2019年7月8日
多発性硬化症は脳神経細胞のミエリンに対する自己免疫反応だが、多くの自己免疫病と同じで、病気が発症するまでのメカニズムはよくわかっていない。やはり他の自己免疫病と同じで、ウイルス感染が最初の引き金になる可能性は何十年も指摘されているが、一部の症例を除いてそれを示す動かぬ証拠は捕まらない。
今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、この問題の重要な手がかりが示せたかもしれない動物研究で、6月26日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Brain-resident memory T cells generated early in life predispose to autoimmune disease in mice (脳にとどまっているメモリーT細胞が幼児期の感染で誘導され自己免疫病のリスクになる)」だ。
この研究では幼児期の一過性の感染が、脳に及ぼす影響を調べる目的で、神経感染症のモデルとして用いられてきた弱毒化したLCMV(実際にはウイルス自体ではなく、ベクターに組み込んだウイルスDNAを用いている)を脳に感染させ、基本的には感染部位の自然免疫が一過性に高まった状況を作っている。
この方法では生後1週間でも3−4週に感染させてもLCMV特異的なT細胞を同じ程度に誘導することができる。ところが成熟してから同じマウスに多発性硬化症を引き起こすT細胞を移入すると、幼児期に一過性の感染を経験したマウスは、症状でも病理的にも強い炎症が起こる。
この原因が、一過性の感染を起こした脳細胞自体になんらかの変化が誘導され、ニッチとして機能しているのかどうか、感染時にラベルする実験で、感染細胞を全て除去する実験を行なっているが、病気の発症は抑えられない。
結局、幼児期に感染したマウスの脳を、4週で感染させたマウスの脳と比べる実験から、CCL5ケモカインが浮上し、最終的にCCL5ケモカインを発現する局所メモリーT細胞が、幼児期に感染した病巣(すでに治癒している)を認識して止まって、全身に存在する自己抗原に反応するT細胞を脳内に流入させている可能性を突き止めた。また、このメモリーT細胞を局所にとどめているのが、クラスII MHCを発現する抗原提示細胞であることも示している。
すなわち、幼児期に細胞障害性でないウイルス感染が起っただけで、脳内に一種の入れ墨の様に抗原提示細胞とメモリーT細胞のセットが維持され、CCL5を分泌して自己免疫性のT細胞を脳に呼び入れるという話だ。最後にこの仮説を頭に実際の患者さんの組織を調べると、ほとんどの患者さんでメモリー型T細胞の存在が見られている。
遺伝子操作による細胞標識を駆使することで、幼児期の感染場所がわかる様にしたことで、メモリーT細胞と以前の病巣の相関が明らかにできたわけだが、細胞障害性がないウイルス感染だけでこの様なことが起こるとすると、まず発見することはできない。また、同じことは1型糖尿病などの他の組織の自己免疫病でもおこる可能性も高い。この入れ墨とも言えるマクロファージ+リンパ球の局在を誘導し、維持する機構を是非明らかにして欲しい。
2019年7月7日
自閉症スペクトラム(ASD)との相関が示されている遺伝子は100を超えるため、個々の変異遺伝子の機能とASDの因果性についての研究は意外と遅れている。また、変異遺伝子の多くはクロマチン構成やシナプス機能のサポートのような、多くの細胞で働く遺伝子が多く、症状との因果性を調べるのは難しい。
ところが今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、分子機能とその発現がはっきりした分子、すなわち電位依存性ナトリウムチャンネルの変異による電気生理学的異常からASDの発症を説明しようとした研究で8月21日号のNeuronに掲載される予定だ。タイトルは「The Autism-Associated Gene Scn2a Contributes to Dendritic Excitability and Synaptic Function in the Prefrontal Cortex (自閉症と関連づけられるScn2a(電位依存性ナトリウムチャンネル)は、前頭前皮質の樹状突起の興奮性とシナプス機能に寄与する)」だ。
Scn2a 遺伝子が片方の染色体で失われるとASDと知能障害が起こることがわかっている。この分子はグルタミン酸作動性の錐体細胞の軸索起始部に発現して神経の興奮に関わっていることがわかっている。そこでこの研究では、片方の染色体のScn2a遺伝子が欠損したマウス(Scn2a+/-マウス)を作成し、錐体細胞の興奮の変化により神経ネットワーク形成が障害される過程を探っている。
結果をまとめると次の様になる。
- 脳の発達過程では、Scn2aは軸索の根元で発現しており、局所の神経興奮の強さを調節している。発現量の低下により興奮の引き金が入りにくくなる。しかし、この異常は成熟とともに、正常化する。
- 成熟後は、錐体神経の樹状突起のシナプスに発現がみられ、樹状突起への興奮の広がりが障害され、樹状突起の先端に行くほど興奮性が低下する。
- この結果新皮質でのシナプス形成の細胞学的異常がおこる。すなわち、スパインと呼ばれる突起が長く弱々しく、成熟しきれていない。
- しかし、この異常は発生過程で形成されるものではなく、Scn2aの発現の量的な低下による直接の効果を反映している。
- Scn2aの発現異常を誘導したマウスでは、学習障害と、社会性の異常を示す。
- 従って、シナプスの機能さえ取り戻せれば、症状を改善させることができる。
ナトリウムチャンネルは神経細胞のイロハで、軸索を通って興奮が伝播することをホジキン、ハックスレーが発見し、沼先生のグループによって遺伝子がクローニングされた。自分の頭の中で極めて単純にイメージしていたナトリウムチャンネルが、特異的で微妙な神経興奮調整に関わり、ちょっとした変化がASDにつながることがよくわかった論文だった。
今後、このスキームが他の遺伝子の異常でも起こっているのか知りたい。またうまく特異的な刺激剤が開発できれば、治療可能性も生まれる。古典的分子がまた表舞台に登場する様な気がする。
2019年7月6日
旅行中にスリにあったことは何回かあるが、だからと言ってその国の市民が不正直だとは決して思わない。何をもって、市民の正直度を測定できるのか、心理学的にも経済学的にも面白い問題だ。
今日紹介するミシガン大学からの論文はこの課題にチャレンジし、実に40カ国で市民の正直度を測った研究で7月5日号のScienceに掲載された。タイトルは「Civic honesty around the globe(世界の市民の正直度)」だ。
この研究では持ち主がわかる名刺と、買い物のレシート、そして鍵の入った、外から中身が見える名刺入れを小道具として用意する。実験場所は銀行、ホテル、役所、文化施設、郵便局、そして警察署を選び、窓口の人に「名刺入れをここで見つけたので持ち主に連絡してほしい」と頼んで立ち去り、連絡があるかどうかを、40カ国で17,000回繰り返して調べている。この時、名刺入れに、それぞれの国民の経済感覚で約10ドル程度のお金を入れておく場合と、お金の全く入っていない場合を設定し、お金が入っていることが連絡する確率にどう影響しているか調べている。
道で落とした財布が返ってくるかではなく、公的な機関の従業員に名刺入れを預けて持ち主に連絡させる点がポイントで、確かに一般市民の正直度を調べるいい方法だと納得する。
結果だが、持ち主に連絡する率は、ほとんど連絡されないと言える10%からほぼ連絡される70%まで大きな開きがある。最悪が中国で、最も連絡率が高いのはスイスだ。正直度の高い国には北欧の国が並ぶが、なかにポーランドや、チェコが混じっているのも興味を引く。一方、最悪国の中には、中国、マレーシア、インドネシアといったアジアの国が、アフリカや南アメリカの国と一緒に並ぶ。
ただこの結果が、お金欲しさというわけでないのは、名刺入れにお金が入っている方が連絡率が平均で10%近く上昇する。これは調べたほぼ全ての国で見られる現象で、逆はメキシコとペルーだけだ。おそらく、お金が入っていることで、自分は泥棒になるという倫理観がどの国でも働くのだろう。実際名刺入れの中に100ドル近くのお金が入っていると、さらに持ち主に返却される率は高まる。
ただ、いろいろ条件を割り出して、これが処罰されるという恐怖や同僚に監視されているという心配からでないことは確認しており、結局相手の困り方を考慮して連絡するかどうかを決めていることになる。実際、鍵の入っていない名刺入れの場合、さらに連絡率が落ちる。
最後に米国の一般市民がこの様な実験の結果をどう予想するか聞いてみると、実際の結果とは逆で、お金が入っている場合は連絡されないと思っている。一方、経済専門家に同じ予想をしてもらうと、お金が入っているから返却されないと単純に考える人は少ない様で、少しは市民心理がわかっている様だが、結局正確な予想はできていない。
以上が結果で、40カ国で17,000回の実験を行ったことだけで頭がさがるし、結果も納得できるものだ。ここで測定されている正直度は、相手の困難を想像する能力と、それに合わせて行動する意志にかかっている様に思える。すなわち、自己中心主義をどう克服できているかになる。残念ながら、我が国ではこの実験は行われなかった様だが、どんな結果になるか、我が国の将来を占う意味でも興味がある。
2019年7月5日
免疫治療がガン治療の大黒柱になることを疑う人はもういなくなったが、しかし10年後にどの免疫治療が中心に来ているのか予想することは難しい。というのも、論文を読んでいると、多様で豊かな発想の免疫治療法が開発されており、免疫治療のレパートリーは急速に拡大しているからだ。そんなわけで、7月19日AASJのジャーナルクラブでは、これまで紹介した新しい免疫治療についてまとめることにした(https://www.youtube.com/watch?v=vxZFpDx4rIg)。
今日紹介するコロンビア大学からの論文も是非紹介したいと思われる免疫治療法の新顔で、なんとラマの抗体を分泌するバクテリアをガン局所に注射して免疫を高める、一種のアジュバント治療といっていいい。タイトルは「Programmable bacteria induce durable tumor regression and systemic
antitumor immunity(プログラム出来るバクテリアは持続的ガンの退縮と全身性のガン免疫を誘導できる)」だ。
バクテリアを遺伝子操作することは簡単だが、ヒトの抗体のような2種類のペプチドが折りたたまれた複雑な構造を安定に分泌させるのは簡単ではない。この問題を解決してくれるのがラクダ科の動物の抗体で、なんと一本のH鏁ペプチドだけで機能する。
主にラマで作らせた抗体の遺伝子を利用する技術は現在急速に発展しており、4月には食べられる抗体として家畜の餌に混ぜて食べさせる抗体の論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/9968)。すなわち、バクテリアや酵母に安定的に抗体を作らせることができる。
この研究ではすでに開発されていたラマのCD47抗体遺伝子をバクテリアに導入し、細胞内に蓄積した抗体を、バクテリアが局所増殖して一定の数に達したとき破壊されるようにして(バクテリアのクオラムセンシングと呼ばれる性質を利用している)吐き出させるという戦略をとっている。CD47は細胞がマクロファージに食べられるのを阻止する分子で、これを抑制するとガン細胞がマクロファージに貪食され、ガン抗原が調整されるのを促進するという発想だ。
吐き出された抗体が、CD47を阻害することなど様々な条件設定を行った後、このバクテリアをガンを植えた局所に注射し、ガン免疫が誘導されるか調べると、腫瘍組織に注射したときだけ強い抑制効果がみられる。
また、他の場所に移植した腫瘍も消失するし、リンパ組織にガン特異的なペプチドに対する免疫細胞が誘導できることも示しており、読んだ限りはかなり有望に思えた。おそらくすぐに治験が始まるように思うが、この方法だとCD47の抑制だけでなく、様々なアジュバント作用をバクテリアに期待することも可能で、発展性は高いように思う。もちろん、オブジーボなどのチェックポイント治療との相性はいいだろう。
実際のデータの詳細はほとんど割愛したので、詳しく知りたい人は是非7月19日夕方7時のジャーナルクラブを見て欲しい(https://www.youtube.com/watch?v=vxZFpDx4rIg)。
2019年7月4日
ガンゲノム研究から、転移ガンに特有の様々な遺伝子変異がリストされてきた。ケモカインや、マトリックス分解酵素、あるいは上皮間葉転換など、なるほどとわかりやすい遺伝子変異もあるが、まだまだ解析が必要な分子も多い。特に多くの転移ガンに共通に見られる変異は、将来治療標的のヒントが得られることから、研究が進められている。
今日紹介するニューヨーク大学からの論文は転移肺ガンの3割近くに見られる変異が転移に関わるメカニズムを明らかにした研究で7月11日号のCellに掲載された。タイトルは「Activation Promotes Lung Cancer Metastasis by Inhibiting the Degradation of Bach1 (Nrf2の活性化はBach1の分解を抑制して肺ガンの転移を促進する)」だ。
この研究は、30%の非小細胞性肺ガンがKeap1遺伝子欠損か、Nrf2遺伝子の発現上昇があるという現象を理解しようと始められている。久しぶりに生化学的過程の分子経路を丹念にときほぐす論文を読んだ気がする研究で、逆に新鮮だった。
さて、この研究ではKeap1遺伝子が肺ガンで欠損すると、Bach1と呼ばれる転写因子とその下流の分子の発現が上昇し、この中にケモカインや、マトリックス分解酵素など転移に関わる遺伝子が多く含まれていることを発見する。
研究ではまずKeap1遺伝子欠損とBach1タンパク質発現の上昇の間を埋める生化学的解析を行い、Keap1が失われたことで、酸化ストレス反応と同じ状況が生まれ、Keap1の抑制から逃れたNrf2タンパク質が壊されずに、様々な遺伝子発現を誘導するが、この中に存在するHo1遺伝子により酸化反応を促進する細胞内ヘム分子の増加が抑えられる。この結果、ヘムにより活性化されBach1の分解を促進するFbox22の機能が低下することで、Bach1タンパク質の分解が抑えられ安定化する結果、Bach1が転移関連遺伝子の転写を上昇させ、転移が誘導されるという分子経路を明らかにしている。
簡単にまとめてしまったが、実際には多くの生化学的、細胞学的研究が組み合わされた力作だ。さて、この結果からわかるのは、肺ガンにとって細胞内ヘムの濃度は活動にとっては重要だが、転移にとってはBach1を分解するという意味で抑制的に働くことを意味する。したがって、一つはガン特異的に細胞内のヘム代謝を変えることは重要な介入手段になる。こう考えた時に頭に浮かぶのは、ビタミンC大量療法で、以前紹介したように(http://aasj.jp/news/watch/6679)、ビタミンCは一般には還元作用と考えられるが、ガンにとって大量のビタミンC は細胞内のフリーの鉄を酸化させることで、さらにフリーの鉄を上昇させて、ハイドロオキシラジカルを生産するサイクルが働くことがわかっている。この作用はこれまでラジカルにより細胞を殺すという経路だけで理解されていたが、今回の研究では同時にヘムが上昇することでBach1の分解が促進され、転移が抑えられるという効果も期待できる気がする。これは私の勝手な考えだが、少なくとも非小細胞性肺ガンでは、ビタミンC大量療法は重要な選択肢の一つではないだろうか。
2019年7月3日
腸内細菌叢の研究の現状を見ていると、かってドイツで起ったコッホとペッテンコッファーの論争を見ている気がする。この時コレラは一種類の細菌で起こると考えた細菌説をとなえたのがコッホで、これに対し生活環境の問題だと公衆衛生説を唱えたのがペッテンコッファーだ。病気の原因という意味ではコッホが正しいのだが、病気の予防という観点からはペッテンコッファーも正しい。
同じように例えば病気と腸内細菌叢の関わりについての考え方も、特定の菌の因果性の問題としてとらえるグループと、何かよくわからないが全体の構成が変化したディスビオーシスだとするグループに分かれている。細菌説と公衆衛生説と同じで、おそらくどちらの考えも重要だと思うが、医療という観点から言うと、細菌説と同じく因果性がはっきりした介入方法が主流になるように思う。すなわち、よくコマーシャルで目にする〇〇菌が〇〇を防ぐという、プロバイオ効果を正しく計画された治験をとおして医学的に証明することが重要になる。しかし、薬品と同じ程度の治験を通して開発されたプロバイオは数えるほどしかなく、最も有名なのはスウェーデンで開発されたロイテリ菌だ。
今日紹介するルーヴァンカソリック大学からの論文はAkkermansia菌のメタボリックシンドロームへの効果を確かめた第2相の治験論文でNature
Medicineに掲載された。タイトルは「Supplementation with Akkermansia
muciniphila in overweight and obese human volunteers: a proof-of-concept
exploratory study (Akkermansia muciniphilaの肥満への効果:コンセプトの証明のための探索研究)」だ。
これまで、Akkermansia菌の割合が肥満や2型糖尿病の人で低下していることが知られていた。このグループは動物を用いた研究からAkkermansia菌の投与が肥満軽減効果を持つことを発見し、すでに第一相の治験も終えていた。この研究は探索研究とはいいながら、無作為化2重盲検法を用いた治験で、健常人32人を3群に分け、偽薬、Akkermansia菌100億個/day, 低温殺菌したAkkermansia菌100億個/dayを3ヶ月投与し、前後で様々な代謝指標を調べている。
結果は期待通りで、インシュリン抵抗性を抑制し、高脂血症を著明に改善させる。また脂肪量も低下し、ウエストも細くなる。ただもっと驚くのは、インシュリン抵抗性や炎症を抑える効果については生菌の方が効果があるが、高脂肪や肥満などの脂肪代謝に関しては低温殺菌した菌の方が効果がある点だ。
いずれにせよ、国際的な治験登録機関に登録してコントロールされた臨床治験が行われ、安全性とともに一定の効果が確かめられたことから、次の治験に進むことは間違いない。
結局因果性を一つ一つの菌の効果として確かめる方法が、最も信頼おける方法として定着し、今後FDAレベルの検証を受けた菌の利用は高まっていくと思う。一方、ディスバイオーシスを唱える人たちは、明確な治療や予防法のための介入方法として、細菌叢全体を移植する以外にまだ明確なアイデアがないため、まず方法論から確立することが必要だろう。しかし、かなり新しい発想がないと、今の状況は打ち破れない気がする。
2019年7月2日
少しでも正常細胞を試験館内で分化させたり増殖させたりする経験がある人なら、培養結果が一定するようになるまで繰り返さなければならない試行錯誤の苦労を経験しているはずだ。このためか、自分で追試ができないと、「間違っている」と一言で済ませてしまう人も多い。しかし、一度この苦労を味わうと、追試ができないのは自分が何か間違ったことをしているのではと考えてしまう方が多い。
この培養が安定しないという問題は、血清を用いない完全defined培地を用いることで解決されるが、人間の細胞の場合それでも「遺伝的背景」と片付けてしまっていた多様性が残る。今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文はこの培養結果の多様性を生む遺伝的背景を、ゲノムと形質を対応させるeQTLと呼ばれる方法を用いてマッピングしようとした研究で6月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「Dynamic genetic regulation of gene expression during cellular differentiation(細胞分化時の遺伝子発現調節のダイナミックな遺伝的調節)」だ。
研究では19人の正常人から樹立したiPSを試験管内で、比較的分化させやすい心筋細胞へと分化させる系を使って、分化の各時期に遺伝子発現を調べ、分化の動態の多様性と相関するゲノムの多様性を特定しようとしている。書いてしまうと簡単だが、実際にはゲノムの違いを反映している培養結果の多様性を抽出することが必要で、簡単ではない。
実際、培養期間を通じ、各iPS株の心筋細胞分化の動態はかなり変化する。このようなこれまで培養には避けられない多様性として片付けられてきた変化を、遺伝子発現全体から見直してみると、2つの異なる遺伝子発現パターンに分かれることがわかる。
次に、培養を16のステージに分け、発現している各遺伝子の量とゲノム変異の相関を調べ、それぞれのステージで100近くの遺伝子でeQTL、すなわち遺伝子発現に関わるゲノム多型が検出でき、それぞれは発生段階での遺伝子調節の違いを反映していることが数理的に確認できる。
この解析から、各ステージごとのeQTLだけではなく、分化全過程にわたって調べることの重要性が示唆され、550のeQTLの動的変化を算出し、eQTL、すなわち遺伝子発現に関わるゲノム多型が関わる分化時期について、初期、中期、後期にわけて調べると、最初はiPS自体のクロマチン構造と関わる領域がリストされる一方、後期では心筋細胞自体のクロマチン構造に関わる領域がリストされる。
この解析から得られるいくつかのeQTLの例が示されているが、ほとんどはこれまでの研究で予想できるものだ。しかし、中期の分化との相関が特定されるeQTLの中には、心臓発生過程には全く発現がない、これまで軟骨発生と関わることがわかっているZNF606分子の発現と相関する多型(rs8107849)や、やはり心臓発生とは関係のない肥満と関係するC15orf39遺伝子の調節に関わる多型が発見されている。おそらく、これらの遺伝子多型は、新しい心臓発生に関わる遺伝子を特定するのに役立つ可能性がある。
結果は以上で、最後に示した思いがけない相関を除くと、何か大きな発見があったという論文ではない。しかし、これまで特定の時期、細胞、形質との関わりで研究されてきたeQTLを、細胞分化過程という時間経過の中でとらえることの重要性を示した研究といえるだろう。現役時代細胞の分化培養を重要な手法として利用していた経験から考えると、人間のように遺伝的背景が多様な集団の培養にとって、今後真剣に取り組むべき重要な領域ではないかと思う。
2019年7月1日
これまでもガン局所にIL-2やインターフェロンを注射することで、ガン局所での免疫反応を高める可能性が示されてきた。特にPD-1のようなチェックポイント治療が可能になってから、この可能性を追求する研究が多く見られる。ただ、いくらガンの局所に注射したと言っても、サイトカインはすぐ循環により除去される。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、サイトカインをガン局所に注射した時、ガン組織内に維持され、循環により除去されない形態のサイトカインを開発し、その効果を動物で調べた論文で6月26日発行のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Anchoring of intratumorally administered cytokines to collagen safely potentiates systemic cancer immunotherapy(ガンの中のコラーゲンに結合するサイトカインは全身の免疫治療の効果を高める)」だ。
この研究のハイライトは、サイトカインがガン組織に長期間保持させるためには、コラーゲンIとIVに結合するLumican遺伝子にサイトカイン遺伝子を融合させるのが良いことを発見したことだろう。最初、蛍光ラベルしたアルブミンとの融合タンパク質を腫瘍内に投与して腫瘍組織からの消失を調べると、Lumicanとの融合タンパクは、アルブミンだけを注射した場合と比べ、はるかに長く腫瘍にとどまることを確認している。
腫瘍内に保持させるという目的が達成できると、あとはガン免疫を高めることができるかどうか確かめるだけになる。まず、メラノーマに発現しているTA99抗原に対する抗体治療と組み合わせる実験を行い、抗体だけではほとんど効果がないが、Lumican-IL2を組み合わせると、ほとんどのマウスの腫瘍を抑制できることを明らかにしている。また、この反応に関わる細胞やサイトカインについて阻害抗体を同時投与して調べ、最終的にCD8T細胞が誘導されることが最も重要な要因であることを確認している。さらに、Lumican-IL2の効果は、注射した腫瘍だけでなく、身体の他の場所に移植した腫瘍も同時に消失させることを示しており、効果は全身に及ぶ。
次は、Tヘルパー細胞を誘導するカギになるIL-12を同じようにLumicanと融合させたキメラサイトカインを合成している。IL-12は2種類のタンパク質からできているので、これを一本のアミノ酸として発現させるよう設計している。IL-12の有効性は期待されていたものの、全身的にサイトカインが誘導され極めて副作用が強い。しかし、腫瘍局所に投与することで、この副作用が強く抑えられることを示している。
あとはCAR-TやPD-1阻害と様々な条件で組み合わせる実験を行い、
- メラノーマのような固形ガンでも、CAR-Tと組み合わせて完治が可能。
- 乳ガン手術前のネオアジュバント療法としてもガンの再発を完全に抑制できる。
- 抗原性の低いメラノーマモデルを用いているが、抗PD-1抗体の全身投与とLumican-IL2およびLumican-IL12を組み合わせると、腫瘍を消失させられる。
- 癌遺伝子の強発現を誘導するメラノーマでも同じように効果があり、Lumican-IL12, Lumican-IL2, TA99、そしてPD-1抗体を組み合わせると、完璧に腫瘍を抑えられる。
以上が結果で、なぜこれまでこのような研究が行われなかったのか不思議なぐらいの結果だ。個人的な勘に過ぎないが、結構有望な治療になる可能性は高いと思う。
2019年6月30日
2015年12月7日に、魚類では最も短命のキルフィッシュのゲノムを調べ、寿命に関わる遺伝子が、短命にするためにも、長命にするためにも、進化により選択されることを示した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4519)。この時は、珍しい習性のゲノム研究の範囲だったが、同じグループはその後この珍しい魚の進化過程を解明しようと、環境の異なるアフリカ各地の魚のゲノムを調べ、厳しい環境と優しい環境での遺伝子進化を比べていた。
今日紹介するドイツ ケルンにあるマックスプランク老化研究所からの論文は、同じグループが2015年以来、アフリカ各地から集めた45種類のキルフィッシュの全ゲノムを解析した結果を、魚の住む環境と相関させた研究で、7月11日号のCellに掲載される。タイトルは「Relaxed Selection Limits Lifespan by Increasing Mutation Load(選択圧の低下は、突然変異の負荷を高めて寿命を制限する)」だ。
キルフィッシュのなかには、毎年繰り返す乾季と雨季のサイクルに合わせて世代が交代していく魚で、言いかえると水のあるうちに孵化、成長、交尾、産卵を行い乾季を卵で乗り切る、したがって、寿命は雨季に合わせた数ヶ月と極めて短い種が存在する。ただ、場所によっては乾季が長い厳しい環境と、水の多い優しい環境の両方に、同じように寿命の短い種が存在する。優しい環境なら、もっと寿命の伸びた種類が進化しても良さそうだが、この疑問に挑戦したのが今回の研究だ。
数理的な解析なしに現在の進化学は存在しないが、詳細は割愛して結論のみ以下にまとめる。
- キルフィッシュには毎年世代が変わる1年型と、多年型、中間型に分れるが、ゲノムサイズは1年型が5割程度大きい。また、この増加のほとんどは、トランスポゾンの割合が増えることが原因。
- 遺伝子を、強く選択されている遺伝子と、選択圧の低い遺伝子に分けられる。一年型のキルフィッシュで強く選択圧のかかる遺伝子は、発生から成長初期に必要な遺伝子で、孵化後急速に成長して産卵するという必要性を反映している。
- 強い選択圧にさらされていない特定の遺伝子に進化が収束することはないが、成熟後の生命機能に関わる遺伝子ほど選択圧が低い。
- 乾季の長い地域と、短い地域で同じ種類の1年型キルフィッシュを比べると、乾季の長い厳しい環境ほどゲノムサイズが大きく、またあまり致死的ではない遺伝子の突然変異の数が増えており、一定の方向への選択が起こっていることを示している。
- この厳しい環境で選択にさらされる遺伝子に対応する遺伝子を、人間とチンパンジーの遺伝子で見直すと、寿命に関わる遺伝子が多く存在し、厳しい環境で生きているチンパンジーほどそれぞれの遺伝子の機能が失われる変異が多く存在している。
- 選択圧の低い遺伝子には、寿命、神経変性、ガンなど、私たち高齢社会の重要な病気に関わる遺伝子が存在し、それらがどのように進化に関わるかを知る標的になる。
- キルフィッシュでは、これらの成熟後に必要となる遺伝子に多くの突然変異が蓄積することで、厳しい環境で短い寿命のライフサイクルが維持されている。
などが重要なメッセージだろう。
もともと自然選択は遺伝子情報から見ればエントロピーを下げる方向に働く。しかし、これを繰り返して起こるのは種の多様性であり、ゲノムの多様性で、すなわちエントロピーは増大する方向に進む。この種分化の特徴を理解するには、環境の多様性を熟知したシステムで研究する必要があるが、キルフィッシュの系はなかなか優れものであることがよくわかった。
2019年6月29日
網膜での入り口から1次視覚野(V1)まで、色と形は別のシグナルとして抽出され、その後より高次の視覚野に投射されて統合されると習ってきた。この根拠は、V1のCO blobと呼ばれる領域の神経は色と光の強さには反応するが、形の変化には反応しない一方、Blobの間に存在する神経は形に反応し、色に反応しないという結果だ。しかし、その後の研究で、本当にそんなに綺麗に分かれているのか疑問が生まれていた。
今日紹介するソーク研究所からの論文はサルのV1に存在するニューロンの興奮をカルシウムセンサーの発光を数千個単位で同時記録できる方法で観察し直し、ここの神経の色と形(線の傾き)に対する反応を記録した研究で6月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「Color and orientation are jointly coded and spatially organized in primate primary visual cortex (サルの視覚野では色と傾きは連合してコードされ空間的に組織化されている)」だ。
すでに説明したように、この研究ではこれまでマウスでは普通に用いられている多くのニューロンの活動をカルシウムイメージングを用いて同時に測定する方法をサルにも使えるようにして、色と線の傾きが変化する図形を見せた時の個々のニューロンの反応をすべて記録し、V1での色と形に対するニューロンが完全に分かれているか解析している。この時、on/offといった反応ではなく、形や色に対しての反応の程度を定量化して記録している。
結果は予想通りというか、これまで電極で記録した個別のニューロン記録から提案されてきた通説とは違い、形にも色にも個々のニューロンは異なる強さの反応を示す。このスコアをもとに、色の選好性の強さの指標(CPI)と傾きに対する選好性の指標(OSI)を計算し、また色調に対する選好性も同時に記録すると、確かに色や形にだけ反応する神経も多く存在するが、様々な程度で両方に反応する神経も存在することがわかった。
面白いことに、両方に反応するニューロンは色調に対する選好性が強く、これらは色に選択制の反応がある神経が集まるCO-Blobとは異なる場所に存在することがわかった。
他にも色々調べられているが、専門的なので割愛する。要するに、形と色は決して最初から別々に認識されるのではなく、それぞれに対する選好性が様々な程度の神経が存在して、連続的に認識されるという話になる。このことから、V1から次の高次視覚野V2との投射を、視覚認識の量と質といった両面からもう一度見直して再構成する必要がある。もちろんこれまでも視覚の認識回路は複雑だったが、今後はこれまで以上に複雑な回路を描き出す必要が出てくる。面白いけれども大変だ。