カテゴリ:論文ウォッチ
5月23日:ブラジルワールドカップでのデング熱の危険性(The Lancet Infectious Diseaseオンライン版掲載論文)
2014年5月23日
連休中ボルネオのジャングルをトレッキングしたが、マラリアやデング熱を媒介する蚊に刺されない様万全の注意を払った。注意が過ぎて長袖、ヒルよけソックスなど重装備で熱帯を長時間歩いたため、今度は汗疹で1週間位苦労するはめになった。同じように、ブラジルには熱帯雨林があり、マラリアやデング熱の危険地帯だ。特にデング熱の発症はブラジルが世界中でも一番高いようだ。デング熱と言うのはウィルス性の病気で、筋肉や関節の痛み伴う発熱が特徴だ。ほとんどの場合死に至ることはない一過性の病気なので心配はないが、しかし6月ワールドカップサッカーで大挙して訪れる日本人ファンには注意を促した方がいい。そのための最適な論文がThe Lancet Infectious Diseasesオンライン版に出ていた。ブラジルからの研究でタイトルは「Dengue outlook for the world cup in Brazil: an early warning model framework driven by real-time seasonal climate forecast(ブラジルワールドカップサッカーでのデング熱展望:リアルタイムの天気予報に基づく早期警戒モデル。)」とドンピシャの仕事だ。研究では2000年から2013年までの天候データ、デング熱発症データなどを調べ、それに基づいて階層ベイズ法と言う推計学の手法を用いて、ブラジル各地域でのデング熱発症予報モデルを構築している。モデルについては2013年まで実際の発症数と比較して予測確度を計算している。率直に言って、あたる確率は思ったほど高くなく、予想としては天気予報よりはるかにあたらないと考えた方が良さそうだ。ただサンパウロ、ナタルなど一部の都市については予測の正確度は高いので、十分参考になると思う。転ばぬ先の杖だ。さてワールドカップ開催中の予想だが、低リスク都市;ブラジリア、サンパウロ、クイアバ、クリチバ、ポルトアレグレ、中リスク都市;リオデジャネイロ、ベロホリゾンテ、サルバドール、マナウス、高リスク都市;レシフェ、フォルタレザ、ナタルだ。驚いたことに我がNipponは予選リーグをレシフェ、ナタルクイアバで戦う。即ち高リスクの2都市で戦わなければならない。特にナタルは予想確度が高い地域なので、気をつけた方がいい。ここで高リスクとは10万人に300人が発症する。致死的でないとは言え無視できない数字だ。選手のキャンプ地はリスクが低そうなので少し安心したが、やはり注意は喚起した方が良さそうだ。開催国ブラジルの研究者の責任感を感じる仕事だ。
5月22日:体質と摂生(PlosMedicine5月号掲載論文)
2014年5月22日
自分の遺伝子を調べて病気のリスクを調べることが可能になっている。例えば先日話題になった乳がんの遺伝子BRCA1の突然変異が見つかれば8割以上の人がいつか乳がんを発症するとはっきり宣告できる。一方糖尿病や心臓病などの生活習慣病は統計上のリスクとして科学的に計算できるが、確実に病気になるわけではない。気になるのは、こうして計算されたリスクが実際の病気発症頻度と相関するのかどうかだが、リスクとして計算される数値と発症確率の相関については必ずしも調べられているわけではない。何故なら論文として発表されているのは、計算の根拠として用いる一つ一つの遺伝子多型で、全部をまとめたリスク計算との相関ではない。これを調べるためには大規模な病気発症に関する追跡調査に現行の遺伝子検査を組み合わせることが必要だ。今日紹介する論文を読んで、この大変な調査がヨーロッパでは既に行われていることを知って驚いた。ケンブリッジ大を始めヨーロッパの多くの機関が参加して行われた調査でPlosMedicine5月号に発表されている。タイトルは「Gene-Lifestyle interaction and type2 diabetes: the EPIC InterAct case-cohort study(2型糖尿病に関わる遺伝子と生活習慣の相互作用:ヨーロッパ多国間InterAct症例コホート研究)」だ。EPIC InterAct症例コホート調査は30万人以上の対象者を10年以上にわたって追跡し、糖尿病の発生を調べている。10年目で1万人程度の人が糖尿病と診断されたが、その人達のリスクを、遺伝子検査としてよく使われるイルミナ社の生活習慣病SNPアレーを使って計算して、計算されたリスク値と実際の発症との相関を調べている。予想通り、計算された遺伝子リスクと発症との相関はある。ただ年齢や生活習慣に関わる体重、ウエストサイズなどと更に詳しい関連を見て行くと、遺伝子検査から計算されるリスク値が、生活習慣による影響によって覆い隠されて行くのがわかる。例えば調査参加時若い人、痩せた人、あるいは運動量の多い人だと、遺伝子リスクと発症の相関がはっきりわかる。しかし参加時に、60歳を超えている人、太っている人、ほとんど運動しない人などでは遺伝子リスクと発症との相関が消えてしまうと言う結果だ。糖尿病に限っての話だが、要するに生活習慣のリスクは遺伝子リスクよりはるかに高いと言う結果だ。我が国でも遺伝子による体質検査サービスについて、経産省主導で議論が始まっているようだが、消費者の疑問に答えるためにエビデンスを集めるヨーロッパの取り組みから学ぶ所は多い。
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5月21日:アメリカ原住民のルーツ,遺伝子か骨格か?(5月16日号Science掲載論文)
2014年5月21日
考古学ほどゲノム解読技術により大きな変革を遂げた学問分野はないかもしれない。今日紹介する論文はその例だ。南・北アメリカに住んでいた原住民は、シベリアから氷河期にベーリング海を渡って移動して来たとされている。最近北アメリカで発見された1.2−1.4万年前の化石から得られるDNAの解析はこの説を完全に支持している。とは言っても、中南米に住むアメリカ原住民の写真を見ると、いわゆるアメリカインデアンと言われる人達より、アフリカ、南アジア、ポリネシアなどとの共通性の方が強いように思える。事実、骨格の比較からアメリカ原住民は少なくとも2つの異なる祖先に由来するのではと言う説が出されていた。しかし、中南米原住民の祖先の化石DNAがないため、明確な答えを得ることが出来ていなかった。この問題に答えたのがアメリカ、メキシコの考古学チームが5月16日号のScience誌に発表した論文で、タイトルは「Late Pleistocene human skeleton and mtDNA link paleoamericans and modern native americans (更新世後期の人間の骨とミトコンドリアDNAは古代アメリカ人とアメリカ原住民の関係を明らかにした)」だ。おそらく中南米での化石DNA研究が進まなかった原因は、保存状態のいい骨の化石が入手できなかった事によると思われる。ところがこのグループはユカタン半島Hoyo Negroの水で満たされた洞窟から、歯も完全に揃った15−16歳女性の完全骨格を発見した。アイソトープを使った年代測定では1.2万年前の祖先で、現在の中南米原住民と古代アメリカ人をつなぐ貴重な資料だ。保存状態は極めて良く、DNAも残っており、骨格とゲノムとの相関を調べることがついに可能になった。結果は明確で、骨格は現代の中南米原住民を代表するが、DNAの配列はこれまで北アメリカで発見されていたDNA配列と同じで、中南米原住民の祖先もベーリング海を渡って来た同じ系統に属することが明らかになった。この結果は、これまで考古学の中心であった骨格の形態比較に全幅の信頼を置くことは難しいことを示した。逆に、骨格などは1万年もあれば如何様にも変化できると言うことだ。実際、ピグミーもマサイ族も先祖は同じだろう(文献的に確かめたわけではないが)。今後全ゲノムが明らかになることで、骨格の変化につながった遺伝子変異も明らかになるかもしれない。3月にスペインで行われたこの分野のシンポジウムのタイトルが「From bone to DNA」だったが、なるほどと納得する。
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5月20日:プラダー・ウィリ症候群の原因特定;疾患iPS研究の手本(Nature Geneticsオンライン版掲載)
2014年5月20日
病気の人からiPSを樹立して、病気の発症過程を明らかにする研究は現在世界中で進んでいる。例えばつい先日このコーナーでも統合失調症患者由来iPSを用いた研究を紹介した。しかし正直に言って、「なるほど」とメカニズムの説明に納得する研究はまだない様な気がする。その意味で今日紹介する論文はiPSパワー全開の仕事で、示された説明にも納得した。イスラエルのグループがNature Geneticsオンライン版に発表した論文で、タイトルは「The noncoding RNA IPW regulates the imprinted DLK1-DIO3 locus in an induced pluripotent stem cell model of Prader-Willi syndrome(Prader-Willi症候群患者由来のiPSを用いて遺伝子コードしないRNA IPWがインプリントされたDLK1-DIO3領域を調節していることを明らかにした)」だ。一般の人だとおそらくタイトルを聞いた時点で「チンプンカンプン、読むの止めた」とあきらめると想像する。インプリンティング、Prader-Willi症候群、訳の分からない名前が並んでいる。先ずPrader-Willi症候群(PWS)から説明しよう。この病気は15番染色体の特定の場所の遺伝子が欠損したり、発現が抑制されることにより発生する。ほとんどのケースは遺伝病ではなく、父親から来た染色体上にあるこの部位の遺伝子が発生途上で変化することにより病気が発生する。元々母親由来の染色体ではこの部位は抑制されている。このため受精卵から造るES細胞では変化を再現できず研究が出来ないことから、iPS技術が必須の病気だ。インプリンティングも理解しにくい。現役時代学生に理解してもらうのに苦労した現象の一つだ。子宮内で胎児発生が起こるほ乳動物だけで見られる現象で、特定の遺伝子で母親からの染色体と、父親からの染色体の間で発現に差がある現象を言う。なぜインプリンティングが必要かなど話しだすと終わらないので説明は割愛するが、母親染色体と父親染色体の戦いと説明されることが多い。事実この機構が壊れると様々な異常が発生する。PWSが本来父親由来の染色体だけで発現している遺伝子座の発現異常で起こることから、この病気自体もインプリンティング病と考えられて来た。ただ症状はこの部位の遺伝子発現異常だけでは説明がついていなかった。この困難は、これまでこの病気の解析に主に使われてきた患者由来の線維芽細胞では様々な後天的変化が積み重なって安定した結果が得られなかったことも原因だ。この意味で後天的な変化をリプログラムできるiPS技術は重要だ。このパワーを完全に生かして、この研究ではPWSの疾患の成り立ちを説明することについに成功している。詳細を割愛して示された説明だけを述べておく。まずこの病気の原因がIWPと呼ばれる、タンパク質には翻訳されないが、遺伝子発現の調節に関わるRNAをコードしている遺伝子の発現異常であることを発見している。もともとIPWは母親由来染色体ではインプリンティングで抑制されているが、発生途上で父親側の遺伝子自体の突然変異、あるいはメチル化による遺伝子発現抑制が起こると、このRNAは発現しない。このRNAは14番染色体の特定部位の母親由来の幾つかの遺伝子をヒストンのメチル化を通して抑制する役割があるが、このRNAが発現しなくなるとこれらの遺伝子の発現が上昇して、様々な組織の多様な症状につながると言う説明だ。今後、更に症状の理解に向けた研究が進むと期待できる。インプリンティングと言う現象は父親側の染色体と、母親側の染色体の戦いとして考えると理解し易いのだが、この研究はIPWという父親側だけで発現する遺伝子が、次に異なる染色体にあるインプリンティング領域に働いて、母親の遺伝子の発現をさらに押さえると言う念のいったメカニズムの存在を明らかにした。なぜインプリンティングと言う現象が進化して来たのかはともかく、この染色体同士の戦いの凄さを物語る。しかしやはりこの話は一般の人には難しかったと思う。あらゆる話を飛ばして「iPSでしか出来なかった研究で、疾患のメカニズム解析研究にとってのiPSの重要性を実感させてくれる」研究だとまとめておこう。
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5月19日:抗うつ剤エスシタロプラムによるアルツハイマー病治療の可能性(5月14日号Science Translational Medicine掲載論文)
2014年5月19日
アルツハイマー病の病理的特徴の一つは、アミロイドAβとして知られる物質が脳内で蓄積・集積してアミロイド斑が形成されることだ。現在行われている治療は、脳の神経活動を活性化して認知機能を促進する、いわば対症療法だが、アミロイドAβの蓄積を抑制する根本的な治療法も開発が続けられている。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、既に臨床に使われている抗うつ剤がアミロイドAβの産生を抑制してアルツハイマーの進行を遅らせる可能性を示す論文で、5月号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「An antidepressant decreases CSF Aβ production in healthy individuals and in transgenic AD mice(抗うつ剤は健康人とアルツハイマー病モデルマウスの脳脊髄液のアミロイドAβ産生を低化させる)」だ。元々エスシタロプラムがアミロイド斑の形成を抑制する可能性が様々な結果から期待されていた。この研究はこの可能性を確かめ、有効濃度、メカニズムを調べる目的で行われている。まず様々な量のエスシタロプラムアルツハイマー病モデルマウスに投与し、鬱病で使われている用量が脳脊髄液のアミロイドAβ濃度を低化させ、更にアミロイド斑の形成を阻害することを確かめている。次に健康なボランティアーを募り薬剤の効果を確かめている。かなり踏み込んだ実験で、おそらく我が国では行うことが困難だろうと思う。実験では被験者の脊髄腔にカテーテルを留置して経時的に脳脊髄液を採取している。更に静脈に留置したカテーテルから血液を採取するとともに、アイソトープを標識したアミノ酸を投与し、新たに産生されるアミロイドAβの量を計っている。結果は期待通りで、エスシタロプラム60mg投与によりアミロイドAβ産生が37%低下し、脳脊髄液中の濃度が38%低下している。この結果は、セロトニン再吸収阻害剤エスシタロプラムはアミロイドAβを抑制することで脳内の濃度を低化させ、アミロイド斑形成を抑制できることを示している。このように既に使われている薬剤を違う目的に使うリパーパスは臨床応用へのハードルが低く、医療費抑制にも大きく記する。早期に患者さんについての臨床研究が進むことを期待する。
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5月18日:血中乳がん細胞数と予後(The Journal of National Cancer Institute5月号掲載論文)
2014年5月18日
壊れたがん細胞から血中に遊離してくるDNAを診断に用いる研究についてはこれまでも紹介した。実はがん細胞自体がそのまま血中に流れている場合も知られている。転移がんだ。血液転移は血液にがん細胞が遊離されることにより始まると考えられるため、転移がんの診断に血中のがん細胞を検出する検査の有効性は既に確立されている。また血中を流れるがん細胞を高感度に検出する機器がアメリカで開発され、我が国でも導入が始まっている。この機器は血中のがん細胞を補足することに機能を絞って開発された優れた機械だ。今日紹介する論文はこのCellTracksと呼ばれる機械を使って乳がんと診断され治療が始まる前の血中を流れる乳がん細胞の数と再発率などを検討したミュンヘン大学の研究だ。タイトルは「Circulating tumor cells predict survival in early average to high risk breast cancer patients(血中の主要細胞の存在を元に早期の一般的がんからリスクの高いがん患者の生存予後を予想できる)」だ。研究では2000人余りの患者さんの参加を得て、診断直後に採取した血液に存在するがん細胞をCellTracksを用いて検出し、その後3年経過を観察している。驚くことに、初期のがんも含め、乳がんと診断された時点で実に21%の患者さんの血液からがん細胞が検出される。その後の検査でリンパ節転移の見つかった患者さんほど血中にがん細胞が見つかる確率は高い。しかし他の臨床検査結果との相関は低く、がんの性質に関わらず大体同じ頻度で陽性になる。次に経過を観察し血中のがん細胞が陽性の場合と陰性の場合の再発率、生存率などを調べると、陽性の場合の予後は明らかに良くない。また、単位血液あたりのがん細胞の数が多いほど予後が悪い。このことから、この検査はがんの予後を予測する指標になり、血中のがんが陽性の患者さんでは、再発の可能性を常に頭に置いて経過を観察することが重要であることがわかる。面白いのは、手術前の補助化学療法によって血中のがんが消えたり、あるいは逆に出現する場合があるが、この様な変化は予後に相関しないことだ。おそらく化学療法はがん細胞の血中への遊離を促進するが、化学療法の結果、血中のがん細胞はある程度無害化されているのだろう。これまでCellTacks検査は転移がんで応用が進んで来た。今回、最初の乳がん診断時の予後の指標として有効であることが示され、CellTracksの利用の拡大が予想される。問題は、初診時の血中がん陽性の患者さんの治療方針がまだ明らかでない点だ。優れた検査法を生かすための治療法の研究が急がれる。しかし抹消血でがんを診断する様々な方法の開発が急速に進展していることを実感する。
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5月17日:放射線障害の新しい治療法(5月15日号Science Translational Medicine掲載論文)
2014年5月17日
放射線障害治療に活性酸素スカベンジャーなどが効果が確認された薬剤としてこれまでも利用されている。しかし効果が出るためには被爆以前から予防的に使用する必要があった。これに対し今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、被爆後1日を経過した後投与を始めても効果があると言う新しい薬剤についての研究で、5月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「PHD inhibition mitigates and protects against radiation-induced gastrointestinal toxity via HIF2(PHD蛋白は放射線の消化器毒性をHIF2を介して軽減し防ぐ効果がある)」だ。PHD蛋白とはHIFと呼ばれる低酸素や様々なストレスにより活性化される分子を就職する酵素で、これによりHIFが分解される。HIFは消化管上皮をストレスから守ることが知られている。このグループは放射線による消化管上皮障害にもHIFが効果があるのではと狙いを付け、HIF分解に関わるPHD蛋白を抑制してHIFが壊れなくして調べている。PHD蛋白は3種類存在するが、全ての分子を腸管で発現できなくしたマウスでは予想通り、放射線照射による死を抑制する効果を確認した。次にPHD蛋白の機能を阻害する薬剤DMOGに同じ効果があるか放射線照射前から投与して調べると、期待通り抑制効果があった。実際の放射線被爆では、被爆を予想して薬剤を投与できるのはあらかじめ計画された放射線治療時ぐらいで、事故では被爆後から投与して効果のある治療薬が必要だ。このため、DMOG投与を被爆後24時間から始めたときも同じ効果があるか調べ、17グレイまでの被爆であれば治療効果があることも確認している。更に、がんの放射線治療で、がんの方にも放射線抵抗性が獲得されると困るので、実験的がんを移植してDMOGを投与する実験も行い、がんの抵抗性を上げることがないことも確認している。メカニズムについても検討しており、PHD蛋白抑制によりHIF2が安定し、この作用で血管増殖因子(VEGF)分泌が上昇すると言うシナリオを示している。とすると、VEGF投与も放射線障害に効果があることになる。示されたデータは全てマウスを用いた実験結果だが、人間にも使えるPHD阻害剤は東大医学部のグループにより貧血治療(HIFが安定化すると赤血球を増殖させるシグナルが上がる)のため開発されていることから、この結果を人でも試すためにそう時間はかからないと思える。新しい治療法として期待でしたい。
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5月16日:疾患iPSを用いる脳高次機能解析の困難(Molecular Psychiatry5月号掲載論文)
2014年5月16日
現役時代、iPS/ES研究の助成方針について意見交換のためアメリカNIHに行った時、iPSを用いた認知機能研究をテーマに助成をスタートすると言う話を聞いて、ずいぶん野心的プロジェクトだと驚いた。その後アメリカからこの方向性に沿った研究が発表されるのを見て、「細胞で認知機能の何がわかる」と決めつけないことが重要であること教えられた。アメリカでこの分野の先頭に立つのがFred Gageで、ヒトと比べる目的で、ゴリラ、ボノボ、チンパンジーのiPSを樹立するなど柔軟な発想でiPS利用を進めている。中でも2011年、統合失調症の患者さんから樹立したiPS由来の神経細胞を比べ、神経突起の結合性が統合失調症の患者さんでは低下しており、それをClozapineなどの治療薬で改善できると言う驚くべき結果を発表した。しかしその後音沙汰がないので、論文のための論文かと思っていたら、今日紹介する論文が5月号のMolecular Psychiatryに発表された。筆頭著者は2011年と同じでタイトルは「Phenotypic differences in hiPSC NPC derived from patients with schizophrenia(統合失調症患者由来のiPSから誘導した神経前駆細胞(NPC)の示す形質の違い)」だ。今度の仕事も以前と内容はほぼ同じで、4例の患者iPSから神経を誘導し、遺伝子、蛋白、機能を正常と比べている。今回は、彼らの方法でiPSから誘導される神経細胞が6週例の胎児脳に近いことを示した点が先ず新しい。これには以前紹介したアレン研究所で進むヒト胎児脳の遺伝子発現データベースの寄与が大きい。長期的視野を持つデータベース作りは見習う所が多い。遺伝子発現、蛋白発現についても以前よりは大規模な研究を行っている。結局個々の細胞のバリエーションが大きいためか、結果は以前の物と大分違っている印象がある。ネットワーク解析など以前とは異なる方法を用いた今回の比較結果で一番目立ったのが神経接着に関わる遺伝子の発現変化だ。また、蛋白発現の解析から、酸化ストレスと細胞骨格に関わる分子の発現に大きな差を見つけている。この分子発現と一致して、患者iPS由来神経細胞は移動性が低く、またミトコンドリアの障害と酸化ストレスが亢進していることが見つかっている。これらの結果は、統合失調症の患者さんの神経細胞は発生段階から異常があることを示唆している。ただ今回の結果は以前の結果と矛盾はしないが、しかし今回の論文で示された異常はClozapineなどの薬で全く改善しない。また本来行ってしかるべき以前の結果との比較はこの論文でほとんどされていない。幾つかの点で結果の一貫性がないことは明らかだ。多分著者達も解釈に困ったはずだ。しかしこの方向の研究に困難があるのは当然だ。全くめげる必要はないと思う。到底不可能と考えられることに挑戦する人達が多く出てくることが最も重要だ。私は両方の論文を評価したい。
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5月15日:自由意志(Psychological science オンライン版掲載論文)
2014年5月15日
先日京都大学の白眉プロジェクト主催のパネルディスカッションに参加した時、若手のコンピューター科学者が「自由意志」が本当にあるかどうかという問題を提起したのを見て、「自己と他」の問題をまじめに考えている若者がいるのだと少し喜んだ。私もデカルト以来克服できていない2元論や主観の問題は21世紀の重要な研究課題になると思っている。さて今日紹介する論文は、頭の中に形成された認識が,自分の発した言葉にどの程度影響されるのかを調べたスウェーデンウプサラ大学からの興味深い研究で、Psychological Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Speaker’s acceptance of real-time speech exchange indicates that we use auditory feedback to specify the meaning of what we say(話し手は発語された自分の言葉を受け入れてしまう事から、自分が何を話したかを特定するのに音によるフィードバックを使っているようだ)」だ。心理学研究では問題を説くためどれだけ説得力のある実験プロトコルを考えるかが命だ。この研究では、画面に示される色を見てその色を言葉にした時、つぶやいた言葉の聴覚認識が、視覚情報によって脳内に形成された認識にどの程度影響するかを調べるための実験系がデザインされている。先ず被験者はパソコン画面の前に座り、自分のつぶやいた音も含め回りの音を完全に遮断するヘッドフォーンを装着する。その上で、250語ストループテストを行う。このテストは脳への入力間の干渉を見るテストで、この場合画面の文字を見たことによる入力と、それを発語した音を聞き直すことによる入力との干渉だ。最初は発語された音がヘッドフォーンを通してそのまま耳に入るようにし、途中で「今何と言った?」と質問を行い、被験者が認識している内容を確認する。最初のうちに被験者のつぶやきを録音し、後半は録音した音だけ画面の文字と連動させてヘッドフォーンを通して聞かすようにする。このとき、スウェーデン語の「灰色 [ɡɹoː]」と「緑[ɡɹoːn]」の発音が似た2語は音をすり替えて聞かせ、「今何と言った?」と聞いた時、耳で聞いた音のに影響される程度を調べている。つぶやきを聞かせるタイミングを決める必要があるなど実験的詳細が重要だが全て割愛する。要するにつぶやいた音によって、視覚的に入って来た認識がどう影響されるかを見るためにはうまくデザインされたプロトコルだ。結果は予想通り(?)で、聞こえたぶやきの意味をそのまま答える被験者が4割に達し、さらに答えが最終的に視覚から得た認識と同じ場合も、自信がないそぶりを示したケースが4割に達している。合わせると、耳から入った音に影響されたケースが8割に達することになり頭の中で最初に形成されたイメージがいかに不安定かを明確に示す結果だ。しかし私たちはこのことを経験的に知っている。例えば、電車の最前列車両に乗ると、運転手さんの点呼の声が聞こえるのはこの証拠だ。しかし科学的に一つ一つ経験的事実が確認されるのは素晴らしいことだ。詳しくは紹介できないが、最近読んだ論文の中に、自分の認識に割り込んでくる他人の脳内にあるイメージを扱った面白い研究があった。The Journal of Neuroscience4月30日号に掲載されたコーネル大学からの仕事で、「On the same wavelength:Predictable language enhances speaker-listener brain-to-brain synchrony in posterior superior temporal gyrus (波長があう:言葉が予測できると、話し手の脳と、聞き手の脳が後部上側頭回で同調する)」と言う論文だ。内容は、簡単な図を見た後、その図についての他人の説明を聞くと、次に同じ絵を見た時の脳上側頭回の反応が話し手と聞き手で同調すると言う結果だ。他人に影響され易いのはわかっていたが、しかしMRIによる測定結果として示されると不思議と納得する。苦労しながらも脳の根本問題に対して様々な取り組みが行われているのを実感して楽しんでいる。
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5月14日:瀰漫性胃がんのエクソーム解析(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
2014年5月14日
胃がんは日本人に多いがんだったが、がんの中でも治療成績がよく進行がんも含めて5年生存率は6割を超える。しかし胃がんの中でスキルスがんとして知られる瀰漫性のタイプは発見が難しく、また進行も早いため5年生存率は2割を切るのではないだろうか。昨年友人をやはり瀰漫性胃がんで失ったが、発症から半年で亡くなってしまった。この瀰漫性胃がんのエクソーム解析が東大のグループからNature Medicineオンライン版に報告された。タイトルは「Recurrent gain-of-function mutations of RHOA in diffuse type gastric carcinoma (瀰漫性胃がんに高頻度に見られるRHOAの活性型突然変異)」だ。元々このタイプのがんは組織反応が強く、がん細胞だけを集めるのが難しい。そのため解析が遅れていたようだが、この研究でも得られたサンプルに含まれるがん細胞の比率は高い場合でも60%、低い場合だと20%しかない。この問題を克服しながら、正常細胞とがん細胞を比べている。当然これまで胃がんで知られていた突然変異が瀰漫性胃がんにも見つかっている。ただ見た所、間違いなく新しい創薬標的の可能性のある分子はこの中には含まれていない。この研究のハイライトは、普通の胃がんには全く見つかっていなかったRHOAと言う分子を活性化させる突然変異が25%の患者さんに見つかり、さらにこの分子の関わるシグナル経路の分子の突然変異も入れると4割近い患者さんで、RHOA経路の活性化が見つかっていると言う点だ。カドヘリンと呼ばれる接着分子の突然変異も瀰漫性に特異的な突然変異だ。私はもちろん胃がんについては素人だが、しかし、瀰漫性胃がんでこの2つの遺伝子に突然変異があると示されると妙に納得する。何故かと言われると困るが、RhoAは細胞骨格の変化と細胞増殖の両方に関わる事が知られており、瀰漫性の胃がんで活性化されている分子としての資格は十分だ。一方細胞間の接着に関わるカドヘリンも、組織からがん細胞がこぼれて増殖する性質を説明する。残念ながら今回の仕事では瀰漫性胃がんでなぜ組織反応が強いのかを説明する事は出来なかったようだ。この性質は膵臓がんにも見られる、予後の悪いがんの特徴なので是非この原因も突き止めて欲しいと期待する。いずれにせよ、RhoAシグナルについては薬剤開発の可能性が十分ある。論文でも、この分子の発現が抑制されるとがんの増殖を抑制できる事が示されており、期待したい。胃がんについて全ゲノムも含め更に包括的に行われた研究がファイザー製薬と香港大学のグループからNature Medicineに掲載されていたが、エクソームから得られる以上の驚くべき結果が示される所までは至っていないようだ。今後ゲノム分野の情報処理技術の一段の進歩が必要だろう。しかしファイザーと聞くと、我が国の製薬企業がゲノムに対して真剣に取り組んでいるのか大いに心配だ。
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