2020年7月9日
2018年1月、テキサスのベーラー医大、オレゴン大学、オランダ・ライデン大学、そして英国のサンガー研究所が共同で、トレハロースを栄養源として増殖できる病原性の高いクロストリジウム(CD)が選択的に増えることが、2000年以降トレハロースの価格が低下し利用拡大と並行してこの感染症が増加した原因であるとするショッキングな可能性を示した。
以前紹介したように(https://aasj.jp/news/watch/7897 )、この研究は系統的に離れているCD系統RT027とRT078が共に毒性が高いことに注目し、それぞれが系統進化とは別に、腸内環境での高い増殖能力を獲得したのではと考え、増殖優位性を与える遺伝子を探索した結果、これがトレハロースを利用して増殖するための遺伝子セットであることを明らかにした。
この結果はNatureに掲載されたこともあり、外国では大きく報道された。勿論このHPでも紹介し、「大至急臨床の現場でも確かめる必要がある」 と結論した。と言うのも、この研究の大半は動物を用いた研究で、臨床的検討は限られていた。
その後、この話題は私の頭の中から消えていたが、数日前株式会社林原の研究員の方から、臨床的な検討の結果トレハロースの濡れ衣を晴らしてくれた論文が昨年発表されているとの指摘を受けた。
早速読んでみて、ベイラー医科大学の論文を紹介した以上、今回の論文も紹介すべきだと考えたので、ここに紹介する。実際には別々のグループから2報の論文が発表されているが、EBioMedicineにオックスフォード大学から発表された論文が包括的なのでそちらを紹介する。
この研究は、まずこれまで全ゲノム配列が明らかにされている臨床例から分離された5232株のCDを比較し、臨床例から分離されCDの多くが、レファレンスCDのゲノムと異なり、トレハロース利用セットの遺伝子群を持っていることを示し、特にRT027が属している系統群ではほとんどが同じ遺伝子群を持っていることを明らかにした。すなわち、トレハロース利用能は病原性とは無関係に、クロストリジウム進化の早い段階で獲得された形質であることを示した。
さらに、CD感染症200例あまりから分離したCDの解析から、感染による死亡とトレハロース利用能に有意な相関がないことも示している。
以上の結果は、臨床例からの結果は、主に動物モデルを用いた先の論文と完全に相反することを示している。この結論の妥当性をさらに示すために、著者らは欧米でのトレハロースの輸入とCD感染症との相関性がないこと、また試験管内培養系ではトレハロースがCDの毒素産生を誘導するわけではないことも示している。
以上、抑制的ではあるが明確にベイラー医大の研究を否定した論文で、臨床例を直接扱っていることから、信頼していいように思う。
このように結論が真っ向から対立する研究は、科学では当たり前のことだ。ただ、内容が食の安全に関わる話だけに、両グループが討論できる場が設けられることが重要だと思う。
2020年7月9日
私たち世代にとってストレス反応=ハンス・セリエで、彼のStress in Lifeを読んだ時、病気を特有の症状から考えるだけではなく、病気全体に共通の症状から考えることの重要性を説いた彼の主張になるほどと納得したのを今も覚えている。このとき精神と身体を結合させているのが、コルチコステロイドで、この考えは今でも色あせていないと思う。
しかし、ストレス自体の定義は多様化してきている。今日紹介するイェール大学からの論文はIL-6もストレス反応のメディエーターとして重要な働きをしていることを示した研究で7月23日号のCellに掲載されている。タイトルは「Origin and Function of Stress-Induced IL-6 in Murine Models (マウスでストレスにより誘導されるIL-6の起源と機能)」だ。
この研究ではストレスにより誘導されるサイトカインを探索して、IL-6が様々なストレスで急速に誘導されることを発見する。そこで、ストレスに反応してIL-6を生産する組織を探索し、この反応は副腎のコルチコステロイドとは独立の反応で、交感神経の刺激により褐色脂肪組織から産生されることを突き止めている。
次に、IL-6により媒介されるストレス反応の身体的影響を調べ、エネルギー収支とは独立に、IL-6が血中グルコース濃度を高めることを明らかにする。様々な糖代謝検査を行った結果、この血中グルコース上昇は、IL-6が肝臓に働いてPck1やG6Pcなどグルコース新生に関わる分子が誘導されて起こるグルコース新生の結果であることを明らかにする。
一方で、ストレスによりIL-6の血中濃度が高まると、LPSによる炎症性ショックに対して感受性がたかまり、ショックによる死亡率が上昇する。
結果は以上で、最後のエンドトキシンショックへの感受性と、それ以前の話のつながりが悪く、Cellのレベルには達していないかなとも思うが、1)神経ストレスで交感神経が興奮、2)その結果褐色脂肪組織でIL-6が誘導され、3)それが肝臓に働いてグルコース新生を誘導する、というシナリオについては、代謝のリプログラムがストレスを受けて次の状況に備えるために誘導されるという点では十分納得できる。
例えばギリギリの状態で身体能力を発揮しているプロスポーツ選手を考えてみると、ストレスで利用できるグルコースが上昇することは、それ以降の身体能力発揮には重要だが、その分さらなるストレスへ無防備になると考えればいいのだろうか。
論文としては驚くほどではなかったが、しかし代謝学が急速にメジャーな領域に再登場してきているのがわかる論文だった。
2020年7月8日
高齢者になると、骨髄移植は原則困難なので、急性骨髄性白血病(AML)の治療は難しい。最近になって、メチル化阻害剤のデシタビンやアザシチジンが使える様になり、病気の進行をある程度抑えることができる様になったが、治癒には程遠い。この様な薬剤による治療がうまくいかない背景には、白血病細胞集団の中に存在するガン幹細胞が薬剤では叩ききれないためと考えられ、幹細胞の増殖を抑える方法が研究されてきた。最近になって、AML幹細胞がCD70とCD28(リガンドと受容体)の両方を発現して刺激を維持することで増殖していることがわかっていた。そこで、CD70に対する抗体を使ってAMLを治療する試みが始まっている。
今日紹介するスイス・ベルン大学からの論文はCD70に対する抗体とメチル化阻害剤(人間の場合アザシチジン)を組み合わせることで、半数の患者さんで白血病を抑えることが可能であることを示した重要な研究で6月29日号Nature Medicineに掲載された。タイトルは「Targeting CD70 with cusatuzumab eliminates acute myeloid leukemia stem cells in patients treated with hypomethylating agents(CD70に対する抗体Cusatuzumabは、メチル化阻害剤で治療を受けている患者さんの急性白血病の幹細胞を除去できる)」だ。
かなり詳細な実験が行われているので、個々の実験についての解説は省いて、研究の流れと、結果の要約だけを紹介する。
この研究はメチル化阻害剤で白血病細胞を処理すると、CD70が上昇するという発見から研究を進めている。これはCD70遺伝子の転写調節領域のメチル化が外れることでおこり、白血病の幹細胞のCD70抗体による治療を容易にすることがわかる。そしてこの可能性を、白血病細胞を移植したマウスの治療実験で確かめ、メチル化阻害剤とCD70抗体の両方を投与した群では、ほぼ完全に白血病細胞を除去できることを示している。
次に、白血病抑制のメカニズムについて検討し、メチル化阻害剤がCD70の幹細胞での発現を高めると同時に、分化した白血病細胞の除去に貢献し、一方でCD70抗体は、CD70/CD28シグナルを抑えると同時に、NK細胞など抗体依存性細胞障害機構を使って、幹細胞を除去するという2段構えになっていることをモデル実験系で示している。
この研究が重要なのは、上記の前臨床研究をもとに、平均年齢75歳の高齢者のAMLを対象にPhaseI/IIの治験が含まれている点で、最初異なる用量のCD70抗体を投与した後で、アザシチジンとCD70抗体を組み合わせる1ヶ月ごとの治療プロトコルを12人に投与、経過を観察している。
結果は上々で、全てのCD70に対する抗体量で治療効果が見られ、そのうち10人ではcomplete remissionが見られている。このうち1例は骨髄移植を行えたので中止、また4例は再発により治験を中止している。しかし残りの6例は治療を継続しており、最初に治験に参加した2人は2年近くcomplete remissionのまま経過している。
高齢者のAML治療のこれまでの状況から考えると、かなり有望な方法に思える。今後第3相が行われると思うが、期待している。
2020年7月7日
果糖は文字通り果物に多く含まれる糖で、私が学生の頃は体に悪いという話は全くなかった。その後清涼飲料水の普及に従い、甘み付けに用いられるコーンシロップ中の果糖が肝臓に直接流入して代謝されると、脂肪肝の原因になることが明らかになり、現在では果糖を取り過ぎない様注意が喚起されている。とはいえ、果糖を多く含む果物は今でも健康に良いとされ、摂取が推奨されている。要するに、清涼飲料水の様に一度に果糖を摂取するのが危険ということだが、果糖の安全性を担保してくれているのが、果糖が最初に通る小腸上皮による、果糖の分解能力にあることが最近明らかになった(https://aasj.jp/news/watch/8072 )。
今日紹介する同じプリンストン大学からの論文は、この小腸が果たしている果糖のバリアー機能を、小腸特異的ケトンヘキソキナーゼ(KHK)ノックアウトを用いてさらに明確にした研究で6月22日Nature Metabolismオンライン版に掲載された。タイトルは「The small intestine shields the liver from fructose-induced steatosis (小腸は果糖による脂肪肝発生の障壁になっている)」だ。
繰り返すが以前紹介した様に(https://aasj.jp/news/watch/8072 )この研究グループは、果糖を食べると、まず小腸上皮でグルコースとグリセレートに分解されるが、処理能力を超える量は直接肝臓に入って脂肪へと変換されることを明らかにした。
この研究はその続きで、では小腸で果糖の分解ができないとどうなるか、小腸特異的にKHKをノックアウトしたマウスを作成し調べている。結果は予想通りで、小腸で分解できないと、多くの果糖が肝臓に流入し、脂肪酸代謝経路に取り込まれることを示している。
この結果血中のtriglyceridesが上昇、ショ糖を8週間摂取させた時に起こる脂肪肝、脂肪肝の程度がさらに悪化することを明らかにしている。これにより、確かに小腸での果糖分解が肝臓を守ってくれていることが明らかになった。
では、小腸で果糖分解能を高めてやればどうなるのか?KHK遺伝子を小腸特異的に過剰発現させたマウスを作って調べている。これも予想通りで、果糖はほとんどグルコースへと転換され、肝臓へ直接移行する量は抑えられる。これに伴い、脂肪代謝経路に取り込まれる量が低下する。
面白いことに、小腸での果糖分解が上昇すると、果糖を避ける様になり(フルクトース1リン酸の蓄積によると考えられる)、このマウスでは脂肪肝が抑えられるかどうかを示すことはできていない。しかし、脂肪代謝から見て、小腸のKHKレベルが果糖の肝臓毒性を和らげていることは間違いない。
これらの結果から、前回述べた様に果糖の毒性を和らげる最大のポイントは、小腸での果糖代謝能力を上昇させ、小腸の処理能力を超えて一度に摂取しないという戦略が成立する。これを確かめるため、同じ量の果糖を4回に分けてとるグループと、一度に摂るグループに分けて調べると、同じ量を摂取しても脂肪代謝経路への取り込みはほとんど上昇しないことを明らかにしている。すなわち果物の果糖は他の成分とともにとるため、少しづつ溶け出して処理されるから健康に良いことになる。
このグループのこれまでの研究を総合すると、果糖を使った、甘くしかも体に良い食べ物も設計できるかもしれない。
2020年7月6日
学生時代神経内科学は苦手としていたが、その最大の原因は人の名前が付いている病気が多いことだ。もちろん、この問題は特に自分に特有の問題ではないはずだが、もともと人の名前を覚えるのが苦手だった私には、余計に苦手に感じられたのだと思う。
最近になってこれらの病気の多くが特定の遺伝子の変異による疾患であることがわかり、理屈が分かってくるとだんだん苦手意識は消えてきて、今は知らない名前の病気が出てくると、逆に興味が惹かれる。
今日紹介するCase Western Reserve大学からの論文もそんな一つで、これまで聞いたこともなかったPelizaeus-Merzbacher病の遺伝子治療の開発についての研究だ。タイトルは「Suppression of proteolipid protein rescues Pelizaeus-Merzbacher disease (プロテオリピッドを抑えてPelizaeus-Merzbacher 病を正常化する)だ。
この病気はミエリン形成に関わるとされるProteolipid protein1(PLP1)の変異で起こるが、調べてみるとPLP1の機能は完全に理解できているわけではない。細胞膜上に発現し、ミエリンを形成するMBP1と結合し、ミエリン鞘の圧縮に関わっているとされ、実際この分子の突然変異ではミエリンが形成されないための神経症状で患者さんは亡くなる。しかし、病気が起こるのは遺伝子重複や、活性化変異が起こる場合で、不思議なことに遺伝子機能が完全に欠損した患者さんでは症状が軽い。
この研究は、この不思議な現象をそのまま遺伝子治療に使えないかと考えた。すなわち、アンチセンスRNAを用いて遺伝子の発現を逆に抑えることで治療しようと考えた。
まず活性が高まる変異を持つモデルマウスを作成し、この遺伝子を遺伝子操作したノックアウトマウスを発生させると、ミエリン鞘の圧縮の異常は残るものの、ミエリン形成が正常化し、その結果神経機能が回復することを確認している。重要なのは、脳幹のミエリン形成が正常化することで、震えがとまり、運動機能が回復し、呼吸機能が正常化して、ほぼ正常な活動性が戻ることで、マウスの場合、子供ができることも確認している。
この様に、発生初期からPLP1遺伝子機能をノックアウトすると、症状の多くを抑えることがわかったので、次に生後すぐに遺伝子治療を行った時、症状がどこまで回復するのか調べている。
遺伝子導入のための様々な基礎実験を行なった後、アンチセンスRNAを生後一回だけ脳室内に投与することで、機能をどこまで回復できるか調べている。結果は期待通りで、一回投与するだけで、何もしなければ3週間以内に全例死亡する突然変異マウスで、振戦の消失、運動機能の回復がみられ、少なくとも8ヶ月まで生存できることが明らかになった。また、組織学的にも、遺伝子ノックアウトと比べると回復は劣るものの、ミエリン形成が脳のほとんどの場所で回復していることを示している。
結果は以上で、比較的単純なアンチセンスをしかも一回注射するだけで、1年近く継続する効果が見られるというのがこの研究の最大のポイントだ。すなわち、神経発達期の初期さえうまく乗り越えれば、可塑的に脳発達が可能な例が存在し、治療できるということがわかった。とすると、遺伝子変異をいかに早く見つけて治療するかが重要になるが、そのためには、新生児期に遺伝子治療を可能にするための、遺伝子検査体制が必要になる。おそらく、我が国にとってはここがいちばんのボトルネックになる様に思う。
2020年7月5日
ヒストンはクロマチン構造制御の核になる分子で、真核生物特異的な分子だが、その先祖形は古細菌に見られ、同じ様に4量体を形成しているが、クロマチンの調節に関わる証拠はない。したがって、ヒストンは最初他の機能を持つタンパク質として進化したのが、クロマチン制御に関わるタンパク質へと転換されたと考えられる。
今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校からの論文は、H3-H4ヒストンが、銅イオンの還元酵素として重要な働きを持っている一人二役の分子として働いていることを示した論文で、7月3日号のScienceに掲載された。タイトルは「The histone H3-H4 tetramer is a copper reductase enzyme (H3-H4ヒストン4量体は銅イオン還元酵素だ)」だ。
もともとヒストンが銅と結合することは知られていた様だ。このグループは真核生物が地球上に酸素が蓄積し始めたのに平行して現れたことに着目し、真核生物の象徴であるヒストンが酸素毒性を低減させる還元反応に関わるというストーリーを頭に、まずカエルから調整したH3-H44量体が銅イオンと結合するかどうかの検討から始めている。
結果は期待通りで、H3のヒスチジン113とシステイン110の構成する領域に結合し、シスチンをアラニンに変化させると結合が消失する。そして、銅イオンを還元する活性があることを明らかにした。
次の問題は、ではこの銅イオン還元活性が今も重要な機能を果たしているかだが、酵母のヒストンH3の113番目のヒスチジンをアラニンに変化させると酵母の活動性が低下することから、何らかの機能が存在することが示唆された。
そこで、まず核内で銅イオンを要求する転写因子Mac1の活性をH3の突然変異体を用いて調べると、転写活性が抑えられることから、Mac1は1価の銅イオンにより活性化され、ヒストンの変異により一価銅イオンの合成が落ちることで転写活性が抑えられることを示している。
また、核内だけでなくミトコンドリアでの酸素消費がH3の変異体では低下していることを手掛かりに、ミトコンドリアの酸素消費や活性酸素ディスムターゼなどの活性を一価銅イオンの供給を介して調節していることを示している。
他にも、銅イオン還元作用が高まる変異を分離したりと多くの実験が行われているが、基本はヒストンが銅イオンの還元を通して、核内、核外で一価銅イオンの供給を調節しているという話だ。
古細菌でこの分子が欠損するとどうなるのかとか、クロマチン調節に関わる様になった分子基盤など、好奇心が掻き立てられる面白い研究だった。
2020年7月4日
毎年検診を受ける様にしているが、ガンに関する検査はそれなりに何回か要精密検査と診断され、そのたび精密検査を受けた。さらに、属していた先端医療財団でPET-CTの検診を始めた時、一度検査を受けたこともある。長年そのままにしている唾液腺の良性腫瘍2個が綺麗に検出され、さすがと感心したことがある。いずれにせよ、ガン検診自体はまだまだトライアンドエラーの段階にあると言っていいだろう。しかし、早期発見により治癒確率が上がるということは、医療費削減が見込めるということで、個人の満足だけでなく、ガン治療のコストが上昇し続けている昨今、検診によるガンの早期発見の重要性は増してきている。
特に期待されているのが血清中のDNAからガン特異的突然変異を拾い出す検査で(https://aasj.jp/news/watch/10135 )、これまでのガンマーカーと合わせることでさらに精度を上げられることが示されている(https://aasj.jp/news/watch/7955 )。
今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は、この16種類のガンに見られる突然変異とガンマーカーを組み合わせる検査で陽性と判断された人をPET-CTなどを用いてさらに検証し、この方法が現実的かどうかを調べた研究で7月3日号のScienceに掲載された。タイトルは「Feasibility of blood testing combined with PET-CT to screen for cancer and guide intervention (血液検査とPET-CTの組み合わせがガンのスクリーニングと治療方針設定に役立つか)」だ。
ガンの早期発見のためのスクリーニングが、社会的に意味があるのか今も議論が続いている。というのも、私の場合もそうだが、疑いと診断されると、その後様々な検査を受けることになり、最悪精密検査時の事故すら起こりうる。このコストを考えると、早期発見が可能でも、社会的には意味がないという議論だ。
この研究もこの点をかなり意識した計画になっている。最終的に9911人の65歳から75歳の医療保険システム・ガイジンガーの女性会員から採血し遺伝子検査とガンマーカーを調べ、490人(4.9%)が陽性と診断されている。ただ、この検査は血液細胞の変異を拾いやすいので、再検査を行うが、この時ゲノムを含む専門家が判断するので、かなり複雑な過程になる。この結果、最終的にガンの疑いとしてPET-CT検査に134人が回っている。
ただ、この2回にわたるテストが半年以上かかることが問題で、その間他の検査で陽性としてガンの治療に回った人が3人存在する。さらに、最初のテストで陰性と診断された人の中から67例の人が何らかのガンを発症している。
一方、PET-CTに回された人の中では26例が実際のガンと診断された。とすると、血液検査陰性でガンになった人より数が少ない。ただ、このうち12例は発見が早く、手術による治療を受けている。
この研究の難しいところは、保健システムの会員として別にガン検診を受けていることで、結局普通のガン診断では見つからなかったが、血液検査で発見されたガン患者さんは15例になる。
一方、PET-CTのあと、バイオプシーなどでガンではないと診断された方も22例あり、特に検査による問題は起こらなかったが、血液検査をしても、このリスクはつきまとうことがわかった。
結果はこれだけで、著者らは一定の早期発見が可能なこと、発見の難しい卵巣ガンの発見率が高いことから、かなりポジティブに評価している。しかし、時間がかかることなどを考えると、個人的には我が国の総合的な方法も捨てたものではないと思う。また、DNA検査については、突然変異を探す方法は限界がある様に思った。今後はメチル化DNAを使う方法などに置き換わっていく様な気がする。
2020年7月3日
昨日ロイター通信は、トランプ大統領が新型コロナウイルスに対する3種類のワクチンが米国で近く投与可能になることを記者会見で述べたことを報告していた。あの反ワクチン論者のトランプも新型コロナについに白旗を上げたかと、痛快な気分になるが、ワクチンを待ち受ける市民の気持ちはそう単純でないことを、今日発行のScienceを読んで初めて知った。
フリーランスの記者Warren Cornwallさんの記事で、これほど市民の自由を制限している新型コロナウイルスに対してさえ、ワクチンに強い期待を抱く市民が50%を切るという報告だ。
米国の多くの都市でロックダウンが行われた5月中旬、「もしワクチンが利用可能になったら接種を受けますか?」という質問に対して、受けると答えた人が49%、わからないと答えた人が31%、そして行かないと答えた人が20%に達するという結果だ。
60歳以上の高齢者では67%が受けると答えている一方、60歳以下で受けると答えた人は40%にすぎない。そして最も驚くのは、新型コロナで死亡率が最も高かった黒人層で受けると答えた人が25%、受けないと答えた人が40%にも達する事だ。
我が国でもワクチンの効果についてはSNS上で議論が行われているが、あまりワクチンが危険だという議論は見かけない。しかし米国では、新型コロナウイルス感染が始まった初期から、反ワクチン運動が「感染してもほとんどの人が回復する新型コロナウイルスに対するワクチンは意味がない」とか、「新しいワクチンの安全性は長期的には全く担保されておらず、これまで開発された中では最も危険なワクチン」などと、SNSを通してキャンペーンを行なっていることがこの結果に反映されているようだ。
実際、Youtubeに新型コロナワクチンによる死者が、感染による死者を超えると訴えた反ワクチンビデオは700万ビューを記録し、削除しても削除してもアップロードされ続けているということが5月初めに報道されていた(https://www.cnbc.com/2020/05/07/facebook-youtube-struggling-to-remove-plandemic-conspiracy-video.html )。
ワクチンに対する米国の複雑な事情がよくわかる記事だが、我が国には関係のない対岸の火事と静観していいのか少し気になる。トランプですらワクチンを声高に叫ぶご時世だ。大阪府知事が「ワクチンで新型コロナウイルスに対して反転攻勢」と言うのも理解できるが、世界的に普及し多くの女性を子宮頸がんから守ったことが明らかなパピローマワクチンの副反応問題を、今もなお解決できていない国が我が日本であることも忘れてはならない。
間違いなくワクチンは新型コロナウイルスに対する重要な武器になる。だからこそ、一方的に宣伝するのではなく、ワクチンの可能性と想定される問題について、科学者の言葉で語り始めることが大事だと思う。
2020年7月3日
我が国を含め現在の健康診断は、朝食事を摂らずに採血された空腹時の血液データをもとに判断されている。これは、空腹時のデータがもっとも生活による個人差が少ないと想定されているからだが、グルコーストレランステストなどからもわかる様に、食事に対する反応も私たちの健康状態を知るためには極めて重要だ。
今日紹介する英国キングスカレッジからの論文は食前食後の血液データを様々な条件で集め、動脈硬化や心血管疾患リスクを予測するための、個人に合わせた栄養指導の条件を調べた研究で6月号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Human postprandial responses to food and potential for precision nutrition (食物に対する食後の反応とプレシジョン栄養治療の可能性)」だ。
この研究では食後の変化を加えることで、簡単な指標を組み合わせて疾患のリスクが予想できないか調べることを目的としている。従って、調べるのは糖代謝と脂肪代謝のみで、CGMと呼ばれる持続的血中グルコースモニター、および指先からの血液をろ紙に染み込ませて保存し、その中のtriglyceride(TG)とインシュリン分泌量の代わりとしてC-peptideを調べている。
重要なのはその規模で、なんと1000人のボランティアに、1日は病院内で同じ食事に対する反応を調べ、その後自宅では、研究のために設計した一定の構成を持った食事セットだけを摂ってもらう生活を続け、食前食後、起きている時間はCGMと血液ドライスポットにより継時的に3指標の変化を調べている。
これに加えて、一卵性双生児を用いた遺伝性の評価、遺伝子多型検査、さらには腸内細菌叢まで調べ、どの指標が最終的な心血管障害リスクと相関するのかを徹底的に調べている。
さて結果だがまず驚くのが、同じ食事を摂ってもらっても、食前検査値と比べて食後のそれぞれの検査値には大きな個人差がある。すなわち食後の検査値にこそ、個人的要素が集まっている。そこで、他の血液検査やゲノム検査を総動員して分析した各結果と、食後のTG,CGM,C-peptideの値との相関から、この3指標の値の意味すること、すなわちどの様な個人的要素が数値の背景にあるのかを明らかにしている。
体の基本状態に対応する空腹時の値と異なり、TGやC-peptideにはほとんど遺伝的要因の寄与はない。また、血糖値はその前に摂った食事の内容と強く相関するが、他の2指標では寄与は低い。不思議なことに、血糖値は遺伝性の寄与が高い、などなどだ。要するに、簡単な3指標でも食後のデータには個人個人のデータが詰まっている。
その上で、この意味づけの正当性を確かめるため、機械学習で個人的要素を学習させ、そこから食後の3指標の値を予測できるか調べて、C-peptideは難しいが、TGとCGMの値を予測できることを示し、各指標の意味づけが正しいことを示している。
その上で、食後の10年後の動脈硬化性心疾患リスクを推定するためには、ベースラインになる空腹時の値と、個人差の反映された食後の値を合わせることでより的確な診断が可能であることを示している。
以上が結果で、一見当たり前の様に思うが、実験デザインを追いかけると、食事も含めた総合的な個人の健康を維持するためのプロトコルやアプリ、そして家庭でできる検査を開発していこうという意欲が見える。21世紀最大のテーマの一つで、全く新しい視点が必要だが、そんな萌芽を感じることができた。
2020年7月2日
私たちが運動神経を用いて何かしようとする時、必ず行動の大きなプロットを頭に描いておくことが必要になる。突発事態に対して咄嗟の行動を取れる人は、このプロットが作業記憶の様に頭に入っている。一方、このプロットが用意できていないと結局立ちすくんで終わる。
このプロットのなかで最も複雑なのが言語で、自分で話していてもよくプロットが崩壊せずに長く話せるなと驚いてしまう。これは話すという運動機能を調節する領域で様々な領域からの情報を統合できるからで、これらの領域の活動についての研究は今最も面白い分野と言えるだろう。
しかし、例えば人間でこの様なプロットがどう形成されるのかなどを研究するのは、簡単ではない。代わりに言語と同じ様に複雑なシラブルが組み合わさった鳥の鳴き声を対象として、言葉の構造がどう維持されるのかを理解しようとする研究が行われている。
今日紹介するボストン大学からの論文はカナリアの複雑な鳴き声を分析し、この構造を支える神経細胞を特定しようとした研究で6月24日号のNatureに掲載された。タイトルは「Hidden neural states underlie canary song syntax (隠れた神経状態がカナリアの歌の構造を決めている)」だ。
もう何十年もカナリアの鳴き声をゆっくり聞いたことがなかったので、Youtubeで(https://www.youtube.com/watch?v=JdCypdivLx8 )聞いてみると、様々なシラブルが組み合わさった複雑な構造を持つのがわかった。ただ、私たちの言語と比べると一つのシラブルの長さが長い気がする。
この研究ではまさにこのシラブルを24−37種類のシラブルに分類し、一回の鳴き声では、平均38個のシラブルが合成されること、そしてこの時集められた異なるシラブル間の関係に厳然とした文法が存在することを明らかにしている。すなわちAというシラブルは必ずBというシラブルの後に来ることや、前に来る3フレーズが、そのあとのフレーズを決めていたりと言った法則を明らかにしている。
この構造解析の上に、鳥類の鳴き声をコントロールする中枢HVCの神経活動をカルシウムイメージング法を用いて記録、一個一個の神経細胞が、カナリアの歌のどの要素に関わっているのかを解析している。
もちろん、一つ一つのシラブルに対するニューロンの活動が記録できるが、HVCに投射する神経を拾い出して活動を見ると、シラブルが集まったフレーズに特異的な神経を特定できる。面白いことに、このフレーズ特異的神経の興奮は、声を発している時点だけでなく、一定期間前、あるいは後に特定のフレーズが来る場合に強い反応を示すことがわかった。さらに、投射神経活動は、フレーズの間ずっと活動するのではなく、フレーズの間の一定の時間活動し、いくつかの神経活動がフレーズ全体を支えることもわかる。
実験はこの様に、神経活動を、実際の歌のパターンと相関させる作業だけなので、歌の構造から要素を取り出せば、相関するかどうか様々な解析が可能で、最終的に、HCVに投射する神経は、フレーズを支えるため、過去やこれから出さなければならない未来のフレーズまで、様々なプランが集中しているという結論になる。
結局この研究はこれからの入り口に過ぎないと思う。実際には、光遺伝学を用いた神経興奮や、抑制を通した実験により、文法構造がどう変化するのか、あるいはこの構造を聞いている側の神経活動はどうなのかなど、さらに難しい解析が必要になるだろう。しかし、歌を構造化し、その構造を支えるネットワークの解析は、おそらく私たちの言語の理解にも大きく貢献すると思う。