限定戦争は難しい
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限定戦争は難しい

2019年8月22日

おそらく人類誕生以来、人間は戦争を繰り返してきた。確かに、未開民族の研究では、多くの戦争は相手を殲滅させる全面戦争というより、できるだけ生命の犠牲が少ない形で白黒をつける儀式と考えられているが、数千年前、帝国が誕生し国家間の戦争が始まると、全面戦争が普通になっていったことは、多くの資料が物語っている。

この生存を重視する自制に基づく限定戦争から、全面戦争への転換がいつ起こったのか、それぞれの文化や民族が持つ国家観によるところが大きいが、マヤ文化では9−10世紀の古典時代の終期以前には、集団の間で争っても、全面戦争を防ぐ合意が存在していたと考えられてきた。

ところが最近米国地質学研究所のグループは、マヤ文明でも7世紀にはすでに相手を殲滅する目的の全面戦争が行われていたことを碑文と発掘資料から明らかにしNature Human Behaviourに発表した (Wahl et al, Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya , Nature Human Behaviour :https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x)。

全て詳細は省くが、この研究では碑文に書かれた「(西暦に換算して)696年5月21日にがWitznaがPuluuy(燃え尽きた)」という表現が、どの程度の破壊であったのかを、Witzna近くの湖の炭素沈殿物から推察している。

結果は碑文と一致して、400年から650年まで何回か大きな火事が起こったこと、650年に最大の火事が起こって、その後人間の活動がこの地域からほとんど消滅したことを発見している。

この結果は、Puluuyという単語が、単純な火事を指すのではなく、全面戦争という意味を持っており、650年の戦争で、その地域は人間が生活できないところまで完全に破壊されたことを物語っている。

これまでマヤ古代文明では、わが国と同じでその地域の支配者やその一族が犠牲になることで、戦争は終わると考えられてきたが、そうではなかったという結論だ。

これと比較すると、わが国で多くの争いを終わらせた切腹という儀式がいかに人道的なものであったのかよく理解できるが、ひょっとしたらこの背景には、天皇という、独立した国家観が君臨していたおかげかも知れない。


8月22日 頭が固くなるメカニズム(8月22日号 Nature 掲載論文)

2019年8月22日

年をとると頭が固くなるとよく言われるが、機能を支える脳組織までが固くなっているとは、今日紹介するケンブリッジ大学幹細胞研究所からの論文を読むまで想像だにしなかった。タイトルは「Niche stiffness underlies the ageing of central nervous system progenitor cells (ニッチが固くなることが神経前駆細胞の老化の背景にある)」だ。

もともと著者らはOPCと呼ばれる脳に存在する多能性の幹細胞の老化について研究していた様だ。新生児と老化マウスから採取したOPCを通常の条件で培養すると、たしかに老化OPCの増殖は遅い。ただ、この性質が老化した脳という環境によって誘導された結果なのか、OPC自体の老化なのかを調べるために、老化OPCを新生児の脳に移植すると、若返って増殖能を回復することを発見する。すなわち、脳の環境が違っている。

このニッチによるOPCの老化の分子メカニズムを探るべく、老化脳と新生児脳の組織から全て細胞を取り除き、マトリックスだけにしてOPCを培養すると、ニッチは細胞ではなく、マトリックスにより形成されていること、そして実際にはマトリックスが硬いとOPCの老化が進むことを、コンドロイチナーゼでマトリックスを分解して柔らかくする実験で確かめる。すなわち、老化マトリックスも酵素処理で柔らかくすると、老化OPCが若返る。

そこで、ただOPCを培養する基質の硬さを変えるだけで同じことが起こるかどうか、硬さの違うハイドロゲルの上でOPCを培養すると、柔らかいハイドロゲルの上で培養した老化OPCが若返る一方、硬いハイドロゲルの上で培養した新生児OPCが老化することを発見する。

ここまでくると、細胞が硬さを認識するメカニズムが老化を決めていると想像できるので、メカノセンサー分子PIEZO1に焦点を絞って研究を行い、老化OPC ではPIEZO1の発現が高まっていることを確認し、さらにこのセンサーの発現を落とすと、老化した環境でもOPCの増殖が維持できることを明らかにする。

最後に老化マウスの脳内のPIEZO1をCRISPRシステムを利用して発現量を落とすと、増殖が高まり、さらにミエリンの再生能も高まることを明らかにし、老化によって固くなった頭を認識している機構がOPC上のPIEZOであることを明らかにする。

最後に、PIEZOの正常での機能を確かめる目的で、この分子を新生児期にノックダウンすると、OPCの数が5倍に増えることがわかり、この分子がOPCの脳内での数を決める分子であると確認している。

話はこれだけで、PIEZOが上昇するのが、頭が固くなった結果なのかがはっきりしない点は問題だが、文字通り頭が固いことについての研究だと思うと、面白い。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月21日 胆石のでき方(Immunity オンライン掲載論文)

2019年8月21日

胆石はビリルビンとコレステロールが混ざり合って胆嚢のなかで結晶化することで起こる。胆嚢内に存在するだけでは問題ないのだが、胆汁の流れを止めると炎症を起こして痛みの発作をおこす。脂肪の摂取が増えて、コレステロールが析出しやすくなったために、引き金が引かれるのだろうと漠然と考えていたが、厳密にいうと、何が胆石の核になって結晶化の引き金を引くのかはよくわかっていなかった様だ。

今日紹介するドイツ のフリードリッヒ アレキサンダー大学からの論文は、胆石の結晶化の引き金になるのが白血球のDNAであることを示した研究でImmunityのオンライン版に掲載された。タイトルは「Neutrophil Extracellular Traps Initiate Gallstone Formation(好中球の細胞外分泌物が胆石形成を開始させる)」だ。

このグループは胆石形成の核になる物質を探す目的で、胆汁の中の小さな沈殿物を調べ、その中にDNAと好中球のエラスターゼが存在することを発見、また好中球の存在下に胆石を加えるとエラスターゼが吸着すること、そして好中球のDNAトラップがコレステロールとカルシウムの凝集を促進することを調べ、胆石形成の最初の過程に好中球が関わると結論した。

この発見がまさにこの研究のハイライトで、あとは好中球がどの様にコレステロールなどの胆石の成分を集めて胆石を形成するのかを順を追って調べている。詳細を省いて結論をまとめると次の様になる。

コレステロールが析出してできた結晶と好中球とが触れると、マクロピノサイトーシスと呼ばれる過程が誘導され、結晶が細胞内に取り込まれ、これにより活性酸素が誘導され、またリソゾームからカテプシンなどの酵素が細胞質に漏れて、クロマチンを破壊、粘着性のDNAが組織に発生し、これがコレステロールとカルシウムの凝集を誘導して胆石が形成されることを示している。そして、それぞれの過程を遺伝的、あるいは薬剤で阻害すると、この発生を抑制して、胆石を抑えることができる。

話はこれだけだが、マウスモデルでこの過程に関わるaruginin deaminaseを抑制すると、胆石形成を抑制できることも示しており、さらにすでにできている胆石の成長を遅らせることができることも示している。その意味で単純だが、根本治療が開発されることも期待できる面白い仕事だと思った。ただ、どうしてImmunityに掲載されるのか、それは謎だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

言葉の誕生

2019年8月20日

言語の起源 I


2017年6月1日


今回から言語の起源と進化について見ていこうと思っている。おそらくこのコーナーを読んでいただいている読者の多くの方は、「え!言語の起源」と驚かれるのではと思う。


「進化研究を覗く」というタイトルを見て生物進化について知りたいとこのコーナーを訪れていただいている読者のほとんどは、純粋生物学分野の人たちのはずだ。ところが神経系の進化についての話が終わった頃から、「意識、自己」と、話が進化研究から脱線を始め、フロイトの話まで進んでしまった。もうたくさんと密かに思いながら、ここまで付き合ってきていただいたのではと本当に感謝している。それでも、私の専門とは全く異なる言語まで進まないことには「進化研究を覗く」は完成しないと思っている。というのも、言語もまた38億年生命進化の結果だからだ。
一見進化とは無関係な話がなぜ延々続くことになったのか振り返ってみると、進化を「環境によるゲノム情報の選択」ではなく、「環境による統合された生物情報の選択」として捉えるために、生物個体に集合している情報を一つ一つ検討し始めたことに始まっている(図1)。

図1:人間には様々な情報がかたまって存在している。説明文中


進化を環境と生物情報全体の相互作用として捉えることの重要性は、動物進化を考えるとよくわかる。例えば神経記憶という情報がゲノム情報に加わると、環境が大きく変化して個体の適応性が低下しても、生存にかなった場所を見つけて生き延びることができる。すなわち、ゲノムに直接選択圧力がかかるのを、他の情報で防ぐことができる。隕石の衝突のようなビッグインパクトを除けば、この戦略は種の多様化に大きく貢献している。従って、閉じられた試験管内の大腸菌の進化で見られるルールを、自由に動くことが可能な動物に当てはめることはできない。


こう考えて、ゲノム、エピゲノム、神経回路などを、生物個体に集合している情報という観点からひとつひとつ検討してきた。地球上に存在する全ての生物情報媒体が集まっているのは図1に示したように人間だけだが、ゲノム、エピゲノム、神経回路は生物進化の異なる時期に現れ、その最後に人間だけに言語が発生している。そして、その都度生物多様性は急速に増大している。おさらいの意味で、もう一度これらの情報としての特徴を説明しよう(図1)。


生命誕生前の地球は完全に物理学の法則だけに支配され、情報として認められる因果性は存在しなかった。そこに生命誕生と並行して地球上最初の情報、すなわち塩基配列をコードとして用いたゲノム情報が誕生する。最初は機能を持つ高分子として現れたRNA(or DNA)が、たまたま4種類の塩基でできていたため、記号性を持つことになり、最終的に生命の情報媒体へと発展することになる。またこのおかげで複製が可能になり、情報の指示による化学反応の制御が可能になった。おそらく、ゲノム情報誕生が先で、そのあと現在のような生物が誕生したと思われるが、ゲノム情報は「非物理的因果性」として物理化学的因果性と合わさって、それ以前にはなかった生物という新しい因果システムが地球上に誕生し、生命の進化が始まった。


最初生物にはゲノムしか情報媒体は存在せず、当然進化は、核酸が本来持つ傾向からうまれる多様性を、環境が選択するという単純な図式の下で進む。組み替えによるゲノム情報の直接交換も行われることはあるが、原則として同じ情報が同時に個体間で共有されることはなく、環境にフィットした個体が選ばれ、子孫を残すことで進化が進む。


個体間で外界に関する解釈を共有できないというゲノム情報の難点は、クロマチン構造の調節を介して遺伝子のon/offを調節する機構、エピジェネティックス機構が誕生することで解決される(例えば温度の違いによりクロマチン構造は書き換えられる)。この機構は最初、情報が複雑化し大きくなったDNAをコンパクトにまとめるために発達したと考えられる。その後このクロマチン構造に関わる分子を遺伝子on/offを指令する情報として利用し、細胞分裂を繰り返してもそれを維持できるエピジェネティック機構が誕生すると、環境の状態を特定のクロマチン情報に転換して記憶し、異なる細胞同士で外界の刺激について同じ解釈を共有し対応することが可能になった。


具体的には、例えば環境により同じクロマチン構造の変化が異なる個体に誘導されることで、環境変化に合わせて遺伝子発現を変えることが可能になり、ゲノムの違いに影響されずに、個体を様々な環境で維持することができるようになった。この様々な環境に個体として適応できる能力により、さらに生物の多様化が可能になる。こうして生まれた同じクロマチン構造を共有するという特徴は、ゲノムは変化しないまま細胞が分化することを可能にし、生殖細胞と体細胞が区別される多細胞体制が可能になり、生命がさらに多様化する原動力になった。


しかし完全な情報という観点から見るとエピゲノムにはいくつかの問題がある。例えば、クロマチン構造による環境の解釈は、個体間・細胞間で共有できても、原則として子孫には伝わらない。すなわち、環境への対応は、個体が生きている時一回きりになる。また、ヒストンなどの分子の化学的変化に基づく反応は早くない。そしてなによりも、この情報はゲノムの存在が必須で、副次的な情報でしかない。


このエピゲノムが持つ情報としての独立性の欠陥を解決したのが、次に誕生した新しい情報媒体、神経ネットワークだ。もちろん個々の神経細胞自体には情報媒体としての機能はない。原始的な神経に見られる様に、感覚器がそのままシグナルを運動器に伝える様な構造では、外界の記憶が発生したとしても、それは全て神経細胞自体のクロマチン構造の変化が直接反映されたものだ。しかし、いったん神経細胞同士が結合してネットワークを形成すると、細胞自体の変化を超える、回路の構造が媒体となる情報が発生する。すなわちネットワーク結合のパターンと、ネットワークを構成する個々の神経細胞の特性の変化が統合された、DNAからは完全に独立した情報媒体が成立する。


この結果、外界の変化に迅速に反応するとともに、外界の変化を記憶したり、その変化に応じて行動を起こすことが可能になった。また、神経細胞興奮という同じ原理の上に形成される回路自体を複雑化することができるため、感覚、運動、記憶などのそれぞれの回路を複雑に連結することで、厖大な外界からの刺激の中から一部のみを選択するための基準、すなわち身体とは独立した神経回路の自己を形成し、また内外からの刺激を取り込んで、この神経回路の自己を常にアップデートすることが可能になり、さらにこの自己を基準として厖大な外界の刺激の中から重要なシグナルだけを選んで神経ネットワークの自己を書き換える過程、すなわち意識を生み出すことに成功した。


この神経ネットワークの機能について、道で知り合いに出会って、挨拶を交わすという行動を例に考えてみよう。人と出会うと、視覚、聴覚、あるいは嗅覚から特定の刺激を受けることになる。刺激自体は物理量の変化だが、全て神経ネットワークに転換した上で処理されるため、まず感覚神経の興奮へと転換され、神経ネットワークに入ってくる。刺激が神経回路上に表象される過程で、物理化学的刺激は完全にシンボル化された情報になる。この内外の刺激により誘導された興奮は、すでに形成されているその時点の神経ネットワーク(=神経ネットワークの自己)を基準に選ばれ、この選択フィルターをパスした興奮だけが、その個体の既存の神経ネットワークと相互作用を始める。フィルタリングされる段階で、視覚、聴覚、嗅覚などの入り口の異なる情報が統合されるが、人に出会うセッティングでは、入力刺激の統合過程で形とや色が備わった顔のイメージが形成され、場合によっては音や匂いが統合される。こうしてできたイメージは、次にネットワークの自己を形成する様々なサブネットワークと結合することで、刺激の内容が特定されると同時に新しいイメージに発展する。このイメージに基づいて、挨拶を行うという選択が行われ「○○さんご無沙汰しています。××大学での実験はうまくいっていますか」と実際に挨拶することになる。


もちろん神経ネットワークの形成や活動は、ゲノムやエピゲノムの支配を受けているが、基本的には神経興奮という同じ原理を共有する神経細胞のネットワークに表象され、様々なネットワークを自由に重ねたり、連結することで、独自の情報を形成していくのが神経ネットワークの特徴だ。情報としての特徴を見ると、個体レベルで環境変化に対する反応を起こせるエピゲノム情報と比べても、外界の変化に対する反応は極めて早い。もちろん外界についての解釈を、他の個体と同時に共有することも可能だ。しかし、こうして生まれた回路パターンや活性は、まだその個体一回きりで、世代を超えて子孫に伝えることは難しい。


迅速に情報を処理できる神経ネットワークの進化へのインパクトは大きい。例えば急に襲ってきた様々な変化に対して、迅速に対応し、過去の記憶もたどりながら広い範囲を移動して新しい生存環境を探す可能性が生まれ、より広い環境の変化に集団で対応することが可能になった。

図2:環境が限られると、自然選択によって生物多様性は減じると考えられる(上段)。しかし、自分のゲノムにフィットする新しい環境を求めて移動できれば、当然個体の多様化に応じて種も多様化できる(下段)。


図2に示す様に、ダーウィン進化論では多様化した個体の中で、環境に最もフィットする個体が子孫を残すと考えるが、このままでは集団内の多様性は減少する(オレンジ色ばかりになる)。例えば中立説では、この問題を選ばれた個体のゲノムのほとんどは選択に貢献せず、そのまま多様性として維持されると考えることで、自然選択により多様性が増大することを説明していた。エピゲノム機構がこれに加わると、個体レベルでの適応が起こり、ゲノムに対して直接の選択圧が加わることを軽減することができるようになるが、結果的には中立説の考えの少し異なるバージョンといってもいいかもしれない。いずれにせよ、中立変異やエピゲノムの効果が合わさり、ゲノムの多様性を維持したまま個体数が維持され、集団内のゲノム多様性は自然選択で減少することはない。


この上に神経ネットワークが誕生すると(文字通りの動物の誕生)、ゲノムから独立した情報に基づいて個体自体が、自分にフィットした環境へと移動することで、種の多様性を増大させることができる様になった(図2下段)。このように、エピゲノムや、神経情報も統合された生命情報全体と環境との相互作用を考えることが進化を考える上でいかに重要かを再確認いただけただろうか。


しかし図1に示した様に、エピゲノムも神経情報も身体から独立していない、その個体一回限りの情報だ。このため、極めて稀な例を除いて、その情報が子孫に伝わることはない。この限界を初めて破った生物情報が言語だ。この情報の誕生が、進化にどれほどの影響を及ぼしたのかは、現在100億人を越す人間が、地球上の隅々に生きていることを見るだけで理解できると思う。すなわち、科学をはじめこの人間の発展を支えた人間にしか存在しない高次機能は全て言語誕生から始まっていると言っていい。情報としてみると、同時代の個体と同じ情報を共有し、さらに一部を子孫に伝えることができる点が大きな変化だったと言える。
この様に進化研究を知るためには、他の動物とは際立って異なる人間の進化を抜きに終わることはできない。したがって「進化研究を覗く」も、図1に示した様に、この人間特有の進化の原動力となった身体から独立した情報、言語・文字・バーチャルメディアにいたるまで、その誕生と、生物進化へのインパクトについて考えるつもりにしている。しかし、ゲノム誕生、エピゲノム誕生、神経ネットワーク誕生と比べると、この作業はさらに困難であることは書いている私にもよくわかる。


というのも、これまで見てきた新しい情報の誕生は、少なくともそれに対応する物理化学的過程を構想することができた。例えば、RNAワールドで、偶然塩基配列がインデックス情報となり、最後にアミノ酸と結びついてシンボル情報になるといった過程だ。もちろん全ての過程を完全に解明できているわけではないが、エピゲノムも、神経ネットワークもそれが生命情報に統合される過程をなんとか説明できた。

図3:言語情報の生物学的研究の困難


一方言語誕生は神経ネットワークの活動から生まれたもので、それに対応する物理学的過程自体も神経回路へとシンボル化しているため、物質的痕跡が全く存在しない。このことを図3に示した。繰り返すが、言語のコンテンツとなる様々な情報は、物理化学的に記述される現象に対応していても、言語として表現されるまでに、一度ニューラルネットに転換され表象されるため、シンボル化されている。この特定の内容が表象されたニューラルネットを複数の個体が共有することができると、今度はそれが再度シンボル化され、言語ができる。このように、シンボルの体系から新たなシンボルの体系が生まれることが言語の生物学的研究の最大の困難で、私自身も言語の起源について説得力のあるアイデアがあるわけではない。


結局思いつくまま、言語誕生に関わる様々な研究を紹介することになると思うが、今後も是非お付き合いいただきたい。

[ 西川 伸一 ]

チョムスキーから始めよう
2017年6月15日

図1 出典:wikipedia
言語学と生物学を結びつけたチョムスキー


写真は米国MITで50年以上にわたって言語学研究を続けているノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)だ。本や論文は読んだことがなくても、名前を知らない人はほとんどいないと思う。
ギリシャ時代から現代まで、言語について多くが語られてきたが、近代言語学の父と呼ばれるソシュールも、一つの言語(例えばフランス語)の歴史や、言語の構造比較に基づいて、言語と文明・社会との関わりを考える研究が中心で(と言っても私は岩波書店一般言語学講義しか読んではいないが)、言語がどのように生まれてきたか、私たちの脳の持っている言語能力とはなにかについて述べることはなかった。


これに対し、チョムスキーは、まだ脳科学がほとんど発展していなかった1950-1970年、言語、特に単語を集めて文にする統語論について多くの著作を表し、統語過程の背景には、すべての言語に共通で普遍的な「生成文法」と、学習によって身につける「個別文法」が存在することを提唱した。そして、この生成文法は生まれつき備わっていると考えた。それまで、言語とは一人一人の個人が白紙の状態から学習するものと考えていた当時の言語学にとっては、この考えは大きなインパクトがあったはずだ。


1965年に書かれた「統辞理論の諸相」(福井直樹、辻子保子訳、岩波文庫)のなかで、生成文法について彼は次のように語っている。
「生成文法とは端的に言えば、明示的で明確に定義された方法を持って文に構造記述を付与する規則のシステムに他ならない。ある言語の話者が、誰でもその言語についての自分の知識を表している生成文法を身につけ、内在化していることは明らかである。だからと言って、話者がその文法の規則がどのようなものなのか気づいているとか、気づくことができるようになるとか、あるいは話者が自分の言語についての直接的知識を言語化したものが必ず正しいとか、そういったことにはならない」——すなわち、わたしたちが意識しないで、一定のレベルの意味のある言葉を話すことができるのは、私たちが生来身につけている生成文法による。
「生成文法は、話者が自分の言語知識について語るかもしれないことではなく、話者が実際に知っていることを明示的に述べようとするのである。」——すなわち、生成文法は私たちの頭の中で物語(文章)が形成されるプロセスに関わる。
「生成文法とは話者のモデルでも聴者のモデルでもないと念を押すことは、無意味ではないかもしれない」——すなわち、話者も聴者も同じ生成文法を共有している。
そしてこの生成文法の背景にある、母国語の種類にかかわらず人間の脳には全てに備わっている統語能力を普遍文法と呼んだ。今風に言えば、進化過程で変化してきた人間共通の脳神経回路構造の中には、外界、内界から得た表象をもとに物語を形成するための十分条件が備わっており、この人類共通の言語回路が、外からの学習によって書き換えられると、言語別、個別の文法が形成されるとする考えだ。


現在の脳科学に十分親しんだ読者の皆さんは、一定の統語能力が発生直後の脳回路に備わっていると考えることにはそれほど違和感はないはずだ。
もちろん、チョムスキーがこの革新的な説について述べた1950-1970年には、脳についての理解は限られていた。このため、個体の多様性が自然に発生することが自然の原理であることを説得するため、ダーウィンが家鳩などの多様化の例を執拗に提示したのと同じように、チョムスキーも生成文法や、普遍文法を、文例の分析からわかる現象論的には自明のこととして議論を展開した。しかし例えばガゼルの子供が生まれた時から歩けることは直接観察できるが、子供が私たちが十分理解できる言葉を話すようになるのに3年近くかかることを考えると、彼の説を脳科学的に検証するのは難しい。事実、チョムスキーがこの考えを最初に述べてからすでに50年が経っているが、生成文法に対応する脳神経回路を特定するような研究はまだないと言っていいだろう。


ただはっきりしているのは、チョムスキー以後、言語や言語能力の発生が重要な課題として多くの研究者に認められ、賛成・反対を問わず、生成文法や、普遍文法は必ず言語の発生に関する議論の中心になって来たことだ。この現象は一部の人には、チョムスキーがこの分野に神のごとく君臨しているように見えるらしい。普遍文法が神話になってしまった現状を憂いたトマセロ(サルを使って言語や社会性について優れた研究を展開している)は「Universal grammar is dead」というコメンタリーで、普遍文法から言語を考えるのではなく、バイアスなしに脳科学から言語の普遍性と多様性を考えることの重要性を述べている。私も全く同感で、脳科学的にも言語学的にも普遍文法という概念にまだエビデンスに基づいた内容が伴ったとは言い難い。


チョムスキーらの最近の論文
しかし、トマセロがこの批判的コメンタリーを書いた2009年から比べると、チョムスキー自身も変化しているのは当然だ。彼の今を知るには、最近書かれた論文や総説を読むのが一番だ。そう思いついて、この原稿を書くため彼が最近書いた総説を探してみた。彼は1928年生まれで、現在89歳に近いと思うが、驚くことに今年に入ってすでに単独、あるいは共著で論文を3編発表していることがわかった。そこで彼が現在生成文法についてどう考えているのか、これらの総説に探ってみようと考えた。これらの総説論文から、チョムスキーの考えの論点を整理し、今回言語の発生を考える時の課題をリストすることが今回の目的だ。

図2 今回紹介する2012年に書かれた総説


幾つか論文をダウンロードして読んだ中で、共著だが2012年にTrends in Cogitive Scienceに発表された論文は、図も多く、また最初から言語とチョムスキーの統語理論を脳科学的に考えようとしているのでこの論文を中心に紹介することにした(図2)。この論文は、普遍文法の脳科学を目指して書かれているように思える。この論文を紹介しながら、必要に応じて彼が今年単名で発表した論文(Neuroscience and biobehavioral reviewsに発表した論文)にも言及する予定だ。

図3 総説の図1を改変して再掲している。内容は本文参照。


脳に普遍文法を探る
チョムスキーの最初の頃の著作と今回読んだ総説を比べると、50年経った今、彼が自分の理論を脳科学として位置付け直そうとしているのがよくわかる。総説に掲載された図を改変した図3は、脳内の言語回路と、他の機能を担う回路との関係を描いたものだが、言語回路が結合する最も重要な脳回路は、外界との関係に関わる感覚運動回路と、概念や意図の形成に関わる内的な高次機能回路で、言語回路とそれぞれとの接点を、1)感覚〜運動接合部、と2)概念〜意図接合部と呼んでいる。すなわち言語活動とは、脳内の言語回路が、外界との相互作用を行う感覚・運動系、および脳内で概念、意図、意味などを発生させる高次脳回路を媒介することで成立すると考えている。


例えば、何かを考えてそれを言葉に出す時、内的高次回路、言語回路、感覚運動回路という順番でプロセスが進み、意味のある文章が発話される。あるいは、友達に出会って話をする時などは、友達を認識する感覚運動回路からスタートするが、あとは三つの回路を行ったり来たりすることになる。


この脳内言語活動において普遍文法に相当するのは、進化と発生過程で生まれた、人間共通の基礎言語回路になるが、現段階でこれが言語に特化した回路だと考える必要はないだろう。要するに、言語を可能にする言語能力が新しい脳回路形成過程で人間のみに現れたと考えればいいと思う。


言語学の課題は、この言語回路で行われる過程の解明だが、最近の総説では脳内に散在する様々な表象を「merge」(混合)して、新しい表象(文章)を生み出すのが言語回路の役割だとしている。残念ながらこのmergeを行う脳内での計算が、ランダムではなく、意味を生み出す法則についてはこの総説でもわからないままだ。文章には単語が順序だって並んでいることから、単語を並べることがこの回路の仕事と考えてしまうが、決して単語を並べることがMergeではないことを強調している。すなわち、言語回路は表象を順番に並べるのではなく、mergeによって塊(句)にまとめることが主要な役割だと考えている。確かに文章が発話されるとき、単語が順序立てて連なっているが、頭の中の塊をそのまま同時に伝えることができないという物理的制限のせいでこうせざるを得ないだけのことだ。また、各言語で個別の文法が発展しているのは、おそらく様々な文化的背景のなかでコミュニケーションをより正確に進めることが要求されるからだと言える。


このmergeについて、2017年のチョムスキーの総説では、言語も脳のコンピューティングであることを強調し、脳の中ではあらゆる表象が脳回路の活動であることを強調している。これは私が前回言語発生研究の難しさとして述べた、神経系ではあらゆるものが電気回路にシンボル化されているということと同じことだ。即ち “eat” “apple”のようにeatとappleがmergeしてeat appleという新しい表象が生まれるとき、eatもappleも神経回路にシンボル化して存在している点だ。チョムスキーは1990以降、この過程で働く法則としてminimalist programを提唱し、この総説でもStrong minimalist thesisについて述べているが、統語の法則がニュートン力学と同じように法則として存在するとする考え方で、脳科学的に説明することが難しい概念だと思う。この法則性は別として、単語が脳回路でどのように表象されているかという点は、言語を考える上で極めて重要な課題で、のちに詳しく議論したいと考えている。


以上まとめると、普遍文法とは頭の中に異なる表象を集めて新しい意味をもつ表象の塊を作るために生まれてきた人間特有の能力で、この能力は脳内で物語を作るために進化したもので、決してコミュニケーションの必要性で進化したとは考えていない。ただこの能力は、2次的にコミュニケーションにも使われるようになる。この結果、学習が必要な個別文法がコミニュケーション言語には必要になった。このように言語能力が、コミュニケーションのために進化したと考えないのがチョムスキーの普遍文法の一つの柱だが、これについても多くの異論があり、特に、言語の原子とも言える単語がどのように成立するのか考えるためには、コミュニケーションの問題を抜きにしては語れない。


すでに述べたが、チョムスキーの総説では、具体的な対象に対応するシンボルとして単語が存在しているのではなく、具体的な対象や行為と関連付けられる脳内の表象が単語に対応する。ただ、具体的な事物が脳内で表象されるとき、他の表象ともともと結合して塊を作っている。例えばサルはappleを理解するときは常にeat appleとして表象しているらしい。この、具体的な事物や行動が脳内回路に表象されるときすでに様々な塊と様々な程度で連結しているという可能性は、言語発生を考えるとき極めて重要な鍵になると私は考えており、これも別に議論するつもりだ。


図3を確かめる実験
詳しくは述べないが、この総説の目的は、図3で示した脳内のデザインを、実際の脳に存在する回路と対応させることが可能であることを示すことだ。例えば、この総説を読んで、人工的文法(artificial grammar)を用いた新しい言語認識研究法があるのを知った。人工文法とは、自然には存在しない単語や句の並びを聞いたときの脳の反応を調べる研究だが、生成文法が提唱されて以来50年、急速に進展した脳のイメージングによりこのような実験が可能になった。


紹介されている実験を詳しく説明することは避けるが、このような方法論の進歩によって、言語を処理する際、脳内でどのネットワークが活性化されるのかがわかるようになってきた。言い換えると、言語理論と脳回路とを結びつける可能性が生まれたわけで、今後普遍文法など統語論の脳科学を進めるときには欠かせない手法になりつつある。もちろんチョムスキーも、この分野の進展を取り込み、理論を発展させようと考えている。

図4 ブローカ領域のウェルニッケ領域の脳内での位置。失語症の研究から、ブローカ領域に障害が起こると文法的に整った文章の発話が困難になる。一方ウェルニッケ領域が障害されると、言葉を聞いて理解するのが困難になる。ただ実際にはもっと複雑で、改めて紹介する。
(出典:wikipedia)


例えば、失語症の研究から文法的に整った文章を話すときに必須であることがあきらかにされていたブローカ領域(図4)は、運動性言語中枢と呼ばれ、図3で示す感覚運動回路を通した発話過程に関わっていることがわかっていた。人工的に単語を並べたセンテンスと、自然言語によるセンテンスを比べる研究から、ブロカ領域はどちらの刺激でも活性化されるが、自然言語を処理するときは、言語を聞いて理解するのに必要で知覚性運動中枢と呼ばれるウェルニッケ領域も同時に活動することなどがわかってきた。このような脳科学的データを集めることで、図3をより詳しい回路図へと仕上げることができるはずだ。
チョムスキーらも総説の最後に、言語過程には知覚性言語中枢(ウェルニッケ)と運動性言語中枢(ブロカ)に加えて、幾つかの脳領域が言語処理に関わっており、また単語や意味に関わる独立した領域も存在していることがわかってきた。これら領域のなかに具体的事物の表象がどう形成され、またそれがMergeされるのか、脳科学として研究が可能であることを強調している。この問題については、言語中枢の局在化の問題として取り上げて考えてみたい。


このように、新しいチョムスキーの総説を読むことで、脳科学として言語発生を扱うための課題を整理することができた。これ以外にも、

1)言語能力の進化と人類学、

2)チョムスキーは言語が進化するのではなく、言語能力が進化すると明快に断じているが、本当に言語自体は進化しないのか?
などについても、次回以降順次考えていきたいと思っている。

道具と言葉
2017年7月3日


前回チョムスキーの考えを詳しく説明しないまま、チョムスキーから始めてしまったので、この分野に興味を持っていなかったみなさんにはわかりにくい話になったと思う。説明している私自身も、彼の初期の生成文法についての考えを完全に理解できているわけではないので、余計にわかりにくくした。しかし、彼は言語学を脳科学や進化学、すなわち生物学として捉えるべきだと最初に考えた人で、そのことを伝えられるだけでも意味があったと思っている。言語の問題は生物学・脳科学の問題であるとする彼の考えに私も100%賛同する。チョムスキーから始めた限りは、これから言語発達に関する様々な問題を、脳科学の問題として具体的に取り上げていこうと思っている。もちろん、議論のなかで必要とあればチョムスキーの考え方も参照しながら進めたい。


さて第一回は、「道具と言葉」というタイトルで、人間特有の脳機能の進化について考えてみたい。
現在地球上で言語を話すのは人間だけだ。そのため、人間と例えばチンパンジーの遺伝子を単純に比べることで、言語の遺伝子に到達できるという話をよく聞く。言語を考える時、わたしはこのような単純な発想は間違っていると思う。言語は、何か一つの能力が備わったことで急に現れたものではない。すなわち、長い進化の過程で様々な能力が蓄積した結果が、人間特有の性質の一つである言語に象徴されていると思う。一番わかりやすいのが複雑な発声を可能にする解剖構造だが、複雑な発声だけなら鳥類、あるいはイルカだって独特の解剖学的構造を発生させ実現している。一方、多くの点で人に近いと言える類人猿はこのような複雑な発声はほとんど不可能だ。このように、生物進化で獲得されてきた様々な独立した能力の蓄積が言語能力の背景にあるとするなら、言語に限らず人間を特徴付ける様々な高次機能を検討することも、言語の条件を知るためには重要だ。
例えば道具を使う能力について考えてみよう。この能力も、これまで人間特異的能力として考えられてきた。最近になって、サルやカラスなどが道具を使う能力を持つことが明らかになっているが(後述)、それでも道具が日常化して進化の道筋が変わったのは人間だけだろう。


世界で最も古い330万年前の石器は、アウストラオピテクスが居住していたと考えられるオルドワンで見つかっている。

図1 チンパンジーから現代人までの頭蓋、脳容積、歩行様式、歯、樹上生活の変化。石器が見つかるアウストラロピテクスから急速に犬歯が退化する。肉を道具で切り分ける社会が生まれ、個体間の関係も大きく変化した。その意味で、一夫一婦制も石器による起こった変化だとすら考えられる。(Nature Knowledge Project, Pontzer et al, Overview of hominin evokutionより引用:https://www.nature.com/scitable/knowledge/library/overview-of-hominin-evolution-89010983)


道具が生まれる前後の猿人から人間への変化を調べると、まず犬歯が消失する。これは道具を使うことで肉を引きちぎる必要がなくなり、口の中で噛み続けるためには犬歯が邪魔になったのだろうと考えられる。しかしもっと興味深いのは、男女の体格差が急速に減少することで、オーストラロピテクスでは2倍もあった大序の体格差が、エレクトスになると1.5倍と現代人の1.2倍に近づいている。おそらく、道具を使って肉を切り分けることで、1匹のオスがすべてを支配する権力構造が解消し、おそらく一夫一婦が原則となった共同体が生まれたことが、男女体重差の解消の背景にあるのだろう。


道具の研究が重要なのは、文字が出来るまでは歴史的検証に必要な遺物が全く存在しない言語の起源研究と異なり、石器という物証が残っていることだ。道具は当時の知的レベル、移動と交流など、当時の生活をかなりの確度で教えてくれる。


例えば道具の形態や出土の状況から、共同で狩りをしながら複数の家族が一緒に暮らしていることがわかれば、これを維持するためにどのレベルのコミュニケーションが必要かどうかわかるし、さらには一夫一婦制を前提とする社会なら、浮気のないシステムを守るためにかなり高度なルール設定が必要だったことも推察できる。このように、道具を通して明らかになる社会構造は、言語発生の条件について重要な資料になることまちがいない。


では道具を使う脳が発達するためにはどのような条件が必要だっただろうか?
これを知ろうと、道具を使う人間以外の動物の研究が進んでいる。この方向の研究のルーツは、有名な類人猿の生態研究者Jane Goodallが、葉っぱを使ってありを釣り上げるチンパンジーの報告に遡る。その後の研究の結果、様々な動物が道具を使うことが示されてきたが、中でも小枝を木の穴に挿入して虫をおびき出すニューカレドニアやハワイのカラスの行動は、最も原始的な道具使用の始まりとして研究が行われてきた。
この道具を使うハワイのカラス(アララと呼ばれている)の論文を読んだ時、不思議なことにチョムスキーの普遍文法を私は思い出してしまった。そこで、まずこのアララについての最新の研究から紹介しよう。


このアララが小枝を拾って、木の穴に突っ込んで隠れている虫をおびき出して食べる様子、あるいは小枝が落ちていない時は、枝を折って使う様子が、この論文を掲載したNatureによりYouTubeにアップされているので一度見て欲しい(https://www.youtube.com/watch?v=ZOUyrtWeW4Q)。


この論文では(Rutz et al, Discovery of species wide tool use in the Hawaiian crow、Nature, 537, 403, 2016 (http://www.nature.com/nature/journal/v537/n7620/abs/nature19103.html)),この小枝を使う行動がカラスに生まれつき備わった遺伝的なものか、あるいは学習により獲得されるものかを調べる目的で、7羽のカラスを道具を使う他の個体から隔離した環境でヒナから育て、教えなくても道具を使うようになるかを調べている。結論は明確で、全てのカラスが他の個体から習うことなく、道具を使えるようになるという結果だ。


「道具を使うという「文法」が生まれつき備わっており、学習する必要がない」と解釈しても良さそうなこの結論を読んだ時、私はすぐチョムスキーの普遍文法に似ているなと思った。しかし、枝を見た時、それをくわえて穴を探り、虫をおびき出すという一連の行動を実行する全過程が、ロボットのように生まれた時から頭に組み込まれているのだろうか?


論文を詳しく読むと、行動の順序が生まれた時から頭の中にプログラムされているのかどうかは判断が難しいことがわかる。最も重要な問題は、全てのカのカラスの道具使用を確認するのに5ヶ月もかかっている点だ。もし、行動の全てがプログラムされているなら、巣立ち(1ヶ月程度)直後から道具を使ってもよさそうだ。


ここからは私の想像だが、アララが習わないで道具を使えるのは、もともと習性として持っている遺伝的性質と、自分の数ヶ月にわたる学習が組み合わさった結果だと考えればどうだろう。もともと鳥は巣作りのために、木切れなどを拾って穴に突き刺す行動を習性として持っている可能性は高い(確かめたわけではない)。この習性を繰り返しているうち、たまたま虫をゲットする経験が続くと、この行動は記憶され、固定化し、枝を道具として虫取りに使うようになると考えることもできる。


このシナリオでは、他の個体の行動を学習する必要はない。しかし行動手順が最初から脳にプログラムされているわけではなく、たまたま持っていた習性が、この習性を持たない種よりははるかに高い確率で穴の中の虫をおびき出しゲットする経験につながり、これを自習のように繰り返すことで、一連の動作と得られる結果が記憶に固定化され、道具を使う能力が完成すると考える。
もちろんこの習性があれば、おなじ道具を使う方法を他の個体を見て学習してもいい。この場合はトライアンドエラーを繰り返す自習よりははるかに確実に獲得するだろう。しかし、もし枝を穴に突っ込むという習性がなかったら、この能力は生まれない。


道具を使う能力を考えると、私たちは虫を取るという目的、それを達成するための枝の機能についての表象をカラスが持っていると考える。そして、「普遍文法」と同じで、学習することなくこの能力が獲得されていることを観察すると、全てが遺伝的に決まってしまうと考える。しかし、人間の子供が文法的な言葉を話すのは1年半以上過ぎてからで、それまで様々な経験をする。とすると、アララに特定の遺伝的な習性が存在すれば、あとは試行錯誤を繰り返して道具を使う能力を獲得するように、意味のある統語法を支える普遍文法という能力も、脳の文法特異的な特別回路といったものではなく、様々な領域を統合する能力のような背景に、試行錯誤型の自習が加わった2段階で生まれると考えることも可能だ。このように、獲得に時間がかかる性質は、他の個体や社会からの学習がなくとも、試行錯誤という学習が加わった結果である可能性があることは常に注意する必要がある。


言語と同じで、人間の道具使用の発達についても多くの研究が発表されている。人間も生まれた時には道具を使う能力は全く備えていない。腕や手の運動機能は6ヶ月をすぎると備わってくる。この時から、周りにある様々な物体を触って確かめる試行錯誤により、見つけたものを自分で操作できるかどうかを自習する。この行動は、アララが枝を拾う習性に対応するかもしれない。この見つけたものを手で触って操作性を確かめる行動は一種の遊びに見える。実際、Rat-Fischerらの観察によれば、生後18ヶ月まで道具とおもちゃの区別はない(Rat-Fischer et al, Journal of Experimental Child Psychology 113, 440, 2012)。すなわち、自分の目的と、物体の性質についての表象が機能として表象為直され、それに基づいて行動シナリオを表象できるためには、言語発生と同じだけの時間がかかることがわかる。


言語の発達も、生後半年ほどから訳のわからない赤ちゃん特有の発声が始まり、12ヶ月頃より少しづつ意味のわかる単語の並びが出始め、2年目ぐらいに意味のある文章が出るようになるが、この時間的経過も道具使用の発達経過と似ているように思える。ただ、後に議論するが、言語は社会から離れて完全に自習することはできない。一方、おそらく簡単な道具であれば、社会から離れた人間も道具を使うのではないだろうか。実際、最初の道具が見つかる300万年前にはおそらく言語は存在しなかった。このように、道具の使用と、言語の使用のように、人間に比較的特有の性質は、多くの点で重なると同時に、多くの点で独立している。
このことがわかるもう一つの例が、失語症患者さんの研究だ。後で詳しく説明するが、血管障害などで特定の脳領域の機能が失われた患者さんに見られる言語障害の研究は、言語に必要な脳回路の研究に大きな役割を果たしてきた。これを失語症と呼ぶが、この失語症の患者さんの中に、道具が使えくなってしまったケースが多く見られることが19世紀の終わりから気づかれるようになった。これを「失行症」と呼ぶ (図2)。


このことがわかるもう一つの例が、失語症患者さんの研究だ。後で詳しく説明するが、血管障害などで特定の脳領域の機能が失われた患者さんに見られる言語障害の研究は、言語に必要な脳回路の研究に大きな役割を果たしてきた。これを失語症と呼ぶが、この失語症の患者さんの中に、道具が使えくなってしまったケースが多く見られることが19世紀の終わりから気づかれるようになった。これを「失行症」と呼ぶ (図2)。

図2 失行症の患者さんが櫛を逆さまに向けて使おうとしているところ(出典:Wikipedia)


ほとんどの失行症は、左の後頭頂皮質の血管障害により起こる。患者さんは櫛とは何か、ハサミとは何かが理解できるにもかかわらず、櫛を逆さまにして髪に当てたり(図2)、ハサミを閉じたまま紙を切ろうとする。詳しい解説は避けるが、重要なのは多くの患者さんに、様々なタイプの失語が併発することだ。もちろん、多くの失語患者さんは失行を伴わないし、まれではあるが失語症状の全くない失行症の患者さんも存在する。このように、道具使用と言語能力は、働いている脳領域から見ても、多くの点で重なっていると同時に、多くの点で独立している。
このことは、言語を例えばブローカ領域、あるいはウェルニッケ領域がコントロールしていると局在論的に決めつけることは間違っていることを意味している。道具使用との比較から見ても、言語能力には多くの脳領域が関わり、またそれを統合するメカニズムが存在しているはずだ。
さて次回は、より言語に近い音楽に関する能力を言語能力と比べてみる。
[ 西川 伸一 ]


臨床医学では、一人一人の患者さんから得られる経験を大事する。これは症例報告という形式で発表される論文に現れている。滅多に起こらない病気の場合、ほとんどの医師は直接経験することなく終わる。しかし稀とはいえ、いつなんどき同じような患者さんが診察室にやってくるかもしれない。このためたった1例の経験でも、多くの医師と経験を共有することが重要で、これが症例報告を重視する伝統として生きている。今回は、このような症例報告論文の紹介から始めたいと思う。

図1 引用元、説明などは本文参照


論文のタイトルページを図1に示すが、兵庫県立リハビリテーション中央病院のグループがBrain and Cognitionに昨年発表した論文だ(S. Uetsuki et al. / Brain and Cognition 103 (2016) 23–29 )。53歳右利き女性で、左側頭葉に脳梗塞がおこり、その結果歌うことができなくなった患者さんの報告だ。この症例が報告された理由は、ウェルニッケ領域(前々回参照)を含む左側頭葉に大きな梗塞があるにもかかわらず、失語症はおこらず、音楽の表現だけが障害されている点だ。実際には発作直後の数日、カナと漢字両方の識字障害がみられているが、これはすぐ正常化している。音楽能力が犯されているが(失音楽症と総称しておく)、馴染みの音楽を聞かせると題名を当てることができる、要するに音楽を聞く方の障害はほとんどないが、ピッチの高低の表現、要するにメロディーを歌うことだけが犯されている。


専門家でなくともこの症例から以下のことがわかる。1)脳の局所的障害によって音楽能力が障害されること、2)失語と同じで、音楽能力の障害も、音楽を聞く時の障害と、音楽を表現する時の障害に分かれること、3)メロディーとリズムは全く別の場所によりコントロールされていること、4)音楽も言語もともに人間特有の高次脳機能だが、メロディーを表現する音楽能力と、言葉を話す言語能力とは別々の機能であること、などだ。


前回紹介した失語症や道具使用能力の異常・失行症を思い出していただきたいが、脳イメージングが発達するまで、特定の脳機能とそれを調節する領域の対応関係は、卒中などの脳障害の症例の解析が頼りだった。実際、脳障害の後、あるいは生まれつき音楽の認識や表現する能力が欠損している患者さんの症例報告は19世紀後半から行われている。中でも有名なのは、作曲家ラベルが自動車事故の後、失語、失行、失読、識字障害とともに、作曲する能力を完全に失ったことを記載した症例報告だろう。ラベルの例から、障害によってはこのように、失語、失行、失音楽症が同時に障害されることもある。


実際には、失音楽症の表現は極めて多様で、個人差が大きく、失語症以上に決まった領域にマッピングが難しい。例えばラベルのようなプロの音楽家の失音楽症は左側頭葉の障害による場合が多いことが知られている。一方、多くの失音楽症の症例を集めて検討した研究(例えば2016年、Journal of Neuroscienceに報告された77症例の検討:Sihvonen et al, J.Neurosci. 36:8872, 2016)では、失音楽症の半数に失語が合併しており、言語と音楽能力に関わる共通脳領域の関与を示している。また失音楽症は言語の犯されにくい右側頭葉の梗塞による症例が多いことも報告されており、最初紹介した日本の症例が珍しい例であることを示している。事実、右脳の障害で失音楽症が起こるケースが多いことは、右脳は芸術、左脳は論理という誰もが知っている通説に合致しているようにも思える。これまでの研究は、音楽能力の形成は、言葉と比べてもさらに個人差が大きいことがわかる。最近音楽の様々な要素を経験する時に活動する脳領域を調べる脳イメージング研究が進み、音楽の認識のさらなる複雑性が明らかになってきているが、話が膨大になるので、紹介はやめておく。


これまでの研究をまとめると、私たちは曲を聴くとき、あるいは音楽を表現するとき、一つの統合された全体として認識し、それを表現するが、実際にはメロディー、ハーモニー、リズム、絶対ピッチなどなど、様々な脳領域が別々に働いて集めた情報を、脳内で統合された表象に形成し直して認識している。神経回路的に考えると、それぞれの要素の表象には時間差があっても、正確に統一したリズムの中に統合され、一つの音楽として認識できる過程は、脳を理解するためには格好の課題と言える。しかも、同じような表象を多数の人間が共有できる。幸い音楽を聴かせる課題設定は、脳イメージング技術と相性がいいため、今後大きく発展する分野だと思う。


言語、道具、音楽それぞれの能力を支配する高次脳機能の関わりについて見てきたが、各活動は多くの脳領域が関わり独立に支配されていると同時に、多くの領域で機能的重なりが見られることを理解してもらえたと思う。この機能的重なりは重要で、それぞれの能力が、それを支配する共通の領域を介して相互作用を行えることを意味している。


この人間特有の3つの能力の進化をみると、短時間に急速に多様化、複雑化していることがわかる。例えば、道具は300万年ぐらい前に開発されて以来、5万年前までほとんど変革を遂げることはなかった。しかし私たち現代人の先祖が言語を獲得するや否や、急速な進化が始まった。一方、言葉を持たなかったと考えられる(これについてはいつか議論したい)ネアンデルタール人では、道具の進化をあまり認めることはできない。


一方言語の方も道具により大きく変化する。私たち現代人でも、話された言葉をそのまま覚えておくのは難しい。これを克服しようと文字が誕生するより随分前から、頭に浮かんだ表象を書き留めて覚えるための道具を必要としたはずだ。この方向の道具の進化の中で、言語能力と道具を使う能力の相互作用が始まり、両者は言語を生み出すとともに急速な進化を果たし現代文明を作り上げた。言語と道具は今や、言語翻訳や、言語シミュレーションのような、人間の能力を大きく超える道具を作り出すことにすら成功し、またこの道具により世界の言語が変わろうとしている。

図2 最古の楽器。(出典:Wikipedia)


音楽と道具についても同じことが言える。最初、音楽は体を使って表現されていたはずだ。しかしおよそ35000年前には図2に示すフルートのような複雑な楽器が作られたという証拠が残っており(図2)、道具を使う能力と音楽能力がこの時期には相互作用を始めていたことがわかる。そして今、世界を見渡せば、言語に匹敵するぐらい多様な楽器が存在しているだけでなく、電子化、コンピュータ化などの道具との相互作用により、全く新しい音楽が誕生し、それが脳の成長に大きな影響を与えると考えられている。


この急速な進展は、個人の頭の中で3者の能力が相互作用するだけでは生まれない。次回の話題にしようと考えているが、言語、道具、音楽の3者が共通に持つ重要な特徴が、人間の脳の活動から生まれたにもかかわらず、個人個人の脳活動から独立できている点だ。すなわち、言語、道具、音楽は個体間のコミュニケーションが前提になっており、活動が意味を持つためには脳内に形成される表象が一人の個人の脳内で止まるのではなく、複数(多くの)脳内に同じような表象が形成されていることが必要になる。すなわち、3者に関わる脳活動は、他人(社会)と共有されることで、個人(人間)から独立することが可能になり、人間の活動であるにもかかわらず、人間から独立して進化できる。こうして独立して発展する、言語、道具、音楽を、個人個人は一生を通して学び続ける。このサイクルを繰り返すことで、言語、道具、音楽は進化するとともに、人間の脳回路を変化させてきた。
言語、道具、音楽の各能力が社会に共有されることで個人から独立し、独自の発展が可能になったことが、人類の脳構造はこの5万年ほとんど変わっていないにもかかわらず、3つの能力が急速な進歩をと人間だけが文明を形成できた理由だろう。このことは言語を考える上で最も大事な点で、詳しい議論は次回以降に改めて行う。


今回は最後に、私が音楽と言語を考える時大変参考になった、Steven Mithen著、『The Singing Neanderthal』を紹介する(図3)。

図3 Steven Mithen著『The Singing Neanderthals』のカバー。
もちろん私が紹介するより、音楽と言語の関わりについて興味を持たれる方には、直接読んでもらうのが一番だ。現在絶版になっているが、一度は邦訳(『歌うネアンデルタール : 音楽と言語から見るヒトの進化』熊谷淳子訳)も出版されており、日本語で読むことも可能だと思う。


Mithenの興味は言語の発生だが、「音楽能力なしに言語は誕生しなかった=音楽能力が言語より先に発生した」と考えている。彼が提案する言語発生についての大胆な提案を私なりに改変したものを図4に示す。

図4 Steven Mithenの提案する言語発生に至る過程。

音楽と言語
2017年7月18日


チョムスキーと異なり、Mithenにとって、言語はあくまでもコミュニケーション手段から発生したものだ。同じようなコミュニケーションはサルだけでなく様々な動物で見られる(サルの会話の様子はYouTubeに多くの例が掲載されている。例えば、https://www.youtube.com/watch?v=JLOn8F0p96s参照)。そして伝達できるものは感情と一体化した情報だけだ。例えば、乳児と母親とのコミュニケーションを見てみれば、そこで行われている伝達が、専ら感情の伝達に限られているのがわかる。そしてこのために生まれるのが、彼がholistic languageとよぶ、一つのシラブルで伝えたいことの全てを表現する言葉だ。赤ちゃん言葉を例として説明すると、母親の乳房を求めて「mamama」と声を発した赤ちゃんに、お母さんもそれに合わせた赤ちゃん語で答えているとき使っている言葉がholistic languageになる。


感情のコミュニケーションという意味では、音楽も同じだ。言語の混じった歌という形式を取らない限り、ほとんどの音楽家は、音楽が感情を伝える手段である点では一致している。そして、この感情の伝達から、情報の伝達が発展する可能性も、太鼓が楽器としてだけでなく、離れた人間同士の情報伝達に使われるようになることを考えると理解できる。


図4のMithenのシナリオでは、直立歩行を果たし、集団で餌を漁る生活を始めた原始人は、まず交尾のための競争、そして私たちと同じように乳児との対話などに、限られたボキャブラリーのHolistic languageを発展させ、それを仲間同士の情報交換にも使っていた。情報伝達という観点から見ると、Holistic languageは極めて素朴なコミュニケーションにしか使えないのだが、古代原人の生活にとってそれ以上のコミュニケーション手段など実際には必要なかったのだろう。
そして約50万年前、ネアンデルタール人と別れた我々の祖先は、太鼓の音楽を情報伝達に使い始めたのと同じように、holistic languageを分節化し、感情と情報を分離することに成功する。一方、ネアンデルタール人は、ずっとholistic languageを使い続け、行動から感情を分離できないまま、文明の発展が行き詰まることになるというシナリオだ。


ネアンデルタールの遺跡を見ると、埋葬時に花を手向けるなど、豊かな感情表現の痕跡が残っている。しかし感情を伝達する音楽だけでは、文明の発展は限られている。一方、ホモサピエンスではさらに複雑な情報伝達手段が必要になる状況が生まれ、音楽脳に重なる形で、感情と情報を分離し、言語を分節化する能力が生まれる。残念ながらこのきっかけが何だったのかは今も謎のままだ。しかし、一旦独立した言語能力が生まれると、あとはそれぞれの機能が相互作用を繰り返し、現代文明へと突き進む。


このように、言語、道具、音楽という人類特異的能力は個人だけでなく、多数の人間の脳内で相互作用することで独自に進化する。このため、言語の発達を理解する時、この三者を常に念頭に置いて考えることは重要だ。
[ 西川 伸一 ]

言語の二重構造
2017年8月1日


これまでの話で、言語の使用や発生が脳科学の問題であることは理解してもらったと思う。しかし前回見たように、記憶、自己、意識についての脳科学と、言語、道具、音楽などの脳科学には、他の個体とのコミュニケーションの必要性という決定的な違いが存在している。今回から、この問題について考えていきたい。議論を進めるにあたって、言語機能を人間特有の機能として考える立場をとり、様々な動物や、「歌う?」ネアンデルタール人も比較しながら議論を進めたいと思っている。


さて、チョムスキーは言語をコミュニケーションの観点から捉えることは、言語の本質を見誤らせると考えていた。これは、彼が言語の最も重要な条件は私達が生まれついて持っている統語能力(普遍文法)で、この人間共通に持つ能力があればおのずとコミュニケーションが可能になると考えたからだ。
たしかに私たちは必ずしも言語をコミュニケーションのためだけに使っているわけではない。ほとんどの人は、物を考える時にも言語に頼っていおり、特に複雑な内容を頭の中で考えようとするとき、言語に頼っていることに気づく。これは、言語が脳内でも覚書として、またチョムスキーが言うように統語に関わる論理的システムとして私達の思考を助けてくれるからだろう。しかしこの考えに立つと、「普遍文法を可能にする神経ネットワークの遺伝的背景」を追求することが言語発生の生物学としては重要な課題になり、基本的には言語の全てが私たちの脳内でとどまっていると唯脳論的に考えることになる。この結果、言語、道具、音楽が持つ全く新しい性質、すなわち私たちの身体的生命から独立できているという性質を見落としてしまう。(実際にはチョムスキーも普遍文法をinternal languageと、それが身体から外化され発展するexternal languageに分けているが、生物学的にこれをどう攻めるかは明らかでない。)


「言語も脳科学の問題と言った後で、言語は身体から独立している、とは何事ぞ」とお叱りを受けそうだ。これまでゲノム誕生に始まって、脳内神経ネットワークまで長々と生命が生み出してきた情報について見てきたが、ゲノム、エピゲノム、シグナル分子、神経ネットワークなどを媒体とする情報は全て私たちの身体とともに消滅していた(現在ではゲノム解読結果をPCに残すことが可能になってきて、この原則は崩れつつある)。一方、言い回しの癖や、発音など個人的な性質を除くと、言語は私たちが死んだあとも、独立した情報として残る(図1)。例えば日本語は私たちの生命を超えて存在し続ける。この意味で、言語は我々の身体から独立している。


最初に述べたように、言語も私たちの先祖の脳内活動から生まれ、また私たちの脳内活動が維持してきたもので、決して天から降ってきた情報システムではない。従って、「言語は脳科学の問題」ということも正しい。ただ、複数の個体間のコミュニケーションのための情報として発達したため、集団(社会)により共有される部分が生まれ、共通部分と個別部分の二重構造になった(図1)。これが個人が消滅しても、言語が続く理由だが、2重構造の成立と維持について、図1を眺めながら日本語を例にもう少し説明してみよう。

図1 言語以外の情報(この図ではゲノム、エピゲノム、神経情報を挙げている)は全て身体に拘束されており、身体とともに消滅する運命にある。言語も最初は脳内の活動の一つとして生まれるが、コミュニケーションのために発達し、複数(社会)で共有できる部分を形成したおかげで、この部分は個人の身体から独立した体系として成立できている。この体系は、常に変化しており新しくなっている。生まれてきた人間は、この新しい体系を習得する必要がある。従って、個々の個人から独立した体系自体も、私たちの脳とは無関係に存在するわけではなく、一生を通して学習され、また共通部分に一部がフィードバックされるという関係を保っている。おそらくこの言語の2重構造が、クオリアといった主観と客観の2元論の背景にある。個人から独立し、社会で共有できる言語の体系は現代文明のルーツで、今やその成果としてのゲノムプロジェクトを介して、本来なら身体に拘束されているゲノムやエピゲノムを身体から離して保存することに成功している。


私の頭の中には日本語の全てが存在しているわけではなく、ほんの一部が存在しているだけだ。すなわち、私が死んでも日本語はビクともしない。この意味で、日本語は私の身体とは別のところに存在している。そして私は生後すぐから現在まで、この日本語を学び続けることで、私の中の日本語を形成・維持・変化させいる。このように、日本語は個人から独立して存在していても、常に人間の脳と相互作用を続けている。言語とは新しく生まれた個人がそれを習い、使い続ける中で初めて維持されるシステムだ。将来もし誰も日本語を使わなくなれば、日本語という記録は残るだろうが、その時点で日本語の変化は停止する。図1はこの言語の2重構造(一人一人の個人の頭の上に小さな言語を置いた上に、共有部分としての大きな言語を描いている)を示している。


色の認識を例にさらに考えてみよう。20世紀米国の分析哲学ではクオリア問題がよく議論された。これは私が赤色を見た時の主観的体験を客観的に、すなわち他の人に理解できる形で定義できるかについての議論だ。私は、この議論は図1に示した言語の2重構造を反映していると思う。考えてみると、私たちはそれぞれ赤色について主観的質感を持ち、個別に定義する。ただ、私のクオリアは、言語を学習する過程で言語の共通部分にある「赤色」という言葉が対応して初めて成立する。一方、言語の共通部分も多くの個人の赤色の体験からフィードバックを受けて変化し続けている。このような言語の2重構造のおかげで、実際には赤色に対する個人の質感と、言語の共通部分が代表する赤色との差など何ら意識することなく、「赤色」について多くの人と客観的に議論できる。


この言語の2重構造は、言語が独立して進化する原動力でもある。私たち個人はこれまで誰も経験したことのない新しい経験を日々繰り返している。この新しい体験は、当然言語化され、言語の共通部分へとフィードバックできるが、実際にはほとんどがフィルターされ、個人の経験で終わる(これは私たちの感覚が日々膨大なインプットを経験しながら、フィルターされ選ばれたほんの一部が神経ネットワークの自己を書き換えるのと似ている:76話)。
次に、例えば空飛ぶ円盤を見た体験がフィルターを通って共通部分へとフィードバックされる条件を考えてみよう。これまで飛ぶ円盤を見た人は誰もおらず、あなたしか見た人はいないとしよう。当然空飛ぶ円盤を表現する言葉は言語の共通部分にはまだ存在しない。この時、「空飛ぶ円盤」が言語の共通部分を書き換えるためには、この体験をまず言葉で表現する必要がある。この過程で「空飛ぶ円盤」という最適の言葉に思い至り、めでたく共通部分に新しいボキャブラリーが誕生する。


この例からわかるのは、私たちの言語が、あらゆる概念を現存の単語を使って表現できるとてつもない力がある点だ。このことは、広辞苑でも大辞林でも、皆さんが使っている辞書を思い浮かべると理解できる。そこには日本語として使われるほとんどの単語が、他の単語で表現されている。これが空飛ぶ円盤を見たあなたが、「空飛ぶ円盤」という新しい表現に到達でき、新しい概念を「空飛ぶ円盤」という言葉として言語の共通部分にインプットできる理由だ。言語を構成する各要素は、脳内神経ネットワークと同じように、意味のネットワークを形成している。このネットワークが、個別の脳につながる言語システムからインプットうけ、不断に書き換えられている。
この2重構造に基づく進化力のお陰で、毎日の生活での言語体験がどんなに乏しく、またそっけなくとも、言語はますます豊かになることができる。このことは会話を主体とする戯曲と、小説の文章を比べるとすぐわかる。


少し古いが菊池寛の「父帰る」の一場面の会話を抜き出してみよう。


新二郎
ただいま。

やあおかえり。
賢一郎
大変遅かったじゃないか。
新二郎
今日は調べものがたくさんあって。
ああ肩が凝った。

さっきから御飯にしようと思って待っとったんや。
賢一郎
御飯がすんだら風呂へ行って来るとええ。
新二郎
たねは。

仕立物を持って行っとんや。


なんとそっけないことか。複雑な構文もないわけではないが、これももっと単純な構文に書き直せるだろう。それで用は足る。
実際、日常会話で長々と文章を述べようとしても、すらすらと文章を述べられる人はまれだ。私自身、対談の原稿が上がってくると、なんと意味不明の文章や、「あの」「あれ」「それ」と言った単語にならない単語を連発しているのに気付き、いつも幻滅する。結局、私たちの日常生活はこのようなそっけない乏しい言語の使用で終わっている。しかし、小説や、戯曲でも長いセリフを読むとき、私達の言語がいかに複雑で、高いレベルに達しているかよくわかる。これは個人の言語体験を超えて、言語の共通部分が急速に進化していることを物語っている。


説明が少し長くなったが、この言語の2重構造が、言語の最も重要な特徴で、この構造は言語がコミュニケーションを目的としているからこそ可能になった。この意味で言語の原点はコミュニケーションだと私は思っている。
ではこの構造はどのようにして生まれたのか?この言語誕生の問題に関しては、前回紹介した「歌うネアンデルタール人」の著者Steven Mithenの考え方に私も強く影響されており、彼の説を下敷きに考えていきたいと思っている(これ以後、言語という言葉を、言語発生前のプロト段階と発生後の言語の両方を含む意味で使うので注意してほしい)。
彼は言語の発生を考える時、コミュニケーションのために使われる体系をmanipulative languageとreferential languageの2段階に分けている(図2)。

図2:Mithenの考え方に従った言語発生の2段階。


いずれもコミュニケーションのために発達し、最初は一つの音の塊に、他の個体の行動を促すすべての情報が備わったholistic & manipulative languageだが、その後フレーズが単語に分節され、各単語が特定の概念を参照する、segmental & referential languageへと変化する。segmental languageはcompositional language(合成的言語)と読み替えることもできる。


Manipulative languageのわかりやすい例としては、赤ちゃんの発声を考えればいい。泣き声のことも、「ママママ」などいろんな発声があるだろうが、それを聞いた大人は何を望んでいるのか発声の意味を解釈し、何とか希望を叶えようと努力する。もちろんベテランのお母さんになると、声を聞くだけですぐに解釈することができるが、いずれにせよその発声により周りの人間が操作を受けることになる。これがmanipulative languageだ。
Manipulativeな発声は人間特有のものではなく、もともと多くの動物や鳥類で見ることができる。ヒョウ、ワシと危険のもとを区別して警告を発することで有名なベルベットモンキーの鳴き声を効いた仲間が安全なところに逃げるのは(YouTube参照:https://www.youtube.com/watch?v=hEzT-85gEdA)、それを聞いた仲間を適切な場所に逃がすためのmanipulative callの典型例だ。この鳴き声は一見ワシ、ヒョウと特定の危険の原因を参照(referential)しているように見えるが、声が単語として特定の動物を表象しているかどうかはかなり疑問だ。実際には、「空から危険が迫っているので地下に潜れ」のような、一言で全てを命令するholisticな内容を持つ鳴き声と言える。同じように、赤ちゃんの発声も「お腹が減った、おっぱいが欲しい」のようにひとつのフレーズが分節されないで表現されるholisticな言語だ。


Holistic & manipulative languageの構造がピッチやリズムの変化だけで表現される音の塊の上に、他人の行動を促す強い感情がかぶさっている点で、音楽と多くの共通性を有している。そのためMithenは、この段階のプロト言語が音楽と一体となって進化したと考えている。この考えに基づいて、彼は前回の図4で紹介したように、直立原人からネアンデルタール人までの進化過程で、Holistic languageは音楽とともに十分な進化を遂げ(複雑化、多様化)、例えば獲物のモノマネのなどのジェスチャーを組み合わせれば、ネアンデルタール人がグループで大型動物を狩る時のコミュニケーションを十分まかなうことができたと考えている。
もちろんこれが正しいかどうかは見てきたわけではないし、また遺物が残っているわけではないのでわからない。しかし、例えばレンジャー部隊が手の合図だけで、複雑なタスクを実行してしまうような映画を見ると、Hoistic languageの力は十分位理解できるし、十分あり得る話だと思う。


しかしこうして生まれた manipulative languageによるプロト言語段階はホモサピエンスの誕生とともにreferential languageへと変化して、今回議論したような、身体から独立した進化する言語体系が可能になった。強く感情に支配されるHolistic languageは身体から独立できず、進化の速度は極端に遅い。次回から言語発生にとって最も重要な段階に進んでいくが、この問題を考える前のコミュニケーションの基本条件として理解しなければならないのが、「他人も自分と同じように考えることができることの認識」、すなわち「Theory of Mind」の問題だ。次回はこれについて考えることにする。
[ 西川 伸一 ]

言語・社会性・Theory of Mind
2017年8月15日


今回から2回にわたって言語発達と社会性について考える。


何歳ぐらいから私たちは周りの人の顔色を伺って過ごすようになるのだろうか?今現役を退いて、部屋でゆっくり論文を読んだり、原稿を書いたりして、あまり人とは接しない時間を持てるようになると、自分が人の顔色を常に伺っていることを実感する。一人の時間が終わると、家族や友人は言うに及ばず、街中で多くの見知らぬ人と出会う。行きすがりの人について一々深い空想を巡らせるほど偏執狂ではないが、顔をチラッと見て「急に襲ってはこないか」など無意識に判断している。ましてや満員電車に乗ろうものなら大変だ。周りの人をそれとなく窺い、争いが起こらないように、あるいは痴漢と間違えられないよう、最適のポジションを探してしまう。


家族ならある程度心が読めるが、赤の他人の心の中などほとんど何もわからないことがわかっているのに、人間は他人が何を考えているのかを知ろうと、多くの努力を払っている。程度の差はあれ、このように日々他人の心を読もうと常に努力するのは私だけではないはずだ。というのも今の世の中では、このような意図が欠けている人は、病気だと診断される。例えば自閉症スペクトラムと診断された人たちがその典型だ。


現在では、自閉症スペクトラムは病気ではなく脳の多様性として捉えることが普通になっている。この観点に立つと、自閉症スペクトラムの人は、他人の心を読もうとする悲しい人間の習性から解放された人たちということができる。ただ、問題は自閉症の人たちの多くが、言語障害など様々な社会への適応障害を同時に併発している点だ。従って、脳の多様性だと放っておくことはできず、社会と折り合いをつけるためのプログラムが用意される。プログラムの多くは、できるだけ早期に診断して、脳回路がフレキシブルな発達期のうちに介入して言語や社会性を回復させるよう計画されている。そこで、フロイトをもう一度思い出しながら、乳児の脳の発達を見てみよう。


脳科学的な表現を用いて言い換えると、フロイトは自我を、生まれたばかりの脳が持っている自己基盤が、体験により書き換えられた結果と考え、特に幼児期の体験の重要性を強調した(第78話)。もちろん脳の自己の書き換えは一生を通じて行われており、自我の形成へ影響を持つ体験は幼児期に限らない(PTSD:心的外傷性ストレス障害はその典型だ)。ただ、幼児期にインプットされる体験は、外界からのインプットをほとんど受けたことのない脳に対する最初の体験である点、またインプットの種類が限られている(と私たちは思っており)点で、成長後の体験と比べるとそのインパクトは相対的に大きい。逆に言うと、体験を重ね、書き換えが進むと、体験のインパクトは低下するため、一般的な体験の自我形成への影響は低下する。繰り返すが、感覚器の発達していない乳児の体験は、個体間での違いが少ない。事実生後2−4ヶ月まで、耳は聞こえても成人の感覚入力の8割を占める視力はほとんどないと考えていい。当然母親の顔をはっきり認識はできない。このため、最初の経験は、音、匂い、そして母親との直接コンタクト、それも乳房に対する皮膚感覚や味を介して入ってくる。インパクトの大きい最初の体験は、個体間の多様性が限られているからこそ、人間の自我が持つ共通性の重要な要因になっている。フロイト的に言うと、「自我形成には、人類共通に「口唇期」の母親の体験が重要である」となる。


フロイトはこの体験が決して受身的なものでないことを見抜いており、これを「対象備給」と呼んだ(第78回)。すなわち、乳児が目の前の対象に注意を払うことが、欲動にドライブされる能動的な過程であることをこの特殊な言葉で表現した。この力動を欲動というより本能といった方がいいかもしれない。乳児期にだけ「口唇追いかけ反射」とよばれる母親の乳房を探す反射が存在するが、これも能動的に体験を求める一つの駆動力になっている。実際この外界への能動性が乳児の特徴と考えられている。まだ視力が完全でなく物の区別がつかない3−4ヶ月までに、正常の赤ちゃんは必ず相手の顔をじっと見つめるようになるし、動く物体を追いかける。また、音がする方向に顔を向ける。このように、視覚が発達する時期までに、能動的に体験を積み重ね、最終的には家族とそれ以外を見分けることができるようになっている。フロイト的には、この過程こそが母親、父親と、自分の関係を理解し整理し、母親への欲動の抑制などが始まる重要な時期になるが、今回は議論せず先に進む。


図1は、米国疾病予防管理センターが、乳児の発達異常を発見するために公表しているチェックリストだが、もし乳児が音に反応せず、動くものを見つめず、笑わず、口に指を持って行かないならすぐに医師に相談せよと強い口調で警告している。もちろん自閉症スペクトラムが診断の対象ではないが、能動的に体験を求める行動が見られないことは、自閉症スペクトラムを含む、発達障害が強く疑われることを示している。

図1:米国疾病予防管理センターから出ている、発達障害早期発見のためのチェックリスト。


診療現場では、社会性の欠損、反復行動、そして言語の発達障害が自閉症スペクトラムの最も重要な診断基準になっている。図2は、Autism Speaksと呼ばれる自閉症スペクトラムの患者さんのために活動している団体のサイトから転載した表で、自閉症スペクトラムでみられる主要な症状、および関連する疾患が描かれている。

図2:自閉症最大の患者さん支援団体Autism Speaksが示している自閉症の主要症状と、他の様々な異常との関係を描いた図。
出典:http://www.autismspeaks.ca/about-autism/signs-and-symptoms/


この表から自閉症スペクトラムがいかに一筋縄でいは扱えない、多様な状態の集まりであるかがわかるだろう。特定の遺伝子変異に起因する一部の症例を除くと、自閉症の表現形はほとんど個性と言ってもいいほど多様だ。事実、最近急速に進展しているゲノム研究では、自閉症スペクトラムと関連する遺伝子はすでに100を超え、特定の遺伝子だけで説明することは難しい。しかし、早期発見のための乳児の症状チェックリストをよく読むと、自閉症の背景には能動的に新たな体験を求める衝動の低下があるように私には思える。すなわち、他人の顔を伺い、心を読もうとする衝動を形成する脳回路が最初から低下している。事実、多くの研究は、自閉症スペクトラムの人は脳回路の構築が異なっていることを示唆している。例えば、扁桃体に留置した記録電極を用いた研究では、普通多くの神経が目に反応するのに反し、自閉症では口に反応することが明らかにされている。すなわち、自閉症では神経細胞レベルで刺激反応性が異なっていることを示している。


ただ、脳の状態が症状として現れるのは、これらの単一神経レベルの反応が統合された結果で、これを脳科学の言葉で説明するのはまだ簡単でない。例えば、先に挙げた自閉症児で低下している他人の心を読もうとする衝動と能力は、人間特有の性質として研究されているが、その神経科学的本態の理解にはまだまだ研究が必要だ。この能力をmind readingと分かりやすい形で表現することもあるが、心理学や哲学ではこれをTheory of Mind(ToM)と呼び、様々なテストが開発されてきた。中でも自閉症を理解するためのテストとして研究に使われるのが、False-beliefテスト(他人の間違った考えをわかるテスト)だ。


ToMテストの中で最も有名なのが「サリーとアンのテスト」とも呼ばれているテストだ。図3に示すように、このテストでは、2人の女の子が登場する一連の場面を理解させる。
「同じ部屋に、サリーはバスケットを、アンは箱を自分の持ち物をしまう場所として持っている。ある時サリーはアンの眼の前で自分のボールを自分のバスケットにしまう。サリーが去った後、アンはそのボールを自分のボックスに移して部屋を去る。その後サリーがボールで遊ぼうと部屋に帰ってくる。」
この状況を理解させた後、

  1. 1)ボールはどこにあるでしょうか?
  2. 2)サリーはどこにボールがあると思っていますか?
    と質問する。

図3:ToMの能力を知るための定番都なっているサリーとアンのテスト。フランス語版Wikipediaの図を改変して示している。


質問に対し、3歳児までは実際に自分で見たことだけが優先され「ボールは箱にある」ことはわかるが、サリーがどう考えるかは理解できていないことが普通だ。しかし4歳児になると、「ボールは実際にはアンの箱の中にあるが、サリーはバスケットの中にあると思っている」ことがわかるようになる。ところが自閉症スペクトラムの子供は、4歳児をすぎても今ボールが箱の中にあることはわかっても、サリーがどう考えているかを理解できない。すなわち、他人の立場で考えようとするモチベーションがない。自閉症スペクトラムの症状は多様で、言語能力も個人により違っているが、自閉症スペクトラムの人に限って調べた研究でも、ToMと言語能力が相関することも明らかになっている。


余談になるが、最近このサリーとアンテストを、類人猿で行った論文がScienceに掲載された(Krupenye et al, Science, 354:110)。詳しくは紹介しないが、京都大学のチンパンジー施設やドイツマックスプランク研究所で行われたビデオを見ると、サリーとアンのテストがそのままサルでも理解できる様改造され利用されているのがわかる (https://www.youtube.com/watch?v=1s0dO_h7q7Q)。


さて、自閉症スペクトラムの児童研究からToMの発達と言語能力の発達が強く相関していることをわかってもらったと思うが、ではなぜこの様な強い相関がToMと言語間に生まれるのだろう。 ToMは、言葉が話せる様になった後に確認できるようになるため、自閉症児でのToMの障害は、言語能力の障害による二次的な結果ではないかという考えがある。もちろん否定はできないが、口唇期に始まる乳児脳の発達過程で体験を求めて外界へ注意を向ける本能や欲動が、自我の形成に大きく関わっていることを考えると、両方の障害はこの発達期に経験を求めて外界を注視する本能・欲動の低下に大きく影響されているのではないかと思える。図2に示した自閉症スペクトラムのもう一つの重要な症状、繰り返し行動も、外界への能動的注視が抑制され続けた結果、変化を嫌うようにったと考えることができる。


個人的な仮説に過ぎないが、もしこの本能・欲動の回路発生段階での形成が自閉症スペクトラムの子供でうまく形成されないとしたら、他人の気持ちを理解するという動機や、言葉を話そうとする動機も失われるだろうし、そもそも変化自体を嫌う性質が前面に出て、繰り返し行動が目立つようになる。こう考えると、自閉症の重要3症状を納得することができないだろうか。 以前人間の行動の動機を支配するのは、結局感情であることについて説明した。実際、自閉症スペクトラムの成人の多くがアレキシサイミア(失感情症)を併発する確率が高いことが知られている。さらに機能的MRIを用いる研究から、自閉症スペクトラムでは感情のサーキットの一端を担う島皮質の活動が低下していることも示されている。このように能動的に体験を求める本能・欲動の障害を、感情障害の一つの表れと捉えることは可能だ。


しかし一方で、自閉症スペクトラムの人たちは音楽を通した感情の伝達や受容については普通の人と同じかそれ以上であることが多くの研究により明らかにされている。さらに、言葉の障害があっても、歌を通してであれば言葉を話せる例があることも報告されている。音楽も感情の伝達であることを考えると、音楽を介する感情の伝達は、自閉症スペクトラムの感情の表現や理解の障害に関わる島皮質とは異なる領域に支配されていると考えられる。いずれにせよ、音楽を介する感情伝達がほぼ正常であるということは、自閉症スペクトラムでは感情が欠如していると考えるより、感情の表現や受容のための一つの回路の形成がうまくいっていないと考える方が良さそうだ。現在では、この事実を利用して、音楽を介する感情の伝達回路を使って、自閉症スペクトラムの子供と交流し、できればもう一つの回路も回復させられないか、いわゆる音楽療法が盛んに行われている。
少し長くなりすぎたので、今回はここで終わる。次回も言語と社会性の問題について考えるが、まず今回残してしまった、自閉症スペクトラムの逆の症状を示す発達障害、すなわち人懐っこい社交性を持ち、知能に比して高い言語能力を持つWilliams症候群から始めたい。
[ 西川 伸一 ]

言語の発達と社会性 II
2017年9月1日


前回から続いて、言語と社会性について考える。


前回、言語と社会性の発達が遅れ、反復行動を示す自閉症スペクトラム(ASD)を例に、他人の心を理解する能力theory of mind(ToM)に代表される社会性が言語能力に大きく影響し、またこの能力が生まれた時から脳が本能的に持っている能動的に外界へと経験を求める力動を条件にしている可能性について考察した。外界へと積極的に新しい経験を求める本能や情動は(モティベーションと言っていいかもしれない)、フロイトが自我形成に関わる力動として定義した「対象備給」に相当する。フロイトが考えたように、自我は最初から備わっているわけではない。誕生時に備わった最初の自我基盤を、能動的に得られる新しい経験によって書き換えることで形成される。従って、得られる経験の違いは自我の傾向に大きく影響するし、自我形成過程で経験を求める回路の一部が閉ざされてしまうと、形成される自我の安定性や構造は大きく変化する。
以前述べたように(意識と無意識*http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000007.html)、すべての経験を自我の書き換えに使えるわけではない。毎日体験する膨大な神経インプットの中からほんの一部が選択され(意識過程)、それが自我の書き換えに使われる。この時どの経験を自我の書き換えに利用するかを選択するフィルターの一部は、書き換えられつつある自我そのものである点が重要で、この結果、初期に形成された自我の持つ傾向は、成長とともに増幅されていく。


ASDは外界へ向く力動の低下で、外界とのコミュニケーションに関わる多くのチャンネルが細くなっていると考えられるが、前回述べたように音楽を介する感情の表現や理解は正常以上に保たれている。このことは、自我形成に必要な外界とのコミュニケーションのためのチャンネルは多様で、太さも個人差が大きい。それぞれのチャンネルの総和が幼児期の個性を作る重要な要素として働くが、このチャンネルの種類や太さが遺伝的な原因で特定の偏りを示す場合、形成された自我に共通の特徴が現れることになる。


その一つの典型が、一見自閉症とは全く反対の症状を示す病気ウイリアムズ症候群(WS)に見られる。この病気は1961年にニュージーランドのWilliams医師らにより、大動脈弁の上部の狭窄と特徴的な行動異常と知能障害を示す発生異常としてCirculation誌に発表された(図1A)。

図1 A) Williams症候群が初めて疾患として定義されたCirculation の論文。 B) Creative Commonsとして登録されているNikitina等がActa Naturaeに掲載した総説論文。写真は全てこの論文から転載している。右端には、WSの子供による手本になる絵の模写を示している。一つ一つのアイテムは認識できても、その空間的位置関係の理解が失われているのがわかる。(Nikitina et al, Acta Naturae, 6,9, 2014)


無味乾燥な医学的表現で症状を列挙すると、1)時に致死的な大動脈の狭窄、2)特徴的な容貌、3)高カルシウム血症、などを中心とする身体的な異常と、精神的異常として、1)空間的バランスの認識異常(図1:簡単な絵もうまくコピーできない)、2)IQ50程度の知能障害、3)高い社会性、4)怒りを理解する力の低下、4)正常以上のボキャブラリーや多弁、などが主症状として挙げられる。身体症状はもっと多彩で、例えば糖尿病の発症も多くのケースで見られる。後で述べるが、この多彩な症状はWSが7番染色体の大きな欠損により発症するためだ。ただ、ここでは精神症状に絞って見ていく。


残念ながら私も症例を見た経験がないので、生き生きと表現するのは難しいが、WSの行動についてもう少しわかりやすく説明してみよう。図1Bはロシアの研究者の総説から転載したWSの子供たちの写真だが、これを見ると,年齢にかかわらず皆楽しそうに笑っている。この人懐っこさは外見だけではない。「誰にも愛され、誰もを愛し、チャーミングな性格」と表現されるように、見知らぬ相手でもじっと目を見つめ、近くに寄って話しかける。同じ総説によると「In WS, the gregarious personality is characterized by a consistent increased interest and approach to strangers, …」と表現されており、「見知らぬ人(もの)に対して興味を持ち続け、近づこうとする」性質を持っている。これは外界からの経験を求める力動が低下したASDのまるで逆で、WSの子供は一般の子供以上に、外部と関わろうとする強い力動が発達していることがわかる。言い換えると、外部へのチャンネルが太いと言える。


この積極性はかなり早い時期から見られることが報告されているが、WSの子供が相手の怒りを理解できないことは、WSを理解するヒントになる。ASDの場合最初から人を避けるので問題はないが、WSの人懐っこい性質は無防備と裏腹で、危険を伴う。このことから、経験を求めて外へ向く本能は、ある程度抑制されており、ASDの場合はそれが強すぎるが、逆にWSではその抑制がはずれれており、人懐っこい性格につながっているのかもしれない。正しいかどうかはわからないが、わかりやすく理解するために、ASDの子供で細っているチャンネルの少なくとも一部がWSでは太くなっていると勝手に考えることにしている。


しかしこの考え方がまんざら間違っていないことが、脳イメージングによる研究で示されている。私たちの行動のモチベーションに関わる脳回路として、前頭前皮質と辺縁系の扁桃体、腹側線条体を結ぶ、褒美のシグナルを発生させ満足させる回路が存在し、感情と感覚や行動を支配している。なかでも扁桃体は表情から感情を理解する過程に関わる領域で、例えば見つめ合う行動にこの領域は必要だ。ただ、小さな扁桃体にも13の核が存在し、ASDやWSの行動を扁桃体全体の活動状況と照らし合わせることは難しい。それでも、ASDでは扁桃体は大きくなって、興奮しやすいことが知られている。一方、怒りの症状に対して普通なら反応する扁桃体が、WSではほとんど活性化されない。想像をたくましくすれば、扁桃体の一部の活動が、外への動機づけのチャンネルの太さの調節に関わっており、ASDでは活性が高いため抑制され、一方WSでは活性が低いため抑制が効かないと考えることもできる。


ただ、これは外に向いたチャンネルのほんの一部だ。例えば、WSの子供は音楽能力が優れていることが知られており、この点ではASDと同じだ。このように、外部に向いたチャンネルの中には、音楽を介する感情のチャンネルのように、WS、ASD共通に太くなっているものもある。一方、前回議論したToMはASDだけでなく、これほど人懐っこいWSでも形成が遅れている。このことから、外部に向けられたチャンネルがToMの発達を決めるのではないこともわかる。
社会性の生物学の対象としてWSに注目が集まっているのは、7番目の染色体上の、7q11.23に構造的に非対立性組み替えが起こりやすい領域があり、ほぼ全てのWS症例でこの部分の欠損が見られるからで、欠損遺伝子の機能解析から社会性を分子生物学的に明らかにできるのではと期待されてきた。WSではほぼ例外なくこの領域の欠損があるが、WSには遺伝性はなく、両親は遺伝的にも正常だ。生殖細胞の発生過程や極めて初期の胚に新たに欠損が起こった結果症状が生まれると考えられている。

図2:7q11.23上にあるWSで欠損する領域(破線で欠損部分を示している)と、対応するマウスゲノム領域。NIkitinaの総説から転載。


WSのほぼ全てのケースで同じ欠損が見られとしても、実際には人懐っこい性格などの社会性を遺伝子から説明するのは簡単ではない。というのもWSでは欠損は片方の染色体だけに限局しており、さらに、欠損場所には26-28種類の遺伝子がコードされている(図2)。すなわち症状を理解するためには、遺伝子発現量の違いで起こる細胞レベルの変化をとらえ、それを脳の複雑な機能と対応づけるという難しい課題を克服する必要がある。
WSの遺伝異常を症状と関連づける目的で現在行われている研究の方向性の一つは、各遺伝子のノックアウトマウスの作成で、図3に示す様に、WSと関連がありそうな形質を示すマウスが作成されている。

図3 WSで欠損する遺伝子のマウスでの機能。


図3に示した様に、FZD9、STX1A、LIMK1,CLIP2、GTF2iなどが欠損すると、確かに様々な脳高次機能の異常が認められる。特にLIMK1, CLIP2では明確な空間認識の異常が検出されており、WSの症状のモデルになる可能性がある。また、FDZ9ノックアウトマウスでも海馬の細胞死の亢進、癲癇発作の閾値の低下とともに、やはり空間認識障害が報告されている。しかしほとんどの研究は遺伝子が完全に欠損したマウスの解析で、WSの様に片方の染色体だけで遺伝子が欠損するhemizygousマウスの解析はほとんど行われていない。おそらく、明確な異常が検出できないと考えられる。しかし、hemizygousでも変異が組み合わさった場合は、十分異常が検出できる可能性は大きく、今後の研究が待たれる。一方完全欠損が胎生致死のGTF2iについては、hemizygousマウスの行動解析が行われており、WSと同じで、初めて出会ったマウスに対しても警戒心が低下していることが報告されている。


以上の様にノックアウトマウスの解析からWSの症状理解のためのヒントが得られることは間違いないが、WSの多彩な症状をマウスの解析結果のみから推察することは難しい。そこでもう一つの方向として、WSで欠損する大きな領域の中の一部だけが欠損したWS症例を探す努力が並行して行われている。例えば、図2で示した領域のうち、STX1を残してそれより右側の遺伝子だけが欠損している場合でも、完全なWS症状を示すことが報告されており、WSにはSTX1より左側の遺伝子はあまり重要な役割を持っていないことが示された。また、LIMKは欠損していてもGTF2iが欠損しないケースでは、心臓の奇形と空間認識異常は見られるが、精神発達は正常であることが報告されている。この様に、不十分とはいえ少しづつ遺伝子と症状との対応が明らかになってきており、これまでの研究を総合すると、GTF2iに近い領域がWSの精神症状に深く関わると言っていいだろう。


そんな矢先、驚くべき論文がプリンストン大学からScience Advances7月号に発表された。この研究では、オオカミから犬へと家畜化が進む過程で獲得される人間に対する高い社会性をもたらせたゲノム変化の特定が試みられた。そして驚くことに、WSで欠損するGTF2iとその隣のGTFIRD1のコーディング領域の変異による分子の構造変化がこの社交性を説明することが示された。

図4:犬とオオカミを比べて、犬の社交性に関わる遺伝子がWSで欠損している遺伝子であることを示した論文(vonHolt et al, Science Advances e1700398, 2017)。


この研究も合わせて考えると、社交性に関わる脳回路形成にGTF2iとその近くの領域はますます重要になったと結論できる。
最後にWSの言語発達についてまとめておく。発表当初から、WSの多弁を含む高い言語能力に言語学者は大きな興味を抱いてきた。この結果、言語発達や起源についての著作には必ずWSの言語能力が記載される様になっている。ただ、研究が進むとWSには多くの精神発達障害が重なっており、言語能力についてもこれらの障害の影響が大きく、単純な枠組みで理解することは難しいことがわかってきた。このことを認識した上で、あえて単純化してWSの言語能力をまとめてみると次の様になるだろう。

  1. 1)言葉の理解や発達は遅れる(これはIQが60前後であることを考えると当然と思える)。
  2. 2)赤ちゃん言葉やジェスチャーなど、外へ働きかける行動の発達は正常で遅れはない。
  3. 3)遅れて始まっても、言語の発達は急速で、特に流暢に言葉を使う。
  4. 4)ボキャブラリー、特に感覚と直接対応できる単語の記憶は普通の子供より優れている。
  5. 5)話し言葉の文法についてはおおよそ一般児と同じだが、ラテン系の屈折語で単語の性の区別が上手くできないなど、苦手な部分も存在する。
    これらの結果は、知能の発達が遅れていても、言語を正常に獲得できること、さらにWSのように外界とコミュニケーションを取ろうとするモチベーションが高いと、一般児を凌駕する言語能力が獲得できることを示している。言い換えると、言語獲得には知能より高い社交性がより重要であることがわかる。
    言語の2重構造を思い出してもらえば、知能の発達が遅れていても、言語が十分発達できることが理解できる。言語は私たちの脳から生まれてきたものだが、子供が言語を獲得するには、まず社会で維持されている言語にアクセスし、それを学ばなければならない。すなわち総体としての言語も、新しい社会のメンバーに使用されて初めて発展するため、必然的に子供が学びやすい構造を発展させてきた。このおかげで知能の発達が遅れていても、強い外部へのモチベーションを持つWSは高い言語能力を獲得できる。もちろんこのシナリオは私の想像でしかないが、ASDとWSの研究を通して言語の発生に必要な要因が明らかになると期待できる。
    次回は言語と社会性の最後として、では社会で共通の言語部分が存在しないとき、人間は言語を獲得するのかを考えてみる。
    [ 西川 伸一 ]

言語と社会性 III
2017年9月15日


問題の重要性から、言語と社会性についての話が少し長くなってしまったが、最終回は、「社会で共有する言語にアクセスできずに育った個人はどうなるのか?」という問題を考えよう。


プサメティコス王の禁じられた実験
「言語は習わなくとも人間の脳機能として本来備わっている」という命題を確かめる方法が一つある。生まれたばかりの何人かの子供を、社会から隔離し他人との言語によるコミュニケーションが全くない状態で育ててみて、子供達だけが何らかの言語をコミュニケーションに使うようになるか調べることだ。どんな形であれ、もし彼らが共通のコミュニケーション手段を開発できれば、言語は習わなくても人間さえ集まれば自然に発生すると結論できる。しかしこの実験は理論的に可能でも、もちろん禁じられた実験だ。
ところがギリシャの歴史家ヘロドトスは、そんな禁じられた実験をした王様の話を書いている。それがエジプト第26王朝のファラオ(王)プサメティコス1世(紀元前664-610年)で、プサメティコスの禁じられた実験として知られている。プサメティコス1世は地球上に最初に誕生した言語は何か知る目的で、生まれたばかりの双子を誰も住まない島で言葉を全く使わずに成長させ、最初に何語を話すかじっと待った。そして2年目、ついに子供達が最初に発した単語が「bekos(フリギア語でパン)」だったので、最初の言語はフリギア語だと結論したという話だ。この話は、人間は習わなくとも言語を話すことができると古くから考えられていたことを示すエピソードだが、歴史家ヘロドトスの記述とはいえ、本当にあった話かどうかはわからない。

図1ミルクを作るプサメティコス1世のレリーフ(出典:Wikipedia)


この話を言語の二重構造性の観点から考えると、社会で共有する言語に全くアクセスできなくとも私たちの脳の延長として存在している言語を介して他人とコミュニケーションを図る本能により、社会で共有できる新しい言語を自然発生させ得ることを意味する。従って、プサメティコスの実験を「社会で共有される言語に全くアクセスできずに発達すること」と読み替えると、わざわざ人間を隔離する禁じられた実験は必要なく、世界を見渡せば同じような実験は現実に進んでいる。その一つは、幼児期に社会から完全に隔離された子供(野生児:Feral child)の言語発達で、もう一つは生まれつき完全に聴力が失われ、既存の言語から隔離されたろうあ者たちの言語だ.

野生児

図2インドで発見された野生児Kamala。最終的には2本足で立ち、普通の食事をするようになったが、単語は50語を覚えるのがやっとだったとされている。(出典:Wikipedia)


古くから動物に育てられた野生児の話は数多く知られている。もっとも有名なのは1920年インドで発見された狼に育てられたと称するKamalaとAmalaで(図2)及び図3右端の本に詳しく記載されている。発見後9年たってようやく50語を話すようになったことが記載され、社会から隔離され言語が全く存在しない条件で育てられると、人間社会に戻っても言葉を学習するのが難しいことを示している。
さらに最近では1972年にインドで発見された、やはり狼に育てられたと称するShemdeoについての研究が報告されており、1985年に亡くなるまで、一言も人間の言葉を話さなかったことが記載されている。


生後間も無く社会から隔離された(?)ケースをまとめると、最初は4足歩行で生肉を食べ、もちろん言葉を話すことはなく、人間に対しても強い警戒心を持つ。ただ時間が経ち、人間への警戒心がとけると、2足歩行や食事などは一般人と同じ様に振る舞えるまで回復するが、言語だけはほとんど回復しないことが共通だ。これらの話は一般の関心も高く、図3に例示するように、ノンフィクションとして繰り返し出版されている。

図3:動物に育てられた子供についての本は数多く出版されている。他にも、親のネグレクトで社会から隔離された育ったGenieについてのノンフィクションも読むことができる。(出典:Amazon.co.jp)


ただこれらの例は本当に狼によって育てられたのか、発見されるまでの状況について確たる証拠がないことや、科学的、心理学的な研究がしっかり行われていないことが多く、そのまま結論を鵜呑みにするのは危険だと思う。


これに対し、幼児期から極端なネグレクトをうけて社会から隔離され育ち、13歳で発見された子供Genie(図3右写真)については詳しい科学的調査が行われ、研究論文も多く発表されている。Genieの場合は、13歳まで全く言語から隔離されていたにもかかわらず、発見後の訓練で言語能力はおどろくべき発達をとげたことが記載されている。


野生児の観察から、人間の言葉の学習には重要な時期があり、その時期をすぎると言語を覚えることは人間でも難しいと結論された。事実、鳥がさえずる能力を獲得するためには決まった時期に鳴き声を学習する必要があることは、古くからよく知られた事実だ。しかし、Genieの例は、少なくとも人間に関しては、言語習得に絶対的な時期的制限はないことを示唆している。ただGenieの例からだけで、幼児期の学習が言語習得に必要ないと結論していいかは疑問だ。すなわちGenieが既存の言語からどの程度隔離されていたかについては、関係者の証言から想像する以外に方法がないことだ。いくら周りから謝絶された小部屋に隔離されていたとはいえ、部屋の外では様々な言葉が聞こえたはずだ。また、動物に育てられた子供と違い、ネグレクトの場合は、無言のまま行われたとしても、食事は人間により提供されたたはずで、当然父親や母親など世話をする人間との限られたコンタクトはあったはずだ。もし動物に育てられた野生児の言語が回復せず、言語を通したコミュニケーションから隔離されたネグレクトの子供の言語は回復するとすれば、希薄であってもこのような人間社会とのコンタクトが特定の時期にあったかどうかが言語の発達可能性を決めている可能性もある。


ろうあ者とSign Language(手話)
既存の言語を介するコミュニケーションは全くなくても、社会の中で他人と関わることで言語が自然に話せるようになることを示す例が知られている。ろうあ者と健常人、あるいは、ろうあ者の間に自然発生する手話だ。現在日本で多くのろうあ者に使われている日本手話(日本語対応手話とは異なる)も、日本語とは無関係にろうあ者のコミュニケーション手段として自然発生してきたものだ。ただ、最初から成り立ちを完全に追いかけることができる手話は多くない。
成り立ちが追跡できる手話は、Village sign language(村落手話:家庭内のHome signも含む)とdeaf community sign language(ろうあ社会手話)に大きく分けることができる。


Village sign language(VSL)は、家族や集落の中で(遺伝的に聴力障害が多い家族や集落である場合が多い)、ろうあ者とコミュニケーションを図るために自然発生してきた手話で、その誕生には必ず健常者が関わっている。中でもよく研究されているのが、4人のろうあの子供を持ったベドウィンの家族内に1930年ごろ誕生し、その後世代を重ねて、4000人の村落のすべてのろうあ者(130人)が共有するようになった手話、Al-Sayyid bedouin sign languagee(ASBL)だ。
ASBLだけでなく、他の自然発生手話からわかることは、発生した手話の文法構造は、家族内の健常人が話している言語の構文構造と必ずしも一致しない点だ。また、VSBLをはじめ様々な自然発生手話同士構文を比べても、特に手話に共通にみられる構文構造は見られない。それぞれのVSLは、それぞれ独自の構造を持っている。このことから、VSLが小さな集団から独自に発生し、発達してきた言語であることがわかる。


現在ABSLを利用している異なる世代のろうあ者が使っている単語や構文ルールが比べられ、最初ほとんど1−2語の構文というより発語から始まったABSLが、世代を重ねるとともに、様々なインプットを統合することで複雑化したことが明らかになっている。最初家族内で使い始めたシンボル化された単語が何で、構文がどんなものだったかについては、調べて見たが残念ながら記載はない。しかし現在では言語と呼ぶにふさわしい十分なボキャブラリーと文法構造を持ったABSLへと発展しているのを見ると、偶然に始まったにしても「シンボル化された単語を他の個体と共有する」スタートが切れれば、参加者が増えるに従って言語が自然に高い機能を持った複雑な言語へと発達することがよくわかる。
しかしABSLが既存の言語の影響を受けずに自然発生したと結論するのはまだ早い。言語を話す健常人は、一つのセンテンスが、各単語を決まった順番に並べること(構文)でできていることを知っており、構文ルールがコミュニケーションに必須であることはよくわかっている。さらにシンボル化された様々な単語を創作する段階でも、健常人の持つ単語の成り立ちや性質についての理解が、手話の成立過程でインプットされた可能性は否定できない。また、健常者も話しながら自然に身振りを使うのが普通で、これが手話発生に影響しないとは言えない。このように、健常者が母国語として使っている言語の構文と異なるというだけでは、VSLを既存の言語から独立した、独自に自然発生した言語であるということは難しい。


ニカラグアの手話
この懸念を完全に払拭し、一定の数のメンバーからなる集団内でコミュニケーションが必要になると、健常者の参加無しに、ろうあ者のみの力で言語を誕生させられることを示したのが、ニカラグア手話だ。
1977年聾唖学校が設立されるまで、ニカラグアのろうあ者の養育は各家庭に任されており、全く手話は存在しなかった。実際、こうして成長した現在65歳以上のニカラグアのろうあ者は全く手話を使うことができない。その後1977年になって、30人規模の聾唖学校が設立され、1979年サンディニスタ政権誕生後は各地からろうあの子供が集められ生徒数が急速に増加、1983年には400人が特別学校で教育を受けるようになった。
この最初に集められた30人の集団から、最初のニカラグア手話が誕生し、これを基礎にして、学校に集まった生徒に受け継がれ、また多くの参加者からの新しいアイデアを取り込んで発展し、現在では子供から大人までニカラグアの多くのろうあ者に使用される言語に発展した。重要なことは、この言語発生過程のほとんどが追跡できることで、最初の発生に関わった第一世代および、その後のボキャブラリーや構文の発展に寄与した後の世代のほとんどが生きており、その時の様子を検証できる点だ。
詳細は省くが、以上の経過から、

  1. 1)ろうあ者が単独で健常者の中で生活する限り体系的な手話は生まれる確率が低いこと、
  2. 2)しかし一定の数のろうあ者が集まると、それ以前には存在しなかった体系的な手話が発生すること、
  3. 3)おそらく最初は1−2語からなる叫びのような発話とほとんど区別できない構造を持った言語でも、異なる個体で使われるシンボルの意味が共有されると(すなわち社会共有部分が発生すると)、あとは使用するメンバーの増加に応じて、進化を遂げ体系的な言語になること、
    を示している。

図4: 見ると払うの文法的変化を体の向きを変えることで加えている例。このような新しいルールは一旦発生すると、瞬く間に全体で共有されるようになる。(Senghas and Coppola, Children creating language, Psychological Science, 12:323, 2001に掲載されている図。出典:Wikipedia)


例えば図4は Ann Senghasの論文から転載した写真だが、手のサインは「見る」と「払う」を意味している。最初体の中央でだけで提示されていたこのサインは、第二世代になると体の中心だけでなく、左右に振ることで、様々な文法的変化を表すようになっている。しかも、一旦発生して便利だとわかると、瞬く間に同じ言語を使う集団全体に広がることも確認されている。一旦生まれると、言語は急速に進化する!!!
もちろん完全に聴覚を失ったろうあ者の中で自然発生したと言っても、発生に関わった子供達は当然文明の洗礼をうけており、人類最初の言語発生を反映していると結論するのは早いだろう。最初の言語が発生する時にはおそらく、集団で共有できるシンボルを生み出すのには長い時間がかかったかもしれない。しかし、人間は集まると、相手とのコミュニケーションを模索する中で、他の個体と共有できる単語と構文を発生させること、そしてどんなに小さなスタートでも、一旦社会で共有できる言語が生まれると、それ自身が異なる個体からのアイデアを統合して体系的言語へと進化できることを、ニカラグア手話ははっきりと示しているのではないだろうか。
次回は、これまでの議論をもう一度整理し直したいと考えている。
[ 西川 伸一 ]

情報としての言語
2017年10月2日


これまで、言語誕生過程を構想するために7回にわたって言語の重要な特徴について見てきたが、先に進む前にここで少しこれまでのまとめの意味で、情報媒体としての言語の性質を同じ情報媒体のDNAと比較しながら見ることにする。


1、情報は受け手で決まる
現代は情報の時代で、私たちはどこにいっても情報と情報機器に囲まれ、情報なしに生きることはできないと感じている。職場への行き帰りを考えてみよう。時計が指す時刻に合わせて家を出る。駅では次の列車の時間や行き先をみて、遅れや変更がないかを知り、正しい列車に乗る。列車の中を見渡すと、新聞を読んだり、本を読んだり、あるいはタブレットでビデオを見たりしている人もいる。私はといえば、窓の外の景色、時間、車内のアナウンスなどを情報に、目的の駅に降り立つ。駅から職場までの道では、信号の色の指示に従って交差点を渡る。もちろん、信号無視の車が突っ走ってこないかも気をつける。このように私たちの行動のほとんどは、街にあふれる情報に依存して判断していることは間違いない。
半日の行動を思い返して考えてみて、私たちは何が情報で何が情報でないか判断に困ることはない。ところが、私が情報として利用しているものを、抽象的に定義しようとすると簡単ではない。というのも、掲示板の文字も、信号の色も、さらには窓の景色も、すべて職場に通う私には情報になる。一方、視覚障害の方にとっては、窓の景色も、信号の色も、掲示板の文字ですら情報としての価値を持たない。逆に、歩道の凹凸は視覚障害者には重要な情報だが、障害者でないと気にもならない。このように、何が情報かどうかは、それを必要としている受け手に依存している。そして何よりも、世の中のあらゆるものは、受け手によっては情報になりうる。


もちろん受け手だけが情報を決めるのではない。一般的に私たちが情報と認めるものの中には、出し手が情報としての性質を決めているものも多い。例えば、信号や掲示板の情報は、私が利用しなくとも、誰かの情報として提供したいという出し手の意図がある。もちろん、この原稿と同じで、出し手の情報としての意図が実現するかどうかは、受け手にかかっている。いずれにせよ、出し手が決める情報も、受け手が必ず想定されており、情報は受け手で決まる。
これまでの議論をまとめると(人間が受け手の情報に限ってではあるが)、情報は主に「受け手が行動する際に参考にする知識」であり、この中には「受け手の行動を変化させようと出し手が提供する知識」が含まれる。ただ、出し手の存在は必須ではない。突き詰めると、情報とは受け手の行動のための判断に使われる知識と定義していいだろう。


2、情報は物質ではないが、働くために情報媒体(物質)が必要

図1 クロードシャノンと、彼の課題をまとめた図
シャノンは、情報を物質媒体として正確に伝達するために必要な方法(電線でメッセージを伝える電話)を情報理論として体系化した。(写真と図はWiki Commonsより)


次に重要な情報の特徴は、「それ自体は物理的な量ではないが、それが働くためには必ず物理的媒体を必要とすること」をあげることができる。このことを科学的に体系化したのが米国のクロード・シャノンだが、情報媒体が情報と一体化しており、物質からできているので、情報にも物質性があると混同する人が多い。例えば「日本人のDNA」といった使い方がその例だろう。DNAは物質で、情報ではない。「日本人のDNA」の正しい表現は、「日本人のゲノム」だとおもう。


いずれにせよ、情報が物質でないことは少し考えればわかることだ。例えばこの文章はウェッブを通して約4千人の人に読んでもらっているが、読者に内容を紙に印刷して届けようとすると、コストも人手もかかる。これは、情報を媒体に移した途端物理量になり、その結果情報を移動させるのにも大きな物理的力が必要になる。しかしいつものようにウェッブにアップロードすると、一瞬で何千人、何万人、おそらくその気になれば億人単位の人にも同じ情報を送ることができる。これは情報がより分配しやすい媒体(デジタルパケット)に移されたからだが、情報の内容は同じだ。この媒体を選ばない特徴は情報に物質性がないからこそできる芸当だ。


この例では、私が伝えたかった内容(これも私の頭の中の神経ネットワークのパターンとして媒体化されているが)が情報で、PCに私が打ち込んだ時点で情報は電子媒体に移され、液晶画面上の各ピクセルの色の違いのパターンとして表現できるようになっている。このパターンは、そのままウェッブを通して何千、何万のPCに瞬時に伝達できるし、USBでもハードディスクにでも残しておける。
これまで議論してきたのは人間が出し手の(例では私が出し手)情報だが、人間が出し手でない生物が持つ情報、例えば遺伝情報でも同じで、情報自体に物質性はない。またどんなに大きなゲノムでも、DNAやRNAは当然のこと、紙の上のATCGの4文字でも、また電子媒体でも、異なる媒体を使って同じ内容を表現することができる。


もちろん生物の情報には一見物質ではないかと思えるようなものもある。例えばフェロモンにより接合が始まる例では、フェロモンという物質が情報のように見える。しかし、実際にフェロモンが必要とされる状況を考えると、例えば餌が欠乏したという情報をフェロモンが伝えていると考えられることから、フェロモン分子は情報媒体として働いていることになる。


このように、頭の中で情報と情報媒体は混乱し、どうしても媒体を情報そのものと勘違いする。しかし情報は物質でない点を押さえておけば、何が情報で何が情報でないか間違うことはない。人間が出し手の情報は、数学的に記述できても物質ではない。しかし重要なのは、媒体を介して物質世界で働き、物質と相互作用できることで、これこそがシャノンやチューリングにより始まった20世紀の新しい科学革命、情報科学革命だ。


私が頭の中に浮かんだ文章を原稿としてPC上にインプットし、またメモリーにストーレージできるのも、すべてこの情報理論のおかげだ。しかし、人間が出し手でない情報、例えば遺伝情報がどう生物に利用され、脳への情報インプットがどのように記憶として残るのかオペレーション原理についてはわかっていないことも多い。すなわち、情報と媒体との関係は、生物学最大の問題として現在も残っている。


3、情報は生物とともに地球上に生まれた
異論のある人も多いと思うが、私は生命が誕生する以前の地球上に情報は存在しなかったと思っている。しかし待てよ、物理現象を記述するためには、対象となる物質の動きや質量の情報が必須であり、この意味であらゆる分子とその動きには情報が内在しているはずだ。生物誕生以前にも物理現象は地球で続いており、あらゆる物理現象に関して情報も存在していたはずだ。だとすると、情報は生命誕生以前から存在したと言えないだろうか?


答えはNoだ。情報は受け手が決める。物理現象に情報が存在するのは、人間がそれを解釈して利用するときだけで、物理現象が情報を持つかどうかは、それを情報として利用できる受け手の能力にかかっている。人間誕生前にも天体の動きは情報として利用されていたが、それは生命誕生後のことだ。一方、生命自体には誕生時から情報とその媒体が内在していた。この生物だけに情報とその媒体が内在し、また情報の受け手となれるという特徴により、物理世界には存在しなかった全く新しい原理が生まれたことをダーウィンは「種の起源」の最後のセンテンスで美しく表現している。


「もともと生命は、様々な力が、一握りの、あるいはひょっとするとたった一つの原型に吹き込まれて始まり、この惑星が重力法則による永遠に変わることのない回転を繰り返している間に、これほど単純な始まりから、最も美しく素晴らしい果てしない形態が進化し、また進化し続けている。このことを考えると、進化の壮大さに心が打たれる」(私の意訳)


この物理世界にはなかった進化する力を持った生命に最初吹き込まれた様々な力のひとつが、情報とその媒体であることは間違いない。


生命誕生を情報の誕生として認めると、地球最初の安定した情報媒体は核酸ということになる。では、この核酸が媒介している情報とは何か?答えは、ATCG4塩基の配列(コード)になるが、実際に核酸が媒介している情報はこれに止まらない。その先には、塩基の配列によって決まるRNAやDNAの構造や機能、アミノ酸に翻訳される場合はアミノ酸の配列、アミノ酸が形成する分子構造とその機能、さらには、その分子と結合する様々な分子、などなど情報のコンテンツは拡大する。わかりやすい例で言えば、「空」という単語の中に、太陽、月、星、そして無限の宇宙は言うに及ばず、それと反対の概念である陸までもが収束しているようなものだ。
このような媒体に無限の情報が表現されているという特徴は、生命の情報媒体全てに言えることではない。例えばフェロモンが担える情報には限界がある。しかし、核酸、脳回路、そして言語の3媒体には、このような限界は全くない。これまで見てきたように、3つの媒体とも質・量ともに無限に拡大できる。また、媒体をコピーすることができる(正確である必要はない:文字が生まれるまで言語も決して正確にはコピーできない)。さらにその媒体が表現している情報と外界との相互作用を様々なレベルで記録することができる。この特徴のおかげで、生命や人間の進化は進んできた。


4、DNAと言語の比較
DNAは情報媒体として働くために、4塩基配列をコードとして使っている。このコード自体は物質ではなく情報だが、媒体と一体化しているので、情報と実際の世界をつなぐ接点として考えればいいだろう。では、言語で塩基配列に対応するコードはなんだろう?これは人間が発声できる音の配列と言える。

図2 言語とDNAを媒体とした情報の比較


次にコードにより表現された単位が来る。言語の場合は単語だが、DNAの場合はアミノ酸からなるタンパク質だけではない。そこでとりあえず機能単位としておく。ただ、話を複雑にしないため、これ以降はアミノ酸に翻訳されてできるタンパク質が、言語での単語に相当するとして話を進める。


ここまで、なんとなく言語とDNAは似ているように述べてきたが、一つ大きな違いがある。すなわち情報の媒体の物質性だ。DNAはタンパク質に対応する情報を表現する媒体だが、この延長で言えば言語を媒介する音は情報の媒体であるのは間違いないが、物質性が希薄で、かなり特殊な媒体であるといえる。
例えば、文字が誕生するまで、言語の記録は私たちの脳内神経ネットワーク以外に記録することは難しかった。要するに、言語の体系は覚える以外、維持することは不可能だった。当然脳の記憶の仕組みから考えると、記録という面ではなはだ心もとない。しかし、以前議論したように言語の場合、個人の脳内に維持されている表象とともに、集団で共有される部分を持つ2重構造になっている。
言語の集団共通部分ではさらに物質性が希薄になる。しかし、集団で共有しているという性格のおかげで、各個人の脳内神経ネットワークの記憶の限界を補うことが可能になっている(次回もう一度議論する)。このように、文字が生まれる前の言語は、音という物質性の希薄な媒体(ほとんど持続できない)に依存しているため、この物質性のなさが、DNAとは大きく異なっていると言える。ただ、この問題は言語の2重構造を実現することで、ある程度解決している。幸い、言語媒体の抱える物質性の希薄性の問題は文字の誕生で解消する。


5、DNAも言語も、媒介する情報は部分と全体が常に一体化している。

図3 メタボリックマップと、分子ネットワーク

もともと生物学では、一つの遺伝子にコードされている分子も、大きなネットワークの中で様々な分子と関係を持って存在するとして研究が行われてきた。例えば、ある分子が加わる代謝マップに存在しないということすら情報になる。(Wiki Commonsより)

図3に代謝マップと、分子ネットワークの例を示したが、情報媒体としてのDNAから学ぶことができるもう一つの重要な点は、一つの情報は決してそれ自身で存在していないことだ。これまで、生命の情報を扱ってきた分子生物学は、どうしても個々の遺伝子に焦点を絞って研究してきた。このため、ともするとDNA媒体により表現されている情報が、特定のタンパク質についての情報であると思ってしまう。しかし、研究対象に選んだ遺伝子が一種類のタンパク質だけをコードしているとしても、その分子は生物の中で他の分子と直接結合するだけでなく、多くの分子と直接間接に相互作用を行っている。すなわち、一つの分子の情報の背景にはその分子だけでなく、多くの過程が背景として存在している。更にある細胞にこの分子が発現しているということだけではなく、例えばアルブミン分子をコードする情報には、赤血球や多くの細胞にはアルブミンが存在しないということも含まれている。結局個々の情報も、全てのゲノム情報と関連している。このことは生物学者なら肝に銘じていることで、生物のもつ部分と全体の特別な関係として研究者の頭を悩ませてきた。


しかし、言語になると、多くの人が言語体系は単語という部分が単純に集まったものとして考えてしまう。これは、多くの人が、言語とは意味しているもの(シニファン:記号)と意味されるもの(シニフェ)が一体化した記号が集まったものだと述べたソシュールの考えを鵜呑みにしているからかもしれない。しかし実際に私たちが「空」という言葉を頭に浮かべる時、決して大きな広い空だけではなく、太陽、月、星、海、陸地など同時に多くの単語を思い浮かべるのが普通だ。実際には空と聞いて、星を思い浮かべていることもあるだろうし、水平線を思い浮かべていることことすらあるだろう。このように、私たちの厖大な経験の一部を単語として記号化したのが言語で、決して記号を集めて経験を作り直しているわけではない。すなわち言語はシニフェとシニファンが一体化した記号を集めて形成されたものではない。


この点を理解するには、言語ともう一つの情報媒体、脳の神経ネットワークとの関係を見る必要がある。次回はこの問題を「言語と脳ネットワークを媒体とする情報の比較」というタイトルで考える。
[ 西川 伸一 ]

脳と言語を情報の観点から比べる
2017年10月16日


前回DNAなど核酸と言語について、情報媒体としての観点から比較して、それぞれはあらゆる情報を表象することができるものの、言語を媒体として使う時に必要な「音」がDNAと比べた時、物理性に乏しいことを強調した。もちろん音も物理現象で、物理現象だからこそ情報を媒介できる。誤解を招かないためには、本当は音が物理性に乏しいという代わりに、音が持続性に乏しいといったほうがよかった。しかし、DNAが生物の情報媒体として誕生して以来、新しく進化してきた情報媒体はほとんど持続性に欠ける媒体で、決して世代を超えて情報を伝えることはできなかった。その最たるものが、情報の媒体としての脳の神経回路だ。事実、ある時自分が見たり考えたりしたことを覚えておくのは難しいし、ましてや他人や子孫に伝えることはもっと難しい。脳の神経回路を媒体とする情報の延長上に発展してきた言語が持続性に欠けるのは当然と言っていい。そこで今回から2回に分けて、情報媒体としての神経回路を言語を念頭に整理し直して、言語が神経回路を媒体にした情報処理システムに何を新たにもたらしたのか考えていきたい。


本題に入る前に、情報と情報媒体にまつわる混乱を整理する意味で、「言語は媒体か?情報か?」について少しだけ考えてみよう。言語は私たちが感じたり、考えたりした内容(=情報)を表現するための媒体として利用されている。ただ、情報を表現するためにはどうしても、単語やさらに小さな単位の音節を一定の法則(文法)に従って並べる必要がある。この音節(単語)の並びに情報性が生まれるのは当然で、並びを正確に伝達する方法の開発が、シャノンの情報科学が生まれる発端となった。同じことは、DNAにも言える。DNA自体は情報媒体だが、一本のDNA鎖は異なる領域に分節され、それぞれの分節は4塩基の配列として表現されている。従って当然配列自体が情報性を持つ。このように情報媒体は情報を背負った途端にそれ自身が情報になる。これが情報と、情報媒体の区別についての混乱の原因になるので注意が必要だ。ただ、音の並びや、DNAの並びを情報として捉えて混乱させているのは、わたしたち人間自身で、実際には言語も、DNAも情報媒体以外の何物でもない。


本題に移ろう。脳については、神経細胞の進化過程から人間に特有な高次機能まで、何回にもわたってその情報処理の仕組みについて説明してきた。これまで議論した詳細については理解していただいていると思うが、おさらいをかねて、まず私たち人間の脳について、情報媒体という観点から整理してみよう。
さて今年のノーベル賞は概日周期のメカニズムを発見した3研究者に与えられたが、情報とは何かを考える良い材料になるので、概日リズムの話から始めよう。

図1:ノーベル財団の今年の医学生理学賞の受賞理由に掲載されている図。
(https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2017/press.html) (C) The Nobel Assembly at Karolinska Institute


「DNAは情報媒体として、概日リズム、すなわち地球の自転情報をコードしている」というと、驚かれるかもしれない。図1はノーベル財団から発表された受賞理由に掲載されていた図だが、概日リズムのメカニズムを説明している。しかし目を凝らしても、この図には地球の自転を感知する仕組みは一切見当たらない。それもそのはず、私たちの体にある一つ一つの細胞が概日周期を持っており、これが全てゲノムにコードされていることを明らかにしたことが今回のノーベル賞の受賞理由だ。この細胞レベルの概日周期も、視覚を通して感じた地球の自転情報で調整し直すことが可能だが、細胞の概日リズムの維持に光を感じることは必須ではない。これは、体から分離した培養細胞を真っ暗な部屋で培養しても、リズムは維持されることからわかる。このリズムは、生物進化の過程で、地球の自転という情報がDNAを媒体とした情報としてゲノム上に書き込まれた結果だ。


このことから、地球の自転のような宇宙レベルの情報ですらDNAを媒体とした情報へと書き換えられること、すなわちDNAがほぼ無限の情報を媒介できることがわかる。ただ、DNAに地球の自転情報を書き込むためには、偶然によるDNAにコードされた情報の変化と、変異した情報から生まれる形質の変化を選択し、最も外界にフィットした情報を固定化する途方もない進化の時間が必要だった。このことからDNAを媒体とする情報は、外界を記憶するというより、外界の情報(この場合地球の自転のサイクル)を自己に同化していると考えるほうがいい。しかし組み込む過程は不自由で機動性に欠けていても、DNAを情報媒体としてこれまで生物ゲノムに同化された外界の情報はほぼ無限と言ってもいい。


繰り返すが、この同化過程は、情報媒体に起こる偶然の変化に依存しており、外界の変化に素早く反応することは全くできない。例えば、個体の一生と言う時間スケールで情報に合わせて変化したり、あるいは情報を他の個体に伝達することは不可能だ。このことは、大腸菌を特定の栄養成分が欠けた培地に移して変化に適応させる時、ほとんどの個体が死滅する中で、何百万分の1の確率で生き残った個体だけが、次の世代を作るのを見ればよく理解できる。しかし、個体が外界の変化に適応して生きるためには、素早く外界の変化に適応できる能力の開発が必要なのは明白だ。この問題の解決として、様々なシグナルを使って外界をモニターする方法(例えばクオラムセンシングなど:2016年8月15日 進化研究を覗く)が進化した。ただ、情報の解釈、及び記録の両方を実現できる情報媒体として進化したのは、ヒストンやDNAの修飾により遺伝子の利用を決めるエピジェネティック機構だ。この機構の進化により、外界の変化を受けて、細胞を安定的に外界に適応した状態へとシフトさせることが可能になった。この結果、細胞同士がコミュニケーションすることでそれぞれの分化状態を決めることが要求される多細胞体制も可能になった。


エピジェネティック機構はDNAの書き換えを必要としない。その代わりに、細胞内外の情報に従ってDNA上のヒストンやDNA自身を可逆的に修飾し、遺伝子発現を変化させる。すなわち、ゲノム情報の中の特定の組み合わせだけを機動的にON/OFFできるようにすることで、一種の記憶を可能にしたと言える。実際、原則としてエピジェネティックな情報は次世代に伝達されない。しかし、同じゲノムを共有する個体であれば、同じ外界からの刺激をエピジェネティックな記憶として多くの個体で共有することができる。言い換えると、生殖を通してしか伝達できないゲノム情報を、何通りにも違った使い方をできるようにしたのがエピジェネティックな機構と言える。


ただ、エピジェネティック機構を用いた媒体での情報処理には時間がかかり、迅速性にかける。一方、生物はさらに短い時間スケールの変化に囲まれている。特に、光、音、温度のような物理学的変化は短い時間スケールで変化することが普通だ。そして、これらの変化は生命にかかわることもある。しかし、神経系が発達するまでこのような早い変化に生物はついていくことができなかった。言い換えると、これらの問題の解決として進化したのが神経系と言える。
イオンチャンネルを通るイオンの流れをシグナルとして使うことは神経細胞以前から行われている。分かりやすいのが、ミトコンドリアのATP合成に使われるチャンネルだろう。しかし、電位差によって開閉するチャンネルを使って、細胞の端から端まで順番に活動を伝播させるシステムは神経系が最初だ。この膜電位の脱分極による興奮性は、急に開いたチャンネルを通るイオンの流れなので、刺激に対する秒単位の反応が可能になった。

図2:神経系はすべてのシグナルを、膜の興奮に収束させている


これに加えて、刺激の性質の異なる外界の情報を、細胞膜の興奮という統一した仕組みにいったん収束させることが可能になったことが(図2)、情報媒体としての神経系の特徴だ。この結果、神経系では、物理刺激も、化学刺激も全て同じ興奮原理を持った神経回路に統合して統一された情報として扱うことが可能になった。これにより、あらゆる種類の外界の変化を、迅速に捉え、一つの記憶として維持することができる、まったく新しい情報媒体が出来上がった。
ただ、膜の興奮そのものは、記憶というより、反射に近い。神経細胞内では、この迅速な反応は、短期、長期記憶と呼ばれる二つのメカニズムで持続される(図3)。

図3:短期記憶と長期記憶のメカニズム(ノーベル財団2000年ノーベル医学生理学受賞理由:https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2000/press.html) (C) The Nobel Assembly at Karolinska Institute


図3は、エリック・カンデルの研究を紹介したノーベル委員会の受賞理由に掲載されたいた図を拝借したものだ。この図には、神経細胞内でのシグナル伝達系(PKA, cAMPなど)の活性による短期記憶と、エピジェネティックな変化によって誘導される細胞の分化を用いた長期記憶のメカニズムが書かれている。すなわち、神経系の誕生で、これまでシグナル伝達や、細胞分化に関わってきた多くのメカニズムが、新しく誕生した興奮膜を中心に再編成されているのがわかる。

図4:情報媒体の進化の階層性


このように、DNA、エピジェネティック機構、神経と情報媒体の進化を振り返ってみると、新しい媒体が、古い媒体では困難だった様々な課題を解決するとともに、それ以前の情報媒体を、新しい媒体を核に再編成し直して利用していることがよくわかる(図4)。この結果、神経系では、興奮膜の反応時間から、エピジェネティック機構の時間、さらにはゲノムの時間まで統合された独特の時間を形成するのに成功している。
これらの時間は、一個の細胞内の時間で、例えば以前紹介したゴカイ幼生の神経が一本しかない光感受システムにも当てはまることだが、記憶・伝達という観点から見た時、神経系は別の方法でもうひとつの時間過程を形成するのに成功している。すなわち、シナプス形成による神経細胞同士が興奮を伝達できる回路の形成だ。例えばアメフラシの水管反射回路(図5)を思い出してもらいたい。この回路で神経細胞はシナプスで結合している。個々の細胞は刺激に応じて長短合わせた変化を遂げシナプスの興奮性も変化するが、これとは別に回路内では一つの細胞から細胞へと刺激のリレーが行われ、この興奮のリレー自体も回路特有の活動時間を形成している。すなわち、外界からの刺激に対して、細胞やシナプスといった個々のレベルだけでなく、回路全体として反応が起こり、記憶が形成される。

図5 単純なアメフラシの水管反射に関わる回路。(BRHホームページ参照:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000024.html)


そして、この細胞間のつながりは、ほぼ無限に拡大できることから、私たちが例えばイメージを見たとき、脳の中では恐ろしく複雑な過程が進行し場合により記憶として回路レベル、細胞レベルに分散して残ることが推察できる。
この外界の刺激を認識、記憶する過程の延長に、言語が生まれるのだが、例えば、鳥を見たとき脳で起こっている過程の複雑さを考えると、「トリ」という言葉が刺激として持つ性質は、あまりにも単純に思える。私自身は、このギャップこそが、言語の重要な役割だと思っているので、次回は、さらに高等動物の記憶について整理しながら、言語の役割について考えてみたい。
[ 西川 伸一 ]

人間の記憶
2017年11月1日


DNAから神経系まで、生物の持つ情報媒体をざっとおさらいしてきたが、今回は高次脳機能としての記憶について焦点を当て、言語との関係で考えてみたい。前回見たように、新しい情報媒体は、それまでの媒体ではできなかったことを実現してきた。とすると、言語は高次の脳機能ではできないことを可能にしたことになる。ただ、言語によって何が可能になったのかについて理解するためには、言語発生直前の脳を知る必要があるが、簡単ではない。結局現在の私たちの基本的な脳機能を理解した上で、何が新たに可能になったのかについて想像をめぐらすしかない。いずれにせよ、エピゲノムがゲノムの延長にあるように、言語は脳の高次機能の延長上に生まれた。個人的には、言語は動物の脳の持つ記憶とコミュニケーション機能の新しい展開として誕生したと思っているので、言語を念頭に置きながら、高次の記憶やコミュニケーション能力について考えてみよう。
記憶については既に何回か折に触れて説明してきたが、私たちが記憶として通常思い浮かべるような複雑な記憶について説明はしてこなかった。この問題が現在も研究途上で説明が難しいためだが、今回はあまり詳細にこだわらず、独断で記憶を論じてみたいと思う。

図1 細胞の短期変化から細胞の安定な分化が細胞レベルで記憶を支える。前回の図3も参照


まず記憶の細胞学的メカニズムを復習しよう。記憶は、神経細胞自身の興奮伝達特性の変化と、その結果起こる神経間の結合性の変化、そしてそれに続く神経ネットワークの変化により支えられている。前回再掲したエリック・カンデルのノーベル賞受賞業績紹介に掲載された図をもとに、記憶の持続時間という点から書き直してみると図1のようになるだろう。
まず神経刺激により誘導される生化学変化により短期間神経細胞やシナプスの刺激反応性が変化する。この刺激が一定期間続くと、次に新しい遺伝子発現が誘導され、シナプスの興奮伝達に関わる分子がさらに長期的に変化し、ポジティブ、ネガティブに伝達性が変わる。さらにこの過程が最終的にエピジェネティックな変化を起こすと、新しい神経間の伝達性の変化を安定的に維持することができる。この中には、シナプスの消失や、形態変化(例えばスパインの変化:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000005.html)、さらには細胞の増殖による新しいネットワークの組み替えも含まれている。神経細胞は多様化しており、シナプス形成様式も多様で、個々の神経レベルではこの過程に様々な分子が関わるが、基本的なメカニズムは同じだ。
ただ細胞レベルのメカニズムからだけでは私たちの記憶システムを説明できない。これは、複雑な記憶には脳神経回路によるプロセッシングが必要で細胞レベルのメカニズムが共通だとしても、多数の細胞が参加する回路ができることを抜きにして、高次な記憶は形成できない。この時、外界のイメージから感覚器を介して入ってくる脳へのインプットを、神経回路活動の様々なパターンへと分解し、この中から必要な情報を集めて、知覚したイメージに対応する内部イメージが神経回路内に作り直される(=すなわち外部のイメージが脳内に表象される)。この表象過程では、表象の再構成に必要な断片化された情報を集め直す必要があるが、そのためにそれぞれの情報を神経ネットワークに一時的に維持しておかないと、統合することは難しい。これらを短期の作業記憶と呼ぶが、新しい表象は短期に記憶された情報断片の統合として現れる。こうして生まれた新しい表象の中から、さらに長期に記憶する表象が選ばれ、私たちの記憶が誕生する。
この過程をもう少しわかりやすく説明するため、多くの絵画が展示されている、美術館の常設展示場を訪れたという状況を考えてみよう。私の場合、一枚ずつ足を止めて絵を見、またラベルから絵のタイトルや画家の名前を丹念に拾っているのだが、一度見ただけでは絵の詳細について覚えられない。したがって、絵を見て脳内に形成されたほとんどの表象は時間とともに消えてしまう。しかし、5年後にもう一度同じ展示場を訪れた時、絵が以前と変わりなく展示されていたら、確かに前に見たと思い出す絵は多い。これは、絵の表象を覚えていたというより、部屋の雰囲気などを覚えており、もう一度絵を前にして、初めて見た時の感覚が蘇ってくるのだろう。さらに、前もって美術館の予習をしておけば、絵を覚えられる可能性は高いし、画家について知識があるさらに覚えやすい。もしその画家が自分の好きな画家なら、もう忘れない。最近の研究では、スマフォで写真を撮るだけで、後で見直さなくても絵を覚える確率は高いようだ。要するに、絵を見るだけでなく、様々な情報が合わさると記憶に残るようだ。
しかし、知っている画家の絵だけが記憶に残るわけではない。それまで聞いたこともない画家の絵に強い印象を受けて忘れられなくなる絵も多い。個人的経験だが、アントワープ王立美術館で見たフーケの聖母子像がそうだった。それまでフーケの名前を全く知らなかったが、その時以来40年経っても忘れることはない。(余談だが、他にもJan Gossaertの艶かしい絵をはじめとして、個人的にはフランドルの画家の絵は一度見ただけで忘れられない絵が多かった。)

図2 アントワープ王立美術館所蔵のジャン・フーケの「ムランの聖母子像」、1981年に一度訪れた後は訪れる機会がないが、イメージは鮮明に残っている。
(出典:Wikipedia)


このような美術館での体験の記憶は短期、長期を問わずエピソード記憶と呼ばれる。
フーケの絵(図2)の前に立ったと想像してみよう。私たちは、決して写真機のように絵全体を認識しているわけではない。特に近くから見るときは、ほとんど無意識に(おそらくこれまで培ってきた習性に従って)、例えば顔や、乳房(私の場合だが)などの部分部分に視線を走らせ、イメージを取り込んでいく。このとき、網膜の特定の場所で補足されたイメージは色と形に別々に処理される。また無意識に視線を動かしていても、常にこの動きは視覚とは別にモニターされ、立体感を得る時の情報として使われる。要するに、一つのイメージはバラバラの要素として脳にインプットされるため、それぞれを一定時間保持しないと、全体を再構成しなおすことはできない。この各要素を短期の記憶として維持し、統合する過程に必要なのが「作業記憶」で、図3に示すように海馬と視覚野に関わる脳の4−5領域がネットワークを形成してこれに当たっている。この中で海馬が最も重要な役割を演じており、海馬が障害されると、新しい記憶を成立させることができなくなる。

図3: 視覚の表象形成と作業記憶。


網膜に結像したイメージは後頭葉の視覚野に投射されるが、同時に動眼筋肉など様々な視覚に関わる情報が脳内の様々な領域で処理される。こうして集まった情報は、海馬を中心に一時的に記憶される(作業記憶)。もし情報が足りない場合、ネットワークからの刺激により、足りない情報が集められることもあり、表象を完成させるためには、海馬を中心として様々な領域が活動する。こうしてできた表象は、さらに多くの脳領域と連合される。
このように視覚から表象が形成される過程に限ってもこれだけ複雑で、美術館ではそれぞれの絵を見ながらこの過程を繰り返すことになる。もちろん、絵を見ている時、聴覚を始め様々な感覚も並行して脳に入ってくる。それ以外にも、絵を見ながら様々なことを考えることもある。この場合、絵の表象を短期的に形成する過程が、他の脳領域の活動の影響を受けることになる。音が気になりすぎたり、絵とは関係ないことを考えたりしてしまうと、絵の表象の形成は抑制され、絵を見たことさえ気がつかないことすらある。しかし、同時に聞こえる音や匂いで、絵の印象が余計に強くなることもある。ふっと浮かんだ考えが、絵のイメージを強くすることもある。
神経興奮の基本メカニズムはあらゆる細胞で共通だ。絵を見ることも、作業記憶も、表象の形成も、そして連合も全て、この共通の神経興奮メカニズムを基盤にしている。そのおかげで、一つの神経活動は、他のあらゆる活動と相互作用することができる。その結果が記憶に影響して何の不思議もない。これが、記憶の連合と呼ばれる現象だ。
知っている画家の絵の方が覚えやすいのは、内部イメージとして存在する画家の知識が、今見ている絵の表象と脳内で連合されるからだ。画家を知っているという知識がどのように脳内で保持されているのか詳細はわからないが、今出来たばかりの絵の表象とは違い、年月を経た安定した長期記憶だ。新しい表象も安定した表象と連合することで、安定な記憶へと変換できる。
面白いのは、例えばスマフォで写真を撮るだけで絵が覚えやすくなるのは、スマフォで写真を撮影したという単純な記憶が、絵を見たという複雑な記憶と連合することで起こると推測される。2度目に展示室を訪れて、絵を思い出すのも、部屋の雰囲気といったより単純な記憶が絵と連合しているからではないだろうか。すなわち、単純な表象と連合させることで、複雑な表象が覚えやすくなる。この記憶の特徴は言語の発生を考える時に鍵になる。
一方、私が初めてフーケの絵を見ただけで記憶できたのは、情動が新しい表象の連合を後押ししてくれたおかげだ。すでに述べたが(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000010.html)、情動は私たちの行動のエネルギー(力動)として、脳活動全体を支配する。情動を引き起こすためには、これまでの私の好みなどについての記憶が必要だが、強い情動が生じると、情動自体と、あるいは他の表象との連合の程度が高まり、2度と忘れることのない絵の記憶が私の脳の中に成立する。恐怖体験や大きな喜びの体験はよく覚えているのも同じことだ。
以前、刻々と知覚される膨大な情報が、神経ネットワーク上に形成された自己というフィルターで選択され記憶されることで、新しい自己が脳内にできることについて述べたが(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000007.html)、こうして考えると、美術館での体験による表象の形成、連合、そして記憶と続く過程は、この新しい自己を脳神経ネットワークに書き換えることと同じであることがわかる。異論もあると思うが、私は長期記憶とは脳神経ネットワーク上の自己が新しく書き換えられたことだと思っている。
美術館での絵の鑑賞を例に記憶の成立に至る脳過程を見てきたが、短期の作業記憶から表象が形成され、最後に長期記憶として自己の脳神経ネットワークに統合される過程が、鑑賞している一枚一枚の絵で繰り返されるとすると、ほんの一部を除いてほとんどの絵の詳細は美術館を出た時には忘れているのも当然だ。実際、私たちが持つ作業記憶のキャパシティーは少ないと考えられている。アルツハイマー病で最も問題になるのがこのキャパシティーの少ない作業記憶だ。
しかし、この作業記憶が長期記憶に移行するときは、すべての作業記憶が記憶されるのではなく、より単純化された情報量を持つ表象が記憶されるのだと思う。情報量は低くとも、一つの表象が単独で記憶されるのではなく、それまで蓄積した全表象とつながるネットワークの一部として記憶されることで十分記憶として成立する。この一つの表象が自己の脳神経ネットワークに統合され全体と関わることも、言語の発生を考える上で重要なポイントになっている(最後に議論)。
では、40年後の今、私がフーケの絵を思い出す時、脳内で何が起こっているだろう?目を閉じて絵を思い浮かべてもらいながら脳のどこが活動するかを調べると、なんと網膜から直接投射を受けている後頭葉にある一次視覚野が興奮することがわかっている。この結果は、脳内に記憶している内的イメージを思い浮かべる時、私たちは記憶から要素を選び出し、これを一次視覚野で集めなおして、あたかも新しい網膜刺激を受けたように思い出していることを意味する。とは言っても、今見てもらったばかりのフーケの絵を目を閉じて思い出す時、決して写真と同じように思い出していないはずだ。実際、赤い天使の中に浮き上がった真っ白い聖母が、左の乳房をキリストに与えようとしているといった大まかな像が浮かんでくる。しかし、夢を見るように鮮明なイメージがそのまま浮かぶことはないと思う(少なくとも私は)。写真を見直すと、鮮明なイメージを覚えているように思ってしまうが、実際には記憶されている内部イメージは簡略化されている。
記憶の成立から、呼び起こしまで詳細を省いて概略を述べてきた。この過程からわかるように、鮮明な記憶を維持することは膨大な神経活動が関わる大仕事で、毎日の一瞬一瞬を覚えることなど不可能に近い。代わりに、生まれてから神経ネットワーク状に形成してきた自己をフィルターとして、作業記憶から現れる表象の一部を随分簡略化して自己のネットワークに統合することで、長期記憶を成立させている。これが簡略化されていることは、成立した内部イメージを呼び起こそうとするとわかる。脳内からそれぞれの情報が一次感覚野に集められ、感覚として再現される。ただ、視覚のように複雑なイメージの場合、鮮明に思い出すことは難しいことから、決して写真のような鮮明なイメージ全体を記憶しているわけでないことがわかる。
このように記憶を理解すると、記憶にとっての言語の意味、すなわち言語にしかできないことが見えてくるので、最後にそれをまとめておく(検証された概念ではなく、私の個人的な妄想と理解してほしい)
まず、強い感情、絵が展示されている部屋のイメージ、あるいはスマフォで写真を撮ったという単純な行為と連合させるだけで、複雑な絵が覚えやすい例からわかるように、複雑な表象も感情や他の単純な表象と連合することで、覚えやすくなる。とすると、音の短い並びからできた情報量の少ない単語は、連合させることで複雑なイメージの記憶を助ける力がある。確かに、私たちの記憶はかなり言語に助けられている。言語を持たない動物の長期記憶のレパートリーは、私たちよりはるかに感情との連合に頼っているのではないだろうか。
言語(単語)は情報量としては単純なおかげで、記憶するために連合させる相手としては優れているため、最初は各表象が自己の神経回路に統合される助けとして脳内神経回路の一部として取り込まれる。重要なことは、脳内回路に取り込まれるということは、単語が一つのイメージに対応した表象として独立に存在するのではなく、自己の脳神経ネットワークに組み込まれた他の多くの表象と関わって存在していることを意味する。とすると、当然言語は「リンゴ」がリンゴにだけ対応するのではなく、リンゴではないミカンや、ブドウとも関わって、記憶を助ける働きを発揮する。この一つの単語が最初から、多くの他の単語と関わるという構造が、言語の最も重要な特徴になる。
最後に、内部イメージを呼び起こそうとしても、鮮明なイメージを呼び起こすのは難しいことを考えて欲しい。不明瞭なイメージでも、同じイメージに再び出会った時に、「あいつだ」と思い出すためには十分役にたつ。しかし、頭の中でプランを練るといった場合にイメージをこれ以上鮮明にするのは難しい。しかし一度フーケの絵を思い起こす時、「赤い天使」、「白い肌のマリア」、「腕の中のキリスト」、「キリストに飲ませる左の乳房」、と言葉を同時に呼び起こしてみると、イメージは格段と鮮明になる。これが、すなわち記憶の質を大きく高めてくれる。
最後に、今回議論した記憶は、陳述記憶や意味記憶と呼ばれる、脳神経ネットワークの連合を広げる方向での記憶だが、逆に回路を限定することで形成される記憶も存在する。例えば、一度自転車に乗れるようになると、もう乗り方を忘れないような、いわゆる熟練と言われる記憶で、手続き記憶と呼ばれている。個人的考えだが、言語には、この手続き記憶も重要な働きをしていると思っている。すなわち、単語と対応する最も重要な表象を最短で繋いで、意味記憶システムの関与を整理している。記憶という観点から見ると、言語は意味記憶と手続き記憶が統合された脳活動ではないかと思っている。
しかし、これらはすべて記憶に対する言語の意味で、記憶システムが言語のような情報量の少ない連合の相手が必要としたとはいえ、この要求だけから言語が生まれることはないと思う。そこで、次回はコミュニケーションについて考えてみる。
[ 西川 伸一 ]

コミュニケーションと言語
2017年11月15日


前回、記憶の機能がいかに言語により高まったかについて私の考えを説明したが、駆け足だったので分かりにくかったかもしれない。そこで、図を使ってもう少し記憶と言語について説明してからコミュニケーションの問題に進むことにする。
私たちの脳への入力情報の7割以上が視覚からの入力であり、前回述べたが視覚表象の形成やその記憶は途方もなく複雑だ。ただ、作業記憶や長期記憶を形成するとき、より単純な情報と連合させることで、記憶を高めることができる。その最たる例が感情との連合で、おそらく言語を持たない動物の記憶の大半は感情と連合しているのではないだろうか(満開の花の思い出も、団子と連合している点で人間も同じだが)。この最も分かりやすい例が、メトロノームの音で、食べ物を連想させるパブロフの反射だ。同じことを、たまたま存在する簡単な表象と連合させることで記憶力を上げることができるが(mnemonicと呼んでいる)、都合の良い単純な連合相手はそうあるわけではない。この連合相手の機能を持つのが言語で、それ自身は情報量の少ない音の並びからなる単語を脳内で表象して連合の相手とすることで、複雑な情報の記憶を高めることができる。
言語を記憶のためのmnemonicな印(一種メモと考えればいい)と考えると、単語がそれに対応する対象の表象とリンクした途端、その表象は他の様々な表象が含まれた脳内ネットワークの中に組み込まれることになる。言語が存在する前から、りんごの表象は、ミカンやブドウの表象ともネットワークを作っており、さらには果物というカテゴリーの表象とも連合している。従って、単語の表象が実物の表象と連合した時から脳内の様々な表象のネットワーク内に言語も体系化されることになる(図1)。
とはいえ、りんごそのものの表象と、「りんご」という単語の表象は、ネットワークの中では、反射的に双方が想起されるほど密接に結びついている。これは音と実物の表象をリンクさせるパブロフの条件反射と同じで、この連合は手続き記憶成立に似た過程で形成されるのだろう。この結果、無意識にりんごという単語からりんごが浮かぶようになる(黄色の矢印)。さらに、果物は例えば食べると甘くて美味しいという感情に裏付けられた行為の記憶によってカテゴリー化されているだろう(赤い矢印)。すなわち、りんごの表象がリンクしている一連のアクションを表象するネットワークに単語もリンクすることになり、このアクションの表象が「私・食べる・りんご」といったプリミティブな文法の元になるように思える。

図1:メモ代わりの標識表象としての言語が脳内の表象のネットワークに組み込まれて、言語が成立する。言語としての統語は、それぞれの表象が属する様々なカテゴリーによって決まる。例えば、食べるという表象が最初から果物には属している。このような言語の構造のおかげで、新しい単語を学ぶとそれは実物についての表象を介して脳全体の表象ネットワークの中に位置付けられる。これが、私たちが急速に単語を覚えることのできる基盤だと私は思っている。


図1を見ながら繰り返すと、(文字のできる前の)言語とは、脳内に形成した重要な表象を覚えておくための単純なmnemonic表象として脳内ネットワークに形成される。脳内の複雑な表象と、単語というそれ自身音の並び以外の意味を持たない単純な表象(シンボル)が脳内で手続き記憶を通して実物の表象と結合した途端、単語は脳内表象のネットワークの中に組み込まれる。これにより、りんごという音からなる単語の表象は、実際のりんごの表象と結合することで、果物としてカテゴリー化され、果物以外のカテゴリーと比べて、様々な果物とより強く連合する。言い過ぎかもしれないが、一旦カテゴリー化されると文法に当たるものは頭の中で過去の行為の記憶として成立している。「りんご(かき、ぶどう、梨、メロン)、食べる、美味しい」というわけだ。これを普遍文法の原型と呼んでもいいが、実際には単語が対応するものや行為にリンクした私たちの行動様式で、子供が最初に話すほとんどの言葉の並び(統語)はこの行動様式を反映していると思う。
このように、生物の寿命が伸び、複雑な内容の記憶が要求されればされるほど、mnemonicな連合相手が必要になる。この要求が、いつどのように言語という解決手段を見出したのか、それが次の問題になるが、今述べたのは個人の記憶の問題で、言語が発生する前も何らかのmnemonicな表象を使っていたと思う。しかしそれが言語になるためには、個人レベルのmnemonicな表象を他の脳とも共有できるようになる必要がある。そしてこれを考えるためには、もう一つの言語の機能、コミュニケーションについて考える必要がある。
ほとんどの生物が、何らかのレベルでコミュニケーションを行っている。それら全てを網羅して考えると複雑になるので、コミュニケーションを同種の高等動物同士が体を接しないで行う情報のやり取りに限定して考えると、1)子孫を残すためにオスメスが行う生殖行動に向けたコミュニケーション(生殖行為自体とは異なる、例えば発情期を知らせるサイン)、2)個体間の階層性を示すためのコミュニケーション、3)そして縄張りを相手に知らせるコミュニケーション、を動物にとって個体間のコミュニケーションが必要な3種類の状況と考えることができる。このときコミュニケーションが成立するためには、こちらが伝えたい内容について自分自身で理解しているとともに、同じ理解を相手も共有する仕組みが必要だが、この3種類のコミュニケーションでは、本能的感情が共有する情報の中心にある。メーティングや階層性についてのコミュニケーションは、生殖本能や、生存本能に基づく感情により動かされた行動だが、あらゆる個体が本能として等しく持っている感情(=情報)であるがゆえにコミュニケーションが図りやすい。
3つの中で、縄張りは直接対面しない個体間のコミュニケーションで、本能に基づく行為だが、様々なマークが縄張りの主張に使われる点で一層言語に近い。哺乳動物の場合、多くの動物の縄張りは、尿や糞など匂いの強いものを場所場所に残すことで主張される。これは、匂いが強い本能的感情を誘導するからで、このおかげで標識の意味を共有できる。クマのように、木に傷をつけて視覚的な標識を縄張りの主張に用いる種もあるが、実際には引っ掻いた場所に自分の皮膚や毛を擦り付けて残していることから、視覚的なシンボルに頼るわけではなく、印の付いた場所に匂いを付けて感情を惹起していることがわかる。遠吠えのような音で縄張りを主張する場合は、さらに言語に近いが、出し手と受け手が共有するのは、結局競争本能に基づく感情と言える。
一方多くの鳥類では匂いではなく、聴覚や視覚に訴える縄張りの主張が行われる。わが国で有名なのは、モズの高鳴きで、越冬場所を決めるまで鳴き声で縄張りを主張し続ける。他にも、極楽鳥の仲間のように美しい色を見せてメスを呼んだり、あるいはパッフィングと呼ばれる行動で相手を威嚇するなど多様で、これがバードウォッチャーを楽しませる(図2)。鳥の場合、いずれも感情を基盤とした本能的な行動であることがわかる。

図2:鳥の縄張り主張のための、モズの高鳴き(左)と、Victoria’s rifle birdのメーティング(左)。出典:Wikipedia


人間以外の哺乳動物と比べた時、鳥類には極めて複雑な音の並びを発することができる種類が多い。例えば、インコのモノマネからわかるように、鳥の中には様々な発声を学習することができ、その結果同じ種類でも場所によって鳴き方が異なるのを観察できる。しかし、その機能は生殖と縄張り、時に仲間に対する警告に限られており、共有する情報は本能的感情に限られる。しかし共有する情報が本能的感情だとしても、それに一つの表象を標識としてリンクさせる点で、形式としてはかなり言語に近い。(季刊生命誌70号では和多和宏さんによるキンカチョウの研究を紹介しています「小鳥がさえずるとき脳内では何が起こっている?」)
縄張り主張よりさらに高度なコミュニケーションが必要になるのは、社会生活を営み個体間で協力しあう時のコミュニケーションだろう。狼などの肉食動物や、チンパンジーの狩りなどが有名だが、この時のコミュニケーション手段はどれほど複雑なのだろうか?
例えばオオカミの群れが協力する狩りを考えてみよう(図3)。これまでの観察により、狼は多様な鳴き声を出せることがわかっている。このため協力して狩りをするとき、声を使って複雑なコミュニケーションを取っているのではと思ってしまうが、最近の論文では、狼が協力しておこなう狩りの途中ではそれほど複雑なコミュニケーションを必要としていないことが明らかにされている(MacNulty DR, Tallian A, Stahler DR, Smith DW (2014) Influence of Group Size on the Success of Wolves Hunting Bison. PLOS ONE 9(11): e112884. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0112884)。すなわち、襲うという合図と、狩りに必要な自動的行動パターンを学習していることが重要で、狩りが一旦始まると個体間のコミュニケーションは必要ない。人間の争いでも修羅場になると、dog fightというようにコミュニケーション抜きで戦うのと同じだ。

図3:バイソンに立ち向かう狼の群れ:MacNulty DR, Tallian A, Stahler DR, Smith DW (2014) Influence of Group Size on the Success of Wolves Hunting Bison.
PLOS ONE 9(11): e112884. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0112884の図1を転載。大きな群れでハンティングするときには、連携なく単独でのアタックでバイソンを倒すことが観察されている。


協力する狩りの例として有名なもう一つの例は、チンパンジーの集団によるヒヒの狩りだ。有名なジェーン・グドールの『In the shadow of man』にも、それまで毛づくろいをしていた集団が、急に立ち上がってヒヒを襲う行動を見せることが描かれているが、チンパンジーの狩りについての最も詳しい研究はBoeschらのコートジボアール・タイ国立公園での研究だろう(Boesch and Bosche, Hunting behavior of wild chimpanzees in the Tai’ National Park, American Journal of Physical Anthropology 78:547, 1989)。この論文によると、チンパンジーは実際の狩りより随分前から、胸をたたくドラミングやhootingと呼ばれる叫び声で狩りを始める合図を確認し、用意が出来たところで餌の声をキャッチすると、急に静かになって一定の距離を保って静かに獲物の方へと移動し、アタックすることが報告されている。さらに、タイ国立公園で観察されたグループでは、狩りの後獲物を奪い合うだけではなく、分け合うことも行われ、より高いレベルの協力関係が成立していると言える。さらには、追いかける役、行く手を遮る役などの分担も観察され、協力して狩りが行われており、獲物を食べる時の道具の使用も普通に観察される、知能的にも高度な集団と言える。しかし、狩り自体は、集団で狩りをするという意思の確認と、後は学習により身についた自発的な行動により行われていることから、役割分担といった複雑な関係を維持するために、コミュニケーションが存在しているのではないことがわかる。
以上のことから、集団の狩りは一見コミュニケーションが必要に思えるが、結局狼でも、チンパンジーでも、さらには私たちの先祖も、「ワー、オー」といった始まりの掛け声さえあればほとんどのことは済んでいたのではないだろうか。

図4:感情と意志の関係を、hootingの音で他の個体と共有できる。感情の伝達はコミュニケーションの原点。


ただ、感情を基盤としたコミュニケーションを侮るわけにはいかない。ゆっくり鑑賞した絵画の詳細を思い浮かべることの難しさについて前回強調したが、感情を伝える最も高度な伝達手段の音楽では、一度聞いた曲が気に入れば、プロでなくともそのフレーズを正確に思い出すことができる。このことは、感情がもともとコミュニケーションを図りやすい表象で、例えば「これから狩りをするぞ」といった行動の意思統一も、肉を食べたいという強い感情が簡単なhooting音と組み合わさるだけで、比較的簡単に共有できる(図4)。
一方、得られた獲物を餌の分配する行動は、より高いコミュニケーション能力が必要とされる。この行動には、全体の、あるいは他の個体のために、自分は諦めるという利他性が要求される。そこで、次回は利他性とコミュニケーションについて考えるところから始める。
[ 西川 伸一 ]

「人類と利他性」
2017年12月1日


私のような専門外の人間が言語について考え始めると、取り止めがつかなくなる。もともとこの連載は体系的に書いてきたわけではないため、言語のように難しい問題になると、問題が頭に浮かぶたびに脱線、脱線を繰り返してしまう。読者の皆さんを混乱させて申し訳ないと思っている。実際、自分で読み直しても、思いつきで右往左往、読んでいただいている皆さんを混乱させるだけで終わっている。ただ、とりとめなく文章を書いているうちに、それとはなしにホモサピエンスで起こった言語の始まりが自分なりにふっと頭に浮かび始めた。勝手に「言語のマイスタージンガー仮説」と名付けている。これを新しい年の冒頭に持っていきたいと準備しているので、それまでは、思いつくまま飛び回る私の思考を我慢してお付き合いいただきたい。
さて前回、狼やチンパンジーの狩りでは、相互に協力するための利他的コミュニケーションはほとんどなく、肉を食べたいという感情の共有と、狩りに必要な手続記憶に基づく自発的行動の学習、そして他のチンパンジーがどのような行動を取るかについての予測力で行動していることを述べた。このような狩りで情報として共有されているのはあくまでも感情や本能で、我々が考えるような感情以外の情報のやり取りが起こるためには、人類に特異的な質的に異なるレベルのコミュニケーションの進化が必要だった。
この人類(ホモ属)特有のコミュニケーション能力の背景について、類人猿と様々な発達段階の人間の児童を丹念に比べる研究で明らかにしようとしているのがライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)のグループだ。前回述べた複数の類人猿が共同で行う狩りの様式を、彼は人類の狩りと区別してexplosive(一旦スウィッチが入るとあとはコントロールできず爆発するだけ)な狩猟と名付け、類人猿には人間のコミュニケーションに見られる、相互作用による調整が全く欠けていることを述べている。
このサルから人類への進化過程で生まれた新しい個体間の協力関係が新しいコミュニケーションを発展させ、その結果言語の発生に至ったと考える研究者はTomaselloに限らず多い。ただ、Tomaselloはこのことを示すために、同じ課題を類人猿と様々な年齢の人間の子供に行わせて、人間にしかできない能力を科学的に特定する実験を数多く行ってきた。
例えば以前紹介した熊本のチンパンジー飼育施設で行われたTheory of Mind(他の個体も自分と同じように考えていることの理解)が類人猿にも存在することを示す論文は、熊本の施設だけで行われたのではなく、チンパンジー、ボノボ、オラウーンタンを用いてドイツ マックス・プランク進化人類学研究所のTomaselloの研究室でも同じ目的の実験が行われ、共同で発表されている。
この研究では、類人猿にもTheory of Mindが存在する、すなわち人類特有と思われていた能力が「猿にもある」ことを示している。確かにSF映画「猿の惑星」で人間と同じ知性を持つ猿が描かれていることからわかるように、ともすれば私たちの興味は「猿はどこまで人間と同じか」に向かう。しかし人類進化を考える上では、間違いなくTomaselloのように人間特有の能力であると検証できる性質、すなわち「猿にはできないこと」を一つ一つ明らかにすることのほうが重要だ。もともとできないことを証明するのは難しいため、このような実験結果は常に批判にさらされるし、普通すぐに「サルもできる」という論文が発表されることが多い。それでも頑なに両方を比べる実験を続け、サルと人間の子供の行動を知り尽くしたTomaselloの研究から学ぶことは多い。彼は多くの著書を出版しているが、Harvard University Pressから2014年に出版した『Natural History of Human Thinking』は、この他の個体との協力関係の変革から言語へと進む道がわかりやすく書かれており、人間特有の性質や能力とは何かに興味のある方にはオススメの本だ(邦訳がまだないのは残念だ)。

図1 Michael Tomaselloが2014年に出版した著作で、ここで説明している意図の共有を契機とした人間特有の能力の進化について書いている。


ではこれまでの研究から見えてきた人間特有の性質とは何か?またそれはどのように特定されたのか?誤解を恐れず単純化すると、Tomaselloを始めとする多くの研究者は、他の個体を助ける「利他性」を最も重要な人間特有の性質として挙げている。
もちろん他の個体を助けるかどうかだけで見れば、子供を育てる動物全てが利他性を持っていると言えるかもしれない。ただ、ここでいう「利他性」とはこのような本能的な利他性ではなく、本能的に持っている性質を超えて他を助ける利他性だ (例えば図2で施しと子育てを比較)。

図2:子育ても利他的だが、本能的と断じていいだろう。(写真はWikipediaより)


ではこのような高次元の利他性はどのように定義され、研究されているのか?わかりやすい例として、TomaselloのグループがPsychological Scienceに発表した「One for you, one for me: human’s unique turn-taking skills(一つを君に、もう一つは僕に:人間特有の順番性の能力)」という面白いタイトルのついた論文を取り上げてみよう(Melis et al, Psychological Science, 27:987, 2016 : http://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797616644070?url_ver=Z39.88-2003&rfr_id=ori:rid:crossref.org&rfr_dat=cr_pub%3dpubmed)
私たちは、協力しないと目的の物が得られない時、「最初に手に入れた物はまず君に、その次は僕に」と分配の順番を決めて協力することができる。しかしこの場合、一回の協力で手に入るのが一つだけだとすると、自分には何も手に入らないのに協力だけを行うという状況が生ずるのを認めなければならない。このためには、将来自分にも確実に回ってくる利益を想像して、一時的に我慢できる能力が必要になる。事実、3歳以前の幼児は、協力すれば欲しいものが手に入ることがわかっていても、自分に目的のものが回ってこないという状況を認めることができず、結局協力関係が成立しない。
この研究では、2本の紐を協力して引っ張れば、一個のボールを手に入れることができる2つの仕掛けを作り、片方の仕掛けからはボールが自分に、もう一方の仕掛けからはボールは相手に落ちるようにしておく。この使い方を理解させた後、2つの仕掛けを交互に操作して、順番にボールを手にするかどうかを、3.5歳児、5歳児、そしてチンパンジーで調べている。(同じ著者がProceeding of Royal Society Bに掲載したオープンアクセスの論文に、今回使われた仕掛けとよく似た図が掲載されているのでイメージを得るための参考にしていただきたいhttp://rspb.royalsocietypublishing.org/content/281/1796/20141973)。

図3: サルの協力関係を調べる課題。この図は、本文で説明している実験とは異なるが、紐を同時に引かせて協力させるという点では本文で説明しているPsychological Scienceの論文と共通してる。

結果は明瞭で、5歳児ペアの場合、実験開始直後からほぼ100%協力しあう戦略が成立する。すなわち、相手だけがボールを手に入れることを認め、交互に獲物が手に入るよう順番を決める戦略を立てる。ところが同じ戦略関係が成立する確率は、3.5歳児では62%に落ちる。この時の様子を観察すると、5歳児では積極的な方が声をかけて、順番にボールを手に入れようと指示しているのがわかる。一方、3.5歳児ではこの戦略が成立するまでに試行錯誤が必要で、結局うまく協力が成立しないペアもある。すなわち、この利他的能力の発達は3.5歳がちょうど境界上にあると言える。それでも、最終的には順番にボールを手にするための戦略を見つけるペアは何組か生まれる。これに反し、チンパンジーで同じ実験を行うと、偶然協力してボールを手に入れることは観察できても、順番にボールを手にするための安定した協力関係が成立することはない。
以上の実験から、Tomaselloたちは、将来の自分の利益を考えて他人とゴールを共有し協力しあう高次の利他性は人類特有の性質だと結論している。ただこの利他的性質が完全に自己の欲望を殺す道徳的行為の誕生と勘違いしてはならない。幼児はサルのexplosiveな協力形態と同じように、あくまでも自分の利益を追求しようとする強い利己的動機で行動しており、それでも協力が成立している点が重要だ。この実験で選んだペアも、自然に支配的な子どもと、それに従う従属的な子どもの区別が生まれて、支配的な方が行動を支持する。ただ階層性が存在しても、協力し合ったほうが一番得をすることが理解されており、協力を促す指示を出す。
この実験で観察された高次の利他性が人類特有の性質だとしても、なぜそれが言語発生までの長い道の契機になったのだろうか。極めて単純化して言ってしまうと、Tomaselloは人類(Homo)だけが、同じゴールを達成しようとする意図を共有する能力を発生させ、このおかげで新しいレベルのコミュニケーションが可能になり、また利他性もこの能力をきっかけに誕生したと考えている。前回述べたチンパンジーの集団的狩りで見られるexplosiveな協力でも、同じゴールを追いかけているように見えるが、実際には各個体は自分の欲求を満たすというゴールを追いかけている点で、意図を共有しているとは言えない。チンパンジーの狩りでは、各個体の脳内に表象されているゴールは利己的で個別の意図だ。強いて言えば、食べたいという強い感情を共通して持っているだけだ。従って、先に述べた実験からわかる、将来の利益のために他人だけが獲物を得るという状況を我慢できる利他性をチンパンジーは持ち合わせていないことになる。
私自身にとっても、この「意図の共有」能力が類人猿と、人類を分ける分岐点に存在するという考え方は納得できる。そこでTomaselloがBehavioral and Brain Scienceに発表した総説をもとに、「意図とは」「意図の共有とは何か」を考えてみよう。
例えば、近くで発見した鹿をなんとか殺して肉にありつきたいと考えている古代人を考えてみよう。彼の頭の中では、殺した鹿がゴールとして浮かんでいる。しかし、目の前の鹿は生きている。ゴールを達成するためには、その時取り得る幾つかの可能性を考え、鹿を殺すのに最も確率の高い方法を決断する必要がある。いろいろ考えた挙句、近くの石を投げて動きを止めて、あとは飛びかかって首を締めようと決断すると、ここで初めて行動する意図が生まれる。もちろんうまくいく場合も、うまくいかない場合もあるだろう。このような、ゴールを目指して現実を変化させことが、意図的行為になる。
こんな風に考えるプロセスは人間だけでなく、チンパンジーにも存在する。どちらもゴールを達成すべく意図的行為を繰り返し、その成否を記憶することで、鹿を手に入れるための方法を学習する。ただ、例えば石で鹿の動きが止まる確率が低いことがわかると、当然他の個体が棒を持って近づいた方がうまくいきそうだ。しかし一人では石を投げるだけしかできない。他の個体と協力するするしかない。
ではこのような協力を成立させるのに何が必要か?

  1. 1)まず肉を食べたいという欲望の共有が必要で、これはサルの狩りでも観察できる。
  2. 2)生きた鹿を見ているだけでは欲望は満たせない。欲望を満たすには、殺された鹿をゴールとしてともにイメージする必要がある。これも恐らくサルでもできる。
  3. 3)難しいのは、一人が石を投げ、もう一人が棒で叩くというプランニングを可能する過程だ。感情とゴールを共有した上で、鹿をハントするという明確な意図を共有し、私が石、君が棒と取り決めることで初めて効率のいい狩りが成立する。
    この3番目のプロセスを、Tomaselloのいう意図の共有と言っていいと思う。これが可能になるためにどのような脳回路の変化が起こる必要があったのかを明示するのは難しい。しかし、この回路の差が、その後の類人猿と、人類の脳構造の大きな差を生むことになる。図3に示すようにチンパンジーと人間の脳は、サイズ、特に前頭葉のサイズに大きな違いが見られるが、この進化の引き金も、意志の共有が可能になった結果なのかもしれない。事実、ロンドン大学のDunbarらは、類人猿や人類の前頭葉のサイズが、その種が生活している
グループのサイズと比例することを示し、コミュニケーションの必要性が脳の発達を促した
ことを示唆している(http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/004724849290081J?via%3Dihub#!)

図4 人間とチンパンジーの脳。構造は同じだが、前頭葉が人間では著しく発達しているのがわかる。この差は、人類が類人猿から別れた後、急速に進化してきたものだ。(出典:Wikipedia)


この意図の共有を新しいコミュニケーションの様式の発生と言っていいだろう。Tomaselloは意図の共有が発生する生後の発達についても詳しい研究を行っているが、詳細はBehavioral and Brain Scienceを読んでいただきたい。ただ、このような研究の背景には、Tomaselloに限らず、子供の発達を研究している研究者一般が持っている「系統発生は個体発生を繰り返す」という考えがあると思う。
そこで次回は、「意図の共有」を切り口に、コミュニケーション能力の個体発生と、系統発生の比較をしてみよう。
[ 西川 伸一 ]

個体発生と系統発生
2017年12月15日


自分自身で原著を確かめたわけではないが、「個体発生は系統発生を繰り返す」と反復説を唱えたのは、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルだと習った。ヘッケルは19世紀ドイツを代表する発生学者で、名前に心当たりのない人も、おそらく彼が残した「Kunstformen der Nature」に描かれている様々な生物の精緻なスケッチは見たことがあるのではと思う(図1)。進化の過程で生まれた形態や機能(系統発生)は、個体発生過程を制限するため、個体発生では系統発生が短い時間に反復されることが多いという考え方だ。
ヘッケルも私たちの行動や精神にまでこの考えを拡大する意図は毛頭なかったと思うが、あえてこじつけて人間の行動の発達をヘッケルの反復説的に表現すると、「人間の行動の発達では、最初から人間らしさが現れるわけではなく、多くの動物と共通の本能的欲動に支配される口唇期を経て、行動支配の中心が前頭葉に移る中で、人間特有の性質である利他性などが芽生える」となるのではないだろうか。これを逆から言い直すと、利他性など人間特有の行動のルーツを探ると、私たちが動物の本能として理解している様々な行動が必ずその背景に存在し、個々の能力は、個体の発達過程で順番に現れることになる。

図1:エルンスト・ヘッケルとKunstform der Naturに描かれた図。(出典:Wikipedia)


私個人の感想でしかないが、脳機能が関わる限り、行動の発達が系統進化と同じ順番で現れるとする反復説がそのまま当てはまるかは疑問だと思う。というのも、脳はその時々の経験に応じてネットワークを書き換える能力を持っているからだ。確かに脳ネットワークの枠組みは進化過程で生まれてきたもので、個体発生でも脳幹に支配される行動から、より前頭葉が関わる行動へと発達していく。しかし、誕生後の行動や能力の発達過程では、脳内にある全てのネットワークが連合可能で、これに日々刻々積み重なる外界の記憶も必要に応じて連合される。このため、系統発生過程で形成された様々な本能の回路も、新しい経験や、認識や価値の回路と自由に結合する可能性が常に存在する。例えば、口唇期をガイドするのは食欲本能が中心だと思うが、母親の匂いや、声を同時に聞くことで、本来ずっと後で発生してくる生殖本能が連合される可能性すらある。もちろん、新しい経験が思いもかけない連合を誘導する可能性も十分ある。
系統発生の結果として始まる最初の脳ネットワークの構造の個人差は大人と比べるとはるかに少ないと思うが、その後の経験は偶発的で多様だ。従って、ネットワークの書き換えも、経験の個別性の結果大きな多様性が生じてしまう。系統発生で獲得された本能のネットワークはどんなに共通でも、様々なネットワークと自由に連合させ、新しいネットワークへと再統合することができる。まさにこれが、人間の個性の源で、例えば生殖行動から子孫を作るという目的を切り離してしまうことも、その結果として性同一性障害が生まれることも、全て脳内でのニューラルネットワーク同士を自由に連合させられる特性に起因している。この意味で、行動の個体発生は、必ずしも行動の系統発生を正確に繰り返す必要はない。
しかし、脳のネットワークを自由に書き換えられるからといって、系統発生で獲得された本能から完全に解放されるかと言うと、病的なケースを除いて、系統発生で生まれた行動は、発達中のネットワークに統合され必ずどこかに潜んでいる。例えば、言語発生にはサルにはない人間特有のコミュニケーション能力が必要なこと、このコミュニケーション能力は人間特有の高いレベルの利他性がきっかけになっていることを説明した。では、この全く新しい人間特有の能力は、サルや他の哺乳動物に見られる本能から完全に独立しているのだろうか?
答えは、残念ながらNOだ。人間特異的な高次の能力や行動には、それに対応するより原始的な能力が必ず存在している。この意味で、人間特有の全く新しい能力の理解のためには、系統発生と個体発生を対応させ、人間特有の全く新しい能力(これは系統発生では辿れない)が、他の動物にも共通に存在する能力とどう関連して発達してくるのか研究する必要がある。
利他性を例に、さらに人間特有の能力と、他の動物に見られる能力との関係を見てみよう。利他性というからには、当然自分と他の個体を区別することが必要になる。
自分自身を認識できるか(self awareness)調べるために行われるのが、鏡に映った自分の体を自分と認識できるかについての実験で、例えば背中にこっそり印をつけておいて、鏡を見せた時にその印に気づいて自分の背中に注意を向けるかどうか実験する。人間の場合、2歳時以降からこの能力が認められ、さらに4歳児ではビデオで見た自分の姿も認識できる。一方、チンパンジーなどの旧世界ザルでもこの能力が認められるが、ビデオを通して見せた場合は、霊長類も自分とは認識できないようだ。また、より原始的な新世界ザルでは鏡に映った姿を決して自分と認識することはない。
自他が区別できるようになった後は、他の個体の行動を理解できるかが重要になるが、これについて最も有名な研究がミラーニューロンの発見だろう。このニューロンは、霊長類の餌をとる際の手のニューロンの活動を記録する実験を行う最中に、実験を行う研究者が餌のバナナをとったのを見たとき、必ず活動する神経を見つけたことに始まる。すなわち、相手の行動をあたかも自分の行動のように反応するミラーニューロンの発見は、20世紀の神経生物学の最も重要な発見の一つと考えられている。人間の場合、霊長類のミラーニューロンに対応するニューロンを特定することは難しい。ただ、相手の行動を目で追いかける行動は1歳児までに見られることから、同じようなニューロンは間違いなく存在すると考えていいだろう。
自己と他を区別できるようになると、次は他の個体も自分と同じように考えているという認識(Theory of Mind)能力の発達が重要になる。これについては既に詳しく述べたが(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000016.html)、最初は人間特有の性質と考えられてきたが、その後の研究で霊長類にもその能力が備わっていることが証明された。また、人間でも社会性に問題がある自閉症の子供たちにはこの能力が欠けていることも明らかになっている。
上に述べた他の個体の行動を理解する、いわば理性的能力の駆動力として欠かせない情動が、相手の感情を共有する共感能力だ。この共感こそが、他の個体とのコミュニケーションを図ろうとする原動力になり、この能力が低下するとAlexithymia(無感情症)に陥る。ただ、共感能力は人間以外の動物にも存在する。例えば、相手の痛みを共に感じる感情は、霊長類は言うに及ばず多くの哺乳動物で観察することができる。例えばマウスでも、痛みを訴える仲間のところにより頻回に寄り添う行動を示すことが観察されている。このことから、一定の集団で暮らす哺乳動物では、他の個体とのコミュニケーションを求める情動が様々な形で早くから進化していたことがわかる。
それもそのはずで、妊娠、出産を経て一定期間子供を育てなければ子孫が残せない哺乳動物の子育て(ケアリング:caring)には、子供への共感が必須だ。ほとんどの動物で、ケアリングは本能的な行動で、子供の発する声などの刺激を受けて活性化される視床・帯状皮質を中心とする辺縁系の進化により可能になっている。人間の子供への愛情も例外ではなく、同じ辺縁系からの情動なしには維持できない。しかし、人間の場合この辺縁系の本能のネットワークを様々な前頭葉皮質領域が連合することで本能とは別の行動が可能になっている。例えば、自分の子供以外をケアリングしたり、あるいは人間以外の動物の子供のケアリングもその例だろう。
ケアリングに関わる共感は、さらに進むとオスとメスの間の性行動や、つがいの形成(Pair bonding)にも見られるようになる。もちろんこの共感も、子孫を残すという目的を最も効率よく果たすよう進化した脳幹の回路に支配されており、本能の回路だ。実際、広く動物を見渡しても、子孫を残すという目的以外で生殖行動を起こすようになったのは人間だけではないだろうか。
さて人間のPair bondingの特徴は、一夫一婦(monogamous:もちろん例外もあるが)だろう。一般的に、子孫を残す目的の生殖行動は、類人猿を含む大半の哺乳動物で、強いオスだけが生殖本能を満たして子孫をのこす一夫多妻であることが多い。人間に近いチンパンジーもこのスタイルをとっている。攻撃性がなく、時に利他性すら示すとして、道徳の起源を探ろうと研究されているボノボですら、一夫一婦制の家族を作ることはない(極端に言うと相手を選ばない乱交型と言えるかもしれない)。しかし、一夫一婦制をとるのは人間だけではない。5%弱の哺乳動物では生涯一夫一婦のつがいで暮らすことがわかっている。すなわちこれらの動物では、新たな生殖行動の様式として一夫一婦制を進化させてきたと考えられる。残念ながらなぜこのような一夫一婦様式のpair bondingが進化したのか答えることができないが、このpair bondingにはそれ以外の動物にはない仕組みが存在することはわかっている。

図2:プレーリーハタネズミ。(出典:Wikipedia)
一夫一婦型の動物として、最もよく研究されているのが、Prairie Vole(プレーリーハタネズミ)だ。社会性を誘導するホルモンとして有名なオキシトシンをメスの脳に注射すると、出会ったオスとの絆が強まることが知られている。一方、オスのメスに対する絆を強めるためには、オキシトシンの代わりにバソプレシンを脳内に注射する必要があることがわかっている。逆に、オキシトシンやバソプレシンの作用を阻害する分子を脳内に注射すると、pair bondingを阻害することができる。すなわち、ハタネズミは進化の過程で、オキシトシン、バソプレシン刺激に反応する神経ネットワークを、生殖本能のネットワークと連合させることで一夫一婦システムを進化させたことがわかる。
全く同じとは言えないものの、人間の一夫一婦型ペアリングにも同じ原理が残っていることが知られている。少し浮世離れした面白い研究で、初めて読んだ時私も「大笑いした(?)」3題話になっているので詳しく紹介しよう(図3)。

図3 米国アカデミー紀要に掲載されたPare bondingに関わる3編の論文。


発端は2008年1月発行の米国アカデミー紀要に掲載されたフロリダ大学の論文だった。論文の内容は驚くべきもので、実験室で飼っているハタネズミのオスの中に、他のメスと浮気をする個体がいるので、そのバソプレシン受容体(V1aR)の脳内での発現場所を調べると、一途に添い遂げるネズミと比ベて大きな差が見られることが報告されていた。
これでも十分面白いのだが、同じ年9月にスウェーデンカロリンスカ大学から、V1aRの遺伝子多型と男の浮気心についての研究が米国アカデミー紀要に発表された。この研究では、V1aRの一塩基多型(SNP)を調べ、特定のSNPを持っている男性は離婚を含む結婚の危機を経験している確率が、そのSNPを持たない男性と比べて2倍高いことを報告している。さらに、結婚ではなく同棲している率もこのSNPを持つ男性の方が2倍多い。この結果は、人間の夫婦形態が教育、文化等の影響を受けて複雑になってはいても、本能的なところでは、ハタネズミと同じ情動が働いていることを示唆している。
これらの結果は、男性の特定の女性へのpair bondingに、ハタネズミと同じバソプレシンが関わることを示しているが、人間の進化の過程で、オスはバソプレシン、メスはオキシトシンという差を失いつつあり、男性のpair bondingにもオキシトシンが効果を持つことがドイツ・ボン大学から。2013年11月にやはり米国アカデミー紀要に発表された。実に楽しい実験で、結婚前の恋愛進行中の男性を集め、恋人の写真、及び無関係の魅力ある女性の写真に対する反応を機能的MRIで調べている。写真を見せる前にオキシトシンスプレーを鼻に投与する群と、偽薬を投与する群に分けて、ステディーな恋人の写真を見た時に興奮度を高める効果がオキシトシンにあるかどうかを調べている。専門家でないので、どの程度MRIのデータを信用していいのかはわからない。ただ結果は予想通りで、オキシトシンを投与されると、今つき合っている恋人の方により強く興奮するが、偽薬だと恋人の写真と、知らない女性の写真を見たときの反応に大きな差が無くなると言う結果だ。
言語誕生を人間の社会性と一夫一婦の夫婦形態が促したと考える研究者は少なくないが、動物共通の共感本能から発展したpair bondingの進化を探るだけでも、本能に関わる脳ネットワークを基礎に、それをさらに支配するためのネットワーク間の連合が進化していることがお分かり頂けたと思う。脳というシステムの性質上、系統発生で進化した能力がそのまま個体発生で繰り返すことはないとしても、人間特有の能力のルーツを辿れば、脳の進化過程で拡大してきた本能の進化があることは間違いない。この意味で、人間の発達過程で起こる現象を整理して、系統発生的ルーツを考えることは重要だ。
言葉の発生に戻ると、育児書では言葉の発達は幼児語が始まる1歳前後から始まるが、もっぱら泣いているだけに思える3か月ぐらいからすでに、少しずつではあるが周りで起こっていることが理解され始め、泣くという行為を通して、コミュニケーションを図ろうとしている。その後。「バババ」と言った赤ちゃん言葉(babbling)を経て、ママ、パパのような意味のある言葉が発展していく。この時、お母さんから見るとどうしても言葉を話すということに注意が集中してしまうが、実際には周りの出来事についての理解、様々な方法でのコミュニケーションの試み、社会(人間関係)の認識などが脳発達とともに進行している。これまで読んだ論文の印象から言うと、この過程の詳しい記述は始まったばかりではないかと思う。その意味で、今後人間の個体発生の記録の蓄積は、まだまだ言語誕生の研究に欠かせない。特に最近の赤ちゃんは、私たちの時代とは全く異なる家庭環境に置かれている。この新しい状況が、系統発生で獲得された能力にどう影響していくのか、フロイド、ユング、ピアジェの時代の個体発生過程の記述を比べることで、予想もしない発見があるかもしれない。
次回は、これまでのまとめとして、私が言語発生の過程についてどう想像しているのか「言語発生のマイスタージンガーモデル」というタイトルでまとめてみたい。
[ 西川 伸一 ]


言語誕生のマイスタージンガーモデル(前編)
2018年1月9日


これまで言語誕生について、断片的に書き留めてきたことの中間まとめを2回に分けてお届けする。脈絡なく書き留めてきた文章になんらかの筋を汲み取ってもらえればありがたい。一種の書き下ろし原稿になっているので、この文章だけで十分理解してもらえると思う。またこの原稿を通して、言語を考える時に参考になる本を紹介する。


言語誕生を促す2つの契機

互盛央さんの「言語起源論の系譜」(図1)を読むと、人間は言語を話す自分に気がついてからすぐ、自分の使っている言語はどのように生まれたのか考え続けてきたようで、この問題は少なくとも2500年の歴史がある。しかし、人間の脳との関わりで議論が始まったのはやはり20世紀で、中でも私たちの言語能力は決して学習するものではなく、生まれつき備わっているものだとしたチョムスキーのUniversal Grammar仮説は影響力が大きく、言語の起源をめぐる議論の中心になった。


図1互盛央さんの『言語起源論の系譜』(講談社)
言語起源論の歴史を知るには面白い本で、深い知識に裏付けられている。


チョムスキーは、言語発生がコミュニケーションの延長線上にないことをことさら強調することで、universal grammarを前面に出して言語の発生が統語能力の発生であるとする論陣を張った。これに対し、言語発生には、人類特有の新しい社会関係を支えるコミュニケーション能力が必要だとする陣営は黙ってはいなかった。現状はというと、(個人的印象だが)言語誕生の背景に人類特有のコミュニケーション能力の進化があると考える人の方が今では多くなっているように思う。
この論争についてここで詳しく解説する余裕もないし、またどちらを支持するのかという議論をするつもりはない。代わりにこの原稿では、普遍文法もコミュニケーションの能力も、言語誕生に必須の独立したモデュールとして考える。すなわち、チョムスキーの普遍文法が提起した統語の問題を、行動についての表象能力の問題、ボキャブラリーの問題を作業記憶過程での連合の問題、そして言語の誕生に関わるコミュニケーションの問題を、自分を含む社会のゴールの表象の問題として捉え、これらが交わるところに言語が発生したという観点から考えてみたい。


比較進化学として言語誕生を考える
言語は人間特有の能力で、地球史におけるそのインパクトは、地球上にこれほど多様な生物をもたらせた進化を可能にした生命最初の情報DNAにも匹敵する。言語を持つ人類ののみが文明を発展させ、他の生物を圧倒する繁栄を遂げた。その結果は地球の環境も変化させる力がある。例えば、もともと地球上にO2と表現される自由酸素はほとんどなかった。しかし、生物が誕生し、その後光合成を行う生物が進化すると(おおよそ35億年)地球上でも酸素が作られるようになり、生物の繁栄とともに10億年前から急速に濃度が上昇した。この変化は全て、進化を可能にしたDNA情報の誕生の結果だ。
同じように、現在地球温暖化の元凶と言われる2酸化炭素の蓄積をもたらしている工業化の問題は、元をたどると言語という全く新しい情報媒体誕生まで遡ることができるだろう。言語誕生を5万年から10万年と考えると、これほど短い期間に人類を繁栄させ、地球の生物相や大気成分までを大きく変化させる力を言語は持っていたことになる。事実、千年前は人間、家畜、ペットの哺乳動物に占める割合は1%に満たないと推定されているが、現在は何と98%に及んでいる。これは決して人間の筋力が他の動物に比べて強いからではなく、人間だけが言語を獲得した結果に他ならない。
このように人類だけが地球上で言葉を使い、文明を発達させ、地球の大気すら変化させた。では言語はどのように現れたのか?この過程を「創発」という言葉で終わらせるのは思考の停止だ。実際には見ることができない過去に起こった言語誕生を理解するために、現存の人間特有の能力と、他の動物、特に我々に最も近い霊長類の能力を比べ、それぞれの違いを理解した上で、各能力と言語の関わりを探る研究が続けられている。
言語誕生に関わる変化のうち一番わかりやすいのが、喉頭の解剖学的構造だ。口腔から離れた下の方に喉頭がある人間と比べると、霊長類の喉頭は口腔・鼻腔直下にあるため、声帯で発生させた音を口腔内で操作することができない。結果、私たちのように多様な母音や子音を発生することはサルには不可能だ。サルが発生するほとんどの音は鼻で増幅する鼻音として発声される。このため言語に必要な複雑な音を発生することは霊長類ではできない。
ただ、発声に必要な解剖学的特徴は言語に必要なモデュールのほんの一部でしかない。もっと重要なのは、記憶とコミュニケーション能力に起こった変化で、この条件が揃わないと、オオムと同じことになる。手短に、人間特有のコミュニケーションと記憶能力について見ておこう。
目的と意図を共有する新しいコミュニケーション様式の誕生
映画「猿の惑星」でサルも進化すれば人間と同じ能力が獲得できると描かれているように、私たちの興味はともすると「サルはがどこまで人間に近づけるか」、すなわち「サルでもできる」ことに向きがちだ。例えば、膨大な努力を払って、チンパンジーやボノボに言葉を教える研究がその例だ。これまでサルが100語以上の単語を正確に区別でき、覚えた単語を使って意思表示も可能であることなど示されている。しかし、言語誕生の条件を考える上で本当に重要なのは、間違いなく人間にはできてサルにはできないことを明らかにすることだ。実際には、できないことを証明するのは難しく、また一つの仮説の検証に、時間をかけてサルを訓練する必要があり、手間のかかる大変な実験だが、この努力のおかげで「サルにはできない」幾つかの人間特有の能力が特定されてきた。中でも、ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所(Max-Planck Institute of Evolutional Anthropology)のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)は、同じ課題をチンパンジーなどの類人猿と、様々な年齢の人間の児童に行わせて、人間特有の能力とは何か、またそれがいつの段階で獲得されるのかを丹念に調べている。彼が2014年に出版した『Natural History of Human Thinking』はこの分野に興味のある方には是非読んでいただきたい著書だ。

図2:Tomaselloが2014年に出版した人間の思考についての著作『Natural History of Human Thinking』(Harvard University Press)。多くの実験事実の裏付けられており、アカデミックな読み物。


Tomaselloをはじめ、この分野の多くの研究者が一致しているのは、人間特有のコミュニケーション様式を生み出した社会性が「一種の利他性」だという点だ。しかし、利他性なら母親が子供の面倒をみるcaringや、オスとメスがつがいを作って(pair bonding)暮らしている動物にも存在するはずだ?
たしかに、人間の持つ利他性の究極の起源にはcaringと同じ情動の仕組みがある。たとえば一見利益の反する行為も促すことができる「ご褒美回路」として知られている仕組みは、人間の利他性にも働いていることはまちがいない。しかしサルと人間を比べると、人間の協力関係だけに、「他の個体とゴールと意図を共有する」という特徴が見られ、これが動物の利他的行動には欠落していることがわかる。
Tomaselloの実験の一つを紹介しよう。お菓子を手に入れるのに協力が必要だが、得られるお菓子は一回に一人分しか出てこない機械を挟んで座った2人の子供、あるいは2匹のチンパンジーの行動を観察し、お菓子を順番に手にするために、相手が先にお菓子を手にするのを我慢できるか調べた実験を行うと、人間の子供は(3.5歳齢以上)協力して「今は僕、次は君」というように順番にお菓子を分けるのに、チンパンジーでは偶然に協力関係が成立することはあっても、自分が我慢を強いられる順番があることを受け入れられず持続的な協力が成立しないことを示している(Melis et al, Psychological Science, vol 27, issue 7, 987-996, 2016)。
集団行動という点で見れば、チンパンジーなどの霊長類も肉を求めて複数の個体が協力して小さなサルの狩りを行うことはよく知られている。しかし、一見協力して行われている狩もよく観察すると、各個体は自分が獲物にありつくという目的だけを考えており、獲物を得て分け合うという共通の目的を共有することはできない。
共通のゴールを共有する協力関係には、個体同士で指示をし合うコミュニケーション、すなわち相手の意図が理解でき、自分の意図を相手に理解させることが必要になる。このような指示関係が最初は自然発生的に成立しても、同じことを繰り返すためには、上記の論文のタイトルにあるように「今度は君、次は僕」といった取り決めを両方が確認する必要がある。先に述べたTomaselloの論文でも、協力し合う3.5歳児は、指差し(ポインティング)を用いてコミュニケーションを図っていることが記載されている。このように「君と僕」といった2人の間の比較的簡単に見えるコミュニケーションでも、人間だけにしか、しかも3.5歳児になるまで観察することができない。もっと多くの個体同士がゴールを共有して協力するとなると、さらに高次のコミュニケーションが必要になることだろう。
ではこのような意図の共有はどのように発生してきたのだろう?もちろん正解があるわけではないが、多くの研究者は共同生活するグループの人数が増え、社会構成が複雑になったことが大きな原因だとかと考えている。この根拠として最もよく引用される研究がロビン・ダンバー(Robin Ian MacDonald Dunbar)らが1992年に発表した論文だ(Dunbar RIM, Neocortex size as a constraint on group size in primates, Journal of Human Evolution 20, 469-493, 1992)。
この論文の要点は、霊長類から現代人までの新皮質のサイズと共同生活での集団のサイズをプロットすると両者が正比例することだ。すなわち、集団構造の複雑性と、脳のサイズが正比例することを示している。アフリカでの最初の人類誕生はおおよそ400万年前だが、脳の新皮質の急速な増大がみとめられるのは200万年後、Homo.Ergasserが誕生してからで、彼らのグループの人数も、それまでの50人以下から、100人近くに倍増していると考えられており、Dunbarの仮説を支持している(図3にDunbarの最近の著書1冊を紹介しておく)。

図3 Dunbarが2014年に出版した『Human Evolution』(Pelican)。何が我々人間の進化を後押ししたのか、言語誕生に至るまでわかりやすく書かれている。


最初の原人がアフリカに誕生したあと200万年間、人類のハンティングは、死体や食べ残しの骨をかすめるハイエナのような狩りだったと考えられているが、H. Ergasserになると人間より大きな獲物を求める狩りが始まった。石器の進歩は10万年前まではゆっくりだが、それでもH.Ergasserの石器には動物を殺すための進歩が見られる。いずれにせよ、100人程度の共同生活が可能になるためには、野生のチンパンジーの狩りとは違って、獲物を分け合う集団生活が行われていたと考えられ、ゴールや意図を共有して協力する社会が形成されていた。
重要なことは、この複雑化した協力関係や利他性の背景には、必ず新しい表象と統合システムが脳内で形成されているという点だ。このシステムの要件として、

  1. 1)自分の身体や内的自己を他人から区別し自分のものとして認識する能力、
  2. 2)他人の行動の目的について表象する能力、
  3. 3)他人も自分と同じように考えていることについての理解(Theory of Mindと呼ばれている)
  4. 4)自分が相手と同じであると相手が認識していることを理解する能力
    など、自己と社会との関係についてハッキリと表象が形成される必要がある。実際、類人猿から人類まで、この能力拡大に伴って新皮質が急速に発達した。加えて後に説明するように、こうして生まれた表象が成立するためには、経験が記憶されるだけではなく、抽象的な意味記憶、すなわちカテゴリーや意味の記憶を基準として、感覚を通して体験するエピソードを選択し、表象し、記憶することが必要になる。脳が大きくなったというだけでなく、新しく発達した領域と既存の領域間のネットワークが形成され、より複雑な表象の形成が可能になった。
    だからと言って、H.Ergasserやその後の原人(Hominin)のコミュニケーションが言語を使っていたと考えてはならない。実際言語はH.Ergasserどころか、ネアンデルタール人も使えず、Homo Sapiensが現れて初めて使われるようになったと考える研究者が多い。
    実際には、コミュニケーションの手段自体より、新しいレベルのコミュニケーションが可能になったことがまず重要で、H.Ergasserが約200万年前に現れたとすると、その後190万年以上の間、5万年から10万年前に言語が誕生するまでの原人のコミュニケーションは、ジェスチャーや、スティーヴン・ミズン(Steven Mithen)がHmmmmm(Holistic manipulative multi-modal musical and mimetic)と呼ぶ、自分の意思を伝えるための分節されてない音楽的な発声(赤ちゃんの発声の意図を周りが受け取って要望を満たすといったシーンを考えればいい)で、実用的には間に合っていたと思える(図4にMithenの著書を紹介しておく)。

図4 Mithenが2005年に出版した歌うネアンデルタール『The Singing Neanderthals』(Harvard University Press)。言語誕生に音楽が果たした役割を示す面白い考え。


しかし、意図を共有したコミュニケーションを可能にする脳構造のおかげで、集団的な狩りの成功率は上昇し、その結果タンパク質の豊富な肉の消費量は上昇し、脳の拡大は更に加速したことだろう。このように、5−10万年前まで、集団で獲物を追いかけるHunter Gathererが目的を共有し分業により獲物をしとめる暮らしには、私たちが考えるような複雑な言語がなくても、ジェスチャーやHmmmmmで十分済ますことができたと思われるが、おそらく脳自体は大きくなり、より言語の誕生を支える可能性が高まったと思われる。
コミュニケーションを求める力動は言語発生の必須条件
では、ゴールを共有する社会性を持つことが言語発達にどのような影響を持つのだろう?進化の過程でこれを検証することは、現在はまだ難しい。しかし、人間の言語発達過程にこの社会性が重要な役割を持つことは、自己と社会との表象が変化する自閉症スペクトラム (ASD)やウイリアムズ症候群(WS)の解析を通して認められているので、短く紹介しておく。
ASDは、社会性の低下、言語発達障害、そして反復行動を主要な症状として示す発達障害を指し、症状は同じでもその原因は極めて多様であると考えられており、そのため自閉症という病名ではなく、自閉症スペクトラムと称す流ことになっている。原因はともかく、知能の発達が正常でも、社会性の低下と、言語の発達遅延が必ず合併していることから、他人とのコミュニケーションを求める力動が言語発達に必要な条件であることを示す例として考えられてきた。事実、ASDは乳児期から能動的に体験を求め外界へ働きかける行動が見られないことがわかっている。正常児では生後3−4か月までに相手の顔をじっと見つめ、動くものを目で追いかけ、音がする方向に顔を向ける動作が見られる。ところがこのような反応がASDではしばしば欠けている。このため米国疾病予防管理センターは、「もしあなたの子供が、音に反応せず、動くものを目で追いかけず、笑わず、指をしゃぶらない」なら、すぐに専門医に相談するよう勧告している。おそらく胎児発生の過程で形成される脳の回路が普通とは違っていたため、外に経験を求める力動が低下して、コミュニケーションを求める欲求が減ったため、結果としてコミュニケーションの媒体である言語発達を求めないのだろうと考えられる。
このような解釈は、都合の良い現象を集めただけの、思弁的な想像だと思われても仕方ないが、もう一つの例ウイリアムズ症候群について知ると、まんざら間違っていないように思えてくる。
ウイリアムズ症候群は1961年外科医により「大動脈弁上部狭窄症と特徴的精神症状を示す」一群の患者の存在として記載された。その後の研究で、7番染色体上の大きな欠損によりその領域にある20種類の遺伝子が片方の染色体ごっそり抜け落ちてしまっていることがわかった遺伝疾患だ。もちろん病気の詳しい解説をするつもりはない。重要なのは、この患者さんたちが自閉症とは逆に「相手の目をじっと見つめる、愛すべき人懐っこさを持つチャーミングな性格」を持つことと、知能の発達が障害されIQは60程度であるにもかかわらず、言葉を話す高い能力を持っている点だ。実際には、知能発達の遅れのため言葉を話し始める時期は遅れるのだが、一旦言葉を話し始めると多弁で同年齢の通常児を凌駕する。すなわち、社会性と言語能力の関係という観点から見た時、ウイリアムズ症候群の患者さんには自閉症とまるで反対の症状が併存している。このことは、「愛すべき人懐っこさと称される高い社会性」が、知能発達遅延による言語発達への影響を克服できるだけの力があることを物語っている。
これらの例は、個体の発達から見ても、コミュニケーションを求める力動、すなわち社会性が言語発達の条件になっていることを示している。この意味で、言語のコミュニケーション機能を無視する考えには賛成できない。
※「言語誕生のマイスタージンガーモデル(後編)」は2018年2月1日に公開します。
[ 西川 伸一 ]

言語誕生のマイスタージンガーモデル(後編)
2018年2月1日


音節と記憶の連合(Lexicon:語彙は、連合させて記憶を高めるメモとして
始まった。)
話題をガラッと変えて、次は記憶について考えてみよう。私たちには瞬間ごとに、膨大な量の情報が感覚を通して入ってくる。これら全てを記憶することは不可能だし、ほとんどは意識にすら上ることなく通り過ぎる。意識されるのは、各人が経験で形成してきた独自の基準とその時の脳の状態に照らして選択された表象だけで、この時の選択を行う基準を、「自己」と呼んでいいと思うが、自己の表象自体も刻々変化する脳内ネットワークだ。
感覚を通して入ってくる情報
の中から特定の表象を選択して記憶しているとは言っても、物事を正確に覚えているのは難しい。我々の感覚の7割は目を通して入ってくるが、例えば初めての美術館を巡って外へ出た瞬間、目の前にもう一度イメージを思い浮かべられる絵は何枚あるだろうか。実際、覚えられないのが当然で、絵を見るとき私たちが画像をどのように脳内に表象しているかを考えれば、覚えていることの方が奇跡だ。実際には、絵の様々な場所に視線を走らせて、そうして得られた各部分の表象を、形、色など様々な要素に分解し、それを脳内の異なる部分に維持した上で、もう一度脳の中で表象へと統合し直す。すなわち、絵を見ている瞬間として認識している体験も、実際には細切れになった様々な表象を脳内各所に維持し、それを再統合したものをある瞬間に見た画像だと認識しているだけだ。この過程は、作業記憶と呼ばれているが、この複雑な過程を何回も繰り返すのが絵画の鑑賞になる。とすると、情報量が多すぎてなかなか記憶に残らないのも当然だ。しかし見た瞬間、なぜか深い感動を覚える絵は間違いなく記憶している。これは複雑な視覚の表象でも、感情という単純な表象と連合させると覚えやすいからだ。もちろん、連合相手は感情だけではない。何か単純なシンボルとうまく連合させれば記憶が容易になることは多くの人が経験していると思う。美術館で写真を撮ったという記憶があると、その絵を覚えている確率が高まるという研究があるが、これも写真を撮るという簡単な表象と連合させているからだ。
匂い、音、驚き、恐怖の経験など、感情的表象は記憶を容易にする連合相手の定番として実際使われているが、短い音節も記憶に残りやすく、連合相手として優れていのではないだろうか。私たちはすでに言語を持っており、言語に似た音節を個人的な記憶を高めるための個人的メモ代わりだけに利用している原始的状況を想像できない。しかし、私たちの記憶に、実際の事物の表象と音節を持ったシンボルとしての単語の表象の連合は大きな役割を果たしており(固有名詞と顔の表象を考えてみてほしい。言語的連合があると覚えることができる)、個人的に、特定の音節を連合させて
記憶を高めるために使うことは十分あり得るのではないかと思っている。言語が誕生する前は、この音節と事物の表象との連合は偶然結びついただけで、シンボルとして表象に固定されているわけではないし、ましてや他の個体や社会と共有しているわけではない。しかし私たちの脳内には、語彙とは全く別に様々な事物についての表象が階層的に形成されている。例えば、食べられるもの、食べられないもの、甘いもの、しょっぱいもの、といったカテゴリーだ。この表象に、音節がいったん連合されると、当然その音節は、頭の中に形成されている複雑な表象のネットワークに統合される。
もう少し具体的に見てみよう。言葉を持たない原人でも、獲物の鹿が見つかった時には思わず声が出る。この声になって出た「ディア」といった音と鹿と周りの景色を連合させたとしよう。すると、この「ディア」という音は、鹿を見つけた経験の表象と個別に連合されるが、これにより原人の頭の中にあるほとんどの表象のネットワークに組み込まれたことを意味する。例えば「ディア」という音節は鹿とその周りの景色というだけでなく、ライオンとは違うこと、食べれば美味しい、あるいはもっと大きなカテゴリー、4つ足の動物などの表象とも関連することになる。

連合による明瞭な記憶は自己自身の表象の確立に始まった。

図1 昨年出版された、Murray, Wise, Grahamの3人の共著による記憶の進化についての著書『The evolution of memory system』。進化という観点で記憶を捉えた本としては初めてではないだろうか。


上記のように、物事を明瞭に覚えるためには、関係のない表象を連合させられる能力が必要になる。異論もあると思うが、このような能力が人類だけに発達したと考える研究者は多い。中でもエリザベス・マレー(Elisabeth Murray)等によって最近出版された『The evolution of memory system』では、明瞭なexplicit memoryと呼ぶ明瞭な記憶を形成する能力は人類にしかなく、類人猿を含む動物では発達していないと主張されている(図1)。というのも、explicit memory形成には、新しい連合とそれを統合する脳の仕組みが必要で、具体的には考え行動している自己を身体認識とは切り離して表象し直し、エピソード記憶形成過程で、一旦分解された感覚からの表象を、もう一度統合する基準にすることが、人類だけで可能になったからだと主張している。一種の、主観的意識のようなものだと思うが、説得力のある主張だ。
動物にexplicit memory(顕在記憶)やsemantic memory(意味記憶)があるのかないのか、全く判断できないが、それでもこの本の指摘は言語を考えるためには重要だと思う。というのも、自分が発生した音節を、全く無関係のエピソード記憶と連合させ記憶を鮮明にする、音節をメモ代わりに使う能力は、explicit memoryを可能にする能力と完全に重なるからだ。この本では、言語であれ、新しい文明であれ、すべては人類だけが獲得した、explicit memory形成能力に起因するとまで提案している。確かに、homo sapiensが生活していた洞窟に残された動物の絵は、明瞭な記憶なしに描くことはできない。
さらに、カテゴリー化の能力や、全く無関係な表象を連合させる(例えば母親(mother)、と自然(mother nature))semantic memoryも内的自己の表象を、様々な表象を連合させる基準に据えることで可能になったと考えられる。要するに、偶然であっても、自分を中心に全く関係のない表象と表象を連合させる能力は言語発声にとって必須の条件になる。
しかし特定の音節をいくら頭の中の様々な表象と階層的に連合させられるとしても、その過程を他の個体と共有できているわけではない。言語発生には、この音節と事物の表象の関係を複数の個体が共有する必要がある。この問題については最後に議論する。


行動の表象が文法を決める
言語発生前の話をしていることを再確認しておく。したがって、ここで議論している言語は、たかだか語彙が100にも満たない原始的なものだと考えておいてほしい。この状況を念頭に次に文法について考えてみよう。
3歳前後に、最初に自発的言葉を話すようになっても、使う単語は3−4語程度だが、例えば「水・飲みたい」とか「表・出たい」、あるいは名詞を並べて「ママ・今・部屋」などだ。重要なことは、誰が聞いても意味が十分くみとれる言葉を話している点だ。これをもって、普遍文法構造が脳内に形成されていると結論しても悪くはないが、このような幼児の言葉の統語を、私たちが何かをするときかならず頭の中に形成する行動の表象に従って単語が並べられている結果と考える可能性はないだろうか?私たちの行動は、時間的にも、空間的にも様々な制約を受けている。この行動に対する制約は、一つは意識には登らない手続き記憶とし、もう一つは意識された行動の記憶として脳内に表象されているはずで、原始的な言語ではこの表象がそのまま統語のルールとして使われている可能性がある。
実際、運動と文法の間に関連があると考えられる現象は存在する。この関係が最も明確に見えるのが、運動の中枢、小脳の障害により起こる失語だ。小脳性の失語は、有名なブローカ失語やウェルニッケ失語とは症状が異なり、Agrammatism(失文法)と呼ばれる文法の異常が見られることが多い。このことは、小脳内に統合されている行動の表象が文法としての機能を果たしている可能性を強く示唆している。
また、大脳皮質の失語に失行症が併発することもある。失行症とは、自分の行動についての表象が障害される疾患だが、この結果も行動の表象と言語が強く連合していることを示している。このように、原始的な言語に見られる普遍文法は、行動の手順についての表象と解釈できるように思う。
全ての条件が出会うところ
ここまで言語誕生に必要な条件として、1)ジェスチャーやまだ言語ではない発声を通して意図を共有しようとする新しいコミュニケーション能力の誕生(背景には、自己と社会の新しい表象能力の誕生)、2)複雑な作業記憶過程に単純な音節を連合させて記憶を固定する能力(背景にはexplicit memory形成能力)、3)行動の手順を表象し表現する能力(背景には統語能力)の3条件を見てきた。もちろん他にも条件を考えられると思うが、そろそろこれらの条件が集まって言語誕生へと向かう過程について考えてみよう。
それぞれの能力がいつ発生したのかはわからないが、言語の発生時期と考えられている10−5万年前に急に現れた能力ではないと思う。おそらく、2足歩行のサルと言えるオーストラロピテクスから、人類として地上生活を始めたH.Ergasserが現れ、類人猿とは全く異なる社会生活が始まった頃から、人類はそれぞれの性質を備え始めていたと考えられる。実際この後、オスとメスの大きさの差がなくなり、噛みつくときに使う犬歯が退化する。すなわち、ボスが支配する集団から、争いの少ない平等社会に移行し、嚙みつく代わりに道具を使って骨を砕き、獲物を獲る狩猟生活に移ったと考えられる。しかし、もし多くの学者が信じているように、私たちホモサピエンスと数万年前まで交流があったネアンデルタール人や、デニソーワ人が言語を持たなかったとすると、条件は揃っていても、言語誕生のないまま200万年近い狩猟生活が続いたことになる。そして、10万年前になぜホモサピエンスがこれらの条件を現在の形の言語へと集約させることができたのか、またそのきっかけは何なのか、言語学の最も重要な問題になった。
異論もあると思うが(ネアンデルタール人も言語を持っていたと考える研究者は少ないが存在する)、条件が集まるきっかけを得ることができなかったネアンデルタール人は言語を手に入れることなく滅びてしまった。一方、我々ホモサピエンスのみが言語を手に入れることができ、地球の隅々にまで広がり支配者として君臨することになった。


ニュルンベルグのマイスタージンガー
実際きっかけについては、様々な説がすでに提案されているので成書を当たって欲しいと思う。この稿で紹介したい私の勝手な妄想は、道具(精巧な石器)作りを教える過程でこれらの条件が揃ったというものだ。そしてこのきっかけに、音楽の脳、道具の脳、そしてコミュニケーションの脳が出会いを媒介したのではないかという考えだ。これからそれについて説明するが、この可能性を考えている時、私の頭にフッと浮かんだのがニュルンベルグのマイスタージンガー第二幕のシーンだ。
オペラファンに説明する必要はないが、馴染みのない方のためにニュールンベルグのマイスタージンガー第2幕を少し説明しておこう。このオペラは、ニュルンベルグの古いマイスター社会に飛び込んできた新しい思想を持った騎士Walter von Stolzing(ワーグナー自身のことでもある)が、ニュルンベルグのマイスターからその芸術の重要性を認められるまでの「てんやわんや」を描いたオペラだ(こんな紹介は顰蹙ものかもしれないがお許しいただきたい)。孤立無援の騎士の持つ新しい芸術の可能性を最初から認め、支援するのが靴作りのマイスターHans Sachsだ。2幕ではSachsを中心に様々な場面が展開する。特に私の印象に残るのが、Walterを慕うEvaの悩みを聞いた後、Walterを貶めようと躍起になるベックメッサーが登場する前に靴を打ちながら歌うアリアだ(図2)。

図2:靴屋のマイスターハンスザックス。ニュルンベルグのマイスタージンガーの主役は騎士ウォルターではなく、間違いなくザックスだ。


ではどうして、この場面が言語誕生を想起させるのか?
もともと、オペラ、ニュルンベルグのマイスタージンガーは、様々な職人が歌を教養として身につけているという前提で成立している話だ。すなわち道具と音楽が一体化していることになる。道具と音楽が一体化していると考えても何も不思議ではない。道具を作ったり、使ったりする時はリズミックな音が出ることが多い。また、そのようなリズミックな音が、仲間同士の感情の共有に役に立っているのは、現在でも原始的な村落では見られることだ。
そして、なんといっても狩猟生活を送る人類の先祖にとって、道具作りは最も重要で、explicit memoryが要求される作業だったと思われる。さらに、それを他人に教えるとなると、explicit memoryだけでなく意図と目的の共有、利他性などそれまで人類が発展させてきた人類特有の能力が必要になる。このように道具作りは、言語誕生に必要な条件が全て揃う一つの状況になることは間違いない。
一方、音楽は現在も感情を伝え、共有するためには最も有効な手段だ。言葉を話す前の赤ちゃんは、感情のこもった発生とジェスチャーを使ってなんとか意思を伝えようとする。前出のスティーヴン・ミズン(Steven Mithen)は『Singing Neanderthal』の中で、言語が生まれるまで人類は音楽に近い発声をコミュニケーションに使っていたと考えている。この音楽の力は、例えばダビンチのモナリザを思い起こすときと、ベートーベンの運命の冒頭を思い起こす時を比べてみるとわかる。明らかに、音楽の方が思い出しやすい。これは音楽が感情と直に連合しており、
視覚表象より単純で、
脳回路の構造とフィットしているからだろう。
こう考えると、道具作りを教える時、ジェスチャーと共に、メッセージを伝えやすい音楽的発声が指示に使われたと思える。さらに、道具を作ること自体が音を発する。すなわち、explicit memoryを形成する時、連合させる単純な音が満ち満ちているのが道具作りの過程だ。当然、同じ音を、教える側、教えられる側が特定の事物の表象と連合させることができる確率は他の場合より高いと考えられる。その上、音楽を通じてより強く意図を共有する体制もできている。
言語誕生には、それまでexplicit memoryの形成のために各個体が個別に行っていた音節との連合を、偶然にしかし高い確率で他の個体と共有できる状況が必要になる。これが道具作りを教える状況に備わっていることは、以上の議論からわかっていただいただろうか。
こうして生まれた語彙が広まるのが簡単なことは、例えば有名なニカラグアの聾唖の子供達に自然発生した手話の例を見ればわかる。聾唖であることから言語世界から完全に切り離されて育った子供たちが集められて、200-400人規模で集団生活を始めることで、急速に彼らの間で通用する独自の手話が発達した。これは、一旦語彙が共有されると、それを教え合って、集団全体で共有することが可能なこと、語彙を共有する方法が確立すると、個々のコミュニケーションの現場で取り決められる語彙や文法は、瞬く間に集団で共有されることがニカラグアの手話の例から明らかになっている。このように言語は、集団で共有されることで、個人の脳内過程から解放され、集団に支えられ独自に進化することができる。要するに、1−2個の語彙の意味を共有することができれば、あとは自然に現在の形へと発展したのだろう。
なんとか言語誕生の大枠について書くことが
できたので、次回からはこの大枠に基づいて
各部分の詳細を詰めていこうと思っている。
[ 西川 伸一 ]

マイスタージンガーモデルに関する補足I
2018年2月15日


2回に分けて言語誕生についての私の考えを読んでいただいたので、私が言語誕生についてどう考えているのか、マイスタージンガーモデルから理解していただけたのではないだろうか。しかし細部の詳しい説明は抜けているし、結局「なんとでも言える」Just So Storyと思われてしまいそうだ。そこで今回から、このシナリオの説得力を高める為、幾つかの細部について補足したいと思っている。
このモデルでは、話し言葉中心の言語が発生する前から言語の基本能力は進化しており、サルとは異なる人類独特のコミュニケーションが可能になっていたと考えている。この点についてまず補足する。
いま現在私たちが使っている言語は、音をベースにした話し言葉と、文字をベースにした書き言葉からなっているが、文字が出来る前は話し言葉が中心だった。マイスタージンガーモデルでは話し言葉を中心とした言語が5万年前後に急速に発達したと考えており、この点についてはさらに補足する予定だが、もちろんそれ以前にもコミュニケーションのための方法は存在していた。例えばジェスチャーもそうだし、以前紹介したスティーヴン・ミズン(Steven Mithen)の言う音楽的抑揚のあるHolistic言語(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000014.html)もその一つと言える。
言語の本質を考える時、話し言葉が成立する条件だけに限定すると、言語誕生に最も重要な条件を見失うことになる。この重要な条件とは、人類のみが獲得した能力で、具体的には、経験を明瞭に記憶し、記憶から呼び出した表象を、実際の対象が存在しない時に相手に伝える能力だ。

図1 シカ狩りを例に言語の条件を考える(説明は文中)


例として、複数の個体が協力して狩りをする状況を考えてみよう(図1)。何人かで狩りに出かけ獲物を探している時、目の前に鹿が現れたとしよう(設定1)。眼前の鹿の存在を皆で共有することはたやすいし、鹿を獲物にしようと全員が目的を共有することは人類でなくともたやすいだろう。人間なら、ポインティングやジェスチャーなどで標的を共有する動作が出ると思うが、ライオンのように複数で狩りをしてもほとんど個体間のコミュニケーションのない動物でも、目の前の獲物に共同して本能的に飛びかかることはできる。またその時、それぞれの頭の中に、鹿のイメージ、匂い、声などが表象され記憶されるだろう。脳科学的に言えば、このようにして生まれる鹿の表象はどの個体でも同じような脳の領域を用いて記憶されていると思う。
何回かの狩りの経験を重ねた個体では、脳に鹿の表象の記憶がだいたい同じように成立していると考えて話を進める(図中で記憶と示している)。もちろん、以前に紹介したように、人間と他の動物では前頭前皮質連合野の発達の違いでexplicit memory(鮮明な記憶:顕在記憶と邦訳されている)の程度が質的に異なっていると考えられる。しかし、ライオンでもサルでも、匂いがすれば鹿、あるいは獲物の表象を何らかの形で呼びおこしていることは間違いない。すなわち、鹿=獲物についての視覚的表象と、音や匂いの表象が連合して記憶され、新たに音や匂いの表象を体験した時、目の前に鹿がいなくても鹿の表象に結びつけることが出来る。このように鮮明度はともかく、各個体が匂いや音といった刺激により、獲物を表象する神経過程は動物から人間まで共通に備わっている。
次にこのような記憶が成立した個体が集まって獲物を探している状況を考えよう(設定2)。この時、一人、あるいは一頭の個体が匂いを通して真っ先に獲物の気配に気づくことはあり得る。獲物はまだ見えないのに、気配に気づいたとすると、そのことを伝える必要がある。でないと獲物は逃げてしまう。この時人類なら、頭の上に指を突き出して、鹿の形態を真似て鹿が潜んでいることを伝えることができる。ほとんどコミュニケーションの手段を持たないライオンは別にしても、例えば人類に近いチンパンジーの狩りのビデオを見ると(https://www.reddit.com/r/videos/comments/6wqocb/chimpanzees_hunting_monkeys_is_both_amazing_and/)、樹上のオナガザルに気づいた個体が立ち止まって木を見上げると、他のサルも止まって見上げていることから、獲物がいることを態度で示していることがわかる。このビデオではその後、一匹のオスが獲物に近づいて木の上のサルを追いかけ、逃げ惑うサルを待ち伏せしていた他のサルが仕留める様子を映している。すなわち、気配に気づいたことが習性に従って自然に態度に表れ、その態度を感知した他の個体が、学習したパターンに従って協力して狩りを行っている。このビデオでは、ジェスチャーやポインティングは全く見られない。
もちろん人間でも場合によっては、同じように決まったパターンで行動することもあるだろう。しかし、必要ならジェスチャーやポインティングを使って自分が獲物に気づいたことを伝えることができる。一方、サルは両方の手を使うことができるものの、ジェスチャーで獲物の形態模写を行うことはおそらく未だかって観察されたことはないと思う(確かめたわけではない)。
この過程をもう一度整理してみると、

1)鹿の視覚的表象と、匂いや音の表象を連合し、記憶する(人類・動物共通)

2)匂いや音の表象から、鹿の視覚的表象を呼び起こす(人類・動物共通:表象の鮮明度は人類がすぐれている?)。

3)鹿の視覚的表象を、ジェスチャーで形態模写し、それを他の個体も理解する(人類特有)。
という一連の過程が起こっている。とすると、最後の形態模写ができる点が人類のみに備わった言語誕生の条件になる。すなわち、臭いという指標で活性化された視覚イメージが視覚野を興奮させるところまでは他の動物も同じだが、その表象を形態模写しようという着想と、実際に表象に基づいて形態模写する行動は人間特有になる。もちろん、表現にジェスチャーを用いる必要はない。コミュニケーションという目的なら、鹿の声を真似てもいいし、今匂いを感じていることを、鼻を広げて表現してもいい。要するに、頭の中に呼び出した表象が、他の個体の脳にも誘導することがポイントになる。チンパンジーを見ていると、狩りの時両手が使えると言っても、実際にジェスチャーで何かを表現することは解剖学的に難しいと思う。また、鹿の声を真似ること同じ理由で難しい。このように、新しいコミュニケーション手段が発達した背景には、もちろんこのような解剖学的な差も存在する。
この時、ツノを突き出す形態模写は実際の鹿のイメージに近く、セッティングにもよるが表象(意味)を他の個体と共有できる可能性は高い。パース流に言えば(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000012.html)、イコンを用いる表現によるコミュニケーションになる。
一方、鹿の声を真似て表現するのは、鹿そのものを表現しているわけではないが、声が鹿の存在を示し、また鹿の表象を他の個体の脳に呼び起こす指標になると言える。これは、パースの言うインデックスと言えるが、話し言葉のルーツと言えるのかもしれない。
鼻をクンクンさせて、今匂いがしていることを伝え、他の個体も同じ匂いを嗅いでみて確かに鹿だと確認することもできる。この場合は鹿の匂いというインデックスを共有したいことを、「嗅いでみろ」と形態模写で伝えることで、最終的に同じインデックスを相手にも嗅がせて、鹿の表象を他の個体の脳内に形成させることになる。このように、コミュニケーションの手段は言葉がなくとも多様に存在するが、いずれの方法でも、最終的に自分の頭の中に呼び起こした鹿の表象を、他の人の頭の中に呼び起すことがゴールになる。
ではこの過程を支える人間特有の能力とはなんだろう。
すでにゴールを他の人間と共有して協力関係を樹立できるのは人間特有の能力であることを述べたが、獲物の表象を共有する過程を考えてみると、言語の背景にも同じ能力、すなわち

1)ゴールを共有する協力を可能にする人間特有の能力、

2)explicit memoryの形成能力、
が存在することがわかる。この能力の脳科学的背景として、ホモ・エルガステル(Homo.Ergasser)の誕生から始まる、前頭前皮質の連合野の急速な発達があることは間違いない。重要なことは、これらは全て学習により発生するのではなく、自然に発生する能力である点だ。explicit memoryが脳の様々な領域を連合させる前頭前皮質の発達に強く依存していることはわかるが、ゴールを他の個体と共有して協力する能力が、連合野がどの領域と結合することによるのかを特定することは現段階では難しい。
さらに言語は進化し、最終的に話し言葉(音節)をシンボルとする段階に至るが、全て上に述べた最初の言語へ向けた脳内のネットワークに起こった質的ジャンプの延長として考えることができる。鹿を求める狩りを例に、さらに進んだ内容のコミュニケーションを考えてみよう。
例えば昨日鹿を見た場所に今日も行ってみようと相談をするという設定が考えられる(設定3)。この時、実際の鹿が近くにいて気配を感じているわけではない。従って、具体的な鹿の存在にまつわるイコンやインデックスは存在しない。すなわち、この時鹿について語るためにジェスチャーや鳴き声を真似ることは、狩りをするという目的が共有されている必要がある。そしてこの場合、この目的が記憶から鹿の表象を呼び起こす刺激として働き、目的を共有する他の個体にも同じ刺激として働いている。すなわち、存在しないものを表現できている点で、我々の言語に極めて近いレベルに達している。そしてこのためには、レベルの高いexplicit memoryと目的の共有が必要で、これは人間だけが達成した能力だ。残念ながら、何か新しい分子の進化に基づく質的変化かどうかは明らかではない。
このように実際には存在しない表象を共有するための記憶が成立し、目的のような抽象的な表象が共有できる段階に達すると、ジェスチャーや鳴き声といったインデックスにより呼び起こされる表象はすでに脳内の様々な表象と連合している。例えば、狩りのプランに実際に必要なのは、肉にありつくため獲物を得ることで、目的はジェスチャーで表現した鹿の表象に限らない。以前紹介したように(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000022.html)、私たちの脳内の表象は決して単独で存在するのではなく、様々な表象とカテゴリー化して連合している。鹿の表象は獲物になるほとんどの動物と連合しているだろうし、また獲物以外の危険な動物など多くの記憶とも連合している。実際、狩りで最初にイノシシに出会っても、プラン通りアタックすることになるだろう。
以上をまとめると、言語能力の条件として、

1)情報を共有したいという強い欲求、

2)レベルの高いexplicit memory(高い表象間の連合能力)

3)実物に依存しない表象の呼び起こし

4)これらをストーリーに仕上げる統語能力に必要な、身体的行動の表象能力
があり、これが揃えば話し言葉も目の前だと考えている。
確かに、最後のセッティングでは目的と言った抽象的なきっかけで異なる個体が同じ表象を共有するなど、かなり高度に見えるが、条件自体は話し言葉を持たない直立原人や、ネアンデルタール人も持っていても何の不思議はないと思っている。しかし、コミュニケーションの為のボキャブラリーを増やすには、音節をシンボルに使う、話し言葉の誕生が必須だった。
これが起こったのを、マイスタージンガーモデルでは5万年前と推定しているので、次回は、我々ホモ・サピエンスの歴史を見ながら、5万年前に現在のような話し言葉が始まったと考える根拠について補足する。
[ 西川 伸一 ]

なぜ言語の発生時期を5万年前後と考えるのか?
2018年3月1日


前回述べたように、言語発生に必要な脳の条件は現生人類誕生よりずっと以前に整っていたと考えている。ただ、現在私たちが日常使っているような言語、すなわち話し言葉を基盤とする言語(ここではspeech language:S言語と表す)となると話は別だ。すでに議論したように、S言語では脳内に表象される対象と何の関連もない音節がボキャブラリーとして対応し、しかもその対応が異なる個体間で共有される。これまで述べてきたように、これが可能になることで、無限の表現力が我々に備わった。しかし、おそらく小難しい議論を必要としない狩猟採集民の生活には、ジェスチャーや、一種の赤ちゃん言葉の発声で十分間に合ってたはずなのに、S言語への指向性が生まれるにためは、より高いレベルのコミュニケーションが要求される状況があったと考えられる。
「マイスタージンガーモデル」では、複雑な道具作りを教えるという状況で生じた様々な必要性がS言語誕生を促したと考えている。今回の補足では、これが5万年前に起こったとなぜ考えているのかについてその理由を説明してみたい(断っておくが、これはあくまでも個人的な意見だとしてお読みいただきたい)。
現生人類の発生と移動
先に答えから明かそう。私が考える5万年という数字の由来は、我々の先祖ホモサピエンス(サピエンス)がアフリカで誕生した後、ヨーロッパへの進出を始めた時期から算定した数字だ。すなわち、この時期にS言語が初めてサピエンス、特にシナイ半島に住んでいたサピエンスに誕生したのではと想像している。なぜS言語の誕生とヨーローッパへの進出が重なるのか?
これまでに発見されたサピエンスと思われる最も古い骨は、ライプチヒ・マックスプランク人類進化研究所の研究者たちによりモロッコIrhoud から発見され、31万年前の骨と特定された(Hublin et al. Nature 546:289, 2017)。この発見により約70万年前にネアンデルタール人(以後ネアンデルタール)からアフリカで分離したサピエンスが、南、東アフリカだけでなく、モロッコの位置する地中海の西の端までアフリカ中に広く分布していたことが初めて確認された。すなわち、人口が増え、繁栄を遂げていたと思われる。
2つの出アフリカルート
こうしてアフリカの隅々に分布したサピエンスは、15万年前にアフリカを出て、まずアジア、オセアニア方面に移動を開始する(図1)。

図1: 『Science』に掲載された総説をもとに(Science 358: DOI: 10.1126/science.aai9067, 2017)筆者が作り直したもの。サピエンスと確認できる遺跡が存在する場所とその年代をつないで移動ルートを割り出している。


図1はサピエンスがユーラシア進出にたどった2つのルートを示しているが、ホモサピエンスによる可能性が高い遺跡を古い順につないでいくと、このルートが見えてくる。中でも最初のステップ、すなわち出アフリカだけに焦点を当てると、両方のルートでそれほど時間差はない。アフリカ以外で見つかる最も古いサピエンスの骨はイスラエルで約16万年前のもので、アラビアルートとほぼ同時期か、あるいはより古い時期のサピエンスだ。すなわち、両方のルートでサピエンスの出アフリカが15万年前には始まっていたと考えられる。
最近『Nature』に、30万年前ぐらいの地層から、直立原人由来とは考えられない進んだ石器が出土したことが報告された(Nature 554:97, 2018)。この石器がサピエンス由来で、ネアンデルタール人やデニソーワ人でないとする証拠はないが(人骨が発掘されていない)、明らかに著者らは、サピエンスが定住はしていなくても、インドにかなり早くからに到達していたと結論したそうに思えた。今後発掘が進むと、アラビア・インドルートは早くから完全に開いていたとする結果が出てくる可能性があるが、現在まで得られている最も確実な証拠に基づくとサピエンスのアジアへの移動は15万年前後に起こったとするのが適切だろう。
さて、15万年前は地球がかなり冷えていた時期でおそらく現在より6度以上温度は低かった。しかしその後急速に温暖化が進み、13万年前にはほぼ現在と同じような気候になったと考えられる。この急速な温暖化は、13万年前から急速にサピエンスがアジアに移住を始める一つの理由になったと思われる。その後、オーストラリアには6.5万年前に到達しており、インドを経由するサピエンスの東進を阻む他の人類はいなかったと思われる。


閉ざされたシナイ半島ルート
ところが、図1を見ていただくと地球が温暖化して出アフリカが加速した時期にも、シナイ半島からヨーロッパへのルートは5万年前まで全く閉ざされていたことがわかる。図2は、図1に示した地図状にネアンデルタール人の分布を筆者が書き加えたものだが、サピエンス進出のヨーロッパルートとネアンデルタール人の分布が一致する。異論もあるとは思うが、シナイ半島ルートが5万年まで、全く開かなかった理由は、ヨーロッパルートに分布していたネアンデルタール人が、サピエンスのシナイ半島からの北進を阻んでいたのではないかと想像できる。

図2:図1にかぶせてネアンデルタール人の分布を重ねてある。


先にも述べたが、アフリカ外で発掘された最も古いサピエンスの骨は16万年前のイスラエルカメル山近くで発見された骨だ(Hershkovitz et al, Science 359: 2018)。すなわち、シナイ半島ルートは、アラビア・アジアルートと同じくかなり早い時期にサピエンスが進出したにもかかわらず、ネアンデルタール人の存在により10万年以上もの間、行く手を阻まれていたと考えられる。

図3『Nature』 に掲載された記事(Mellars et al.Nature 479:483, 2011)をもとに、筆者が作り直した図で、サピエンスのヨーロッパ進出の3本のルートを示している。


ではなぜ5万年前にこの均衡が破れたのか?
私自身はこの理由を、話し言葉を基盤とする言語(S言語)がシナイ半島でサピエンスだけに誕生したからと考えている。
サピエンスのヨーロッパ征服の理由
まず図3に示した、ヨーロッパへのサピエンス進出を見てみよう。これまでヨーロッパ内で発見され、ゲノム解析がほぼ完全に行われたのは、ルーマニアで発見された約4万年前のサピエンスの骨で、なんと6−9%のゲノムがネアンデルタール人由来であることがわかっている(Fu et al. Nature 524:216, 2015)。このことは、サピエンスのヨーロッパ進出が、ネアンデルタール人と常に接しながら進んだことを物語っている。さらに、4.4-4.2万年前にサピエンスがイギリスやスペインにすでに達していたということは、かなり短い期間でヨーロッパ全土の征服を成し遂げたことになる。
この背景として、1)ネアンデルタール人の生存が特異的に脅かされる自然要因、2)ネアンデルタール人との交雑によるサピエンスのヨーロッパへの適応、そして3)サピエンスに起こった文化・技術の大きなイノベーション、などが考えられる。
自然条件についてみれば、5万年以降地球は温暖と寒冷の間をめまぐるしく行き来した時期だ。また、7万年前には現インドネシア・トバ山の大噴火、また4−5万年前にはイタリア・ナポリにあった火山の大噴火があり、ヨーロッパの気候はめまぐるしく変化したと考えられる。これによる食物の減少は、ネアンデルタール人の住む北部でより大きな影響を与えたと考えられ、サピエンスの進出を促した可能性は否定できない。
ネアンデルタール人との交雑により、サピエンスが寒冷地で生存できるよう適応した可能性もある。事実、我々現代人も、ネアンデルタール人から寒冷地で生きるための様々な遺伝子を受け継いでいることが明らかになっている。ただ、サピエンスとネアンデルタール人の接点で暮らす人類にネアンデルタール人遺伝子が高い比率で流入しているとすると、なぜ10万年以上両者の均衡が崩れなかったのか理解しがたい。おそらく、この要因はヨーロッパ征服にそれほど貢献していないのかもしれない。
こう考えてくると、結局5万年前のサピエンス優位は、文化的、技術的な要因が大きいと考えられる。要するにサピエンスがネアンデルタールには真似できないイノベーションを成し遂げた結果、それまで続いた均衡が大きく崩れたという可能性だ。またこの差が、そのままネアンデルタール人の絶滅に続いていくことになる。
ネアンデルタール人とサピエンスの差
事実、ネアンデルタール人がサピエンスより劣っていたと考えている研究者は多く、

  1. 1)サピエンスの遺跡に残された石器(オーリナシアン石器など)は、ネアンデルタール人の遺跡に残される石器(ムスティエ石器)と比べると、機能的に凌駕している。
  2. 2)この結果として、武器のイノベーションもネアンデルタール人はサピエンスに劣っていた。
  3. 3)ネアンデルタールの集団はサピエンスと比べると少人数だった。
  4. 4)ネアンデルタール人の遺跡には、絵画や装飾がなく、言語能力が発達していなかった。
  5. 5)サピエンスと比べて、より少人数の集団しか形成していなかった。
    などがこれまでその理由としてあげられている。
    しかし最近になって、まだサピエンスがヨーロッパ進出を果たしていなかった時期のネアンデルタール人の遺跡から、これらの根拠を否定する証拠も出土して、ネアンデルタール人は技術やイノベーションで劣っていなかったと主張する研究者も増えてきた。
    確かに考えてみると、もしサピエンスの技術的優位の条件が5万年より前に整っていたとして、10万年以上も接触しながら、この優位性を支える技術、例えば新しいタイプの武器が相手に伝わらなかったと考えるのは難しい。
    事実、スペインにある進んだ石器で知られるシャテルペロン文化がネアンデルタール人由来であることが示されると、進歩した石器は自分で作れなくても、当時簡単にネアンデルタール人が手に入れることができた結果だと説明されている。したがって、技術の差がサピエンスに絶対的優位をもたらせたと単純に結論できるのか怪しくなってきた。では、何がこの均衡を破ったのか?
    S言語がサピエンス優位性の源
    証拠があるわけではないが、このサピエンスの優位性がS言語の獲得ではないかと私は想像している。
    まず、言語は他の民族を征服するための強力な武器になることは、すでに歴史が証明している。最も大規模な移動は、現在のウクライナ付近で暮らしていたYamnaya人のヨーロッパへの移動だろう。Yamnayaとの交雑により現在のヨーロッパ人の遺伝的構築が形成されるが(Allentoft et al. Nature 522: 167, 2015)、この移動とともにインドヨーロッパ語がヨーロッパ全体に広がったことは、言語が民族の優位性を決める大きな要因であることを物語る。
    さらに、石器と異なり言語は教えてもらわない限り、簡単に盗めるものではない。実際、地球上のこれほど多くのS言語がある最大の理由は、S言語が他の部族に理解できないように、伝達が規制されているからだと考える研究者は多い。このように相手にもS言語が生まれない限り、S言語獲得で生まれた優勢が崩れることはない。
    S言語の誕生がサピエンスに絶対的優勢をもたらし、これによりネアンデルタール人と現代人のシナイ半島でのバランスが壊れたとすると、S言語の誕生はこのバランスが壊れた5万年前と算定できる。
    [ 西川 伸一 ]

なぜ言語が石器作りを教える過程で誕生したと思うのか?
2018年3月15日


Wagnerのオペラ「ニーベルングの指環」では、槍や刀がぶつかりあって壊れるという場面が何度も出てくる。例えば鍛えられた強い剣でも人間(ジーグムント)が構えたノートゥングは、神(ヴオータン)の槍にうち砕かれる。これは武器の優劣を示すことで、神の力を示そうとしていると思うが、ともすると私たちはネアンデルタール人と現生人類の間に同じような関係を想像してしまう。しかし前回も述べたが、武器や戦略の差が両者の絶対的な優劣の差の先行原因だとは思いにくい。
事実、ネアンデルタールと現生人類はシナイ半島では10万年近く隣接して暮らしながらも均衡を保っていた。シナイ半島および北上したばかりの現生人類は、使っていた石器(ProtoaurignacianやAhmarian文化とよばれている) でネアンデルタール人(Levalloi文化)から区別されている。しかし、最近の研究でシナイ半島や現生人類が北上したルートではこの区別が明確でない事もわかっている(Hublin, PNAS 109, 13471, 2012)。則ち、石器など道具が優劣の決定的要因になったとは考えにくい。
そこで前回この優劣の鍵となったのが、VerbalあるいはSpeechを媒体とする言語(S言語)であると提案した。S言語獲得により優劣がハッキリした後は、現生人類でさらに大きな文化的変化が起こり、おそらく石器自体もAhmarianやProtoaurignacianからその後急速に発展するきっかけとなったと思われる。
では、なぜわざわざ石器作りを教える過程がS言語誕生の現場となったと考えるのか?今回はこの問題を考えてみるが、せっかくの機会なのでまず石器作りについて勉強する事にしよう。
石器作りに関する本はおそらく他にも数多く出版されているとは思うが、私の知識はもっぱらジョン・シー(John J Shea)著の『Stone tools in human evolution:behavioral differentces among technological primates』 (Cambridge University Press)に頼っている(図1)。ほかの本を読んでいないので、これだけを推薦というわけには行かないが、考古学の論文を読むときにはきわめて役に立つ本だ。勿論ここで述べる事も殆どがこの本を参考にしていることを断っておく。

図1 John J Sheaの著書。
石器について人間だけでなく、サルが使用した跡についての区別の方法にいたるまで書かれている。通読すると、石器が如何に奥の深い話かわかる。
出典:Amazon co.jp
人類が石器を使い始めたのは300万年以上前のことだが、石器は人類の進歩と共に発展してきた(図2)。この歴史はまず旧石器時代と中石器時代に分けることが出来る。中石器時代は、だいたい1万年ぐらいから始まっており、既に弓矢など高度な武器が発達している。私達が問題にするのは、それ以前の旧石器時代で前期、中期、後期に分けられている(図2)。

図2 石器の発達。Sheaの著書を参考にして、筆者が作り直した。
写真の出典:Wikipedia


各時期の石器は代表的発掘場所の名前がついており、そこで発掘される骨の形状から、使用していた人類がわかっている。ただ、示している以外の人類が使っていた可能性を排除することは出来ない。
この発達の歴史はまさに石器の作り方の開発の歴史だが、殆ど二足歩行のサルと言っていいアウストラロピテクスと、常時2足歩行の直立原人の間で大きな変化が起こっているのが図2からわかる。すなわち、直立原人の登場が、様々な点で人類最初の大革命をもたらしたと考えられる。
実際、実験的に石器を作成する実験考古学によると、Oldowan文化では、拾った石を割って、そのかけらをもう一度叩いてみることぐらいしかおこなわれていない。その後、直立原人によるAcheulian文化がはじまると、急速に石器製作の工程が質量ともに増加し、複雑度が増していく。この結果、後期Acheulian文化では、1)石器に適した石の採石、2)砕石、3)破片の選択、4)破片の加工、5)加工する対象の最終的選択、6)様々な調整による形作り、などかなり複雑な過程が石器作りに使われていたことがわかる。おそらく、実際に使用した後の使い勝手についてのフィードバックも行われただろう。すなわち、デザインの構想とそのための加工技術の発達が石器の発達を支えたと言える。
このように、石器を見ていると、直立原人が既に高度な文化をもっており、石器製作に必要なExplicit memoryやゴールを共有して協力する能力、すなわち言語能力を十分備えていたことを実感する。
石器作りでもう一つ重要な点は、このような工程を、個人が個別にやっていたというより、一種の工房でまとまって行われていた点だ。このような工房で石器や他の道具を作り、後進に教えるという作業は、当然高いコミュニケーション能力が前提となる。すなわちこの能力が高さに応じて、石器の機能が発展したと想像される。
これらの点を考慮すればするほど、この工房で石器作りを教え、また習おうとする過程こそが、音節を単語として用いるS言語の発生場所に違いないと私には思えてくる。その理由をさらに説明しよう。
理由1:音はexplicit memoryに必要な連合を助ける。以前「コミュニケーションと言語」で述べたように、おそらく人類は、重要だが複雑なイメージを記憶する際、単純な表象と連合させることを自然に行っていたはずだ。この時、常にまわりで繰り返して聞こえてくる音節は、連合相手として利用価値が高い。
理由2:石器作りの現場では様々な繰り返す音で満ちている。これについては想像してみるだけで十分だろう。先にまとめた過程で石器を作ろうとすると、各過程で違った音が発生し、それも繰り返して何度も聞こえる。
理由3:石器作りの現場には表現するべき具体的対象が多く存在する。石器作りには多くの工程が必要だが、そのおかげで現場にはその工程を代表する具体的なモノ(・・)が存在しており、複数の個人で同一のモノ(・・)を対象として共有しやすい。
理由4:石器作りを教え、教えられる関係には、個人的な表象を他の個体に共有させる階層性がある。個人が、自分の頭の中で特定の音節を複雑なイメージの表象として連合させることは特に難しい話ではない。しかし、個人的な表象を、他の個体と共有するためには、表象されている具体的モノ(・・)を先ず共有することが必要で、それを共有した上で、誰かがそのモノに対応する(表象する)音節を提示し、他の個体にもモノ(・・)と音節の関係を共有してもらう必要がある。理由3に述べたように石器作りの現場にはこの具体的モノ(・・)が存在し、指差しでそれを共有できる。
その上に、教える側と、教えられる側の階層が存在することも重要だ。具体的モノ(・・)を前にしても、それぞれが勝手な音節を提案するのでは収集がつかない。しかし、教える側がはっきりしている場合は、主導権を教える側が持って、モノ(・・)と音節を関連づけ、相手に共有させることが可能になる(図3)。

図3 具体的なモノの共有、上下関係、様々な音がある現場でこそモノと音節の対応が共有される

イラストの出典:無料サイトPixabay
理由5:石器造りで発生する音は時に音楽的だ。道具を作る過程で出る音を音楽に取り入れる能力でワーグナーは天才と言えるが、道具作りも手馴れてくると、自然にリズムに合わせて工程を進めることも行われただろう。音楽が感情を表現し伝える手段だとすると、道具を作る時の音を聞きながら、音楽を思わず口ずさむこともあっただろう。
一方、音節が中心の言語が生まれるまでは、コミュニケーションにはジェスチャーとともに、スティーヴン・ミズン(Steven Mithen)のいうような音楽的フレーズも感情を伝えるために使われたと考えられている。例えば「オーケー」とか「グーーーッド」とうなづくような感じだ。とすると、この現場には声もあふれていたと思える。
もともと、石器作りを教えるためには、高いレベルのコミュニケーションが必要になる。このため、S言語発生前から、音楽的発生でのコミュニケーションを図ろうとする努力は日常的に行われていたと思える。
理由6:石器作りの現場には自然に文法が生まれる。石器作りでは、プランに基づいてどう身体を動かすかが問題になる。既に文法のルーツの一つは身体の動きの手順だと提案したが、その意味で石器作りを教える過程で音節を使った単語が生まれたとすると、それを並べる統語も自然に生まれたのではと考えられる。
以上、私が石器作りを教えていた工房こそが、S言語発声の現場だと考える理由について述べたが、全て私の妄想として聞いておいていただきたい。
大事なことは、このように音節を用いてコミュニケーションが図れることが理解されると、S言語は急速に仲間に広がることだ。これは、すでにニカラグアのろうあの子供達の手話が共有されていく過程の解析から明らかになっている。最初、2−3人の少人数の中で生まれたサインが瞬く間に集団全体に広がり、今度はあらゆる場所で新しいサインが作られ、広がっていく。
手話と比べた時、音節を用いるS言語は、表現力だけでなく、表現のスピードでも高い能力を発揮する。この便利さが一旦認識されると、石器作りの現場以外でも新しいボキャブラリーを形成する過程が進み、集団で共有するボキャブラリーは急速に拡大できると考えられる。
この結果、より複雑なコミュニケーションが可能になれば、もちろん優れた石器を開発する能力も高まるだろう。しかし石器の機能に差がないとしても、音節を単語として複雑なコミュニケーションを迅速に行える能力は強い武器として、それを持った集団と、持たない集団の間には、大きな優劣が生まれるはずだ。
もちろん、それまでのジェスチャーや単純な発声だけでは表現できない高いコミュニケーション能力を手にしたいという必要性と、ここに述べたような条件が揃えば、S言語の誕生は石器作りを教える現場である必要はない。
最後にもう一つ妄想を述べると、同じ現場では、絵を使うコミュニケーション手法も誕生しただろう。実際、多くの職人さんも、技術を伝える時、絵を使うことが多いと思う。とすると、石器作りを教える現場は、S言語とともに将来の文字誕生のきっかけになったのかもしれない。
これでようやく言語誕生について終えることができる。次から、言語と文字の統合の問題をかんがえる。
[ 西川 伸一 ]

言葉の流れに対する脳の反応
2018年4月2日
言語の誕生については前回で終わり、今回から文字(Writing)について考えようと準備していたが、たまたま最近、連続的に聞こえてくる言葉の流れに対する私たちの脳の反応についての面白い研究を読んだので、予定を急遽変更し、今回はこの問題を取り上げたい。
言うまでもなく言語は私たちの脳活動から生まれた情報メディアで、個人の脳のネットワークに集め、記憶し、処理した内部・外部からの情報を、ほぼ同時的に他の個体と共有できるようにして伝達することを可能にした点で、それ以前に生物活動から生まれたDNAを含む情報メディアとは全く異なっている(言語の起源I参照)。しかしこの情報メディアは、完全に脳の活動に依存しており、言語情報は他の人間の脳回路へと集められ処理されてはじめて情報として機能する。すなわち、私たちの脳が音として流れてくる言語を聞いた時、音節で区切られた単語が集まった文章として表象された情報に注意を向け、その表象を脳内に長期記憶として持っている様々な表象と参照しながら、脳回路上の新しい表象へと転換しなおすことで、情報を理解している。従って、言語を聞いて、情報として脳内に新しく表象し直すまでの過程を知ることは、人間の脳科学に残された重要な領域だ。
言語誕生以来、私たちは言語をそれが実際に使われているのを聞いて経験する中で獲得してきた。これは学校で何かを論理だって習うというのとは違っており、単語とその時の経験を連合させる過程を繰り返しながら、単語の意味を理解し、ボキャブラリーを増やす、一種の記憶過程だ。早い遅いはあってもほとんどの子供が3歳前後でかなりの数のボキャブラリーを習得し、言語を自発的に話せるようになるのは、言語自体が人間の脳の一般的発達過程にうまく適合していることを示しているのではないだろうか。
これは、言語か各個人によって別個に習得される必要性があることから、言語自体もこの習得過程に適するように進化して来たと考えるとわかりやすい。この言語の特徴を、以前紹介した(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000011.html)Deaconは、昔アップルコンピュータがアイコンを用いた画面を使って、PCオペレーションを私たちユーザーの脳に合わせるという革命を成し遂げたことにたとえている。この例えを使うと、PCが私たちの脳に合うように進化したのと同じように、私たちが経験を通して学びやすいように言語も進化しているというわけだ。
ただ、この考えが本当かどうかを判断するためには、脳が言葉の流れとして表象されている情報を、どのように処理し、脳回路を書き換えるのか理解する必要がある。現在の言語は我々の脳にフレンドリーだとしても、聴く前から情報の内容がわかることはない。順序だって並ぶ単語を一つづつ聞きながら、全体の情報の意味をどこかの時点で理解する必要がある。
この時成人の脳でどのような過程が起こっているのか想像すると、一つ一つ流れてくる単語を、作業記憶として処理しながら、意味を理解するために作業記憶を長期記憶や、意味記憶と常に参照しながら、情報をまとめ上げていると想像できる。長期記憶や意味記憶が脳内の様々な場所にバラバラに蓄積されているとすると、言葉を聞いて理解する過程は、多くの脳内領域が作業記憶と参照される脳全体の活動だとわかる。問題はこの過程に対応する脳過程をどう観測するかだ。
これまで脳の活動を記録する様々な方法が開発されているが、PETやMRIは脳の興奮に伴う血流の変化を調べる検査法であるため、実際の活動と、検査上の変化とどうしても1秒以上のズレがあり、流れてくるそれぞれの単語に対する反応をリアルタイムで調べることは難しい。このため、どうしても脳の電気活動を調べる方法に頼ることになる。研究者側から見て一番望ましい検査は、脳内に電極を電気活動を拾うことだが、おいそれとできる検査ではない。結果として、いわゆる脳波計(EEG)を用いる検査が行われるが、痒い所を「布団の上」から搔く様な話で、頭蓋の外から記録される電位変化の解釈は難しい。しかし、他に簡便な方法がない以上、EEGを出来るだけ多くの領域から記録し、得られる波形をコンピュータを用いて解析する方法が進んだ。特に、時間的に連続して生起するイベントに対するEEGの変化をEvent related potential(ERP)と呼び、小さな波形の変化を抽出して解析する方法が進んだ。
そして1980年、この分野で最も影響力の高い論文がKutaとHillyardによりScienceに発表された(Science 207:203, 1980)。 この論文で示されたのは、文章を聞いている時、急に文脈に合致しない単語が紛れ込んでいると、その単語を聞いてから約400ms後にEEGの波形が明らかに変化するという現象で、N400としてこの分野で最も重要な現象として研究されている。
彼らの総説から例を挙げてみよう。「彼は毎日ヒゲと町を剃る」という文を聞いた時、文章の中の町という単語は場違いであるとだれでも思う。実際、脳の方も困惑しているのか、「町」という言葉を聞いた400ms後に電位が高まるのを観察することができる。これが、N400の発見だ。
N400はその後40年近く、文章として表象される言語に対する脳の反応を検査するための重要な指標として研究されてきた。個人的な解釈を述べるのを許してもらうなら、N400とは聴きながら作業記憶として処理する単語やその並びを、これまで脳内に形成した長期記憶と参照しながら、一つの情報へとまとめ上げる作業過程と言える様に思える。そして、文章を聴き終わるまでに、私たちは文脈を理解しており、このため逆に場違いな言葉が紛れ込むと、強く反応してしまうことになる。
考えてみると、3歳までの発達期で私たちは場違いな単語と出会うという経験を繰り返してきたはずだ。単語自体は抽象的で何の実態もない。したがって、脳内の長期記憶と対応付けられないと、全ての単語はその場に合致していないことになる。とすると、発達期に耳にする単語は全て場違いな単語で、長期記憶と連合できないという点で、意味をなさないはずだ。しかし、音と具体的な情景や物が繰り返し連合することで、単語とともに言語としての認識が、長期記憶として脳に蓄積されていく。そして、言葉を聞くたびに、外界の表象とともに、言語として蓄積した長期記憶が参照される。これが、N400として記録される過程ではないだろうか。
面白いことに、N400は例えば音楽を聴いていて不協和音や雑音を聞く時には観察されない。このことは、音楽と言語の把握が大きく異なるメカニズムで行われていることを示すとともに、N400が、言語意味が問題になるEPR過程に限定されるプロセスである過程を強く示唆している。N400という現象論が、より実際の経験や理解に転換するためには、これまでとは異なる新しい方法が必要になるだろう。しかしEEG検査は幼児期から可能な検査であることを考えると、今のままでも、発達段階で言語体験とN400を調べることで、言語についてさらに新しい発見がある予感がする。
このようにN400は奥の深い研究領域で、完全に理解されているわけではなく、これ以上説明するのはやめるが、とりあえず概要を理解してもらったところで、今日紹介したいと思っているのが、私がN400のことを知るに至ったダブリン大学からの論文で、N400をヒントに、言語理解の新しい展開を模索している。タイトルはElectrophysiological Correlates of SemanticDissimilarity Reflect the Comprehensionof Natural, Narrative Speechで雑誌Neuron 5月号に発行予定だ。
N400はたしかに言語に関わる過程の研究指標としては優れている。ただ、場違いな単語を滑り込ませるなど、これまでどうしても自然な言語からはかけ離れた人為的なセッティングで研究が行われてきた。
この研究の目的は、これまでのような人為的設定ではなく、自然な話し言葉の中で個々の単語に対するN400に相当する脳の反応を調べるための、新しい方法の開発だ。脳の記録自体は、EEGを用いる点で特に代わり映えはしない。また、脳波の小さな変化の中からN400に相当するコンポーネントを小さな波形の変化の中から取り出すこ方法も今の方法で十分だ。しかし、自然な言語に対する脳の反応を調べるためには、私たちが頭の中で行っているのに近い形で、それぞれの単語の間の関係性を評価する必要がある。例えば、机とりんごは大きく違っているが、りんごとみかんは近いといった関係だ。
このために、著者らは文章の中に出てくる単語の持つ400種類もの性質を元に400次元空間上のベクトルとして定義し、この値を基礎に個々の単語の持つ違いを、この空間上の距離として数値化した。この方法の詳細を理解しているわけではないが、人間が恣意的に単語同士の距離を決めるのではなく、各単語の使われ方を基盤にして、単語間の違いを独立に決めたところが重要で、これにより初めて独立した言語と、人間の脳の反応の相関を数値として調べることが可能になる。400次元と聞くと難しそうだが、おそらく自動翻訳などでAIを使って単語間の近親性を計算しているのと同じことだと思う。私たちは意味と言うと、すぐに自分の経験で考えるが、AIが発達した今は、このように多くのパラメーターを使った多次元空間での距離で定義することは普通に行われていると想像する。
様々な文章を聞かせて、EEGを記録し、文章に含まれる単語とEEGの反応の相関を調べていくと、単語自体ではないが、続いて現れる各単語間の距離と、200-500msで現れる電位とが高い相関を示すことが明らかになった。これをtemporal response function(TRF)と呼び、指標としてEEGを解釈することで、独立に定義した言語空間と脳の反応の相関が生まれる脳のメカニズムを探っている。
この論文の最も重要な発見は、ここで定義された単語同士の距離は、ランダムに単語を聞かされても、TRFを誘導しないことだ。例えばone fishと聞くときもちろん意味を理解することができるが、oneとfishの単語としての意味論的差異は大きい。驚くことに脳波、このone vs fishの違いにしっかりと反応し、fishと聞いた後300-500msでTRFの低下がみられる。すなわち、文章内の単語間の意味の違いの大きさに脳波がしっかり反応している。
しかし、同じ単語の組み合わせでも、同じ文章を逆さまに読んで聞かせた時にはTRF決して現れない。また、意味のある文章でも、周りのノイズにより理解が邪魔されると、やはりTRFは現れない。逆に、文字を見ながら文章を聞かせて理解を高めると、TRFがさらに明確になる。
これが結果の全てだが、単語間の距離という文章を構成している部分が、文章全体の文脈の中で連続的に評価されていることが大変よくわかる。この文脈を私たちが長期記憶として持っている言語空間と参照されることで形成されていく意味と捉えるとN400やTRFがこの400msの間に起こっている過程を反映しているのは納得できる。
以前言語の2重構造について述べ、言語は個人の空間と、個人とは独立した社会が形成する言語空間をもち、それぞれは相互作用しながらも、独立して言語を進化させることを述べた(言語の2重構造参照)。私は、今回紹介した論文を読んで、この2種類の言語空間を脳科学的に扱えることを確信した。今後も是非この分野に注目して行きたい。
ちょっと脱線したが、次回からは文字について考える。
[ 西川 伸一 ]

カテゴリ:生命科学の現在

8月20日 アルツハイマー病の新しい治療標的(8月14日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2019年8月20日

アルツハイマー病研究の基本は現在も、異常アミロイド(Aβ)とTauの制御だが、この上流、下流についての研究は多様性が増して、あらゆる可能性が試されるという新しいフェーズに入った感がある。

今日紹介するテキサス大学からの論文は、Aβとグレリン受容体との関係を追求した研究で8月14日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Disrupted hippocampal growth hormone secretagogue receptor 1a interaction with dopamine receptor D1 plays a role in Alzheimer′s disease (海馬でのsecretagogue受容体(GHSR1a)とドーパミンD1受容体(DRD1a)の相互作用の阻害がアルツハイマー病の発症に関わる)」だ。

タイトルにあるsecretagogue受容体は、国立循環器病センターの寒川さんらによって発見されたグレリンの受容体で、下垂体の成長ホルモンの分泌に関わるが、海馬ではドーパミン受容体と相互作用を起こして、シナプス活性を促進することが知られていた。この研究は、この GHSR1a と DRD1 の相互作用をAβが阻害して、アルツハイマー病の記憶障害が起こるのではと仮説をたて、これを検証している。

まず、アルツハイマー病(AD)モデルマウスを用い、ADでは海馬のGHSR1aの発現が上昇していること、そしてGHSR1aがAβと結合していることを発見する。そこでGHSR1aを培養細胞に発現させてAβとの結合を見ると、切断されたAβ42のみGHSR1aと結合できることを明らかにしている。

次に、同じ細胞を用いてAβによりGHSR1aとDRD1との相互作用が抑制されること、そしてADマウスでは時間とともに海馬での両者の結合が低下しており、この結果海馬のシナプス密度と機能が低下し、記憶障害が起こっている可能性を示している。

以上の結果は、AβによりGHSR1a/DRD1相互作用が拮抗的に抑制されていることを示しているので、これをそれぞれの受容体に対する刺激剤で高められるか、まず海馬のスライス培養で調べると、GHSR1a,DRD1それぞれの刺激剤では効果がみられないが、両方を同時に加えるとAβとGHSR1aの結合を抑制できることを確認する。

この結果を受けて、両方の刺激剤をアルツハイマーモデルマウスに投与すると、AβとGHSR1aの結合が低下、シナプスの密度が上昇し、記憶が正常化することを明らかにしている。この様に薬剤で機能的回復が誘導できるが、AβやTauの蓄積自体にはこの治療法はなんの効果もないことも示している。

以上、根本原因は除去できておらず、その結果としての神経変性については抑制できない可能性が大きいが、記憶の低下を防げるだけでも患者さんは助かる。相手が大きいと、一つでも対策が多い方がいいのは当然だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

生物情報の進化  II 脳進化からフロイトまで

2019年8月19日

神経ネットワーク情報システムの発展

2017年2月1日

神経系もゲノム進化の産物だし、脳を含む神経ネットワークの発生には、ゲノムの指示と一体化して展開するクロマチン情報の変化が必要だ。当然、「心は身体に依存している」と同じ意味で、神経ネットワークは身体に依存し、またゲノムやクロマチン情報に依存している。それでも前回述べたように、膜電位の脱分極の伝搬による興奮の伝達および、シナプスを介する方向性を持った細胞から細胞への興奮伝達という原理を共有する細胞のネットワークは、作動原理から見たとき、身体、ゲノム、クロマチン情報など、神経系誕生前に生物を支えてきた情報システムから大幅な自由度を勝ち得ている。ともすると私たちが簡単に心身2元論の罠に落ち、「心と体」を分けて考えるのも、この神経系の独立性のゆえんだろう。

この様に、独自の原理を持ち、他の情報から大幅に独立した神経ネットワークは、それに参加する神経細胞数さえ増やせば、ほぼ無限に解剖学的・生理学的に複雑化することが可能で、事実これまで質的にも、量的にも複雑化する方向に進化を続け、カンブリア大爆発、そして現在の地球上での人間の繁栄の原動力となってきた。そこで、この過程で身体から大幅な独立を果たした神経系に加わった幾つかの重要な性質について順に考えてみたいと思う。

この進化が到達した地点は例えば次の文章を読めばよくわかる。

「星野温泉行のバスが、千ヶ滝(せんがたき)道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照らされて樹脂中の揮発成分を放散するのであろう。この匂いを嗅ぐと、少年時代に遊び歩いた郷里の北山の夏の日の記憶が、一度に爆発的に甦って来るのを感じる。」

寺田寅彦の随筆「浅間山麓より」(青空文庫掲載)の一節だが、私たちは森の緑を目にし、松の匂いを感じたとき、遠い少年時代の思い出を鮮明に呼び起こすことができる。

いうまでもなく、ここに書かれた現象は全て神経細胞同士の結合が可能にしている過程だ。

今回は、このような地点に到達するまでに神経ネットワークが獲得してきた幾つかの重要な特徴について考えてみたい。ただ、神経や脳の特性について詳細な説明をしようと思うと、まさに脳科学の教科書を書くことになり、私の任ではない。ここでは、神経系を情報の観点から整理しなおすとき、私が押さえておきたいと思う点について、独断を交えて短くまとめてみようと思っている。

物理刺激の受容

私たちは、視覚、触覚、聴覚、温覚、嗅覚、味覚の6種類の感覚を持っていおり、どの刺激であれ感覚細胞が共通に使っている陽イオンチャンネルは原核生物から存在する。また、光合成に見られる光を化学反応に変化させる仕組や、鞭毛などの運動メカニズムに見られる仕組みは、光や圧力といった物理的刺激の受容に準備が整っていたことを意味している。

以前「神経細胞の誕生」について説明した時にも議論したように、(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000021.html)、視覚、触覚、聴覚、温覚など物理刺激を受容できる能力の獲得は、自己と関わる環境の範囲を大きく拡大させ、生物進化を多様化、複雑化への方向へ進める原動力になった。すでに光合成で色素を使い、鞭毛など細胞運動のメカニズムが存在する生物界で、これに陽イオンチャンネルがリンクするのは当然だろうが、この結果が生物に与えた影響は想像以上に大きい。

例えば視覚を考えると、この重要性がよくわかる。人間の存在しない地球では、光刺激の起源はほとんどが地球から遠く離れた太陽や月で、ここから発する光は生物が生きる環境からの刺激として最も重要なもので、実際多くの生物が光に支配されて活動している。この光の変化に合わせて活動しやすい様、環境をゲノムへと自己化した慨日周期をほとんどの生物が持っていることはこの証拠と言っていいだろう。しかし、この光の元は遥か離れた空の上の、生物が到達できない場所にある。すなわち、視覚は私たちの周りの環境の範囲を急激に拡大させた。

物理刺激のもう一つの特徴は、変化が早いことだ。太陽の光は持続的でも、あっという間に遮ることができる。光のスペクトル(色)の変化になると、反射する物体が変化することで刻々変化する。

このように物理的刺激の受容が可能になることで、環境として生物が受容できる領域は無限の空間範囲へと拡大し、また変化のスピードも速くなった。この結果、(認識するしないに関わらず)生物は空間的・時間的に膨大な環境の変化によく言えばアクセスできるようになり、悪く言えばさらされ続けることになった。

この結果、生物は膨大な物理的刺激に関する情報が溢れる中で生活することを運命づけられる。これに対し、味覚や嗅覚は広がりがない。この差は、感覚が脳のマッピング能力と結合した時大きな違いとして現れるが、これは後で議論する。

脳の発達:トップダウンの神経細胞形成

以前に(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000021.html)述べた様に、神経系が特定できる最も下等な動物はイソギンチャクなどの刺胞動物や、クシクラゲに代表される有櫛動物だが、これらに認められる神経細胞は、階層性のない分散型ネットワークを形成している(図1トップ)。このような動物では神経細胞は腹側の上皮層でバラバラに分化し、身体中に広がりネットワークを形成する。系統上もう少し進んだアメフラシになると神経系の階層化が始まり、神経細胞が集まった神経節がうまれ、そこから伸びる神経軸索は束ねられる。神経節では、様々なインプット、アウトプットを連結することで、ネットワークを複雑化することが容易になる。そしてこの究極に、神経系の全てと結合した脳が現れる。


図1:神経構造の系統樹: Linda Z Holland et alの論文より転載(Hollad et al, EvoDevo 4:27, 2013)

こう述べると、神経節や脳の進化が、ポリプのように分散して存在する神経細胞をまず神経節へとまとめ、最後に神経系全体が結合し合う脳へとまとめていく、ボトムアップの過程を想像してしまう。しかし実際には、分散型の神経ネットワークと、脳を持つ神経系の発生様式は根本的に異なっている。

脳を持つ動物の代表は、昆虫と、脊椎動物で、図1からわかる様に、昆虫に代表される旧口動物と脊椎動物に代表される新口動物は、それぞれ独立して進化したと考えられている。にもかかわらず、脳、神経節、神経束、そして末梢神経と続く神経系の階層構造はよく似ている。しかも、この類似性は構造だけではなく、それぞれの神経領域を決定する遺伝子群の発現にも見ることができる(図2)。


図2 ショウジョウバエとマウスの脳の領域化に関わる遺伝子:Hollandの論文より転載。同じ色で示した遺伝子は、相同遺伝子。

これら階層化された神経系の発生では、ポリプのように神経細胞が個別に上皮から分化することはない。昆虫についてはショウジョウバエしか知識はないが、神経はすでに領域化されたそれぞれの体節で上皮から分化した神経芽細胞が、広がることなく局所で分裂し神経細胞塊をまず形成する。脳は、体節のない頭部に神経芽細胞の集団が現れ、分裂して将来脳になる塊を形成する。

すでに領域化した上皮細胞から神経細胞が形成されるのは脊髄動物も同じだ。脊椎動物の場合、上皮からまず神経管が形成され、神経管の中に神経細胞が分化増殖して細胞集団を形成する。また、頭部も同じ様に、領域化した上皮が陥入し、それが神経細胞へと分化することで形成される。このように昆虫も脊椎動物も、神経が分化する前にボディープランに合わせた上皮の領域化が起こり、領域化された細胞が神経細胞へと分化することで領域性と階層性をうまく両立させたトップダウン方式の神経発生が行われる。この方式は、体節を基礎とする分節化したボディープラン形成という新しい発生過程の進化にあわせて新たに生まれた神経発生様式といっていいだろう。

新口動物と旧口動物は独自に進化したと考えられているが、両者に見られる神経系の類似性から、両者の分岐点に、神経発生をボトムアップ型からトップダウン型へとシフトさせた共通祖先がいるのではと考える人が多い(図2)。

これに対し、ギボシムシに代表される、脳を持たない半索動物(図2、3列目)も新口動物に分類されることから、この類似性は偶然の産物で、脳のような究極の階層性を実現するためには、まず上皮の領域化として現れたボディープランの助けを借りる以外の方法はなかったからだと考える人たちもいる。

いずれにせよ、脳の誕生により、脳に全てを集中し、また脳から全てが出ていくという階層を誕生させることが、神経系が新しい機能を続々と開発した最も大きな基礎となった。

表象とマッピング

脳という神経ネットワークの集中が可能にした最も偉大な機能は、身体や環境の変化を神経ネットワーク情報に転換し(表象し)、対象の空間や時間関係をマッピングする機能だと言える。少し抽象的でわかりにくいと思うので、具体的例を見ながら説明しよう。

まず図3を見てもらおう。これは、私たちの体各部位の運動・感覚神経が、脳のどの部分と結合しているかをマッピングしたもので、ペンフィールドのホムンクルスとしてよく知られている図だ。この図は最初、カナダの脳外科医ペンフィールドが、意識を保ったままの開頭手術の際に、脳を刺激して体の各部位と脳の領域の関連を記録した研究に基づいて描かれた。大脳皮質の運動野と、感覚野にほぼ同じ様な小人の図を書くことができる。


図3 この図は、例えば体の各部位の感覚が脳に集められており、各部位が投射する場所が大脳皮質上に地図として描けること、言い換えると大脳皮質の感覚野に表象されていることを示している。

末梢と中枢の神経投射が脳皮質上に一定のパターンで分布するのは当然だと考える人は多いはずだ。しかし、この図は決して末梢との連結だけを反映しているのではない。末梢から刺激が繰り返されると、今度は脳自体の回路に体の各部からの刺激が記憶され、神経連絡がなくなってもこのパターンを保存することができる。すなわち脳回路の特性へと転換された表象は、末梢からの刺激が途絶えても、末梢の感覚として維持される。このことは、何らかの原因で急に腕が切断された人たちが、あたかもまだ腕がある様に錯覚する幻肢という現象を経験することからわかる。この現象は当初、切断された断端に残った神経から直接脳へ信号が送られるため生じると考えられていた。しかしその後の研究で、私たちの脳内に形成された腕の各部に対応する脳内の刺激の記憶が、末梢からの信号が途絶えた後も、自発的な興奮を続けることで、錯覚を発生させると考えられる様になっている。すなわち、末梢と直接的連結が失われても腕の記憶を呼び起こせるということは、脳自体の神経ネットワークの特性として、腕が表象できていることを示している。

幻肢では、私たち自身の体が脳に表象されるが、脳が表象できるのは体にとどまらず、私たちの周りの環境も同じように表象されていることを明確に示したのは、2014年のノーベル賞に輝いたオキーフ及びモザー夫妻による、場所細胞とグリッド細胞の発見だろう。図4はノーベル賞受賞理由に使われた図1、2を和訳してそのまま転載したものだが、私たちの体と物理的結合や関係のない場所情報が、脳内の場所細胞やグリッド細胞の空間的配置として表象されていることを示した。


図4:場所細胞とグリッド細胞 (C) The Nobel Assembly at Karolinska Institute

このように脳が誕生したことで、様々なインプットやアウトプットを脳内の神経ネットワークのパターンとして表象することが初めて可能になった。

ここで大事なことは、環境の空間的時間的変化を、脳内の神経回路の特性として表象することができるということは、まさに以前紹介したチャールズ・サンダース・パースのシンボル記号関係を環境や身体と脳回路の間で形成することができるようになっている点だ(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000012.html)。

このマッピング能力、表象能力に、記憶が合わさると、自己や意識が始まるが、これについては次回に回す。

[ 西川 伸一 ]

脳の自己

2017年2月15日

脳を頂点とする階層的な神経回路による新しい情報システムの誕生で可能になったことについて書いた前回の内容をまとめると、

  1. 1)様々な物理的刺激を受容することが可能になり、個体が経験する環境の範囲が急速に拡大する。
  2. 2)結果、生物はほぼ無限とも言える刻々(ms単位で)変化する情報にアクセスし、またそれに対する迅速な反応が可能になった。
  3. 3)神経回路に対する体内・体外からの様々な刺激を脳内の神経回路内に表象し、そのイメージを記憶することが可能になった。

になる。

古来人間の最大関心事である自己や意識はこれを基盤として新たに生まれた高次情報だが、その発生のためには、脊椎動物の脳構造の大きな変化が必要だったので、まず構造の進化を簡単に確認しておこう。

脳の急速な増大

脳神経回路を媒体とする新しい情報システムの進化過程では、一貫して脳の神経細胞数が増え続けてきた。例えばマウスは約2億個のニューロンがあるが、人間ではその数は1600億個にのぼる。闇雲に回路を複雑にすれば高次機能が生まれるわけではないが、素子数を増やすことで発展してきたコンピュータを見れば、まず細胞数を増やすことが必要であることは直感できる。実際全く異なる情報システムであるゲノムも進化の過程で塩基数が増大し、ゲノム内の構造も複雑化してきた。


図1:進化の過程で前脳が急速に拡大する。これに続いて、サルやヒトでは皮質を陥入させ脳のシワ(脳溝)を形成することで、体積以上の皮質の拡大が可能になった

脳は大きく分けて、後脳、中脳、前脳、および嗅球に分けることができるが、図に示したように脊椎動物進化では、もっぱら前脳を拡大させてきた(図1)。

前脳皮質の神経細胞を増加させるメカニズムだが、脳室のsubventricular zone (SVZ)で水平に幹細胞を未分化なまま増殖させて皮質面積を拡大するとともに、増殖している幹細胞が今度はradial glial cellに沿って縦に細胞を供給し、順番に異なるタイプの神経細胞へと分化することで縦に厚みが増すことで達成されている(図2 Montiel et al, Journal of Comparative Neurology, 524:630, 2016 より転載)。


図2 哺乳動物、鳥類の皮質神経細胞を縦に並べていく神経形成の様式について示している。神経細胞を作る幹細胞がまず水平に広がり、この細胞から造られた神経細胞はradial glial cellに沿って移動しながら分化し、細胞数を増やす。

ただ脳の表面をそのまま増大させるだけでは、脳のサイズという物理的限界に当たる。そこで脳進化の過程で、皮質が立体的に陥入するいわゆる脳のシワ(脳溝)が形成される様になり、このおかげで、サルから人間の進化の過程で脳の皮質面積は急速に増大する(脳溝は図1の人間の脳参照)。

同じ幹細胞に由来する異なるタイプの神経細胞が縦に並ぶことで脳皮質の層構造(6層)ができる。この縦に並んだ細胞からできる層構造が最小セットとなり、この単位が横に束ねられ、細胞同士がネットワークを作ると、カラムと呼ばれる脳の最小機能単位が出来上がる。このカラム構造では、各層の神経細胞の反応性は似通っている(例えば同じ方向の動きに反応するなど)。この様に、脳では細胞数がただ増えるのではなく、小さな単位のネットワークが集まってモジュールができ、それがまた集まってという様に、ネットワークは階層的に拡大していく。

以上が脳のサイズ拡大を支える解剖学・細胞学的の知識の基本だ。この基盤の上に、自己や意識が生まれる。

自己の誕生

自分の行動を他の動物と比べ、また自分の過去を振り返れば、自己や意識が脳の進化とともに現れ、また「物心つく」と言うように、自己や意識が一人一人生まれてから新たに発生することがわかる。もちろん古来、自己や意識は人類にとっての最大の謎で、哲学から生物科学、神経生物学、心理学まで多岐にわたる議論が続けられてきた。当然この話題についてのすぐれた著作は多く、本当は私の出る幕ではない。しかし脳神経回路を媒体にする情報の理解なしに、生物の情報の進化を構想することはできないので、この問題についても私なりの理解をまとめておくことにした。

まず問題は、自己から始めるか、意識から始めるか、あるいは同時に扱うかだが、両者は脳の最も高次の機能として密接に関連し合っているため、どちらがより重要とか、どちらが高次とか決めることはできない。

脳神経系以外の自己

そこで「エイヤ!」と「自己の誕生」から始めることにした。というのも、自己という言葉は、脳神経回路情報だけでなく、様々なレベルの生物活動に対して使われる。私自身も原始ゲノム誕生について説明した時、「ゲノムの自己性」と、この言葉を用いた。実際、私たちは「細胞の自己」のように脳神経系が存在しない生物に自己を使っている。例えば自己複製という言葉は最もポピュラーだろう。他にも、昨年のノーベル賞に輝いた大隅良典さんの「オートファジー」も、細胞の自己を想定した使い方だ。

これらの場合で、「自己」の意味する内容を考えてみよう。ゲノムの自己と私が呼んだ場合はひと塊りの核酸が周りから完全に分離し、その上で自律的な複製能力を持つことが条件となっている。これが単細胞動物となると、内と外を隔てる細胞膜が存在するため周りからの分離はさらに明確になる。ただ、シャボン玉のように膜で周りから分離される状態が維持できても、自己性があるとは思わない。周りの環境から完全に分離するとともに(自己と外とに境界線を引くことができる)、同じ細胞(境界の内側)を自律的に複製できる能力があって初めて自己性があると言える (熱力学的条件などは自己複製で全て表現できている)。周りから完全に分離して、自己複製能を持つことが、「自己性」成立の条件だ。

多細胞動物になっても、個体の内と外ははっきりと分けることができるため、細胞と同じ意味で「個体の自己」を使うことができる。ただ場合によって「個体の自己」と「細胞の自己」が分離することがある。最も分かりやすいのがガン細胞で、個体から独立して勝手に増殖すると同時に、ゲノムも個体とは異なっていると言える。この極端な例が、ハマグリやタスマニア・デビルに見られる、個体から個体へと伝搬するガン細胞だろう。このようなガン細胞は自己性が高いと言えるかもしれない。

他に「自己」が定義されている分野が免疫学だ。

免疫学はジェンナーによる種痘の成功により認識された「2度なし現象」(一度感染すると次に感染しない)についての研究がはじまりで、パストゥールの狂犬病ワクチン(抗原の概念)、そして北里・ベーリングによる免疫血清療法(抗体の概念)の開発により、外来抗原に対する特異的な抗体反応という概念が確立する。

このように最初、外部から侵入する病原体への防御反応機構として始まった免疫学は、ランドシュタイナーらによる血液型の発見により、免疫系が自己の成分と非自己の成分を区別できることが明らかになる。その後、臓器や組織の移植研究から、移植抗原が(MHC)が異なる他人からの組織に対してだけ強い免疫反応が誘導されることが明らかになると、「自己と非自己の区別」は免疫学の最重要課題になる。

20世紀後半に始まる免疫学の大きな進展により、免疫系が自己成分とそれ以外をどう区別するかについてはすでに詳しくわかっている。詳細を省いてこのメカニズムを見てみよう。


図3:免疫系の自己と非自己の識別:説明文中

免疫反応にはT細胞とB細胞が関わっているが、原則的にはどちらの細胞も自己の成分に対しては反応しない。これを、自己成分に対する免疫寛容と称している。この寛容には2種類の戦略が存在している。最初の戦略は、リンパ球の分化がまだ未熟な段階で抗原刺激を受けると、成熟後におこる細胞増殖や分化の代わりに細胞死が誘導される。発生初期から体内に存在する自己抗原は、未熟な段階のリンパ球と反応することができこの結果自己の抗原に反応するリンパ球の細胞死を誘導して免疫システムから除去している(図3)。この過程は、T細胞では胸腺内、B細胞は骨髄内で行われる。

もう一つは我が国の坂口志文らにより明らかにされた戦略で、細胞死による寛容とは逆の戦略と言える(図3)。この戦略は制御性T細胞と呼ばれる特別なポピュレーションだけで見られる。制御性T細胞が自己抗原と出会うと、細胞死の代わりに活性化され、長期間体内で生存できるようになる。これにより後にキラーT細胞のような他のリンパ球集団が同じ自己抗原に反応しようとするとき、その細胞を抑制し、自己抗原に対する反応を抑制する。

このように免疫系の多様な認識システムは、発生過程で生成的に形成される。こうして生成される免疫系の自己とは、免疫系の抗原受容体が認識できる自己抗原の総体と定義でき、これらの抗原は免疫系が反応できないレパートリーとして免疫系に表象される。言い換えると、自己抗原は発生初期の選択の結果、細胞死による「レパートリー欠損」として、あるいは自己反応性抑制性T細胞レパートリーの長期維持として表象されている。自己の範囲に境界線を引くとすると、免疫の自己とは、成熟後の免疫系が反応できない抗原として線引きができる。

実は免疫システムにはもう一つの自己認識がある。それはMHC restriction(組織適合抗原拘束性)と呼ばれるT細胞の認識方法だ。抗体と違ってT細胞の抗原受容体は、抗原をそのまま認識することまずない。代わりに、図4に示すように、まずタンパク質はプロテアソーム(タンパク質分解酵素複合体)でペプチドへと分解され、それが自己のMHCと結合したときに新たに生まれる分子構造を認識している。


図4 T細胞抗原受容体は、一度自己MHCに参照できたペプチドだけを認識する。Wikipediaを改変転載。

言い換えると、自己、非自己を問わず、T細胞抗原受容体に対する抗原は小さなペプチド+自己MHCで、抗原は自己のMHCと結合するかふるいにかけられた後、T細胞抗原受容体で認識できるようになる。すなわち、抗原の段階でまず自己に参照される。ただこの場合も、免疫側にとって自己ペプチド+自己MHCを含む、T細胞抗原受容体が反応できない全ての抗原が自己と認識され、これは抗原に反応できるT細胞受容体のレパートリー中にぽっかりと空いた欠損として表象される。

以上、脳神経系の自己に行き着く前に、脳神経系とは異なる2種類の自己の定義について見てきた。この2つの自己をまとめておくと、

  1. 1)外界との境界を設け、境界内を複製できることで生まれる自己、
  2. 2)生成的に形成される認識系に区別して表象されることにより定義される自己

の2種類があることがわかってもらえたと思う。

一見これらは、脳神経系の自己とは接点がないように思えるかもしれないが、脳神経系に生まれる自己性は、この2種類の自己と多くの共通性を持っている。次回はいよいよ、脳神経系に生まれた自己について見てみよう。

[ 西川 伸一 ]

脳神経系の自己基盤と原始自己

2017年3月1日

個体が生まれた時自己としてのゲノムは既に決まっており、生きている間ほぼ変わることはない。しかし免疫系の自己のように、生まれたときから決まっていないものもある。前回説明したように、免疫システムの自己は、発生・発達過程で、外界、内界からの刺激に応じて生成的に形成される。

免疫系の自己と同じで、脳神経系に生まれる自己も、脳の機能がほぼ完成した後、体の内側、外側から受け続ける脳神経系への入力(経験)の結果として生成的に形成される。注意しておきたいのは、免疫系の自己とは異なり、脳神経系では、脳が受容できる入力の情報量、表象能力、情報の連合能力などは動物ごとに大きく異なっている点で、この結果、入力に応じた脳の受動的変化が積み重なった原始的な自己から、後に議論する意識も関わる能動的に形成される高次の自己まで、自己に大きな多様性が存在する。人間の脳神経系の自己はこの全てのレベルの自己が統合されて形成されているが、最初はまず内外からの入力の影響が積み重なって受動的に生成する最も原始的な自己の形成から考えてみよう。

まず脳神経系の自己を発生させるためには、それを可能にする脳の構造・機能的基盤の発生が必要になる。この脳神経系の構築に関わる最も重要な情報がゲノムで、進化、あるいは種内の個体間の多様性として生まれるゲノム情報の違いは、脳神経系の構造や機能の違いに反映される。

例えば、魚から人間まで、脊椎動物はゲノムの違い(進化の結果)に応じて、構造的・機能的に異なる脳を持っている。当然脳神経系に発生する自己にはこの構造的、機能的違いが反映される。ゲノム進化で生まれる大きな違いほどではないが、個体間に小さなゲノム変化が生じただけで脳機能の異常が生じ、様々なレベルの自己の発達障害が起こることが、人間のゲノム解析や、遺伝子操作動物を用いた研究から明らかになっている。とはいえ、自己や意識の形成に関わるゲノム進化に関するリストが増えても、構造や機能と対応付けて説明することは今なお難しい。

さて、脳神経の自己が生成的に形成されるということは、イギリス経験論を説明するのに例えとして使われる、「人生は何も書いてない白紙から始まる」ことを認めることだ。この白紙が入力を経験したことがない生まれたばかりの脳で、この白紙に刻々かわる経験の表象が記録されることで、独自の自己が形成されると考えればいい。

これまで見てきたように、脳を持つ神経系は、

  1. 1)入力を神経回路の活動へと転換し、表象する機能、
  2. 2)回路同士をつなぎ、多くの表象を関連させる機能、
  3. 3)回路の構造や機能を変化させて、表象を短期、長期に安定化させる機能(記憶)

を持っている。

これらの機能のおかげで、もし全く同じ構造の脳神経系が発生したとしても、経験する入力が違えば、それによって誘導される脳の回路の特性も異なることになる。このように、最も原始的な脳神経系の自己とは、ゲノム情報に強く支配された発生過程で形成された基盤(「自己基盤」)が、異なる経験を重ね、その一部を記憶することで、独自の構造的・機能的特性を持つ脳神経系へと変化することだと言える。

この意味で、アメフラシのような単純な脳神経系の自己基盤も、刺激を神経興奮に転換して表象し記憶することができることから、原始的自己を持っていると言える。経験したエラの刺激の強さや回数で、水管反応の特性が変わるが、この結果を我々が外から観察する時、アメフラシの間に個性が生まれると考える。これをアメフラシの側から見ると、他の個体とは異なる自己ができたことになる。もちろん、アメフラシは自己が誕生したと認識はできていないが、この点については次回以降に考察したいと思っている。

このように経験と記憶を重ねることで積み重なる神経回路の変化が原始的自己形成と考えることができる。実際以前紹介したように(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000024.html)、記憶過程は神経細胞のシグナル伝達経路や、遺伝子発現を変化させ、神経伝達因子に対する反応特性を変化させるとともに、シナプスの形態学的変化を誘導して、神経の結合性の長期変化を誘導できることがエリック・カンデルたちにより示された。もちろん、哺乳動物の脳のようにはるかに高次な脳神経系でも基本的に同じメカニズムを共有している。

最近になって神経同士の結合を支えるシナプス構造のダイナミックな変化を直接観察する研究が進んでいる。この分野の研究を知ると、私たちの脳でいかに膨大な変化が刻々起こっているのかを実感できるので、すこしだけ最近の論文を紹介する。

哺乳動物の脳でのシナプス形成の中心は、神経細胞の樹状突起から飛び出たスパインと呼ばれる構造と神経軸索との接合により担われている(図1)。この時、刺激は必ず神経軸索からスパインへと伝達される。


図1:スパインの構造:左写真に示すように、スパインは様々なサイズ、形態を呈する、神経細胞樹状突起から飛び出た突起だ。これは神経軸索と結合して、軸索の興奮を受け取る役割がある。右図に示すように、スパインは様々な形態をとるが、この形態の違いがシナプス伝達の特性の違いに結びついている。(出典:Wikipedia)

同じくウィキペディアから転載した図2を使ってスパインのダイナミズムを説明しよう。図2のAからEは一本の樹状突起から出るスパインの変遷が示されているが、樹状突起はスパインを伸ばして、複数の神経軸索と結合し、興奮を受け取ることができる。図に示されているように、学習によりスパインと軸索の結合はダイナミックに変化し、回路の特性が変化すると考えられてきたが、スパインの消長を実際に観察することは難しかった。


図2:学習過程でのスパインの変化(出典:Wikipedia)

ところが2015年夏スタンフォード大学から、生きたマウスの脳内の樹状突起から飛び出すスパインをなんと22日間にもわたって観察し続けた論文が発表された(Attardo et al, Nature, 523:592-596, 2015:論文はウェッブからアクセスできる:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4648621/)。

この研究では、樹状突起の細胞膜が蛍光を発するように操作したマウスの脳に一種の内視鏡のような長焦点レンズを挿入して、樹状突起のスパインの消長を22日間観察している。実際の像については論文を参照してほしいが、図2で示したよりはるかにダイナミックなスパインの消長が起こっている。また、中には極めて安定なシナプスを形成しているスパインが存在することもわかる。

同じ方法を用いて、学習から睡眠中という短い時間サイクルで大脳皮質のスパインがダイナミックに変化することを示した論文も最近発表された。(Ma et al, Nature Neuroscience, doi:10.1038/nn.4479)。この研究から、学習時によって一本の樹状突起から軸索に伸びるスパインの数は増加するが、睡眠(REM睡眠:睡眠中も盛んに目が動いており、夢を見ている時はこの睡眠時期にある。覚醒中に学習した記憶を整理して必要な記憶を固定化する過程に関わると考えられている)に入るとスパインは剪定され数が減る。しかし、一部のスパインではより大きな終末をもつスパインへと構造変化が起こり、このようなシナプスは長く維持されることが明らかにされた。

これはマウスの大脳皮質での観察だが、一回覚醒と眠りのサイクルを繰り返すうちに、一本の樹状突起のスパインに、目に見えない生化学的変化だけでなく、シナプスの数や構造といった目に見える形態的な変化が刻々起こっていることが明らかになった。スパインの数は1000兆を越すと考えられているが、毎日これらのスパインが発生、剪定を繰り返し、その中から長期間安定なシナプスが形成されている。このダイナミックな過程を直接観察できるとは、今後の解析が楽しみだ。


図3:自己基盤から原始自己へ:自己基盤はゲノム情報に従う発生過程により生まれる。この自己基盤としての脳回路は、体内外からの入力により書き換えられ続ける。

脳を持つ生物が生きている間様々な経験を繰り返すと、その入力により脳回路は不断に作り直される。この結果経験が異なれば、まったく同じ脳構造から始めても、それぞれの個体の脳構造は自ずと違ってくる。すなわち、独自の個性が発生する。重要なことは、この違いを生み出す原理は単純で、入力により神経回路を構成する神経細胞のスパインの数や構造を変化させておこる神経細胞同士の結合の強さの違いが生まれるだけだ。しかし、脳の細胞数が増大するにつれて、異なる強さで結合した神経同士から形成される回路は、ほぼ無限の多様性を持つことができ、無限の個性、無限の原始的自己が発生する。

私の勝手な定義と断った上で、以上をまとめると、脳神経系の原始的自己とは、生物個体の脳神経の個性のことで、経験入力により回路が書き換えられた後の脳神経系だ。従って、脳神経の原始的自己も刻々変化する(図3)。重要なことは、この脳神経系が経験する入力は必ずしも個体外からの刺激だけではなく、体の表面、内部からの刺激も入力として扱われ、原始自己の形成に関わっている。これは、免疫の自己も同じと言える。ただ私たち人間の脳と比べると、こうしてできた原始的自己は、自分で自己として認識されることはない。すなわち、脳神経システムが、脳神経システム内の自己を認識できるようになるためには大きな転換が必要になる。これについては次回以降考えることにする。

その代わり、最後に免疫系と脳神経系を比べて終わりたい。免疫系も、ほぼ無限と言っていい抗原に対して反応することができ、自己と他を区別できる。しかし、神経系と比べるとその複雑性には限界がある。この原因として、脳神経系と免疫系の情報を扱う形式が異なっていることがあげられる。

図3で示した脳神経系の原始自己と比べた時、免疫系では抗原(T細胞抗原としてのペプチドも含めて)は、抗原受容体を刺激し、刺激された細胞の特異的な増殖、生存、細胞死を誘導して、免疫担当細胞のレパートリーを書き換えることで経験が表象され、記憶される(図4)。

図4 免疫系では外来と自己抗原の区別は、反応性抗原受容体のレパートリーの差として表現されている。

レパートリーと表現したのは、個々の免疫担当細胞が異なる抗原受容体を持っており、この細胞が様々な比で集まったものが免疫系だからだ。抗原と抗原受容体は化学的に結合し、免疫担当細胞のレパートリーも抗原との化学的結合可能性と表現することができる。また、免疫システムの反応も、抗原との化学的結合を必ず前提として行われる(図5)。

ぜひここで思い出していただきたいのは、パースの記号論だ(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000011.html)。抗原刺激という経験と、その表象、記憶、反応が、抗原vs抗原受容体との化学結合を基盤として持っている点で、免疫系はパースのいうインデックス記号関係を基盤にした情報システムと言っていい。


図5:免疫系では経験とシステムの間にインデックス関係が成立しているが、神経系では、刺激はインデックス関係を経て、さらに神経回路とのシンボル関係へと変換される。

これに対し、脳神経系では入力はまず感覚神経の興奮を誘導する。この入力の時点では、感覚細胞内で光子が色素を活性化したり、ニオイ物質が嗅覚受容体に結合することで神経が興奮するため、ここでもインデックス関係が成立していると言える(図5)。しかしインデックス関係が成立するのは感覚細胞内までの話で、感覚が神経膜の興奮に転換され、全く別の神経回路として表象されると、経験と、それに対応する神経回路との間に物理・化学関係は完全に消失している。この意味で、脳神経系の経験(刺激)とその表象と記憶の関係は、パースのシンボル関係と言える。

脳神経回路を基盤とする情報システムは、おそらくDNA情報に続いて地球上に誕生した新たなシンボル情報の誕生と言っていいだろう。このシンボル情報であるということが、ほぼ無限の複雑性を獲得する重要な契機になったが、そのためにはまず意識と、脳神経回路の自己を認識できる「脳神経回路」の誕生が必要だった。

[ 西川 伸一 ]

意識と自己

2017年3月15日

ベッリーニのオペラに「夢遊病の女」という不思議なタイトルの作品がある。結婚前夜に夢遊病のために無意識になった主人公が伯爵の部屋に迷い込んで寝込んでしまうが、他の男のベッドで寝ているのを知った婚約者が「不倫だ、破談だ」と大騒ぎになる。無実の主人公は悲嘆にくれるが、今度は村人が集まっているところに、夢遊病発作で再び無意識に陥った主人公が現れ、無実が証明されるという、荒唐無稽な話だ。 音楽は美しいのだが、実際の舞台を見るといつも違和感が残る。ベッリーニがどんな意図でわざわざこのテーマを取り上げたのか不思議に思っていた。

ところがシチリア、カターニャの大聖堂を訪れた時、ベッリーニがこのテーマに並々ならぬ意欲を持っていたことがよくわかった。大聖堂には彼の棺が祀られているが、なんとこの墓のレリーフには、最もよく演奏される「清教徒」や「ノルマ」を差し置いて、夢遊病の女のシーンが、音楽の一節とともに使われていた(図1)。


図1 カターニャの大聖堂に祀られている、ベッリーニの棺の台座に描かれたレリーフ。オペラ「夢遊病の女」の一場面で、夢遊病発作に陥ったアミーナを見て村人たちが驚いている場面と想像している。

しかし本当に夢遊病はあるのだろうか?卒後7年ほど医師として過ごしたとは言え、内科だった私には実際の患者さんを見た経験はないし、心の片隅ではまだ信じられない。しかし数多くの論文が毎年発表されおり、総説を読んで見ると、ベッドから起き出して歩き回り、そのことを覚えていないという症状はなんと15%以上の子供に見られるらしい。

眠りとの関係も明らかになっており、年齢を問わず夢遊病で徘徊するときは、ノンレム睡眠と呼ばれる最も深い睡眠時に入っていることがわかっている。すなわちゆっくりした脳波を示す熟睡状態のまま、患者は歩き回っている。驚くことに、服を着替えて車を運転したという報告もある。徘徊中は図1に示したレリーフからわかる様に、目は大きく見開き、背筋を伸ばして歩いており、障害物も的確に避けることができる。しかし、呼びかけても気がつかないし、普通は眠りが覚めたら徘徊中のことはほとんど覚えていない(総説によると(Blake and Logothetis, Visual Competition, Nature Review Neuroscience, 3:1 (2002))実際には6割程度の患者さんが発作中の経験を一部ではあるが思い出せるらしい)。

その存在を信じる、信じないは別として、夢遊病は、私たちが通常「意識」と呼んでいる機能が喪失しても、外界を感知しそれに合わせた行動を取ることが可能であることを示している。言い換えると、外界の知覚、その表象、記憶を呼び起し、イメージの統合、行動の決定から実行までが、「意識」なしに可能であることを示している。

夢遊病の例を最初に持ち出したのは、もちろん今回から意識の問題を取り上げて、脳神経系の「自己」の問題と一体化して考えていこうと思っているからだ。ただ意識とは何かと大上段に振りかぶって考えるのは、私の任ではない。古来、意識については様々な説明がなされ、現在なおその本態については議論が続いている。

他の脳機能の単純な延長に過ぎず、わざわざ「意識」として抜き出して考える必要はないという意見から、神経系を持つ動物全てに存在するという意見、あるいは人間だけが意識を持つとする説まで様々な考えがある。このため、以後の議論は、意識の定義には深入りしないで、私たちが普通、覚醒時に行動するときには存在して、夢遊病の発作時の行動には存在しないものを意識と、まず漠然と定義しておいて進める。

もちろん熟睡時や、麻酔で眠っている時も意識は存在しない。しかし夢遊病の例は、意識がなくとも私たちは、リアルタイムに入ってくる感覚やこれまでの経験に基づいて行動できることを教えている。しかし意識がないと、新しいことを計画して行動することはない。このように意識の存在はこれまで経験したことのない新しい認識を可能にし、将来に向けた計画的行動には必須の条件になる。

睡眠中や麻酔中に意識は失われるが、意識は覚醒していることではない。覚醒していても、意識せずに行動することはいくらでもある。

私は毎朝ノルディックウォークを日課にしている。ストックを持ってクロスカントリーと同じ要領で歩くウォーキングだ。若い人ならすぐできるのだろうが、私の年になると、最初は自動的に足と腕の動きが揃うことはない。「意識」を集中して、「右、左」とうまく揃うように努力する。しかし100mも歩くと、もう意識しないで腕と足は互い違いに動くようになる。逆に、急に足が止まった後歩き出す時、どの腕を出すのかなどと意識しだすと、逆にうまくいかなくなる。意識を排除して動けるようになると、今度は意識がその動きを邪魔する。

あらゆるスポーツで同じことが見られる。スポーツの練習とは、意識しなくても自然に体が動くようになるまで動作を繰り返すことだ。テニスでも、サーブを打つ相手の微妙な動きを情報としてそれに合わせて走って行く場所を選び、レシーブする一連の動きが意識しないでできるようになると、一人前になる。実際、プロのテニス選手の200km/hを越すサーブがどこに落ちるか見てから行動しても遅い。無意識に動けるからこそ、プロの試合が成立する。どれだけ無意識になれるかが、優秀でクレバーな選手といわれる条件になるのは逆説的だ。

覚醒と意識が全く異なることを一番よく教えてくれるのが盲視と呼ばれる病態だ。何らかの理由でV1と呼ばれる一次視覚野に損傷を受けると、網膜で受けた刺激は知覚できない。しかし、網膜は働いており、そこから直接視床をとおる経路が存在しているおかげで、患者さんは障害物を意識しないまま避けることができる。もちろん患者さんは全く見えないと思っている。当然、景色を眺めて今度はあの道を通ろうなどと新しいことを計画することはない。視覚だけに限れば、夢遊病と同じに見える。しかし、音や臭いについては意識することができているし、明らかに覚醒している。

このように、無意識に個別の運動を支配したり、視覚のみ意識できない盲視の例は、意識が脳内に分散して活動を支配していることを示している。もちろん夢遊病のように意識全体が失われることもあることから、意識を形成する神経ネットワークも階層的なネットワークを持ち、支配する範囲が変えられる様だ。

さてこれまで、意識を夢遊病の発作時に失われる、新しい認識や計画のために必要な何かと定義してきたが、この定義だと意識は人間特有の高次脳機能だという話になりかねない。夢遊病から話を始めたが、私自身、意識は決して高次機能に限るわけではなく、原始的な形は神経回路形成以降かなり初期から存在していたのではないかと思っている。このことを理解してもらうため、意識をもう少し生物学的に調べている研究を見てみよう。

意識の生物学的役割を理解するための面白い例が、両眼視野競争と呼ばれる現象に見られる。両眼視野競争とは、左右の目に異なる像を別々に見せる時、実際にはどちらか片方の像だけが見えて、もう一方が見えない現象を指している。もちろんそれぞれの像は左右の網膜で感知され、反対側の一次視覚野へ投射されている。しかし、実際に私たちが見えていると感じるのはどちらか一方だけで、残りは見えているのに全く認識できない。多くの場合、2つの像が入れ替わり立ち替わり意識に上り、最後はどれか一方の絵が優勢になる。この実験は、私たちは見ていても見えないものがあり、見えるかどうかは意識にかかっていることを示している。すなわち、意識は競合している両眼の像のどちらを認識するかを決めるのに働いているのがわかる。

意識により競合する知覚が選択されるという現象は、なにも両眼競合に限るものではない。図2に示した、見方によって若い女性が見えたり、老婆が見えたりする有名なだまし絵も、意識によりイメージが選ばれていることを示す例だ。

図2 有名なだまし絵:若くて高齢の女性。心理学者エドウィン・ボーリング(Edwin Boring)がこの絵を用いた視覚の研究成果を1930年に発表した。
 羽根飾りに目をやると若い淑女が現れ、視線を下に落とすと老婆が現れる。両眼視野競争とは異なるが、だまし絵は意識とは何かを教えてくれる。(出典:wikipedia)

これらの例から、内外からの様々な刺激により脳内に形成される数多くの表象の中から一つの表象を選ぶことが、意識の機能と考えることができる。脳神経回路に入ってくる情報量の膨大さを考えると、この選択システムがないと、脳はすぐにパンクしてしまう様に思う。

もちろん神経系だけが環境からの膨大な情報に曝されているわけではない。安定的に見えるゲノム情報でも、様々な外界からの情報に曝されており、介入を受け続けている。最近注目されているCRISPR/Casシステムも(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2014/post_000009.html)、本来バクテリアが自分のゲノムへの外来ゲノムの侵入を制限するため進化したもので、ゲノム情報が常に外来の情報に曝されており、その情報を制限する必要があることを示している。

また、免疫系はもともと外来の様々な物質に対応する備えとして進化してきた。しかし、これら2つの系では、外来の刺激の認識自体が、例えばDNA同士の組み替え、あるいは抗原と抗体の結合の様に、物理化学的制限を受けている。従って、抗原受容体のレパートリーに認識できる抗原の数は制限される。

一方脳神経システムでは、入り口の刺激情報こそホストの感知能力による制限(例えば音の波長、光の波長などの制限)を受けてはいるが、この程度で情報量を制限することは不可能だ。例えば視覚で言えば、錐体細胞だけでも片方に800万個も存在する。さらに1次視覚野だけで見ても、この情報は刻々かわる。

さらに厄介なのは、光、音、触覚、匂いなど入り口は違っても、結局脳回路に表象されると、入り口の違いに関わらず表象同士で連結することができる。この様に、連結可能性まで考えると、私の脳が例えば1分で晒される情報の量は途方も無い。

このことを電車の中で席に座っている状況で考えてみよう。前に座っている女性の顔はあまり動かないが(ときには笑ったりあくびをしたりしているが)、窓の外の景色は不断に変わり続けている。これに加えて、様々な音が耳に入ってくる。また、足から、お尻から伝わる振動。頭の後ろに感じる太陽の熱。そして、時によって胃がシクシク痛むといった内臓からのシグナルも入ってくる。これを全部総合すると、何ビットになるだろうか。さらに、最初の刺激が異なっていても、神経回路の興奮に還元されると、あらゆるインプットは連結できる。おそらく電車に座って1分で経験する情報は天文学的量にになっているはずだ。このままだと、どんなに神経細胞が増え、回路が複雑化しても頭の中がパンクすることは間違いない。

幸い、ここに意識が登場すると、状況は一変する。例えば前に座った美しい女性に意識を向けると、窓の外の景色も、電車の揺れも、太陽の熱も、胃の痛みすら消えることがある。

逆にどこから来るかわからないが、お腹がシクシク痛むのが気になり始めると、今度は車外の景色や振動どころか、前の女性すらすっかり見えなくなってしまう。

この例から言えるのは、私たちの脳神経系が刻々と曝されている膨大な情報の中から、意識は特定のセットを選び出す役割を果たしているということだ。神経系での情報が神経細胞ネットワークとして表象されていることを認めると、意識が行っているのは、興奮している様々なネットワークの中から少数のネットワークを選んでいることになる。

この様々な神経回路上に形成された表象を選ぶ役割が意識だと定義すると、少し複雑な神経細胞ネットワークを持つ動物は意識が存在してもおかしくはない。たとえば、動物を訓練する時、こちらが期待する行動を取った時だけ、褒美を与えて覚えさせること広く行われている。この時、褒美を与えることで、特定の行動につながるネットワークが選択される。これは、広い意味で意識されたと言える様に思う。

極端な例で言えば、アメフラシにも意識があって何の不思議もない。アメフラシの水管反応を誘導するエラの刺激を繰り返すと、慣れが起こって水管反応が起こらなくなる。そこに電気ショックを頭に与えると、また水管反応が起こるようになる。これは電気ショックを受けた回路の影響で、エラの刺激が再び水管反応の刺激として選択されたことを意味しており、神経回路の選択を意識として定義するなら、最も原始的な意識と呼んでいいと思う。

ここまで、最初は極めて高次な神経活動として意識を提示しておきながら、一転アメフラシの神経系で見られる神経回路の選択まで意識に含めてしまうと、混乱の極みとお叱りを受けそうだ。しかし、何を基準に膨大な情報から選択が行われるのかを考えていくことで、この混乱は収束できる。その点について、最後に少し触れておこう。

両眼視野競合の際に、縦縞と横縞を別々の目に提示したとしよう。ほとんどの人は縦、横に特に好みはないはずで、実際縦縞と横縞が周期的に現れる。おそらく、サルや猫のような両眼で見ている動物では同じことが起こっている。とすると、この異なるイメージが周期的に選ばれるという選択基準は、私たちの脳回路自体にプリセットされていると考えられる。

同じ模様を使っていても、明るさなどが大きく違っている場合は、最終的にはっきりしている方だけが見える様になる。はっきりしたほうを最終的に選ぶ基準も、生まれた時の脳回路にプリセットされていると考えていい。

ところがもう少し複雑なだまし絵になると、どんなに努力しても片方の絵柄が見えないという人も出てくる。この場合、個人の脳回路の特性による場合もあるが、それに加えて個人が過去に得た経験・学習の結果、特定のイメージにバイアスがかかってしまっている可能性もある。

この様に、表象が選択される基準を探っていくと、進化や発生過程で形成される脳回路自体の特性、あるいは学習や経験により新たに書き換えられた脳回路である場合もあることがわかる。また学習による脳回路の書き換えも勘定に入れ出すと、簡単な書き換えから、極めて複雑な書き換えまで多様性が高いと考えられる。この結果、当然同じ刺激により生まれる表象に対しても、選択基準は一人一人、異なっている。

この様に選択する基準について考えてみると、ゲノムから高次の脳回路書き換えまで、極めて多様な基準が働いていること、そしてこれらの低次から高次にわたる基準は、前回まで議論してきた、脳回路情報として表現される自己に他ならないことに気がつく。ついに、意識と自己が一つにまとまった。

次回はさらに、意識の選択基準について議論を深める。

[ 西川 伸一 ]

意識と無意識

2017年4月3日

最初意識を夢遊病状態と覚醒状態を区別するものとして始めながら、最後はアメフラシにも意識があっていいなどと前回終わったので、混乱させたのではと反省している。

なぜこのような議論になったかを思い出してもらうと、私たちが普通感じている意識のような高次脳機能が関わる現象を、「脳に入力される情報から、それまでの経験をもとに形作ってきた神経系の自己を基準に、一部を選択する」ことと定義したことに起因する。もし意識が入力の選択過程だけなら、最も単純なアメフラシの神経系でも同過程は存在していい。

ただ忘れてはならないのが、選択の基準となる各動物の神経回路に表現されている自己は、単純な回路から複雑な回路まで、多種多様な点だ。神経回路として同じ原理を共有していても、その違いはアメフラシから人間まで途方もなく異なっている。当然、脳神経系が複雑になればなるほど、神経回路に表現された自己自体も複雑になり、それに基づく選択基準も多様かつ複雑になる。従って、脳内に入ってきた情報を自己を基準に選択するという点では同じでも、選択過程は質的、量的に大きく異なる。最初定義した狭い意味での意識はこの選択過程のほんの一部を代表する最も高次な過程に関わっている。

図1:意識を形成する脳内活動。自己の様々な回路に合わせて選択が起こり、選択された表象がまた自己の神経回路に統合される。

図1を使って説明しよう。私たちの脳は多くの情報に曝されているが、基本的には自己の生存に必要な情報だけを選択して他の情報を無視するフィルターを持っている(この傾向がすべての脳回路には備わっており、選択する行為自体を動機付けている)。このフィルタリングを受けた情報が脳内に新しい表象を作る過程が感覚として認識されることが意識だが、神経系の自己全体が反映されたフィルタリングが起こるレベルは多様で、同じ刺激に対しても、様々な表象が選択され、脳の異なる領域に新たな回路が生まれる。こうして選択された様々な表象は、既存のネットワークと統合され、短期的、長期的に脳ネットワークの書き換えが行われるが、最初に定義した意味での意識に上るのはその中のほんの一部になる。すなわち、ほとんどの選択過程は意識されることはない。

もう少し具体的に見てみよう。感覚神経は様々な刺激に反応できる。視細胞は光に、聴覚は有毛細胞への圧力、嗅覚はニオイ物質の嗅覚受容体への結合を神経興奮に転換する。この神経興奮は他の多くの神経興奮とともに統合され表象されるが、この表象は入力とは全く物理的関係を持たず、神経ネットワークの構造変化としてシンボル化されている。まずこの入力に対応する表象を形成する過程でフィルターが存在している。例えばそれぞれの感覚神経細胞レベルで感受できる刺激に限界が存在し、これがフィルターになる。分かりやすく言うと、どんなに頑張っても私たちには紫外線は見えない、また高ヘルツの音波を感じることもない(図2)。

図2:最も原始的なフィルター。それぞれの感覚神経の、刺激に対する閾値は最初のフィルターになる。当然意識されることはない。

次に、アメフラシの水管反射で、エラからの神経回路が、頭からの神経回路の刺激を受けると新たな回路を構成する例からわかるように、他の入力とネットワークが形成されることで、一つの入力だけでは生まれない新しい表象が生まれる。このような表象はしたがって、神経ネットワークの連合の仕方に変化が起こることでもフィルターされる(図3)。

図3:新しい神経回路の連絡路の形成もフィルターになる。

これは単純な回路の例だが、私たちのように複雑な脳になると、連合過程でのフィルターが常に行われていることがもっとはっきり見えてくる。例えば私たちは網膜に入る感覚を、目を動かす動眼神経の運動と統合させることで、空間内の物体を形として背景から区別し、物体の動きを追跡している。すなわち、一つの表象が少なくとも2種類の全く異なる入力を統合することで形成される。すなわちこの統合過程も表象を形成するまでに通過するフィルターと考えることができる。このフィルターの基準となる神経系の自己は遺伝、発生過程で決まるだけでなく、発達途上で経験を通してネットワークが書き換えられることで形成される。

この結果、外来刺激に対する異常な反応は、神経ネットワークの発生異常でも、生後の発達過程の回路形成過程の以上でも起こる。たとえば同じ顔の写真を見たとき、自閉症や統合失調症の患者さんたちが意識に上らせる表象が、普通の人とはずいぶん違っていることはよく知られている。以前私のブログで紹介したことがあるが(http://aasj.jp/news/watch/753)、てんかん発作の原因を確かめるために脳内に埋め込んだ電極を記録に使った研究から、健常児の扁桃体は通常目に強く反応するが、自閉症児は口に反応することがわかっている。すなわち、同じ像を見ても、フィルターされる表象は全く異なる。

このように脳が高次化するに従って、フィルターの基準となる神経の自己も多様化し、フィルターされた表象が書き換える神経ネットワークも多様化している。前回述べたように、人間のような複雑な脳を持つ生物の場合、これらの書き換えは狭い意味で意識される場合もあるし、意識されない(無意識)場合もあるが、行われていることはどちらも様々なレベルの神経的自己を基準にした表象の選択だ。したがって、脳の複雑さが一定レベルに達するまでは、すべての選択は、我々の言う「無意識」下に行われる。一方、特定のレベルを超えると、最初定義した狭い意味の意識過程としての選択が誕生することになる。実際、高度に発達した脳を持つ人間も、生まれてすぐは、入力の選択による表象の形成と新たな脳へ書き換えが起こるとはいえ、おそらく意識はまだ存在しない。例えば両眼競合は起こっても、どちらを選択したかを意識することはないだろう。しかし、成長するにつれ選択結果が意識できるようになる。このことからも、入力の選択による表象が、進化過程、発生過程、成長過程で起こる脳構造の変化に応じて起こり、その一部だけが意識されることがわかる。

ようやく問題が狭い意味での意識に戻ってきた。要するに、意識の基盤にある過程は、ほとんどの動物に存在する神経回路の基本的性質だ。そして、脳の発達があるレベルに達すると、意識が生まれる。ただ意識を可能にする脳機能についてはまだ定説はない。神経回路内での選択過程を認識できる意識に特化した新しい回路が出現したと考える研究者が存在する一方、意識は選択時の基準となる神経回路の複雑化の延長上にあり、意識だけのための特定の回路は存在しないと考える研究者もいる。おそらく現時点ではこの議論を脳科学的にこれ以上進めることは難しいと思う。この結果意識の問題は、もう少し現象論的レベルで議論されることになる。

実際、入力の選択についていえば、無意識下の選択、選択した結果の認識、意識による表象の選択などを、脳科学的メカニズムから離れて現象論的に考えることは現在も普通に行われている。このような様々な意識や無意識、あるいは基準としての様々なレベルの自己、表象選択の動機付けの問題を現象論的に考えた巨人がフロイトだ(図4)。

図4:フロイトのポートレート(出典:wikipedia)

フロイトは精神分析学の父としておそらく最も有名な精神医学者と言っていいだろう。科学者や医学だけでなく、彼は20世紀の哲学に大きな影響を与えた。彼の著作を読んだことがなくとも、彼の用語、「エゴとイド」「リビドー」などの言葉を知っている人は多いのではないだろうか。

彼の生涯はほぼカハールと一致しているが、おそらく彼の精神についての現象論を神経回路に当てはめて考えたことはなかっただろうと思う。しかし普通の人間の行動の傾向、あるいは様々な精神疾患の患者さんの異常な行動を、現象学的ではあっても共通の基盤から科学的に説明しようと努力した。そして、この共通基盤の重要な要素として、「イド、エゴ、スーパーエゴ(エゴイデアル)」、「無意識、前意識、意識」、そして「力動、リビドー」などの概念を提唱した。

これらの概念の詳しい説明は次回に回すが、「イド、エゴ、スーパーエゴ」の概念は、これまで議論した入力の選択基準になる神経回路の様々なレベルの自己に対応すると考えられるし、「無意識、前意識、意識」の概念は、入力選択後の表象が、脳回路を書き換える過程で意識の意味を考えるためのヒントを多く与えてくれる。そして、「力動、リビドー」は、これまで議論してこなかった疑問「意識を維持する力とは何か?意識、無意識を問わず選択、表象、統合に関わる神経回路を動かし、新しい神経系の自己を形成し続ける原動力とは何か?」を考えるための重要な示唆を与えてくれる。

次回は、フロイトが進めた私たちの精神についての現象論について解説して、意識と自己についての説明の最後にしたい。

[ 西川 伸一 ]

フロイトに見る意識と自己

2017年4月17日

意識と自己についての説明を長く続けすぎたので、そろそろ締めくくらなければならない(本当はこの程度の長さで扱える課題ではないのだが)。

普通、意識や自己はかなり高次な神経活動と思いがちだが、これまでの説明で定義次第で様々なレベルの神経活動に当てはまることがわかっていただいたと思う。とはいえ、意識や自己といえば、やはり哲学をはじめ多くの分野で古くから議論されてきた人間の精神活動を思い浮かべるのが普通だ。したがって、締めくくりとして、人間特有の高次の意識や自己について少し考えてみたい。どのように説明すればいいかいろいろ考え、締めくくりにはフロイトを2回にわたって取り上げてみることにした。

今更フロイトを取り上げる意味は本当にあるのか少し迷った。そんな古い話を持ち出さなくとも、現代では、人間の意識や自己について脳科学的に説明した優れた著作を読むことができる。事実、素人の私がここまで脳科学の知識を整理できたのも、アントニオ・ダマシオさんの「デカルトの誤り」「Self comes to mind」「感じる脳」、やクリトフ・コッホさんの「意識の探求」といった本のお陰だと思っている(図1)。


図1:これまで意識や自己を考えるときに参考にしたオススメの著作。最初の3冊はアントニオ・ダマシオ、最後の1冊はクリストフ・コッホ著。

これらの本には多くの脳研究成果が取り入れられており、しかも一般の人にもわかりやすく書かれている。わざわざ解説するより、人間の意識や自己について知りたいと思われる場合、どれか一冊を手にとって読んでもらうのが一番いい。読めば間違いなく満足できると思う。また、上にリストしたすべての著作では実際の脳神経回路と現象を対応させて説明する努力が行われており、症状や行動の現象論的記述と、独断的(に見える)な説明に終始するフロイトを読むよりよほど分かりやすい。

実際、フロイトを読んでも、脳科学の話はまず出てこない。彼の著作にはダーウィンがなんども登場し、進化論の影響を強く受けていることを感じる。もちろん進化の問題だけでなく、種の起源の最終センテンスでダーウィンが全く手つかずの未来の問題として提示した無生物から生物への過程についても興味を持っていたことはまちがいなく、彼の著書の中で「種の起源」に書かれている内容を彼の著作で繰り返しているほどだ(ちくま学芸文庫「快感原則の彼岸」 p162参照、「過去のある時点において、現在もなお想像できない力の影響によって、生命のない物質の中に生命の特徴が芽生えた」)。ところが、カハールも含めて脳科学の話はフロイトの著作にはほとんど登場しない。おそらく当時の脳科学はまず役に立たないと考えていたのだろう。

しかし、神経科学的視点からの説明が全くされていないことは、神経細胞の進化からスタートしてここまで続けてきた私から見ると、本当は都合がいい。脳科学的に考えるにはまだ早い時代であったとはいえ、フロイトは精神現象を共通の基盤に基づいて科学的に説明しようと常に心がけていた。精神現象を、「エス、自我、超自我」、「意識、前意識、無意識」、「リビドー、タナトス」などの共通の要素から分析しており、個別の現象に対する彼の普遍的説明は理解しやすい。このおかげで、フロイトが記述した様々な精神現象と、それについての彼の説明を、もう一度神経科学の視点から整理し直すことができる。一方、これまで私自身は人間特有の高次な意識や自己について議論を避け、神経ネットワークが複雑化する延長に人間特有の精神活動もあるとして済ませてきた。この認識は間違っていないと思うが、複雑化することで何が可能になったのかは全く手つかずのままだ

一方、フロイトの興味はもっぱら人間の意識だ。従って、自己や意識についての彼の考えを現代の脳科学を知った上で見直すことで、これまでなおざりにしてきた人間特有のレベルの意識や自己の発生に関わる過程についてもヒントが得られることも期待できる。これが、フロイトを選んだ理由だ。

フロイトの考えを紹介するための著作として、今回はフロイトの短い著作「自我とエス」(竹田青嗣編、中山元訳、自我論集、ちくま学芸文庫)を選んだ。これは後期の著作で、一般人に向けた読み物というより、総説論文に近く、短いとはいえ彼の考えが詰まっており、また現代脳科学からも扱いやすい。

例えば意識や自己の発達過程について、フロイトは次のように述べている。

「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。」

「少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」

この2つの文章には、意識や自己という言葉は使われていないが、フロイトが考えた意識や自己の形成過程に必要な要素が凝縮している。また私がこれまで人間に限定せず見てきた自己や意識について述べてきた重要な要素も含まれている。従って、目標はこの文章を理解することだ。ただフロイトを読んだことがない読者もいるだろうし、彼の文章には一般には使われることのない単語も多く使われているので、まずフロイトの意識や自己に関する考えについて総論的に要約する。とは言っても、ここで述べることは全て私の独断的なフロイト理解であることは断っておく(フロイト解釈で議論する気は毛頭ない)。

まず意識、無意識から始めよう。フロイトというと、「無意識」がすぐに思い出される。しかし彼の著作では無意識については詳しく述べているものの、「意識する」とは何かについて、ほとんど明確にしていないように思う。この論文の中でも「<意識されているとは、まず純粋に記述劇な用語であり、最も直接的で確実な知覚に依拠するものである」と、意識されているものについて簡単に済ませてしまっているが、肝心の「意識とは何か?」についての彼の考えは明確ではない。おそらく彼の理解も、私たちが一般的に意識という言葉で使っているのと同じ内容、あるいは夢遊病を例に定義した意味とあまり変わっていないように思う。

これはフロイトの問題ではなく、意識の厳密な定義が現代でも難しいためで、フロイトの時代にはまだ「両眼競合」のような実験結果も知られていなかった。しかし彼の著作を読むと、彼も私たちと同じように意識を様々な知覚から生まれる脳内の表象を認識して選び取る過程として捉えていたように思う。

私たちはともすれば「意識 vs無意識」と対立的に提示してしまうが、そもそも両者を比べること自体難しい。よく考えてみると意識とは多くの表象の中から特定の表象を知覚する「過程」を意味することが多い。一方、無意識の場合、「無意識する」のようには決して使わず、常に意識過程の外にあるという「状態」を指すことが多い。従って、「意識されるものvs無意識のもの」と対置するのは不自然で、「意識されるものvs意識されないもの」の方が自然だ。すなわち、意識はより過程に関わる言葉として使われることが多く、もう一方は状態を指す言葉として使われる。

フロイトの興味はもちろん人間の心の状態なので、意識されるものについてはあまり重視していない。代わりにフロイトは心の状態の最も大きな部分をしめる、無意識に向かうことになる。

誤解を恐れずフロイトの無意識を「エイヤ!」と意識との関わりから分類してしまうと、無意識とは、

  1. 1)意識できなかったもの:例えば両眼競合のように、見ていても気づかない表象のように、いつでも意識される可能性はあったが、選ばれることのなかった状態を指している。
  2. 2)忘れて意識できなくなったもの:意識過程で選ばれ知覚されたものの、速やかに意識外に過ぎていく状態を指している。分かりやすく言えば、記憶されなかった表象と言って良いだろう。
  3. 3)意識させてもらえないも:意識できないよう抑えられているもの

の3種類に分けられる。

最初の2つについては、フロイトは「無意識は潜在的に意識できる状態と一致するもの」と述べて、起きている時にいつでも意識できたのだが,たまたま意識過程で選ばれなかったり、忘れてしまったものとして簡単に済ましている。これを脳科学的に見れば、感覚を通して入ってくる膨大な入力の中からほんの一部の表象を選んで神経ネットワークの書き換えていることに相当する。

ところが、3番目の「意識させてもらえない」無意識は、フロイトの言う「抑圧された」無意識で、私もこれまで全く議論してこなかった。この抑圧された無意識が何を意味するかについては、最初に引用した文章によく書かれている。文章に出てくる備給という言葉はおそらく馴染みがないと思うが、Cathexisの日本語訳で、心的な関心を向けることを意味する。私自身はこの大げさな単語を見た時は、意識する表象を選択する過程に、具体的な方向性と必要なエネルギーを与えることと読み直している。

この文章でフロイトは、父親についての表象が生まれることで、幼児時代に本能的に母親の乳房に向いていた意識過程、すなわち母への性的欲望が抑圧され、無意識(すなわち意識過程から除外された状態)へと追いやられると述べている。すなわち、成長に伴い、本能とは異なる判断基準が自己の中に芽生え、これが母親への性的意識を無意識へと抑圧する。この抑圧された結果としての無意識は、毎日の感覚の中から意識下、あるいは意識外へと選択される無意識とは全く異なり、抑圧を取り除かない限り無意識から意識へと上らせることは難しい。すなわち、抑圧される無意識は、意識過程で選択が行われるという意味では同じだが、両眼競合で見られるような選択とは異なり、高次のレベルで抑制され続けている心的状態と言える。

このように、最初の2つの無意識と、3番目の無意識は質的に異なっていることから、フロイトは前者を前意識、後者を無意識と名付けている。このように、無意識に様々な種類があるということは、意識と無意識を分ける時の基準になる自己にも様々なレベルが存在することになる。この基準としての多様な自己を、フロイトは「エス、自我、そして超自我」という言葉で対応させた。


図2:フロイトの「自我とエス」より転載。

図2は「自我とエス」に掲載されている、自己の精神についてフロイトが描いた図式をほぼそのまま転載したものだが、この図を見ながら彼が自己をどのように考えていたのかもうすこし見ていこう。

線で囲まれた部分が個人の精神的自己全体を表しており、この中に前意識、抑圧された無意識という2つの状態も含まれている。重要なのは、自己の中の表象を選び認識する過程である意識は、自己の枠外に置かれていることで、これにより意識が自己の中に存在するコンテンツではなく、より過程に近い物であることがうまく表現されている。

では、エスや自我とは何か?引用した文章の中でフロイトが、「最初弱々しかった自我」と表現しているように、最初から自我は個人の心に存在するのではなく、生まれてから経験を繰り返すうちに心の中に芽生えてくる物として考えられている。すなわち、経験を通してのみ形成される新しい選択基準と言っていいだろう。

一方、エスは生まれた時から存在し、母への本能的な性的愛情も最初から存在するエスの表れと考えられている。すなわち、フロイトのエスは人間が生まれた時に持っている脳神経ネットワークが生きるために最初から備えている様々な本能と言っても良いだろう。

私自身はこれまで自己についてこれほど詳しく区別せず、脳神経ネットワークが複雑化した結果、選択基準となる自己も多様な表象を持っており、一人の個人に様々なレベルの自己が存在するとして済ませてきた。しかし、生まれてから物心着くまでの一定期間、人間には狭い意味での意識とその記憶は存在していない。従って、記憶や自己の意識は、生後の成長期に形成されると直感できる。この直感は、「自我からその核としての知覚システム(意識)が形成される(図1に表現されている)」というフロイトの考えと同じだ。

誕生時に持ち合わせた脳神経ネットワークの活性を「エス」、この中で成長に応じて高次化する意識過程で選ばれた表象取り込んで脳神経ネットワーク(エス)の中に新たに形成した回路を「自我」考えることはできないだろうか。脳科学的に、純粋に生後の経験だけで生まれる「自我」を完全に分離できるかわからない。フロイト自身も、「エスは、知覚—意識システムの媒介のもとに、外界の直接的な影響を受けて変化する。自我はこのエスの一部である。・・・・」と、本当は両者を完全に分離することはできないと考えている。ただ、経験を通して自伝ともいうべき基準を人間は作ることができるおかげで、新しいレベルの意識が人間には可能になっている。この感情や本能(エス)の上に、自伝を書くメカニズムの解明が、人間とは何かを理解し、次の情報媒体「言語」を考えるための第一歩になる。

期待通りフロイトをたどることで、これまで手がつかなかった人間特異的なレベルの自己や意識の問題について考えることができてきた。まだ、母親へ向かう性的本能を抑圧するのは自我か?フロイトの言うもう一つの自我、「超自我」とは何か?そして意識という過程にエネルギーを与える力は何か?など、フロイトの考えの解説が残っているが、少し長くなりすぎたので、今回はここで止める。次回、最後はフロイトの描いた図1を、現代的な新しい視点で書き直すことで、最初に引用した文章を完全に理解して終わりたいと思っている。

[ 西川 伸一 ]

フロイトの意識と自己

2017年5月1日

前回・今回とフロイトの考えを紹介しているが、彼の文章を題材に、高次の意識や自己を説明することが目的だ。そこで、前回引用したフロイトの文章をもう一度掲載しておく。

「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。」

「少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」

前回、フロイトの意識、前意識、無意識の区別、あるいはエス、自我、対象備給などについて説明したので、この文章もだいぶわかりやすくなったのではないだろうか。

今回は私自身がこの文章をどう読んでいるかもう少し突っ込んで紹介しながら、最後に残っている超自我や、私たちの意識や自己を動かしている力動について説明したいと思う。

口唇段階の本能で動く脳がエスの始まり

生まれたばかりの私たちは「原始的な口唇段階」、すなわち食べ物を得るため母の乳房を探るという本能により動かされる段階にある。実際、この段階の神経回路の特徴を小児科では原始反射と呼んでおり、口唇に関わる反射が多い。例えば口に物が入ると吸い付く反射、口唇に触れるものを追いかける反射などが有名だ。フロイトが「口唇段階」と名付けたのもこのような古くから知られる赤ちゃんの行動に基づいている。フロイト流にいえば、この段階の精神はほぼエスに等しいと言える。

従ってエスをもう少し実体的に表現すると(対応させること自体は意味がないが、理解のためにこのような対比を今後も行う)、外界からの刺激を経験しない、発生が終わったばかりの脳内神経ネットワークと言える。この脳には自分の生命を守り、外界からのストレスを避けるためのメカニズムが進化の過程でプログラムされている。

幼児の成長に伴う脳の書き換え(同一化)

生まれるとすぐ(実際には生まれる前から)、動物は様々な感覚システムを通して外界から刺激を受け、その一部は高次の意識とは無関係に、できたばかりの脳ネットワークに介入し、ネットワークを書き換えることができる。以前議論したようにこの書き換えは、膨大な入力の中から私たちの脳がその時点で形成している「自己」の基準に従って特定の入力を選択し、神経ネットワークに記憶する(書き換える)ことで進んでいく。これが広い意味での意識だが、この書き換え課程は、フロイトの文章の中の「同一化」とほぼ同じと考えていい。生まれたばかりの「口唇段階」の自己(この場合エス)では、行動のほとんどが母の乳房へと向く様に脳はプログラムされている(対象備給)。しかしこの単純な行動を通して、様々な外界からの感覚を経験する。最初は口唇感覚に限られていたものも、皮膚感覚や匂い、音、そして最後に視覚というように入力装置は複雑化するとともに、入力量は急速に拡大し、新しい経験で私たちの脳のプログラムは徐々に書き換えられていく。この初期段階での入力を選択する自己の基準はエスであり、生まれた時点で備わっている本能的自己だ。もちろん、入力が選択され神経ネットワークの自己が書き換えられるとき、エス=本能的自己も書き換わっていく。このことは、先に述べた新生児の原始反射が発達に伴い消失することからわかる。代わりに、より複雑な外界からの刺激を選択し、本能的自己を書き換える過程で、ハイハイなどの新しい機能が発達する。

自我と高次の意識の誕生

問題は、このような神経ネットワークの書き換えの延長に、高次の意識や自我が発生するかで、この点が意識とは何かをめぐる議論の一番重要な論点だ。おそらくフロイトは自我がエスの単純な延長にあるのか、それともエスとは別の自我を受ける構造が発展するのかあまり気にしていなかったのではないだろうか。前掲の文章で彼はエスから自我が芽生えると述べており連続的に考えていた様に見える。ただ「自我とエスの区別は、原始人だけではなく、はるかに単純な多数の生物にも認めることができる。この区別は、外界の影響の必然的な表現だからである」と、最初の脳ネットワークの自己であるエスと、外界の感覚入力を通して形成され成長するもう一つの自己である自我を分けることの重要性も認識していた。すなわち、エスの中に、エスとは区別された新しい自己、自我を発生させる入力処理機構が必要になる。

しかしこの区別は決して前回、図1で示したような固定した区別ではない。抑圧された無意識もエスの一部として記憶されると彼が考えた様に、エスはキャパシティーの大きな、自我も無意識も全て包含することができる、変化し続けるフレキシブルな構造だ(本来脳とはそのようなものだ)。このような構造の中にエスとは別の自我が形成されるのは、生後間も無く経験する感覚器を通した様々な入力が、高次の意識や自我を持つ動物の進化で生まれた、それまでとは別のまったく新しいチャンネルを通して処理され、表象されるからと考えられる。

自我を形成する新しい入力チャンネル

実際、口唇期の感覚の中心となる触覚と比べると、最後に発達する視覚認識は、もともと多くのチャンネルを必要としている。私たちは目に入ってきた人間の姿を認識するとき、網膜の視細胞からの入力を、色や単純な形、あるいは物体の動きといった要素として別々に表象する。この過程はほとんど意識されることはない。これらの要素がイメージとして知覚されるためには、この要素を今度は過去の経験も合わせて上から(トップダウン)統合する必要があり、このトップダウン過程は意識される。このように、私たちの脳は本来多数のチャンネルを使って、感覚入力を処理するようにできている。そして、生後経験し続ける感覚入力を統合する際の特別な領野が用意できれば、そこに自我、あるいは新しい自己を形成することが可能になる。これを意識をコードする領域と言っていいのかもしれない(あるかどうかは議論が多いが)。

ではこの新しい領野にどの入力が選択され、記憶され、自我を形成するのだろうか。最初存在する自己の基準はエス、すなわち本能的自己により提供される。生きる本能が乳房を追いかける反応として現れることを思い出してほしい。しかし、エスのレベルで選択されたどの表象が、生まれたときにはまだ白紙状態の自我の書き換えに利用できるのかよくわからない。口唇の触覚を通して経験される感覚はおそらくそれほど複雑でなく、ほとんどの入力が最初の自我の形成に使われるのかもしれない。こうして一度でも自我の形でエスとは別の自己が成長し始めると、この自己を基準に自我回路は書き換えられ続け、自我レベル、すなわち意識される自己が成長する。ただ、入力は意識され、自我の書き換えだけに用いられるわけではない。エスも様々な入力により書き換えられるため、生まれたばかりの状態を代表する様々な原始反射は消失する。

エス・自我・意識のまとめ


図1:乳児の発達期の感覚入力と自己の書き換え

これまで議論したことを図にしてみた(図1)。口唇期では外界からの入力はエスとしての自己を基準に選択され、エスの書き換えが行われるとともに、萌芽的自我の形成とその後の書き換えに使われる。こうして自我という新しい自己の基準が形成されると、その後は新しい自己の基準として、高次の意識過程を可能にする。この結果、私たちは「物心がつく」、すなわち感覚器から入ってくる経験を意識し自己の形成に使う。

フロイトは、知覚から生まれる前意識が意識されると、こうして得られた表象は全て自我の形成へと向かうと述べているが、実際私たちの自我が意識的に知覚される入力を選択する唯一の基準になると考えれば当然のことだ。自我が高次の意識の基準であり、それを基準に選択された表象が自我を書き換える。以上が、最初に引用したフロイトの文章の現代風読み替えになる。おそらくみなさんも、引用した文章でフロイトが伝えたかったことは、概ねわかってもらえたのではないだろうか。

しかしまだ、自我により抑制された無意識や、超自我についての説明が残っている。これらの概念は、私たちを自我やエスに基づいて行動へと駆り立てる精神的エネルギーと関わっており、私自身も全く議論してこなかった。

快感を得るための欲動

フロイトは、このエネルギーの源が、「快感」が満たされるまで止むことのない欲動であるとはっきりと述べた。この欲動の起源についてフロイトは、最も重要なのは生存への欲動と、繁殖への欲動で、両者に共通する最も大きなエネルギーの源が性的欲動、リビドーであるとした。このリビドーという用語は、その後ユングにより欲動一般を指すものとして定義し直される。しかし、当時自己とは何かなどと議論していた宗教家や哲学者を尻目に、私たちの脳は快感を追求するようプログラムされているおかげで行動するエネルギーを得ていると、ズバリ指摘したのは、フロイトの最も偉大な業績の一つだろう。

余談になるが、「快感原則の彼岸」とタイトルのついた小論文で、彼はこの欲動の生物学的起源について進化論に即して議論している。単細胞動物の生殖や性、あるいは多細胞動物の始まりと「個体の死」の始まりといった当時の生物学の知識を総動員して、「生きることへの欲動」「生殖のための欲動」そして無限に続く生殖細胞系列を守るための「死への欲動」などが、精神を動かすエネルギーのルーツであると述べている。言葉を変えると、私たちの精神行動エネルギーが、生命として必然的な帰結であることを述べている。

欲動の中で最もわかりやすいのは「生存への欲動」だろう。例えば新生児期を考えると、口唇段階でのこの欲動は空腹を満たすために必須のメカニズムだ。欲望が満たされるまで、子供は母の乳房を求め続ける。男の子になると、この生存への欲求に、男性が本能的に持っている女性への性的欲動が混じる。いずれにせよ、感覚器が発達し、複雑な感覚入力により自我が複雑化するにつれ、欲動の表現も複雑になる。しかし、そのエネルギーのルーツを辿れば、必ずエスの中に組み込まれた生存欲、性欲を生み出す脳構造に帰結する。これを

「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。」

とフロイトは表現している。

エディプス・コンプレックスの起源

この欲動のエネルギーおかげで幼児は行動し、外界と持続的なコンタクトを維持することができる。最初は原始反射を繰り返しながら、生後徐々に発達する五感を通して経験される母親の表象は常にアップデートされ、幼児期の自我の書き換え(すなわち同一化)の基準を提供する。もちろん人間社会では通常子育てには父親など母親以外の人間の参加があるが、母親以外が表象され自我の書き換えに参加するのは、五感、特に視覚が完成し、母親以外の人間が意識されるようになってからのことだろう。したがって、最初の自我は母親の表象を中心に形成されており、それ以外の表象は常に母親との対比で自我の書き換えに参加する。

これは私の想像で当時のことを覚えているわけではないが、子供を可愛がるのは母親だけではない。父親も子供をあやそうと抱きかかえるとき、子供は母親から一時的にでも引き離されると感じるかもしれない。もちろん父親には母親に期待する乳房はない。当然母とは異なる父親の表象が生まれ、自我を書き換える過程で、母親から引き離す新しい競争相手として父親をイメージしても不思議はない。

フロイトは、このとき形成される母親をめぐる競争相手としての父親と自我との関係を、精神の発達に最も重要な要因であると強調し、

「ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」

と述べている。

「不快」を行動のエネルギーにする超自我

しかしもし子どもの行動を支配するエネルギーが「快感原則」であるとすると、「不快」がなぜ精神を動かすエネルギーになるのかが問題になる。

もちろん動物は「不快」な経験を記憶し、それを回避する脳回路を開発している。当然この書き換えは、自我の書き換えを伴う。だとすると、「不快」の原因である父親を、避けることで母親との「快」の関係を維持する以外に「快感原則」を守る方策はない。おそらく、多くの動物で子育てにオスが関与しないのは、子供への愛情が発達しないのではなく、子供にとって父親が「不快」でしかないことが原因かもしれない。

一方人間を見ると、乳児が父親の「不快」な介入を避けることは難しい。従って、不快を我慢する能力を身につけるか、あるいは積極的なエネルギーへと変換できる自我を開発する必要がある。この「快感原則」と取引できる自我の形成こそが、人間の利他的行動や、道徳の起源だと思う。この「不快」を選ぶという人間の特殊性を、フロイトは無意識と、超自我という概念で説明しようとした。

この問題提起は

「最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。」

という文章に見ることができる。

すなわち母親や父親のイメージが明確になってくると、それまで「快感原理」のみに動かされていた行動に矛盾が生じ「不快」を生むようになるが、残念ながら両親に守られている身分では、「不快」を避けるという解決自体が不可能であることが理解される。これが、「父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」と彼が語る、エディプス・コンプレックスだ。しかし、このコンプレックスは、行動で解決できる代物ではない。このため、不快を避けるのではなく、自分で解決する必要があり、そのために自我を大きく書き換え、自我の領域にこの問題を解決するもう一つの領域、「超自我」が発生する。

この超自我の誕生により、「自我理想(超自我)はそもそもエディプス・コンプレックスの抑圧というこの急激な転換によって成立する」と彼が語るように、「不快」を「快感」へと転換させるエネルギーが生まれる。

すなわち、「快感原理」自体が私たちを動かす本来のエネルギーであっても、この原理を維持するため、不快な経験を快感原理と妥協させる能力、すなわち超自我を人間は獲得した。したがって、フロイトはあらゆる道徳的、宗教的動機は全てこの超自我の仕業であると喝破して見せた。

このように、エス、自我、超自我、前意識、意識、無意識、欲動、リビドーというフロイトの用語は、現代の脳科学から見ても十分説得力があり、さらに人間特有の高次な脳機能を考える時、色褪せることのない道標になってくれる。この中で、超自我として表現される機能は人間特有の機能だろう。従って、彼の超自我の機能の解明は、21世紀脳科学の最大の問題の一つと言っていいだろう。

これでフロイトは終わるが、次回は整理の意味で、私たちの精神のエネルギー、情動について現代の脳科学がどのように考えているのか、幾つかの総説を基礎に述べてみたい。

[ 西川 伸一 ]

快感原理

2017年5月15日

「ケセラセラ、なるようになる」と楽しく生きている人もいると思うが、多かれ少なかれ、だれでも自分の行動原理を持っている。例えば宗教や道徳は多くの人にとって行動を決めるときの強い原理として働いている。実際「あなたは行動に当たって何を最も大事に思いますか?」とあらためて聞かれて、「快楽を求めて生きています」と、ドンファンを気どる人はほとんどいないはずだ。私も、「余生は若い人のために」とか「患者さんの助けになれば」とか答えるのが普通だが、答えた途端なんとなく偽善的だなと後ろめたい気持ちに襲われる。

人間には従うべき行動原理があるというドグマに対し、私たちの行動のエネルギーの最も重要な要素は快感原理に他ならないと断定したのがフロイトだ。私たちの快楽を追求するために行動し、嫌なことを避けるために行動しているだけだと建前を切り捨てた。

しかしこのことに気づいたのはフロイトが最初ではない。同じ趣旨のことを17世紀オランダで活躍した偉大なユダヤ人スピノザは彼の著書「エチカ」の中で、人にとっての善悪は結局好きか嫌いかの感情でしかないと述べている。

図1:スピノザの肖像
スピノザはポルトガルからオランダへ移住してきたユダヤ人、マラーノの家族に生まれた。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近代を開いた哲学者。「エチカ」は、科学や人間を考えるとき、「神学・政治論」は自由を考えるとき、今も新鮮だ。(出典:wikipedia)

その幾つか引用すると(全て岩波文庫、畠中尚志訳)、

「我々をしてあることをなさしめる目的なるものを私は衝動と解する。」

「全及び悪の認識は我々に意識された限りにおける喜びあるいは悲しみの感情にほかならない」

「我々は速やかに出現するだろうと表象する未来のものに対しては、その出現の時が現在からより遠く隔たっていると表象する場合よりもより強く刺激される」

「善及び悪の真の認識が感情である限り、それから必然的に欲望が生ずる」

「喜びから生ずる欲望はその他の事情が等しければ、悲しみから生ずる欲望よりも強力である」

などなど、要するに「善は快楽、悪は不快」とまで言ってしまうと、17世紀にかなり自由な国だったオランダとはいえ、キリスト教支配のヨーロッパでは禁断の思想となったのは当然だ。

前置きが長くなったが、これまで長々と述べてきた「意識・自己」についての話の最後は、快楽がどう私たちの行動を支配しているのかについての最近の研究を紹介して終わる。スピノザやフロイトも脳の快楽中枢について研究が行われる日が来るとは想像だにしなかっただろうが、この分野の第一人者Berridge とKringelbachの共著で書かれた2編の総説 (Kringelbach & Berridge, The pleasure circuit found in the brain. Scientific American , p40, 8月号、2012、 Berridge & Kringelbach, Pleasure system in the brain, Neuron, 86, 646, 2015)を読むと、面白い研究が進んでおり、これを読めばフロイトも大いに興奮しただろうと思うので、これら総説の内容を私なりに脚色しながら紹介したい。

電極を挿入して局所的に脳を刺激する治療法(脳深部刺激療法)は現在パーキンソン病を中心に様々な疾患に利用されている。しかし脳の病気を電気刺激で治療する可能性追求の歴史は古く、1938年イタリアで統合失調症に対して行われたいわゆる電気ショック療法が最初だ。私が医学生の頃、精神科ではこの治療法は広く行われていた。効果はあると習ったが私自身は現場に立ち会ったことはない。その後、様々な向精神薬の開発が進み、通電時の身体的・精神的苦痛を懸念して、この治療は下火になった。

代わりに外科的に電極を脳に埋め込み、留置した電極を介して微小電流を脳内で流す脳深部刺激治療が開発され、現在パーキンソン病の治療などに広く行われるようになっている。この方法の開発研究の初期に、重いうつ病治療のために視床下部や側坐核周辺の脳幹部に電極を挿入された患者さんが電気刺激を受けている間だけだけうつ症状が改善し、笑うようになることが報告された。驚くことに、この治療を受けた一人は、刺激スイッチを自分で押すことを許可されると、なんと3時間に1500回もボタンを押し、一種の中毒症状を示したことが報告される。この結果は、脳の中に快楽中枢があることを示す証拠として大きな話題になった。

一方実験動物ラットの中脳辺縁ドーパミンシステムを刺激する実験からも、快楽中枢が存在することが示唆され、この実験は快楽電極(Pleasure electrode)実験と呼ばれた。この部位の刺激はラットに快感を与え、ラットを条件付けるための褒美として用いることができることがわかった。例えばラットを大きな飼育箱に入れ、4つのコーナーのうちどこに集まるかを、電気刺激で快感を与えることでコントロールすることができる。さらに驚くのは、ラットが自分でレバーを押して電気刺激をオンにできるようにすると、ラットは中毒に陥ったように自発的にレバーを押し続けるようになることが示された。この刺激中毒に陥ったラットは、食べるのも忘れてレバーを押し続け、なんと1時間に1000回もレバーを押し続けたことが記録されている。

図2:最初に考えられた快楽中枢システムの伝達経路(赤線で示している。)。被蓋からの経路はドーパミンを最も重要な神経伝達分子として使っている。

この結果は他の研究グループによっても追試が行われ、図2の赤線で示した回路が脳の快楽システムを伝達し個体の行動を調節する回路として考えられるようになった。この回路の起点の被蓋にはドーパミン作動性の神経が存在しており、ドーパミンこそが様々な領域の脳細胞に褒美として使われ、行動を支配するニューロトランスミッターであるする「ドーパミン快楽説」が通説になる。実際、中毒になるほどの行動支配力が電極刺激で得られるなら、このシステムが快楽中枢として行動を支配するとするこのドグマは説得力があった。

しかしドグマは常に破られる。このドグマを疑って、快楽による行動支配のメカニズムについて新しいモデルを示したのが、BerridgeとKringelbachのグループだ。研究の歴史はすべて割愛し、快楽による行動支配が現在どう理解されているのかを、彼らの説に従って見ていこう。

彼らは人間や動物の注意深い観察を基礎に、快楽反応が実際には、3種類の過程、Wanting(モチベーション:欲)、Liking(好み、満足)、それにLearning(学習)から構成され、それぞれの過程は別々の神経メカニズムで調節されていることを明らかにした。Learningは一般的な学習のことで、快楽の基準を形成するためには必須だ。例えば、子供の頃には食べられなかった食品も、学習によりうまいと感じる。このように学習は快楽行動の形成に必須だが、今回は説明を省き、WantingとLikingについてのみ説明する。

BerridgeとKringelbachが快楽を感じている指標として最も重視しているのがlikingと彼らが呼ぶ行動で、人間の赤ちゃんからネズミに至るまで、甘いものを与えると、顔の緊張が取れて、口を少し開けて締まりのない表情になるのを観察することができるが、これに相当する。すなわち、満足感が表に出てしまうおかげで、liking反応が起こっているかどうか判断できる。(Neuronに発表された総説はウェッブからフリーアクセスなので是非写真を見て欲しいhttp://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0896627315001336)。

快楽行動が、WantingとLikingと2種類の神経科学的にも別の過程から構成されていることを確認するため、「快楽反応の主要因」と考えられていたドーパミンの分泌を低下させた動物に砂糖水を与える実験が行われた。

Wantingを砂糖水の消費量、Likingは顔の表情を指標として調べると、ドーパミン産生を低下させたマウスでは砂糖水の消費量は極端に低下するが、甘い砂糖水を飲んだ時はlickingを示すことがわかった。一方ドーパミンの脳内濃度が高いマウスでは、砂糖水を飲もうとする行動が促進されるが、飲んだ後のlikingの表情は示さない。この結果から、これまで快楽回路として考えられてきたドーパミン作動性の回路はWanting、すなわち行動への欲望を高めるのに関わっており、甘い水を快楽と感じることには関わらないことを示している。

このことは、先に述べた深部刺激のレバーを押し続けるうつ病の患者さんでも確認された。すなわち、彼はボタンを押し続けていても、一言も「いい気持ち」とは語っていない。ただ、追い立てられるように行動を起こしているだけだ。おそらくこの快楽が達成できていないことが、ボタンを押すのを止められない理由かもしれない。このように、欲動と、それによる快感は分離することができる。

さて快楽行動に関わる2つの過程を分離して調べるための指標が決まると、次にlickingに関わる脳領域を特定するため様々な場所に電極を挿入し、その細胞を刺激(この研究ではエンケファリン(麻薬物質)が注射されている)することでlikingの表情が現れるかどうか調べることができる。脳内の様々な場所に電極を挿入してliking反応が誘導できる部位が特定され、これらの領域をhedonic spot(快楽スポット)と名付けた。

このhedonic spotという名前からわかるように、例えば快楽を支配する中枢に相当する大きな領域が存在するというものではなく、様々な領域の中にラットの場合1mm立方ぐらいの大きさの小さな独立したスポットが集まる領域が存在することが分かった。また、hedonic hotspotが集まる領域は決して一箇所ではなく、傍小脳脚核、腹側被殻、側坐核、眼窩前頭皮質、島皮質がhedonic spotが集まっている代表的な領域だ(図3で黄色のスポットとして示している)。それぞれの領域は相互に関係しているが、例えば食事の満足で見ると、側坐核内のhedonic spotsと腹側被殻内のhedonic spotsが最も大きな役割を果たしていることが明らかにされている(図3:黄色の矢印)。それぞれは、眼窩前頭前皮質にあるhedonic spotとネットワークを作っている。これらの領域を障害する研究から、3つの領域の中では腹側被殻の障害が最も強い影響が見られることが分かっている。すなわち、hedonic spotsはネットワークで結ばれ、それぞれが異なる機能を持っていることが予想される。


図3:側坐核前方と腹側被殻を中心とするhedonic ネットワーク。説明は文中。実際の実験はラットで行われ、図3はそれを人の脳にマッピングし直している。快楽を与えてどこが興奮するか機能的MRIを用いて調べ、人間でのhedonic hotspotのマッピングも行われており、ラットとの結果と重なる。

さて、図2に示したように、Wnating(欲動の回路)を支配している最も重要な分子はドーパミンだったが、hedonic spotでは麻薬に反応する受容体が重要な働きをしている。ただ、麻薬に対する反応が常に快楽をもたらすわけではない。例えば、最も研究されている側坐核では、麻薬や大麻などの刺激に対する受容体と体内麻薬分子がホットスポットの興奮に関わり、liking反応を誘導する。しかし同じ側座核でもhot spotを外れると、同じ刺激がlikingを抑制することが分かっている。要するに、快楽の感情のメカニズムは簡単ではない。

この快楽感情の複雑さを示す最たる例が「感情の鍵盤だ」だ。側坐核内の領域を丹念に刺激し、マウスの行動と対比させるマッピングを行うと、図4に示すようにlikingを高めるhot spotから嫌悪の反応を示すfear spotまでが、空間的に順序だって鍵盤のように並んでいることが明らかになった。この配置を彼らは「感情の鍵盤」と読んでいるが、快楽と恐怖が一つの領域に配置されることで、最終的感情を決めていることに驚嘆せざるを得ない。

図4側坐核の刺激実験により明らかになった「感情の鍵盤」
刺激により快楽を感じる部分から恐怖を感じる部分まで、順序良くスポットが配置されており、一つの領域でgo or not goの指示ができるように計画されている。

BerridgeとKringelbachの切り開いた快楽のメカニズム研究分野は現在急速に発展している。この結果、フロイトやスピノザが想像したように、快楽が私たちの行動を強く支配していることは間違いない。しかし、側坐核の複雑さからわかるように、これらの結果を人間の行動理解にどう当てはめていくかは簡単ではないが、hedonic spotとfear spotが常に共存して、私たちの感情を調節し、善か悪かを決めている現代脳科学の最先端に触れれば、スピノザも興奮するだろう。

またこのような感情に関わるスポットが存在する領域が脳内に散らばって、ネットワークされていることも明らかになった。このことは、このネットワークに、感情とは異なる様々な神経ネットワークが連結し、感情の強さや質を変化させ、また感情を行動に統合する。もちろんドーパミンにより作動されるWanting回路はまずこの感情回路と結合しなければならない。そしてこのようにして形成される「エス」は、さらに人間特有の脳回路と結合することで、超自我や抑圧された無意識が可能になる。この人間特有の回路とは何かを考えるときに基盤になるのが、この感情の回路であることは、現代脳科学が発達した今も、フロイトの時代から変わっていない。

次回からは人間特有の回路から生まれた最終的情報、言語について考えていく。

[ 西川 伸一 ]

カテゴリ:生命科学の現在

制酸剤はアレルギーのリスクになる (08/19/2019)

2019年8月19日

毎日書いている論文ウォッチは主に生命科学の大学生以上を対象としているので、一般の方に対する情報としては少し難しい。そこで、今日から一般の方にもわかりやすい論文を紹介する「生命科学をわかりやすく」というセクションを設けることにした。毎日紹介することはできないが、こちらもぜひ読んでほしい。原則として、査読を受けた論文を対象としているので、間違った情報が発信される確率は低いが、もちろん捏造という場合もあるので、そこは大目に見てほしい。

第一回目の今日はウィーン医学大学からの論文で、最もよく処方される薬剤の一つ、胃酸を抑制する抗酸剤の使用が、アレルギーを増やしているという研究でNature Communicationに掲載された(Nature Communications (2019) 10:3298 | https://doi.org/10.1038/s41467-019-10914-6)。タイトルは「Country-wide medical records infer increased allergy risk of gastric acid inhibition (オーストリア全国の医療記録から胃酸抑制によりアレルギーのリスクが高まることが推察される)」だ。

この研究は最初から制酸剤を投与するとアレルギーリスクが高まるということを仮定して研究を進めている。2009年から2013年までの期間、オーストリアで処方された制酸剤、抗アレルギー剤、そして高脂血症や高血圧に対する一般的な処方を抜き出し、それぞれの薬剤が組み合わさる確率を調べただけの研究だ。これにより、制酸剤とアレルギー発症の関係を調べられると期待できる。

結論は明確で、様々な制酸剤(プロトンポンプ阻害剤が一番多い)が処方された後、抗アレルギー剤が処方される確率は、全オーストラリアで2倍近くに達し、一部の地域ではなんと3倍に達するという結果だ。

女性の方が影響を受ける確率が高く、また60歳以上の高齢者は、20歳以下の若者よりリスクが高い。

様々な原因が考えられるが、制酸剤の免疫細胞への直接作用よりは、胃酸をおさえて食べ物の消化が抑えられることで、抗原が分解されずに摂取されることが、最も大きく寄与しているようだ。

他にも原因は考えられるが、原因追及より先に制酸剤の処方をもう少し慎重に行うことが重要だと思う。

8月19日 視覚認識を脳内で再現する(8月9日号 Science 掲載論文)

2019年8月19日

最近あまりにも論文が多すぎて光遺伝学を用いた研究を紹介する機会が減ったが、技術的には急速に進んでいる。というのも、光を使う問題点ははっきりしており、それを解決してより精密な神経コントロールが可能になりつつある。したがって、一度この辺についてもジャーナルクラブで取り上げる予定にしている。

そのとき是非取り上げたいのが今日紹介する光遺伝学の本家本元Karl Deisseroth研究室からの論文で、視覚認識の経験を、光遺伝学的に脳内に再現するという研究で、重要な課題を設定しその解決のために必要な技術を開発していくこの研究室の迫力に満ちた研究だ。タイトルは「Cortical layer–specific critical dynamics triggering perception (知覚を誘導するために必須の皮質特異的動態)」だ。

光遺伝学の重要な進歩の一つは、立体的に構成されている神経細胞を狙って光刺激を入れるホログラム方法の開発だろう。まず自然の感覚刺激により興奮する神経細胞を記録し、それをもう一度刺激するという離れ業だ。ただ、こうして作成する光のスポットに迅速にしかも強く反応できるロドプシンは存在しなかった。

この研究ではまず、微弱な光に反応できる海洋の微生物600種類以上のゲノム解析から、彼らがChRmineと名付けたチャンネルロドプシンを特定する。これは、赤い光に反応するため、カルシウムイメージングで出てくる光の影響を受けないため、刺激と興奮記録を同時に行うことができる。また、光への感受性も高く、さらに反応時間も短く、ホログラム刺激と組み合わせるのに最適の分子であることを示している。

あとは、マウスが縦縞、横縞の資格刺激を受けたときのV1視覚野で興奮する神経を記録し、皮質2/3層と5層に散らばる神経細胞を刺激できる様にしている。

この方法により、視覚刺激に対して訓練されたマウスを用いて、視覚で刺激される神経興奮と同じ認識が光遺伝学で再現できること、さらには視覚でははっきり区別がつきにくい刺激を光遺伝学を同時に組み合わせて正確な認識が可能になることなどを示している。また、視覚認識形成時の皮質の回路についても、刺激と記録を組み合わせた実験から明らかになっている。

もちろんこのためには、視覚により興奮した細胞だけでなく、興奮しなかった細胞で光遺伝学刺激で興奮した細胞など、刺激と記録が同時に可能であるという利点を生かして詳しく調べ、それをもう一度至適な刺激として再構成することまで行っている。おそらくネズミは、見るという経験を、光遺伝学的にもう一度経験し直しているのだろう。

極端に言えば、将来私たちの経験を脳の興奮のパターンとして記録し、それを再現してもう一度思い出を体験するということが可能であることを示しており、この分野がもうSF作家の想像力の世界にまで到達していることを示している。次はなにを見せてくれるのか、興味が尽きない。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月18日 転写開始過程の生化学(Natureオンライン掲載論文)

2019年8月18日

転写について今どの様に教えているのだろう。基本は、DNAをRNAに読み替えるポリメラーゼ(Pol II)を正しい場所にリクルートし、それを開始点としてRNAを合成しながら、正しい場所でスプライシングする過程といえるが、これだけなら普通の代謝マップの様な簡単そうな図がかけてしまう。しかし、転写開始点ではPol IIはプロモーター、エンハンサーに結合する転写因子とメディエーター含む複合体を形成しているし、スプライシングのためにはこれもスプライソゾームと呼ばれる大きなタンパク質複合体と結合する。この機能の違うしかし巨大な複合体とPol IIの相互作用を追跡することは簡単ではない。

今日紹介するRichard Young研究室からの論文はこの過程をPol IIがタンパク質複合体の中に一種の相転換のように隔離される過程として可視化しようとした研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Pol II phosphorylation regulates a switch between transcriptional and splicing condensates (Pol IIのリン酸化により転写複合体と、スプライシング複合体のスイッチがおこる)」だ。

転写からRNAの合成までに何が起こっているかは明確なイメージがすでにできている。まず、転写因子とメディエーター複合体とPol IIが合体することで転写の開始の用意ができる。このPol II のC末端の2つのセリンがリン酸化されることでPol IIがDNAを移動してRNA合成が起こるが、この時スプライシング複合体がPol II上に形成される。

ただ、この様な巨大な複合体がPol II上でどう転換するのか、そんな簡単な話ではない。この研究では転写のMediator複合体とPol IIのC末が、例えばNanog遺伝子上で合体していること、このMediator との合体にはC末がリン酸化されていない必要があることを示している。

エンハンサーにより転写が進む遺伝子上では、当然のことながらPol IIはスプライシング分子とも合体していることも確認している。すなわち、この転写因子とMediator複合体からスプライシング複合体の乗り換えがおこるのだが、これがPol II のRNA合成開始を誘導するC末のリン酸化に依存しているのか、試験管内で分子の複合体形成を組織化させて調べる一種の相転換を利用した方法で調べている。

結果は予想通りで、C末がリン酸化しないときはMediatorを含む複合体を形成するが、CDD7, CDK9でリン酸化すると今度はスプライシング分子と複合体を形成する。すなわち、C末のセリンリン酸化により、転写因子・Mediator複合体からスプライシング複合体へ乗り換えが起こることが確認されたことになる。

結論はこれだけで、当然の話だと思われる人もいるだろう。しかし、彼らが開発したdroplet assayで、分子が液相からタンパク質複合体へと自然に合体することを目に見えるようにしたことは重要で、これにより現象論から化学的胴体解析へと踏み込めるのだという実感がもてる、さすがYoungのグループだと思える研究だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

生物情報の進化 I 脳以前

2019年8月17日

ゲノムの発生

2016年8月1日

これから何回かにわけて、生物進化とその過程で生まれた情報について見ていく。この作業を通して生物進化を、様々な情報が生まれる過程として眺めてみたい。そしてこれらの情報を、「伝達性・コミュニケーション」と「環境の自己への同化」の観点から再検討することで、なぜ進化の究極に言語が誕生出来たのかに至る議論が出来ればと思っている。

前回述べたが、ある現象を特定のシグナルとして解釈できる生物機構がうまれると、この機構により解釈されることで、あらゆる現象は情報に変わる。この機構を理解することは当然生物進化の理解に欠かせないが、このシリーズでは、個体間、細胞間で伝達・コミュニケーション可能な情報に限って議論を進める。

元々、20世紀の情報理論は情報の伝達とコミュニケーションについての科学として生まれた。例えばシャノンの情報理論は、非物理的存在である情報が、伝達という観点から見ると、物理的物質(例えば電線)と量的な相互作用をすることができること、また情報が物理量による変化を受けてもコミュニケーションを成立させるための理論として始まった。また、選択された形質の子孫への「伝達性」はダーウィン進化論の中核をなす概念だ。生物にとっての情報は必ずしも個体間で伝達される必要はないが、今回は伝達・コミュニケーション可能な情報に限って議論する。

しかし、生物間で伝達とコミュニケーションに使える情報はゲノムだけではない。高等動物になると、ゲノム以外にも他の種の生物に伝えることのできる情報は数多く存在する。例えば言語も人間(生物)が持つ情報媒体だ。言語を獲得することで、私たちは自己を身体から解放し、ほぼ全ての人にほとんど無限の情報を伝えることができ、さらには他の個体と瞬時にコミュニケーションすることが可能になった。

このことを哲学者ヘーゲルはうまく表現しているので引用しよう。
「言葉は、自分を自分自身から分離する自己である。これは、純粋な自我=自我という形で、自らの対象となり、この対象態のうちにこの自己としての自らを支えるとともに、またそのまま他者と合流しており、他人の自己意識でもある。」(ヘーゲル 精神現象論:樫山欽四郎訳))

この様に伝達性・コミュニケーション性から見ると言語は情報進化の究極にあるが、言語に至るまで伝達可能な他の情報が進化の過程で現れた。これらの情報がどこに向かって、どのように伝えられるのかを見ていくのがこれからの作業だ。

情報の進化を理解するためのもう一つの観点に「環境の同化」を選んだのは、環境を同化しようとする指向性が進化の原動力と考えているからだ。環境による選択と言ってもいいのだが、ゲノム以外の情報が加わってくると、もっと積極的な環境の取り込みが起こっている。従って、ゲノム以降新しく生まれた様々な情報が環境を同化する過程を見ることで、進化の力学の本態を知ることができる。

環境の同化を考えることで、「進化は多様化した個体を環境が選択すると過程」といった紋切り型の議論を排して、進化の本当の力学を理解できるようになると期待している。そのため、個々の情報が進化にどう関わり得るかについても丁寧に検討してみたい。

伝達性を考えるとき、一つ注意してほしいのが、環境の変化を通して個体の活動が子孫に伝達できる点だ。あらゆる生物は様々な大きさの領域に拡がる環境を変化させる可能性を持っている。生物により変化させられた環境は、回り回って子孫の生存を制約できる。すなわち、生物による環境変化に関わった全ての情報は、こんどは環境からの制約という形で子孫に伝わる。少しわかりにくいと思うが、例えば言語情報を介する高次機能によりこれまでなかった新しい生活環境(例えば都市)が生まれたとしよう。こうして出来た都市は影響力のある環境として、子孫の生存や進化を制約する。これは人間だけの問題ではない。都市から排出されるスモッグで黒い羽を持つ蛾が都市では優勢になるという有名な「工業暗化」の話は、生物同士が環境を変化させることで、それぞれの進化に影響した例と言える。この生命の「歴史性」の問題は、進化を考える上でも重要な問題で、ゲノム以外の情報の進化への影響を扱う際常に留意する必要がある。

図1にこれから扱おうと思っている情報を図示したが、1)ゲノム、2)フェロモン、3)エピゲノム、4)神経回路と脳の高次機能、5)言語、そして最後に6)バーチャルリアリティーに限ろうと思っている。図に示すように、これらの情報を全て持つ生物は現在地球上には人間しか存在していない。また、地球上で生まれた伝達可能な情報は全て生命活動と連関しており、生命誕生と同時に生まれたゲノムから、約2万年前に誕生する言語まで、それぞれの情報の誕生は、生命の進化の方向性を大きく変化させ、また地球自体を作り変えてきた。


図1 進化から生まれた様々な情報:今回から順に扱おうとしている生命情報。これらは、38億年前のゲノム誕生と、約2万年前の言語誕生の間の生物進化過程で生まれた。

次回から図1に示した、生命情報、というより地球上に順番に現れた様々な情報進化として生物進化を眺め、それぞれの情報を伝達性と、環境同化性の観点から整理してみたいと思う。

ただ、地球に現れた最初の情報、ゲノムに関しては、これまで十分述べてきたので、今回手短に触れておくだけにする。

情報1:ゲノム

ゲノムを一言で定義せよと言われれば、私は「生殖を通して伝えることができる唯一の生物の情報」と定義している。生殖を通してだけ伝わるということは、ゲノムの伝達性は、ほぼ子孫に制限されていることを意味している。すなわち、複製を通して情報が子孫に共有され、それにより生きるためのメカニズムも共有される。

しかし他の生物の遺伝子が一部、あるいは丸ごと統合した名残を現在の生物にも見ることが出来る。例えばミトコンドリアやクロロフィル、あるいは水平伝搬でゲノムに入り込んだDNA断片だ。このため、生殖でしか伝えられないと言ってしまうのは言い過ぎとは思うが、高等動物になればなるほど「生殖を通してのみ伝えられる」という条件に従うようになる。

ただ忘れてならないのは、「生殖を通してのみ子孫に伝わる」というメカニズムと、他の個体の遺伝子を同化する過程を融合させた、「性生殖」という方法が生まれたことだ。

生物学的「性」とは、まさに個体間の遺伝子情報交換のことだ。これは原核生物にも存在し、一つの個体から他の個体に情報が移り、そこで相同組み替えが起こることで、異なる個体間の情報が一つの情報に作り直される。さらにこの方法でゲノム自体のコミュニケーション(相同組み換え)も可能になった。すなわちゲノムは伝達可能でコミュニケーション可能な情報になった。

このスッキリした定義は20世紀になり、少し危なっかしくなった。すなわち、人為的にゲノムを改変することが自由に行えるようになった結果、ゲノムの伝達性に関する制約条件は新たに変わろうとしているが、これについては言語を考えるときにもう一度議論したいと思う。

次に進化を環境の自己への取り込みという観点から見たとき、ゲノムが取りうる方法について見てみよう。

まず環境をRNAやDNAとして直接取り込むことが可能だ。この最たる例が、ミトコンドリアや葉緑体で、最初は体内の寄生生物として存在していたミトコンドリアの遺伝子が徐々に宿主のゲノムに移行して、宿主の自己に一体化していく過程は、まさに環境の取り込みとして見るとわかりやすい。

ミトコンドリアに限らず、環境 を情報として直接取り込む遺伝子伝搬は誕生初期の生物では普通に起こっていたと考えられる。ただ、この方法で直接環境からゲノムを取り込むことは、原始ゲノムから、単細胞、そして多細胞個体へと生物の自己の範囲が拡大するにつれてその頻度は下がっていった。特に多細胞動物になると、自己の制約から完全に独立した情報をそのまま取り込むことは、弊害の方が多くなったのだろう。この危険は、侵入した外来のゲノムの活性化を抑え込むエピジェネティックなメカニズムが進化しているのを見ると理解できる。

このことから、ゲノムは外来のDNA(情報)を容易に受け入れることができるが、自己という制約とは無関係に生まれた情報をそのまま取り込むことは、それがいかにゲノムの多様化に寄与するとしても、危険を伴うことがわかる。

例外として、既に述べたが性生殖という様式により、他のゲノムの断片を、別のゲノムに移すことが可能になっている。この場合、相同組み換えという機構が用いられるが、自己の制約の中で(相同性)ゲノム同士の情報が交換されるという様式が厳しく守られていると見ることが出来る。

もちろん、現在もなおトランスポゾンがゲノムの多様化に寄与する例はあるが、ゲノムが環境をとりこむための過程は、

  1. 1)変異と性を介したゲノムの多様化、
  2. 2)多様化した情報の翻訳、
  3. 3)翻訳された形質の選択

を繰り返すことで進む。

繰り返すが、この稿では選択を環境の同化として捉えていく。誤解を恐れず言ってしまうと、これはキリンの長い首を、丈の高い木の幹という環境が同化した結果と考えることだ。

同じような同化の例として亀の甲羅の進化についての最近の研究を紹介して終わろう。論文のタイトルは「Fossorial origin turtle shell (かめの甲羅は穴掘りが起源)」で、7月号のCurrent Biology (Vol 26:p1887, 2016)に掲載されている。

亀の甲羅の進化は、通常頭などの体の柔らかい部分を隠す硬いシェルターとして進化したと考えられてきた。例えば強い歯や爪を持った天敵の存在が、心臓や肺を守る硬い肋骨の進化を促したとでも考えればいいのだろうか。すなわち天敵のいるという環境圧が硬い甲羅を選択したと考えられていた。

ところがこの論文では、最初からシェルターを肋骨から作ろうとすると、運動能力や呼吸機能が低下し、逆効果になる。一方、亀の甲羅は最初穴掘りに適した骨格として進化したと考えると、2億年から2億5千万年前に生息していたと考えられるカメが、強い肋骨に支えられた前腕、長い爪など穴掘りに適した骨格を持っていることとも話は合うと主張している。

この主張の真偽はともかく、シェルターの必要性の観点から見ると、先に甲羅を発達させるより、確かに穴を掘った方が早い。そして、その後カメだけはこのシェルターとしての穴を、甲羅という形で自己に同化することに成功したと考えると、まさに環境が自己に同化している。

進化での選択を、環境の同化と置き換えてみるのも悪くないと思っていただいただろうか。

さて、次回はまずフェロモンから始める。

[ 西川 伸一 ]

情報の進化:1 フェロモンから見る情報の伝わり方と意味

2016年8月15日

情報を伝えるというと、私たちはすぐ何らかの媒体で表現された情報を個体間でやりとりすることを考えるが、原始ゲノムから細胞へと自己を拡大したばかりの単細胞生物では、情報の伝達とは、個体と一緒に同じ情報が増殖することで、この結果、同じ情報を共有した異なる個体が生まれる。もちろんゲノムの複製はゲノムの多様化につながり、同じ情報というのは正確ではないが、ゲノムの伝達のためには複製以外の道はない。

こう言い切ると、「原核生物には水平遺伝子伝播で文字どおりDNAを媒体とした情報を伝えるメカニズムがあるではないか」と指摘を受けそうだ。しかし、ウイルスやプラスミドのような寄生体のDNAを別にすると、水平伝播で伝えられるDNA断片を情報と呼ぶことには問題がある。というのも、多くの場合DNAがゲノムに取り込まれても、取り込んだ方の個体がその情報を解釈する仕組みを持っていないことが多い。例えて言えば、私にとってロシア語の文章が情報になりえないのと同じだ。逆に、解釈できない異なる種由来のDNAを闇雲に取り込んでしまうと、情報が伝わるどころか、自らのゲノムの完全性(genomic integrity)が損われるほうが問題になる。事実、原核生物のゲノムは、環状化し、相同性のないDNAが挿入されないようにして、外来のDNAの侵入に備え、ゲノムのインテグリティーを守っている。

おそらくLUCA (Last Universal Common Ancestor:全生物の共通祖先)が誕生した最初の頃は、ゲノムがコードする分子の特異性も高くなく、少々の外来DNAの挿入は許容され、外来のDNAを積極活用する余地があったかもしれない。しかし、時間をかけて最適な機能分子が進化し、自己の範囲の中で(実際には細胞の中で)厳密な分子ネットワークが生まれると、変異や外来DNAの侵入は、進化には都合が良くても、個体にとってのリスクは大きい。

ゲノムのインテグリティーを守るためのDNA修復機構は、地球上の全ての生物に備わっており、LUCA誕生後おそらく急速に発展したはずだ。自らのゲノムと相同性を持つ場合にのみDNAをゲノム内に受け入れる仕組みは、まずゲノム修復を転用するシステムとして生まれ、その後DNA情報を交換する細胞の「性」の基本メカニズムとして発展する。

いずれにせよ、性を通して自分と相同性が高いDNA情報だけを伝える仕組みが発達し、ゲノム間の部分交換が可能になるまでは、他の個体からDNAが情報として伝えられることはなかったと言っていい。

ゲノムの新しい世代への伝達を生殖(増殖)に限ることにより、一個の個体由来の子孫がほぼ同じ分子を共有できることは重要だ。すなわち、細胞内外の同じメカニズムを全て共有する、自分のコピーが数多く周りに存在することで、様々な刺激に集団が同じように反応するポテンシャルが用意される。すなわち、生命を成り立たせている制約自体を集団へと増殖させることが可能になっている。

フェロモン

このような準備の後、新しく生まれた情報伝達機構が、フェロモンとエピジェネティック機構と言える。フェロモンは現存の原核生物や古細菌から存在しており、一方完全なエピジェネティック機構は真核生物から見られることを考えると、おそらくフェロモンの方が早く誕生したのだろう。

原核生物のフェロモンが最もよく研究されているのがQuorum sensing(クオラムセンシング)と呼ばれる過程だ。そこで、先ずこのQuorum sensingが何かから見ていこう。

Quorum Sensing

Quorumは日本語で定足数と訳される。すなわち、何かを行う決断するために必要な個体数のことだ。図1に示すように、Quorum sensingは個体濃度を常に測定して、個体数が一定数を超えた場合のみ、特定の分子発現(図では赤丸)のスウィッチをオンにする仕組みだ。


図1 Quorum Sensing 個体数を検出して(青丸の濃度)、一定の個体数に達したときだけ分子(赤丸)が発現する。このため定足数検出という名前がついた。(wikimedia commonsより)

実はこの現象が最初に明らかになったのは、イカに住みついて光を発する発光バクテリアvibrio fisheriの研究からだ。すなわち、vibrio fisheriが蛍光物質を作るためには、菌がイカの体内で一定の濃度に達する必要があることがわかった。その後この仕組みが、様々な過程に使われていることが明らかになる。例えばQuorum sensingは細菌感染学でも重要な問題になっている。食中毒などのトキシンを分泌する事が出来る菌も、一定の菌数濃度に達しないと毒性を発揮しないことが知られている。このセンサーを破壊して、トキシンの分泌を止めることができると、有効な治療法になる。

Quorum sensingの分子メカニズムはほぼ完全に解明されている。このメカニズムには、定足数(菌濃度)を教えるための指標(インデックス)となる分子、その分子が一定濃度に達したことを感知する分子、そしてこの認識を様々な物質の生産につなげるための転写活性化メカニズムが必要になる。この分子機構については多くのバクテリアで解明が進んでいるので、ここではグラム陽性菌を例にQuorum sensingに関わる分子機構を示す。


図2:グラム陽性菌でのフェロモンによるシグナル伝達経路。説明は本文参照。

この系で定足数の指標になる分子がフェロモンだ。グラム陽性菌では私たちのペプチドホルモンと一緒で、先ず長めのペプチドが作られ、それが細胞外へ分泌されるとき短く剪定される。この仕組みにより、ペプチドを作った同じ細胞にセンサーが存在していても、一度細胞外へ出たペプチドだけが刺激できるようになっている。

一方、グラム陰性菌ではペプチドの代わりにラクトンを核にした有機化合物を使っている。これはエストロジェン(Estrogen:女性ホルモン)などの核内受容体に対するリガンドと似ていると言えるかもしれない。

Quorum sensingが働く菌は常にフェロモンを作り続けているが、菌濃度が低いと細胞外のフェロモン濃度は検出感度以下でとどまり、フェロモン受容体は活性化されない。ところが菌数が増えてくると、それに応じて細胞外のフェロモン濃度が上昇し、受容体は活性化され、標的遺伝子の転写のスウィッチが入る。これがQuorum sensingのメカニズムだ。

どちらのタイプのフェロモンにも2種類のセンサーが特定されている。一つは、細胞内に入ってきたフェロモンと結合して、転写活性のスウィッチが入る転写因子で、もう一つは細胞表面上でフェロモンと結合し、リン酸化反応を介してシグナルを伝える細胞表面受容体タイプだ。この構造を見ていると、人間がホルモンとして使っている、核内受容体(例えばエストロジェン受容体)と細胞外受容体(例えば成長ホルモン受容体)などと同じタイプのメカニズムがバクテリアから存在していることがわかる。

メカニズムはこのぐらいにして、フェロモンシステムの進化を考えてみよう。まず、原核生物で見られるフェロモンシグナル伝達システムの基本構造は、その後の生物で普遍的に見られることから、フェロモン自体の進化については割愛して、LUCAがフェロモンシステムを進化させてきた過程について考えてみよう。

理解を容易にするため、ここではフェロモンが細胞内で転写因子に結合して転写を活性化させる系だけを考える。ここで使われている分子メカニズムは、まさに細胞内で合成された分子を使ってフィードフォワードループを動かす系と同じで、あらゆる生物で普遍的に見られる。ジャコブとモノーが発見したトリプトファンに結合してトリプトファンオペロンを抑制するトリプトファンレプレッサーは最も有名な例だ。ただ細胞内部にメッセンジャーがとどまるフィードフォワード回路とは異なり、そのまま、或いはプロセッシングを受けたあとフェロモンとして細胞外に分泌されることで、自分だけでなく他の個体にも作用できるようになっている。

メッセンジャーを細胞内だけでなく、細胞外に分泌できるようにして他の個体にも情報を伝達する進化により、それまで全く単独で生きてきた生物は自己の範囲を広げ、他の個体と情報を共有し、同じ行動を取る一種の社会行動が可能になった。


図3 バイオフィルム(wikimedia commonsより)。バクテリアが一定濃度に達してEPSを分泌しフィルムを形成、それをバクテリアが一種の住処として利用している。

Quorum sensingの意義を考えるとき、バクテリアがEPSと呼ばれるポリマーを分泌して集合体を作るバイオフィルム形成過程で、同じ機構が働いていることは興味深い。バイオフィルムは単独では決して形成できない。形成に必要な細胞数に達しているかどうかの情報共有をQuorum sensingは可能にしている。すなわち、自己の範囲を拡大する進化をここに見ることができる。さらに、バイオフィルムは、環境の自己への同化が起こっている例として見ることができないだろうか?

ではこのシステムで生まれた情報の特徴について最後に見ておこう。まず情報の媒体にコード性はない。しかし、記号論的にいうとフェロモンは個体数のインデックスになっている。そしてこのインデックスを解釈する仕組みを共有することで、インデックス自体とは物理的に関係のない物質を作ることが可能になっている。このように、フェロモンシステムはゲノムと異なりコード性は全くないが、代わりにインデックス記号性を持ち、これを介して同時代の他の個体と情報の共有とコミュニケーションが可能になっている。

バイオフィルム形成と同じ情報共有システムはその後、あらゆる単細胞動物で発達を遂げ、多細胞動物への道を開く一つの条件となり、生物の新しい情報の重要な類型となった。

次回は、単細胞生物から多細胞生物への進化に必要だったもう一つの情報伝達・コミュニケーションシステム、エピジェネティック機構について考える。

[ 西川 伸一 ]

情報の進化II クロマチン構造を媒体とした情報

2016年9月1日

フェロモンの次に議論する情報は「クロマチン構造を媒体とした情報」だ。この情報は一般的にエピジェネティックスと呼ばれることが多い。ただ、エピジェネティックスという言葉の指す範囲は曖昧で広い。このため、ここではエピジェネティックスを「クロマチン構造を媒体とした情報」に限定する。

まず簡単に「クロマチン構造を媒体とした情報」、エピジェネティックスについて簡単に解説する。

私たち人間は40兆個近くの細胞を持っているが、全て一個の受精卵が発生過程で、発生プログラムに従って様々な細胞に分化した結果だ。リンパ球のような一部の例外を除くと、何百、何千種類もの異なる細胞ができるためにゲノムの変化は全く必要ない。細胞の形は異なり、作られる分子は全く違っていても、私たちの体の中の細胞は全て同じゲノムを持っている。このゲノムの変化なしに異なる性質の細胞が発生し維持されるメカニズムがエピジェネティックスだ(図1)。


図1 発生ではゲノムは変化せず、クロマチン構造の変化だけが起こる。従って、ほとんどの発生過程は、エピジェネティックな過程と見ることができる。(図はWikiを拝借)

次にこの発生の結果何が可能になったか考えてみよう。何百種類の細胞がただ発生したというわけではない。例えば皮膚の細胞は皮膚細胞を作り続け、血液細胞は血液を安定に作り続けることが可能になっている。同じゲノムを持っている細胞同士なのに、決して皮膚の細胞が血液に変わることはない。もしそんなことが一定の確率で起こったら私たちの体の統合性はたちどころに破綻する。

これを支えるメカニズムがクロマチン構造を媒体とした情報=エピジェネティックスで、原則として真核生物で初めて見ることができる。このゲノムとヒストンと呼ばれるタンパク質が互いに協調することで形成されるのが、クロマチン構造で、それぞれの細胞種でパターンが異なる。また、細胞分裂でヒストンが外れても、もう一度同じように再構成できることから、クロマチン構造を繰り返し形成し直すための一種の鋳型ができていると考えると判りやすい(図2)。


図2:クロマチン構造と修飾:ヒストンの少ないところはクロマチンが開いていると表現し、一般的にそこにある遺伝子は転写因子と相互作用する。一方、多くのヒストンが集まった部位はクロマチンが閉じていると表現し、ここにある遺伝子は転写因子から隔離されており、発現できない。(図はWiki を拝借) 

このクロマチン鋳型は、全ゲノムにわたって活性化部位と、不活性化部位を区別する印をつけることにより形成される。これらの印は、ノートの開きたい場所と、閉じておきたい場所につける付箋のようなものと考えるといい。

体の全ての細胞には、それが属する種類、すなわち皮膚細胞、血液細胞といった種類に対応する異なる鋳型が存在している。そして何よりも重要なのは、細胞分裂でこの鋳型も複製され、二つの娘細胞に伝わる。このような性質から考えれば、エピジェネティックスをクロマチン構造を媒体とした情報と呼ぶことは何の問題もない。また、この鋳型があるおかげで皮膚細胞は間違って血液細胞や脳細胞になる心配なく、皮膚細胞を作り続けることができる。実際、この鋳型を維持するメカニズムが狂うと、皮膚細胞が思いもかけない細胞へ分化するといった乱れが生ずる。ガンで見られる異型細胞の出現はこの例だ。

ではこのクロマチン鋳型とは何で、情報としてどのような役割を担っているのか見てみよう。すでに図2に図示したように、ゲノムは細胞の種類に応じてヒストンが詰まった閉じた状態と、結合しているヒストンが少ない開いた状態にわかれている。

この開いた状態、閉じた状態を決めているのが、染色体と結合しているヒストンのN末端にある領域に存在する数種類のリジン残基のメチル化とアセチル化、そしてDNA自体のメチル化だ。このゲノムの場所特異的なヒストン修飾パターンやメチル化DNAパターンが鋳型として子孫に伝わり、繰り返し働く。これを可能にするのが、発生過程で細胞分化に合わせて鋳型を書き込むメカニズムと、細胞分化のあと完成した鋳型を維持するメカニズムだ。

このメカニズムについての理解は最近急速に深まってきたとはいえ、今も研究途上の分野なので、ここでは解説は省く。ただ、多能性幹細胞を始め、様々な培養細胞のクロマチン鋳型を精密に調べる研究から、

  1. 1)細胞が分裂を繰り返しても同じ鋳型が子孫細胞に受け継がれること、
  2. 2)多能性幹細胞から様々な細胞系列が分化する過程で、各細胞に特異的なクロマチン鋳型が形成されること、
  3. 3)分化細胞をそのまま培養しても普通はクロマチン鋳型が変化することはないが、iPS誘導のように特殊な条件下ではリプログラムが可能で、この時実際に変化するのはこのクロマチン鋳型であること。

などが明らかになった。

この結果は、発生や成長で細胞分化のシグナルに応じてクロマチン鋳型を書き換えるメカニズムと、書き換えたクロマチン鋳型を安定に維持するメカニズムが間違いなく存在することを示している。すなわち、塩基配列のようなコード性は存在しないが、クロマチンのパターンを解釈して複製できることから、エピジェネティックスをフェロモンの次に誕生した情報と呼ぶことができる。

最後にクロマチン構造を媒体とした情報の特徴を、ゲノム、フェロモンと比較しながら見てみよう。

前回見たように、フェロモンはリアルタイムの個体間のコミュニケーションを可能にした全く新しい情報で、ゲノムだけがどれほど複雑化してもなしえない可能性を拓いた。前回このフェロモンの役割について、単位あたりの個体数を感知して一定の反応を起こすquorum sensingを例に説明した。ただフェロモンが活躍するのはquorum sensingだけではない。研究が進むもう一つの領域が、バクテリア同士がプラスミドを受け渡すときに働くフェロモンだ。これによって薬剤耐性が多くのバクテリアに伝搬するため、医学にとっては重要な分野になっている。

図3:フェロモン刺激によりプラスミドを持つバクテリアから持たないバクテリアへのプラスミドの伝搬が起こる。このメカニズムで薬剤耐性遺伝子が伝播される例が多く知られており、医学でも問題になっている。

図3に示す腸球菌の系では、フェロモンはバクテリアのゲノムにコードされているが、その受容体は薬剤耐性を持つプラスミドにコードされている。この結果、フェロモンに反応するプラスミド(+)バクテリアと、フェロモンを分泌するプラスミド(ー)バクテリア同士が特異的な接合を起こし、プラスミド陰性のバクテリアにプラスミドを渡すことが可能になっている。実際には、プラスミド(+)バクテリアが自分のフェロモンに反応しないよう、うまく抑制システムができているが、詳細は省く。

この現象からわかるのは、フェロモンが引き金となって、DNAを媒体とする情報のやりとりが行われ、この結果、効果が一過性のフェロモンのシグナルが、遺伝子変化として記録されることだ。すなわち、一過性のフェロモンの効果を長期間保持するためには、バクテリアでは遺伝子の変化として記録する必要がある。しかし、プラスミドのような限られた情報の伝搬は簡単でも、ゲノムを書き換えたりすることは難しく、出芽酵母のような一部の例外を除いて、同じ書き換えを繰り返すことは難しい。

一方真核生物への進化により、一過性に誘導される遺伝子発現状態をもとに、クロマチン鋳型を形成する能力、すなわちエピジェネティック過程が誕生すると、遺伝子の書き換えなしに、外界からのシグナルを特定のクロマチン構造として書き残すことが可能になる。

これをバクテリアがゲノムに記録する場合と比べると、外来の情報を持続的に記録するという点では同じだが、

  1. 1)記録が書き換え可能
  2. 2)多くのシグナルに対応して記録が可能。
  3. 3)同時に多くの個体がシグナルを共有し、それを同じ記録として維持することが可能。

などの、ゲノムでは不可能とは言えなくとも、簡単ではない記録が可能になっている。

これがクロマチン構造を媒体とする情報の誕生により生まれた可能性で、この獲得には20億年、生物の進化全過程の半分以上の時間が費やされている。次回は、この新しい情報の進化と、この情報がもたらしたインパクトについて考える。

[ 西川 伸一 ]

外界の情報を記憶するためのエピジェネティックス

2016年9月27日

前回「クロマチン構造変化を媒介とする情報(<エピジェネティックス)」が、
1)情報の書き換えができる、2)様々な外界のシグナルの影響を比較的迅速に記憶できる、3)異なる個体間で同じ情報を共有して同じ反応を可能にする、の3点で、ゲノムを媒体とする情報と異なることについて述べた。今回はこの違いについてもうすこし具体的に掘り下げる。

これを読んでいる読者のほとんどは、ルイセンコの名前を聞いても誰かわからないだろう。ルイセンコは、メンデル遺伝理論だけでは説明がつかなかった植物の現象を捉えて、獲得形質は遺伝することを主張したソビエトの農学者だ。彼を政治的に支持したスターリン政府の後ろ盾を得て、論敵を逮捕・追放したことで、科学的議論に政治を介入させたとして科学史に大きな汚点を残した人物だ。彼の理論は我が国にも様々な影響を残したようだが、これは私が大学に入学するより前の話だ。幸い、ルイセンコと彼の理論をめぐる我が国での議論については本館名誉顧問の岡田節人先生が生命誌ジャーナルに紹介されているのでぜひ読んでほしい。

さてルイセンコがメンデル遺伝学の反証の根拠にしたのが「春化(春処理)」と言われる現象で、植物を低い温度に晒すことで開花時期が調節できるという現象だ。低温という環境で獲得した形質が、世代を超えて伝わる場合もあることから、獲得形質が遺伝すると考えたようだ。結局エピジェネティックス(遺伝した後)の問題で、ゲノム自体の変異を基盤とする遺伝学の問題でないことが明らかになる。このように、春化メカニズムは、エピジェネティックス、すなわちクロマチンの構造を介した情報の問題として現在解明が進んでいる。外界からのシグナルがクロマチン構造を媒体とする情報として書き換えられるメカニズムを理解するのにうってつけの例なので、まずこの春化とそのメカニズムについて見てみよう。

各々の植物は発生過程で開花を調節する機構を確立する。これには温度や日照時間を感知しながら様々な遺伝子の発現を調節する複雑なメカニズムが関与する。話をわかりやすくするために、実験のためのモデル植物として研究されているシロイヌナズナの開花を抑制するマスター遺伝子FLCに絞って春化の現象を解説する。

まず越冬一年草型シロイヌナズナのライフサイクルを見てみよう。秋に発芽、ロゼット型葉を形成してゆっくり成長しながら越冬する。その後、茎が伸びて開花、そして夏になると種ができる。この間の開花抑制遺伝子FLCの発現を見てみると、発芽時の秋には最も高いレベルにある。しかし、ロゼットが形成される冬には急速にそのレベルが低下し、春の開花期には0になる。開花が終わると夏に向けて急速に発現レベルが回復する。


図1 シロイヌナズナの開花と、開花抑制遺伝子FLCの発現量。説明は本文参照。花と種の写真はWikipediaより。

FLCが開花抑制に関わることを頭において発現の季節パターンを見ると、開花の起こる春以外は開花抑制遺伝子であるFLCを発現させ、間違った時期に開花が進まないようできているのがわかる。すなわち、秋から冬にかけて気温が下がり始まるのを合図に、FLCの発現を安定に抑制するための準備を始め、この状態で急速に温度が上がると、開花を優先した植物の発生が進み、開花する。その後、種ができ、発芽するまでにFLCの発現を戻して開花を抑え、植物はエネルギーを成長に使うことが可能になっている。

次に、このパターンの背景にあるメカニズムを細かくみていこう。この季節に合わせた発現の調節にはFLC遺伝子領域とそこに結合しているヒストンのメチル化パターンが大きな役割を演じている。すなわちFLCの発現を抑えるときはこの領域に巻きついているヒストン3のN末27番目のリジンがメチル化されており(H3K27me3)、一方発現が高いときは4番目のリジンがメチル化されている(H3K4me3)(図2)。すなわち、クロマチンが閉じて転写が抑制されるか、あるいはクロマチンが開いて転写が行えるかは、ヒストンの標識の違いによって決まる。


図2 ヒストンのメチル化によるクロマチンの構造のスウィッチ。図はES細胞分化時に起こるクロマチン構造変化についての説明をStem Bookサイトより転載。(http://www.stembook.org/node/585.html

つまり、FLCに巻きついているヒストンのメチル化の異なる2つの状態を温度スウィッチでシフトできるようになっている。このようにクロマチン構造を媒体とする情報の誕生は、外界の変化を細胞自体の記憶に変えることを可能にした。

このヒストン標識によるクロマチン構造のスウィッチのメカニズムについてはずいぶんわかってきたが、複雑でその全像について解説するには本1冊必要になる。とりあえず、図にあるように、クロマチンの構造を維持する鍵になる分子が、ポリコム複合体とTrithorax複合体であることを理解しておけば十分だろう。

H3K4のメチル化と、H3K27のメチル化パターンを転換させクロマチン構造を変えることで大きな領域の遺伝子発現を調節するメカニズムは、実は酵母から人間まで保存されているメカニズムだ。事実、ポリコム複合体やTrithorax複合体という名前はショウジョウバエ突然変異の研究が由来となっている。例えば、ショウジョウバエから哺乳動物まで、体の前後軸に合わせて体節の特異性を決めているHox遺伝子が集まる大きなゲノム領域のどこまでを活性化し、どこまでを不活化するかは、まさにこのクロマチン構造変化により調節維持されている。

図3は哺乳類の発生でのHox遺伝子領域のヒストン標識パターンを図示しているが、Hox遺伝子の発現はクロマチン構造の変化で調節され、植物とほぼ同じメカニズムが使われていることがわかる(図3)

図3 クロマチン構造変化によるマウスHoxa1-13遺伝子の発現調節。内部細胞塊のような多能性幹細胞ではHox領域は完全にH3K27me3ヒストンで標識され、発現が抑えられている。前から後ろの体節に移行するのに合わせ(i)(ⅱ)(ⅲ)、Hoxa1からH3K4me3ヒストンは拡大していく。
出典(http://rstb.royalsocietypublishing.org/content/368/1620/20120367

最後に、春化時のクロマチン構造の変化の際、他生物で見られない特徴について見ていこう。実は、FLC遺伝子発現を抑制するH3K27me3標識の範囲の量を調節できるようにできている。すなわち寒い時期が長いと、H3K27me3が結合するFLC遺伝子領域が拡大し、暖かくなってもこの抑制標識を外しにくくなる。これは、低温に長くさらされた植物の場合、開花が早くなり、開花期間は長くなり、さらに開花量も上昇するという量的な変化が、FLC遺伝子に結合するH3K27me3の量的な変化と相関していることを意味している。このように、外界からの情報を細胞内に量的な記憶として残すことができるのも、クロマチン構造を媒体とする情報の特徴だ。これをゲノム自体の調節機構で実現することはほぼ不可能だ。

春化を例に、クロマチン構造を媒体とする情報が、外界の情報を、細胞自体の情報に書き換えて記憶することを可能にしていることを示した。重要なことは、この記憶が書き換え可能で、量的にも変化させることが可能なことだ。進化が環境の自己への取り込みであるという観点から見ると、クロマチン構造を媒体とする情報は、ゲノムよりはるかに迅速に環境の自己への取り込みを可能にした新たな情報記憶の登場といえる。

今回例として使った春化では、環境の温度がクロマチン構造の情報として書き換えられる。一方、クロマチン構造の書き換えはフェロモンによっても誘導することができ、生命進化で誕生した新しい2種類の情報がここで出会う。すでに述べたように、フェロモンは個体間、細胞間のコミュニケーションに関わる情報と言える。一方、今回見てきたようにクロマチン構造を媒体とする情報は記憶媒体と言える。このように、コミュニケーションと記憶が揃った時、生命進化が大きく進む。こうして可能になったのが多細胞動物だ。次回はこの進化過程について考えてみる。

[ 西川 伸一 ]

コミュニケーション・伝達・記録

2016年10月3日

前回まで、ゲノム、フェロモン、クロマチン構造が媒介する情報と進化で生まれた新しい情報について見てきた。これらの情報を、伝達、コミュニケーション、記録という3つの情報機能について見直してみよう。

伝達、コミュニケーション、そして記録は情報が可能にする重要な機能だ。ゲノムはこれらすべての機能を併せ持っている。新しく生まれた情報には伝達機能は存在するが、フェロモンには記録という機能はなく、クロマチン構造を媒介とする情報はコミュニケーション機能を持たない。前回述べたが、フェロモンとクロマチン構造はゲノムの持つ情報を補完するように別々に誕生し、真核生物になると統合された情報システムへと発展する。そしてこの統合から生まれた新しい可能性が、多細胞動物の誕生の基盤になる。今回は、情報の記憶とコミュニケーション機能について整理をした上で、多細胞体制が生まれるまでに、生物の情報システムがどう発展したのか整理しよう。

まず、フェロモンやクロマチン情報が必要とされた背景、情報としてのゲノムの限界から見てみよう。

いうまでもなく、細胞が複製できるのは、ゲノムがDNAを記憶媒体として使って生物のオペレーションを指示する情報として働いているからだ。この記録機能と記録の伝達の原理については、DNAが2重螺旋構造をしていることが発見された時、解明されたと言っていい(図1)。

図1 2重螺旋の複製。2重螺旋が一本鎖にほどけ、それが2本の2重螺旋になることがDNAの構造から明らかになり、伝達と記録機能の原理が理解された。(wikipediaより)

ではコミュニケーション機能はどうだろう。複製されたゲノムは2つの娘細胞に伝わる。これは生殖を通しての情報伝搬だが、コミュニケーションではない。

ゲノム同士のコミュニケーションは基本的に相同組み換え機構を介して行われる。私たちの体細胞には、母親からの染色体と、父親からの染色体が存在するが、条件が整うと両方の染色体同士で相同組み換え(図2)が起こり、染色体の部分交換がおこる。これにより異なるゲノム同士のコミュニケーションが可能になる。


図2:相同組み換えを通した2つのゲノムのコミュニケーション(wikipediaより)

この機構はほぼすべての生物で保存されており、大腸菌から人間まで、異なる個体のゲノム同士のコミュニケーションにはこの機構が使われる。ただ、相同組み換えが起こるためには、DNAの切断が必要で、実際には放射線などによるDNA切断に対する修復機構として進化してきたと考えられる。通常の状態で相同組み換えが起こるためには、DNAを自然に切断する過程が必要で、細胞にとっては危険極まりない。このため多くの生物では、この機構を通したゲノム間のコミュニケーションが高い確率で起こる状況は限られている。例えば、人間では生殖細胞の減数分裂過程に限られ、体細胞で起こる頻度は低い。

このように、ゲノムの記憶、伝達、コミュニケーションの様式を見てみると、全てが生殖サイクルと完全に一体化していることがわかる。単細胞動物では、異なる個体同士が接合するとゲノムレベルのコミュニケーションが起こるのを観察できるが、コミュニケーションの範囲は1対1に限られており、一つのゲノム情報が同時に異なるゲノム情報とコミュニケーションすることはない(図3)

図3: ゲノムには情報が記録されており、複製を通して娘細胞に伝達される。また、接合、ゲノム間の相同組み換えにより、他の個体のゲノムとコミュニケーションできる。ただ、図からわかるようにゲノム情報の伝搬、コミュニケーションは全て一対一で個体(細胞)が対応しており、同時に複数の個体とコミュニケーションしたり伝達することはない。

ではなぜコミュニケーションが必要か、その利点を考えてみよう。ダーウィン進化を現代的に翻訳すると、様々な様式のゲノムレベルの多様化がまず起こり、ゲノムの多様化が形質の多様化として反影されると、この形質の環境適合性を指標に生殖優位性での差異が生じ、環境に適応した個体の比率が高まることで進化が進むと言えるだろう。このゲノムの多様化の一番の駆動力は、DNA複製に必ず伴うエラーだが、もう一段質の高い多様化の駆動力が相同組み換えによる多様化だ。

全くランダムな多様化と比べると、相同組み換えによる多様化は、ゲノムレベルのコミュニケーションを基盤にしている点が大きく異なる。通常これが起こるのは性生殖だが、この場合異なる環境で生きてきた個体がそれぞれ持っているゲノム同士の部分を交換し合う。視点を変えてこの過程を見てみると、その種が分離してから世代を重ねてきた異なる個体のゲノム同士、いわば環境によりすでに「テスト済み」のゲノム同士で情報交換が行われていることを意味する。それぞれの個体のゲノムがその個体が出会ってきた環境を同化していると考えると、この環境との相互作用の歴史が一つのゲノムの中へ再構成されているとみることができる。言葉を変えると、ゲノム間のコミュニケーションにより、より多くの環境との出会いが、ゲノムに同化される。これがゲノム間でコミュニケーションが行われることの重要な役割だ。

この様にゲノムには、情報としての全てが備わっている様に思える(事実それが進化の原動力となってきた)が、特定の生物集団の生存から見た時、ゲノムの対応能力には限界がある。すなわち、ゲノムだけで環境の変化に対応しようとすると、伝達やコミュニケーションが1:1に限られ、空間的にも、時間的にも急激な環境変化には対応できない。この限界を埋めるのが、フェロモンと、クロマチン情報だ。

詳しく検証したわけではないが、フェロモンは、細胞内の分子間相互作用ネットワークが、細胞外へ拡大したものと考えられる。フェロモンは接合の相手を惹きつけ、接合時の方向性(オスメスと考えて貰えばいい)を決める過程にしばしば登場する。これは1:1の個体間相互作用と言えるが、他にもクオラムセンシング(前々回)のように1:1の限界を超え、同時に多くの個体とコミュニケーションをとりあう手段を提供し、全ての個体が環境に対して同じように反応するための情報としても働いている。

この様に、生存環境に関する情報を他の個体と同時的に共有することを可能にしたのがフェロモンの機能だ。フェロモン自体の情報には記録機能がないため、フェロモンのシグナルは一時的な反応を誘導して終わるか、あるいはフェロモンの情報を引き金に、遺伝情報を書き換え(酵母の交配型の変換)や、プラスミドを介したゲノム情報のやりとり(前々回)を行うことで、経験が記録される。このゲノム自体の書き換えの代わりに、クロマチン情報の書き換え機構とフェロモンシグナルをリンクさせることもできる。実際、クロマチン情報の書き換えが、反応の多様性、伝達範囲の大きさ、伝達と記録の迅速性の点で、ゲノムの書き換えをはるかに凌駕しているため、これがその後の生物の主要な伝達様式になっていく。

前回みた様に、クロマチン構造を媒介とする情報は、書き換え、すなわち繰り返して記録が可能だ。このメカニズムが完成するのは、おそらく真核生物以降だが、これに必要な個々のメカニズムは原核生物や古細菌で進化してきた。事実DNAメチル化は原核生物から存在するし、ヒストンと相同性を持つタンパク質も古細菌から認められる。更には、遺伝子の相同性は欠如しているが、DNAと結合してヌクレオソーム構造を形成するためのタンパク質は原核生物にも存在している。

この様なヌクレオソーム構造が広く認められることは、プラスミドの様な小さなゲノムは別として、メガベース以上の大きさのゲノムは裸のままで存在することが不可能であることを示している。実際、バクテリアやアルケアでは、1mmの長さのDNAを1ミクロンの大きさの細胞内に安全に収納している。その上に、収納した全ゲノムをなんども複製することが求められる。ヒストンの様な、DNAをコンパクトに巻き取る仕組みなしには、ゲノムサイズの急速な増大はありえなかっただろう。

真核生物の誕生にはヒストン修飾を基盤とするクロマチン構造制御機構、分裂時の染色体分離に必要なチュブリン、そして形態や細胞分裂を制御できる細胞骨格分子アクチンが必要だが、この3種類のタンパクは同じ分子からできてきたと考える魅力的な仮説がある。すなわち、いずれもリン酸化やアセチル化による修飾を介した細胞の構造変化に関わる。この考えを採用した、真核細胞進化過程について図3にまとめてみた。


図3:古細菌から真核生物への進化をヒストンから眺めてみる。

ここでは話をヒストンに限るが、最初DNAをコンパクトに折りたたみ保護するヌクレオソーム形成分子として誕生したヒストンは、N末端に集まるリジン残基のアセチル化/脱アセチル化、メチル化/脱メチル化を介する修飾により、単純なヌクレオソームから、各ゲノム領域を構造的に標識するクロマチン構造へと発展した。これにより、テロメアやセントロメアのように、有糸分裂に必要な条件が整った染色体が生まれる。そしてゲノム領域を構造的に標識するヒストンの同じ能力が、遺伝子発現調節に使われるようになったのが、クロマチン情報だ。

春化の例でクロマチン情報は、環境のストレスを、多くの個体が同時に、同じシグナルとして感知し、このシグナルを同じ様に記録することを可能にしている。このようにクロマチン情報は複数の個体が同時に共有できる、ゲノムではなしえなかった情報と言える。

最初環境ストレスに対する反応として誕生したクロマチン情報の書き換え機構に、フェロモンによる細胞間情報共有機構が統合されると(図4)、それ自身では互いに未完成であった情報が補い合って、コミュニケーション、伝達、記録のすべて備わった新しい情報システムが完成する。


図4:環境ストレスによるクロマチン情報の書き換え機構にフェロモンが組み合わさると、より複雑な細胞間のコミュニケーションが可能になる。

図4で示した構造をよく見てもらうと、ある環境シグナルに対して直接対応する細胞と、その後フェロモンの作用で反応する細胞が別々に描かれているのに気づいてもらえたと思う。これは多細胞体制を想定して描いている。多細胞体制では、個体と環境、個々の細胞と環境、個々の細胞間、そして個体と個々の細胞間の4種類の関係が成立しており、この関係から生じる細胞の変化はすべてゲノムの変化を伴わない、クロマチン情報の変化が背景にある。例えば、個体と個々の細胞の関係には、同時的な情報の共有と、細胞レベルの経験の記録が必須で、これはクロマチン情報とフェロモン情報(細胞間情報伝達機構)だけで行われている。逆に多細胞体制成立から考えると、フェロモン情報とクロマチン構造を介する情報が誕生し、それが統合されることが、多細胞体制誕生の必須の条件であることになる。

[ 西川 伸一 ]

新しい情報と進化

2016年10月17日

前回まで、ゲノム、フェロモン、クロマチン構造が媒介する情報と進化で生まれた新しい情報について見てきた。これらの情報を、伝達、コミュニケーション、記録という3つの情報機能について見直してみよう。

進化についてのダーウィンの考えは、「集団は本来多様化する傾向を持っており、この多様化した個体の中から、環境に適合した個体が選択される」というものだ。ただ当時は全く理由の分からなかった個体の多様化の背景には、形質(フェノタイプ)よりはるかに大きな、ゲノムレベルでの多様化がある。


図1 ゲノムの多様化と自然選択だけから考える進化過程についての一つの表現。

ゲノム情報の多様化はエントロピーの増大と同じで物理的に自然におこる。この多様化したゲノムに対応する形質が環境にフィットした個体が選択されることになるが、これにより多様性(エントロピー)は、低下する。

この過程を単純な図式にすると図1のようになるが、この過程がただ続くとすると、せっかく獲得したゲノムの多様化も、選択により打ち消されるため生物が多様化する方向には進まないことになってしまう。

実際、全球氷結や隕石衝突など、生命自体にとって極端な条件が生まれると、ほとんどの種が絶滅し、生命の多様性は極端に低下する。ただ、通常はこのような条件が生まれるのは稀だ。なぜなら、地球は広く多様な環境が存在しているため、環境の違いだけ、それを同化した生物も多様化することになる。

ただこの説明のほとんどは、生命の情報としてゲノムしか想定していない。しかし私自身は、情報であれば全て進化に関わるものとして扱おうと考えて、これまで生命から生まれた全ての情報をリストする作業を進めてきた。もしフェロモン及びクロマチン構造を媒体とする情報のセットを生命の情報として認めるなら、当然この情報の多様化を統合して生物進化を考える必要がある。

そこでまず、フェロモンとクロマチン情報が新しい情報として加わることで、進化過程がどう変わるのか見てみよう。ダーウィン進化で問題になる情報は遺伝可能な情報であるという縛りがかかる。だとするとこの条件を満たす情報はフェロモンではなくクロマチン情報になり、クロマチン情報だけがダーウィン進化の駆動力として働く資格があるように見える。

しかし多様化できる情報をゲノムに限定しない新しい進化過程を構想するとき、フェロモンは記録情報でないからといって無視してもいいかというと、答えはノーだ。実際にはフェロモンにより新しい能力を獲得した集団が、環境を書き換えることで、能力の効果を記録してしまうことがありうる。例えば、古い旧家で何代もの子供が育ったとすると、先祖の建てた家という環境が、そこで育った子供たちに繰り返し制約を加える。この制約による変化も、ある意味で遺伝していると言って良い。

単細胞動物でも、多細胞動物でも、フェロモンは個体同士、細胞同士の行動の統合を可能にする仕組みだ。例えばクオラムセンシングを考えてみよう。この仕組みはフェロモンの濃度を感じて、周りに集る個体の濃度を感じ、十分な個体が集まったときに環境へ働きかけ、環境を自らの生存に適すように作り変えるのに使われている。このように、フェロモンに記録機能はなくても、環境側を変化させることで子孫へと一種の記録を残すことができる。この、環境を変化させるという記録の仕方は、後で神経細胞による情報を考えるとき重要になる(図2)。

他に、フェロモンは個体に働きかけ、接合を誘導したり、プラスミドを伝達したり、様々な方法で、ゲノムの多様化を促進する働きがある。こうして起こる多様化は、突然変異によるランダムな多様化ではなく、相同組み換えに基づくことで、多様化による生存への脅威を制約できるようになっている。すなわち、これまで生存を支えてきたゲノム情報の上に少しだけ変化を加える漸進的進化に適した変化の基盤になりうる。

一般的には、ダーウィン進化の駆動力、ゲノムの多様化は、DNA自体の化学的・生物学的性質により、自然に起こると考えられている。しかし、フェロモンが加わることで、変化させられた環境による新しい様式のゲノムや、クロマチン情報の選択が起こるようになる。また、接合誘導のような他の個体への働きかけの結果が、相同組み換えのような、単純なランダムなゲノムの多様化とは異なる、より制約を受けた様式による多様化が可能になる。このように、フェロモンだけでも、ゲノム多様化の様式を大きく変革できる(図2)。


図2 フェロモンの影響は様々な形で記録できる。説明は文中

次に、記録できる新しい媒体クロマチン情報は、それ以前の進化過程をどのように変化させただろうか?

前回述べたように、ヒストン修飾やDNAのメチル化を介したクロマチン情報は、テロメアやセントロメアの形成を通してゲノムを構造化することに成功した。これにより、環状DNAでは限界があったゲノムサイズの増大が可能になる。そして、同じクロマチン構造変化を誘導するメカニズムが遺伝子転写のOn/Offを指示する情報へと発展する。このクロマチン情報によって、遺伝子発現パターンの調節、記録、そして子孫への伝達が可能になっている。

クロマチン情報で常に問題になるのが、「エピジェネティックな記録は子孫に伝わるのか?」という遺伝の問題だ。しかし、多くの細胞は分裂を繰り返しても、同じクロマチン情報を維持できる機構を有しており、原理的にはクロマチン情報は遺伝できると考えていい。

もちろん多くの動物の初期発生過程では、卵子と精子などの配偶子が持っていたクロマチン情報が一旦キャンセルされたあと、体細胞とともに生殖細胞が新たに発生する。従って、新しい個体が発生する過程では、親の持っていたクロマチン情報は消えることが多い。ただ、iPSリプログラムによるクロマチン情報の変化についての研究からわかったように、クロマチン情報を完全にリセットできないケースがある。このような場合、エピジェネティックな状態が子孫に伝わったとして、大きく取り上げられることになる。

いずれにせよ、単細胞生物や、あるいは培養細胞のクロマチン情報を調べた研究から、細胞分裂を経てもクロマチン情報は維持され、子孫に伝達されるのが普通だ。したがって、単細胞動物の進化過程では、クロマチン情報も子孫に伝達される情報として、進化過程の駆動力として貢献できたはずだ。

次にクロマチン情報が加わると、どう進化は変わりうるだろう?

  1. ①クロマチンによるゲノムの構造化により、ゲノムサイズや複雑さを格段に高めることに成功した。ただ、サイズの大きい複雑なゲノムになるほど不安定性は増し、またゲノムに大きな変化が起こることは当然個体の生存にとっては大きな脅威になる。しかし、クロマチン構造変化を介する情報が利用できると、ゲノムの変化に伴う個体への影響を減らすことができる。
     このことは、ゲノムへ外来遺伝子が侵入してきた時、外来遺伝子の活性をクロマチン情報が抑える過程を見るとよく理解できる。われわれの細胞にレトロウイルスが感染すると、ウイルスゲノムの活性により宿主の遺伝子発現が大きく変化する可能性がある。しかし多くの場合、DNAのメチル化とヒストンのH3K9me3型への転換が飛び込んだレトロウイルスの周りで進み、その活性を抑えてしまう。
     すなわち、飛び込んだ遺伝子はサイレンスされて個体に影響を及ぼすことはないが、ゲノム自体は多様化しており、ポテンシャルは上昇したといえる。すなわち、クロマチン情報により、遺伝子発現パターンが大きく影響されるのを食い止めながら、ゲノムサイズを増大させ、複雑化することが可能になる。
     一時期、中立変異がどの程度可能かについて盛んに議論が行われたが、このときクロマチン情報の可能性については考慮されないまま議論が進められた。しかし、クロマチン情報によるゲノムの構造化は、ゲノムの変化が直接形質変化に反映されないよう、緩衝材の役割を持っていることがわかる (図3−①)。
  2. ②クロマチン情報は、環境ストレスやフェロモンシグナルに対して、多くの個体が同時に一定の反応を起こし、新しい状況に適応することを可能にする。例えば細胞増殖速度を落とし、あるいは環境変化に強い細胞を形成するなどがそうだ。この環境への早い一様の対応により、クロマチン情報誕生前はゲノム情報がそのまま形質に反映し、その適合性で個体自体選択されていた状況は大きく変化する。すなわち、様々な環境変化やシグナルに対し、クロマチンシグナルによりまず多くの個体が共通の反応を起こし適応する。このクロマチン情報レベルの変化は、環境に適応した個体数を増やし、またゲノム内で変化しやすい部位とそうでない部位の違いを生み出す。選択を受ける個体数が多いと、選択後の個体数の増加が望める。また、変異が選択的に起こることで、生存への選択圧を下げたり、あるいは上げたりしてより環境に適合(選択圧を下げた)した状態でのダーウィン進化が可能になる。
  3. ③あまり議論しなかったが、フェロモンとクロマチン情報は多細胞体制誕生に必須の条件だ。多細胞生物では、フェロモンを起源とする様々な細胞間シグナル伝達分子により、細胞のアイデンティティーが決められるが、アイデンティティーの確立には全てクロマチン情報の書き換えが必要になる。もちろん、多細胞体制への進化には他にも様々な条件が必要だが、細胞間シグナル伝達と、クロマチン情報は中でも基本中の基本条件になっている。こうして多細胞体制が生まれると、環境と個体との相互作用のあり方が大変革する。すなわち、個体の異なる構成部分は環境と異なる様式で関わる。例えば、葉で太陽を利用し、根は地下で水を利用する。この環境との相互作用の様式の大変革が、進化の様式を多様にし、例えばカンブリアの大爆発をもたらすことになる。


クロマチン情報の誕生による、進化様式の変化。説明は文中。

以上、クロマチン情報とフェロモンが情報に加わることで、進化の様式が大きく変革することを理解してもらえたのではないだろうか(図3)。

これまで、進化の様式が大きく変化するためには、選択圧が高まることの必要性が強調されることが多かった。しかし、情報を統合的に考えることで、私は逆に淘汰圧が下がり、最終的に種の多様化を決めるゲノムの多様化が保障されることが、生命の多様化には重要でないかと思っている。これまで述べてきたように、ダーウィン進化の結果は環境の自己への同化だ。多くの環境要因を同化できるということは、種が多様化することと同じだ。図1に示したゲノムしか情報がない場合の単純な進化過程をいくら積み重ねても、真核生物誕生後の急速な進化を説明することはできないのではないだろうか。ただ残念ながら、これは私の個人的意見に過ぎないと断っておく。

ゲノム、フェロモンからクロマチン情報へと進んだ情報の多様化と統合過程の繰り返しが、次は神経細胞の誕生から始まる。

[ 西川 伸一 ]

動物と神経の誕生

2016年11月1日

神経系がゲノムやクロマチン情報とは全く異なるレベルの情報システムを形成していることは明らかだ。ただ、これは神経系が高度に発達した動物についての話で、神経細胞誕生=新しい情報の誕生ではない。即ち、無生物から生物が誕生した過程と同じ問題が、神経系から新しい情報が生まれる過程に存在している。そこで、今回から神経細胞の誕生によって可能になった情報システムの成立について、動物進化過程を振り返りながら考えようと思っている。

この新しい情報システムは、もちろんゲノムやクロマチン情報とは密接な相互依存関係にあるものの、半独立の情報システムを形成していると言える。

例をあげて説明しよう。これまで述べてきたフェロモン、クロマチン情報は、ゲノム情報から独立して情報として働くことはできない。例えば、クロマチン情報はゲノムを構造化するとともに、この構造を変化させることでゲノム上の様々な大きさの領域にある遺伝子が利用可能かどうかを決定する(65話図3)。すなわち、クロマチン情報はゲノムとの関係を前提に複製可能で、その情報はゲノム上の遺伝子発現の違いとして表現される。誤解を恐れず例えるなら、ゲノム上の遺伝子の発現を指令するアルゴリズムと言える。

同様にフェロモンも、クロマチン情報やゲノム情報の変化を誘導することが主要な機能だ。フェロモンやクロマチン情報は独自の情報として振舞っても、ゲノムから決して独立することはない。

しかし、神経系による情報の解釈、生成、伝達は、ゲノムは言うに及ばず、クロマチン情報からもかなりの程度独立していると考えられている。実際、人間の脳が生み出した情報は、ゲノムやクロマチン情報からは独立している。だからこそ、神経系をコンピュータで再現できると考える科学者は多いし、また脳自体をコンピュータの一種として理解しようとする科学者は多い。

私自身は、神経を媒体とする情報システムは、コンピュータと同じで、神経細胞同士が階層的なネットワークや回路を基盤にしたシステムだが、その回路自体がクロマチン情報やゲノム情報と相互作用できることが、神経系独自の情報システム形成に重要な役割を果たしていると思っている。ただ、この問題については最初から議論するのを避けて、まず神経細胞の誕生から脳の誕生に至る神経系の進化を段階的に見ていきながら、それぞれの段階で神経系を情報の観点から眺め直すとともに、結合性とクロマチン情報や、ゲノムなどの下位の情報との相互作用について考える。

最初は神経細胞の誕生だ。現存の生物の系統樹から判断すると、神経細胞は動物、すなわち動く能力を持った多細胞生物の誕生とともに生まれてきたことは間違いない。図1に示した系統樹では現存の多細胞生物を5種類に大別しているが、海綿動物とセンモウヒラムシには、いわゆる神経細胞は存在しないことがわかっているが、残りの動物は全て神経細胞を持っている。


図1:動物の系統樹 現存動物の系統樹。この図では、神経細胞や筋肉細胞を持たない海綿やセンモウヒラムシを、他の動物から区別して表しているが、ゲノムから得られる系統樹とは一致しない。

では神経細胞は動物が進化した後現れたのか? 

海綿やヒラムシに最初から神経がなかったかどうかは議論が分かれている。というのも、図1のクシクラゲは、ゲノム系統樹から見ると他の4種の動物から最も早く分離した系統で、左右相称動物から見て系統上最も離れている。ところがこのクシクラゲに神経細胞が存在することから、より左右相称動物に近いヒラムシや海綿にも最初は神経細胞が存在し、その後神経細胞を退化させたと考える説もある。

これとは逆に、神経細胞と、他の興奮性の細胞とを区別する指標として用いられるナトリウムチャンネルは左右相称動物だけにしか見つからないことから、クシクラゲと他の動物が別れた後、クシクラゲと左右相称動物は独自に神経細胞を発生させたと考える説もある。

いずれにせよ、最初の神経は私たちが一般的に持っている軸索、細胞体、樹状突起からなる典型的な神経ではなく、外界からの刺激に反応し、その興奮を他の細胞に伝達する能力を備えていても、より普通の細胞に近い形態を持っていたのではないだろうか。実際、興奮性の細胞系列の一部は、興奮を力に変える筋肉細胞へと発展する。一方、様々な刺激を感知して、他の細胞に伝達する能力を持つ細胞から神経細胞が生まれたのだろう。細胞の興奮に必要なイオン勾配の維持機能、そのイオンを選択的に通過させ膜電位を発生させるイオンチャンネル、そして興奮を他の細胞へ伝える化学システムは動物の誕生前に進化し、採用を待つだけになっていた。

では、神経細胞が生まれることで何が可能になったのか、現存の生物で見てみよう。

図2にゴカイの幼生の光受容体神経細胞について示すが、環形動物幼生の神経系は、まだ組織化されない単独の神経細胞が、どう神経細胞進化の初期に使われていたかを考えるいい材料になる(図2)。

図2:ゴカイ幼生の走化性
G.Jekely et al : An option space for early neural evolution,
Pil.Trans.R.Soc.B :
370:2015.0181 Fig2Aより改変、この図の元となったoriginal 論文はJekely et al, Nature 456, 395, 2008)

ゴカイの幼生は繊毛を使って水中を浮遊しているが、光を感じると繊毛運動を調整して光の方向へ移動する走光性を示す。これに関わるのが図2で示した3種類の細胞、色素細胞、神経細胞(光受容体細胞)、そして繊毛を持つ上皮細胞だ(original 論文はJekely et al, Nature 456, 395, 2008)。図に示す様に色素細胞とそれに結合する神経細胞により色素細胞で吸収された光エネルギーが神経興奮として受容され、同じ神経細胞が繊毛上皮とコリン作動性のコンタクトを形成することで繊毛の動きを調節している。片方の目にだけ光を当てると、光を受けた方だけ繊毛の運動頻度が低下し、結果幼生は光の方に進む。

この研究から、神経細胞の出現により、外界の物理的刺激を感知して、他の細胞(近くの繊毛上皮細胞)にそれを伝達して、活性を変化させる一連の過程が可能になっているのがわかる。

光や温度、あるいは圧力などの物理変化に素早く対応することは、生物の生存にとって重要な条件だが、神経細胞出現後の素早い反応はフェロモンのような化学的シグナル分子だけでは実現できない。このため、光などの外界の物理的刺激に素早く反応するための分子メカニズムは動物誕生以前から存在していた。例えば、単細胞生物クラミドモナスの走化性に利用される光を感じて開くイオンチャンネル、チャンネルロドプシンはその典型で、この分子を使った光遺伝学は、脳研究を席巻する勢いだ。

このような様々な物理刺激を感知して素早く個体の行動を変化させるシステムは、高等動物への進化過程で神経系の属性へと集約していくが、ゴカイの幼生の走光性行動には様々なメカニズムが組み合わさっている。

動物の運動のほとんどは筋肉、あるいは筋上皮と呼ばれる筋肉と上皮の中間のような細胞により行われる。実際、ともに興奮性の細胞と言える神経と筋肉は動物の誕生とほぼ同時に出現している。一方繊毛による運動は例えばゾウリムシなどの繊毛虫から見られるシステムで、より古い起源の運動生成システムと言える。私たち人間も含め、繊毛運動が神経支配を受けることは珍しく、その方向性やパターンは上皮の持つ極性を含むplanar polarityと称される特性により決められている。ゴカイの幼生は、この古いplanar polarity様式と神経支配という新しい様式を組み合わせて運動を調節している面白い例だと言える。

神経細胞により繊毛運動の強弱を直接神経支配することは難しい。結局ゴカイの幼生で見られるように、繊毛を持つ上皮自体に働いて、その細胞の持つ繊毛の運動を全て止めるという方法をとらざるをえない。

またもともと繊毛は早い大きな動きには向いていない。このため動物では、神経とアクトミオシン収縮系を備えた筋肉とがセットで働く”運動”が優勢になっていく。この組み合わせにより、一つの神経シグナルを複数の筋肉細胞の収縮に使うことが可能になり、大きな力を発生させることができるようになった。

もちろん、神経支配による上皮の活性調節は、ホルモン分泌の神経支配などとして今も見ることができる。

以上繰り返しになるが、ゴカイの幼生で見られる神経細胞の役割は、1)物理刺激を感受して、2)それを素早く他の細胞に伝達し、3)個体全体を刺激に対応させる、ことに尽きる。また同じ系が収縮性の筋肉細胞と組み合わさると、繊毛運動をはるかに超える大きな運動が可能になる。

最後に、神経細胞誕生により生まれた新しい可能性を情報と進化の観点から考えてみよう。

高等動物の脳神経システムには、間違いなく新しい情報システムが存在しているが、神経細胞や筋肉細胞の誕生により、これにつながる新しい情報システムが誕生したとは言えない。例えばクオラムセンシングでのフェロモンの働きに見られるのと同じ、環境の変化を感受して決まったアクションを起こす、インプット・アウトプットの関係が、より複雑化しただけと言っていい。事実、ナトリウムチャンネルの出現といった、新しい分子の誕生によるメカニズムの多様化がこの過程で起こったものの、例えば脊椎動物進化で抗体分子が現れるといった、本当のイノベーションは起こっていない。

しかし、物理刺激を感知できるようになり多様な環境変化に対応できるようになったこと、素早い反応が可能になったこと、そして筋肉の誕生により大きな運動が可能になったことは、環境を自己に同化する進化の駆動力の観点から見ると、大きなイノベーションだったと思える。

環境を感知して自己を守る反応という点ではフェロモンと同じだが、素早く、方向性を持った動きが可能になると、好ましくない環境を回避することで生存する個体数は当然増える。さらに、筋肉が生まれると素早い大きな回避行動をより刺激に合わせてコントロールすることで、多様な生息環境を選ぶことができる。これは環境を作り直したのと同じことで、環境の自己や種への同化が起こっていると見ることができる。こうしてより適した環境に移動することで、当然選択圧は下がり、多様性を維持する方向に働く。

このように、フェロモンも、神経や筋肉も、ゲノム情報による自然選択をできるだけ回避する方向に働く。実際、生きている個体の適応性は、それ以前のゲノム多様化と、選択の結果だ。新しい現在の環境に適合するかは試されたことがない。これに対し、新しく生まれた情報システムは全て、今生きている個体の生存に関わる。このように、今という時間への適応を拡大することが、生物の多様化に貢献したと思う。神経や筋肉で言えば、運動性が質及び量の面で大きく高まることで、動物は急速に地球上の様々な環境へと拡大できた。すなわち、過去の進化で獲得された環境適合性に合うよう個体が環境を選び、場合によっては改変することで、選択をかわしてゲノムをさらに多様化できたと思う。

新しい情報誕生まではまだまだだが、神経細胞の誕生はさらに新しい展開を見せる。次は記憶の誕生について見ていく。

[ 西川 伸一 ]

神経記憶 I

2016年11月15日

今回から記憶について考える。

記憶自体は情報ではない、しかし、皆さんのパソコンでの情報処理に記憶素子が欠かせないように、情報が成立するために欠かすことができない機能だ。情報を論じるために記憶の問題を避けて通れないことを理解してもらうため、これまで見てきた情報を、記憶という観点から見直すところから始める。

通常「記憶」という言葉は、経験によって脳内に誘導された神経活動パターンを、時間を経た後で呼び起こすことを意味する言葉として使っている。この神経記憶については後に考えるとして、この言葉が私たちの神的活動にとどまらず、あるパターンを繰り返し呼び起こす現象を表現するのに使われていることを思い出して欲しい。例えば、形状記憶合金というと、形が壊れてもまた自然に同じ形を取り戻すことができる合金を意味している。

生物学でも記憶という言葉が使われる現象は多い。例えば免疫記憶は、一度経験した抗原に対して免疫系が最初よりより速やかに、しかもより強い反応を起こす過程と定義できる。免疫記憶の背景には、かなり複雑な細胞間相互作用が存在するが、極めて単純化して説明すると、経験した抗原に反応するリンパ球が選択的に増加する、あるいは寿命が長くなることにより記憶が形成される。すなわち、経験を、この抗原特異的リンパ球の数や活性の変化に変換して記録している。

このように何らかの形で一定のパターンを記録することを記憶と考えると、生物にとって最も根源的な記録を担うDNAも一種の記憶と呼ぶことができる。実際、ゲノムは、ゲノム自身の複製だけでなく、それを持つ生物の複製も可能にしている。そして、複製とは同じパターンが繰り返すことに他ならない。もし、コンピュータのメモリーのように記憶=記録情報だとすると、ゲノムをメモリーと呼んでよさそうに思える。

しかし、塩基配列としてゲノムに書かれている情報を決して記憶と呼ぶことはできない。なぜなら、ゲノム複製も、細胞複製も、ゲノム情報だけでは実現できず、ゲノムの情報に基づいてオペレーションを行うための様々な条件が揃って初めて可能になる。以前、マイコプラズマの再構成実験を例に(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000013.html)この問題について議論したが、今の所ゲノムは生きている生物にしか移植できない。同じことは、発生初期の受精卵では胚自体のゲノムからの転写がほとんどないことからもわかる。個体の一生を通じてあらゆる細胞で働くことができるゲノムも、まず母親から受け継いだRNAから作られた分子による発生のプログラムが活性化されて初めて、その個体の情報として働き始める。

このように、記憶は記録された情報ではなく、体験、記録、呼び起しという順序で進む一連の過程全体に他ならない。例えば、図1に示すように、ゲノムは情報として二つの役割を担っている。


図1 ゲノムは生物の持つ最も基本的記憶過程と考えられる。説明は文中

一つは自分を複製するための情報と、複製のための鋳型としての役目だ。ただ、ある特定の時点(図1:現在 t)のゲノムのオペレーションは、同じゲノムによりその時点より前に作られた(過去 t)分子ネットワークによりオペレートされている。生命特有の鶏が先か、卵が先かという問題がここでも現れる。いくら外来遺伝子を細胞の中で機能させられるからといって、ゲノムとそのオペレーションは互いに分離不可能で、ゲノム=記録として切り離すことはできない。

ではなぜ今使っているコンピュータでは、アプリケーションや記録をメモリーに記録して分離することができるのか。これは、コンピュータ自体が一定の命令で動くように人間により作られているからというしかない。生命に、コンピュータにとっての人間のように、明確なデザインの出し手は存在しない。

ゲノムのオペレーションがそれ以前に準備された分子ネットワークに依存しているとすると、ゲノムのオペレーションに関わる分子ネットワークを辿れば、結局最初の生命誕生時にゲノムをオペレーションした分子ネットワークに行き着く。すなわち、ゲノムが38億年前に誕生した最初のゲノムまで連続しているのと同じで、細胞内の分子ネットワークも途切れることなく過去から現在そして未来と、ゲノムとともに受け継がれる。このように、現存の生物の記憶には無限の過去の経験が持ち込まれていることになる。こう考えると、進化自体DNAを記録媒体とした記憶と考えることができる。言いかえよう。ゲノムを記憶という観点から考えると、必然的に38億年という全進化史が含まれる壮大な過程と見ることができる。どの体験がゲノムに記憶され現存の種に維持されているのかを研究するは、進化学に他ならない。

一方、クロマチン情報は、基本的には各生物の一生という時間枠の中での記憶と言える。この意味で、神経記憶と同じだが、クロマチン情報が記憶と定義することに抵抗を感じる人も多いだろう。ただ思い出して欲しい。生物発生では、卵から個体誕生まで、ほぼ同じ過程が概ね正確に繰り返される。この過程では、ゲノムは変化せず、時間、場所に応じてクロマチン情報が変化していく。例えば発生学でよく研究される両生類の初期発生を例に見てみると、どの場所に精子が入るかは偶然の結果だが、侵入点が決まると体の大まかな体制が決まるよう、すでに卵細胞のゲノム、クロマチン情報、分子ネットワークが準備されている。

核移植クローン実験から明らかになったように、卵細胞質の分子ネットワークの多能性プログラムを維持する能力は高い。しかし、この分子ネットワークは卵割に伴い内外から新しい刺激を受けて分子ネットワークを変化させると共に、次々と生まれてくる細胞のクロマチン情報を変化させて、分化可能性が制限された分化細胞を形成する。一旦分化細胞のクロマチン情報が確立すると、分化した細胞の性質は安定に維持される。

クローニングやiPSにより示されたように、分化した細胞のクロマチン情報による分化制限を元に戻すことはできないわけではないが、普通はこの制限のおかげで、安定に同じ運命の細胞を作ることができる。こうしてそれぞれの細胞でクロマチン情報を中心に新しい記憶システムが成立する。

このクロマチン情報を中心とする記憶システムは、プログラム前の分子ネットワークと、外から入ってくる新たなシグナルにより少しづつ変化するが、このオペレーションメカニズムについては研究が始まったばかりでわかっていないことが多い。ただ最近、比較的少数の細胞でゲノム全体をカバーするクロマチン情報を調べる手法が開発されているので、急速な研究発展が期待できる。


図2:クロマチン情報を中心とする記憶システム。説明文中

ゲノム、クロマチン情報、分子ネットワーク、外界からの刺激などを記憶の観点から見た関係を図2に示す。ここでは、ヒストン修復と、DNAのメチル化の制御によりクロマチン情報が書き込まれることで、特定の細胞を繰り返し作るための長期記憶が形成される。この記憶=クロマチン構造の維持と変更システム、により制限を受けた転写により生まれる分子ネットワークが、分化した細胞のオペレーションの基盤になる。各細胞の分子ネットワークは内外からの(周りの細胞も含む)様々な刺激により変化する。この変化は、一種の短期記憶と見ることができるが、クロマチン情報の制限を外せない限り、長期記憶にはなりえない。ところがある特定の刺激が分子ネットワーク内に揃うと、ヒストン修飾やDNAメチル化の変化による、クロマチン情報の書き換えが起こる。これにより、細胞の分子ネットワークの変化として短期的に維持されていた記憶が、より長い期間維持される長期記憶に変化する。

ある特定の細胞のクロマチン情報の書き換えを可能にする分子ネットワークの変化について研究しているのが、リプログラム研究で、山中4因子の発見に端を発して、様々なリプログラミング、すなわちクロマチン情報書き換えのための条件が明らかになりつつある。

神経記憶から脱線したが、図1、2に示した記憶システムは、真核生物のあらゆる細胞で見られる。従って、神経細胞記憶もこの2つの記憶システムの上に発展したといえるが、これまでの記憶システムとは大きく違っている点がある。すなわち神経記憶は、動物の誕生とともに新しく生まれた興奮性の神経細胞同士の結合により(ここでは、神経細胞を、同じ前駆細胞から生まれるニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトを全て含む広い定義を用いる)新たな記憶システムを成立させている点だ。

この新たな神経記憶の特徴については次回から考えるが、最後に神経記憶もクロマチン情報を中心とする記憶システムの上に構築されていることを、前回に例として使ったゴカイの幼虫の神経系をモデルに見ておく。このモデルを選んだのは、これが一本の神経細胞だけで形成されている最も単純な神経系で、なおかつ神経細胞の基本的特徴を備えているからだ。そこで、ちょっと想像をたくましくして、この系での記憶について考えてみた。もちろんこれから述べることは証拠があるわけではなく、神経記憶自体は回路形成なしでも考えられることを知ってもらうために考えたたとえ話だ。

さて前回述べたように、ゴカイ幼虫には、光をトラップする色素細胞と協調して光に反応し、その興奮を繊毛細胞に伝え、繊毛の動きを止める神経細胞がある(前回図2、および今回図3)。この神経は感覚神経と運動神経の両方の役割を持つため、神経回路は形成しない。


図3:ゴカイ幼生の感覚運動神経システム 説明文中

この系では神経細胞が感覚刺激を感受すると、チャンネルが開き細胞が興奮、その興奮によりアセチルコリンが遊離、繊毛細胞に働いて繊毛の動きを止める。これは一般的神経細胞の興奮と同じで、分子ネットワークに大きな変化はない。ただ、この状況でも光刺激が繰り返すとアセチルコリンが枯渇する。このため新たな合成が始まるまで、幼生の運動は停止する。この結果、幼生はストップ・アンド・ゴーを一定のサイクルで繰り返す。

この時、光シグナルの強さによりもしクロマチン情報が変化し、アセチルコリンの合成速度が完全に変化したとすると、ストップ・アンド・ゴーの感覚を長期的に長くしたり、短くしたりすることができる。即ち、刺激による長期記憶が誕生したことになる。

繰り返すが、これは理論的可能性を述べただけで、実際にどうかはまったく知らないが、神経内の分子ネットワークとクロマチン情報を変化させることで、回路形成なしに神経記憶を形成することができることを理解してもらえたと思う。

この図1,2の記憶システムの基盤の上に新たに回路形成が加わったのが神経記憶で、次回はこの回路形成が加わったことによって生まれる新しい可能性について見ていく。

[ 西川 伸一 ]

神経記憶II

2016年12月1日

前回まで、ゲノム情報を中核とする記憶(Geneme mediated memory:GMと呼ぶ)、クロマチン情報を中核とする記憶(Chromatin mediated memory: CMと呼ぶ)について考えを述べてきた。GMは生命進化全体、CMは生物個体の発生から死までの時間をカバーする記憶システムと言える。

生物学は現象を生物の側から説明しようとして目的論に陥ることが多いが、それを承知で言うと、GMもCMも、過去の経験を記憶し、未来に備えるシステムと言える。

前回見たように、GM、CMそれぞれの記憶システムは階層的に重なって統合されており (前回:図2)、CMはGMを基礎としてその上に形成される。この構造はCMを有する全ての真核細胞で共通で、当然神経細胞も他の細胞と同じように、GM,CMを持っている。このおかげで単一の神経細胞だけでもCMを利用して神経記憶反応を起こせる可能性を前回示した。他の細胞と比べると、神経細胞は刺激に対して早い反応(興奮)を起こすことができるため、神経記憶に見えるが、記憶自体は神経特有というよりCMの機能を反映している。

このGM、CM記憶の上に新たに生まれたのが、神経細胞同士の結合した神経回路形を中心にした記憶(neuron mediated memory:NM)で、これにより動物は、質的、量的に一段高い次元の記憶システムを獲得し、今や地球上に100億個体も存在するという驚くべき繁栄を遂げた人間を進化させる大きな原動力となった。

GM,CMでは、ゲノム情報やクロマチン情報のように分子レベルの媒体が経験の記録を担っているが、NMは細胞間に形成される回路のように細胞レベルの媒体を利用する記憶と言える。神経細胞の特徴は、細胞同士で刺激や抑制の回路を形成できることで、この回路が経験の記録の単位になる。もちろん細胞間のネットワーク形成が見られるのは神経だけではない。例えば、免疫細胞記憶成立には、神経伝達と同じように、サイトカインと呼ばれる分子による、シグナル伝達機構が存在する。また、一つの免疫反応に関わる細胞の種類は、マクロファージや樹状細胞から、何種類かのT細胞、場合によってはB細胞と、神経系と同じように数が多い。しかし、免疫系が神経系と大きく異なる点は、抗原と、それに対する抗原受容体の間の特異的分子結合がネットワークの中心にある点だ。さらに、抗原が常に存在しないと、記憶も維持できないし、反応も起こらない。さらに、抗原刺激とそれを中心にする細胞間相互作用により、それぞれの細胞の増殖や寿命の延長などがおこるため、結果細胞の動態に大きな変化がおこる。


図1 抗体反応での免疫記憶の成立に関わる細胞間相互作用。
図には示せていないが、あらゆる細胞間相互作用に様々な形で抗原とそれを認識する細胞側の受容体が関わっている。

一方、神経細胞回路の場合、匂いや味の感覚のように、外来の化学物質により刺激誘導される場合でも、興奮が神経間で伝達されるときには、最初の興奮を誘導した物質は必要なくなっていることが多い。すなわち、感覚器の興奮が伝えられるとき、感覚を誘導した刺激は必要ない。もちろん刺激の持続時間が短い光などの物理的刺激は、最初から刺激の持続を前提に感覚を伝えることはできない。記憶が維持されるためにも、最初の刺激は必要ない。このように、神経記憶は刺激物質を中心に反応が構成されるのではなく、最初から感覚刺激を複数の神経細胞興奮のパターンへと転換された後、伝達され、記憶される。

どうして最初の刺激を誘導する物質とは全く無関係に、神経回路だけで、記憶が成立、保持できるのかを考えるのが、これからの問題で、詳しく見ていきたいと思う。ただ、神経科学についての私の知識は乏しい。このためこれから書く内容には、間違った記述が含まれる可能性があることを断っておく。

まず、神経細胞回路がどのように記憶に関わることができるか見ていこう。

まず個々の神経細胞をみると、一つの記憶素子として機能できることがわかる。図1に最も単純な電気的記憶素子DRAMを示すが、一個の神経細胞はDRAMに似ていると言える。図に示すようにDRAMは基本的にはスウィッチ役のトランジスタとコンデンサからできており、コンデンサーに電気を貯めることで1 or 0のデジタル記憶が可能だ。


図2 記憶素子DRAMの構造:一般的にトランジスタは電子的スウィッチと考えればいい。

すなわち、スウィッチがオンになって電気がつながれば、コンデンサに電気が溜まった状態になる。一方、スウィッチがオフになると、コンデンサは自然放電して溜まった電気はなくなる。この溜まった電気があるときとないときで、2進法の1か0を記憶できる。


図3:細胞膜に形成された、イオン蓄積システムと、スウィッチ役のイオンチャンネル。

一方、神経細胞はイオンポンプを用いて外界と細胞内の様々なイオン勾配を保つことで、電圧を維持している。細胞膜には特定のイオン分子(例えばNaやK)を選択的に通過させるイオンチャンネルが存在し、刺激によりイオンチャンネルが開くと、特定のイオンだけを勾配に従って流すことができる。すなわち、イオンチャンネルはDRAMでのスウィッチの働きと、イオンチャンネルの特性に応じた一種の抵抗が合わさった素子と考えることができる。

ポンプを使って電位を維持する限り、細胞は自分で発電し、細胞膜という電気を貯めるコンデンサとスウィッチとしてのチャンネルを持つことから、DRAMとよく似た構造をとっているのがわかる。神経細胞の場合、電位はチャンネルが閉じている限り電気維持されるが、チャンネルが開くと外界との勾配はどんどん消えていく。このように原理的には一個の神経が一つの記憶素子として働く可能性を持っているが、実際にDRAMのような使われ方をしているのかどうかについては私にもよくわからない。また、ポンプとチャンネルを備えている細胞は、神経細胞に限らず数多く存在する。したがって、このDRAMに似た構造だけが記憶に大事だとは言えないだろう。

神経細胞自体を記憶素子として使わずとも、神経細胞を組み合わせて回路を形成させ記憶させることも可能だ。エレクトロニクスでは様々な記憶回路がDRAMのような記憶素子の代わりに使われている。もっとも単純なものは図4に示すラッチ回路と呼ばれるもので、インバーター、ANDとORの演算素子を結合させた後、ANDからの出力に応じてフィードバックさせること回路で、0と1を記憶させることができる。


図4 最も単純なRSラッチ回路:説明は省略

電気回路の講義のつもりはないので、ANDやOR といった選択が行われる素子を繋ぎ合わせれば、それ自体で記憶が可能になると考えて貰えばいい。

しかし同じような回路形成を細胞で実現しようとすると、神経のように特殊な形態と機能を持つ細胞が必要になる。いくら興奮性があっても、筋肉細胞ではこのような回路形成は不可能だ。この回路形成が可能であるという点を念頭に神経細胞の特徴を述べたのが、細胞レベルでの脳研究の始祖、ラモンカハールのニューロン4原則だ。

カハールのニューロン4原則

  1. 1)第一原則:ニューロンは脳の基本構成成分であり、シグナル伝達単位である。
  2. 2)神経は軸索と樹状突起に存在する特殊な部分を通してのみ相互作用を行う。
    (シナプスに似た構造をすでに考えていた)
  3. 3)この特殊部位(シナプス)を介する一つの神経細胞の結合は、特定の神経細胞同士に限定されている。(結合の特異性)
  4. 4)シグナルは常に一方向のみに伝わる。(シグナルの方向性)

この原理は1890年に書かれたものだが、なぜ神経だけが、演算回路や記憶回路を形成できるのかの原理について見事に説明できている。このことは、図5に示したカハールの網膜神経組織の模式図からよく理解することができる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Santiago_Ram%C3%B3n_y_Cajal


図5:カハールと網膜神経結合のスケッチ

すなわち、それぞれの神経細胞は、軸索や樹状突起の神経接合部のみで、しかも決まった神経細胞とだけ結合している。そして、感覚細胞からいくつもの神経を経て脳へとシグナルが一方向へ伝わっていることもよく描かれている。まさに、神経細胞は回路形成のために誕生した。

次は神経細胞が形成する記憶回路について、記憶の研究でノーベル賞に輝いたエリック・カンデルの研究を追いながら見てみよう。

[ 西川 伸一 ]

神経記憶III

2016年12月15日

神経科学の歴史について詳しいわけではないが、記憶を始めすべての脳機能が神経細胞(ニューロン)同士の結合した回路により担われていることを最初に示唆したのはスペインの生んだ巨人ラモン・カハールだろう。前回述べたように(前回図5)、カハールはゴルジ染色法を用いて、一個一個の神経細胞を染め出し、脳が様々な神経細胞のネットワークであることを明らかにし、カハールの4原則を提案した。このことから、カハールを神経細胞ドクトリン(ニューロン説)の最初の提唱者と呼んでいいだろう。実際この4原則に適合するネットワークを形成できる細胞は神経細胞以外にない。

カハールのニューロン4原則に加えて、神経回路を考える時に重要なドクトリンをあと二つ挙げておこう。

一つはすでに前回紹介したが、神経細胞は共通のメカニズムで、細胞膜上で起こる電気的興奮を伝搬することができる点だ。静止状態では、神経細胞内外のナトリウムイオン(Na+)勾配によって、神経細胞内外の電位差(静止膜電位)は-90mVに保たれている。外的な刺激でこの電位が変化してある閾値を超えると、イオンチャネル(電位に応じて開閉するNaチャネル)が急速に開き、結果急速にNa+が細胞内に流れ込み、膜電位の極性が変わる(+20mV:脱分極)。この電位の変化は、イオンチャンネルを介してK+を細胞外へ逃すことですぐに元に戻るが、刺激が繰り返されるとイオン勾配が消失して、興奮できなくなる(不応期)。このイオン勾配を復元するためには、それぞれのイオンに特異的なポンプが働く必要がある。このイオンドクトリンに従う細胞であれば、いかに複雑な形態をもち、神経間の興奮伝達に様々な化学物質が使われる場合も、神経を点から点に張り巡らせた電線と同じように単純化して考えることができるようになった。

最後のドクトリンが、神経細胞間の興奮伝達がシナプス接合部での化学物質の伝達によって誘導されるとするシナプスドクトリンだ。すなわち、化学物質の伝達によって、それを受け取る側の神経細胞の興奮を誘導できるが、この場合は電位依存性チャネル(voltage gated channel)ではなく、シナプスで興奮した細胞から分泌される伝達物質と結合することで開くチャネルにより、もう片方の細胞に興奮が伝わることがわかっている。シナプスドクトリンは、神経興奮伝達が一方向にのみ進むというカハールの原理を説明するだけでなく、使われる化学物質を変化させることで、神経間の結合に特異性を与え、また次の神経の興奮に対して促進的にも抑制的にも働けることが説明できる。この二つの性質を合わせると、ほとんど無限の神経回路を作れることが直感的にわかると思う。

この3つのドクトリンを基盤にして、神経回路による記憶維持の細胞学的、生化学的メカニズムについての研究が始まったが、この問題を分子レベルまで掘り下げて説明するのに成功したのがコロンビア大学のエリック・カンデルで、彼はこの研究によりノーベル医学生理学賞に輝いている。

カンデルが記憶回路の解明に用いた動物はアメフラシ(図1)で、大きな殻のないカタツムリと考えて貰えばいいだろう。


図1 アメフラシ(http://en.wiktionary.org/wiki/File:Aplysia_dactylomela_2.jpg)

カンデルは、図2に示した、アメフラシの水管(水を吐き出す管)を刺激すると、エラを引っ込めるという反射に注目した。図2は2000年カンデルがノーベル賞を受賞した時のプレスリリースに掲載されたアメフラシの図だが、腹側にエラと水管が存在している様子がわかる。カンデルたちは、エラを引っ込める反応をアウトプット、水管を触れる刺激、および尻尾への強い電気刺激をインプットとして、それぞれの刺激間の関係や、刺激のパターンが記憶されるかについて調べた。


図2:カンデルの用いた実験系。(C) The Nobel Assembly at Karolinska Institute

例えば水管を刺激し続けると、アメフラシは刺激に慣れてエラ反射を起こさなくなる(Habituation)。あるいは、水管に触れる前に尻尾に強い刺激を与えると、水管を触れた時のエラの反応が増幅する(Sensitization)。このサイフォン刺激や尻尾への強い刺激が記憶されているかどうかは、一定のインターバルをおいて、同じ刺激を加え、エラが同じ反応を示すかどうか調べることで確認出来る。このインターバルが短い時の記憶が短期記憶で、長い時の記憶が長期記憶になる。カンデルたちは特にSensitization(感作)と呼ばれる行動を用いて短期記憶、長期記憶について研究を行った。

もちろん短期記憶、長期記憶が存在することは、様々な神経システムで観察することができる。しかし、記憶に関わる神経回路を、一個一個の細胞レベルまで分離することは簡単でない。しかしアメフラシの回路では、神経が大きく、また数が少ないため、エラを引っ込める行動とともに、それに関わる単一の神経細胞の興奮を長期間記録し続けることができる。また、刺激後何日もたって、再度同じ神経を探し出して記録することも可能だ。記憶のメカニズムを、行動、神経生理学、そして細胞内での生化学的反応へと還元したいと考えていたカンデルにとっては、アメフラシは選びに選んだモデル動物だった。

図3はカンデルたちが分離した、水管反射の記憶に関わる神経回路の模式図だ。水管への刺激を感じる感覚神経と、エラを引っ込める運動神経がシナプス結合を形成しており、これがメイン回路になる。そこに、水管の刺激をフィードバックしたり、フィードフォワードする刺激性介在ニューロン、抑制性介在ニューロンが結合してサーキットが形成される。このサーキットに、尻尾の感覚神経と結合する調節介在ニューロンが結合して、体の他の部分の感覚を伝えるまさに回路が形成されている。


図3 カンデルたちが研究したエラを引っ込める行動を調節する神経回路。実際には、他にも調節介在ニューロンが関わっていることがわかっているが、ここでは省略する。基本的に、水管の刺激を感じる感覚神経と、エラを動かす運動神経の結合した経路に、抑制性および刺激性介在ニューロンが結合し、また全く異なる組織(tail)からの刺激が調節介在ニューロンを介して、この回路に伝えられる。

それぞれの神経は、単一細胞レベルで興奮を記録するとともに、物質を注入することができる。これにより、行動を神経生理学、そして最終的に神経内部での分子間相互作用へと還元することが可能になった。

カンデルたちの期待通り、現在ではSensitizationについての短期記憶、長期記憶のメカニズムはほぼ明らかになったと言える。両記憶のメカニズムについて、同じくノーベル財団のプレスリリースで使われた図を用いて説明しよう。


図4:短期記憶と長期記憶。(C) The Nobel Assembly at Karolinska Institute:説明は本文

結論的には、「短期記憶も、長期記憶も、アウトプットとしてシナプス伝達の強さや閾値を変化させる細胞内の変化」とまとめることができる。

まず短期記憶から見てみよう。尻尾からの調節性介在ニューロンは、水管の刺激を感じる感覚神経と運動神経とを結合しているシナプスに結合している(図3)。この介在ニューロンが興奮すると、1)セロトニンを分泌し、2)このセロトニンがシナプス上の受容体に結合すると、3)アデニルシクラーゼが活性化し、4)cAMPが作られ、5)cAMPにより細胞内のタンパク質リン酸化酵素PKAが活性化され、6)カリウムチャンネルや様々なシグナル分子をリン酸化して、7)より多くの神経伝達物質を分泌するシナプスに変化する、という順序で運動神経への刺激が増強する。ただ、この増強は一過的なPKAリン酸化活性の増強によるもので、時間が経てば元に戻る。

これに対して長期記憶は、同じように活性化されたPKAが一過的にシナプス機能に関わる様々な分子を活性化するだけでなく、図4にあるように転写因子を活性化し、誘導された新しい分子により細胞の分化が誘導されることで、長期にわたるシナプスの大きさ数の変化が起こることで維持されることがわかった。実際には、セロトニン刺激がPKAを活性化するところまでは短期記憶と同じだが、長期記憶の場合はその後CREB1と呼ばれる転写因子が活性化され、新たな遺伝子を誘導することで、細胞自体が分化し、細胞及び組織レベルの構造変化が起こることで長く続く記憶が成立する。言い換えると、細胞をプログラムし直し、違った性質に変化させることが長期記憶のメカニズムだ。この仮説は、感覚神経へCREB1を過剰発現させることで、刺激なしでも長期記憶が成立するという実験による証明された。

実際にはこの単純な回路では、さらに複雑な短期、長期の細胞変化が起こり、シグナルのインプットとアウトプットの関係をさらに複雑にできることがすでに明らかにされているが、その詳細は省いていいだろう。

アメフラシの神経回路を用いた短期、長期記憶については以下のようにまとめることができる。

  1. 1)記憶は、複数の神経がシナプスで結合した神経回路を基盤に成立する。
  2. 2)シナプスから分泌される神経伝達因子は、細胞の興奮だけでなく、細胞内のシグナル伝達経路を刺激する。
  3. 3)このシグナルにより、一過性に細胞内の様々な分子が活性化、あるいは不活化され、その結果シナプス興奮の閾値や大きさが変化し、刺激に合わせた反応を誘導できる。これが短期記憶。
  4. 4)同じシグナルは、特定の転写因子を活性化し、新しい遺伝子発現を誘導する。これにより、細胞のプログラムが変化し、細胞分化や構造変化が起こる。一旦プログラムが書き換えられると容易に元に戻らないため、長期にシナプスの活性を変化させることができる。これが長期記憶。

以上のことから、長期記憶も、短期記憶も、特に特別なメカニズムを使っているわけではなく、多くの細胞と共通の分子を利用していることがわかる。PKAは多くの細胞でcAMP濃度上昇を感知し、短期・長期の細胞変化を誘導するのに働いている。CREB1についても同じだ。ただ神経の場合、刺激により誘導される最終結果が神経細胞同士の神経伝達の強度や閾値の変化になる。またこの変化も、一過性から、様々な長さの時間持続させることが可能だ。

次に、図3からわかるように、神経同士の結合はほぼ無限に複雑化することができる。しかも、神経細胞は形態的にも機能的にも何十種類も存在するため、回路の複雑性はすぐ天文学的になりうる。そして、神経伝達物質や受容体も数十種類存在するため、これによって可能なシナプスを介する興奮伝達の様式も無限に変化させることが可能になる。

しかしネットワークがどんなに複雑でも、背景にある生化学的原理はほぼ共通であることが重要で、どんな複雑な神経系回路でも、刺激が誘導するのは、回路自体の特性のリプログラムだ。

これまで、私の知識を再整理する意味で、神経生物学にあまりに深入りしたが、勉強はこのぐらいにして、次回は神経回路による情報と記憶の特性について考えてみたい。

[ 西川 伸一 ]

記憶と個性

2017年1月5日

ここまで、ゲノム、クロマチン情報、そして神経細胞ネットワークについて、情報と記憶という観点から検討してきた。今回はこれまでのまとめとして、3種類の情報システムを、個性という観点から整理してみようと思っている。

個性というと、「差異、多様性」だけを思い浮かべがちだが、例えばサルと人間の違いを個性とは言わない。個性というとき、あくまでも人間、あるいはサルの個体間で見られる違いについての話だ。したがって、個性という言葉の中には、種としての同一性と個体としての多様性の両方が含まれている。言い換えると、環境に適応するため種としての共通性を維持しようとエントロピーを低下させようとする方向と、ゲノム変異により個体を多様化しようとエントロピーを拡大する方向がぶつかり合うところに個性が成立している(図1)。

図1: ゲノム変異は常に種内のエントロピーを上昇させ、これに対し自然選択はエントロピーを低下させる方向に働く。この結果、種という制限の中で多様性が生まれ、個性が形成される。

おそらくダーウィンほど(ウォレスもだが)、この個性の理解が進化を理解する鍵であることがわかっている人はいなかっただろう。種という制限の中で、次の世代に伝えることが可能な個性が自然に生まれることを確信できないと、自然選択説はでてこない。

人間に個性があるように、あらゆる動物にも個性があることを一旦認めれば、産業革命下の弱肉強食社会を目の当たりにしていたダーウィン時代の都市のインテリにとって弱者が淘汰され強者が残るという考えは当たり前のことだったはずだ。一方、淘汰自体の概念と比べると、あらゆる生物が子孫に伝えることができる個性を自然に発生させるという考えは、背景にあるメカニズムが全くわからないため、受け入れることは簡単でなかったはずだ。もちろん当時の人も、人間を真面目に観察しておれば、それぞれが個性を持っており、誰一人として同じでないことはわかっていたはずだ。しかしダーウィン進化論にとって個性とは、子孫に伝わる性質でなければならなかった。メンデル遺伝学が登場するのは十年後だ。それでも、種としての共通性を基盤として、生殖過程で自然に発生する変異の蓄積が個性を生み、それが子孫に受け継がれると考えたダーウィンの慧眼には瞠目せざるをえない。

次にこの19世紀の議論を、21世紀ゲノム時代の視点で見直してみよう。

今や何百もの種の全ゲノムが解読されている。ゲノムの大きさ、DNA複製のメカニズムを知れば、大腸菌でさえ一回分裂して2個の大腸菌になるとき、両方のゲノムが全く同じである可能性があるなどと考える人はいないはずだ。すなわち、分裂時、あるいは分裂後に個体ごとに異なる様々な変異がゲノムにおこり、ゲノムは多様化し、個性が生まれる。変異は、1代、2代と世代を重ねることにより蓄積し、個体数の増加とともに多様性は増大する。このとき、増殖を損なう変異がおこると個体の維持ができずに自然に淘汰される。逆に、増殖力が高まって他の個体の個性を凌駕することも可能だ。このように、原核生物の場合、生存と複製に必要なゲノム構造が損なわれない限り、種内のゲノム多様性が発生し続け、こうして生まれた個性が環境にフィットすると、今度はこの個性が優勢になり、新しい個性が種として共通の性質になる。

ゲノムのみが経験(自然選択)を記憶できる媒体である原核生物では、ゲノムの多様化はエントロピーの増加を意味する。こうして増加したエントロピーは、自然選択過程により環境にフィットした個性が選択されることで低下する。この過程が異なる環境で起こると、選ばれる個性は異なるため、それぞれの個性へと種全体が収束することで、環境に応じた種が誕生し、種の数は増加する(もちろん環境が同一だと、種は分化できない)。このエントロピーが増減を繰り返す過程の繰り返しが進化で、すべてのゲノムは38億年前の生命誕生まで遡ることができる。このように、ゲノムに蓄えられた過去の記憶はゲノムの個性に等しい。言い換えると、個性とは過去の経験の記憶により形成される多様性と言っていい。(図2)

図2 個体のゲノムは自然に変異を蓄積するようにできている。これにより個性の多様化が起こる=エントロピーが増大する。環境に適応した個体が選択されると多様性は低下し、新しい性質が共通の性質になる。これが様々な環境で起こると、種は多様化する。

原核生物では、ゲノムの記憶がその生物の個性のすべてを決めていると言えるが、多細胞生物が生まれ、生殖細胞と体細胞が完全に分かれると、個体の個性は、ゲノムの個性とは言えなくなる。このことは私たち人間について考えるとよくわかる。

現在では同じ種でも個体間でゲノムが多様化していることがわり、確かにゲノムの個性が子孫に受け継がれ維持されていることは間違いがない。このゲノムの個性から、病気のリスクや、できれば他の様々な性質を予測したいと、個人遺伝子診断サービスが最近提供されている。しかし、個人の全ゲノムを解読したとしても、それですべての個性を予測できると考える人はいない。受精卵が発生を始めてから死ぬまで、我々は様々な経験を通して、ゲノムでは決まらない個性を作り上げていく。これは経験が記憶され、その記憶が個性となるからだが、この記憶はエピジェネティックスとして総称される。ただ、この時の記憶媒体は、クロマチン情報と神経ネットワークの両方(人間では言語も加わるが)からできている。例えば昔人気を博した一卵性双生児姉妹、金さん銀さんの性格や顔があれほど異なるのは、クロマチン情報の記憶と神経ネットワークの記憶の違いが原因だ。

まずクロマチン情報を介する個性について見てみよう。ゲノムの個性と比べた時クロマチン情報を介する個性を研究する難しさは、個体レベルの個性が一つの情報に代表されるのではなく、細胞一個一個の個性の集合として表現されている点だ。

まず発生過程で、何百種類もの細胞が分化するのは細胞ごとにクロマチン情報の違いが生まれるからだ。ただ、発生過程では、決まった細胞を繰り返し安定に分化させることが要求され、クロマチン情報が間違って多様化しないように設計されている。もちろん、この過程でも間違いは起こり、その間違いが細胞の生存や機能を損なわない限り、細胞の記憶として維持される。以前述べたように、クロマチン情報も細胞分裂を超えて維持することができるため、発生の初期に起こった間違いは、多くの子孫細胞に受け継がれる。このような間違いは、時間を経て問題になる場合がある。

有名な例は、1944年の冬、ナチスドイツに封鎖され極度の飢えに苦しんだアムステルダムで胎児期に飢えを経験して生まれた人たちは、高齢になってからインシュリンの分泌が低下し糖尿病になる。これは、胎児発生時に飢えにさらされて起こったクロマチン情報の間違いが、高齢になってから細胞に影響し始めたことを示唆している。同じように、胎児期にお母さんがアルコールを摂取すると、様々な細胞でクロマチン情報の記憶間違いが起こることが知られている。

幸い、クロマチン情報の記憶形成は間違いが少ないように設計されており(増殖因子や分化因子がきめ細かく細胞の方向性を調節する)、それぞれの細胞でおこる記憶間違いはランダムに起こるが細胞の生存から見て許容範囲内で止まっている。またクロマチン情報の変異は細胞ごとの個性になるため、変異が許容範囲を超える細胞は淘汰されるが、個体全体には影響が少ないことが多い。

同じ臓器で同じ細胞が作り続けられるためにはクロマチン情報は必須で、それを維持することは重要だが、発生後も外界のストレスによりクロマチン情報は少しづつ変化する場合が多い。例えば、老化によりクロマチン情報が変化することが知られている。しかし、このような変化は個々の細胞レベルで止まり、各細胞で全くランダムに起こるため、臓器や個体の機能にとって問題にならない。しかし、この個々の細胞にランダムに蓄積した様々なクロマチン情報の変化が集合したものが、クロマチン情報を介する個性として表現される。

以上をまとめると、クロマチン情報の記憶は、各細胞個別に形成される。この記憶は細胞の種類に応じて同一になるよう設計されているが、どうしても小さな記憶違いが生じて、これが細胞の個性を形成する。そして、この細胞の個性が集まって、個体の個性になるが、ゲノムの個性と異なり、個体レベルのクロマチン情報の個性を一つの情報で代表させることはできない。また、クロマチン情報を介する記憶や個性は、各細胞に限局されており、統合されることはない。個体レベルのクロマチン情報の個性は、あくまでも細胞の個性がただ集まっただけの結果だ。

エピジェネティックスな変化の中には、神経ネットワークを介する情報の記憶も当然含まれる。事実、私たち人間の個性は、脳の個性として表現される部分が多い。例えば、生後訓練を繰り返して筋肉が発達し、早く走れるようになる過程にアメフラシで見たのと同じ神経ネットワークを介する記憶が大きく寄与している。もちろん、筋肉自体も発達し、これにはクロマチン情報の変化も寄与するが、神経系の記憶が存在しないと筋肉は発達しない。残念ながら、こうして訓練した結果は、次の世代に受け継がれず、一代限りだ。

神経ネットワークのメカニズムを突き詰めると、細胞が発生し、成長し、老化する過程で起こるクロマチン情報の記憶と同じと言っていい。どんなに複雑な脳神経系でも、進化過程でゲノムに蓄積された記憶情報に基づいて空間的・時間的に発現する特異的なシグナルに従って順々にクロマチン情報が変化した細胞を分化させ、これをゲノムの記憶に従って立体的に構造化させることで、形成される。また、生前、あるいは生後それぞれの神経が受ける刺激に対しては、一次的な反応が細胞内シグナル伝達経路の活動として反応する。そしてシグナルの質や強さに応じて、前回見たように、神経細胞のクロマチン情報が変化し、長期記憶が成立する。しかし図3に示すように、神経細胞の反応は他の体細胞の反応と全く変わるところはない(図3)。

図3:神経細胞と一般体細胞の比較。
説明は文中。

一方、一般の体細胞と神経細胞の記憶は、個々の細胞内で起こる変化が個体レベルで統合されるかどうかという一点で大きく異なっている。すでに述べたように、クロマチン情報の記憶に起因する細胞の個性は、ただ集合して個体の個性に寄与するだけだが、神経系では細胞レベルのクロマチン情報の変化に起因する個性は、細胞同士がネットワークを形成することで、個体レベルで統合される。この統合は、神経細胞にとどまらず、筋肉やホルモン産生細胞など、多くの体細胞をも統合できる。

実際には、同じような細胞の変化を統合して個体の個性を変化させることは、内分泌システムにも見ることができる。オタマジャクシがカエルへと変態を遂げる時、甲状腺ホルモンが分泌され、体全体の細胞を統合する。同じことは、私たちが思春期に急速に様々な性的特徴を発生させるのも同じだ。しかし、一見個体全体を統合している高等動物の内分泌システムを詳しく見てみると、ほとんどがどこかで神経系とつながっており、神経ネットワークの記憶の支配を受けていることに気づく。

このように、神経細胞は、神経細胞にとどまらず様々な細胞と直接、間接にネットワークを形成する能力を開発し、全く新しいレベルの個体性の統合を可能にしている。

これに加えて、神経ネットワークでは、視覚、聴覚、嗅覚など、外界の変化を迅速に、立体的に捉え、この入力を個体として統合された神経ネットワークにリンクさせることができる。これにより、環境を全く異なるレベルで自己化することが可能になった(例えば景色の記憶は、環境を自己化したと言える)。もちろん、外界の自己化は原始ゲノム発生以来、生物進化の駆動力と働いてきたことだが、神経系による自己化は、あるがままの外界を表象し自己の延長として自己化する点で、これまでの自己化とは全く異なる。

この個体内外の統合と、自己の発生についてはわかりにくいと思うので、次回は、「統合と自己」というタイトルで、神経系ネットワークが可能にする個体と細胞、個体と外界の統合能力について解説してみたいと思っている。

[ 西川 伸一 ]

統合と自己:細胞の個性と個体の個性

2017年1月16日

今回は個体と細胞の関係を考えながら、神経情報の特殊性について見てみる。

教科書的には、多細胞体制の誕生は細胞の個性と個体の個性の分離をうながし、またその結果個体のゲノムを継承するために生殖細胞が誕生したことになる。しかし、生殖細胞が誕生した後も、有性生殖だけが個体のゲノムを継承する方法ではない。例えばプラナリアのように個体全体が分裂する場合もある。植物では体細胞からカルスが形成され、そこから完全な植物個体を形成することができる。


図1:プラナリアは成長すると個体自体が分裂することが古くから知られている。(出典 https://www.flickr.com/photos/internetarchivebookimages/20705306246/sizes/o/)

有性生殖と無性生殖が共存できるのは、ほぼ同じゲノム情報が全ての細胞に存在しているからに他ならない。もちろん、細胞ごとにゲノム情報の小さな違いは生じているが、原則的にほぼ同じゲノム情報が個体の全ての細胞に存在していると考えていい。無性生殖を行わない動物でも、体細胞の核移植によるクローン動物作成実験から(哺乳動物のように複雑な動物でも、体細胞のゲノムを未受精卵に移植すると、新たな個体が発生する)、全ての細胞に完全なゲノム情報が存在していることが示された。この意味で、ゲノム情報の同一性が、細胞と個体の統一性を保証していると言える。

しかし、植物やプラナリアでは体細胞から個体を形成できるのに、私たち人間の細胞は、決して個体を形成することはない。この理由の一つは、私たち人間の細胞は、ゲノムは受精卵と同じでも、体細胞への分化過程で変化した細胞それぞれのクロマチン情報を簡単にはプログラムし直すことが難しいことだ。実際プラナリアも同じで、分化した細胞は他の細胞に分化し直すわけではなく、全細胞のうち3割がクロマチン情報を変化させやすい多能性幹細胞でできているからだ。同じゲノムを持っていても、不可逆的にそれぞれのクロマチン情報が選び取られて発生が進むことを、英国の発生学者ウォディントン(C.H. Waddington)はエピジェネティック・ランドスケープ(epigenetic landscape、後成的風景)という絵を用いて表現している。しかし、分化細胞を他の種類の細胞へと変化させることが難しいお陰で、私たちは明日皮膚が血液に変わってしまっているという心配をしなくて済む。

図1 ウォディントンの描かせたepigenetic landscapeの絵をわかりやすく書き直した図で、この概念を示す際、最もよく使われる。上部にあるビーズは様々な場所に動き得るが、一旦分化の方向性が決まると、他の道は選べないことが示されている。

結局、我々人間では、受精卵から始まる一生で一回きりの、ゲノムの指示に従う発生過程を通す以外に、必要な細胞を準備することはできない。ES細胞やiPS細胞の研究から、受精卵に限らず、体のあらゆる細胞を作る能力を持つ細胞が得られることが明らかになり、他の細胞から区別して多能性幹細胞と呼ぶようになっている。しかしあらゆる細胞に分化できる多能性幹細胞の塊から始めても、正常な個体を発生させることはできない。なぜなら、動物の発生過程では、個々の細胞が個体との関係を読み取り、これにより得られる情報の指示に従ってクロマチン情報を変化させることが要求される。例えば四肢はほとんど同じようなメカニズムで体幹から飛び出すが、頭に近いところにある細胞から腕が、遠いところにある細胞から足ができる。これも、各細胞がボディープランから見て最もふさわしい組織の形成を指示する、すなわち適切なクロマチン情報を確立するための情報が体の各部に用意されているからだ。しかし、体の体制を構成しているのも細胞だ。どちらが原因で結果かがわからないという因果性の問題が発生学には常に存在している。

ゲノムには、発生に応じて必要な遺伝子セットを発現させるためのプログラムが存在し、多能性の幹細胞は発生に合わせて様々なクロマチン情報記憶を展開することができる。多能性幹細胞は様々な条件下でほとんどの細胞へと分化できるが、秩序ある個体を形成するためには細胞の多能性だけでは不十分で、細胞が初期胚が持つ個体の体制からのシグナルを受けることが必要になる。例えばES細胞を集めて個体に移植したり、あるいは試験管で培養したりしても、奇形腫と呼ばれる秩序のない構造ができるだけで、マウスはできない。しかし同じES細胞を胚盤胞に注入すると、胚盤胞の体制に組み込まれてES細胞は正常個体を形成することができる。


図3 4倍体補完法の説明 説明はテキスト参考

胚盤胞の体制自体が持つトップダウンの力を最もよく示す例が4倍体補完法と呼ばれる方法だ(図3)。受精卵が分裂した時に電気ショックで細胞を融合させると4倍体の胚ができるが、この胚盤胞をES細胞の塊に指示を与える構造として用いることができる。4倍体の胚は胚盤胞期まで発生するが、胎児細胞はそれ以上発生ができない。一方胚外のトロフォブラストは機能的胎盤を形成できる。このため胚盤胞に移入したES細胞やiPS細胞は、死滅する4倍体の細胞の代わりに発生する。すなわち、胎盤は4倍体の細胞から、胎児部分は注入したES細胞からできた合成胚を作り、発生させることができる。単純な構造に見える胚盤胞にも、細胞の分化に指示する体制が存在することがわかると思う。

このように発生学は、細胞の分化を指示する個体の体制とは何か?そのシグナルを受けた分化細胞がどのようにして個体へと統合されるのか?など、常に全体と部分の関係を研究してきた。このことは、例えば古典的な発生学で、オーガナイザー(organizer)とか、誘導物質(inducer)、ボディープラン(body plan)という個体の体制を示す言葉が重視されていることをみれば理解できる。この発生学の特殊用語を使ってまとめると、ゲノムの記憶を正確に展開するためにも、最初はオーガナイザーが必要で、このオーガナイザーもまた細胞からできており、ゲノムに指示により形成されるのだが、卵の形成過程、受精過程、着床過程など外部の要因が関わって形成される。

このように「卵が先か、鶏が先か?」の問題と同じで、発生では全体と部分は一体化しており、原因と結果の区別を困難にする。同じように、発生でのゲノム情報とクロマチン情報の関係も一体化している。発生でのクロマチン情報の変化は、ゲノムにコードされたプログラムで進むが、クロマチン情報がないと複雑な多細胞生物のゲノムの記憶を展開することができない。

では前回述べた多細胞動物に見られるゲノム情報、クロマチン情報の個性とはなんだろう。発生過程で一つの系列内の細胞の多様性が生まれることは、ゲノムやクロマチン情報の間違いと考えていい。これらの情報の変異は細胞ごとに起こるが、許容範囲以上の間違いは致命的になるか、細胞レベルで除去される(例外と言える免疫系は後で説明する)。発生、成長の過程で個々の細胞レベルで発生する個性は、個体の個性として統合されることはないが、細胞レベルの個性が個体に影響を及ぼす時、病気、老化などの異常として現れる。

少し長く説明しすぎたが、神経情報が誕生するまでは、新しく生まれた情報システムも、それ以前に存在した情報から独立することができていなかったことを示すためだ。これに対し、新しく生まれた神経情報は、他の情報に依存した生命活動から、大幅な独立を勝ち取っている。

もちろん神経ネットワークも、その形成や維持はゲノム情報、クロマチン情報に完全に依存しており、神経情報だけが独立することはない。体がないと、脳は機能せず、神経情報維持できず、心もできない。しかし、神経情報のオペレーションを詳しく見てみると、それ自体で他の情報から独立して働くことができ、また各細胞に生じた個性がそのまま神経系全体の個性として統合されていることがわかる。

例えば、一卵性双生児間の個性を考えてみると、細胞レベルのクロマチン情報の違いが集まって生まれる個性の違いと比べ、神経ネットワーク情報に起因する性格や記憶の違いは際立って大きい。すなわち、神経ネットワークの枠組みが一旦形成されると、神経情報のオペレーションは自由度が高く、結果多様な個性を形成できることを意味している。個性が多様化できるということは、他の情報からの独立性が高いことだ。この独立性が、デカルト以来私たちが心身二元論に陥る理由の一つだと思う。

しかしなぜ身体の死とともに消滅する運命の神経ネットワークの情報が、心身2元論という錯覚を生むほどの独立性を獲得できたのか?その原因について最後に考えてみよう。(以下は私の妄想でしかないことを断っておく。)

神経ネットワークが持つ最も重要な特徴は、様々な神経細胞があるにもかかわらず、各神経細胞の興奮、細胞内(軸索や樹状突起)での興奮の伝搬、そして神経間の興奮伝達のための原理がほぼすべての神経細胞で共有されている点だ。そのおかげで、視覚であれ、嗅覚であれ、触覚であれ、全てのインプットを同じ神経ネットワークで共有することができる。また、インプットに対するアウトプットも、筋肉を動かす運動からホルモンの分泌に至るまで実に多様で、多くの組織を直接間接に支配してネットワークの中に組み込むことができる。もちろん、インプット・アウトプットだけでなく、神経同士が刺激・抑制し合う回路も形成される。同じ原理で作動できるため、神経細胞の数さえ増やせば、無限に神経細胞同士を組み合わせ複雑なネットワークを形成することができる。こうしてできた神経ネットワークも、神経間の結合の特異性や強さを変化させるためにはゲノムやクロマチン情報に依存したメカニズムを用いるが、クロマチン情報が「ゲノムのon/off」のための情報であるのとは全く異なり、形成される記憶自体は、直接ゲノムやクロマチン情報と関係はない。

このようにゲノムとクロマチン情報に依存して発生が進み一旦回路が形成されると、あとは外来の刺激が回路のパターンを変化させる例は、すでにアメフラシの水管反応で説明した。アメフラシ水管反応回路では、刺激を受けなかった回路と、刺激を受けた回路では全く回路特性が異なる。これは回路構造の中の神経細胞の特性が変化したためだが、この変化は回路全体の個性として統合される。このように、神経回路はこれまでの情報と比べて、高い自立性を持ち、興奮伝達の原理を共有することで無限に複雑化する可能性を獲得した。しかも、さらにこの共通性のおかげで、個々の細胞レベルで生じた神経細胞の個性はネットワークにより共有されることで、神経系全体の個性へと統合される。

細胞の個性を統合することができる神経系の誕生は、刺激が消えた後もその刺激の影響を維持することを可能にした。この点については、同じようにほぼ無限と言える外来抗原に反応できる免疫系と比べてみるとよくわかる。

免疫系は無限の化合物に対して反応できる。これは、多様な抗原の一つ一つに対して反応する個別のリンパ球が体内に存在するからだ。すなわち、同じ細胞を繰り返し作り、細胞に個性が生まれるのを極力拝する他の組織と異なり、リンパ球は最初から異なる個性(抗原特異性)を持つよう分化する。この個性はゲノムレベルの個性で、抗体やT細胞受容体遺伝子を不可逆的に変化させ、それぞれのリンパ球に異なる抗原受容体遺伝子を発現させるリンパ球特異的な遺伝子再構成メカニズムに依存している。しかし個々の細胞レベルの免疫反応は抗原に反応する細胞だけでとどまる。すなわちリンパ球同士の反応には必ず抗原の介在が必要で、抗原がなくなると細胞間の相互作用は消滅する、一方、神経の場合は刺激が消えても、細胞相互作用は維持できる。

ニールス・イェルネらは、抗体が他の抗体により認識できる(イディオタイプ)という現象を元に、リンパ球同士は抗原を介さずに、神経のように直接相互作用できるとするイディオタイプネットワーク説を唱えた(図4)。しかし、抗体が認識し合ってネットワークを作るという考えはは最近ではあまり支持されなくなっている。結局、免疫系が無限の抗原に反応できるのは、ネットワークとは無関係に、リンパ球の抗原反応性に最初から多様性があるからだ。結局免疫反応とは、抗原反応性の異なる個別の細胞ごとに増殖、分化寿命延長などの細胞学的変化が起こることに他ならない。


図4 ニールス・イェルネらが考えたイディオタイプネットワーク説。彼のノーベル賞受賞論文を元に書き直した。最初抗原により刺激されたB細胞から分泌された抗体1(空色)の抗原結合部は(他の抗体分子とアミノ酸配列が異なるため)抗原としても働き、抗体2(緑色)により認識される。この相互刺激関係が成立すると、抗原なしに刺激は持続する。

一方、イェルネが考えたように、免疫系でネットワークが成立するためには、最初の刺激が消えた後も、リンパ球同士で刺激しあえるメカニズムが必要だ。免疫系では、図4に示したことは理論的には可能でも、現実には特殊な状況だけで起こっているようだ。

一方図4に示したネットワークは神経系では成立できる。神経系も、味覚や嗅覚として化学物質を感じ、記憶できる。化学物質に反応する点では、免疫系と同じだが、例えばワインを一口飲んで、実際の刺激は胃の中に消えてしまっても、味や匂いを他の感覚と関連させ、記憶として維持することができる。これは、刺激が消えた後も、匂いや味の刺激によって生まれた新しい回路の活性が維持できることを意味している。これが可能なのも、神経細胞が同じ原理を共有し、回路を形成できるからだ。

以上、全ての神経細胞が興奮のための原理を共有することで、神経細胞同士で無限に複雑なネットワークを作り、また各神経細胞の変化を、ネットワーク全体の変化として共有できるようなったことで、心が身体から離れてしまうという心身2元論の幻想が生まれるほど、神経ネットワークによる情報が、ゲノムやクロマチン情報から独立した、独自の情報系を作ることができたことを納得していただいただろうか。

次回からは、各細胞の変化が統合可能で、他の情報から独立している神経情報系により可能になった脳新しい情報機能について見ていきたい。

[ 西川 伸一 ]

カテゴリ:生命科学の現在