2026年4月10日
3日前にGLP-1受容体アゴニスト(GLP-1RA)の適用が、糖尿病や肥満治療を超えて拡大していることについてまとめたところだが、今日公開になったNatureにおもしろい論文が掲載されていたので紹介する。
個人ゲノムサービスのさきがけとも言える23&Meからの論文で、会員のゲノムと健康情報から、GLP-1RAの効果と副作用の個人差を説明しようとした研究で、4月8日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Genetic predictors of GLP1 receptor agonist weight loss and side effects (GLP-1RAの体重減少効果と副作用を予測する遺伝因子)」だ。
しかし、23&Meからの研究を目にするのは久しい。日本では個人ゲノム検査会社は総じてうまくいっていないように思えるが、この会社が今も頑張ってNatureに論文をだしてくると言うのにまず感心した。このように消費者に根ざした会社は、独自の気づきがある。米国のように10%近い人がGLP-1RAを使うようになっている国では、効果と副作用の個人差は重要なテーマだが、研究論文では平均値のみが問題になりバリエーションになかなか注目しない
この研究ではGLP-1RA を使用しているか会員に呼びかけ、使っていると答えた27894人について、基本は自己申告によるアンケート、そして電子カルテを利用させてくれる場合はその情報、そしてこの会社で行ったSNP解析をベースに、体重減少効果を決める要因、そして最も多い副作用の嘔吐と吐き気の発生する要因を調べている。
このような会員自己申告型研究は、対象の設定やデータサンプリングが科学的でないとされることが多いが、少数ではあるが電子カルテにアクセスできた例で、ほぼ98%自己申告が信用できることを確認している。そして、GLP-1RAが最も体重減少効果を示すのが、2型糖尿病を持つ人で、年齢が高くなると効果が減じることを確認している。
次にGWAS解析で、ズバリGLP-1受容体のN末端に存在するシグナルペプチドに対応するrs10305420一塩基多型で、この部位がCと比べてTだとより体重が減ることがわかった。さらに、ヨーロッパ人にT型が多く、GLP-1RAがヨーロッパ人で効果が高いという結果と一致する。
次に、GLP-1RAの最も多い副作用、嘔吐と吐き気の発生と相関する多型を調べ、これもGLP-1受容体遺伝子近くのrs11760106が嘔吐、rs9347296が吐き気と強く相関することを突き止める。どちらの多型もエクソンではなく、調節領域の多型と考えられ、またこの相関はどのGLP-1RAを使っても同じように得られることから、脳神経に発現するGLP-1受容体の発現量が副作用の強さを決めている可能性が示された。
最もおもしろいのは、吐き気が出にくい多型rs1800437がGLP-受容体とGIP受容体の両方に効果があるデュアルアゴニストを用いた人のみ、G型で吐き気を防ぐ方向、C型で吐き気を高める方向が確認されている。この多型は354番アミノ酸のグルタミン酸とグルタミンの置換を伴い、グルタミンに変わると機能が低下することが知られている。またこれまでの研究で、GIPR刺激はGLP-1RAによる吐き気を抑えることが知られていることから、この受容体の機能低下は吐き気を高めると考えられる。
最後にゲノムと他のリスクファクターを合わせることで、効果や副作用を一定程度予測可能である事を示している。
結果は以上で、示された平均値だけで判断するのではなく、遺伝子検査など個人に合わせた治療の重要性を示している。特に様々な薬剤が市場に出回っているGLP-1RAの薬選びには必要だと思う。我が国の個人遺伝子サービスは大きく発展しているとは言いがたいが、その原因の一つは平均値でいいと考える臨床家が、患者さんのためにそれ以上の努力をしないことにある気がする。
2026年4月9日
動脈硬化の治療は当時三共製薬の遠藤さんが開発した肝臓でのコレステロール合成に関わる酵素HMG-CoAを阻害するスタチンが現在も主流だ。私も服用しているが、コレステロールを下げると宣伝しているお茶などよりずっと安価に安全に使える。しかし、スタチンだけでは足りないと言うケースが存在することもわかっている。特に、動脈硬化が長く続いて血管内皮が痛んでいるケースでは、心臓発作のリスクを完全に抑えるための標的 LDL55-70mg/dl には到底スタチンだけでは到達できない(この 55mg/dl と言う目標は極めてリスクの高いグループについての目標で、一般的には糖尿病や高血圧を持つハイリスク群で 120mg/dl )。そのため、リポタンパク合成阻害剤、炎症阻害剤、HDL製剤、等々様々な標的に対する薬剤が開発されている。中でも、LDL受容体を分解するPSCK9を阻害する治療薬開発は各社競争で行っている。そして、治療のモダリティーは遺伝子治療から阻害薬まであらゆる可能性が追求されている。そこで、今日は最近目にとまった3編の、新しい動脈硬化治療についての論文を紹介する。
最初は Angiopoietin-like protein 3 (ANGPTL3) 遺伝子の発現を抑えるRNAi薬ゾダシランの小規模治験の結果で、4月7日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Zodasiran for cholesterol and triglyceride lowering in patients with hyperlipidemia: final report of phase 1 basket trial(コレステロールとトリグリセリドを低下させるゾダシランの高脂血症への効果:第一相バスケット治験のレポート)」だ。
ANGPTL3 はリパーゼの一部を阻害し血中脂肪の分解を抑制しており、細胞外に分泌されることから抗体薬エビナクマブが認可され、家族性の高コレステロール血症で使われている。ただ、一ヶ月に140万円かかるということと、より広い適用を目指して他のモダリティーの開発が進んでおり、例えば ANGPTL3 のペプチドを抗原としたワクチンの開発もその一つだ。
今日紹介するゾダシランはRNA干渉を使って ANGPTL3 の合成を阻害する治療薬で、皮下に自分で注射できるように設計されている。この研究では、ハイリスクでスタチンでは 70mg/dl 以下に制御できない高コレステロール血症、家族性だが片方の遺伝子のみ異常、そしてトリグリセリド 300mg/dl の患者さんに様々な容量のゾダシラン開始時及び4週目に1回注射し、その後16週まで様々な指標を調べている。
様々なデータが示されているが、全てのグループで16週まで ANGPTL3 の分泌をほぼ8割抑え続けることに成功し、その結果トリグリセリド、LDLを目標値まで下げるのに成功している。そして、副作用はほとんど現れない。以上の結果から、長期効果から考えて、さらに多くの患者さんに適用を拡大できるより安価な治療薬として開発が続けられると思う。
一方、ほとんどのモダリティーの治療薬が出そろっているのが PCSK9阻害剤で、モノクローナル抗体エボロクマブはスタチンで目標が達成できない患者さんの特効薬として利用されており、2週間に一回自分で投与でき、抗体薬にもかかわらず薬価は22,948円に抑えられている。
2番目のハーバード大学からの論文は治療として定着したエボロクマブの長期経過を調べた研究で、3月28日 JAMA にオンライン掲載された。タイトルは「Evolocumab to Reduce First Major Cardiovascular Events in Patients Without Known Significant Atherosclerosis and With Diabetes Results From the VESALIUS-CV Trial(エボロクマブは高度の動脈硬化のない糖尿病患者さんの重大な心臓イベントを防ぐ)だ。
対象は12257人の10年以上インシュリンを使っている患者さんで、これまで心臓発作などの既往がないグループで、スタチンを使ってもLDLが 90mg/dl を超えているグループだ。これまでの研究でエボロクマブはLDLは目標値に抑えることはわかっているが、長期に観察したときに、心筋梗塞など大きな心臓イベントの発生や、死亡率を抑えるかを調べるのがこの研究の目的になる。
最終的には1800人程度の患者さんの経過が調べられ、5年目で心臓死、心筋梗塞、脳卒中を合わせた3-P-MACEでみてオッズ比で0.69に抑えることができている。原因を問わない死亡率でもオッズ比を0.76まで下げられることから、まだ心臓発作などのイベント経験のない、しかし糖尿病の患者さんにはエボロクマブを使用した方がいいという結論になる。安いとは言え、一生使うことになるので、難しいところだろう。
さらに価格が下がるのかはわからないが、経口投与可能な PCSK9阻害環状ペプチド・エンリシチドがメルクから開発されており、次に紹介するテキサス・サウスウェスタン大学からの論文は1年にわたってその効果と副作用を確かめた治験で、2月5日 The New England Journal of Medicine に掲載されている。タイトルは「A Placebo-Controlled Trial of the Oral PCSK9 Inhibitor Enlicitide(経口投与可能なPCSK9阻害剤エンリシチドの偽薬対照治験)」だ。
経口薬と行っても環状ペプチドになると、エボロクマブより安価になるかはわからないが、注射が必要ないのは患者さんにとっては楽だ。この研究では無作為に1940人のエンリシチド群、969人の偽薬群に分け、一日20mgを経口で服用させ、52週目にLDLを抑え続けられるか調べている。
結果は上々で、1年にわたりLDLを治療前の50%以下に維持することが出来るという結果だ。そして、特に問題になるような副作用はなく、おそらくエボロクマブと同じ効果が期待できるという結論になる。
以上、新しい動脈硬化治療薬の開発は今後も続くと期待でき、価格競争のおかげで比較的安価に利用できるようになるのではと期待する。
2026年4月8日
京都大学では医学部と理学部は大学の南西と北東に位置しているため、距離的には最も遠い学部だったが、学生時代講義や勉強会によく参加した。同級生の宮坂君と出席した動物学教室・村松先生が開催されていた免疫学の読書会で取り上げた Burnet の Self and Not-self は、その後の私の行く道を決めたと思う。他にも、3回生時代に受けた岡田節人先生の発生学講義にも影響を受けた。その岡田先生の講義で今も鮮明に覚えているのが、男性と女性の研究者を比べた時、男性ならもう諦めてしまうときに、もう一回と実験を繰り返せるのが女性研究者の特徴で、シュペーマンの共同研究者のマンゴルドの胚操作、あるいは胎児の神経管移植を行ったニコル・ルドワランを例として上げられていた。
今日紹介するパリPSL大学からの論文は、行動の個人差が生まれる際に性差が大きな影響を持っていることを示したおもしろい研究で、読みながら岡田先生の講義を思い出した。4月1日 Nature にオンライン掲載され、タイトルは「Dopaminergic mechanisms of dynamical social specialization(社会的特殊性の発生動態に関わるドーパミンのメカニズム)」だ。
この研究では、レバーを押すと餌が出てくる仕組みを50cm四方の生活空間に設定している。ただ、餌の出口とレバーは部屋の反対側にあるため、レバーを押した後餌の出口に移動することを学ぶ必要がある。この部屋に1匹だけマウスを入れると、すぐにレバーと餌の関係を学習する。おもしろいことにオスはレバーを押すとすぐに餌をあさる(Achiever行動)が、メスはレバーだけ押して餌はそのまま放置する(Storer行動)ことが多い。この時の背側被蓋ドーパミン神経興奮を調べるとAchiever行動ではレバーを押す時と餌にありつく時の両方で興奮が見られるが、Storer行動ではではレバーを押す時の反応は低い。即ちAchiver行動ではレバーを押す時、餌を食べる期待が条件付けられている。一方Storer行動では報酬にかかわらず試しているのがわかる。
以上は一匹だけの結果だが、メスだけ、あるいはオスだけ3匹づつ一緒に行動させる実験を行うと、メスでは共同生活でも変化はないが、オスの場合レバーを押して餌をとる Worker と、押さずに餌だけくすね Scrounger に別れる。そして、Scrounger では、自分でレバーを押すときにはドーパミン神経の興奮は起こらないが、他の個体のレバーを押す行為に反応する様になっている。すなわち、共同生活という状況で、たまたま他の個体がレバーを押すのに反応する様になると、レバーを押さずに餌を食べる Scrounger が生まれる。おもしろいことに、Storer行動の多いメスの場合、余計に他人の餌をくすねる Scrounger が生まれていいはずなのに、メスばかりの共同生活では Scrounger はほとんど現れない
以上をまとめると、レバーを押す行動が餌という報酬に強く条件付けられるかどうかは性差が関わっている。おそらくレバーを押すときに報酬を期待するドーパミン神経の興奮閾値の違いを反映するのだろう。そして、この条件付けが他人がレバーを押す行動に条件付けられると、特にオスに Scrounger が現れるということになる。
この状況を強化学習モデルによく利用される Q-learning model を用いてシミュレーションすると、
未知の可能性の探索 (exploration) と、現在ある報酬を利用 (exploitation) を決める閾値を変化させることで、Storer、 Worker、Scroungerの出現をシミュレーションできることを示している。
最後に、光遺伝学的に被蓋のドーパミン神経を興奮あるいは抑制させて、行動上の性差を変えられるか調べている。オス被蓋のドーパミン神経を一過性に興奮してから、他の個体と社会生活を送らせると、通常は発生しないStorerが発生してくる。一方、メスの被蓋ドーパミン神経を共同生活前に抑制すると、Worker や Scrounger が現れる。即ち、オスとメスの定常的なドーパミン神経興奮のレベルの違いが、レバーを押す行動を報酬への条件付けるのに必要なドーパミンのレベルを変化させるため、オスは報酬への条件付けが強くなるという結論だ。
以上が結果で、強化学習シミュレーションで行動予測を行い、その結果をマウスで再現するという意味でもおもしろい結果だ。ただ個人的には、岡田先生が話していた、男は結果にこだわりすぎて、もう一回実験をやってみることが出来ないということがなんとなく理解できた気がしたのが一番の収穫だった。
2026年4月7日
2025年のGLP-1受容体アゴニスト (GLP-1RA) の世界総売上は628億ドル(ほぼ10兆円)を超したと言われている。そして、糖尿病から肥満と拡大してきたGLP-1RAの適用をさらに拡大する研究が進んでいる。事実、動脈硬化性心疾患の予防に関してはGLP-1RAの効果を疑う人はいないと思う。私のような高齢者には、サルコペニアを誘導するのではという心配が示唆されていたが、最近の論文を読むと高齢者に使っても、十分な効果が得られるという論文も多い。これらは、体重減少や代謝改善と相関が強い分野だが、代謝にとどまらず認知症にも効果がある可能性すら議論されている。このような論文を次から次へと読んでいると、糖尿病の私も、治療としてGLP-1RAを使ってみようかと考え始めている。
そこで今日は、最近目にしたGLP-1RAの適用拡大を検討する論文を3編まとめて紹介することにした。最初は Novo Nordisk からの論文で脂肪肝から線維化が進んでいる患者さんへのGLP-1RAの効果を調べた研究で、4月2日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Semaglutide on liver fibrosis and heart outcomes in patients at high risk of liver fibrosis: a prespecified analysis of the SELECT randomized trial(肝臓線維化のハイリスクグループの肝臓の線維化と心臓イベントへの semaglutide の効果:SELECT無作為化試験の事前設定解析)」だ。
3編とも手短に紹介するが、この論文のキーは、最近バイオプシーなしに肝臓の線維化状態を予測できるFibrosis-4 (FIB-4) を用いいて、肥満に伴う代謝異常から脂肪肝、そして線維化へと進行していく過程を層別化し、線維化ハイリスクの患者さんへの semaglutide の効果を調べた点だ。
これまでの研究と同じで、肝臓の線維化のリスクが高い患者さんも、心臓発作などのイベントに見舞われる確率を強く抑えることができる。特に FIB-4 が2.67以上と、心臓の様々なイベントに見舞われるリスクが高い人ほど semaglutaide の効果が高い。
GLP-1RAは体重増加を抑え、炎症も抑えることが知られているので、インシュリン感受性等の代謝を改善し、自然炎症を抑えることが心臓イベントを防いでいることは間違いない。ただ、FIB-4検査の基礎となるいわゆる肝臓細胞由来の酵素、ALTやAST、そしてGGTなどが早期に改善することから考えると、肝臓の線維化を防ぐことも心臓イベントを防ぐのに大きく寄与しているのではと結論している。
最初の論文も、インシュリンやグルカゴンの分泌に関わる消化管ホルモンとして登場したGLP-1RAが、インシュリンの分泌誘導を超えた様々な作用を持つことを示す例だが、それをもっと明確にしたのが次のジョンズホプキンス大学からの論文で、β細胞が消失してインシュリン合成できず、血糖維持にインシュリン注射が必要な1型糖尿病患者さんでもGLP-1RAの効果が見られることを示した研究で、3月19日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Glucagon-like peptide-1 receptor agonists for major cardiovascular and kidney outcomes in type 1 diabetes(1型糖尿病患者の主要な心臓や腎臓疾患予後に関するGLP-1RAの効果)」だ。
1型糖尿病は小児期に始まるため、無作為化した治験でGLP-1RAの効果を調べるのは簡単でない。そこで電子カルテの情報をベースに、模擬無作為化試験を行い、GLP-1RAを投与された群と投与されなかった群で、主要な心臓イベントの発生と、腎不全の進行を5年にわたって調べている。
結果はドラマチックというわけではないが、心臓イベントや腎臓病の進行をGLP-1RAで抑えることができる。比率にして25%程度発症率が低下する。このように1型糖尿病患者さんで調べることで、インシュリン分泌誘導とは全く別にGLP-1RAが作用することがわかる。また、GLP-1RAを投与しても、低血糖発作が起こりやすくなることは全くなく、これもGLP-1RAの効果がインシュリンとは全く無関係である事を示している。しかしこの結果をベースに、1型糖尿病ではGLP-1RAを念のために処方するという話になるのか、悩ましい。
最後はエジンバラ大学を中心とする研究グループの論文で、GLP-1RAのうつ病、不安症、そして自殺など自傷行為に対する影響を調べた研究で Lancet Psychiatry 4月号に掲載された。タイトルは「Association between GLP-1 receptor agonist use and worsening mental illness in people with depression and anxiety in Sweden: a national cohort study(スエーデンのうつ病及び不安症の患者さんでの、GLP-1RA使用と神経疾患悪化との関係:国内コホート研究)」だ。
GLP-1RAの適用の拡大を目の当たりにすると、どんな病気でもともかく使ってみようということになるのだろう。精神疾患についても効果を調べた論文が存在する。ただ、明確な結果は得られていない。この研究も通常の治験ではない。スエーデンの患者さんの電子カルテから、うつ病と不安神経症の患者さんを選び出し、その中から semaglutide をはじめとする様々なGLP-1RAを使用した患者さんと、使用しなかった患者さんの精神疾患の経過を詳しく調べている。もちろんGLP-1RAを使用した患者さんは、精神疾患に加えて糖尿病と診断されていることになる。そのため、他の様々な糖尿病薬も使われており、GLP-1RAの効果を正確に判断するには問題はある。ただそれを認めた上で、結果は面白い。
うつ病について見ると、全くGLP-1RAを使っていない患者さんに対して、Semaglutide、dulaglutide、Liraglutide の順で、うつ病の悪化を抑える作用が確認された。そして何よりも驚くのは、ヒトGLP-1との相同性が最も低いドクトカゲ由来の Exenatide では、他のGLP-1RAと比べて逆にうつ病が悪化する点だ。
不安神経症で見てみると、semaglutide が病気の悪化を防ぐ効果が最も大きく、次いで linaglutide が続くが、dulaglutide と exenatide は逆に悪化させる。ところが、自傷行為だけについてみると、全てのGLP-1RAはほぼ同じ程度に自傷行為を防ぐことがわかった。
さらに不思議なのは、他の糖尿病薬としてSGLT2阻害剤、及びDPP-4阻害剤のうつ病と不安神経症への効果をも調べているが、これらの糖尿病薬は症状を悪化させる方に働いている。
以上が結果で、この結果を説明するのは一筋縄ではいかない。そもそも、何故うつ病に semaglutide が最も効くのかを説明するためには、動物実験を含め多くの研究が必要だと思う。いずれにせよ、GLP-1RAと言っても、インシュリン分泌や体重への作用を切り離すと、これほど異なるのかと驚く。10兆円を売り上げるGLP-1RAも適用拡大だけでなく、まだまだ基礎的研究が必要だ。
2026年4月6日
プラスチックなのに電気を通す電導プラスチックは、私の周りで見渡すと電動歯ブラシぐらいしか思い当たらないが、実際にはスマフォから自動車まで、様々な場所で利用されている。そしてこの電動プラスチックの開発者としてノーベル賞に輝いた一人が筑波大学のの白川先生だ。
今日紹介する米国 Prudue 大学からの論文は、電導ポリマーを生体内で合成させて、神経活動を変化させようという、とんでもないアイデアを実現した研究で、4月2日の Science に掲載された。タイトルは「Blood-catalyzed n-doped polymers for reversible optical neural control(血液により触媒される n-doped ポリマーを用いて可逆性の神経調節が可能になる)」だ。
全く素人なので調べてみると、本来絶縁性の高いプラスチックを電導に変えるためには、電気が動きやすいポリマー形成とそれにドーピングと言われる不純物を添加する技術で自由電子を生成すさせると電気が通るようになるらしい。タイトルにある n-doped というのはこの方法のことで、この分野の化学者にとっては当たり前の話になる。
しかしこれらの電導ポリマーは工場で作成しこれを成型して使うのが普通で、これを生体内の必要な場所だけで形成されるというのは、私のような素人から見ると画期的な話に思える。この研究は、最近開発された n-doped CP poly [3,7-dihydrobenzo(1,2-b: 4,5-b′)difuran-2,6-dione] (n-PBDF) が、生体内で安定で毒性がなく、さらに近赤外光を吸収するという性質を持っていることから、神経活動の調節に使えるのではと着想した。そして、n-PBDF のポリマー化を生体内で誘導するための条件を調べている。ほとんど化学の世界なので詳細は割愛するが、ヘモグロビンやミオグロビンに結合している鉄イオンが高い電荷を持つことで、n-PBDF のポリマー化を誘導することを発見している。
後は生体内でポリマーを安全に形成するかだが、ゼブラフィッシュの胎児に n-PBDF モノマーをビタミンE界面活性剤とともに注入してポリマー形成及び、毒性を調べている。近赤外の吸収を用いてポリマー形成を確認し、卵黄嚢の中でポリマーが形成されても正常に発生することを確認している。
マウス脳のスライス培養で、皮質第5層にポリマーを形成させると、細胞外のNa濃度の変化が起こり、Naの流入が上がり、Kの流出が低下し、イオン状態の回復が遅れる結果、興奮性が低下することを確認する。そして、ポリマーを生きたマウスの運動神経領域で形成させると、スパイク数が低下することが確認された。以上のことから、てんかんなどで過興奮が見られる場所にポリマーを形成させて治療を行う可能性が示唆された。
最後の極めつけ実験は、n-PBDFポリマーが遠赤外線に反応して温度が高まると同時に、伝導度が変化することを利用して、光で神経活動を可逆的に調節する可能性にチャレンジしている。錐体神経のデンドライトに接してポリマーを形成させると、それ自体では興奮性に大きな変化はないが、遠赤外線を照射すると、照射した間だけ樹状突起のスパイクが完全に消失する。ただ、光をオフにすると完全に正常に戻るので、神経自体の特性はほとんど変化していないことがわかる。
以上が結果で、n-PBDFのモノマーには毒性があるので、今後の応用に当たっては、まずポリマー化を試験管内で始めさせた後、組織内で馴染ませるといった工夫が必要になるが、ともかく電導プラスチックを組織内で形成させて、神経活動を変化させるという結果だけで、驚きだ。
2026年4月5日
タイトルを生物学的にタコの交接と書かずにセックスとしたのは、この論文を読んでいて葛飾北斎の「蛸と海女」という春画を思い出したからだ。ご存じない方は Wikipedia に詳しく掲載されているので是非自分で見てほしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%B8%E3%81%A8%E6%B5%B7%E5%A5%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tako_to_ama_retouched.jpg)。全裸の海女が大小二匹の蛸に吸い付かれ恍惚の表情を浮かべている絵柄は、さすが北斎と思える大胆な絵柄で、想像力ではどの浮世絵師もかなわないだろう。しかし、この絵を書くために、北斎は蛸のセックスを観察したのだろうか。
今日紹介するハーバード大学とカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、蛸の交接に必須の交接腕 (hectocotylus) による蛸の交接のメカニズムを、最新のテクノロジーを駆使して真面目に調べた論文で、4月2日号の Science に掲載された。極めて真面目なタイトルで、「A sensory system for mating in octopus(蛸の交接のための感覚システム)」だ。
蛸には交接腕という交接のためだけの足があり、交接ではオスはこの足でメスをまさぐり、精子が詰まった袋をメスの卵巣の近くにまで届ける役割がある。この論文では、視覚が全く聞かない条件でも交接腕は的確にメスだけを探し当て、体に侵入できることを確認して、交接腕自体が独立して的確に精包を届ける能力があることを確認している。
交接腕を導くためにはメスからシグナルが出る必要があるが、研究ではこれがプロゲステロンではないかとにらんだ。我々哺乳動物でプロゲステロンは核内受容体型の分子を介して作用するが、蛸には同じような転写因子はない。しかし、結果はにらんだとおりで、切り出した交接腕はプロゲステロンに反応して特殊な動きを示すが、他のステロイドホルモンには反応しない。
交接腕のプロゲステロン反応性を支える細胞と分子を探すため、今度は交接腕細胞の single cell 解析を行い、交接腕の吸盤に集まる神経細胞を特定するとともに化学触覚受容体が発現していることを確認する。この受容体は交接腕以外の足でも強く発現されているが、その種類は26種類存在するとされている。いくつかの頭足類の交接腕を調べると、ほかの足と同じぐらいの多様な化学触覚受容体遺伝子を発現している。
そこで、それぞれの受容体のうちプロゲステロンに反応する受容体を、遺伝子を発現させた細胞の電気反応で調べ、CRT1分子のみがプロゲステロンに反応することを突き止める。そして、CRTとプロゲステロンの結合をクライオ電顕による構造解析で調べ、CRTはいくつかのリガンドに反応するが、プロゲステロンにはこれまでCRT1が反応することが知られている分子と比べても強い反応が誘導されることを明らかにしている。
最後に様々な頭足類でプロゲステロンに対する反応性を調べて、ほとんどの種でプロゲステロンに強く反応すること、そしてアルファフォールドを用いたタンパク構造予測から、全ての種のCRT1にプロゲステロンがはまり込むポケット構造が存在することを明らかにしている。
以上が結果で、おそらくプロゲステロンは進化の早い段階から合成システムが完成し、同じ分子を片方は核内受容体のリガンドとして、片方は膜受容体のリガンドとして、異なるがしかし生殖という重要な過程で使っているという面白い研究になる。
こんな話は北斎には全く無関係だが、北斎春画に匹敵するほどダイナミックな話だ。
2026年4月4日
中国などの一部の国に対するトランプ関税は、合成麻薬フェンタニルを米国に違法に流入するのに手を貸していることを理由に合法性を得ようとしている。関税で解決しようとするのがトランプ流だが、確かにフェンタニル中毒は米国をむしばんでいることは間違いない。モルフィネ受容体を刺激して鎮痛作用を高めようとすると、中毒を含む様々な副作用に見舞われ、特に急性の呼吸抑制を誘導してしまって死に至らしめる。これは、オピオイド受容体がGタンパク質を刺激して鎮痛作用を誘導すると同時に、アレスチンをリクルートしてGタンパク質のシグナルを弱める2面性を持つためだ。以前はアレスチンシグナルが呼吸抑制に直接関わるとされていたが、アレスチンノックアウトマウスでも呼吸抑制が起こることからこの考えは否定されている。いずれにしても、両者のバランスをとりながら副作用のない合成麻薬を開発することは至難の業と言える。
これに対して今日紹介する米国NIHからの論文は、1950年代に開発されたスーパー麻薬 Nitazene を化学的に修飾することで、副作用の低い合成麻薬を開発できることを示した研究で、トランプから金一封が間違いなく授与されると思う。タイトルは「A µ-opioid receptor superagonist analgesic with minimal adverse effects(副作用を最低限に抑えたμオピオイド受容体に対するスーパー刺激剤)」で、4月1日 Nature にオンライン掲載された。
この研究ではまず Nitazene にアイソトープラベルも考えフッ素を添加した fluornitrazene (FNZ) を作成し、肝臓で分解された中に存在する N-desethyl-FNA を分離合成、DFNZ がμオピオイド受容体 (MOR) のスーパー刺激剤の活性を保持しているが、比較的アレスチンのリクルートが抑えられる化合物である事、そしてその分子構造的基盤を明らかにている。このMORの活性化は低いがアレスチンのリクルートはさらに低いという特徴が、副作用の低い麻薬として使えるのではと、薬剤動態から効果に至るまで徹底的にマウスで調べたのがこの研究だ。
まずラットに注射して調べると、鎮痛作用はFNZで0.03mg/kgで作用があるが、DFNZでは3mg/kg必要だ。ただ用量を上げれば鎮痛効果は十分得られる。一方で、脳内への貯留を調べると、DFNZは血清内濃度の半分以下でとどまる。これは、PGP/BCRP として知られる、脳から化合物をくみ出す仕組みにDFNZが強い結合性を持つ結果である事がわかる。
このようにアレスチンのリクルートが少ないこと、脳に蓄積しにくい性質の結果、モルフィネやFNZと比べても離脱しやすく、また呼吸抑制も低い。このあたりの実験は、神経行動薬理の粋とも言えるプロの仕事で、その結果FNZもDFNZも多くの項目でほぼ同じだが、DFNZはフェンタニルやモルフィネと比べると、習慣性や中毒性が低く、呼吸抑制が起こる閾値も高い。
副作用や習慣性の背景の一つが、モルフィン受容体がガラニン受容体と結合してドーパミン放出を介する報酬系を刺激するためだが、この刺激経路がDFNZでは低下しており、実際にMOR刺激によるドーパミンの脳内への分泌が抑えられていることを発見する。
以上の結果から、MORのスーパー刺激剤も、設計次第では副作用のない合成麻薬として生まれ変わらせることが出来ることを示している。DFNZがそのまま人間でも使えるかどうかはまだわからないし、麻薬効果が脳と末梢でどのようなバランスで発揮されているのかもわからないため、まだまだ研究は必要だと思うが、かなり期待できる話だと思う。こんな結果を見たら、内政に集中した方が良かったとトランプも大いに後悔しているのではないだろうか。
2026年4月3日
アルツハイマー病のAβやTauの凝集を抑えたり溶解したりする薬剤の開発は何回かこのブログで紹介しているが、これまでのブログを調べ直してみても、パーキンソン病 (PD) の原因になるαシヌクレインに直接結合してシヌクレイン症を抑えるといった研究論文は紹介していない。
ところが今日紹介するデンバー大学からの論文は、キノリンが数個結合したオリゴマーが、秩序だった状態で折りたたまれていることで、タンパク質のαフェリックスやβシート構造に結合できるフォルダマーと呼ばれる分子の一つSK-129がαシヌクレインの凝集、伝搬、そしてTauとの凝集を阻害する活性を持ち、動物モデルでPDを治療できることを示した研究で、4月1日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Foldamers rescue synucleinopathy phenotypes in multiple in vitro and in vivo models(フォルダマーが様々な in vitro と in vivo のモデルでシヌクレイン症を正常化できる)」だ。
調べてみると、この研究で使われたSK-129と名付けられたフォルダマーは、2022年に開発論文が発表されている。最初の論文では、細胞レベルのPDモデルを用いて、αシヌクレインの細胞内での凝集を阻害できることを示している。それからほぼ4年が経過しているが、SK-129一筋に研究が続けられており、この研究ではタイトルにもあるように実に様々なモデルを用いて、その効果が調べらている。
前半は凝集が起こる変異を持つヒト シヌクレインを神経細胞で発現させた線虫で研究が行われている。このモデルの存在は知っていたが、紹介するのは初めてだ。シヌクレインを蛍光標識しておくと、透明な線虫ではシヌクレインの凝集から細胞死まで完全に追跡できる。すなわち、孵化後2日目にSK-129を投与すると、3日目から起こリ始める蛍光シヌクレインの凝集を強く抑制し、さらに3日目から15日までコンスタントに減り続ける神経細胞をほぼ完全に保持することができる。結果、線虫の運動低下を抑える。面白いのはPDモデルの線虫でもドーパミンが運動回復に効果がある。この系にSK-129を投与しておくと、正常線虫と同じでドーパミンは効果がなく、内在的なドーパミンが十分維持されている。
さらに、凝集が始まったあと、孵化後5日目にSK-129を投与しても効果があり、シヌクレイン凝集による活性酸素の生成を抑え、神経細胞死を抑えていると考えられる。従って、人間の様に診断がついた後でも治療に使える可能性がある。さらに、エクソゾームを介する異常シヌクレインの伝搬も、おそらく凝集シヌクレインはオリゴマーに結合することで、抑えることができる可能性が示唆された。
結局はマウスモデル、そしてヒトへと実験を進める必要があるので、わざわざ線虫でここまで丁寧に実験を行う必要はないのではと思ってしまうが、PDモデルとしてはそんなに悪くないというのも実感した。
後は、PD患者さんのiPS由来神経細胞を用いて神経細胞異常を誘導し、それを治療する実験を行い、ドーパミンSK-129で回復することを示している。他にも試験管内で実に様々な実験を行っているが割愛する。
最も重要なのはマウスPDモデルを用いた治療実験で、8週目にシードと呼ばれるヒトPDシヌクレインを脳内に注射、その後10週間目からSK-129を投与している。期待通りの結果で、SK129を投与しておくとPDガ発症しない。病理学的に調べると、シヌクレインの神経内凝集が見事に抑えられている。すなわち、SK-129は脳内に速やかに移行して、神経内でのシヌクレインの凝集、伝搬、そしてオリゴマーによる細胞死を抑える理想的な薬剤である事がわかる。
最後に、最近シヌクレイン症の病型を決めるのに重要とされているTau分子と共沈殿についても調べ、SK-129は相分離体の形成を変化させることで、共沈殿の形成を抑えることまで示している。
以上が結果で、明日からでも治験をしてほしいと思える大成果に見える。ただ、まだまだぬか喜びで終わる可能性もある。しかし、マウスの実験でここまでの結果が出るとすると、SK-129がダメでも他のフォルダマーを開発できる可能性はある。期待したい。
2026年4月2日
機能的MRIや脳波などを用いて脳皮質の活動を調べ、各領域間の結合性を興奮の同調性として計算されるFunctional Connectivity (FC) は、脳の高次機能を調べるための重要な方法として定着している。このブログでも何度も紹介し、特に default mode network とうつ病の研究などは一般にも広く知られている (https://aasj.jp/news/watch/19488) 。 ただ、これらの研究のほとんどは脳全体の活動の中から特定のFCを抜き出してきて(例えば default mode network )定性的に調べる研究がほとんどで、脳皮質上に現れるFCの勾配全体、即ち脳機能全体を把握することは簡単ではなかった。
今日紹介する米国ノースカロライナ大学からの論文は、fMRIで記録された2万カ所もの領域同士の相関係数から、高次脳機能をこれまでのネットワークではなく、一種のFCの連続空間として表現することで、脳高次機能全体という極めて抽象的な活動を視覚化し、その発達をトポロジーの変化として解析する新しい方法を提案した研究で、3月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Functional hierarchy of the human neocortex across the lifespan(人間の新皮質の機能的階層性の生涯にわたる変化を明らかにする)」だ。
この研究ではfMRIで記録されたシグナルから得られ2万カ所に及ぶ皮質各部位間の相関性 (FC) をまずマトリックスに展開し、このマトリックスを diffusion map と呼ばれる方法で、1)一次感覚野と連合に関わる領域の間の結合性、2)視覚野と体性感覚野との結合性、そして3)注意や制御に関わる領域と表象に関わる領域との結合性を軸とする3つの次元に圧縮して表示することで、脳全体の機能を連続空間として表現出来ることを示している。
一時感覚野と連合野との結合性の次元 (SA) では一次感覚の抽象化能力、視覚野と体性感覚野の結合性の次元 (VS) では感覚の統合能力、そして注意・制御に関わる領域と表象に関わる領域の結合性(MR) では脳の統制能力と表象能力が数値化された3次元空間に展開することで、一人一人の高次脳機能の内容についても幾何学的に視覚化できるようにしている。
説明を聞いても何のことかわからないと思われたのではと心配するが、実際の図を見ないとどう視覚化されているのかを伝えることは難しい。論文はオープンアクセスなので、以下のURLをクリックして、diffusion map とはどんな感じか見てほしいと思う(https://www.nature.com/articles/s41586-026-10219-x/figures/1)これまでは機能的に相関している大きな領域としてと皮質上にマップすることしか出来なかったFCを、脳の構造とは独立した脳機能のトポロジーとして表現できる様になり、これを見ると抽象化能力、統合能力、統制能力と行った高次機能を一目瞭然で理解できるようになったことが重要だ。
研究では3000人にわたるfMRIデータを解析して、高次脳機能の成長や老化に伴う変化を、トポロジーの変化として理解できるか調べている。各年齢のデータの平均値を一つの diffusion map として表現すると、それぞれの次元での拡がりが成長とともに拡大するが、感覚の統合能力に関わるVSの拡がりは成長早期にピークに達し、後は低下する(拡がりが縮まっていく)ことがわかる。一方、感覚の統合能力を示すSA軸の発達は思春期でピークに達するが、統制能力を反映するMRは変化が緩やかで20歳ぐらいがピークというのがわかる。これも百聞は一見にしかずなので以下のURLをクリックして自分の目で見てほしい(https://www.nature.com/articles/s41586-026-10219-x/figures/2)。脳の図の上に活動の勾配として表現されただけではほとんどわからない変化が、diffusion map では成長や老化に伴う大きな変化として表現されている。悲しいことに老化により diffusion map の拡がりは縮小していくが、若い時代と異なりSAやVSの多様性が大きくなることから、老化は機能の低下だけでなく個人間の違いを生み出していることもわかる。一方MR軸の多様性は老化後も一定に保たれる。
こうして得られる diffusion map として表現されるトポロジーが、実際の認知機能やあるいは遺伝子発現とも相関させられることも示し、このトポロジーが機能を反映していることをさらに強調しているが、詳細は割愛する。
以上が結果で、仮想的脳構造の上にマップすることでしか把握できなかったFCを、独立した脳機能空間上の diffusion map として表現できるようにしたことがこの研究の全てだ。FCはAIのニューラルネットでも基盤になる概念なので、脳とAIの比較研究もさらに進む予感がする。
2026年4月1日
腸管上皮に存在するタフト細胞についてはこのブログでも何回も取り上げてきた。寄生虫感染により刺激され、type2免疫反応を誘導するだけでなく、この経路とは別にタフト細胞自体が腸上皮へと分化して完全なオルガノイドを形成する幹細胞機能を備えているという、Hans Cleaverの驚くべき研究も紹介した(https://aasj.jp/news/watch/25361)。ただ、寄生虫感染からtype 2免疫反応 (T2I) までの詳しい分子カスケードについては研究が進んでいなかった。と言うのも、そのためには神経生理学に近いレベルの細胞刺激実験が必要で、腸管免疫の研究者にはハードルが高い。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、パッチクランプ法も含めて神経生理学の方法を駆使して、寄生虫感染、タフト細胞刺激、T2Iから迷走神経刺激による食欲減退まで、見事なシナリオを提示した研究で、」4月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Parasites trigger epithelial cell crosstalk to drive gut–brain signalling(寄生虫は腸上皮の相互作用を高めて腸脳シグナルを誘導する)」だ。
タフト細胞の不思議さは神経細胞でもないのにアセチルコリン合成能力を持っている点で、寄生虫などの刺激も全てアセチルコリン分泌を介して他の細胞に伝えていると考えられている。この研究ではまずタフト細胞のアセチルコリンによる腸上皮 (EC) の反応を、オルガノイド培養や、単一細胞レベルの生理学的解析を用いて調べ、タフト細胞が寄生虫の分泌するコハク酸などに反応してアセチルコリン分泌を高め、シナプスは形成していないがムスカリン受容体を介してECを刺激し、その結果ECの重要なメディエータであるセロトニン分泌が誘導されることを明らかにしている。腸を培養してECのセロトニン分泌を単一細胞レベルで観察すると、どのECでも反応するわけではなく、クリプトに存在するECだけがセロトニンを分泌できる。
次にタフト細胞のアセチルコリン分泌刺激過程を、単一タフト細胞をパッチクランプ法を用いて調べ、寄生虫が分泌するコハク酸で刺激されると、細胞内にCaが放出され、これによりTRPM5チャンネルが活性化されアセチルコリンの分泌が高まることを確認している。これは寄生虫に対する急性の反応だが、その後寄生虫感染が続くとT2Iが誘導される。この時分泌されるIL-4をオルガノイド培養に作用させると、タフト細胞の増殖とともに、急性刺激では得られない長期間だらだら続くアセチルコリン分泌が誘導されることを示している。その結果、一過性のアセチルコリン刺激では起こらない大量のEC細胞によるセロトニン分泌が起こることも、オルガノイド培養で明らかにされている。
最後に、何故寄生虫感染で食欲が落ちるのに、例えばタフト細胞を一過性に刺激するだけでは脳に影響が及ばないのかについて調べている。その結果、迷走神経の感覚端末はアセチルコリンやセロトニンで活性化されるが、実際の腸管で脳に影響を及ぼすほどの迷走神経刺激を誘導するためには、長い期間EC由来のセロトニンの刺激にさらされる必要があることを明らかにしている。すなわち、寄生虫感染初期におこる一過性のタフト細胞刺激では、迷走神経から脳孤立核の変化を誘導するには足りない。しかしT2Iが誘導され、IL-4の影響でタフト細胞の数が増え、しかも長期間アセチルコリンが分泌されるようになると、迷走神経が刺激され、この結果脳の孤立核の細胞が興奮して食欲減退や吐き気が起こることを示している。
以上が結果で、腸管を神経系を扱うのとおなじ方法で生理学的に調べる研究は新鮮な驚きがある。それぞれの経路は既に調べられていたことかも知らないが、単一細胞レベル、あるいは定量的実験でしっかり証明しているのがすばらしい。