2022年8月3日
最近は、代謝や免疫に対する運動の効果についての研究を目にする機会が増えたが、今日紹介するニューヨーク大学、グロスマン医科大学からの論文は、膵臓ガンに対する免疫を有酸素運動が高めるという話で、何でも思いついたら実験してみるのが良いという典型研究に思う。タイトルは「Exercise-induced engagement of the IL-15/IL-15Ra axis promotes anti-tumor immunity in pancreatic cancer(運動が IL-15/IL-15Rα シグナルを介して膵臓ガンに対する免疫を高める)」で、7月11日号 Cancer Cell に掲載された。
この研究の全てはマウスを用いて持続的な運動が膵臓ガンの増殖を抑えないか思いついたことだ。このようなアイデアは思いついてもなかなかやる気にならないのだが、このグループはマウスのトレッドミルをつくって、週5日、1日30分、15cm/秒の速度で走らせ、ガン遺伝子を発現させたマウスで膵臓ガンの発生や、移植した膵臓ガンの増殖を調べた。
結果は期待通りで、運動により膵臓ガンの自然発生は抑制され、また間質反応は抑えられ、膵臓ガンの病理型も腺房型を保つ。さらに、膵臓にガンを注射してから運動させてもガンの増殖を抑えることが出来る。勿論治すというより、抑制するだけだが正直ここまでの効果があるとは驚きだ。この差があれば、後はメカニズムを探索し、以下のシナリオに到達している。
腫瘍局所では、運動によりキラー CD8T 細胞が増加し、逆に免疫を抑える白血球の浸潤を抑えることが出来る。この変化の一部は、運動による交感神経興奮がノルアドレナリンを分泌を介して CD8T 細胞の循環と、局所への浸潤を促須子とで誘導される。
またシグナル経路は不明だが、運動により膵臓局所で IL-15 の分泌が高まり、CD8T 細胞の増殖や、機能維持を誘導し、キラー活性を高める。また、こうして誘導されるキラー活性はチェックポイント治療にも感受性で、PD1 に対する抗体と運動を合わせると、腫瘍局所の T 細胞は増加し、腫瘍抑制効果も高まる。
運動についての結果は以上で、全てが交感神経を介しているのかどうかはよくわからないが、ともかくガンの免疫に関して言えば、IL-15 を介して免疫を高める効果がある。
後は、運動でなくとも IL-15 と可溶性 IL-15 受容体を結合させ、γ 受容体刺激活性を強めたスーパーアゴニストと、PD1 抗体、そしてさらにジェムシタビンとパクリタクセルを組みあわせることで、根治ではないが生存期間を高められることを示している。
以上は全てマウスの話で、人間でも同じ効果があるのか気になる。実際に同じような実験が人間でも行われており、膵臓ガンの手術前に運動を続けさせ、切除後ガン組織を調べるコホート研究を利用して、運動により腫瘍組織の CD8T 細胞が上昇すること、またCD8の数が増えた患者さんでは予後が良いことを示している。
結局、現在治験が進行中の IL-15 スーパーアゴニストを組みあわせた免疫療法を膵臓ガンに使える可能性があることと同じ話になるのだが、運動に限らず少しでも、薬剤とは別のアプローチも真面目に考慮していくことの重要性を示す研究だと思う。
2022年8月2日
久しぶりにネアンデルタール人のゲノムを解読し、またそれまで明らかでなかった新しい古代人デニソーワ人の存在を証明したペーボさん論文を紹介する。ペーボさんは現在沖縄科学技術大学院大学にも所属されているので、OISTも研究場所に入っている。
前回紹介したペーボさんの論文はネアンデルタール人由来の遺伝子が新型コロナウイルスの重症化や、場合によっては抵抗力に関わることを示した論文だったが、今日の論文はペーボさんのライフワークになっている、現生人類と古代人類の脳の違い、特に言語の発生をゲノムから探る研究方向で、7月29日 Science Advances にオンライン掲載された。タイトルは「Longer metaphase and fewer chromosome segregation errors in modern human than Neanderthal brain development(現生人類の脳発生では、ネアンデルタール人より中期が延長してエラーが減少している)」だ。
これまでと同じく、私たちホモサピエンス(HS)とネアンデルタール人のゲノムを比較して、HSが出始めて現れた変化を特定し、その機能の変化をもう一度ヒト細胞やマウス細胞を用いて検証する研究手法だ。
今回ペーボさん達が注目したのは、細胞分裂時のチェックポイントに関わる遺伝子で見られる、現生人類特異的変異だ。というのも、類人猿と人間のiPS由来脳オルガノイド培養での細胞分裂を比べると、細胞が二つに分かれる分裂期の中期で、人間の神経細胞の方が時間がかかることを発見していたからだ。時間がかかる方が効率が悪いと思ってしまうかもしれないが、中期は紡錘体微小管と染色体が正確に結合するまで分裂を待たせるチェックポイントの役割があり(spindle assembly checkpoint:SAC)、このチェックポイントがうまく働かないと分裂時のエラーが増え、染色体レベルの大きな変異が入りやすい。従って、この過程に関わる遺伝子の変化は、分裂時の大きなエラーにつながる可能性が高い。
この過程に関わる分子を HS とネアンデルタール人で比べると、KIF18a と KNL1 、そして SPAG5 で、類人猿とネアンデルタール人の間には変化がないが、HS だけで起こったアミノ酸変化が全部で6種類のアミノ酸置換を特定している。
面白いことに、マウスも類人猿、ネアンデルタール型なので、実験ではマウスのアミノ酸を人間型に置き換え、新皮質の神経細胞増殖を調べると、KIF1a、 KNL1 それぞれの置換により少しではあるが、中期の延長が見られる。そして、KIF1a,、KNL の変異が合わさると、はっきりと中期の延長が見られることが分かった。
逆に、ヒト iPS の KIF1a、KNL1 をネアンデルタール型に変化させ、脳のオルガノイドを形成させた後、神経細胞の分裂を観察すると、今度は中期が短縮している。すなわち、現生人類の脳神経細胞は、ネアンデルタール人より中期のチェックポイントに時間がかかることがはっきりした。
最後に、この差の細胞学的基盤を調べ、HS 型の分子が合わさると、キネトコアでの SAC の数が増え、染色体の分離時のエラーが起こりにくい、すなわちチェックポイントがより厳しくなることで安全性が高まっていることが明らかになった。
以上が結果で、せっかくマウスが出来ているので、マウスの脳機能を是非知りたいところだが何も言及がない。ひょっとしたら、賢いマウス生まれたという論文が近々発表されるのだろうか。期待したい。
2022年8月1日
先日はオレンジの絞りかすに含まれるドーパミンを腸内細菌叢が遊離させるという話を紹介したが、細菌叢自体も様々な生理活性物質を合成できる。この能力を明らかにするには、細菌が持つ代謝経路を特定する方法が必要になるが、細菌叢の全ゲノム配列から、合成物を予測する方法の開発も進んでいる。この結果、現象論から離れられなかった細菌叢研究も、より因果性のはっきりした学問に変わっていくと期待される。
今日紹介するカナダ・クイーンズ大学からの論文は、細菌が合成するヒスタミンが、腸内のマスト細胞に働いて、炎症性腸疾患の腹痛の原因を作る可能性を示した研究で、7月27日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Histamine production by the gut microbiota induces visceral hyperalgesia through histamine 4 receptor signaling in mice(腸内細菌叢によるヒスタミン合成がヒスタミン4受容体を介して腹部の痛覚過敏症を引き起こす)」だ。
今回調べてみて初めて知ったが、ヒスタミンを含む魚を食べたり、あるいは発酵性の食品を食べたとき、含まれているヒスタミンが中毒を起こすことが知られていた。このグループは、炎症性腸疾患(IBD)の腹痛がヒスタミン中毒に当たるのではと、これまで発酵性の低い糖分からなる食品を開発し、ある程度の効果を得ていた。
この研究では、まず尿中のヒスタミンが上昇して腹痛を訴える IBD患者さんを選んで、この便を無菌マウスに移植すると、それだけでマウスの尿中ヒスタミン濃度が上昇し、さらに腹部症状が現れることを確認している。すなわち、細菌叢からヒスタミンが分泌されている。
細菌によるヒスタミン合成は、これまでヒスタミン中毒症の原因ではないかと研究されており、histidine decarboxylase(hdc) 分子の作用であることがわかっている。そこで、IBD 患者さんの便を探索すると、hdcを持つ Klebsiela aerogenes の割合が上昇しており、またこのバクテリアだけを移植しても同じ症状が誘導できることから、K.aerogenes の有無で、ヒスタミン中毒が起こるかどうかが決まると結論している。
これまで IBD の痛みを乳酸菌が抑えることが知られているが、面白いことに hdc 活性は環境が酸性に傾くと低下する。実際、乳酸菌と K.aerogenes を共培養してヒスタミンの合成を調べると、低下することも確認している。
後は K.aerogenes 由来のヒスタミン腸の痛みを誘導するメカニズムだが、ここからは少しわかりにくい。結局ヒスタミンが直接神経端末に働くのではなく、自らもヒスタミンを合成するマスト細胞を腸管に遊走させ、そこで様々なメディエーターを分泌することで、後根神経端末を刺激するとするシナリオを示している。すなわち、マスト細胞などに発現するヒスタミン受容体の一つ H4R にバクテリア由来ヒスタミンは高いアフィニティーを持っており、これによりマスト細胞の遊走とメディエーター分泌が刺激されるというシナリオになる。実際、H4R 阻害剤で K.aerogenes 由来ヒスタミンによる神経刺激を抑えることが出来る。
以上が結果で、あとは実際の臨床で使えるか、またヒスタミンの原料の由来の特定が重要になるだろう。しかし、バクテリア単独で生理活性物質が出来てしまうことは、やっかいな問題になると思う。