2021年4月16日
ドゥシャンヌ型筋ジストロフィーは筋繊維と膜外の細胞骨格を結合している分子複合体の中核になるディストロフィン遺伝子の変異により、筋肉線維と細胞膜が障害されることで、筋肉が進行的に変性する病気だ。私が卒業したての頃は、若くしてなくなる疾患だったが、最近は呼吸管理もしっかりできるようになり、生存期間は伸びている。それでも、横隔膜筋肉や、心筋に病気が進展するため、寿命は短い。現在、一部の変異には、エクソンを飛ばす遺伝子治療や筋肉幹細胞移植が期待されているが、まだ開発段階といっていい。
今日紹介するスイス・ローザンヌにあるEPFLからの論文は、ドゥシャンヌ型の筋ジストロフィー(DM)ではミトコンドリアを分解して新陳代謝を高めるオートファジーが低下しており、これを抑えるウロリチンにより病気の進行を遅らせられることをモデル動物で示した研究で4月7日号Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Urolithin A improves muscle function by inducing mitophagy in muscular dystrophy(ウロリチンAは筋ジストロフィーのマイトファジーを誘導して筋肉機能を改善する)」だ。
この論文では、DMの発症後、あるいは発症前の患者さんの筋肉の遺伝子発現を調べると、ミトコンドリアを分解して再生するプロセス、マイトファジーに関わる分子セットが低下していることの発見から始まっている。外野からDMを見ると、どうしてもディストロフィン遺伝子自体に目がいって、背景にある筋肉が変性する細胞学的過程を忘れてしまいがちだが、それでもなぜこのようなことがこれまでわからなかったのかと不思議に思えるほど納得の現象だ。しかも、発症前の筋肉でも見られることから、ジストロフィンの変異により、DMでは初期からマイトファジーの低下が見られることになる。
幸い、マイトファジーを活性化する天然成分ウロリチンA(UA)が、人間に投与すると老化した筋肉のミトコンドリア活性を高めることを、同じグループはNature Metabolismに発表している(Nature Metabolism, VOL 1 , JUNE 2019,595–603 )に発表しており、早速この薬剤をDMモデル動物で試している。
最初に線虫を用いてUAが確かにマイトファジーを活性化し、ジストロフィン欠損線虫の筋肉機能を改善することを確認した後、モデルマウスにUAを投与する実験を行い、PINK1などのマイトファジー分子のレベルが高まり、ミトコンドリアの数が増え、代謝活性が高まり、細胞学的にも生理学的にも、筋肉が活性化されることを明らかにした。
重要なのは、治療により筋肉幹細胞も正常化し、細胞のリニューアルも高まる点で、ミトコンドリア機能改善を通した筋肉自体の機能改善と、細胞のリニューアルの両方を通してDMを改善できることを示している。
最後に、人間のDMにより近いと考えられるジストロフィンとutrophinの両方の分子がノックアウトされたマウスにUA投与実験を行い、25%程度ではあるが、寿命の改善も見られることを示している。
もともとウロリチンAは植物の持つタンニンの一種から腸内細菌により合成される分子で、このグループによりヒトにも投与する研究が行われており、利用へのハードルは低いと思う。ただ、病気の性格上、長期効果を調べる必要があるとすると、実用化までの時間は長くかかることになる。サロゲートマーカーをうまく使うなど、治験の仕組みも見直す必要がある気がするが、思いがけない朗報の気がする。
2021年4月15日
ワシントン大学のJ.Gordonさんの研究室は、細菌叢と代謝栄養の関係の研究で世界をリードする研究を続けており、このHPでも何度も紹介した。一番印象に残っているのは、一卵性双生児で同じ家庭に育ちながら、片方だけが肥満というペアを見つけ出して、マウスに便移植を行うと、肥満の方からの便を移植されたマウスは肥満になったという論文だった(https://aasj.jp/news/watch/424)。よくまあこんなペアを探し出したと思うが、遺伝背景を含め科学で条件を揃えることの重要性をしっかり意識させてくれる研究だった。
Gordonさんの論文を読んできて感動するのは、開発途上国の低栄養児を、腸内細菌叢の科学を通して救うことが臨床的ゴールとしてはっきりしている点だ。その意味で、今日紹介する論文は、このゴールの到達点、すなわち開発途上国の低栄養を改善できる補助食についての治験研究で4月7日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「A Microbiota-Directed Food Intervention for Undernourished Children(腸内細菌叢を標的にした食品による低栄養児の治療)」だ。
この研究で治験が行われた補助食MDCF-2の開発については、すでにこのHPで紹介しているので(https://aasj.jp/news/watch/10582 )詳細は避けるが、無菌マウスや無菌ブタを用いた細菌叢に対するプレバイオの前臨床実験と、第1相の臨床試験の結果開発された補助食だ。重要なのは、バングラデッシュで独自開発できるよう最初から開発を進めている点で、論文を読むだけでバングラデッシュの子供を科学で救いたいという気持ちが強く伝わる論文だった。
今日紹介する論文は、いよいよ第3相臨床試験で、12ヶ月、18ヶ月齢の、慢性的低栄養にさらされているバングラデッシュの小児を無作為化して、一方には一般的な補助食、他方にはMDCF-2を、それぞれ3ヶ月、日常の食事とともに摂取させ、体重などを比較している。
結果は明瞭で、WHOなど小児の成長指標に用いられる身長体重比や身長年齢比で比べると、MDCF-2摂取群の成長率は高い。示されたグラフを見ると、補助食を摂取している期間、MDCF-2摂取群とコントロールの差は明瞭だ。
バングラデッシュの国情から、一人一人に詳しい代謝検査とはいかないので、補助食の影響を確かめるため、採血して血中に存在する5000種類近くのタンパク質についてのプロテオーム解析を行うとともに、便の細菌叢を調べている。この結果、タンパク質の解析から骨格と脳の発達に関わるタンパク質が明確に上昇し、炎症に関わるタンパク質が抑えられていることがわかった。詳しくは述べないが、これまでの研究で健康なバングラデッシュの子供に多い細菌種が補助食により高まっていることがわかっている。
重要なのは、この補助食の目的は決してカロリーなどのマクロニュートリエントを直接改善するのではなく、高々25gぐらいの補助食を用いて細菌叢を変化させ、慢性的低栄養を改善しようとした点だ。まさにプレバイオで細菌叢を期待する方向へ育てることが確かにできることを明確に示した。まさにGordonさんの研究が結実したという実感を得られる。
今わが国メディアではプロバイオやプレバイオの宣伝で満ち溢れているが、このような状況を見れば見るほど、これまでの研究も含めGordon さんの業績を振り返ってみることの重要性がわかる。ともかく感動した。
2021年4月14日
最近はあまり聞かなくなったが、ES細胞やiPS細胞の多能性や分化についての論文が賑わっていた頃、Bivalent promoterとかBivalent genomeという概念が生まれた。
E.Bernsteinによって提唱された言葉で、ES細胞のヒストン修飾を調べると、転写抑制型のH3K27meと転写促進型のH3K4meが同時に存在している領域を指している。その後の研究で、一つの領域に2種類のヒストン修飾が存在していることも証明されている。強くDNAメチル化されている領域に挟まれた谷のように存在するメチル化されていない領域という意味でDNA methylation valles (DMV)とも呼ばれており、多能性を維持するために分化を抑制しながら、分化シグナルにすぐ反応するための巧妙な仕組みだと考えられている。
今日紹介するコーネル大学からの論文はこのDMVに焦点を当て、bivalent genomeでDNAメチル化が抑えられるのに関わる鍵となる分子QSER1を発見し、その機能を明らかにしたという、重要な研究で4月9日号のScienceに掲載された。タイトルは「QSER1 protects DNA methylation valleys from de novo methylation(QSER1はDNA methylation valleysが新たにメチル化されるのを防いでいる)」だ。
この研究ではbivalent promoterの代表として様々な発生過程に関わるPax6のプロモーターを用い、ヒトES細胞でのこのプロモーターの活性を変化させる分子のスクリーニングを、CRISPRによるノックアウトシステムを用いて行い、レポーター遺伝子発現が低下することがわかった分子リストの中のQSER1に着目し、この分子とbivalent promoterとの関係について研究を進めている。
Bivalent promoterの遺伝子発現が抑制されるということは、この領域がメチル化されてしまうことが想像される。そこでQSER1ノックアウトを行うと、期待通DMVとして知られるbivalent genome領域のほとんどが特異的にメチル化されることを確認している。すなわち、QSER1がbivalent genomeのメチル化をブロックする分子であることがわかった。
DNAメチル化の抑制には、新たにメチル化を行うDNMT3などの酵素をこの領域から除外するとともに、メチル化を外すTET1などと協調する必要がある。そこで、QSER1とTET1の関係を中心に研究を進めている。実験は、ゲノム全体のクロマチン構造と、bivalent部位に集まる分子を詳細に検討することで行われており、詳細は省いて結果だけを箇条書きにする。ただ重要な論文なので、多能性や、細胞分化を研究する人には是非自分で原著をあたって欲しいと思う。
結果だが、
QSER1とTET1それぞれのノックアウトではオーバーラップしたDNAメチル化領域が上昇するるが、QSER1ノックアウトの方がよりDMV特異的なメチル化が見られる。 QSER1はより大きなDMV領域のメチル化阻止に関わっている(メカニズムは不明)。 これらの領域にQSER1、TET1は結合しており、逆に新たなメチル化に関わるDNMT3はこの領域から排除されている。 QSER1,TET1それぞれ、あるいは両方をノックアウトしても、ES細胞の多能性の維持には大きな影響はない。しかし、embryoid bodyを形成させて自発的分化を誘導すると、分化の効率が低下する。
最終的には、なぜ大きなDMVにQSER1が選択的に働くのかなど、わからない部分も多いが、bivalent genomeに結合する分子が特定できたことで、またこの分野が進むと思う。
これまでbivalent promoterというと、多能性幹細胞の研究と同義語だったが、ガンで同じようなbivalent genomeがリプログラムされてくることが明らかになっており、俄然注目が集まってきた。この分子がわかったことで、ガンにおけるエピジェネティックリプログラミングの理解も進むと期待している。
2021年4月13日
一般の人には双極性障害という言葉は馴染みがないかもしれないが、以前は躁鬱病と言われていた気分障害で、基本はうつ病と同じだが、その中で気分が高揚するそう状態が現れるケースをさす。一見うつ病に近いように思えるが、統合失調症と重なる点が多く妄想や幻覚も発生する。また遺伝子相関を調べると、うつ病より統合失調症と重なる点が多い。この遺伝子相関の中でも注目されているのが、インシュリン受容体をはじめ様々な増殖因子受容体の下流シグナルの核となるAKT1やAKT3遺伝子の変異で、いずれも両疾患で高い相関が見られる遺伝子として知られる。
今日紹介するウィスコンシン大学からの論文は、遺伝子相関からさらに一歩進めて、AKTシグナル経路の活動について双極性障害と統合失調症の脳で比べた研究で5月5日発行予定のNeuronに掲載された。タイトルは「Akt-mTOR hypoactivity in bipolar disorder gives rise to cognitive impairments associated with altered neuronal structure and function(双極性障害で見られるAkt-mTOR活性の低下が神経細胞の機能と構造を変化させ、認知障害を発生させる)」だ。
この研究のハイライトは凍結脳組織を集めた一種のバイオバンクから、統合失調症、双極性障害、そして健常人について、言語野を含む脳領域の組織片を手に入れ、オーソドックスなウェスタンブロッティングを用いて、AktとmTOR経路の活性を、リン酸化の程度で調べたことだ。このような実験は、かなり以前にはよく行われていたように思えるが、それぞれのシグナル経路とその機能が明らかになった今、もう一度調べ直すことの意味は大きい。
この研究では、双極性障害をさらに、男女、および幻覚/妄想などの精神症状の有無でグループ分けして比較している。
結果だが、PI3K、AKT、mTORとこのシグナル経路の核になる3種類の分子のリン酸化の程度が、妄想などサイコーシスがない双極性障害、しかも男性だけではっきりと低下している。一方、統合失調症の同じ領域ではmTORの発現量が少し低下しているかなという印象はあるが、リン酸化の程度は全く変化がない。
さらにこのシグナルの下流分子のリン酸化を調べ、やはり男性のサイコーシスのない双極性障害(BP-NP)だけでオートファジーに関わるULK1や翻訳に関わるp70S6Kなどのリン酸化が低下していることを発見する。
人間の脳での実験はこれだけで、双極性障害の男性で、サイコーシスがない場合だけでPI3K、AKT、mTORとその下流のシグナルが低下していることが明らかになった。
あとはマウスの前頭皮質にAKTのドミナントネガティブ型遺伝子を投与して、このシグナルを低下させた時に起こる変化を調べ、空間と物体の認知を合わせて調べる課題が強く抑えられること、さらにこれに呼応して錐体神経の樹状突起のスパインの数や形態が大きく変化し、また神経興奮も低下していることを示している。ただ、マウスではオスメスで差が見られず、人間の状態を再現するまでには至っていない。
以上、マウスの実験はあくまでも添え物で、患者さんの脳をウェスタンブロッティングによるリン酸化タンパク質の定量というオーソドックスな方法で、AKT-mTOR経路のシグナル低下があることを示した点だろう。今後は、マウスの実験もオプションとしてはあるが、mTORを抑える治療を行った患者さんの脳症状を調べたり、あるいはiPSを用いた研究で、この異常のさらに上流の原因に迫るることが必要になると思う。
以前は精神疾患の脳組織の代謝を調べる実験はよく行われていたような気がする。しかし、それぞれの分子の機能がわかってきた今、もう一度見直してみると、新鮮な発見があることがよくわかった。
2021年4月12日
ガン細胞が発現する抗原に対する抗体とT細胞受容体を組み合わせた遺伝子を、自分のT細胞に導入してガンを障害するCAR-Tについては、すでに10回以上紹介している。事実、2014年にThe New England Journal of Medicineに掲載されたリンパ性白血病再発例に対するCAR-Tの効果を知ったときは、ガン治療の新しい時代が来たと確信した(https://aasj.jp/news/watch/2309 )。
しかしあれから10年近く経って振り返ってみると、半分近くはCAR-Tの効果が失われ、いまだに固形腫瘍治療はうまくいっていないことから、大ブレークとは行かなかったようだ。すなわち、ガンを効率よく障害するための至適な条件がまだわかっていない。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文はCAR-T刺激が続くことで起こる細胞の疲弊を、持続的刺激を止めることで抑えてキラー活性を復活させる方法についての研究で4月2日号のScience に掲載された。タイトルは「Transient rest restores functionality in exhausted CAR-T cells through epigenetic remodeling(一過性にCAR-Tを休ませることでエピジェネティックな再構成が起こり機能が回復する)」だ。
T細胞は刺激を受け続けると、疲弊して機能が失われる。これが免疫が一過性で終わる重要な要因で、本庶先生のチェックポイント治療も、この疲弊を止めるものだが、刺激システムをエンジニアしたCAR-Tでも同じ疲弊はおこる。
このグループは、抗原が存在しない時でも、CAR-T受容体が自然に重合してシグナルが入ることが疲弊の原因でないかと以前から提案しており、これを確かめるためにCAR受容体のタンパク分解を薬剤で調節できるシステムを構築し、一定期間CARからのシグナルが止まるようにしたCAR-Tを作成して、CAR―Tを休ませる効果を調べている。
結果だが、CARを分解させてシグナルを一定期間止めたあと、もう一度機能を調べると、抗ガン活性が大幅に改善する。この原因について細胞レベルで詳しくみてみると、4日程度休ませることで、PD-1も含め疲弊型の遺伝子発現が抑えられ、逆に記憶T細胞型の遺伝子発現が高まる。ただこの効果は、PD-1に対する抗体の効果を遥かに上回る、大きな遺伝子発現の変化を伴っている。また、抗ガン効果もPD-1抑制と比べて高い。
この大きな変化の原因を知るため、ATAC-seqを用いてクロマチン構造を調べると、休ませることにより、記憶T細胞型遺伝子のクロマチン構造がオープンになり、逆に疲弊型クロマチン構造が閉じることがわかった。さらに、このような多くの変化の誘導に関わるポリコム遺伝子によるヒストンのメチル化を調べると、ポリコム分子依存的に疲弊型のクロマチン構造が、記憶型に変換することが明らかになった。
話としてはこれで十分だが、この研究では実際の臨床を想定して、CAR-Tをエンジニアするのではなく、薬剤で同じ効果が得られないか調べ、最終的に特異性の低いチロシンキナーゼ阻害剤dasanitibを、CAR-T投与後1週間に3日づつ投与して休ませることで、抗腫瘍効果を高められることを示している。
結果は以上で、チェックポイントだけでなく、T細胞の状態をモニターしながら、休ませるときには休ませると、高い効果が得られる可能性を示唆する重要な研究だと思う。
2021年4月11日
昨日に続いて人類進化の論文を取り上げることにした。
昨日取り上げた2篇の論文からもわかるように、人類の歴史を知る上でゲノムに残された情報解析は欠かせない。しかし、ゲノム情報を媒介するDNAの化学的性質上、必ずどこかで分解の壁が立ちはだかる。事実どれほど保存状態がよくても、100万年前のゲノム解析がようやく可能になったというところだ(https://aasj.jp/news/watch/15022 )。
しかし猿から人間への大きな変化は大体150〜200万年前に起こっているため、この過程は今も残された頭蓋骨の化石と、残された石器の精巧性などから判断していくしかない。
例えばこのHPに書いた「生命科学の現在」の中の「言葉の誕生」(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954 )を開いていただき、「道具と言葉」のセクションを見ていただくと、アウストラロピテクスから直立原人の過程で、体格の男女差がなくなることの記載がある。このことは、メスをめぐるオスの競争が無くなった、ひょっとしたら一夫一婦制が成立したのではないかと考えられていることが窺える。もし一夫一婦制だとすると、このような社会性を可能にする脳の発達が起こったことになる。
現段階でこのような変化を知るためには、例えば社会性に関わる脳領域についての解剖学に基づき、脳各部位を比較することが重要だが、もちろん脳実質は残っていない。従って、脳実質の構造に合わせて発達した頭蓋内部の構造から、脳実質の変化を検証する必要がある。
今日紹介するスイスチューリッヒ大学からの論文は、様々な原人の頭蓋骨の内部の形態から、サルから人類への変化を定義し、言語やを含む前頭葉の大きな再構成が150万年前のアフリカで起こったと結論した研究で、4月9日号のScienceに掲載された。タイトルは「The primitive brain of early Homo (初期人類の原始的脳)」だ。
今までサルから人間へ、脳が大きくなったと簡単に済ませてきたが、現存のサルと比べると、脳の中心前溝を中心とした、脳溝の位置からより詳しく定義できることがわかる。この研究では、この脳溝の位置を、発達期に頭蓋内部に残された線から推察できることを示し、この方法をこれまで出土した様々な頭蓋に当て嵌め解析している。
最も大きなポイントは、頭蓋が合わさるときに形成される縫合の一つ、冠状縫合と中心前溝に対応する線が交差するのがサルで、その後二股状になった後、直立原人と呼ばれる最も人間らしくなった人類では、完全に分離して並行した2本線になる過程を、多くの頭蓋を集めて解析している。
結果だが、これまで人類に近いか、サルに近いかと議論が続いていた、グルジアで発掘されたドマニシ原人を、直立原人の亜種では無く、類人猿型の脳だと断定している。
同じようにケニアで発掘された170万年前のホモ・ハビリスもサル型だが、同じケニアで発掘された150万年前の頭蓋は、サル型から中間型、そして人類型が混じっており、おそらくこのとき人類型の変化が起こったと提案している。事実、高度なアシューリアン型石器への変化もこれに呼応している。
以上が結果で、ドマニシ人の結果は、まだ人間型の脳を持たない原人もアフリカから移動することがあったことを示すとともに、人間型脳への変化は、やはりアフリカで起こり、しかも同じ時期の頭蓋の多様性として示されていることがわかった。
このような論文を読むと、解剖学の凄さがよくわかったし、知人で言えば倉谷さんや小藪さんの顔が浮かんでくる。
2021年4月10日
5−6万年前、ホモサピエンスが中東でネアンデルタール人と交雑しながらも、均衡を保って生活していたのに、その後急速にホモサピエンスがネアンデルタール人の領域に侵入し、4万年前にはほぼ全てのネアンデルタール人が滅びる。この時何がホモサピエンスの優位をもたらせたのか、その違いを明らかにするのにゲノム上でのネアンデルタール人との関係の記録は重要だ。しかし、ホモサピエンスがユーラシアに進出してすぐの人骨がこれまでほとんど解析できていない。
ずいぶん前に紹介したように(https://aasj.jp/news/watch/3635) 、ルーマニアで発見された4万年前後のホモサピエンスは、4−6世代前の先祖がネアンデルタールと交雑をした証拠が残っており、ホモサピエンスがユーラシアに進出した当時、ネアンデルタール人との交雑が頻繁に行われていたことを窺わせられるが、これまでヨーロッパで発見された4万年以前のホモサピエンスは、現在のユーラシア人とはゲノム的に全く異なる系統であることが分かっており、おそらくいずれかの時点で絶滅した系統と考えられる。
一方、中国北京近郊の田園洞窟で発見された4万年前のゲノムは、間違いなく現代ユーラシア人の先祖であることがわかっている。このことから、現代人の祖先、田園洞窟人と、ユーラシアに踏み出した時期のホモサピエンスをつなぐゲノムの探索が行われていた。
今日紹介するドイツ・ライプチヒのマックスプランク研究所のペーボさんたちがNatureに発表した論文、
および、同じドイツ・イエナにあるマックスプランク人類歴史科学研究所から˜Nature Ecology & Evolutionに発表された論文、
は、このミッシングリンクに存在する4万年以上前のホモサピエンスのゲノムを解析した研究だ。
ライプチヒ論文はブルガリアのBacho Kiro洞窟から出土した約43-46千年前の歯や骨からDNAを回収、イエナ論文はやはり45千年前の骨の一部からDNAを回収、それぞれの系統を調べるために多型(SNP)がわかっているフラグメントを精製してSNPマップを再構成し、他の人類のデータと比べている。
イエナ論文で調べた骨は1950年に発掘されたもので、保存のための膠など多くの処理が施されていたため、年代測定ができておらず、最新のテクノロジーを駆使した苦労の結果、35千年以上前までしか推定できていない。ただ、その後のゲノムを用いた解析から、おそらく45千年前以上で、ヨーロッパ最古のホモサピエンスの骨ではないかと推論している。
さて結果だが、Bacho Kiro出土のホモサピエンスは、中国との田園洞窟人、そして現代人との関係で見ると、明らかに共通するSNPが多く、田園洞窟人、そして現代ユーラシア人へとつながるミッシングリンクを埋めるホモサピエンスが発見されたことになる。日本人にとっても重要な発見になる。
一方チェコで発見された人骨は、現代人との近縁性は希薄だが、よりヨーロッパ人に近い。おそらくBacho Kiro人も含めこれまで発見された4万年前後のホモサピエンスとは、早く系統が分かれていたことがわかる。
面白いのはネアンデルタール人との交雑記録で、Bacho Kiro人ゲノムには、長いネアンデルタール人ゲノムが保持されており、6世代前には交雑があった証拠が残っており、ユーラシアに進出してから交雑がかなりの頻度で起こっていたことをうかがわせる。これに対して、チェコで発見されたゲノムには、最初の中東で起こった両者の交雑の痕跡以外は見当たらず、ユーラシア進出以降もまだネアンデルタール人との交雑がないグループであることがわかった。
結果は以上で、ホモサピエンスのユーラシア進出が、一つのグループだけで起こったのでは無く、いく波にもわかれて行われていたことを示している。また、それぞれのグループのネアンデルタール人との関係も異なっていたようだ。そしてその中の一つ、ブルガリアで発見されたグループは氷河期を生き延び現代人へつながるグループにつながっていたと結論できるだろう。今後、それぞれのグループの遺物の解析を通して、文化やさらには言語に至るまでわかるようになるかもしれない。
これらの発見については、アフリカでのホモサピエンス形成も含めて、ジャーナルクラブでまとめて見たい。
2021年4月9日
1型糖尿病は典型的な自己免疫病で、膵臓のベータ細胞の自己抗原に対するT細胞による細胞障害や、炎症により、β細胞が失われる病気だ。ただ細胞性免疫だけで無く、総合的な自己に対する反応が起こっていることは、発症の随分前からインシュリンやGAD65に対する自己抗体が検出されるケースがあり、T細胞と共に、ベータ細胞が失われる過程に関わるのではと考えられてきた。それなのに、「自己抗体により1型糖尿病の発症が遅れるとは、何かの間違いではないか」と思われた人も多いのではないだろうか。
今日紹介するミネソタ大学からの論文は、自己抗体にも病気にとって良い自己抗体があり、SerpinB13に対する自己抗体はなんと1型糖尿病の発症を遅らせる可能性があることを示した研究で4月7日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「SerpinB13 antibodies promote β cell development and resistance to type 1 diabetes (SerpinB13 に対する自己抗体はβ細胞発生と1型糖尿病への抵抗性を獲得させる)」だ。
SerpinB13はタンパク分解酵素カテプシンL の阻害分子で、組織中のプロテアーゼを阻害して組織損傷の広がりを止め、また臓器発生を一定のレベルで抑えることにも関わることがわかっている。このグループがなぜ膵臓のβ細胞とSerpinB13の関係に注目したのかはよくわからなかったが、膵臓発生にこの分子の関与があるかどうかを調べるため、マウスの12日齢の胎児膵臓を培養し、これにSerpinB13を添加する実験を行い、期待通り膵臓の内分泌細胞の発生が強く抑制されること、逆にSerpinB13に対する抗体を同じ培養系に加えると、内分泌細胞の数が倍になることを発見する。すなわち、SerpinB13は膵臓の内分泌細胞への分化を阻害すること、SerpinB13自身も膵臓で発現することで、内分泌細胞への分化を調節していることを示している。
次に、実際の発生過程でも同じことが見られるか、妊娠マウスにSerpinB13抗体を投与して胎児の膵臓発生を調べると、内分泌細胞が16日目で増加し、インシュリン分泌細胞の数も50%ほど増加する。
さらにストレプトゾトシンによるβ細胞の障害からの組織修復過程にSerpinB13に対する抗体の効果を調べると、インシュリン分泌細胞の数が増加している。また、抗体処理をした母親から生まれたマウスでは、膵臓の内分泌細胞、特にベータ細胞が増加しており、ストレプトゾトシンによるベータ細胞数の低下を抑えることができる。
そこで、SerpinB13の内分泌細胞分化への阻害効果のメカニズムを調べると、膵臓の内分泌細胞への分化を抑制するNotchシグナルがSerpinB13により調節されることで、内分泌細胞の過剰分化が抑えられており、SerpinB13に対する抗体はこの抑制を外すことがわかった。
ここまでは、SerpinB13の機能を制御して、うまくいけば膵臓β細胞数を操作できるかもという期待で終わるのだが、この論文では最後に驚くべき結果が示される。すなわち、SerpinB13に対しては自己抗体を持っている人がかなりの割合で見られ、1型糖尿病発症前から経過を観察して、1型糖尿病発症の予防手段を探るコホート集団でみると、リスクが高いほどSerpinB13に対する自己抗体が低い。そして、7年後の経過を見ると、SerpinB13に対する自己抗体を保有している人ほど糖尿病の発症が遅れることが明らかになった。実際に、自己抗体がSerpinB13のプロテアーゼ阻害効果を抑えることも確認しており、実験モデルと同じ役割で、1型糖尿病の発症を抑えていると考えられる。
結果は以上で、最後のデータをまとめると、何らかのきっかけでSerpinB13に対する自己抗体ができると、それまで抑えられていた内分泌細胞への分化が誘導され、失われたβ細胞を補ってくれるという結論になる。
これまで、発症前の1型糖尿病治療は、免疫系を抑えることだけと考えてきたが、免疫系が再生を助けることもあるのだと知り、本当に感動した。
2021年4月8日
例えば統合失調症の患者さんに現れる幻覚は、おそらく知識がないと、本当のことだと騙されてしまうのではないだろうか。それほど確信に満ちているのがサイコーシスで見られる幻覚や妄想だ。ではなぜ妄想や幻覚が生じるのか?以前解離体験の論文で紹介したように、ドーパミンの分泌を高めると幻覚が生じることが知られており、またドーパミン受容体阻害剤は統合失調症治療薬として使われている。しかし、この過程を動物で研究することは簡単でない。というのも、幻覚や妄想は、周りが見ていないものを見ていると主張する症状なので、主観的な体験をレポートする能力がない動物では実験ができない。
今日紹介する米国コールドスプリングハーバー研究所からの論文は、マウスに幻覚を誘導し、それを客観的に検出できるようにし、幻覚の回路を明らかにしようとした研究で4月2日号のScienceに掲載された。タイトルは「Striatal dopamine mediates hallucination-like perception in mice(線条体のドーパミンがマウスの幻覚様感覚を媒介する)」だ。
さて、どのようにして幻覚を誘導し、それをどのようにして検出するか?ホワイトノイズの中でシグナル音が聞こえたか、聞こえなかったか判断させ、成功すると褒美を与える。この時、5%ぐらいの成功例では褒美が出ないようにしておくと、マウスは一定時間褒美を期待してバーを押し続ける。ただ、シグナル音が聞き取りにくくて自信がない場合は、すぐに判断ミスと諦めるのが普通だ。
このシステムで、もし幻覚が生じたとすると、当然自分が感覚したという自信があるので、なぜ褒美が出ないだろうかと長くバーを押し続けることが期待できる。まずこの予想が正しいかを、音を聞かせる確立を増やしたセッションで、音が聞こえるはずだという期待を高め、聞こえないのに聞いた気になるかどうか調べると、自信を持って聞いたと幻覚している確率が上がることがわかる。
さらに、以前紹介した幻覚を誘導するケタミンを投与して、同じ課題を行わせると、幻覚が発生する確率が上がる。
これを幻覚と結論してもいいのだが、この研究では念を入れて、同じような課題を人間に行わせ、聞こえていない音が聞こえたとレポートしてもらう実験を行うと、マウスとほとんど同じ結果になる。また、正常人の対象だが、様々な精神的症状についてアンケートをとると、この課題で幻覚が現れる確率が高い人ほど、幻覚が現れやすいと自分で答えており、他のサイコーシスの症状も持っていることがわかった。
このように、人間の幻覚に近い現象がマウスでも再現できることを確認した上で、この課題を行なった時、幻覚が現れた行動でのドーパミン神経の反応を見ると、線条体でのドーパミンが、幻覚が現れる少し前に現れ、またそれぞれの部位を光遺伝学的に刺激すると、幻覚が現れる確率が上がることを確認する。そして、腹側側の線条体の興奮が、褒美への期待に関わり、線条体尾部での興奮は、幻覚が現れることへの予想に関わることを発見する。そして、線条体尾部への刺激により、幻覚が現れ、それをドーパミン受容体阻害剤で抑制できることを明らかにしている。
以上が結果で、聞こえるぞ、聞こえるぞと期待した時、聞こえてしまう幻覚と同じとしているなど、少し気になる点もあるが、幻覚の回路を検出しようとし柔軟な脳には恐れ入った。
2021年4月7日
体も精神も、発達期に決まっていくことは多くの研究から明らかになっている。中でも注目されているのは腸内細菌叢の役割で、細菌叢の発達の異常は、成長後の代謝疾患やアレルギーの原因となることがわかってきて、「腸内細菌を育てて将来の健康を実現する」は、多くの国が国を挙げて取り組むモットーになっている。
腸内細菌叢の発達とアレルギーについては先月YouTubeで取り上げたので是非ご覧いただきたいが(https://www.youtube.com/watch?v=Ht9FD38lS74&t=386s )、出生直後の細菌叢の発達は、出産の様式(経膣分娩か帝王出産かなど)と、母乳により決まると言っていい。従って、細菌叢を育てる理想の母乳の研究が進められている。
今日紹介するスペイン・バルセロナのInstitut de Recerca Sant Joan de Déuからの論文は、理想の母乳を求める研究の一つで、母乳に含まれるベタインが腸内細菌叢を育てて、将来の肥満や糖尿病リスクを抑える効果があるとする研究で、本当だとすると重要だ。タイトルは「Increasing breast milk betaine modulates Akkermansia abundance in mammalian neonates and improves long-term metabolic health (母乳のベタイン含有量が多いほど新生児のakkermansia細菌数が増加し、長期の健康的代謝状態を実現する)」だ。
この研究は、母乳の様々な成分と、子供の成長との相関を調べるコホート研究の一環として、葉酸サイクルとメチオニンサイクルから生まれる様々なone carbon metabolitesの量と、1ヶ月、12ヶ月次の体重との相関を調べた結果、6種類の代謝物の中で、ベタインの量だけが、子供の肥満と逆相関することを発見したことに始まる。
人間を用いた調査はここまでで、あとはコホート参加者をさらに長期に追跡し、成長後の代謝への影響があるかどうかを調べる必要があるが、かなり高い相関だったので、とりあえず動物実験で母乳のベタインの影響を調べることにしたようだ。
研究は簡単で、授乳中の母親にベタインを食べさせると、母乳中のベタインが数倍上昇する。新生児をランダムに、ベタインを食べさせた母親と、普通の食事を摂取している母親に育てさせ、成長後6週目に調べると、脂肪量が強く抑制され、体重も抑制され、さらにIL-6濃度からわかる自然炎症も低下していることが明らかになった。
さらにこれらのマウスが24週齢に成長するのを待って、様々な代謝指標を調べると、肥満の抑制、白色脂肪細胞量の低下、さらにはグルコーストレランスまで大きく改善している。また、同じ実験を太らせた母マウスを用いて行っても同じで、ベタインが母乳に含まれているとそれを飲んだ子供の成長後の代謝は改善している。
次に、ベタインの影響が腸内細菌叢を介して起こっているのか調べるために、母親にベタインとともに抗生物質を摂取させ、母乳に含まれるようにすると、抗生物質入り母乳はベタインの効果を打ち消すことがわかり、ベタインの効果が腸内細菌叢を介して起こっていることを確認する。
では、どの細菌がベタインにより変化するのか調べると、2週間目で明らかにベタイン摂取の子供で細菌叢が変化していることが明らかになった。しかし、6週目ではこの変化は全くなくなるので、母乳摂取時だけの一時的変化であることがわかる。
さらに詳しく細菌の違いを調べると、成人で肥満を抑える効果が知られているAkkermansia数がベタイン摂取で増えていること、さらにベタインの代わりにAkkermansiaを1〜3週まで母乳と共に摂取させても、成長後の代謝異常を予防する効果があることがわかった。
結果は以上で、マウスの実験ではあるが、母乳期にAkkermansiaが育っていると、将来の代謝異常を予防することができるという結果だ、今後、人間のコホートでもこれを確かめる必要があるが、もしこの結果が正しければ、母乳期にベタインを積極的に補充することは、プレバイオとして定着するような気がする。