘導するDRP1を介してミトコンドリアの分裂が促進される。これと並行して、おそらく視床下部腹内側核の興奮が自律神経の活動を介して、肝臓や筋肉のインシュリンに対する感受性を上昇させるという結論になる。
最初は特定の細胞だけでミトコンドリアの分裂が誘導される発見にひかれて読んだが、この現象についはこれ以上深く突っ込んでいないのは残念だ。高グルコースに長期間さらされた時はどうなるのかとか、ミトコンドリア病との関わりについて是非もう少し知りたいと、少しフラストレーションが残った。
2016年2月27日
T細胞、B細胞がともに欠損する重傷免疫不全(SCID)マウスはフィラデルフィアにあるフォックスチェースガンセンターのボスマ夫妻によって発見された。私の教室ではB細胞の初期分化を研究していたので、すぐにメルからマウスをもらって研究に使ったが、当時このマウスは様々な生命過程に免疫系が必要かどうかを確かめるために盛んに使われた。例えば、scidマウスが妊娠可能であることが示されるまで、妊娠の維持には免疫系が必須であるという説も堂々と提唱されていた。しかしさすがにアルツハイマー病の進行に免疫系が関わると考える人は当時ほとんどいなかったと思う。今日紹介するカリフォルニア大学アーバイン校からの論文は免疫システムがアルツハイマー病の進行を遅らせていることを示した研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載されている。
この研究ではscidマウスの代わりに、抗原受容体遺伝子の再構成が全く起こらないRAGノックアウト(KO)マウスをIL-2γ受容体KOマウスと掛け合わせ、T,B,NK細胞と完全に存在しないマウスを作った上で、このマウスをさらにアミロイドAβが蓄積してアルツハイマー病になるモデルマウスと掛け合わせ、免疫系が全くないとアルツハイマー病の経過がどう変化するかを見ている。
結果だが、期待どおり(?)免疫系が欠損するとアミロイドAβの蓄積が2倍以上になる。この結果がこの研究の全てで、あとは様々な実験を追加して、なぜ免疫系が存在しないとアミロイドAβの蓄積が促進するのか調べている。詳細は割愛してこの研究が示唆するシナリオをまとめると次のようになる。
免疫系と言ってもアミロイドAβ特異的な免疫反応が必要というわけではなく、実際に必要なのは免疫系によって血中に分泌される免疫グロブリンがアミロイドAβ蓄積を抑制している。メカニズムだが、免疫グロブリンが血中から脳内に移行すると、ミクログリアを刺激し、ミクログリアの貪食活動が誘導、この結果アミロイドAβの大きな沈殿を処理することで、アミロイドAβの蓄積を抑えている。逆に、免疫系が欠損すると、免疫グロブリンが作られず、ミクログリアを活性化できないため、アミロイドAβが処理できず蓄積するというシナリオだ。実際、ミクログリアを試験管内でアミロイドAβに対する抗体を持っていない免疫グロブリンで処理するだけで、アミロイドAβに対する貪食活性が上昇する。また同じ免疫グロブリンを免疫系の存在しないアルツハイマーモデルマウス脳内に投与すると、アミロイドAβの蓄積が半分に減る。
実際に同じことが人でも起こっているかどうか調べるのは難しいが、HIVに感染して免疫が低下している多くのエイズ患者さんで痴呆の併発が多く見られたようだ。結果は意外だったが、もし免疫グロブリンによるマイクログリアの活性化がこれほど効果があるなら、ワクチンを開発する理由もなくなるかもしれない。
2016年2月26日
膵臓癌には親しかった友人を奪われた思いが強い。とは言っても引退した私が何かできるわけではないが、それでも新しい論文が出るとどんな進展があったのかと期待して読んでいるが、まだこれという決め手に出会うことはできていない。事実私が卒業してから40年になるが、ゲノムをはじめとして膵臓癌の分析は大きく進展したにもかかわらず、治療成績はほとんど前に進んでいない。今日紹介するオーストラリアを中心にした国際チームからの論文もNatureのArticleに掲載されたということで期待を持って読んだが不満が残る論文だった。ただ、この分野の現状を知るにはいいかなと考え、あえて紹介することにした。タイトルは「Genomic analyses identify molecular subtypes of pancreatic cancer (ゲノム解析により膵臓癌を分子的に分類する)」だ。
オーストラリアは戦略的計画に基づき、ガンのゲノム解析を着々と進めている国だ。この研究でもオーストラリア全土から456例の膵臓癌手術サンプルを集め、全ゲノム、エクソーム、そして発現遺伝子の解析を行い、臨床経過やガンの組織像と相関させている。
膵臓癌のゲノム研究論文を読むといつも感じるのは、膵臓癌がガンのお手本のような突然変異を持つことだ。この研究でも92%がKRAS突然変異、78%が細胞周期の抑制機構の変異、47%のTGFβシグナル分子の変異が見られている。この当たり前のKRAS変異の活性を制御できる薬剤の開発が本当に待たれる。
この研究では全ゲノム解析を行っているが、これまでリストされた遺伝子変異以外は特にめぼしい進展はない。代わりにこの研究ではガンと周りの組織を含んだサンプルについて発現遺伝子を調べ、膵臓癌を4種類に分類できることを示している。それぞれを
1)扁平上皮型、TGFβシグナル活性上昇など周りの組織の炎症反応を示す遺伝子発現が見られる。遺伝子のメチル化が高度で、重要な遺伝子の発現低下が見られる。もっとも経過が悪い。
2)膵前駆細胞型、膵臓初期発生に関わる遺伝子の発現が特徴的。未分化な段階の細胞を代表すると考えられる。
3)内分泌・外分泌異常分化(ADEX)型。2)よりさらに分化した膵臓分化に関わる遺伝子の発現が強く見られる。
4)免疫反応型。周りの組織に強い免疫細胞の浸潤があり、これらの遺伝子発現を反映している。もちろん、免疫チェックポイント分子の発現が高い場合は予後が悪い。また、マクロファージの浸潤を誘導する分子の発現が強い場合も予後が悪い。
他には、p53変異があると、特定の遺伝子セットの発現が上下することなど、データは膨大だ。たしかに読んでいると、こうしてみたらどうだろうと様々な考えが湧いてくる。しかし、この書き方では実地の臨床医が興奮するというわけにはいかないだろう。
Natureに送ってレフリーに回らず、「専門誌ではなく一般の人が対象のNatureにはあなたの論文は一般的興味をひかない」とリジェクトされた人なら肝に銘じているように、Natureの論文はもう少し専門外にも面白いと思える書き方をしなければならないはずだ。ゲノムを読めば論文が掲載される時代はとうの昔に終わっている。実地の医師を刺激し、臨床例からフィードバックが得られるような論文の書き方が必要な時代が来ていることを、ガンゲノムの研究者は理解すべきだろう。
2016年2月25日
スウェーデンやノルウェーのような寒い北欧の国に住むバイキングの子孫と想像してしまうと、酒に強い大男をイメージする。実際ずいぶん昔、スウェーデンのマルメからコペンハーゲンまでフェリーに乗った時、船が公海を走る短い間に、多くの客が強い酒を飲み始めるのをみると、まんざら間違ったイメージでもなさそうだと納得していた。
今日紹介するスウェーデン・カロリンスカ研究所からの疫学論文は、ノルウェーの成人を対象としてアルコールと心不全の関係を調べた研究だが、これを読んで私のイメージは少なくともノルウェーの人たちには当たらないことがよくわかった。タイトルは「Light to moderate drinking and incident heart failure – the Norwegian HUNT study (軽くから中程度のアルコール摂取と心不全の発症頻度—ノルウェーのHUNT研究)」で、International Journal of Cardiologyの最新号に掲載された。
ノルウェー中部のトロエンデラーグ地方の住民は移動が少なく、同じ土地に長く住み続けることから、重要なコホート研究の対象になっており、この研究では1995−1997年の3年間に20歳以上の成人に参加を呼びかけた約6万人の集団が対象になっている。研究の目的は、飲酒の習慣と心不全の関係を明らかにすることで、コホート参加者が地域の病院で心不全と診断される率と、聞き取り調査で調べた飲酒量の相関を調べている。結果だが、まず驚くのは、この地方の住人のほぼ半分がほとんどアルコールを飲まないことだ。飲んでも2週間に1回という人が41%、週0.5−3回という人が36%で、私が持っていた北欧=アルコール好きというイメージとはかけ離れており、まず晩酌はしないというのが当たり前のようだ。私のようにほぼ毎日晩酌をするのはこの地方では3.1%に過ぎない。次に驚くのは、予想に反し1日のアルコールの消費量が20g(日本酒1合)ぐらいまでは、全く飲んでいない人と比べると心不全になる確率が低いことだ。実際、5gぐらいまで急速に心不全になる率が低下し、そのまま20グラムまで同じレベルを保つ。検査結果では、LDLコレステロールの値が飲酒で下がるようだ。ワインか、ビールかといったアルコールの種類は全く相関がなく、結論としてはアルコールを少しは嗜んだ方が心臓にはいいという結果だ。おそらく飲まない人の多いこの地方の人には耳の痛い結果だろう。
もちろん同じ結果をそのまま我が国に当てはめられるのかはわからない。遺伝的体質もあることから、独自の調査が必要だ。とはいえ、「ノルウェー人も日本人も同じ人類だと思うと、結果が全く逆転することはあるまい」、などとほぼ毎日晩酌を欠かさない私はほくそ笑んでいる。
2016年2月24日
先日、ネアンデルタール人と我々の先祖の性的交流を通して現代人に流入し維持されている遺伝子についての論文を紹介したところだが(
http://aasj.jp/news/watch/4855)、古代人の全ゲノム解析の威力は絶大で、一回でも起こったゲノム上の交流の跡は、それが何万年前の出来事であろうと消すことはできないことを教えてくれる。しかし、これまで示されてきた交流は、ネアンデルタール人から現代人へと流入した遺伝子についての話で、その逆、すなわち現代人からネアンデルタール人へ遺伝子が流入した跡の存在についてはこれまで明らかにされていなかった。
今日紹介するドイツライプチッヒ・マックスプランク人類進化研究所からの論文は、私たち現代人の先祖からネアンデルタール人に流入した遺伝子の痕跡もあるはずだと求め続けた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Ancient gene flow from early modern humans into eastern Neanderthals (初期現代人から東部ネアンデルタール人への遺伝子流入の痕跡)」だ。
この研究が行われたマックスプランク人類進化研究所は、言うまでもなく、クロアチアで発見されたネアンデルタール人のゲノム解析を成し遂げ、ネアンデルタール人の遺伝子が私たち現代人に流入していることを突き止めた研究所だ。もちろん逆の可能性についても同じデータを使って調べていたはずで、ヨーロッパでの現代人とネアンデルタール人との交流は一方向に限られていたようだ。今回の研究ではこれまで現代人との交流があまりないとされてきたアルタイ地方で発見されたネアンデルタール人のゲノムに注目し、ネアンデルタール人の遺伝子の流入がないアフリカ人のゲノムと比較することで、私たちの先祖からネアンデルタール人への遺伝子流入の痕跡がないのか探索している。
基本的に研究はゲノム情報を比べる数理的な研究で、アルタイ地方のネアンデルタール人に現代人から流入したと想定できるアフリカ人特有のゲノム断片をリストし、この分布を他の古代人ゲノムや現代人ゲノムと比較することで、遺伝子流入の時期を数理的に研究している。
数理的な詳細を全て省いて(数理的手法の妥当性には私自身も完全に理解できているわけではない)結論だけをまとめると、次のようになる。
1) まず、東部ネアンデルタール人には確かに、現代人の先祖から遺伝子が流入している。この流入は、西部ネアンデルタール人やデニソーワ人には認められない。
2) 西部のネアンデルタール人から現代人にゲノムが流入したのは、5万年前の話だが、東部ネアンデルタール人への現代人ゲノムの流入は10万年から20万年前の間に起こっている。
3) この交流はおそらくネアンデルタール人と現代人が分離した後、アフリカを離れる前、あるいは離れようとする時期に今の北アフリカや、イスラエルで起こったと考えられる。
4) 流入した遺伝子には言語に関係するFoxP2遺伝子も含まれる、
5) アルタイのネアンデルタール人は小さな集団で、他の古代人から孤立して維持されてきたことで、流入の痕跡がより鮮明に研究できる。
遺伝子流入と表現すると生々しくはないが、今流入の痕跡として見えているのは、ネアンデルタール人男性が現代人の女性を犯し、また私たち祖先の男性がネアンデルタール人女性を犯した結果と言っていいのではないだろうか。もちろん、ネアンデルタール人女性を現代人の集団が受け入れていないという証拠はないが、女性が囲われた考えるより、暴力的な交流から生まれた子供がそれぞれの集団で維持され、遺伝子が流入した可能性が最も高いだろう。とすると、10万年以上前には存在した現代人からネアンデルタール人への遺伝子流入が、5万年前のヨーロッパでは存在せず、ネアンデルタールから現代人への方向性だけになっていることは面白い。どのような生活の変化がこの差を生み出したのか、ロマンに満ちた研究分野が開いて行く気がする。
2016年2月23日
時に思い込みが強すぎて危なっかしいとはいえ、よくこんな実験思いつくと思えるようなアイデア豊富な研究を続けているグループがどの分野にもいる。腸内細菌叢と栄養の分野ではワシントン大学のJeffrey Gordonさんではないだろうか。体重差の大きく違う一卵性双生児ペアを全国から見つけ出してきて、その腸内細菌叢をマウスに移植して、腸内細菌叢が肥満につながる重要な要因であることを示した研究(http://aasj.jp/news/watch/2407)を読んだ時には、その着想の斬新さに思わず唸ってしまった。今日紹介するのも同じグループからの論文で母親の母乳成分が子供の腸内細菌叢を刺激して低栄養になるのを防いでいるという研究で2月25日号のCell に掲載された。タイトルは「Sialylated milk oligosaccharides promote microbiota-dependent growth in models of infant undernutrition (シアル化オリゴ糖は低成長児の成長を腸内細菌叢依存的に促進する)」だ。
この研究ではマラウィ共和国で行われた児童成長コホート研究から母乳栄養で育てているにもかかわらず低栄養により成長が止まった子供の母親のミルクを分析し、低栄養の子供の母親はミルク中のフコシル化やシアル化されたオリゴ糖が低いことに注目して、オリゴ糖が細菌叢に働いて子供の成長を助けているのではと仮説を立て研究を進めている。この実験ではミルク成分による腸内細菌叢の変化を調べることが重要になる。少し強引かとは思うが、今回の研究では低栄養の子供の細菌叢を代表させた25種類の細菌をマウスに移植し、このマウスに牛乳中のシアル化オリゴ糖を投与してその効果を調べている。期待通り、細菌叢を移植するとマウスの成長が止まるが、シアル化オリゴ糖を投与すると成長が戻る。次に細菌叢の何が変化するのか調べると、細菌の種類が変化するのではなく、オリゴ糖が細菌により分解され、それにより細菌叢の代謝が変化、さらにこの変化が子供の代謝全般を活性化して子供の成長が助けられることを突き止めている。同じ現象が無菌ブタでも観察できることも示して論文は終わっている。
すなわちこの研究では細菌叢を活性化する食事、すなわちプレバイオの可能性を追求している。テレビでは効果が宣伝されていても、小児にビフィズス菌や乳酸菌を投与するプロバイオの大規模治験では、思った効果は得られないようだ。したがって、乳幼児については、腸内細菌叢を育てる方法の開発が重要になるが、いち早くこれに注目して新しい実験系を提案するなど、なかなか面白いグループだと再認識した。
2016年2月22日
現大阪大学の坂口さんによって抑制性T細胞(Treg)が発見されて以来、自己抗原に対する自己免疫反応はTregがうまく働かないために起こることが一つの原因であることが明らかになった。このことから、自己免疫病の治療の切り札として、自己抗原に対するTregを強めればいいことはわかっていたが、Treg優勢の免疫系が回復する方法の開発はうまくいっていない。
今日紹介するカナダカルガリー大学からの論文は、酸化鉄をデキストランでコートしたナノ粒子にMHC抗原と自己免疫原性のペプチドをコートして注射するとTreg優位の免疫系が回復され病気が抑えられるという研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Expanding antigen-specific regulatory networks to treat autoimmunity (自己免疫の治療に抗原特異的抑制性ネットワークを増強する)」だ。
調べてみるとこのグループは10年近く、ナノ粒子に、組織適合性抗原と自己免疫反応に関わる様々な抗原ペプチドの複合体をコートして投与すると、自己免疫性1型糖尿病を治すことができることを報告している。この研究は、彼らが発表し続けているこれまでの研究とあまり変わることがないが、糖尿病だけでなく自己免疫性脳炎モデルや、コラーゲン関節炎モデルでも同じ方法で自己免疫が抑制できることを示した点が評価されたのだろう。結局この研究の売りは、ナノ粒子による自己免疫制御可能性の発見が全てで、ヒト化マウスを用いた1型糖尿病モデルでも、この方法を利用できることが示唆されているので、症例を選んでぜひ臨床治験へと進めてほしい。酸化鉄のナノパーティクルが強い毒性を持つことはないように私には思える。
もちろんメカニズムがはっきりしない場合、臨床応用へのハードルは高い。この研究でも、実際にどの分子が関わり、どの細胞が関わるかを詳細に調べている。まとめてしまうと、IL-10,インターフェロンなどが関与して、CD4TメモリーT細胞がTreg優勢に引っ張られ、B細胞や抗原提示細胞も免疫抑制の方向に傾くというシナリオだが、この研究についてはゴチャゴチャとわかりにくい。また、なぜナノ粒子がこの活性を持つのかについては全く答えがない。
とはいえ、多発性硬化症やSLEなど、現在でも治療が難航している病気に関わるペプチドが一つでもわかれば免疫バランスを免疫抑制へと傾けられるなら、それで十分だ。論文のための論文で終わらないことを祈る。
2016年2月21日
転写されたmRNAがメチル化され、タンパク質への翻訳を調節して細胞の生理機能に影響していることは、2013年京大薬学部の岡村さんたちの細胞時計の制御にN6アデノシンメチル化が関わっている論文を読み、このホームページで紹介するまで(
http://aasj.jp/news/watch/700 )全く知らなかった。その後、昨年3月にもRNAのメチル化によりマイクロRNAを合成する機構の作用を受けやすくなることが報告されるなど(
http://aasj.jp/news/watch/3111)着実に研究が進んでいるが、外野から見ると細胞内でのタンパク質合成の調節がますます複雑になる印象がある。
このますます進む細胞システムの複雑化を見ながら「進化はすごい」などと考えていると、mRNAには他のN1アデノシンメチル化が存在して、実際に翻訳の制御に関わっているという論文がシカゴ大学から2月10日号のNatureに報告され、タンパク質への翻訳制御はさらに複雑化の道をたどっていることがわかった。タイトルは「The dynamic N1-methyladenosine methylome in eukaryotic messenger RNA(真核生物のN1メチルアデニンmRNA修飾の動的な変化)」だ。
私は知らなかったのだがN1メチルアデニンがmRNAの中に存在することは以前から知られていたようだが、アルカリ処理でN6へと変化するため正確に測定することが困難で、この研究はまずN1メチルアデニンがどの程度細胞株の中に発現しているかを正確に測定するところから始めている。この存在を確かめた後、N1メチルアデニンに特異的な抗体を作成し、この抗体で生成されるRNA部分の配列を調べ、mRNAのどの場所がN1アデニンにメチル化されるのか、その機能は何かを研究している。
詳細を全て省いて結論だけ箇条書きにすると、
1) スプライシングが始まるより上流に存在する翻訳開始点にN1メチルアデニンが集中しており、一つのmRNAに一箇所だけメチル化が見られる、
2) 開始コドンの存在するmRNAが構造化された部分がメチル化を受ける、
3) 翻訳される蛋白レベルと相関する、
4) 動物間でメチル化されるmRNAの種類やメチル化部位はよく似ている、
5) グルコース飢餓など栄養などの変化で、メチル化の度合いが変化する、
などを明らかにしている。
おそらくメチル化されることで、対応する塩基がペアリングすることを防いで、タンパク質の翻訳に関わる分子との反応を強めていると考えられるが、これは今後の研究になる。
環境に対応する必要性が生物の複雑化を牽引していることがよくわかる論文だった。
2016年2月20日
染色体は長い一本のDNA鎖で、当然2個の端が存在する。この端にはテロメアと呼ばれるTTAGGGの繰り返し配列が続くが、最後は2重螺旋が途切れて短い一本鎖DNAが繋がっている。要するに、DNAがそこでちぎれた構造をとってしまっており、そのままならこの断端を繋ごうとする修復メカニズムが働く。この特殊な断端構造を守るため働いているのがシェルタリンと総称される6種類の蛋白で、一本鎖にはPOT1、2本鎖にはTRF1,TRF2が結合し、他の蛋白がこれらを一つの複合体を形成し、これにガイドされたヘテロクロマチン型ヒストンとともにテロメア特有の凝集された不活性は染色体を形成していることが知られている。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレー校からの論文は、ヒト培養細胞を用いてシェルタリンのダイナミズムを詳しく調べた研究で、少しマニア向きすぎるかもしれない。タイトルはズバリ「Shelterin protects chromosome ends by compacting telomeric chromatin (シェルタリンはテロメア型クロマチンを凝集させて染色体の端を守る)」だ。
この研究では蛍光標識したTRF2を発現させテロメア全体の大きさを測れるようにした細胞を用いて、テロメアのクロマチン構造の凝集程度を調べている。強く凝集しているときは、テロメア全体はコンパクトなクロマチンにしまわれていることになり、小さい塊にまとまる。例えば細胞周期でテロメアの大きさを追いかけると、S期で最も大きく、分裂中期で最も凝集する。これまで、DNAのメチル化や、ヒストンのアセチル化がテロメア特有の染色体凝集に関わるとされてきたが、この過程を阻害しても凝集が起こることから、テロメアの染色体構造はシェルタリンが直接調節していることがわかる。次に、シェルタリンの構成分子一つ一つの機能を阻害してテロメアの大きさを調べると、TRF2,TRF2,TIN2の3種類の分子の機能阻害で凝集が緩むことがわかる。すなわち、染色体凝集には2本鎖に結合するTRF1,TRF2がTIN2で架橋されていることが重要であることがわかる。次に、これら3種類の分子の突然変異体を作成し、凝集にはTRF1,TRF2それぞれがダイマーを形成することも必要であることを示している。
このように基本的な役者が明らかになると、あとはこの現象とテロメアの状態を相関させればよい。実際にこの凝集によりDNA障害が防がれていることを示し、シェルタリンがメチル化ヒストンを組織化してクロマチンを凝集させることでテロメアを守っていると結論している。
ある意味では地道な研究のうちに入るだろう。普通あまり気にならないプロセスだが、研究がしっかり行われていることを実感した。