2020年6月20日
タイトルを見ただけで、実験やメッセージ、そしてその重要性が頭に浮かんでくる論文はまちがいなく面白い。今日紹介するスローンケッタリング癌研究所からの論文はまさにそんな例だと思う。
アンチエージングは今最も注目されている分野だが、実際の臨床で最も効果があるのがsenolysis(老化細胞を溶かす)と呼ばれる方法で、死にかけの細胞を積極的に除去して、新陳代謝を高めることで、組織を若々しく保つ方法だ。この方法は、一般の人が考える老化だけでなく、老化メカニズムが関与する様々な病気、例えば肺線維症や腎硬化症の進行を抑えるため、臨床的価値は大きい。
ただsenolysisを誘導する方法は限られており、遺伝子操作か、あるいは癌治療に使われる特異性の低いリン酸化阻害剤で死にかけの細胞を殺す方法しかなかった。実際、リン酸化阻害剤は腎硬化症や肺線維症に用いられ成果を挙げているので、全身性の老化にも効果があると期待できるが、やはり抗ガン剤を続けて服用するということになると、二の足を踏む人が多いのではないだろうか。
研究は6月17日号のNatureに掲載され、タイトル「Senolytic CAR T cells reverse senescence-associated pathologies (senolysisを誘導するCAR-T細胞は老化に関わる病理を正常化する)」だ。
タイトルからわかるようにsenolysisをCAR-Tにやらせようという話だが、CAR-Tについて少し説明しておこう。CAR-Tはキメラ抗原受容体T細胞の訳で、簡単にいうとキラーT細胞の抗原認識システムを遺伝子操作して、相手の抗原を認識する抗体に置き換えた細胞のことを意味している。白血病治療には、我が国でもすでに認可されており、白血病細胞表面上の抗原に対するCAR-Tを用いて、白血病細胞をほぼ完全に除去することが可能になっている。
この研究ではガンのではなく、老化細胞に特異的な細胞表面抗原に反応して老化細胞だけ殺してくれるCAR-Tを開発すれば、抗ガン剤を服用するより安全な抗老化治療ができるのではと着想した。この着想が研究の全てで、全く新しいCAR-Tの未来が開けたのではないかとすら感じる。
着想できれば、あとは細胞種類を問わず老化した細胞だけで細胞表面に発現が見られる抗原を探索し、この研究ではuPAR(ウロキナーゼ型プラスミノーゲン活性因子受容体)を特定している。
次に、uPARに対する抗体を作成、この抗原結合部分を持ったT細胞抗原受容体キメラ遺伝子作成、T細胞に導入し、uPARを発現した細胞を殺すキラーT細胞株を開発している。
あとは試験管内、生体内で正常細胞は殺さず、uPARを発現する細胞だけ殺すことを確認して、老化ガン細胞、肝臓障害後の線維化、非アルコール性肝炎による繊維化などを標的に前臨床研究を行い、繊維化を抑え病気の進行を止めることを明らかにしている。
以上が結果で、まだマウスモデルの段階だが大きな可能性を感じる。癌の周りの繊維化を抑えれば、膵臓癌の治療に使えるし、肝臓だけでなく、肺線維症、腎硬化症、さらには老化により発病が促進する骨髄異形成症候群など、応用範囲は広い。このシステムでは軽度ではあるがサイトカインストームが誘導されている。全身の細胞が老化し始めた高齢者に投与するときは、最初はかなり注意が必要だろう。
いまや新型コロナですらCAR-Tで感染細胞を根こそぎにしようという時代だ。チェックポイント治療と並んでガン免疫治療のシンボルになってきたCAR-Tは、さらにその可能性を広げようとしている。
2020年6月19日
古事記で日本を造ったとされるイザナギ、イザナミが兄弟姉妹の関係だったのかどうかは諸説あるが、人類誕生初期から近親相姦はタブーになってきたにも関わらず、神話ではこのタブーが破られるのは世界共通のようだ。ギリシャ神話のゼウスは二人の姉を妻にしているし、オペラファンなら馴染深いワーグナーのオペラに登場するジーグフリードは、神ヴォータンと人間の女性との間に生まれたなんと双子の兄妹ジーグムンドとジーグリンデの子供で、近親相姦の究極とも言える関係がわざわざ示唆されている。
ただ、ここまで極端でなくとも、神性を持つ王の一族では、我が国も含めて血統を守ることが重視され、近親婚も許されてきた証拠が多く存在する。このようなタブーからの例外がいつから認められるようになったのか、階層的社会の形成を理解するためには重要な課題だ。
今日紹介するアイルランド ダブリン トリニティーカレッジからの論文は、新石器時代の太陽光に沿った長い廊下を持つNewgrangeの巨大古墳(https://www.knowth.com/newgrange.htm )から出土した男性の骨のゲノム解析から、当時兄弟姉妹婚が行われていたことを示唆する研究で6月17日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「A dynastic elite in monumental Neolithic society(新石器古墳時代(私の勝手な訳)の王族のエリート)」だ。
この研究の目的は近親婚の証拠ではなく、アイルランドという大陸から分離された島国での民族形成、特に新石器時代に農業が導入される時期の民族形成過程を明らかにすることだ。そのためにアイルランド各地から中石器時代2人、新石器時代42人の骨から分離したDNAの全ゲノム解析や年代測定、さらには成分分析を行い、民族内外の系統関係、当時の食事などを調べている。
従来の研究で、新石器時代の農耕は海を渡ってスペインから伝播したと考えられているが、アイルランドの新石器人は英国のそれとオーバーラップしており、海を渡って新しい人達が入ってきて、農耕が導入されることを示している。
他にも、農耕前の狩猟採取民のゲノムでは、アイルランドと英国や大陸との交流はほとんどなかったこと、一方当時陸続きであった大陸と英国では交雑が認められることから、農耕前には海が障壁として交流を阻んでいたこと、あるいは世界最古の21番トリソミーを持つゲノムの発見など、面白い発見が示されている。
しかしこの研究のハイライトは、何と言ってもNewgrangeの羨道墳で発見された男性の骨から、この男性が兄弟姉妹婚により生まれたことがわかったことだ。今回調べられた他の骨の解析から、身分の高いと思われる個体でも、近親婚の痕跡はなく、さらにはこの個体と親戚関係にあると推定される他の王族でも近親婚の痕跡は認められず、近親婚がタブーとして避けられていたことを示している。すなわち、この男性だけが完全な例外になっている。
もちろん1例だけなので、たまたまという話もできるが、この骨が有名なNewgrange 羨道墳から出土したこと、羨道墳では太陽の軌跡が古墳内を長く続く廊下に反映していることなどから、単純な例外ではなく、古墳に埋葬される王族は血縁関係を持つが、その中から神聖な儀式を司るメンバーが選ばれ、このメンバーでは純血を守るために兄弟姉妹婚が行われていたのではと推察している。
これを裏付ける一つの証拠として、英国中世では王が太陽の軌跡を司る能力を身につけるために妹と結婚するという伝説、あるいはDowthにある同じような羨道墳が「罪の丘」「近親婚の丘」と呼ばれていることも持ち出し、アイルランドで早くから極めて複雑な宗教と権力が一体となった社会が形成されていることを示している。
ゲノム解析が歴史解明にいかに有効化を示す新たな論文が付け加わった。
2020年6月18日
山中さんのiPSの登場で議論がほとんど中断したが、ヒトES細胞樹立に向けた倫理的問題を文科省で議論し始めた頃、ヒト胚の尊厳が3胚葉が形成される原腸陥入期に発生するとする考えが欧州にはあることを聞いたのを覚えている。この概念の起源についてはよくわからないが、個体の構造を細胞浮遊液へと解体してから、再構成する時、原腸陥入以降ではほとんど再構成できないので、細胞が個体に属するようになるという意味でこの概念が出たのかと考えていた。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文をは、ES細胞を用いたヒト胚培養で原腸陥入期を超えて体節形成期まで発生を誘導できるという研究だが、胚培養を原腸陥入期を超えて進めてはいけないというルールはヨーロッパでも消失していることがわかった。タイトルは「An in vitro model of early anteroposterior organization during human development(ヒト発生時の前後軸形成の試験管内モデル)」で、6月11日号のNatureに掲載された。
もともとES細胞からembryo body(EB)と呼ばれる凝集塊を形成させ、自発的に発生させる方法はポピュラーで、オルガノイド培養のルーツとして広く行われている。ただ実際のヒト胚と比べると、どうしても細胞分化のバランスが壊れてしまい、三胚葉は形成されても、実際の胚とは程遠い。
この研究ではES細胞をまずWnt刺激化合物Chironで1日処理し、その後細胞を凝集させ、Chironと笹井さんたちが開発したRock阻害剤で24時間培養するという方法を開発し、この方法ではEBがオタマジャクシのような形に伸び、この構造が一種のボディープランを持っていることを発見した。
この発見がこの研究のすべてで、実際マウスでも同じようなボディープランを持ったオルガノイドを形成することは難しい。これは培養に使う分化増殖因子がどうしても発生を捻じ曲げてしまっていたからと考えられるが、それをChironという化合物で置き換えることで、偶然とはいえ乗り越えた。実際、Chironの代わりにWnitを用いてもうまくいかない。もちろんよく使われるBMP4などでもボディープランの発生は観察できない。なぜかChironが持つ様々なシグナル系への副作用が、胚発生の絶妙のバランスを生みだしたことになる。
実際、この発生過程にWnt、BMP、nodalなど、初期発生に必須の分子に対する阻害剤を加えると、発生はうまく進まない。
このEBが伸びて造られる新しい構造では、3胚葉が形成されるだけでなく、細胞の集団の動きが原腸陥入をミミックし、最終的に前後軸を様々な分子マーカーで確認できる構造が形成される。そしてこの構造を前から後ろまで順番に切片として切り出し、それぞれの切片での遺伝子発現を見ると、分子マーカーが前後軸に沿って発現し、ボディープランとともに発現パターンが生まれるHox遺伝子の発現でもこのプランを確認できる。そして、この前後軸の形成を支持するオーガナイザーについても特定できる。
以上詳細を省いて、イメージだけを紹介したが、ES細胞から体の構造を作る試験管内実験系ができたことは重要だと思う。見たところ、前後軸はできても、背腹軸についてはうまくできていないので、次は両方同時に誘導する方法の開発が進められると思う。その結果、どこまで実際に近いヒト胚が形成できるのか、楽しみだ。
2020年6月17日
細菌叢の研究が進んでから、善玉菌と悪玉菌という概念が定着し、善玉菌を摂取して悪玉菌を駆逐するという理屈で、多くのプロバイオ製品が売られている。中でも発酵に関わる乳酸菌はプロバイオの王様といえる。科学が進む以前からの伝統もあり、病気と一定の相関を示すこともある程度わかってきた。ただ、善玉菌の条件を示すことは簡単ではない。おそらくプロバイオ研究は、今コマーシャルで行われているような話ではなく、食と健康を考える21世紀の大テーマだと思う。
今日紹介するベルギー・アントワープ大学からの論文はちょっと変わった観点から乳酸菌の中のLactobacillusを調べた研究で、5月25日号のCell Reportsに掲載された)。タイトルは「Lactobacilli Have a Niche in the Human Nose (Lactobacillusは人間の鼻腔にニッチを持っている)」だ。
この研究の目的は鼻腔の細菌叢を変化させて慢性鼻炎を軽減するためのプロバイオは可能か調べることだ。ただこの研究では伝統的に善玉菌として扱われてきたLactobacillusに焦点をあて、正常人と鼻炎患者でLactobacillusの存在容態が異なるかを調べている。
まずLactobacillusは少数ながら鼻腔にも存在することがわかる。そして期待通り、鼻炎患者さんではLactobacillusの存在頻度や量が低下していることがわかった。そこで、正常人鼻腔からのLactobacillusを分離培養を試み、大きく4亜種、100菌株の培養に成功している。実際には他の増殖の早い細菌が存在するため、この作業は簡単ではなかったようだ。
これらすべてのゲノムを調べ、それぞれの関係を調べたところ、驚くことに分離された菌株のほとんどは、多様性に乏しく、おそらく食品、特にヨーグルトなどを通して摂取した乳酸菌が鼻腔にも居着いたと考えられる。
しかし鼻から分離されたL caseiとL sakeiは、これまで知られている細菌から大きく変異していることも同時に明らかになった。この理由は、鼻腔という新しい環境に適応したと考えられる。
この研究ではその適応として、鼻腔のように酸素分圧の高い場所で生存するために強化された、カタラーゼなどの活性酸素の毒性を低下させるメカニズムとともに、洗い流されずに鼻腔に粘着する性質についても調べ、鼻腔に適応した菌株では線毛と呼ばれる細菌が細胞に接着するときに必要な構造に関わる遺伝子を発現していることを明らかにしている。
こうして鼻腔に適応したLactobacillusとして培養されたのは、馴染みの深いL caseiになったが、これが典型的な悪玉菌とされている、緑膿菌、ヘモフィリス菌などの増殖を抑制することを確認している。また、病原菌による炎症性サイトカインの分泌をLactobacillusが抑制できることも示している。
最後に、L caseiには抗生物質耐性が存在しないことを確認した上で、実際の鼻腔に投与する人体実験を行っている。鼻に噴霧後、5分、10―16時間、そして2週間目に鼻腔に噴霧したL caseiが存在するか調べると、10時間ぐらいまでは存在すること、また噴霧直後では他の細菌の量が低下することも確認している。
もちろん治療実験までには至っていないが、乳酸菌を鼻に噴霧しても重大な副作用はない。ただ、鼻水、鼻づまりは投与を受けた多くの人に見られたので、今後の課題になる。
以上が結果で、Lactobacillusに最初から決めてはいるが、鼻腔から段階的に善玉菌を取り出し、その臨床応用を目指すという点では、なかなか好感が持てる研究だった。
2020年6月16日
ゲノム研究が歴史研究であることを私にはっきりと認識させたのは、2014年ロンドン大学の研究グループによって、今生きている人のゲノムを解読するだけでヨーロッパとアジアの交流史が明らかになることを示した論文だ。この中では、なんとジンギスカンの遠征によるモンゴル族のゲノム流入の時期が、ゲノムから正確に推定できることが示されていた。
この衝撃は大きく、今もゲノムについて講義する時この論文を使っているが、6年以上経った今でもインパクトは色褪せない。
これらの研究は、ゲノム研究から明らかになった一塩基多型SNPを用いて、ゲノムの交流を調べているが、形質の変化という点では、欠損、挿入、重複といった大きな構造変異の方がインパクトがある。ただ、これらの変異は、病気を起こすようなまれな変異を除くと、特定するのが難しい。
今日紹介するウェルカムサンガー研究所からの論文は世界様々な地域から得た911人の全ゲノム配列解析を、GRCh38と呼ばれる1000人ゲノムなどを参考に決定されたレファレンスと比較して大きな変異を集め、その分布を調べた研究で7月3日号Cellに掲載予定だ。タイトルは「Population Structure, Stratification, and Introgression of Human Structural Variation (ヒトの構造遺伝変異の人類構成、階層性、そして流入)」だ。
この研究で明らかになった構造変異の7割以上がこれまで発見されていないということで、大きな集団の解析に、このような構造変異を使うことの難しさを示している。何れにせよこの研究では13万近い構造変異を特定することができ、この13万の変異の各人種ごとの分布を調べると、人種ごとに明確な違いがわかる。さらに、欠損変異でを取り出して見ると、例えばアフリカの人種の中でもさらに細かい人種の違いと対応することが明らかになった。
このように人種の分離をゲノム構造変異で行える最大の理由は、このような変異のなかには、レアバリアントではなく、人種によっては多くの構成員に見られるコモンバリアントである点だ。その例として、この研究ではデニソーワ人の遺伝子流入率の多いオセアニアの人種について詳しく調べているが、8割以上の人に見られるような変異も発見されている。
いくつかについては進化との関わりを推察している。面白い例をいくつか紹介すると、例えばヘモグロビンの転写に関わるHBA2遺伝子の欠損は、高地に住むパプア人では全く見つからないが、ほとんど同じパプア人でも低地に住む人たちには8割以上に見られる。おそらくこれはマラリア抵抗性として選択されてきた。
あるいはNGAMと呼ばれるデンプン消化に関わる遺伝子上流の欠損はブラジルのカリチア人の4割に見られ、その食生活に関わる。
最後に、レトロウイルスなどに対する抵抗性を抑える方向で働くSIGLEC5遺伝子が54%の中央アフリカのムブティ族で欠損していることは、免疫が高まる危険をおかしてもウイルス免疫を高める方が良かったことを示唆している。
もちろんこのような変異のなかに、ネアンデルタール人やデニソーワ人由来の変異があることも確かめている。例えばデニソーワ人に認められる16番染色体上の重複変異は、ほとんど全てのオセアニア人に維持されている。またアメリカ現順民の26%に見られるMS4A1のエクソン欠損はネアンデルタール人由来で、なんとB 細胞の重要遺伝子CD20 をコードしている。
他にも種族特異的な遺伝子コピー数の増加など詳しくは説明できないほど、面白い発見に満ちていると言える。すなわち構造変異は形質へのインパクトが高く、それだけ面白い。
以上、民族形成を考える意味で大きな進歩だと思う。さらにこの研究から、レファレンスゲノムもさらに進化する必要が示唆された。これにより、さらに構造変異の発見が容易になり、ゲノムの人類史も面白くなる。
2020年6月15日
当分旅行は難しくなったが、アフリカ旅行の醍醐味の一つは、毎日毎日、毎時間、毎時間見たこともない鳥に出会えることだ。この多彩、多様な模様や羽色が形成されるメカニズムを理解しようとしても、どこから手をつけていいか途方にくれるだけだと思うが、こんな課題に果敢にチャレンジしている人たちがいる。
今日紹介するポルトガルポルト大学を中心とする研究グループからの論文は、羽色が大きく変化させるメカニズムの一端を明らかにしたオススメの論文で6月12日号のScienceに掲載された。タイトルは「A genetic mechanism for sexual dichromatism in birds (鳥のオスメスの羽色のパターンを形成する遺伝的メカニズム)」だ。
研究ではオスメス共に同じ黄色の羽を持つカナリアと、オスだけが真っ赤な羽色をもつショウジョウヒワを掛け合わせたF1に、カナリアのバッククロスを繰り返すことで作成された、赤い色彩の分布がオスメスで大きく違う形質を安定して示す交雑種を用いて、この違いを生み出す遺伝的変異を特定しようとしている。
基本的にはバッククロスにより、ショウジョウヒワの一部の遺伝子がカナリアに流入することで、この形質ができたと考えられるので、カナリアとショウジョウヒワ、そして新しい交雑種の全遺伝子配列を解析し、新しい形質に関わる遺伝子の特定を試みている。
その結果、赤や黄色の色彩の元になっているカロテノイドを分解するBOC2と呼ばれる酵素遺伝子をコードする領域がヒワからカナリアに移っていることが確認された。さらにこの遺伝子の発現をオスメスで比べると、赤い色の分布の少ないメスで発現が上昇していること、そしてオスメス共に、色素のない羽に強く発現していることが明らかになった。すなわち、赤い色を壊す酵素の発現パターンが、羽色の分布を決め、またオスメスの違いを決めていることを示している。
以上のことから、羽色の分布という極めて複雑な形質も、BOC2遺伝子の発現調節を調べることでかなり理解できるのではという期待が持てる。
最後に、野生の鳥の羽色の分布を決める遺伝子を特定するために、オスメスの羽色の分布が大きく違うヨーロッパセリンやハウスフィンチの羽に発現している遺伝子を比較し、いくつかの候補遺伝子がリストできることを示すと共に、ヨーロッパセリンではヒワと同じようにBOC2を、オスメスの差を生み出す遺伝子として使っていることも明らかにしている。
残念ながら、複雑な模様ができるための遺伝子調節にまでは至っていないが、しかし一つのメージャーな遺伝子の調節領域の解析で、模様の形成という複雑なメカニズムに大きく近づけるという期待は湧いてくる。
2020年6月14日
私たちの細胞は概日リズムを刻んでおり、その結果活動期と休息期を繰り返していることから、薬剤による治療もこれに合わせて行うべきという話をよく聞く。しかし、細胞レベルでこの効果をはっきりと示した論文はあまり見たこともない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、単純な実験だが薬剤の効果を確かめるためにはやはり細胞の活動性を考慮して効果を調べる必要があることを示した研究で6月3日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Potential circadian effects on translational failure for neuroprotection (神経保護剤のトランスレーショナル研究がうまくいかないのは概日リズムが関わっている可能性がある)」だ。
この研究の目的は脳梗塞に対する神経保護薬を開発することだ。広く知られるようになったが、拘束後できるだけ早く血栓除去をtPAなどを用いて行うことで、梗塞による神経障害を抑えることができる。ただ、これは血流再開の時間を短縮する治療法で、低酸素による神経細胞氏を守るものではない。
これまでの研究で、高酸素治療を始めとして、ラジカル除去剤、グルタメート受容体阻害剤などがマウスやラットを用いた研究で神経保護作用があることが示されており、実際に臨床で試されたものもあるが、残念ながらトランスレーション研究段階で全て効果が認められないという残念な結果で終わっていた。
著者らは、マウスの実験もヒトの治験も全て昼間に行われているが、人間とマウスでは活動性が昼と夜で逆なので、細胞はそれぞれ活動期と休息期にあるはずで、この差が保護剤の効果の違いの原因ではないかと着想した。
そこで、夜活動期のマウスやラットを用いて、血流遮断、再灌流実験を行うと、昼間では効果があった神経保護剤の効果がほとんど消失することがわかった。すなわち、保護剤は概日リズム上、休息期にある場合のみ効果がある。この結果から、人間でも夜間休息期に卒中が起こる場合は別だが、昼間に起こる卒中に神経保護剤が効かないことはうなづける。さらに、卒中の90%以上は昼間に起こるので、ヒトでは保護剤が聞かないことになる。
この概日リズムに従う差が細胞レベルで起こっているかどうかを、マウスの皮質ニューロン培養で確かめている。概日リズム遺伝子Per1,per2をデキサメサゾンで誘導し、高い時を活動期、低い時を休息期として、酸素とグルコース遮断を行い、この時の保護剤の効果を調べると、大きな差ではないが休息期のみで効果がみられる。さらにこの効果が、細胞死のカスケードを抑えることで起こっていることも明らかにしている。
以上が結果で、細胞の実験は差が小さいため、他にも要因があるかもしれないが、私たちの細胞がいかに概日リズムを取り込んで生きているかがよくわかった。簡単な実験だが、着眼点は面白い。
2020年6月13日
病気の原因になる遺伝子が特定されても、特徴的な症状が発症するメカニズムが理解できないと、治療法の開発は難しい。結果、自ずと遺伝子編集で遺伝子を元に戻す、あるいは正常遺伝子を補充する、あるいは異常遺伝子を除去するなどの遺伝子治療が、治療法開発のゴールになる。
しかし、どんなに複雑なメカニズムでも、鍵となるプロセスを理解できると、治療法開発が可能になる場合がある。今日紹介するイエール大学からの論文はそんな例で、症状と遺伝子を繋ぐメカニズムがまだまだわかっていないレット症候群の鍵になる一つの過程を特定して、症状を軽減できる薬剤を発見したという研究で、7月2日号のMolecular Cellに掲載された。タイトルは「Dysregulation of BRD4 function underlies the functional abnormalities of MeCP2 mutant neurons (BRD4機能の調節異常がMeCP2変異を持つ神経細胞の機能異常の背景にある)」だ。
レット症候群はX染色体上のMeCP2遺伝子の機能低下をきたす突然変異によって起こることがわかっているが、治療を考える時様々な障害がある。まずMeCP2自体メチル化DNAに結合することはわかっているが、メチル化されたDNAはゲノム上に無数に存在し、多数の遺伝子の発現が変化することから、症状と遺伝子の対応がつきにくい。さらに、この分子が欠損すると致死的なため、男性には見られず、X染色体を2本持つ女児でだけで見られる。通常の遺伝子と異なり、X染色体は一つの細胞で両方が働くのではなく、どちらか一本が不活化されるという特殊な方法で発現が決まる。逆にいうと、ここの細胞ではどちらかのX染色体が働いていることになる。従って、 レット症候群の女児では、正常遺伝子を持つX染色体を使っている細胞と、異常遺伝子をもつX染色体を使っている細胞が混ざって存在していることになる。このため、遺伝子操作も含めて異常を治そうとすると、正常の細胞まで影響を受ける心配がある。いずれにせよ、これらのハードルは発症メカニズムをしっかり理解することなしに克服することはできない。
この研究の一つのポイントは、男性由来のヒトES細胞のMeCP2遺伝子を遺伝子操作により変異させ、この細胞から神経細胞を誘導して使っている点だ。これにより、患者さんの細胞を用いることでは不可能な、全ての細胞が変異を持つという実験系を作っている。
こうして準備したMeCP2変異神経細胞の遺伝子発現を調べると、多くの遺伝子の発現異常が見られる(変化のうち6割は発現が上昇している)。従って、一個一個の遺伝子をしらみつぶしに正常化することは不可能だ。
この研究のもう一つのポイントは、この大きな変化全体を元に戻せる薬剤のスクリーニングを行なった点で、この結果BRD4とよばれる染色体構造調節に関わる最も重要な遺伝子の機能を抑制するJQ1を見つけることができた。そして、このJQ1を道具として利用して、MeCP2はメチル化DNAに結合してBRD4の結合を抑えて神経分化や機能を調節している。ところがレット型MeCP2変異があると、BRD4のゲノムへの結合が上昇し、ゲノム全体にわたる遺伝子発現異常が起こる。従って、MeCP2の変異はそのままでも、BRD4の結合をゆるく抑えることで、遺伝子発現を正常化できる。
詳しく見ると、発現に変化が起こる遺伝子の数は2000個近くで、これらの全てを正常化できるわけではないが、発生や機能に関わる重要な遺伝子の発現を正常化できているので、治療に使える可能性がある。
最後に、レット症候群モデルマウスにJQ1を投与する実験を行なっている。先に述べたが、X染色体遺伝子の発現の特殊性から、マウスの体は正常細胞と異常細胞が混ざって機能している。従って、異常細胞を正常化させることは、正常化細胞が異常になる心配がある。この研究ではそのバランスをとるため、低い濃度のJQ1を投与し続ける実験を行い、完全に正常化は難しいが、寿命を50%のばせること、神経症状をかなり抑えられることを示している。
もちろんこのままヒトにも同じ効果があるかはわからない。しかし、ヒトES細胞を用いた検討から少なくとも試験管内の効果は確かめられていること、さらに紹介は省いたがES細胞由来の脳オルガノイド培養でも効果が確かめられていること、そしてガンに使う量と比べると少ない量で効果があることなどから、治験まで行くのではないかと期待している。
2020年6月12日
これまで新型コロナウイルスの細胞内侵入経路については、スパイクタンパク質のS1部分に結合するACE2と、S2タンパク質を切断して、膜融合に関わるペプチドを遊離させるTMPRSS2を中心に研究が行われてきた。ただ、SARSと新型コロナのスパイクタンパク質の比較から、新型コロナウイルスにはホストに存在するもう一つのタンパク分解酵素Furinによる切断サイトがあり、しかもFurin切断部位の変異が高率に起こることが知られていた。Furinによる切断サイトは多くのウイルスにも存在し、Furinを阻害すると新型コロナの感染効率が落ちることが知られていたため、Furinにより切断後に残るS2タンパク質とホスト側の分子がウイルス侵入に関わるのではと予想されていた。
今日紹介したいのは、1編はブリストル大学から、もう一編はミュンヘン工科大学からの論文だが、いずれもFurin切断サイトよって生まれるS2領域C末が血管増殖因子の一つneuropilin1に結合してウイルス侵入を媒介することを明らかにした研究で、いずれも正式論文ではないがBioRxivに掲載された。両方とも重要な貢献なので、おそらくすぐにトップジャーナルに掲載されると思う。とりあえず、それぞれの表題をBioRxivから転載しておく。
用いられた方法や、研究の焦点などは異なっているが、両論文ともFurin切断によりS2タンパク質C末にC-end法則と呼ばれるneuropilin-1結合部位が生まれることに着目し、neuropilin-1がウイルス侵入の受容体として働くかを調べている。
結論的にいうと、TMPRSS2が存在すればneuropilinも新型コロナウイルス侵入の受容体として働けること、侵入効率はACE2+TMPRSS2に劣るが、ACE2非存在下でもneuropilin+TMPRSS2だけでもウイルス侵入を媒介できること、そして両方が同時に存在すると、ウイルス侵入効率が促進されることを示している。
この発見は極めて重要で、例えばモノクローナル抗体を用いる治療や、ワクチンについてもこの結合も抑制できるよう設計する必要が出てくる。生物学的には、furin切断サイトのないSARSとの感染性の違い、神経細胞や血管内皮細胞にも感染する新型コロナウイルスの伝播経路などを理解する新しい鍵が示されたと思う。
これに加えて、ブリストル大学からの論文ではneuropilin1とスパイクの結合に関する構造解析が詳しく行われており、おそらくペプチドなどを用いた結合阻害剤の開発に重要な情報になる。
一方ミュンヘン工科大学からの論文は、
スパイクとneuropilin1の結合を阻害するモノクローナル抗体を開発し、将来の治療への道を開いたこと。 嗅上皮にはACE2,neuropilin,TMPRSS2の全てが発現しており、最初の侵入経路になっており、この結果嗅覚機能喪失が初期症状になること。 嗅上皮だけでなく、嗅覚中枢細胞にも同じように全ての受容体が発現し、これが脳への感染ルートになること、 スパイク自体がneuropilinを刺激して血管の透過性を上昇させる可能性もあること、
などを明らかにしている。いずれの論文でもneuropilin単独でもウイルス侵入を助けることも示されており、これにより血管内皮への感染も説明がつく。コロナウイルスの複雑な伝播経路解明だけでなく、新しい治療方法開発にも重要な貢献だと思う。
2020年6月11日
私たちの視覚は、現実の対象を見たり思い出したりする回路とともに、それを抽象化・言語化して記憶する回路の両方を持っている。例えば絵画などは両方が関与して成立していると言っていいだろう。さらに言葉にすることで、複雑な視覚認識の記憶が促進できるのも、両方が統合されているおかげだ。この全体が統合された表象こそが私たちが「知識」と呼ぶ記憶といえる。
今日紹介する北京師範大学からの論文は生まれつき完全に視力のない人が、色や形を言葉を基盤に認識する際の脳活動を、正常視力の人と比べた研究で、「言葉による視覚」の研究といってもいいだろう。タイトルは「Two Forms of Knowledge Representations in the Human Brain (人間の脳での2種類の知識の表象)」だ。
この目的には、私たちが色と形を思い浮かべた時に活動している脳と、全盲の方が同じ課題を行った時活動している脳の違いと共通性を調べる必要がある。研究では、果物や野菜の名前を聞いた時、その色について赤、黄色、緑、紫の4色のどれかに分類してもらうという課題を使っている。この時、赤と単色について答えてもらうだけでなく、赤と黄色が合わさっている、赤紫、などとその程度も答えてもらっている。
簡単だが素晴らしい課題だと思う。というのは、野菜や果物は触覚や味を通しても認識され、抽象化、言語化された認識と統合されており、より具体的な知識として存在すると考えられる。
結果は驚くべきもので、生まれつき全盲の人も、我々とほとんど同じ知識を持っているということがわかった。例えば、人参はトマトより黄色成分が多いと理解しているし、リンゴは赤と緑が混じって理解している。しかし、知識の多様性は全盲の人の方が大きい。すなわち、実際の視覚により普通は知識の幅が限定されるようにできている。いずれにせよ、言葉を通して色の配合まで頭の中に表象が形成されているのに驚く。
では、このような表象を支える脳内の領域はどこか?
この研究では抽象的な認識に関わる側頭葉前部と前頭前皮質下部に焦点を当ててまず調べて、全盲の人も正常視覚の人も強さの差はあるものの、果物の名前を聞いて色を思い浮かべる時には同じ領域が活動することを確認している。すなわち、抽象的な色彩の知識は、実際の視覚から得る場合も、言葉を通して得る場合も同じ領域に形成されることがわかった。
一方、正常視覚の人に見られる実際の色を感じる脳領域の活動は、当然のことながら全盲の人には全く存在しない。また、安静時の活動の同調性から領域間の結合を調べる検査により、正常視覚の人は視覚依存性の領域が抽象的に色を認識する領域と連合していることも明らかになった。一方、全盲の人ではこの領域が言語に関わる領域と強く結合していることもわかった。
以上が結果で、すなわち、言葉を通した視覚が存在することが明らかになった。
簡単とはいえ全盲の人と正常視覚の人の色の認識を調べるための課題を思いついたのがこの研究のすべてだろう。