2019年11月7日
人類は今や80億人に達しようとしている。ゲノムプロジェクトから個々のゲノムは数多くの変異を抱えていることがわかっている。この多様性と向き合うことがまさに臨床医学で、その中から新しい概念や治療法を導き出すのは臨床医学の醍醐味と言えるだろう。
今日紹介するハーバード大学からの論文はインパクトの大きな症例報告になるのではと予感がする論文で、アルツハイマー病の発症を防ぐ突然変異の話だ。タイトルは「Resistance to autosomal dominant Alzheimer’s disease in an APOE3
Christchurch homozygote: a case report(APOE3
Christchurch変異のホモ個体は遺伝性のアルツハイマー病に対する抵抗性をもつ:症例報告)」だ。
前回のジャーナルクラブで紹介したように、アルツハイマー病(AD)はβアミロイド、Tauタンパク質、そしてApoEの3つの分子が絡み合って発症する。しかし、遺伝的アルツハイマー病のほぼ9割はプレセニリンと呼ばれる、アミロイドを切断するγセクレターゼの変異が原因で、この変異でアミロイドのプロセッシングが阻害され、アミロイドプラークが形成されることでADを発症する。
家族性ADの場合ほとんどが50歳までに認知症を発症するのが普通だが、このグループは、プレセニリンの変異を持っているにも関わらず、70歳を超えて軽度の認知障害すら発症しない女性がいることを発見した。すなわち、この女性はアルツハイマー病を発症すべく生まれてきているのに、それを防ぐことができていることになる。
徹底的なゲノム解析が行われ、最終的にわかったのはAPOE3分子のChristchurch 変異と呼ばれる変異を両方の染色体で持っていることがわかった。APOEには4種類あって、ADとの関わりは極めて複雑だ。一般的には重要な遺伝リスクだが、APOE2などは逆にADを防ぐ効果がある。このように、APOE3変異がADを防ぐ可能性は十分納得できることから、著者らはこの変異がADを防ぐ原因であると決めて研究を進めている。
まず患者さんの脳を調べると、期待通り強いアミロイド沈着があるにも関わらず、Tauのフィラメント形成や、脳の萎縮はほとんどないことから、APOE変異により、アミロイド沈着の効果がTauの変化に伝わらず、神経変性が起こらないことを突き止めている。
さらにこの変異APOE3部位がHeparan sulfate proteoglycan結合部位であることから、この結合を阻害することでアミロイドプラークができても脳機能が保てることがわかった。
結果は以上で一例ではあるが、アミロイドプラークができても脳萎縮の起こらない秘密がかなり解明された。おそらくAPOE3のHSPG結合部位を阻害することが新しいAD治療の標的になるだろう。素晴らしい症例報告だと感じ入った。
2019年11月6日
遺伝子変異があるからと言って、遺伝子導入しか治療法がないと考える必要はない。全くタンパク質が作られない変異はともかく、作られたタンパク質の機能異常による病気の場合、欠けた機能を回復させるための薬剤が開発できる可能性がある。この戦略が成功することを示す典型がクロライドチャンネルの一つCFTRの変異に起因する嚢胞性線維症(CF)の薬剤治療で、このHPでも一度紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3450 )。
CF患者さんの約9割(世界全体では73%)は、片方あるいは両方の染色体でCFTRの508番目のフェニルアラニンが欠損した変異タンパクが作られるタイプで、この変異の結果、1)細胞膜への輸送、2)細胞質内での安定性の低下、そして、3)クロライドチャンネルの閾値の低下が起こる。これに対し、それぞれの異常を別々に改善するための薬剤が開発され、臨床治験が行われてきた。その結果、個々の薬剤では大きな改善が見られないが、分子のプロセッシングを改善して細胞表面上のCFTRを増加させるtezacaftorとチャンネルの閾値を下げるivacaftorの組み合わせにより、変異遺伝子をhomozygousで持つCF患者さんには効果が認められることが示された。
今日紹介するテキサス大学を中心とする国際チームの論文は、2剤併用では効果が低かった、片方が508番アミノ酸欠損、もう片方はほとんど機能が欠失した様々な変異が集まった患者さんに、これまでの2剤とともに、新しい次世代機能安定化剤を加えて、細胞あたりの機能性タンパク質の量を増やす3剤を試した治験で10月31日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Elexacaftor–Tezacaftor–Ivacaftor for Cystic Fibrosis with a Single Phe508del Allele(片方がPhe508del変異を持つ嚢胞性線維症に対するElexacaftor–Tezacaftor–Ivacaftor3剤治験)」だ。
治験では403例の患者さんを無作為に2群に分け、片方は3剤、もう片方は偽薬を投与し、24週間肺機能(1秒率)、肺症状の一過性増悪、汗のクロライド量、などの検査とともに、自覚症状に基づく基準も用いて評価している。
結果は全ての患者さんが、全てのテストで、しかも2週間目から劇的に回復し、24週まで回復状態を維持できたという結果だ。汗中のクロライドの濃度が急速に下がっていることから、確かにCFTRの機能が回復できたことも確認できる。一方副作用の方は24週間で偽薬群と特に変わりがなく、十分長期の服用に耐えるという結果だ。
この治療は全てVertex社により開発されたもので、2012年にチャンネル閾値が低下している変異をivacaftorにより改善させられることを明らかにしたあと(この時約5%の患者さんが治療可能になった)、安定化のための薬剤を一つづつ開発、2018年2剤併用で全体の46%の患者さんが治療可能になり、そして今回の治験で90%の患者さんを治療できるようになった。すなわち、ついに患者さんたちの夢が叶ったことになる。
このような論文を読むと、医学は着実に発展しているという実感を持つ。
2019年11月5日
11月29日5時半ぐらいから、最近多くの論文が発表されている、相分離による分子機能についてジャーナルクラブを提供する予定にしている。これは、昨年までJT生命誌研究館で一緒だった平川さんから是非ジャーナルクラブで取り上げて欲しいというリクエストに応えたもので、実際には物理化学的な側面は無視して、相分離がどれほど流行っているのかを紹介できたらいいと思っている。
いずれにせよ、相分離はスーパーエンハンサーやクロマチンの濃縮など、特定の分子が濃縮される過程を、一定の濃度に達すると周りの液相から分離して自然に濃縮する、相分離をおこすタンパク質固有に備わった性質で説明しようとするもので、おそらく生命現象の様々な過程に利用されていると思う。全く根拠はないが生命が生まれる時も、この過程により様々なタンパク質が濃縮されたのかもしれない。その意味で、当分は相分離に関わるタンパク質探しと相分離調節機構を調べる研究は続くだろう。
今日紹介するドイツ・ドレスデンのマックスプランク分子細胞生物学・遺伝学研究所からの論文は接着に関わるタンパク質が濃縮されているタイトジャンクション形成にZO1、ZO2タンパク質の相分離が関わることを示した研究で10月31日号のCellに掲載された。タイトルは「Phase Separation of Zonula Occludens Proteins Drives Formation of
Tight Junctions (閉鎖帯タンパク質の相分離がタイトジャンクションの形成を駆動する)」だ。
この研究ではタイトジャンクション(TJ)ができる時、閉鎖帯タンパク質、ZO1とZO2が相分離するのではという仮説から入り、まずZO1/2が経口標識された細胞を作り、細胞質のZosの濃度を測ると、TJでは80倍に濃縮されることを確認、相分離が存在すると確信している。
次に、TJを作らない細胞で大量にZosを発現させると、期待通り細胞質内で相分離した液滴を形成する。また、アクチンの重合を阻害すると、それまで線状に分布していたZO1が水滴状に変わることを示して、アクチンによりこの分布が決められていることを示している。そして、精製してきたZosタンパク質が一定の濃度になると試験管内で相分離した液滴を作ることを明らかにする。
この一連の実験が、この研究のハイライトで、あとはZosタンパク質が相分離する様々な条件を探り、最終的に細胞膜状でTJが形成される過程を解析している。これは詳細に及ぶので全部省いて、最終的に到達したシナリオを最後にまとめると次のようになる。
まずZO1/2は細胞同士の接着班が形成されるとそこに急速に集められる。そして一定の濃度に達すると相分離を起こすが、この時リン酸化や2量体形成などを通じた相分離を止める仕組みをZOsは持っており、タンパク質が開いた構造をとるようにこの過程を調節することで相分離に必要な閾値が決められる。
一旦ZOsが相分離を始め足場が形成されると、クロージンやオクルージンなど、亡くなった月田さんたちがクローニングしたタンパク質が分離した液滴に集まる。これにより重要な分子が、TJ部分に相分離した足場に濃縮して最終的にアクチンなどと結合することで連続したTJを形成する。
月田さんや竹市さんから、美しい接着部位の細胞構造の写真を見せられてきたが、確かに相分離を頭に入れると構造がより理解できる気がするから不思議だ。
2019年11月4日
ハンチントン病はトリプレット・リピート病と呼ばれる神経変性疾患で、ハンチンティン(HTT)と名付けられた分子のリジン繰り返し部分の数が増大する結果、細胞内でタンパク質が沈殿し、それが処理できなくなって神経変性が始まる病気で、現在のところ治療法はない。私の現役時代、変性した神経細胞を移植して治療する研究もフランスで行われていたが、まだまだはっきりした結果は出ていないのではないだろうか。
今日紹介する上海の復旦大学からの論文は、この病気の治療に新しい光明を届ける研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Allele-selective lowering of mutant HTT protein by HTT–LC3 linker compounds(HTT-LC3リンカー化合物を用いてHTT変異タンパク質特異的に除去する)」だ。
この研究のアイデアは、オートファジーを調節するLC3分子とHTTを結びつけるリンカー化合物を使って沈殿したHTTをオートファジーで除去しようというものだ。これまで、特定のタンパク質をユビキチン・リガーゼと結合させプロテアソームで分解させるリンカーは色々開発されており、例えばサリドマイドや、現在骨髄腫の治療に用いられるレナリドマイドなどがその例だ。ただ、この方法はリピート回数が増えた変異タンパク質にうまく適用できないようだ。
そこでファゴゾームに取り込めば処理できるのではと考え、3375種類の化合物をスライドグラス上に貼り付けたマイクロアレーを作成し、その中で変異型HTTとオートファジーを起動する標識LC3を結合させる活性のある化合物を探索し2種類発見する。こうして見つかったリンカー分子との構造的類似性からさらに2種類の化合物を特定しているが、確率としては結構高いという印象を得た。
あとは患者さん由来の培養細胞を用いた実験、変異型分子を発現するショウジョウバエやマウスを用いた実験系で、これらの分子が確かにHTTをオートファゴゾームで処理して、細胞内で除去できることを示している。
そして、同じ化合物がリジンの繰り返しの延長した他のタンパク質の処理も誘導できることを脊髄小脳運動失調症の細胞を用いて証明している。
以上が結果で、今後化合物を至適化することは必要かもしれないが、今後の可能性をうかがわせる素晴らしい研究だと思う。何よりも、トリプレットリピート病一般の治療に発展する可能性はあるし、さらにはT細胞内でタンパク質の沈殿ができるタンパク質なら同じようなリンカーを開発できる可能性も示している。臨床研究が開始されることを期待する。
2019年11月3日
2013年、睡眠は脳内のリンパ管などの脳脊髄液排出機構を拡げて、覚醒時に脳に蓄積した老廃物が排出されるのを助ける役割があることを示した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/608 )。すなわち、脳に溜まったゴミが夜洗われていることを示唆している。そして、この洗濯がうまくいかないとβアミロイドが蓄積しているという論文も発表されている(http://aasj.jp/news/watch/8330 )。ただ、このことを人間で調べることは簡単でない。
今日紹介するボストン大学からの論文は脳の洗濯が人間でも起こっているか、MRIと脳波計を用いて、睡眠中に脳の神経活動、血流量、そして脳脊髄液の流れを同時計測して調べた研究で11月1日号のScienceに掲載された。タイトルは「Coupled electrophysiological, hemodynamic, and cerebrospinal fluid oscillations in human sleep(人間の睡眠中には電気生理学的活動、血流動態、そして脳脊髄液振動が同調している)」だ。
この研究の鍵は、機能MRIで通常の脳内血液のヘモグロビンを造影剤のように用いて測る血流量、血液量、酸素代謝などが反映されたBOLDの計測と同時に、脳室に焦点を当てて脳脊髄液の流れを同時に測定できるようにした点だ。残念ながら、具体的な方法については理解していない。しかしMRI検査というと受ける側にいる私から見ると、脳波と機能MRIを同時に、しかも睡眠中に測定できていること自体驚きだ。
しかしこれが可能になるといつ脳脊髄液の流れが活発になるかを見ることができる。脳脊髄液は常に動いているが、MRIのシグナルとしては小さな波として現れる。ただ、覚醒時には振幅が小さく、周波数が高い振動が持続的にみられるが、ノンレム睡眠に入ると振幅が大きく、ゆっくりした周波数の波が現れることがわかった。また、これが脳脊髄液の流れを反映していることも脳室の入り口での測定で確認しており、この結果からノンレム睡眠に入ると大きな流れが生じることを示している。
次に、脳脊髄液の大きな流れと、BOLDの変化、そして脳波の変化の時間的関係を詳しく調べ、まずノンレム睡眠に入ることで、脳波にslow デルタ波が発生すると、BOLDが急速に低下する。その後数秒して、今度は脳脊髄液の大きな振動が始まることを示している。
結果は以上で、残念ながら何故このような関係が成立するのかについてははっきりしないが、現象論的には鍵となる要因が明らかになった。今後動物実験で、脳波の変化から脳脊髄液の変化までの過程に関わるシグナルを明らかにする必要があるだろう。何れにせよ、寝ている間に脳が洗われているという概念はますます現実味を帯びてきた。
2019年11月2日
2019年11月2日
麻疹ワクチンの接種率が低下して、多くの先進国で麻疹感染は3倍に増え深刻な問題になっている。世界全体で見ると毎年7百万人の麻疹患者が発生し、そのうち10万人が亡くなっている。風邪は万病の元というが、これまでの研究で麻疹に感染すると、免疫機能が低下して、他の感染症リスクが高まる可能性が示唆されていた。ただ、細菌やウイルスに対する人間の抗体を網羅的に調べる良い方法がなかったため、深く検討されたことはなかった。
今日紹介するハーバード大学からの論文はVirScanと呼ばれる新しいテクノロジーを使って麻疹感染前と感染後の抗体反応性を網羅的に調べた研究で昨日Scienceに掲載された。タイトルは「Measles virus infection
diminishes preexisting antibodies that offer protection from other pathogens(麻疹ウイルス感染は他の感染源から身を守る抗体を低下させる)」だ。
この研究で用いられたVirScanはファージウイルスの外殻に、ヒトが感染する様々な病原のペプチド断片を発現させ、網羅的に感染症に対する抗体を調べる方法で、この論文を読んで初めてその存在を知った。抗体でファージを濃縮して、それを増幅してから、コードしている病原体の抗原を遺伝子配列からリストするなかなか優れた方法だと思う。
この方法を用いて、子供のコホート研究中にはしか感染が起こったケースを選んで、抗体がどう変化したか調べている。驚くことに、麻疹に感染すると、病原体に対する抗体が強く低下する。これは、抗体レバートリーの多様性の低下と、個々の抗体の量の低下を伴っている。しかし、IgMやIgG全体にはほとんど変化ない。一方、シーズン中に感染しなかった子供では全くこのような変化は起こらない。
もう少し抗原を絞って感染前に存在していた病原に対する抗体の変化を調べると、麻疹感染では急速に抗体価が低下する。すなわち麻疹だけでなく他の病原体に対する免疫力が低下する。麻疹はCD150を介して細胞に感染するので、これらの変化は感染の歴史を記憶して、骨髄で長い期間抗体を作り続けてくれる、感染防御には最も重要な細胞が失われることが、この背景になると考えられる。
実際このように失われた病原への抗体を再構築するには、新しく感染を経験して記憶細胞を残していくことが重要であることも、麻疹感染で抗体のレパートリーが失われた患者さんを長期追跡することで確認している。すなわち、短期間で回復してくる抗体は4種類の一般的な病原に対する抗体だけで、全ての記憶が戻るには長時間かかる。そして、その中には病原細菌も含まれている。
実際の実験の詳細は省いてしまったが、要するに麻疹の感染は、その子供がそれまで獲得してきた感染源に対する記憶を全て消し去ってしまうという恐ろしい感染症であることがわかる。CD150を発言するT細胞もあるので、同じことはT 細胞免疫でも言えるだろう。この場合はガンに対する抵抗力すら含まれることになる。
しかし、ワクチン接種では全くこのような変化は起こらない。したがって、麻疹感染をワクチンで前もって防いでおかないと、麻疹だけでなく、その後多くの感染症にかかりやすい状態が生まれることになる。その意味で、ワクチン接種の重要性を全ての人に理解されるまで繰り返し訴えていく他ない。
2019年11月1日
高齢になってからは別として、血圧は必要なら薬剤を積極的に使用して低めに保つという考えが一般的だ。では降圧剤を服用するとして、いつ飲むのが一番いいのだろう。個人的経験から言うと、忘れることが少ないので就寝前にしている。
しかし効果の方はどうなのだろう。意外なことに、この点についての徹底的な臨床試験は行われていなかったようだ。
そこで今日紹介したいのは、スペイン・ビーゴ大学のグループがEuropean Heart Journalに発表した論文で、なんと2万人近い降圧剤の服用が必要な患者さんを、起きている時間に服用する群と、寝る前に服用する群に分け、その後の経過を少なくとも6.3年追跡した研究だ。
結果は驚くほどはっきりしており、様々な補正をした上でも、就寝前に飲むほうが、心筋梗塞など心臓発作の発生率が低く、さらに死亡率で見てもはるかに低いことが明らかになった。
もちろん民族性など様々な要因が高血圧には絡んでいるので、日本人に当てはめる時には少し割り引く必要があるかもしれないが、それでもその差は大きく、就寝前というのが答えだと思う。私も安心した。
2019年11月1日
Rasはおそらく半分近いガンでドライバーとして働いているのではないだろうか。当然多くの努力が抗ras薬の開発に向けられたが、立体構造上あまり化合物の入る深い溝がないため、臨床で利用できる化合物の開発はほとんど失敗してきた。実際、様々な抗ras化合物の論文がトップジャーナルに発表されたが、ほとんどは論文のための論文で、臨床現場に移行することはなかった。
これに対しガン治療薬開発に関して今年最大のトピックスは、アムジェンが開発したAMG510で、KRAS(G12C)型の変異に限るとはいえ、初めて臨床で効果が示された抗ras化合物になった。今日紹介するアムジェンからの論文は、この化合物の前臨床および臨床データの一部の正式な開示で、この薬の特徴を知るためには重要なデータだ。タイトルは「The clinical KRAS(G12C) inhibitor AMG 510 drives anti-tumour immunity (臨床的にKRAS(G12C)の阻害剤として認められたAMG510はガン免疫も誘導する)」だ。
この論文は、すでに臨床で成果を収めたAMG510に関心が高まっているので、この化合物の可能性についていくつか皆さんにお見せしましょうと行った雰囲気で書かれている。
まず、なぜAMG510がこれまでうまくいかなかった安定な抗ras活性を示すのかについて、ARS1620化合物とKRAS(G12C)との結合の立体解析から、95番目のヒスチジンの作る溝に、芳香化合物が結合することを発見し、AMG510を至適化できたことを示している。知財についてはよくわからないが、おそらくこの点については特許化されて、独占が可能になっているのではないだろうか。
その上で、AMG510ははKRAS(G12C)だけにしか効果がないこと、そしてERKのリン酸化を抑制して増殖シグナルを抑えること、そして100mg/kgの量では耐性が現れるが、200mg/kgだとほとんど治癒に近いところまで持っていけることを示している。
このような結果をもとに臨床治験が行われたが、その最初のフェーズで180mgおよび360mgを投与した患者さんで腫瘍が縮小しているCT写真が示されている。
ただデータを見ると、いつかは耐性を持った細胞が出てくると誰もが心配する。そこで、一般抗がん剤カルボプラチンおよびMEK阻害剤との併用療法によって、効果をさらに高められることを示し、耐性の問題も投与法や併用を追求することで対応可能であることを示している。
そして最後は、AMG510がガン細胞を特異的に障害する結果、免疫反応をたかめるので、PD−1に対するチェックポイント治療を組み合わせると、長期間再発を抑えられることを示している。不思議なことに、下流のMEK阻害剤よりはるかに免疫効果が高いので、ガン免疫を考える上でも重要なデータになっている。
以上、はっきり言って初期の治験の結果以上に、今後期待が持てますよということを巧みに示した論文だ。この論文を読むと、フェーズ3の計画はかなり凝ったものになるような気がする。これについてはジャーナルクラブを企画したい。
2019年10月31日
単一あるいは少数の細胞のゲノムを詳しく解析することが可能になってわかったことは、前癌状態は言うに及ばず、正常組織でも、突然変異の蓄積と、変異を持った細胞同士の競合により、増殖力の高い細胞に組織が置き換わっているという発見だ。しかしこの段階から実際のガンが発生するまでにはかなり大きの変化が必要であることもわかってきた。このため、ガンに至るまでのできるだけ多くのステップを特定してそこでの変異を調べることが重要になる。
その意味で肝硬変は同じ組織にガンと硬変巣が同時に存在する確率も高く、また肝硬変での細胞障害とそれを埋める増殖の繰り返しがガン発生に必須の過程と考えられていることから、前癌状態からガンまでの過程を調べる目的にかなっている。
今日紹介する英国サンガー研究所からの論文は、アルコール性、非アルコール性の肝硬変組織切片から様々な場所を切り出し、それぞれのゲノムを調べ、肝臓ガンと比べた研究で10月24日号のNatureに掲載された。タイトルは「Somatic mutations and clonal dynamics in healthy and cirrhotic human liver (正常および肝硬変の組織の突然変異とクローン動態)」だ。
研究では5人の健常人、9人の肝硬変の患者さんの組織から100−500個ぐらいの塊を顕微鏡下で切り出し、突然変異解析を行い、同じ組織で見つかった肝臓ガンおよび、一般の肝臓ガンのゲノム解析と比べている。
基本的には解析した遺伝子配列の解析の問題なので詳細を省いて、重要な点だけを列挙すると次のようになる。
中年以上の肝臓では正常組織でも1000を超す様々な変異が存在するが、大きな変異は肝臓では起こらない。 これと比べると肝硬変組織では場所と組織によるが、点突然変異、欠失挿入、そして大きなコピー数の変化まで変異の数が倍近くになる。しかし、ガン細胞と比べると変異数はまだ半分以下にとどまっている。 30種類のガンのドライバーやガン抑制遺伝子を選んで、各部位内、部以外との関係を調べると、他の組織と様々なガン遺伝子の変異がすでに始まっているが、特定のクローンが増殖している様子は認められなかった。ただ、膵臓ガンで高頻度に見られるクロモスプリシス(http://aasj.jp/news/watch/5918 )が、肝硬変のプロセスでも起こることがわかった 突然変異の原因は、ガンと同じで細胞の増殖時のエラーや、転写時のストレスなどが存在するが、多くの症例で様々な外因性の因子により誘導された変異が見られる。例えば、ポーランドから来た患者さんではアリストロキア酸の汚染による変異が見られたり、あるいはアスペルギールスに対するアフラトキシンの毒性による変異も認められている。中には、B細胞が増殖して紛れ込んできたため、極めて多くの変異が存在するクローンが見つかることもある。 肝硬変巣にはTERTの変異は認められないが、肝ガンでは認められるので、重要なドライバーの一つはテロメアの調節と考えられる。
以上が結果のまとめだが、結果から見えるのは肝硬変から肝ガンまでの道のりは長いことだろう。正常でも年齢とともに変異が積み重なるが、肝硬変が始まると増殖依存性の変異をはじめ様々な変異の蓄積が始まる。ただ、肝ガンに発展するのはほんの一部で、肝硬変はまだまだ前癌状態と呼ぶには役者不足という結論だろう。