現在 Single cell テクノロジーは複雑な組織の解析の定番として使われるようになり、特に脳研究での広がりは大きい。
紹介が遅れたが、今日紹介するカナダマクギル大学からの論文は、うつ病患者さんの脳を single cell テクノロジーで解析して、うつ病発症に最も大きな役割を演じる神経細胞を特定し、うつ病の条件を解析した論文で、8月号の Nature Medicine に掲載された。タイトルは「Single-nucleus chromatin accessibility profiling identifies cell types and functional variants contributing to major depression(単一細胞でのクロマチンアクセシビリティープロファイリングはうつ病に寄与する細胞の種類と機能的遺伝子変異を明らかにした)」だ。
この研究の最大の特徴は、うつ病治療中に亡くなった44例の脳の凍結組織を解析できている点だ。しかも、この組織はマイアミ大学のバイオバンクでいつでも申請に応じて利用できるようになっている点だ。最近、論文のリバイスに人間の脳組織を調べるよう言われて、誰かアクセスのある先生を知らないかと聞かれ、一応紹介したが、可能だとしてもとても時間がかかると思う。このように、科学研究に人間の脳組織のバイオバンクは、single cell テクノロジー時代に必須になる。胎児から老人まで、充実したバイオバンクが整備されることを願う。
これまでうつ病のゲノム研究は盛んに行われ、200を超す遺伝子多型が特定されている。そしてそのほとんどがノンコーディング領域なので、これらの多型領域の転写活性がうつ病と正常で異なるかを調べるには、まずクロマチンがどの程度開いているか調べる必要がある。この研究では集めた脳細胞を Atac-seq で解析し、正常と比べて明らかにうつ病でクロマチン構造が変化する領域 (DAR) を探索するとともに、この変化が集まる細胞の特定を試みている。
基本的にうつ病の場合、DARは興奮神経細胞とミクログリア細胞に集まっており、興奮神経細胞ではクロマチンが閉じる方向、ミクログリアでは開く方向の変化が多い。そして、神経細胞ではシナプス活性や細胞分化に関わる遺伝子調節領域が閉じる方向、ミクログリアでは免疫反応に関わる遺伝子調節領域が開く方向の変化になる。
これまで行われている single cell RNAseq と対応させると、閉じる方向では予想通り遺伝子発現が低下し、開く方向では遺伝子発現が上昇している。また、うつ病の遺伝子多型としてリストされてきた領域と、クロマチン構造が変化している領域は強くオーバーラップしている。以上の結果から、これまでの遺伝子多型研究や発現研究をさらに統合することができている。結果、うつ病を形成するのは、ミクログリアの活性化による炎症変化と、興奮神経細胞の機能低下になり、これまで考えられてきたことを概ねサポートする。
Single cell technology はこの変化が起こっている細胞もより正確に特定できる。その結果興奮神経の中でも第6層のNR4A2陽性細胞でうつ病による遺伝子変化が集中しており、またミクログリアでは灰白質に存在するミクログリアに変化が見られることがわかる。
一つ一つの遺伝子の内容については全てスキップしたが、変化する遺伝子や調節領域から、神経細胞ではストレスにより、神経活動依存性の転写因子やシナプス結合に必要な分子の発現が、特に前頭葉の最も深い層に位置する神経細胞で抑えられ、また神経細胞体に近接するミクログリアで炎症に関わる遺伝子の発現が上昇することがうつ病のメカニズムであると結論できる。
あとは、これらの変化が起こる原因を確かめる必要があるが、これまでのように闇雲に調べるという段階から、遺伝子、タンパク質、細胞と統合的にうつ病も考えられるようになったかと感心している。