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9月17日:非小細胞性肺がんの治療に標的薬を組み合わせる(9月号Nature Medicine掲載論文)
2015年9月17日
ガンのゲノムを調べて異常増殖に関わる遺伝子を見つけ、それを標的として薬剤で叩くことで高い治療効果を得ようとするのがガンの分子標的治療だ。その最も成功した例が慢性骨髄性白血病に対するイマチニブ治療で、薬剤を服用し続ければほとんどの例で白血病をコントロールすることができるようになっている。ただガン遺伝子が続々明らかになり、それに対する分子標的薬が開発されてわかってきたことは、分子標的薬は最初著しい効果を示すものの、多くの場合時間が経つとガンが耐性を獲得して再発することだ。したがって、間違いなく寿命を伸ばすことができるが、現在の標的薬だけでは完全に治すのが難しいことだ。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は非小細胞性肺腺ガンの治療耐性獲得機構を明らかにして根治治療法の開発を目指した研究でNature Medicine9月号に掲載された。タイトルは「Ras-MAPK dependence underlies a rational polytherapy strategy in EML4-ALK-positive ling cancer(EML4-ALK陽性の肺がんRas-MAPK依存性から帰結する標的薬併用治療)」だ。タイトルにあるEML4-ALK陽性肺ガンというのは、染色体転座によりできたキメラ遺伝子EML4-ALKが発ガンに関わっていることが、当時自治医大(現東大)の真野さんたちによって明らかにされた非小細胞性肺腺ガンだ。ファイザーにより開発されていたALKのリン酸化機能を抑制するクリゾチニブという分子標的薬が身体全体に転移していたガンをあっという間に縮小させるほどの効果を見て全員が分子標的薬の将来を確信した。しかし、治療を続けてわかったことは、ほとんどの例が薬剤耐性になること、また同じガン遺伝子を持っていても4割の患者さんには効果がほとんどないことがわかってきた。この研究ではまずクリゾチニブが抑制するEML4-ALKの下流でガンの増殖を駆動している3つのシグナル経路の内、どの経路がクリゾチニブ耐性になると再活性化されてくるかを調べ、多くのガンで活性化されるRas-MAPK経路の活性が上がっていることを発見する。次に、Ras-MAPKがEML4-ALKにより活性化されるメカニズムを調べ、1)ALKではなくEML領域でRas-MAPKが活性化されること、2)クリゾチニブ耐性ガンではRas遺伝子の増幅、あるいはこの経路のシグナルを抑制しているDUSP6脱リン酸化酵素の発現低下が見られることを明らかにした。すなわち、他のシグナル経路と比べた時、クリゾチニブではRas-MAPKが完全に抑制できないため、時間が経つとRas遺伝子が増幅や、DUSP6遺伝子の発現を低下させた耐性ガンが生まれてしまうというシナリオだ。もしそうなら、最初から先手を打って、クリゾチニブとともに、Ras-MAPK経路を抑制するMEK阻害剤を投与することで、全てのガンを殺すことができるのではないかと着想した。この仮説に基づき、マウスに肺ガンを移植して単独投与、2剤併用投与を比べると、クリゾチニブでは2ヶ月程度で耐性ガンが現れる一方、2剤併用では100日目でも全く再発がなかったという結果だ。MEK阻害剤はすでに臨床で使われており、この治療のヒトでの可能性の検証はすでに始まっていることだろう。期待が持てる。私にはこの研究はガン分子標的治療の新しい方法を示す画期的な研究に思える。これまで薬剤耐性ガンに対しては、耐性が出てから対応していた。しかしこの研究は、薬剤の標的分子の生化学を理解することで、耐性出現前に先回りして、耐性が起こりやすい経路を抑制することができることを示した。他の分子標的薬についても、同じ観点から再検討することで、分子標的薬を用いた根治が可能になると期待したい。
9月16日:PD-1はガン自身にも発現してガン増殖を促進している(9月10日号Cell掲載論文)
2015年9月16日
免疫反応を弱めるチェックポイントを標的にしてガン免疫を高め、ガンを治療する抗体薬が注目を集めている。リンパ球に発現して免疫反応を抑制する分子CTLA4やPD-1、あるいはそのリガンドに対する抗体を用いて、この抑制をブロックする治療法だ。従来の治療が全く効かなくなった末期のガンに効果を示し、人によってはガンが完治したことが示され、大きな期待が集まっている。先日ラスカー賞がAllison博士に与えられたのも、この治療法開発への貢献が認められてのことだ。また抗PD-1抗体は我が国の小野薬品独自の開発品であることから、久々にヒットが生まれたとメディアでも大きく取り上げている。ただ、私を含めてほとんどの人は、この治療はガンを直接標的にするのではなく、あくまでもガンに対するキラー細胞を標的にして、免疫反応を高めると思ってきた。今日紹介するハーバード大学からの論文はこの通説を覆し、少なくとも悪性黒色腫ではPD-1はガン細胞にも発現してガンの増殖を助けており、抗PD-1抗体はガンに直接効いて増殖を抑えることもあることを示した研究で9月10日号のCellに掲載された。タイトルはズバリ「Melanoma cell-intrinsic PD-1 receptor functions promote tumor growth (メラノーマ細胞自身が発現するPD-1機能は腫瘍の増殖を促進する)」だ。チェックポイント治療が始まってから、抗CTLA4抗体と抗PD-1抗体が同じ細胞を標的にしているはずなのに、効果に違いがあり、特にPD-1抗体の方がよく効くことが知られていた。あまり深く考えない研究者が多い中で、このグループは抗PD-1抗体が免疫チェックポイント以外に作用しているのではと考え、この抗体の効果が最もはっきりしているメラノーマでこの可能性を追求している。結果、メラノーマの多くはその集団の中にPD-1を発現する細胞を抱えていることに気がついた。次にメラノーマが発現するPD-1が腫瘍増殖に関わるか調べた結果、mTORというシグナル分子を介して細胞の増殖を促進していること、またPD-1を発現しているメラノーマほど腫瘍増殖性が高いことを明らかにした。そこで抗PD-1抗体がガンに直接効くかどうか、免疫反応が起こらないマウスにガンを移植して調べると、明確な効果が認められ、抗PD−1抗体が免疫反応を介さずにガン増殖を抑制できることを初めて示した。他にもいろいろ実験は行っているが、ガン自体がPD-1を発現し、同じガンが発現するPD-L1に刺激され、直接ガン増殖に関わる可能性があり、抗体治療の一部はこの経路も標的にしているというのが結論だ。今後、他のガンでもPD-1が発現していないか違う観点から調べることが重要だろう。特に、現在多くの治験が進んでおり、効いたケース、効かなかったケースが分類されているはずで、これらの症例についても新しい観点から見直すことが重要だろう。いずれにせよ、この治療にたいしてますます期待が高まる結果だ。しかし論文は面白いのだが、大きいはずのわが国の貢献について全く引用していない事に驚く。この分野は多くの会議が持たれているはずで、わが国の免疫や臨床の人たちはもっとプレゼンスを高める努力が必要だと思う。おそらく独自開発のヒット作の治験を外国に丸投げして、わが国臨床研究者が初期段階で外されてしまった結果ではないかと想像する。もしそうだとすると、私が現役の頃進められていた国際共同治験をリードできる機関の育成は全て失敗に終わったのだろうか。今新しい医学部を作る一方で、定員を削減するという方針が出されている。まさにこれは愚策の典型で、国際的に比較すると日本の医学部の規模は小さすぎる。ソウル大学病院は2500床を越し、北京大学に至っては9000床を越すのに、東大でようやく1300床のありさまだ。治験を始め臨床研究の事を考えると、大学は半分以下に減らして一つの規模を拡大するしか国際的に医学部の残る道はない。皆が小粒へ落ちていく道を用意する政策の罪は重い。
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9月15日:飛行中の急病に対する医師の心得(9月3日号The New England Journal of Medicine掲載総説論文)
2015年9月15日
The New England Journal of MedicineはThe Lancetと並ぶ医師向けのトップジャーナルで、医学生から臨床医、さらには医学研究者まで多くの読者を持っている。したがって、研究論文だけでなく、医師に必要な様々な知識が得られるよう編集が行われている。今日紹介するのは自分が搭乗している飛行機内で急病人が出たとき医師としてどうするのかについての心得をジョージタウン大学救急医学の先生に依頼した総説で、知っているようで知らない様々なことを学べるいい総説だ。タイトルは「In-flight medical emergencies during comm.ercial travel (商用旅行中の機内での急病)」だ。まだ医師として働いていた頃、一度呼びかけに応えて処置をしたことがある。そのときは私自身も倒れたくなるような悪天候で、「私も怖いですよ」と落ち着いてもらって過呼吸は収まり、ヤブ加減がばれずにことなきを得たが、訓練できていないと簡単な救急処置も不安だ。この総説ではまず法的な問題から始めている。アメリカでは医師免許を持っていても呼びかけに応じる法的義務はないが、欧州やオーストラリアは義務になっているようだ。もちろんアメリカでも職業倫理に基づいて呼びかけに応じる医師は多いが、そのときの医師の行為を守る法律があり、1)呼びかけに応じる義務はないこと、2)あくまでパイロットが最高責任者であり、緊急着陸などは医師が決めれないこと、3)適切な機器のない中での医療行為の結果は問われないこと、などが決まっているようだ。また、実際飛行機にはどのような医療器具が整っているかも書かれている。狭心症発作などには対応できるようになっているが、基本的にはバイタルを確保するためだけの機材しかないようだ。その上で、呼びかけに応じたら何をするかが書かれている。1)自己紹介。(今の私なら医師免許はあっても30年以上医師をしておらず何も知らないといったところか)、2)診察していいか聞く、3)医療キットを持ってくるように頼む、特に除細動器が必要な場合はそれが先、4)通訳をお願いする、5)病歴を聞く、6)わかった点だけについて処置する、7)手にあまると思えば緊急着陸をお願いする、8)必要なら地上医療スタッフと話し合う、9)記録を残す。私の場合、どれもできていなかったことに驚く。最後に、機内で出会う病気についての簡単な説明がある。まず心停止だが、出会う確率は0.3%と極めて稀だが、機内での死亡の86%を占めるようだ。この場合は蘇生しても、必ず緊急着陸を要請したほうがいい。同じく急性の冠動脈症状だが、これは多く8%で、多くは病歴がある。ニトログリセリンは常備されているが、心筋梗塞が疑われれば緊急着陸を要請すべき。脳血管発作は2%だが、飛行中は酸素吸入はできるだけ濃度を下げて行う必要があるようだ。一方、低血糖に対しては検査機器はないが、乗客に測定機器を持っている患者さんがいる場合もあるので聞いたほうがいいようだ。精神的なストレスによる様々な症状は多いが(私のd出会ったのもこれだが)精神安定剤などは常備されていない。予想外なのは、低気圧やストレスで失神する率がなんと37%に達することだ。これを知っておけば、まず横になって落ち着かせるところから冷静に始めることもできるだろう。あと多いのは当然外傷で、銃創などはないので対応は難しくないとのことだ。現役の医師の皆さんにとっては必読総説だろう。医療を受ける側も、ある程度この程度のことを知っておくことで、手当てを受けるときに不安は軽減されるのではないだろうか。しかし同じような法律は我が国にもあるのだろうか。今はおそらく呼ばれても出て行かないと思うが、欧州だと行かないことも罪、誤診してしまっても罪(この点は実際には資料がない)なら、厚労省に医師免許返上を申請したほうが良さそうだ。しかしこの返上も可能だろうか?
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9月14日 アルツハイマーの原因になるアミロイドβは感染する?(9月10日号Nature掲載論文)
2015年9月14日
クロイツフェルドヤコブ病という名前は聞きなれないかもしれないが、狂牛病と同じ異常プリオン蛋白により脳細胞が変性する恐ろしい病気だ。狂牛病の動物を食べることで感染したことがはっきりしている場合をBSE,それ以外の原因、あるいは遺伝性の場合をクロイツフェルトヤコブ病(CJD)と呼んでいる。もっとも痛ましいのが、医原性のCJDで、中でも死亡した人の脳をプールしてそこから抽出した成長ホルモン投与を受けた小人症の患者さんに発症するCJDだ。この構図はヒト血漿から精製した凝固剤にエイズウイルスが混入して医原性のエイズを発症したのと同じだ。この下垂体抽出成長ホルモン治療は1959年から1985年まで行われ、現在まで世界中で1848人の患者さんが報告されている。ただ、CJDは発症まで20年以上の時間があるため、ピークは過ぎたが現在も発症が続いている。今日紹介する英国国立神経病院からの論文は医原性のCJDで亡くなった患者さんの脳にはβアミロイドタンパクが凝集した老人斑が高率に見られることを報告した重要な研究で9月10日号のNatureに掲載された。タイトルは「Evidence for human transmission of amyloidβ pathology and cerebral amyloid angiopathy(アミロイドβによる病理変化やアミロイド血管症は人から人へうつる)」だ。この論文は研究というより、症例報告だ。この病気で亡くなった患者さん8例のうち4例に強いアミロイドβの蓄積が見られたというのが結果の全てだ。このアミロイドβの蓄積は老人斑と呼ばれアルツハイマー病の一つの病理的特徴だ。なぜこれがCJDで見られるのか追及している。まず、アミロイドβの蓄積は医原性のCJDだけで見られ、他の原因によるCJDでは見られない。また、もう一つのアルツハイマー病の特徴タウ蛋白の重合繊維化病変は見られない。この結果から、このアミロイドβは人間の脳から抽出した成長ホルモンに紛れ込んでおり、そこから感染したことが強く疑われる。成長ホルモンは下垂体を集めて精製する。そこで、アルツハイマー病の解剖例の下垂体を調べると、アミロイドβの蓄積が強く見られる。以上の結果から、アミロイドβは注射により人から人へ伝播し、プリオンのように脳内で正常なアミロイド蛋白の構造を変化させることで増殖し、蓄積し、神経死を誘導すると結論している。病気としてはCJDがより激烈なので、アルツハイマー病は問題にならないのかもしれないが、同じ治療を受けた患者さんの中にはアミロイドβだけに感染した人もいると予想される。今後、範囲をCJDが発症していない患者さんにも広げて研究が行われるだろう。ただ、アルツハイマー病のメカニズムを知る上で、アミロイドβにヒトでも感染性があるが、タウ蛋白は伝播しなかったという発見は重要に思える。動物実験でもアミロイドβは神経から神経へと伝播し増殖することが示唆されていた。この貴重な発見から、医原性のCJDという不幸な歴史が、アルツハイマー病治療法の開発へと進むことを期待したい。
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9月13日:FGFとうつ病:意外な組み合わせ
2015年9月13日
私にとっては意外な組み合わせに思えたがうつ病にFGFを始めとする増殖因子が関わっていることが注目されているらしい。例えば発生学では頻繁に使われるFGF2がうつ病患者さんで低下しており、抗うつ剤の治療により正常化するらしい。今日紹介するミシガン大学からの研究はうつ状態を誘導するFGFの話で、「Fibroblast growth factor 9 is a novel modulator of negative affect (FGF9は新しい情動の抑制作用分子だ)」をタイトルに惹かれて読んでみた。論文は米国アカデミー紀要のオンライン版に掲載された。うつ病で低下するFGF2などと比較したとき、FGF9が逆の振る舞いをする点に興味を持ったようだ。まず脳バンクから死亡したうつ病患者さんから脳組織を集め、海馬での発現量を調べると予想通りうつ病患者さんでは3割程度発現量が上がっている。人間での研究はここまでで、あとはストレスにさらすことで誘導したラットのうつ病モデルを使って、1)うつ状態が誘導されるとFGF9が上昇すること、2)脳内にFGF9を注入するとうつ状態に似た症状を示すこと、3)レンチウイルスを用いるsiRNAによるFGF9ノックダウンによりうつ状態を改善できること、4)このウイルスは主にニューロンに感染しており、効果はグリア細胞ではなくニューロンを介している、と結論している。ただ、紹介しておいて申し訳ないが、雑な3段論法を多用して結論を導く悪い論文の典型に思える。まずせめてこれまでFGF2と関わることが知られる抗鬱剤投与との相関を調べてほしかった。また、ニューロンが原因細胞であることを、1)レンチウイルスでFGF9を抑制できること、2)それによりうつ状態が改善すること、3)ウイルス感染が認められる細胞はニューロンが多いことを組み合わせて結論している論理はあまりにも雑な印象を受けた。この論文は著者自身がコミュニケーションしており、厳しい査読は受けていないのだろう。7月に投稿して8月に受理されている。米国アカデミー紀要と言ってもこういう場合は、「意見論文」とタッグをつけて欲しいと思う。論文の査読の重要性を理解することができる。うつ病はほとんどの先進国で深刻な問題になっている。もしFGFのように緩やかな時間スケールで働く分子標的が見つかれば、治療への糸口がえられること間違いない。だからこそ、厳密な研究が必要なことを研究に携わる人は肝に銘じるべきだと思う。昨日紹介した論文に興奮しただけに、この落差には驚く。
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9月12日:iPSを用いてヒトとサルの顔の違いを探る(9月24日号Cell掲載論文)
2015年9月12日
山中さんがヒトiPSの論文を出した次の年、2008年に私はNature Review Molecular Cell Biologyの編集者に頼まれ、米国にある若年性糖尿病財団の職員と一緒に「The promise of human induced pluripotent stem cells for research and therapy(ヒトiPSが約束する研究と治療の可能性)」というタイトルの原稿を執筆した。その時iPSが約束する分野として、現在日本でも重点が置かれている再生医療、病気のメカニズム、創薬に加えて、人間の発生学を挙げておいた。発生学を挙げたのはiPS技術が発生学を始め他の分野の研究者の想像力をかきたて、私たちには思いつかない若々しい研究が生まれることを期待したからだ。山中さんが大事だと言うからそれだけが重点化されるようでは、研究者の多様性を狭めるだけで未来はない。技術が自発的に新しい層を巻き込めるよう考えることが助成にとって最も重要だと考え、患者さんの団体と共同で執筆した論文の中に、あえて発生学を加えておいた。そのつもりでJSTのさきがけの総括も引き受けた。しかし今日紹介するスタンフォード大学からの論文のようなダイナミックな研究が行われる兆しは我が国には生まれていないのではと思う(もし間違いなら是非連絡してほしい)。タイトルは「Enhancer divergence and cis-regulatory evolution in human and chimp neural crest (ヒトとチンパンジーの神経堤細胞で働くエンハンサーの多様化とシス調節の進化)」だ。
この研究の目的はサルの顔とヒトの顔の違いをゲノムから明らかにすることだ。そしてその延長として、一人一人顔のかたちが違うゲノムの背景について明らかにすることだ。発生学で言えば、最も難しい小さな差を相手にしようとしている。さらに、これまでタブーとされている顔をデザインできるかという問題にも踏み込んでいる。最初から読者を引き込み、ドキドキさせる論文だ。この手始めに、ヒトとチンパンジーからiPSを作成し、そこから次に顔の骨や筋肉に分化する神経堤細胞を試験管内で誘導している。iPSが約束した最も重要なことは、同じ種類の細胞を大量に調整できることだ。このおかげで、十分な細胞数がないとできない全ゲノムレベルのエピジェネティックスが可能になる。この研究ではチンパンジーとヒトの神経堤細胞で働いているエンハンサーを、ヒストンの修飾を指標にリストし、その中からヒトとチンパンジーに差が見られる部分を選んで、様々な解析を行っている。まさにiPSが可能にする研究だ。膨大なデータなので詳細は全て省くが、久々に興奮して読んだ。例えばサルとヒトで違いのあるエンハンサー部分をマウスに導入して発現を比べると確かに大きな差があること、また違いが生まれる原因の多くはL1トランスポゾンが関わっていること、さらには特に両方の種で大きな差が生まれるcoordinatorと呼ぶ領域があり、レトロトランスポゾンの挿入で進化的にも新しい顔の形の違いを決める違いが特定できそうなこと、そして人型のcoordinatorはデニソーバ人やネアンデルタール人も持っていることなどは特に面白かった。もちろんこの結果から形の予想ができるわけではないが、発生学や人類学で最も重要な問題の糸口を示したという点では画期的ではないかと思う。さらに、人間の間に見られる多様性もこの方法で明らかになりつつあり、その中には顔の奇形やあるいは造作と関連するSNPがオーバーラップしていることが示されている。この点でも、将来人間の顔の違いをゲノムから想像するための重要な一歩になるだろう。今や何万人もの全ゲノム解析が進みつつあり、顔写真も手に入るだろう。さらに、iPSの作成を行いエンハンサーの変異を調べることもできるだろう。犯罪に残されたゲノムから、顔のモンタージュを作るのも絵空事ではなくなりそうだ。もう少し詳しく説明する機会を設けたいと思う論文だった。著者を見ても、発生学者、遺伝学者、人類学者、そして幹細胞研究者が名を連ねており、iPSを軸に様々な分野が集まっているのがわかる。この研究ダイナミズムがなぜ我が国で生まれないのか?ドキドキして論文を読んだ後は落ち込んでしまった。
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9月11日:腸内細菌叢検出技術の進展(9月7日号Science掲載論文)
2015年9月11日
腸内だけでなく、体の各部、あるいは生活空間に存在する細菌叢を調べる研究が大きく広がっている。この研究が急拡大した一つの理由は言うまでもなく次世代シークエンサーが普及し、これまでのように細菌を培養せずに細菌の種類を特定できるようになったことだ。この研究のおかげで、体の各部の細菌叢がもう一人の自己として健康に関わっていることが明らかになり、自分の細胞のゲノムだけが自分を代表するとするこれまでの考えが大きく変化することになった。技術的に見ると、最初は特定の遺伝子のみ増幅して細菌の種類を決める方法から、増幅しないで遺伝子を捕捉して調べる方法、そして全ゲノムを調べる方法など、より実態を反映する検査法へとシフトしている。もちろんこのシフトも、DNA配列解読にかかるコストが今も下がり続けているという背景がある。今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、ゲノム解析データからそれぞれの細菌の増殖状態が調べられないか検討した研究で9月7日号のScienceに掲載された。タイトルは「Growth dynamics of gut microbiota in health and disease inferred from single metagenomic sample (一回のメタゲノムサンプルから健康時や疾患時の腸内細菌叢の増殖動態を推定する)」だ。これまで腸内の各細菌種の増殖を調べるというと、違う時間でサンプリングし、それぞれの細菌種の増減を調べて推定していた。しかし、多くの細菌の増殖サイクルは早く、サンプリングの間に何が起こったのか、増殖が落ちたのか、あるいは細菌が死んでしまったのか、など区別することは難しかった。この研究では、ほとんどの細菌のDNA合成が特定の合成開始点から双方向に読まれるという事実を使って、その時の細菌の増殖状態を調べられるのではと着想した。すなわち、細菌の全ゲノムの複製は、まず開始点から始まり、一定の時間をかけて完成する。したがって、一つの細菌の集団のゲノムを調べた時、増殖が盛んな集団では、この開始点近くの領域のDNAが多く存在することになる。開始点近くの配列が出現する頻度と、そこから離れた場所の出現頻度を比べることで、増殖動態がわかるという原理だ。同じようなアイデアはすでに酵母や人間の細胞でも使われているので着想自体は新しくない。ただ細菌は私たちと違って開始点が一つしかないので、計算は楽だ。この研究ではこの着想が実際に可能であることを、試験管内、動物実験、そして人間の腸内細菌で確認している。原理的にはわかっても、このためにはこれまでの何倍ものシークエンス解読が必要ではないかと心配したが、実際には開始点がわかっておれば、これまで程度の深さで配列決定することで十分正確な測定が可能であることも示している。次に、技術的な様々な問題をしっかり解決した上で、様々な病気を持つ患者さんの細菌叢内の各種細菌の動態を調べ、これまでのように細菌の種類の比率を調べるだけではわからなかった2型糖尿病との関連する指標として使えることを示している。実際、食事の内容を変化させると、様々な細菌が急速に増殖に入ることや、あるいはこの指標が上昇するすぐ後で実際の細菌数が増えることなども示されており、今後有望な検査になると思う。おそらくこれまでの特定の遺伝子を増幅する方法は、増幅しないで配列を決める方法に置き換えられるだろう。そうなると、インフォマティックスに強い研究者の出番になる。我が国でも、オリジナルなソフトの開発を進めることができる若手がもっと参加できるよう体制を考える必要があると思う。
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9月10日:生態学の使命(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
2015年9月10日
今バイオマスで換算すると、人間・ペット・家畜は地球上の哺乳類全体の98%以上を占めるらしいが、ともかく地球の隅々まで人間が変えていることは間違いない。この状況を大きく戻す方向に舵を切ることはほぼ不可能に近いが、それでもこの状態を100%になるまで拡大していいとは誰も思わない。進行を遅らせるなり、少しは巻き戻すなりできればいいと考えるが、そのためには状況の正確な分析が必要だ。8月23日このホームページで人間の狩猟や釣りの様式が、野生の捕食の様式といかに違い、それが生態に大きく影響しているかを調べたScienceの論文を紹介したが、生態学が人間を含む動物圏全体を対象とする社会学であることがわかる。今日紹介するエール大学からの論文も生態学を人間の影響で評価しようとする論文で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Suburbanization, estrogen contamination and sex ratio in wild amphibian populations (郊外化とエストロゲン汚染の両生類の性比への影響)」だ。農薬や洗剤による土壌や水の汚染による影響のひとつに、排水に含まれるいわゆる環境ホルモンによって動物の性比が変化し、結果繁殖率が低下、最終的に絶滅に至る過程がある。これまでも様々な研究が行われてきたが、ほとんどが工業化などの大規模な開発の影響が中心だった。しかし、我が国のような国土の狭い国に限らず、ほとんどの国で住宅開発により、やはり環境は大きく変化している。著者らは郊外に住宅が進出することにより近隣の池など水辺がどのように変化するかを、カエルの性比と、水に含まれるエストロゲン作用を持つ環境ホルモンの分析により評価しようとしている。対象として住宅のまったくない森と、住宅が進出し、芝生などの植栽が植えられた地域を選び比較している。もちろん工場や農場などの大規模開発は行われていない地域が選ばれている。結果は予想通りで、住宅としての使用比率に比例してメスのカエルが増える。さらに、下水システムや家庭での水処理の仕方に応じて、池に流れ込むエストロゲン効果を持つ環境ホルモンの種類は異なるが、カエルの性比への影響は同じであることが明らかになった。すなわち、人間が住むことで、汚染の様態が極めて複雑化しているが、下水処理の方法に関わらず性比に影響が見られるのは、芝生など住宅に伴う栽培植物の影響が大きいと結論している。もちろん、疑われた化学物質の実際の効果については実験的に検証されたわけではなく、心配しすぎ、科学的エビデンスではないと反論される可能性は高い。しかし、同じことは我が国のゴルフ場が周りの環境に及ぼす影響として一時議論されたことがある。芝生も見た目はのどかに見えるが、やはり見ての通り多様性の欠如を象徴化している。さてどうするかだが、この研究では何も議論されていない。せっかく郊外に住むなら、自然の植物と暮らそうというのが結論だろう。この研究で調べられた被害者はカエルだが、実際には同じ影響は人間にも及ぶ。神戸大学の先生から聞いた話だが、今私たちの血液中の代謝物を調べようとしても、様々な化合物のピークに邪魔されて測定が難しいそうだ。戦後生まれの各世代の人口動態調査からこのことを思い知る時がすぐ来るような気がする。
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9月9日:本態性血小板増多症のテロメラーゼ阻害剤による治療(9月3日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
2015年9月9日
アメリカの成功した創薬ベンチャーは、それぞれ科学的業績の面で得意分野を持っており、その基盤の上に創薬が進められている。この意味で、ジェロン社は、細胞老化研究といえば誰もがジェロンを思い浮かべることができるほど老化研究で有名だ。特に、細胞が分裂を繰り返すとき染色体の断端(テロメア)が短くなり老化するのを防いでいる酵素、テロメラーゼの研究に強く、Imetelstatと呼ばれるテロメラーゼ阻害剤を開発している。この阻害剤はテロメラーゼの活性に必要な小さなRNAに相補的配列を持つオリゴヌクレオチドを脂肪鎖で修飾した分子で、テロメラーゼがテロメアと結合するのを阻害する。血液の研究に関わった側から見ると、テロメラーゼを抑制すると長期的には多くの幹細胞に異常が出るのではと危惧する。実際臨床応用への道のりは厳しかったようで、2010年頃は株価もどん底で低迷していたようだ。2014年に入ってようやく骨髄線維症に対する臨床治験が進み始め、会社も一息というところだろう。今日紹介するスイスベルン大学からの論文もジェロンには追い風になる研究で9月3日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Telomerase inhibitor imetelstat in patients with essential thrombocythemia (本態性血小板増多症患者のテロメラーゼ阻害剤Imetelstatによる治療)」だ。本態性血小板増多症は血中の血小板が60万を越えるとき(普通は40万まで)つけられる病名で、これまで原因がよくわかっていなかったため本態性と呼ばれているが、現在では遺伝子検査が進み、ほとんどのケースでJAK2, MPL,Calreticulinのいずれかの遺伝子に突然変異が見つかることがわかっている。このグループは、血小板を作る幹細胞にテロメラーゼを導入すると血小板増多症になり、患者さんの細胞増殖をImetelstatが抑えることを試験管内で確認していたようだ。今回、この前臨床試験を実際の患者さんで確かめる第2相試験を行っている。他の治療で血小板が減らない患者さん18人を選んで週1回Imetelstat投与を行い、血小板を減らすことができるか調べている。結果は上々で、16人の患者さんでは血小板が数週間で正常に戻っている。ただ、投与を止めると血小板は上昇してくるようで、2週間に一回程度の投与を行うと、血小板を正常レベルに維持できるという結果だ。実際、JAK2突然変異を持つ元の細胞の数を調べると、治療に反応して80%まで低下するが、完全に除去することはできないようだ。これだと、血小板を正常に維持するため、ずっとImetelstatの投与が必要になる。心配された貧血などの副作用は概ね軽度だが、2人についてはやはり強い貧血で輸血を行っている。ただこれも対応可能で、最も多く見られた副作用は疲労感だったと結論している。これらの結果から、おそらくこの治療は次の段階へ進むだろう。本当に薬になるのだろうかという懸念を克服し、骨髄線維症と、血小板増多症には効果がありそうだと期待されるようになった。創薬はあらゆる常識を克服してダイナミックに進むことを実感する。ただこの薬剤のメカニズムから考えると、全てのテロメアを阻害することは間違いなく、長期間の投与の影響は間違いなく懸念される。ただ、不謹慎とは思いつつも、幹細胞研究者としてはどんな長期的影響があるのか見てみたいという気持ちが起こってくるのも確かだ。今後を見守りたいと思っている薬の一つだ。
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9月8日:ガン抑制遺伝子p53の2面性(Natureオンライン版掲載論文)
2015年9月8日
p53分子は最も有名なガン抑制遺伝子で、多くのガンでこの遺伝子の欠損や突然変異が見つかっている。恥ずかしいことに、私自身は欠損も突然変異も、結局はp53のガン抑制機能の欠損につながるだけだと理解していた。しかし実際には研究が進んでいて、点突然変異を持つ分子のいくつかは、ガン抑制機能が失われるだけでなく、ガン増殖を促進する新たな性質を持つことが徐々に明らかになっていたようだ。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は点突然変異を持つp53が獲得した新しい性質についての研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Gain of function p53 mutants co-opt chromatin pathways to drive cancer growth (p53分子の機能獲得型突然変異はクロマチンを変化させてガンの増殖を駆動する)」だ。突然変異が起こった後でも、もちろんp53は転写因子として働いているはずだという考えのもと、この研究では突然変異型p53を発現しているガン細胞株を選び、p53分子が結合している部位を全ゲノムにわたって調べている。この結果、調べた全てのタイプの突然変異によりp53はETS2転写因子と相互作用する性質を獲得し、またその結合する部位はETS分子の結合部位と重複することを見つけている。次に、突然変異型p53の結合する遺伝子を調べると、正常p53の結合の見られない様々なクロマチン調節分子をコードする遺伝子に結合することを見出した。この中には、MLL1やMLL2のようなヒストンをメチル化する分子やMOZのようなヒストンアセチル化に関わる酵素が含まれていた。そこで、p53突然変異により実際にクロマチン構造が変化しているかどうか調べると、突然変異型p53の発現を抑えるとMLLやMOZなどの分子の発現も低下し、ゲノム全体に渡ってH3ヒストンの9番目のリジンのアセチル化が上昇し、また4番目のリジンのメチル化が上昇することを確認している。このクロマチンパターンは、p53の突然変異により多くの遺伝子の発現が異常に上昇することを示しており、実際ホメオボックス遺伝子をモデルに、遺伝子発現が上昇していることを示している。次に、このクロマチンの構造変化がガンの増殖に関わるのか、ガンで上昇しているMLL1の発現を抑えると、ガンの増殖が低下することを明らかにしている。この結果は、p53突然変異をもつガン細胞の増殖にヒストンのアセチル化やメチル化を抑制する薬剤がこのタイプのガンに効く可能性を示唆している。これを確認するため、最後にMLL1の機能を阻害する薬剤をp53突然変異をもつガン細胞に加えると、ガンの増殖が抑制できることを示している。したがって、突然変異型p53をもつガンの新しい標的としてMLL1などクロマチン調節分子を使うことができるという結論だ。もちろんこのような薬剤は、ガン特異的薬剤というわけではなく、正常の機能も抑制されるため副作用はあると思われる。しかし、メカニズムの違う新しい標的の発見は新たな治療可能性に繋がる。P53変異を十把一絡げに扱わず、正確に突然変異を調べるまさにプレシジョンメディシンの重要性を実感する研究だ。
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