2016年2月9日
今日は家族の問題についての短い論文を2編紹介する。最初のカナダモントリオール大学からの論文はいじめを受けた児童の自殺についての研究でJournal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatry 2月2日号に掲載された。タイトルは「Association between peer victimization and suicidal ideation and suicide attempt during adolescence: results from prospective population-based birth cohort (思春期でのいじめと自殺の相関:前向き出征コホート研究)」だ。
この研究では1997年から1998年にカナダケベック州で生まれた子供を追跡し、13、15歳時点でいじめにあッた経験を調査するとともに、自殺を考えたか、また実際に自殺を計ったかについて調べている。数字を見ると驚くのは、いじめとは無関係に全体で4.5%,5.9%が13、15歳時点で自殺を考えたことがあり、実際にそれぞれ2.4,2.8%が自殺を計ったことがあることだ。残念ながら、わが国の自殺者の統計は見つかったが、自殺を計ったかどうかの聞き取り調査の統計を見つけることができないので、これが多いかどうか判断できないが、先進国一般の傾向だとすると驚くほど多いと思う。さらに仲間のいじめに遭った児童では、自殺を考えた比率がなんと21.0%,14.7%と驚くべき数に上り、実際に自殺を図った%も5%を上る。この統計が教えるのは、学童が自殺を考えたことがあるかどうかを聞き取り調査することの重要性だ。ぜひわが国でも同じ調査をいじめ対策に活かせればと思った。
もう一編は米国Drexel University School of Public Healthからの論文で、親のうつ病歴と子供の成績の相関を調べた研究で2月3日号の JAMA Psychiatryに掲載されている。タイトルはAssociation of Parental Depression with Child School Performance at Age 16 Years in Sweden (スウェーデンでの16歳児の成績と親のうつ病との関係)」だ。この研究では112万人のスウェーデンの学童の成績を追跡し、両親のうつ病経験と相関を調べており、結果は予想通りで、両親のいずれかがうつ病になった経験のある家庭の児童は学業成績が悪いという結果だ。重要なのは、子供が生まれる前にうつ病にかかってもその影響が16歳児の成績に及ぶ点で、家庭生活への影響の大きさを物語っている。他にも学童期に母親がうつ病になった場合、女児が男児より盈虚を受けることも明らかになった。一方男親がうつ病になった場合はこの様な差が出ない。スウェーデンの様な家庭内で男女平等が進んでいる国でも、やはり母親と父親の家庭内での役割の違いを示す興味深い統計だと思う。
我が国でも社員のうつ病は企業にとって重要な問題になっている。しかし最も影響を受けるのは家庭だ。子供への影響をできるだけ軽減するキメの細かいケアが必要だ。少子高齢化社会、健康な子供の育成にやらなければならないことは山積みで、ここに重点投資しない限り、我が国は衰退する様に思う。
2016年2月8日
太りやすい体質についてこれまで多くの研究がある。例えば双子の研究から、肥満は確かに遺伝的一致率が高く、肥満に直接関わる遺伝子の探索が行われてきた。ただ一卵性双生児の間でも、片方が肥満で、片方が痩せている場合がる。この様に同じ遺伝背景を持っているのに形質に違いが出ることをPolyphenismと呼んでいる。もっとも分かりやすい例が、同じ遺伝子を持っている女王蜂と働きバチの違いだろう。もちろんこの違いはエピジェネティックな違いと一括りにできるのだが、メチル化程度の違いが特定された一部の遺伝子を除いては、この太る体質についての研究は進んでいない。
今日紹介するドイツ、フライブルグのマックスプランク研究所からの論文はまだ現象論的研究だが太りやすさの原因の一つに新しい可能性を加えた研究で、1月28日号のCellに掲載された。タイトルは「Trim28 haploinsufficiency triggers Bi-stable epigenetic obesity (Trim28が片方の染色体で欠損することで、肥満に関して安定した二つの集団に分かれるスウィッチが入る)」だ。
この研究グループは染色体構造を決めるプロセスに関わるTrim28分子を研究する過程で、父親からのTrim28の欠損した染色体を受け継いだマウスの体重が大きな二つの群に分かれることに気がついて研究していた。この遺伝子は父親からの遺伝子がインプリントされるため、母親からの遺伝子が欠損すると大きな発生異常が起こることが知られている。すなわちこのマウスでは、父親からの遺伝子が欠損しているため、この分子の発現は原理的に一定なはずだ。なのにどうして大きく肥満度の差が生まれるのか?成熟してから遺伝子をノックアウトしても肥満度が2群に分かれることはないため、同じ遺伝背景を持っていても、生まれたときに肥満かどうかが決まることになる。次に、この肥満と正常の差を決める要因を探索して、同じ様に父親からの遺伝子がインプリントされる一群の遺伝子の発現低下が肥満グループでリストされてきた。この中で相関の高い遺伝子に着目して、同じ様に父親からの遺伝子をノックアウトすると、Trim28の場合と同じ様に体重が大きな二つの群にわかれることがわかった。すなわち、父親側の染色体でインプリントされる分子がネットワークを形成して安定なスウィッチを形成しているが、どの遺伝子でも発現量が変化するとこのスウィッチの閾値が不安定になり、普通の状態なら安定にオフになっている様々な成長因子とメチル化に関わる遺伝子の発現が、肥満の方に傾く個体が出やすくなるというシナリオだ。重要なのは、食事などで誘導される代謝の変化ではなく、この傾向が生まれたときに決まっていることだ。実験的研究はここまでで、まだネットワークの本体が解明されていないという印象だ。しかし、このグループは同じことがヒトでも見られることをデータベース探索や実験的検討で示している。例えば一卵性双生児で体重差がある場合、肥満の個体はTrim28の発現が低いことが示され、確かに肥満についてのpolyphenismを形成する原因に、このインプリント遺伝子ネットワークが関わることを示している。最後に、学童期の肥満が正規分布するのではなく、大きく2群に分布することまで示して、生活習慣だけでなく、エピジェネティックな太りやすさを科学的に特定できる可能性を示唆して終わっている。メカニズムについてはまだまだ不満が残る研究だが、新しい視点に納得する研究だ。
2016年2月7日
安定な遺伝子発現パターンを調節する染色体の構築は、DNAのメチル化と、DNAと結合しているヒストンの修飾で行われていることは何度も紹介してきた。この染色体構築パターンをゲノム全体にわたって調べることが可能になり、この制御の破綻と病気の関係も徐々に明らかにされ始めている。特に研究が進んでいるのがメチル化されたDNAに結合する分子MECP2の突然変異や発現異常についての研究で、この分子の発現が正常レベルより多くても、少なくても様々な異常が出ることがわかっている。どちらの場合も、複雑な神経症状を示し、特に海馬、扁桃体、視床など記憶や感情に関わる脳領域の染色体構築が変化することがわかってきた。症状は複雑だが、変化を受ける遺伝子を一つ一つ明らかにし、その機能を薬剤により正常化させることで、発病後も症状を抑える方法が開発できるのではと、研究が進んでいる。特に、MECP2遺伝子が重複して発現量が上昇しているモデルマウスで、発現量を正常に戻すと、発病後であっても症状の改善が見られることを示す論文が昨年12月Nature(Sztainberg et al, Nature 528, 123)に発表され、遺伝子治療も視野に入ってきた。しかし、病気のモデル動物として現在利用できるのはマウスしかなく、大脳の複雑な機能を追跡する目的には不十分だった。このため霊長類をモデル動物として使えないか模索が続いていた。
今日紹介する上海科学アカデミーからの論文はMECP2重複症に相当するモデルをカニクイザルにMECP2遺伝子を導入して作成したという研究で2月4日号のNatureに報告された。タイトルは「Autism-like behaviours and gremline transmission in transgenic monkeys overexpressing MeCP2(遺伝するMeCP2を過剰発現により自閉症様症状を示すカニクイザルの開発)」だ。
この研究ではストレートに外来遺伝子を、遺伝子導入効率の高いレンチウイルスベクターを用いて導入し、脳内のMeCP2の発現を上昇させる方法を用いている。簡単そうだが、今でもトランスジェニック猿の作成は簡単でない様だ。いずれにせよ、様々な症状を示す系統が作成されている。一部の系統では、成長後の様々な時期に、急に体重減少と大脳体積の減少をきたす強い症状がみられている。一方、全身症状は軽度で神経症状を示す系統も作成している。詳細は全て省くが、神経学的には、同じ行動を繰り返し、常に不安感情を示し、他の個体との社会行動が低下するヒトの自閉症に似た症状を示すモデルができたことは重要だ。すなわち、MeCP2の発現により誘導される遺伝子発現異常と症状を送還させることができる。この研究でも、変化の持つ意義の解析はまだまだだが、MeCP2の発現上昇によって変化する遺伝子のリストが出来上がっている。今後、MeCP2の発現量、染色体の構造パターンの解析を進めて、神経症状の背景にある分子メカニズムを明らかにできるのではと期待する。この研究を通して発見される分子標的に対する薬剤の効果を確かめたり、さらには発現を正常化させるための遺伝子治療開発にもこのモデルザルは利用できるだろう。幸い今回開発された系統は維持・増殖が可能で、ぜひ広く利用が進み治療開発研究が加速して欲しいと思う。
この分野の急速な進展を目にすると、一度ニコニコ動画で最近の研究解説としてまとめてみたいと考えている。
2016年2月6日
急速な高齢化により成長力が鈍化し、社会福祉支出の増大により国の活力が失われる問題に我が国は直面している。一億総活躍などと様々な処方箋が提案されているが、結局バランスのとれた人口構成が維持される国に戻るまでは、根本的な解決はないだろうと思う。若い時には考えたこともなかったが、高齢者の仲間となった私たち団塊の世代にとっては悲しい事実だ。非正規雇用が増えるというのも、私たちが新陳代謝しか社会の活力を保つ構想を持たないからだ。その究極に、姥捨山がある。大学を卒業した頃、チャールトン ヘストン主演のソイレントグリーンを見た。人口爆発に対する処方箋として公営の安楽死施設が設けられる社会を描いたSF映画だが、高齢者をもっと積極的に除去するしか社会の健康は保てないとする怜悧な決断が行われた社会の話だ。例えば一人っ子政策で入り口を抑える政策が破綻しつつある中国でよく似たことが起こらなければと懸念している。
これは社会だけのことではない。今日紹介する米国メイヨークリニックからの論文は同じ方法を動物の体という社会で確かめた研究だ。すなわち、老化した細胞を積極的に取り除けば個体は健康になるかを調べた研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Naturally occurring p16-Ink4a-positive cells shorten healthy lifespan (自然に生まれるp16-ink4a陽性細胞は健康寿命を縮める)」だ。
詳細は省くが、この研究では、増殖を積極的に抑制する時に発現するInk4a分子のプロモーターが発現している細胞をGFPで蛍光標識するとともに、同じ細胞だけが薬剤に反応して殺されるメカニズムを導入したマウスを作成している。Ink4自体は細胞増殖の見られる組織では重要な役割を果たしているが、このプロモーターは不思議なことに老化した細胞にだけ発現する。このおかげで、体の中で老化細胞を特定できるとともに、それを除去することが可能になっている。
結果は期待通りで、老害は除去せよという結論だ。マウスの年齢は平均2年半ぐらいだが、1年目から薬剤を投与して、積極的に老化細胞を完全に除去する操作を行うと平均寿命が3割近く伸び、個体の最長寿命も2割ぐらい伸びる。組織学的には、心筋の機能が保たれ、腎臓の硬化が防がれ、体脂肪も新陳代謝が続いて若いまま維持されるという結果だ。他にも、ガンにはなるが、発症年齢は遅れ、健康寿命が伸びることも示されている。
予想はされていたとはいえ、実験事実として示されると驚く。今後、死にかけの老化細胞を特定して殺し、寿命を延ばす方法の開発が進むだろう。その結果、社会としては新陳代謝が遅れる。人間の欲望が生み出す悪循環だ。私としては、老化した細胞を抱えたまま寿命を伸ばす、天才的な構想が生まれることを期待している。
2016年2月5日
幼児の1割近くが何らかの食物に対してアレルギーを持つと言われている。ほとんどは成長とともに消失するが、一部の人は生涯食べ物に気をつけた生活を余儀なくされる。確かに食物といえども様々なたんぱく質抗原を持っている。特に、セルローズに守られたたんぱく質などは、小腸まで到達する可能性が高い。もちろん自分から見たとき、異物になる。逆に9割の人が食物アレルギーにならないのも不思議だ。この問題を解決するため、私がまだ免疫学会に所属していた頃から、無菌マウスだけでなく、抗原に全く触れていないマウスの作成が行われていたのを覚えている。今日紹介する韓国基礎科学研究所からの論文は、当時作成された無抗原マウスや無菌マウスを駆使して、正常幼児の成長過程で食物アレルギー発症が防止されるメカニズムを探った研究で、Scienceオンライン版に掲載されている。タイトルは「Dietary antigens limit mucosal immunity by inducing regulatory T cells in the small intestine (食物抗原は小腸で抑制性T細胞を誘導して粘膜免疫を抑える)」だ。
この研究では最初から食物抗原が抑制性T細胞(Treg)を誘導することで、アレルギー反応を免れていると狙いを定めて研究している。まずアミノ酸、糖、脂肪だけで育て、固形食物を与えていない無抗原マウス、無菌マウス、そして一般のマウスの腸に存在するリンパ球を調べ、無抗原マウスで小腸のメモリーT細胞、およびTregが減少していることを明らかにしている。すなわち、固形食物由来の様々な抗原が腸管でのT細胞の動態を大きく変えることが明らかになった。次に母乳と固形食物の抗原性を調べ、不思議なことにミルクにはTregを誘導する抗原性はないこと、一方固形食物に含まれるたんぱく質により、寿命の短いTregが強く誘導されることを明らかにしている。おそらくこの差はミルクに含まれる抗炎症物質の性ではないかと結論しているが、今後さらに検討が必要だろう。最後にアレルギーを起こす卵白アルブミンに反応するT細胞を移植した後、経口的に与えた卵白アルブミンの効果を調べている。結果は期待通りで、無抗原マウスに卵白アルブミンを経口投与すると、Tregが強く誘導され、炎症やアレルギーの発症を特異的に抑えることがわかった。これらの結果から、成長期の食物はアレルギー反応を起こす抗原として働くが、それ以上に小腸でTregを誘導することで食物アレルギーを防ぐという結果だ。この結果に基づいて、普通のマウスで食物アレルギーを誘導する方法も開発している。実験モデルの段階だが、これからヒトでの臨床研究との対応が必要だろう。
折しも、ドイツマーブルグ大学から新鮮なミルクに含まれているω3脂肪酸が喘息の発生を抑えているというコホート研究が報告されている(J. Allergy and Clinical Immunology オンライン版)。このようなコホート研究の結果を同じ実験系で確かめられ、食物アレルギーを防ぐ新しい食品が開発されることを期待する。
2016年2月4日
今日紹介する論文は一般の方には少し難しいことを断っておく。
2000年を迎える時、ミレニアムプロジェクトがスタートして、再生医学もこのプロジェクトに選ばれた。この時選ばれた理由の一つは、ヒトのES細胞が樹立され、体のあらゆる細胞を試験内で作れる可能性が生まれたことと、クローン羊ドリーに代表されるリプログラミングの研究から、自分の体細胞から多能性幹細胞を造ることが現実になったことによる。スタートしてから10年プログラムディレクターを務めたが、幸い山中iPSのおかげで、個人の体細胞から多能性幹細胞を造るという最初の目標は達成できてしまった。その後現役を引退し論文を眺めていると、ES細胞やリプログラミング技術の登場で、再生医学よりはるかに進展が加速している領域が転写調節研究領域であるように思う。すなわち、分化前、分化後の細胞を大量に扱えることから、転写に合わせてゲノム全体がどう変化するかわかるようになってきた。まさに、全ゲノムにわたる転写状態を哺乳類で調べる研究がES細胞やリプログラミングにより加速したのがわかる。
今日紹介する南パリ大学からの論文はその典型で2月4日号のNatureに掲載された。タイトルは「Genome-wide nucleosome specificity and function of chromatin remodelers in ES cells (ES細胞の全ゲノムレベルで調べた染色体リモデリング因子の特異性と機能)」だ。
DNAは裸で存在しているわけではなく、ヒストンに巻きついて核内にしまわれている。一つのヒストン8量体に巻きついた単位をヌクレオソームと呼んでいるが、しっかりと巻きつくと転写は抑えられている。このため転写の状態に応じてこのヌクレオソームを外したり緩めたり、あるいは再形成したりダイナミックに調節する必要がある。これに関わるのが染色体のリモデリング因子(CR)だ。この研究では、Ep400, Brd1, Chd-1, -2, -4, -6, -8, 9それぞれのCRがES細胞のゲノムのどこに結合しているかを調べ、この結果とクロマチンの開いた場所、RNAポリメラーゼの場所、ヒストンのメチル化状態、CpGの繰り返し配列などと相関させ、異なる調節様式を受けている転写開始点のどの場所にそれぞれのCRが存在しているのか詳細に調べている。そして、最後に幾つかのCRの発現を抑えた時、染色体がどう変化し、その結果転写がどう変わるかを丹念に調べている。全転写部位でこれを達成するためのインフォーマティックスがしっかりあることがわかって感心するとともに、これまで個々の転写因子について理解して来たことが頭の中で整理がついてくる。結果は膨大で、この紙面で紹介することは難しい。結局それぞれの研究者が自分の問題を持って、この論文を参照するしかないが、この研究で示された詳細な地図を見ると、確かにそれぞれのCRが、ヒストンの修飾様式にガイドされ、転写開始点から見て決まった場所に陣取ることでヌクレオソームを調節し、転写を進めたり抑制したりすることがわかる。また、現役時代、ポリコム因子が結合する場所でオン型のヒストン修飾と、オフ型の修飾が同時に存在するというリチャード・ヤングの論文を読んで不思議に思ったが、この場所ではCRの結合様式が変化して同じ分子が抑制的に働いていることを知ると、なるほどと理解が深まる。
今日紹介した論文は、一般の方にはわかりにくく申し訳ないと思っている。しかし、ある程度の知識のある研究者にとっては結構ワクワクする論文だ。何よりも、これだけの地図が作れるというのに感心する。ES細胞やiPSは確実に基礎研究の変革をもたらすきっかけを提供したことは間違いない。
2016年2月3日
NPOの藤本理事からジカ熱についての解説を要請されたので、以下に記載する。
WHOがようやく重い腰をあげてジカ熱についての緊急事態宣言を発令した。昨年5月ブラジルで感染者が報告されてからすでに中南米20カ国以上で流行が見られ、おそらく合衆国にも広がっているのではと懸念されている。WHOの緊急事態宣言を受けて、我が国のメディアも一斉にジカ熱について報道している。今年初めから医師・医学研究者を対象はとした国際誌では、一般メディアに先立ちジカ熱についての総説が掲載されるようになっている。今日はこれら最新の総説を参考にして、ジカ熱についてまとめておく。今回読んだ総説は、NIHのFauciが1月27日号のThe New England Journal of Medicineに発表した「Zika virus in the Americas – Yet another arbovirus threat (アメリカのジカウイルス 新たなアルボウイルスの危機)」、ScienceのスタッフライターVogelが1月7日号Scienceに発表した「A race to explain Brazil’s spike in birth defects (ブラジルで急上昇した先天異常を解明するための競争)」、そしてジョージタウン大学のLuceyがアメリカ1月27日号医師会雑誌に発表した「The emerging Zika Pandemic. Enhancing preparednesss(ジカ熱の世界流行が始まった。準備を急げ)」の3編だ。
ジカ熱ウイルス
黄熱病、デング病、西ナイル脳炎ウイルス、日本脳炎と同じフラビウイルス(黄熱病の黄色=flaviから名付けられ、1本鎖RNAウイルス)の仲間で、1947年ウガンダのアカゲザルから分離された。ジカ熱ウイルスをはじめこれらのウイルスは昆虫、特に蚊により媒介されることから、Anthropod-borne(節足動物により媒介される)という意味のアルボウイルスと総称されている。ヒトへの流行の報告はこれまで数えるほどしかなく、通常はヤブ蚊の仲間ネッタイシマカと野生の猿の間を行き来して維持されてきたと考えられている。従って、今回のような大規模な流行が起こるということは大変なことが起こり始めていることを意味している。アルボウイルスは、数千年前ネッタイシマカが飲み水に使う貯水槽で繁殖するようになることでヒトへ感染するようになったと考えられている。その後、馬や豚のような家畜への感染性を獲得することで、他の種類の蚊によって媒介されるようになり、例えば日本脳炎では豚とコガタアカイエカを行き来して保持されたウイルスがヒトに感染して流行した。ジカ熱は現在Aedes Africanus種の蚊が媒介しているが、北米にも生息するAedes albopictusが媒介するようになれば流行が拡大すると懸念されている。
病態
ほとんどは感染しても、顕在化することがないと言われている。症状が出る場合はデング熱と同じで、発熱、筋肉痛、眼痛、虚脱感、そして丘疹が現れる。フランス領ポリネシアで流行が見られた時の経験では、症状は軽度で、安静にするだけで回復する。ただ、ポリネシアの流行ではギランバレー症候群と呼ばれる運動神経や中枢神経の炎症による麻痺が73人に見られている。
確定診断
現在のところ、デング熱などと確実に鑑別診断するにはPCRを用いた遺伝子診断しかない。血清中の抗体も診断に用いられるが、デング熱ウイルスとの交差反応があるため、確実ではない。
小頭症との関係
ギランバレー症候群発症を除くと、症状は軽い感染症であることから、WHOも取り組みが遅れたと考えられる。しかし、ジカ熱ウイルスに感染したと思われる母親から生まれた子供の中に小頭症が多発することが報告されるようになり、事態は急変する。ジカ熱の報告から現在までブラジルでは4000例以上の小頭症児が報告されたが、これは流行前の20倍に相当する。
1)ポリネシアの流行でも神経障害をもった12例の子供の誕生が報告されていること、
2)今回ブラジルでは超音波で小頭症と診断された胎児の羊水中、あるいは生後すぐ死亡した新生児の脳にジカウイルスが検出されたという報告があること
から、ジカ熱ウイルス感染が小頭症の原因と考える状況証拠は揃ってきている。とはいえ、ジカ熱の感染を特定するための確定診断方が普及していないため、疫学的調査は完全でなく、ジカ熱ウイルスを小頭症の原因として確定するまでには至っていない。
この相関を明らかにするための決め手は、ウイルス感染の確実な診断に基づく疫学調査と、ジカ熱ウイルスが脳発生過程に影響を及ぼすことを直接示す実験研究だ。疫学調査には、PCRを用いた診断法や、特異抗体による一般検査の開発が急務になる。
実験的研究では、マウスの脳に感染することまでは確認できているが、満足できるモデルはまだ完成していない。個人的意見だが、直接胎児の脳にウイルスを注射する研究も必要かもしれない。
動物実験の代わりに現在進んでいるのが、ES細胞や神経幹細胞から脳組織を発生させ、そこにウイルスを感染させ、脳の構造形成への影響を調べる研究だ。もしこれが可能になれば、ジカ熱は幹細胞が貢献する最初の感染症になるかもしれないが、おそらく時間がかかると思う。
当面の対策
これまでWHOは感染対策を各国の衛生当局に委ねていたが、診断法の開発普及などは先進国の援助なしに進められない。その意味で今回WHOが緊急宣言を出して、流行の拡大防止と収拾に乗り出したことは大きい。ただ、今日の日本経済新聞では「WHOが先手を打った」と書いているが、今日紹介している総説では、逆に深刻さの理解が足りず腰が重すぎると批判されている。
当面取り得る対策として、
1)現在の流行を支えるネッタイシマカを撲滅すること、
2)蚊帳を始め蚊に刺されない予防を徹底すること、
3)正確な情報の提供、
4)感染地域への旅行の自粛
などだが、今年ブラジルでオリンピックが行われることを考えなければならない。もし感染が終焉しない場合はオリンピック中止に追い込まれる可能性もある
我が国での流行
ここからは私の判断だが、野生の猿とネッタイシマカによりウイルスが維持されている限り、我が国での流行の心配は少ない。ただ、昨年デングウイルスを持つネッタイシマカの生息が東京で確認されたことを考えると、蚊と人間の間でウイルスが維持される形の一過性の流行はあるかもしれない。我が国で最も重要な対策は、医師の教育、一般への情報提供、確定診断に基づく感染モニター、そして中南米の流行を収束させるための援助ではないかと思う。
以上、皆さんも知識を仕入れて準備を怠らないように。
2016年2月2日
今朝のニュースでWHOがジカ熱について拡大防止のため緊急宣言を出したことを伝えていた。ジカウイルス感染症自体は深刻な病気ではないが、ブラジルで母体がウイルスに感染したことによると見られる小頭症の発生が通常の20倍に上昇したことが明らかになって以来、欧米のメディアはこの経過について連日報道を続けている。臨床の専門誌でも総説が掲載されているので、近々まとめたいと思う。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はウイルス感染で引き起こされる母体の炎症が胎児の脳発達を障害して自閉症を引き起こすメカニズムについての研究でScienceオンライン版に掲載された。タイトルは「The maternal interleukin 17a pathway in mice promotes autism-like phenotypes in offspring (母体からのIL17が自閉症様形質を促進する)」だ。
この研究では炎症により誘導される胎児脳障害の犯人をIL-17と決めて研究を行っている。まず母体にウイルス感染を摸した合成核酸を注射し炎症を起こした後、胎児脳内での様々な炎症性サイトカインの量を調べると、TNFを始め様々なサイトカインとともにIL-17aが上昇することを見つける。これは合成核酸によって刺激されたIL6により胎盤内のTh17細胞のIL-17分泌の活性化が誘導され、胎盤を通って胎児脳内に入ったIL17が胎児脳発達を阻害する可能性を示唆している。実際この処理を脳発達時期に行うと、脳全体ではないが、部分部分で皮質の発生異常がおこり、その結果として、母親を求める行動、正常の社会行動などが失われる自閉症に似た行動異常が誘発される。そこで、この自閉症様症状の原因がIL-17かどうかを調べるため、IL-17作用を抑制する抗体を注射すると、脳の組織学的異常、及び自閉症様症状の発生が抑えられることを突き止めた。また直接IL-17を胎児脳内に注射する実験から、脳に発現するIL-17受容体を介して脳の皮質発生が抑制されることも確かめている。
結論として、母体のウイルス感染は、IL6を介してTh17のIL-17分泌を誘導し、これが胎児脳神経細胞に直接作用して発達障害を誘導するというシナリオだ。IL-17が脳に直接作用するというのは驚きだが、正常発達に必要かどうかは確かめる必要がある。もしIL17が脳発達には悪い影響しかないことが確認できれば、自閉症の遺伝的リスクのある場合に限り、IL17に対する抗体の予防投与は考えてみる可能性はある。ひょっとしたらジカウイルス感染症による脳障害にもIL17が関わる可能性もある。もしそうならタイムリーな論文と言える。
2016年2月1日
苦しんでいる他人に寄り添い慰める行動は、人間はもちろん、類人猿や、イヌ科の動物、さらにはカラスの仲間にも観察されるようだ。しかし、動物の行動が私たちと同じような神経的背景を持つのかはわかっていない。心理学的行動実験と神経科学的実験を組み合わせやすいネズミの仲間で研究がしたいところだが、なかなかいいモデルが見つかっていなかった。
今日紹介する米国エモリー大学からの論文は、プレーリーハタネズミ(図、Wikipediaより:https://en.wikipedia.org/wiki/G%C3%BCnther’s_vole) がこの慰める行動を示し、脳活動部位も人とよく似ており、他人との関係を調節するオキシトシンがこの行動に関わることを示した研究で1月22日号のScienceに掲載された。タイトルは「Oxytocin-dependent consolation behavior in rodents (げっ歯類で見られるオキシトシン依存性の慰め行動)」だ。
プレーリーハタネズミ(PV)は一夫一婦で暮らす家族の絆の強い動物で、神経科学の研究にはよく用いられる。一方、アメリカ全土に生息するアメリカハタネズミ(MV)は家族を形成しない。この研究では、飼育したペアの片方にショックを与えた時、それを目撃している相手の他の行動を調べ、PVは相手に寄り添って毛づくろいをするのに、MVはそのような行動を見せないことを突き止めている。この時相手の毛づくろいだけでなく、自分の毛づくろいを盛んにするようになることから、おそらく他人のショックが自分の不安につながっていることが推定される。この不安をより客観的に調べるため、血中ステロイドホルモンの濃度を調べると、ショックを与えられたPVのみならず、それを目撃したPVもステロイドホルモンの血中濃度が上昇しており、相手のショックを自分のストレスとして感じていることがわかる。面白いのは、この行動が家族内では強く、全く無関係のPVでは反応は低い。人間でも同じ傾向が見られるが、少しはハタネズミよりは博愛主義的に発展しているようだ。最後に、このような行動に関わることがわかっているオキシトシン受容体のPVでの発現を調べると前帯状皮質、前辺縁皮質、側坐核で発現が見られるが、慰め行動で活性化されているのは人間と同じ前帯状皮質であることを示している。実際この部位に直接オキシトシンを注射すると慰め行動が減ることから、オキシトシンがこの部位の興奮にかかわると結論している。
神経科学的には少し甘いかなと思われる研究だが、プレーリーハタネズミの家族の絆はよくわかった。一方、PVの中にはバソプレッシン受容体の「珍しい異常を示す浮気個体?」があることも同じグループから2009年に報告されている(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.0908620106)。要するに、家族の絆の強さがわかる種だけで浮気がわかるようだ。