2020年3月17日
SARS,MERSに関する論文を紹介してきたが、今日紹介する米国化学学会が主導で専門家を集めて発表した総説は、新型コロナの治療法開発を展望するために、SARSやMERS も含めた開発研究の現状分析で、かなり新しい話まで網羅しており、役に立つ総説だと思う。タイトルは「Research and Development on Therapeutic Agents and Vaccines for COVID-19 and Related Human Coronavirus Diseases(Covid-19と関連するヒトコロナウイルス疾患に対する治療法とワクチンの研究開発状況)」だ。
現在新型コロナウイルス感染は拡大の一途を辿っており、ヨーロッパの状況を見るとその感染力の高さに目をみはるが、一方でこれを大きなチャンスと捉えて、ビジネスと割り切って行われる研究も急速に増えている。実際出版される論文の数は毎週大きく増加し、1月から現在まで500を超えた。最初は、ゲノム、臨床例についての報告が圧倒的に多いが、すでに紹介したように創薬につながる基礎研究も増えてきた。このスピードには圧倒されると同時に、将来への希望を感じる。
この総説はこれらの論文から明らかになったことを、公開特許出願との関連で紹介しているのが特徴で、治療手段を開発するためにはこのような目配りが必要になるのだろう。
化合物の探索。
ウイルスに対する根本的な治療は、抗ウイルス薬と免疫になる。抗ウイルス薬の標的としては、ウイルスタンパク質の成熟に必要なペプチダーゼ3CLpro と PLproに対する阻害剤で、SARS,MERSに対し開発されたLopinavirやritonavirがこれに相当し、新型コロナにも使われている。
また、RNA依存性RNA ポリメラーゼ阻害剤としてレムデシビルやリパビリン、そして我が国で騒がれているアビガンもこれにあたる。新型コロナに対する治験結果も4月には出てくるだろう。
もう一つ重要な標的は、ウイルスの感染経路だが、スパイクタンパク質とその受容体、ウイルス粒子の融合に関わるTMPRSS2などに対する薬剤がすでに存在する。これらについては表2にまとめられているので、そのまま掲載する。
他には、ホスト細胞側のリソゾームの状態を変化させるクロロキンなども治験が進んでいる。
驚くのは、すでに薬剤が開発できているこれらの標的に対する化合物特許が他にも数多く存在することで、例えばプロテアーゼなどは多くのウイルス共通に効果がある可能性があるため、2000を超す化合物が特定されている。
このような中から、薬剤として開発が進んでいる化合物も増加している。
この表を見ると、我が国もシオノギ、小野、そして京大萩原さんが創業したキノファーマなど、ちょっと斜めから攻めているユニークな薬剤開発が行われており、期待したい。
生物製剤
炎症や免疫系に対する薬剤や、ワクチンが含まれる。新型コロナにも適応されるパテントで見ると、ワクチンが363、抗体薬99、RNA薬35、そしてサイトカイン療法が22種類も存在する。
驚くことに、SARSやMERSに対する抗体薬もすでに開発されており、ほとんどはスパイクに対する抗体だ。このうち新型コロナと交差反応するものはすぐにも使えるだろう。エボラの治験でも最も効果が見られたのは抗体薬だ。
これ以外にアクテムラなどの炎症性サイトカインを抑える抗体が、サイトカインストームを抑えるために治験されている。最近公開されたものでは炎症性ケモカインIP-10に結合する抗体薬なども注目されている。
ウイルス自体はインターフェロンなど自然免疫で抑えることができるので、インターフェロンを中心に様々な治験が進んでいる。全部紹介するのは大変なので、掲載の表をカットアンドペーストしておく。
肝炎ウイルスなどに対して抑制性RNAが使われるようになってきた。この分野も期待が持てるし、一昨日動物実験でこの手法を使った治療実験を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/12590
)。また実際多様な方法が開発されているが、今回は割愛する。
ワクチン
反ワクチン主義者のトランプも、今回ばかりはワクチンの開発を心待ちにしていることと思う。ワクチンは当然ウイルス粒子そのもの、あるいは粒子を形成するタンパク質を抗原として使う。すでにSARS.MERSの準備があるため、ウイルス粒子を抗原とするワクチンでも、同じラインで作れる可能性が高い。もちろん安全性などから考えると、スパイクなど部分タンパク質を抗原にするワクチンが開発されており、GSKと中国のベンチャー企業のワクチンは治験に近い。
抗ウイルス免疫にCD8T細胞が重要であることがわかっており、これは蛋白抗原では誘導できない。そのため、DNAワクチンやRNA ワクチンも開発が進んでいる。RNAについてはすでに米国で治験が始まっている。
現在特許として現れるのは、SARS,MERSに対するワクチンだが、どのようなタイプのワクチン開発が進んでいるのか、特許から調べた図を再掲する。
例えば精製タンパク質を使うワクチンだけでも100以上のパテントが存在し、おそらくこれらは新型コロナとも重なるだろう。おそらく全世界の人が心待ちにしているワクチンは、想像を絶するビジネスチャンスと言っていい。もちろん、一発で全て解決というわけにはいかないと思うが、とりあえず重症者の数を減らして、最後は一発で全て解決というワクチンに置き換わればいい。
以上で紹介を終わるが、新しい治療法やワクチン開発の可能性が高いことがわかり、安心できるレポートだ。一方で、世界中が消費収縮におののいているとき、ここに大きな消費機会を求めて壮烈な競争が繰り広げられていることもよくわかった。
2020年3月16日
新型コロナウイルスについて理解するとき、やはり強い肺炎を引き起こすことが知られているSARSやMERSなどのコロナウイルスについて知っておくことは重要だが、両方とも我が国では流行が起こらなかったため、専門家を除くと知識が欠けていることは確かだ。幸いThe Lancetのオンライン版にMERSについての総説が発表されたので、自分の頭の整理を兼ねて今日はこの総説を下敷きにMERSについてまとめておく。
ウイルス学
30-31Kbの大きなRNAウイルス。すでに名前から分かるように、新しいコロナウイルスはSARSの仲間として分類され、これらと比べるとMERSウイルスは少し遠縁になる。
最も面白いのは、スパイクがSARS と異なりDPP-4に結合する点だ 。ただ、違うと言ってもDPP-4はSARSスパイクが結合するACE2と同じ膜型エンドペプチダーゼだ。スパイクの結合にエンドペプチダーゼが必要なのか不思議だ。またインシュリン分泌に関わるインクレチンを標的にしている点でも、ACE2がアンギオテンシンIを対象にしているのと似ている点もあり、治療標的として期待されるスパイクの進化を考える意味で面白い。
疫学
ラクダがウイルスのキャリアーで、その結果中東に流行が限られている。ただ、人から人への感染があり、ラクダからを一次感染、人から人へを二次感染と呼んでいる。二次感染症例は大体50%。
この結果、人から人への多くは医療施設で多発する。韓国での流行も、中東からの帰国者が入院した施設から始まっている。すなわち、感染クラスターの重要性は全てのコロナ感染症共通だ。例えば韓国で起きた中東帰国者からの流行では、16の医療施設を巻き込んだ5人のスーパースプレッダーに由来することが突き止められている。
病理
信仰上の理由から報告された剖検例は2例しかない。ウイルス粒子は肺だけでなく腎臓などからも検出されるが、呼吸器のみで病理変化が認められる。基本は、出血性壊死性肺炎で、肺胞への浸出がつよい。動物モデルがあるので、期待できる。
免疫反応
免疫反応はウイルス防御と炎症誘導という諸刃の剣。
すなわち、抗原特異的免疫反応と自然免疫がうまくバランスされて初めて防御が成立する。
MERS の場合まずCD8T細胞が、その後CD4T細胞と抗体反応が続き、2−3週間で免疫反応が見られる。回復が早い場合は、抗体反応も一過性だが、重傷者では長く続く。一方、CD8T細胞反応は重症度にかかわらず長く続く。
SARSでは面白い現象として自然免疫が感染後長く続くと、抗体の産生が遅れ重症化する(これは新型コロナでも重要な点のように思える)。しかし、MERSではこのようなケースは見られない。 かわりに、MERSはT細胞に感染し、サイトカイン反応も抑えられる代わりにウイルスへの反応も低下する 。この差は、SARSとMERS で重症化機構が少し違う可能性を示唆して面白い。
感想だが、重症化の引き金を理解する意味でもsingle cell transcriptomics を用いた研究が大活躍すると思う。
臨床像
潜伏期間5−7日だが、免疫能力が低い高齢者などではもっと長い潜伏期間があり得る(ちょっと不思議な現象で、最初のウイルス増殖に免疫が役立っているのだろうか?)。
新型コロナと違い、無症状は5割以下。症状は熱、悪寒、こわばり、頭痛、空咳、喉の痛み、関節痛、筋肉痛などのあと呼吸困難。新型コロナと違い、消化器症状も多い。
高齢者や基礎疾患のある場合重症化し、ウイルス感染が遷延する。一方、子供の感染は少ない。
個人的印象では、X線所見は新型コロナとかなりよく似ている。
ウイルス診断。
MERSもSARSも最終診断はウイルス感染の証明だが、DPP-4の分布などからわかっているのは、スワブのような上部の検査だけでなく、痰に存在するウイルス検査が確定診断には必要な場合が多い。
検査自体は通常のPCRから、35分で終わる温度を変えないアイソサーマル検査、そして抗体検査まで全て開発されており、これが新型コロナ検査にも生かされている。
治療
現在新型コロナウイルスについて利用されているほとんどの治療方法はすでに試されている。
トリアージだが、56歳以上、高熱、血小板減少、リンパ球減少、CRP2mg/dL以上、痰中のウイルス濃度が高い場合は入院治療。残りはは自宅隔離。
抗ウイルス剤は、インターフェロンも含めて使われているが、科学的治験は現在進行中。おそらく、今回の新型コロナについては患者数も多いことからはっきりした結果が出てくると期待される。一般抗生剤は全く効果がない。また、新型コロナと同じで、ステロイド全身投与もあまり効果がない。
回復患者さんの血清療法は、ウイルスに対する抗体価が1/80以上の血清は確かに効果がある。また、すでにウイルスに対するモノクローナル抗体が開発され 、治験中。エボラの経験からも、これは期待できる。
新型コロナ感染で我が国でも効果が示されている体外式人工肺(ECMO)は対症療法としては最も効果がある。
ワクチン
様々なワクチンが開発中だが、多くはスパイクとDPP4の結合を標的にしている。
以上、新型コロナと共通点が多く、学ぶところは多い。ただ、違いも確かにあり、ここからも多くのヒントが得られると思う。研究の第一線では、当然MERS の経験は織り込み済みと思うが、ニュースを判断する意味でもMERSで何がわかって、また何が行われているかを知ることは参考になる。
2020年3月15日
CRISPR研究史を見れば、微生物に学ぶところが多いことがわかる。ところが、ウイルスや微生物学について多くの生物学者は意外と学んでいない。私のブログでもCRISPRや細菌叢の話題を除くと取り上げる回数は少ない。これは結局私自身の感染症の知識が乏しいことを示しており、新型コロナ感染を機会に少し勉強してみようと思っている。
以前エボラウイルスが持つ自然免疫から自己を守るメカニズムが、他のサイトカイン誘導にブレーキがかからない状態を作ってあのような激烈な症状をきたすことを紹介した( https://aasj.jp/news/watch/2023 )。SARSや新型コロナの肺病変も同じように一種のサイトカインストームによる強い炎症反応のせいだと思われるが、それぞれのウイルスは自然免疫から自分を守る個別のメカニズムを備えているはずで、このような研究分野は、治療法開発という意味では、時間はかかっても重要だ。
今日紹介するスペイン国立生物技術研究所からの論文はSARSウイルスについてそのようなメカニズムの一端を捉えた研究で、ウイルスの自己防御機能の多様性を実感することができた。タイトルは「SARS-CoV-Encoded Small RNAs Contribute to Infection-Associated Lung Pathology (SARSウイルスは感染した肺病変に関わるsmall RNAをコードしている)」だ。
私たちの細胞機能はsmall RNAと呼ばれる様々なRNAにより調節されているが、ウイルスも同じメカニズムを用いて細胞の持つ防御機能をかいくぐっていることが知られている。この研究では、まずSARSウイルス特異的に合成されるsmall RNAをSARSに感染したマウス肺上皮細胞(マウスにも感染できるSARSウイルスが開発されている)が発現しているsmall RNA配列を網羅的に調べ、3種類のウイルスゲノムにマッチするsmall RNAの特定に成功している。
これらsmall
RNA(svRNA)は、複製酵素とN遺伝子と呼ばれる領域に由来し、ウイルスゲノムと同じでセンスRNAであることがわかった。また、ホスト自体のsRNAを作るメカニズムにはほとんど依存しておらず、ウイルス感染により、ウイルスの持つ機構を使って合成される。
複製酵素やN遺伝子の転写や機能についてみると、svRNAは全く影響していない。しかし、svRNAに対応するアンチセンスRNAを持つmRNAの機能を抑えることができる。すなわちmiRNAと同じような働きを持っている。
残念ながらメカニズムについての研究はここまでで、このsvRNAがホスト側のどの分子に対応しているか特定されていない。代わりに、svRNAを抑制することのできる抑制性RNAを設計し、これを経鼻的に投与、その後SARSを感染させると、ウイルスの増殖だけでなく、炎症性サイトカインの分泌を抑えることに成功している。
おそらく、svRNAはホストから自身を守る一つのメカニズムと思われるが、今大事なことは新型コロナウイルスにも同じようなsvRNAが存在するのか、だとしたらホストのどの分子が標的かを大至急調べることだろう。SARSも新型コロナも肺病変の出現の理解が治療法開発に必須になる。幸いSARSに極めて近いという点から、SARS研究の蓄積は心強い。
明日はMERSについての総説を紹介する。
2020年3月14日
成熟後もいくつかの系列に分化できる幹細胞は存在しており、その分化決定については長年研究が続いている。分化決定が全くランダムに起こる場合もあるが、系列によっては精密に分化の方向性が調節されており、中でもよく研究されているのは昨年度ノーベル賞が授与された低酸素による分化スイッチだ。
今日紹介するベルギー・ルーヴェン大学からの論文は低酸素だけでなく低脂肪によって軟骨への分化が促進されることを示した面白い論文で3月5月号のNatureに掲載された。タイトルは「Lipid availability determines fate of skeletal progenitor cells via SOX9(脂肪の利用可能性が骨格系幹細胞の軟骨への分化を決定する)」だ。
この研究のハイライトは、移植した骨への血管侵入を人工膜で阻害した時、骨芽細胞への分化が抑制され、軟骨への分化が促進されるという、職人的な実験だ。もともと軟骨は血管が少ない組織で、おそらくこの現象は低酸素と関係していると最初は考えていたと思う。しかし、いろいろ検討しているうちに、なんと脂肪の供給がなくなると軟骨への分化が起こることを、細胞株を用いた研究で突き止める。この結果は、軟骨と骨細胞を比べた時、軟骨細胞では脂肪酸の活性が低くもっぱら糖代謝によりエネルギーを生産するのに、骨細胞では脂肪代謝への依存性が高いこととも一致する。
以上の結果から、組織形成時血管新生の抑えられた状況では血管から脂肪の供給が減り軟骨分化のマスター遺伝子Sox9が誘導され、軟骨へ分化決定が起こるということがわかった。
次に、なぜ脂肪が得られないとSox9が誘導されるのかについて追求し、脂肪酸の供給が切れると細胞内の脂肪酸を燃やして対応するが、その時ミトコンドリアで脂肪を利用するために、脂肪を蓄積している脂肪滴と細胞質の脂肪の動きを変化させるため、オートファジーシステムのスイッチが入る。この一種のストレス反応がSox9を誘導する可能性を示唆している。
最後に脂肪供給を止めた時に上昇してくる遺伝子の調節領域から、FOXO分子の誘導が脂肪代謝に対するストレスによって最初におこり、これがSox9を誘導するというシナリオを完成させている。
残念ながら、細胞内に貯蔵された脂肪を利用するストレス反応がFOXO誘導につながるのか明らかになってはいないが、脂肪が利用できないというストレスが軟骨への分化を誘導しているという発見は、意外だが説得力のある面白い話だと思う。今後、軟骨肉腫の研究、あるいは硬骨魚の進化などに関しても重要なヒントが生まれるかもしれない。
2020年3月13日
腸内細菌叢と免疫系の相互作用に酪酸、酢酸、プロピオン酸などの短鎖脂肪酸が関わっていることがわかってきた。すなわち、短鎖脂肪酸が多く合成されると、抑制性T細胞を選択的に増やしてアレルギーを抑えることができる。ただ、すべての短鎖脂肪酸が同じように働くわけではない。例えば糖代謝についてみると、酪酸はインシュリン感受性を改善させるが、プロピオン酸は糖尿病発症と相関することが知られている(https://aasj.jp/news/watch/10105 )。
今日紹介するドイツ・ルール大学からの論文は自己免疫病の一つ多発性硬化症の進行がプロピオン酸で抑えられることをヒトで示した。本当なら画期的な論文で3月19日号のCellに掲載された。タイトルは「Propionic Acid Shapes the Multiple Sclerosis Disease Course by an Immunomodulatory Mechanism(プロピオン酸は免疫系を変化させて多発性硬化症の経過を改善する)」だ。
この研究ではまず多発性硬化症患者さんの血液と便の中の短鎖脂肪酸を測定し、プロピオン酸が患者さんで低下していることを発見する。これだけだとなるほどで終わるが、この研究では91人の患者さんになんと1日1gのプロピオン酸の服用を続けてもらうと、半分の患者さんで進行を止めることができることがわかった。また、MRIでミエリン繊維の多い灰白質を調べると、線条体で増大していることも観察している。さらに、長期に服用しても副作用はないとしている。
このプロピオン酸で多発性硬化症の発症が抑えられるという発見が研究のハイライトで、さらに人数を増やして治験を行うことが次のステップになる。ただ、著者らはCellにふさわしい論文にするため、
治療前のPAの量を決めているのは腸内細菌叢の違いで、多発性硬化症の患者さんでは短鎖脂肪酸を合成する細菌の割合が低い。 腸内細菌叢はプロピオン酸服用によっても変化し、抑制性T細胞にバランスを移す。 プロピオン酸服用により抑制性T細胞のIL10分泌が高まる。また、抑制性T細胞のミトコンドリアをリプログラムして酸素消費量を高める。
など、分子メカニズムも調べているが、驚く発見はやはりプロピオン酸服用で多発性硬化症の進行を抑えられるという発見だろう。
治験としては観察研究で、実際の効果はもう少し厳密なプロトコルで調べる必要があると思うが、期待したい。
2020年3月12日
当たり前のこととして認めていることの中には、しかしなぜそうなのかについてわかっていないことも多い。そんな一つが、脳内で神経活動が起こっている領域に選択的に血液上昇が見られるという現象だ。実際、この現象は機能的MRIで脳活動を見るときの前提で、もし血流が脳活動を反映しないとすると、fMRI研究は成り立たない。結局うまくできているなとただ感心するだけだ。
今日紹介するハーバード大学からの論文はこの脳活動と血流の連結のメカニズムに取り組んだ研究で先週号のNatureに掲載されている。タイトルは「Caveolae in CNS
arterioles mediate neurovascular coupling (脳の細動脈のcaveolaが神経血管連結に関わる)」だ。
これまで神経血管連結は、神経興奮がアストロサイトが分泌する血管拡張因子、例えばNOなどを介して血流を高めるというシナリオが提案されている。一方、血管側の分子メカニズムは全くわかっていなかった。この研究では、血流調節のキーと言える小動脈血管内皮にcaveolaと呼ばれる膜直下の小胞の数が多いことに着目し、これが神経血管連結に関係あるのではないかと着想する。
これを確かめるため、マウスのヒゲに対する刺激を感じる神経領域の興奮と、その周りの小動脈のサイズを同時にモニターできる実験システムを確立し、ヒゲを刺激して神経興奮が起こると、周りの小動脈が拡張し、血流が上がることを確認している。
この系を用いてcaveola形成に重要なcaveolin-1ノックアウトマウスを用いて同じ実験を行うと、血管拡張が見られない。また、血管内皮特異的にcaveolin-1ノックアウトを行うとやはり神経興奮に伴う血流上昇が見られなくなる。すなわち、小動脈のcaveolaを形成する能力が、脳神経の興奮を感知して血管を拡張させるために必須であることを示した。
この結果がこの研究のすべてで、あと血管平滑筋のcaveolaはあまりこの経路に関わっていないこと、caveolaの形成は脳血管関門に関わる分子Mfsd2aにより抑制されていること、またcaveola依存性メカニズムはNOとは無関係であることなどを示しているが、caveolaとリンクするどのシグナルが血管拡張に関わるかは結局示されなかった。
Caveolaはシグナル伝達を構造的にバックアップする仕組みと考えられていることから、この結果は謎の多かった神経血管連結を理解するためには重要だと思うが、納得できるシナリオまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
2020年3月11日
昨日はサソリ毒クロロトキシンが悪性のガン、グリオブラストーマに結合することを利用したガン治療論文について紹介したが、同じ Science Translational Medicine に、別のサソリ毒 cystine dense peptides (CDP) を、今度は関節リュウマチの治療に使う可能性を示したシアトル・フレッド・ハチソン ガンセンターからの論文が発表されているので、昨日に続いて紹介することにする。タイトルは「A potent peptide-steroid conjugate accumulates in cartilage and reverses arthritis without evidence of systemic corticosteroid exposure (高い効果をもつペプチド〜ステロイド結合体は軟骨に集積して副作用なしに関節炎を治す)」だ。
この論文で初めて知ったが、CDPとは20-60アミノ酸でシステン同士が結合しあうSS結合を多く持つペプチドの総称で、サソリだけでなく、クモ、ヘビから毒のある食物やバクテリアまで多くの生物が合成している。この研究グループは20種類の生物から抽出された40種類のCDPをスクリーニングし、サソリ由来のCDP-11Rが体内の軟骨に選択的に結合するを突き止めている。
この結果がこの研究のハイライトで、この軟骨に集積するCDP-11Rの性質は、関節軟骨に薬剤を集積させ、リュウマチ治療に使えるのではと着想し、そのための様々な準備実験を行なっている。
まず、CDP-11Rが軟骨に集積し、しかも長期間結合し続けること、また動物に移植されたヒトの軟骨にも結合できることを確認し、またこの結合はCDP-11Rの強くポジティブに帯電している性質が関わるが、ペプチド内のSS結合も重要な役割を担っていることを確認している。
この基礎的検討の後、炎症を抑えるステロイド、デキサメサゾンをCDP-11Rと結合させ、関節に集積するか検討し、ステロイドを関節特異的に集積させるキャリアとしてCDP-11Rが使えることを確認している。
最後に、CDP-11Rとステロイドホルモンの結合が徐々に分解されるリンカーを用い、またリュウマチに使われるステロイドホルモンTAAを結合させたCDP-11Rを準備し、コラージェンに対する自己免疫をおこした関節リュウマチラットに注射すると、ステロイドホルモンによる全身副作用が全くないにも関わらず、関節の炎症を治すことができることを示している。
今後人間に応用するためには、定期的に注射して同じ効果が続くか。正常軟骨に副作用はないかなど調べる必要があると思うが、毒を使いこなすのが医学であることを示す面白い例だと思った。しかし、なぜこんな性質が生まれたのか、サソリ毒には興味が尽きない。
2020年3月10日
腫瘍特異的に結合する分子を使ってがんを治療するというと、まず抗体を思い浮かべるが、実際には様々な分子を使ったがん治療開発が進んでいる。中でも印象的なのは前立腺癌の表面分子PMSAに結合するペプチドにルテニウム同位元素を結合させてPSMAを発現している末期の前立腺癌を完全に消失させられるという症例報告で、量子科学技術研究開発機構の東先生から聞いた時、その効果に驚いた。
今日紹介するカリフォルニア・City of Hope研究所からの論文はなんとサソリ(オブトサソリ)のトキシン(クロロトキシンCLTX)が、最も悪性の腫瘍グリオブラストーマに結合することを利用してCART をデザインしたという研究で3月4日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Chlorotoxin-directed CAR T cells for specific and effective targeting of glioblastoma (サソリ毒を結合させたCARTはグリオブラストーマを特異的にかつ効果的に攻撃できる)」だ。
このグループはグリオブラストーマに絞って、様々なCARTを設計し実際の臨床テストを行ってきたグループで、これまでにIL-13受容体やEGF受容体に対するCARTを脳内に注射して治療する方法を開発している。ただ、B細胞系の腫瘍と異なり、標的抗原の発現を落とした耐性ガン細胞が早期に現れるという問題があった。
これまで開発されたCARTは抗原に結合する抗体かT細胞受容体を用いているが、この研究ではサソリ毒CLTXがグリオブラストーマに結合することを知り、CTLXそのものをがんを認識するキメラ受容体に使えるか確かめている。
この論文を読むまで全く知らなかったがCLTXをグリオブラストーマのイメージングに使ったり、ヨード131を用いたアイソトープ照射療法がすでに開発されるほどグリオブラストーマに対しては有望な分子らしい。とはいえCARTのキメラ受容体に使うのには様々な検討が必要だ。
まずほとんどのグリオブラストーマがCLTXに結合することを確認した上で、CLTX分子とT細胞受容体を結合するスペーサーについて検討し、最終的にCTLX-IgG4Fc-CD28-CD3ζの組み合わせが最もガン障害活性が強いことを確かめる。さすがCART開発に絞って研究しているだけに、このあたりの手際の良さには感心する。
あとはマウス脳に移植したグリオブラストーマの増殖を抑えるかどうか調べている。重要なことは、ガンに直接あるいは頭蓋内にCARTを注射するときには効果が見られるが、静脈注射ではダメなことだ。それ以外は抑制効果が強い。それでも耐性を獲得する細胞が出現するが、この場合CLTX結合分子がなくなるのではなく、PD-L1などの免疫抵抗性が発生することを確認している。
また、CARTの結合にはメタロプロテアーゼMMP2が必要なことも確認しており、この結果をもとにさらに改良を重ねる可能性は高いと思う。
この研究に注目するのは、ガン特異的結合分子がある時、CARTのような手間のかかる方法がいいのか、あるいはアイソトープで内部照射する方がいいのか、さらにはトキシンをつけた方がいいのかの比較だろう。PSMAの場合確実に細胞内にアイソトープが取り込まれることがわかっており、この場合はアイソトープやトキシンに軍配があがるのかもしれない。いずれにせよ、治療法のないガンであることを考えると、急速に比較結果が出てくると期待している。
2020年3月9日
現役の頃、IL-7R機能を抑制するとパイエル板が欠損するという発見を皮切りに、吉田さんや、大学院生の本田さん、端さんたちと始めたのが免疫組織を誘導するLTi細胞についての研究だが、LTiが胎児期に腸管の特定の場所だけに集まるプロセスについては納得できる説明はできなかった。ただ、吉田さんたちが最初の場所決めは神経走行で決まるかもなどと話していたのを覚えている。
今日紹介する論文はこの分野をリードするDan Littmanの研究室からの仕事で確かにILC3(LTiも現在はこの呼び名で総称されている)が腸管神経と相互作用して腸内の状態を指示することを示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Feeding-dependent VIP neuron–ILC3 circuit regulates the intestinal
barrier (食物摂取によるVIP神経とILC3の回路が腸管のバリアー機能を調節している)」だ。
この研究はILC3が神経刺激因子とともに、神経ペプチドに対する受容体を発現しているという「気づき」から始まっている。実際示された組織写真を見ると素人でもILC3が神経と密接に相互作用していることを想像する。
そこで、ILC3は主に血管に作用するとされているVIPの受容体(VIPR2)を発現しているので、次にILC3のVIPR2をノックアウトすると、炎症性のサイトカインとともにバクテリアに対するバリアー機能を誘導するIL-22の発現が高まっていることを発見する。
次に本当にVIPを分泌する神経細胞がILC3のIL-22産生に関わるかどうか、CNOで刺激できるようにVIP神経の遺伝子を改変し、VIP神経を刺激すると、IL-22の発現を抑えることを明らかにしている。すなわち、ILC3はVIP神経か興奮してVIPが分泌されると、その刺激を受けてIL-22分泌を抑えるという回路が明らかになった。
すでにIL-22は腸管上皮のバリアー機能を高めることが知られているので、VIP神経を刺激したとき病原菌に対する抵抗力が低下するかどうかを調べると、期待通りマウスの死亡率は高まり、バクテリアは腸のバリアーを超えて脾臓や肝臓に移行する。一方、VIP神経の興奮を抑えると、バクテリアからマウスは守られる。すなわち、VIP神経が興奮すると腸上皮のバリアー機能が低下する。
しかし何故わざわざこんな危ない回路が存在するのか。Littmanらは食事を取った後の栄養摂取を高める目的で、バリアー機能を一時的に抑えるのではと考え、摂食の日内変動を解消した上で絶食させたマウスに食事を取らせたときILC3が刺激されIL-22分泌が低下し、バリアー機能が低下すること示している。そして最後に、このバリアー機能の低下は脂肪吸収を高めることも示している。
以上が結果で、神経―ILC3回路が食事で刺激され、バリアー機能を抑えて栄養摂取を高めることが明らかになった。うまくできているようだが、その結果リスクも高まり、腸内細菌叢、ILC3、神経細胞、そして食事という複雑な回路が出来上がったと考えればいいだろう。発生初期のパイエル板場所ぎめにも神経が関わる確率は高まった。
2020年3月8日
モノとコトになると、京大医学部の教授会でご一緒した精神科教授の木村敏先生を思い出す。以前何冊か読んだが、やはり客観世界をモノが代表し、主観世界をコトが代表し、それぞれが意識のなかで共生するという考えに「なるほど」と納得していた。最近はお会いする機会がないが、どう過ごしておられるのだろう。
今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、人間の記憶はモノをコトとして再構成することで記憶が可能になっていることを示した研究で読みながら木村先生を思い出していた。タイトルは「Replay of cortical spiking sequences during human memory retrieval (記憶の想起時に起こる皮質のスパイクのシーケンス)」だ。
研究ではAを見たらBを想起するといったコンテクスト記憶を対象としている。もちろん木村先生のモノとコトというような話はおそらく著者は知らないと思ううが、言葉を用いたコンテクスト記憶課題の場合、必ずモノとコトが一体になって脳に提示される。すなわち、「ケーキ」と「キツネ」と順番に出てきた言葉のセットを覚える時点で、時間的要素、すなわちコトがそのセットに加わる。このこととしてのシークエンスがどう記憶に関わるか調べるのがこの研究だ。
人間や動物が記憶したり、記憶を想起したりするときリップルと呼ばれる周期の早い興奮が現れる。このリップルを捕まえるために、この研究では人間の脳皮質の中にクラスター電極を埋め込み単一ニューロンの興奮を記録するとともに、クラスター電極にかぶせて領域の脳波を拾う表面電極を設置し、脳波レベル、単一神経レベルでリップルを検出している。
この研究に参加したボランティアは、先に示したように「ケーキ」「キツネ」、「スチーム」「シール」、「シート」「バス」のように、単語のセットを聞かされ、片方が出たらもう片方が思い出せるよう記憶する。
このとき、そして思い出すときに、それぞれの電極で記録されたリップルを解析し、記憶とリップルの関係を探っている。詳細を省いて結果をまとめると次のようになる。
記憶時、および記憶の呼び出し時にリップルが生じ、表面電極で拾える脳波上のリップルは、ニューロンレベルのリップルの記録を反映している。 記憶時に2つの単語を覚えるとき、異なる神経細胞レベルのリップルが一連のシークエンスとして記録されるが、同じ細胞のリップル・シークエンスが思い出すときに現れる。 記憶の正確さはリップル・シークエンスの一致度を反映する 皮質のリップルシークエンスが内側側頭葉のリップル・シークエンスとカップルしたとき、呼び起こし時に起こるシークエンスが記憶時のシークエンスと一致する。
慣れないとわかりにくいかもしれないが、ようするに少なくとも2つの単語を関連づけるコンテクスト記憶の場合、単語だけでなく、単語が現れる順番がセットになったときに強い記憶が誘導できる。また、このシークエンスの記憶は、内側側頭葉のシークエンスとカップルすることでより高められる結論できるだろう。
木村先生の思想は精神医学者としての実体験に裏付けられているのが特徴だが、今日紹介した結果からもう一度精神疾患患者さんのモノとコトの認識を見直してみるのも面白い気がする。