6月10日 ニコチンはガンの脳転移を促進する(Journal of Experimental Medicine オンライン掲載論文)
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6月10日 ニコチンはガンの脳転移を促進する(Journal of Experimental Medicine オンライン掲載論文)

2020年6月10日
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タバコの発ガン性は、煙に含まれる様々な化学成分が突然変異の確率を促進するためで、タバコを吸う主な目的であるニコチン摂取自体は、ガン自体に大きな影響はないのではと思ってきた。事実この考えが、ニコチン以外の化学物質を減らす電子タバコの基盤になっているように思う。

今日紹介するWake-Forestバブテスト医療センターからの論文は、ニコチンがガンの脳内での増殖を促進する可能性を示して、ガンと診断されたらニコチン摂取をやめたほうがいいことを明らかにした研究でJournal of Experimental Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Nicotine promotes brain metastasis by polarizing microglia and suppressing innate immune function(ニコチンはミクログリアの分化方向に影響して自然免疫を低下させ、ガンの脳転移を促進する)」だ。

この研究では、ステージ4の肺ガン患者さんを、今もタバコを吸っている人と、すでにやめている人に分けて脳転移の有無を調べ、ガン発症後も吸っている人では脳転移の確率が1.6倍も上昇していること、そして生存期間も大幅に短縮するという発見から始めている。

組織学的にタバコを吸っている人の脳転移巣を調べると、ミクログリアのなかでもM2と呼ばれるがん細胞の増殖を助けるタイプのミクログリアの数が上昇していることを発見する。

以上のことから、ニコチン刺激によりミクログリアの分化がM2へと引っ張られ、この結果脳転移したがん細胞の増殖が早まることが明らかになった。

あとは、ニコチン刺激がM2ミクログリアを誘導するメカニズムと、それによりガンの増殖が上昇するメカニズムを探ることになる。実際には、様々な要素が重なって脳内でのガンの増殖が促進することになるが、以下のようにまとめることができる。

  • ミクログリアはニコチン刺激により、Jak/STAT3シグナル経路が高まり、その結果としてM2型への分化が促進される。
  • M2ミクログリアはCCL20 ケモカインやIGF-1を分泌して、腫瘍、特に腫瘍幹細胞の増殖を高める。
  • 一方、ニコチンはミクログリアの貪食や自然免疫を抑え、ガンに対する免疫が低下する。

以上が主なメカニズムで、それぞれの過程でニコチンの影響を元に戻す薬剤も発見しているが、結局はタバコをやめてニコチンを減らすことが、ガンの脳内の増殖を抑えるという話だ。いい忘れたが、これは脳内での話で、他の部位の転移にはニコチンは影響がない。

最後に、この研究はWinston-Salemにある研究所から発表されているが、言わずと知れたWinston-Salemはタバコの銘柄にもなっているほど、タバコ産業で栄えた街だ。その街でいまはanti-smokingの研究が行われていることを知ると感慨が深い。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月9日 神経細胞が興奮の抑制されたことを覚えるメカニズム(6月25日号 Cell 掲載論文)

2020年6月9日
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光遺伝学の登場で、神経ネットワークの形成と機能についての理解は急速に進んだ。ただ、この実験系では各神経細胞を単純化した素子として扱ってしまって、刺激による細胞レベルの変化はどうしても見落とす。しかし神経活動は、細胞自体の生化学的反応、遺伝子転写、形態変化誘導などを通して、持続する記憶を形成できる。一個の細胞に様々なチャンネルや受容体が発現、それぞれが刺激依存的に調節されるからで、このことをエリック・カンデルは「記憶は神経細胞分化」と表現した。すなわち、ネットワーク解明と同時に、神経細胞文化の研究も進めていく必要がある。

今日紹介する中国中山医科大学と、ニューヨーク大学から発表された論文は、神経細胞が興奮を抑えられたことも長期に記憶できるメカニズムを明らかにした研究で、6月25日号のCellに掲載された。タイトルは「Neuronal Inactivity Co-opts LTP Machinery to Drive Potassium Channel Splicing and Homeostatic Spike Widening (神経細胞の活動停止は長期記憶のメカニズムを利用してカリウムチャンネルのスプライシングと恒常性維持のため興奮スパイクの幅を広げる)」だ。

まず、この研究では光遺伝学などの新しいテクノロジーは全く使われておらず、私が現役時代のテクノロジーのみで研究を行なっているのに驚いた。さらに、研究対象が神経興奮による記憶ではなく、神経興奮の主役ナトリウムチャンネルをフグ毒で抑えた時に形成される記憶に焦点を当てるという、少し天邪鬼な研究である点が面白い。

テトラドトキシン(TTX)で神経の興奮を48時間抑制した後、TTXを取り除き刺激すると、興奮スパイクの持続が長くなること、そしてこの変化がビッグカリウムチャンネル(BK)と呼ばれる分子の一部がスプライシングにより除かれる確率が上昇し、これがBKの特性を変えることで、神経の興奮パターンが変化することを明らかにする。すなわち、興奮の抑制がスプライシングを変化させ、短いBKが多く発現することで興奮パターンの記憶が成立することがわかった。

これがわかると、あとはなぜスプライシングが変化するのか、刺激が抑えられていることがどうして細胞内の変化を誘導できるのかについてメカニズムを明らかにすることになるが、膨大な実験が行われているので、詳細は省いて結果だけをまとめる。

  • TTXで興奮が持続的に抑えられると、末端のスパインレベルでのグルタミン酸シグナルを介するカルシウムチャンネルの開く回数が高まり、流入するカルシウムによる様々なCamKK の活性化がおこる。活性化された CamK分子のうち、βCamKKはその後、細胞体の閣内へ移行する。すなわち、ナトリウムチャンネルの活動抑制が、ホメオスターシス維持に関わるカルシウム受容体の刺激を高めることで、神経の恒常性が維持されると同時に、活動抑制が記憶される。
  • このCamKKは核内でNova2と呼ばれる分子と結合し、BK遺伝子の29番目のエクソンをスキップした短い分子を合成する。
  • この短いタイプのBKは抑制が外れた後の、神経興奮の持続性の変化を誘導し、記憶反応を起こす。

以上がシナリオで、神経活動は興奮スパイクだけでなく、恒常性を維持するためにカリウム、カルシウムチャンネルが相互作用して微妙な調節を行っていることがよくわかる研究だ。驚くのは、興奮による記憶形成では見られなかった、自閉症や統合失調症に関わることが知られている多くのシグナル分子がこの過程に関わっていたことで、スパイクを抑制されたことの記憶の重要性を認識した。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月8日 抗ウイルス薬:個人の視点と集団の視点(Nature Communication オンライン掲載論文)

2020年6月8日
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私の住んでいる兵庫県ではすでに22日間新型コロナ感染者の報告がなく、入院中の患者さんも五人になって、ほぼ収束したと言える。ただ世界では発症が続いている以上、次の波がいつくるか予想はできない。これに対し、ワクチンしか切り札がないようなステレオタイプな議論が巷では行われているが、要するに集団内のウイルス量を減すという視点から見れば様々な手段が存在する。実際、隔離も集団から見たら同じ目的で行われている。

などと考えていたら、テキサス大学オースチン校から、抗ウイルス薬を早期に用いることで、パンデミックを制御するシミュレーションがNature Communicationに報告されていたので紹介する。タイトルは「Modeling mitigation of influenza epidemics by baloxavir (インフルエンザの流行をゾフルーザで軽減する)」だ。

我が国では、個人のウイルス感染には抗ウイルス薬、集団にはワクチンと、目的を分けた議論が行われているように感じる。しかし、ウイルス感染でその患者さんが亡くなったとしても、もし抗ウイルス薬で排出ウイルス量が低下すれば、社会的効果は当然存在する。このことを、インフルエンザをモデルに行ったのがこの研究だ。

タミフルなどそれまでのウイルス感染最終段階で起こるウイルス排出に効果を持つ薬剤と異なり、塩野義製薬の開発した抗インフルエンザ剤ゾフルーザは、cap-dependent endonucleaseを阻害してウイルスのRNA合成を阻害するため、ウイルス量を迅速に低下させられる。この研究では、これまで得られているタミフルと、ゾフルーザのウイルス量抑制効果データをもとに、発症後薬剤を投与した場合のウイルス量や、他の人への感染力などをシミュレーションしている。

結果は明確で、ウイルス除去効果が高いと、感染力は急速に低下するため、ゾフルーザを服用したと仮定するシミュレーションでは2日以内で感染性はほとんどなくなる。一方、タミフルの場合は、薬剤治療を行わず免疫によりウイルスを自然消滅される場合と比べて感染性を抑える効果は限られている。感染性が落ちるということは、有名になった実行再生産係数を減らすことができる。

とすると抗ウイルス薬で感染性が低下することは、隔離と同じ効果があると予想されるが、実際30%の患者さんがタミフル服用したと仮定してシミュレーションしても、ピークを抑えることができる。もちろんゾフルーザはもっと効果が強い。例えば何もしなければ、200万人の患者さんが発生すると条件を設定すると、5割の患者さんがゾフルーザを服用するとすると、全感染者を100万人以下に抑えることができる。もし感染した全員が服用すれば、この効果はさらに高まる。

要するに、個人の治療薬も、感染症の場合は、感染後できるだけ早く多くの人が抗ウイルス薬を服用すれば、集団的効果が確実にあるという結果だ。

我が国は抗インフルエンザ薬を最も使用する国で、CDCでは重症者や高齢者に限るべきとしているタミフルも一般の患者さんに処方される。これについては私も批判的だったが、全感染者数を抑えるという意味では大きな効果があルことを再認識した。今回のシミュレーションでは、投与が早ければ早いほどいいという話なので、そのまま延長すれば流行がキャッチされた時点で予防投与すら考えられる。

個人的予想だが、現在進められている新型コロナウイルス特異的な薬剤の開発が進んで、場合によってはこれを予防的に投与する(全身投与である必要はない)方法の開発により、コロナの社会的インパクトが低下するほうが、ワクチンより早い気がする。あたるかな?

カテゴリ:論文ウォッチ

6月7日 新しいHIVウイルス治療法(6月3日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2020年6月7日
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これまでウイルス制御に用いられる手段は、ウイルスタンパク質に対する薬剤、ウイルス侵入に関わるホスト細胞に対する薬剤や抗体、ウイルスタンパク質に対する免疫反応、そしてウイルス感染細胞に対する免疫反応に限られていた。最近になってCRISPRも含め核酸医学が介入手段に加わったが、標的分子を抑えるという点では同じだ。

ところが今日紹介する上海/復旦大学からの論文はなんとペプチドを用いてウイルス粒子に穴を開けてしまうという、これまでにない方法の可能性を示す研究で6月3日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「An amphipathic peptide targeting the gp41 cytoplasmic tail kills HIV-1 virions and infected cells (AmphipathicなペプチドはHIVのgp41タンパク質細胞質内領域と結合してHIVウイルス粒子を賦活化する)」だ。

この研究では最初ウイルスEnvタンパク質の一部のペプチドを用いれば、ウイルス自体の感染を抑えられるという単純な発想で、Envタンパク質配列をカバーする15merのアミノ酸ペプチドライブラリーをスクリーニングし、F9170と名付けたgp41分子の細胞質内ドメイン由来のペプチドがウイルス感染をブロックすることを発見する。

おそらく最初は細胞外のドメイン由来ペプチドに活性があると予想していたと思うが、なんとウイルスエンベロップ内部の領域に対応するペプチドが活性を持つという意外な結果で、ウイルスタンパク質を真似ることで感染を抑えるという話ではなくなった。そこでこのペプチドをウイルス粒子に加える実験を行い、なんとウイルス粒子に穴が開いて、パンクさせることで、感染が防がれることを発見した。

さらにメカニズムを探ると、このペプチドはamphipathicな性質を持ち、ウイルスエンベロップに侵入し、gp41のLLP1と呼ばれる領域と相互作用を起こして、エンベロップに穴を開けることがわかった。すなわち、デタージェントと同じようなメカニズムでウイルス粒子を不活化する。ただ、このペプチドはウイルス特異的で、毒性はほとんどない。さらに、同じようにgp41を細胞表面に発現しているウイルス感染細胞もこのペプチドで穴を開けることができる。すなわちウイルス粒子だけでなく、感染細胞も殺せることがわかった。

これに基づき、猿を用いたウイルス制御実験を行い、期待通り血中ウイルスを検出できないレベルまで低下させること、また副作用はほとんどないことを示している。

全く新しい原理のHIV感染制御法と言えるが、課題も多い。まず完全にウイルス粒子が消失するのに、ペプチド投与をやめるとすぐにウイルスが現れることから、このペプチドだけではよほど濃度を上げない限り根治は難しい。また、半減期が短く、1日に何度も投与する必要がある。このため、臨床に応用するためには、まだまだ改良が必要だが、ともかく原理の異なる方法が開発できたことは重要だと思う。

実験の中でMERSに対するペプチドも可能性があることを少し述べているので、新型コロナについても同じような戦略が取れる可能性はあるので、その点でも期待したい。

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6月6日 コレステロールの世界地図(6月3日号 Nature 掲載論文)

2020年6月6日
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新型コロナ騒ぎで全国的に病院収入が1割減ったことが報じられている。コロナ自体での損失を区別して詳しく精査する必要があるが、この落ち込みが不要不急の医療に当たるのだろうか。

特に興味があるのは、これが世界的傾向なのか、そして高血糖、高脂血症、高血圧などの生活習慣病に関する診療がどの程度減ったのかだ。というのも、この分野の医療費を減らすことが、各国の重要なテーマだった。今回の事象が各国の思惑どおり、メタボで病院に行く前に、まず予防という糸口になればいいが、まだまだ読めない。

今日紹介する世界中の研究機関が集まって発表した論文は2018年の世界の血中コレステロールマップを作成して、前回世界規模で行われた1980年と比較した研究で6月3日号のNatureに掲載された。タイトルは「Repositioning of the global epicentre of non-optimal cholesterol (コレステロール異常の世界的震源地を洗い直す)」だ。

この論文がNatureにふさわしい論文かとも思うが、世界中から1億人の総コレステロール値と、善玉以外のnon-HDLコレステロール値を集め、同じ土俵に乗せて比較することは大変な作業だと思う。

結果は明瞭で、40年前は最悪だった欧米諸国で、総コレステロール値の大幅改善が見られる一方、東南アジア、東アジアでは急速な上昇が見られる。しかし、絶対値で見ると、欧米諸国の値はまだ高いレベルにある。

しかしここからHDLを除いた、いわゆる悪玉で調べると、西欧諸国は絶対値でも低いレベルに落ち着いている一方、東南アジアでは東ヨーロッパに並んで最高値を叩き出している。

面白いことに、総コレステロールの増加は著しいが、東アジアのnon-HDLの絶対値は中程度で、東南アジアとは大きく異なっている。これと並行して、虚血性心疾患による死亡率が、西欧では大きく低下している一方、東南アジアを筆頭に、南アジア、東アジアで大きく上昇している。

要するに、所得が上昇すると最初は高脂肪食へ移行するが、さらに所得が上昇すると、健康に配慮した食生活に変わることを示しており、どの国も経済発展すれば自然にマインドが変わって健康になることを示している。

などと考えながら、コレステロールの変化マップを眺めてみと驚くのは、我が国ではこの40年、ほとんど変化が見られない点だ。幸い、40年前はほとんど世界の平均値だったことを考えると、今も世界の平均値にあると言えるだろう。メタボも我が国では気にすることはなさそうだ。

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6月5日 死海文書の由来を探る(6月11日号 Cell 掲載論文)

2020年6月5日
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イスラエルを訪問した時、死海文書が展示されている博物館も訪問したが、建物のイメージは鮮明に残っているのに、死海文書のイメージはほとんど残っていない。たしかに、ちょうどキリスト教が始まる時代の旧約聖書テキストの発見は20世紀最大の発見とされているが、我々アジア人にはなかなか実感がない。ただ、現役を退いて自由に様々なことを知るうち、ギリシャ イオニアの哲学とほとんど同時期に誕生した一神教のルーツ、ユダヤ教の成立過程や、そこから派生したキリスト教との関係などは、人間に普遍的な精神的特徴を理解するためには重要なイベントであることが理解できる。その意味で、もう一度死海文書を見に行きたいなと今は思っている。

今日紹介するイスラエル・テルアビブ大学からの論文は、この死海文書の断片のDNAからテキストが書かれた場所や状況を推定し、文書学を助けようとする試みで6月11日号のCellに掲載される。タイトルは「Illuminating Genetic Mysteries of the Dead Sea Scrolls (死海文書の遺伝的ミステリーを明らかにする)」だ。

旧約聖書は、天地創造からユダヤ人の歴史、預言者の言葉からさらには恋の歌まで多種多様なテキストが含まれている。古事記、日本書紀から万葉集が一体となったようなテキストなので、誰が書いたのか、いつ集大成されたのかなど、解決すべき問題は多く、その意味で最も古いテキスト死海文書の重要性は計り知れない。

この研究のポイントは死海文書の多くが羊皮紙に書かれているので、そこに残る家畜のDNAを解析すれば、羊皮紙が由来した動物の種類や、生息場所を特定することができ、これにより死海文書断片の関係性を推定できると着想した点だ。ただ、言うは易く行うは難しで、骨の中で守られているDNAの解析とは話が違う。使われた方法を見ると、DNA配列決定から情報処理技術まで多くの方法を独自で開発した大変な研究だとわかる。

その結果、今回解析した39種類の断片は、牛、羊、山羊由来の羊皮紙が使われていることがまずわかった。なかでも、同じエレミア書が書かれた羊皮紙の一部が、牛の皮でできている点で、発見されたクムランを含む死海では牛を飼うことはほとんどなかったことを考えると、アフリカなどから持ち込まれた可能性が強く示唆される。使われている文字からも、この可能性は指摘されており、今後統合的な研究からエレミア書がどう書かれたのかについても研究が進む。

多くの羊皮紙は羊が使われているが、ミトコンドリアの解析から、この地域の羊の遺伝子型と対応させることができ、それぞれの羊皮紙がどこで作られたのかを推定することができる。また、ゲノム遺伝子断片を対応させることで、解析した各断片の関係から、産地などを特定することができる。事実、死海文書の中に旧約聖書とは関係のない断片が存在することも今回確認できている。

さらに、ユダヤ文化の多様性についても羊皮紙の由来を探ることで解析することができ、その例として天使の歌と呼ばれるグノーシス派とも関係付けられる文書が、クムランだけでなく、マサダで書かれた文書にも存在することが確認され、天使の歌が当時広く知られていたことも明らかになった。

よく読んでみると科学が手伝えるのはほんの一部ではあるが、ゲノム科学のさらなる可能性を示す面白い論文だと思う。

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6月4日 個人ゲノム検査は診療の役にたつか?(5月27日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2020年6月4日
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コロナ感染で日本の政府や専門家は熱が出ても自宅で4日待てという戦略をとった。疫学的には正しいかもしれないが、しかし4日間自分の体についてのなんの情報もなくそのまま待つことは大変だったと思う。しかも急速に進展するかもしれないなどと、マスメディアから情報が入ってくる。これを解決する一つの方策として遠隔医療が解禁された。

このようにポストコロナで遠隔医療は加速するが、これは従来の医者と患者の関係がそのまま診療所から自宅へテレビ電話で移行するだけの話ではない。病院に行けない患者さんの不安を取る必要がある。したがって、診断や治療をできるだけ患者さんの側で済ませられる技術が急速に進んで、医師の診断、そして治療への関与すら低下していく可能性が高い。この診断には個人のメディカルレコード、症状、将来自宅で可能になる様々な検査を処理するAIの開発が必須だが、個人ゲノムデータから計算される病気のリスクスコアは役に立つと考えられる。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、個人ゲノムデータサービスによって解析されたデータをリュウマチ性関節炎の治療に使う可能性を調べた研究で5月27日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Using genetics to prioritize diagnoses for rheumatology outpatients with inflammatory arthritis (炎症性の関節炎で受診する患者さんの診断に遺伝情報を使う)」だ。

考えてみると、個人ゲノムサービスは個人に様々な病気のリスクを伝えるだけで終わることが多かった。おそらくこれが我が国では個人ゲノムサービスが発展しない原因だったと思う。しかし、例えばコロナにかかりやすいリスクが計算できれば、サービスを受ける人は急増するだろう。すなわち、個人ゲノムが、診療の入り口で役にたつことが個人ゲノムサービスの進展には必須になる。

この研究では関節炎を起こす5種類の病気に絞って、これまでのゲノム研究に基づくリスクスコアを計算できるG-PROBを開発した。そして、関節痛などで診療を受けた患者さんの診断過程にこのG-PROGが役にたつかを、3種類のコホートを用いて、異なる条件で検証している。ここでは、初診から診断に当たるまで、丹念にレコードを照らし合わせた3番目のセッテイングの結果だけに注目して説明する。

実際の診療に当たっていないので詳しくはないが、確かに関節痛の患者さんの正確な診断に至るのは簡単ではなさそうだ。この研究では、G-PROG スコアを組み合わせることで、少なくとも候補疾患を一つは外すことができ、84%で2つの候補を外すことができることを示している。そして、専門家の最初の診断名の35%は後で変更されていることを考えると、G-PROGと症状を組み合わせた確率計算を用いると、65%が最終診断と一致していることは、G-PROGによりほとんど専門家のレベルの診断が可能になることを示している。また、血液検査のデータを加えると、その正確度を22%高めることができる。

以上、個人ゲノムサービスデータは、臨床医、特に家庭医での診断レベルを高めるのに大きく役にたつという結果だ。

この研究の重要性は、病気のリスクを並列的に示すだけと考えがちな個人ゲノムサービスが、アプリケーションによって、特定の疾患群の鑑別診断に使えることをしめした点だ。このように、一般のお医者さんが個人ゲノムが役立つと実感できれば、このサービスは拡大すること間違い無いと思う。

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6月3日 音楽家の脳を探る(5月19日 Behavioural Brain Research オンライン掲載論文)

2020年6月3日
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最初このブログは、一般の人に生命科学の最新の研究を紹介する目的で書き始めたが、わかりやすく書くという点では、どうも私は向いていない。結局対象としては少し専門知識のある人向けになっていると思う。分野についてはできるだけ広くカバーして、新しい研究についての情報を伝えようと努力し、個人的趣味はなるべく出さないように心がけている。

ただ、今日は1年に一回の誕生日ということで、極めて趣味的な論文を選ぶことにした。個人的な興味から論文を漁っている分野は、Abiogenesis、言語など様々あるが、下世話な興味としては芸術家の頭の中についての研究がある。例えば、東京芸大の美術の学生さんと話していたとき、彼らが鏡を見ないで自分の顔をイメージできることに気づいた。生まれつきか、訓練か、要するに私たち凡人とは文字通り頭の構造が違う。何が違うのか?画家と一般人とに自分の顔を思い浮かべてもらって(今トライしてもはっきりしたイメージは私の頭に湧いてこない)、機能的MRIで活動領域に違いがないか是非知りたいといつも思っている。もちろん自分も実験台として参加したい。

そんなわけで、今日は音楽家と一般人の脳活動の差について調べたフライブルグ大学からの論文を紹介したい。タイトルは「Musicians use speech-specific areas when processing tones: The key to their superior linguistic competence? (音楽家は言語特異的領域を音の処理に使う:これが音楽家が言語能力が高い理由?)」で、Behavioural Brain Researchにオンライン掲載された。

この研究では音楽家は高い言語能力を備えているという仮説から始めている。あまり考えたことはなかったが、確かに有名な音楽家は話がうまいように思う。この理由としては、音楽と言語の両方に関わる脳領域の反応性が、音楽の訓練により、その結果言語能力もひきずられて高まる可能性と、もう一つは音楽の訓練により、通常は言語特異的な領域を、音楽の認識にも動員できるようになり、その結果言語能力が高まる可能性だ。

この研究では、子音と母音の組み合わさったシラブルの中から、あらかじめ教えておいたシラブルを聞き分ける言語課題と、様々な楽器で弾いた同じ音の中からピアノの音を聞き分ける音楽課題を行い、目的の音を聞いた時の反応性の速さを見ている。

この程度の課題だと、まず間違う人はいない。驚くことに、反応性で見ると、言語課題も、音楽課題も、音楽の訓練を受けた人の方がはるかに早く目的の音を認識する。100ms以上の差なのでかなり大きいと思う。

この課題を行いながら機能的MRIで脳の活動を音楽家と、一般人で比べると、同じ課題に動員される領域の差と、反応領域での反応の強さがわかる。結果は以下のようにまとめられる(脳領域の名前は全て省くが言語野や聴覚領域が中心になる)、

  • 言語野の近くには、今回の言語課題と音楽課題の両方で反応する領域がいくつか特定できるが、その反応性は音楽の訓練を受けていた人の方が高い。
  • 音楽の訓練を受けた人は、普通の人では言語課題にしか反応しない領域を音楽課題に反応できる。

もちろんこれだけで、音楽家は言語能力が高い理由がわかったとは到底言えないが、しかし音楽家の頭の中が違っていること、そして言語と音楽の認識に共通性があることもよくわかる。

今日の私の趣味に付き合っていただいた人は、HPの「生命科学の現在」として書き残している「言語の誕生」(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954)をぜひお読みいただきたいが、そのなかで、

実際には、失音楽症の表現は極めて多様で、個人差が大きく、失語症以上に決まった領域にマッピングが難しい。例えばラベルのようなプロの音楽家の失音楽症は左側頭葉の障害による場合が多いことが知られている。一方、多くの失音楽症の症例を集めて検討した研究(例えば2016年、Journal of Neuroscienceに報告された77症例の検討:Sihvonen et al, J.Neurosci. 36:8872, 2016)では、失音楽症の半数に失語が合併しており、言語と音楽能力に関わる共通脳領域の関与を示している。

と、音楽家は言語野を音楽に使うことが失語の研究から推察できることを紹介した。このように、言語と音楽のルーツは、ホモ・サピエンス独特の知能のルーツを知ることにもつながる。

他にも、自閉症の子供さんが音楽訓練によって、言語野を開発できるとすると、今行われている音楽療法をさらに科学的に発展させることもできるだろう。このように芸術家の頭の中は、面白いだけでなく役に立つこと間違いない。

また明日から、現代を代表する論文を探して紹介する作業を、体力の続く限り続けますのでよろしく。

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6月2日 がん細胞内に巣食うバクテリア (5月29日号 Science 掲載論文)

2020年6月2日
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腫瘍組織に細菌が存在することは昔から知られていた。また、いくつかの細菌は腫瘍の増殖を促進することも知られている。ただ、このような話を聞くとき、細菌が細胞の間に存在していると言ったイメージで考えていた。

今日紹介するイスラエル ワイズマン研究所からの論文は、腫瘍組織に存在する細菌の多くは細胞内に寄生し、それぞれのガン特有の細菌叢を形成していることを示す研究で5月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「The human tumor microbiome is composed of tumor type–specific intracellular bacteria (人間の腫瘍組織の細菌叢はガンのタイプに特異的な細胞内バクテリアからできている)」だ。

この研究ではまず数多くのガン組織を集め、そこから調整したDNAの中に存在するバクテリアリボゾーム検出と並行して、細菌特異的成分であるLPSやリポタイコ酸を抗体染色で検出し、まずそれぞれのガン組織にどの程度の細菌が巣食っているのか、細菌はどこに生息しているのかを調べている。

実際には、サンプル調整中に起こる汚染で侵入したバクテリアを除外することが重要で、様々な工夫を重ねて、細菌の量が最も多いのが乳がんで、骨肉腫、すい臓がん、グリオブラストーマと続くことを明らかにしている。

そして驚くのは、in situで細菌の16Sを染色すると同時に、LPSやリポタイコ酸を染めると、全てガン組織の細胞内に存在することがわかった。詳しく観察すると、膜成分のリポタイコ酸は全てマクロファージ内に存在し、貪食された膜成分が検出されると考えられる。一方、16Sは、ガン細胞および血液細胞に存在し、他の細胞には存在しない。ガン細胞内に細菌の16Sが検出されるのに、膜成分のリポタイコ酸が存在しないと言うことは、細菌は細胞壁のないL-formで存在することを示唆するが、電子顕微鏡的に確かめている。

さらに驚くのは、これらの細菌が一つの種類というのではなく、一種の生きた細菌叢を形成している点で、乳がんには175種類の細菌が存在している。また、細菌だけが利用できるD-アラニンがガン細胞内で取り込まれることから、細胞壁は持たないが細胞の中で細菌が生きていることを明らかにしている。

次に、single cell レベルの配列決定を行い、それぞれのガンでどのような細菌が増殖しているのかを調べると、それぞれのガンで特徴的な細菌セットが維持されていることがわかる。これは、ガンとの共生など、一種の相互作用の可能性を示唆する。そこで、細菌のもつ代謝経路と、ガンの関係を調べると、骨肉腫では骨のコラーゲンを分解する酵素を細菌、喫煙者の肺がんではタバコの有害物質を分解する酵素を持つ細菌、などが特定されている。

他にも細菌が免疫系細胞内に存在することは当然自然免疫を誘導するので、おそらくガンの進展にも関わるかもしれない。

以上が結果だが、細菌叢をホストの細胞内の細菌叢として見直すことで、ガンの治療標的も見えてくるかもしれない。しかし、細胞壁のないL-formがこれほどの数で存在するとは、バクテリアの適応力恐るべし。

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6月1日 アナフィラキシーとIgEのシアリル化 (5月28日号 Nature 掲載論文)

2020年6月1日
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例えばピーナツを食べた後急にショックが起こるアナフィラキシーショックの分子メカニズムは、一昨年亡くなった石坂先生のIgE の発見を発端に詳しく解析されている。IgEがプラズマ細胞から分泌されると、マスト細胞上のFcε受容体に結合し、維持される。そこに抗原が来ると、IgEが抗原の周りに集合し、これがFcε受容体を刺激、その結果ヒスタミンなど様々なエフェクターが分泌されアナフィラキシー反応を起こす。このようにほとんど解明し尽くされていると思っていても、本当はまだ理解できていない点もある。特に、抗原特異的IgEが存在することがわかっているのに、アナフィラキシーを起こさない人が多くみられるが、上のシナリオでは全く説明できない。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、アナフィラキシーが起こるためにはIgEができるだけでは不十分で、IgEがシアリル化されている必要があることを示した論文で5月28日号Natureに掲載された。タイトルは「Sialylation of immunoglobulin E is a determinant of allergic pathogenicity (IgEのシアリル化はアレルギー反応の決定要因)」だ。

50年近く研究されても、こんなことが明らかになっていなかったのかと思える典型だが、このグループは様々な抗原に対してアレルギー反応を起こしている患者さんのIgEと、血中IgEが存在するのにアレルギーが起こっていない人のIgEを用いて、マスト細胞刺激実験を行い、アレルギー患者さん由来のIgEだけがマスト細胞のエフェクター分泌を刺激できることを確認し、抗原特異的IgE分子自体にFcε受容体を刺激する能力の差があることを明らかにしている。

次にこのIgE分子自体の差が糖鎖の修飾の差にあると仮説を立て、アレルギー誘導能力と糖鎖との相関を調べ、両者で糖鎖の修飾の差が確かにあること、中でもシアリル化にはっきりとした差があることを明らかにする。また、シアリル化修飾はノイラミニダーゼで外すことができるので、アレルギー誘導能力のあるIgEをノイラミニダーゼ処理すると、アレルギー誘導能力が消失する。

以上の結果は、IgEがシアリル化されていることが、抗原結合後のFcε受容体刺激誘導に必須であることを示している。しかし、シアリル化自体は、IgEと抗原の結合、半減期、Fcε受容体との結合には影響がないことも明らかになった。従って、シアリル化がどのように受容体シグナルに影響するのかについての分子メカニズムは、この研究では残念ながら答えが出ていない。

しかし、シアリル化が必要であることは明らかになったので、刺激活性のないIgEを用いてアレルギー反応を抑えられるか実験を行い、抗原特異性を問わず10倍のシアリル化されていないIgEが共存すれば、アレルギー反応が起こらないことを示している。

そして最後に、IgEの抗原結合領域を、糖鎖を切断するノイラミニダーゼに置き換えた分子を設計し、Fcε受容体に集まるIgEから糖鎖を外してアレルギー反応を抑える実験を行い、濃度依存的にアレルギー反応を抑えられることを示している。

結果は以上で、この方法で完全に反応を抑制できるところまで行っていないが、命にも関わるアナフィラキシー制御を可能にする面白い方法が開発されたと思う。しかし、こんなことが今ようやくわかったのかと、驚きの論文だった。

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