8月24日:試験管内でのC型肝炎ウイルスの培養(8月12日号Nature掲載論文)
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8月24日:試験管内でのC型肝炎ウイルスの培養(8月12日号Nature掲載論文)

2015年8月24日
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私がまだ学生の頃よく読まれたのが岩波書店の「ウイルスの狩人」という本だ。自分では増殖せず、普通の顕微鏡でも見えないウイルスの研究史を紹介した良書で、これを読んでウイルス研究に進んだ学生もいるのではないだろうか。この本でまず学ぶのが、ウイルスを増やすことの難しさで、その苦労話は読み応えがあった。この本が出版されてからすでに50年が経ち、その間エイズ、ATL、エボラなど当時考えもしなかった多くのウイルスが現れてきたが、ウイルス培養の重要性と難しさは変わっていない。今日紹介するロックフェラー大学からの論文はC型肝炎ウイルスの培養の秘訣を明らかにした研究で8月12日号のNatureに掲載されている。タイトルは「SEC14L2 enables pan-genotype HCV replication in cell culture (SEC14L2分子は細胞培養を用いたすべてのC型肝炎ウイルス増殖を可能にする)」だ。実は私も全く知らなかったが、この論文が出るまでC型肝炎ウイルスは、普通の肝細胞や肝がん細胞を用いて増殖させることができなかったようだ。実際にはJFH1と呼ばれる肝細胞だけで培養され、それを用いて研究が行われてきたようだ。この研究はJFH1でしかウイルスが増殖できないのは、この細胞だけが他の細胞にない遺伝子を発現しているか、あるいは逆に特定の遺伝子を欠損しているからではないかと考え、ウイルス増殖に必要な分子の探索を行った。この結果、細胞質内で脂肪と結合するSEC14L2分子を、ウイルス増殖に必要な分子として特定することができた。すなわちこの分子をウイルスが増殖できない細胞に強制発現させると、すべての細胞でウイルス増殖が可能になる。この分子の重要性を調べるため様々な感染実験を行っているが、決定的な最後の感染実験として患者さんの血清を培養に加えるだけで感染が起こり、ウイルスが増殖することを示している。最後に、ではなぜ脂肪結合分子がこれほどの効果を示すのか様々な可能性を調べて、一つの可能性として、この分子が細胞内でのビタミンE蓄積を促進することで、ウイルス増殖を抑制する脂肪が過酸化されるのを防ぐためではないかと結論している。実際、これまで培養肝細胞で増殖できるとして分離されてきたウイルスがすべて過酸化脂肪に対する抵抗性を持っていることも、この結論を支持している。C型肝炎治療はギリアドサイエンス社の根治薬が発売されたことで大きく前進した。しかし、新しい耐性ウイルスに備え、ウイルス自体の撲滅という最終ゴールを目指す必要がある。その意味で、ウイルスの培養が可能になったことは重要だ。「ウイルスの狩人」の話はまだまだ続く。
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8月23日:社会問題の科学(米国アカデミー紀要8月13日号及びScience8月21日号掲載論文)

2015年8月23日
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専門を問わずに論文を読んでいると、社会問題をなんとか科学にしようとしている人たちの努力に出会う。科学論文としては問題を感じるところもあるが、21世紀に取り組まなければならない問題を科学として確立し、解決を見出そうとする強い意志が感じられる。自分の意見をそのまま主張するのは科学ではない。若い世代はフェースブックやツウィッターで自分の主張を述べて満足するのではなく、できれば自分の主張を科学してみる気概が欲しい。今日紹介する論文はその点では参考になる。最初は米国アカデミー紀要8月13日号に掲載されたノースウェスタン大学からの論文で、タイトルは「Self-control forecasts better psychosocial outcome but faster epigenetic aging in low SES youth (社会的貧困層の若者では、自己統制は心理的社会的状況の改善をもたらすがエピジェネティックな老化を早める)」だ。アメリカの最大の問題は社会格差と貧困で、成長に対する最も大きなリスクになっている。この階層の若者を困難な状況から自力で離脱させるために自己統制を身につけさせる教育が進んでいるようだ。ところがこの教育で自己統制を身につけ、社会的にも貧困から抜け出た若者に心臓病の確立が高いことがわかってきた。この研究では、ジョージア州の貧困家庭に属する17歳の若者292人をリクルートし、22歳まで追跡している。このとき、様々なテストで自己統制を確立できているかどうかを調べ、自己統制ができたグループとできなかったグループの社会的、心理的状態を調べるとともに、白血球のメチル化DNAをゲノムレベルで測定し、2013年Molecular Cellに報告された方法を用いて、細胞の老化度を測定している。結果は心臓疾患についての研究を支持しており、たしかに成人した後の心理的、社会的状態は自己統制を身につけたグループの方が良い。しかし、血液細胞のDNAメチル化状態から計算される老化度は、社会経済的問題を自己統制で乗り越えたグループほど高いという結果だ。特に、克服した困難が大きいほど老化度が高い。鬱という精神症状に現れなくても、大きな困難を自ら克服するには身体的なストレスがあるという結果だ。この研究で驚くのは、2013年に報告された全ゲノムレベルのメチル化検査を社会問題研究にいち早く取り込んでいることで、その感受性の高さと、分野間の風通しの良さに感心した。もう一つのカナダ・ビクトリア大学が8月21日号Scienceに発表した論文は、野生動物の絶滅に対する人間と野生の天敵のインパクトを比べた研究で、タイトルは「The unique ecology of human predators (人間の狩りが持つ特別な生態)」だ。この研究は人間と野生のハンターの狩りについて発表された論文を集め、世界各地で行われている狩りの成功率、獲物の死亡率、捕獲率について陸上野生動物と、魚について調べている。結果だが、もちろん人間の方が狩りの成功率と捕獲率が高いので、これが生態系を壊す要因になる。しかし、これより人間のハンターは大型肉食獣とクマなどの雑食獣を特に狙って殺している点、同様に魚も成長した大きな魚を標的にすることで、生態系を独特な仕方で壊している点が最も問題を引き起こすという結論だ。方法論を見ると、決まった考えに結論を導いているだけでは懸念のある論文だ。とはいえ、トップジャーナルに論文が出ることで、この分野は活性化されることは間違いがない。ポパーの言うように反論可能なのが科学だ。しかし、小規模な漁や狩りでもこの有様だ。人間のインパクトをどう抑えるのか、おそらく誰もアイデアはない。折しもOryxオンライン版にスマトラサイは一部で繁殖に成功しているが、絶滅は時間の問題だと警告する論文が出ていた。この点については、私は悲観論者で、おそらくなす術の見つからないうちに、見渡せば家畜とペットしかいない世になるように感じる。それでも諦めず社会問題を科学として取り組む若い人が増えることを期待したい。
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8月22日:膵臓癌の強さの秘訣(8月20日号Nature掲載論文)

2015年8月22日
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他のガンと比べた時、膵臓癌の悪性度は群を抜いている。私が医師として働いていた時から今まで、治療成績はほとんど変わっていないのではないだろうか。発ガン過程だけを見ていると、rasなど他のガンとオーバーラップするところが多く、なぜ間質反応が強く、血管に乏しいのに、これほど悪性なのかよくわからなかった。最近、我が国の大隅さん達が発見したオートファジーと呼ばれる細胞内の分解機構を抑制すると膵臓癌の悪性度が低くなることが報告され始めた。一方、色素細胞や破骨細胞の発生に関わるとして研究されてきたMITF/TFE3系が、最近オートファジーに関わる分子の発現を調節する分子として脚光を浴びてきた。今日紹介するマサチューセッツ総合病院からの論文はこの二つの流れを合流させた研究で8月20日号Natureに掲載された。タイトルは「Transcriptional control of autophagy-lysosome function drives pancreastic cancer metabolism (オートファジー・リソゾーム機能の転写調節が膵臓癌の代謝を動かしている)」だ。既に述べたように、膵臓癌ではオートファジーが更新し、リソゾーム活性が上がっていることが知られていた。そこで、この経路を動かすことがわかってきたMIT/TEFファミリー分子の発現を調べると、他のガンではほとんど上昇がないのに膵臓癌では高い(もちろんもともとこの系が働いているメラノーマでは高いが)。また膵臓癌では、これら転写因子はオートファジーに関わる多くの遺伝子上流に結合している。そこで、MITF/TEF3分子の発現を抑制すると、オートファジーは抑制され、さらに細胞の増殖も止まる。次になぜMIT/TEFファミリー分子の活性が高まっているのか調べている。もともとこの分子はTORC1という分子の作用で核内に移行できないよう調節されている。膵臓癌でも確かにTORC1が発現しているにもかかわらず、MIT/TEFファミリー分子が核内に移行してしまっている。この原因を探ると、核内移行に関わる輸送システム、インポーティンが上昇してこの分子を核内へと導いていることを明らかになった。これらの結果から、MIT/TEFファミリー分子の核内輸送異常によりオートファジーが上昇していることがわかった。次に、オートファジーが上昇するとなぜガンが活性化されるのかを調べるために、細胞内の代謝状態を調べると、分解が上昇した結果、細胞内のアミノ酸濃度が上昇していることを見つけ出した。さらにこの上昇には細胞周囲のたんぱく質を取り込んで分解する経路の上昇が寄与している。これらの結果から、膵臓癌では細胞内でのアミノ酸上昇をうまく緩衝する仕組みが働いて、オートファジーでアミノ酸を調達し、栄養の少ない場所でも代謝活性を維持するることで、その強さを維持していると結論している。上流から下流まで分子の具体的なネットワークを決定した研究で、これだけ長い回路が明確になると、ガン抑制の分子標的の開発も進むだろう。この研究は、独創的というより、これまで考えられてきた様々な経路を丹念に繋いで見せた点が評価できる。最近オミックスばやりで、オミックス解析をしてそれでおしまいという研究が増えてきた中で、分子間の相互作用を段階的につないでいくオーソドックスな研究は逆に新鮮に思えるほどだ。いずれにせよ、実際の膵臓癌でこの経路を標的にしたとき何が起こるのか、早く見てみたい。
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8月21日:人権と憲法(8月18日号The New England Journal of Medicine、8月20日号Nature掲載論文)

2015年8月21日
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今、我が国では安保法制を巡って憲法解釈議論が国民を2分している。しかし議論を聞いていると、憲法は国民が為政者の暴走を止めるための法であって、為政者の都合で解釈できる法でないことを政府はもとより多くの人がすっかり忘れているように思える。憲法とは何かがもっともよくわかったのが、6月17日アメリカ最高裁がObergefell vs Hodges訴訟として争われてきた同性婚の法的平等性を認めないオハイオ州法は憲法違反であるとした判決だろう。争われたのはもちろん条文の解釈だが、「No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice and family (結婚より深いつながりはない。なぜなら結婚には愛、信頼、献身、犠牲、そして家族のもっとも高い理想が実現している)(拙訳)」で始まる美しい判決文は、憲法の精神を問い、アメリカが人権を第一とする法治国であることを高らかにうたっている。それからまだ2ヶ月しかたたないが、アメリカがこの判決により大きく動き始めたことが今週のThe New England Journal of MedicinとNatureを読んでいるとよくわかる。まずThe New England Journal of Medicinにはこの判決に関わる2編のPerspectiveが掲載されていた。一つは「Civil rights and health- beyond same-sex marriage(市民権と健康—同性婚を超えて)」で、この判決が同性婚を認めるかに止まらず、レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(性同一性障害)(まとめてLGBT)、それぞれの意思を尊重し法的平等性を守ることを意味すると捉え、これから起こるだろう幾つかの問題をリストしている。もともと通常婚は健康に良いことが様々な疫学研究からわかっている。しかし同性婚を憲法が認めても、社会の体制や理解は進んでいないため、結婚することでストレスが高まり、健康が損なわれる可能性が高い。これを実現するため、医療や公衆衛生も真剣に取り組むべきだとしている。例えば公衆トイレがその例だ。もし男の格好をしたレスビアンの人が女性トイレに入れば騒ぎになるだろう。また、20を超える州でLGBTの人たちを解雇する自由が残っていることも職業差別につながる。さらに、アメリカ憲法は医師が宗教的信条などで医療を拒否する権利が認められており、結果として生殖補助医療から締め出されることもありうる。このような問題をリストした後、LGBTであるがゆえのストレスを取り除くためまだまだすることが多くあると締めくくっている。もう一編のPerspectiveは「Caring for our transgender troops-the negligible cost of transition-related care (軍のトランスジェンダー容認についての配慮:転換にかかる費用は大きくない)」だ。タイトルからわかるように今度は軍の話だ。6月の判決を受けて、7月にはカーター国防長官は伝統的に禁止してきた性同一性障害の兵士を認めることを決めた。ただ、これにより軍がトランスジェンダーの必要性に応じてホルモン注射や性転換手術を権利として認めることを意味すると踏み込んで、それに必要なコストを計算している。実際アメリカ軍には12800人の性同一障害の兵士がいるようだが、実際に特別な医療を要求するのは50人程度で、現在の予算で対応できるとしている。すでにオーストラリア軍ではこの決定がなされているようで、この時の経験も根拠にしている。さらに、もし軍が性転換治療を認めると、治療を受けるために軍を志願する性同一障害の人が増える可能性についても議論しており、アメリカの一般保険がこのコストを認めるようになって、この問題は起こらないと結論している。ここまで議論が広がっているのを見るとただただ驚く。そして最後がNatureの「Most gay scientists are out in the lab(ほとんどの同性愛の科学者は研究室で同性愛であることを告白している)」という記事だ。これはThe Journal of Homosexualityという雑誌に発表された論文を紹介するもので、LGBTに対する理解の問題だ。実際の論文にアクセスできていないので、記事からしか判断するしかないが、研究室では他の職場と比べて自分の性について告白できる環境が整っている。しかし、研究室間で比べると、生命科学を含む女性の多い研究室でよりよく許容されているという結果だ。そして、LGBTが大学院生の教育に参加することは、より高い平等意識育成に重要だと締めくくっている。  この3編の論文を読むと、憲法とは何かということがよくわかる。私は日本構想フォーラムでご一緒している前防衛大臣森本さんから、日本の防衛についての現実的議論を聞いており、憲法改正も含め議論を進めることの重要性はよく認識しているつもりだ。ただ、憲法を改正するにしても、政治や政策にとって何が必要かではなく、為政者の何が許され何を許さないのか、国民の立場からもっと明確にした憲法が必要だろう。驚くことに現憲法だけでなく明治憲法も我が国では一度も改正したことがない。これは為政者が憲法を縛りと考えていないからではないだろうか。また選挙制度を考えても、違憲判決を軽視するのが我が国では当たり前になっている。安保法制ではアメリカやオーストラリアが名指しで協力相手として記載されているが、私たちはまずアメリカやオーストラリアから憲法とは何か学ぶべき時だと思う。
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8月20日:急速に進展するゲノム構造化に関する研究(8月13日号Cell掲載論文)

2015年8月20日
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ゲノムはただの遺伝子の集まりではなく、構造化していることで働きが維持されている。このことを最もよく理解できるのが前後軸や指の数や形を決めるのに関わるHox遺伝子だろう。例えばHoxA1からHoxA13の発現を調べると、人間では頭からお尻までゲノム上に並んでいる順番に従って順序正しい発現が見られる。この順番は左右相称動物が現れて以来ほとんどの動物で維持されていることから、構造自体が重要であることがわかる(これについては現在生命誌研究館のホームページに書いてあるので参照してほしい:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000012.html)。一方最近Natureに発表されたタコのゲノムを見ると、Hox遺伝子は構造化されておらず、納得する。面白いことに同じ論文では、プロトカドヘリンと呼ばれる神経細胞のアイデンティティーを決めている分子をコードするゲノム領域がヒトやマウスと同じように構造化されて保存されていることを示しているが、この領域の解析を行った研究が上海交通大学から8月10日号のCellに発表された。タイトルは「CRISPR inversion of CTCF sites alters genome topology and enhancer/promoter function (クリスパーを使ってCTCF結合部位を反転させるとゲノムのトポロジーが変化し、エンハンサーとプロモーターの機能が変化する)」だ。遺伝子の並び方も構造化の重要な方法だが、遺伝子の発現を調節するエンハンサーとプロモーターの関係を決めるための大規模な構造化について現在急速に研究が進んでおり、このホームページでも6月3日に珍しく図入りで紹介した(http://aasj.jp/date/2015/06/03)。この構造化を決める分子の主役がCTCFとコヒーシンという二つの分子だが、この研究は、この分子が方向性を持って結合することでDNAの折りたたみの方向性を指示してエンハンサーとプロモーターの距離を決めることで転写を調節していることを明らかにした。この研究の責任著者のWuさんはManiatis研究室でこの遺伝子を研究してきた研究者のようだが、これまでの研究で、200近く存在するプロトカドヘリンのプロモーターの上流にあるCTCF結合部位と、それを調節するエンハンサーの近くに存在するCTCF結合部位の配列が逆さまに向き合っていることがわかっていた。プロトカドヘリンにはα、β,γの3種類が存在するが、エンハンサーとプロモーターのCTCF結合部位が逆向きに向き合っている場合だけ、プロモーターとエンハンサーが位置的に近くに引き寄せられることを示している。そこで、αカドヘリンを支配しているエンハンサー近くのCTCF結合部位を逆さまにしたところ、エンハンサーとプロモーターのトポロジカルな距離が遠くなり、転写の効率が低下する。同じルールがプロトカドヘリンだけでなく他の遺伝子にも当てはまるか調べるため、ゲノム全体のエンハンサーとプロモーターの関係についてデータベース解析を行うとともに、遠く離れたプロモーター、エンハンサーの関係が詳しく研究されているヘモグロビン遺伝子についてもCTCF結合部位をクリスパーで逆さまにするなど膨大な実験を行い、このCTCF+コヒーシン結合部位の方向性によりDNAの折りたたみの方向性が決まり、転写ユニットの幾何学的距離を決めていることを示している。詳細は全部省くが、膨大なデータをうまく整理しており、最終結論はシンプルで十分説得力がある。クリスパーを多用したゲノム編集、ゲノムのトポロジー解析、データベース解析など最新の技術を用いて重要な問題を解決する実力がうかがえる論文だった。現役時代にこれができただろうかと考えると、引退して良かったと思うほどだ。私にとっても、CTCFとコヒーシンの関係や意味、インシュレーターのメカニズムなど、ゲノムの構造化についての頭の整理を大きく進めることができた。Hoxもプロトカドヘリンもゲノムの構造化が最も明確な遺伝子だが、タコでHoxが構造化されず、プロトカドヘリンが構造化されている意味もよくわかった。異論はあるようだが、中国の生命科学の躍進を感じさせる論文だ。読んだ後この分野の我が国の現状について少し心配になるが、誰か知っている方がおられたら、ぜひこのページに書き込んでほしい。
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8月19日:バレット食道とトランスポゾン(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年8月19日
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この歳になると体のあちこちに異常が出てきて、経過観察のためお盆明けに内視鏡検査を含む健康診断を受けるのが恒例になっている。特に気になるのが、数年前から食道にあるバレット食道だ。バレット食道とは、食道の扁平上皮が一層の円柱上皮に変化する異常で、前癌状態と言われている。ただ、食道なので、これがあるから手術で予防的にとってしまうというわけにはいかない。もともと欧米人の一割がバレット食道にかかっていると言われる頻度の高い状態であまり気にしていなかったが、昨年6月に紹介したようにバレット食道細胞にはp53,SMAD以外のほぼ全ての遺伝子変異が存在しているという論文(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/1748)を読んでからはだいぶ気になる。今年も変わりなしと言われてホッとしたところだ。さて、今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は食道で正常の細胞では動かないトランスポゾンが動き出し、ゲノムの他の場所に飛び込んでいることを示す論文で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「LINE-1 expression and retrotransposition in Barrett’s esophagus and esophageal carcinoma (バレット症候群と食道癌ではLINE-1トランスポゾンが発現し転移する)」だ。LINE-1は私たちのゲノムにもっとも多く存在するトランスポゾンで、実にゲノム全体の2割超を占める。普通の細胞では染色体の構造を変えて飛び込んだLINE-1の動きを押さえ込んでいるが、多くのガンで再活性化することが知られている。この研究では、バレット食道5例と、バレットと食道癌が並存している5例のバイオプシー組織の遺伝子を調べ、正常組織と比べることでLINE-1の活性が起こっていないか調べている。結果は5例のバレット食道のうち4例で20箇所の新しいLINE-1の転移が発見され、そのうちの半分はほとんどの細胞で見られる変異であることが分かった。このことから、バレット食道になってトランスポゾンが動いたと考えるより、正常細胞で突然LINE-1が活性化され、原因かどうかは不明だがバレット食道で選択的に増大していることがわかる。次に食道癌へ発展した患者5例で、正常部分、バレット食道部分、そしてガン部分を別々に取り出しLINE-1の変化を調べると、バレット食道からガンが発生したのがわかるグループ、両者の関係がはっきりしないグループ、そして正常細胞でLINE-1が動き始めたグループを特定できるが、症例数が少なくはっきりした結論が出ない。そこで、食道癌のサンプルの数を増やして調べ、食道癌のほとんどでLINE-1が活性化され、その中からガンが発生していることを確認している。LINE-1が動くためにはLINE-1がコードする遺伝子の発現が必要だが、確かにガンやバレット食道ではLINE-1にコードされたタンパクの発現が見られている。また、正常部分でも弱いながらも発現が見られ、異常が起こる前から食道では弱いながらもLINE-1が活性化されている可能性を示唆している。最後に、LINE-1が新たに組み込まれた場所に発ガン遺伝子が存在するか調べたところ、イントロンに新しく組み込まれた48個のLINE-1のうち半数がガンに関連している遺伝子のイントロンで、LINE-1の転移が発ガンに寄与している可能性を示唆している。少し結果がゴタゴタしすぎた印象があるが、結論として正常細胞でLINE-1が弱いながらも活性化され、転移が起こると、その細胞が選択的に拡大し、バレット食道に発展する。バレット状態ではLINE-1の活動がさらに活発になり、場合によりガンになることもあるという結果だ。重要なことは、LINE-1以外にも私たちは多くのトランスポゾンを持っており、これらはLINE-1の活性を使って転移する。したがって、これ以外にも多くのトランスポゾンがバレットから食道癌への過程で動いている心配がある。もちろんトランスポゾンの変異だけでガンになるわけではないし、飛び込んだトランスポゾンを抑え込むメカニズムもある。しかし、数を増やして全ゲノム解析を進め、他のトランスポゾンが便乗していないか、トランスポゾンを抑え込む機構が正常に働いているのか調べる必要があるだろう。せっかく今年もほっとしたところなのに、心配になる論文を読んでしまった。
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8月18日:発ガン遺伝子の作用を逆手に取る(8月10日号Cancer Cell掲載論文)

2015年8月18日
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細胞が必要とする時にmRNAを転写するのに関わる遺伝子を転写因子と呼ぶが、直接DNAに結合して転写部位を支持する分子に加えて、転写のための分子間相互作用を増強するための多くの分子が参加する。これらを転写のコアクティベーターと呼ぶが、多くのガンでこのコアクティベーターが上昇しているのがわかっている。ただ、コアクティベーターは正常細胞でも重要な働きをしており、その機能を抑制すると正常細胞の活動も阻害されることが予想される。今日紹介するテキサス・ベーラーカレッジからの論文はコアクティベーターの一つSRCを抑制するのではなく活性化してガンを殺せないか調べた研究で、8月10日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「Characterization of a steroid receptor coactivator small molecule stimulator that overstimulates cancer cells and leads to cell stresss and death (ガンを過刺激して細胞ストレスと細胞死を誘導するステロイド受容体コアクティベーター分子の刺激化合物の研究)」だ。この論文は、レチノイン酸受容体など核内受容体に結合する分子として単離されたSRC(ステロイド受容体コアクティベーター)の活性を刺激する化合物MCB-613の作用機序の研究と言える。もともとステロイドホルモン受容体のコアクティベーターであることから、SRCと乳ガンの関係はよく研究されており、半分以上の患者で発現が高く、また発現が高い場合予後がよくないことが知られている。さらに、乳腺でこの分子を発現させると乳ガンが発生することもわかっていた。このグループはこの分子の阻害剤も開発しているが、今回は刺激剤MCB-613がガンの増殖を抑制できるかどうか検討することから始めている。この分子がSRC特異的に作用することを確かめた後、様々なガン細胞株を処理すると、細胞内に小さな空胞が集まる特徴的な死に方をすることを確かめた。例えばアポトーシスやネクローシスといった一般的なガン細胞の死に方とは違って、核酸の切断などは見られない。この特徴からパラプトーシスと呼ばれる細胞内ストレスと呼ばれる細胞死がMCB-613で誘導されているのではないかと、詳しく調べて、確かにパラプトーシスが起こっていることを証明している。あとは、MCB-613により確かにSRCの活性が亢進して多くの遺伝子の転写が亢進するとともに、この分子がパラプトーシスを誘導していること、またSRCにより酸化ストレスが細胞に誘導され、これが更にSRCの活性を上げることで、正のサイクルが止められずに細胞が死ぬことなどを明らかにしている。これにはSRCのリン酸化が関与することなど詳しく調べられているが、詳細はいいだろう。コアクチベーターの発現が亢進しているガン細胞では、この活性を更に亢進させると酸化ストレスが上昇するとともに、多くのタンパクが翻訳されるERストレスも亢進して、細胞内に空胞ができ、パラプトーシスで死んでしまうというシナリオだ。分かりやすく言うと、ガンは自分の必要性に合わせて転写を亢進させているが、そこに油を注いで、制御不可能にしてやろうという戦略だ。その上で、マウスに注射したガン細胞の増殖をMCB-613が抑制することを示している。転写因子やコアクティベーターに対する薬剤の開発はもともと難しいが、ガンに特異的な転写因子にだけ焦点を当てず、ちょっと変わった視点からガン制圧の挑戦を続けている人たちがいることを知ることができる、面白い論文だと思う。まだまだガンにも弱みはある。
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8月17日:乳ガン発生過程でのリプログラミング(Natureオンライン版掲載論文)

2015年8月17日
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8月8日と昨日、肝臓の幹細胞研究について紹介したが、どちらの研究でも幹細胞だけで発現する遺伝子に望む時にスウィッチオンできる標識遺伝子を組み込んだモデル動物を使って、特定の時期に標識された幹細胞がどの細胞へと分化するかを調べる方法を用いている。私たちもこの方法を用いて研究を行ったが、動物の開発に時間とコストがかかる。しかしうまくいくと成果は大きく、特に思いもかけなかった新しい発見につながる可能性が高い。今日紹介するブリュッセル自由大学からの論文もそんな例で、乳ガンの発生起源について全く新しい可能性を示しNatureオンライン版に掲載された。タイトル「Reactivation of multipotency by oncogenic PIK3CA induces breast tumor heterogeneity (発ガン遺伝子PIK3CAは多能性を誘導して乳ガンを多様化させる)」だ。この研究はベルギーを代表する若手幹細胞研究者Cedric Blanpainのグループにより行われた。ケンブリッジの幹細胞研究所のアドバイザーを共に勤めたが、研究だけでなく、研究所の運営にも意見を述べることができる、これからのヨーロッパの幹細胞分野を牽引する人材だ。もともと皮膚の幹細胞を研究していたが、彼らが使っていた標識が乳腺の幹細胞の追跡に使えることを発見し、乳腺の幹細胞に関する重要な貢献をNatureに発表した。乳腺は内腔側の管腔細胞とその外側にある基底細胞からできている。乳腺は比較的単純な臓器の割には、ガンになると多様な組織像を示し、一般的に管腔細胞ガンはエストロジェン受容体や、Her2の発現が維持されている予後のいいガンだが、基底細胞ガンはいわゆるトリプルネガティブと呼ばれる予後の悪いガンであることが多い。Cedricらは2011年、管腔細胞と基底細胞を別々に標識する方法を開発しているが、この研究ではこの標識法を用いて、乳ガンに多く見られる変異型PIK3Ca分子を管腔細胞、基底細胞に導入し、ガンの発生を調べている。おそらく最初は管腔細胞にガン遺伝子を導入するとおとなしい管腔細胞ガンが、基底細胞にガン遺伝子を導入すると悪性の基底細胞ガンができると予想して実験を行ったのだろう。ところが全く予想に反し、基底細胞にPIK3Caを導入するとほぼ100%おとなしい管腔細胞ガンになり、管腔細胞に同じガン遺伝子を導入すると基底細胞ガンと呼んでいい多様なガンが発生してしまった。これにp53変異が加わっても、この傾向は変わらないが、基底細胞からも多様なガンが生じる確率が高まる。なぜこの逆転が起こるのかを追求した結果、変異型PIK3Ca導入により管腔細胞も基底細胞も多分化能を獲得することを発見した。次にPIK3Ca遺伝子導入により誘導される遺伝子発現を比べ、この差が生まれる原因を探っている。結果はまだ解釈の段階でしかないと思うが、同じ遺伝子が発現して、同じように多能性が獲得されても、誘導される遺伝子の多くは異なっており、最初の細胞の状態により、リプログラムのされ方が違っているため、最終的にガンの性質の差になっていると結論している。もちろん、両方で共通に発現している遺伝子もあるため、これが多能性獲得に関わるのだろうと示唆している。メカニズムについてはこの研究で全てが明らかになったわけではないとおもう。しかし、乳がんを考える上で極めて大きな貢献であることは間違いない。なぜ乳ガンでPIK3Ca遺伝子変異が多いのか、乳ガンの多様性はどうして起こるのかなど、私の頭の整理もだいぶついた。今後この発見を核に、乳ガン研究は違った展開を見せる気がする。
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8月16日:再生のための肝臓の幹細胞(8月13日号Cell掲載論文)

2015年8月16日
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肝臓の幹細胞についての研究がホットなようだ。つい1週間前8月8日、定常状態の肝臓細胞の再生は中心静脈の周りに存在するAxin2分子を発現している細胞が担っていることを示す論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3894)。今日紹介するカリフォルニア州立大学サンディエゴ校からの論文は、肝臓が様々な理由で障害された時の肝臓再生に関わる幹細胞についての研究で8月13日号のCellに掲載された。タイトルは「Hybrid periportal hepatocytes regenerate the injured liver without giving rise to cancer (門脈周囲のハイブリッド幹細胞は障害された肝臓をガンを誘発することなく再生する)」だ。この論文を読むと、頭のいい実力派の米国研究者(この場合Karin)が、これまでの研究をうまく拝借して、面白いストーリーを仕上げる論文の典型であるのがわかる。肝臓は障害を受けたとき強い再生能力をもっている。だからこそ生体肝移植のドナーは大きい方肝臓を提供しても、残りを再生させて正常な肝機能を回復できる。前回紹介したAxin2幹細胞は定常状態の自己再生に関わり、障害を受けた時の再生には関与しない。ではどの細胞が関与するのか、これまで多くの研究が行われてきた。我が国からも高いレベルの研究が生まれている。Karinがこの分野を研究しているとは思わなかったが、この仕事はまず以前紹介した京大の川口さんたちと同じSox9を使ってこの幹細胞を標識できることを示している。ただ、この系が標識の特異性に問題があることをよく考慮した上で、最終的にSox9の発現が低い肝細胞が再生に関わる可能性に到達した。実際、同じ標識による追跡実験だけではそれほど説得力はない。このことは百も承知で、肝臓細胞にだけ感染するアデノウイルスやアデノ随伴ウイルスを使った2重標識でこれまでとは違う細胞であることを示し、最後は高濃度のタモキシフェン投与だけでラベルできる細胞が多くあることを利用して、細胞を精製し、これが肝細胞と胆管細胞の両方の性質を持った新しいポピュレーションであることを示している。確かに肝臓幹細胞が両方の性格を持つことは示唆されていたが、細胞を培養せずに直接精製して遺伝子発現を調べることで説得力が上がっている。そして、この細胞を数万個脾臓に移植するだけで、細胞移植がないとほとんどが死ぬ障害モデルで、移植によって100%生存できることを示している。その上で、この細胞による再生は肝臓の組織構築をそのまま再構築することまで示している。たしかにここまでくると説得力が急速に上がる。そして最後に、この細胞からはガンにならないことを3つのモデル実験系を用いて示して、うまく論文の価値を高めている。確かに、この論文が正しければ、肝臓がんを考える時、今までのように障害、再生のサイクルモデルは間違っていることになる。この魅力的声明によって、ハイブリッド肝細胞という新しい名前とともに、この分野でこの考に沿った検証を進める研究者が増えるだろう。この分野の研究者は、何かトンピに油揚げをさらわれた感じで、やりきれない気持ちになっているのではと思う。しかし油揚げをさらえるのも、アメリカの層の厚さだろう。研究としてはテクノロジーの問題をよく認識して、総合力で新しい考えを出したいい研究に思える。当分この分野は熱そうだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月15日:新生児糖尿病の遺伝子検査の重要性(7月29日号The Lancet掲載論文)

2015年8月15日
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生後6ヶ月までに糖尿病と診断される場合、1型糖尿病と区別して新生児糖尿病と呼ばれている。診断基準も明確で診断を間違うことはない。ただ、明確な遺伝的原因があることが多く、また原因遺伝子により多様な病態を示すため、症状に基づいて診断をつけるだけでなく、原因遺伝子まで特定することが重要になる。我が国で遺伝子検査がどれだけ普及しているのか現状について把握していないが、今日紹介する英国エクセター大学医学部からの論文は、この病気は診断がついた後できるだけ早く遺伝子検査を行うことの重要性を明確に示した論文で、7月29日号のThe Lancetに掲載された。タイトルは「The effect of early, comprehensive genomic testing on clinical care in neonatal diabetes: international cohort study (新生児糖尿病の診療には早期で徹底的ゲノム検査が必要だ:国際コホート研究)」だ。研究では79カ国の新生児糖尿病と診断された1020人の乳児の細胞をエクスター大学に送付し、原因として特定されている21種類の遺伝子と、6番染色体の特定領域のメチル化解析を行っている。この1次検査で診断がつかなかった場合は、おそらくゲノムキャプチャー法を用いていると思うが、原因としての可能性が示唆されている全ての遺伝子の配列決定を行っている。結果だが、この方法で実に82%の患者さんの原因遺伝子を特定できている。将来エクソームや全ゲノムシークエンスが用いられるようになればさらに診断率は上がるだろう。重要なのは、親族関係のある夫婦の子供と、親族関係のない夫婦の子供を比べると、原因遺伝子が大きく違っていることだ。例えばこの病気でもっとも頻度の高いK-ATPチャンネルの変異は、親族婚では比率が大きく落ち、逆に非親族婚では極めて稀な翻訳開始因子ELF2AKのホモ変異が大きく増加している。遺伝子がわかったところで結局は同じと思われるかもしれないが、遺伝子が特定できると、適切な治療方針を決めることができる。メチル化異常やK-ATPチャンネル異常の一部のように治癒できる場合もある。あるいはインシュリンから経口糖尿剤へ移行する可能性の予測もできる。さらに重要なことは、原因遺伝子によっては他の症状が発生することも多く、例えばEIF2AK遺伝子変異では糖尿発症後数年して筋肉症状などが現れWolcott-Rallison症候群と診断されるが、これを前もって予測することができる。示されたデータを見ると、かなり詳細な経過予測が可能になっていることがわかる。施設の能力の関係で、2000年にこの研究がスタートした時は診断までに平均4年かかっていたが、現在では3ヶ月以内で診断がつくようになっている。その上で、早期遺伝子診断を行うことの重要性を論文では強調している。現在なら同じ検査は多くの国で可能になっているはずで、原因遺伝子特定までの時間はもっと短縮されているだろう。新生児から乳幼児期は発達にとって極めて重要な時期だ。この病気については、症状により診断がつけば良いと済ますのではなく、原因遺伝子特定を診断の原則とするよう我が国でも体制を整えて欲しいと切に願う。
カテゴリ:論文ウォッチ
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