2023年9月12日
アムジェンの開発した Sotorasib を皮切りに、変異 Ras 阻害剤の臨床応用が進んでいるが、使用が進むとともに、少なくとも単独治療では耐性ガンの発生が必須であることがわかってきた。従って、Ras 阻害剤の効果を長続きさせる併用薬剤を見つけることは急務で、研究が進んでいる。
今日紹介するテキサス・ベイラー医科大学とMDアンダーソン ガン研究所からの論文は、Ras の活性化、及びその急速な阻害により起こる蛋白質のクオリティーコントロールの破綻に注目し、これを標的にすることで Ras 阻害剤必発の耐性発生の問題を克服できる可能性を示した重要な研究で、8月9日号 Science に掲載された。タイトルは「Modulation of the proteostasis network promotes tumor resistance to oncogenic KRAS inhibitors(蛋白質恒常性の変化が発ガンK-Ras阻害剤に対する耐性を促進する)」だ。
この研究では、K-Ras 阻害剤に対する耐性を獲得したガン細胞(RASir)の proteostasis と呼ばれる合成蛋白質のクオリティーコントロールを調べ、阻害剤処理により急速に起こる proteostasis 異常と蛋白質の凝集が、耐性発生とともに正常化することを発見する。すなわち、K-Ras 活性化により高いレベルで機能していた proteostasis が、阻害剤の効果で破綻させられ細胞死に陥るが、他の経路で proteostasis は速やかに回復し、耐性が生じることになる。
蛋白質のクオリティーコントロールは細胞生存に必須で様々なメカに住むが存在しているが、RAS 阻害剤で低下し、RASir 細胞で回復する経路を調べると小胞体ストレスセンサー IRE1α を介する経路であることがわかった。
このケースで IRE1α は小胞体ストレスのセンサーとしてではなく、直接 K-Ras 下流の MAPK 分子により活性化されており、この経路が阻害剤で破綻することがわかった。言葉を換えると、K-Ras 活性化で蛋白質恒常性の維持を高める必要があり、これを K-Ras 下流の MAPK 分子が IRE1α を安定化させることで達成している。
阻害剤で一旦 IRE1α が不安定になり、蛋白質の凝集など細胞ストレスが上昇し、細胞が死に始めるが、他の代償経路により IRE1α が正常化すると、K-Ra sなしでもガンは増殖出来る様になる。
この代償経路を突き詰めると、様々なチロシンキナーゼ受容体が働いて、MAPK 分子や、あるいは AKT 分子を介して直接 IRE1α を安定化して、蛋白質のクオリティーコントロールを維持することがわかった。
事実、耐性を獲得したガン細胞を、特異性の低いキナーゼ阻害剤と併用することで、K-Ras 阻害剤の効果が再び回復し、耐性ガンでも増殖を抑えることが出来る。ただ、特異性の低いキナーゼ阻害剤は副作用が強く、実際の治療としては利用が難しい。
代わりに、現在治験が進んでいる IRE1α 阻害剤ORIN1001 を K-Ras 阻害剤と併用すると、少なくともマウスの移植ガン実験では K-Ras 阻害剤治療に伴う耐性ガンの発生と完全に抑制することに成功している。最後の実験は、K-Ras 阻害剤が最も期待される膵臓ガンモデルで行っており、効果が完全でないガンも存在するが、調べた4種類のガンで耐性を抑えるのに成功している。
以上、ORIN1001 は既に臨床応用のための治験が進んでいるので、ここで開発された併用療法が治験へと進む可能性は高いと期待している。
2023年9月11日
腫瘍の周りの環境は4種類に分類される。最も望ましいのは Hot 状態で、ガン抗原特異的なT細胞が活性化され、腫瘍内に浸潤し、それをさらにNK細胞が助けるといった状態だ。この理想的な状態に対して、Cold と呼ばれるのは、T細胞反応が様々な理由で低くなっている状態で、チェックポイント治療やワクチン治療はこの状態を Hot にするために行われる。これら2つの状態以外に、ガン自体が免疫を抑制する suppressed と呼ばれる状態があり、例えばガンが PD-L1 を発現してキラー細胞を抑えるのもこの中に入る。そして最後の状態がキラー細胞の浸潤を防ぐ状態で、Excluded と呼ばれる。
この Excluded と呼ばれる状態は、膵臓ガンのように間質反応により機能的血管密度が抑えられたりするケースもあるが、最も重要な要因として活性化された白血球や樹状細胞が腫瘍局所に浸潤して、リンパ球の浸潤をブロックするケースが最も重要と考えられ、これを標的にして腫瘍内に抗腫瘍免疫活性を回復させる試みが進んでいる。
今日紹介する上海復旦大学からの論文は、CRISPR/Cas により356種類の膜に発現する蛋白質を網羅的にノックアウトした造血幹細胞を作成し、これを放射線照射マウスに移植したあと、腫瘍を移植、その周囲に集まる血液細胞を single cell RNA sequencing により解析し、ノックアウトにより白血球の浸潤が抑えられる分子を探索している。
CRISPR/Cas による網羅的スクリーニングは当たり前の技術になったが、この研究では通常の試験管内スクリーニングではなく、正常骨髄細胞を標的にした後、骨髄再建を行い、さらに腫瘍を移植する in vivo のスクリーニングで、大変な労力をかけている。
その結果、腫瘍組織での発現が低下した細胞膜分子のトップが CD300ld で、期待通り好中球に強く発現し、ノロウイルスの受容体であることがわかっているが、機能がまだよくわかっていない膜分子だった。
この分子をノックアウトしたマウスを作成し、腫瘍移植実験を行うと、腫瘍の増殖が抑えられる。すなわち、この分子は好中球で発現し、腫瘍免疫を抑える働きがある。実際、ノックアウトマウスの腫瘍組織では、腫瘍増殖を助ける CD14陽性好中球の浸潤が選択的に抑えられ、さらにキラー細胞が増加し、逆に抑制性T細胞が低下し、ガンの環境を完全に増殖抑制型にリプログラムできる。
次に、ノックアウトマウスを用いて下流のシグナルを探ると、CD300ld は炎症増強性の環境を形成する S100A8/A9分子の発現を誘導し、腫瘍への好中球の浸潤を促し、腫瘍増殖を助けていることが明らかになった。
残念ながら、CD300ld を刺激する分子が何かは特定されていないが、子の分子を活性化する抗体を用いて刺激実験を行うと、STAT3 が下流で働いていることがわかる。そこで、CD300ld の細胞外部分を抗体Fc部分と合体させたキメラを形成し、CD300ld の機能を阻害すると、ノックアウトと同じ効果が得られ、腫瘍増殖を抑制する。
また、PD-1 に対するチェックポイント治療と組みあわせると、相乗効果が得られることから、ガンの周囲環境を整えることの重要性を示している。
人間の腫瘍組織でも発現が見られ、さらに高い発現を示す患者さんほど予後が悪いことから、人間でも同じように働いており、ガンの治療標的になり得ることを示している。
以上が結果で、本当なら PD-1 チェックポイント治療で Cold 状態を Hot にするとともに、CD300ld を阻害して excluded 状態を元に戻すという治療は十分説得力がある。
2023年9月10日
先日組織学の限界を打ち破る新しいテクノロジーの可能性について解説する YouTubeジャーナルクラブを行った(https://www.youtube.com/watch?v=KtjY4JEEjaA)た。わざわざこの分野をまとめたのは、これまで空間情報は得られるが、個々の細胞の状態については限られた解析しか出来なかったのが、組織構造を犠牲にして単一細胞浮遊液にする必要があった様々なテクノロジーを、組織構造を保ったまま利用できる様になったことのインパクトを感じたからだ。
今日紹介するミラノミケランジェロ財団とケンブリッジ大学が協同で発表した論文は、新しい組織学的方法論の真価を問う試金石となる研究で、新しい組織学を用いて乳ガンの免疫治療の効果を予測できるか調べている。タイトルは「Spatial predictors of immunotherapy response in triple-negative breast cancer(トリプルネガティブ乳ガンの免疫治療の効果を予測する空間的要因)」で、9月6日 Nature にオンライン掲載された。
これまで乳ガンはガンのネオ抗原が少ないこともあり、免疫チェックポイント治療 (ICB) の対象にはなってこなかった。しかし、DNA修復異常を持つケースも多く、現在どのような患者さんを対象として選ぶかの研究が進んでいる。
この研究ではなんと280人の患者さんを無作為に、化学療法+ICBと化学療法のみにわけ、手術前のネオアジュバント治療として治療を行い、ネオアジュバント治療前、治療中、そして終了後手術による摘出標本、をそれぞれサンプリングしている。
使われたテクノロジーは Imaging Mass cytometry (IMC) と呼ばれる方法で、金属ラベルした抗体を用いて43種類の蛋白質を染色した組織に、レーザービームを順番に当てて、そのスポットでの蛋白質の発現量を調べる方法だ。細胞浮遊液については既に CyTOF法として普及している。
ネオアジュバント治療で最初とで途中にバイオプシーも行うというセッティングは完璧だが、組織構造を保存して調べたメリットは残念ながらそれほど感じることは出来なかった。
結論をまとめておくと、
- 化学療法だけの場合、上皮のサイトケラチンと GATA3 発現のみが夜ごと関わっており、効果予測のバイオマーカーは多くない。
- これに対し、化学療法と IBC を組みあわせた場合は、ガンの MHC発現量や、T細胞の転写因子発現や増殖など、効果予測に利用できる要因を多くリストすることが出来る。
- 組織的には TCF1 を発現した T細胞が MHC発現の強いガンの周りで増殖している場合は効果が高い。また、最初の組織像と、ICB が始まってからの組織像では効果予測に関わる因子が変化し、例えばT細胞では、ガン周囲にパーフォリンやグランザイムといった、細胞傷害性分子を発現する細胞の存在が重要になる。
- ガン側では、CD15 のような糖鎖抗原を発現するガンは治療抵抗性の確率が高い。
以上、新しいテクノロジーでないとわからなかったとまでは言えない結論と言える。しかし、このようにパラメーターが増えると、情報処理の方が重要になる。従って、今後より詳しくデータを見直せば面白いことがわかる可能性は十分ある。構造という複雑な過程を情報化するための取り組みは始まったばかりだ。
2023年9月9日
アリクイの様に昆虫を主食にする動物だけでなく、昆虫食は蛋白質源としてサルの脳の進化にも関わるという話がある。中でも面白いのは2014年に紹介した、アルコールデハイドロゲナーゼ4が、オランウータンにはなく、ゴリラ以降我々まで存在しているという話だ(https://aasj.jp/news/watch/2661)。すなわち、類人猿が地上に降りる機会が増えると、熟した果物を食べる様になり、同時にその中に混在する昆虫が蛋白源となり、脳の進化にも寄与したという仮説だ。
この真偽はともかく、昆虫食、特に豊富に含まれるキチンを食べ続けるとどうなるのかについて調べた面白い論文がワシントン大学から9月8日号 Science に発表された。タイトルは「A type 2 immune circuit in the stomach controls mammalian adaptation to dietary chitin(胃に存在する2型免疫サーキットがキチン食への適応を調節している)」だ。
実は2014年、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のグループにより、キチン食が自然免疫を刺激して好酸球浸潤を伴う消化管の炎症を起こすことを示した論文が発表されている。当然昆虫食に対するよいイメージはない。
これに対し、詳しく調べればキチン食にも良い効果があるのではと詳しく調べたのがこの研究だ。まず昆虫を主食とする動物が食べるキチン量をマウスに投与すると、2014年の論文で示された様に IL-25、IL-33、そして TSLP の3種類のサイトカインを媒介として、自然免疫に関わる ILC2 細胞が活性化し、この細胞により分泌される IL-5 や IL-13 により好酸球浸潤を伴う炎症が起こる。
ただこれだけでなく、キチン食では胃が膨満し、内容物も2倍以上に増加する。さらに調べると、キチン食はまず胃のタフト細胞を刺激し、ここから分泌される様々な因子が、胃を膨満させ、これにより刺激されたメカノセンサー細胞から IL-25 などの ILC2 刺激因子が分泌され、自然炎症が誘導されることが明らかになった。風が吹くと桶屋が儲かる話ぐらいややこしいが、この過程にリンパ球や、腸内細菌叢は全く関わっていない。
では、キチン食を続ければどうなるのか。驚くことに、胃の上皮が発達し、腸の長さも10%異常上昇する。また、好酸球の浸潤を伴う炎症も続く。しかし、キチン食は胃の膨満を誘導するだけでなく、GLP-1 をはじめとするニューロペプチドの分泌も促す。
うまくいけばメタボが改善されるのではと、高脂肪食を摂取させて調べると、インシュリン感受性は昆虫食で改善する。ただ、脂肪が減って体重が低下するまでには至らない。
これは、キチンが速やかに分解されるためではないかと考え、キチン分解酵素の発現を調べると、胃では分泌腺に発現して、キチン刺激により誘導され、特に酸性条件でキチンを速やかに分解することがわかった。従って、キチン刺激は脂肪代謝まで改善するより前に、分解されていることがわかった。
この結果はまた、哺乳動物も昆虫食に適応するため、胃をプログラムし直して、キチンを摂取したときに、キチン分解酵素を分泌する様になったと考えられる。
以上が結果で、昆虫食への適応としてのキチン分解酵素の誘導システム形成の副作用として、IL-5 分泌を伴う2型アレルギーが誘導されるように見えるが、このグループはこれも、消化管への寄生虫感染に対応するための適応ではないかと考えている様だ。
いずれにせよ、昆虫食(エピカニの殻も同じ)は、普通の食事とは異なることがわかった。炎症が起こっても大丈夫かについては、昆虫食を続けている人たちの疫学調査を待つしかない。
2023年9月8日
最近の脳内留置電極を用いた ヒト脳の研究は目を見張る勢いで、例えば脳活動から行動を再現すると言ったデコーディングは実用化のレベルまで達しており、後は安全な長期留置が可能な電極が開発されるかにかかっている。しかし、神経回路となると、あらゆる場所に電極を置くことが出きないため、研究は簡単でない。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、甘くて脂肪の多い食べ物の味を覚えてしまうと、同じ食べ物についつい手が伸びて過食になる現象の神経回路を人間で解明しようとした研究で、8月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「An orexigenic subnetwork within the human hippocampus(食欲増進のサブネットワークが人間の海馬の中に存在する)」だ。
マウスを用いた研究で、視床下部外側 (LH) の MCHホルモンを分泌する神経から、海馬領域のドーパミン受容体発現神経に投射する神経回路が、美味しい食べ物を覚えて、その食べ物を好む行動に関わることが示されているが、人間では研究が進んでいない。
そこでこの研究では、この回路を人間で研究するとしたら何が可能かを追求している。まず、LHと海馬腹側外側領域(dlHPC)が実際に結合しているか、高解像度の7テスラMRI を用いた確率論的トラクトグラフィーを用いて確かめている。ただ、この方法ではどうしても正確さに欠けるので、両方に電極を留置した希な患者さんを利用して、それぞれの刺激実験を行い、両者が機能的な神経結合を持つことを示している。
ただ、これだけでも飽き足らず、実際の神経投射があるのかについては、死後脳を用いる実験を計画、許可を得て MCHホルモン染色を用いた免疫組織学を行い、解剖学的当社を確認している。
以上、両者の結合を示す証拠を示した上で、次に機能実験を行っている。課題はミルクセーキタスクと呼ばれており、画面で見たミルクセーキに対する神経反応を測定している。面白いことに、水には反応せずミルクセーキに反応して起こる海馬の活動は、θ波と呼ばれる 4−5Hz の成分で、統合された情報が伝えられているときに見られることを考えると、海馬で美味しい記憶が統合されていることが覗われる。
最後に過食の女性でこの回路を MRI で調べると、過食の女性ではこの回路の結合性が有意に低下していることを明らかにしている。個人的には、結合性が上昇するから過食になるのかと思っていたが、統合することは過食を抑制することにも関わるのかも知れない。
以上が結果で、一つの回路を人間で調べるためには何が必要かを教えてくれる面白い論文だ。ここまでの実験を可能にするためには、基礎臨床ががっちりとタッグを組む体制が必要で、是非我が国でもこのような研究を可能にする仕組みが必要だろう。でないと待っているのは、マウスの実験だけで満足する袋小路だけだ。
2023年9月7日
私たちのT細胞免疫システムが、自己と外来の抗原を区別できるのは、T細胞発生過程で自己抗原に触れたクローンが除去されるセントラルトレランスと呼ばれるメカニズムが存在するからだ。この概念は重要な免疫学ドグマの一つだが、身体全体に散らばる自己抗原に胸腺内でどうして出会えるのかについては長くわかっていなかった。
これに対して昨年紹介した Dian Mathis 研究室からの論文は、Aire という分子が胸腺上皮で発現すると、ランダムに様々な分化細胞を模倣する転写プログラムを誘導し、胸腺内に身体中の細胞ライブラリーができあがっていることを示し、長年の謎が解けた(https://aasj.jp/news/watch/19920)。
今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、身体中の模擬細胞を胸腺内に誘導する胸腺びっくり動物園実現には、Aire だけではなく、他にもそれぞれの細胞群の転写プログラムを誘導する転写因子が働いていること、そして模擬細胞プログラムをちゃっかり利用して、胸腺自身の細胞増殖をも調節していることを示し、胸腺びっくり動物園には第二章が存在していることを示した重要な研究で、9月6日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Thymic mimetic cells function beyond self-tolerance(胸腺模倣細胞は自己トレランス誘導を超えた機能を持つ)」だ。
胸腺内に実現した様々な分化細胞のライブラリーは、single cell RNA sequencing が可能にした最大の発見の一つだと思うが、この研究でもまず胸腺上皮細胞を、増殖分化中の細胞も含めて16種類に展開し、まずそれぞれの模倣細胞を精製するための表面マーカーを開発している。
次に、Aire ノックアウトマウスを用いて調べると、多くの模倣細胞サブセットは大きく減少するにもかかわらず、内分泌臓器を模倣しているサブセット(endTEC)、と腸管上皮のM細胞を模倣したサブセット(mTEC)の数はほとんど減らないことを発見した。
そこで、endTec と mTEC 分化を誘導するマスター転写因子を探索し、それぞれ内分泌分化や膵臓のβ細胞由来インシュリノーマ発生に関わる転写因子 INSM1 、及び M 細胞の分化に必須の SpiB 転写因子を特定している。
次に、INSM1 を TEC 細胞でノックアウトすると、内分泌臓器の自己免疫が起こりやすくなる。おそらく M 細胞に対するトレランスも SpiB ノックアウトで傷害されると思うが、M 細胞の頻度は元々低いので特に調べられていない。
代わりに、INSM1 や SpiB 発現により出来た模倣細胞が、トレランスだけでなくその転写プログラムを利用して、胸腺の発生を調整する役割を持つことを示している。
まず、INSM1 陽性 endTEC は、胸腺の退縮を防ぐ役割を持つ内分泌ホルモン、グレリンを産生し、胸腺の退縮を防ぐ働きがある。
一方で、SpiB 陽性 mTec はまさに M 細胞そのものといってよく、バクテリアを取り込み、OPG 分子を発現し RANK シグナルを抑制することで、TEC の増殖を抑制し胸腺を退縮させることを明らかにしている。さらには、B細胞の IgA へのクラススイッチを誘導する樹状細胞を近くに集め、なんと胸腺内B細胞の IgA 分泌誘導まで行っている。
結果は以上で、またまた興奮する結果で、胸腺によるセントラルトレランス機構進化過程で、それを胸腺自らの増殖調節にちゃっかり利用しているのを見ると、進化の壮大さを感じる。この機構の進化は今後の最も面白い分野になるだろう。また胸腺から内分泌腫瘍が発生したり、坂口さんの初期の胸腺摘出実験で内分泌臓器の自己免疫が起こりやすいことなど、多くの現象を説明する可能性がある。今月のジャーナルクラブでは、ヒト化動物とともに、胸腺びっくり動物園も再度取り上げ、将来の方向性を考えてみたい。
2023年9月6日
クジラは身体が大きいのにガンが少なく長生きすることが知られており、興味の対象となっている。これまでの研究で、代謝や自然炎症の抑制とともに、ガンや老化の原因となるゲノムの突然変異率が低いとされてきた。ただ、これまでの変異率測定は、個体間での違いを調べる系統的は手法で行われており、正確度にかけていた。
今日紹介するオランダ・フロニンゲン進化生命科学研究所からの論文は、ゲノム解析から確実に親子トリオと確認できた個体を用いて、ゲノムとミトコンドリア突然変異率を測定した研究で、9月1日号 Science に掲載された。タイトルは「Wild pedigrees inform mutation rates and historic abundance in baleen whales(野生の親子からヒゲクジラの突然変異率と、歴史的な個体数の推定が可能になる)」だ。
一番興味があるのは、どうして野生のクジラのサンプルを集めるかだ。この研究では泳いでいるクジラの群れの皮膚を、ボウガンのような弓を用い、小さなボルトをつけた矢じりでサンプリングする方法で集めている。勿論正式な許可を取ってのサンプリングだ。
後は30カバレージ以上のゲノム解析を行い、まず両親と子供のセットを選び出し、親のゲノムと子供のゲノムを比較して、突然変異率を測定している。ザトウクジラ、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、北極クジラの4種類での結果は、ほぼ人間と同じで1億分の1程度におさまり、クジラだから突然変異率が高いというのは否定された。
また、両親と子供を比べる方法で、男親、女親染色体での変異率を見ると、変異の80%は父親の精子形成過程から来ていることがわかるが、これも人間と同じだ。また、父親の年齢と変異数は相関する。
次に、ミトコンドリアのヘテロプラスミー(ヘテロプラスミーについては先日紹介した論文を参照してください:https://aasj.jp/news/watch/22785)を、これまでにサンプルを採取された850頭のクジラサンプルを用いて調べ、それぞれのミトコンドリアの変異率を最終的に100万分の4程度と計算している。これも人間の変異率と変わらない。
以上のことからクジラゲノムが変異率が低いという通説は否定され、クジラの長寿は、代謝や自然炎症、あるいはゼノリシスなど進化で獲得されたメカニズムに依存していると考えられる。
もう一つ重要なのは、例えばミトコンドリアの変異率について、これまでの変異率の推定はこの研究結果の10分の1で、その結果、この研究で予想される10倍の数のクジラが乱獲前に存在していたと主張されてきた。この数は、実際に生態学的に調べた数と大きくかけ離れており、乱獲の影響をどう算定するかの議論になっていたのだが、今回の研究で生態学的研究からの推定と、ゲノムからの推定がほぼ一致したことは、クジラ保護と捕鯨の影響を正確に知るためにも重要な結果だ。
2023年9月5日
微生物を分離しその抗菌活性を調べることで多くの抗生物質が開発されてきたことは一般にもよく知られている。このことは、細菌が培養できないと抗生物質は発見できないことを意味し、できるだけ多くの細菌を集めることの重要性が語られてきた。逆にいうと、培養が難しい微生物は研究の対象外になってしまう。
今日紹介するドイツ・ボン大学とオランダ・ユトレヒト大学からの論文は、普通は培養が難しい細菌を分離し、ここからこれまでとは全く異なるメカニズムで黄色ブドウ球菌をはじめ多くの細菌を殺すことのできる抗生物質を開発した研究で、8月22日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「An antibiotic from an uncultured bacterium binds to an immutable target(培養困難微生物から分離した抗生物質は変化が起こらない標的に結合する)」だ。
最初 uncultured を、培養していない細菌と間違ってしまい、細菌叢のゲノム研究から新しい抗生物質を発見する論文かと読みはじめて、普通の培養では他の細菌に押されて培養できない細菌を培養して抗生物質活性を探索する研究であることを理解した。
この研究の培養方法は96ウェルのクラスタープレートに、ほぼ一個づつ細菌が入る程度に培養し、なんと12週もかけてようやく細菌が増えてきたことがわかるほどゆっくりと増殖してくる細菌を黄色ブドウ球菌に作用させ、抗生物質活性のある細菌を分離し、それが Eleftheria 菌であることを遺伝子解析から明らかにしている。
あとは、この細菌の培養上凊を生化学的に分離精製し、最終的に Clovibactin と名付けたアミノ酸が組み合わさった新しい抗菌化合物に辿り着いている。このように、わざわざ培養困難微生物を選び出したことがこの論文のハイライトだが、実際に Clovibactin を分泌していた菌は Eleftheria 一種類だけなので、努力に報いようと運も味方についてくれたのかもしれない。
次に、Eleftheria 菌がこのような複雑な抗生物質を作っているのかを確認するため、ゲノム解析を行い、四種類の酵素からなる合成のためのオペロンを特定し、合成過程を明らかにしている。
肝心の効果だが、バンコマイシンと比べても、黄色ブドウ球菌を急速に溶菌させる活性がある。また、最終殺菌効果も高い。さらに、抗菌スペクトラムも広い。また、動物細胞には全く影響がなく、動物に静脈注射してもはっきりした副作用は見られない。またマウスでのブドウ球菌感染をバンコマイシンと同程度に抑えることができる。
最も重要なのは、これまでの抗生物質と比べて、耐性菌の出る確率が100倍以上低いことで、今後の感染治療に変革をもたらせる可能性がある。そのため、詳しく作用メカニズムを解析している。この過程はまさにこの分野のプロの仕事といった感じで、まず Clovibactin が細胞壁構成に関わる基本分子 Lipid II および C55PP 分子に結合していることを突き止めると、NMR や原子間力顕微鏡を駆使した構造解析から、ほとんどの細菌が依存しており、他の分子経路が存在しない Lipid II に結合し、これを重合させることで、細胞壁のペプチドグリカン合成が阻害される。このユニバーサルに存在する他の経路で代償できない過程を標的にしているため、耐性が起こりにくい原因であることがわかる。
結果は以上で、Clovibactin自体がそのまま夢の抗生物質として利用されるかどうかはわからないが、作用機序がわかったことで耐性のない抗生物質という夢を実現する方法が明らかになったことは大きい。このようなプロがいてくれるおかげで医学も進む。
2023年9月4日
最初に臨床応用が行われたCAR-T治療は、T細胞にCD19に対するキメラ抗体を導入することでCD19を発現するBリンパ性白血病を殺す治療だった。最初の論文を読んでCAR-T治療がいかに効果が強いか認識したのは、白血病細胞だけでなく、なんと正常B細胞まで除去されていた点で、キラー細胞の力を思い知った。
ただこのキラー細胞の強さが、CAR-T治療の普及を妨げている。すなわち正常細胞に全く影響の出ないガン特異的抗原をみつけるのが難しい。実際、大人では発現していないだろうと考えて行った治療で、正常細胞が障害されたケースが報告されている。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、このガン特異的抗原を特定することの難しさを逆手にとって、すべての血液細胞に発現しているCD45分子を標的にしたCAR-Tを用いる代わりに、造血系とCAR-T自身のCD45が発現するエピトープを編集して、CAR-Tに殺されないようにする逆転の発想を検証した研究で、8月31日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Epitope base editing CD45 in hematopoietic cells enables universal blood cancer immune therapy(CD45陽性血液幹細胞のエピトープ編集によりすべての血液ガンに対する免疫治療が可能になる)」だ。
同じ週の Nature にも、ハーバード大学から血液幹細胞や血液ガンで発現する FLT3、c-Kit、 IL3-R などをエピトープ編集するCAR-T 開発の論文が発表されており、この方向研究も競争が激しいことを示している。
さて、ペンシルバニア大学からの論文だが、CD45ノックアウトCAR-Tを用いてCD45がCAR-Tの増殖と維持に必須であることを確認している。すなわちCD45に対するCAR-Tを実現するには、まずCAR-Tが発現するCD45の機能を保ったまま、抗体には反応しないようにエピトープ編集を行う必要がある。結局CD45の機能部位とは全く異なる場所を認識する抗体をCAR-Tのキメラ抗体として用い、抗体に認識されるエピトープのアミノ酸を置換する作業をCRISPRを用いて行い、CD45を発現するガンは殺すが自分自身は認識されないCAR-Tを完成させている。編集の効率は高いが、いずれにせよ本来の編集できないCD45を発現しているCAR-Tは培養しているうちに殺し合って消滅する。こうしてできたCAR-Tは移植したマウスの中で長期に維持され、CD45を発現しておればすべての血液ガンを殺してくれる。
このCAR-TをCD45を発現する人間で応用するためには正常血液のCD45もCAR-Tに認識できないようにエピトープ編集する必要がある。そのため、ヒトCD34造血幹細胞を精製し、同じ方法でCRISPRを用いたエピトープ編集を行い、こうしてできたCD45造血幹細胞を免疫不全マウスに移植、増殖維持されることを確認した上で、最後のCD45を標的にしたガン治療が可能かの実験を行なっている。
エピトープ編集を行った血液幹細胞を移植、その後骨髄性白血病を移植、そして最後にやはりエピトープ編集を行ったCAR-Tを移植すると、見事に白血病は除去され、ほぼすべてのマウスが生存している。
結果は以上で、CAR-Tもどんどん複雑になっているが、しかし元々多くの白血病では骨髄移植が行われるし、またCAR-Tのほうも現在治験が進んでいる誰でも利用できるユニバーサル型を編集すれば、割と簡単に実現できるような気がする。期待したい。
2023年9月3日
繰り返し刺激を受けたシナプスの伝達性が持続的に高まる長期増強(long term potentiation:LTP)は、学習の細胞的基盤とも考えられる神経生物学の重要な概念の一つだ。この長期的シナプスの伝達性変化は、カルシウムの流入により活性化されるカルモジュリンキナーゼ (CAMKII) が関わっていることが指摘されていた。すなわち、神経興奮によるカルシウム流入は、CAMKII を活性化を誘導、活性化された CAMKII はシナプスでグルタミン酸受容体(GluR)と結合し、GluR やそれと結合している分子をリン酸化し、これによりシナプス伝達性が高まると説明されていた。事実、CAMKII の ATP 結合部位の変異によるリン酸化活性の消失は LTP 消失につながることも示され、この考えは通説になっていた。
今日紹介するコロラド大学からの論文は、CAMKII は LTP に必須だが、リン酸化活性ではなく、CAMKII の構造変化により GluR と持続的に結合することがシナプス伝達性を高めるという、通説の見直しを迫る研究で、8月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「LTP induction by structural rather than enzymatic functions of CaMKII(LTPは CaMKII の酵素活性より構造変化により誘導される)」だ。
通説では LTP には CaMKII のリン酸化活性と、それに続く GluR への結合が重要であると考えられていた。この研究では、シナプス刺激によるカルシウム流入なしに、光で抑制ドメインを解除することで、ATP 結合部位と、GluR への結合部位が同時に開く人工 CaMKII (m CaMKII) を用いることで、CaMKII の酵素活性と、GluR 結合活性をそれぞれ分離して LTP への作用を調べている。
この mCaMKII を発現したシナプスでは、光を当てると刺激なしに LTP を誘導できる。次に、この分子の GluR 結合部位に変異を、ATP 結合ドメインへの変異を別々に導入して LTP への影響を調べると、GluR 結合部位変異では CaMKII リン酸化活性は維持されるのに、LTP 誘導ができなくなる一方、ATP 結合が消失する変異では、リン酸化活性は消失しても、LTP 誘導は正常に行われることを発見する。すなわち、LTP に CaMKII のリン酸化活性が必要だとする通説が否定された。
この発見がこの研究のハイライトで、あとはこの発見をいくつかの方法で再検証している。中でも面白いのが、CaMKII のキナーゼ活性阻害剤 AS283 を用いた研究だ。LTP にリン酸か活性が必要ないことは、AS283 を用いた阻害実験からも確かめられるが、驚くのは ATP 結合部位に変異を導入した CaMKII に AS283 を作用させると、変異で失われていた LTP 誘導能が回復する点だ。すなわち、CaMKII のキナーゼ活性より、ATP 結合により CaMKII 構造が変化し、GluR に結合することが LTP を誘導することが明らかになった。
最後にこの結果を元に、変異型 CaMKII を誘導したマウス海馬を、AS283 を用いて CaMKII の構造変化を誘導することで、LTP を誘導する実験を示して、新しい LT P誘導実験システムが可能であることを示している。