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7月14日:科学界の格差問題(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
2014年7月14日
理研の顧問も辞めて自由になったのだからもっと発言して欲しいと促される。もちろんそのつもりだが、自分の思いつきをちょっと話して、「いいね」をもらえば済むこととは思っていない。私は今回の問題を、1)マスメディアの情報だけに依存して独自の情報源を持たない政治家や役人による科学行政、2)論文を読まずプレス発表を鵜呑みにして報道するメディア、3)そして連帯感のない格差社会を最終的に求めて来た科学者の3者が作り上げた構造問題ではないかと感じている。そして科学界の格差は、自分は正しく他人は間違っていると主張して、相対的に物事を考えない大部分の科学者により支えられていると感じている。しかしこれは全て私の思いつきで、作り話にすぎない。従って、この仮説が正しいか、よく調べて行く必要がある。思い返すと、リーマンショックが起こった時個人の責任追及を含めて、メディアは責任追及の先頭に立った。しかしそんな嵐の中でも、しっかりとショックに至った構造問題の冷静な分析が行われ、5年位してから多くの本が書かれている。私が読んだ本で言えばLuigi Zingalesさんと言うアメリカ在住のイタリア人経済学者の書いたA Capitalism for the Peopleと言う本はそんな一つだ。リーマンブラザーズを初めとした投資銀行と、政府の政策、その出先としてのファニー・メイやフレディ・マックといった政府系金融機関、そして勝ち抜け型の経済システムを持ち上げたメディア、学会誌、これらが持たれ合って全く罪悪感なしにデータの捏造を行い庶民の資産を吸い上げて行ったのかがよく分析されている。以前触れたThomas Pikettyレポートもその一つだ。これらの分析の重要性はどうすれば構造を変えられるかについて提言まで至っていることだ。小保方問題でどこからも前向きの提案が出てこないのは、この構造についての分析が本当は出来ていないからだ。とは言え、8月1日には経営コンサルタントの波頭亮さんと対談するつもりだ。少しづつ調べたことを基礎に、前向きの提案はして行きたい。前置きが長くなったが、科学界のもう一つの構造的格差は男女格差だろう。私も現役の時、採用時に女性を優遇するしかないと考えて来たが、我が国の状況ははっきり言って未開国と言えるだろう。事実途上国を含め外国でセミナーをしても、女性が多いのに気づく。一度ポルトガルのG研究所で1週間集中講義をしたが、その受講生20人中19人が女性だった。ただ私が進んでいると思っている欧米各国もこの構造問題を追及する手を緩めていないようだ。今日紹介するアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されたボストンにある研究所からの論文は、アメリカ生命科学界における男女格差の構造的問題を調査している。タイトルは「Elite male faculty in the life science employ fewer women(男性エリート教授は女性をあまり雇用しない)」だ。まさにタイトルが示すように、これまでのジェンダーギャップについての一般的調査ではなく、エリート、即ち勝ち抜け研究者の女性差別について調べている。確かにアメリカの会議に出ると、女性が活躍している点では我が国は足下にも及ばないことを感じる。事実大学院生の数で見るとアメリカはほぼ男女同数だ。しかし、ポスドク、テニアポジションと地位が上がって行くと女性の数は減り始める。それでも大学や研究所でファカルティーと呼ばれる地位に就く女性は全体の3割いる。また、エリート研究者に与えられるハワードヒューズ財団助成金も、約3割に与えられており、アメリカ生命科学界の女性シェアはほぼあらゆる分野で3割を超えるようになっている。ただ確かに、フルプロフェッサーや、アカデミー会員、ノーベル賞やラスカー賞など大きな賞の受賞者を見ると、2割前後に低下する。これも時間が解決すると考える向きもあるが、この研究では、このギャップを発生させるパイプラインの漏れを更に追求している。そして「漏れ」の原因になる一つの要因が、男性エリート研究者の研究室では女性の雇用が少ないという事実を見つけ出した。女性エリート研究者にはこの様な傾向は見られない。重要なことは、アメリカでも次世代のファカルティーはエリート研究室から排出される確率が高いことだ。とすると構造的に格差は維持されるか場合によっては拡大すると言う結論だ。そして、結果男女格差構造はこの雇用部分を意識的に変えることでしか変わらないと言う提言を行っている。たいした調査ではない。しかし構造を分析して提言する健全さを見習うべきだろう。
7月13日:ウズラの第3の目(Current Biology7月7日号掲載論文)
2014年7月13日
現役を退いてから医学・生物学全般に「物知り」になろうと努力しているが、知らないことは沢山ある。日照時間に合わせた毎日のリズムを作るために鳥類では松果体に光を感じる細胞があることは知っていたが、これとは別に季節を感じるための光受容体を他の場所に持っていて、甲状腺刺激ホルモンを介して生殖行動を支配しているらしい。このことは1935年から知られているようで、当時の研究ではガチョウの頭を黒い布で覆って光が感知されていることを確認している。他にも、雀の頭皮に墨を注射すると言う想像力に満ちた研究も行われており、この分野では当たり前のことだったようだ。今日紹介する論文は名古屋大学の吉村さん達の研究で、この反応にこれまで同定されていた短波長の光に感受性のある色素OPN5を発現している細胞が関わっていることを証明した研究で、Current Biology7月号に掲載された。この号の表紙は、国会図書館から借りて来たウズラの美しい日本画を使っており、人目を引く。タイトルは「Intrinsic photosensitivity of a deep brain photoreceptor(脳幹部の光受容体はそれ自身で光感受性を持つ)」だ。元々吉村さん達はOPN5に注目して研究を続けていたようだ。この研究はその延長で、OPN5を発現している細胞が光に反応する細胞か、この分子が光による甲状腺刺激ホルモン分泌に関わるかを調べた研究だ。先ずパッチクランプと呼ばれる一個の神経細胞の活動を調べる方法で、確かに光に反応して興奮することを明らかした上で、次にOPN5の遺伝子発現を局所的に押さえると、光刺激に反応した甲状腺刺激ホルモンの分泌が少し低下することを示している。結果はこれだけの短い論文だが、季節の移り変わりがはっきりした日本のウズラについての仕事だと思うと、勉強をした気持ちになる。しかし本当に光が届くのかと心配にもなるが、よく考えればどんな鳥も頭は小さい。十分届くのだろう。6月22日黒いカラスと灰色のカラスの話を紹介した。1935年の実験で黒い布がこの細胞の活性を抑制するなら、この細胞の活性をこの2種類のカラスで調べれば面白いだろうな?季節のない赤道付近の鳥は?などと連想は果てしない。
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7月12日血液に流れる乳がん細胞を利用し尽くす(7月11日号Science誌掲載論文)
2014年7月12日
最近乳がんのことで相談されることが多く、気になって論文を他の分野より詳しく読むことが多くなった。そして実感するのは、研究が急速に進展していることだ。何年か前、友人で細胞学者のNさんから奥さんの乳がん転移がみつかり、どう対応すべきか相談されたことがある。東京新橋の地下にあるワインバーだったが、当時は全く知識を持ち合わせず根拠のない励ましの言葉をつぶやくのが関の山だった。しかし今なら知識はある。お金はかかるが、日本がだめならアメリカだってある。もっと具体的なアドバイスが出来る様な気がする。特に今注目しているのがCTC(循環腫瘍細胞)だ。5月18日初診時の乳がん患者さんの血中にすでにがん細胞が流れており、それを定量的に数えることが出来ることを紹介した。さらに6月15日、肺小細胞性未分化ガンを抹消血から取り出して、マウスの中で増やす技術についても紹介した。抹消血から完全ながん細胞が分離できることは恐ろしいことだが、裏を返せば戦う相手を捕まえて調べることが出来ることを意味する。今日紹介するマサチューセッツ総合病院・ハーバード大学の論文は抹消血から乳がんを回収して、試験管内で増殖させる方法の開発を目指した研究だ。研究には抹消血中にがん細胞が流れていることが確認されている転移乳がんの患者さんが選ばれている。がん細胞はこのグループが独自で開発したミクロ流体工学デバイスを用いている。この方法は製品化されてはいないが、前回紹介したCTC採取法と比べるとコストは安そうだ。研究のハイライトはこのがん細胞の培養法を開発したことだ。3次元培養法でほぼ無限に培養できるが、樹立できる確率は36例中6例だった。一旦培養が出来ると、試験管内の薬剤感受性検定など様々なテストに使うことが出来る。また、マウスの中でも増やすことが出来るようだ。成功率はまだ2割を切っているが、必ず培養法は改善される。マウスであれば、正常乳腺上皮や腸管の幹細胞を1個から増やすことが出来る。おそらく、培養に用いるサイトカインとともに、幹細胞を見つけて、あるいは幹細胞へと戻してから培養する方法などが開発され、近い将来転移がんであれば末梢血から取り出して、薬が効くかどうかを調べることが出来るようになるはずだ。我が国の現状から見てうらやましいと思ったのはマサチューセッツ総合病院ではルーチンに25遺伝子、100種類の突然変異についてテストが終わっていることだ。この程度のことは日本でも出来るようにするのが重要だろう。抹消血から腫瘍が培養できると、更に詳しい検査が可能になる。1000種類の突然変異を補足して次世代シークエンサーで配列を決める方法を用いて転移性を獲得する過程で起こって来た突然変異について詳しく調べている。専門的になるのでこの説明は省くが、この結果に基づいて様々な薬剤をテストし、新しい転移がんの治療法が見つからないか調べている。その結果、試験管内での転移がん細胞の性質から考えられる3−4種類の新しい薬剤を提案することが出来ている。もちろんこのお薬を患者さんに使ったのかどうかはわからない。しかし自分のガンを知って戦うことが間違いなく可能になっていることを実感する。これからは友人に聞かれてもエビデンスに基づいて励ますことが出来ると思うが、我が国でも最新のエビデンスに基づいてがんと戦える日が来るよう支援したい。
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7月11日:結核と貧困(7月号Lancet Global Health誌及びAngewante Chemie誌掲載論文)
2014年7月11日
私が卒業して病院で働き始めた1973年頃、我が国の結核患者は約50万人だった。それが現在では2万人以下になっている。もちろん他の先進国と比べると我が国の結核罹病率はまだ高い。しかし有病者数の推移を見ていると、高度成長期と見事に逆比例しているのがわかる。幸い世界的規模でも経済成長のおかげで抗生物質が行き渡るようになり、結核有病率は低下し続けている。2013年のWHOのレポートでは現在9百万の患者さんがいることになっているが、そのうち50万近くが多剤耐性結核菌を保有し、またアフリカの100万人はエイズを併発するなど、新しい問題が現れ先行きに暗雲が立ちこめている。このためには、貧困対策と同時に、早期に結核を治療し、有病率を劇的に減らして行くことが重要になる。ただWHO統計が申告ベースで、どの位実体に近いのかは常に問題になっている。今日紹介する最初の論文は実体の捉えにくい小児の結核の有病率を様々な統計データからシュミレーションしようとする英国とアメリカの共同研究である。7月9日号のThe Lancet Global Health誌に掲載された論文で、「Burden of childhood tuberculosis in 22 high-burden countries: a mathematical modeling study(有病率が特に高い22カ国での小児結核:数理モデル研究)」がタイトルだ。研究では2010年の申告データに基づき、1)一般社会的要因だけを考慮したモデルと、2)小児結核の現場で、ある過程での様々な要因の分析結果に基づくモデルをシュミレーションし、2010年の子供の結核患者の数を推定している。モデルでは家族構成や経済状態、その土地での結核患者数だけでなく、患者の居住地域やエイズ感染、BCGワクチン接種なども加味して計算が行われている。結果は予想より深刻で、2010年には約750万の新規感染者と、65万の新しい患者が発生したと想定できるようだ。特に新しい患者の25%以上はインドで発生しており、INH等の薬剤の予防投与も積極的に考えることを勧告している。統計学を応用して健康や疾病を最初に考えたのはナイチンゲールだと聞いて驚いたのを覚えているが、まさにこの伝統を感じる仕事だ。もちろん次は実態調査が必要だ。ただ、そのためには結核かどうかを診断する必要がある。私が病院で働き始めた頃、結核の確定診断はよほどひどい感染で、喀痰中に菌が見える場合を除いて、結核菌が培養されてくるまで待つ必要があった。これには早くて1ヶ月かかった。しかし現在ではPCRを用いる遺伝子検査で、その日のうちに結果を知ることが出来る。問題はコストだ。もちろん肺の病変ですぐ診断をつけることが出来るが、我が国では当たり前のレントゲン検査も結核が問題になる地域ではコストがかかるため実施が簡単ではない。こんな問題を解決しようと、結核菌に特異的なマーカーを使って感染を迅速に診断する技術開発も進んでいるようだ。今日紹介するもう一つのスタンフォード大学などからの論文はその一つで、Angewandte Chemie International Editionオンライン版に掲載されている。タイトルは「Fluorogenic probes with substitutions at the 2 and 7 positions of cephalosporin are highly BlaC specific for rapid Mycobacterium tuberculosis detection (セファロスポリンの2、7部位の変換により作成した蛍光プローブは結核菌のBlaC特異的で迅速診断に利用できる)」だ。研究ではBlaCと呼ばれる加水分解酵素の立体構造から、元々この分子に結合することが知られていた化学化合物の側鎖を変換して、特異性を高めた反応後蛍光を発するプローブの開発に成功している。最終的に得られたプローブを用いて喀痰検査を行うと、培養陽性の患者さんの9割は発見できる。一方感染していない人の1/4が陽性と判断されると言う特異性の問題は残るので更に改良が必要なようだ。しかし、痰採取後2時間で診断がつくのはありがたい。また化学物質なのでコストも下げられるはずだ。自国だけでなく世界の健康のために世界中で努力が続けられていることにも思いを馳せたい。昨年から京都大学大学院の思修館熟議プロジェクトの学生さんに講義を行っている。分野にとらわれず大学院生が、寮で一緒に過ごしながら、様々な分野の講義を受ける意欲的なプロジェクトだ。今年の16人の受講生のうち実に4人が開発国援助や格差の問題に取り組もうとしているのを知って誇りに思っている。
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7月10日 相場と脳(アメリカアカデミー紀要オンライン版)
2014年7月10日
先日も事務所に証券会社の人が突然訪ねて来た。仕事中のNPOの事務所に話をしにくるとは非常識だとお帰り願ったが、アベノミックスのおかげで我が国も投資ブームのようだ。しかしオランダのチューリップ投機以来、投機はバブルを生み、バブルははじける。これまでこの現象は経済学の対象だった。これに真っ向からチャレンジしようとしたのが今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文でアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載された。責任著者の所属はなんと、Humanities and social science and computational and neural systems(人文社会科学とコンピューター及び神経システム)と名付けられた部門で、時代を先取りしようと言うアメリカの大学の意志を感じる。論文のタイトルは「Irrational exuberance and neural crash warning signals during endogenous experimental market bubbles(内因性市場バブル期間にみられる不合理な活力とクラッシュを警戒する神経シグナル)」だ。研究では主にUCLAの学生さんにVeconLabと言うウェッブサイトから得られるソフトを使って投資ゲームをしてもらう。大体20人位が参加する投資セッションの間に、2−3人は機能的MRIを用いて脳活動を計り、相場や自分の資産変動にどのような変化を来たすかを調べている。この研究の面白さは、結果の解析の仕方だ。それぞれの相場で上昇局面、下降局面、場合によってはバブルやクラッシュが起こり、それに応じて被検者は売り買いをするが、その間の線条体側方部の側座核を含む領域(NAcc)の活動性を測定し、その活性で将来の相場が予測できるかどうかという観点でデータ解析をしている。結果は、NAccの活性と相場の悪化、クラッシュとが相関している。言い換えるとNAccが活性化しているときは相場が将来悪くなることを無意識に予想していることになる。事実NAccが興奮しているにも関わらず資産を買った人達は投資成績が悪い。一方、投資が上手な人が売りかけるときには島皮質(Ins)と呼ばれる部分の前方が活性化している。この結果から次のシナリオが示された。相場に参加している人達は一様にバブルを無意識に感じ始めるが、この時NAccが活性化している。ただこの時Insが活性化して不安を意識する人がいち早く資産を売ることが出来るため、いい投資成績を上げると言うシナリオだ。そして最後に有名な経済人の言葉で結んでいる。「他の人がどん欲になっているのを見たら恐れよ」(ワレンバフェット)神経科学の言葉で翻訳すると、「NAccが活性化している時Insが活性化するのがいい相場師だ」となる。さらに前FRB議長バーナンキは「バブルを防止するためには経済要因と生理学要因の両方にまたがった研究が必要だ」と言っているらしい。経済を本当の科学にするには、脳研究が不可欠だ。今日紹介したのはこれを地でいった研究だが、我が国の経済界とはずいぶん認識が違うようだ。
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7月9日:サルも相手は顔で選ぶ(6月26日Nature Communications掲載論文)
2014年7月9日
ハイテクを使った系統発生や変異の研究と言うと、現代ではほぼゲノム研究と同義語になっているが、周りを見渡せば利用可能な技術はいくらもあるようだ。今日紹介する論文は、近い種が混じって存在するジャングルで、オナガザルが何を指標に交尾相手を選んでいるかを調べたニューヨーク大学からの研究で、6月26日Nature Communicationsに掲載された。タイトルは「Character displacement of Cercopithecini primate visual signals(オナガザル視覚シグナルの形質転換)」だ。この研究では22種のオナガザル149個体の顔の写真を、アメリカ、英国の各動物園及びナイジェリアの自然公園で撮影し、約1500枚のイメージを集めている。論文の図1はこのサルの顔で埋められており、壮観だ。一方系統発生の研究に必須の遺伝子比較による系統解析はこれまでの研究をそのまま使っている。はっきり言えばオナガザルの写真を集めただけの仕事と言えるが、この写真を「eigenface(固有顔)」として知られる顔解析ソフトを用いて数値化し、顔の類似性を数値化した上で系統間の距離を計算し、顔の似方がサルのどの性質と相関するかを調べている。ここでのハイテクはこのeigenfaceソフトで、勿論人間の顔認識のために開発された技術だ。皆さんも日本人の平均顔の写真を見たことがあると思うが、このソフトではまず出来るだけ多くの顔写真を集め、各要素が標準化された固有顔を作成する。この集合が固有顔で、個別の顔はそれぞれの固有顔から要素を持って来て描き直すが、その時のどこをどの程度持って来たかがその顔の数値になる。この論文では最初11の固有顔を作成し、これで約94%の顔が表現できることを確認している。正直言うと具体的な数理については私もよくわからないので、科学的に似ているかどうかを数値化したと考えればいいだろう。ではそれぞれのオナガザルの顔解析の結果は、何と相関するのか。残念ながら遺伝子による系統関係とは相関がない。結局最も相関したのが、それぞれの種の生活圏の間の距離と逆相関した。言い換えると、生活圏が重なるほど顔ははっきりと区別できるようになる(似ていない)と言う結果だ。このグループはこの結果を、オナガザルは同じ種の交尾相手を顔で決めているため、生活圏が重なる場合は間違いが起こらないよう自然に顔の造作が区別出来るよう進化するが、生活圏が分離している場合はこの選択圧は働かないと解釈している。科学者の考えることは尽きないことがよくわかる楽しい論文だ。しかし少し考えてみるとこの差は間違いなくゲノムの違いを反映しているはずだ。とすると、この数値化された差を発生させるゲノムの差を調べることもそう先の話ではなさそうだ。昨年10月25日このホームページで顔の形成に関わる遺伝子制御部位を何百もリストしたアメリカの研究を紹介した。この時私は以下のように書いている。
「今回リストされたエンハンサーはヒトでも保存されている。とすると、ヒトのSNPと呼ばれる遺伝子の多様性と、ヒトの顔認証のために積み重ねて来た様々な測定法を組み合わせて、遺伝子と顔の造作との対応関係をつける事が可能になるかもしれない。この点で、次の一手は、ヒトでの研究になる様な気がする。こんな話をすると、すぐデザイナーベービーと関連させて噛み付くマスメディアもあるかもしれないが、個性が対象になると言う点で、夢が将来に拡がる仕事だ。」
この論文を読んで同じ印象を持った。
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7月8日:病的肥満の新しいマーカー(7月3日号 Cell誌掲載論文)
2014年7月8日
腸内細菌叢の研究も合わせると、肥満や糖代謝などについての新しいウェーブの研究が世界で進んでいるように感じる。「メタボ」についての私の師匠・元大阪大学医学部病院長の松澤先生から、良い肥満と悪い肥満があると教えられて来た(ちなみに松澤先生は間違いなく良い肥満らしい)。最初は松澤先生の自己正当化だろうなどと笑って聞いていたが、現役を退いてからこの分野の論文を読んでいると、ほとんどの研究がこの問題に集中しているのがわかる。しかしいい肥満と悪い肥満がなぜ分かれるのか?脂肪細胞は常に悪か?などまだ本当の理解が出来ていない点は多い。事実脂肪細胞は悪ではないことを示す論文を6月21日このホームページで紹介した。ただ悪い肥満はインシュリン抵抗性の糖尿病と、様々な炎症マーカーの亢進を指標に定義されている。この定義に基づき、アメリカ医師会ではついに悪い肥満は病気であると投票で決定した。今日紹介する論文は、悪い肥満の引き金を引くのがヘムオキシゲナーゼ1(HO-1)であることを示す研究で、ウィーン大学とフライブルグにあるマックスプランク免疫学研究所からの論文だ。タイトルは「Heme Oxygenase-1 drives metaflammation and insulin resistance in mouse and man (ヘムオキシゲナーゼ1はマウスとヒトで代謝炎症とインシュリン抵抗性を引き起こす)」だ。HO-1は古くから研究されている酵素で、鉄が結合したヘム蛋白を分解する。最近では酸化ストレスの防御や、炎症との関連から新たな研究が盛んになっていた。特にマウスでHO-1を誘導すると肥満や糖尿病が改善するとして注目を集めていた。この研究では先ず痩せている人、良い肥満と悪い肥満(インシュリン抵抗性の程度で決めている)の人から生検で肝臓細胞と脂肪細胞をもらってHO-1の遺伝子発現を調べ、悪い肥満でHO-1が上昇していることを発見している。これはHO-1が肥満を抑えると主張する研究と真っ向から対立するが、これまで発表された他のグループの遺伝子発現データでも同じ結果が確認できたので、動物を用いた概念を証明する実験へと進んでいる。結果は予想通りでHO-1を肝臓細胞でノックアウトするとインシュリンによく反応し、高脂肪食でも肝臓に脂肪がたまらなくなる。逆にこの分子の発現を急性に上昇させるとインシュリン抵抗性になると言う結果だ。HO-1分子をマクロファージでノックアウトすると全般的に炎症刺激への反応が低下するとともに、インシュリンに対する反応が上昇する。効果がどのように生まれるかを細胞レベルで調べると、NFκBと呼ばれる炎症刺激の中核にある分子を介して炎症を抑えているようだ。もちろんマクロファージがインシュリン抵抗性にどう関わるのか、おそらく肝臓にあるクッパー細胞が主役だと思われるが今後の研究が必要だ。しかし新しいアイデアを提案しており、これをきっかけに肥満やメタボはHO-1との関係で再検討されるだろう。HO-1は創薬可能性の高い標的だ。しかし生命にとって必須の酵素で、また低下すると肺気腫になることも示唆されているので、全身のHO-1を抑制すればすむと言うわけには行かないだろう。しかし新しい手がかりが見つかると、世界には糖尿病やメタボリックシンドロームが5億人もいる。集中的な研究が進む予感がする。
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7月7日創薬の難しさ(Alzheimer`s Research &Therapy誌オンライン版、及び全米医師会雑誌掲載論文)
2014年7月7日
七夕は思いが成就する日だが、今日紹介する2つの論文は患者さんの期待と創薬努力がミートしないケースが多くあることを指摘した残念な論文だ。最初の「Alzheimer’s disease drug development pipeline: few candidates, frequent failures (アルツハイマー病治療薬開発状況:候補薬は少なく失敗が多い)」とタイトルのついたクリーブランド病院からの論文はAlzheimer’s Research & Therapy誌オンライン版に掲載されている。これは誰もがアクセスできる医学専門情報を扱うPubMed Centralからアクセスできる。さて治療や医療技術開発のための臨床治験を論文として公表したい場合、治験開始からアメリカNIHが運営するClinicalTrials.gov (https://clinicaltrials.gov/) に登録が義務づけられている。このサイトを見ると現在約17万件の臨床治験が、187カ国で進められていることが示されている。この数字から人類が日夜病気を克服しようと力を尽くしていることがわかる。しかしまたこの努力の多くが実らないことも確かだ。この論文では2002年から2012年にかけてこのサイトに登録されたアルツハイマー病治療法の治験の状況について調査している。21世紀に入ってからアルツハイマー病の研究が進んだが、これに呼応して2009年まで急速に治験の数が増え、2010年以降はほぼ横ばいで推移している。この中にはアルツハイマー病のメカニズムに直接関わる標的Aβやタウ蛋白に対する治療薬や神経死抑制薬も含まれている。10年で413という数が多いかどうかは別として、アルツハイマーに対しても新しい薬剤開発が続いていると言う励まされる報告だ。ただ問題は成功率で、治験の終わった244の薬剤の中で市場に出たのが1つだけで、成功率が0.4%にすぎなかった点だ。薬剤の中のかなりの数が、動物を用いた前臨床研究で十分な効果が見られている。基礎の論文を読んでいるだけだと、天の川を(死の谷)を渡ることも難しくない印象を持つが、薬剤開発は一筋縄でいかないことを示している。前臨床試験が完璧でも臨床試験がうまく行かない例としてmTORと呼ばれる分子を標的とする薬剤がある。この分子は正常の免疫機能とともに多くのがんで重要な機能を持つことがわかっており、これに対する阻害剤を用いた試験管内の研究や、この分子を調節するPTENと呼ばれる分子をノックアウトしたマウスを使った研究から極めて有望な薬剤であることが期待されていた。様々ながんで治験が進められて来たが、ようやく腎臓がん等に使用が許可されたものの、私が期待していたほどではない印象を持っていた。7月号の全米医師会雑誌にこの薬剤の一つエベロリムスを進行性の肝臓がんに試した治験が出ていたので最後に紹介する。「Effect of Everolimus on survival in advanced hepatocellular carcinoma after failure of sorafenib (ソラフェニブが有効でなかった進行肝がん患者さんの生存に及ぼすエベロリムスの効果)」で、世界各国を巻き込んだ国際治験だ。肝がんについてもこれまでAKT/PTEN/mTORのシグナル経路が重要であると言う多くの前臨床研究があった。しかし今回500人近くの進行肝がんの患者さんで調べた研究結果は、エヴェロリムスが全く患者さんの生存を伸ばす効果がないと言う悲しい結果だ。いかに前臨床研究で期待できる結果が出ても、実際の患者さんに対する治験では失敗に終わる薬剤は多くある。このことは治験に協力しても報われなかった患者さんが数多くいることを意味している。もし前臨床試験と臨床試験の解離が余りに大きい場合は、基礎研究者も使っているモデルを真剣に再検討すること要求されるはずだ。基礎研究者もそのことをよく肝に銘じて、自分が使っているモデルが臨床試験に対する予測性をどの程度持つのか常に考え、論文に正直に明記する気持ちを持って欲しい。
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7月6日:デニソーバ人からの贈り物(Natureオンライン版記事)
2014年7月6日
私たちホモサピエンスが同じヒト科のネアンデルタール人やデニソーバ人と出会い、交雑したことがわかっている。これは以前紹介したドイツライプチッヒにあるヒト進化研究所のペーボさんたちがネアンデルタール人、デニソーバ人の全ゲノム配列を決定したことで、私たちホモサピエンスと比べることが可能になったおかげだ。これまでの研究でネアンデルタール人の遺伝子がヨーロッパやアジアに広く分布していることはわかっていたが、シベリアのアルタイ山で発見されたデニソーバ人の遺伝子は何故か遠く離れたポリネシア人にしか見つかっていなかった。今日紹介する北京ゲノム研究所からの論文はチベット人特異的な高度順応に関わる遺伝子がなんとデニソーバ人に由来すると言う驚くべき結果だ。タイトルは「Altitude adaptation in Tibetans caused by introgression of Denisovan-like DNA(デニソーバ人に似たDNAの移入によるチベット人の高地順応)」で、Natureオンライン版に掲載された。高地順応と言っても一様ではない。チベット人は赤血球やヘモグロビンを増加させず高地に順応することに成功している。この性質と最も相関が高い遺伝子多型がこれまでの研究でEPAS1遺伝子領域に同定されている。この仕事ではまずこの領域の遺伝子多型の起源を1000人ゲノム計画を始め利用できるデータを駆使して検索している。そして、現代人のゲノムライブラリーには全く見当たらないのに、なんと2万年前に絶滅したと考えられるデニソーバ人のゲノムに同じ多型が見つかると言う驚くべき結論に達している。もちろん一つのSNP(一塩基多型)が古代人と一致することはあるが、EPAS1領域にある20の多型のうち12がデニソーバ人と一致することは、交雑により移入された遺伝子が高地順応に有利な効果を提供した結果、チベット族だけに維持されたと考えることが出来る。これを確認するため、多くのチベット族と漢人からゲノムを集めこの部分の多型の分布を調べ、チベット族のほとんどがこの多型を有していること、及び漢人にも低い確率でこの多型を持つヒトが存在することを明らかにしている。最終的にこの論文で最も可能性の高いシナリオとして示唆されているのが、アルタイ山付近のデニソーバ人は漢族とチベット族が分かれる前の人類と交雑があり、その結果遺伝子が移入されたが、その後のデニソーバ遺伝子は希釈により漢人から失われて行った。一方高地に住むようになったチベット族にとってこの多型は高地順応のため価値が高く、他の遺伝子領域からデニソーバ人遺伝子が失われても、この多型は必須遺伝子として維持され続けたと言うシナリオだ。しかし、人文領域とされて来た歴史学が今大きく変わろうとしていることを感じる。特に遺伝子移入を通して民族の交流の歴史が次々と明らかになっている。毎日新しく書き換えられる民族交流の歴史をじっくり眺めれば政治家の決断も変わるかもしれない。最後に、クモゲノム、シロクマゲノム、ハダカネズミゲノム、そしてチベット族ゲノムと立て続けに生み出される論文を読むと、北京ゲノム研究所(BGI)の底力を実感する。BGIが活動を始めた頃、我が国の研究者は「データが当てにならない」などと表面を見ただけの批判をすることが多かったように思う。しかし気がついてみると、この分野のBGIのシェアはもはや我が国の及ぶ所でなくなっているように感じる。長期的視野を持って民間活力を生かした発展を続けるBGIから改めて学ぶ時が来たのではないだろうか。
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7月5日:慢性ベリリウム症=自己免疫病(7月3日Cell誌掲載論文)
2014年7月5日
最新の論文を読んで懐かしく感じることは滅多にないが、この論文を読んで40年前の思い出に浸ることが出来た。京大胸部疾患研究所で研修を初めてすぐに、当時講師の泉先生がK社社員に発症した慢性ベリリウム症を発見した。その後も何人かの発症が続いたため、工場内でベリリウムに暴露されて起こる職病と認定して、様々な検査を行った。背景にベリリウムにより誘導されるアレルギーが疑われたため、ベリリウムに対する皮膚テストを行ったところ、患者さんだけが強い反応を示す。皮膚に水泡が出来る程強いので、代わりの免疫検査として試験管内のリンパ球刺激反応を試した。驚くことに、対照に使った自分や、同僚のリンパ球は培養にBeSO4を加えると元気がなくなる。おそらくBeSO4が金属として持つ毒性のせいだろう。しかし患者さんのリンパ球はそれに反応して増殖する。本当に驚いた。なぜこのような小さな金属に対してTリンパ球が反応できるのだろう?なぜ暴露した肺に進行性の肉芽が出来るのだろう?興味は尽きなかったが、もちろんそれ以上追求することはなかった。40年経って、その時の疑問に全て答えているこの論文にであうことが出来た。しかも私よりずっと年上のT細胞研究者Kapplerの研究室からの論文だ。免疫学を始めた頃、ずいぶん彼の論文を読んだ。その意味で2重に懐かしい気持ちになった論文だ。前置きが長くなったが、「Structural basis of chronic beryllium disease: linking allergic hypersensitivity and autoimmunity (慢性ベリリウム症の分子構造的基盤:アレルギー性過敏症を自己免疫と結びつける)」とタイトルのついた論文は7月3日号のCell誌に掲載された。まずベリリウムに反応するのはHLA-DP2と言う限られた組織適合抗原を持っているヒトだけで、ベリリウムは自分が発現しているタンパク質由来のペプチドと結合した形で初めてT細胞を刺激できることがこの論文以前に明らかになっていた。この論文では、なぜ特定の自己ペプチドだけがベリリウムと結合できるのか、ベリリウム特異的T細胞はどのような分子構造を認識しているのかについて、蛋白の立体構造を詳しく調べて読み解いている。蛋白構造の詳細については私も完全に理解できているわけではないが、結論をまとめると次のようになる。HLA-DPと自己ペプチドが結合して出来るポケットにベリリウムとナトリウムがすっぽりと収まると、このポケット構造がベリリウムを内部に取り込んで閉じた形を作る。このHLAとペプチドがとる新しい蛋白構造をT細胞は認識し、ベリリウム自体を認識しているわけではない。ただ、こうして出来るHLA-自己ペプチドとT細胞レセプターの結合は、他の抗原とレセプターには見られないほど例外的に強い。このため、慢性の反応が続く進行性の病気になると言う結論だ。とすると、慢性ベリリウム症はベリリウムに対する反応ではなく、ベリリウムによって変化した自己蛋白に対する自己免疫反応になる。なぜ暴露しても、3%位の人しか病気にならないのか、なぜT細胞がこの様な小さな金属に特異的に反応できるのかなど、全て納得できた。40年来の疑問に答えてくれたKapplerさんに感謝。
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