全記事が5000回になったことを記念して、長年の読者の一人、上田俊吾さんが13年を振り返った素晴らしい寄稿を寄せてくれたので、5001回目の記事として掲載します。
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全記事が5000回になったことを記念して、長年の読者の一人、上田俊吾さんが13年を振り返った素晴らしい寄稿を寄せてくれたので、5001回目の記事として掲載します。

2026年8月23日
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以下に掲載する記事を寄稿してくれた上田俊吾さんは、私がサンスターの研究所のアドバイサーをしていたとき、若い研究者との様々なミーティングをアレンジしてくれた研究員で、個人的な付き合いも長い。そんな上田さんから、私の病気の回復祝いとして、以下に掲載する私が書いた論文ウォッチの13年を振り返ったまとめ記事を送って貰った。私が書くより素晴らしいまとめなので、全記事5001回目として掲載することにした。 論文ウォッチ5000回は順調にいけば来年の5月31日日曜日で、誕生日の三日前になるので、そのときはZoomで他の方にも集まって貰って、13年の生命科学を振り返りたいと思っている。  では上田さんの25ページにわたる力作を是非お読みください。

西川伸一先生が記録している「生命科学の 13 年とその思考の系譜」

AASJ 論文ウォッチ(2013 年 8 月〜2026 年 8 月 18 日:継続中)から

上田 俊吾

はじめに

西川伸一先生は、2013 年 8 月から最新の生命科学の論文を読み、その解説を書き続けておら れる。ほぼ一日も欠かさず、2026 年 8 月 18 日までにおよそ 4,940 回(※2)。本書は、その全体を俯瞰、レビューし、二つの流れに整理してみたものである。

第 1 章は、先生が紹介された論文の側から見た「生命科学の推移」である。ゲノムを読むこ とから始まり、書き換え、患者に届け、細かく測り、そして設計するところまで来た 13 年を 追う。

第 2 章は、先生ご自身が繰り返し書かれてきた「考えの推移」である。論文の読み方から始 まった問いが、科学者の世界、制度、市民との関係、そして思想へと広がっていく道筋を追 う。二つは別々の流れではない。先生の稿では、ある論文の評価と、科学とは何かという問いが、 いつも同じ文章のなかに置かれている。二章に分けたのは読みやすさのためであり、実際に は一本の線である。これは現時点での整理であり、先生の連載は今日も続いている。

2 第1章

読むことから、設計することへ― 生命科学は何ができるようになったか

なぜ「できるようになったこと」で並べるのか

13 年分の論文解説を整理するには、いくつもやり方がある。分野別に分ける、雑誌別に分け る、話題になった発見を並べる。しかし西川先生の稿を通して読むと、先生ご自身が論文を 評価するときの基準が、そのどれとも違うことに気づく。

典型が 2013 年 12 月 31 日である。CRISPR を使った実験の論文を紹介して、先生はこう書い た。

「CRISPR といい iPS といい、世紀が変わって、新しいハブが急速に発展している実感を 持っている」

ハブとは、多くの分野をつなぐ結び目のことである。先生はこの技術を「面白い新発見」と してではなく、周りの分野に何をもたらすかで測っている。同じ姿勢は 13 年間ほとんど変わ らない。だから稿を並べ直すときも、「何がわかったか」(発見の名前)より「何ができる ようになったか」で並べるほうが、先生の見方に沿うと考えた。

そう並べてみると、13 年はきれいな順序になる。読む → 書く → 届ける → 測る → 設計する。 以下、この順で追う。(図 1)

図1

4 読む ― カタログが治療につながった瞬間

2013 年、ゲノムのうちタンパク質を作る領域をすべて調べる「全エクソーム検査」が一般の 検査になったという報告が紹介される。がんの遺伝子の傷を癌腫ごとに書き出す作業が、 次々と埋まっていった時期である。

だが先生が重く見たのは、目録そのものではなかった。2013 年 11 月 8 日、メラノーマの BRAF 遺伝子について、2002 年に変異が見つかり、2012 年に薬が実用化し、2013 年に薬が効 かなくなる仕組みが解明された、という 10 年の流れを示したうえで、患者が注目すべきは 個々の成果ではなく「研究のスピードだ」と書く。そしてすぐに条件をつける。

「ガンも進化するから、そう簡単に負けていないだろう」

がんを、進化していく集団として見る視点である。薬が効かなくなるのは失敗ではなく必然 だ、という認識がこの時点で示され、以後 13 年ぶれない。

この見立てが確かめられるのは、13 年後である。2026 年 8 月 13 日、先生は膵臓がんの新し い抗 RAS 薬について、その耐性がどう生まれるかを追った論文を取り上げた。血液中を流れ るがん由来の DNA を継続して調べると、耐性が生じた例の 62 パーセントで、変異した RAS 遺伝子そのものが増えていた。しかも投与量が多い患者ほど、その頻度が高い。——2013 年 に書かれた一行が、13 年後、別のがん遺伝子で確かめられた形である。しかもそれを実時間 で捉えたのは、この 13 年のあいだに育った「血液からがんを読む」技術だった。この論文に は、第 2 章の終わり近くでもう一度戻る。

2015 年 1 月 30 日、この時代の本質が一行で言い当てられる。肺がんで、ある薬の組み合わ せが BRG1 か EGFR に変異のある患者にだけ効く、という報告に対して——

「ゲノムを調べずこの治療を受けてしまうと、ガンがより増殖してしまう」

ゲノム検査は「効く人を選ぶ」ためだけでなく、「害を受ける人を外す」ために必要になっ た。読むことが治療の前提条件になった瞬間である。

5,届ける ― 2017 年、治療が患者の手元に来た

2017 年は、先生の記録のなかで明確な区切りとして現れる。CAR-T 細胞療法(患者の免疫

細胞を作り変えてがんを攻撃させる治療)が米国で承認され、脊髄性筋萎縮症で 2 歳まで生 きるのが精一杯だった乳児が歩き、走った。遺伝子を入れた培養皮膚で、遺伝性の皮膚病の 少年の皮膚が再生した。そして、がんの発生した臓器を問わず、遺伝子の特徴だけで薬を承 認するという史上初の判断が下される。

2019 年 11 月 6 日、嚢胞性線維症に 3 種類の薬を組み合わせた治験を紹介した回の筆致は、 13 年で最も明るい。

「全ての患者さんが、全てのテストで、しかも 2 週間目から劇的に回復し、24 週まで回復状 態を維持」 「医学は着実に発展しているという実感を持つ」しかもこれは遺伝子を入れ替えず、壊れたタンパク質を小さな薬で働かせた成果だった。先 生はその点を見逃していない。

一方、2017 年から稿のなかにまったく新しい主題が入る。値段である。11 月 17 日、1996 年 から 2012 年に承認された注射用の抗がん剤の価格を追った調査を紹介し、批判が集中した 1 剤を除いてすべてが値上がりし続けていたと述べたうえで——

「末期で選択肢のなくなった患者さんに対して効果がある場合は、強気で売れると解釈する しかない」

翌 2018 年には日本の制度を名指しする。脊髄性筋萎縮症の薬スピンラザ、1 バイアル 932 万 円、年間 2,796 万円。「新薬創出等加算の優遇」が「異常な高薬価」を生んでいる、と。治 療が届いた年から、届け方の問題が始まった。

6, 測る ― どこまで細かく、どこまで大きく

読めるようになったゲノムを、次はどれだけ細かく、どれだけ大きな規模で測れるか。2018 年前後、その両端が同時に桁を変えた。測り方そのものが変わったのである。

2018 年、Science 誌が選ぶ年間の最重要成果の第 1 位は、細胞ひとつずつの遺伝子発現を読 む技術だった。先生はこの転換を、8 月 15 日の回の題そのもので言い表している——「変わ る蛍光抗体染色:見るから読むへ」。顕微鏡で見る時代から、配列を読む時代へ。組織を測 る原理そのものが変わったのである。

翌 2019 年には位置の情報も加わる。6 月 24 日には「顕微鏡を一切使わず、細胞の構造を DNA の配列データだけで画像化する」研究が紹介される。「読んで、見る」段階への到達で ある。

同じころ、規模の側でも桁が変わった。英国バイオバンクが 50 万人規模で成果を出す時期に 入り、すでに 1,000 編を超える論文の土台になっていた。先生がこの論文を「バイオバンク 作りの手引き」と評価した理由は、その考え方にある。

「完全を求めると失敗する」——全ゲノムの解読は最初から狙わず、まず試料とデータを集 め、後の技術の進歩に対応できる余地を残す 「一旦始めたら、それを発展させるために、より大きなコストを払う覚悟がいる」

そして 2022 年 6 月 27 日、Perturb-seq。約 5,000 の遺伝子を細胞ひとつにつき 1 つずつ壊し、 その影響を、特定の目印ではなく遺伝子発現の全体で読む手法である。

「バイアスなしにここまでわかると今後の細胞研究は加速する」

7 境界が溶ける ― 2019 年の「再統合」

2019 年 4 月、先生は自ら「生命科学は量的に進展するだけでなく、革命的変化を遂げてい る」と書き、その中心を「人間の科学を中心に置く生命科学の再統合」と表現した。この前 後、分野の壁が次々に崩れていく。

2015 年 6 月 4 日、「脳にはリンパ管がない」という 100 年来の常識が覆る。先生は「常識が 覆った例として長く語り継がれるだろう」と評したうえで、リンパ管を見分ける目印はすべ て揃っていたのに「全く疑われず現在に至る」ことに驚き、自分を「一番常識的な人間」と 書いている。

2016 年 12 月、腸内細菌がパーキンソン病を進める。2019 年 6 月には、腸内細菌がパーキン ソン病の薬 L-ドーパを分解してしまうことが示される。腸内細菌が薬の効き目そのものを左 右する段階への到達である。

2019 年 9 月には、脳腫瘍が神経の活動を利用して増え、脳に転移した乳がんが神経細胞とつ ながりを作ることが報告される。がんが神経を「配線として使う」——それまでの、血管・ 免疫・周囲の組織という枠になかった視点だった。この線は 2025 年、2026 年まで続く。

神経の病気も性格を変えた。2016 年に補体(免疫の一部)、2017 年にミクログリア(脳の 免疫細胞)が主役になり、2026 年にはクローン性造血——血液の細胞に起こる変異が、アル ツハイマー病の発症や脳の免疫細胞の入れ替わりに関わることが示される。「神経の病気」 が「免疫と代謝の病気」として読み直された 13 年だった。

そして 2022 年 1 月、長く原因不明だった多発性硬化症について、EB ウイルスが引き金であ ることが示される。

8 老化が「病気」になった 10 年

2016 年、老化した細胞を取り除くと寿命が延びるという報告に、先生は「素朴な発想の勝 利」と書き、こう付け加えた。

「生物だけでなく、私たちの社会でもこの問題を真剣に考える時がきている」

2018 年 9 月には、老化の仕組みが 4 つ(慢性の炎症、細胞内のストレス、幹細胞の機能低下、 細胞の老化)に整理され、「老化を防ぐ」から「老化してから治す」へ主張が移ったことを 「本当は大きな転換点」と評価する。2021 年には抗老化のサプリメントが実際の臨床試験に 入り、2020 年 12 月には山中因子のうち 3 つで視神経が若返るという報告が出た。2022 年に は「若い個体の脳脊髄液が老いた個体の認知機能を活発にする」——2014 年に紹介した「体 液説」が、8 年を経て戻ってきた。

9 過去を読む技術が、歴史学になった

古代ゲノムは 13 年を通じて高い比重で扱われ続けた、数少ないテーマである。2014 年に先 生が書いた一節が、その理由を語っている。

「研究は恐ろしい速度で進展している。ゲノム情報と数理を駆使して新しい歴史が書かれて いるとおもうとわくわくする」

読める分子が段階的に増えていった。DNA(2013 年〜)、次に古いタンパク質(2015 年、 コラーゲンの配列で絶滅した動物の系統を決める)。2019 年には、DNA が取れない骨から コラーゲンだけでデニソワ人を見分け、さらに DNA のメチル化のパターンから骨格を推定 する研究が出る。2025 年には凍ったマンモスから古い RNA が取り出され、2026 年、ハルビ ンで出土した完全な頭蓋が骨のタンパク質に残る 122 か所のアミノ酸の違いから 15 万年前の デニソワ人と確定した。ついに顔が見えたのである。

9 2022 年 8 月 30 日、地中海の 1 万年・700 体の古代ゲノムが、古代ギリシャの歴史の記述と驚 くほど合致することを示した研究を、先生は「文理融合の手本」と評している。

パンデミック ― すべての技術が一度に試された 3 年

2020 年、コロナ関連はおよそ 70 本。それでも全体の 2 割弱にとどまる。感染症は生命科学 の一部であって全部ではない——稿の配分そのものがそう語っている。先生が組み立てた病気の理解は明快だった。8 月 17 日の講演で——

「ウィルスが肺の病気を作っているのではなく、いろんな炎症反応が病気をつくっている」

ウイルスは「たった 10 個の遺伝子でできた」単純なもので、複雑なのは人間の側だ、と。そ して重症の人ほど抗体は多く作られており、鍵は抗体の量ではなくキラー T 細胞の充実度に ある、と整理する。

RNA ワクチンについての評価も、効き目ではなかった。

「RNA ワクチンの優位性は効能より、生産の迅速性にある」

配列が公開された 1 月から臨床試験開始の 3 月まで、わずか 3 か月。設計から試験まで走り 切る力こそが本質だ、という読みである。

同じ 2020 年 11 月 28 日、ヒトの受精卵では Cas9 による切断が染色体の大きな欠損を高い割 合で招くことが示され、先生は「Cas9 でそのまま切断するという戦略は決して受精卵に適応 してはならない」と書いた。

コロナ関連は 70 本(2020 年)→50 本(2021 年)→20 本(2022 年)と減り、3 年で通常の 研究テーマに戻った。

10 設計する ― そして AI が生命科学の言葉になった

2023 年、生成 AI が実際の研究手段になる。AlphaFold の 2 億の構造を分類する Foldseek、変 異が病気を起こすかを予測する AlphaMissense、細胞ひとつずつのデータから遺伝子のつな がりを学ぶ Geneformer。先生は Geneformer について「後期高齢者の心臓が止まるほどの変 化が起きている」と書いた。

2024 年、ノーベル賞は物理学賞がニューラルネットワークに、化学賞がタンパク質の構造予 測と設計に与えられる。2025 年、David Baker 研究室の蛇毒中和ペプチド——AI で構造を作 り、配列を出し、結合の強さを 842nM から 0.9nM へ高め、マウスでは毒を打った 30 分後の 投与でもほぼ 100 パーセント生き残った。先生が最後に書いたのは性能ではない。

大腸菌で安く作れる。「開発途上国で使われることを考えると、誰もが中和剤を携帯するこ とができる時代が来ることを示している」

2026 年 2 月、AlphaGenome が 100 万塩基のゲノムを 1 塩基の細かさで読む。先生は「大き な興奮に襲われた」と書き、進化そのものを学ぶ Evo と組み合わされれば「生物学が神の領 域に近づく」と述べた。そして同年 8 月 8 日、AI が作った配列から、実際に大腸菌に感染す るファージが 16 種類生まれる。

13 年で、できることは読む → 書く → 届ける → 測る → 設計すると変わった。だが先生の記 録では、どの段階でも次に立てられる問いは同じだった。それは本当に、仕組みを説明して いるのか。

11 第2章

科学は、社会に何ができるか― 西川先生の思考の系譜

最初に置かれた定義

約 4,940 稿のなかで、西川先生が繰り返し書いたのは論文の中身ではなく、科学とはどうい う営みかだった。その定義は、連載開始からわずか 2 か月半で示されている。

2013 年 11 月 5 日、参加者 500 人以上の大規模な臨床試験の約 30 パーセントが論文にならず、 登録機関にすら結果を報告していないものが 8 割近くに達するという報告。ここでの語気は、 13 年を通じて最も厳しいものの一つである。

「無作為化した大規模臨床治験は、自分に偽薬が来るかもしれない事をわかった上で、参 加」する 「うまく行かなかった治験も結果は結果だ」 「人間が参加したトライアルは公共のデータであり、全て査読に回して論文にすることが重 要」 「治験を行う限り社会の責任が優先すると覚悟すべき」

同じ年の 12 月 10 日、査読制度を扱った回でも同じ考えが繰り返される。科学とは、ほかの 人と合意を作っていく公共的な手続きである。論文は個人の業績ではなく合意のための公共 の財産であり、だから発表しないのは倫理違反であり、査読は透明でなければならない。以 後 13 年、この定義がすべての判断の出発点になる。

12 手続きが壊れたとき ― 2014 年

2014 年、日本の生命科学は大きく揺れた。その渦中で先生は、長く関わってきた研究機関の 公職を辞している。理由は明快だった。その立場にいる限り組織の側に立って発言する必要 がある。だから「自由に発言する意味でも」辞めることにした、と書いている。前年に掲げ た「科学は公共的な手続きである」という原則を、まず自分の身分に当てはめた形だった。

そしてその夏、先生は個々の論文ではなく、研究者の世界そのものについて書く。

科学者の世界が「科学者間の連帯が欠如し、むき出しの競争だけがある格差社会へと変貌し ていた」 「笹井さんも、そして私自身もこの様な格差社会成立に手を貸した一人だろう」 「ついにこの格差社会が牙を剥いた」 「連帯感がある時人は死なない」

大切なのは、自分を例外にしていない点である。誰かを責めるのではなく、その競争の仕組 みを作った側の一人として自分を数えた。そのうえで若い研究者に向けて、「競争はしても 連帯感が損なわれない新しい研究者コミュニティーを目指して欲しい」と託している。

この視点は、同じ年に研究不正を扱った回にもそのまま現れる。中国で 2011 年だけで捏造 1,170 件・汚職 530 件が報じられた事実を紹介し、原因を「行政の評価が論文数とインパク トのみに集中している」ことに求め、こう結んだ。

「対岸の話ではない」

不正を個人の資質の問題としてではなく、評価の仕組みが生む結果として診断する。この構 えは、翌 2015 年の「構造問題として分析できない社会は『子供の国』」へまっすぐつながっ ていく。

13 やり方が定まる ― 2015 年

2015 年 4 月 11 日、米国 FDA が問題を指摘した治験 421 例の調査。そこから出た 78 報の論 文のうち、指摘に触れたのはわずか 3 報。この事実より先生が重く見たのは、分析のしかた だった。

日本流の分析は「倫理の徹底と透明性」といった抽象的な提言で終わり、実現できる具体策 が生まれない 「構造問題として分析できない社会は『子供の国』」

以後、先生の批判の後には必ず提案が置かれる。2020 年、専門家会議を「科学者の職務放 棄」と批判した 2 日後に代替案の連載を始めたのが、その典型である。

同じ年 10 月 17 日、専門家の意見の使い方を論じた回では「この意見には 100%賛成」と明 言し、日本の現状を突いた。

政治家・官僚が「前もって落とし所を定め、それを裏付けるために専門家の意見を聴いてい る場合が多い」

順序が逆だ、と。そして「信頼できる科学政策のシンクタンク」という具体策を出す。

もう 1 つ、この年に現れた大事な姿勢がある。8 月 13 日、プレシジョンメディシンが公衆衛 生の予算を削るという批判的な意見をまとめて紹介したうえで、先生は自らを「推進派」と 規定し、「様々な人と対話を進めたい」と書いた。推進する側だからこそ、反対意見を自分 の手で紹介するのである。

14 市民との断絶 ― 2016 年

2016 年 6 月 26 日、論文ウォッチ 1,000 回。3 年間の自己評価(「一つの論文を、様々な分野 の状況との関わりで理解できる様になってきた」)を記した直後、先生は直前に起きた Brexit を論じる。

知識人の劣化、年寄りによる若者支配 「SNS の普及により、本来の知識を磨くことが放置され、世俗に同化してしまった」ことが 分断を招いた 「書を求めて書斎にこもろう」

寺山修司の言葉をひっくり返したこの一句は、知識人が世の中に迎合したことこそが問題だ という診断である。同じ年、トランプ当選を 3 度にわたって取り上げ、最大の心配を「科学 界との断絶」に置き、科学者の側の課題として「一般人との溝を埋める新しいアイデアが必 要」と結んだ。

「書斎にこもれ」と「溝を埋めよ」は矛盾しない。世の中に合わせるのではなく、知識を磨 いたうえで市民に向き合え、という主張である。

そして 12 月 14 日、誤った健康報道の構造を扱った回で、先生は自分を例外にしない。

「私自身もテストステロンは高リスクと誤認していた」

何が科学を強くするのか ― 2017〜2018 年

2017 年 9 月、先生は 1 週間のうちに 2 度、ドイツを論じる。投資額は日本より少ないのに論 文の引用は米国と並び、特許の取得数は半分未満(あえてそう選んでいる)、世界大学ラン キングの上位 200 に 22 校。

15 「ドイツの研究者になぜドイツの学術が花開いているのかと質問すると、誰もがメルケル首 相のおかげだと答える」

2012 年にベルリンでメルケル首相が「研究者の生の声を聞きに来ている」姿を見た経験を挙 げ、日本を批判する。

「生の声とデータに基づかず、ウケを狙う思いつきを政策にしてしまう」

1 週間後、ペーボの著書を扱った回では意外な角度に踏み込む。ペーボが自分の私生活を率 直に書いても辞任を迫る者がいない社会——その寛容さと科学の水準の高さは「無関係だと は思わない」。制度だけでなく、研究者を人としてどう扱うかが科学の強さを決める、とい う主張である。

同じ年 4 月、米国 NIH の助成研究の大規模な分析から「基礎研究も応用研究も、技術開発へ の貢献の度合いにほとんど差がない」ことを紹介し、こう結んだ。

「個人の興味の満足に研究費が出せない世の中では、若い研究者は育たない」

2018 年、主題はデータに移る。AI と医療の 4 回連載の結論は「結局 AI として機能させるた めには、学習させるデータが勝負になる」。その 2 か月後、この年で最も鋭い警告が出る。 民間の遺伝子検査サービスのデータから犯人を特定できる技術について——

最大の心配は「権力によるデータ改ざん」である 日本の「森友・加計問題に見られる政府のデータ改ざん体質」を考えれば 「当分は警察に使わせるわけにはいかない」

同じ年、アスペルガーについての通説が資料の発掘で覆った件では、「自分ならどうするか と考えると、到底非難できる立場にない」と自らを省みたうえで、オーストリアが安楽死さ せた子ども一人ひとりの記録を残していたことに感心し、「記録保管の重要性」と「人間の 証言がいかに虚偽に満ちているか」を教訓として引き出している。

16 反科学への答え ― 2019〜2021 年

2019 年 1 月、遺伝子組み換え食品への反対をめぐる研究。強く反対する人ほど自分の知識に 自信があるが、客観テストの点数は低い。先生の反応は勝ち誇ることではなかった。

「科学者にとって反対派をバカにして喜べるという話ではない」 反対派は「リテラシーを高める教育には見向きもしない」 「今まで通りの方法ではすれ違いを解消することは出来ない」

では何が要るのか。その答えが同じ年の 4 月に始まる。「生命科学の目で読む哲学書」連載 である。

「6 年前にあらゆる公職から身を引いた」。当初は批判を受けたが、今は「本当に良かっ た」 「あらゆる制限から解放され」、今は「人生のうちで論文を最も読んでいる時期」 生命科学の大きな変化の中心は「人間の科学を中心に置く生命科学の再統合」である

2016 年に「書斎にこもろう」と書いた先生が、3 年後に実際にこもった。そしてその成果を、 公開の連載として書き続けたのである。

2020 年 5 月 5 日、専門家会議の「新しい生活様式」を、先生は 13 年で最も強い言葉で批判 する。人類はゲノムの多様性でウイルスと戦ってきた、という生物学の認識から出発して ——

「統一的生活スタイル」の推奨は「習近平中国の政策と類似している」/「暗澹たる気持ち になった」 これは科学者の職務放棄である 科学者の仕事は「健康とともに文化の多様性を守るために科学ができることを提示するこ と」である

17 2021 年 7 月 20 日、先生は 2019 年の問いに答えを出す。ワクチン接種をためらう大学生の理 由が「これまで使われていないワクチンなので、もう少し様子を見たい」という理にかなっ た判断であり、その材料は前年の秋に専門家自身が発した一般論だった、と指摘したのであ る。

「専門情報に納得して今もワクチン接種をためらう層は、決して SNS のデマに踊らされてい る層ではない」 複雑で刻々変わる知識の「断片だけを専門家の意見として上から目線で提供することがいか に危険か」

すれ違いの原因は市民の無知ではなく、専門家の語り方にある。

思想を支える科学 ― 2022〜2024 年

2022 年 10 月、ペーボのノーベル賞。先生が問題にしたのは、受賞報道が「役に立たない基 礎研究」であることを強調しすぎている点だった。そこから 19 世紀以来の思想の歴史へ話が 及ぶ。

その時代「個人と権威、また多様な権威同士がもろに衝突した」にもかかわらず「多様化し 深まる不協和を克服する思想は生まれなかった」 ウクライナ侵攻も同じ根にある 「欠けていたものの一つが、思想的試みを支える科学ではないか」

そして古代ゲノムが示す、確かめられる事実——「現代ヨーロッパ人のゲノムは、今まさに 戦争が行われている地域の古代人との交雑から生まれた」。だから「結局皆兄弟である」。

翌 2023 年、ChatGPT を哲学書連載の番外編で扱い、「経験のみで人間と同じ知性や理性が 形成できることを実験的に示す壮大な実験」と読んだ。経験だけで知性が育つのか、という 古くからの問いに、実際に手を出せるようになった、と。

18 2024 年 10 月、Google の「ハーバーマスマシン」——多くの人の意見を集め、批判も取り込 んで合意案を作る言語モデル。先生は AI が「グループ全体の意見を反映したまとめ」を作る 力は人間より優れており、意見の違う人どうしの「分断意識はかなり解消される」と述べ、 「プラトンの哲人王ではなく、ルソーの一般意志を探してくれる」と表現した。

2013 年に「科学とは他者と合意を作る公共的な手続きである」と定義した先生が、11 年後 に、その手続きを実際に動かす技術を見たことになる。(図 2)

19 図2

20 動かなかった 5 つの基準

対象は年ごとに広がり続けたが、評価の物差しは 13 年間ほとんど動いていない。

第 1 に、仕組みが説明できるか。2013 年の「プロの仕事」(専門家をうならせる厳密さ)か ら、2016 年の「生化学のプロとアマ」、2017 年の「現象論から因果論へ」、2025 年の「現 象論から因果性へ」まで一直線である。そして 2026 年 8 月 5 日、100 万人規模のデータでが んを予測する AI に対し、こう書いた。

「予測競争だけに終始して、経時的データから何がわかるのかの検討が皆無」 「黒い箱の診断ツール開発だけに使うことは、少なくとも医学研究としてはやめた方がい い」

第 2 に、着眼点。2014 年「このアイデアが全てだ」、2015 年「着眼点の勝利」、2018 年 「iPS を冬眠させる:着想に脱帽」、2021 年「膝を打った」。

第 3 に、患者に届くか。2013 年、新しさの乏しい高橋淳氏の論文を「何か新しい事がわかっ た訳ではない」としながら「是非報道して欲しい論文だった」と評したのが最初である。

第 4 に、地道な仕事への敬意。「地道」「手のかかる実験」「頭が下がる」が 13 年間繰り返 される。

第 5 に、自分を例外にしない。2015 年「一番常識的な人間」、2016 年「私自身も誤認して いた」、2018 年「到底非難できる立場にない」、2019 年「あまり人の意見を聞く方ではな い」、2025 年「全く門外漢で、殆ど理解できていない」。

この 5 つに加えて、2017 年から現れた値段への視線も動いていない。第 1 章で触れた 2026 年 8 月 13 日の回——新しい抗 RAS 薬の耐性を扱い、「全く新しい ras バイオロジーが始ま る」と評価した、その同じ回の最後に、先生はこう書き添えている。

21 「現存の ras 阻害剤のように月 100 万円を超す値段をよりアフォーダブルな価格に抑え てほしいと期待する。そのためには、特許の期間をもっと延ばしてもいいような仕組み が必要な気がする」

2018 年にスピンラザの年間 2,796 万円を「異常な高薬価」と書いてから 8 年。新しい薬が出 れば、必ずその値段を書く。しかもここでは、「高い」と嘆くのでも、特許を短くして後発 薬を急がせよという通り一遍の話でもない。特許の期間を延ばしてでも、月々の負担を下げ られる仕組みを作れないかという提案である。値段を、制度の設計の問題として考えている。 2015 年の「構造問題として分析できない社会は『子供の国』」が、13 年目の最終週にもそ のまま生きている。

最初の問いに戻る ― 2026 年 6 月 3 日

2026 年 6 月 3 日、78 歳の誕生日に、先生は右の耳下腺にできた唾液腺がんとリンパ節への転 移を公表する。5 センチを優に超える腫瘤で、「最近の大きくなり方から、かなりアグレッ シブだと覚悟しています」と書く。

そして続けた。

「これまで皆さんに伝えてきたように、ゲノムも含めて徹底的に調べようと決めており」 「主治医と患者だけでなく、病理やゲノム検査が統合されることで得られるデータに基づい て自分のがんを知り、納得して戦える新しい医療に貢献できたらと思っています」

顔面神経を切って作り直すことも覚悟しており、麻痺は避けられないため Zoom や講演は当 分中止する。しかし論文ウォッチは続ける。

「論文ウォッチはもう少しで 5000 回に到達します。そこまでは二人三脚で頑張ろうと話し ています」

22 2013 年に「人間が参加したトライアルは公共のデータである」と書いた先生が、13 年後、 自分の身体を公共のデータとして差し出した。最初に立てた定義に、最後は自分自身が入っ た形である。

6 月 15 日の手術のあとも、8 月 18 日まで一日も途切れていない。

累計およそ 4,940 回(※2)。5,000 回まで、あと 60 回ほどである。

23 あとがき

西川伸一先生とは、2019 年ごろから 2026 年 3 月まで、サンスター株式会社の研究部門でご 一緒させていただき、奇しくも 2026 年 3 月をもって先生がサンスターの研究顧問を退任する と同時に、私もサンスターを退職させていただいた。 先生からは「本物のサイエンスの考え方」をサンスターの経営や研究戦略に導入するため、 様々なご提言や多くのご指導をいただいた。本当に、先生の科学的な考察の深さに、ただた だ勉強させていただくばかりだった。 今回、退職後の時間を使って、先生の論文ウォッチを 2013 年から改めて俯瞰してみた。実に 13 年分で、累計約 4,940 稿(※2)もあった。 読み進めるうちに、気づいたことがある。先生が書いておられるのは、科学や技術の成果に ついての解説だけではない。その成果が社会に対して何をなしうるのかという問いが、いつ も同じ文章のなかに置かれている。むしろそちらが本題であって、論文はそれを考えるため の素材なのではないか——そう思うようになった。 そこで、一つの仮説を立ててみた。先生のこの 13 年の仕事を、ばらばらの 4,940 稿としてで はなく、ひとつながりの流れとして俯瞰したら、どう見えるだろうか。本書はその試みであ る。 先生がお読みになれば、おそらくこう言われるだろう。「これは違うで。もっと違う視点で 考えてみたら」「現象だけを並べても仕方がない。因果を考えなさい」。——お叱りを受け る覚悟で、ぜひご意見を伺いたいと思っている。 最後に。常々、先生は、5,000 回までは毎日やりきるとおっしゃっていた。5,000 回まであと わずかである。目標に届いたその日からは、どうか毎日でなくて構わないので、これからも 書き続けていただければと願っている。 2026 年 8 月 18 日 上田俊吾

24 注記 ― 出典と数え方について

(※1) 本書の引用はすべて、AASJ ホームページ(aasj.jp)に公開された「論文ウォッチ」および関 連する稿の本文によります。日付は掲載日です。

(※2) 累計回数は、西川先生ご自身の記述を基準としました。2025 年 6 月 3 日の稿に「論文ウォッ チもなんと 4500 回を超えました」とあり、そこから 2026 年 8 月 18 日までの 441 日をほぼ毎日更新と して加えた推計です。

カテゴリ:活動記録

8月23日 神経活動と血流調節の再検討(8月20日 Science 掲載論文)

2026年8月23日
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非侵襲的に脳活動を調べる方法の一つに機能的MRI (fMRI) があるが、これは我が国の小川誠二先生が米国ベル研究所で開発された方法で、酸素結合によるヘモグロビンの磁気特性の変化を用いて脳の局所血流の変化を捉えることができる。何よりもこの血流変化が脳の活動状態と一致していることが示され、脳の活動を血流変化として捉えるBOLD法が定着した。即ち、我々の脳は必要な場所にエネルギーを向けるシステムを持っており、これが脳の圧倒的省エネシステムの基盤になっている。

今日紹介するカナダ・モントリオール大学からの論文は、このBOLD法がどこまで神経活動と連結しているのかを、生きたマウスで神経細胞に血液を供給する血管のサイズ変化を調べるイメージングと脳活動イメージングを同時に行うことで再検討した研究で、8月20日号の Science に掲載された。タイトルは「Modality-specific neurovascular coupling via layer-segregated arteriole networks(神経の役割に特異的な神経血管連結は各層に分離した小動脈ネットワークを通して行われる)」だ。

この研究では足の痛み感覚とタッチされる触覚で興奮する感覚野を、神経のカルシウムイメージングとfMRIとおなじヘモグロビンの変化を同時に測定し、酸化ヘモグロビンと神経活動領域がほぼ一致することから、これまでのfMRIが間違いでなかったことを確認している。しかし、酸素が受け渡された後のヘモグロビンを調べると、触覚領域のほうが脱酸素したヘモグロビンが圧倒的に多い。即ち、触覚神経でよく酸素が消費されている。

この差は全て神経への血流を調節する血管の変化を反映しているので、単一細胞の神経とそれを支える血管の流れを調べると、痛み神経と触覚神経の血管を流れる赤血球の動態に大きな変化があることがわかった。即ち、痛み感覚神経ではほとんど血流の変化が見られない。これは大変だと、他の神経層も含めて横断的に調べると、他の層、特に4-6層では比較的血流は一致しているが、2/3 層で大きな変化があることがわかった。そしてこの差が、神経興奮に合わせた小動脈の拡張度の差と、拡張後の再収縮の差によることを明らかにしている。

以上の結果は、神経の役割ごとに異なるタイプの血管ネットワークが形成されており、しかも脳の各層ごとに血管網の反応性が異なることを示している。運動神経や、自発的な神経興奮についても調べており、自発興奮の場合、痛み神経と同じように浅い層での血流が低下する傾向を示したが、運動神経では浅い層も深い層も血管の変化はほぼ同じであった。

以上の結果は、神経血管の連結現象は、神経が活動すれば血流が向くという単純な話ではなく、神経の役割や、脳の各層で、対応する血管網が異なる反応をしていることを示している。もちろんこれまでのfMRI研究の結果を否定するものではないが、より正確な神経活動のモニターにはBOLDではなく、Cerebral Blood Volumeを測定する方法が適していると結論している。いずれにせよ、神経活動から発生するどのようなシグナルが今回示された血管の変化を誘導するのかが明らかになることで、より神経活動の測定も正確になると思われるが、AIの人たちも注目するむちゃくちゃおもしろい分野に発展する可能性がある。

以下のWordPressからわかるように、この記事はHPにアップロードした5000回目の記事になる。

論文ウォッチについては、下図にあるようにあと281の記事をアップロードする必要があり、おそらく来年の5月ぐらいになると思う。なんとか健康で、論文ウォッチ5000回を迎えたいと思っているが、ともかく全記事が5000回になったことは本当にうれしい。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月22日 炎症を調節する意外な分子(8月20日 Science 掲載論文)

2026年8月22日
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細胞死の中でも好中球で起こる Neutrophil Extracellular Trap (NET) はユニークなので、このブログでも何度も紹介してきた。具体的には、細胞死が誘導された白血球が脱凝縮したDNAをほとんど分解することなく細胞外に吐き出す現象を指す。この結果、吐き出されたクロマチンにより炎症が局所化して長く続くことになる。誘導過程についてはよく研究されており、NETが誘導される前にヒストンのシトルリン化を誘導してクロマチンをほどけやすくする酵素やクロマチンの分解を促進する Neutorophil Elastase などが核内に移行する厳密にプログラムされた現象であることがわかっている。

今日紹介する英国のクリック研究所からの論文はこのプログラムになんとDNA組み換えに関わるRAD51も関与することを明らかにした研究で、8月20日号の Science に掲載された。タイトルは「RAD51 stabilizes neutrophil extracellular traps to compartmentalize inflammation(RAD51はneutrophil extracellular trapを安定化させ炎症を限局化する)」だ。

おそらく白血球が吐き出したNETを眺めていて、活性化酸素で切断されたクロマチンが枝状にまとめられているのを見て、RAD51による一種の組み替えが起こっているのではと想像を巡らせたのだと思う。そこで白血球のNETを誘導すると、RADは neutrophil elastase と同じように細胞質から核内に移り、その後DNAとともに組織へと吐き出されることがわかった。さらに、RAD51の阻害剤を加えると、NETの枝状の塊が緩くなり、DNA分解酵素の作用をうけやすくなる。即ち、NETが組織内で持続するために必須の分子であることを発見した。

NETは様々な刺激で起こるが、おもしろいのは刺激に応じてRAD51の誘導が変化することで、カンジダのフィラメントは誘導能力が高い。これにより、炎症の限局化程度が変化することが予想される。そこで、しっかりと限局するNETと緩いNETでの炎症状態を比べるため、RAD51を阻害して緩いNETを作って、様々な炎症性サイトカインを比較している。その結果、完全なNETの場合誘導されるIL-1βの発現が、RAD51阻害により緩んだNETでは大きく低下することがわかった。これは NETが炎症を増強していることを示すが、話はそう単純ではなく、通常なら IL-1βと同じように振る舞う IL-6 は、RAD51阻害で逆に上昇する事がわかった。他のサイトカインを調べると、NETが緩むことで2型の炎症へとスイッチすることが明らかになった。

この原因を探ると、NETが緩みDNA分解酵素の作用を受けやすくなると、切断されたDNAが血中に入り、これが単球のTLR4を介して IL-6等の炎症物質を誘導していることがわかった。実際、RAD51を阻害すると、血中のDNA量が上昇するし、また血中に単球が移行出来ないようにすると、IL-6は誘導されない。

以上の結果は、RAD51がNETの構造の安定度を調節する重要な因子で、この作用のチューニングにより炎症の様態が全く変化することを示している。最後にヒトのアスペルギールス感染症をこの視点から再検討しており、一般的にはある程度緩いNETが形成されている病気であることが示されている。最後に、この緩いNETにより活性化された IL-6やエオタキシンを中心とする炎症が、重症の喘息の原因になっている可能性を示唆しRAD51も治療の対象になる可能性を示している。

RAD51は免疫グロブリン遺伝子の再構成に必須で、免疫学者には馴染みの分子だが、これが炎症の調節に関わるとは、以外性のあるおもしろい論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月21日 少し変わったガン免疫の話(8月19日 Cell Reports 掲載論文)

2026年8月21日
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今日はガンキラー細胞に関わるが、決して直球というわけではなく、変化球を投げられたような研究を2編紹介する。

まず最初は我が国の大阪大学、慶応大学、そして理研からの論文で、110歳を超える方の T細胞 から明らかになる、ユニークな CD4Tキラー細胞 についての研究で、8月19日 Cell Reports に掲載された。タイトルは「CD4 CTLs in supercentenarians: Signs of adaptive expansion in healthy aging(超百寿者に見られる CD4CTLs : 健康的老化に伴い上昇する証拠?)」だ。

この研究では70-100歳までのAグループ、100歳代のBグループ、そして110歳を超えるCグループに分け、末梢血の免疫細胞を調べる中で、通常見られることが少ない CD4陽性 の キラー細胞CD4CTL が100歳を超えると増加し、Cグループではなんと末梢血T細胞の20%に達することを発見する。

この CD4CTL の分化経路を確認した後、T細胞受容体 (TcR) を調べると、通常は起こらないはずの2種類の TcRβ や TcRα を発現した T細胞 の数が増加しており、また個人ごとに特定の TcRレパートリー が増加していることを発見する。また、TcRγを発現した CD4細胞 すら見つかる。血液で言うと一種のクローン増殖が起こったように見える。即ち特定の TcRクローン、それも通常は希なユニークなクローンが増加している。そこで、超百寿の人たちで見られた TcRレパートリー と同じ V遺伝子 の発現をデータベースで探すと、なんとガン患者さんについてのデータベースに記録されているレパートリーと一致した。すなわち、超百寿者ではガンの環境で刺激されたレパートリーが選択的にクローン増殖していることを示唆している。

超百寿者の血液を使った研究はここまでで、あとは CD4CTL が何かについて詳しく調べており、ガン組織でさまざまなサイトカインを発現し、炎症を通して、あるいは直接ガンやウイルス細胞、さらには老化細胞のサーベーランスに関わる可能性を示唆している。マスメディアにも多く紹介されており、「がんに対するキラー細胞が多いと長寿につながる」といった感じで紹介されているが、本当にクローン増殖を誘導した抗原が何かについては今後の研究が必要だ。しかし超高齢者から学ぶことは多い。

次はワシントン大学からの論文で、Il2β受容体特異的に操作した IL-2 をそのまま患者さんに投与するより、ビフィズス菌に発現させて静脈注射することで、ガン組織でキラー細胞を増殖させることができることを示した研究で、7月23日の Science Advances に掲載された。タイトルは「Engineered probiotic Bifidobacterium for tumor-targeted pancreatic cancer therapy(ビフィズス菌を膵臓がん治療用に操作する)」だ。

IL2Rβ に特異的に結合することで、エフェクターを増やし、Treg を減らすことができる スーパーIL-2 や IL-15 については何度も紹介してきたが、これまでの治験では毒性も残ったりで期待ほどの効果は上げていないらしい。そこで、ビフィズス菌にこの スーパーIL-2遺伝子 を入れてガン特異的に発現させるというアイデアが生まれた。

ビフィズス菌を腸に移植するというのはわかるが、静脈に注射してガン組織に選択的に移行するというのは想像していなかった。ただ、ビフィズス菌は嫌気性菌なので、ガン組織のような嫌気環境に選択的に移行する事が知られていたようだ。この研究でも、注射後様々な臓器を調べ、ガン組織にだけ選択的に残っていることを確認している。また、腫瘍組織でビフィズス菌は STING分子 を介して自然炎症を活性化し、分泌する スーパーIL-2 が CD8T細胞 の増殖を選択的に誘導することを示している。

ここで使われた膵臓ガンモデルは、ガン細胞を直接膵臓に注射するモデルで、出来れば自然発生型のモデルを使ってほしいと思ったが、このモデルに スーパーIL-2 を分泌するビフィズス菌を静脈注射すると、腫瘍の増殖を抑えることができ、ガン組織のエフェクター細胞の数が増える。ただそれほど高い効果というわけではないので最後にゲムシタビンとの併用、あるいは放射線との併用治療実験を行い、ビフィズス菌が治療効果を高めることを示している。

結果は以上で、ビフィズス菌を静脈注射しても大丈夫で、しかも嫌気的環境が形成されておれば腫瘍に蓄積することが出来ること自体がおもしろい。ただ示された IL-2 の効果はそれほど高くないので、他の遺伝子のキャリアーとして使った方が良さそうだ。

以上、変化球型キラー細胞研究2編でした。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月20日 脳オルガノイドを5年以上培養したら(8月19日 Nature オンライン掲載論文)

2026年8月20日
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培養を長期に維持する培養条件はどんどん開発されているが、実際に長期培養をやるとなると、培養を担当するスタッフには大変なストレスになる。様々な細菌やウイルス感染が持ち込まれると、その時点でそれまでの苦労は水の泡になる。このようなコンタミネーションがないとしても、例えば培養中に急に細胞の状態が悪くなってしまうと、それが正常の老化なのか、あるいは何らかのミスなのかが判断がつかないまま、それまでの努力が失われる。

それでも、苦労をいとわず長期培養にチャレンジする研究者は必ずおり、今日紹介するハーバード大学からの論文はヒトiPS細胞から脳オルガノイドを形成させ、それをなんと5年以上培養し続けて起こる変化を調べた研究で、8月19日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Human brain organoids record the passage of time over multiple years(ヒトの脳オルガノイドは複数年にわたる時間経過をレコードしている)」だ。

論文を魅力的に見せるテクノロジーに長けたグループのようで、5年培養したら神経再生過程が変化していた等と書く代わりに、脳のオルガノイドが時間を記録しているというタイトルを付けている。しかし結局は培養でも5年もすればエピジェネティックな変化が起こってくることを示した研究と言える。

このグループはできるだけ正常の脳に近いオルガノイドができる培養条件を長年研究してきており、その成果として5年という長期のオルガノイドの培養に成功している。異なる培養時間のオルガノイドの遺伝子発現を比べると、見事に発現遺伝子が徐々にシフトしていることがわかる。そしてこの変化は、DNAのCpGアイランドのメチル化と対応し、メチル化状態は実際の時間と正比例する。

一方で含まれている細胞の変化を見ると、最初増加してきた分化した神経細胞、特に介在神経は時間とともに減少するが、グリア細胞の数は上昇する。即ち、オルガノイドと言っても全く異なる細胞集団になっていることがわかる。この変化は実際の脳とは大分異なるので、長期培養だからと行って手放しで喜べない。

ただ、オルガノイドを自然の神経興奮が誘導出来る培地に移して培養すると、少なくとも1.5年までは機能的神経が維持され、しかも若いオルガノイドよりシナプス形成は強くなっていることがわかる。細胞レベルで調べると、神経興奮が起こることで興奮神経の数が大きく上昇していることがわかる。一方、介在神経は大きく抑制される。おそらく、同じ実験は5年以上経過したオルガノイドでは、興奮神経数が少なすぎて難しいのだろう。一方、オルガノイドを神経興奮が起こる培地に移して培養すると、2年間は興奮神経のネットワークを維持することができる。以上の結果は、脳ネットワークの維持に持続的な刺激が必要で、この条件でさらに長期に培養することが重要なことがわかる。

いずれにしても、5年培養した細胞の解析はこれ以上行われず、この後oldと表現されるのは1年程度経過したオルガノイドで、まだ興奮神経や介在神経が残っているこの時期のオルガノイドを用いて神経細胞の増殖力を調べている。一度オルガノイドを崩して細胞浮遊液にしたあともう一度オルガノイドを形成させると、oldオルガノイド細胞も再度オルガノイドを形成し、そこには崩す前のオルガノイドと同じ細胞が再生している。ただ、オルガノイドの大きさは小さく、増殖力は低い。ところが、若い細胞とミックスししてオルガノイドを形成させると、興奮神経が半分以上含まれるオルガノイドが形成される。さらに、未熟な神経前駆細胞も出現することから、oldオルガノイドの神経細胞にも、若い細胞のシグナルに反応して未分化神経細胞を再生する能力がある。ただ、oldオルガノイドの場合、興奮神経は2週間という短期間で数多く発生してくることから、すぐ成熟する前駆細胞が多く存在すると考えられる。

結果は以上で、これをoldオルガノイドの神経細胞が時間を記録していて、すぐに成熟細胞へと分化する記憶があると表現している。しかし個人的には、エピジェネティックに分化が方向付けられ、すぐに増殖力がある前駆細胞がoldオルガノイドには存在していると行った方が自然な気がする。皆さんはどう思われるだろうか?とはいえ、この研究のハイライトは5年間脳オルガノイドを維持したという一点にある。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月19日 CDK4/6 阻害剤はRb-1をエストロジェン受容体転写活性促進へと解放する(8月12日 Nature オンライン掲載論文)

2026年8月19日
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乳ガンの治療薬の選択肢は広がっており、特にエストロジェン受容体 (ER) 陽性の患者さんでは、ER阻害ともに、CDK4/6 阻害剤が使用されている。CDK4/6 は一般的な細胞周期阻害剤なので、もっと他のガンにも効いて良さそうなのに、圧倒的に乳ガンで成功しているのをちょっと不思議に感じていたが、今日紹介するオーストラリア・Peter  MacCallum ガンセンターからの論文を読んで、この謎を解くことが出来た。論文は8月12日 Nature にオンライン掲載され、タイトルは「Rb-driven transcription limits its tumour suppressive effects in breast cancer(Rbにより誘導される転写が乳ガンに対する抑制効果を台無しにする)」だ。

CDK4/6はRb1 のリン酸化を促進することで Rb1 を E2F から遊離させ、これにより細胞周期に必要な様々な分子の転写が E2F により誘導され、細胞周期が促進される。従って、CDK4/6 阻害は E2F の抑制を維持することで細胞周期を止める。これは生物学で習うスタンダードだが、Rb1 の働きを E2F 阻害という狭いサーキットの中でだけで見てしまっている。ただ、ずいぶん昔に紹介したように、Rb1 にも他の転写に関わる機能があることは指摘されていた(https://aasj.jp/news/watch/6219)。 

この研究も、乳ガンで CDK4/6 阻害したとき、リン酸化されなかった RB1 が他の転写機能をもっているのではと考えたところから研究が始まっている。実際には、乳ガン細胞に CDK4/6 阻害剤を加えたとき、E2F から離れた Rb1 がゲノムのどこに結合するかを調べている。そして、Rb1は CDK4/6 阻害により、それまで結合していなかったプロモーターやエンハンサー領域に結合することを確認している。

最も驚くのは、Rb1 が結合しているエンハンサー部分の多くがエストロジェンにより調節される遺伝子のエンハンサー部分で、実際に転写されてくる mRNA を調べると、転写が促進される。即ち、CDK4/6 阻害剤は細胞周期を止めると同時に、エストロジェンの転写を促進することがわかった。これは試験管内のことだけでなく、CDK4/6 阻害剤を投与された患者さんから得られるバイオプシー標本でも、確認される。

例えばエストロジェンはサイクリンD1の転写を調節しているが、CDK4/6 阻害剤を加えるとサイクリンD1の転写が促進される。結果、せっかくCDK4/6 阻害剤で E2F 活性を抑えても今度はサイクリンD1が E2F を活性化して細胞周期を回してしまう。この時、同時にERを阻害すると、サイクリンD1や他の ER 依存性の遺伝子の転写は抑えられ、CDK4/6 阻害剤の効果を維持することができる。

Rb1 が効果を示すメカニズムについても調べており、ER と結合してエンハンサー上に存在する脱メチル化酵素 KDM5A に CDK4/6 阻害剤により解放された Rb1 が結合し、KDM5A の機能を抑えることで、H3K4me 型ヒストンを維持して転写が促進されることを示している。

以上のことから、CDK4/6 阻害剤は ER 阻害とともに使用して初めて高い効果が得られることがわかる。例えば ER の変異により常に活性化型の ER が出来ている場合は、ER を分解するタイプの薬剤と併用すると、大きな効果が得られる。

乳ガンの多くの患者さんの経験を通して、今回示唆されたような至適な治療方法は経験的に認識され、実用化されているが、Rb1 と ER の強い関係を知って、CDK4/6 阻害剤+フルベストランと言う処方の意義をはっきり認識できた。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月18日 p53を標的にした急性骨髄性白血病治療(8月12日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2026年8月18日
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科学技術の大躍進以前に中国医学で最も印象に残る研究が、上海医科大学によって発表された、急性前骨髄性白血病を All-trans Retinoic acid によって分化させて完全寛解可能であるという発見で、現在も治療の第一選択として使われる輝かしい業績だ。

今日紹介する上海交通医科大学からの論文は、中国伝統の医薬 亜ヒ酸 (ATO) を用いて p53 の特定の変異を持つ急性骨髄性白血病患者さんを治療できることを示した研究で、8月12日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Mutant p53 reactivation and DNA demethylation in the treatment of AML/MDS(変異 p53 を再活性化させ DNA脱メチル化 治療と併用することで AML/MDS を治療できる)」だ。

変異 p53 の機能を回復させる化合物の開発が行われていることについてはずいぶん前に紹介したことがあるが(https://aasj.jp/news/watch/7549)、 中国伝統の亜ヒ酸も一部の変異 p53 の DNA結合能 を回復させられることが明らかになっていたようだ。この研究の目的は ATO をもちいて p53変異 がある悪性度の高い急性骨髄性白血病 (AML) を治療することだが、これまでの研究経緯や AML について知らないと戸惑う構成になっている、即ち最初から ATO を AML の治療に用いられる脱DNA脱メチル化作用を持つデシタビンと組み合わせて効果を調べており、しかも、AML治療としても注目されているインターフェロンの誘導活性から研究が始まっている。

デシタビンは DNA脱メチル化 を通して DNA損傷や内在ウイルスを活性化させてインターフェロンを誘導することが知られているが、R282W変異p53 が存在する AML にデシタビンとともに ATO を加えると、インターフェロン反応性遺伝子のうち IRF7 が強く活性化され、白血病細胞の増殖も抑えられることを示している。これも最初から IRF7 に誘導されてしまう感じだが、いずれにせよ、IRF7 の転写に絞ってデシタビンと ATO の効果のメカニズムを調べている。

結果は、ATO で機能回復した p53 は直接 IRF7 の調節領域に結合して転写を高める。次に、ATO により活性化された p53 がデシタビン処理によりリン酸化を受けることを発見する。もちろんデシタビンの直接作用ではないが、他の DNA 損傷を誘導する薬剤でも同じリン酸化が見られるので、修復に関わるメカニズムによりリン酸化が起こる。この結果、p53 とそれを抑制する MDM2 分子との結合が阻害され、機能を回復した p53 による IRF7 の転写活性が増強され、AML の増殖が抑制されることになる。

メカニズムについてはここまでで、後はマウスに変異 p53 を持つ AML を移植する系でデシタビンと ATO の併用が高い治療効果を示すことを示している。そして、この論文のハイライトになる、実際の AML 患者さんの治療に進んでいる。ATO が効果を示すとわかっている5種類の p53 変異を持つ患者さんに週5日、一ヶ月デシタビン+ATO治療を行っている。結果はめざましいもので、1例は最初増殖が抑えられたが3週後からコントロールできなくなっているが、4例でほぼ完全寛解が得られている。重要なのは、正常の血液細胞の増殖が治療中から再開することで、骨髄を完全に抑制する抗ガン剤治療とは全く異なることがわかる。高齢者の AML には大きな朗報になる。さらに、他の治療と比べると副作用が大幅に低下しており、これも素晴らしい。最後に、ATO の効果が得られる p53変異 について、しらみつぶしに調べており、程度の差こそあれ多くの変異で ATO の効果が見られる可能性を示している。

以上の結果、p53変異 を持つ AML は、まず p53 変異を配列レベルで調べ、ATO が効きそうなケースではデシタビンとの併用治療を強く勧めている。今後各国で検証が進むと思うが、中国の伝統医学を起点とした重要な治療になる気がする。この研究を発表した上海交通大学は、論文を読んでいると結構伝統医学を重視した研究が多いような気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月17日 ポリアミンとフェロトーシス(8月14日 Cell オンライン掲載論文)

2026年8月17日
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ポリアミンは複数のアミノ基が炭化水素により結合した化合物の総称で、我々の身体にはアミノ基の数により、プロテシン、スペルミジン、スペルミンが存在する。代謝システムもよく解析されており、様々な腫瘍の増殖抑制を目的としたポリアミン代謝阻害剤の治験が進んでいる。一方で、老化とともにポリアミンの合成が低下することが知られており、老化炎症を抑える目的でサプリまで売られている。しかしポリアミンの生化学的な機能については、マイナスチャージ分子に結合する以上にはっきりしたことがわかっていない。

今日紹介する米国MITからの論文は、ポリアミンの細胞機能について徹底的解析を行い、ポリアミンが酸化還元活性鉄をキレートして、フェロトーシスが起こるのを阻害していることを示した研究で、8月14日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Polyamines buffer labile iron to suppress ferroptosis(ポリアミンは不安定な鉄を干渉してフェロトーシスを阻害する)だ。

フェロトーシスは細胞死の一つで、酸化還元活性鉄依存的に膜脂質が酸化され、細胞膜が破れて起こる過程で、これを標的にした臨床応用研究が加速しており、論文もよく目にする。この研究ではポリアミン合成を阻害したとき細胞を守る分子をスクリーニングし、フェロトーシスに関わる脂質を守る遺伝子 GPX4 がポリアミン合成阻害による細胞傷害を抑えることを明らかにする。

これをきっかけに、ポリアミンがフェロトーシスを介して細胞に必要であることを確認した後、そのメカニズムについて、これまでフェロトーシス調節に関わるとして知られている経路を一つ一つ当たり、最終的に酸化還元活性鉄の量がポリアミンにより著しく上昇し、この結果脂質の酸化が進み、フェロトーシスが起こることを発見する。

この研究のハイライトの一つは、細胞レベルで酸化還元活性鉄が変化することを示すために、RNA の持つ鉄センサー IRE を利用したレポーター系を構築し、ポリアミン合成が抑えられると、酸化還元活性鉄が上昇する事を見事に示したことだろう。そして、最終的にポリアミンが金属イオンと結合するキレート剤として細胞内で働くことが、ポリアミンの最も重要な作用であると結論している。

これらのメカニズムを考えると、元々鉄代謝の活性が高いガン細胞をポリアミン阻害剤で叩くという発想は納得でき、現在治験中の腫瘍のみならず、さらに多くのガンに対する治療薬として拡大する可能性はあると思う。

現在どのぐらい利用されているのかは全く知らないが、我々の世代はポリアミンの代表スペルミンを、DNA や RNA の構造を維持する目的で、反応系に加えることがしばしばだった。そのため、ポリアミンの必要性は核酸保護と勝手に考えてきたが、この論文はこの思い込みを正してくれた。勉強になった。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月16日 肉を切らせて骨を断つマラリアワクチン(8月13日 Science 掲載論文)

2026年8月16日
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このブログでマラリア研究論文を紹介することは多くないが、それでも13年で20回ぐらい論文紹介に登場している。それほどマラリア原虫に対する研究の歴史は長く、それが薬剤やワクチンの開発に直結してきた。マラリア原虫は蚊の唾液腺内での有性生殖・接合により形成されたスポロゾイトが血液に入った後、肝臓細胞内に侵入、そこで増殖したあと細胞の膜に囲まれたメロゾイトと呼ばれる集合体を作り、これが肺に移行して赤血球に感染する。病気は赤血球に感染したあと原虫が無性生殖で増殖、赤血球破壊を繰り返すことで起こる。現在スポロゾイトに対するワクチンは広く利用されているが、完璧ではない。

今日紹介するオーストラリア・ウォルターエリザホール研究所からの論文は、肝臓で増殖後のメロゾイトを抗原として使うワクチンで、8月13日 Science に掲載された。タイトルは「Chemovaccination with a late-liver-stage antimalarial induces durable immunity against malaria(肝臓ステージ後期を用いる化学ワクチンはマラリアに対する持続的免疫を誘導出来る)」だ。

実はタイトルの Chemovaccination を見て、何をするのかと興味を持って読んだ。そして、スポロゾイトを感染させた後、クロロキンなどの抗マラリア剤で肝臓ステージから赤血球への感染を防いで、この時に肝臓で合成されるメロゾイトを自然の抗原として利用して免疫する、まさに肉を切らせて骨を断つ免疫法になる。これまでもクロロキンを用いてパイロット治験も行われており、良い成績を収めていた。ただ、スポロゾイトを感染させると言うハードルは高そうで認可されていないらしい。

この研究では、クロロキンよりさらに特異的な肝臓ステージを狙った薬剤WM382(2つのaspartyl protease plasmepsin阻害剤)が開発されたので、これを用いて Chemovaccination が可能かどうかを検討している。

40000個のスポロゾイト(ルシフェラーゼ遺伝子を発現する)をマウス血中に注射、36、48時間後にWM382を経口摂取させると、血中には全くマラリア原虫は出現しない。その後95-167日後に再感染させても、chemovaccination では完全に感染が防げる。この時期には薬剤は完全に消失しているので免疫が成立していると考えられる。

実際抗体を調べると、chemovaccination でスポロゾイトのCSPタンパク質に対する抗体が、581日目まで高い抗体価が維持されている。即ち、肝臓ステージのメロゾイトを抗原として使っていても、しっかりスポロゾイトの感染を抑えられる。同じ実験をクロロキンで行うと抗体価が少し低いので、WM382を使うことが推奨される。

このワクチンは抗体で感染初期を抑えているだけではない。CD8に対する抗体を投与して免役したマウスのCD8細胞を除くと、肝臓での原虫の増殖が起こることから、抗体に加えてCD8T細胞が誘導され、これがおそらく感染細胞を傷害して感染を食い止める。

以上は全てマウスでの実験なので、免疫不全マウスにヒトの肝臓細胞、ヒトの免疫細胞及び赤血球を再構成したヒト化マウスを用いて同じ実験を行い、肝臓ステージの増殖を完全に抑えることができること、そしてその結果赤血球への感染を防げることを示している。

以上が結果で、chemovaccination というユニークな、肉を切らせて骨を断つワクチンのアイデアを学ぶことが出来た。ただ、肉を切らせる部分をどこまで認可されるかが問題だろう。いくら薬剤で抑えられると言っても、ホストの免疫状態など人間の多様性は大きい。ただ、病原菌の生活サイクルを熟知することが新しいワクチン開発に重要であることはよくわかる論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月29日 兵庫県・神戸市難病団体連絡協議会設立50周年記念事業 「患者と研究をつなぐ寄付文化を考える」のお知らせ

2026年8月15日
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AASJが発足当初から協力してきた兵庫県・神戸市難病団体連絡協議会(難病連)が設立50周年を迎えました。難病連では記念事業の一つとして、神経難病の多系統萎縮症で亡くなった患者さんが遺された寄付を、ノーベル賞受賞者の山中伸弥先生、坂口志文先生に贈呈することを決定しました。 8月29日1時から贈呈式を神戸市立中央区文化センターで執り行います。


この機会に講演会として、両先生の神経難病への取り組みをお話しいただくとともに、お二人に加え、神戸市医療産業都市推進機構理事長の成宮周先生、および本事業を共催するNPO法人AASJの西川の4名で、我が国において患者と研究をつなぐ寄付文化を発展させる重要性について話し合います。この会には、京都大学元総長の井村裕夫先生も参加していただける予定です。

会場は大きくないので、直接参加は難しいのですが、当日はYourTube、AASJチャンネルからリアルタイムで配信予定ですので(https://youtube.com/live/zbyxHg-sZMM?feature=share)、是非ご視聴ください。 

カテゴリ:セミナー情報