6月23日:モーツアルトはお好き?(ドイツ医師会雑誌国際版6月号掲載論文)
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6月23日:モーツアルトはお好き?(ドイツ医師会雑誌国際版6月号掲載論文)

2016年6月23日
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   2年前高野山大学が大阪で毎年開催している一般向けの講演会で話をしたことがある。「生物学の成り立ち」などと堅い話をして、あまり受けなかったが、この講演会のプランナーであった京大医学部の大先輩、村上和雄筑波大学名誉教授は、心と体の関わりを面白おかしく話され、大受けしていたのを覚えている。この時村上さんは「笑いの身体的影響」についての自らの実験の話をされた。一般の方に昼食後、初日は「糖尿病のメカニズム」について話をし、2日目には同じ時間に生でコンビ漫才を聞かせた後血糖の上昇を調べ、漫才を聞いて大いに笑った場合、医学の講義を聞いた時と比べて、血糖の上昇が著明に抑制できたという結果だ。茶目っ気の多い村上先生ならではの実験だが、決して話題のための実験ではなく、論文として発表されているのを知って感心した。
   今日紹介するドイツ・ルール大学からの論文も同じ様に「心と体」の問題を、今度は音楽について調べた論文でドイツ医師会雑誌国際版6月号に掲載されている。タイトルは「Cardiovascular effect of musical genres(心血管に影響する音楽ジャンル)」だ。
  研究では平均年齢47歳、平均血圧が124/77mmHgの健康人120人をランダムに2グループに分け、片方にはモーツアルト交響曲40番、ヨハンシュトラウスワルツ集、そしてスウェーデンの音楽グループABAのアルバムを順不同に聞いてもらい、それぞれのジャンルを聞いた前後の血圧、脈拍数、そして血清コルチゾール濃度を調べている。対照群は静かな部屋で安静にしてもらった後、同じ検査を受けている。
  結果は全ての検査で、音楽を聞いた方が静寂より良い効果がある。血圧と脈拍に対しては、モーツアルトの交響曲が最も高い効果を示し、収縮期圧で4.7mmHg、脈拍数では毎分6回程度低下する。次に効果が高いのはヨハンシュトラウスで、ABAの音楽は静寂よりは効果があるが、モーツアルトやヨハンシュトラウスより少し劣るという結果だ。
    話のネタとしてはわかりやすいし、おそらく誰もが納得できる結果だと思うが、村上先生の実験も含め、この様な研究を「話題・ネタ」で終わらさないことが科学者にとっては重要なことだ。
   デカルトの2元論以来、科学者は「心」と「体」を分離して、一般の日常世界とは異なる生命科学領域を育成してきた。ただ、当時の「心」は「脳」という言葉でずいぶん置き換わっている。今日紹介した2つの話も、実際には「脳」と「体」との関係に変えることは簡単だろう。とは言え、「脳」の経験する歴史の違いが「心」になり、脳科学永遠の課題「私・自己」になる。そう思うと、人工知能研究にとって最も重要な課題は、人工知能が自己を持つ過程の解明ではないかと思う。この時、血糖検査や血圧を計れない「体」のない人工知能で、本当に自己が成立していることがわかるのか、興味が尽きない。   
カテゴリ:論文ウォッチ

6月22日:創薬の標的を拡げる(Natureオンライン版掲載論文)

2016年6月22日
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   創薬は、特定の生命現象に効果がある薬剤を見つけてから、その作用機序を明らかにする方法と、逆に特定の現象の分子メカニズムを明らかにし、それに関わる分子をまず決めて、それを標的にして薬剤を開発する方法に分けることができる。後者の方法は、新しい創薬の方向性として20世紀後半から各製薬会社が取り入れているが、どの標的分子に対して薬剤を開発可能かがまだ明確でなく、結局多くの候補分子をスクリーニングする経験的方法に頼らざるをえない。
   今日紹介する米国スクリプス研究所からの論文は、これまでの創薬をさらに論理的に促進するための研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Proteome-wide covalent ligand discovery in native biological system(自然の生命システムを用いて特定のリガンドに共有結合する標的タンパク質を網羅的に探索する)」だ。
   この研究の目的は特定の化合物が結合するタンパク質のカタログを作ることだ。ただ最終的に治療に用いられる複雑な化合物の代わりに、様々な化合物の構造の元になる基本骨格と反応するタンパク質を網羅的にカタログ化しようと試みている。
   これまでも同じ様な試みは行われてきたが、創薬候補のリストは拡大してこなかった。この反省に立って、この研究では化合物がタンパク質のシステインと共有結合できる様にして、化合物と結合したシステインの周りの配列から候補タンパク質をリストする手法を採用している。研究では、細胞をこの化合物と培養し、反応するタンパク質のシステインをこの化合物で標識する。次に細胞を溶解した後、すべてのシステインに結合する別の化合物と反応させる。細胞が生きている時に標識に使った化合物と結合しているシステインは、溶解後の化合物と反応できないため、これによって特定の化合物と特異的に結合するタンパク質を特定することができる。こうして特定したシステインがタンパク質の機能活性部位に存在しているかどうかは、タンパク質を熱で変性させる実験を用いてさらに確かめている。
   方法の説明が長くなったが、実際の方法は重さの違うアイソトープを用いたさらに複雑な方法なので、詳細は全て省く。この研究ではこの方法で30種類程度の化合物に反応するタンパク質の活性部位を網羅的にリストしており、こうしてリストされた標的分子の数は、これまで創薬標的として分類されてきた分子の5−6倍の数に上る。すなわち、まだまだ様々な分子に対する薬剤を開発できることになる
   最後にリストされてきた特定の分子を取り上げ、この方法で発見される分子が創薬標的になることを幾つかの方法で確認している。例えば、すでに創薬標的として開発が進んでいる分子はこの方法でリストすることができ、また今回の結合を元に実際の薬剤開発が可能なことを、多くのガンで突然変異が見られるIDH分子を例に示している。
   最後に、細胞死の経路を調節するカスパーゼ8、10について、今回結合が見られた化合物をもとに、より特異性の高い化合物へと改良した化合物を作成し、FAS刺激によるT細胞の細胞死を特異的に抑制する薬剤を実際に開発できることを示している。
   私はこの分野の素人だが、このリストは自分で見定めた分子が創薬標的になるかどうかを合理的に判断するために大きく役立つ様に思う。特に、どの様な構造の化合物が効きそうかあらかじめ予測できるのは大きい。今回作成されたデータベースがどこまで公開されているのかわからないが、閲覧するために金を払う価値は十分ある様な気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月21日:血液脳関門を爆破する(6月15日号Science Translational Medicine掲載論文)

2016年6月21日
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   体幹と異なり、脳は血液脳関門によって様々な分子が侵入できない様に守られている。しかしこの関門は、脳内の病気の治療に使う薬剤の脳への浸透も妨げる。したがって多くの製薬会社はこの関門を突破するための研究開発を続けており、このホームページでも紹介してきた。
   しかし今日紹介するパリ公立病院からの論文を見るまで、物理的にこの関門を突破しようという試みがあるとは思いもかけなかった。論文のタイトルは「Clinical trial of blood-brain barrier disruption by pulsed ultrasound (パルス状超音波で血液脳関門を突破する臨床治験)」で、6月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。
   このグループだけでなく、超音波を照射して物理的に脳血液関門を緩める試みは、様々な動物を用いて続けられてきた様だ。この開発がようやく臨床応用段階に入ったことを示すのがこの論文で、総勢十七人のグリオブラストーマの患者さんを用いて第1/2相の治験が行われている。
  タイトルにある様に、この方法はパルス状超音波を用いている。超音波は頭蓋によって減衰するため、治療ではまず1cmほどの超音波発生器を頭蓋内に手術で埋め込む。この発生器を通して、局所的に超音波を照射するが、その時超音波診断時の造影に用いる微小バブルを同時に投与し、この泡の力も借りて小さな脳領域の血液脳関門を破壊する。この方法で、どの程度関門が破壊でき、治療を続けても安全かどうかを調べるのがこの研究の主目的だ。これに加えて、血液脳関門破壊後すぐに通常は脳内に移行しにくいカルボプラチンを投与して、腫瘍の進展を観察する第2相試験も兼ねている。
   結果だが、順番に照射量を上げていき、0.8メガパスカルを超えると、MRI で血液脳関門が破壊されることが確認できる。また、破壊の程度も照射量に比例して上昇する。最終的に1.1メガパスカルでは局所的な関門破壊の程度も十分で、且つ副作用が全くないことを確認している。
   1.1メガパスカルの照射とカルボプラチンの治療を受けた患者さんの数は、この治験で結局三人で止まっているが、このうち一人で腫瘍の進行が4ヶ月間完全に抑制できている。全く対照群のない治験だが、グリオブラストーマの一般的な結果から考えると、かなり期待が持てるという結果だ。
   この論文は、要するに初めて脳内超音波照射をヒトに応用することができたという話で、治療効果についてはきちっと計画された治験が必要だろう。しかし、いったんこの結果を見てしまうと、本当に無作為化して研究を行ってもいいのか少し気持ちが揺らぐかもしれない。
   ディスカッションを読むと、この方法は他にも様々な可能性を秘めている様だ。例えば免疫系を物理的にアジテーションすると抗腫瘍免疫反応が高まるという論文が発表されているらしい。さらに驚いたのは、βアミロイドの処理が促進するという話もある様だ。その意味で、この方法の安全性が患者さんで確認されたことが、この研究の最も重要なメッセージだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月20日:子供の社会性の欠如がロイテリ菌で治る?(6月16日Cell掲載論文)

2016年6月20日
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    ヨーグルトやプロバイオを手がける企業に限らず、最近腸内細菌叢に対する我が国の関心は高まっており、私も相談を受けることが増えた。そんな時いつも「腸内細菌叢が重要なのは、取り替え可能なもう一人の自分だから」と答えている。すなわち、腸内細菌叢は様々なルートを介して私たちの体の恒常性維持に関わっていることがわかってきた。しかも、自分自身の体と異なり、ある程度取り替えることすら可能だ。このため、人工甘味料のように自分の体は代謝できなくとも、腸内細菌叢が処理して様々な物質に転換するため、糖質を抑えるために利用した人工甘味料が、逆にもう一人の自分によって糖尿病体質を誘導することもありうる(http://aasj.jp/news/watch/2190)。
   今日紹介するベーラー医学校からの論文はなんと自閉症スペクトラム様症状が腸内細菌叢の中に存在する乳酸菌ロイテリ菌現象に起因することを示した研究で6月16日号のCellに掲載された。タイトルは「Microbial reconstitution reverses maternall diet-induced sociall and synaptic deficit in offspring (母親の腸内細菌叢を再構成すると子供の社会性の欠如とシナプス形成異常を正常化する)」だ。
マウスモデルで、肥満の母親から生まれた子供に社会行動異常が出ることが知られていた。この研究はこの原因を明らかにし、治療法を開発することを目的に行われている。実際の結果を見ると驚くが、肥満の母親の子供を7週齢で他のマウスに対して興味を示すかを指標とした社会性テストを行うと、自閉症スペクトラムの子供に似て、他のマウスに興味を示さず、また新しいことに興味を持たない。これほどはっきりと差が出ると、妊婦さんの体重管理は重要だと実感する。
   肥満で母親の腸内細菌叢が変化することは知られているので、次に肥満マウスの子供の腸内細菌叢の変化が社会性欠如の原因ではないかと狙いを定め、社会性欠如を示す肥満マウスに正常マウスの細菌叢を移植すると、行動が正常化することを発見した。
   さらに驚くことに、細菌叢が全く存在しない無菌マウスの行動を調べると社会性が欠如しており、この異常を正常マウスの細菌叢移植で正常化できる。このことから、何か特定の菌の欠損が社会性欠如の原因ではないかと考え、もともと夜泣きなどに効果があるとされプロバイオに利用されているロイテリ菌に狙いを定め調べると、確かに肥満マウスの子供ではロイテリ菌が著明に減少しており、ロイテリ菌を飲み水から服用させると社会性の欠如を治療できることを発見している。
  詳細を省いて結論を急ぐと、
1) 母親の肥満は子供の細菌叢発達に影響を与え、結果ロイテリ菌の減少が起こる。
2) ロイテリ菌は脳内オキシトシンの発現レベルを誘導し、これにより中脳辺縁系のドーパミン性褒神経回路を維持している。
3) このため、ロイテリ菌の現象は自閉症様症状発生につながり、ロイテリ菌によるプロバイオで治すことができる。
4) 同じ症状は、オキシトシン投与で治すことができる。
になる。    この研究が正しければ、ここで扱われる自閉症スペクトラムは、遺伝性の全くない、誰でも示す可能性がある自閉症スペクトラムである点だ。ヒトでも同じ様に肥満の母親からの子供でロイテリ菌減少が起こっているか調べる必要がある。しかし、自閉症スペクトラムの多くは遺伝的変異を持っており、この図式は当てはまらないことが多いだろう。   しかし一方、オキシトシンがほとんどの自閉症スペクトラムに良い影響があることが確実なら、ロイテリ菌プロバイオは、自閉症一般の治療として、オキシトシンの代わりに使うことは可能だ。    あまりに綺麗な仕事で、そのまま信じがたいが、間違いなく自閉症スペクトラムをこの視点から再検討することは重要だと実感した。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月19日:イスラム国活動をネットから分析する(6月17日号Science掲載論文)

2016年6月19日
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   シリア・イラクでのイスラム国は往時の勢いにも陰りが見えてきたが、パリ、ブリュッセルと立て続けにテロ攻撃を繰り返し、存在感を示している。イスラム国の特徴の一つが、SNSや動画投稿サイトを戦闘員のリクルートやプロパガンダに最大限に利用していることで、2013年発足の組織の急速な成長の要因の一つとなっている。しかしSNSを多用することは活動や支持者の情報を公にすることで、SNS全体の中からイスラム国関連の情報の流れを抽出してイスラム国活動を分析できる可能性がある。
   この可能性に気づいてSNSの分析を行っているのは当局だけではない。驚くべきことにネットからイスラム国やテロ集団の活動を分析する論文は数多く発表されている。これによると、階層性がしっかりしたテロ組織や、逆に一匹狼の活動をネットから把握することは難しいという結論になっていた。
   今日紹介するマイアミ大学からの論文は、ネット本来の自由なつながりが維持されている間に、自然発生的に結合が急成長し、それが現実の活動へとエスカレートする過程が、イスラム国の行動を知る手がかりになる可能性を調べた研究で6月17日号のScienceに掲載された。タイトルは「New online ecology of adversaryial aggregates: ISIS and beyond (敵対的集団の新しいオンライン上の生態学:イスラム国、そしてその先に)」だ。
   この研究では2014年以降、ロシアの会社が提供しているVKontakteのコミュニケーション全記録にアクセスして、イスラム国を支持する書き込みと、それにつながる個人を追跡している。私たちになじみのフェースブックは、イスラム国支持の書き込みが即座に遮断されるため使っていない。逆に、ロシアのVKontakteでは運営者による遮断は行われないようだ。また、このサイトは戦闘員を多く供給するチェチェン出身の利用者が多く、イスラム国がプロパガンダに最も利用しているサイトらしい。
   この膨大な記録の中から、イスラム国支持の書き込みを様々な言語について検索し、書き込みを行ったユーザー同士のつながりを再構築して、個人の書き込みが増幅しあって大きな集団になり、実際の行動へ発展する過程を分析している。
   例えば2015年1月から8月までに、196の集団が存在し、その集団をフォローしている約10万人の個人を特定できる。この集団の数は刻々変化し、またフォロアーも刻々変化する。図に示されているが、半年ほど続く集団もあれば、1ヶ月も続かない集団もある。
  この変化は自然発生的で、決して階層的な組織構成をとるわけではない。しかし重要なのは、自然発生的変化が実際の出来事につながっていく点だ。この例として、2014年イスラム国がトルコ国境のクルド族の村Kobaneを急襲した事件を分析しているが、襲撃の半年前から急速にネット上の支持集団の数が増え、事件をピークに再び沈静化する様子が観察できる。
   さらに書き込みを分析すると、襲撃ルートなどの作戦の詳細まで記載されていることがわかり、秘密裏に階層的な組織により現実の襲撃が行われるのではなく、かなり自然発生的に戦闘員が組織化されるのがわかる。
   比較のために、ブラジルで2013年に自然発生した反政府デモについても分析すると、やはり半年前からネット上の集団が増加を始め、事件前に急速に増加するのが見て取れる。
   これらのデータに基づき、この論文ではネット上で支持集団が形成され、現実のデモや作戦へと昇華する数理モデルを作成し、これを防ぐための手立てまで示唆している。
    読んですぐは、ネット上のビッグデータの分析はすごいと感心してしまうが、よく考えると、この数理モデルが予測できるのは、バーチャルなネット上の活動が、多くの人間が参加する行動へと移行する過程で、おそらくパリのバタクラン劇場襲撃やブリュッセル空港爆破テロの分析には利用できないことに気づく。
   とすると、この数理モデルが一番役に立つのは、自然発生的な一般市民の抗議行動を抑えたいと思う当局ということになる。中国ではネットでの情報を当局が調節して、自然発生的デモの勃発をコントロールしていると聞くが、同じような分析とモデリングが行われているのではと懸念する。そして、我が国を始め民主主義国ですら、為政者はこのような技術を使いたいという誘惑を感じるはずだ。
  イスラム国と聞くとテロ防止の決め手と納得してしまうが、ネットは知らず知らずのうちに、私たちをビッグブラザーによる支配へ導いているのかもしれない。考えさせる論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月18日:Bivalency(6月2日号Cell掲載論文)

2016年6月18日
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    今日紹介するハーバード大学からの論文は現役で研究している生命科学の専門家にとってもなかなか馴染めない話ではないかと思う。当然、私自身の理解も現役時代からスッキリしない。というより、スッキリしたと思っていても、新しい論文が出るとまた理解が曖昧になる。そんな今も概念形成途上にある分野がBivalentヒストン修飾だろう。
   遺伝子発現のエピジェネティック調節を担う2大柱は、DNA自体のメチル化と、DNAが巻きついているヒストンのメチル化、アセチル化による修飾だ。私が現役の頃ゲノム全体に渡ってこの修飾状態を調べる方法が開発され、特にES細胞を用いて研究が進んだ。
    最初のころの単純な理解は、PRC2によりヒストン3の27番目リジン(H3K27)がメチル化されると遺伝子の発現はオフ、COMPAS複合体がH3K4をメチル化するとオンでよかった。ところが、この両方がメチル化されている遺伝子プロモーターがES細胞で多く見つかることが報告され、頭は混乱し始める。
   まあES細胞のように様々な方向へ分化する必要があるとき、多くのオンにしたい遺伝子をとりあえずオフに止めておく場合の調節として私も理解してきたが、ES細胞を2iと呼ばれる無血清培地で飼うとbivalentプロモーターのほとんどのH3K27メチル化が消失するという論文が出ると、またbivalencyについての理解が混乱してしまう。
    Bivalencyとは何か。この論文では、ES細胞ではなく、実際の組織から分離してきた細胞のbivalent修飾を調べ、またH3K27メチル化を行うPRC2コンプレックスの機能を組織特異的にノックアウトしてbivalent修飾の変化と遺伝子発現を調べ、この機能に迫ろうとしている。タイトルは「Acquired tissue-specific promoter bivalency is a basis for PRC2 necessity in adult cells(分化課程で新たに獲得されるプロモーターのbivalencyは大人の細胞でPRC2が必要になる基盤)」で、6月2日号のCellに掲載された。
  この研究ではChip-seqと呼ばれる方法を用いて、主に腸管の幹細胞と分化した絨毛上皮細胞のbivalentプロモーターを網羅的に解析し、それぞれの組織でbivalentプロモーターの分布は異なっており、半分以上のbivalentプロモーターは重複しないことを示している。
  さらに、未分化なES細胞や、腸管上皮細胞の分化課程での比較から、H3K27メチル化は分化の課程で新たに獲得され、これにより遺伝子発現が抑えられることを明らかにした。
  次に、H3K27のメチル化に必須のPRC2の成分Eed遺伝子が幹細胞から増殖期細胞へ分化したときにノックアウトされるマウスを用いて、PRC2の機能がなくなると細胞の増殖が低下、また細胞分化の遅れが出ることを示している。すなわち、分化課程でH3K27メチル化が必要であることを示している。
  最後に、PRC2ノックアウトでどの遺伝子の発現が影響を受けるか調べ、多くの遺伝子でH3K27のメチル化が外れただけでは遺伝子の発現は誘導されないが、H3K4がメチル化されたプロモーターだけでポリメラーゼがプロモーターに結合し、遺伝子発現が上昇することを示している。
   以上の結果をもとに、再度頭を整理すると、bivalencyは分化過程でこれまで発現していた遺伝子にポリメラーゼが結合するのを防いで遺伝子発現を迅速に低下させた状態を見ていることになる。もちろんデータを仔細に見ると、この話に合わない遺伝子も結構存在しているようで、これらがどう調節されているのかがわかると、また異なる整理が必要になるかもしれない。
   若い人たちと話していると、このような複雑な話は避けて通っている気がする。しかし、自分の研究に幅を持たす意味でも、整理が難しい研究分野をしっかりフォローしていってほしいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

Tさんから図書券をいただきました。

2016年6月17日
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ちょっとした相談にのったお礼としてTさんから図書券をいただきました。 早速、高額な図書の購入に充てました。どうもありがとうございます。
カテゴリ:活動記録

6月17日:地球をCO2排出問題の切り札に使う?(6月10日号Science掲載論文)

2016年6月17日
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   科学ニュースと科学論文を掲載しているアメリカ科学振興協会の雑誌サイエンスは、20世紀が解決できなかった地球規模の様々な問題への挑戦を強く後押ししている印象がある。例えばこのホームページでも紹介したが、1昨年5月23日号では格差問題を特集し、「21世紀の資本論」で有名なPikettyと、昨年ノーベル経済学賞を受けたDeatonに貧困問題解決の総説を依頼している。例えば消費を抑え、富を分配するといったイデオロギーを人間が共有できない限り、格差問題といった社会・経済学的問題でも、サイエンスしか頼るところがないという強い意志の表れだろう。
   今日紹介する英国、米国、フランス、アイスランド、オーストラリア、デンマークからの共同論文もこの典型で、格差と並ぶ21世紀の課題、「炭酸ガス排出問題の解決法」に挑戦した研究だ。タイトルは「Rapid carbon mineralization for permanent disposal of anthropogenic carbon dioxide emission (人類が排出する炭酸ガスは迅速な鉱物化により永久に処理できる)」で、6月10日号のScienceに掲載された。
   もちろん私にとって全く分野外の研究だが、理解しやすい論文だった。研究の目的は、炭酸ガスを地中で炭酸カルシウムとして沈殿させ、大気中への排出を減らす可能性を検証することだ。
   研究では、アイスランドの地下400−800mに存在する玄武岩質の溶岩地層に排出炭酸ガスを溶かした水をゆっくり注入、地下水として周りへ拡散させ、500mほど離れた検出用の井戸で注入した炭酸ガスや水をモニターして、溶かした炭酸ガスの運命を調べている。
   注入した炭酸ガスに炭素14同位元素からなる炭酸ガスを混入し、自然の炭酸ガスと、注入した炭酸ガスを区別している。また、炭酸ガスを溶かせた水は混入させた6フッ化硫黄でモニターしている。
   詳細は省くが、結果は期待をはるかに超える結果で、注入した水は50日ぐらいをかけて検出井戸に到達するが、最初からほとんど気体状の炭酸ガスは残っておらず、無機物として沈殿したという結果だ。すなわち、玄武岩質からとけ出すカルシウム、マグネシウム、鉄の作用が、アルカリ性の地下水と助け合って炭酸ガスと反応し、重炭酸イオンを経て、最終的に炭酸カルシウム結晶に転換するという結果だ。
   研究を始めた時、これほど早い速度でほとんどの炭酸ガスが鉱物化するとは予想していなかったようだ。途中でサンプリングポンプが炭酸カルシウムで詰まるという問題はあったようだが、研究としては大成功だと言える。
   我が国は火山国で、玄武岩質の地層を探すのは簡単なことだ。だとすると、この結果は炭酸ガス排出を抑える切り札になるように思える。
   とはい、話は簡単でないだろう。このパイロットプラントでは全部で約250トンの炭酸ガスが処理されている。一方、我が国が排出する炭酸ガスは14億トンで、全部処理するとなると500万倍の規模が必要だ。    他にも大量の水の問題、地下水流への介入、炭酸ガスの回収、輸送などまだまだ多くの問題がある。
   しかし、この研究は地球自身が私たちの予想を超える炭酸ガス処理能力を持つことを示してくれた。この力を活用する可能性がどこまで実現できるのか、期待してみていきたい。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月16日:脳内GPSを人間で観察する(6月10日号Science掲載論文)

2016年6月16日
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   2014年のノーベル賞が授与されたオキーフ及びモザー夫妻が発見した脳内空間認知システムを担う細胞は、ネズミが特定の迷路を移動する際、ネズミの位置と、海馬の多くの細胞の興奮を脳内埋め込み型電極を使って個別に記録することで特定される。
  もちろん同じ実験をヒトで行うことは原理的には不可能ではない。また、複数の場所の神経細胞興奮を記録するために埋め込み電極を使うことは、てんかん発作の起源を見つける目的で行われることもある。しかし、海馬だけに電極を留置するといった実験は、倫理的に許されない。このため、モザー夫妻が発見した脳内GPS細胞の存在をヒトで確かめることは難しかった。
  今日紹介するスタンフォード大学からの論文はMRIを用いて脳内のGPS細胞の特定に挑戦した研究で6月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Prospective representation of navigational goals in the human hippocampus (ヒト海馬で移動の際のゴールを前もって予想する時に起こる活動)」だ。
   この研究では脳の記録をMRIで行っているが、問題はMRI検査では実際に被験者が動くことができないこと、また埋め込み電極と比べると、MRIで細胞の興奮を記録するときの空間・時間的分解能が足りないことだ。
  最初の問題は、決められた環状のコースを移り変わる景色を見ながら歩いた気になるバーチャルリアリティーを用いて解決している。実際には、コースに5箇所のゴールが設定されており、1日目に様々な場所からスタートしてゴールに向かうトライアルを行い、ゴールを記憶する(ゴールに到達すると印が出るようになっている)。次の日MRI測定を行いながら、スタート地点と行くべきゴールを示され、その道順を考えている時、当然コースにある5つのゴールの場所を思い浮かべながら、指示されたゴールへの道順を決める。その時ネズミと同じなら道順に合わせて当然異なるGPS細胞が興奮するはずだ。
   ただMRIで測定しているのは神経細胞興奮ではなく、それを反映すると考えられる血液の動きなのでどこまでこれが可能かが2番目の問題だ。残念ながら私には分解能の良い3テスラーMRIを使っていること、また特定の脳領域に焦点を絞って測定結果の多変数解析を行っている以外、最終的にどうデータを処理したかは理解できていない。結局、示される結果を信じるだけだ。棒グラフで示された結果を見ると、神経細胞興奮を直接測る方法と比べると、場所による差も小さく、分解度は悪いが、確かに道順の選択や途中で通る地点に対応する特定の海馬の反応パターンを引き出すことに成功しているのは理解できる。さらに脳内の結合を調べる方法で、またこの海馬の場所細胞興奮が大脳皮質とのネットワークで支えられていることも示されている。なんとか、人間もネズミと同じかなと思うことができた。
   モデル動物は人間の代わりとして利用されることが普通だが、モデル動物で得られた結果を人間で確認することがこれほど大変かがよくわかるとともに、それでも様々な困難を乗り越え人間との比較を進める研究者の執念を感じることができた論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月15日:発作性心房細動に対するアブレーション治療は冷凍凝固法か高周波電流法か?(6月9日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年6月15日
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    今日は発作性心房細動でアブレーション療法を勧められた知り合いと話していた時、私が思い出して詳しく読んでおくと約束した、ヨーロッパからの治験論文を紹介することにした。
  発作性心房細動は本来心臓を刺激する洞結節以外の場所、特に左心房に直結する肺静脈の細胞が電気刺激を始めることにより誘発される。この刺激だけでは心房の拍動が上昇するだけだが、刺激伝達系も老化により変化すると、刺激がぐるぐる旋回して細動が起こってしまう。
    これを根本的に治療するため開発されたのがアブレーションで、刺激発生部位を焼ききったり、あるいは肺静脈と心房の境をリング状に焼ききって刺激伝達を切り離したりする方法が用いられる。現在この切り離しに、高周波で焼き切る方法と、逆に凍結により死滅させる方法の2種類あるが、この研究はどちらの方法が安全で効果が高いのか比べた多施設共同治験で、まさに知り合いから相談された内容に近い。
   タイトルは「Cryoballoon or radiofrequency ablation for paroxysmal atrial fibrillation (発作性心房細動のアブレーションには凍結バルーンか高周波かどちらがいいのか?)」で、The New England Journal of Medicine 6月9日号に掲載された。
   この治験はドイツ、英国、スペイン、イタリア4カ国の病院で、2012年から2015年までにアブレーション治療が必要になった762例の患者さんを、冷凍バルーン法と、高周波法に無作為に割り振り、入院時点で許可されていた最も進んだアブレーション機器を用いて治療、90日を経過してから再発があるかどうか1年間経過観察を行い治療効果を評価している。
   同じような研究はこれまでも繰り返されており、概ね同等か、あるいは凍結バルーン法が安全で効果が高いという結果が出ていたようだ。しかし一方、横隔膜神経を傷つける副作用も指摘されている。この結果だと、患者さんもどちらがいいか判断しづらいだろう。
   今回の研究から、1)多施設で行われていても、両者で治療効果に差がないこと、2)どちらの方法も、新しい世代のカテーテルはより治療効果が高まっていることが明らかになり、結局どちらでもいいという結果だ。副作用でいうと、カテーテルを挿入する部位の出血などの頻度は凍結バルーン法が2倍異常高く、他の副作用も、有意差はないが少しバルーン法が高めと言える。一方、手術時間や心房にカテーテルが止まる時間は10−20分高周波法が長い。知り合いが気にしていた放射線照射時間は逆に5分ほどバルーン法が長いという結果だ。
  私も素人であることを断った上で、自分の身になればどちらを選ぶかといえば、まずその施設で最も経験の多い方法を選び、できれば最も新しい世代のカテーテルを使ってもらうだろう。一方、照射時間などは私の年齢になるとほとんど考える意味はないだろう。いずれにせよ、この治療法を開発した人には脱帽だ。
カテゴリ:論文ウォッチ