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11月12日:ネズミの縦縞形成メカニズム(11月2日号Nature掲載論文)

2016年11月12日
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  マウスc-Kitに対する抗体を作成してから、私たちは色素細胞の研究を始め、発生過程を抗体で操作する手法を用いて、色素細胞の初期発生の理解に貢献することができたと思っている。もちろん実験マウスはげっ歯目の仲間で、その中にリスもいることは知っていたが、この論文を読むまで頭から尻尾へ走る縦縞について考えたことは全くなかった。しかし言われてみれば、縦縞を持つげっ歯類は多く、私たちが明らかにしてきた色素細胞の発生シナリオの枠内で縦縞について説明することは難しい。
   今日紹介するハーバード大学からの論文はげっ歯類の縦縞の謎が残っていることを私に思い起こさせ、完全ではないが、納得のいく説明をしてくれた研究で11月2日のNatureに掲載された。タイトルは「Developmental mechanisms of stripe patterns in rodents(げっ歯類の縦縞の発生メカニズム)」だ。
   この研究では背中に4本の黒いストライプの走るアフリカ縞ネズミを材料に研究を行っている。それぞれの縞と周りの毛根の色素を調べると、当然のことながら縞上の毛ほど色素を多く含んでいる。また、色素細胞が毛根に取り込まれる胎児期にすでにこの縞をはっきりと見ることができる。
   この色素の欠損が、色素細胞の欠損によるのかc-Kitに対する抗体を用いて染めると、色素細胞自体は縞以外にある毛根にも同じ数だけ存在している。しかし、色素細胞分化のマスター遺伝子であるMITFの発現が、縞以外では低下していることがわかった。すなわち、縞の無い領域では、色素細胞幹細胞が毛根に存在しても、分化できないことがわかった。
   次に、黒い縞部分と、その周りの遺伝子発現を比べ、色の薄い場所で発現の高い遺伝子を探すと、AslpとAlx3の二種類が挙がってきた。Alx3は間質細胞に発現している転写因子であることから、以後この分子に注目して研究を進めている。
   期待通り、Alxは縞のできる発生時期に、縞のない皮膚のケラチノサイトとメラノサイトの両方に発現している。次に、マウス培養色素細胞、およびマウス胎児内にAlx3遺伝子を持つレンチウイルスを感染させ、Alx3の色素細胞への影響を調べると、MITFのプロモーターに結合することでその発現を直接抑制して、その結果色素の産生が低下することを明らかにしている。
   以上の実験から、色素細胞でのAlx3の発現は縞上の毛根で抑制されており、Mitfが正常に発現して色素細胞分化が進み色素ができるが、それ以外の場所ではAlx3が発現して、色素細胞の分化が抑制され、色の薄い毛ができるというシナリオだ。
   残念ながら、特定の場所(縞ができる場所)だけで、Alx3の発現が抑えられているメカニズムについては明らかにできていない。しかし、縦縞の場所が決まってからの分子過程については、私たちが考えたシナリオの枠内で理解ができたと思う。
   まががりなりにも色素細胞分化については専門家だと思っていたが、思いもかけないメカニズムでできる毛色のパターンがあることがわかり、動物の多様性にまた驚嘆した。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月11日:脊髄損傷による運動障害をエレクトロニクスで軽減する(Natureオンライン掲載論文)

2016年11月11日
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   最近手足の運動機能を、脳と運動をエレクトロニクス的に結合させるインターフェースを用いて回復させる研究が急速に発展している印象がある。その要因の一つは、脊髄神経一本一本を電気的に刺激しなくとも、硬膜外から運動時におこる興奮の総和に対応した電気刺激を与えることで、重要な筋肉の運動をかなり制御できることがわかってきたからだ。特に手で掴む機能を回復させたり、義肢の動きに転換する研究は著しく、今年4月、頚椎損傷で四肢麻痺に陥った脊損患者さんの腕と手の機能をかなり回復させるのに成功したという報告がオハイオ大学からNatureに報告された(Nature 533, 247, 2016)。
   今日紹介するスイス・ローザンヌ工科大学からの論文は、サルの脊髄損傷モデルを用いて、自分の体重を支えるための下肢の機能を同じ方法で回復させられる可能性を示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「A brain-spine interface alleviating gait deficits after spinal cord injury in primates (脳と脊髄のインターフェースにより猿の脊髄損傷後の歩行障害を軽減する)」だ。
   この研究では、足の筋肉を支配するほとんどの神経が通っている第5腰椎(L5)の硬膜外に平面的に刺激の強さを変化させられるパルサーを設置し、このパルサーを運動時の脳活動と同調させることで、下肢の運動を制御することを目指している。このため、下肢を制御する脳領域に96チャンネルの電極を設置、足の運動時の筋肉やL5の神経活動と同時に記録して、脳の活動と、脊髄での運動神経の活動、そして筋肉の運動がどう相関するかを計算し、脳活動記録を硬膜外刺激へと変換するインターフェースを作成している。すなわち、脳からのシグナルを無線でインターフェースへ送り、次にインターフェースで脳活動を解読し硬膜外からの平面的刺激に転換することで足の動き全体を回復できないか調べている。
   これまでラットを用いた実験ではうまくいっているが、今回はより人間に近いサルを用いてこの技術を検証している。サルを用いているため、全損傷実験などは倫理上許されないようで、片方だけ損傷して、インターフェースと硬膜外電極を損傷した側に設置し、電気的接続をオンにした時とオフにした時で比べる手法を取っている。
   結果だが、自然に再生が起こる前の、損傷後6日からこの方法でサルはトレーニングしなくとも自然に運動機能を回復し、この回復はインターフェースをオフにすると失われるので、脳・脊髄インターフェースのおかげで回復していることが確認でき、この方法の可能性を期待させる。
   もちろん、人に応用するためには、正常人での記録、正常人と麻痺患者さんの硬膜外刺激での筋肉運動の記録など、まだまだ乗り越える課題は多い。しかし、原理的にはこの方法で大きな運動の枠組みを保証できる可能性が生まれたと思う。例えばこれに細胞移植を組み合わせるなど、まだまだ発展できる余地があり、期待できる結果だと思った。
   今年の3月、講義のためにローザンヌ工科大学に行ったが、その時様々なエレクトロニクス機器を制作してくれる専門家のバックアップ体制に驚いた。このような体制があって初めて、生物や医学の研究者がアイデアを実現できる。一方、我が国ではまずパートナー探しから始めなければならず、この差は大きい。我が国の問題は、決して基礎研究軽視だけではない。トランスレーションですら、異分野連携の難しさなど、要するに体制疲労が目立ち始めている。根本的改革が必要だとおもう。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月10日:X染色体不活化のシナリオ(10月28日号Science掲載論文)

2016年11月10日
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  男女の性でX染色体の数は、男性1本に対し、女性2本と数が違う。一見何の問題もないように思うが、このまま何もしないで遺伝子が発現すると、X染色体上に存在する遺伝子の発現量が女性では常に男性の2倍になってしまう。これがいかに重大な問題かは、ダウン症で染色体が正常の1.5倍になるだけで様々な異常が起こることから理解できる。このため、X染色体上の遺伝子発現をそれぞれの性で別々に制御する仕組みが発達している。女性だけでX染色体の遺伝子発現を半分に低下させる種もあるし、逆に男性でX染色体の遺伝子を倍に強める転写制御を行う種もあり、その仕組みは多様だ。
  私たち哺乳動物では、女性のX染色体の一本だけでクロマチン構造を変化させ、遺伝子の発現を抑えてしまう方法が取られている。この過程では、まずXistと呼ばれる長いRNAの転写が始まったX染色体だけが、このXistに覆われ、そこにoff型の染色体構造を形成する様々なタンパク質がリクルートされることで、X染色体全体が不活化される。
   このメカニズムの理解は急速に進んでいるが、今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は、X染色体全体にXistが広がる過程にX染色体が核膜にアンカーされることが重要であることを示した研究で10月28日号Scienceに掲載された。タイトルはXist recruits the X chromosome to the nuclear lamina to enable chromosome-wide silencing (XistはX染色体を核膜近くの核ラミナにリクルートすることで染色体全体の遺伝子発現の不活化を可能にしている)」だ。
   核ラミナとは核膜直下に形成されたラミンというタンパク質が濃縮された構造で、この近くに存在する染色体では遺伝子の転写が不活化されることが知られている(JT生命誌研究館に連載中の「進化研究を覗く」参照http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000014.html)。
   この研究ではXist結合タンパクの中に核ラミナ構造分子ラミンBが結合しているという発見から、X染色体が核ラミナ構造に取り込まれることが一本だけのX染色体が不活化できる鍵になるのではと考え、XistとラミンBの結合と、X染色体上のクロマチン変化の過程を詳しく比べている。
   実験の詳細を省いて、この研究から明らかになったシナリオをまとめると次のようになる。
1) Xistは転写されると、近くにある転写の低い場所をカバーし始める。
2) こうしてXistと結合したX染色体部分は、XistのラミンB結合により、核ラミナにアンカーされる。
3) これにより、X染色体を核内の転写の高い場所から隔離し、またその動きを制限する。
4) こうしてアンカーされた部位を中心に徐々に転写活性の高いX染色体部分も核ラミナに取り込まれ、Xistが転写されている部位の近くに引きずりこまれることで、Xistにより覆われる。
5) Xistに覆われた染色体では、クロマチンをoff型に変える分子と結合し、遺伝子転写を抑える。
   要するに、XistがラミンBに結合することで、核ラミナという場所を利用してX染色体を徐々にXistが作られている場所に寄せて、最終的に全体をXistで覆い、クロマチンをoff型にかえることでX染色体全体の遺伝子発現を抑えるというシナリオだ。
   これまでXistがX染色体全体に広がると言われても、実際どのように片方のX染色体だけに広がるのか疑問だったが、この点についてはよく理解できた。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月9日:ゼブラフィッシュの視覚運動反応の全体像を見る(11月3日号Cell掲載論文)

2016年11月9日
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   見たものに反応しておこる運動では、視覚入力が複雑な神経ネットワークで統合された後、出力刺激へと転換されるが、この視覚入力から運動出力までの神経活動の全体像を見ることは簡単でない。技術の進歩で脳の活動を発光に変えてモニターすることは可能になっているが、脳全体について発光を調べるためには、生きて運動している脳が透き通って見えることが必須になる。すべての脊髄動物では脳は頭蓋骨に囲まれており、外から蛍光を観察することはほぼ不可能に近い。唯一の例外が、孵化したばかりのゼブラフィッシュの幼生で、この系を用いた研究が始まっている。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は、このゼブラフィッシュ要請を用いて、左右の目からの別々の刺激が一定の運動出力として現れるまでの、感覚、統合、運動の過程に関わる脳活動の全てを記録して、視覚から運動が誘導される過程の回路モデルを明らかにした研究で11月3日号のCellに掲載された。タイトルは「From whole-brain data to functional circuit models: The zebrafish optomotor response (脳全体のデータから機能的回路モデルまで:ゼブラフィッシュの視覚運動反応)」だ。
   研究ではまずゼブラフィッシュ幼生をペトリ皿の中で自由に泳がしながら、左右の目に別々のパターンを提示し、それにより誘導される運動のパターンのリストを作っている。この最初の図だけでも、こんなことが可能なのかと、技術の進歩に驚く。
   刺激により誘導される出力パターンは前向きの動きの速さと、左右への動きの組み合わせになるが、例えば両方の目に左へ向くよう指令する刺激を入れることができる。両方の目に入る刺激が矛盾しないと判断すると、そちらを向くと同時に、泳ぐ速度が高まる。一方、それぞれの目に入るパターンの方向性が一致しない場合、向きは変わらず泳ぐ速度が落ちる。また、片方の目だけに刺激が入る場合は、矛盾は起こらないので、やはり刺激の支持する方向へ向きを変えるがスピードは遅い。
    行動実験だけでも詳細は説明しきれないが、こうして明らかになった、刺激と運動パターンの相関を明確にした上で、次にそれぞれのパターンを誘導する視刺激を入れた時の脳の全活動を記録している。この場合は流石に自由に泳がせてというわけにはいかず、アガロースの中に閉じ込めて脳活動を記録するとともに、それが運動につながっているかどうか筋電図をとることで確認している。
   結果だが、これも膨大で説明しきれない。各方向を向かせる刺激に特異的な脳全体の反応が見事に捉えられていると伝えるしかないだろう。
   一部を抜き書きすると、
1)網膜から直接神経が投射しているAF6、AF10の活動が最初に起こり、なかでもAF6は対側の目からの刺激だけに興奮する。
2)こうして誘導された両側AF6の興奮は次に視蓋前域で統合され、運動刺激へと変換される。
3)この統合と運動への転換を行う視蓋前域の個別ニューロンの興奮を拾うと、各刺激に対応するニューロンの存在が明らかになる。
4)刺激に合わせた方向を向く運動は、後脳との回路によりより正確になるよう調節されるが、早く興奮する後脳前部の興奮と、視蓋前域からの興奮が、後脳後部で統合され、運動刺激に転換される。
5)記録された活動から、視覚運動反応に至る回路図を作成することが可能になる。
   要するに、刺激と運動をつなぐかなり詳しい回路図が書けたとざっくり理解すればいいと思う。実際、今回の実験データだけでも、個々のニューロンの興奮の評価を行えば、さらに膨大なものになるだろう。当然、今後まだまだ話は続くと思う。
   興奮が見えるということは、神経の光刺激が可能であることを意味する。今後回路図に基づき、行動を光刺激で支配するところまで研究は進展するだろう。
ゼブラフィッシュが神経回路研究の重要なモデルになることを確信させる優れた研究だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月8日:喫煙と様々なガンに見られる突然変異との関係(11月4日号Science掲載論文)

2016年11月8日
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   大学に入った頃から50歳になる直前で止めるまで、私はタバコを欠かしたことがなかった。驚くことに、胸部疾患の医師として肺がんの患者さんもたくさん診たが、バイト先の病院の外来では患者さんを診察しながらタバコが吸えた。手術場の医師控え室にも灰皿があって、肺がんの手術の後一服するというのは当たり前の風景だった。今恩師の80歳の誕生祝いのためドイツに来ているが、恩師を始めほとんどの研究者がタバコを実験室の中で吸っていたのを思い出す。
   まあ、そんな悪癖の思い出はどうでもいいが、実際タバコが私たちのゲノムにどのような影響を及ぼすかを調べた論文が米国ロスアラモス国立研究所と英国のサンガー研究所から発表された。我が国のがんセンター、理研、京大も共同著者として参加している。タイトルは「ガンに見られる突然変異の内、喫煙による変異の特徴について」」だ。
  喫煙者のガンでは、非喫煙者のガンに比べ突然変異の数がダントツに多いことはすでに報告がある。ただ、タバコは、決してニコチンとタールの害と簡単に片付けられないほど複雑な化学物質を含んでおり、発がん性が認められるとされている化学物質が六十種類は下らないとされている。この研究の目的は、喫煙者に発生したガン2490、及び喫煙歴の全くない人に発生したガン1063を集め、全エクソーム解析(一部は全ゲノム解析)を行い、突然変異の起こり方の特徴から、タバコが私たちのゲノムにどのように働くのか調べることだ。
   さて、これまでの研究と同じでガンのゲノムに起こった突然変異は喫煙者で圧倒的に多い。例えば小細胞性肺がんでは非喫煙者で3個しかないのに、喫煙者のガンでは145個と跳ね上がる。肺だけではなく、ほとんどのガンで喫煙者の方が突然変異の数が多い。
   次に、それぞれのガンで多く見られる突然変異のタイプを詳しく分類して、4型と呼ばれる特徴が喫煙と強く相関していることを明らかにしている。
   4型はタバコに含まれる物質で言えばベンズピレンにより誘導される塩基置換に対応している。このタイプは、煙に直接晒される細胞のガン(肺がん、こう頭ガン、口腔ガン、食道ガンには見られるが、他のガンではほとんど見られない。したがって、タバコにより多くのガンで突然変異が増える場合も、全てが直接DNAに働いて変異を起こしているわけでない。
   では直接作用が認められない他のガンで喫煙はどのように作用しているのか?例えばどのガンでも普通に見られる5型の特徴を考えると、喫煙により全身の細胞の老化が進み、その結果としてこのタイプの突然変異が増えていると説明できる。
   また、APOBECと呼ばれるデアミネーゼが関わる2型、13型では、タバコの粒子により誘発される炎症が背景にある可能性を示唆している。
   タバコによって上昇する他の型についても議論しているが、これ以上紹介は必要ないだろう。
   要するに、タバコの害は含まれる突然変異誘発物質によるだけでなく、老化や炎症を介して全く異なるタイプの突然変異も上昇する。例えば、胃がんや膀胱癌もタバコにより突然変異が増えるのは後者によると考えて良さそうだ。
   肺ガンでいうと1日20本を一年吸い続けると150個の新たな突然変異が生まれるようだ。この計算でいけばタバコをやめたとはいえ、私の場合突然変異の数は5000個に近いことになる。
   ただ、一つだけ喫煙者を絶望させない話もしておこう。ここで数えられている突然変異はガンで見られる突然変異で、ガンになる前の細胞でも同じことが言えるかどうかはわからない。もちろんガンになる変異にも影響があることは間違いないが、あとは癌細胞が増殖しながら進化する中で急速に変異が蓄積されたと考えていい。実際、ガンになる前の細胞ではこれほど多くの変異はないという研究もある。
   いずれにせよ、私の場合もう手遅れだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月7日:冠状動脈閉塞には手術かステントか?(10月31日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年11月7日
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   ガンの治療でもそうだが、最初は治療のため手術しかなかった病気に、様々な新しい治療法が開発され、手術をするのか、他の治療を行うのかの判断が難しい局面が様々な疾患で増えてきている。中でも心疾患分野でのカテーテル治療はその典型だろう。動脈硬化で冠状動脈が細くなる冠状動脈疾患に対して、閉塞部位を広げるステント治療を皮切りに、弁の置換手術まで、カテーテルを用いた治療が開発され、また初期の方法の問題を解決した様々な改良が加えられてきた。こうなってくると、最初は手術が難しい場合に行っていたカテーテルによる治療も、一般的治療の選択肢として認められるようになる。一見この状況は患者さんにとっていいように思えるのだが、手術にするかカテーテル治療にするか、ますます判断が難しくなる。
   今日紹介する米国・コロンビア大学を中心とする他施設が参加した共同論文はまさに手術か、カテーテルかの問題を調べるために行われた研究で10月31日号のThe New England Journal of Medicineに掲載されている。タイトルは、「Everolimus-eluting stents or bypass surgery for left main coronary artery disease(左心主冠動脈疾患に対するエベロリムス溶出ステントとバイパス手術の比較)」だ。
   初期のステント治療の問題は、ステントの血管拡張能力が長続きせず、拡張局所に再狭窄が起こることだった。この問題を解決するためステントに塗り込んだ薬剤が溶け出すことで血管反応を抑えるステントが開発された。この結果、左心冠状動脈主枝の狭窄でもステント治療を安全に治療できるとする治験が相次いで報告されている。この研究では抗がん剤として使われるmTOR阻害剤エベロリムスで再狭窄を防ぐステントが用いられた。
  研究ではなんと1905人の患者さんを無作為にバイパス手術、ステント治療に割り振って、治療後三年間経過を観察、その間のあらゆる死因による死亡に加えて、新たな心筋梗塞や脳卒中の発症を合わせた問題の発生率で評価している。通常治験は治療に特異的な効果判定基準を決めるが、今回の場合は原因を問わず様々な問題を合わせて効果判断に用いることで、多くの施設からの結果を評価できるように計らっている。
   結果だが、三年間の死亡を含む複合的問題の発生を調べると、バイパス手術で15.4%、ステントで14.7%と両者ほぼ互角という結論だ。一方、術後30日以内での死亡は手術で4.9%、ステントで7.9%と、以外にもステントの方が最初の負担が大きい。事実治療すぐにおこる副作用は、手術で8.1%なのに対し、ステントで23.8%と高く、治療の完成度で言えば手術に軍配があがると言える。
   結局実際の判断になると、その病院で経験が豊富な方法を選ぶのがいいという結論になる。それぞれの治療のコストも今後の問題になるだろう。熟練した医師をどう育てるかも重要だ。
   ただ、素人の私から見ると、今回の結果は両方の治療もまだ改善の余地があることを示している。その意味で、さらに切磋琢磨してより安全な治療を達成した方に軍配をあげたい。
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11月6日:新しいメカニズムのアルツハイマー薬の開発(11月4日号Science Translational Medicine掲載論文)

2016年11月6日
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(さらに…)
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11月5日:エネルギードリンクによると思われる肝炎(BMJ Case Report掲載症例報告)

2016年11月5日
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このホームページでも、患者さんから得た経験を一般化するためには、一定数の数を集め、科学的手続きを踏んだ研究から得られるエビデンスが必要であることを強調してきた。とはいえ、医学では伝統的に一人一人の患者さんから学ぶことも重視しており、多くの臨床医学雑誌は症例報告と呼ばれる、医師が経験した一人あるいは複数の患者さんについての詳しいレポートを掲載している。
   この症例報告重視の伝統は、1)人間は遺伝的にも生活習慣においても極めて多様なため、一般化できない発見が多く存在すること、2)たとえ一般化できる臨床的発見も、最初は一人の症例を詳しく解析する過程から始まること、3)まれなケースでも必ず繰り返すため、次の患者に備えるため、多くの医師と経験を共有することが重要なこと、などが背景にある。
   今日紹介するフロリダ医科大学からの論文はまさにこの3つの伝統全てを持つ症例報告でThe British Medical Journal Case Reportにオンライン発表された。同じような症例は我が国でも発生する可能性があり重要性が高いと思い紹介することにした。タイトルは「Rare cause of acute hepatictis: a common energy drink(急性肝炎の珍しい原因:一般のエネルギードリンク)だ。
  急性肝炎と聞くと、一般の方はウイルス性肝炎を思い浮かべると思うが、米国ではその半分が様々な薬剤や化学物質が持つ肝毒性によることが多い。この場合、原因物質を特定し、速やかに暴露を止めることがまず必要がある。この原因物質の中には、薬物や化学物質として認識されていないものも多く、その場合特定が困難になる。なかでもドリンクや食品に混在する化学物質になると、本人もほとんど自覚がなく、診断が難しい。
   この論文では倦怠感、食欲不振、腹痛から始まり、吐き気と嘔吐が繰り返し、強膜の黄疸に気づいて病院を訪れた50歳の患者さんの臨床経過がレポートされている。
  症状から当然急性肝炎を疑い、ウイルス性肝炎、自己免疫性肝炎、薬物による肝炎の可能性の検討から始めている。入院時の診察では、薬の服用や化学物質への暴露は認められず、また肝炎を起こすウイルス検査は陰性だったが、C型肝炎ウイルス感染とウイルスに対する血中抗体が認められた。これで一件落着かと思えるかもしれないが。C型肝炎ウイルスの感染状態、あるいは抗体価からみても、このウイルスが今回の急性肝炎の原因である可能性は低いと結論に至っている。さらに、肝臓のバイオプシーを行って鑑別診断を試みているが、決め手は浮かび上がって来なかった。
   ところが、血中の葉酸濃度、ビタミンB12濃度が高いことから、サプリメントを常用している可能性が浮上し、患者さんが1日4−5本のエネルギードリンクを飲んでいることがわかった。肝炎を誘発できる原因物質をエネルギードリンクの成分表の中から調べると、ビタミンB3(ナイアシン)が最も怪しいと物質として浮上した。
   幸い入院4日目をピークに、症状も、検査データも急速に改善したため、患者さんは退院、エネルギードリンクもやめたおかげ(?)で、再発もなく現在に至るという経過だ。
結論としては、エネルギードリンクに含まれていたナイアシンによる肝炎と診断している。   この報告から、人間の生活習慣は多様で、思いもかけない原因が病気を誘発していることがわかる。私も、エネルギードリンクを毎日4−5本も飲んでいる人がいるとは考えたこともなかった。
   また珍しい症例でも必ず繰り返す。実は一年前、同じようにエネルギードリンク中のナイアシンによる急性肝炎の症例が報告されていた。この1例目の報告が、今回の診断を助けたことは間違いない。
  そして最後に、一般的エビデンスも一人の症例から始まることがわかる。この研究でも報告された2例を比べ、ナイアシンによる肝炎に特徴的な検査データを特定している(内容は省略)。
   おそらく症例報告の重要性がわかっていただけたと思う。
  では本当にナイアシンが急性肝炎の原因なのか?エネルギードリンクメーカーも心配だろう。科学的に言えば、限りなく黒に近く、よく似た症例が2例になっているが、ナイアシンが黒と原因特定されたとは言い切れない。そのためには、もう一度ナイアシンを飲んでもらって肝炎が起こるか確かめる必要がある。しかしそれができない以上、一定数の患者さんが集まるまで、メーカーは知らぬ存ぜぬを通せばいいだろう。
   しかし、この可能性を知った上で患者さんを診ることは重要だ。また、一般の人にも重要な示唆を与えてくれる。すなわち、健康のためと飲んでいるビタミンも、取りすぎると取り返しのつかない病気につながる。実際、米国では年間23000人もの方が、栄養補助のサプリメントが原因で救急搬送されているようだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月4日: PD-1阻害は長期記憶を誘導できるか?(10月29日号Science掲載論文)

2016年11月4日
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昨日に続いて免疫記憶とエピジェネティックスに関する論文を紹介する。今日は、今話題のガン抗体治療薬オプジーボに関わるPD-1阻害について焦点を当てた研究だ。
   ガンの友人に相談された時、免疫チェックポイント機能を抑制する抗体治療ができてからは、最後の望みを託す綱として選択肢が増え、相談に乗る方も少しは気が楽になった。とは言え。すべての人がこの治療に反応するわけではなく、実際は反応しない人のほうが多い。さらに、根治の可能性についても、いつかは効果がなくなることを覚悟する必要がある。これは、チェックポイントを抑制する治療でガンに対するキラーT細胞を再活性化し、消耗を防げても、長期の免疫記憶誘導には至らないことを示唆している。
   昨日解説したように、長期記憶が成立するためには、エピジェネティック・リプログラミングが必要で、この条件を発見できれば、免疫反応を長期間維持することが可能になる。今日紹介するペンシルバニア大学からの研究もPD-1阻害治療が記憶成立に至らない原因を調べた論文で10月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「Epigenetic stability of exhausted T cells limits durability of reinvigoration of PD-1 blockade(PD-1阻害により再活性化したT細胞の永続力をエピジェネティックな安定性が制限する)」だ。
   同じ号にハーバード大学からも同じラインの研究についての論文が発表されているが、わかりやすいという点でこの論文を選んだ。
   研究では、CD8T細胞を誘導するLCMウイルスに対する反応をガンの代わりに用い、チェックポイント阻害としては抗PD-1の代わりに、PD-L1に対する抗体を用いている。    まず、抗原刺激が続いてT細胞と、抗体処理により再活性化させたT細胞の遺伝子発現を比べ、PD1阻害によりキラーT細胞が刺激前の状態をある程度回復できるが、記憶T細胞と比べると、遺伝子発現は大きく違っており、また無菌マウスでの細胞の寿命も短いことを示している。すなわち、PD-1阻害だけでは消耗したT細胞をリフレッシュは出来ても、免疫記憶を成立させるほど大きなエピジェネティックリプログラミングが起こらないことを示唆している。
   この結果をエピジェネティック状態の変化と相関させるために、昨年の8月このホームページで紹介したATAC-seqと呼ばれる方法でクロマチンが開いている領域をゲノム全体にわたって比べている。これにより、PD-1阻害により確かにクロマチンの変化が誘導されるが、ほんの一部だけで、記憶T細胞で見られるクロマチン変化のたかだか10%ほどしか変化が誘導できないことがわかった。
   ではPD-1阻害による免疫反応を持続させるためにどうすればいいのか、そのヒントを求めてデータを詳しく解析し、抗体処理後IL-7やIL-2刺激である程度持続性を高められる可能性を示している。
   このように、エピジェネティックスの観点から見ると、PD-1阻害では長期記憶という安定なエピジェネティック変化を誘導することが難しいことがわかる。ただ、山中4因子によるリプログラムからもわかるように、あるクリティカルな転写ネットワークが成立すると、多くの遺伝子を巻き込むリプログラムが可能なので、このクリティカルポイントを探求する意義は大きいと思う。また、昨日紹介したように、代謝などの一般的変化がこれに加わると、リプログラムの可能性が高まる。
   チェックポイント治療による根治を目指してこの領域の研究が進むことを期待している。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月3日:代謝とエピジェネティックス(Nature オンライン版掲載論文)

2016年11月3日
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「記憶は神経細胞分化」と言ったのは、長期記憶の研究でノーベル賞を受賞したエリック・カンデルだが、新しい体験を長期に維持するためには細胞自体が変化する必要のあることを述べた言葉だ。一方、発生学はエピジェネティックスだから、カンデルの言葉を言い換えると、「記憶はエピジェネティックス」ということになる。    実際、神経分野もそうだが、刺激された細胞を純化しやすい免疫系では、最近、免疫記憶とエピジェネティックスについての論文を目にする機会が増えた。今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は同じ方向の研究だが、刺激と同時に代謝が変化することが細胞のエピジェネティックス状態を変化させ、長期記憶につながることを示した研究でNatureオンライン版に掲載されている。タイトルは「S-2-hydroxyglutarate regulates CD8+ T-lymphocyte fate(S-2-hydroxyglutarateがCD8T細胞の運命を制御する)」だ。
   著者らはCD8T細胞が様々な場所を循環する間にさらされると予想される低酸素状態の影響について調べるため、低酸素に反応する転写因子VHL, Hif1ノックアウトマウスのCD8T細胞と正常CD8T細胞の代謝産物の違いを調べ、VHL遺伝子が存在しないとS-2-hydroxyglutarate(2HG)の細胞内濃度が上昇することに気がついた。すなわち、低酸素に反応して2HGレベルが上昇することが明らかになった。
   次に抗原刺激と低酸素を組み合わせる実験から、2HGが抗原刺激でも上昇するが、それに低酸素加わると一段と濃度が高まることが明らかになった。そこで、2HGのT細胞機能への影響を調べ、T細胞刺激後起こる短期の変化を、長期の変化に変換し、記憶形成に関わることを発見した。これは、抗原刺激後上昇して刺激がなくなると消失する記憶T細胞マーカーCD62Lの発現が、低酸素にさらされ2HG濃度が高まることで、維持されることに現れている。さらに、細胞移植実験で、機能的にも記憶細胞として働くための長期的転換が起こっていることを明らかにしている。
   最後にこの長期記憶成立の背景を追求して、2HGがヒストンメチル化パターンを変化させ、メチル化パターンの調節に重要な役割を演じるUtx遺伝子を抑え、記憶成立に関わる多くの分子の転写開始部位のヒストンをH3K4me3のオン型に変換させていることを明らかにしている。他にも、メチル化DNAとハイドロオキシメチル化DNAについても言及しているが、著者らはこの可能性にはあまり真剣でないような雰囲気で書かれているので、ハイライトとしては低酸素による2HG上昇がヒストンコードを変化させることで免疫記憶が成立したと結論していいだろう。
   ヒストン全体がオフ型に変わって、Utxが抑えられ、そのあとで記憶に関わる遺伝子がオン型に変わる過程の詳細についてはさらに明確にする必要があるだろう。しかし、抗原刺激だけでなく、環境により誘導される代謝変化が合わさって記憶が成立するという発見は新しい展開につながる予感がする。
   最初エピジェネティックス機構は環境への対応、特に酸素濃度や、危害に対する対応の必要性から生まれた。この最初の刷り込みが、免疫記憶誘導にも続いているかと思うと感動する。
カテゴリ:論文ウォッチ
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