2025年10月24日
出産と授乳を繰り返した人は乳ガンの発生率が低いことはよく知られている。一方で乳ガンのゲノム研究は、乳腺が生理サイクルや出産授乳というホルモン環境の大きな変化を経過する度に、特にホルモン反応性の遺伝子に変異を蓄積することを示してきた。
今日紹介するメルボルン大学からの論文は、乳腺組織の出産と授乳による変化が長期にわたって乳腺に常在し、乳ガンを抑える組織常在型のキラーT細胞を誘導することを示し、乳腺にまつわる謎を一つ解決した研究で、10月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Parity and lactation induce T cell mediated breast cancer protection(出産と授乳はT細胞による乳ガン予防を誘導する)」だ。
ホルモン環境の変化による乳腺の大きなリモデリングが、新しい抗原の誘導やホルモンを介して局所T細胞を刺激する可能性は十分考えられる。著者らはこの可能性を、実際の乳腺組織に存在するリンパ球を調べることでまず確かめようとしている。そこで目を付けたのが、BRACA変異などの乳ガンリスクを持つ人が予防的に受ける乳腺切除で、この組織に存在する免疫細胞を、出産経験のある人とない人で比べている。すると、組織常在型のCD8キラー細胞の数が2倍以上に上昇していることがわかった。しかも、この状態が出産経験後何年も維持されていることも明らかにしている。
即ち、出産と授乳という大きなリモデリングにより、キラーT細胞が局所で誘導され、またそのときのホルモン環境がT細胞にも働いて、組織常在型のT細胞へと変化するという話だ。ただ、これが一般化できるかどうかわからないのは、乳ガンの遺伝リスクがはっきりとした女性の組織を調べている点で、DNA修復異常の結果、新しい抗原が発生する確率が高い状態に限定した結果だということは留意する必要があるだろう。
そこで動物実験に移り、一回目の出産に限り授乳を終えて乳腺が縮小まで進んだ個体、出産はしたが授乳を途中で中断した個体、そして出産を経験しない個体で乳腺組織の免疫細胞を調べると、授乳を終えて乳腺が元に戻る過程を経験した個体だけ組織中の常在型CD8T細胞数が上昇していることが確認された。さらに、免疫刺激に関わる樹状細胞も上昇が見られている。
この状態で乳ガンを移植する実験を行うと、出産授乳を終えた個体では腫瘍の増殖が明確に抑えられる。また、ガンが発現している抗原に対するT細胞の誘導が認められる。免疫不全マウスや移植実験から、ガンに対する免疫はもっぱらCD8T細胞を介しており、常在型T細胞だけでなく、ガン組織への新しいT細胞の供給を必要とする免疫反応であることがわかる。
最後に乳ガンのコホート研究から得られる組織を調べて、出産授乳を経験している乳ガン患者さんで、組織に浸潤しているT細胞が明確に増えていること、さらにホルモンの影響を受けない乳ガンでは出産授乳を経験した女性の方が予後良いことも明らかにしている。
以上、基本的にはホルモンの影響を受けないトリプルネガティブ乳ガンについての話になるが、乳ガン抑制での免疫反応の役割は大きく、マウスでも人間でもこの免疫反応は、生理サイクルではなく、出産と授乳という長期に続くホルモン環境の変化によっておこる乳腺細胞の変化により誘導されるという結論だ。
このように、生理、出産、授乳により何度もリプログラミングを繰り返す乳腺は常に発ガンへのドライブがかかっているが、これを早く察知して異常細胞を抑制するいわゆる免疫サーべーランスが存在することの証明だと思う。
2025年10月23日
長年開発が難しかったRASに対する標的薬も、G12C変異特異的な sotolasib をきっかけに、他の変異もカバーできる panRAS標的薬が治験段階に入るなど、実用が期待される段階に入った。今日は、まだ実験段階の新しいRAS標的薬についての論文をいくつかまとめて紹介する。
まず最初のテキサスMDアンダーソン研究所からの論文は、pan-RAS阻害薬の効き方について調べるとともに、今後の治療戦略の方向性を考えた論文で、9月3日 Science Translational Medicine に掲載された。
研究では様々な膵臓ガンモデルを用いて、pan-RAS阻害剤の一つ BI-2493 の効果を調べている。KRAS のG12D変異に対する効果が最も強いが、他の全てのタイプの変異に対して効果を示すとともに、正常RASに対する効果もある。この部分が、変異タイプ特異的な薬剤と違っており、検討が必要になる。
効果だが、細胞周期の進行を抑えるとともに、間質型から上皮型への転換を誘導し、さらに代謝的にグリコリシス優位から、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化優位へと転換する。
様々なマウスモデルを用いて調べると、pan-RAS阻害薬はガンの周りの間質形成を抑えるとともに、キラーT細胞の浸潤を高める。その結果、PD-1抗体によるチェックポイント治療の効果を高める。実際、pan-RAS阻害剤も当然耐性が生まれてくるが、免疫を維持できればこれを乗り越えられる可能性が出てくる。また、耐性を持つガン細胞はYAP経路の活性が上がるので、現在治験中のYAP阻害剤との併用が期待できる。
以上、すぐ始まる臨床応用を念頭に、モデル系で徹底的に調べることがいかに重要かがわかる。
次はフレデリックガン研究所からの論文で、薬剤開発までは至っていないが、新しい薬剤開発の方向性を示す重要な論文で、9月11日 Science に掲載された。
以前、VHLユビキチンリガーゼをRASにリクルートして分解させるプロタック薬剤について紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/25247 )、この研究もこの方向性を狙っている。ただ、RAS本来のタンパク量を調節しているユビキチンリガーゼをRASにリクルートするアダプター分子LZTR1とRASの結合を構造的、更には突然変異導入をとおして解析して、両者が結合する領域をピンポイントで特定し、今後この部位をより強く LZTR1 と結合しやすくするプロタックを開発するための基盤を提供している。
構造研究なので詳しくは述べないが、LZTR1 やそれと結合する RIT1 の変異は、シュワン細胞種が頻発し、ガンになりやすいことから、本来のRASのタンパク量調節因子と知られていたので、より自然の系をプロタックに用いる新しい治療開発へとつながる可能性がある。
最後に紹介する英国クリック研究所からの論文はRASシグナルの重要な柱PI3KとRASの結合を標的にした、共有結合型阻害薬の開発で、これまでのRAS標的薬と併用することでより長期の効果を期待できることを示した研究で、10月9日 Science にオンライン掲載された。
標的のシステイン残基を用いて共有結合できるリガンドは、安定に標的と結合するので高い効果が期待できる。G12Cを標的にした sotolasib もその一つだ。この研究ではPI3KのRAS結合サイトに存在するシステインを狙った薬剤を探索し、最終的にVVD-442という化合物を突き止めている。
試験管内、マウスモデルを用いた研究から、これはRASとPi3Kの結合を特異的に阻害し、RAS依存的なガン細胞の増殖を抑える。特にG12Dに効果が高いが、逆に sotolasib の標的になるG12Cの効果は低い。また、RASとは無関係にEGFRによるPI3Kの阻害効果を持つが、インシュリンリセプターによるPI3Kの活性化は抑制されないため、糖代謝への影響はほとんどない。
マウスへのガン移植モデルで高い効果を示すが、panRAS阻害剤と比べると効果が低い傾向がある。もちろん panRAS阻害剤でも耐性が発生するが、両者を組み合わせると100日間全く耐性なしに腫瘍を抑えられることを示している。
この論文以外にも今年の7月同じシステイン残基を標的にした薬剤開発が報告されており、この戦略もRAS依存性ガンの重要である事がわかる。
以上RASの制御研究が加速しており、特に治療の難しい膵臓ガン治療を大きく変えてくれることを期待する。
2025年10月22日
昨年のノーベル物理学賞は、ニューラルネットを用いた機械学習に対して、ホップフィールドとヒントンの二人に与えられた。これに対し理研の脳研におられた甘利さんは、物理学賞が「物の理」を研究する領域から、「事の理」へと広がったとコメントしていた。この「ものとこと」は、京大医学部教授会で一緒だった木村敏さんの哲学の基本で、「もの」には客観性が存在するのに対し「こと」とは「こと」ば (言葉)でのみ語られる主観と客観の間にある何かと述べられていた。どちらも日本語に即した捉え方だが、西欧的に翻訳し直すと Physics と Metaphysics と言ってもいいのではないかと個人的には思っている。Metaphysics とは哲学の用語に見えるが、これを「物理」を超えると読み換えてみると、理解してもらえるのではないだろうか。そして、自然史研究の18世紀以来、生物学は Metaphysics を科学として取り扱い、ダーウィンの進化アルゴリズム、メンデルの生命情報へと発展した。こう考えると、ニューラルネットを導入したノーベル物理学賞は、まさに物理学がアルゴリズムと情報を世界の説明に用いる metaphysics = 生命科学 の領域へと拡大されたと私には思える。既に Organism を扱うノーベル化学賞は生命科学へと拡大していることを考えると、ノーベル賞の分類そのものが意味をなさない時代が来たように思える。
このように、私は生成AIは元々生命科学の領域に近いと思っているが、今日紹介する中国精華大学からの論文は、Transformer を用いて物理現象から公式を導き出すモデルが作成できることを示した研究で、10月15日 Nature Machine Intelligence に掲載された。タイトルは「A neural symbolic model for space physics(宇宙物理のためのニューラル記号モデル)」だ。
これまで何度も断ってきたが、私は物理と数学が今も苦手で、この論文で行われている数理処理については全く理解できていない。ただ、transformer/attention のようなモデルが物理の公式を導き出すのに使えるということを知って、physics と metaphysics の関係をこれからは分離するのではなく、統合的に見ていくべきだと考え、字面を追ってこの論文がしようとしていることだけを紹介することにした。
イントロで述べられているが、惑星運動のケプラーの法則や、ファラデーの電磁誘導法則は、観測結果を集めて、これをさらに一般化するため導き出された公式と言える。このような公式化を観測データから自動的に行う方法の開発がこれまでも進められており、Genetic Algorithm 法や Monte Carlo Tree Search (MCTC) 等が開発されていたようだ。即ち、物理現象を公式化するアルゴリズムの開発が進んでいた。
このようなアルゴリズムが適用できるのなら、当然 Transformer/attention ベースの言語モデルをこれに使えないかと考え、開発したのが PhyE2E で、Physics と end to end という言葉を使って、近似法ではなく、現象全体を一般化できる公式を導き出すという意図が現れている。
方法だが、現在存在する現象と公式セットだけでは不十分な学習しかできないので、最初 LLM を物理公式でファインチューニングしたあと、27万種類の物理公式を生成させ、これを使って PhyE2E を学習させている。
次にデータだが、まずオラクルニューラルネットを用いて観測データでの変数の相互作用を計算、それを部分式に分解するという前処理を行い、これを学習させた PhyE2E にインプットすると、公式の候補が出てくる。これについてのほとんど評価することはできないのだが、普通の LLM と比べるとかなり複雑だ。しかも出てきた候補を初期値として、さらに既存の genetic algorithm や MCTC を用いて最適の公式が導き出せるようにしている。間違っているかもしれないが、既存のアルゴリズムも含めてあらゆる方法を統合するのがこのモデルと言えるのではないだろうか。
さて結果だが、太陽の黒点数、地球近傍プラズマ圧、太陽の自転角度、局紫外線放射強度、月潮汐による磁気圏電場を説明する公式を導き出している。評価については、より単純な数式で物理単位の整合性があるかどうかを既存のアルゴリズムで導いた公式と比べ、精度が向上していることを示している。
以上が結果で、どのぐらい有用かについては今後物理学での利用を通して評価されていくのだと思うが、個人的には物理学は全く言語モデルから無関係かと思っていたが、人間の全ての活動に LLM が適用できることを知って気持ちを新たにした。
もちろんこの方法で、アインシュタインの一般相対性理論のような抽象的理論構造に基づく方程式が出てくるとは思わないが、physics と metaphysics が異なる方向性から統合するのではないかと期待を持った。
2025年10月21日
血中に流れてくるガン細胞は circulating tumor cell (CTC) と呼ばれ、このブログでも2014年以来何度か紹介してきた。ただ最初の期待とは異なり、10年以上経過しても臨床への展開が進んでいるとは言いがたいように感じる。おそらく早い段階から CTC を見つけるのは難しいことが最大の理由だと思う。
ただ、進行したガンでは CTC がほとんどのケースで検出でき、血中のガン細胞の血栓や大血管への浸潤がその一因である事を示す臨床研究が、テキサスサウスウェスタン大学を中心とする国際チームから10月16日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Macrovascular tumor infiltration and circulating tumor cell cluster dynamics in patients with cancer approaching the end of life(大血管への腫瘍細胞浸潤と血中の腫瘍細胞塊の終末期ガン患者さんでの動態)」だ。
この研究が面白いのは、末期のガン患者さんが亡くなる原因は何なんだろうと疑問を持った点だ。そこで、固形ガンで亡くなった108例について、専門家に死因を診断して貰ったところ、意見の一致を見たのが16%だけで、51%のケースでは多くの専門家が最終診断を否定するという結果に終わっている。
なぜこんな話から始まるかというと、著者らは終末期のガン患者さんの死因の多くは腫瘍による血栓や大血管への浸潤による循環障害でないかと考えたからだ。そこで解剖例で組織検査を再検討すると、静脈や動脈での腫瘍塞栓の頻度は極めて高く、10%の患者さんでは大血管に塞栓が見られていた。次にCTスキャンが行われた101例で見ると、60例で大血管への浸潤を認めることができた。
そこで承諾が得られた終末期の患者さん21例について、亡くなるまで血液凝固検査を行うとともに血中の CTC を調べると、67%の患者さんで凝固指数が上昇するとともに亡くなる1日前から血中の CTC 数が急増し、またCTスキャンで大血管への浸潤を検出することができた。即ち、腫瘍細胞塊の急速な循環への流入が終末期の死亡原因の一つとなり得ることを示している。
次いで、CTスキャンで血管への浸潤が認められた患者さんと、そうでない患者さんでの予後を調べると、ガンの種類を問わず血管内浸潤が見られる場合、極端に予後が悪くなることを示している。
元々 CTC の見つかる患者さんでは予後が悪いことは知られており、ガンの血管への浸潤が全身状態を悪くする大きな原因になることを示した、臨床家として高いセンスを示す研究だと思う。ただ、浸潤防止策が明確でない限り、予後を分類するだけではむなしい。是非この原因を探る研究が進むことを期待する。
2025年10月20日
電子顕微鏡 (EM) というと、組織が処理された瞬間のスナップショットに限定され、どうしても時間経過を調べるのは苦手な印象があった。しかし、クライオ電顕が進むのと並行して、サンプルを超低温の液体エタンなどに突っ込むタイミングを変えて、時間的な解析をEMで観察する方法が開発されてきた。
今日紹介する中国科学技術大学からの論文は、神経刺激を受けたシナプスでのシナプス小胞の動態をmsスケールで追跡した研究で、10月16日号の Science に掲載された。タイトルは「“Kiss-shrink-run” unifies mechanisms for synaptic vesicle exocytosis and hyperfast recycling(”キス、縮小、移動“はシナプス小胞の開口放出の極めて早いリサイクリングを統合するメカニズム)」だ。
この論文を読むまでシナプスでの伝達は、シナプス小胞がシナプス膜と融合し、内部の神経伝達因子を吐き出した後、小胞はシナプス膜に同化してしまうと思っていた。即ち、一旦使うと小胞はもう再利用されないと思っていた。
これも間違いではないのだが、もう一つの考え方がタイトルにある ”Kiss-shrink-run” という過程で、シナプス膜と小さな融合を形成した後、ぐっと縮んで伝達因子を吐き出し、あとはシナプス膜から内部に遊離してシナプスを離れ、おそらく再利用されるという考え方だ。この考え方だと、シナプス膜が小胞膜に置き換わってしまってシナプス小胞の結合スペースが無くなるという問題は解決できる。ただ、大体0.1秒程度で起こる現象を経時的に見るのは難しいため、研究が進んでいなかった。
この研究では海馬の興奮神経を取り出して、自然の興奮を全て抑えたあと、光遺伝学的に刺激を加えたときにシナプスで起こる現象を経時的に追跡できる実験システムを構築している。即ちグリッドで培養した神経シナプスに光刺激の後、4,8,30,70msのあとサンプルを液体エタンに漬けるシステムを構築し、100ms程度で起こるシナプス活動を時間を追って観察した。
時間経過を追う前に、シナプスでの小胞を詳細に分類し、膜と接した大きな小胞や融合した小さな小胞など、経過をうかがわせる形態が、シナプス膜の近くのアクティブゾーンに濃縮することを観察し、この分類に基づいて時間経過で起こる現象を解析している。
結果は kiss-shirink-run と一致しており、4msでは、圧倒的に大きな小胞が膜と接して融合を始める像が見られるが、その後穴が空いた大きな小胞、その後穴が空いた小さな小胞、そして70msになると孔が閉じた小さな小胞と、アクティブゾーンに存在する小胞の形態が変化する。即ち、kiss-shrinkの像が見られる。
そのあと、時間がたつとアクティブゾーン外に小さな小胞が見られるようになるので、おそらく小胞はシナプス膜から離れる方向に動くと考えられる。同時に100msを超えるとシナプスでのエンドサイトーシスが起こることから、これによりシナプス膜に残るシナプス小胞の膜を除去しているのではと推論している。これにより、機能的なシナプス膜が保たれる。
以上が結果で、ここまでの時間経過を高解像度で見ることができるのかと驚くとともに、シナプス活動についての考えを改めることができた。見る技術の進歩は休むことがない。
2025年10月19日
動物は自らを様々な感染から守る本能的行動を示すことが知られている。例えば感染した個体を察知して避ける行動などがある。また、感染した個体を巣から取り除くこともある。ただ、今日紹介する英国ブリストル大学からの論文は、アリは集団感染を守るために感染個体の行動が変容するだけでなく、それを察知した健康個体が巣の構造を変化させて感染を防御するダイナミックな行動変化を示すという驚くべき研究で、10月16日 Science に掲載された。タイトルは「Architectural immunity: Ants alter their nest networks to prevent epidemics(建築による免疫:アリは伝染病の広がりを防ぐ為に巣のネットワークを変化させる)」だ。
この研究は、最初から集団の一部が感染したとき、人間のような衛生学的対応が見られるかという問いに向けられている。ガラス容器の中に土を入れて、180匹のアリに巣を作らせる。この時、昆虫の病原性真菌に暴露した20匹の個体を同じ容器の中に入れたとき、感染個体や集団はどのような反応を示すかを詳しく観察している。また、巣の構造についてはCTを用いて解析している。既に述べたように、この実験では感染個体については自分も含めて検知できるということを前提としている。
さて結果だが、まず感染個体は巣の中で過ごすことを避け、なるべく巣の外で過ごそうとしていることがわかる。即ち、自分で感染を察知して自ら自己隔離を行うか、あるいは健康な個体から何らかのシグナルが出て、外で過ごすようになるかだ。これにより、感染を防ぐディスタンシングが可能になる。
ここまでなら驚かないが、その上で感染を感知した健康個体の巣作りが変化する。まず、巣と外界をつなぐ入り口同士の距離が広がり、アリのコンタクトが減る。感染アリは地中で行動しなくなるので巣作りの効率は低下すると予想できるが、全く逆で、健康アリの活動が高まり、より大きな巣ができる。巣全体が大きくなることは感染を防ぐためには寄与すると考えられる。すなわち、健康アリが感染の存在を察知して活動性を上昇させる。
ただ、これにとどまらず巣の構造自体も変化する。まず入り口の距離が離して作られる。そして巣全体が長いトンネルでつながるようになり、部屋と部屋の間が広がる構造をとる。さらに、トンネルや部屋の広さが広くなる。
これらの変化によって本当に感染が防げるかについては実験は行われていない。代わりに、いくつかの条件を決めてシミュレーションを行って感染確率を低下させると結論している。
以上が結果で、できすぎた話に見える。まず感染が察知されることについてはこれまでの研究もあるので、察知して感染個体も非感染個体も行動を変化させることは納得できる。しかし、自然条件では既に巣ができあがっているところに感染が発生すると思うので、感染を察知できても、すぐに全体の構造を新たに変化させることは難しいように感じる。従って巣ができあがった条件では、特に守るべき幼虫を、感染個体から隔離するのが重要に思えるが、ここまでわかるような実験系で是非調べて貰いたいと思う。
2025年10月18日
細胞膜が偽足を伸ばして他の細胞とつながるトンネルを形成し、例えばミトコンドリアや小胞を輸送するのに使われていることはよく知られている。神経細胞はそんなことをしなくともアクソンや樹状突起を伸ばして他の細胞とコミュニケーションできるのだが、それでも細胞体からは義足が伸びることが知られている。
今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は、これに加えて神経の樹状突起から偽足が伸びて他の樹状突起とコミュニケーションできるトンネルが形成されるという話で、10月2日号の Science に掲載された。タイトルは「Intercellular communication in the brain through a dendritic nanotubular network(樹状突起のナノチューブネットワークを介する脳内での細胞間コミュニケーション)」だ。
2週間ほど前、ヨーロッパにいるときに目を通していたが、そのときはこの手の話は結構ガセネタも多いので今回はスキップと思っていた。日本に帰ってから整理していたとき、ふっと著者を見直すと、なんと東大の岡部さんが共著者になっていた。とある会社のアドバーザリーボードでご一緒しており、実験に対する厳密な態度と、私のように簡単に信じてしまわない厳しさにいつも感服していたので、岡部さんが共著者ならやっぱり紹介することにした。
この研究は最初から樹状突起が偽足を伸ばしてコミュニケーションするのではと仮説を立て、その検討から入っている。まず既に発表されている電子顕微鏡データを調べ直し、樹状突起から偽足が飛びだし、それが他の樹状突起に接していることを確認する。面白いのはトンネルと言っても融合していない点で、シナプスとは異なる細胞膜同士の接点ができている。これをDNTと名付けている。
チュブリンや中間フィラメントが存在する通常の神経突起と異なり、DNTはほとんどアクチンの再構成で形成され、ATP依存性で、サイトカラシンでアクチン重合を止めると形成できない。重要なことは、細胞膜同士の融合はないが、カルシウムを隣の細胞へ輸送することができる。この時ギャップ結合分子阻害剤で輸送を止めることができるが、明確なギャップ結合は認められない。
ここまでは培養細胞での実験なので、実際の脳でDNTが形成されているか、GFPラベルと超高感度顕微鏡、そして画像解析技術を用いて、脳の中でも一本の樹状突起から多くのDNTが形成されていることを明らかにしている。
次にDNTの機能を調べるため、アミロイドの神経間伝搬とDNTについて調べている。これまでアミロイドβやTauは細胞から細胞へプリオンのように移行する事が知られているが、DNTがこの伝搬に関わると仮説を立て、細胞内にAβを注入してビデオで経時的に調べDNTをゆっくりAβが移動するのを捉えている。
あとはアルツハイマーモデルで、DNT形成に異常がないか調べている。面白いことに、培養系でAβに神経を暴露すると、低い濃度だとDNTの形成が上昇し、高い濃度になると今度は低下する。次に、モデルマウスを用いて調べると、初期にはDNTが上昇し、その後低下することを観察する。さらに、初期ではDNTの数にばらつきが多いことに気づいている。
以上の結果から、Aβの蓄積が始まるとDNTが形成され、Aβが局所にたまらないようにする防御効果が存在するが、細胞ごとにDNT形成がばらつくため、徐々にAβ分布に偏りができ、最終的に高濃度に達した細胞では神経が死ぬというシナリオを書いている。
実際のアルツハイマー病でのAβの広がりに即してこの仮説を検証していく必要があると思うが、可能性としては面白い。
2025年10月17日
現在腸内細菌叢のバランスを壊す病原菌をファージウイルスを用いて溶かしてしまうという治療方法開発が行われている。しかし、分子生物学で習う大腸菌とファージといった極めて限られたモデル系と異なり、何千もの異なるバクテリアが対象になる細菌叢でのファージウイルスの胴体についてはほとんどわかっていない。
今日紹介するオーストラリア・モナーシュ大学からの論文は、様々な培養系を用いて腸内細菌叢のゲノムに統合されているプロファージウイルスの活性化のメカニズムについて調べた研究で、極めて地道な研究だが、ともかくチャレンジしてみたという点が評価され、10月15日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Isolation, engineering and ecology of temperate phages from the human gut(ヒト腸内の溶菌ファージの分離、操作、生態)」だ。
10月11日に腸内の Bacterioides に限って水平遺伝子伝搬とバクテリアの多様化に関わる Diversity Generative Retroelement (DRG) の論文を紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/27611 )、腸内細菌叢研究が徐々に新しい方向へ進んでいるのを感じる。特に、ファージやプラスミドの研究は、そのまま複雑な細菌叢の操作に直結する。
プロファージとはホストバクテリアの中に統合されているファージウイルスを指し、完全なプロファージの場合、バクテリアに対する刺激により活性化して増殖し、ホスト菌を溶解したあと周りのバクテリアに再感染する。即ち、バクテリアが危機にさらされたとき、ホストと心中する代わりに、増殖して新しいホストへ乗り移る。この過程を研究するためには、腸内バクテリアを培養して、溶菌を誘導する実験系が必要になる。
この研究では252種類のバクテリアを腸内細菌叢の代表として、一般的な細菌培地による培養、あるいはヒト培養細胞との共培養を行い、これに溶菌を誘導することが知られている様々な刺激を加えて、上清中に遊離してくるファージを調べ、溶菌を誘導できるかまず調べている。
多くのプロファージは培養するだけで活性化されるが、他の誘導因子を加えるとさらに多くのプロファージを活性化できる。面白いことに溶菌してくるプロファージの種類は人間の細胞と一緒に培養したときの方が倍以上多い。一方、培養内に残るバクテリアの種類は培養細胞と共培養して多くのファージが活性化されると、大きく低下し、ファージにより強い選択を受けることがわかる。
とは言え、ゲノムから推察できるプロファージの数と比べると、せいぜい3割のプロファージしか活性化できていない。これがゲノム内でプロファージが不活性化されているためかどうか、様々な観点から比べている。
もちろん多くのプロファージは活性化する条件がわかっていない結果と言えるが、コードされた構造遺伝子が欠けていたり、アミノ酸変異を伴う遺伝子変化が多い等の特徴がある場合は、プロファージが不活化されていると考えられる。
さらに多くのプロファージはゲノムに複数統合されており、同時に活性化されるポリリソゲンといわれる状態になっている。これらは様々な刺激因子で活性化でき、因子とプロファージの間に特異性が見られるケースもあるが、現在のところゲノムからの切り出しに必要なトランスポジションタンパク質以外に、明確なメカニズムはわかっていない。
以上が結果で、腸内細菌叢でのファージ活性化研究がようやくスタートラインに立つことができたと言ったところだが、個人的には重要な研究だと思う。
2025年10月16日
Dan Littman は免疫組織の形成を研究していたことから付き合いも深く、今でも当時大学院生だった慶應大学の本田さんは共著で論文や総説を書いたりしている。論文を通してその活躍ぶりを見ているが、長い期間全く休むことなくレベルの高い論文を出し続ける能力にはただただ驚嘆する。
その Littman 研究室から、今度は皮膚の毛細血管維持に関わるメカニズムについて、生きたマウスの皮膚を継続的にモニターする方法を用いて解析した研究が10月15日 Nature にオンライン発表された。タイトルは「 Niche-specific dermal macrophage loss promotes skin capillary ageing(ニッチ特異的皮膚マクロファージの喪失が皮膚毛細血管老化を促進する)」だ。
これまでの Littman 研究室の仕事とは内容が大きく違うが、生きたマウスの皮膚を非侵襲的に長期間追跡する実験システムを開発中に、たまたま気付いた問題を論文にまで仕上げたようだ。その現象とは、真皮の毛細血管に隣接して存在しているマクロファージが時間と共に失われるという現象だ。
元々最も表層にあるランゲルハンス細胞が年齢とともに減ることは知られていたが、これ以上に真皮上部のマクロファージの減り方は著しい。一方、真皮下部のマクロファージはほとんど減らない。さらに重要なことは、マクロファージの数が減ると同時に、毛細血管の数も減っている。これまで、老人の皮膚老化の重要な原因は毛細血管が低下することが一因であるとされてきたが、この背景にマクロファージの減少が存在する可能性がある。
この結果はマウスの皮膚を生きたまま長期間観察する実験システムによりわかったことだが、人間の皮膚の老化による変化を調べると、これまで言われていたように毛細血管の減少とともに、それと接して存在するマクロファージの現象が認められ、決してマウスだけの現象でないことがわかる。
次に毛細血管に接するマクロファージの役割を探るため、毛細血管にレーザーで塞栓を形成させると、マクロファージが血管のダメージを修復し、血栓を除去するのに必須であることを、ミクロの形而的観察から明らかにする。その上で、マクロファージのゴミ処理能力を低下させた遺伝子操作を行い皮膚を調べると、毛細血管の数が低下することを確認している。すなわち、マクロファージが毛細血管の質を維持することで一定の血管密度が維持されている。
次に毛細血管に接するマクロファージのターンオーバーを骨髄細胞移植実験で調べると、真皮下部の毛細血管では新しいマクロファージに置き換わるが、10週間経っても真皮上部のマクロファージは置き換わらず、局所で維持されていることがわかる。このため、自己再生できないと真皮上部のマクロファージは減っていくことがわかる。
では局所のマクロファージの再生はどのように調節されているのか?毛細血管と接するマクロファージをレーザーで取り除いても決してあらたしいマクロファージがリクルートされない。しかし、レーザーを用いて毛細血管を広く障害すると、マクロファージのリクルートが始まること、その結果毛細血管の再構成が誘導されることを発見する。
以上のことから、血管に接するマクロファージを増殖させることができれば、老化による毛細血管減少を防げる可能性が考えられる。そこで、マクロファージ増殖因子にFcを結合させたリガンドを老化マウスに投与すると、見事にマクロファージとそれに隣接する毛細血管が回復することを明らかにしている。
以上、実験から現れる小さな変化を見落とさずに、老化に伴う皮膚最表層の毛細血管減少のメカニズムを明らかにし、それを防ぐ方法まで示した、さすが Littman 研究室と思える論文だった。
2025年10月15日
今年の4月、京大の高橋淳さんたちが Nature に投稿した iPS由来ドーパミン神経移植によるパーキンソン病 (PD) 治療について、私の現役時代の様々な経験とともに紹介した(https://aasj.jp/news/watch/26576 )。また同じ号の Nature に米国スローンケッタリング ガン研究所からES細胞を用いたPDの細胞治療が報告されていた。ともに、無作為化試験でないためそのまま治療枠を広げられるかはわからないが、安全性が確認された上に、自己の幹細胞ではないので、おそらく大規模な治験が行われて治療のための最終段階が進むだろう。
今日紹介するのは、高橋さんたちの治験とほぼ同じ内容の治験が韓国の延世大学で行われたという報告で、まさに日米韓でPDの細胞移植治療の最終段階が揃い始めたことを示す研究だ。タイトルは「Phase 1/2a clinical trial of hESC-derived dopamine progenitors in Parkinson’s disease(パーキンソン病にヒトES細胞由来のドーパミン神経前駆細胞を移植する第1/2相治験)」で、10月15日 Cell に掲載された。
この論文がサブミットされたのは高橋さんの論文が発表されてからで、経過観察期間が日米の研究より短いのに Cell が掲載を決めたのは、それだけPD患者さんたちが細胞治療に期待をかけており、多くの治験が揃うことが重要と考えたからではないだろうか。
さらに個人的感慨を述べると、この研究は韓国にとって大変重要な一歩だと思う。すでにほとんどの人の記憶から消えてしまっているが、山中 iPSが発表される前、多くのグループがクローン胚からのES細胞樹立を目指していた。我が国のミレニアムプロジェクトでも、井村先生からMy ES細胞を実現したいという大きな課題を与えられたのを覚えている。これは山中 iPSで完全に解決したのだが、これは青天の霹靂で、それまではほとんどの研究者がクローン胚を使っていた。そして、これに成功しクローン胚由来ES細胞を樹立したと報告したのがソウル大学の黄禹錫さんだった。物静かでカリスマ性のある研究者で、一躍韓国の星として期待されるが、その後ES細胞が本当にクローン胚由来かについての大スキャンダルが発生し、表舞台から消えた。
この研究では、このトラウマを完全に払拭し、韓国で厳密なガイドラインに従ってES細胞治療の仕組みが完成していることを高らかに打ち出せている。責任著者の Dong-Wook Kim は個人的にも期待していた韓国の研究者で、米国が長く、ビザ申請の推薦書も書いたことがあるが、時間をかけて母国でこれを成し遂げたことは本当に嬉しい。
さて結果だが、高橋さんたちが選んだPDよりは少し重症の患者さんが選ばれ、ほぼ同じ場所に、細胞数では高橋さんたちより少ない細胞(6割ぐらい)を投与している。また、投与箇所についても尾状核は同じだが、それ以上の場所の制限は置かず緩やかな選択を行なっている。今後治療を拡大するためには重要だ。
期間は1年だが、大きな副作用はほとんどなく1例で見られた血小板減少が最も重要なものだった。
さて効果だが、600万個、300万個移植の両群で、パーキンソン症状測定指標の改善が見られ、主観的な改善も全てで見られている。さらに、FDGペットで調べる腫瘍発生の可能性も全く見られないかった。このように、これまでのすべての治験で安全性が確認されたことは今後の治験加速につながる。
高橋さんたちはDOPAの取り込みで機能を調べているが、この研究ではドーパミントランスポーターをPETで調べている。結果、このイメージング検査と症状がほぼ完全に一致することから、今回の結果はプラシーボ効果よりは実際の細胞治療効果と考えられると結論している。
以上、日米韓で同じ結果が揃ったことは、今後様々な工夫も含めた競争で治療が進むことを意味し、患者さんにとっては嬉しい結果だ。一方、iPSを使ったのは我が国だけで、尚且つ高橋さんたちは免疫抑制剤なしに治療ができるMHCを合わせた治療の重要性を訴えてきた。この前高橋さんに会った時、幹細胞移植を統括している委員会が自己 iPSには待ったをかけた結果、iPSの特徴を殺した研究に変更せざるを得なかったようだが、そろそろ iPSの特徴が生かせる治験も進めてほしい。