2017年2月24日
今年のJapan Prize生命科学分野はCRISPR/Cas9システムを明らかにし、新しい遺伝子編集法の開発に道を開いたシャルパンティエ、ダウドナ両氏に決まったようだが、この技術を利用した研究分野の広がりと賑わいをみると、当然の選択だと思う。
論文を読んでいて最近目につくのが、ゲノム情報、次世代シークエンサーとクリスパーを組み合わせた、新しい細胞機能の解析で、十分な解析が終わっていたのではと思っていたガン分野で、これまで知らなかったガン細胞デザインの詳細が明らかになってくると、「神は細部に宿る」という建築家(ミース・ファン・デア・ローエ)がデザインに抱いた印象を、ガン細胞に感じる。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は典型例で、急性骨髄性白血病の増殖に関わる分子経路をクリスパーシステムを使って探索した研究で2月23日号のCellに掲載された。タイトルは「Gene essentiality profiling reveals gene networks and synthetic lethal interactions with oncogenic RAS(遺伝子の必要性のプロファイリングにより遺伝子ネットワークと、発がんに必要なRASとの統合的相互作用が明らかになる)」だ。
ガンのゲノム解析が明らかにした最もがっかりする結果は、同じタイプのガンでも、多様な遺伝子変異に裏付けられていることだ。すなわち、一筋縄ではいかない。とはいえ、こちらも手をこまねいているわけにはいかない。なんとかしてガンに共通の弱点を見つけたり、あるいは個別の弱点を整理する必要がある。この目的にCRISPRは最適だ。この研究を始め、多くの研究ではレトロウイルスベクターを用いてガイドRNAライブラリーををガン細胞に導入し、導入後がん細胞を一定期間増殖させた後、次世代シークエンサーを用いて導入したライブラリーの各ガイドRNAの頻度を調べ、ガンの増殖に抑制性、促進性のある遺伝子を特定する方法が用いられる。ガン増殖に必要な分子のガイドは、増殖ポピュレーションから消失するし、増殖抑制に関わる分子のガイドは逆に頻度が増大すると予想される。
この研究では増幅遺伝子に対するクリスパーシステムの問題の補正など幾つかの工夫を加えた後、14種類の異なる急性骨髄白血病株について同じスクリーンを行っている。この方法の利点は、増殖に関わるモジュールのすべての遺伝子が特定されることで、この結果それぞれの説明は省くが、14種類のAML共通に依存しているモジュールが10種類以上特定されている。多くはこれまで知られているモジュールだが、新しいネットワークも発見されており、今後各モジュールをガンの弱点として利用できるかどうかが明らかにされるだろう。
おそらくこれまでAMl研究を行ってきた研究者にとって最も面白い結果は、AML特異的なRASシグナル経路が存在するという発見だろう。すなわち、活性化RASとRAFとの複合体を活性化するため、GTP-RAC/PAKが必要で,このRAC-GDPからRAC-GTPへの転換をAMLはPREX1を用いているという発見だろう。残念ながら、だからと言ってこの経路の特異的阻害剤はまだないが、将来開発できる可能性はある。
論文はいろんな話が詰め込まれすぎていて、大きい研究室がなんとか大規模プロジェクトをまとめようという気持ちが見え見えの研究だが、いずれにせよCRISPRの賑わいを知るには十分だ。
しかし、私が目を通している雑誌からだけ判断すると、我が国はJapan Prizeを提供できても、この賑わいから取り残されている気がする。「いやそんなことはない」という話があれば、ぜひ聞かせてほしい。
2017年2月23日
我が国では風土病という言葉は死語になりつつあるが、かっては日本全国に地域特有の不思議な病気が存在していた。地域に限定されることから、インフルエンザのような感染力の高い病原体は関わっておらず、多くの場合感染力が低い寄生虫や原虫の感染、あるいは特殊な自然環境が原因になっている。もちろん、工場による環境汚染による公害病も最初風土病として隠蔽されたことは、水俣病やイタイイタイ病の例からわかる。何れにしても、風土病との戦いは、その原因究明がすべてで、原因が特定されると公害も含めて一つ一つ姿を消した。
しかし開発途上国にはまだまだ原因が特定できていない風土病は数多く存在する。その一つが西アフリカのNodding syndrome (頷き病)で、脳の発育停止による知的障害とともに、名前の通り頷くような仕草を繰り返す一種のてんかんが誘発される。今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、この頷き病の原因が自己免疫病の可能性があることを示す研究で2月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Nodding syndrome may be an autoimmune reaction to parasitic worm onchocerca volvulus(頷き病はオンコセルカに対する自己免疫病かもしれない)」だ。
頷き病がオンコセルカ寄生虫感染と強く相関することは従来からわかっていたが、オンコセルカが脳内に侵入しないことから、寄生虫自体の活動として症状を説明することは難しかった。
この研究では最初からオンコセルカに対する免疫反応が自己成分にも反応するようになり、頷き病が起こるのではと仮説を立て、まず患者血清中だけで上昇する抗体をスクリーニングしている。結果、頷き病の患者さんだけで抗体価が100倍以上高い抗原として、4種類の自己タンパクを特定している。次に脳脊髄液中にこれらの抗体が存在するか調べ、leiomodin-1と呼ばれる分子に対する抗体だけが脳脊髄液にも存在することをつき止めた。
あとは、leiomodin-1が確かに海馬を中心に錐体細胞で発現していること、抗体を神経細胞に加えると神経細胞死が誘導されること、そして同じ抗体がオンコセルカとも反応することを明らかにしている。
すなわち、オンコセルカに対する免疫反応が起こる過程で、leiomodin-1に対する抗体が誘導され、抗体価が上昇すると、少しではあるが脳内にも侵入し、海馬を中心に神経細胞が死に、脳の発達が停止し、てんかん発作としての頷く仕草が現れるというシナリオが示された。
しかし、この抗体が本当に頷き病の原因であることを証明するにはまだ研究が必要だろう。海馬のCA3領域に強くleiomodin-1が発現していることは、てんかん症状を説明できる。今後、この可能性を念頭に、患者さんの脳を調べる必要がある。
著者らはleiomodin-1が細胞内タンパク質で、抗体でアタックされないことを気にしているようだが、分子構造としては膜結合ドメインとして働ける領域を持っていることから、神経では細胞外に発現している可能性もある。実際、試験管内で抗体を加えるだけで細胞が死ぬ実験が示されており、この可能性は高い。おそらく、この謎はすぐ明らかになるだろう。もちろんT細胞の関与も考える必要がある。それには、脳の詳しい病理検査が重要だ。
まだ不明な点も多いが、このシナリオが正しければ、オンコセルカを早期に駆除するか、抗体価を抑える工夫をすれば病気が治る可能性がある。期待したい。
しかしこの論文を読むと、米国は途上国を病気撲滅という点から強く支援する伝統を持った国であることがわかる。トランプ政権でもこの伝統が守られることを祈っている。
2017年2月22日
振り返ってみると、利き手がどのように発生するのかこの論文を読むまで考えたことはなかった。私たちの体は左右対称でないが、内臓の位置決めと利き腕とは特に関係はなさそうだ。内臓の位置の非対称性に関わる遺伝子は明らかになっているが、利き腕について行われたゲノム研究では、これらの遺伝子との相関はなく、また一つの遺伝子で決まってはいないことが明らかになっている。ゲノム研究で候補遺伝子は幾つか報告されているが、だからと言ってなぜ利き手が生まれるのか説明できていない。ゲノムがダメなら、どこから手をつければいいのか難しい問題だ。
今日紹介するドイツ・ルール大学からの論文は、神経の発達途中で遺伝子発現が左右で違うのが原因になっているはずだとあたりをつけて、胎児脊髄の遺伝子発現を左右で比べた論文でeLifeに掲載された。タイトルは「Epigenetic regulation of lateralized fetal spinal gene expression underlies hemispheric asymmetries(脊髄での遺伝子発現のエピジェネティックな左右差が脳の左右差の背景にある)」だ。
この研究の目的は、発生初期に脊髄での遺伝子発現に左右差があるかどうかを調べることだ。というのも、10週の胎児はすでに右腕の方をよく動かすことが知られている。10週ではまだ脳の発達は完成しておらず、10週で利き手があるとすると、脊髄の反応性で利き腕が決まる可能性があるからだ。
研究では、8週、10週、12週の人工中絶胎児の首から胸にかけての脊髄を取り出し、左右の遺伝子発現を比べている。
期待通り、8週では発現が右側優位と左側優位の遺伝子がそれぞれ1652個、39個存在し、左右で大きく異なる。ところが10週になるとこの数は差がある遺伝子全体で24個、12週ではたった4個に減少する。すなわち、脊髄では発生早期から遺伝子発現の左右差が強く見られ、この差は発達とともに解消することがわかる。
発現に左右差のある遺伝子のなかで、言語に関するFoxP2が強く右で出ているのは面白そうだが、利き手の差を説明することはできそうもない。
この研究では、発現している遺伝子の意味を問うのはやめて、差を生み出すメカニズムをmiRNAとメチル化DNAの分布を調べて探っている。
結果だが、TGFβシグナル経路のmRNAを抑制するmiRNAの発現の左右差により、約4%の遺伝子発現の差が、またDNAメチル化のパターンの差によって約27%の遺伝子発現の差を説明できることを示唆している。
結果はこれだけで、脳の発達前に脊髄に遺伝子発現の左右差が見られること、FoxP2や有名なLeftyと同じファミリーのTGFβシグナルに差が見られ、この差がmiRNAやDNAメチル化の結果だという面白そうな結論だが、なぜメチル化の差が生まれるのかなど肝心なことが説明できておらず、現象論から抜け出せていないと言っていいだろう。今後、内臓逆位の胎児や、脳での遺伝子発現を調べる研究が必要だろう。そして何よりも、モデル動物も必要になる。
人間では圧倒的に右利きが多いが、サルでは7割ぐらいと右利きは低下する。一方、自閉症の子供は左利きが多いことが報告されている。たかが利き腕の問題と言えるが、困難で深遠な問題だ。それに手がかりが出てきただけでよしとすべきだろう。
2017年2月21日
ほとんどの大腸菌は病気の原因になることはないが、毒性の遺伝子を獲得した種は出血性大腸炎などを引き起こす病原性株へと転換する。この病原性獲得に関わる遺伝子クラスターは詳しく研究されており、病原性大腸菌の腸上皮への結合、毒性に関わる様々なエフェクター分子の腸上皮への注入、そしてその毒素の作用として微小絨毛の消失の誘導や、菌が結合しやすいようアクチンの構築変化など、腸上皮細胞が変化するまでの一連の過程に関わることが知られている。しかし、上皮に結合した菌がエフェクター分子を作り続け、また腸上皮に注入し続けるメカニズムについては不明な点が多かった。
今日紹介するエルサレム、ヘブライ大学からの論文はこのメカニズムについての研究で2月16日号のScienceに掲載された。タイトルは「Host cell attachment elicits posttranscriptional regulation in infecting enteropathogenic bacteria (ホスト細胞への結合が、感染した大腸病原性バクテリアの転写後調節を誘導する)」だ。
この論文を読んで、病原性大腸菌についての知識を私自身全く持ち合わせていなかったことを認識した。この研究は、病原性に関わる重要分子NleAの大腸菌での発現を維持する仕組みを明らかにする目的で行われていたと思う。NleA遺伝子が翻訳されるときにGFP蛍光分子と融合してNleAの翻訳量がわかるようにした大腸菌をHELA細胞と共培養すると、細胞に結合した大腸菌だけが蛍光を発することを見出す。すなわち、ホストの細胞とコンタクトした大腸菌だけがNleAを産生し続けることが明らかになった。
研究では様々な大腸菌の遺伝子操作をして、このメカニズムを解析している。詳細を省いて結果をまとめると、
1) NleA遺伝子のmRNAの5’非翻訳領域にNleAの翻訳を調節する領域が存在し、この部位にCsrA分子が結合すると、翻訳が抑えられる。すなわち、NleAの翻訳は通常CsrAにより抑えられているが、ホスト細胞と結合することで、CsrA活性が低下し、NleA分子の翻訳が起こる。
2) CsrA活性を誘導するホスト細胞との接着によるNleA翻訳は、大腸菌表面に発現しているT3SSを欠損すると消失する。また、T3SSが自然に活性化してしまう突然変異では、ホスト細胞との接着なしにNleAが発現する。すなわち、T3SSがホスト細胞のセンサーとして働いている。
3) T3SSはCesT,CesFなどのシャペロンに助けられ、大腸菌の様々な毒素をホスト細胞へ移行させる。このCesTはT3SSから離れるとCsrAと結合することで、CsrAの活性を低下させ、NleAの転写が上昇する。
4) 同じT3SS-CesT-CsrAの仕組みを190種類の分子の翻訳が共有しており、有名な病原性大腸菌O157にはこのうち150種類が存在すること。
を明らかにしている。
以上の結果から、病原性大腸菌が腸上皮細胞とコンタクトしたときだけ、急速に毒素の翻訳をし続けることができるメカニズムが解明された。読んでみると、不自由なゲノム構造の中で、極めて効率的な仕組みが進化していることがよくわかった。
2017年2月20日
自らもガンに罹患した経験を持つ岸田徹さんのガンノートは、岸田さんならの発想で始まった「ガン経験者のガン経験者によるガン経験者のための「生のインタビュー型」情報発信番組(http://gannote.com/)」で、大きな注目を集めている。医師や研究者にとっても、習った知識からは思いも及ばないガン患者さんの視点に触れることができる。ぜひ医学部や看護学部の学生さんには見てもらいたいと思う。かくいう私自身は、数回程度しか参加したり、番組を見たことはないが、いつも新しいことを学ぶ。
ガンの化学療法の副作用として、特に女性の患者さんの最も精神的ショックになるのが脱毛のようだ。この抗がん剤による脱毛を抑える方法としてずいぶん昔に考案されたのが、抗がん剤の投与前、投与中、そして投与後の1−2時間頭皮を冷やす方法だ。私がこの方法を知ったのはずいぶん前だが、ガンノートの話を聞く限り、我が国ではまず普及していない。おそらく、医療提供側で、脱毛を当たり前の結果として許容しているからではないかと勘ぐっていた。
今日紹介するHellen Diller Family Comprehensive Cancer Centerからの論文は乳がんでアジュバント化学療法を受ける患者さんが経験する脱毛を頭皮冷却が抑えることができるかどうか調べた治験で、2月14日号の米国医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between use of a scalp cooling device and alopecia after chemotherapy for breast cancer(乳がんに対する化学療法後に発生する脱毛への頭皮冷却の効果)」だ。
論文を見たとき、ずいぶん昔に開発された方法に関する治験が今頃米国医師会雑誌に掲載されるのかと驚いた。読んでみると、ヨーロッパでは普及してきたが、頭皮冷却の効果が一定しないことや、脱毛のショックを医療側が理解しないこと、そしてデバイスに対してFDAの医療機器としての認可が進んでいなかったこと、などの理由で米国でもあまり普及していなかったようだ。
この状況を打開すべく、この研究では5医療機関が合同で、ステージI-II乳がん患者さんで手術と合わせて行われるアジュバント化学療法(分子標的薬以外の化学療法剤による)を受けた患者さん約100人に頭皮冷却療法を行い、行わなかった16人のコントロールと比べた研究だ。脱毛は0から完全脱毛までを25%刻みにグレード0から4まで評価している。
コントロールが極端に少ないのは、研究途上で頭皮クーリングの効果がはっきりしたからだろう。結果はめざましいもので、頭皮クーリングを受けなかった全例で50%以上頭髪が失われ、15人ではほぼ完全脱毛と言えるほどの75%以上の頭髪が失われているのに対し、頭髪クーリングを行うと、67%で脱毛を50%以下に抑えることができ、全く脱毛なし、及び25%以下にとどまった患者さんが実に35%に達している。この結果、自覚的なショックも30%近く抑えることができている。医療機器としては極めて高い効果があると結論できる。従来指摘されていた転移の促進も、2年経過観察では問題になっていない。
米国で普及していないことや医療費の問題から考えると、化学療法には脱毛はつきもの、と我が国で普及が進まないのもわかる。しかし、病は気からとも言える。小児、及び女性については、わかっていても経験するとショックを伴う脱毛を予防する手段を認めて欲しいと思う。
2017年2月19日
医者になりたての頃、外来で「先生、最近疲れやすく、何か悪い病気と違うでしょうか?」と聞かれるのが一番困った。診察や検査から何か異常が見つかれば、それが原因だと説明できる。しかし、一般的な検査で何もわからないとき、どこまで原因を求めて深追いをしていいのか判断できない。結局ほとんどの場合深追いはせず、「特に悪いところは見つからないので大丈夫でしょう、悪化するようならまた来てください」と帰っていただくのが精一杯だった。結局7年で医者をやめてしまったので、ベテランの医者としてこの問いに向かうことはないまま終わりそうだ。
今日紹介する論文はこの「疲れやすい」と感じる背景に何があるのか、英国バイオバンクのデータを駆使して調べた研究でMolecular Psychiatryオンライン版に掲載された。タイトルは「Genetic contribution to self-reported tirednesss(自己申告による疲れやすさの遺伝性)」だ。
英国バイオバンクは2006年、ウェルカムトラストと英国医学カウンシルが共同で、50万人を目標に40−69歳の英国人の様々な健康データ、血液、DNA、さらには画像データを集めた世界最大のバイオバンクで、2010年に50万人のリクルートを達成している。この論文を読んで、このバイオバンクの実力に改めて感心した。
この研究ではUKバイオバンクの参加者のうちゲノムデータが得られる人に、「この2週間に何度疲れたと感じましたか?」と質問を送り、約10万人から回答を得ている。回答の内訳は、1)疲れを感じなかった(51416人)、2)数日(44208人)、3)1週間以上(6404人)、4)ほとんど毎日(6948人)だ。この数字をみて、改めて英国バイオバンクが初期の目的を十分果たしていることを実感するとともに、英国の人たちも疲れているのだと感じる。
研究では、この回答と、バイオバンクの様々なデータとの相関が調べられ、
1) 自覚的な疲れやすさと直接相関する遺伝子座は存在するか?
2) 疲れやすさは健康に関わる性質と関わっているか?
3) 疲れやすさは不健康さと関わるか?
4) 疲れやすさと神経症的傾向を示すパーソナリティーとの間に遺伝的な関連性があるか?
に対する答えを見つけようとしている。
ただ予想通り、疲れやすいという感じは、身体的状態にとどまらず、精神的状態とも連関しており結果は複雑で、結論もわかりにくい。詳細を省いて、4つの問いに対する答えだけをまとめると以下のようにまとめられるだろう。
1) ゲノムの多型解析から、疲れやすさの遺伝子として特定できるほど強い相関のある遺伝子は特定できないが、弱いが、ドーパミン受容体を始め5種類の遺伝子の多型と有意な相関が認められ、約8.4%に遺伝性が認められる。
2) 疲れやすさは、様々な健康状態や病気になりやすさと遺伝的背景を共有している。例えば、健康だという自覚や、長生きの遺伝子多型と逆相関している。
3) 疲れやすさは、代謝疾患マーカーや、肥満度マーカーなど、メタボリックシンドロームの指標と共通の遺伝背景を持っている。
4) 神経症的傾向などの精神疾患と疲れやすさは強い相関があるが、この相関は、身体的疾患との相関とは別のメカニズムによると考えられる。
実際には、バイオバンクのデータを総動員して、あれやこれやと調べており、まとまりのない仕事だ。とはいえ、誰もが当たり前と思ってしまう「疲れやすさ」を科学しようとする気概と、それを支えることのできる英国のバイオバンクにただただ感心した。
2017年2月18日
一昨年7月、自閉症児から樹立したiPSを使って試験管内で3次元脳組織を形成し、自閉症児の神経幹細胞が対照と比べて長く続くことを示したイェール大学からの研究を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/3774)。この結果は昨年7月ソーク研究所のグループにより確認され、さらにこの増殖の持続と患者さんの脳体積の増加が相関することが報告された(Marchetto et al, Molecular Psychiatry, doi:10.1038/mp.2016.95)。
脳の体積は脳室近くに存在する幹細胞がまず水平に分裂し、その後この幹細胞から作られた分化細胞が垂直に移動して分化細胞が縦に並んだ皮質を形成することがわかっている。このことを考慮すると、上に述べた研究は自閉症では神経幹細胞の増殖が余分に続き、その結果皮質表面が拡大し、脳体積が増大することを強く示唆している。
今日紹介するノースカロライナ大学を中心とする米国・カナダ合同チームからの論文は自閉症リスクの高い子供の脳を6、12、24ヶ月時にMRIで撮影、実際に自閉症を発症した子供と、発症しなかった子供の脳の構造変化を比べた論文で、脳構造の変化から上記の論文の結論を確認した画期的な研究だといえる。タイトルは「Early brain development in infants at high risk for autism spectrum disorder (自閉症スペクトラムのリスクの高い児童の脳発達)」で、2月16日号のNatureに掲載された。
この研究では米国、カナダの4センターで個別に、自閉症を発症した兄弟を持つ高リスク乳児318人、及び兄弟・親戚に自閉症発症が見られない低リスク乳児117人をそれぞれリクルートし、6ヶ月、12ヶ月、24ヶ月齢時点で、自然睡眠時のMRI検査を行うとともに、自閉症診断基準ADOS-WPによる診断と、社会性についての診断基準(CSBS-DP)による検査を行っている。
乳児のMRI検査で完全なデータを採取するのは難しいため、最終的に高リスクグループ106人、低リスクグループ42人が全プロトコルを終了している。24ヶ月時点のADOS-WPによる自閉症は高リスクグループのみで15人診断されている。実に13%の発症率で、自閉症に強い遺伝性が認められることがわかる。
こうして得られた高リスク・自閉症発症群(一群)、高リスク・自閉症非発症群(二群)、低リスク・自閉症非発症群(三群)のMRI画像を比べ、
1) 6ヶ月の脳体積は各群で大きな違いはないが、12ヶ月にかけて1群のみで脳体積の著名な増加が認められること、
2) 皮質の厚さについては各群で差がないこと、
3) 全体積の増大は、両側の後頭回、右側楔状葉、そして右側舌状回の表面積の増大の結果であること、
4) 脳体積の増大の程度は、ADOS-WP及びCSBS-DPで測定したスコアと強く相関すること。
を明らかにしている。
最後に、これらのデータをコンピュータに学習させ、最終的に6ヶ月と12ヶ月のMRI検査により、81%の確率で高リスク群の自閉症発症を予測できること、及び97%の確率で自閉症でないと診断できることを示している。
この結果は、細胞レベルでわかってきた神経幹細胞の増殖が自閉症では持続するという結果と一致するだけでなく、この変化が生後6−12ヶ月の発達期に起こることを示した点で画期的だと思う。さらに、MRI検査で異常が起こる6ヶ月時に診断できる可能性も示唆しており、早期介入による治療に道を開いた。実際、細胞レベルの研究ではIGF-1により増殖を抑える可能性が示唆されており、6ヶ月齢で100%近い診断が可能になれば、介入治験が行われる可能性も出てきた。また、皮質の拡大が著明な部分は感覚に関わる場所が多く、子供の感覚をコントロールする介入も可能かもしれない。
2017年2月17日
人口の高齢化に伴って医療費の高騰に直面しているのは我が国だけではない。また、いかなる医療制度下でも、この問題の解決には国家的な疾患予防、特に高血圧、糖尿病、高脂血症など生活習慣病を減らすことが鍵になるため、各国様々な取り組みが行われている。しかし運動を心がけ、低カロリー、低脂肪、高繊維食へと食習慣を変えることは容易ではない。だからこそ今年からNIHは行動学、社会学の研究が健康維持に欠かせないことを認識しプロジェクトをスタートさせた。しかし、研究の成果が上がるには時間がかかる。これに対し、幾つかの政府では、砂糖や塩を多く含む食品に税をかけて、その税を医療保険に移すとともに、国民全体の砂糖や食塩の摂取を減らす試みが行われてきた。このさきがけを切ったのがデンマークの脂肪税だが、消費者が周辺の国に簡単に買い物に出かけられる問題を解決できず、中止に追い込まれている。
今日紹介するオーストラリアメルボルン大学からの論文は、もしオーストラリアで同じような税を導入したらどのような効果があるかシミュレーションで確かめた研究だ。タイトルは「Taxes and subsidies for improving diet and population health in Australia: A cost-effectiveness modeling study(オーストラリアの食生活と健康改善のための税と補助金:費用対効果モデル研究)」で、Plos Medicine オンライン版に掲載された。
この研究では1)飽和脂肪酸食品税(100グラムあたり1.3ドル)、2)過剰食塩税(1gあたり0.3ドル)、3)砂糖含有飲料(1リットルあたり0.47ドル)、4)砂糖税(100グラムの砂糖あたり0.85ドル)、そして5)果物や野菜消費に対して100グラムあたり0.14ドルの補助金、の5種類の可能性を単独、あるいは組み合わせてシミュレーションし、DALYと呼ばれる病気により失われる年数、医療コストの低下などを計算している。
シミュレーションの妥当性については私は判断できないが、結果はあらゆる税がDALYと医療に対する国のコストの削減に寄与する一方、野菜や果物の消費をあげる補助金の影響は少ないことを示している。また、税の中では砂糖税が最も大きな効果を上げるだろうと予想している。重要なことは、野菜や果物に対する補助金を他の税、特に砂糖税と組み合わせると、さらに大きな効果が期待できることで、これは、例えば砂糖税で甘いものの食品消費が減る時に野菜の消費も同時に減ったりすることを防ぐ効果があるとしている。
はっきり言って、この論文の価値は結果の詳細ではなく、このような可能性が検討され、政府に提言されていることだと思う。現在、タバコやアルコールにも課税されており、この税は国民の健康に寄与している。テクニカルには難しいかもしれないが、今オブジーボ一剤で足元がフラフラしている我が国こそ、同じような税を砂糖や脂肪に対して設計して、医療費を減らすことを真剣に考えてみてもいいような気がする。
2017年2月16日
細胞分裂は様々なチェックポイントで制御されている。DNAの複製が終わる前に分裂がはじまると細胞には死が待っているだけで、DNA複製をモニターして分裂のスウィッチを入れる精緻なメカニズムが存在する。他にも多くのチェックポイントがあるが、分裂時に細胞内のオルガネラを正確に2分することも重要なチェックポイントのはずだが、こちらについては研究はまだまだだ。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文はケラチノサイトの分化増殖を研究する中でオルガネラの一つペルオキシソームの分配機構を明らかにした力作で2月3日号のScienceに掲載された。タイトルは「Coupling organelle inheritance with mitosis to balance growth and differentiation(オルガネラの継承と細胞分裂を連鎖させて増殖と分化をバランスする)」だ。
これは高い実力を持つFuchsの研究室からの論文で、最初ケラチノサイト分化課程の細胞増殖と分化のバランス調整に関わる分子を明らかにしようと研究していたところ、ペルオキシソームの分子Pex11bが特定され、その機能を徹底的に追求してペルオキシソームの分配メカニズムを明らかにした研究とまとめることができる。しかし読んでみると、ここまでやるかというほど徹底的で、大変な仕事だ。
まず、イメージングフローサイトメーターと呼ばれる、蛍光を指標にしたフローサイトメーター分析をしながら、流れる細胞の写真を撮る技術を組み合わせた技術を用いて、未分化な幹細胞が、極性を獲得して縦に分裂を始め、最終的に扁平上皮になる過程の各段階の細胞を分類し、次にそれぞれの段階の遺伝子発現をRNAseqで調べ、分化へコミットする段階に関わると想定できる分子のリストを作っている。この技術は現役時代から知っていたが、なるほどと思える使い方を示す論文を読んだのはこれが初めてだ。
次にリストされた800種類の遺伝子に対するRNAiライブラリーを作り、これを胎児羊水に注入してコミットメントに失敗した細胞に濃縮されるRNAi配列からコミットメントに関わる分子を特定している。当然予想される様々な分子が特定されるが、その中から予想外の分子Pex11bを選んでその後の実験を行っている。従って、これ以降の仕事はPex11bの細胞生物学と言える。
あらゆるテクノロジーを駆使して得た結論は、
1) Pex11bはペルオキシソーム分子だが、ペルオキシソームの重要な機能である脂質代謝には関わらない、
2) Pex11bの欠損により細胞分裂期、紡錘糸の回転が阻害され、分裂が遅延する。ケラチノサイト分化の異常は、この分裂期の異常に起因する。
3) この異常は紡錘糸に結合して分布するペルオキソゾームの分布異常にリンクしている。
4) 紡錘糸に結合したペルオキソゾームの分布と紡錘糸の回転をリンクさせることで、ペルオキソゾームの娘細胞への分配が正確に起こるよう制御されており、このチェックポイントにPex11bが関わる。
5) ペルオキソゾームを光で活性化されるkinesin-3で微小管のプラス極に移動させると、分裂中期で細胞分裂が停止する。逆にダイネインを用いてマイナス極に移動させた場合は分裂は正常に進む。
以上、最後の光により活性化されるモーターを使ってペルオキソゾームの分布を操るなどは圧巻だが、ケラチノサイトの分化とオルガネラの分配の両方についての解析で、発生学と細胞生物学が不可分であることがよくわかる。しかし、ケラチノサイト分化という観点でこの仕事をみると、力技でオルガネラ分配のチェックポイントに話を集約しているという印象があり、特に革新的な概念の変化が生まれたわけではない。確かに完璧を目指した研究のやり方には近寄りがたいものもあるが、だからといってこの分野の若手研究者も、圧倒される必要はないと思う。
2017年2月15日
アルツハイマー病のアミロイドβのように折りたたみがうまくいかなかったタンパク質や、ミトコンドリア病あるいはParkin2/Pink1変異によるパーキンソン病のように機能不全に陥ったミトコンドリアが増加すると、神経細胞が最初に影響される。すなわち、神経細胞は他の細胞と比べて特に様々なストレスに弱い。逆に、神経細胞はストレスを避けるため、シャペロンや、タンパク質分解系、オートファジー、マイトファジーなど様々なメカニズムを特に発達させている。
今日紹介するニュージャージー州立大学からの論文は上にあげた既存のストレス軽減メカニズムに加えて、神経細胞特有のメカニズムが存在することを示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「C.elegans neurons jettison protein aggegates and mitochondria under neurotoxic stresss (線虫の神経細胞は神経障害性ストレスにさらされると凝集タンパク質やミトコンドリアを放出する)」だ。
現象は面白いが、最後まで読むとちょっと物足りない感じがする論文だが、線虫の神経発生を仔細に観察する中で、著者らは細胞が4ミクロンほどの大きさの小胞を放出することに気づく。小胞という点ではエクソゾームもそうだが、大きさが全く異なっており、エクソファーと名付けている。エクソファーは大きさから細胞分裂と共通のメカニズムを使っている可能性があるが、全く異なるメカニズムで生成されることを確認している。
さて、エクソファーは線虫の全ての触覚神経で観察することができるが、細胞の場所と発生段階に応じてできる頻度が異なる。また何よりも、細胞質でタンパク質が沈殿したり、ミトコンドリア機能不全が起こると、エクソファーの生成が増加する。凝集する蛍光タンパク質と、凝集しない蛍光タンパク質を同時に発現させた細胞で観察すると、エクソファーは凝集タンパク質を選択的に放出する役割を担っていることがわかり、またアルツハイマー病の原因になる変異Aβもエクソファーにより除かれることを確認している。また遺伝子ノックダウンによりタンパク質の処理がうまくいかなくなると、エクソファー生成が増える。
凝集タンパク質だけでなく、ミトコンドリアのようなオルガネラもエクソファーにより放出される。パーキンソン病の原因の一つPink1のノックダウンなど、ミトコンドリアマトリックスが酸化するような遺伝子異常を誘導すると、エクソファーの数が増える。
最後に、放出されたエクソファーの運命についても調べ、最終的に分解されるだけでなく、隣接する細胞や、あるいは間質液に乗って遠くの細胞に取り込まれる可能性があることを示唆している。すなわち、エクソファーが細胞毒性のある凝集タンパク質を他の細胞へ感染するメカニズムとしても考えられることを提案している。
結局データは線虫でだけ示されており、同じメカニズムが私たちの神経細胞でも見られるのかどうかは今後の研究が必要だ。ただ、細胞をビデオで取り続けると、たしかに細胞質がちぎれることはよく観察されることから、全く荒唐無稽とは思えない。もともと神経は細胞の形態を大きく変化させる能力を持っている。ストレス誘導物質やオルガネラだけが選択的に除去されるメカニズムを明らかにして初めて市民権が得られるだろう。