胸腺は重要な健康指標として古くから使われており、ウィーン学派の突然死する若者の研究から胸腺リンパ体質という概念が提唱された。ただ、私が医学部を卒業した50年前には、このような範疇化を考慮することはほとんどなく、胸腺は老化とともに脂肪組織に変化し、その役目を終え、T細胞は末梢で維持されると考えられるようになった。ところが個人的にもよく知っているハーバードの血液学者Scaddenが、様々な理由で胸腺切除を受けた患者さんを追跡し、T細胞のリクルートが低下し死亡率も上昇するという驚くべき事実を発表し、胸腺が成人後もしっかり働き我々の健康を守ることを示した(The New England Journal of Medicine 389;5,2023)。
今日紹介するのもハーバード大学からだが Scadden とは全く異なるグループから3月18日にNatureに発表された論文で、成人後も胸腺が健康のバロメータになるという新しい胸腺評価方法を開発し、その検査を行った人たちのコホート追跡からこのことを明らかにした研究で、タイトルは「Thymic health consequences in adults(成人における胸腺健康の帰結)」だ。
おそらく大分前に人間の胸腺機能を見直そうという機運がハーバード大学で起こっていたのだろう。このグループはコホート研究に参加する人のCT画像から胸腺像を抜き出し、コホート研究でわかる健康指標と相関をとろうと考えた。最初は畳み込みニューラルネットで胸腺を抽出して、形態的特徴を4096次元のベクターとしてマップすることに成功している。この間に様々な Transformer ベースの LLM が開発されてきたので、ベクター化された各画像をニューラルネットに学習させることで、胸腺から得られる情報コンテクスト空間を形成し、最終的にそれを一次元に圧縮して、1−100 のスコアとしてアウトプットするモデルを確立している。
方法を見ると、最終の胸腺情報のコンテクスト空間を作るための様々な方法を比べているようで、Vison Transformer のような教師付のモデルや対照学習モデルなどを比べた後、最終的に教師なしの学習の後に、胸腺画像について専門家が作ったプロンプトでファインチューニングを行いモデルを完成させている。
即ち、胸腺が成人後も健康に必要で、そのために胸腺の健康度を画像を学習した LLM からアウトプットできるようにしたことがこの研究のハイライトになる。あとは、このモデルで示される胸腺健康度と、コホート研究から得られる様々な健康指標との相関を調べることになる。
驚くべき結果で、12年追跡したときの死亡率は、胸腺健康度が低いほど短くなり、しかも様々な肺疾患、心疾患、消化器、代謝内分泌疾患などに起因する死亡率と強く相関している。さらには、メタボ指標の空腹時血糖や、収縮期血圧、血中コレステロールなどとも相関し、スコアが高いほど老化に伴う炎症指標も高まる。
以上が結果で、メカニズムはともかく胸腺が健康のバロメータである事は明らかになった。
メカニズムを知る上で、同じグループはガンの免疫チェックポイント治療を行う患者さんのコホートでも、この胸腺健康指標との相関を調べた論文を、同時に Nature に発表している。タイトルは「Thymic health and immunotherapy outcomes in patients with cancer(胸腺の健康とガン患者さんの免疫治療予後との関係)」だ。
言うまでもなく胸腺はT細胞を新しく作る器官だ。従って胸腺の健康はT細胞新生を反映することが予想される。そこで胸腺健康度を免疫チェックポイント治療(ICI) 前に調べることができた様々なガン患者さんで、ICI の効果と健康度の関係を調べている。
結果は明瞭で、肺ガンやメラノーマのような ICI の効果が高いケースでは、胸腺健康度が強く夜ごと相関する。特に、ICI 、あるいは ICI +化学療法を最初から選んだ患者さんでは、この相関が強い。しかし、胸腺健康度はガンの突然変異数やガンの PD-L1 発現とは全く相関がないので、ガン自体ではなく、胸腺からのT細胞新生に関わると考えられる。
実際、T細胞のガンへの浸潤、胸腺から移動してきた細胞に見られる環状VDJ再構成DNA、さらには血液内のプロテオームなどから、胸腺健康度が高いほどT細胞の新生を示す指標が高いことを確認している。
以上のことから、胸腺健康度は基本的にT細胞を新しく作る能力で、成人になっても胸腺は重要な働きをしており、この結果として様々な病気や老化に対する抵抗力が生まれ、またガンに対する免疫が高まることでガンを抑える力が上がるという結論になる。
納得の結果だが、それ以上に胸腺健康度を人間で調べる方法開発を早くから着想し、これを新しいAIを取り込んで成し遂げたことに脱帽だ。Scadden の研究も長期予後を調べているが、従来の研究手法の延長にある。その意味で、生成AIがあらゆるところで医学を変化させていることを感じさせる優れた論文だと思う。
