2019年8月25日
昨年の5月 自閉症スペクトラム支援団体、Autism Speaksがまとめた、ASD児の健康問題についてまとめたレポートを紹介した時 、消化器症状や摂食障害で本当に苦労しているというメールを何人かの家族の方からいただいた。このなかで、様々な消化器症状を主治医の先生に客観的に伝えることが難しいことも訴えられていた。できれば、ASDの子供を観察している家族が客観的にレポートができるよう、症状のチェックリストがあればいいなと思っていたら、10月22日号のJournal of
Autism and Developmental Disorders(Margolis et al, JAD
: https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10803-018-3767-7)に、ASDの消化器症状を早く診断するためのなかなか丁寧なチェックリストが発表されていたので、邦訳して紹介することにする。コロンビア大学、マサチューセッツ総合病院、ボストン大学医学部が共同で発表した論文で、タイトルは「Development of a Brief Parent-Report Screen for Common
Gastrointestinal Disorders in Autism Spectrum Disorder(ASDによく見られる消化器異常の親による簡単な診断とレポート)」だ。
このチェックリストの目的は、家族による客観的な情報収集により、医師の診断を助け、治療につなげることだが、この論文では臨床で広く利用した時、どのような効果があるのかについての記述があまり明確ではない。この結果、このまま家族の人に紹介することは、対策もないのに家族の不安だけを煽る結果を招くのではないかという心配がある。また、家族の方のメールを読むと、我が国ではASDをケアする医療側の体制が、なかなか総合的になり得ないという問題もあり、自己診断が進むと、医師が取り合ってくれないと余計に家族のフラストレーションを貯める結果になる懸念もある。
このように色々考えて見たが、しかし言葉でのコミュニケーションがスムースでない子供の消化器症状を知るためのチェックリストは重要だと考え、あくまでも自分の子供を理解する一つの方法として読んでいただくようお願いして、このリストを邦訳することにした。
チェックリスト
以下のような症状を見た場合に、消化器の障害が併発している場合があります。括弧の中に示した数字は、今回調査に参加した米国のASDの子供の家族がYesと答えた割合です。
消化器異常の直接症状
この3ヶ月の間に、お子さんは腹痛を訴えましたか? (33%)
この3ヶ月の間に、お子さんは吐き気を訴えましたか?(13%)
この3ヶ月の間に、お子さんはお腹の張りを訴えましたか?
(17%)
消化器症状による生活の変化
この1年、お子さんはひどい腹痛が2時間以上つづいて何もできなくなったことはありますか?
(15%)
消化器異常を示す客観的兆候
この3ヶ月、お子さんの便通はどうでしたか。
週2回以下 (13%)
週3回(一日3回の場合も含む。(80%)
週3回以上(2.4%)
この3ヶ月、お子さんの便はどんな感じでしたか。
硬い、とても硬い (25%)
とても硬いわけでも柔らかいわけでもない(46%)
大変柔らかい、形がない、あるいは水のよう (18%)
この3ヶ月、お子さんの排便時に、粘液や痰のような塊が出たことはありますか?(15%)
この3ヶ月、お子さんのパンツが汚れていたことはありますか?(48%)
これまでお子さんの便が黒かったり、コールタールのようだったことがありますか?(9.3%)
お子さんの便に血が混じっていたことや、排便後に出血が見られたことがありますか?(8,9%)
この3ヶ月、お子さんが1日2回以上吐いたことがありますか?(9.6%)
この3ヶ月、お子さんが吐き気を訴えたことがありますか?(9.8%)
この3ヶ月、お子さんが食べ物を口まで戻してそれをモグモグ噛んでいたことがありますか?(7.4%)
この3ヶ月お子さんの体重が増えないということはありませんか?(8%)
上記の兆候や症状の結果起こる活動の変化
この3ヶ月、お子さんの活動が以下の理由で制限されたことはありますか?
腹部の痛み、違和感(11%)
嘔吐(10%)
便通異常(10%)
腹部の大量のガス(9%)
消化管の運動障害
この3ヶ月、お子さんが便通時に痛がっているように見えたことがありますか?(17%)
この3ヶ月、排便のためにトイレに駆け込んだことがありますか?(
25%)
この3ヶ月、お子さんが便を出そうとして足を固く踏ん張ったり、お尻から足へと手で絞るような行動を見せたことがありますか?(28%)
この3ヶ月、頭を横に傾けて背中を反らせる動作を取ったことがありますか?(5%)
この3ヶ月、自分や他の人の手でお腹を押さえたり、お腹を家具などに押し付けたりする動作を見たことがありますか?(21%)
この3ヶ月、胸や首を叩いたり、口に拳を突っ込んだり、理由なしに手や腕を噛んだりしたのを見たことがありますか?(16%)
この3ヶ月、お子さんが食べ物を飲み込む時やその後に、息を詰まらせたり、咳き込んだりしたのを見たことがありますか?(21%)
この3ヶ月、お子さんがこれまで食べていた食物の多くを急に食べたがらなくなったことはありますか?(4%)
以上、実際にはこれらに思い当たる節があれば、このリストのことを医師に話して、問題がないか相談して欲しいと思っている。
すこしでも子供の声にならない訴えを聴くための助けになれば幸いです。
2019年8月25日
自閉症スペクトラム(ASD)はもともと様々な状態を総称しているが、これらの状態を正常・異常と分けないで、ニューロダイバーシティー(脳回路の多様性)として連続的に捉えることの重要性をこれまで強調してきた。だからと言って、ASDに見られる共通の症状を多様性という言葉で片付けるわけにはいかない。少しでもASDの人たちが生きやすいように適応してもらうには、あらゆる医学的検査を駆使して一般人との違いを明らかにし、治療標的を探す必要がある。この時、症状だけでなく、それに対応する脳回路の変化を客観的に捉える画像診断は重要だ。以前紹介したように 、脳の構造変化や脳領域間の連結などの解剖学的変化はMRIを用いてかなり詳しく調べることができるようになってきた。しかし、働いている脳の機能的違いの研究には、別の方法が必要になる。
今日紹介する10月号のHuman Brain Mappingと10月3日発行のScience
Translational Medicineに発表された2編の論文は、その研究内容というより、脳の機能を調べる2種類の方法を紹介するために選んだ。
まず最初のハーバード大学がHuman Brain Mapping10月号に発表した論文(Mamashli et
al. Maturational trajectories of local and long-range
functional connectivity in autism during face processing (自閉症の人が顔のイメージを処理するときに起こる局所的および長いレンジの連結性の成長での軌跡) Human Brain Mapping 39:4094, 2018 )で使われた脳磁図から説明しよう。
脳磁図 高校で習ったと思うが、電流が発生すると流れの方向に直角の平面に磁場が発生する。脳細胞の活動はイオンの流れ、すなわち電流を発生させるので、微小な磁場を計測できれば、どこで神経細胞が活動しているか領域を特定することができる。磁場は頭蓋骨を含む脳外の組織に影響を受けないので、高い空間分析能を持つイメージング技術として発展した。
この方法は、神経が活動している領域を検出するのだが、この活動のリズムが一致する領域を探すことで、神経連結の存在を推測することができる。これにより、一つの領域とどの領域が、どのぐらいの強さで結合しているのかを、課題を行わせながら測定することができる。
さて、ハーバード大学からの論文では脳磁図をどう使っているのだろうか?研究では、顔の認知に関わる紡錘状回顔領域(FFA)内の神経連結、およびFFAと楔前部(PC)、前帯状皮質(ACC)および下前頭回(IFG)の3箇所との神経連絡を計測する目的で使っている。FFAとの連結を調べたこの3領域は、これまでの記憶など統合情報に基づいて、トップダウンにFFAの活動に介入している領域で、年齢に応じて当然結合性はたかまる。
研究では、ASDと一般児に、怒った顔と、コントロールとして建物の写真を連続的に見てもらい、怒った顔に対する反応時の神経伝達を調べている。意外なことに、怒った顔の認識に関わるこれらの回路は、思春期以前では自閉症も、一般児もほとんど変わりが無い(もちろん、扁桃体など他の領域の活動には変化が見られることはわかっている)。しかし、一般児では成人するに従って、これらの回路の結びつきが強まるのに、自閉症では逆に弱まる傾向にあることがわかった。さらに、自閉症の社会性に関わる症状の強さとこれらの領域の神経結合の強さの相関性は年齢が高まるにつれ、よりはっきりすることも分かった。あえて解釈すると、時間とともにトップダウンの調整が行われなくなること示唆しているのかもしれない。
この結果は、怒った顔への反応を調べる課題に関する限り、思春期から成人への過程ですすむ神経回路の成熟にASDが大きな影響を及ぼしていることを示している。実際、思春期から成人にかけて脳が大きな変化を示すことは、誰でも経験している。とすると、自閉症の治療時期は、決して幼児期だけではなく、思春期からも重要であることがわかる。
次のUniversity of Londonからの論文では、陽電子放射断層撮影(PET)と呼ばれる方法を用いて、自閉症でのGABA受容体の量を測定している(Horder et al, GABA A
receptor availability is not altered in adults with autism spectrum disorder or
in mouse models(脳内のフリーのGABAa 受容体の数は自閉症スペクトラムの成人およびマウスモデルともに正常と変わらない) Science Translational Medicine 10:8434, 2018)
陽電子放射断層撮影(PET) まずPET検査について説明しよう。この検査では、脳の活動を測るために放射性アイソトープでラベルした様々な化合物を用いる。例えばよく行われる、ガンのPET検査には、FDGと呼ばれるアイソトープ標識したブドウ糖が使われる。これはガンが周りの組織と比べてブドウ糖をよく取り込むことを利用している。特定の分子に結合する化合物を用いると、脳内での物質の蓄積などを調べることができる。例えば、アルツハイマー病の診断では沈着したアミロイドに結合する化合物が用いられる。そして、まだアイソトープが放射線を出している間に、放射能がどこから出ているかを調べるのがPET検査だ。
この研究では、GABAと呼ばれる脳内の刺激伝達物質の受容体に結合する化合物を用いてPET検査を行っている。これにより、GABAに反応して興奮するシナプスの分布と量を測ることができる。これまでの研究で、自閉症ではグルタミン酸受容体を介する神経興奮が高まっており、これは神経活動を抑えるGABAaニューロンの活性が低下しているからではと考えられていた。
この活動の低下が、GABAに反応できる受容体の数の減少によるのかどうかを調べたのがこの研究で、知能正常、てんかん発作の既往がないASDの成人を選んで、脳内のGABAa受容体の数を、炭素11同位元素でラベルした2種類のGABAa受容体リガンドで計測している。
おそらく著者らは、GABAa受容体の数が減っていることを期待したと思うが、予想に反して使用した2種類のリガンドで検出される受容体の数は正常とまったく差がないという結果になった。ただし、PMPテストと呼ばれる極めてコントラストの高いイメージを目で追跡させるテスト(興奮性ニューロンと抑制性ニューロンのバランスを機能的に計測できる)を行うと、明らかにGABAaニューロンの活性が低下していることが推定されるので、受容体レベルではなく、GABAの分泌や、シグナル経路の異常がある可能性は高いと考えられる。
私見だが、受容体が正常なら、神経細胞の数は正常にある可能性が高く、GABAニューロンの活性を高めるための介入手段が他にあるかもしれない。
いずれの研究も、では大きな進歩があったかと問われると、難しいところだ。しかし、機能的脳回路の検査に関しても、少しづつ研究が進んで、客観的な評価を行う検査の数が増えることは心強いと感じている。
2019年8月25日
自閉症スペクトラム(ASD)は、対人忌避といった社会性の障害、言葉の発達遅れ、そして繰り返し行動が症状の特徴としている。それぞれは分かれているように見えるが、この3つの症状は全て社会性の障害を起点に説明できると個人的には思っている(あくまでも私見)。というのも、言語の発達には、他人とのコミュニケーションを求める積極的な気持ちが必要で、社会性が障害されると、当然言語の発達は遅れる。また反復行動も、社会から自分を守ろうとする行動と考えられる。実際、社会性という点では、ASDの正反対と言えるあまりにも無警戒に他人と関係を持とうとするウイリアムズ症候群の児童は、知能の発達は遅れていても、言語発達は目をみはる。
このように、ASD治療の一つの重点は社会性の回復と言える。これを実現すると期待されているのが、これまで「愛情ホルモン」と呼ばれ、人間の社会性を高めることがわかっているオキシトシンだ。事実本年、我が国から100名を超すASDに対するオキシトシン経鼻スプレーの効果を調べた研究論文が発表された。社会行動についてはプラセボ群と有効な違いが得られないという残念な結果に終わっているが、反復行動や、相手の目を見る時間については改善が見られたので、治療薬としてさらに追求する価値はあると思う(Yamasue et al Molecular Psychiatry :https://doi.org/10.1038/s41380-018-0097-2 2018)。
ただこれらオキシトシンを用いた研究の最大の問題は、脳に近い経鼻ルートでオキシトシンを投与したとして、オキシトシンがどの程度脳に移行するのかよくわかっていないことで、本当はもっと効果があるのに、脳内への移行の問題で高い効果には至らないのかもしれない。オキシトシンは、8つのアミノ酸が結合して作る複雑な構造をしており、視床下部で合成される脳内で効果を示す神経ホルモンで、素人の私が見ても脳血管関門を簡単に通過するようには見えない。確かにこれまでの多くの研究は、脳外からの投与でも一定の効果があることを示しているので、一定量が脳に到達しているとは思う。しかし脳への移行の効率がはっきりしない段階では、一般治療へと発展することは難しいと思う。
今日紹介するフランスのストラスブール大学からの論文は、まさにこの問題を解決しようと、オキシトシンと同じ作用を持つ、ペプチドとは違う化合物を開発した研究でJournal of Medical Chemistryに掲載された(Franz et
al, LIT-001, the First Nonpeptide Oxytocin Receptor Agonist that Improves
Social Interaction in a Mouse Model of Autism (世界初のペプチドとは異なるオキシトシン受容体刺激剤LIT-0001はマウスの自閉症モデルで社会性を改善する), Journal of
Medical Chemistry in press, DOI:10.1021/acs.jmedchem.8b00697 )。
この研究では、オキシトシン受容体がバソプレシン受容体と構造的に似ていることに注目し、これらの受容体に結合できる共通の化学構造としてのベンゾイル・ベンズアゼピンを特定し、この構造を骨格とする化合物から始めて、オキシトシン受容体を発現させた細胞での特異的シグナル伝達活性をもつ化合物を、合成化学的に探索し、化合物57、LIT-001に辿り着いている。
化合物の開発に興味ある人にとっては、LOT-001に辿りつくまでの合成有機化学的試行過程が最も面白いのだと思う。また、この薬剤を起点に、さらに優れた薬剤へ磨きをかける場合も、この過程の情報は貴重なものだと思う。しかし、私たち合成化学についての素人にとっては、最後に示される化合物の性質が最も重要で、今回はこれだけを紹介する。
まず3種類のバソプレシン受容体、およびオキシトシン受容体をそれぞれ発現した細胞を用い、これら受容体が刺激された時におこるシグナル反応(カルシウム遊離やβアレスチンの受容体へのリクルート)を指標にLITー001の活性を調べると、オキシトシン受容体への作用はオキシトシンと比べて1オーダー低いが、特異性はLT-001の方が優れていることがわかった、
その上で、オピオイド受容体が欠損することで社会性が失われるモデルマウスに投与すると、10mg/kgで社会性を回復させられることがわかった。具体的なデータは示していないが、脳内への移行も、化合物としての安定性も高いので、薬剤候補としての十分な資格を持っていると言える。
もしこれまでのASDに対するオキシトシン効果の研究成果が正しいとすると、この薬剤はASDに対する薬剤として大きな可能性を持っていると思える。ぜひ早期に治験が行われる事を期待する。
欧米ではASDは60-70人に一人発症すると言われている。とすると医療現場からの期待だけでなく、ビジネスとしても大ヒットの薬剤として発展する可能性を秘めている。期待したい。
2019年8月25日
今年6月、天才ディーラーと呼ばれたジェームス・シモンズとその妻マリリンが設立したシモンズ財団の助成を受けて進められている、目標5万人の自閉症の子供たちの追跡調査(コホート研究と呼ぶ)SPARKについて紹介した 。ゲノムも含め、さまざまな項目について調べる意欲的なコホート研究だ。
これに先立ち、3000人の自閉症児を持つ家族についての様々なデータがSimons Simplex Collectionとしてデータベース化されている。この調査項目の中には、睡眠障害についての調査も含まれており、それもアンケートに記入させるのではなく、11の項目について、親に直接、あるいは電話でインタビューするという徹底的な調査だ。
このSimons Simplex Collectionに集められた睡眠障害についての調査をまとめたデータが、ピッツバーグ看護大学の研究者によりResearch in Autism Spectrum Disordersという雑誌に報告されたので、簡単に紹介しておく(Johansson et al, Characteristics of sleep in children with autism
spectrum disorders from the Simons Simplex Collection (Simons
Simplex Collectionに集められている自閉症スペクトラムの睡眠に関する問題)Research
in Autism Spectrum Disorders 53:18, 2018)。
基本的には、4歳から18歳までの自閉症スペクトラム(ASD)児の両親に睡眠について聞いたインタビューのまとめだが、データとして2600人を超えるというのは、これまで調査された数をはるかに超えており、シモンズ財団のあつい支援の賜物だと言える。
質問の項目だが
夜間の問題(1、ベッドに行かせるのが難しいか?2、寝つきが悪いか?3、親の添い寝が必要か?4、夜中に何度も目を覚ますか?)
お昼の問題(1、寝起きが悪いか?2、うたた寝の長さや回数が多いか?3、昼間でもいつも眠たがる?4、十分寝ているか?)
睡眠時間の問題(1、就寝や起床時間が規則正しいか?2、睡眠時間は一定しているか?3、実際には1日何時間寝ているか?)
これまでの調査でも多くのASD児が睡眠障害を訴えていることが知られていたが、この大規模調査によって詳しい実態が見えてきた。
1)まず11項目のうちのどれか一つの症状があると答えた両親はなんと62%に達している。また、2項目以上が合併して、間違いなく睡眠障害があると診断できるのが41%に上っている。その結果、2-3割の子供が、学会が推奨している睡眠時間が確保できていない。
2)夜、昼を問わず、女性の方が睡眠障害を示す率が高い。
3)知能障害を持つ子供の方が、持たない場合より睡眠障害の率が高い。
4)若いほど睡眠障害が重い。すなわち、年齢に合わせた知能の発達により睡眠障害が抑えられる。
5)自閉症の症状が強い方が、睡眠障害が強い。
データはこれだけだが、睡眠障害が起こる原因の一つは、ASDでは消化管症状が多発するので、これが眠りを妨げている可能性がある。さらに、ASDの子供は、痛みの閾値が低いため、普通なら眠りを妨げることがない消化管の症状でも睡眠障害の原因になることも考えられる。従って、睡眠障害の治療としてまず考えるべき治療は、消化器症状があるかを診断して、この症状を改善させることだと言える。
その上で、難しくとも気長に規則正しい睡眠時間を取るよう指導することが重要になる。睡眠は、私たちの精神性や記憶に大きな影響がある。従って、なんとかASDの睡眠パターンを正常域に戻すことは、ASDの治療にもつながる可能性がある。そのためにも概日周期に関わる遺伝子も含め、このデータベースに集まる様々な検査データの相関を調べることが重要だと思う。その意味で、このデータベースの価値は計り知れない。
2019年8月24日
今日は自閉症の遺伝子研究の解説も兼ねて、スペインからの論文を紹介したい。一般の人には難しい箇所も多いと思うが、ぜひ紹介したい重要な論文なので、なんとか読破してほしいと願っている。
自閉症遺伝子研究の難しさ
自閉症スペクトラム(ASD)は、一卵性双生児間での発症一致率が高いことから、遺伝的要因が高いと考えられている。しかし病気のゲノム研究が進むにつれ、何か特定の遺伝子がASDの発症を促すというケースはまれで、遺伝性はあっても、たくさんの遺伝子が様々な程度に複雑に絡み合って出来上がった脳の状態であることがわかってきた。こうしてASDリスク遺伝子としてリストされた遺伝子は今や100以上になっている。
もちろんASDの原因として単一の遺伝子変異を特定できる場合もある。しかしこの場合も、特定の分子の変異が多くのASDリスク遺伝子の表現に影響を及ぼし症状が出ることが普通だ。
一般の方は、遺伝子変異による病気というと、例えば凝固因子遺伝子の変異で、血液が固まりにくくなる血友病のようなケースを想像されると思うが、実際にはこのように多くのリスク分子の表現が絡み合っている遺伝性の病気も数多くある。
突発性のASD研究の難しさ
このように、ASD発症の原因として一つの遺伝子変異が特定される場合もあるが、ASDの大半は遺伝性はあっても、その遺伝子変異を特定することが難しい。医学ではこのような場合を突発性 と呼んでいる。原因遺伝子が特定できる場合でも、また突発性でも、ASDは、1)社会性の低下、2)言語発達の遅れ、3)反復行動、など共通の症状を示すことから、突発性のASDの背景に、多様ではあっても共通の分子メカニズムが存在していると予想できる。しかし研究の攻め口が見つからず、分子メカニズムの研究は難航していた。
自閉症関連遺伝子を調節する分子 CPEB4の発見
今日紹介するスペインのオチョア分子生物学研究所からの論文は、突発性ASD患者さんに共通に存在する分子レベルの手がかりを見つけることに成功した画期的研究で、昨日発行のNatureに発表された(Parras et al, Autism-like
phenotype and risk gene mRNA deadenylation by CPEB4 missplicing (CPEB4のスプライス異常による自閉症様形質とリスク遺伝子mRNAの脱アデニル化), Nature 560:441-446, 2018)。
あらゆる詳細をすっ飛ばして、この研究の発見を一言で表現すると「突発性のASDでは短いCPBE4分子の割合が多く、その結果多くのASDリスク遺伝子の発現がまとまって低下してしまう」 になる。しかし医学研究者でもこれを聞かされただけでは、なんのことかわからないと思うので、できるだけわかりやすく解説してみよう。
CPEB4とはどんな分子か?
遺伝子(DNA)から読み出されるmRNAには、タンパク質を作る工場、リボゾームと結合するためのアデニンの繰り返すPoly-A tailが付いている。CPEB4はこのpoly-A tailから少し離れた場所に結合して、poly-A tailの長さを調節する起点となる働きを持っている。もしpoly-A tailが削られてしまうと、リボゾームにmRNAを届けられず、タンパク質の合成が低下することになる。これまでの研究で、CPEB4は神経細胞間の連結部位、シナプスでの神経伝達の強さを調節するタンパク質の合成を調節し、学習や記憶に重要な働きをすることがわかっている。
CPEB4は多くのASD関連遺伝子のmRNAと結合する
CPEB4は全てのmRNAと結合するわけではなく、支配するmRNAは3000種類ほどだ。そして驚くことに、これまでのゲノム研究で自閉症リスク遺伝子として特定された遺伝子のmRNAの多くがCPEB4と結合することが明らかになった。すなわち、初めてASDと自閉症リスク遺伝子セットを結合している分子の手がかりが見つかった。
ASD患者さんでは4番目のエクソンが欠損したCPEB4の割合が多い
ではASDの人と、一般の人のCPEB4に何か違いがあるのか?もちろん遺伝子自体の変異はないが、CPEB4 mRNAの中の、4番目のエクソンが欠損しているmRNAの比率が、突発性ASDでは高いことが明らかになった。
DNAから読み出されたmRNAは、核の中でタンパク質の情報部分(エクソンと呼ぶ)だけを選び出す切り貼りが行われ、短いmRNAに変換される。これをスプライシングと呼んでいるが、この時遺伝子の一部を飛ばしてしまって切り貼りすることがよく起こる。この結果短いmRNAができる事自体は多くのmRNAで普通に起こっているが、4番目が飛んでしまったCPEB4mRNAの比率だけがASDの脳で高いというのは、何かありそうだと思える。
しかも、4番目のエクソンが飛んでしまったCPEB4の割合が多い脳細胞では、自閉症リスク遺伝子の25-40%でmRNAのpoly-A tailが短くなり、その結果これらASDリスク遺伝子のタンパク質が作られにくくなることがわかった。影響を受けるASDリスク遺伝子をよく見ると、社会性に関わるオキシトシンシグナルに関わる分子の合成が最も影響を受けていた。
4番目のエクソンが欠けた遺伝を持つマウスはASDの症状が出る
最後に、人の自閉症に症特異的に見られた4番目のエクソンが欠けたCPEB4遺伝子を導入した遺伝子改変マウスを作成し脳を調べると、多くのASDリスク遺伝子のpolyAが短くなり、タンパク質への翻訳が低下し、そしてその結果マウスが自閉症に似た症状を示すことがわかった。一方、単純にCPEB4を神経細胞からノックアウトしただけでは、このような変化は見られず、エクソン4の欠けたCPEB4が多い時にASDの様な症状が起こることが明らかになった。
まとめ
以上が結果で、これまで読んだ自閉症ゲノムの研究では、最も感銘を受けた。何よりも、自閉症リスク遺伝子としてまとめられる遺伝子群にも、明確な分子生物学的特徴(CPEB4結合性)があることがわかった。このような性質が、脳の進化の中でどう誕生したのか?またこの性質が進化的にマウスから保存されているとすると、CPEB4結合性はどの脳機能に関わっているのか?疑問は尽きない。もしこれらの疑問が解けてくれば、自閉症理解は大きく進むだろう。
自閉症理解という観点からいえば、なぜASDで4番目のエクソンがスキップされた短いCPEB4mRNAが増えるのか。これがわかると、治療も可能になるかもしれない。
最後に、突発性ASDのマウスモデルができたことも、今後の研究にとって大変重要な進歩だ。今後の進展に期待したい。
2019年8月24日
オキシトシンによる自閉症治療
自閉症は社会性の低下、言語発達の遅れ、そして反復行動を共通に持つ一種の脳の状態と言えるが、他人や社会との関係を嫌う社会性を正常化させることが、最も重要な治療の目標となる。これまでの研究で、対人関係を保つことに密接に関わるとされているのがオキシトシンで、我が国でもオキシトシン投与により、自閉症の対人コミュニケーション能力を回復させることを目標にした臨床研究が2013年から行われている 。これまで発表された論文から見る限り、効果は期待できそうで、是非さらに効果を高める投与法、時期を決めてほしいと願っている。
ただオキシトシンが社会性の低下を回復させる作用を持つとしても、そのメカニズムを脳回路レベルで明らかにするのは、人間では行える検査に限界があり簡単ではない。これまでの研究でオキシトシンは側座核(NAc)と呼ばれる脳の奥の方にある領域のセロトニン分泌神経に働いて作用すると考えられているが、この回路を調べようと思っても、たかだかオキシトシン投与による脳イメージング検査の変化を症状の変化と対応させるのが関の山だった。このギャップをうめるためには、どうしても動物モデルを使う脳研究が必要になる。
Karl Deisserothと光遺伝学
神経回路の興奮を直接調べるためには、動物モデルが必要だが、社会行動時の脳の記録や操作は簡単ではない。というのも、マウスでも社会性を調べることができるが、それには動物が自由に行動できるという条件がある。そのため、自由に行動している脳の活動を調べ、さらに特定の神経集団を刺激するための方法の開発が必要だった。これを可能にしたのが本年度の京都賞受賞者Karl Deisserothで、脳内とつながった光ファイバーを通して光を照射することで、自由に動いている実験動物の特定の神経細胞を刺激したり、抑制したりする「光遺伝学」という手法を開発した、まだ40代の研究者だ(京都賞ウェッブサイト参照 )。
少し難しい話になるが、せっかくだし原理をごくごく簡単に説明しよう。まずマウスの遺伝子を操作して、特定の脳細胞だけに光に反応して開くカルシウムチャンネルやイオンポンプ分子を導入する。詳細は省くが、この操作により光を脳の広い領域に当てても、特定の神経細胞だけを興奮させたり、抑制させたりすることができるようになる。シナプスでの神経伝達がカルシウムの流入によることをうまく利用した方法で、光遺伝学による実験動物の脳操作は今や脳研究分野を席巻し、クリスパーによる遺伝子編集に匹敵する現代生命科学に欠かせない実験手法になっている。
マウスの社会性に関わる細胞
今日紹介したいスタンフォード大学からの論文は、この光遺伝学を駆使して、マウスの社会性に及ぼすセロトニンの作用を調べた論文で、次週号のNatureに掲載される予定だ(Walsh et
al, 5-HT release in nucleus accumbens rescues social deficits in mouse autism
model(則座核でのセロトニン分泌はマウス自閉症モデルの社会性の欠如を回復させる), Nature
in press, 2018 )。
この研究では自閉症の一つの遺伝的原因として知られる16番染色体の一部の欠損と同じ変異を起こさせたマウスモデルを用いて、このマウスが示す社会性の欠乏を治す回路を明らかにしようとしている。このように、同じ遺伝子変異でよく似た症状が見られる場合は、動物モデルの価値は高い。またこのタイプの自閉症では、社会活動時のNAcへセロトニン神経の端末を送っている縫線核(DR)のセロトニン活性が落ちていることが知られており、これを正常化することで社会性を回復できるかどうかは、オキシトシンの作用を理解するためにも重要なテーマと言える。
研究ではまず、NAcとDRをつなぐセロトニン神経回路が社会性を支配しているか調べている。方法は、DRのセロトニン神経に光で興奮させるチャンネルロドプシンを発現させ、この刺激によりセロトニンがNAcで分泌されると社会性が高まるかを調べている。DR領域に光を当てても、またNAcに来ているDRからのセロトニン神経端末に光を当てても、同じように社会性が高まることから、DRからNAcへ伸びるセロトニンニューロンが社会性を支配する回路であることが確認できる。もちろん、光遺伝学的にこの神経結合を阻害する実験も行い、この回路の働きが落ちると社会性が低下することを確認している。
次は16p11欠損を再現した自閉症モデルマウスでこの回路を調べている。この遺伝子領域を生後すぐに欠損させると、確かに社会性の低下が見られる。そしてこの症状に対応して、DRのセロトニン神経細胞の興奮が強く押さえられていることがわかる。そこで、この神経を光遺伝学的に刺激してセロトニンを分泌させた時に症状が改善するか調べると、期待通りNAcに来ているDRの端末からのセロトニン分泌を誘導したときだけ社会性が改善する。詳細は省くが、この回路でのセロトニン分泌だけが社会性を回復させる効果があることを様々な実験で確認している。
次に、セロトニン分泌刺激が神経回路の特性を変えて長期的効果を持つかを調べている。もちろん、セロトニン分泌の効果が長く続けば願ったり叶ったりだが、残念ながら社会性の回復は、神経細胞が刺激されている時だけ見られる一過性のものだ。最後に、光刺激の代わりに、セロトニン受容体の刺激剤CP93129を投与してもこのマウスの社会性欠乏を治療できることを示している。
結果は以上で、一過性とはいえ、セロトニン分泌回路をうまく刺激できれば、16q11変異を持つ自閉症の社会性を回復させられる可能性を示す重要な結果だと思う。同時に、現在行われているオキシトシンによる治療を、基礎脳科学からに支持している結果だと言える。残念ながら、この研究はセロトニン分泌の社会性への影響は一過性であることを示した。おそらく同じことはオキシトシン治療にも言えるだろう。しかしこのような結果を考慮した上で、さらに有効な治療プロトコルが開発されることを期待したい。
現役時代京都賞選考にも関わる機会があったが、このように、人の病気と実験動物をつなぐ研究を可能にしたKarl Deisserothの京都賞受賞を本当に喜んでいる。
2019年8月24日
子供の発達に伴う行動の変化については詳細な記録の蓄積があると思います。またこの蓄積は、育児書などを通して、一般の方も子育ての参考にされていることでしょう。しかし、この過程を、脳の機能発達の過程とつなげるのは、簡単なことではありません。でも発達障害を理解し、治療法を開発するためには避けて通れない重要な課題です。幸い乳児期から脳の機能を調べる様々な方法が開発され、この分野にも少しずつ日が差してきたのが現状ではないでしょうか。
人間を脳の発達の結果として捉えた科学者の中ではフロイトが最も有名だと思います。もちろん、脳機能を調べる方法は皆無と言っていい時代でした。それでも、彼は間違いなく脳の発達の結果として、人間を捉えていたように思います。多くの著書があり、日本語にも訳されていますが、一般の方が読まれる機会はほとんどないと思います。しかし、行動の背景に必ず脳に刻まれた様々な過程があることを、精神の病気を例に説明する迫力には圧倒されます。
最近になってフロイトの文章を読み返していたとき、脳科学の発達した今、彼の文章をそのまま理解するよりは、新しい脳科学の考え方で彼の文章を読むほうが、はるかに納得できることに気付きました。。そんなわけで、フロイトを脳科学的に捉え直してみることを一度大胆にも試みたことがあります。顧問先の生命誌研究館のウェッブサイトに2回に分けて書いています。一般の方は間違いなく難しいと感じられると思いますが、もし興味があれば是非読んでほしいと思い、私の解釈を簡単に紹介したいと思います(フロイトの意識と自己 第1回 、第2回 )。
このブログではフロイトの「自我とエス(中山元訳ちくま学芸文庫)」から引用した一文
「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。・・・・少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」
を中心に解説しました。
(おそらく、このフロイトの文章を読まれただけで頭が大混乱かもしれません。普段使わない言葉が多すぎるのです。例えばここで備給と訳されているのは、ある対象で心が占拠されることを意味します。ドイツ語ではBesetzungですが、わざわざ普通使わない単語を使うのが我が国の翻訳の重大な問題だと思います。もう一つ一般的哲学書の例を挙げると、understandingを悟性などと訳してしまうことで、古典を読む意欲を削いでしまっていると思います)。
さて、この文章を私なりにまとめてしまうと次のようになります。
「赤ちゃんは最初唇を通してしか外界を感知できないため、最初の自己はこの感触との関係で形成されます。このため、当然母の乳房が世界の全てとして脳内に刻まれるはずです。ただ、脳内のイメージは発達とともに変化していきます。唇から描かれた世界に、手や足、匂い、音を通して新しい世界が開かれ、これによって脳内の外界についてのイメージが変化していきます。そして最後に、遅く発達してくる視覚を通して世界が見えてくるわけです。このような、新しい外界のイメージをそれ以前に形成した自己と統合し、自我を形成する過程の最初が、唇を通した母のイメージで、身体の直接的触れ合いを通して形成されることから、身体的、性的な対象として描かれるのでしょう。そこに、視覚のような高次の感覚からだけ形成される父親のイメージが入ってくるのです(お母さんに依存して生きている子供を急に、匂いも雰囲気も違うお父さんが抱き上げたことを想像してください)。当然、母親を争い合う競争相手としてイメージされるはずです」
少しわかりやすくしすぎましたが、このような脳の発達過程は必ず機能的にも検証できると思っています。
乳児が唇を通して世界を感じていることは、唇に触れたものを追いかける口唇反射を見ると納得できます。これをフロイトは口唇期と呼んでいます。この唇からの感覚に対する脳内の反応について脳波を用いる機能的検査で確かめたワシントン大学からの論文がDevelopmental Scienceに先行出版されたので、最後に紹介します(Meltzoff
et al, Neural representations of the body in 60-day-old human infants(60日齢の子供の脳に形成された身体の表象)Developmental Science
in press,https://doi.org/10.1111/desc.12698 )。
研究は極めて単純で、60日目の乳児の脳波をとりながら、左手、左足、そして上唇をタッチセンサーを兼ねた棒で触り、その時の脳の反応を比較的簡単な脳波計で調べているだけです。結果も簡単で、乳児ではそれぞれの場所を触られた時、だいたい0.2秒ほどで脳の反応が見られますが、反応の強さは唇の刺激が他の刺激と比べて圧倒的に強く、電位差にして2倍以上の反応が記録できるという結果です。さらに、反応する脳の範囲について見ると、唇への反応は脳の大きな領域で見られますが、手足に対する反応は小さな領域にとどまっています。
フロイトを読むより、口唇期の行動と脳がよく理解できる論文だと思います。私たち大人でこのような体の感覚の脳地図を作ると、感覚の発達した手や、顔が大きな領域を占める小人が描けますが、大人になっても唇があれほど大きな場所を占め、さらに食欲や性欲といった、重要な機能を今も担っているのは、この感覚から私たちの自己が生まれるからではないでしょうか。
体の感覚が、このような単純なイメージからどう複雑になっていくのか、この発達の経過を脳機能と結びつけて理解することが、必ず発達障害に対する科学的治療開発につながることを確信します。
2019年8月24日
てんかんの発作に対して様々な抗けいれん薬が開発されてはいるが、治療に反応しない「難治性てんかん」と呼ばれる症例が数多く存在する。これまでは手術的にてんかんが起こる場所を取り除く以外方法がなかった難治性てんかん治療に、最近になって新しい治療法が開発され期待されている。一つは、大麻やその成分の使用で、子供にも使えるよう大麻成分を用いた治験が進んでいる。もう一つの方法が、糖質制限を中心にしたいわゆるケトン食による治療で、様々なタイプのてんかんに効くことがわかってきた。
ただ大麻成分を用いる治療と比較した時、ケトン食によるてんかん治療は効果のメカニズムが明らかでなく、また多くの家庭にとっては導入が難しいため、普及が遅れていた。今日紹介するUCLAからの論文はケトン食により腸内細菌の構成が変化することが、ケトン食で神経興奮性を抑制されるメカニズムではないかと着想し、それを確かめた研究だ(Olson et al, The gut microbiota mediates the anti-seizure effects of
ketogenic diet(腸内細菌叢がケトン食の抗けいれん作用を媒介する)Cell 173:https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.04.027)。自閉症の中にはてんかんを併発する場合もあるので、紹介することにした。
食を通した治療の効果や副作用はまず腸内細菌叢を疑うのが今の常識になっている。この研究ではまず、ケトン食が効果を示すてんかんモデル系を作成した上で、効果が見られたマウスの腸内細菌叢を調べ、アッカーマンシア(AK)とパラバクテロイデス(PB)と呼ばれる2種類の細菌の割合が著明に上昇していることを発見する。
あとはこれらの細菌が発作の抑制に関わるか因果性を確かめる必要がある。まず細菌叢がケトン食の効果に関わることを調べるため、無菌マウスや抗生物質で腸内細菌を除去したマウスにケトン食を食べさせる実験を行い、ケトン食の効果には細菌叢が必要であることを確認する。
そしていよいよ細菌を移植する実験を行い、最終的にAKとPB両方の細菌を移植すれば、普通食でも神経が興奮しにくくなり、発作の回数を減らせることを発見する。すなわち、ケトン食はこれらの細菌の選択的な増殖を促すことで、発作を起こりにくくしていることになる。
では、なぜこの2種類のバクテリアが多いと、神経の興奮性が抑えられるのか?
細菌が移植された動物の腸内や血清中の代謝物を調べ、ガンマグルタミン酸化されたアミノ酸の低下が最も激しいことを発見する。また、この全身性の変化に対応して、海馬の神経伝達因子のうちGABAの方がグルタミン酸より割合が高まることを突き止めている。この結果は、腸内でのアミノ酸のガンマグルタミン酸化を止めてガンマグルタミン化されたアミノ酸の量が減ることで、抑制性の神経活動が上がり、発作を防げる可能性を示している。
そこで普通食のマウスにガンマグルタミン酸化を阻害する分子を投与すると、発作を減らせることも証明している。マウスの話とはいえ難治性てんかんを抑える新しい切り口が間違いなく示されたようで、個人的には期待している。例えば、AK+Pbを腸内に移植する治療法、さらには腸内細菌にのみ効果があるガンマグルタミン酸化阻害剤など、比較的導入しやすい治療法に思える。
同時にケトン食サプリとして使われるアミノ酸を直接取り込むと、腸内でガンマグルタミン酸化がおこり、逆に興奮性が高まることも示し、ケトン食ならなんでもいいというわけにはいかないことも示している。これまでのケトン食の再検討も含め、新しい治療法が本当に期待ができるのか、是非研究を加速してほしい。
2019年8月24日
先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した(http://aasj.jp/date/2019/07/27) 先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した。光遺伝学によりこれまで照明が難しかったことが明らかになる例の一つだ。ただ、この時感覚神経は、裸で皮内に端末を投射していると考えていた。
ところが一月も経たないうちに皮膚感覚にかかわる神経にシュワン細胞がぴったりと接着して走り、特に触覚のセンサーとして働いていることを示す論文がスウェーデンのカロリンスカ研究所から8月16日号のScienceに発表された。タイトル「Specialized cutaneous Schwann cells initiate pain sensation (特殊な皮膚シュワン細胞が痛みの感覚の起点になる)」だ。
おそらくこの研究は皮膚のグリア細胞の分布を調べるために始めたと思うが、グリア細胞特異的に蛍光タンパク質が発現するようにしたマウスを調べると、なんと真皮と上皮の間にシュワン細胞が存在して、そこから神経を囲むようにして真皮に伸びていることを発見する。ミエリン鞘こそ形成しないが、まさに感覚神経とセットになっている。
もちろんグリア細胞は神経に栄養を与えたり様々なサポートを提供する細胞だが、この研究ではひょっとしたら感覚にも関わっているのではないかと、チャンネルロドプシンをシュワン細胞特異的に発現させ、光を当てた時の行動や神経の興奮を調べると、シュワン細胞の興奮が感覚として神経に伝わることを発見する。
さらに、光をあてると神経興奮を抑制する逆方向のチャンネルを導入して、どの刺激に対する感覚が抑制されるか実験を行い、熱や寒さには関係ないが、抑えた時のメカノセンサーに関わることを確認する。
最後に直接興奮を記録する方法で、機械刺激に対するシュワン細胞の反応特性を調べると、押す、引くなどポジティブ、ネガティブな刺激に極めて迅速に反応するが、すぐにアダプテーションして持続刺激には反応しなくなることを示している。
皮膚の感覚は極めて繊細で、その異常は持続すると不快感につながるが、このような精密な分業体制があるとすると、今後の薬剤開発も神経だけではなく、シュワン細胞も含めて考える必要があるだろう。高齢者としてすぐ考えるのは、老化した皮膚ではどうかという問題で、ぜひ人間で詳しい研究を進めてほしいと思う。
2019年8月23日
ニーマンピック病はスフィンゴミエリナーゼと呼ばれる酵素が欠損する病気で、最も重いものでは早くから進行性の脳障害をきたす病気だ。酵素活性がある程度残っている患者さんでは、脳は正常だが、スフィンゴミエリンの蓄積によるライソゾーム機能異常により、肝臓脾臓腫大、呼吸機能低下が起こる。最近、この酵素を注射すると体の様々な臓器に取り込まれて、リソゾーム機能が回復することが示され、脳障害のない子供を治療する治験が進んでいる。しかし、酵素は脳に到達できないので、脳症状は遺伝子治療が最も近道と考えられてきた。
実際、モデル動物を用いて脳に直接アデノ随伴ウイルスベクターに組み込んだ遺伝子を注射する研究が行われてきたが、ウイルスベクターが万遍なく脳に広がらないため、局所的にスフィンゴミエリナーゼの発現が高くなりすぎ、その結果スフィンゴミエリンの分解物が強い炎症を引き起こすという問題が立ちはだかっていた。
これに対し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究グループは、この問題をアデノウイルスに組み込んだスフィンゴミエリナーゼ遺伝子を小脳延髄槽に注入することで解決できることを示し、この病気の遺伝子治療を一歩進めることに成功した。(Samaranch et al, Adeno-associated viral vector serotype 9–based gene therapy for Niemann-Pick disease type A Science Translational Medicine 11, eaat3738).
この研究のミソは、向神経性の強いアデノ随伴ウイルスベクター(AAV9)を用いたことと、図に示したように小脳と延髄の間にある脳室にウイルスを注射した点にある。
詳細は全て省くが、私が理解した限り、マウスでは小脳だけでなく、海馬から皮質に至るまで神経細胞とグリア細胞の両方にスフィンゴミエリナーゼを発現させることに成功し、運動機能、記憶機能の回復とともに、通常30週ぐらいで始まる死亡を完全に抑制することに成功している。
もちろん同じプロトコルが人間で有効かどうかはやってみないとわからないが、脳症状については根本的治療方法がない現状で、一刻も早く実際の治験に進んで欲しいと思う。マウスでの前臨床データから見る限り、臨床治験に進むのを躊躇する理由は見当たらない。そして、ぜひ現実的な価格で治療を受けられるようにして欲しいと思う。