3月7日RAS阻害剤を設計する(2月23日号Cell掲載論文)
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3月7日RAS阻害剤を設計する(2月23日号Cell掲載論文)

2017年3月7日
    将来のがん化学療法が成功する鍵はRAS阻害剤が開発できるかどうかにかかっている。これまで何度も紹介したように、半分以上のガンでRAS分子の突然変異がドライバーになっている。このことがわかっていながら、RASの機能部位が凸凹のないのっぺりとした表面を持っているため、機能を阻害する分子を探索するのは難しかった。
   今日紹介するコロンビア大学からの論文はこの厄介な変異RASに対して一定の阻害効果がある化合物を設計することができることを示した研究で2月23日号のCellに掲載された(http://dx.doi.org/10.1016/j.cell.2017.02.006)。タイトルは「Multivalent small-molecule pan-ras inhibitor(RASの複数の部位に結合する全RAS阻害剤)」だ。
   著者らは、一箇所のRASの活性部位を標的に化合物を探索する今までの方法では実用的な化合物は発見できないと考え、代わりにRASの構造解析に基づき、RASが活性化されると構造が変化する複数の部位に同時に結合する化合物を設計することを試みた。詳細は調べていないが、おそらく各部位に結合できる小さな化合物をデータベースから抽出し、それらを一つの分子に設計し直して合成する、完全にコンピュータだけで化合物を設計している。
   もちろん論文として発表しているわけで、あとはこの化合物(3144)が期待通りの効果を発揮したことを示す実験が続いている。
   まずRASタンパク質と3144が試験管内で、比較的高い結合力で結合することを確かめた後、RASが活性化している様々な細胞株の増殖を抑制するとともに、確かに活性化RASを特異的に阻害していることを生化学的に示している。
   最後に、3144が経口を含む全てのルートの投与で血中濃度が上昇し、移植したガンの増殖を抑制できることを示している。
   以上の結果から、コンピュータによる分子設計を用いればRASに対する阻害剤を設計することができ、得られた阻害剤3144は全ての活性化RASを阻害し、実際のガン細胞の増殖を抑制できる。また、この化合物は薬剤として利用するための十分な体内動態を示すと結論されている。
   実際のデータを見ると、副作用はともかくとして、実際のガンモデルに対する効果はまだまだ限界があるように思える。従って、さらに化合物の特性を至適化する作業が必要だが、もしうまくいけば大ヒット商品というだけでなく、多くの患者さんの期待に応えられるだろう。
   最近、化合物を直接スクリーニングする代わりに、小さな分子と標的分子との結合を調べた上で、大きな分子に設計し直す手法で成果が生まれ始めた印象を持つ。ひょっとしたら、今後の創薬のあり方を変えるかもしれないという予感がする。
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3月6日:副作用のない痛み止めを設計する(3月3日Science掲載論文)

2017年3月6日
   痛みをどう止めるかは、現在なお医学の重要な課題だ。この時、痛みを抑えてくれるオピオイドは切り札になるが、オピオイド受容体刺激は、鎮静作用とともに、呼吸抑制、吐き気、便秘などの重大な副作用を示し、さらに精神作用に由来する中毒という重大な副作用があった。
   今日紹介するベルリン・シャリテ病院麻酔科からの論文は炎症組織にある末梢神経のオピオイド受容体だけを標的にしたオピオイド受容体刺激剤の開発研究で3月3日号のScienceに掲載された。タイトルは「A nontoxic pain killer designed by modeling of pathologyical receptor conformations(病的な受容体構造モデルからデザインした副作用のない痛み止め)」だ。
   私たちの組織はだいたいpH7.4の中性領域に保たれている。ところが、炎症が起こったり、組織障害が進むと、組織は酸性に偏る。このグループは、モルフィン受容体の構造解析と、その刺激剤フェンタニルの結合を様々なpHで解析し、フェンタニルは広いpH領域で受容体に結合できるため、炎症組織で痛みを鎮静するとともに、正常組織で副作用が出ることを確認している。
   この解析を基盤に、酸性組織でのみ働く刺激剤をデザインし、フェンタニルを出発点に主にフッ素を添加する手法でNFEPPと呼ばれる化合物を合成している。
   あとは試験管内で、NFEPPがpH6.5ではオピオイド受容体を刺激し、pH7.4では活性が低下することを確認し、ラットを用いた動物実験へ移っている。
   動物実験は片足に強い炎症を誘導したり、切開して痛みを誘導する実験で、NFEPPが痛みのある組織でだけ鎮痛作用があり、正常組織には何の影響もないこと、また大量に投与しても呼吸抑制や便秘などの副作用が起こらないことを確認している。
   この結果がそのまま人間にも適用できるのか、これから治験が必要だろう。また、がんの痛み抑制のように、麻薬の脳内での作用を期待するケースについては使えないだろう。しかし、外傷、炎症による局所痛は医療上の最大の課題で、患者さんの生活の質を大きく損なう。その意味で、アスピリンを開発したドイツから生まれた鎮痛剤に期待している。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月5日 生命誕生の痕跡を求めて:II 最古の生物を計算する(3月9日号Cell掲載論文)

2017年3月5日
  今日紹介するボストン大学からの論文は、昨日と打って変わって、最古の生物誕生の基礎となった代謝経路をコンピュータを使って計算するという研究だ。
  これまで知られている地球上の生物はリンなしには存在できない。まずATPのようなエネルギー交換のための通貨として、DNAやRNAのような情報として、あるいはサイクリックAMPのようなシグナル分子として、あらゆる生物反応に登場する。しかし、熱水噴出孔も含め地球上にリン元素はほんのわずかしかなく、産業的にもリン鉱山の多くは生物由来のリンを掘り出して使っている。すなわち、DNAを情報媒体とする生物の誕生にはリンを調達し、利用する仕組みが必要だった。しかし、この仕組みを考えるには、まずリンなしに生物の代謝経路がどこまで可能か調べる必要がある。
   事実、生物誕生前に有機物を合成する経路はこれまでも研究されてきたが、主にオートトロフと呼ばれる独立したバクテリアの代謝経路が参考にされてきた(生命誌研究館HPの拙文参照:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。
一方今日紹介する研究は、これまで知られている膨大な代謝経路のインプットとアウトプットを、コンピュータ計算でつないで最終的に大きな代謝回路を描こうとした研究だ。この時、サーマルベントには豊富に存在する無機物H2O,CO2,H2S,NH3,N2と、オートトロフも合成できる酢酸、蟻酸などの単純な有機物を最初のインプットにしてネットワークを書いている。最初のインプットにリンは存在せず、従って描かれる回路にリンは存在しない。
   具体的には、まず7種類の物質をインプット、アウトプットとする現存の代謝経路を当てはめて、どれだけこれ以外の新しい分子が生まれるか計算する。次に、回路の産物として新たに加わった分子も入れて同じように計算し直し、アウトプットとして得られるさらに新しい分子がアウトプットされるか調べる。この計算過程を、もう新しい分子が出てこないところまで繰り返して、最終的に描かれる代謝経路を原始に近いと主張している。最初のインプットにリンが存在しないため、この回路図には全くリンは存在しない。私はコンピュータに全く無知だが、論文は素人にも理解出来るよう書かれている
   驚くことに、この回路だけでかなりの数のアミノ酸など複雑な有機物が形成できる。生物なしに多くの有機物が形成される可能性は高い。また、私たちが高校、大学で習うTCAサイクルを含む重要な代謝経路もそろっている。
   研究では、
1) ここで描いた回路に現在かかわっている酵素が、LUCAの酵素として想像されている始原的な酵素に近いこと、
2) この回路から生まれる硫酸エステルによって、リンなしにエネルギーのやり取りが可能なこと、
3) こうして描き出した中核回路に現在使われている補酵素は、硫化鉄や亜鉛のような遷移金属が多く、リンを使っていないこと、
など、この経路が原始回路として十分資格を持っていることを主張している。
   今後、この回路がどのようにリンと出会っていくのか、あるいは複製できる生物誕生前にこの回路がどのように維持できたのか、新しいフェーズの計算が必要だろう。是非計算による予言をして欲しいと思う。
   もともと40億年以上前のプロセスは再現することは難しい。これからますますコンピュータの出番が出てくる。この研究は、誰もが理解出来るアイデアを用いている点、コンピュータに弱くとも十分理解出来るよううまく描かれている点など、楽しんで読める論文だ。是非一読を進める。
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3月4日:生命誕生の痕跡を求めて1:熱水噴出孔の痕跡(3月2日号Nature掲載論文)

2017年3月4日
   以前ロンドンの自然史博物館を訪れた時、特に感心したのが、実際の化石と化石もどきの展示や、物理力による模様と、生命活動による模様を比較した展示で、生命活動とは何かを教えることに力を入れていた点だった。子供たちに、生物活動と物理活動の違いを考えさせる入り口になると思う。
   しかし、パストゥールの「生命は生命から」のドグマが確立して以来、生命にしかできない過程があることは当たり前だと思っている。ところが、地球上に生命がなかった時代があると考えると、どこかで物理法則だけが支配する地球に、生命が誕生したことになる。
    このギャップは、創造主のような超自然的力を持ち出して説明されることが多かったが、科学はいまこの問題に果敢に挑戦している。そのための一つの方向が、現存の生物の共通祖先(last universal common ancestor: LUCA)の姿を描こうとする研究だ。幸い先週NatureとCellにLUCAを探す研究が掲載されていたので、それを順番に紹介する。
   今日紹介するロンドン・ナノテクノロジーセンターからの論文は、多くの人が最初の生命誕生の場だったサーマルベント(熱水噴出孔)のあった場所に生命の痕跡を求めた論文で3月2日号Natureに掲載された(doi:10.1038/nature21377)。タイトルは「Evidence for early life in earth’s oldest hydrothermall vent precipitates(地球最古の熱水噴出孔の沈殿物に存在する初期の生命の痕跡)」だ。
   生命誕生は40億年前後と考えられているが、この時代の地層が表面に隆起してきている場所が存在する。最も有名なのが37億年前の地層が剥き出ているグリーンランドのイシュアで、この地層に生命の痕跡を求めた論文を昨年紹介した(http://aasj.jp/news/watch/5757)。ただこの研究では、細胞のような形態ではなく、炭素同位元素の選択制から生命活動を推察した研究だった。
   この研究はより古い38億年前から42億年前に、熱水噴出により形成された、鉄を多く含むカナダのNuvvuagittuq supracrustal belt(NSB)の地層に生物の痕跡がないか調べている。
   この時生命の指標にしたのが、
1) hematite filamentと呼ばれる水酸化鉄から出来たフィラメント。活動中の熱水噴出孔でバクテリアを含む細菌叢が噴出物で閉じ込められるとこの構造を取ることが知られている。
2) このヘマタイトの中に鉄を酸化するバクテリアが含まれると作られるチューブ様の均一な構造が数多く見られる。これは、単純な化学反応で説明するには複雑すぎる構造。他にも自立性のバクテリア(オートトロフ)などの痕跡も見られる。
3) 詳しくは説明しないが、ヘマタイト中にほとんど炭酸塩の存在しない鉄が存在できているのも生物作用を想定してしか説明できない。
4) ヘマタイトの中に、バクテリアの沈殿物が酸化した結果としてしか説明できない炭酸塩で出来たロゼット構造が存在する。同じような構造は、他の熱水噴出孔でも見られる。
5) やはり他の熱水噴出孔に見られる、磁鉄鉱の壁で出来た粒子状の構造物(Granuleと呼んでいる)が存在する。
など、鉱物学的結果を合わせると、NBSのヘマタイトは37−42億年前の生物の証拠だと結論している。
   柔道の「一本」は難しいので、「合わせ技」で一本にしているという印象だが、このような探索は、生物誕生に要した時間を考える上で重要なヒントを与えてくれる。37-42億年前、十分な量のバイオマスがすでに存在していたとすると、生命誕生はいつと算定すればいいのだろう。
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3月3日:遺伝子内のメチル化の機能(Natureオンライン版掲載論文)

2017年3月3日
     私が現役の頃は、DNAのメチル化というと、もっぱら転写調節や染色体構造を変化させるためのメカニズムとして考えてきた。また、新しい場所をメチル化する酵素Dnmt3aとDnmt3bは同じようにDNAメチル化に関わると考えていた。しかし最近になってこの考えは変わりつつある。一昨年1月、Dnmt3bは転写が活発に起こっているH3K36me3型の修飾を受けたヒストンが結合する遺伝子内の領域に特異的に結合することが、スイス・ミーシャー研究所のグループによりNatureに報告され、このホームページでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2787)。
   今日紹介するイタリア・トリノ大学からの論文は、Dnmt3bによるメチル化の機能の一端を明らかにした研究でNatureオンライン版に掲載された(doi:10.1038/nature21373)。タイトルは「Intragenic DNA methylation prevents supurious transcription initiation(遺伝子内のDNAメチル化は誤った転写開始を回避する)」だ。
   環状DNAを持つバクテリアもDNAメチル化が維持される。ただ、バクレリアを含め遺伝子内のメチル化は機能が明確でなく、複製の調節など様々な可能性が示唆されていた。このグループは、Dnmt3bが遺伝子内のメチル化に関わること、転写が活発な領域に関わることから、本来の転写開始点とは異なる場所からの転写を抑制するのではないかとあたりをつけていたようだ。
   まずこれまでの結果を確認する意味で、Dnmt3bノックアウトES細胞を用いて遺伝子内のメチル化が特異的に低下しているのを確認した後、実際の転写産物を詳しく解析すると、Dnmt3bノックアウトES細胞では多くのmRNAが遺伝子内から転写される異常RNAであることを発見する。
   次にこれがRNAポリメラーゼが誤った開始点に結合する結果であることを知るため、クロマチン沈降法でRNAポリメラーゼ結合部位を調べ、予想通り遺伝子内にポリメラーゼが結合していることを示し、この開始が通常の塩基配列ルールに従わないことも明らかにした。すなわち、遺伝子内メチル化により、RNAポリメラーゼが間違った場所に結合しないようにするのがDnmt3bのメチル化の機能になる。
   次に以前遺伝子内メチル化との関係が示されたH3K36me3型ヒストンと遺伝子内転写開始との関係を調べるたヒストンメチル化に関わるSetD2をノックダウンすると、H3K36me3が低下するとともに、Dnmt3bの遺伝子内結合も消失し、遺伝子内からの転写が上昇することを明らかにしている。
   後は詳細を詰めるため、Dnmt3bの酵素活性との関係、異常RNAの運命、翻訳の可能性などを調べているが、紹介は省いていいだろう。
   これらの結果から、遺伝子内メチル化は転写の正確性を保証する重要な機能であることが明らかにした。実際、これがうまくいかないと、当然異常たんぱく質が増える。またH3K36me3型ヒストンの役割、及びこの異常がガンで見られることなどについての頭の整理がしっかりついた。
   現役をやめる前後、エピジェネティックスに関するさきがけ研究のアドバイサーを務めたが、当時から3−4年でこの分野の理解度は急速に高まっている。着実にエピジェネティックスの詳細が一枚一枚衣を剥ぐように明らかにされていくのが実感される今、あの時のメンバーたちは何をしているのか、一度同窓会ででも話を聞きたいと思った。
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3月2日I型糖尿病の新しい発症メカニズム(Nature Medicine オンライン版掲載論文)

2017年3月2日
     I型糖尿病はインシュリンを作る膵臓β細胞に対して自己のT細胞が反応し障害するため、β細胞が急速に失われ、インシュリンが作られなくなり、糖尿病を発症する。すなわち、糖尿病と言っても自己免疫病だ。β細胞が失われた人には当然、β細胞を移植することが根治になるが、発症初期に免疫系を抑えて病気の進行を止めることも治療のための重要な方向性だ。
   β細胞は大量にインシュリンを作り、それを分泌するように作られた特殊な細胞と言える。この病気はβ細胞以外はほとんど障害されることがないため、一部の患者さんではインシュリン自体が自己抗原として働いている可能性が指摘され、診断にも使われてきた。
   今日紹介するライデン大学からの論文は正常のインシュリン以外に、インシュリンmRNAの翻訳が間違ったところから始まる異常インシュリンペプチドが抗原として働いていることを示した研究で3月2日Nature Medicineにオンライン掲載された(doi:10.1038/nm.4289)。タイトルは「Autoimmunity against a defective ribosomal insulin gene product in type I diabetes(I型糖尿病での異常なインシュリン遺伝子翻訳産物に対する自己免疫)」だ。
   実はI型糖尿病の発症に強く相関した一塩基多型(SNP)がインシュリン上に存在することが知られていたが、タンパク質に翻訳される領域より下流に存在することから、意味がないとされていた。このグループは、このSNPが、異なる翻訳開始点から翻訳されたペプチドが抗原になっていると目星をつけ、研究を始めている。
   遺伝子配列を調べると、開始点として働けるATGが4箇所存在するが、そのうちの341番目の塩基から始まる翻訳では長い異常ペプチドができることがわかった。次にこの開始点が使われているかどうか、下流に蛍光タンパク遺伝子をつないで調べたところ、正常インシュリンとともに、蛍光タンパクも作られること、また細胞にストレスがかかると異常ペプチドの量が上昇することを明らかにした。
   以上の結果から、I型糖尿病の患者さんではβ細胞がストレスにさらされたとき、この異常ペプチドが作られ、自己抗原として働くことを示している。これを確認するため、I型糖尿病患者さんのリンパ球で反応を調べると、リスクの高いSNPを持つ患者さんほど、異常ペプチドに対して反応する。また、これまでリスク因子として知られていたHLAを持っている患者さんほど高い反応を示すことが明らかになった。以上、インシュリン遺伝子上のI型糖尿病リスクSNPはおそらく特定のHLAと結合するときの強さを反映しており、その結果β細胞により強く免疫原性のあるペプチドが発現し、細胞が障害されるというシナリオが示された。
   この研究ではこのペプチドに特異的なT細胞が確かにβ細胞を障害することを示して、このシナリオが実際に起こっていることを示している。また、異常ペプチドは誰でも作っていると考えられるので、今後全てのI型糖尿病患者さんの免疫反応を調べることで、このシナリオがどの程度当てはまるのかわかるだろう。
   抗原が明らかになった後は、ぜひ抑制性T細胞やトレランス誘導などを通じて、免疫反応を抑制し、病気にしない方法も開発して欲しいと思う。
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3月1日:先進国の平均寿命の予測(2月21日号The Lancet掲載論文)

2017年3月1日
    昨年人間の寿命の限界は何才ぐらいかについて調べた、アルバート・アインシュタイン大学のグループがNatureに掲載した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/5880)。
    この試算は、生まれた時の平均余命ではなく、寿命の限界についてのものだったが、平均寿命とはだいたい25−30才ぐらい離れている。では、平均寿命はこの限界を目指して伸び続けるのか、様々な推定が行われている。この推定は、年金などの設計には重要で、高齢化や長寿化を正確に予測できなかった国は、年金や社会保障の破綻に直面する。
   今日紹介する英国インペリアルカレッジ・ロンドンからの論文は、比較的正確な統計が得られる35カ国について、今から13年後の2030年時点での平均寿命を推定した研究で、2月21日The Lancetに掲載された(http://aasj.jp/news/watch/5880)。タイトルは「Future life expectancy in 35 industrialised countries: projection with Bayesian model ensemble(工業化が進んだ35カ国の将来の余命:ベイズモデルを組み合わせて計算した予測)」だ。
   これまでも同じような研究は多く行われているが、この研究はベイズ推計のための複数のモデルを作り、各モデルからの推計値を平均して予測値を得ている点が売りだ。詳しい方法は見ていないが、例えば乳児死亡率から体脂肪率や喫煙率の推移、あるいは感染症を含む様々な病気の死亡率など異なる観点から21種類のモデルを作り、次に過去のデータに基づきそれぞれのモデルで推計値を算出、それを実際の平均寿命と比べた乖離を計算、これに基づき各モデルの定数を補正した上で、最後に得られたデータを用いて補正した各モデルで2030年の予測を行い、平均値を平均余命として算出している。
   さて結果だが、
1) 35カ国すべてで平均寿命はまだ伸びる。
2) 最も伸びが大きいのは韓国の女性で、2030年の平均寿命はなんと世界初の90才を超えるが、他の国は90才以下で止まる。韓国男性も、2010年の20位が4位に躍進する。
3) 2010年で女性のトップは当然日本だが、寿命の伸び率は低下し、2030年には韓国、フランスに続く第3位になる。
4) 男性は2010年でオーストラリア、スイス、スウェーデンに続く4位だが、2030年には10位に落ちる。
他の国も詳しく出ているが、我が国と、長寿国トップに躍り出る韓国についての試算を中心に紹介した。
   問題はなぜこのような結果になるかだが、これは各モデルでの予測値を眺め直すとわかるはずだ。韓国の女性が、世界初の90才越えを果たすのは、体脂肪率と血圧が低いこと、そして喫煙者が少ないことが大きな要因になっているようだ。女性について言えば、我が国は韓国より西欧化してしまっているのかもしれない。
   この結果は、長生きしたい個人から見ると寂しい気もするが、悪い話ではない。年金や介護保険については、平均余命の伸びが高いほど、計画が難しく、現役世代への負担になる。結局高齢者の社会保障は、人口統計的に先が見えること、疾病率が変わらないこと、の条件が整うと設計がしやすい。従って、余命の伸びが鈍化した今こそ、社会保障の根本的な改革が行えるチャンスだ。これに失敗すれば、おそらく我が国に明るい未来はない。
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2月28日:ヨーロッパ農耕民族の成立(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2017年2月28日
     民族主義的思想で洗脳することをうたう教育機関に、一国の総理大臣が、おそらく軽い気持ちで、力を貸した問題が政界を揺るがしている。もちろん国、大阪府など政界を渦巻く黒い闇について明らかにして欲しいと思うが、それとともに、天下り問題で信用地に落ちた文科省が、私立学校なら教育基本法をどう解釈しても許されるのかについて明確なガイドラインを示し、名誉回復する良い機会だと思う。かってフランスでは、政教分離政策が決まると、時の文部大臣が小学校に軍隊を差し向けて、すべての学校から十字架を外させたと聞く。この伝統があるからこそ、フランスではイスラム教に対しても公的機関は厳しく対応できる。しかし、一人の大人の思いつきで子供を洗脳するこの学校の話を聞いて、かっての戸塚ヨットスクール事件を思い出すのは私だけだろうか。
   しかし我が国だけでなく、民族差別意識が政治を大きく動かすようになっている。振り返ると、第一次大戦前、科学者もフランス人とドイツ人のどちらの脳が大きいのか真面目に議論した時代があった。国際主義が民族主義に凌駕されるときはいつも戦争が始まる。
    一方、現在の民俗学分野では出土した骨のDNA鑑定が進み、私たち一人一人が結局は国際的交流の結果であることが明らかになっている。最終的に男と女の間に、国も政治もない。国も、民族も、階級も男女の間にはないことを第一次大戦という舞台で示したジャン・ルノワール監督の「大いなる幻影」を見て欲しいと思う(少し古すぎるかも)。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は現在進む民族交流の文化背景を調べた仕事の例といえるだろう。タイトルは「Ancient X chromosomes reveal contrasting sex bias in Neolithic and bronze age Eurasian migrations(古代人のX染色体から新石器時代と青銅器時代のユーラシアからの男性優位度の違いが明らかになる)」で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1616392114)。
   私たちは世界史で4世紀から8世紀にかけて起こった東から西への民族の移動について必ず習う。しかし、実際にはこの動きは何千年も前から起こっており、これによりインド・ヨーロッパ語もヨーロッパにもたらされた。中でも新石器時代から青銅器時代にかけて、農耕とその技術が最初はトルコから、その後黒海の草原地帯からもたらされたとき人間の大規模な移動が起こったことが、現在の人種の比較や、言語、考古学的遺物からわかっていた。
   この研究では、各地から出土した新石器時代から青銅器時代の人骨のDNAの常染色体とX染色体を、移動元のトルコアナトリア、黒海草原の遺伝子と比較、交雑の進み具合を常染色体と、X染色体で別々に算定して、男女が一緒に移動したのか、あるいはどちらか一方だけが移動したのかを調べている。原理は簡単で、もし男性だけが移動したとすると、常染色体の交雑の方が早く進む。一方、女性優位であればX染色体の交雑が早く進む。
   結果は明快で、新石器時代農耕技術そのものがヨーロッパにもららされたときは、男女一緒にアナトリア地方から移動している。農耕自体の移植には、最初から家族が必要なのだ。一方、青銅器時代に優れた道具や農耕技術が伝えられたときは、ほとんど男だけが持続的に西へと映り続け交雑したと結論している。時には、半分のお父さんが、よそからやってきた流れ者という時代があったようだ。おそらく家畜化した馬により男性が移動し定着することで、馬を含む農耕技術が伝えられたと結論している。
   この研究だけでなく、古代DNAを基盤にした民俗学をみると、民族の優位性を誇示することがいかに意味がないか分かる。
   その意味で、私はタイ国の民族博物館で、タイ人が少なくとも7種類の民族が混じり合ってできた国であることを誇りにしているのに驚いた。あれほど国王を慕う国で、国王が統一のシンボルであっても、民族のシンボルと見られていない。私たちも見習うところが多いと思う。
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2月27日:腸内細菌叢:木を見るのか森を見るのか(2月23日号Cell掲載論文)

2017年2月27日
    腸内細菌叢に関する論文は相変わらずトップジャーナルを賑わせている。この賑わいを支えるのが、無菌マウスの開発、次世代シークエンサーによる細菌叢のメタゲノムなどの技術だ。ただ、技術だけがこの賑わいを作っているわけではない。腸内細菌叢の変化が生活習慣病や慢性炎症、あるいはアトピーなどに関わっていることが明らかになり、介入可能な標的として考えられるようになったからだ。
   しかし、とはいえ細菌叢は何百、何千もの異なる種類の細菌からできている。いくらメタゲノムが可能だと言っても、病気との因果性を特定できる変化は少ない。結局メタゲノムの研究も、個別の細菌に関する研究を引き合いに出して意味づけをせざるをえない。この「木を見るのか、森を見るのか?」の問題をいかに克服するのか、腸内細菌叢の研究も曲がり角にきているように思う。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は、森を見るためには一本一本の木をしっかり理解する必要があるとする還元論の立場から腸内細菌叢に迫った研究で2月23日号のCellに掲載された。タイトルは「Mining the human gut microbiota for immuneomodulatory organism(免疫システムに影響する要因としてヒトの腸内細菌叢を調べる)」だ。
   個々の細菌の免疫システムへの影響を調べた「木を見る」研究は我が国も強い分野で、繊維状の形態を持つバクテリアが炎症性T細胞を強く誘導するなど、多くの優れた研究が行われてきた。これらの研究は無菌マウスに、特定の細菌を移植して、純粋に個々の細菌の作用を調べる方法で進められている。今回の研究はこの方法を53種類の別々のバクテリアに広げ、ホストの反応も免疫細胞サブセットを大腸、小腸だけでなく、パイエル板、中枢リンパ組織にまで広げると共に、腸管での遺伝子発現、バクテリアの定着などについて網羅的に調べた研究だ。
   このような研究は、研究過程で何か問題が出てきた時調べるデータベースとしては利用価値が高いが、論文として何か特定の結論を導き出すのは難しい。この分野に興味のある人は今後ぜひデータを参照して、自分の研究に役立ててほしいと思う。
   それでも幾つかこれまで知らなかったことを勉強することができたので、いくつか列挙しておこう。
1) 驚くことに、バクテリアを個別に移植した場合、ほとんどのバクテリアが腸内に定着する。バクテリア同士の競合は手ごわい問題のようだ。
2) 腸内に定着しなかったバクテリアは、口腔内、あるいは胃内に定着し、バクテリアに適した環境がある。
3) 腸内に定着したバクテリアの多くは(88%)腸間膜リンパ節に生きたまま定着する。バクテリアは体内に浸潤するのが当たり前?
4) 一部のバクテリアを覗いて、抗原特異的免疫反応に関わる細胞への影響はほとんどない。もちろん代謝への影響は調べなおす必要がある
5) システミックな反応と局所反応が相関する免疫細胞が存在する(おそらく循環に乗りやすい)。これらはマーカーとして検査に使える。
6) 同じ種のバクテリアでも、免疫システムへの影響は大きく異なる。
7) 免疫細胞や腸管の転写に影響を及ぼすことが報告されていなかったバクテリアが新たに見つかった。
などだ。
   各細菌が免疫システムに個別の影響を持つことがわかったが、この53本の木から森が見えてくるのか?おそらく今度は組み合わせの研究が必要で、木から森を見るのがいかに難しいかわかるだろう。今こそ新しい発想の、頭を使う細菌叢研究が求められており、若手研究者にもチャンスが巡ってきたように思う。
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2月26日:分子の構造から臭いの表現を予測する(2月20日号Science掲載論文)

2017年2月26日
    今私たちはバーチャルメディアに囲まれて生きており、空間や時間を超えて映像や音を体験することができる。さらにSNSは私たちが体験できる世界を急速に拡大した。
    SNSの信頼性をめぐって、これまで大手メディアは問題視してきたが、「大手メディアは偽ニュース」という「トランプのツィート」は、皮肉にもこの関係を逆転させて、「SNS=真実、メディア=偽」とまで主張している。私はトランプが信頼できるとは思えないが、SNSと既存メディアの境がどうあるべきか再考を促す反面教師としては評価できそうだ。これはおそらく、言葉が持つ嘘と真実の二面性の問題にもかかわる。バーチャルメディアのない時代は、空間や時間を超えた世界の体験は言葉を通してしか可能でなかった。そして皆、言葉に真実と嘘の2面性があることをしっかり認識していた。
   少しノスタルジックになったが、今も言葉を通してしか体験できない感覚がある。嗅覚だ。継時的に空気をカプセル化するような技術があれば可能になるかもしれないが、刻々かわる匂いを記録するのは言葉を通してしかできない。今日紹介する米国を中心とした国際チームの論文は、匂いを惹起する分子と、その感覚に対する言葉の表現を結びつけようとした面白い研究で、匂いとは何かを改めて考えさせてくれた。タイトルは「Predicting human olfactory perception from chemical features of odor molecules(ニオイ分子の科学的特徴から人間の匂い感覚を予想する)」で、2月20日号のScienceに掲載された。
   実際にはAIの話で、私にも完全に理解できない点も多いが、分子構造からその匂いがどう表現されるか当てようという発想自体が面白い。また、これを実現するため、22のチームが独自に課題にチャレンジし、予測するためのモデルを競わせ、最終的にどれが優れているのか決める手法は、コレクティブ・インテリジェンスを先取りした21世紀的研究に思える。
   具体的には数多くの単一分子を嗅がせ、その感覚を19種類の言葉から選んでもらうという実験を49人の被験者に行ってもらう。もちろん人によって感覚は異なるため、最終的に全員一致の表現はないが、この結果をそれぞれのチームに提供して、表現と分子構造との相関を高い確率で予測できるソフトを各チーム独自に開発させ、その中で有望なものを選び、次の段階へ進むという戦略だ。
   各個人の表現を分析すると、ニンニク臭、強さ、心地よさ、甘い、などは同じように感じられるが、木の匂いなどは個人差が大きいのも納得する。
   結果だが、このような研究は一つの「結論」に到達するのではなく、これまでより優れたモデルが生まれることが結果になるる。従って、この研究から生まれた予測成績の良かったモデルを組み合わせて、心地よさや、強さといった感覚だけでなく、19種類の表現のうち8種類については多くの人の感覚に近い予測が可能になったとまとめていいだろう。今後は、さらにモデルを進化させる必要があるが、もともと個人差の大きい匂い感覚の表現を予測するプロジェクトは困難だが、挑戦的で期待したい。
   おそらく将来は、反応する匂い受容体、刺激の感覚のマッピングと、今回のようなAIによる匂い予測を統合した匂いの脳科学も可能になるだろう。さらには、言語研究や文化人類学、さらには「真実」に関する哲学にも新しい可能性を拓くのではという期待を感じる。未来的「匂い」のする論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ
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