2016年12月9日
インシュリンを産生する膵臓のβ細胞を試験管内、あるいは体内で誘導する方法の開発が進んでいるが、多くの研究者が注目する一つのアプローチが、共通の前駆細胞から分化してきた膵島のα細胞とβ細胞の間で分化転換を誘導する方法の開発だ。というのも、Pax4とArxの二つの転写因子で体内での分化転換を誘導できるという報告があるからだ。とはいえ、この分化転換過程の分子メカニズムはよくわかっていなかった。
今日紹介するオーストリア分子医学センターからの論文は、マラリア治療に用いられるアルテミシニンがα細胞からβ細胞への分化転換を誘導するという発見から、分子転換の分子メカニズムのほとんどを明らかにした力作で来年1月12日Cellに掲載される予定だ。タイトルは「Artemisinins target GABAa receptor signaling and impair α cell identity (アルテミシニンはGABAa受容体シグナルを標的にしてα細胞のアイデンティティーを損なう)」だ。
同じ号に、アルテミシニンの話だけが抜けたコートダジュール大学からの論文が掲載されているが、今回はオーストリアからの論文を選んだ。実際、この論文を読んで、論理的に、しかし地道に実験を進めていくグランドストーリーに久しぶりに出会った気持ちがした。
研究はまず、α細胞のアイデンティティーを決めているArxをβ細胞株に強制発現させるとインシュリン産生が低下する実験系の構築から始まる。この系で、Arx発現の効果をキャンセルできる化合物をスクリーニングし、アルテミシニンとその誘導体アルテメテールがArxの機能を阻害することを見出す。
次に、アルテメテールが結合する分子を化学的に探索し、アルテメテールの標的がGephryinで、この分子の安定性を高めることを発見する。
次に、gephryinの細胞内濃度が高まると、GABAa受容体と結合して、GABA受容体シグナルが高まり、その結果としてインシュリン産生が高まっていることを確認する。
もともとGABAはβ細胞で作られ、α細胞のグルカゴン産生を抑制することが知られており、ここまでわかってくるとシナリオのゴールが見えてくる。すなわち、アルテミシニンはGABAa受容体の活性を高め、α細胞の機能を抑制し、インシュリンを産生するβ細胞への分化転換を促すというシナリオだ。
これを確かめるため、今度はβ細胞を減少させたゼブラフィッシュにアルテミシニンの誘導体アルテメテールを処理し、膵臓β細胞の数が増えることを確認している。また、マウスを使った実験で、アルテメテールは確かにα細胞からβ細胞への分化転換を誘導していることを確認している。またラットの糖尿病モデルを用いてアルテメテール投与により血糖の低下が見られることを示している。
最後にヒト膵島から得られたα細胞をアルテメテールで処理する細胞レベルの実験から、アルテメテール処理でGABAa受容体シグナルが高まり、その結果グルカゴンの分泌が止まり、まだよくわからない分子経路を介してArx分子を核内から核外へと移動させることで、Arxの機能が抑制され、α細胞のアイデンティティーを決定している様々な分子の発現が低下し、代わりにβ細胞分化に関わる様々な分子の発現が上がり、インシュリン分泌が起こるというシナリオを完成させている。
大変な仕事量であることがよくわかる仕事で、細胞分化について久しぶりにグランドストーリーを聞いたという気持ちになった。
ではマラリアでアルテミシニン治療を受けた人は低血糖にならないのかなど、面白い問題が残る。今アルテメテールが固形癌に効果があるか治験が行われているようで、この過程の検査データや剖検から重要な発見があるように思える。この研究の先には、糖尿病全体に対する新しい治療法開発の可能性も存在するだろう。期待したい。
2016年12月8日
結核と同じで、梅毒もとうに克服されたと考えている人は多いのではないだろうか。
梅毒はもともとアメリカ大陸の風土病で、コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち込んだとされている。事実、ヨーロッパでの流行は、スペインも参戦した1495年ナポリ戦争が最初だ。その後ヨーロッパ列国のアジア、アフリカへの進出に伴い、世界中に拡大した。幸い戦後抗生物質が開発され、例えば我が国では1950年には5万人を超えていた新規感染者は急速に低下し、1000人以下になる。
しかしWHOの統計では、2008年時点で全世界に1000万人の感染者が存在すると想定されている。このうち9割は開発途上国に集中しているが、驚くことに21世紀に入って多くの先進国で患者数が増加してきた。国立感染症研究所の統計によると、我が国でも増加傾向にあり、梅毒の新しい流行が始まったのではと保健当局は警戒している。
この急速な流行の原因を知るためには、梅毒の原因菌Triponema Pallidum (TPA)が感染を繰り返しながら遂げてきた変化を調べる必要がある。先日、非結核性抗酸菌の進化について紹介したように(
http://aasj.jp/news/watch/6137)、これを可能にするのがゲノムだ。様々な地域で患者のTPAを集め、そのDNA塩基配列を比べることで進化の軌跡をたどることができる。しかし他の感染病と異なり、梅毒の場合これが難しい。TPAは細胞内で増殖するため、まず培養が難しく、現在も菌はウサギに接種することで維持されている。このため、患者さんの組織から直接分離した菌を調べて、菌の進化を追跡することがほとんどできていなかった。
今日紹介するスイス・チューリッヒ大学を中心とする研究グループの論文は、最近古代人のゲノム解析にも用いられるDNAキャプチャー法を用いて多くの患者さんのTPAゲノムを比べ、最近の梅毒流行の原因の一つを特定した研究で12月5日発行のNature Microbiology に掲載された。タイトルは「Origin of modern syphilis and emergence of a pandemic Treponema pallidum cluster(現在の梅毒の起源と流行しているTreponema Pallidum群の出現)」だ。
研究ではおそらく第1期に現れるしこり(硬性下疳と呼ばれている)や潰瘍からTPAをかき取って、そこからDNAを調整している。一部のサンプルは、ウサギの体内で維持されている株化された菌を用いている。サンプルは13カ国、70人の患者さんから集めている。当然サンプルには患者さん自身のDNAが大量に存在するため、キャプチャー方と呼ばれる方法でTPAゲノムだけを精製し、その配列を解析している。一人の患者さんから得られるサンプル量が少ないため、80%以上の配列が解読できたのが28例と減ってしまったが、TPAのゲノム進化を解明するためのデータが初めて得られたことになる。
ゲノムからまず明らかになったのは、非性病性梅毒と呼ばれる一群の皮膚疾患の原因菌とTPAは完全に分離される点だ。これにより、TPAを単独で進化してきた菌として解析が可能になった。
今回配列を比べた梅毒TPAは、現在の患者からはほとんど分離されない、かってアメリカで流行したニコル系統と、現在の患者から分離され全世界に広がっているSS14系統に分かれる。すなわち、梅毒の再流行の原因として問題になるのはSS14系統と特定された。SS14は全世界に広まっているにもかかわらず、多様性が低いことから、極めて最近進化した一系統が流行していると考えられる。
配列からTPA進化の歴史を探ると、ニコル系統も、SS14系統も1774年頃に現れた共通祖先由来と特定できる。コロンブスが持ち込んだのでは?と不思議に思われるだろうが、おそらくヨーロッパで300年近くをかけて感染性の高い系統が生まれ、それが現在のTPAの共通祖先になっている。
問題は、現在流行中のSS14系統のTPAがエリスロマイシンなどのマクロライド系抗生物質に対する耐性遺伝子を持っていることで、梅毒や淋病などの治療に多用されるアジスロマイシンに耐性菌の出現が現在の流行の背景にあると結論している。
もちろんマクロライド系抗生物質への耐性獲得が全てを説明するわけではなく、解読するゲノムの数を増やし、配列の変化を詳細に検討することが重要だ。いずれにせよ、SS14は人類が抗生物質を開発して以降、新たに現れたTPAの系統と言えることから、早いうちにこれを抑え込む手立てを講じることが求められる。一般の人にとっては、新しく進化した菌による梅毒が静かに広がり、自分も感染する可能性があることを知ることが重要だろう。
2016年12月7日
自分で経験しないとなかなか実感できないが、年をとると急に筋肉の衰えを感じる。早い遅いは人によるだろうが、日常の鍛錬では対応できない衰えが必ずある。これまでの研究から、この鍛錬で対応できない衰えは、失った筋肉を補ってくれる幹細胞が減少するからだと考えられる。事実、Pax7という筋肉幹細胞の分子マーカー陽性の細胞は年齢とともに減少することが知られている。
今日紹介するドイツ・イエナにあるライプニッツ研究所からの論文はこの謎の一端を説明した研究でNature オンライン版に掲載された。タイトルは「Epigenetic stresss responses induce muscle stem-cell ageing by Hoxa9 developmental signal(エピジェネティックなストレスが発生に必要なHoxa9シグナルを介して筋肉の老化を誘導する)」だ。
このグループは最初からHox遺伝子に焦点を当てていたようだ。Pax7陽性幹細胞を分離し、すべてのHox遺伝子についてその発現を若いマウスと老化したマウスで比べると、Hox9aだけが強く上昇していることを発見する。次に幹細胞の試験管内増殖系で、Hoxa9欠損マウス幹細胞を調べると、若いマウスには影響がないが、老化マウスの幹細胞が増殖能を回復する。Hoxa9を抑えることで老化マウスの幹細胞機能が回復することをアンチセンスRNAによるノックダウンを用いて確認し、Hoxa9が誘導されることが筋肉老化の重要な原因であることを証明している。
つぎに、では発現が抑えられているはずのHoxa9だけが老化とともに上昇するのか調べるため、Hoxa9プロモーターのヒストン修飾を調べると、期待どおり活性型に変わっている。そして、このヒストン修飾の変化がMll1(ヒストンメチレース)とMdr5の作用であることを確かめ、これらの遺伝子ノックダウン、あるいはMll1とMdr5の相互作用を抑制する薬剤により、Hoxa9の発現が抑制され、幹細胞の機能が回復することを明らかにしている。
この遺伝子特異的エピジェネティック変化に対し、遺伝子全般では老化とともに遺伝子発現抑制型のヒストン修飾が増える一方、幹細胞の増殖が誘導されると遺伝子全体で活性化型のヒストン修飾に急速に変化することを示している。若い幹細胞はこれの逆の反応を示すので、この遺伝子全体にわたるエピジェネティックな変化も老化幹細胞が失われる重要な要因になっていると示唆している。事実、ヒストンのアセチル化に関わる遺伝子をノックダウンすると、老化幹細胞の増殖が改善することも実験的に示している。
最後に、Hoxa9発現が幹細胞の増殖を抑えるメカニズムを知るため、Hoxa9を強制発現させる実験を行い、STAT3,TGFβ、Wntシグナルに関わる分子が強く誘導されていることを発見している。ShRNAを用いたノックダウン実験でこれらの分子が増殖を抑えていることも確認している。
これらの結果から、「老化とともに筋肉幹細胞には様々なストレスがかかり、一つはMdr5を介するHoxa9特異的なエピジェネティックな変化が起こる。こうして発現したHoxa9はSTAT3,Bmp,Wntなどのシグナル分子を活性化し、幹細胞の増殖状態を変化させる。これとともに、遺伝子全体でエピジェネティック状態が大きく変化し、幹細胞自己再生抑制に寄与する」というシナリオを提案している。
これがすぐ老化による筋肉の衰え防止に役立つかどうかはわからないが、十分納得できる面白い研究だと思う。
2016年12月6日
腸内細菌叢がもう一人の自己として、私たちの健康に重要な働きをしていることはよくわかっているつもりだが、自閉症や躁鬱病などの脳機能にまで影響するという論文が出てくると、受けを狙いすぎているのではとあまりのフィーバーぶりが心配になってくる。事実今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文のタイトルを見たときも同じ印象を受けた。タイトルは「Gut microbiota regulate motor deficit and neuroinflammation in a model of Parkinson’s disease(腸内細菌叢はパーキンソン病モデルでの運動障害と神経炎症を調節する)」で、12月1日号のCellに掲載されている。
腸内細菌叢研究がブームになる要因は、細菌が全く存在しない無菌マウスを利用できるようになったことで、様々な病気モデルマウスを無菌状態と、菌が存在する状態で飼育して起こってくる変化が見つかれば、話が成立する。この研究では神経細胞にαシヌクレン遺伝子を過剰発現させたパーキンソン病モデルマウスを無菌と有菌状態で飼育、両者を比較することから始めている。期待通り、3種類の運動機能を調べると、細菌叢が存在するマウスでは機能低下が著しく、また大脳でのシヌクレンの蓄積が更新し、同時に大便の量が低下することを発見している。すなわち、細菌叢の作用によりシヌクレン蓄積が促進し、また腸の機能も低下するという結果だ。
あとはメカニズムを調べればいい。まず、無菌状態と比べて細菌叢があると最も影響を受けるのがミクログリア細胞で、無菌状態では炎症活性が低下し大きさが小さくなっている。すなわち、細菌叢が作用するミクログリアを介する炎症がシヌクレン蓄積を促進するというシナリオだ。この最終原因として、最終的に細菌叢が分泌する単鎖脂肪酸がミクログリアの活性化と運動機能不全に関わることを示している。
最後に、実際のパーキンソン病患者さんの細菌叢が正常人と比べて偏りがあること、パーキンソン病患者さんの便を無菌マウスに移植して運動機能を調べると、機能低下が激しいことを示している。
結論的には、パーキンソン病自体が腸内細菌叢を変化させ、この変化がより運動機能低下に関わるという結果になる。抗生物質で、菌をすべて叩けばシヌクレンの蓄積は抑えられるが、長いスパンで考えると現実的な治療ではない。残念ながら単一の細菌を移植したノトビオティックな実験系を使っていないので、どの細菌が原因となる単鎖脂肪酸を分泌するのか特定できていない。かなりフラストレーションの残る論文だ。私がレフリーなら、菌の特定までやって始めてアクセプトする。他にも、このモデルはαシヌクレンをThy1分子のプロモーターで発現させているが、リンパ球には発現していないのか気になる。もし発現しておれば、炎症や腸管の障害については他のシナリオも考えられる。おそらく、普通はCellに掲載されることはない論文に思える。「事実は小説より奇なり」と意外性だけを狙ったらこんな論文になると思う。
とはいえ、もしこの話が本当なら、パーキンソン病の進行を遅らせる可能性はある。ノトビオティックマウスを用いた地道な研究を望みたい。
2016年12月5日
昨日に続いて今日も論文紹介ではなく、11月25日にScienceに掲載されたミーティングレポートを紹介する。Scienceの編集者Ann Gibbonsさんが書いた記事で、タイトルは「The Wanderers(さすらい人)」で、私の好きな曲の一つシューベルトのピアノ曲と同じロマンチックなタイトルをつけている。
この記事は、今年の9月グルジア共和国トビリシで開催されたドマニシ人についての研究会についてのレポートだ。
ドマニシ人と言われても一般には馴染みがないだろう。私も人類進化の本を読み始めて初めて知った名前で、1991年グルジア共和国ドマニシで発見された人類の化石を指している。この研究会も、ドマニシ人発見25周年を記念して開催されている。
私の頭の中に残るドマニシ人のイメージは、歯痛に苦しむ姿だ。メモを残していないのでどの本で読んだのか忘れてしまったが、その本では頭蓋に残る歯の状態から、初期の人類が齲歯、歯周病に苦しんでいたことを示す例としてあげていた。
ドマニシ人が注目されるのは、アフリカから移動した最初の人類である点だ。諸説あるが人類がサルから分離するのが7百万年前、2足歩行のオーストラリアピテクスが現れるのが450万年前、そして最初のホモ族が現れるのが300万年前と考えられている。現在化石に残る最も古いホモ族は、ホモ・ハビリスで約260万年前のエチオピアに生息していた。多くの人に馴染みの北京原人やジャワ原人はホモ・エレクトスと総称され、170万年前頃に中国内陸部へ進出した共通先祖由来と考えられる。
ドマニシ人が注目されるのは、その骨格がホモ・ハビリスとホモ・エレクトスを結びつける中間の形態をとることから、ホモ・エレクトスの共通祖先ではないかと考えられるからだ。記事でも、「ドマニシ人は私にとってはジャワ原人の先祖だ」という、我が国国立自然博物館の海部さんのコメントが引用されている。ただ、100万年を超えるとDNAが残存する確率はほとんどないので、今後もドマニシ人と、他のホモ族との関係は謎のまま残ると思う。
ただこの記事から見えてくるドマニシ人の姿は以下のようにまとめることができる。
1) 身長は150cm前後で、エレクトスより2-30cm低い。骨格から、おそらく完全な2足歩行より、チンパンジーに近い歩き方をしていた。
2) オルドワン型と呼ばれる最も原始的な石器を使っている。オルドワン型の石器はアフリカからドマニシまでの経路で発見されており、ドマニシ人がホモ・ハビリスから別れ、アフリカから脱出した最初の人類と考えていい。
3) この石器では、肉を骨からそいだりすることは難しく、おそらく自分の歯でナマ肉をかじり、骨を割っていたと考えられる。これがドマニシ人の骨格に痛々しい歯周病の跡が残る原因で、おそらく植物を主食とする生活から、肉食中心に移ったことを示している。
4) おそらく肉食に移行したことが、寒い北への移動のきっかけになったと考える研究者もいる。すなわち、人間に対する恐れのない動物が多い場所では、原始的石器しかない場合でも狩りがしやすかった。それに惹かれて寒い北への移動が行われたというもっともらしい話だ。
5) 下顎は間違いなくエレクトスと言えるが、頭蓋の大きさがあまりに多様で、多くはハビリスに近いため、ドマニシ人をどちらに分類するかは難しい。下顎の発達は、肉食に歯を多用するようになったからとも考えられる。実際、日本人の歴史を見ても10cm身長が伸びることは証明されている。まただからこそ、ハビリスとエレクトスをつなぐ中間としてドマニシ人の価値は大きいと思う。
私としては、歯痛に苦しむドマニシ人のイメージが間違っていなかったこと、またその原因が、歯を道具と同じように使っていたからと納得した。
しかし、古代DNAだけでなく、人類起源を探す研究の発展には目をみはる。そして200万年前後に人類学者が最も注目する、他人への思いやりのような、人間的性質が現れた。この思いやりの気持ちが人類進化を牽引し、言葉の獲得まで進んだと考える研究者は多い。だからこそ180万年前のドマニシ人が注目される。
これに反し、ブレクジット、トランプと、人間の間に線を引く動きが人類に広がり始めている。もし思いやりの心に対する自然選択が人類進化を牽引したのなら、間違いなく人類は滅びへの歩みを始めたことになる。
2016年12月4日
トランプ政権の閣僚人事が進んでいる。政権の核になる国務長官人事は難航しているようだが、それでもトランプ政権で何が起こるのか徐々に見えてきたように思う。
日本の厚生労働省に当たる保健福祉長官には、ジョージア州下院議員の整形外科医トム・プライスが選ばれた。もちろん議会承認が必要だが、否決されることはないだろう。我が国メディアが米国の保健福祉長官人事をわざわざ報告することはまれだが(ちなみにオバマ政権時の、カソリック信者でありながら人工中絶は女性の権利を守ると言い切ったセベリウスについて報道されたことはあっただろうか?)、プライス人事については各紙が報道した。これは、彼がオバマケア反対の急先鋒で、アメリカを再度5000万人の未保険者を抱える国に戻すことがトランプを支えた米国の白人低所得者層にどう受け入れらるのか、各紙も政治的に重要と考えたからだと思う。
保健福祉局はNIHなどの医学研究予算を決める立場にもある。そのため、米国の生命科学者にとってはプライス長官が生命科学研究予算にどのような態度で臨むのか当然心配になる。心配と書いたのは、オバマ政権がゲノム、ガン、脳など生命科学研究に積極的だった一方、下院議員としてのプライスは、これらの予算拡大に一貫して反対してきたからだ。
11月26日付のNatureにはSara Reardonさんが早速「Trump’s pick for US health secretary has pushed to cut science spending(トランプが選んだ保健福祉長官は科学予算削減を推進してきた)」という記事を書いて、この長官について取材している。
この記事の中で紹介された、プライスのオバマが計画した750億円に上る対ガン研究大型予算に対するコメント、「我々はガン研究に対する予算を増額することの重要性はよく認識している。しかし問題は、要求が予算の増額だけを求め、決して他の分野をカットしてガン研究への増額分を埋め合わそうとしない点だ。実際はこのことこそやるべきなのだ」が、彼の方向性を最も語っているようだ。要するに、増額ではなく、予算の対象を仕分けることが重要だというコメントだ。
この記事では、彼がカットしてきた計画リストが示されている。
1) FDA の改革を目的とする予算、
2) NIHの基本予算案(9000億)
3) 755億円の対ガン予算
4) 米国疾患予防管理センターの公衆衛生プログラム(1−2000億円)
確かに筋金入りだ。これに加えて、彼はES細胞樹立や、中絶胎児由来組織の研究利用にも強く反対しており、研究倫理面でもブッシュ時代に逆戻りする心配がある。
とはいえ、研究側も手をこまねいて待っているわけにはいかない。おそらくプライスを説得しようと試みるだろう。最近フランシス・コリンズとウイリアム・ライリーの名前でNIHが発表した、新しい行動科学、社会科学を確立するための深い洞察に基づくプロジェクトもその一つではないだろうか。
ただ、いずれにせよ米国の生命科学者は冬の時代の到来を覚悟しているようだ。
2016年12月3日
非結核性抗酸菌症と言われても一般の人には馴染みがないと思うが、名前の通り抗酸菌によりおこる結核以外の病気を指している。ただ、同じく抗酸菌の仲間のらい菌が原因のハンセン病は別に扱っている。非結核性抗酸菌(NTM)症とひとくくりにしているのは、元気な人にはほとんど問題にならない菌で、まず人から人に感染することはないとされていた。現状は把握していないが、私が医者として働いていた40年前には、非定型抗酸菌症と呼ばれ、M.aviumとM Kansasiiによるものがほぼ全てだった。
今日紹介する英国・サンガー研究所からの論文は私が考えたこともなかった(不勉強で)M. abscesssusが肺の嚢胞性線維症の患者さんを中心に広がり始めていることを示唆する研究で11月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Emergence and spread of a human-transmissible multidrug-resistant non-tuberculous mycobacterium(伝染性で多剤耐性の非結核性抗酸菌の出現と拡大)」だ。
一般的に健康な人にはNTMが感染することは稀で、欧米でM.abscessus(MAS)感染が問題になるのは、嚢胞性線維症と呼ばれる遺伝性疾患だ。一旦感染すると、慢性化する確率が高く、また薬剤耐性菌が出やすい。この研究では、英国、アイルランド、米国、オーストラリアの嚢胞性線維症センターで治療を受けている患者さん517人から分離した1080株のMASの全ゲノムを解読し、異なる患者さんに感染した菌の間の関係を調べている。
すでに述べたように、NTMは人から人に感染性が低く、主に飲み水などから感染すると考えてきた。実際、1990−2000に分離された菌の研究から、患者さんごとに菌株の配列が違っていることが示されており、感染は孤発性であることが確認されていた。
ところが、この研究で調べた患者さんの75%は孤発性ではなく、起源が共通のファミリーに属する菌に感染しており、中でも3種のファミリーに属する菌が広がっていることが分かった。すなわち、嚢胞性線維症の患者さんのあいだであるとはいえ、特定の菌が最近急速に世界中に広がっているという恐ろしい結果だ。
DNA配列の比較と広がりから、これらの菌は1970年中期に出現したと推定される。また、感染形式を調べるため、一人の患者さんから得られた菌のゲノムを分析し、菌が慢性感染を起こすうちに体内で進化し、他の患者さんに感染したケースまで特定している。これらの結果は、最初孤発性だったMASは患者さんの中で進化を遂げ、人から人へと感染する能力を獲得し、嚢胞性線維症の患者さんを中心に世界中に広がっていることを示している。試験管内の実験から、こうして生まれたMASはマクロファージに取り込まれやすく、また細胞内での生存力が強く、様々な抗生物質に耐性であることが明らかになった。
この結果が正しく、人から人へと感染する菌が現れたとすると、嚢胞性線維症患者さんだけでなく、基礎疾患で免疫機能が低下している人や高齢者は気をつける必要がある。
気になって調べてみると、2010年西神戸医療センターから呼吸器外科学会誌に発表された論文では、この時点で我が国でのこの菌による感染症の報告は32例で、全例基礎疾患はあっても嚢胞性線維症ではない。このことは、人から人への感染性を獲得したこの菌が、新しい結核として、嚢胞性線維症以外の人に蔓延する可能性がある。今後注視していきたいと思う。
2016年12月2日
ミトコンドリアは母親の卵子からだけ子供に受け継がれ、また細胞とは半独立に増殖することができる。この過程で一部のミトコンドリアだけにミトコンドリア(Mt)上の遺伝子突然変異によるMt機能不全が起こることがある。もちろん全てのMtが変異を起こしているわけではないので、病気として現れないことも多いが、変異ミトコンドリアの割合が増えると様々な異常が出てくる。中でも最も症状の重い病気の一つがリー脳症で、生後まもなく精神や運動発達の遅延が起こる。
最近この病気を発症を防止するために、卵子のミトコンドリアを変えてしまう治療が試みられようとしている。これには変異ミトコンドリアの割合が多くなった卵子の核を、正常卵子に移植することが必要で、今日紹介するオレゴン大学の論文の著者であるMitalipovのグループは、分裂が停止している卵母細胞の紡錘糸を、除核した卵子に移植し受精させる方法で、これが可能であることを示してきた。今日紹介する論文はこの研究の続きで、実際のリー脳症の子供を持つ四人のお母さんの卵子から正常卵子へ紡錘糸移植を行い、本当に治療が可能かを調べた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Mitochondrial replacement in human oocytes carrying pathogenic mitochondrial disease(ミトコンドリア病を起こす異常ミトコンドリアを持つヒト卵子のミトコンドリア置換)」だ。
この研究ではミトコンドリア遺伝子の突然変異が特定されたリー脳症3例、リー脳症と診断されても遺伝子が特定できなかった1例が研究に用いられている。他にも、MELASと呼ばれる病気についても調べているが、紹介は省く。
これらのお母さんから卵子を採取して、正常卵子へ紡錘糸移植を行うのだが、卵子を採取する過程で、異常ミトコンドリアを持つお母さんは、排卵誘発に対する反応が悪いこともしっかり書いてある。このことは、今後治療を行う上で極めて重要な情報だ。
次の問題は、紡錘糸移植をした卵子が受精後正常に発生するかだが、このグループがこれまで示して来たように卵子のミトコンドリア異常があっても、紡錘糸はほぼ正常に機能し、ES細胞を作成することができる。また、卵子のドナーと遺伝子がある程度離れていても、ほぼ正常に発生することを確認している。
最後の問題は、紡錘糸移植時にどうしても異常ミトコンドリアを持ち込んでしまうことで、これが移植された卵子由来の細胞で増えてしまうと元の木阿弥になる。この悪い予想が的中し、移植卵子に由来するES細胞は培養を続けると、最終的に異常ミトコンドリアが優勢になることが分かった。異常ミトコンドリアの増殖程度はまちまちだが、87%で異常ミトコンドリアが増殖することも確認されている。移植時には99%が正常ミトコンドリアであることが確認されていることから、驚くべき結果だ。ただ、同じ異常ミトコンドリアを持っていても、違うドナーに移植した場合は異常ミトコンドリアが増えないケースも観察される。すなわち、ドナー卵子との相性が重要であることが示唆された。
異常ミトコンドリアが増える原因をさらに調べているが、異常ミトコンドリア自体の増殖能が高い場合と、異常ミトコンドリアを多く含む細胞がよりよく増殖することの両方があることが分かった。
これらの結果から、異常ミトコンドリアが持ち込まれる限り、リー脳症ではミトコンドリア置換によっても治療ができない可能性があり、また増殖の有無を予測することが難しいことが明らかになったと結論している。
論文を読むと、このグループは一時革命と大騒ぎした体細胞核の卵子への移植を含め、生殖工学の高い技術力を持っていることがわかる。すなわち、結果は信用できる。したがって、安心してこの技術をリー脳症発生の防止に使うためには、新しい技術の開発が必要なことを示す重要な貢献だと思う。
2016年12月1日
妊娠中の様々な感染や発熱は、生まれた子供の自閉症の発症に関わることが様々な調査によって指摘されている。これを聞くと、まずお母さんは最も身近な恐怖としてインフルエンザ感染を心配することになる。これを防ぐためには、今の所効果は限定されているとはいえ、インフルエンザワクチン接種以外に方法はない。しかし、妊娠初期のインフルエンザワクチンも同じように自閉症の発症率を上げる可能性を指摘している論文もある。逆に、全く影響がないとする論文も発表されているが、一般の人だけでなく、医療関係者ですらどちらを信じていいのかよくわからない状況になっている。
この状況を打開しようと米国で900万人近くの会員を擁する保険維持機構カイザー・パーマネンテが、会員の妊婦さんを対象に大規模調査を行ったのが今日紹介する論文だ。タイトルは「Association between influenza infection and vaccination during pregnancy and risk of autism spectrum disorder(妊娠中のインフルエンザ感染とインフルエンザワクチンの自閉症スペクトラム発症リスク)」で、11月28日号のJAMA Pediatricsに掲載された。
結論は明快で、妊娠中のどの時期でも、ワクチンだけでなくインフルエンザ感染自体も生まれた子供の自閉症の発生とは関係がないと、自信を持って言い切っている。
ただ、相関関係があるとする論文と比べて、今回の論文はより信用に足るのかという点が問題になるが、私自身は信用できるという印象を強く持った。
まず対象が、2000年から2010年に生まれた約20万人の子供を対象で、母数としては十分だ。
加えて、子供達の成長記録及びお母さんの病歴、妊娠中の記録などが完全に把握できている。これは、すべての対象がカイザー・パーマネンテ(KPNC)の会員として、傘下の病院でケアを受けているからで、ワクチン接種からインフルエンザ感染の確定診断まで正確な記録が存在している。
さらに、このサービスを受けられるのが収入の高い階層で、生活環境が一定している点も見逃せない。事実、今回対象となったお母さんの実に20%近くが大学院が最終学歴で、全体の8割が大学以上の学歴を持っている。いうまでもなく、白人が大多数で、次がアジア系アメリカ人だ。おそらく、これほど対象の階層を揃えた研究はこれまで行われたことがなかったのではないかと思う。
実際のデータを見ると、妊娠初期(12周まで)にワクチン接種を受けたグループでは少し自閉症の発症率が高い。しかし、対象についての完全な記録が揃っているため、自閉症と関係する様々な要因を加味して、統計を取り直すことが可能で、その結果著者らは、インフルエンザワクチン、インフルエンザ感染と自閉症の発症は無関係と言い切っている。
もちろん、社会階層が全く異なれば同じ結果になるかどうかはわからない。しかし、健康な生活を送っておれば、この結果を他の階層に当てはめてもいいのではと思う。
この論文を読んでいて、KPCNに属する著者らの極めて自信に満ちた論調に驚いた。会員のすべての記録を電子化し、共通化して把握していることの強みをひしひしと感じる。
同じ週にNature GeneticsにもKPCNの会員を対象に行った高血圧の遺伝子多型の論文が発表された。この論文を読んでも、200万近い、しかも様々な医療記録が完全に揃った対象について、ゲノム検査を着々と進めているKPCN傘下の研究者たちの自信に満ちた論文の書きぶりが強く印象に残った。
保険と医療サービスを一体化したサービスに関して、これまで様々な問題が指摘されていたが、ここまでくるとKPCNの長期展望を評価せざるをえない。トランプ体制になれば、さらに揺るぎない地位をKPCNは固めていくのだろう。一方、オバマケアは風前の灯のようだ。
2016年11月30日
誰でも、やりたいと思っていた研究を、誰かが見事にやってのけているという論文に出会うという経験を持っていると思う。私にとって今日紹介するワシントン大学のグループがThe New England Journal of Medicineに発表した論文がそれにあたり、感慨を持って読んだ。タイトルは「TP53 and decitabine in acute myeloid leukemia and myelodysplastic syndrome(急性骨髄性白血病と骨髄異形成症候群におけるp53とデシタビン)」だ。
2005年ぐらいから、メチル化阻害剤が骨髄異形成症候群に効果があるという報告が続いていた。なぜ非特異的なメチル化阻害がそんなに効果があるのか、原因を調べてみたいと考えていた時、勤めていたCDBが次世代シークエンサーを導入することになり、治療前後で白血病細胞のメチル化状態と、遺伝子配列検査を調べる計画を立てた。
多くの臨床の先生と話をし、デシタビンを導入するジャンセンファーマの人にも話をつけ、助成金も得られ、最初の2年でメチル化状態や、遺伝子を調べる体制を整え、いざ我が国でのデシタビン治験の始まるのを待っていたところ、デシタビンの長期効果が見られないからと、我が国での治験が中止になってしまった。その後大慌てで、5AZに変えたり、今も苦い思い出だ。
今日紹介する研究も同じで、急性骨髄性白血病(AML)や骨髄異形成症候群(MDS)にデシタビンを投与し、反応した患者さんと、反応しなかった患者さんの白血病ゲノムとメチル化状態を比べている。さすがに症例数は多く、116例に投与して、骨髄検査上では約半分で白血病のブラスト細胞の現象が見られている。
デシタビンが効いた患者さんの多くは、p53に突然変異を持つグループで、驚くことに効果のなかった白血病の全てでp53変異がないことが分かった。一方、DNAメチル化については、効果の有無で明確な差が認められなかったという結果だ。
また、デシタビンが効いた患者も、がん細胞を完全に消滅させることはできず、再発が必至であることも分かった。このデータを見ると我が国での治験を中止するという判断が下された理由もわかる。
もちろんp53に突然変異のない人でも効果がある場合がある。さらに、なぜデシタビンがもともと通常の化学療法に反応しないp53変異を持つグループに一時的とはいえこれほど効果があるのか、この研究は何の答えも与えていない。おそらく、詳しくデータを解析していけばさらに重要な発見が出てくるような気がする。実際には、メチル化に関するより詳しいデータ解析から重要な発見があるような気がする。
高齢化社会を迎えて骨髄異形成症候群の患者さんは増加している。ただ、骨髄移植が難しい高齢者では治療の決め手がなく、メカニズムの研究から薬剤を開発することが必要になる。その意味で、p53変異があるとデシタビンが効くという結果はメカニズムは全く不明でも、今後の治療開発に大きな貢献をしたのではないかと期待している。