11月19日:効くインフルエンザワクチン開発への努力(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
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11月19日:効くインフルエンザワクチン開発への努力(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2016年11月19日
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今猛烈な勢いでインフルエンザ感染が拡大しているようだ。先週もいろんな方と出会ったが、何人か咳やくしゃみで具合が悪そうだった。そうこうするうちに、私も急に鼻水とくしゃみに襲われ、今所用で東京にいるが、なかなか仕事に集中できない。この文章もくしゃみの合間に書いているという有様だ。今の所全身症状は少なく、インフルエンザかどうかわからないが、できることはこの週末無理をしない程度が関の山だろう。
   今の所、インフルエンザの予防にはワクチン接種しかないが、医師も含めて多くの人があまり効果がないと思っている。実際、科学的なサーベーで、成人でもワクチンが効果を示すのは60%で、幼児や高齢者になるとさらに効果は落ちる。
   しかし、免疫学者にしてみれば、「残念ながら効果は低い」と言うこと自体が敗北になるはずだ。なぜ効果が低いのか?どうすれば効果のあるワクチンを開発できるのか?ワクチンに対する免疫反応を詳しく調べてこの問題にチャレンジしたのが今日紹介するテキサス大学からの論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Molecular-level analysis of the serum antibody repertoire in young adults before and after seasonal influenza vaccination (流行とは関係なく季節的に行うインフルエンザワクチン接種前後の抗体レパートリーの分子レベルの解析)」だ。
   通常のワクチンには二種類のA型インフルエンザウイルスと、一種類のB型インフルエンザウイルスの赤血球凝集素(HA)が混合されている。この研究の重要性は、ワクチンに対する反応を、通常抗体のアッセイとして行われる赤血球凝集反応だけでなく、抗体のアミノ酸配列レベルで解析している点だ。接種前及び接種後20日、180日目の血清を採取、抗原で抗体を純化し、そのアミノ酸配列を質量解析法で調べている。これにより、ワクチン接種前に存在した抗体のレパートリー、ワクチンにより新たに出現したレパートリーを比べ、免疫反応動態を明らかにできる。ただ、大変大掛りな実験で、この研究でも4人の青年について解析するのが精一杯だったようだ。
  これにより、ワクチン接種前には6種類の抗体しか持っていなかったのが、免疫で40から150種類にまで上昇する。ただ、種類は増えても、実際にはトップ6%のクローンが、抗体全体の60%を占めている。そして面白いことに、接種前に存在する抗体の種類が少ない人は、免疫後多くの種類の抗体ができることがわかった。すなわち、免疫前に持っている低いレベル抗体が、新しい抗体のできるのを抑制している可能性が示された。
   これらは、詳しい免疫動態の解析で、なるほどと納得するだけだが、この研究のハイライトは特定された抗体の中にH1とH3型の両方の赤血球凝集素(HA)に結合できる抗体は、通常のインフルエンザ抗体測定に使われるHA阻害効果は全くないが、強い予防効果があるという発見だ。
   構造解析から、この抗体はHAが3量体を形成すると隠される領域に対する抗体で、3量体のHAには阻害効果がないが、HAが細胞膜上で形成されるのを阻害し、感染予防効果が強いということが明らかになった。さらに、この抗体はH1、H3だけでなく、他のタイプのHAにも結合するため、ユニバーサルなワクチン開発につながる点だ。
   長くなるので、この辺で紹介はやめる(またクシャミ)。
   ゲノム研究が進んで、抗原側の解析は進んだが、実際のヒトの免疫反応をクローンレベルで調べる研究はほとんどない。ヒト免疫反応の詳しい解析を通してしか効果のあるワクチン開発はないこと、さらにそのための方法論を示した点で、重要な研究だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

自閉症は人類進化に必須の性質(11月15日Time & Mindオンライン掲載論文)

2016年11月18日
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    今日紹介するのは研究論文ではなく、人類進化において、自閉症傾向を持つ人の存在の重要性を考察した総説で、考古学に関する雑誌Time & Mindの11月15日号に掲載されている(http://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/1751696X.2016.1244949)。論文はOpen Accessなので専門家だけでなく、グーグル翻訳などを使ってもぜひ一般の方も一読されることをお勧めする。タイトルは「Are there alternative adaptive strategies to human pro-sociality? The role of collaborative morality in the emergence of personality variation and autistic traits (人間の社会性にとっての適応戦略に他の選択肢はあるか?変わった個性や自閉症的性質の誕生に果たす共同的道徳性の役割)」だ。
   現役を退いてから、「17世紀、科学の誕生とともに排除された非唯物論的因果性が、ダーウィンによりもう一度新しい科学の対象として復活し、21世紀にさらに大きく発展すること」というシナリオについて、講義をしたり、本にまとめるためのノート作りに励んでいる。ただ、科学論文を読めばよかった現役時代と異なり、本を読む必要があり、めぼしい本はかたはしからKindleに放り込んでいる。現在ノート作りは最も苦手な脳研究から人類進化にさしかかろうとしており、この分野には特に重点をおいて本を集めている。この中には今日紹介する論文の著者、Penny Spikinsの「How compassion made us human(思いやりの心が私たちを人間にしたか)」もあり、特に興味を持ってこの総説を読んだ。
   読んでみて、この総説は人類進化と自閉症について、多くのヒントを与えてくれたと満足している。
著者らの問題は「なぜ社会性に問題があるとされる自閉症が、今も淘汰されず1−2%という高い頻度で存在しているのか?」で、これに対して「共同的道徳性の誕生が人類進化の必要条件だが、これには多様な人材を擁することが重要になる。自閉症的傾向を持つ人材は、一つのタイプとして必要とされ、また尊敬されることで、進化で淘汰されることはなかった」という答えが結論になっている。
   総説では、この可能性を裏付ける様々な証拠を列挙しており、これが面白い。ほんの一部だが、紹介しておこう。
   まず、個人や家族の力量だけが問われる段階では、他の個体との関係に苦労する自閉症の人は淘汰される確率が高い。しかし、人類進化でうまれた共同的道徳性(Collaborative Morarity)の社会が生まれると、状況は一変する。この社会は多様な人材を必要とする社会で、いわゆる変わり者の能力を必要とした。
   この総説で議論しているのは、知的障害のない自閉症についてだが、これは全自閉症の7割を超え、全人口の1−2%になる。
   自閉症は社会性が欠如しているとよく言われるが、それには反対している。自閉症の人たちは、私たちが持っている、他の人も自分と同じように考えているとするTheory of Mindの代わりに、他人の意見に流されない、法則に従うようなTheory of Mindを持っていることを強調している。この例として、自閉症の人には数学者、物理学者、技術者、そして法律家が多いことをあげている。
   また、原始社会でも、誰もが新しい石器の作り方を考案できたわけではなく、おそらく狩りは下手でも道具作りのイノベーションを起こせる人材がいる社会だけが、道具を進化させ、他の社会を淘汰したと考えられる。そしてこのイノベーションには自閉症を持つ人が大きく貢献したのではと議論している。
   さらに、社会自体の維持にとっても、自閉症の人は大多数の意見に流されず、冷静に状況を判断できる点で、社会の存続に大きく寄与したと考えている。実際、トランプ現象をみると、私たちがいかに大勢に流されるかよくわかる。この状況を打ち破れるのが、「連帯を求めて孤立を恐れない」自閉症の人たちで、その人たちを尊敬する社会が最終的に持続可能な社会と言えるのだろう。自閉症の人が、確固たる法則を重視し、大勢に流されないことについては論文もあるようだ。
   進化は、生殖優位性だが、共同的道徳性の社会では、新しい技術を生み出し、また大勢に流れようとする社会に警告を発することができる自閉症の人は、異性にもてるという文化人類学的証拠を示している。このため、決して淘汰されることはない。それどころか、優れた社会では自閉症児の数は逆に増える。
   この結果が、自閉症には100を越すゲノム領域が関わるという複雑さで、複雑な選択を受けてきた結果だろう。まさに自閉症が「Neurodiversity」のみならず「ゲノム多様性」の駆動力になっているのがわかる。また、最近自閉症と相関する幾つかの遺伝子や遺伝子多型が、ホモサピエンスに存在しても、ネアンデルタールに存在しないことが示され、自閉症に関わるゲノムが生殖優位性を持っていることも示されていることも強調している。
   最後に、自閉症を持つ人が積極的に維持されたことについての考古学的証拠についても列挙している。例えば「複雑な技術的イノベーションが石器などの道具で起こっていること、あるいは常識に惑わされず法則を導き出すことで可能になる地図や暦の発見」などが議論されているが、これを自閉症と関連づけるためには、遺伝子解読や、現存の比較的未開部族についての文化人類学的研究が必要だろう。
  以上のような様々な議論を経て、
1) 共同的道徳性の社会には自閉症の人は、社会に一つではなく、もう一つの選択肢を与えて、社会を強靭にした。
2) 特に、大勢に流されず、イノベーションを起こし、確固たる法則に基づいて社会を導く点で貢献している。
3) このように、自閉症を社会性の欠如ではなく、もう一つの社会性として積極的に評価することで、人類進化に対する新たな視点が生まれる。
と結論している。
  トランプを筆頭に、世界中で多様性を排除する動きが高まっている。おそらくその先には、人類滅亡しか見えないのは私だけだろうか。 一般の人にも、グーグル翻訳などを使ってぜひ読んで欲しい総説だ。しかしこの総説を読みながら学生運動時代の「連帯を求めて孤立を恐れず」というフレーズが浮かんできた私は、もう遺物になっているようだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月17日:冠状動脈疾患への遺伝と生活習慣の関与(11月15日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年11月17日
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我が国でも、個人のゲノムを解析して様々な病気のリスクを割り出す遺伝子診断サービスが幾つかの会社から提供され、広く普及とは言えないまでも、徐々に広がりを見せているようだ。しかしいつも問題になるのが、病気になりやすいことがわかっても、手が打てなければ何の意味もないのではという疑問だ。これに対し、私もそうだが個人ゲノム解析の推進派は、「生活習慣を改善して病気にならない努力は、病気の遺伝リスクを知って初めてできる」と答えてきた。しかし、このことを本当に確かめるためには、遺伝リスクと生活習慣の両方をモニターした大規模な追跡調査が必要になる。
   今日紹介するマサチューセッツ総合病院を中心とする論文は、この問題を正面から取り上げた研究で11月15日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Genetic Risk, adherence to a healthy lifestyle, and coronary disease(遺伝リスク、健康的ライフスタイル、そして冠動脈疾患)」だ。
   この研究では1987年、1991年、1992年に始まった中年から高齢の人たちを対象とした3つの大規模追跡調査データをもとに、遺伝リスクと生活習慣を調べ、冠動脈に起因する病気の発症と相関させている。遺伝リスクについては、五十種類の冠動脈疾患に関わるSNPを調べ、この結果を総合してリスクを数値化している。ライフスタイルについては、喫煙、肥満防止、そして自己申告に基づく食事を総合して、好ましい生活スタイルなどを総合して数値化している。
   遺伝と生活習慣のリスクをそれぞれ3段階に分けて、冠動脈疾患発症率を調べてみると、遺伝リスクの高い人ほど発症率は高く、また好ましくないライフスタイルほど発症率は高い。これは3つの調査すべてに当てはまり、遺伝リスクと、ライフスタイルリスクは、それぞれ独立に冠動脈疾患発症に寄与している。
   では遺伝リスクが高い人は、ライフスタイルを改めれば少しは病気を防げるのか?この研究では、3つの調査について別々に計算しているが、結果は期待通りで遺伝リスクが高い人ほど、ライフスタイル改善効果が高いという結果だ。著者らも、この点を強調したディスカッションを展開している。
  しかしよくデータを見てみると、遺伝リスクの高い人がライフスタイルを改善した場合の発症率は、生活スタイルを気にしない遺伝リスクの低い人の発症率のレベルになんとか近づいている程度で、どこまでも遺伝リスクはついて回ることも確かそうだ。もちろん、遺伝リスクの低い人が生活スタイルを改善すれば、もっと発症率は減る。
   結果は以上だが、推進派の私としては、やはり著者らと同じで、リスクを知って、生活スタイル改善の重要性を認識することが病気を防ぐと言っておきたい。おそらく次に重要なのは、遺伝子リスクを知って節制に努めた人、努めなかった人を、リスクの低い人と比べることだろう。このような調査には大変な努力が必要だ。ぜひ遺伝子検査を受けた人たちの大規模調査が行われることを願う。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月16日:霊長類に見られる脳進化を推進した分子(11月10日号Nature掲載論文)

2016年11月16日
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    げっ歯類から霊長類への進化では、脳皮質の増加とそれに伴う神経細胞ネットワークの複雑化が最も著名な変化として認められる。この変化に、刺激に応じて脳回路をシェープアップする、脳の可塑的な発達期間の延長が重要な要因になっていると考えられてきた。しかしこの過程に関わる分子を特定しようと、ネズミの皮質には存在せず、類人猿には存在する遺伝子の探索が行われているが、研究の進展は遅い。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は培養皮質細胞の遺伝子発現をマウスと人で比べて見つかったOsteocrinが脳皮質の進化を解くカギになることを示した論文で11月10日号のNatureに掲載された。タイトルは「Evolution of osteocrin as an activity-regulated factor in the primate brain(Osteocrinの進化が類人猿の活動依存性の神経因子として特定された)」だ。 
     培養細胞を用いてネズミとヒトの遺伝子発現の違いを調べる研究はこれまでも数多くあるが、この研究のユニークな点は、ヒト胎児脳皮質の培養細胞をカリウムの高い培地を用いて神経興奮と同じシグナルを与えてから比べた点だ。これにより、ヒトでも普通は発現していないが、神経刺激を受けると発現が上昇してくる遺伝子を特定することができる。
   この条件に適う幾つかの遺伝子を発見しているが、その中でOsteocrinと呼ばれる骨芽細胞の成熟を抑制する分子をさらに詳しく解析している。機能からわかるように、この分子はヒトやネズミの骨芽細胞で発現している。しかし、ヒトだけで脳皮質で、しかも神経が刺激を受けることで初めて発現する分子であることが分かった。この結果から、Osteocrinは類人猿への進化の過程で、脳皮質でも発現するようになり、新しい機能を発揮するようになったのではと仮説を立て実験し、以下のことを明らかにしている。
1) 類人猿のみでosteocrinが脳皮質で発現するのは、進化過程で遺伝子発現に関わるプロモーターにMEF2結合部位が新たに加わったためで、この領域に変異が入ると、ヒト皮質での刺激に応じた発現が失われる。
2) この部位は調べたヒトを含む全ての類人猿で保存されている。
3) 生後の視覚を遮断した視覚野と正常の視覚野を比べると、刺激を受けた視覚野のみでosteocrinの発現が見られる。
4) 培養細胞でもカルシニューリン阻害剤で興奮を止めると、osteocrinの発現が止まるため、刺激依存的にだけ発現する。
   そして、最後にこの分子をノックアウト、あるいは過剰発現させた培養皮質細胞を調べ、この分子は分泌されると神経の樹状突起の伸長を抑制することを明らかにしている。おそらく、最初に形成されたランダムな神経結合を、刺激に合わせてシェープアップするときに樹状突起の抑制が重要だと考えられる。可塑性の研究にとって重要な発見だと思う。
   進化上の大きな変化も、全く新しい遺伝子が生まれるのではなく、既にある遺伝子の発現場所を変えて新たな機能を付与することで行われることを明確に示した面白い研究だと思う。今後、この分子が欠損したサルで何が起こるのか発表が待たれる。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月15日:くすぐられると笑ってしまうメカニズム(11月11日号Science掲載論文)

2016年11月15日
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   誰でもお腹を触られるとくすぐったい。くすぐったいと、思わず「やめて」と笑いながら叫んでしまう。誰もが同じように反応するので、不思議と思ったことはなかった。今日紹介するドイツ・フンボルト大学からの論文は、「なぜくすぐられると笑うのか?」「どうして背中はくすぐったくないのか?」「どうして自分で触ってもくすぐったくないのか」という、誰もが当たり前と思っていることに不思議を見出し、実験的に調べた研究で、11月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Neural correlates of ticklishnesss in the rat somatosensory cortex (ラットの脳皮質体知覚野のくすぐったさに対応する神経活動)」だ。筆頭著者Ishiyama(石山?)とあるので、おそらく日本人だろう。
   繰り返すが、誰もが当たり前と思っていることに不思議を見出したことがこの論文の全てだ。用いられている実験手法も、生理学の研究室ならどこでも可能な実験だ。
   まずくすぐると、「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と笑ってしまう点に注目し、人間のこの笑いに対応するラットが超音波で発する音(USV)を特定している。そして、お腹をくすぐられるとこのUSVの数が増え、声が大きくなること、そのあとでくすぐった手を追いかけたり、喜んでジャンプしたりして、決して不快に思っていないことを示すなどの特徴的行動を記載している。
   次に、脳の体知覚野に単純な電極を留置して神経興奮を連続的に調べると、USVと同じようなパターンで興奮が記録されること。たとえば、手を休めた時にも興奮が観察でき、またくすぐられた後その手を追いかける時でも興奮が見られることから、単純な感覚刺激に対する興奮でないことを確認している。
  重要なことはこの領域であれば、ほとんどの神経細胞が同じように反応することで、ほぼ全ての神経細胞が興奮している状態であることがわかる。まれに、興奮が抑えられた神経細胞も検出しているが、これが何を意味するのか答えは示されていない。
   私たちも不安な時はくすぐられても喜べない。同じように、ラットを強い光に晒すと、くすぐっても声も出ないし、神経細胞も興奮しない。
   最後に、USVと神経細胞興奮との因果性を調べるため、発声と神経興奮の相関を調べている。くすぐる手を休めている時にもUSVが出るのを利用して、USV発声前後で興奮を調べると、発声前から興奮があり、特にL5aと呼ばれる深さの細胞の興奮により発声する可能性が示唆された。
   最後に、体知覚野の様々な深さに電極を挿入してパルス刺激を与え、期待した通りL5a層にある神経を刺激した時はUSVを100%成功率で誘導できることを示している。
   まとめると、お腹をくすぐられると、体知覚野のL5a層を中心にほとんどの神経が興奮し、この興奮はそのまま笑いの誘導に直結するという結論になる。
   よく考えてみると、体知覚野の感覚興奮がどうリレーされるのか、伝達因子は何かなどはほとんど触れられていない現象論的研究だ。しかし、そんな理屈より、研究テーマ自体が楽しめるので、「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と笑いながら読んだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月14日:大麻による物忘れのメカニズム(Natureオンライン掲載論文)

2016年11月14日
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    医師の指導下に、ガンによる痛みや難治性てんかんの治療に大麻を用いることは、様々な国で認められるようになっている。例えば現存の薬剤で治療の難しいてんかんや痛みに効果がある場合、我が国でも利用できるようにすべきだと個人的には思っている。しかし、治療用ではなく個人の精神安定などの目的で大麻を使用していいかというと、タバコより習慣性がなく、安全という意見もあるが、まずほとんどの国で禁止されており、私もこれを支持する。これは、大麻使用により記憶障害などの副作用が誘導されることが経験的にわかっているからだ。
   今日紹介するフランス国立神経センターを中心とする共同論文はこの大麻による記憶障害の分子メカニズムを明らかにした研究でNatureにオンライン出版された。タイトルは「A cannabinoid link between mitochondria and memory (カンナビノイドはミトコンドリアと記憶を関連づける)」だ。
   大麻には何十種類もの生理活性物質が含まれているが、鎮痛作用などの重要な作用は、カンナビノイド受容体と結合する3量体Gタンパク質を介するシグナルを活性化させ、シナプスでの神経伝達を変化させることで得られる。この研究は、カンナビノイド受容体CB1が、細胞膜上だけでなく、ミトコンドリア膜上にも発現していることの発見から始まっている。タンパク質のミトコンドリアへの輸送はよくわかっているので、これに関わる領域を除去したCB1受容体を作ると、細胞膜上に発現して正常に機能するが、ミトコンドリア上には全く存在できないことが分かった。
   次に、CB1の発現が異なるミトコンドリアを用いて、CB1のミトコンドリアでの機能を調べると、Gタンパク質を介してPKAを活性化し、cAMP-PKAシグナルカスケードの引き金を引き、その結果5つあるミトコンドリア電子伝達系のうちComplexIを阻害することが明らかになった。すなわち、カンナビノイド刺激により、神経興奮への作用だけでなく、ミトコンドリアの呼吸系が抑制され、細胞でのエネルギー生産が低下することが分かった。
   最後に、ミトコンドリアでのPKA活性化により記憶障害が起こるか調べるため、正常PKAの機能を阻害する変異型PKAをミトコンドリアに移行するように改変した遺伝子を作成し、これを海馬で発現させると、発現自体では何も起こらないが、CB1刺激による記憶障害を抑制することが明らかになった。すなわち、ミトコンドリアでの電子伝達系阻害が、カンナビノイドの記憶障害の原因であることが明らかになった。
   他にも、PKA-cAMP経路の標的分子などについて詳しい解析も行っているが、この論文のハイライトは、カンナビノイドによる記憶障害が、神経回路への直接作用ではなく、ミトコンドリアの呼吸反応を変化させてしまった結果であることの発見だろう。
   今回明らかになった新しいカンナビノイドの標的から考えると、大麻は副作用が必至の医薬品として扱われるべきだとわかる。許可されている国が存在することを根拠として個人使用を認めるべきだという要求もあるようだが、判断は科学的エビデンスに基づいて行うべきだ。その意味で、今回の研究は、大麻の個人使用の新しい危険性を指摘した。一方、メカニズムが明らかになることで、ミトコンドリアのCB1を刺激しないCB1アゴニストなどが開発されるだろう。それにより、より副作用の少ない鎮痛剤や抗てんかん薬が開発されることを期待する。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月13日:米国科学界のトランプに対する懸念(今週号Nature, Scienceから)

2016年11月13日
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半分以上の人が投票に行かず、わずかとはいえ得票率で劣るドナルド・トランプが次期米国大統領に決まった。選挙制度だからと言ってしまえば簡単だが、8年前の熱狂の代わりに、双方の支持者を隔てる大きな溝だけが残る選挙だった。この溝はアメリカ国内にとどまらない。選挙直後にドイツ首相メルケルが心配したように、これからのアメリカ政府は「自由と民主主義」という価値を他国と共有するかどうかすら懸念される。同じように、米国科学界もトランプとの間に横たわる大きな溝に立ちすくんでいる。トランプが反グローバリズムなら、あらゆる分野の中で最もグローバルな科学は槍玉に上がる可能性がある。またこの溝を直感するからこそ11月1日に紹介したように米国科学界はトランプ嫌い一色になっている(http://aasj.jp/news/watch/5995)。
   このように、科学界はトランプ政権の科学技術政策に大きな懸念を抱いているが、選挙後に発行されたNatureとScienceはともにトランプの科学技術政策について記事を掲載している。
   両紙に共通するのは、トランプ政権が地球温暖化ガス削減のためのパリ議定書に反対するだろうという予想だ。TPPと同じで、選挙中も温暖化ガス問題は中国に責任があると言い放っている。とはいえ、米国議会もパリ協定を批准しており、大統領といえども反故にするわけにはいかない。おそらく、目標達成にむけた実行策を話し合うマラケシュ会議に協力的に参加しないという方法で、アメリカの責任を放棄するだろう。
   これと並行して、この法案の審議を行う最高裁判事に反対派を指名して、法案を事実上無力化することも行うと予想している。
   この問題に対してScienceは米科学界がこれまで以上に温暖化問題の重要性を証拠で示していくほかないと科学者に檄を飛ばしている。
   温暖化問題ほど明らかではないが、科学界が抱くトランプ政権への懸念の一つが、ヒトES細胞研究に代表される、胎児組織の研究利用の問題だ。もともと、ブッシュ大統領はキリスト教原理主義的信条から、連邦予算をヒトES細胞研究に使うことを禁じていた。さらに大統領の指示で、議会でもES細胞研究禁止の法案を通過させようとする動きがあり、実はこれを阻止するロビー活動として友人のZonやDaleyの呼びかけに集まった有志で国際幹細胞会議をスタートさせ、最初の会議はワシントンで開催した。
   幸い法案は通らず、また大統領禁止令はオバマ政権で廃止、現在では約190億円の連邦予算がヒトES細胞研究に拠出されている。
   トランプは選挙中に、中絶胎児組織利用に反対する団体を支持する発言を行っている。ただトランプ自身のヒトES細胞に対しての発言はほとんどないが、ペンス副大統領は常にヒトES細胞研究に反対していることから、ブッシュ時代に逆戻りする可能性は高い。
   やはり両紙が共通するのは、移民審査が厳しくなることで、アメリカ研究機関への優秀な人材リクルートが滞る可能性だ。さらに、一般的に科学者のトランプに対する印象は悪く、アメリカで働く外国人研究者が帰国する可能性が高まるのではと予想している。
   以上が、両紙がトランプに対する科学界の懸念として取材した内容だが、おそらく最も大きな懸念は、科学者との接点がほとんどないという点だろう。これを補足する意味で、ScienceのMalakoff記者はトランプ政権再重要閣僚として取りざたされているギングリッチと科学について記事を寄せている。
     この記事によると、ギングリッチはこれまで科学と多くの接点を持っており、動物園好きで、さらに演説で例えばDeWahlの類人猿の研究についての本を引用し、アメリカ神経科学会で演説したこともあるようだ。
   まずトランプと同じで、温暖化問題については国際協調による温暖化ガス削減には反対しており、ヒト受精卵を研究に利用するには反対するだろう。ただブッシュと異なり、もともと稀代のプラグマティストで、これまでの主張はいくらでも翻る可能性がある。また、共和党が伝統的に掲げる小さな政府に基づく連邦予算削減の対象から、科学技術予算を削らないよう働きかけも行っている。
   このように先が読めないのがギングリッチだが、おそらく有人火星探索など大型予算をスケープゴート的にカットする一方で、脳科学など科学予算はできるだけ確保するという政策をとるのではと予想している。 このような記事から分かるのは、どんな政策が取られるにせよ、科学界にはこれまで以上に、一般人と科学界の溝を埋める新しいアイデアが必要とされていることが間違いないことだ。当然、我が国の科学者にも同じことが言える。Nowotonyの「Rethinking science」をもう一度読み直す時が来たようだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月12日:ネズミの縦縞形成メカニズム(11月2日号Nature掲載論文)

2016年11月12日
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  マウスc-Kitに対する抗体を作成してから、私たちは色素細胞の研究を始め、発生過程を抗体で操作する手法を用いて、色素細胞の初期発生の理解に貢献することができたと思っている。もちろん実験マウスはげっ歯目の仲間で、その中にリスもいることは知っていたが、この論文を読むまで頭から尻尾へ走る縦縞について考えたことは全くなかった。しかし言われてみれば、縦縞を持つげっ歯類は多く、私たちが明らかにしてきた色素細胞の発生シナリオの枠内で縦縞について説明することは難しい。
   今日紹介するハーバード大学からの論文はげっ歯類の縦縞の謎が残っていることを私に思い起こさせ、完全ではないが、納得のいく説明をしてくれた研究で11月2日のNatureに掲載された。タイトルは「Developmental mechanisms of stripe patterns in rodents(げっ歯類の縦縞の発生メカニズム)」だ。
   この研究では背中に4本の黒いストライプの走るアフリカ縞ネズミを材料に研究を行っている。それぞれの縞と周りの毛根の色素を調べると、当然のことながら縞上の毛ほど色素を多く含んでいる。また、色素細胞が毛根に取り込まれる胎児期にすでにこの縞をはっきりと見ることができる。
   この色素の欠損が、色素細胞の欠損によるのかc-Kitに対する抗体を用いて染めると、色素細胞自体は縞以外にある毛根にも同じ数だけ存在している。しかし、色素細胞分化のマスター遺伝子であるMITFの発現が、縞以外では低下していることがわかった。すなわち、縞の無い領域では、色素細胞幹細胞が毛根に存在しても、分化できないことがわかった。
   次に、黒い縞部分と、その周りの遺伝子発現を比べ、色の薄い場所で発現の高い遺伝子を探すと、AslpとAlx3の二種類が挙がってきた。Alx3は間質細胞に発現している転写因子であることから、以後この分子に注目して研究を進めている。
   期待通り、Alxは縞のできる発生時期に、縞のない皮膚のケラチノサイトとメラノサイトの両方に発現している。次に、マウス培養色素細胞、およびマウス胎児内にAlx3遺伝子を持つレンチウイルスを感染させ、Alx3の色素細胞への影響を調べると、MITFのプロモーターに結合することでその発現を直接抑制して、その結果色素の産生が低下することを明らかにしている。
   以上の実験から、色素細胞でのAlx3の発現は縞上の毛根で抑制されており、Mitfが正常に発現して色素細胞分化が進み色素ができるが、それ以外の場所ではAlx3が発現して、色素細胞の分化が抑制され、色の薄い毛ができるというシナリオだ。
   残念ながら、特定の場所(縞ができる場所)だけで、Alx3の発現が抑えられているメカニズムについては明らかにできていない。しかし、縦縞の場所が決まってからの分子過程については、私たちが考えたシナリオの枠内で理解ができたと思う。
   まががりなりにも色素細胞分化については専門家だと思っていたが、思いもかけないメカニズムでできる毛色のパターンがあることがわかり、動物の多様性にまた驚嘆した。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月11日:脊髄損傷による運動障害をエレクトロニクスで軽減する(Natureオンライン掲載論文)

2016年11月11日
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   最近手足の運動機能を、脳と運動をエレクトロニクス的に結合させるインターフェースを用いて回復させる研究が急速に発展している印象がある。その要因の一つは、脊髄神経一本一本を電気的に刺激しなくとも、硬膜外から運動時におこる興奮の総和に対応した電気刺激を与えることで、重要な筋肉の運動をかなり制御できることがわかってきたからだ。特に手で掴む機能を回復させたり、義肢の動きに転換する研究は著しく、今年4月、頚椎損傷で四肢麻痺に陥った脊損患者さんの腕と手の機能をかなり回復させるのに成功したという報告がオハイオ大学からNatureに報告された(Nature 533, 247, 2016)。
   今日紹介するスイス・ローザンヌ工科大学からの論文は、サルの脊髄損傷モデルを用いて、自分の体重を支えるための下肢の機能を同じ方法で回復させられる可能性を示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「A brain-spine interface alleviating gait deficits after spinal cord injury in primates (脳と脊髄のインターフェースにより猿の脊髄損傷後の歩行障害を軽減する)」だ。
   この研究では、足の筋肉を支配するほとんどの神経が通っている第5腰椎(L5)の硬膜外に平面的に刺激の強さを変化させられるパルサーを設置し、このパルサーを運動時の脳活動と同調させることで、下肢の運動を制御することを目指している。このため、下肢を制御する脳領域に96チャンネルの電極を設置、足の運動時の筋肉やL5の神経活動と同時に記録して、脳の活動と、脊髄での運動神経の活動、そして筋肉の運動がどう相関するかを計算し、脳活動記録を硬膜外刺激へと変換するインターフェースを作成している。すなわち、脳からのシグナルを無線でインターフェースへ送り、次にインターフェースで脳活動を解読し硬膜外からの平面的刺激に転換することで足の動き全体を回復できないか調べている。
   これまでラットを用いた実験ではうまくいっているが、今回はより人間に近いサルを用いてこの技術を検証している。サルを用いているため、全損傷実験などは倫理上許されないようで、片方だけ損傷して、インターフェースと硬膜外電極を損傷した側に設置し、電気的接続をオンにした時とオフにした時で比べる手法を取っている。
   結果だが、自然に再生が起こる前の、損傷後6日からこの方法でサルはトレーニングしなくとも自然に運動機能を回復し、この回復はインターフェースをオフにすると失われるので、脳・脊髄インターフェースのおかげで回復していることが確認でき、この方法の可能性を期待させる。
   もちろん、人に応用するためには、正常人での記録、正常人と麻痺患者さんの硬膜外刺激での筋肉運動の記録など、まだまだ乗り越える課題は多い。しかし、原理的にはこの方法で大きな運動の枠組みを保証できる可能性が生まれたと思う。例えばこれに細胞移植を組み合わせるなど、まだまだ発展できる余地があり、期待できる結果だと思った。
   今年の3月、講義のためにローザンヌ工科大学に行ったが、その時様々なエレクトロニクス機器を制作してくれる専門家のバックアップ体制に驚いた。このような体制があって初めて、生物や医学の研究者がアイデアを実現できる。一方、我が国ではまずパートナー探しから始めなければならず、この差は大きい。我が国の問題は、決して基礎研究軽視だけではない。トランスレーションですら、異分野連携の難しさなど、要するに体制疲労が目立ち始めている。根本的改革が必要だとおもう。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月10日:X染色体不活化のシナリオ(10月28日号Science掲載論文)

2016年11月10日
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  男女の性でX染色体の数は、男性1本に対し、女性2本と数が違う。一見何の問題もないように思うが、このまま何もしないで遺伝子が発現すると、X染色体上に存在する遺伝子の発現量が女性では常に男性の2倍になってしまう。これがいかに重大な問題かは、ダウン症で染色体が正常の1.5倍になるだけで様々な異常が起こることから理解できる。このため、X染色体上の遺伝子発現をそれぞれの性で別々に制御する仕組みが発達している。女性だけでX染色体の遺伝子発現を半分に低下させる種もあるし、逆に男性でX染色体の遺伝子を倍に強める転写制御を行う種もあり、その仕組みは多様だ。
  私たち哺乳動物では、女性のX染色体の一本だけでクロマチン構造を変化させ、遺伝子の発現を抑えてしまう方法が取られている。この過程では、まずXistと呼ばれる長いRNAの転写が始まったX染色体だけが、このXistに覆われ、そこにoff型の染色体構造を形成する様々なタンパク質がリクルートされることで、X染色体全体が不活化される。
   このメカニズムの理解は急速に進んでいるが、今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は、X染色体全体にXistが広がる過程にX染色体が核膜にアンカーされることが重要であることを示した研究で10月28日号Scienceに掲載された。タイトルはXist recruits the X chromosome to the nuclear lamina to enable chromosome-wide silencing (XistはX染色体を核膜近くの核ラミナにリクルートすることで染色体全体の遺伝子発現の不活化を可能にしている)」だ。
   核ラミナとは核膜直下に形成されたラミンというタンパク質が濃縮された構造で、この近くに存在する染色体では遺伝子の転写が不活化されることが知られている(JT生命誌研究館に連載中の「進化研究を覗く」参照http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000014.html)。
   この研究ではXist結合タンパクの中に核ラミナ構造分子ラミンBが結合しているという発見から、X染色体が核ラミナ構造に取り込まれることが一本だけのX染色体が不活化できる鍵になるのではと考え、XistとラミンBの結合と、X染色体上のクロマチン変化の過程を詳しく比べている。
   実験の詳細を省いて、この研究から明らかになったシナリオをまとめると次のようになる。
1) Xistは転写されると、近くにある転写の低い場所をカバーし始める。
2) こうしてXistと結合したX染色体部分は、XistのラミンB結合により、核ラミナにアンカーされる。
3) これにより、X染色体を核内の転写の高い場所から隔離し、またその動きを制限する。
4) こうしてアンカーされた部位を中心に徐々に転写活性の高いX染色体部分も核ラミナに取り込まれ、Xistが転写されている部位の近くに引きずりこまれることで、Xistにより覆われる。
5) Xistに覆われた染色体では、クロマチンをoff型に変える分子と結合し、遺伝子転写を抑える。
   要するに、XistがラミンBに結合することで、核ラミナという場所を利用してX染色体を徐々にXistが作られている場所に寄せて、最終的に全体をXistで覆い、クロマチンをoff型にかえることでX染色体全体の遺伝子発現を抑えるというシナリオだ。
   これまでXistがX染色体全体に広がると言われても、実際どのように片方のX染色体だけに広がるのか疑問だったが、この点についてはよく理解できた。
カテゴリ:論文ウォッチ