出産と授乳を繰り返した人は乳ガンの発生率が低いことはよく知られている。一方で乳ガンのゲノム研究は、乳腺が生理サイクルや出産授乳というホルモン環境の大きな変化を経過する度に、特にホルモン反応性の遺伝子に変異を蓄積することを示してきた。
今日紹介するメルボルン大学からの論文は、乳腺組織の出産と授乳による変化が長期にわたって乳腺に常在し、乳ガンを抑える組織常在型のキラーT細胞を誘導することを示し、乳腺にまつわる謎を一つ解決した研究で、10月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Parity and lactation induce T cell mediated breast cancer protection(出産と授乳はT細胞による乳ガン予防を誘導する)」だ。
ホルモン環境の変化による乳腺の大きなリモデリングが、新しい抗原の誘導やホルモンを介して局所T細胞を刺激する可能性は十分考えられる。著者らはこの可能性を、実際の乳腺組織に存在するリンパ球を調べることでまず確かめようとしている。そこで目を付けたのが、BRACA変異などの乳ガンリスクを持つ人が予防的に受ける乳腺切除で、この組織に存在する免疫細胞を、出産経験のある人とない人で比べている。すると、組織常在型のCD8キラー細胞の数が2倍以上に上昇していることがわかった。しかも、この状態が出産経験後何年も維持されていることも明らかにしている。
即ち、出産と授乳という大きなリモデリングにより、キラーT細胞が局所で誘導され、またそのときのホルモン環境がT細胞にも働いて、組織常在型のT細胞へと変化するという話だ。ただ、これが一般化できるかどうかわからないのは、乳ガンの遺伝リスクがはっきりとした女性の組織を調べている点で、DNA修復異常の結果、新しい抗原が発生する確率が高い状態に限定した結果だということは留意する必要があるだろう。
そこで動物実験に移り、一回目の出産に限り授乳を終えて乳腺が縮小まで進んだ個体、出産はしたが授乳を途中で中断した個体、そして出産を経験しない個体で乳腺組織の免疫細胞を調べると、授乳を終えて乳腺が元に戻る過程を経験した個体だけ組織中の常在型CD8T細胞数が上昇していることが確認された。さらに、免疫刺激に関わる樹状細胞も上昇が見られている。
この状態で乳ガンを移植する実験を行うと、出産授乳を終えた個体では腫瘍の増殖が明確に抑えられる。また、ガンが発現している抗原に対するT細胞の誘導が認められる。免疫不全マウスや移植実験から、ガンに対する免疫はもっぱらCD8T細胞を介しており、常在型T細胞だけでなく、ガン組織への新しいT細胞の供給を必要とする免疫反応であることがわかる。
最後に乳ガンのコホート研究から得られる組織を調べて、出産授乳を経験している乳ガン患者さんで、組織に浸潤しているT細胞が明確に増えていること、さらにホルモンの影響を受けない乳ガンでは出産授乳を経験した女性の方が予後良いことも明らかにしている。
以上、基本的にはホルモンの影響を受けないトリプルネガティブ乳ガンについての話になるが、乳ガン抑制での免疫反応の役割は大きく、マウスでも人間でもこの免疫反応は、生理サイクルではなく、出産と授乳という長期に続くホルモン環境の変化によっておこる乳腺細胞の変化により誘導されるという結論だ。
このように、生理、出産、授乳により何度もリプログラミングを繰り返す乳腺は常に発ガンへのドライブがかかっているが、これを早く察知して異常細胞を抑制するいわゆる免疫サーべーランスが存在することの証明だと思う。
