2016年12月29日
私たちは思春期を迎えると、身体的に成熟するだけでなく、精神的にも大きく変化する。例えば「色気付いて」異性にときめきを感じるのも精神的変化だ。これは、性ホルモンが脳構造を変化させるからで、実際脳の広い範囲にわたって灰白質の厚さが減ることが知られている。脳の厚さが減ると聞くと心配になるかもしれないが、もちろん痴呆のように神経細胞自体が減ることでも起こるが、神経同士の結合が整理されて(シナプス剪定)特定の回路に集約することでも起こる。思春期ではおそらく後者が起こっているのだろう。
同じように、妊娠によっても体の内分泌バランスは大きく変化する。例えば多くの妊婦さんが経験する物忘れも、ラットを使った研究では、内分泌系の変化により海馬の樹状突起の形態変化や、幹細胞の増殖低下が誘導されるからだとされている。しかし、動物実験結果を安易に人間に当てはめるわけにはいかない。このギャップを埋めるため、妊娠が人間の脳構造に及ぼす影響を調べる研究が求められていた。
今日紹介するスペイン・バルセロナ大学及びオランダ・ライデン大学からの論文は、妊娠前から長期間にわたって女性の脳構造変化をMRIで追跡するコホート研究で、妊娠の脳構造への影響を調べた研究としては規模、期間において最も徹底した研究だ。タイトルは「Pregnancy leads to long-lasting changes in human brain strucuture(妊娠は長期間続く脳構造の変化につながる)」で、Nature Neuroscienceにオンラインで出版された(doi:10.1038/nn.4458)。
研究では妊娠による脳構造の変化をMRIで調べる研究を理解して応募していただいた65人の女性、57人の男性のMRIを参加時点で撮影し追跡している。このうち43人の女性は子供を望んでおり、一年以内に25人が妊娠、全員が出産している。出産直後、及び2年目にもう一度MRI検査を行い、前後の画像を比べている。参加者の中には当分妊娠する計画がないカップルも20人含まれており、この人たちも一定期間のあとMRI検査を行っている。最終的に、25人の妊娠女性、19人の男性パートナー、20人の妊娠を経験しない女性、17人のそのパートナーのMRI画像と、筆記やインタビューを交えた検査を総合して、妊娠により脳構造が変化するかどうかを調べている。
結果は驚くべきもので、妊娠を経験すると脳の正中領域、前頭前皮質、側頭皮質の灰白質が例外なく減少する。対照と比べるとその差は明瞭で、MRI検査の画像から妊娠したかどうかほぼ判断できるほどだ。
この変化はパートナーの男性には見られず、また自然妊娠、人工授精を問わず全ての妊娠女性に起こる。さらに、その後妊娠しない場合も、この変化は2年以上安定に維持される。また、灰白質の減少がより進行することもない。
結果の中で最も面白いのは、灰白質の減少が、他の人も自分と同じ心を持っていると私たちが感じる(Theory of Mind)時に活動する領域の灰白質が選択的に減少している点だ。さらに灰白質の減少する領域は、母親が自分の子供の写真を見たとき強い反応を示す領域で、驚くことに灰白質の現象が強い母親ほど子供の写真に強い反応を示す。
結果は以上で、妊娠によりTheory of Mindに関わる領域のシナプス剪定が行われ、この結果自分の子供を特別視する感情が生まれることはまちがいないようだ。さらに詳しいメカニズムについては研究が必要で、勝手な解釈を拡散させるのは慎むべきだと思う。しかし、お母さんは常に自分の子供が何を考えているのか感じ取る必要がある。この能力が妊娠中に準備されているとしたら、なんと素晴らしいことだろう。面白い領域が始まったと思う。
2016年12月28日
ヒトとサルを明確に分けるのは言語だが、言語が現れるのはたかだか2−3万年前の話だ。ここまでには何百万年もかけて異なる性質が積み重なる歴史が存在する。これを探ろうと、ヒトとサルの違いについての研究が加速している。Scienceが今年のブレークスルーに選んだTheory of Mindをサルも持っているという研究(このホームページでも紹介した:
http://aasj.jp/news/watch/5895)もその一つだ。
「自分と同じ心を他人も持っている」とサルも考えるとすると、次は自分が持っている心の内容が問題になる。Altruism(利他的)行動を促す、他人を思いやる心がいつ芽生えたのかが特に研究の焦点になっている。最近読んだDumbarのHuman evolutionやSpikinsのHow compassion made us humanなどでは、思いやりの心、利他主義的行動こそ人間特有の性質であることが強調されているが、群れで暮らすチンパンジーやゴリラではなんらかの社会性が必要なはずで、食べ物を分け合ったり、食べ物を取るための道具を貸したりする利他的行動の存在を主張する論文も多い。
今日紹介する英国バーミンガム大学からの論文は、全く訓練を受けていないチンパンジーを使った実験を行い、少なくともチンパンジーには利他的行動が見られないことを示した研究で、12月20日Nature Communicationに掲載された。タイトルは「The naturee of prosociality in chimpanzees(チンパンジーの社会性の本質)」だ。
著者らは、これまでの社会性、利他性を調べる研究が、その前にサルを訓練する過程で、利他的行動を条件付けてしまっているという批判的検討から、全く訓練を受けていないチンパンジーを使って利他的行動が存在するかを調べる課題を設計している。
課題は別々の檻にチンパンジーを入れ、片方のチンパンジーは食べ物の入った透明の箱にアクセスできるが、他方にはアクセスができない状況を作る。この時、食べ物にアクセスできないチンパンジーには相手が箱から食べ物を取り出すためのレバーを操作できるようにして、相手が食べ物を得るためにレバーを押すかどうかを調べる課題だ。
レバーを押すと食べ物が取り出せる条件と、レバーを押すと逆に食べ物が取り出せなくなる条件で実験を行い、もし利他的感情があれば、食べ物が取り出せる場合にレバーを押す回数が上がると仮定して実験を行っている。
結果だが、どちらの条件でも最初レバー自体に興味を持って頻回にレバーを押すが、結局自分にはなんの関係もないことがわかると、レバーをおす回数が急減する。さらに、相手を利する、あるいは相手を妨害するどちらの条件でもレバーを押すパターンは同じで、相手の利益・不利益をまず考えることはないという結論だ。
同じ実験を、レバーを押すと相手の利益・不利益につながることを前もって教えてから行っているが、この場合相手の利益になる条件では、不利益をもたらす条件よりさらにレバーを押す回数が減っている。
実験が終わってから、レバーを押す意味が理解できているか調べているが、最初の実験でもレバーを押している間に何が起こったかを正確に理解している。
以上の結果から、利他的行動はチンパンジーには存在しないと結論している。今後、異なる血縁関係、群れの中での階層など、社会内の関係性を変えて同じ課題を行わせれば面白いように思う。私は素人だが、利他的行動も様々な過程を経て進化してきたはずで、おそらく条件を選べばサル社会でもこの課題で検出できる利他的行動がわかるかもしれない。いずれにせよ、人間の心のルーツ研究が進んでいることを知るいい論文だと思う。
2016年12月27日
刺激に対する細胞の反応は多岐にわたるが、必要なメカニズムに応じて反応の時間スケールが異なる。もっとも長い時間かかるのがクロマチンを変化させるエピジェネティックリプログラミングだが、次はシグナルにより新たな遺伝子転写を誘導する過程で、immediate early geneと呼ばれる遺伝子でも発現に30−60分はかかる。この時間遅延は、神経細胞のように早い反応を必要とする細胞では重要な問題になる。
一部のリンパ球ではこれに備えるため、mRNAの翻訳開始を止めて、刺激に備えている。ただmRNAの選択性はないため、静止期、活動期の区別には向いているが、特定のタンパク質を迅速に供給する目的には向いていない。
今日紹介するスイスバーゼル大学からの論文は、神経細胞はmRNAのスプライシングを途中で止め刺激に備え、シナプスからの刺激によってスプライシングを完成させることで、mRNAの転写をスキップして新しいタンパク質を合成できることを示した研究で、12月21日号のNeuronに掲載された。タイトルは「Targeted intron retention and excision for rapid gene regulation in response to neuronal activity(特定のイントロンの保持・除去の調節による神経活動に反応する迅速な遺伝子調節)」だ。
これまでスプライシングが途中で止まって一部のイントロンが残ったmRNA(IR)の存在が知られていたが、このグループはIRが迅速なタンパク質合成の鍵だとにらみ、まず脳内細胞に存在するIRを包括的に調べる方法を開発し、約5%ぐらいのイントロンがIRとして残ることを突き止めている。次に新しいmRNA転写を止めてIRが実際に細胞内に安定に維持されるか調べ、不安定、中間、そして安定の3グループに分類している。安定なIRでは実に2時間以上細胞内で保持される。
次に脳から分離した皮質細胞のGABA受容体やグルタミン酸受容体を刺激し、刺激後のカルシウムの流入依存的に、保持されたIRからイントロンが切り出されることを示している。
最後に、スプライスを逃れて残されるイントロンの特徴を調べ、短く、スプライスシグナルの弱くGCの割合が中程度という特徴を割り出している。ただ、IRは3000近く存在するが、神経刺激でスプライスされるのは350程度であるため、この差をさらに調べると、神経活動に反応する方はより強いスプライシングシグナルを持っていることが明らかになっている。
以上をまとめると、神経細胞では一定の特徴を持つイントロンが常にスプライシングを免れ、IRとして保持されているが、その中で比較的スプライシングされやすい部分が、神経刺激に続くカルシウム流入依存的にスプライシングされ、核外に放出されタンパク質へと翻訳される。このような特徴的なイントロンを持つ遺伝子は神経細胞のシグナルに関わる分子が多く、これにより神経細胞に必要なタンパク質の迅速な供給が実現しているという結論だ。
話はなるほどで終わるが、もしこのイントロンがそれほど特異的な性質を持つなら、いつこのメカニズムを動物は獲得したのか、進化的には面白い課題になる。神経細胞が見つかるのはクシクラゲや刺胞動物からだが、ゲノム解析が進めばIRが必要になるほどの神経活動がいつから生まれたのかもわかるだろう。
2016年12月26日
遺伝子改変技術のおかげで、特定の分子の機能について、細胞レベル、個体レベルでの調べることが容易になり、私自身もそうだが生化学についてそれほど知識がない研究者も容易に分子の話をすることができるようになっている。しかし、個体レベルでの研究と言っても、解析が進むと生化学の知識不足が目立ち始め、思わぬほころびにつながることがある。先週mRNAの脱メチル化酵素FTOについて生化学のプロとアマの違いを見せつける2つの論文が発表されたので、これらを紹介することにした。
tRNAにはメチル化を始め様々な修飾が加わっていることはよく知られていたが、最近mRNAのメチル化が、mRNAの安定化メカニズムとして注目され、研究が加速している。しかし、生化学的に見るとこれまでの結論、例えばメチル化はmRNAの中央部で起こり、N6-メチルアデノシン(m6A)がメチル化mRNAのほぼ全てを代表するとする結論、には様々な問題があり、mRNAのメチル化を生化学的に検討し直すことの重要性が認識されていた。
今日紹介する最初のの論文はシカゴ大学を中心とする、mRNAの脱メチル化酵素として特定されたFTOの白血病との関わりを明らかにした研究についての論文で1月9日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「FTO plays an oncogenic role in acute myeloid leukemia as a N6-methyladenosineRNA demethylase (FTOはm6Aの脱メチル化酵素として急性白血病発生に関わる)」だ。
このグループはもともと白血病の研究をしており、mRNAのメチル化を調べたいと思って研究を始めたのだろう。次の論文でわかる、FTOがm6Aの脱メチル化酵素であるという話を鵜呑みにして、あとはFTOの発現量を変化させて白血病の増殖がどうなるかという、細胞学的検討を行い論文にしている。ざっとまとめると、MLL遺伝子の転座を持つ白血病ではFTOが高く、これをノックダウンすると増殖が低下する。また、白血病発症モデルでも、FTOを過剰発現させたマウスでは白血病発生が促進し、低下させると発症が遅れる。FTOで変化する分子を探索すると、ASB2,RARA発現の低下がその原因として浮上し、白血病のレチノイド治療時と同じ効果をFTOが持つことを示している、というのが結論になる。
研究の過程で、FTOがm6Aを低下させることについても抗体を用いたブロッティングで示しているが、次の論文で明らかになるように、この方法はm6A特異的ではない。他のデータも仔細に見ると、それほど大きな効果はなく、論文自体は結論先にありきでなんとかまとめたという印象が強いが、来月には堂々とCancer Cellに掲載されることになる。
著者にとってはめでたしめでたしだっただろうが、コーネル大学からメチル化RNAの生化学を重視した論文がNatureにオンライン発表されたおかげで、喜びが冷や汗に変わったと思う。
次に紹介するコーネル大学からの論文のタイトルは「Reversible methylation of m6Am in the 5’ cap controls mRNA stability(mRNAの5’キャップに存在するN6,2’-O-ジメチルアデノシン(m6Am)の可逆的メチル化によりmRNAの安定性が調節される)」だ。
前の論文と違って、さすがと思わせる生化学のプロの論文だ。まずFTO分子が本当にm6Aの脱メチル化酵素かどうかを調べている。まず、これまで検出に用いられた抗体がm6Aだけでなくm6Amも認識することから、この2種類のメチル化RNA を区別して生化学的に調べ、FTOがm6Aではなくm6Amを選択的に認識していることを明らかにする。さらに、これまで考えられていたのとは異なり、配列の最初の塩基がm6Amである時、キャップにあるm7Gを認識して脱メチル化すること、さらにメチル化によりキャップのm7Gをm6Amから切り離す酵素に対して耐性が生まれることでmRNAが安定化すること。さらに、m6Aの脱メチル化酵素はFTOではなく、ALKBH5であることも証明している。最後に、m6AmによりmiRNAの作用に抵抗性が生まれることを示しており、これは白血病を考える上でも面白い。
今後メチル化RNAのこれまでの研究は、この新しいシナリオを元に再編成されると思う。しかし、Natureの論文を知ってから白血病の論文を書いておれば、全く違った論文になったかもしれない。ただ、新しい概念に全く気づかず論文を出してしまうと、冷や汗だけが残ってしまう。
2016年12月25日
これまで特定の遺伝子の機能を個体レベルで調べるためには、遺伝子操作による逆向き遺伝学や、突然変異を多くの遺伝子に誘導した系統を作成し、遺伝子と形質を対応させる前向き遺伝学が使われてきた。研究の性質上、当然様々なモデル動物を用いて研究が進められてきたが、昨日述べたようにゲノムの塩基配列が解析された人間の数が増えてくると、ほとんどの遺伝子について、欠損個体が存在し、しかも動物と比べてさらに詳しい症状が解析可能という状況が生まれている。即ち、様々な異常を訴えてくる患者さんの病院での観察から、特定の遺伝子の機能を明らかにする基礎研究が、シームレスにつながっている。
このことを物語る典型例と言える論文が、英国、ブラジル、カナダ、オランダ、ドイツの研究者たちからNatureオンライン版に発表された。タイトルは「XRCC1 mutation is associated with PARP1 hyperactivation and cerebellar ataxia(XRCC1の突然変異はPARP1の過剰活性と小脳性運動失調を誘導する)」だ。
論文は一人の小脳性運動失調症を訴える47歳女性患者の症例報告から始まる。28歳までは正常だったが、それ以後運動障害が始まり、来院時にはMRIで強い小脳萎縮が認められている。萎縮の原因を特定するため様々な検査が行われ、最終的にエクソームを検査してXRCC1遺伝子の突然変異が両方の染色体(片方は1293番目、もう片方は1393番目のアミノ酸)で起こっていることが判明する。
Xccr1は酸化ストレスなどで起こるDNAの一本鎖切断を修復する多くの分子を束ねる重要な分子であることがわかっており、遺伝子が欠損したマウスは生まれてこない。一方、この分子と複合体を作る修復酵素の多くが小脳細胞死を誘導することも明らかになっており、この患者さんの解析を進めれば、なぜDNA修復酵素の機能異常が小脳性の運動失調症を誘導するのか研究することができる。
そこでこの患者さんから細胞株を樹立して検討し、患者さん由来の細胞株では発現タンパク質が5%程度に低下しているが、一応存在していることが30歳近くまで正常の生活を送れた理由であることがわかる。しかし、DNA一本鎖切断時の修復が遅れ、その結果組換え確率が高まるなど、染色体異常が誘導されることが明らかにされる。
これらの線維芽細胞による結果から、一本鎖の修復が遅れるため、修復箇所を特定する役割を持つPARP1タンパクが働きすぎて、ADP-リボシル化が起こり、NADが余分に除去されるため、神経細胞が死ぬのではないかと仮説を立て、患者由来細胞や、遺伝子ノックアウト線維芽細胞を用いて確認している。
さらにこの仮説を証明する目的で、神経特異的XRCC1ノックアウトマウスとPARPノックアウトマウスを掛け合わせ、運動失調が消失することを明らかにしている。
この結果は、XRCC1及びその結合タンパク質の異常に起因する運動失調はPARP1阻害剤で治療できる可能性を示唆する。さらに、アルツハイマー病など神経変異性疾患でもDNA修復遅れが細胞死を誘導している場合でも同じようにPARP1阻害剤が効く可能性がある。
このように、臨床から基礎、そして臨床というサイクルが患者を救えることが証明されれば、医学研究冥利につきるだろう。
この論文のような臨床と基礎の連携がうまくいく一つの要因は、DNA修復異常研究領域は昔からヒトの突然変異を使って研究を行う伝統があったからだと思う。ただ、ゲノム解読が進むことで、良き伝統は様々な分野にも広がると期待できる。
なぜ小脳症状が強いのかなど理解できないところもあるが、私にとっても、脳と修復の関係を理解させてくれる面白い論文だった。
2016年12月24日
我が国でも個人の遺伝子検査が普及してきているようだが、まだサービスを受けた人たちは10万人を超えたぐらいだろう。また、サービスの内容はSNPアレーを用いて50万から100万の部位の遺伝子多型を調べる方法が主で、会社ごとにそのプラットフォームが異なる。したがって、新しい事実が報告されても、その結果を取り込んで個人に情報として返すことができない。結果、一回検査を受けるとあとは何もできないで終わる。
この問題を解決するのが、ゲノムの塩基配列を調べてしまう方法で、完全なのは全ゲノムを解読してしまうこと、次がタンパク質をコードする遺伝子の全てを解読するエクソームだ。
私たちのNPOの役員の一人、安河内は全ゲノム解析を終えており、私が紹介した論文が報告している新しい方法を常に自分のゲノムで確かめて、その有効性を検証しておいる。このデータについてはいつか紹介したいと思っているが、個人ゲノムの第二段階が必ずくることを予見しての活動だ。我が国だけを見ていると、第二段階は当分先のことと思うが、アメリカでは急速に進んでいる。
ゲノムの塩基配列を解読するサービスを基盤に個人の遺伝子検査サービスを行う個人ゲノムの第二段階が今始まっていることを示す論文が12月23日号のScienceに、バイオベンチャーのリジェネロンと米国で電子化された患者記録を基盤に病院を含む様々な健康サービスを展開するGeisinger健康システムから発表された。タイトルは「Distribution and clinical impact of functional variants in 50,726 whole exome sequences from the DiscovEHR study.(DiscovEHRプロジェクトに参加する50726人のエクソーム配列解析に見られる機能的変異の分布と臨床医学的インパクト)」だ。
Geisinger Health Systemでは、患者さんのデータを電子化して保存、患者さんがどの医者にかかってもPCからデータ取り出せるようにしている。このサービスが積極的にエクソーム配列解読サービスを進めた結果、電子カルテとエクソームデータをリンクさせることができ、今回インフォームドコンセントの得られた5万人強のデータを解析し、論文にしている。この5万人のうち40%近くが、子供や親のゲノムデータも得られ、家系解析まで可能なビッグデータが生まれている。この事実が、この研究のハイライトで、今後同じデータを使って順々に検査項目を調べれば、新しいデータが無限に得られるという話だ。
一端だけを紹介すると、一人の個人はタンパク質をコードする遺伝子全体で、2万を超す多型を持っており、そのうち遺伝子の機能が欠損する変異はなんと平均21個も持っている。はっきり言って、全て正常な人などまずいない。5万人も調べると、全体で18万近い遺伝子機能が失われる変異をリストすることができ、1313個の遺伝子では両方の染色体でノックアウトされている個人が特定できる。これまでショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、マウスと突然変異を誘導するプロジェクトが進んできたが、これを上回る数の変異を人間で特定できるようになったことになる。
この研究では高脂血症や高尿酸値など様々な検査項目についての解析も示しているが、全て省略する。この論文の重要なメッセージは、患者さんの視点に立ってpeer to peerサービスを目指してきた健康サービスとゲノム検査サービスを組み合わせることの重要性、およびこれが民間主導で行われていることだ。これこそが、ゲノム検査第二段階の重要な要件になる。
こうして明らかになった遺伝子リスクの進行状態をエピジェネティックな状態として評価する可能性を肥満について示した論文がドイツのヘルムホルツセンターからNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Epigenome-wide association study of body mass index and the adverse outcomes of adiposity」だ。詳しく紹介しないが、ざくっとまとめるとメタボリックシンドロームにより、末梢血のメチル化状態が変化し、これが肥満の進行を反映するという話だ。
ゲノムサービス第三段階では、全ゲノム解析に基づき、遺伝子リスクを明らかにし、その進行状態を血液細胞のエピジェネティックな状態からチェックするというスキームかもしれない。
これから考えると、我が国はようやく第一段階入り口と言っていいだろう。なぜこうなったのか、最も大きな要因は患者さんの本当のサービスのためにゲノムを調べるという観点が研究者や役所に欠けていたことだと思う。再建のためにはまず反省が必要だ。
2016年12月23日
増殖中の細胞は高いストレスにさらされる。このようなストレスを解消できないと増殖を続けることができないため、がん細胞はこのストレスを和らげる様々なメカニズムを開発している。
今日紹介するニューヨーク大学医学部からの論文は、ドライバー分子としては最も多くのガンで働いている変異型KRASが、増殖中の細胞で増加する翻訳が途中で止まったタンパク質によるストレスを解消するストレス顆粒形成のメカニズムについての研究で12月15日号のCellに掲載された。タイトルは「Mutant KRAS enhances tumor cell fitness by up-regulating stress granules(変異型KRASはストレス顆粒形成を高めて腫瘍の適応性を促進する)」だ。
翻訳が途中で止まってしまったタンパク質とmRNAを速やかに処理するために大きな複合体にするメカニズムだと考えられている。この研究では、ストレス顆粒が高まるガンがないか探索し、KRAS変異を持つガン特異的にストレス顆粒が見られることを発見している。そして、KRASの様々な変異体を使った実験から、ストレス顆粒は活性化されたKRASがRAF経路を介して誘導されることを突き止める。
この発見がこの研究のハイライトで、あとはKRAS下流のシグナルを一つ一つ検討し、KRAS活性化がRAF経路を介してプロスタグランジン合成に関わる分子の転写を上昇させ、これにより細胞内のプロスタグランジンが上昇すると、mRNAをリボゾームにリクルートして翻訳を開始するプロセスを調節している分子の一つelF4Aを不活性化し、ストレス顆粒を誘導するというシナリオを示している。
またプロスタグランジンを加えるとストレス顆粒が上昇し、またプロスタグランジン合成阻害剤でストレス顆粒形成が抑えられることを示してこのシナリオを確かめている。
最後に、ストレス顆粒合成とがんの関係を知るため、プロスタグランジン合成酵素の発現量で膵臓癌を分けて予後を調べ、合成酵素が高い患者さんでは予後が悪いことを示している。
話はこれだけで、正直物足りない。ガンでのストレス顆粒形成のメカニズムを明らかにできたことはわかるが、この経路ががん治療の結びつくかどうかを明らかにできていない。モデル実験でもいいから、プロスタグランジン合成阻害剤により、膵臓癌の治療成績が上がるかどうかを調べて欲しかった。決して難しい実験でない。がん患者さんの生存率とストレス顆粒を調べた結果も、これを標的にすることで治療法が改善するという期待を持たせるほどではない。
憎きKRASの弱点がわかったかと期待を持ったが、最後にがっかりしてしまった。
2016年12月22日
パースの記号論的にいうと、言葉は究極のシンボルだ。対象と何の関係もない音の並びが具体的対象と関連づけられ、それが多数の個体によって共有される。「なぜ人だけにこれが可能になり言葉を話すようになったのか?」はおそらく21世紀最も重要な科学の課題として研究されるだろう。何とか書こうと準備を続けている本でも、ニューラルネットワークから言語への道について納得いくシナリオを探すことが今後2−3年の課題だと思っている。おそらく論文ウォッチにもこの分野が多く登場するのではと思う。
まだまだ皆が納得できるシナリオのないこの分野で、これまで誰もが疑わなかったドグマが、サルは解剖学的に複雑な音、特にコミュニケーションのキーになる母音を生成する能力が欠けているとする1969年Liebermanらにより発表された研究だ。確かにチンパンジーやゴリラを見ていても、鼻からうなるような音は出ても、複雑な音が出てくるとは思えない。
今日紹介するオーストリア・ウィーン大学からの論文はこのドグマに対して、アカゲザルはいくつかの母音を生成することができる、と真っ向から挑戦した研究で、12月9日号のScience Advancesにオンライン出版された。タイトルは「Monkey vocal tracts are speech-ready(サルの声道は話す準備ができている)」だ。
現在受け入れられているLievermanらの結論はサルの死体の解剖学的特徴から導かれている。これに対しこの研究ではアカゲザルの体だけを固定し、あとは自由に動かせる条件でX線ビデオを使って頭部を撮影し、様々な条件で声道の構造を撮影し、この画像から声道の実際の構造を再構築している。これまで、声帯から口腔までサルは短いため複雑な音が出ないとされていたが、実際にはサルも機能的に十分長い声道を持つことが判明した。
あとはさすが音楽の国だけあって、再構築した3次元モデルから、共鳴等の様々な音声学的特性を計算し、最後に声帯からの音がどう聞こえるかシンセサイザーで再現している。こうして得られた音域は人間と比べても充分広く、複雑な音の生成が可能だ。コントロールとして、Liebermanらの声道モデルを使って音域を調べると、彼らの結論通り極めて出せる音の種類が限定される。要するに、生きて声をあげているサルの声道と死体の声道は全く別物だったという話になる。
最後にI will marry youという言葉をサルの声道モデルで再現して、一般の人に聞いてもらったところ、十分理解できたという確認を行っている。
正直に明かすと、3次元モデルを作ってからの計算やシンセサイザーについては全くの門外漢で、この部分を評価することは私には難しい。この論文での計算が正しければ、サルも複雑な母音を発音できるという新しいドグマが誕生したことになる。
もちろん、全く音を出せなくとも、ニカラグァの聾唖の子供が自然発生させた新しい手話言語のように、人間には対象をシンボル化して共有する能力が備わっており、その解明ができないと言語の誕生は理解できない。それでも、私自身は音声が言語誕生の鍵を握ると思っており、その意味では重要な研究だと感心した。
2016年12月21日
今年7月10日、Alfred Knudson博士が亡くなった。研究の上では全く接点を持ったことはなかったが、Knudsonさんが2004年京都賞を受賞したとき、たまたま私が選考委員会の座長を務めた関係で、感慨深く悲しいニュースを聞いた。
Knudsonさんといえば、いうまでもなく網膜芽腫の発症を統計学的に解析しガン抑制遺伝子の概念にたどり着いた偉大な研究者だ。この網膜芽腫発生を抑制した遺伝子こそRb1で、現在では細胞周期の進行に必須のE2F分子と結合することで、細胞増殖を抑制することがガン抑制のメカニズムとして解明されている。
今日紹介するカナダ小児健康研究所からの論文は同じRb1がなんとゲノム中の繰り返し配列のサイレンサーとして働いているという研究で12月15日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「An RB-EZH2 complex mediates silencing of repetitive DNA sequences(RB-EZH2複合体は繰り返しDNA配列のサイレンサーとして働く)」だ。
Rb1が細胞周期以外の過程、特に転写抑制にも関わるとは想像だにしたことがなかったが、Rb1がポリコム遺伝子と結合して遺伝子発現を抑制しているという論文はこれまでも数多く発表されていたようだ。おそらく著者らには今回の結論は見えていたのだろう。まずRb1が結合しているゲノム領域を免疫沈降し調べ、細胞周期とは全く関わりのない領域、特にレトロトランスポゾンや内在性のレトロウイルス領域、そしてこれ以外の繰り返し配列に結合していることを見出している。
次に、細胞周期調節には関わらない832番目のアミノ酸の付近の領域でE2Fと複合体を作ることが繰り返し配列への結合に必要であることを明らかにする。この832番目のアミノ酸を変異させたRb1を持つマウスの系統を作成し、このマウスから樹立した線維芽細胞株を用いて遺伝子発現を調べると、この領域でE2Fとの結合ができないと、細胞周期には影響ないが、本来なら抑えられている繰り返し配列の転写が上昇していることを明らかにしている。
次に繰り返し配列のヒストン修飾を調べると、Rb1の突然変異では繰り返し配列特異的に抑制型のH3K27me3が消失していること、そしてこれにはEZH2を含むポリコム遺伝子複合体が予想通り関わることを明らかにしている。
繰り返し配列特異的にポリコム遺伝子複合体をリクルートするメカニズムについては今後の研究が必要だが、Rb1はE2Fと結合することで繰り返し配列特異的にポリコム遺伝子複合体をリクルートし、これにより抑制型のヒストン修飾を誘導することで、繰り返し配列の転写を抑制していることが明らかになった。
最後にこのRb1突然変異を持ったマウスを長期間観察すると、100%でリンパ腫が出現することを示し、繰り返し配列の転写が抑制されないと腫瘍発生の契機になることを示している。しかし私にとって不思議なのは、繰り返し配列の転写抑制が取れてもガンの発生に1年半以上かかることだ。これについては、繰り返し配列は外来抗原として免疫系に認識され排除されるのではと著者らは考えているようだが、まだ研究が必要な問題だ。
しかし、Rb1=細胞周期という単純な思い込みで満足せず、様々な可能性を探る研究者がいてくれるおかげで、新しい発見がある。ドグマにとらわれない若い研究者を育てることの重要性を認識する。
2016年12月20日
他の制度と違い、医療に関わる制度はその性質上たえず改善される必要がある。例えば現在問題になっている薬価もそうだし、医療と医療スタッフの関係など、多岐にわたる。ただ、制度の変更による結果を客観的に評価することは重要だ。おそらく我が国でも評価が行われていると思うが、できればその結果が審査をへた論文として発表されるのはもっと望ましい。
そんな例とも言える論文がコロラド大学を中心とする研究グループから12月6日発行の米国医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between end-of-rotation resident transition in care and mortality among hospitalized patients (ローテーション終了によるレジデントの交代と入院患者さんのケアや死亡率との相関)」だ。
米国の医療や公衆衛生学の論文を見ていると、インターンやレジデントの燃え尽き症候群や自殺が大きな問題になっているのがわかる。大学を終えて間もない医師にとっては、精神的にも肉体的にも過酷な労働であることは、自分の経験からもよくわかる。実際、1日16時間を超える労働が当たり前だったようだ。ようやく2011年に1年目のレジデントやインターンの労働時間が16時間を超えてはならないという卒後教育評議会からの勧告が行われ、勤務シフトが行われるようになった。おそらく一般の方から見たら16時間はなんとブラック労働かと驚かれると思うが、私には納得できる。
ただ、16時間であれ勤務シフトが行われると引き継ぎがうまくいくかどうかが問題になる。これについては、インターン、レジデントのシフト制度導入前後で入院患者さんの死亡率が調べられ、特に問題ないことが確認されている。
この研究の目的は、インターンやレジデントのローテーションが終わり、次のグループに引き継がれるとき、患者さんに影響が出ていないかを調べることだ。私も経験があるが、我が国では医師免許が交付されるとすぐに研修医が始まる。これを起点として、研修プログラムが設計されているため、必ず患者さんを引き継ぐ必要がある。この境で、引き継ぎがうまくいっているかどうかを調べるものだ。
舞台はニューヨークにある退役軍人を対象にする医療施設で、大学の研修機関になっている。この研修プログラムで引き継ぎは、直接医師が出会って行うのではなく、ほとんどが文書による引き継ぎになっている(少なくとも私の時代も同じだった)。
この引き継ぎ期間と、それ以外での患者さんの死亡率を比べると、インターンだけ、レジデントだけ、そしてインターンとレジデントが同時に交代するプログラムで、オッズ比でそれぞれ12%、7%、18%と上昇している。また、退院後30日目、60日目の死亡率で見ても高い。このことから、インターンやレジデントが患者さんのケアの中心になっており、その引き継ぎが極めて重要であることがわかる。
さらに重要なのは、この引き継ぎリスクが、16時間労働制限が守られるようになってから大きく上昇している点だ。例えばレジデントの交代時期で言えば、オッズ比1.01が、労働制限後1.13に上昇している。すなわち、労働を削ると引き継ぎがうまくいっていないという実態が明らかになった。
この結果を受け、他の機関でも検討が行われ、引き継ぎがスムースに進むプログラムが考えられるだろう。
この論文を読んで、私が一番驚くのは結果ではない。このような調査に医療施設が協力し、あまり好ましくない結果をトップジャーナルに掲載することができるという点だ。さらに、このような調査が、病院のコンピューターにある記録を抽出することだけでできることだ。この公開性こそ、医療制度改善の基盤になる。自分の働いている病院で、同じ研究が可能か考えてみることが重要だと思う。