1月15日:筋肉幹細胞の維持とオートファジー(1月7日号Nature掲載論文)
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1月15日:筋肉幹細胞の維持とオートファジー(1月7日号Nature掲載論文)

2016年1月15日
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  オートファジーは現在東工大におられる大隅さんたちが発見された現象で、古くなったたんぱく質、オルガネラなどを凝集させ、リソゾームで溶かしてしまう一連の過程を指し、酵母から人間まで進化的に保存されている細胞の基本的メカニズムだ。論文を見ていると、多くの病気でその関連が示されているが、最近は特にガン治療分野の研究がホットな印象がある。今日紹介するバルセロナ・ポンペウ・ファルバ大学からの論文は、幹細胞の老化を防いでいるのがこのオートファジーであることを示す研究で1月7日号のNatureに掲載されている。タイトルは「Autophagy maintains stemness by preventing senescence(オートファジーは老化を防いで幹細胞性を維持している)」だ。
  もともとこのグループは静止期にある筋肉幹細胞ではオートファジーが盛んに進んでいることを突き止めといた。この研究では、老化に伴う急速な筋肉の減少、すなわち幹細胞の消失にオートファジーが関わっているかどうか研究している。まず老化マウスから筋肉幹細胞を取り出してオートファジー活性を調べると、予想通り低下している。そこでオートファジーを高める遺伝子を幹細胞に過剰発現させると、老化による幹細胞活性低下を防げることを突き止めた。すなわち、オートファジーが幹細胞維持のための一義的な役割を演じているという結果だ。これをさらに確かめるため、同じ遺伝子を今度は若いマウスの幹細胞でノックアウトすると、1ヶ月で筋肉幹細胞が消失する。
  次に、オートファジー活性の低下による幹細胞活性低下のメカニズムを検討し、ミトコンドリアの新陳代謝がうまく進まないため、活性酸素が上昇し、細胞の老化を誘導していることを示している。この状態は、INK4aを回復することで正常化できることから、活性酸素によりINK4aが抑えられることが筋肉幹細胞の老化の主要な原因ではないかと結論している。最後に、マウスで見られたこの現象がヒトの筋肉幹細胞でも見られるかどうかを高齢者の筋肉で確かめ、オルガネラや古くなったたんぱく質の除去がうまく進んでいないことを示している。
  これらの結果は、オートファジーの低下が老化による結果ではなく、筋肉細胞の老化を防ぐ主要なメカニズムであることを意味するが、もしこれが正しければ、オートファジーを増強し、INK4aの転写を活性化できる薬剤は老化を防止できることになる。実際、この研究では細胞内の酸化還元状態に作用するラパマイシンやトロロックスで筋肉幹細胞活性を回復させられることを示しており、老化による筋肉の消失もいつか防げるのではと期待をもたせて終わっている。
 一見すると納得する論文だが、オートファジーがあまりにも基本的な細胞メカニズムであることを考えると、要するに新陳代謝が悪いと老化すると言っているのにすぎない気もする。一方、今薬剤耐性のガンを殺すためオートファジー阻害剤を使おうとする試みが進んでいるが、副作用として正常幹細胞の消失は覚悟する必要があることも理解できた。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月14日:ゲノム医学の教育(1月11日アメリカ医師会雑誌掲載意見論文)

2016年1月14日
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   昨日の日本経済新聞に、国立がんセンター中央病院が遺伝子診療部門を開設し、ガンの遺伝子検査を日常診療に取り入れることを発表したことが報道されていた(http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKKASDG12HAH_S6A110C1CR8000)。日経としては新しい一歩として報道したと思うが、論文から読み取れる世界の動向から判断する限り、日本を代表する病院がこのありさまかと、世界とのギャップを浮き彫りにする記事になっている。ガンについて言えば、たんぱく質に翻訳される遺伝子配列を調べるエクソーム検査が当たり前になり、先端の病院では全ゲノム解析も始まっていることを考えると、ようやく日本最大の病院で始まったという記事は、日本はおそらく5年以上の遅れがあることを示している。一方で、検査自体はどんどん安くなっている。我が国ではシークエンサーを購入して自分で配列決定をすることから始めるのが普通のようだが、今やアメリカの国家基準で定められたCLIA基準を満たすエクソーム配列決定は3万円程度に下がっている。すなわち、我が国のどの病院でも、お金さえあればすぐ導入できる検査なのだ。この状況を受けて、アメリカはさらに一歩先に進もうとしている。今日紹介するペンシルバニア大学からの報告は、医学部1年生に解剖実習と並行してゲノム医学を教えるというプログラムで1月11日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Integrating cadaver exome sequencing into a first-year medical student curriculum (医学部一年生のカリキュラムに解剖用の御遺体のエクソーム配列決定を統合する)」だ。
  確かに、技術が進み、ゲノム検査が当たり前になっても、医師のゲノム教育が追いついていないのが現状だ。これをどれだけ迅速に達成するか、これがアメリカの重要な課題になっている。幸いアメリカではPatient Portalなど、自分の医療データを個人が持ち運べるシステムが出来上がりつつあり(もちろん保険にもよるが)、生涯教育の一環としてゲノム医学を学ぶ必要は理解され始めている。これと並行し、ゲノム医学に精通した将来の医師を育てる必要がある。シークエンシングが安価になったことから、学生さん一人一人のエクソームや全ゲノムを読んで、具体的にゲノム解析に慣れてもらうという可能性も検討されているようだが、どうしてもプライバシーが含まれる情報を教育に使っていいのかというハードルがある。そこでペンシルバニア大学では、医学教育スタート時に、自分の担当する解剖の御遺体のDNAを採取、そのエクソームを業者に解析してもらって、医学教育に活かすというアイデアを検討しているようだ。問題は防腐処理を施した御遺体からDNAが採取できるかだが、これも解決済みのようだ。これが可能になると、解剖しながら、髪の色、皮膚の色、様々な体の形質、そして多くの御遺体が持っている病気を、解剖を通して学びながら、常にゲノム情報と対応させて考えることができる。当然、そのためにはゲノムデータベースをどう使うかなども学ぶことになる。学生自身のゲノムデータでは若いこともあり、病気との関連は難しいが、御遺体の多くは年齢も高く、何らかの病気もある。実際私が学生時代受け持った御遺体は膵頭部のガンで、身体中に転移があった。その意味では、さらに進んでガンのエクソームも可能かもしれない。このレポートでは、さらにゲノムにまつわる倫理もこれにより理解できるとまで踏み込んでいる。
  エクソーム検査が3万円なら、もちろんやる気になれば、我が国も導入することは簡単なことだ。しかし教える教師がいるのかと考えると、お先真っ暗になる。一旦遅れが始まると、ますます拡大再生産され、気がついたら我が国はゲノム後進国になっているだろう。今行動が必要だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月13日:p53ガン抑制遺伝子の異常を矯正する(1月11日号Cancer Cell掲載論文)

2016年1月13日
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  ガンの発生には細胞の増殖を促進するドライバーと呼ばれる変異が必要だが、私たちの細胞は増殖しすぎないよう、増殖が促進するとそれを止めたり、あるいは増殖しすぎる細胞を死に追いやる安全機構を備えている。この安全機構を担うのがガン抑制遺伝子で、ガンではこの安全機構が突然変異で壊れていることが多い。
  もっとも多くのガンで壊れているのが見つかっているガン抑制遺伝子はp53で、この機能を取り戻すことでガンを治療できるのではと期待されている。今日紹介するUCLAからの論文は突然変異で機能を失ったp53を矯正して働かせる薬剤開発の可能性を追求した研究で1月11日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「A designed inhibitor of p53 aggregation rescue p53 tumor suppression in ovarian carcinoma (p53の重合を抑制するようデザインした阻害剤は卵巣癌でのガン抑制機能を回復させる)」だ。
  この研究では、卵巣癌で見られるp53突然変異の多くが機能を失うのは、p53が細胞質で沈殿してしまい、核へ移行が阻害されるため機能できないからだとする仮定に基づき、沈殿に至るp53の重合を阻害する分子をデザインして、変異p53を核内移行させることで突然変異を持っていてもガン抑制機能を発揮させられないか調べている。p53の構造に基づいて、重合を媒介するポケットに入るペプチドを設計し、このペプチドの中から沈殿阻害効果が高いペプチドをまず選んでいる。次に、このペプチドに細胞内に取り込まれるためのポリアルギニンを融合させてp53突然変異を持つガンと培養すると、ReACp53と名付けたペプチド薬剤は細胞に取り込まれ、沈殿を減らし、ガンの増殖を抑制することを示している。細胞レベルで効果のメカニズムを調べると、細胞死の誘導、細胞周期の停止、遺伝子発現などから確かにReACp53投与でp53の機能が回復していることを確認している。最後に、このReACp53を卵巣癌を移植したマウスに投与すると、p53突然変異を持つガンだけに抑制効果がみられる。さらに、卵巣癌末期のもっとも重大な問題、ガン性腹水モデルを作成しReACp53を投与すると、完全ではないものの腹水中のガン細胞の多くが細胞死に陥り、症状が改善することを確認している。   この研究の鍵は、突然変異型のp53の一部の機能を、分子重合阻害で回復できると狙いをつけたことで、その意味で今回の結果は期待通りだ。今後、悪性度の高い卵巣癌の治療の新しい治療法として発展できると思う。卵巣癌は内分泌系臓器の腫瘍の中ではもっとも悪性で、新しい治療がずっと求められている。P53というもっともメージャーな標的に手がついたということは、本当に嬉しい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月12日:古寄生虫学(Parasitologyオンライン版掲載総説)

2016年1月12日
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歴史を病気の観点から眺めることで、新しい解釈が可能になる。この点では清潔好きで有名なローマ帝国は、その優れた公衆衛生政策で世界制覇を成し遂げたと考えられている。例えば、安全な飲み水を確保するための水道、床暖房、浴場、下水道、そして水洗便所などがローマ帝国拡大とともに各都市に広がったとすると、十分うなずける。私が無知だからかもしれないが、確かにローマ帝国の疫病の話はあまり聞いたことがない。今日紹介するケンブリッジ大学の考古学者ミッチェルさんの総説は、疫病ではなく、寄生虫の話で、ローマの衛生施設は人々を寄生虫から守っていたかどうかを考察している。タイトルは「Human parasites in the Roman World: health consequences of conquering an empire (ローマ世界の寄生虫感染:帝国に広がる寄生虫の健康被害)」だ。タイトルからも分かる通り、ローマ帝国も寄生虫には手こずっていたことを考証した、楽しめる総説だ。   まず古代の寄生虫の広がりをどう調べるのか詳しく述べている。細菌とちがって、まず寄生虫の場合卵、場合によっては寄生虫自体も残っている。これからゲノムを調べて種を同定することも行われているようだ。詳細は省くが、要するに最新のテクノロジーを使ってどの寄生虫が存在したかの研究が行われている。驚くことに、安定なたんぱく質を使ったELISA法まで動員されている。考古学が考えているだけの学問でないことがよくわかった。   次に、ローマ帝国以前とローマ帝国を比べ、寄生虫感染が減少したかどうかを検証している。驚くのは新石器時代ぐらいまでだとヒトに感染した寄生虫が発見されていることだ。論文リストも添えられているが、実際多くの論文が書かれている。問題の結論だが、遺物にみられる寄生虫の広がりから考えると、ローマ帝国に入って間違いなく寄生虫感染は増えている。   もちろん不潔な暗黒の中世と比べると、同じ都市でもローマの方がずっとましだ。従って、全く衛生施設が役に立たないというわけではないが、しかし現代並みの施設でなぜ寄生虫が増えたのかは確かに面白い課題だ。   ではローマではどのような寄生虫が存在したのか。結論としては、ジストマを除くほとんどの寄生虫、回虫、条虫、鞭虫、蟯虫、吸虫とほとんどが発見されている。さらに、ノミやシラミも退治できていなかったようだ。例えば片方の歯が密になっているクシはシラミを取るため考案されたようだ。   最後に、なぜローマの衛生施設は寄生虫に無力だったのか考察している。まず、水洗便所の汚物も集められ、一部は発酵させずに肥料に利用されていたようだ。そのため、経口感染する回虫などの感染を防ぐことは難しかったようだ。面白いのはローマ人には魚を食べて感染する裂頭条虫が広く蔓延していた。生の魚を食べる習慣が原因とも考えられるが、ローマ人が愛した魚醤が原因ではないかと考察している。実際我が家にもコラトゥーラが一本あるが、これが原因とは恐ろしい。他にもミイラに発見された本来は動物に感染する吸虫の話など面白い話が満載だが、寄生虫を追求することでペットとの関係まで理解できるのは素晴らしい。   最後にサナダ虫の話も出てくる。ただ、ローマ人はサナダ虫は自然に体の中で湧いてくるとして(と、ガレヌスが書いているようだ)気にしていなかったらしい。確かに、腸の中で自然発生すると考えれば、防ぎようがないと諦められる。そして、医学自体もヒポクラテスの体液説に基づく治療が中心だったようで、漢方で使われた海人藻やマクニンのような海藻由来の薬物はなかったようで、寄生虫には太刀打ちできそうもない。しかし、余談になるが、海人藻やマクニンは私の小学時代は学校で飲まされた。その後回虫などが無くなったのは水洗便所かと思っていたが、水洗のローマで蔓延していたのなら、結局は農業に人工肥料しか使わなくなったためだろう。  歴史読み物としても面白いが、実際には今の疾病構造を考える意味でも重要なヒントがあると思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月11日:網膜内での光刺激の一次処理(Nature オンライン版掲載論文)

2016年1月11日
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  「網膜で光を感じる時、視細胞への光刺激が神経パルスに変えられ、双極細胞を経由して網膜表面にびっしりと並んだ網膜ガングリオン細胞(RGC)に伝わり、これが脳内の一次視覚野に投射される。」と習ってはいるものの、今日紹介するドイツ・チュービンゲン大学からの論文を読むまで、私自身網膜は結局感覚器で、RGCの刺激を脳に伝える電線のように捉えてしまっていた。この論文を読んで、網膜は立派な情報処理機構を備えた中枢神経システムであることがよく理解できた。専門外とはいえ、肝心な基礎知識が欠落していたことを思うと冷や汗が出る。
   論文のタイトルは「The functional diversity of retinal ganglion cells in the mouse (マウス網膜のガングリオン細胞の機能的多様性)」だ。この論文を読むとよく理解できるが、視細胞、双極細胞とつないできたシグナルは、一度このRGCで処理されて視覚野に送られる。この処理は、視覚情報の異なる要素(例えば色、on/off、動き等に対する異なる反応特性を持つRGCを別々に用意しておくことで行われるのではと考えられてきた。この研究では実際何種類の異なる処理機能を持つRGCが必要かを調べ、少なくとも32種類の別々の機能を持つRGCが特定できることを示している。
  この研究では、カルシウムセンサーで個別の神経の興奮を記録できるようにした網膜を生きたまま切り出して培養し、顕微鏡の視野内の全てのRGCの様々な刺激に対する興奮を記録している。刺激として、全視野に対する光のオンオフ、色、光の動き、バイナリーノイズを加え、それぞれにどう反応するかを全て記録して、機能的特性を分類する。その後で、組織染色等でそれぞれのRGCの細胞学的特性を調べ、機能と形態の関係が対応できるようにした研究だ。実に1万を超す細胞を記録した労作だが、ビッグデータをまとめて扱うことができれば特に難しい方法ではないだろう。それでも、1万もの細胞を調べつくすというのは大変で、この労を厭わない積み重ねがこの論文の売りと言える。
  詳細は全て省くが、結論はRGCをそれぞれの刺激に対する反応が異なる32種類に分類でき(おそらくそれ以上の機能的多様性がある)、機能と細胞学的特性を一定程度関連させることができるという結果だ。また、それぞれの機能を持つ細胞の比率、一つの刺激に対して連携して異なるシグナルを出す細胞のセットも同定できる。すなわち、一つの光刺激に存在する異なる要素が、統合された別々の神経興奮として複数のチャンネルに分解されていることもわかる。一部の分子マーカーについては実験も行っているが、細胞の分子発現と機能が相関させられると、今度は特定のRGCだけを操作して刺激に対する反応を調べることが可能になることも示している。今後32種類の細胞一つ一つについて検討が行われるだろう。   読んでいて、この労作は研究の終わりでも、中間報告でもなく、さらに大変な今後の研究の入り口でしかないことがわかる。実際には、視細胞の興奮、双極細胞の興奮、RGCとの結合など、全てを同時に、しかも区別して記録するまで研究は進むだろう。感覚は極めて主観的なものだが、このような研究の積み重ねが、主観と客観の超えがたい区別を切り崩していくのだろう。そんな難しいことを考えなくとも、おそらく、コンピューターの画像認識を研究している人たちは想像力をかきたてられていることだろう。アップルコンピュータは自社のディスプレーをレティナと名付けているが、網膜の素晴らしさを考えると、到底レティナには到達できていないと思う。
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1月10日:miRNAによるガン治療の新展開(Nature Material オンライン版掲載論文)

2016年1月10日
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  研究者は誰でも、いい仕事が完成すればこの雑誌に投稿したいという雑誌があり、実際に論文を読む時も、そのような雑誌から読み始める。即ち、どの雑誌を読み、どの雑誌に投稿するかで、それぞれの分野が決まってしまう。こうなると、なかなか全体を俯瞰的に見渡すということは難しくなる。このため、いろんなミーティングに出て、違った専門の人と付き合い、耳学問に頼るようになる。ただ、現役を完全に退くと、耳学問はできなくなる。幸い時間は生まれるので、生命科学全体を俯瞰的に見て様々なアドバイスができるよう、現役を退いてからはできるだけ広い範囲の論文を読むようにしている。とはいえ、メージャーな雑誌は直接目を通すが、臨床基礎を問わず分野の専門誌の一冊一冊まで当たるのは難しい。たとえNature XXXとブランドネームが付いていても、さすがにNature Materialsまで目を通していては、やりたいことも出来なくなり全ての公職を退いた意味がなくなる。
  これを補ってくれるのが私の場合ScienceNewsline(http://www.sciencenewsline.com)というウェッブサイトで、医学、生物学から物理学まで、各セクション1日40−50程度の論文が紹介されてくる。これに目を通すことで、ほとんど手に取ることのない極めて専門性の高い論文をキャッチすることができる。このおかげで、1日50−70編程度のタイトルに目を通し、5−10編をある程度詳しく読み、1編を紹介する仕事もだいたい3時間あれば十分で、自分のやりたいことにゆっくり取り組む時間は十分ある。面白いことに、このタイトルに目を通す時、特に惹きつけられるのは、いわゆる「ピンとこない」タイトルが多い。
   今日紹介するマサチューセッツ工科大学がNature Materialに発表した論文のタイトル「Self-assembled RNA triple helix hydrogel scaffold for microRNA modulation in the tumor microenvironment (ガン周囲のマイクロRNAによるガン抑制のための自己集合性RNA3重鎖とハイドロゲル基質)」もその類だ。まずNature MaterialでもマイクロRNAの研究があるのかと目を留めるが、あとは日本語にしてもわかりにくい。ただ読み進むと、ガン生物学、細胞生物学、核酸科学、材料学などが統合されたしっかりした仕事であることがわかる。
  マイクロRNAを使ってガンを制圧する試みは数多くあるが、分解されやすいRNAをどうガンに取り込ませるかが一番難しい課題になっている。この研究では、乳がんの増殖を抑制することがわかっているmiR205とそのアンチセンス鎖、そして腫瘍の増殖を助けるmiR-221を阻害する一本鎖RNAを混合する時に自発的に形成される3重鎖RNAを、まずデンドロマート呼ばれるマトリックスに吸着させ、さらにデキストランを加えた巨大複合体を形成させると、ほぼ100%の細胞に取り込まれて、計画した通りに細胞内で効果を発揮できることを示している。この研究では、材料科学だけでなく、こうして作った3重鎖が細胞内の処理機構に認識され、マイクロRNAができること。あるいは、細胞への取り込みが、デンドリマーが通常取り込まれるエンドサイトーシスではなく、RNAが吸着することでピノサイトーシスに変わることなど、しっかりとした細胞生物学的検討が行われている。広い範囲の分野をしっかりこなした力作だ。  
  最後にマウスに移植した乳がんモデルで、移植したガンの周りにこのゲルを挿入することで、乳がんの増殖が著明に抑制できると結論している。生存曲線を見ていると、RNAが組織からなくなると急にガンが再発するようで、完全に殺すのは難しそうだが、価格が安ければなかなか有望な治療になるように思える。ガンだけでなく、特に試験管内でマイクロRNAを使う仕事にとって、かなり有力な武器になるのではないだろうか。  しかし、まず読むことのないNature Materialに隠れたいい論文に出会えるのもScienceNewsLineのおかげだ。年初にあたって感謝したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月9日:木を見て森を見ず:大事なのは木か森か?(1月6日号British Medical Journal掲載意見論文)

2016年1月9日
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  木を見て森を見ずというが、おそらくこれは一本一本の木について注意を払わなくてもいいという意味ではなく、個別にとらわれると全体を見失う心配があることを諭す警句だろう。しかし、この問題は医学にとって永遠の問題になっている。即ち、個別の症例や経験を大事にすることと、多くの対象を統計的に扱う疫学研究はともすると反目し合う。例を挙げると、一部の患者さんに高い効果を示す薬も、統計学的に生存期間を比べると効果がほとんど見られない場合も多い。
  今日紹介するOregon Health and Science UniversityとIcahn School of Medicine at Mt Sinaiの医師とジャーナリストが共同で出した意見論文は、少し異なる個別と全体の問題を問うた論文で、1月6日号のBritish Medical Journalに掲載された。タイトルは「Why cancer screening has never been shown to “save lives” – and what we can do about it(どうしてガン集団検診は未だかって生命を救ったという証拠がないのか、これに対して私たちは何ができるか)」だ。
  しかし挑発的なタイトルだ。Wakefield論文の告発やタミルフ治験研究の告発からわかるようにBritish Medical Journalは反骨精神旺盛の雑誌で、常識と思われることに挑戦する論文や意見を大事にする編集方針を持っているようだ。私自身が集団検診についての論文を読むとき、肺ガンの集団検診だと、肺ガンの死亡率がどれだけ減ったのかに注目しても、他の原因で死亡したケースは頭の中から除外して考えるのが普通だ。しかしこの論文は、ガン検診でそのガンの死亡率が減少しても、その減少が全体の死亡率に影響しないと意味がないのと考えた。そこで、これまで発表されたガン集団検診の効果を調べた論文を、ガンの発見率や、ガンによる死亡率だけでなく、それ以外の病気も含めた死亡率全体を減少させる効果の観点から再検討している。
  結果はタイトルにあるとおりで、確かにガンの集団検診は、対象となるガンの死亡率を下げる効果があるが、参加者全体の死亡率には全く影響ないか、逆に増えている場合がある。なぜ対象となったガンの死亡率は減っているのに、全体の死亡率は減らないのか?これはガンの死亡率が減った分だけ、他の病気の死亡率が増えていることを意味している。即ち、検診を受けることが、健康に逆効果になっているのではと疑問を投げかけている。
  具体的には、検診で陽性と出ても偽陽性で、実際にはガンは発見できないことは多いが、このときの精密検査による事故、あるいは心配することでストレスが高まり他の疾患を併発してしまうこと、最悪の場合は自殺に至る場合もあると指摘している。
  もし本当に全体の死亡率がガン検診で減少していないなら、確かに真剣に考える必要がある警告だ。この問題を決着させるために、著者らは400万人規模の研究を国が行い、方針をはっきり定めるべきだとしている。同じ研究を検診大国日本で行えるかどうかわからない。ただ、これまでの検診についての論文を再検討してみることはできるだろう。是非調べて欲しいと思う。
  さて、この論文を知った上で、自分はどう判断するかだが、ガンの発見率が確実に高いなら、やはり来年も人間ドックに行こうと思う。
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1月8日:自由意志とリベットの実験(12月14日号米国アカデミー紀要掲載論文)

2016年1月8日
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2004年の京都賞。思想・芸術部門はドイツのユルゲン・ハーバーマスが受賞した。京都賞では授賞式に合せて講演会やワークショップが行われる。このワークショップにハーバーマスから生命科学者も参加させて欲しいという要望があったらしく、選考委員長だった三島憲一さんから参加を依頼された。学生時代読んだ「イデオロギーとしての技術と科学」には感銘を受けていたので握手できるだけでも十分とお承けした。この本が印象深かったので、最初科学技術についてのテーマかなと思っていたが、後にハーバーマスが選んだタイトルが「自由と決定論—自由意思は幻想か?」で、その中でリベットの実験についても議論したいということで科学者の参加を希望したことがわかった。だとすると、脳科学者の出番で、自分の出る幕ではないと思ったが、もう後の祭り。「イデオロギーとしての生命科学」というタイトルでなんとか話をしたが、冷や汗をかいた。しかし、「自分の意思で行動しようと決心する前から脳の中では準備が始まっている」とするリベットの実験が、哲学の人にもこれほど真剣に捉えられていることは新鮮な驚きだった。今日紹介するドイツシャリテ医大からの論文はやはりリベットの実験を下敷きにした研究で、ドイツでこのテーマが重視されていることがわかる。タイトルは「The point of no return in vetoing self-initiated movements (自由意志で始めた行動を中断できる分岐点)」だ。
リベットの実験は、客観的記録として脳電位を測定する間に、被験者に手をあげさせ、手を動かそうと思いついた時にボタンを押してもらい、主観的行動の開始時点を決めるというプロトコルで行われる。行動を起こす決心をしてボタンを押した0.3秒前から脳で準備電位が記録できるという結果から、自由意志より先に脳が動くと大騒ぎになった。その後も、この実験自体は追試されてきたようで、実験自体は正しいと考えられている。
  この研究では自分の意思に先行しておこる準備電位が発生すると、もう行動まで後戻りできないのか、あるいは準備電位が発生した後も自分の意志でその行動を止められるかという実験を行っている。実験では、開始のシグナルの後、2−3秒待ってから好きな時にボタンを押してもらう。この時脳波を記録すると、ボタンを押すより0.5秒前から準備電位を記録することができる。次に、この時赤のランプを見るとボタンを押すのをやめるよう訓練する。そして、この赤のランプを、準備電位の記録とシンクロさせて点灯させるようにして、準備電位が始まって彼でもボタンを押す行動を止められるか調べている。準備電位を記録するということは、行動が決断されたことを示しており、もし準備電位が行動を完全に決めるなら赤ランプを見ても行動は止められないはずだ。一方、準備電位とシンクロした赤ランプを見てボタンを押すのを止めることができれば、準備電位は行動を完全に決めてはいないと結論できる。詳細は全て省くが、結果は準備電位が記録されてすぐに赤ランプが点灯すれば行動を止めることができるようだ。
  リベットの実験と同じで、様々な解釈ができる結果で、最初の実験から30年以上たった今もドイツでは喧々諤々議論されているのかもしれない。ただ、主観と客観の2元論の克服が21世紀の課題の一つだとすると、この実験系も捨てたものではない。
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1月7日:発がんの遺伝性を調べるコホート研究に見るヨーロッパ医学の伝統(1月5日発行アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2016年1月7日
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「親戚にガンにかかった人が多いので、私にはガン体質がある」という話をしばしば聞く。個人ゲノムの解読が進むことで、このガン体質の本体が徐々に明らかになっているが、実際に各個人のゲノムが発がんにどの程度寄与しているのかを調べるためには、ガンの発生率を近親者間で比べる必要がある。このような研究の究極が双子研究で、ゲノムがほぼ一致している一卵性双生児から、2卵性同性、2卵性異性と順番に遺伝的違いが大きくなる。さらに都合のいいことに、双生児の多くは同じ環境で育てられ、環境要因を揃えて計算することができる。ただ難点は、十分な母数を得ることで、多くの国が大規模な双生児のコホート集団を設定している。
  今日紹介するハーバード大学からの論文は北欧4カ国の双生児コホート集団を用いてガンの発生率を調べた研究で、1月5日発行のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Familial risk and heritability of cancer among twins in Nordic countries (北欧諸国の双生児のガン発生の遺伝的リスクと遺伝性)」だ。世界各国で双生児コホート研究は続けられており、同じような研究はこれまでも行われてきたはずだ。ただ、今回の研究の驚くべき点は、なんと1870年から双生児の正確な登録が存在し追跡できることだ。この研究で使われた記録は、デンマーク1870年、フィンランド1875年、スウェーデンで1886年、そしてノルウェーでは1915年から記載が始まっている。1868年が明治元年だから、明治時代から正確な出生記録が残っていることになる。更に重要なのは、この4カ国で正確なガン登録が行われてきたことで、この2種類のデータがセットになって初めて、この研究が可能になっている。ようやく全国的ガン登録が始まった我が国を考えると、ヨーロッパと我が国の近代に対する考えの大きなギャップを知ることができる。いずれにせよこの整備された登録のおかげで、北欧4カ国で一卵性双生児8万組、2卵生双生児(同性)12万組を追跡することが可能になっている。
  結果はこれまでと同じで、ガン体質は確かにあるという結論だ。生涯をとおしてガンにかかる率は北欧で32%だが、片方がガンにかかった双生児の場合は2卵生で37%、一卵性で46%と高くなる。同じガンにかかる率は、ガンによってまちまちで、双生児間で一致率がはっきり高い、頻度の高いガンは前立腺がん、乳がんで、肺がん、皮膚ガン、直腸癌などは遺伝性は認めるが弱いという結果になっている。頻度の低いガンの中で睾丸腫瘍と悪性黒色腫は特に双生児の一致率が高い。一方、同じ環境で育った双生児については環境要因を計算することが可能で、予想通り肺ガンでの環境の寄与は大きいという結果だ。
  全ての北欧諸国が同じかどうかわからないが、スウェーデンでは拒否を前もって表明しない限り、死後の組織を医療や研究に利用できるようになっている。とすると、今後ゲノムも含めさらに詳しい検討が行われるだろう。21世紀、様々なレベルの人間についての情報を統合する試みが進むと考えられ、その意味でコホート研究はゲノム研究とセットになると思っている。この時、人間を記録するコホート研究についてのヨーロッパの長い伝統は大きな財産になるだろう。事実、医療統計学の母はナイチンゲール、父はケトレー(ケトレー指数:BMIの提唱)だと私は思っているが、ナイチンゲールが統計学を駆使したクリミア戦争は1854年、ケトレーの有名な著作が1835年の話だ。コホート研究を目にすると、この伝統を思い起こさざるをえない。
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1月6日CRISPR/Cas9を用いた筋ジストロフィーの遺伝子治療(Scienceオンライン版掲載論文)

2016年1月6日
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昨年のノーベル賞はCRISPR/Cas9を用いた遺伝子編集法の開発に与えられるのではと予言し外れたが、今年も同じ予言を続ける。それほどこのテクノロジーは生命科学全領域に広がっている。最も期待されている分野が遺伝子治療分野への応用で、この方法のおかげで患者さん自身の遺伝子の機能を回復させる治療がより現実に近くなった。これを裏付けるように、今年最初にScienceにアップデートされてきた論文の中に、筋ジストロフィーモデルマウスを、CRISPR/Cas9を用いて治療することが可能であることを示す論文が2編見つかった。一編はデューク大学、もう一編はハーバード大学からの論文だ。両方共ほぼ同じ内容なので、ここではデユーク大学からの論文だけを紹介しておく。タイトルは「In vivo genome editing improves muscle function in a mouse model of Duchenne muscular dystrophy (デュシャンヌ型筋ジストロフィー・モデルマウスの筋肉機能を遺伝子編集を用いて改善する)」だ。筋ジストロフィーはX染色体にあるディストロフィン遺伝子の突然変異で、正常なたんぱく質が形成されないために、筋肉細胞が進行的に変性する。ディストロフィンは巨大な分子で79個のエクソンからなる遺伝子によってコードされている。ほとんどの患者さんは男性で(伴性遺伝)、新生児期から遺伝子診断が可能で、突然変異を持つX染色体が1本しかないため、遺伝子編集技術を使う格好の対象だ。さらに多くの突然変異でたんぱく質の翻訳が途中で止まって機能のない分子ができるが、変異のあるエクソン自体を完全に取り除いた遺伝子からできるディストロフィンも機能を持っていることがわかっている。すなわち、分子の場所によっては少々欠損しても問題ない。この論文では、マウスディストロフィンの23番目のエクソンに突然変異を持つモデルマウスを用いて、この23番目のエクソンを全て切り出してしまって治療が可能かが検討している。研究では、CRISPR/Cas9と22、23番目のイントロン配列に対応する2種類のガイドRNAを別々のアデノウイルスベクターに組み込んで、この混合物を局所、腹腔、静脈ルートに注射し、どのぐらいの効率で機能的遺伝子を復活させられるかを調べている。結果は明快で、うまくいくと60%以上の筋肉細胞の遺伝子の機能を回復させられる。特に、新生児期に腹腔注射することで、生命に関わる横隔膜筋のジストロフィン機能を回復させられるし、静脈注射で心臓のディストロフィンも回復できる。さらにハーバード大学からの論文では、筋肉の自己再生に関わる筋肉幹細胞もこの方法でディストロフィンの機能を回復させることができ、長期にわたって筋肉機能回復が期待できることも示されている。予想されていたとはいえ画期的な結果だと思う。   エクソンを除くという今回の方法で治療可能な筋ジストロフィーは50%以上に達すると考えられ、臨床応用が加速すること間違いない。次は、突然変異を完全に元に戻す方法の開発が進むだろう。生殖細胞改変については議論の多いこの技術だが、多くの患者さんを救う技術であることも明らかだ。期待して見守ろう。
カテゴリ:論文ウォッチ