12月18日:ガンのビッグデータ情報処理の産みの苦しみ(Nature Communication DOI: 10.1038/ncomms13404他)
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12月18日:ガンのビッグデータ情報処理の産みの苦しみ(Nature Communication DOI: 10.1038/ncomms13404他)

2016年12月18日
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最近、我が国の経済系の新聞や医療情報誌に、「xxの機関がガンの早期診断や治療にビッグデータの利用に乗り出した」と言った記事が多い。ただある程度内内のことを知っているものから見ると、手を挙げている人が本当に真剣に取り組んでくれているのか心配になる。はっきり言うと、また国からお金を引き出すためのアドバルーンかと勘ぐってしまう。というのも、例えばガン領域で言えば、我が国のゲノム研究は遅れており、またインフォーマティックスについてもなるほどと思わせる論文はおろか、なんとか新しい方法を目指して苦しんでいるなと思わせるような我が国からの論文にお目にかかることができない(私が見ている範囲の話で、間違いなら嬉しい)。
私から見れば、この差を埋めるのは新しい研究者で、決して既存の研究者ではないと思う。一方世界レベルで見ると、ガンのデータから治療戦略を探るための研究は盛んだ。正直、簡単でないという印象を持つが、それでも産みの苦しみを感じることができる。
   今日紹介するドイツ・マルティンスリードにあるマックスプランク研究所からの研究は産みの苦しみの典型で、Nature Communicationに掲載された(DOI: 10.1038/ncomms13404)。タイトルは「Direct identification of clinically relevant neoepitopes presented on native human melanoma tissue by mass spectrometry (質量分析を用いたメラノーマが提示している臨床に役立つネオ抗原の同定)だ。
   免疫システムにはガンを根治に導くことが明らかになって、ガン治療の王道の一つが、ガン特異抗原を見つけ、それに対する免疫を誘導することだとわかっている。ただ、一つのガンは多くの突然変異を持っており、どの抗原に患者さんが反応しているのか特定するのはできていない。現在ガンのエクソームからインフォーマティックスを用いて抗原を特定するアプリケーションの開発が進んでいるが、配列だけから予測できる日はまだまだ遠い。
   この研究はエクソームだけでなく、腫瘍組織から直接組織適合性抗原に結合するペプチドを精製して解析することで、臨床に使えるガン特異的抗原を見つけられないか調べた研究だ。膨大なデータを集める大変な研究だが、はっきり言って成功したとは言い難い。論文は雑然としており、最後の結論は寂しい。簡単にまとめると、25人の患者さんからガン組織で提示されているペプチドを解析すると、メラノーマ抗原として知られていた分子由来のペプチドが上位を占め、またリン酸化ペプチドも多く発見される。このランキングは将来のインフォーマティックスやワクチン開発には役立つかもしれない。ただ、今のままでは混乱があるだけだ。というのも、5人を選んで、実際の免疫に関わる変異タンパク由来ペプチドを探索してみると、このリストのトップにくるタンパク質由来ではない。なんとか臨床に関わる11のペプチドが特定できたが、そのうち8つは一人の患者さん由来で、また免疫反応が8キル特定できるのは2つだけだ。さらに、最初反応があっても、ガンの進行とともに免疫が落ちるという結果だ。
   大変な実験の割に、結果が華々しくないため論文を発表するのに苦労したのだろう。ただ、それでもなんとか王道を行こうという意気込みが見える。この産みの苦しみを繰り返すしか、新しい治療は生まれない。
   同じことは、拡大しつつあるデータベースから、ガン発生に関わるドライバー遺伝子を発見するためのアルゴリズム開発を目指した研究についてのジョン・ホプキンス大学から米国アカデミー紀要に発表された論文にも見られる。タイトルは[「Evaluating the evaluation of cancer driver genes(ガンドライバー遺伝子の評価を評価する)」だ(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1616440113)。詳しくは述べないが、この研究では現在進むガンのドライバー遺伝子探索ソフトを機械学習を通して評価するプラットフォームを開発している。印象だけを述べると、そう簡単ではなく、これまでの知識で整理できる地点にまだまだ来ていないと思う。
   しかし、この産みの苦しみについての論文ですら、我が国から本当に生み出されているのか心配になるほど、少なくとも私が目にする機会がない。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月17日:医学雑誌の息抜き:The BMJ クリスマス特集(The British Medical Journal; http://www.bmj.com/thebmj)

2016年12月17日
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   医学や生命科学の専門誌のエディターの関心事の一つは、多くの読者を得るために面白い論文を集めることだが、閲覧ヒット数だけが目的化しているキュレーションサイトと異なり、掲載された論文のデータの信頼性の確保にも努めなければならない。このため、各論文は厳しい審査過程を経て初めて掲載される。この過程で、一般の人から見ると「堅苦しい話」が中心の雑誌になる。
   しかし私が付き合ってきたエディターたちは決して「堅物」ではない。当然茶目っ気もある楽しい連中だ。堅苦しい話ばかりに満足せず、「まず世の中の役には立つようには思えない」面白い論文も掲載したいと思っている。そんな例を私のホームページでも紹介してきた。
   これまで紹介した例を挙げると、
電気ウナギの戦略(http://aasj.jp/news/watch/2539)、
相場と脳(http://aasj.jp/news/watch/1805)、
シマウマの縞(http://aasj.jp/news/watch/1345)、
グンカンドリは飛びながら寝る(http://aasj.jp/news/watch/5615
などだが、これらの論文は読んでいて思わず笑みがこぼれる。しかし、だからと言ってデータの信頼度をないがしろにしてはいない。
   信頼性の原則を守りつつ、ウケを狙った論文の特集号を毎年発行しているのが、英国の医学雑誌The British Medical Journalだ。
   反ワクチングループに買収されていたウェークフィールド論文や、タミフルの予防効果についての誇大宣伝に対して最も激しく戦った硬派の医学雑誌だが、クリスマスシーズンになると真面目と遊びの間のような論文を集めたクリスマス特集号を出している。アクセスに課金される通常の論文と異なり、この特集はすべての人に解放されており、英語だが読むことはできる(http://www.bmj.com/thebmj)。シャレと真面目の境にあるような論文ばかりだが、科学的信頼性を守るということが何かもわかるようになっている。
   掲載された論文だけでなく、あらゆる記事に細工がある面白い特集で、今年はBrexitについても言及があるかなと思っていたが、残念ながら当てが外れた。
   今回は論文だけに絞って、タイトルと内容を私なりに書いてみた。ただ、いつもの論文紹介と異なり、あくまでも斜め読み。
論文は5編だ。
1) セレブの言葉は影響力があるか?アンジェリーナ・ジョリーのNYタイムズの論説記事の後見られたBRCA遺伝子検査と乳腺切除数についての観察研究。(論文の著者は全員専門家だ。2013年5月、有名女優アンジェリーナ・ジョリーがNY Timesに書いたBRCA遺伝子検査の結果に基づいて、予防的に乳腺切除したことについての告白記事の前後でBRCA遺伝子検査数と乳腺切除数の推移を調べている。期待通り、発表直後からBRCA遺伝子検査数3割以上増加し、現在まで高止まりしている。ところが全乳腺切除数は変化なく、さらにBRCA遺伝子テストに基づいて予防的に行われる切除数は逆に低下している。このことから、セレブの宣伝に反応するのは健康な人で、乳がんの近縁者がいたりで心配している人には、世間が騒ぐことで検査を受けに行きにくいという逆効果になっている心配がある。)
2) 良い子のサンタさんの迷信を一掃する:サンタクロースについての後ろ向き観察研究。(著者は医学生と指導教官。医学生とはいえ科学的に研究を進める必要がある。2015年クリスマスに、サンタクロースがやってきた小児病棟を調べ、ロンドン東部を除いてはほとんどの小児科病棟にやってきていることを示している。そして分析の中で社会問題にも目を向けさせ、サンタが貧しい地域を訪れる頻度が少ないことを指摘、サンタがくる習慣が格差の維持に貢献しているのではという指摘をしているのは、教育的にも重要な議論が行われたことをうかがわせる。最後に、地域の若者の有罪率とサンタの現れる頻度に相関がないことを示した上で、「よい子のサンタ」という神話が否定された事実を子供に伝えるかどうか問うて終わっている。イギリス的ウィットに富んだ楽しい論文だ)
3) 高齢者になっても生活を享受することと死亡率:英国高齢者の縦断研究(これは専門家による論文:これは既に進んでいる英国高齢者の縦断研究の対象者について、生活を楽しんでいるかを2006年に指標化して、2013年までの死亡率を追跡している。ただ観察研究であるため、信頼性にはかけることを断った上で、高齢者が毎日の生活に満足することが死亡率低下につながることを示している)
4) ポケモンGoを攻略したぜ!ポケモンGoと若年成人の身体的活動:差分の差分法研究 (ポスドクと教授が著者:ウェッブで参加者を募集し、スマホの歩数計のデータを記録、ポケモンGoをダウンロードしてからの歩数を調べている。結果は、参加者平均の歩数は普通1日4000歩程度だが、ポケモンを始めると平均で900歩程度上昇する。ただこれは一過性で、6週間目にはほとんど差がなくなるという結果だ。)
5) おしっこの価値(P-value)を嗅ぎ出す:アスパラガスに対する嗅覚障害のゲノムワイド関連解析。
(会議に集まった専門家が話しているうちに思いつき、論文にした:アスパラガスを食べた後はオシッコが不快な臭いを放つという観察をベンジャミン・フランクリンが書き残しているようだが、医療関係者のコホート調査を対象に(インフォームドコンセントが取りやすい)、臭いを感じる人と感じない人を分け、ゲノムワイド関連解析をしたところ、1番染色体の嗅覚受容体クラスターに多型が特定された。)
と、盛りだくさんだ。対象は子供から高齢者まで、著者も学生から専門家まで。そして、しっかり科学的手法とは何かを示すとともに、格差などの社会問題を考えさせる素晴らしい特集だ。ぜひ医学部の教育に取り入れればいいと思う。
私たち夫婦にとっても、世の中のしがらみを捨て、今まで通り楽しく生きようと思いを新たにした。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月16日:タツノオトシゴのゲノム(12月15日号Nature掲載論文)

2016年12月16日
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   何年か前までは、様々な動植物の全ゲノム解析についての論文がNatureやScienceなどの一般科学雑誌にも多く掲載されていた。しかし、ゲノム解析は当たり前になり、現在も続々ゲノム解析論文は発表されているが、ほとんどが専門誌に回るようになっている。それでも、極めて特異的な性質について明快な機能的答えが示せると、一般紙も掲載する。
   今日紹介する中国、ドイツ、そしてシンガポールの研究施設が共同で12月15日号のNatureに発表した論文はタツノオトシゴについてのゲノム研究で、この魚が持つ幾つかの特徴を機能的にも説明した面白い研究だ。タイトルは「The seahorse genome and the evolution of its specialized morphology(タツノオトシゴのゲノムと特異的な形態の進化)」だ。
   研究はタツノオトシゴの全ゲノムを解読し、魚とは思えない形態や機能を見たときに感じる一つ一つの疑問をゲノムから見直している。論文は読みやすく、読んだ後でなるほどと納得するのだが、半分は著者らにマインドコントロールされた結果かなとも思う。
   まずタツノオトシゴと他の魚との系統関係だ。これまでタツノオトシゴはトゲウオの仲間で、ティラピアやメダカに近いと考えられていたが、ゲノムが明らかになりこれが確認された。一億年前の白亜紀に他の種から分離したことがわかる。タンパク質をコードする遺伝子で見ても、コードしない遺伝子でみても、進化速度が速くこの結果かくも不思議な形態を進化させることができたのだろう。
  次に特異な特徴に関わる遺伝子欠損について調べ、重要な遺伝子の欠損を指摘している。
   一つはカルシウム結合性のリンタンパク質で、骨や歯の形成のために幾つかのファミリー分子を我々は有しているが、この中でタツノオトシゴは、歯のエナメル質の形成に関わる遺伝子のみ完全欠損していることがわかった。これが、タツノオトシゴでは歯が存在しないことと一致する。鳥類など他にも歯を失った脊椎動物でもエナメル形成に関わるこのファミリー分子の欠損が知られているが、タツノオトシゴではこれに関わるほぼ全ての遺伝子が欠損していることが特徴的だ。
   タツノオトシゴの顔つきを見ると鼻が長いように見えるが、驚くことに匂いを感じるための遺伝子の多くを失っており、これまで最も少ない匂い受容体を持つとされていたエイの仲間の60個と比べても少なく、25個しか見つからない。今後、タツノオトシゴの生態を考える上で重要な発見だ。
  最後にタツノオトシゴがなぜ胸ビレを失ったかについても検討し、Tbx4と呼ばれる遺伝子が欠損していることを発見している。例えば同じ胸ビレを失ったフグではHoxd9a遺伝子の発現パターンの調節変化がこれに関わっている。このように、形態進化の道筋は多様だ。Tbx4はノックアウトするとマウスの後ろ足がなくなることも知られている。この研究ではCRISPR-Casを用いてゼブラフィッシュの遺伝子をノックアウトし、確かに胸ビレが欠損することまで確認している。
   次に、進化で数が増えた遺伝子についても探索し、パトリスタシンと呼ばれる魚の卵の成分を分解する酵素の遺伝子が増加していることを発見する。タツノオトシゴはオスが育児嚢と呼ばれる場所で卵を孵化させるが、この孵化時にこれらの酵素で卵を分解するのだろう。メスが体内で孵化させるプラティフィッシュもパトリスタシンファミリー遺伝子の数を増やしている。したがって、体内の孵化に重要な進化といえる。ただ、それぞれの魚は異なる遺伝子を増幅しており、ここでも進化の道筋の多様性がわかる。
   ではタツノオトシゴの特異な形態はゲノムから説明できるのだろうか?これに対し、著者らは魚で保存されている遺伝子をコードしない領域(CNE)がタツノオトシゴで異常に多く失われていることに着目している。しかも失われたCNEは形態形成に関わる重要な遺伝子の近くに存在している。このことから、CNEが大きく変化することで特有の形が生まれたのではと提案している。これを裏付けるため、7箇所のCNEに標識遺伝子をつないでゼブラフィッシュに導入して、タツノオトシゴが失ったCNEが確かに領域特異的遺伝子発現に関与していることを示している。
   以上が示された結果だが、かなり納得できたのではないだろうか?私は完全にマインドコントロールされ、納得した。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月15日:Anti-CRISPR(12月15日号Cell掲載論文)

2016年12月15日
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    ウイルスを見ていると、ゲノムの進化がいかにダイナミックかわかる。例えば、話題のゲノム編集システムCRISPRは本来細菌のウイルスに対する防御システムだが、これをちゃっかり取り込んで、細菌側のCRISPRを無力化できるウイルスが存在する。
   今日紹介するトロント大学からの論文は同じようにウイルスのしたたかさを示しているが、別のCRISPR無力化システムの報告で12月15日号のCell に掲載された。タイトルは「Naturally occurring off-switches for CRISPR-Cas9(自然に生まれたCRISPR-Cas9のオフスウィッチ)」だ。
   おそらくウイルスのしたたかさを確信するこのグループはCRISPR-Cas9システムの活性を抑制することができないと、ウイルスは生存できないはずで、必ず無力化システムがあると信じて研究をしていたようだ。不勉強で気付かなかったが、すでに1型のCRISPR-Casシステムに対する無力化分子をインフォマティックスを利用して特定し、論文発表を行っていたようだ。 
      この研究では、通常遺伝子編集に使われる2型のCRISPR-Cas系に効果がある無力化分子があると考え、2型を発現している細菌に感染するウイルスのゲノムを探索し、2種類の分子Aca1とAca2を特定した。この分子をCRISPR-Cas9システムを持つ細菌のアッセイ系で調べると、その活性をほぼ完全に抑制することが分かった。
   次にCas9分子のDNA切断活性を指標にこの分子の活性を調べると、Cas9に直接結合してのDNA切断活性を抑制することを明らかにしている。そして、ヒト細胞株のテロメアにCas9が結合する実験系を用いて、anti-CRISPR はCas9のDNAへの結合を阻害する分子であることを示している。
   もちろん、Aca1、Aca2によってCas9による遺伝子編集を完全にブロックできることを示して、将来残存Cas9が非特異的にDNAを切断したり、あるいは同じ箇所をなんども切断することがない遺伝子編集が可能であることを示している。
   しかし、遺伝子編集の実際を考えると、編集が起こってから絶妙のタイミングでこの分子を新たに発現させるのはハードルが高いだろう。それより、ウイルスのしたたかさの方がずっと面白い。
さらに多くのこの分子ファミリーを特定して、anti-CRISPR分子の進化過程をぜひ知りたいものだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月14日:誇大医学情報によるヒステリー(12月5日EBMO Reports 掲載コメンタリー)

2016年12月14日
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   キュレーションサイトWelqによる間違った健康情報提供が大きな問題になっている。背景には健康情報の正確性だけでなく、剽窃といったキュレーションサイト自体が持つ問題もあり、構造は複雑だ。しかし、情報の正確性のみを問うなら、キュレーションサイトだけの問題ではなく、一般メディアや、コマーシャル、そして専門誌ですら同じ問題を抱えている。このことは、同じことが専門論文を紹介している私自身の問題でもあることを意味している。
   一方、健康情報に対する市民の強い要望とSNSの普及は、間違った情報が簡単に拡散することを意味している。Welqの事件をきっかけに、医学情報に関わるあらゆる層が議論を始める時がきた。
   このタイミングで医学情報の正確性の問題と、間違った情報により簡単に燃え上がる市民のヒステリー反応について強い口調で議論しているボストン大学とハーバード大学在籍の、おそらくホルモン療法に関わる医師や研究者からの意見がEMBO Reportsに掲載された。タイトルは「Overselling hysteria (誇大宣伝ヒステリー)」だ。
   この論文では、審査を経て医学雑誌に掲載されている論文が、メディアの誇大宣伝により簡単に市民のヒステリックな反応を誘導し、その結果治療の恩恵を受けれるはずの多くの人の健康が損なわれる例をあげて、医学情報の市民への提供のあり方を真剣に議論している。
   例として使われたのは、高齢男性のフレイル(虚弱)の原因であるテストステロン(男性ホルモン)低下を補うためのホルモン補充療法が心血管障害を誘導する危険があるという、The New England Journal of Medicine及びJAMAに掲載された論文をベースに、NY Timesが「テストステロンの危険な過大評価」という記事に端を発したヒステリーの話だ。実際この報道の結果多くの市民が不安を抱き、最終的にはFDAや医師の側にもテストステロン治療には心血管障害がつきもで、できる限り避けたほうがいいという先入観が広がってしまったことを指している(この論文を読むまで実際私もそう思っていた)。
   同じことは女性の更年期障害に対するホルモン療法にも言える。実際には多くの更年期障害に悩む女性が健康に過ごすことができるのに、Women’s Health Initiativeによる大規模調査で、心疾患や乳がんの危険性があることが指摘され、それが報道されるとなんと80%もの治療が中止されている。
   いずれの場合も、論文をよく読むと、副作用の頻度は高くなく、さらに複雑な統計処理が行われて理解しにくくなっている。驚くことに、テストステロンのJAMA論文に至っては、計算間違いでその後論文が撤回されている。また論文全体でみると、副作用を強調する論文はほんの一部で、大半の論文では問題は指摘されていない。そして、2016年に発表された最大規模のテストステロン治験では、なんと心血管障害は同じか低い傾向にあることが示された。また、Women’s Health Initiative は、その後最初の結論を覆し、ホルモン療法を推奨する結果を導いている。
   重要なことは、論文の撤回や、新しいこれまでの報道結果と反対の結論についてはメディアは興味を示さない、あるいは意図的に無視して報道せず、市民にはヒステリーだけが残るという結果に終わる。事実、私もテストステロンは心血管障害を高い確率で起こすと思ってしまっていた
   このように、トップジャーナルに掲載された一部の論文が、メディアにより一方的に報道され、市民ヒステリーが広がり、医療を制限し、最終的に病気を増やす。しかも、医学論文の半数は再現が難しく、現場の医者は研究論文を読む時間もなく、医学雑誌も一般ウケを狙って、論文掲載前には一般メディアに論文を送る馴れ合いの構造を持っている。しかし、一般メディアは論文の内容を正確に吟味することはなく、市民に訴えるかのみを指標に掲載を決めている。これを知ると正確な医学情報などどうしたら得られるのか途方にくれる
   さてどうするかだが、
1) 医学雑誌と一般メディアが互いにもたれ合っている構造があることをしっかり認識して報道を見ること。
2) 審査を経ていても、一つの医学論文だけで何が正しいか判断できないことを知ること。
3) 大規模調査で統計的に有意とされる差異も、実際の臨床現場ではほとんど問題にならないことも多いことを認識すること。
4) 統計手法が極めて複雑になっており、これによる解釈間違いが起こることを知ること。
5) どんな結論も、最初に書く側、読む側が持っている思い込みに左右されていること。
がこの論文の結論だ。要するに、ヒステリーを避けるためには冷静さが必要だという当たり前の結論で終わっている。
   キュレーションサイトによる医療情報提供の問題が市民に認識されたのはいい機会だ。この機会に、我が国でも医学医療情報の提供の仕方、受け取り方について真剣な議論を始めてみよう。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月13日:性格の多様性の遺伝的ルーツを探る(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)

2016年12月13日
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    現代の人間社会では、必然的に多数の人と関わりを持つ必要がある。人と出会う時、相手がいま何を考えているのか常に測りながら、頭に浮かんだイメージと相手の行動の誤差をうまく調整する「付き合い」と呼ばれる行動を繰り返す。この中で、自然と「相性」が生まれ、この相性が相手に対するイメージを固定化し、「付き合い」のあり方を変えていく。
   このように、私たちは自分の判断を基準に関わりのある人を自然に類型化して付き合いに生かしているが、心理学や医学の世界ではこの類型化をより客観的・実体的にする試みが続いてきた。
   中でも性格の類型化のため現在最も用いられているのがbig five personality testで、設問への答えを分析して性格を、1)neuroticism(情緒不安定)、2)extraversion(外交的)、3)Openess to experiencee(好奇心旺盛)、4)agreeablenesss(協調的)、5)conscientiousnesss(良心的、誠実)に類型化している。
  今日紹介するカリフォルニア大学・サンディエゴ校からの論文は、この類型の遺伝学的背景をGWAS(全ゲノムにわたる遺伝子型関連解析)を用いて調べた研究で12月5日Nature Geneticsにオンライン掲載された。
   この研究では23&Meで遺伝子診断サービスを利用した方の性格テストおよび、もともとの性格と遺伝子多型を関連させるための研究から、白人に限って約20万人のデータを集め、性格と関連する遺伝子、同じ遺伝的要因をもつ性格と精神疾患の特定などを調べている。
   まず、それぞれの類型と相関する遺伝子多型を探すと、関係してそうなSNPが幾つか見付かるが、その中で統計学的に優位に相関するSNPが良心的性格に1個、外交的性格に5個、そして情緒不安定に2個を特定している。多くはこの研究で初めて特定されたSNPだ。
  実際には、これらのSNPにより周りにある遺伝子の脳での発現がどう変化するのかを調べる必要があるが、この研究では到底そこまで進んでいない。しかし、特定したSNPのうち6種類は脳での遺伝子発現に関わる可能性、さらには外交的性格のSNPの一つは、性格を決定づける強い要因を持っている可能性を示唆することは述べている。
   最後に、それぞれの性格、および精神疾患を遺伝的関連性を元に主成分分析して、
1) 情緒不安定と、他の4つの性格は遺伝的に相反する性格、
2) 情緒不安定以外の4つの性格は遺伝的にも相関がある、
3) 精神疾患と性格類型は連続的に遺伝的相関を持っている、
4) 情緒不安定とうつ病は遺伝的に強く関連する、
5) 外向性と注意欠陥・多動性障害は遺伝的に強く相関する、
などを示している。
   性格の類型と精神疾患が連続していることや、各類型間の関連などはなるほどと思わせる結果だが、遺伝要因で決まる性格の詳細を明確にするにはまだまだだと思う。ただ、これが理解できて初めて、教育とは何か、教育でやるべきことが明らかになる。今後全ゲノム解析を元に、研究が進むことを期待している。
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12月12日:自己のガン細胞を使った免疫療法(12月8日号The New England Journal of Medicine掲載論文他1編)

2016年12月12日
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   ガンに対する免疫治療の根治力が明らかになってから、自己ガンや自己ガン由来の抗原を使うワクチン療法、あるいはガン細胞とリンパ球を試験管内で培養して調整したキラーT細胞を移植する治療法の開発が進んでいる。今日はそんな論文2編を紹介する。    最初の米国国立衛生研究所からの論文はガン細胞の増殖を支える変異型KRASがガン抗原として働いた大腸直腸癌で肺転移をもつ患者さんの症例報告で12月8日のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「T cell transfer therapy targeting mutant KRAS in cancer (ガンの変異型KRASを標的にするT細胞移植治療)」だ。
   タイトルにあるように変異型KRASはガンをガンたらしめている最も重要な分子だが、正常細胞には存在しない。すなわち、ガン抗原としての資格がある。KRASは薬剤の開発が難しいが、これを抗原にして免疫を成立させればこれほど都合のいいことはない。この研究は最初からKRASに対する免疫療法を目指していたわけではない。ガン組織に浸潤しているT細胞を試験管内で増幅してから患者さんに戻す免疫療法の治験を行っていた患者さん12例のうち1例の患者さんで変異型KRASに対するキラーT細胞を確認し、またこのT細胞を移植した患者さんでは、7箇所あった転移巣の6箇所が消失し、効果がなかった1箇所も除去できたという、1例報告だ。
   1例報告とはいえ重要なメッセージの多い論文だ。まず、KRASに対してキラーT細胞が誘導できることが明らかになった。次に、この症例では幾つかのKRASに対するクローンが混じっており、移植後の定着の程度はクローンにより異なっている。そして、キラーT細胞を移入した同じ患者さんで、他の転移巣は全て消失したのに、全くT細胞が作用できなかったガンもあること(おそらく環境の問題)は、ガンの免疫療法を考える上で重要な発見だと思う。この点の分析から、治療法はさらに改良されるだろう。
   この研究では、変異KRASに対するT細胞受容体も特定しており、将来はこの遺伝子を患者さんのT細胞に導入する治療も可能になるだろう。また、KRASペプチドに対するキラーT細胞の樹立も今後さらに加速するように思う。まだ一例とはいえ、大きなブレークスルーになる気がする。
   もう一編はボストンにあるベス・イスラエル医療センターからの論文で、急性骨髄性白血病の細胞と、患者さんの樹状細胞を細胞融合させ、それをワクチンとして免疫に用いる治療法の治験に関する論文で、12月7日付のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Individualized vaccination of AML associated with induction of antileukemia immuneity and prolonged remission(緩解期の急性骨髄性白血病(AML)に対する個人用ワクチン治療は白血病に対する免疫を誘導し緩解期を延長する)」だ。
   詳しい方法は省略するが、この研究のハイライトは、白血病細胞と樹状細胞を細胞融合させた細胞をワクチンとして使うというアイデアが全てだ。実際には、治療前に白血病細胞や樹状細胞を採取、その後化学療法で緩解を誘導する。ただ、AMLの場合緩解が長続きしないことはよくわかっている。緩解導入後、白血病細胞と樹状細胞を融合させた細胞を放射線処理して皮下に注射し経過を見ている。
   驚くことに、17例の患者さんのうち12例で免疫が成立し、現在平均で四年以上にわたって緩解が続いているという結果だ。この中には70歳を越した患者さんもおられ、驚くべき結果だ。
   これまでのように樹状細胞にガン細胞を食べさせる代わりに、細胞融合してしまうというアイデアは面白い。そして、これまで骨髄移植が困難だった高齢者のAMLや骨髄異形成症候群の治療に大きな光が見えてきたと思う。移植後は他の治療を一切行っていないことから、うまくやれば安上がりだ。チェックポイント治療を提供する会社も真っ青になる結果だ。ぜひ我が国でもサービスが始まることを願う。しかし、免疫系の力はすごい。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月11日:パーキンソン病治療のための経路(11月30日号及び12月7日号Science Translational Medicine掲載論文)

2016年12月11日
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   私たちAASJはパーキンソン病の患者さんとの付き合いが深いが、運動障害のために患者さんが毎日大変な思いで生活しているのを目の当たりにする。私たちにできることは知れているが、理事の藤本さんや麻生さんも、なんとか助けたいという強い気持ちに駆られているのが、はためからもみてもよくわかる。そして患者さんも、私たちも、全員が病状を遅らせるだけでもいいから多くの治療法が開発されることを強く願っている。
   幸い、この病気の研究者は多い。おかげで、なんとか入り口にある治療法が続々開発されている印象がある。CiRAの高橋さんの細胞治療もそうだが、遺伝子治療、薬剤治療と、可能性を示す論文は数多い。
   今日紹介する2編の論文は、病気の進行を遅らせる治療法につながる標的分子の研究で11月30日号と、12月7日号のScience Translational Medicineに掲載された。古い順に、「Nigral dopaminergic PAK4 prevents neurodegeneration in rat models of Parkinson’s disease (ラットのパーキンソン病モデルで黒質のドーパミン神経のPAK4は神経変性を阻止する)」と「Mitochondrial pyruvate carrier regulates autophagy, inflammation, and neurodegeneration in experimental models of Parkinson’s disease(ミトコンドリアのピルビン酸キャリアはパーキンソン病の実験モデルでオートファジー、炎症、神経変性を調節する)」だ。
   今日は2編紹介するため、長くなると読みにくいと思うので、できるだけ短く紹介する。
   最初の論文は韓国・忠北大学医学部からの論文で、PAK4と呼ばれる分子が、1)ドーパミン神経で発現し、患者さんでは低下していること、2)強制発現させるとラットのパーキンソン病モデルで神経死を抑えることができること、3)この分子はCRTC1分子のリン酸化を介してCREB転写因子を発現させ細胞死を防止すること、などを明らかにしている。その上で、レンチウィルスベクターを用いた遺伝子治療でPAK4を発現させれば病気の進行を遅らせられると提案している。遺伝子治療であるという点、そして発がんの危険性などをクリアできれば治療標的としては可能性があると思う。
   この論文よりさらに可能性が高く、実際治験も進んでいるのが次の論文で、ミトコンドリア内へピルビン酸を運ぶキャリアを阻害する化合物MSDC-0160が様々なパーキンソン病モデルで神経死を防ぐという研究だ。
   この論文を読んで初めて知ったが、これまでPPARγ阻害剤として糖尿病治療に使われてきたthiazolidinedione(TZD)は、ピルビン酸キャリア(MPC)の阻害作用があり、これによってβ細胞の保護作用を発揮していることが最近明らかになっていたことだ。そして、TZDはこれまでの経験でパーキンソン病の進行を防止する効果があることが知られていたことだ。
   この研究ではMPC阻害剤として開発されたMSDC-0160を、人細胞株、線虫、マウスモデルなどで検討し、αシヌクレン蓄積によるパーキンソン病での細胞死を防ぐことができることを見つけている。研究ではメカニズムについて詳しく調べているが、ピルビン酸のミトコンドリアへの移動が抑えられることによる代謝障害がmTOR経路を介して、オートファジーを正常化、炎症を収め、ミクログリアの活性を下げることで、全体として神経が保護されると結論している。
   重要なのは、この薬がすでに糖尿病に12週間投与され、効果や副作用のデータが存在すること、またアルツハイマー病の治験が進んでいる点だ。おそらく、パーキンソン病にも治験を始めるのもそう難しくないだろう。是非期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月10日:トランプ政権に対する科学界の懸念III(12月5日The British Journal of Medicine掲載記事)

2016年12月10日
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   これまで2回にわたってトランプ政権に対する科学界の懸念を取材した科学紙の記事を紹介してきた。なぜこれほど科学者が心配しているかというと、彼が科学技術予算を減額するからといったレベルではなく、彼の言動から判断される彼の行動規範が、科学者一般の考え方と本能的に相容れないところがあるからだと思う。私自身も一言一言に恐怖感すら感じる。そこがトランプラリーと浮かれている経済界の人たちと根本的に違う点だろう。
   そして極め付けともいえる恐ろしいトランプの行動が、12月5日、モントリオール在住のフリーランスの記者Owen DyerさんがThe British Journal of Medicineに明らかにされた。タイトルは「Andrew Wakefield calls Trump “on our side” over vaccine after meeting(Andrew Wakefieldがトランプと会談の後、ワクチン問題で「我々の味方」と呼んだ)」だ。
   このAndrew Wakefieldとは、1998年Lancetにはしかワクチンが自閉症の原因であるという捏造論文を書いた張本人だ。私も、小保方事件と比較してWakefield事件については詳しく述べているので参考にしてほしいが(http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishikawashinichi/?p=4#artList)、この捏造論文のおかげで反ワクチン運動が勢いづき、英国や米国で新たなはしかの流行が起こり、死者まで出た。Wakefieldは、共著者全員とLancetの編集者が捏造を認めたことで、失脚したが、米国の反ワクチン運動団体の支援を得て、現在も活動している。
   この記事でDyerさんは、Wakefieldが選挙前にトランプと会談し、会談後Wakefieldが「トランプは反ワクチン運動の味方で、3種混合ワクチンが自閉症を誘発することを認める政治家だ」とコメントしたことを報告している。
   いくら選挙前で、また反ワクチン運動が大きな票田であるからといっても、Wakefieldと会ったこと自体が問題だ。トランプとは直感に頼る煽動家で、科学的に考えることなど全く意に介していないことを示している。普通取り巻きがこのような会談を阻止するのだが、結局取り巻きも同じ穴の狢だろう
   さらにDyerさんはトランプのTwitterを調べ、トランプが従業員の子供について、「ワクチンを接種して、発熱し、自閉症になった」ツイートし、さらに「大統領になったら一度に幾つかのワクチンを接種する現在の方法はやめさせ、何回にも分けて接種させる」とツイートしていることを明らかにしている。これを読んで暗澹たる気持ちになる医学関係者は多いはずだ。
   私自身、個人が直感的に反ワクチン論を展開することに何の問題も感じないが、医学的な研究論文を全く無視した議論の展開は許すことはできない。
   この問題に関しては、大統領になってからトランプが心変わりし、専門家の意見に耳を傾けることを切に祈るが、まずCDCのワクチン行政にどう介入するか様子を見る必要があるだろう。その意味では、厚生福祉長官のトム・プライスが鍵を握るが、Dyerさんは信用できないと切り捨てている。    トランプの真実を最も語る記事だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

12月10日:時間(タイミング)の脳科学(12月9日号Science掲載論文)

2016年12月10日
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   時間という言葉で私たちが思い起こすのは、過去や未来を含む比較的長いスパンのことだ。今日紹介するポルトガルの「未知の問題についてのChampalimaud研究センター」から12月9日号のScienceに発表された論文は、タイトルが「Midbrain domapine neurons control judgement of time (中脳のドーパミン神経が時間の判断を支配する)」だったので、このような時間の問題にチャレンジする研究かと思って読んでみた。
   残念ながらこの研究が対象にしている時間は、過去と現在といった時間の認識ではなく、音と音の感覚の区別の脳メカニズムについての研究で、例えてみれば単語の音節のようなものだ。とはいえ、音の認識には極めて重要な高次機能で、ノーベル賞に輝いたオキーフさんたちの空間認識の機能とともに、研究が時間についても進展していることを知ることができた。
   脱線するがこの研究が行われた、「未知の問題についての研究センター」という研究所の名前は挑戦的だ。ウェッブで調べてみるとガンジー記念碑を設計したチャールズ・コレアが設計した極めてモダンな建築で、そこで時間の認識についての研究が行われている。是非一度訪れてみたいと思わせる研究所だ。
   研究は例によって、光遺伝学によるニューロンの興奮操作と、光を用いたニューロンの活動記録に、行動記録を組み合わせた定番の脳研究だ。マウスを訓練し、二つの音の間隔が1.5秒より長いか短いかを判断させ、正解の場合にはほうびがもらえる課題を行わせる。十分訓練すると、1.5秒前後のインターバルでは不正解が多くなるが、1秒以下、2秒以上だとほとんど正解するようになる。
   次にこの判断がドーパミン神経の作用であることを確かめるため、ドーパミン(DA)ニューロン特異的に神経活動を抑えると、すべての時間で失敗率が上昇する。したがって、 DAニューロンの興奮がこの判断を決めている。
   以上を確認した上で、音を聞いて判断をし、ほうびをもらう過程のDAニューロンの活動を記録すると、最初の音、次の音、判断、そしてほうびをもらう順序で活動が記録できる。実際には訓練で形成した表象と、2番目の音を聞いたときの感覚とが作用しあいほうびをもらえるという期待が生まれる。この2番目の音を聞いた時の興奮パターンと、短い・長いという判断、そして正解・不正解の結果とを比較することが行われている。
   実際の実験の内容を説明するのは難しいが、結果として2番目の音を聞いた後、DAニューロンの興奮が強いと正解している。また、2番目の音を聞いた時のDAニューロンの興奮の長さは、短い・長いの判断と逆比例している。すなわち、形成されたイメージとの比較がうまく合わないときは、反応が低下する。そして興奮パターン記録の解析から、内部イメージ自身がDAの興奮として時間を刻んでおり、実際の音と比較していることを明らかにしている。
   最後にこれを確認する目的で、トライアルの間に光でDAニューロンを興奮させ、実際判断する時間をずらせることを確認している。
   残念ながら、訓練した時間の内部イメージがどこに形成され、DAニューロンに投射しているのかなど詳細は不明だ。まだまだ研究は始まったばかりという感があるが、言葉や音楽の基本認識に重要なきっかけになるように思う。
  時間と空間が先験的と考えたカントが最近の脳研究を読んだらどう言うだろうかなとついつい考えさせる挑戦が進んでいると確信する。
カテゴリ:論文ウォッチ