2025年11月3日
今日は蚊についての研究を紹介する。
まず最初の中国浙江大学からの論文は、蚊を殺虫剤の代わりに病原性真菌を感染させて駆除する可能性を調べた研究で、10月24日 Nature Microbiology にオンライン掲載された。タイトルは「Engineered Metarhizium fungi produce longifolene to attract and kill mosquitoes(遺伝子操作したメタリジウム真菌はロンギフォレンを合成して蚊をおびき寄せ殺す)」だ。
先日、アリが病原性真菌から集団を守る自己犠牲的行動について紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/27646)、メタリジウム真菌の胞子が侵入すると多くの昆虫は殺され、真菌の肥やしになってしまう。この研究では主にショウジョウバエを用いて、メタリジウムに感染した死体がロンギフォレンを発散することで他の個体を引き寄せ、感染を拡大することをまず明らかにしている。このロンギフォレンに引き寄せられるのは、ショウジョウバエだけでなく多くの昆虫でも見られる行動で、その中にはヒトスジシマカなど蚊も含まれる。またロンギフォレンを感知する嗅覚受容体をショウジョウバエで特定し、同じ受容体が蚊にも発現していることを確認する。
次は感染した死体ではなく、メタリジウム自体でロンギフォレンを合成できるように遺伝子操作した Mp-Tps 株を樹立し、これによる感染でほとんどの蚊を殺せることを確認した後、野生の蚊を放した大きな部屋の中でメタリジウムとともに蚊の好む砂糖とともに設置すると、メスで73%、オスで81%が感染死することを確認している。
以上が結果で、殺虫剤の代わりに遺伝子操作メタリジウムを用いることで蚊の繁殖を抑えられる可能性が生まれた。もちろん感染した死体は他の昆虫を惹きつけて環境変化を誘導する可能性があるが、蚊は基本的に単独行動なので、アリ以外にはほとんど栄養がないと結論している。またアリについても紹介したように集団を守る仕組みがあることから、環境負荷にはならないと結論しているが、さてうまくいくやら。
もう一編はプリンストン大学からの論文で、チカ(地下)イエカと呼ばれる寒冷地の地下を住処として人の血を吸って繁殖しているアカイエカの系統の起原をゲノムから探った論文で、10月23日 Science に掲載された。タイトルは「Ancient origin of an urban underground mosquito(都会の地下に住む蚊は古代に分岐した)」だ。
今回研究の対象に選ばれたチカイエカはロンドン地下蚊とも呼ばれており、遺伝的に地上に住んで鳥の血を吸うアカイエカから分岐したことはわかっているが、人間の血を吸って寒冷地の地下で生息するように進化したのは都市化に適応した結果だと考えられていた。また、暖かい南ではチカイエカが地上で暮らし、遺伝子も地上のアカイエカに似ていることから、南では両者の交雑が起こった結果、ゲノムが似てきていると結論されてきた。
この研究では残された標本のDNAも含め、多くのチカイエカ、アカイエカのゲノムを解読し、従来の仮説を検証している。その結論だけをまとめると、アカイエカとチカイエカは少なくとも1000年以上前、おそらく農耕が始まって北への移動が始まった時期に、中東で分岐し、それが北上して寒冷地に適応する中で人間の血を吸い、地下で暮らすようになったことがわかった。
両者の交雑の頻度は低いが、暖かい地域の都市化とともに、一定の割合で起こっていることも示している。いずれにせよ、文明により昆虫が変化することは事実で、人間の歴史を表現する昆虫進化は今後も発見されるように思う。
2025年11月2日
人間では自由な操作実験が難しいため、代わりにモデル動物を用いて研究が行われている。とは言え、画像診断や一部の機能テスト、そして採血による血液検査、あるいは死後組織などを用いて人間を徹底的に調べ尽くす研究が各時代のレベルに合わせて進められてきた。
今日紹介するアレン免疫研究所からの論文は、青年期(25-35歳)と中年から初老(55-65歳)にかけて血液検査で調べられる最も詳しい検査を行い、高齢への入り口で起こる免疫系の変化を調べた研究で、10月29日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Multi-omic profiling reveals age-related immune dynamics in healthy adults(マルチオミックスにより健康人の免疫動態が明らかになる)」だ。
アレン研究所というとマイクロソフト創業者の一人 Paul Allen の寄付で始まった脳の研究所で、死後脳の組織コレクションや徹底的なオミックスを通して研究領域にリソースを提供するので有名だ。脳の遺伝子発現を詳細に調べた Allen Human Brain Atlas は中でも有名で、自閉症や精神疾患のゲノム研究には欠かせないデータになっている。
このように私の頭の中ではアレン研究所=脳研究所だったが、実際には細胞生物学や免疫学まで分野を拡大してきたようだ。ただ、アレン研究所の伝統を組んで、免疫研究所から発表されたこの論文も、人間に対象を絞り、青年と中年の血液のプロテオミックスとともに血液内の細胞成分の single cell RNA sequencing を徹底的(即ちお金をかけて多くの細胞を調べる)で行い、膨大なデータを提供した研究と言える。
ただそれだけでは論文にならないので、この時期に最も遺伝子発現の変化が見られる免疫系に焦点を絞って解析したのがこの研究になる。リンパ球を何十ものサブセットに分け、一つ一つのサブセットでの遺伝子変化を調べる大変な仕事だが、これによりまずはっきりしたのが年齢による変化が起こるのはT細胞が最も顕著で、特にCD4T細胞での遺伝子変化が中年への変化をガイドしていることになる。
これまで、高齢者についての免疫を徹底的に調べることは行われてきたが、この研究のように中年期に絞って多くのデータを集めた試みは少ない。ただこれまでの高齢者のデータと突き合わせると、中年期に起こった変化が老年期にも持ち越されるようで、老年期へのシフトを知る意味でこの研究の意味は大きい。
研究自体は膨大なデータの集まりで、研究者の目で一つ一つ見ることが重要になるが、論文紹介としては重要ないくつかの点を列挙するのに留めたいと思う。要するにこのような大規模データを生成し提供したことが最も重要な業績になる。
- 特異的な免疫について、サイトメガロウイルス慢性感染、及びインフルエンザワクチンへの反応で調べている。サイトメガロウイルス慢性感染は人間の免疫機能に最も大きな影響を及ぼすとされてきたが、青年期と中年期でほとんど変化は見られない。一方、インフルエンザワクチンに対する反応では、抗体反応が全体に低下し、ノンレスポンダーの数が増える。また、IL-4依存的なIgG2へのクラススイッチが上昇している。
- このような変化の一部はメモリーB細胞の年齢による変化を反映する可能性もあるが、ほとんどはT細胞サブセットや遺伝子発現の変化の結果と考えることができる。
- ザクッと言ってしまうと、T細胞の中でもTh2と呼ばれるメモリーT細胞の方向にT細胞が引っ張られることで、この結果IL-4やインターフェロンγを多く分泌するT細胞が増えた結果、自己免疫反応やIgG2へバイアスのかかった抗体反応につながる。
- 転写因子の発現から見て、Th2へのバイアスは抗原刺激によるシグナルが全体的に低下したことによる。
以上が詳細を省いた大きなまとめになるが、結局は脳と同じで抗原への反応性が落ちていくのが引き金で、それが中年期から始まるというのが面白い。ただ、これは末梢血だけで、今後解剖や手術サンプルを含めたリンパ組織などのデータが集まると、実験が難しい人間でも多くのことがわかると思う。
2025年11月1日
ずいぶん昔になるがこのブログでなぜゾウは身体が大きい(=増殖が必要)のに長生きでガンにならない理由について、LIF6と呼ばれるゾウ独特の分子によりDNA損傷でp53の発現が上昇するとともに死にかけの細胞の細胞死が促進され新陳代謝が上昇する結果だ、とするシカゴ大学からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/8808)。
今日紹介する米国ロチェスター大学からの論文は、鯨の長生きの秘密を、調査捕鯨から得られた鯨の皮膚線維芽細胞の培養を用いて探索し、CIRBPと呼ばれるDNA修復を助ける分子による修復の効率化がその原因であることを明らかにした論文で、9月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Evidence for improved DNA repair in long-lived bowhead whale(ホッキョククジラではDNA修復の効率が改善されている)」だ。
アラスカでの沿岸調査捕鯨で得られたホッキョククジラが陸揚げされたとき皮膚を現場で処理し、そのまま培地に漬けてロチェスター大学に運び線維芽細胞株を樹立している。すなわち、この研究のほとんどは、樹立された線維芽細胞で老化やガン化に関わる性質、異常増殖、細胞死、DNA修復等を調べ、ホッキョククジラがガンにならずに200年以上も生きる秘密を探っている。
まず細胞の継代を繰り返し細胞老化が起こるか調べると、マウスやヒトの線維芽細胞と同じように老化する。また、ゾウで見られるような細胞死の促進、即ち senolysis も見られないし、ゾウのようにLIF6によりp53が上昇する事もない。
ではガン遺伝子による異常増殖が起こりにくいのか、いくつかのガン遺伝子や癌抑制遺伝子を導入して調べると、マウスやヒトの線維芽細胞と同じようにガン化する。とすると、基本的にはガン化のシグナルが発生しにくい、即ち遺伝子変異が起きにくいと考えられる。
ガン遺伝子でガン化させ増殖を続けた細胞のゲノム変位数を調べると、ヒトやマウスと比べると遺伝子変位の頻度が大きく低下していることが明らかになり、ホッキョククジラではおそらく遺伝子修復効率が高まっていると考えられた。
そこで、様々な修復アッセイを行い、最終的に二重鎖切断の際の修復効率がヒトやマウスと比べ数倍高まっていること、これはエンドジョイニングと呼ばれる修復も、相同組み換えによる修復も同様に高まっていることを明らかにした。しかも、エンドジョイニングによる修復の正確さは群を抜いており、特定の箇所に切断を入れるCRISPR-Casを用いて切断部位の修復精度を調べると、精度はヒトの2倍以上で、しかも挿入や欠失の頻度はさらに少ない。
なぜこのような精度の高い修復が可能なのかについて修復に関わる分子の発現量を比べると、ヒトやマウスで発現がほとんど見られない CIRBP がクジラだけで強く発現していることがわかった。この発現をノックダウンで抑えると、エンドジョイニングの頻度や精度が低下することから、クジラの正確なDNA修復の秘密はもっぱら CIRBP の発現が高いためであることがわかった。
さらに、放射線照射した後の染色体異常の阻止効率を調べると、ヒトの CIRBP でも一定の効果があるが、クジラの CIRBP の方が阻止効率が高く、分子機能自体としても進化していることがわかった。
ここまで来ると、是非トランスジェニックマウスの結果を知りたいところだが、発ガンを抑えることは報告されているが、長生きという報告はない。この研究では代わりにショウジョウバエに遺伝子導入し寿命を調べ、少しだが寿命が延びること、特に放射線照射後の生存期間が延びることを明らかにしている。
以上が結果で、CIRBP により修復に関わる分子が効率よく集められることで、修復活性が高まり、これが発ガンを抑え、寿命を延ばすという結論になる。ただ、あくまでも線維芽細胞での話で、トランスジェニックマウスで特に寿命が延びたという報告がないことや、ショウジョウバエでも寿命に対しては効果絶大というわけではないので、これが老化防止に使えるかは今後の課題だと思う。