4月2日 リボゾームを使わないペプチド合成過程をデザインする(3月22日号 Science 掲載論文)
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4月2日 リボゾームを使わないペプチド合成過程をデザインする(3月22日号 Science 掲載論文)

2024年4月2日
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このペプチドは、遺伝子からリボゾームで作られるのではなく、微生物が持っているさまざまな酵素活性が集まった酵素システムによって作られる。とすると、この過程を解明して、様々な薬剤を新たにデザインできないか考えるのは当然の帰結だ。

今日紹介するドイツ・マーブルグにあるマックスプランク研究所からの論文は、現在知られている多くのリボゾーム非依存的ペプチドを合成する酵素を進化系統樹的解析を行い、これらの酵素が組み換えを起こしているサイトを明らかにし、この組み替え部位を用いて異なる酵素のユニットを組み合わせることで、異なる生産ラインを持った新しいペプチド合成システムを構成できることを示した研究で、タイトルは「Evolution-inspired engineering of nonribosomal peptide synthetases(進化にヒントを得たリボゾーム被依存的ペプチド合成酵素のエンジニアリング)」で、322Scienceに掲載された。

隠れマルコフモデルを用いたペプチド合成システムの構造解析から、複雑な酵素の並びが共通部分と、変化が大きい部分のユニットの組み換えにより形成されており、ゲノムレベルで組み換えが起こっている特定の部位が六種類存在することを明らかにしている。すなわち、この部位でユニットを交換しても、それぞれの機能に影響を及ぼさない。

この結果に基づき、異なる微生物由来で、異なるペプチド合成に関わるユニットを組み合わせた43の異なるエンジニアー酵素を作成し、それぞれ大腸菌に導入して同じ基質から合成を行わせると、様々な構造のペプチドが期待通り形成されることを確認している。

これらの解析に基づき、プロテアゾーム阻害に利用できるペプチドを作成するため、5種類の由来の異なる合成アッセンブリーユニットを組み合わせた生産システムを構成すると、アミノ酸が11−13並んだペプチドが合成され、プロテアソームを阻害することを確認している。

結果は以上で、詳細をすっ飛ばして紹介したが、リボゾームに依存しないペプチド合成システムは、あたかもベルトコンベアでの生産ラインのように、アデニル化、濃縮、チオエステラーゼなど、数種類の酵素活性が並んでいる。したがって、それぞれの活動を並べ替えることで、新しい有効ペプチド化合物が作れると考えられ、その可能性が追求されてきた。この研究は、このような生産ラインの入れ替えを進めるために重要な組み替えサイトを決定することで、今後自由に様々な微生物から選んできた酵素を組み合わせた生産ラインがデザインできることを示している。

専門でないので、一度 RNA に戻してペプチドとして合成する方法と、リボゾーム非依存的合成系をエンジニアする方法と、どちらが利用しやすいのかよくわからないが、いずれにせよペプチドエンジニアリングが創薬のトレンドになり、急速に進んでいることは確かだ。

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4月1日 発声学習の進化(3月29日号 Science 掲載論文)

2024年4月1日
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人間もそうだが、鳥を含むいくつかの種は vocal learning(発声学習)能力が備わっている。すなわち、親の声を学習して自分も同じように発声する能力で、複雑な音をベースにした言語の必須条件になる。面白いことに、吠えサルも含めてサルは発声学習がないとされているようで、鳴き声を出せても、それを親から習うかどうかが問題になる。

今日、紹介する論文は、発声学習が確認されている哺乳動物での遺伝子進化速度から発声学習進化に関わる分子を特定しようとした研究で、3月29日号 Science に掲載された。タイトルは「Vocal learning–associated convergent evolution in mammalian proteins and regulatory elements(哺乳動物のタンパク質と遺伝子調節領域の発声学習と連関した収斂進化)」だ。

哺乳動物の進化で発声学習は独立に数度起こっている。サルから人間への進化、コウモリの進化、イルカの進化、そしてアシカなど鰭脚類の進化だ。このように独立して一つの形質が進化するとき、同じような遺伝子が収斂的進化することが知られている。この研究では、タンパク質に翻訳される遺伝子のなかで、発声学習の進化にリンクして進化速度が変化したタンパク質を200近く特定している。また、同じようにリンクした遺伝子発現調節領域も50近くリストしている。

ただ、すべての種の発声学習進化に共通に関わると特定できるタンパク質は5種類にとどまっている。しかし、それでもかなり重要な発見だ。これに対し、遺伝子発現領域の進化を見ると33/50が3種類の発声学習進化で共通に変化していることを突き止めている。

次にこれらの遺伝子の機能を理解するため、まずコウモリを用いて発声学習の神経科学的条件を確認している。これまで、発声学習が可能になるためには、喉頭部への脳神経の中継シナプスを介さない直接支配が必要とされてきた。これをコウモリで調べると、運動野の第5層興奮神経が長いアクソンを伸ばして喉頭の筋肉を支配することを確認し、運動野からの喉頭直接支配が発声学習の条件であることを確認している。

後は、この神経細胞で発現する遺伝子と、発声学習進化とリンクして変化した遺伝子の発現を連関させ、運動神経細胞が長いアクソンを直接投射する過程に関わったと思われるいくつかの遺伝子をリストしている。もちろん、発現や収斂進化だけでこれらの遺伝子変化が発声学習進化に関わったと結論はできない。また、発声学習進化の種に共通性がないとして除外した分子も、この進化に関わらなかったと結論できるわけではない。

論文全体を見ていくと、多くの遺伝子がそれぞれの種で変化することがまず発声学習の可能性を準備し、その中でいくつかの遺伝子事態の変化と、遺伝子発現調節の変化が大きなきっかけとなって、最終的に発声学習が可能になったと考えられる。

このような変化の仕方は、まさに自閉症スペクトラムで、多くの遺伝子が性格的な条件を準備する中で、キーとなる変異が発症を後押しするのとよく似ている。実際、今回特定された遺伝子の中のいくつかは、自閉症発症との関わりが示されている。自閉症スペクトラムが喉頭の解剖学的変化とはいえないので、おそらく発声学習を必要とする脳の条件の一部が自閉症の発症に関わると考えられる。例えば、社会性がないと発声学習は可能にならないといった感じだ。その意味で、喉頭神経支配を超える面白さが発声学習進化に存在することは間違いない。

実際の結果より、想像力がかき立てられる研究だが、遺伝子発現調節領域の解析にAIを使うなど、データ処理技術を駆使した新しいタイプの進化研究といえる。

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3月31日 自然炎症機構は脳の記憶維持に流用されている(3月27日 Nature オンライン掲載論文)

2024年3月31日
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2015年6月7日このブログで神経の興奮後にDNA切断が起こることを紹介して以来(https://aasj.jp/news/watch/3560)、たとえば左巻きDNA形成を介して記憶維持に関わる(https://aasj.jp/news/watch/13152)、そしてこのDNA切断を修復するため、神経細胞は独特の修復機能を発達させていること(https://aasj.jp/news/watch/21573)、などを紹介してきた。ただ、これらの研究ではDNA切断と炎症機構とリンクさせることは行われなかった。

しかし、DNAは Toll like receptor を介して自然炎症を誘導することが知られており、今日紹介するシカゴ・Northwestern 大学からの論文はこの点について調べ、自然免疫反応の下流で誘導される分子がDNA修復とともに、記憶形成に関わることを明らかにした論文で、3月27日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Formation of memory assemblies through the DNA-sensing TLR9 pathway(DNAを検知する TLR9 経路を解する記憶神経集団の形成)」だ。

これまでの神経興奮によるDNA切断に関する研究は、神経興奮後の immediate early gene の発現までの過程に焦点を当てていたが、この研究は恐怖刺激による条件付けを用いた文脈依存記憶成立に関わる後期、すなわち興奮後96時間でみられる過程に焦点を当てている。

マウスの条件付け後、海馬の興奮神経でDNAの切断部位が1時間目で急速に増加し、6時間ぐらいかけて修復されていくが、この研究では24時間後96時間にかけて、切断DNAが核外に放出される像が見られるのに注目した。そして、これに呼応して細胞内DNAを検知して自然免疫反応の引き金を引く TLR9 が上昇することに気づいた。

そこでこの神経興奮後、後期過程で起こる TLR9 が引き金を引く自然免疫反応が、長期記憶に関わるかどうかを調べるため、Tlr9 を海馬神経特異的にノックアウトすると、恐怖に対する記憶の成立が低下する。一方、アストロサイトで TLR9 をノックアウトしても同じような記憶成立障害は見られない。

以上の結果は、DNA切断、興奮後後期に見られるDNAの細胞質への排出、TLR9 による自然免疫誘導と続く過程は、単純にストレス反応だけでなく、記憶形成に必要なシナプス変化を誘導している可能性がある。そこで、TLR9 ノックアウトマウスと正常マウスを条件付け、後期に見られる遺伝子発現の変化を調べると、TLR9 はシナプス分子の発現に関わるというより、たんぱく質の安定化、小包帯輸送、繊毛形成、代謝、などさまざまな過程を介してシナプス接合の安定化に関わっていることがわかった。また、海馬のシナプス形成の成熟に関わる DCX 発現との比較から、TLR9 が DCX 発現を通してシナプス成熟を後押しする可能性も示唆している。

さらに、TLR9 自体はそのまま細胞死過程まで誘導する可能性があるが、まずDNA修復機構を誘導して刺激を抑えることで、神経細胞を変性から守る働きもある。

以上が結果で、自然免疫システムの特徴が、うまく記憶形成に流用されたと考えたほうがよさそうだ。とすると、やはり神経が興奮すればするほど、神経にストレスを与え、それが記憶に繋がることになる。頑張ってブチ切れよう。

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3月30日 筋肉疾患治療法開発2題(3月20日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2024年3月30日
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3月20日号のScience Translational Medicineに重症筋無力症および筋ジストロフィーの治療法開発論文が発表されていた。いずれも根治というよりは対症療法なのだが、まとめて紹介することにする。

最初はデンマークの創薬ベンチャー BMD Phmarma からの論文で、筋肉のクロライドチャンネルをブロックして筋肉の興奮性を高め、重症筋無力症の筋肉症状を改善する薬剤の開発だ。タイトルは「The ClC-1 chloride channel inhibitor NMD670 improves skeletal muscle function in rat models and patients with myasthenia gravis(ClC-1 クロライドチャンネル阻害剤はラットモデルと重症筋無力症患者さんで筋肉機能を改善する)」だ。

重症筋無力症は神経・筋のシナプス接合に関わるアセチルコリン受容体などに対する自己抗体ができ、筋肉の興奮が低下する病気で、自己免疫病の治療とともに、シナプス伝達を高めないと命に関わる。自己免疫病治療については抗体薬など新しい方法が開発されているが、筋肉の興奮を維持する対症療法はほとんど私が病院で働いていた頃と変わらない。

BMD Pharma は、筋肉興奮が ClC クロライドチャンネルにより抑制されていることに着目し、筋肉特異的 ClC−1 阻害剤 NMD670 を開発した。論文ではラット重症筋無力症モデルで、NMD670 投与により筋肉機能が改善することを見た上で、第一相治験を12人の患者さんについて行なった結果が示されている。NMD670 の効果は即効性なので、12人は無作為的に、コントロール群や異なる容量投与群へローテートしている。

結果だが、まず耐えられない副作用はなく、効果は症状から計算するスコアで明確に改善があったことが示されている。対症療法と言っても重症筋無力症の場合、筋肉興奮維持は必須で、抗コリンエステラーゼにつぐ薬剤がようやく開発されたと期待している。

もう一報のカナダ・Sherbrooke大学からの論文は、様々なタイプの筋ジストロフィーで血管障害に基づく筋肉幹細胞リクルート異常が生じて、症状を悪化させており、この過程を治療標的にできることを示した研究だ。タイトルは「Apelin stimulation of the vascular skeletal muscle stem cell niche enhances endogenous repair in dystrophic mice(アペリンは筋肉幹細胞の血管ニッチを刺激してディストロフィーマウスの内因性損傷を促進する)」だ。

筋ジストロフィーは筋肉が変性する病気で、ディストロフィンの変異をもつドゥシャンヌ型を始め様々なタイプが知られており、それぞれ原因となる突然変異が特定されている。このグループは、原因となる変異による筋肉の直接障害だけでなく、間接的に筋肉幹細胞のリクルートの減少も編成が進む原因になっているのではと考えた。

そこで、筋肉をヘビ毒で傷害して幹細胞が動員されるプロセスを比べると、ラミニン変異によるディストロフィーを筆頭に、コラーゲンVI 変異型、ドゥシャンヌ型全てで再生過程の異常が見られた。そしてこの原因を探ると、筋肉の血管量と構造の異常が起こっており、これが筋肉幹細胞ニッチの維持を難しくしていることがわかった。

血管異常の原因を探ると、アペリンと呼ばれる血管ホルモンの異常が共通に発見され、さらに血管特異的にアペリンをノックアウトすると、筋肉幹細胞からの供給が低下して筋ジストロフィーと同じような変性症状が見られることを示している。

そこで、筋ジストロフィーマウスに浸透圧ポンプを用いてアペリンを投与し続けると、3タイプ全てで血管の量と構造を回復させ、その結果筋肉編成を遅らせることができる。

すなわち、筋ジストロフィーにより、なぜか血管のアペリン分泌が低下して、これが禁呪酢トロフィーの修飾因子として変性を増幅するという話になる。残念ながら変異による筋肉異常からアペリン分泌異常へと移る過程については全くデータが示されていないが、筋ジストロフィーをアペリンなど血管を正常化して進行を遅らせるというアイデアは面白い。

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3月29日血液老化を抗体で防ぐ(3月27日Nature オンライン掲載論文)

2024年3月29日
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老化した細胞を除去して新陳代謝を高める方法はsenolysisと呼ばれて、アンチエージングの切り札として研究が進んでいる。当然、血液幹細胞のクローン増殖、Y染色体脱落、メチル化 DNA の変化など、老化研究の進んでいる血液でも senolysis の可能性を追求した研究はあると思うが、不勉強なのかこれまであまり出会ってこなかった。

今日紹介するスタンフォード大学ワイスマン研からの論文は、老化に伴い増加する幹細胞集団を除去することで免疫機能の若返りを図れる可能性を示した面白い研究で、3月27日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Depleting myeloid-biased haematopoietic stem cells rejuvenates aged immunity(骨髄球にバイアスがかかった幹細胞を除去することで老化した免疫系を若返らせる)」だ。

ワイスマン研は表面マーカーを駆使した血液幹細胞の純化研究の先端を走ってきた研究室だが、この中で多能性幹細胞の中にも、様々な系列をバランスよく作れる幹細胞と、多核球や単球などの骨髄球系にバイアスのかかった幹細胞に大別でき、老化に伴って後者が増加することを発見していた。

この研究では、バイアスのかかった幹細胞 (bHSC) で発現が高い表面マーカーを特定して、これを用いて bHSC を除去することで、血液の老化を防止できないかという明確な目的に向かって研究が行われている。方法もまさに彼らの伝統を守り、フローサイトメータを駆使してマーカー探しを行なっている。

その結果、CD150、 CD62、NEO1 と呼ばれる bHSC に特異的表面マーカーを特定し、さらにこれらのマーカー陽性細胞が老化とともに上昇することを突き止める。そして、bHSC が増えることで、自然炎症に関わる探究などの産生が上昇し、IL1β などの自然炎症サイトカインが増加することも確認している。

次に、これらの表面マーカーを用いて bHSC を除去できるかの検討を行い、どの表面マーカーでも、細胞の貪食を阻害する CD47 をブロックし、さらに c-Kit 依存性の幹細胞増殖を弱く抑える(低濃度の c-Kit に対する抗体投与)、すなわち3種類の抗体を組み合わせて投与を行うと、老化に伴う bHSC の増加を抑制し、その結果骨髄球の産生が抑えられ、自然炎症が低下するとともに、HSC からリンパ球の産生低下を抑えることができることを示している。

この効果を確かめるために、フレンドウイルス感染系を用いて、ウイルスに対する抵抗性の低下が、抗体産生とT細胞免疫誘導で防げ、感染抵抗性が上昇するとともに、ワクチン接種の効果も高まることを明らかにしている。

最後に、ヒトでも同じマーカーを bHSC 検出に使えるか検討し、特に CD62 は老化とともに比例して上昇していることを明らかにしている。今後、single cell RNA sequencing などを用いて検討することで、ヒトの bHSC をさらに明確に分けることができるように思う。

以上が結果で、CD47抗体や cKit抗体を同時に用いるというのは人間では現実的でないだろう。ただ、bHSC のアイデアは面白いし、おそらく他の方法で、同じ状態を実現できる可能性はある。期待したい。

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3月28日 Prosopometamorphopsiaの患者さんが見ている顔のイメージを再現する(3月23日号  The Lancet 掲載論文)

2024年3月28日
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まず今日紹介する予定の The Lancet 論文に掲載されているクイズの写真を見てほしい(https://www.thelancet.com/doi/story/10.1016/pic.2024.03.21.109783)。左の人の顔が右のように見えると患者さんが訴えた場合、診断名は何か?が問題で、Prosopagnosia、Prosopometamorphopsia、Capgras syndrome、 Palinopsia の中から選ぶ。この論文を読む前に答えの出る医師は、Chat-GPT 並みのテキストが記憶されている人だろう。ただProsopagnosia は鼻や目は見えているのに人の顔と認識できない事だとわかるし、Palinopsia は顔が何度も見えると錯覚する反復視のことで、専門医なら答えから除外するだろう。おそらく専門医でもCapgras 症候群を知っているのはかなり知識の豊富な医師で、配偶者を含む親しい人を、他の人物で置き換えられていると錯覚する厄介な病気のようだ。とするとこの病気も除外でき、残る答えは Prosopometamorphopsia になる。

とはいえどんな病気か全くわからないので PubMed で調べると、オランダ・ハーグにある Parnassia 精神研究所から、施設で経験した8例と、それ以前に報告されていた73例についてまとめた総説が2020年に発表されていた。

これを読むと、Prosopometamorphopsia とは、脳の損傷や腫瘍によって起こる極めて稀な症状で、人間の顔だけが歪んで見えると訴える。この時、自分の顔が歪む、他人の顔が歪む、顔の片方が歪む、さらには動物の顔に見えるタイプに分けられるが、他人の顔の片方というのが66%、自分の顔の一部が歪むのが4%、他人の顔も自分の顔も歪むケースが30%になる。

これを読んで思い出したのが、東京芸大の美術系の学生さんと飲む機会があったとき、自分の顔を鏡なしにかけますかと聞くと、ほとんどの人が即座に描けると答えていたことだ。ところが私自身、鏡で何度も見ているのに、鏡がないと自分の顔が思い浮かばない。頭の中に埋め込まれた形態のイメージが、実際の視覚を統合して顔認識が行われることを考えると、これが他人の顔だけ歪んで見えるケースが66%に達するのは、一般人では自分の顔の鋳型が埋め込まれている確率が低いからかも知らない。

このように、Prosopometamorphopsia は脳損傷により、顔の見た時の視覚インプットをトップダウンに統合するイメージ形成の異常と考えられるが、事実 Prosopometamorphopsia に至る障害は、後頭部資格や、脳梁、頭頂野の右側に集中している。

このような神経学的所見から、この論文は Prosopometamorphosia から、我々は経験を通して脳内に形成される鋳型に、現実に見ている顔の部分を当てはめることで顔のイメージを形成しているという、先に鋳型ありきの仮説を提案している。またこの鋳型も、いくつかの部位を統合して形成されるため、さまざまな領域間のネットワークが働いており、その一部が壊れると、歪んだ顔になると結論している。

今日紹介する論文は、今紹介した総説で詳しく述べられた Prosopometamorphosia の症状と一致する典型例の一例報告になる。タイトルは「Visualising facial distortions in prosopometamorphopsia(Prosopometamorphopsiaで患者さんが見ている顔の歪みを可視化する)」で、3月23日号の The Lancet に掲載された。ただ、稀な病気とはいえ、これだけまとまった研究があるのに、わざわざThe Lancetが掲載したのには大きな理由がある。

この58歳男性症例は双極性障害の病歴があり43歳で脳損傷、55歳で一酸化中毒を経験している。そして MRI 検査で右海馬に嚢胞が見られるが、それ以外の変化ははっきりしない。もし海馬の嚢胞が原因であれば、これまでの症例とは全く異なり、顔の鋳型形成ネットワークの複雑性を示す新たな例になる。しかしこの所見は掲載された理由ではない。

この論文のハイライトは、この患者さんでは、実物ではなく、写真やモニター画面に現れる顔は歪まないことを利用して、実物を見た時どのように患者さんには見えているのかを、モニター画面の顔のイメージを操作して再現に成功している点だ。すなわち、実物を横に置いて、同じ顔をモニターに投影し、実物と比べながらモニターの顔を変化させ、患者さんが納得できるイメージを画面上で再現した。それが、最初に見てもらった写真になる。

この結果は、実物と画面が並んで提示されているという状況を完全に把握できていても、実物を見ているというシグナルが、並んで置いてある画面に視線が移ると入らないため、異なる像がイメージされている点で、顔認識ネットワークの複雑性とともに、主観と客観という哲学の問題が、脳科学で新しい解釈を与えられているのがわかる。

考えてみると、このようなイメージを絵にした画家で最も有名なのは、フランシス・ベーコンだろう。例えばヒューストン美術館のサイトを見てもらうと(https://www.mfah.org/blogs/inside-mfah/understanding-francis-bacon)、まさに歪んだ顔が表現されている。ベーコンは正常の顔も描いているので、おそらく彼には両方がイメージできたのではと思う。芸大生には自分の顔の鋳型があるのと同じで、画家には凡人の持たないさまざまな鋳型があり、それを私たちは楽しんでいる。

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3月27日 性決定の共通性と多様性(3月22日号 Science 掲載論文)

2024年3月27日
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生物学的な性の定義は遺伝子情報の交換が個体間で行われることで、大腸菌でも性は存在する。すなわち、遺伝子組み換えを通して、個体の持っている遺伝情報を交換することが、多様性を高めて種の保存を保証している。

単細胞動物では比較的簡単な性の維持も、高等動物になるにつれ複雑になり、精子や卵子といった配偶子だけでなく、オスとメスの分化が必須になってくる。今日紹介するドイツチュービンゲンのマックスプランク研究所からの論文は、褐藻類の性決定機構を調べることで、オスとメス決定の進化を展望した研究で、3月22日号 Science に掲載された。タイトルは「Repeated co-option of HMG-box genes for sex determination in brown algae and animals(褐藻の性決定に HMG BOX 転写因子が繰り返し流用された)」だ。

褐藻は巨大ケルプを含む海藻の仲間で、この研究ではその性決定に関わるマスター遺伝子を探すところから始めている。この時、他の生物での性決定に関わる遺伝子の共通性に着目している。すなわち、我々哺乳動物では SRY のような HMG ボックスを持つ転写因子で、おそらく褐藻も同じ HMG ボックス分子を持つ筈だと、オスとメスの配偶子を調べ、予想通り新しい HMG ボックスを二つ有する転写因子(MIN)を特定する。すなわち、褐藻は我々オピストコンタから10億年近く離れているが、その性決定に HMG ボックス分子が使われていることになる。

次に、この遺伝子のノックアウト実験を通じて褐藻の性がどう変化するか調べている。結果は期待通りで、我々の SRY と同じで、オスを決めるマスター遺伝子であることが示される。といっても、褐藻の形態はオスも、メスもほとんど違わない。ただ違いは配偶子がメスの配偶子のフェロモンを察知して融合する機能が欠損することで、オスの機能とはこれだけかと寂しくなる。それでも、MIN の下流では280種類の遺伝子の転写が変化している。

以上が結果で、あとは生物進化の過程で性決定メカニズムを HMG ボックスとの関わりで見直している。ここが一番面白いのだが、酵母から褐藻、そして我々まで HMG ボックス転写因子をマスター遺伝子として使うのは共通している。しかし、進化過程を辿ると、ひとつの先祖 HMG 遺伝子が進化するのではなく、それぞれの進化でオスメスが生まれる時、独立して HMG 遺伝子が使われることがわかる。実際、褐藻の進化でも今回 明らかになった MIN とは全く別の、しかし HMG 転写因子が使われていることもわかる。

以上のことから、HMG ボックスという特殊な機能を持つ転写因子は、性決定という多くの遺伝子を同時に変化させる必要性に合致しているため、性決定の進化で何度も何度も、流用が繰り返されたことがわかる。性決定を考える面白い切り口が示されたようだ。

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3月26日 AI を用いて鳥の鳴き声を解読する(3月20日 Nature オンライン掲載論)

2024年3月26日
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Bird song learningは、我々の言語発達にもつながると、さまざまな研究が行われる面白い分野だが、これまで2回ぐらいしかこのブログでは紹介できていない。というのも、鳴き声のパターンや複雑性についてはわかっても、言語としての意味をほとんど理解することができないからだ。

今日紹介するテキサス・サウスウェスタン医学センターからの論文はニューラルネットを用いて Zebra Finch の鳴き声を、シラブルが組み合わさったセンテンスとして解析し、人間ではわからない違いを解読し、メスの好む人工的泣き声を合成するところまで行った画期的な研究で、またまた AI パワーに驚かされる研究で、3月20日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「The hidden fitness of the male zebra finch courtship song(オスのZebra finchの求愛ソングに隠れた適応)」だ。

まさに Large language model ならぬ Large song model を作る話で、Zebra finch(ZF) の鳴き声をまず18個体から集め、これを15万近い分離したシラブルに分け、このシラブルを我々の言語での単語と見立てて、様々な特徴(ピッチ、強さ、などなど)を多次元パラメータで表し、これらを Siamese convolutional neural network と呼ばれるニューラルネットモデルに学習させ、シラブルが分布する多次元モデルを作成している。そして、それを次元圧縮して表現している (UMAP) 。LLM で言えば単語同士の位置関係を二次元で表示した UNAP と考えればいい。

ZF では親から歌を習った場合と、習わなかった場合で鳴き声が異なる。習った場合は、親の歌を真似した歌で、メスはこちらの声を好む。習わなくても鳴くのだが、習っていないパターンではメスに好かれないことが知られている。

まず面白いのは、親に歌を習った鳥の鳴き声(イミテート声)に存在するシラブルと、習っていない鳴き声(即興声)のシラブルは UMAP 上の異なる領域に分布している。すなわち単語レベルでまず異なっている。

そしてイミテート声と即興声を区別するのは、一つのセンテンスとしてシラブルを繋いだ時、UMAP 上でのセンテンスの長さがイミテート声で長いことだ。すなわち、習わない場合より複雑なシラブル構成をとっていることがわかる。

次は、こうしてなんとか解読した鳴き声の違いが、そのままメスを惹きつける効果に繋がっているかを調べるため、人工的にイミテート声と即興声を作成し、それぞれを別の場所から流した時、メスがどちらに引きつけられるか調べると、イミテート声の方に惹きつけられる事を確認している。すなわち、メスにとって魅力のあるセンテンスを人工的に作れる。

さらに、親の声と、習った子供の声を比較してそれぞれのセンテンスの UMAP 上の距離を調べると、ほとんどの子供はまだまだ未熟で、距離が短いが、一部の子供では親を超えるケースも現れている。このように、単純な分析ではわからない鳴き声の違いがり、一旦 Siamese convolutional neural network と呼ばれるニューラルネットに媒介させることで、親の声を習うことの難しさが明らかになった。

以上が結果で、動物のコミュニケーション手段を解析するためにいかに AI がパワフルかが明らかになった。

余談になるが、いつもお願いしているバードウォッチングガイドさんが、この AI で区別する違いをコマで区別できるのか知りたいと思う。おそらくガイドさんの脳はメスドリの境地に近づけているのではないかと推察する。いずれにせよ、様々な動物の声を翻訳できる時代に近づいた。

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3月25日 骨髄造血の全像(3月20日 Natureオンライン掲載論文)

2024年3月25日
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増血研究では、骨髄移植、in vitro コロニー法と長期培養、表面マーカーとセルソーターなどを組み合わせて観察が行われるが、実際の骨髄は骨に閉ざされて観察が難しい。それでもさまざまな工夫を重ね、骨髄の切片を作成する組織学的検討は繰り返し行われてきた。ただ、どうしても単一の造血幹細胞に焦点が当たるため、造血ダイナミックスを観察することは難しかった。

今日紹介するシンシナティ子供病院からの論文は、主に胸骨骨髄を用いて、そこで起こっている造血全体を観察することで、試験管内で観察するのとは全く異なる造血ダイナミックスが存在することを示した研究で、3月20日、Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Resilient anatomy and local plasticity of naive and stress haematopoiesis(定常およびストレス下での造血は高い解剖学的安定性と局所的可塑性に支えられている)」だ。

この研究では247種類の細胞表面マーカー、セルソーティング、骨髄移植、コロニー法など、従来の造血研究を組み合わせて各種造血幹細胞特定法を確立した後、表面マーカーの多重染色により、それぞれの幹細胞の骨髄中での分布をまず調べている。

その結果、細胞に焦点を当ててみるともちろん全ての幹細胞を特定することができ、白血球や赤血球造血は類洞で、リンパ球造血は小動脈に近接して起こっているのが確認される。そしてこの研究のハイライトと言えるのが、それぞれの幹細胞は局所でコロニーを形成していないと言う発見だ。これは各系統へ分化した幹細胞でも同じで、この結果それぞれの系統は骨髄の別の場所で独立して形成されることになる。

幹細胞は当然増殖を続けている。なのに幹細胞が単独で存在し、局所的なコロニーを作らないと言う事実は、分裂した相手側がすぐにその場所を離れる事を意味する。実際、これを確かめるために、頭蓋骨にラベルした幹細胞を一個だけ導入し、24時間後に観察すると、分裂した娘細胞はその場所から移動している事を確かめている。

赤血球造血についてこの過程をさらに調べているが、分裂した細胞の片方で c-Kit の発現が低下しその場を離れる事を観察している。神経幹細胞の分裂によりできた娘細胞が上部へと速やかに移動するのと似たイメージだ。

細胞のオリジンを調べる標識法を用いてさらに確認実験を行い、赤芽球まで分化した後はクローナルな増殖がはっきりと捉えられるが、それ以前の幹細胞ではクローン増殖は見られない事を確認している。

最後に、個体が出血、感染、あるいはG-CSF投与といったストレスにさらされた時、この骨髄造血を支える構造はどう変化するのかを調べ、基本構造には変化がない事を特に幹細胞の分布から示している。すなわち分裂後娘細胞がニッチを離れると言うシステムが、造血構造の安定性を保証していることになる。ただ、骨によっては類洞や小動脈の構造が異なるため、増殖した細胞が移動する速度が変化する。そのため、それぞれのストレスに対して、腸管骨と胸骨では反応が違って見えることも示している。

結果は以上で、木を見て森を見ずというが、森全体を見ることで造血にも新たな発見がもたらされている。とはいえ、全体を見るために画像解析は欠かせない。将来さらに AI を組み合わせればさらに新しい構造を見ることができるかもしれない。

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3月24日 細胞レベルで全ゲノム解析が行われる時代になった(3月18日 Cell オンライン掲載論文)

2024年3月24日
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ヒトの全ゲノム解析が達成できたあと、個人のゲノムを1000人単位で集める目標が掲げられたのはそれほど遠い昔ではない。その後、ゲノム解析コストは下がりに下がり続け、その結果、全ゲノム解析が終わっている個人の数はいまや膨大な数に上っていると思う。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、全ゲノム解析が今や細胞レベルにまで及んできて、個体の中でそれぞれの細胞が経験する変化をゲノムのレベルで読み解ける時代が来たことをひしひしと感じる研究で、3月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Contrasting somatic mutation patterns in aging human neurons and oligodendrocytes(高齢者の神経とオリゴデンドロサイトの対立する突然変異パターン)」だ。

この研究では幼児、青年期、40代、そして80代の脳組織からオリゴデンドロサイト(OGL)、グリア、神経細胞を分離、トータルで150個の細胞について全ゲノム解析を行い、特に OGL と神経細胞で突然変異の起こり方を調べている。ヒト全ゲノム解析完成が高々と歌い上げられたのが2004年なので、20年でここまできたかという感慨は深い。

脳内で OGL は増殖を続けミエリン鞘を供給し続ける一方、神経細胞は原則として増殖することはない。この違いを、ゲノムに蓄積する突然変異から調べようとしている。

まず、一塩基変異で見ると、増殖する OGL は増殖しない神経に比べて2倍頻度が高い。しかし、増殖にかかわらずどちらの細胞も年齢を重ねるにつれ突然変異が蓄積する。面白いのは、Indel と呼ばれる挿入や除去といった変化は神経細胞の方が OGL の頻度より高い。ただこれも、年齢とともに増えていく。このように生きている限り、増殖なしでも我々のゲノムは変化し続ける。

突然変異の起こり方は SBS と呼ばれる変異のタイプで分類されている。いずれの細胞も生存に伴う環境からの影響で起こる SBS5 がメジャーな変異で、年齢とともに増加するが、これに加えてそれぞれ独自の変異タイプが見られる。

増殖を続ける OGL では細胞分裂依存的に増加するデアミナーゼ作用による変異が見られるが、神経細胞では全く見られない。そして、これらの変異は腫瘍化したグリオーマと完全に重なっている。

SBS5 は両方の細胞で見られるメジャーな変異タイプだが、OGL ではクロマチンが閉じた転写活性が、低い領域に集まっている。一方、神経細胞ではその逆で、遺伝子発現が活発な領域で起こっている。おそらく、DNA修復の起こりやすい領域が細胞ごとに違うからと考えられるが、単一細胞ゲノム解析から生まれた新しい問題だと思う。

ほかにも、それぞれの細胞は発生過程で様々な変異を蓄積した後、成熟後細胞の状態に会わせた変異が蓄積していく。これを利用して細胞系譜をたどることも可能だ。しかし、OGL は成熟後もほとんど同じペースで変異を蓄積する。これもおそらく、修復機構が変化した結果と考えられる。

外にもいろいろな可能性が示されているが、ゲノムプロジェクトが細胞レベルへと拡大していることが重要だ。発生、成長、老化を新しい視点で眺められる時代が来た。

カテゴリ:論文ウォッチ
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