2013年11月3日
私たちの活動の方向性は、医師・研究者として患者さんの側に立つとことと決めている。この立場で出来る限り多くの難病の方に役に立つ情報を発信したいと考え、様々な病気についての最新の総説を読んで、それをまとめることを活動の一つにしたいと考えている。今回は脊髄損傷を取り上げる。脊髄損傷の場合、原因とか、病態などについてはほぼ完全にわかっている。患者さんの関心は、切断された神経が部分的にでも回復して、より高い機能を取り戻せるかだ。健康人が外からだけ見ていると、運動障害だけに見えるが、実際には自律神経も傷害されており、その結果様々な症状に苦しんでおられる。
さて今回読んだ総説は、
1) Advances in Stem Cell Therapy for Spinal Cord Injury,
2) Cell Transplantation for Spinal Cord Injury, A systemic Review
3) Evaluation of Clinical Experience using cell-based therapies in patients with spinal cord injury: a systematic review
の3報の総説だ。それぞれ新しい順に並べてあり、最初の2報が2013年、最後の論文は昨年出版されている。1)、2)は、より一般的な総説で、脊髄損傷の成り立ちから、病理、そしてそれに対する可能性も含めた細胞治療法について概説している。一方、3)は完全に細胞治療のこれまでの臨床例を全て検索し、その中から、症例数など一定の基準を満たした論文を拾いだし、紹介している。全体で、基礎から臨床までうまくまとまった構成だ。ここでは論文3)について少し詳しく紹介する事で、臨床研究の現状、問題点などを伝える事が出来ればと考えている。
まず論文1)であるが、カナダトロントのWestern Research InstituteのMotheさん達の論文だ。カナダでは毎年4000例の新しい脊髄損傷患者さんが発生しているようで、特に最近では高齢者の転倒による脊髄損傷も大きな位置を占めているようだ。まず、病気の状態の評価については様々な基準が出来ており、なかでも最も信頼され、使われているのがASIA(アメリカ脊髄損傷学会)により作られた障害スケールのようだ。逆に、論文でこの基準を使っていない場合はあまり信頼が置けないと言う事になる。この論文では、脊損の病態の基礎についても詳しく紹介されている。損傷直後の壊死、出血、血管収縮に始まって、虚血、細胞死、体液バランスの障害、そして炎症による更なる組織障害が進み、最後に障害部に空洞が形成されるまでの様々な段階がある。詳細については、ここでは割愛し、ニコニコ動画等で詳しく紹介する。この総説では細胞治療の歴史についても紹介されている。私も知らなかったが、細胞治療が脊損治療として試みられたのは既に1970年からで、末しょう神経や、胎児の脊髄細胞などの移植が行われており、これをきっかけに様々な細胞治療が試みられるようになったようだ。
これまでの研究から、幹細胞移植による症状回復のメカニズムとしては、
1)神経やミエリン鞘を形成するオリゴデンドロサイトの置換、
2)分散した神経アクソンのミエリンによる再被服
3)神経回路の回復、
4)ダメージを受けた神経やグリア細胞の保全、
5)神経増殖因子等のサイトカイン分泌の増加、
6)血管新生促進、
7)損傷部分に出来る空洞の修復、
8)炎症やグリア細胞増殖の抑制、
9)アクソン再生のための環境づくり
などが考えられる。従って、様々な細胞が効果を示す可能性があり、これまで行われた細胞移植は十分な正当性がある。
とは言え、計画中を含めて、移植の対象になっているのは、ES/iPSなどの多能性幹細胞、神経幹細胞、皮膚由来神経細胞、骨髄から樹立する事が多い間葉系幹細胞などがあり、ES細胞や胎児由来神経幹細胞も含めて臨床研究が進んでいる。これらの細胞の特徴や、予想される効果のメカニズムについてはやはり動画で紹介する。この総説では、主に細胞治療の可能性に焦点が置かれており、臨床研究についてはほとんど記載がない。この点については、3つめの総説を紹介の時に概説したい。
2つめの総説はドイツ、中国、ブラジルの研究者が共同で著わした総説だ。中国、ブラジルは、意外にも脊損の細胞治療がかなり行われている国であり、その意味でも多くの研究に目を配れると言う点でこの総説は重要だろう。事実、細胞移植による脊損治療の議論を、韓国と中国で行われた問題の多い臨床研究についての記載を論文の始めに持って来ている点などは、3カ国の研究者が協力した結果だろう。
この総説の特徴は、実験レベルの細胞治療について、ES/iPS、間葉系幹細胞、神経幹細胞、嗅細胞を取り巻く嗅神経鞘細胞、シュワン細胞の5種類を取り上げ、包括的なまとめが表として提供されている。この表については、わかりやすく変更して、動画の際に提供する予定だ。いずれにせよ、脊損については実験レベルでの様々な試みが数多く行われ、一定の効果も見られている事だ。他の希少疾患と比べたとき、研究者の層は厚い。総説の最後の部分では、当然臨床研究について記載している。ES細胞については、ジェロンの研究が中断されたため、最終的な評価は他の研究待ちの状態だ。これまでの間葉系幹細胞移植、シュワン細胞移植に対しては、この筆者はあまり高い評価を与えていないようだ。特に、慢性例で6ヶ月にわたって自己間葉系幹細胞移植を受けた45例が、対照群と比べて改善がほとんどなかった事、及びそのうち半数に神経原性の痛みが副作用としてみられた事を紹介している。その上で、本当の評価のためには、移植した細胞を追跡する検査法の確立が必要である事を強調している。残念ながらこの総説の全体としての結論は、まだ脊損の皆さんを本当に喜ばせる研究は出ていないと言う事になる。
最後の総説は細胞移植の臨床研究のうち一定の基準を満たした論文を集めて内容をサーチし、2人の専門家が読み、2人の意見を調整後まとめると言う形式の総説だ。サーチした論文は1966年から2012年1月までに出版された論文で、その中から少なくとも10例以上の症例を調べ、エビデンスに基づいた研究を行っている論文を選び出してまとめている。脊損に関する論文は650余りサーチされたが、筆者等の基準を満たすとして残ったのは12編しかなかった。この事は、細胞治療への大きな期待にも関わらず、脊損の細胞治療の臨床研究はまだまだ初期段階にある事を示している。結論から言ってしまうと、さらにこうして残った論文も、臨床研究としての質が低いと断じられている。その上で、更なる前臨床研究と、しっかり計画された臨床研究がもっと大きなスケールで行われないと、患者さんを満足させる治療として完成しない事を結論としている。ただ一つだけ朗報は、細胞治療は副作用がない訳ではないが、安全性は高い点が指摘できる。
内容についてもう少し詳しく見ていこう。まず、臨床論文を評価するための国際基準があるのに驚いた。オックスフォードにあるエビデンスに基づく医学センターから出ている。研究のデザインと、バイアスがかかっていないかどうかについての評価を総合して4段階にランク付けをするものだ。
最終的に残った12編の論文については、このスコアも含めて詳しくまとめた表が作成されている。多くの論文で細胞治療の効果がうたわれているが、専門家の目からは解釈にいろいろな問題があるようだ。詳細については割愛するが、動画では紹介するつもりだ。この分野を概説したこの筆者等の結論は、
1)12編とも研究としての質が低い。全論文が、4段階のうち下位のランクの2段階に集まっている(グレード3が3/12. グレード4が9/12)。ただこれは、いずれの研究も完全な無作為化手法を研究計画段階で取っていない事に由来する。無作為化しないとバイアスがかかる事は確かだ。しかしこの点だけで評価すると、ほとんどの新しい外科手術は同じように評価されると思う。
2)対象に最初から多様な患者さんが選ばれていたり、論文の中で移植までのプロセスについての記述が詳しくないなど、臨床研究論文としての基本的基準を満たしていない場合が多い。この点については、国際的なコンソーシアムを設立し、研究デザインなどを一本化するしかないだろう。
3)有効性を報告した論文が多いが、患者さんが期待できる物かどうかは、論文発表後ももう一段チェックを行った方がいい。この問題に対して、患者さん団体自体が、論文を評価する機構を持つことで解決できる。
4)損傷直後の細胞移植による介入は、効果が見られる事が多い。これは今回サーチされた論文で共通する。この点については、最近スウェーデン、カロリンスカ大学から出された面白い基礎的な論文も含めて、別の原稿と、動画で紹介する。
5)神経原性の痛みなど、様々な副作用が報告されているものの、細胞移植による重大な問題はほとんど発生しておらず、安全性は高い。勿論、ES/iPSなどはこれからの評価が必要。
さて3編の総説を読んだ私の印象をまとめると次の様になる。
1)脊損の細胞治療は、成功すると効果が目に見えるため、再生医学の目指す一つのシンボルとなっている。その意味で、研究者の層は厚く、十分期待できる分野だ。しかも、この厚い層の研究者を留めておくだけの期待できる基礎研究結果がある。そして、どの総説も新しい可能性としてのES/iPSに言及している。従って、いつ実現すと予測は出来ないが、十分期待を持っていい領域だ。
2)とは言え、まだ臨床研究は始まったばかりだ。そして、3つ目の総説にあったように、専門家の目から見ると問題を抱える論文も存在する。一方、論文の多くは移植が有効である事を唄う。とすると、いい結果が報告されているからと、一喜一憂するのではなく、また査読を通った科学論文だからと安心するのではなく、患者さんの側でもう一度論文を見直し評価する仕組みが必要だ。
この様な問題について、日本脊髄基金の伏見さん、坂井さんとざっくばらんな対談を行い、ニコニコ動画で放送します。文中動画と書いているのは、これを指します。ご期待ください。
2013年11月1日
元の記事は
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20131101&ng=DGKDASDG3104R_R31C13A0CR8000 を参照ください。
今日日本経済新聞が紹介したのは、京都大学ウィルス研究所の影山さんの研究室と、京大白眉プロジェクトの今吉さん達の共同研究で、神経幹細胞分化の決定が行われる仕組みについての研究だ。神経幹細胞はニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトの3種類の細胞へ試験管内で分化できる事がわかっている。どの細胞になるかを決定する分子機構については、特に影山さん達の得意分野で、今回注目している分子のうちHes1分子は影山さん達が発見した分子だ。以前から影山さん達は、この運命を決める分子のレベルが幹細胞で、周期的に上がったり下がったり振動する事の意味を研究して来た。今回、脳を薄く切って試験管内で観察する方法で、まず分化方向が決まっていない幹細胞でこれらの運命決定分子が振動する事を証明した。次に、ニューロンへの分化を決定するAscl1分子を強く発現させると、ニューロンになる。この事から、フラフラした振動状態から、決まった決定因子を常に発現する段階になると、分化が決まることがわかる。最後に、光を使って遺伝子のオン/オフが自由に調節できるように操作したマウスの脳で、Ascl1遺伝子の周期的な発現を維持してやると、分化は進まず未分化のままとどまった。光を当てっぱなしにする(Ascl1が持続的に発現する)としっかりニューロンに分化する。これが研究内容だ。これまでも、未分化な状態では運命決定因子の発現が振動して決まらない状態にあると言う事は示唆されていた。今回影山・今吉さん達は、光で遺伝子の発現を調節すると言うエレガントな方法を使って、遺伝子のレベルが周期的に振動する事が確かに幹細胞状態を維持している事を初めて証明したと思う。
この仕事は、結構プロ好きの仕事だ。それを紹介しようと努力した日経は励ましたいのだが、論文内容はほとんど伝えられていない。論文と記事を比べると、断片的でちぐはぐな感じがする。特に、「再生医療に役立つ可能性」までいくと、日本経済新聞の視点の方が中心になって他の事が無視されている。この研究の重要性は、運命決定因子が周期的に振動することが未分化性維持に重要である事を証明した点だ。勿論、これによって自由に分化を制御できる事は重要だ。しかし、それだけが目的なら他にもいろいろ方法があるだろう。しかし、日経では最初にこのために利用した光遺伝学の方に注目しすぎて、影山・今吉さん達が伝えたかったメッセージを見失っている。やはり記事を書く側の責任として、研究内容を消化する事の重要性を認識して欲しいと感じた。
2013年10月31日
元の記事については朝日はhttp://www.asahi.com/articles/TKY201310300626.html、
読売はhttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20131030-OYT1T01463.htmを参照してください。
この論文については読売新聞も報道した(「食事制限・運動なしでメタボ治療…マウスで効果」)。研究はNatureオンライン版に発表された東大の門脇さんの研究室で山内さんを中心に行われたアディポネクチンと同じ効果を持つ化学化合物の発見についての研究だ。アディポネクチンという名前は一般にどのぐらい知られているのだろう?この分子の存在については、大阪大学内科の松澤さんの臨床経験に由来する独創的な構想に基づいて、脂肪細胞が分泌する糖尿や肥満を防ぐ善玉ホルモンとして遺伝子クローニングが行われた分子だ。動物実験や、臨床経験から実際この分子の重要性はますます高まり、門脇さん達はついにその受容体の遺伝子を同定することに成功した。今回の仕事は、この受容体に結合してアディポネクチンと同じ働きをする化学化合物(AdpoRon)を、東京大学の持つ化合物ライブラリーの中から見つけた事につきる。AdipoRonは、アディポネクチンと同じように、門脇さん達の見つけた受容体に結合して、特別なシグナル伝達経路を活性化する。さらに、この化合物は経口投与が可能で、投与によってインシュリン抵抗性やグルコース負荷にたいする抵抗性が改善する。更に、アディポネクチンとは無関係の遺伝子異常で起こる肥満マウスの糖尿や寿命までこの薬の経口投与で改善するという画期的な結果だ。門脇さん達がレセプター遺伝子を報告したとき、アディポネクチンの血中濃度は他のホルモンなどと比べると高いことから、本当にシグナルを伝える特異的なレセプターかなどと言った批判的な意見があった。そのためか、この論文も2012年の6月に論文を送ってから論文が受理されるまで1年以上の時間がたっている。多分厳しい審査員の意見と戦ったことだろう。いずれにせよ、今回の結果で門脇さん達の仮説の正しいことがかなり証明されたと思う。前にも報告したが、アメリカ医師会は肥満を病気と認定した。この状況で、経口投与可能なアディポネクチンと同じ作用を持つ薬が開発されたと言うことは、新しいヒットセールスの薬剤の開発につながったのかもしれない。
記事については読売も朝日も、必要十分な情報を提供できていると思う。朝日は生存率の図までつけて詳しく紹介している。ただ、一般の人にわかりやすくと工夫した朝日の図は何か要領を得ない。やはり論文に記載されている生存曲線を少しわかりやすくして出した方が良かったのではと思う。一方、読売の記事では、「食事制限、運動なしでメタボ治療」などと、不摂生してもいいと言う点があまりに強調されすぎているように感じた。とは言え、両記事ともしっかり正しく情報を伝えている。一つ注文をつけるとすると、アディポネクチン研究については松澤さんの構想から分子の同定、今回の薬剤の開発まで一貫して日本がリードしてきたこの歴史についても是非触れてほしかった。
2013年10月25日
発生学は、違う個体でも同じ発生過程が正確に繰り返すのはどうしてかを問う学問だ。そのため、顔の様な個体の多様性(個性)が生まれる機構についての研究は苦手だ。今日紹介するのは今週号のサイエンスに掲載されたローレンスバリモア研究所の仕事で「Fine tuning of craniofacial morphology by distant acting enhancer(遠い場所の遺伝子を調節するエンハーンサーによる頭蓋顔面形態の微調整)」とタイトルがついている。誰もが理解しているように、顔の造作は遺伝的要素が多い。そのため自分の親や子供と顔が似ている事を認識できる。当然ほぼ同じ遺伝子を持つ一卵性双生児は顔が似ている。一方、遺伝だけでなく、エピジェネティックスと呼ばれるプロセスも顔の造作に大きく貢献する事も確かだ。一卵性双生児といえども顔が少し違うのはそのせいだ。今回の研究は、前者の遺伝的メカニズムに焦点を絞って研究している。ただ、地球上70億人の顔の違いを、限られた遺伝子でどのように実現できるのかはほとんどわかっていない。おそらく、遺伝子のスイッチのオンオフだけでなく、遺伝子を量的に調節するメカニズムが重要だろうと想像されていた。この研究では、頭蓋顔面形成に関わる組織の発現する遺伝子の調節に関わるエンハンサーと呼ばれる遺伝子上の場所を網羅的に調べた。すなわち、遺伝子の発現を比較的離れた所から調節する部分が関わる事で、量的な微妙な差が生まれる可能性を追求した。エンハンサーにはp300と呼ばれる蛋白質が結合している事が知られており、ある細胞で働いているエンハンサーのほとんど全てをp300が結合している遺伝子領域として分離してくる事が可能だ(染色体免疫沈降法:ChiPと呼ばれている)。これによって、まず4000以上のエンハンサー部分が同定された。勿論それぞれのエンハンサーは別々の遺伝子に対応しており、顔の発生だけでなく細胞の基本的機能に関わる遺伝子の調節にも関わっている。そのため、次にこの4000というベースラインから顔の発生に関わるエンハンサーを絞り込む事が必要だ。この研究では、他の動物(特に人間)でも保存されているのか、これまで顔の発生に関わる事が知られている遺伝子の近くにあるのか、などを勘案して、205種類のエンハンサーに絞りこんだ。次に、リストした全てのエンハンサーの活性を、マウス受精卵に遺伝子導入する最もオーソドックスな方法を用いて、顔の発生で実際に働いているかどうかを調べた、その結果、確実に働いているエンハンサーが121個リストされた。そのうちの4つのエンハンサーについて、パイロット実験として遺伝子ノックアウトも行い、今回選んだエンハンサーが確かに顔の発生に関わる事を確認している。時間と手間のかかった、大変な仕事だ。ただ、この研究からだけでは、これらのエンハンサーが顔の造作の形成にどのように関わるかについては明らかではなく、これからの研究にゆだねている。事実、この研究に使った純系のマウスでは、どのマウスもほぼ同じ遺伝子を持っている。従って、顔の造作の違いに、今回リストされたエンハンサーがどうつながるのかは、純系のマウスだけで研究するのは簡単ではない。もし突然変異を一つ一つ導入して造作の違いを誘導できたとしても、マウスの顔の造作の微妙な違いがわかるとは思えない。ではどうすればいいのか?幸い、今回リストされたエンハンサーはヒトでも保存されている。とすると、ヒトのSNPと呼ばれる遺伝子の多様性と、ヒトの顔認証のために積み重ねて来た様々な測定法を組み合わせて、遺伝子と顔の造作との対応関係をつける事が可能になるかもしれない。この点で、次の一手は、ヒトでの研究になる様な気がする。こんな話をすると、すぐデザイナーベービーと関連させて噛み付くマスメディアもあるかもしれないが、個性が対象になると言う点で、夢が将来に拡がる仕事だ。
2013年10月24日
元の記事に関しては以下のURLを参照して下さい。
http://mainichi.jp/select/news/20131023k0000m040122000c.html
マウスやラットでは、培養したケラチノサイト(皮膚や毛根を形成する上皮細胞)を、毛根の最下部(毛胞)にある毛乳頭細胞と合体させた後、マウス皮下に特殊な方法で移植すると、毛が再構成してくる事が知られている。ただ、残念ながらヒトの細胞での成功例の報告はなかった。ヒトを実験のホストとして使えないため、移植はマウスに行う必要があり、ヒトとマウスの相性が悪いのではと想像されていた。23日毎日新聞が紹介したのは、これが可能になったと言う重大な結果を発表した論文で、責任著者の所属からから見ると、コロンビア大学と英国デュルハム大学の共同研究のようで、アメリカアカデミー紀要に掲載されている。私の研究室でも、マウスの培養細胞から毛根の再構成を行う手法は普通に使っていたが、毛根の幹細胞の研究にとっては、大変重要な方法だ。しかし、なぜ同じ事がヒトでは難しいのかは謎だった。この研究の最も重要な発見は、毛乳頭細胞をこれまでの培養皿上で2次元(一層)培養する代わりに、培養液の水滴中で3次元培養すると、毛根を誘導する活性を残したまま長期に培養できると言う点だ。どうして今までこんな事が試みられなかったのか不思議なくらい簡単な事だ。この研究でも成功の分子メカニズムを説明しようとしているが、今回の結果からは、3次元培養で維持されるどの性質が、毛乳頭細胞の機能の維持に重要かは明らかに出来ていない。とは言え、ついにヒトの培養細胞からの毛根再構成が可能になった事は大きく、今後この分野の研究は加速すると予想できる。しかし残念ながら、移植治療が一般の禿げに対する治療になる可能性は少ない。というのも、ほとんどの禿げでは、毛根が消失している訳ではなく、活性化や成長異常が原因になっているからだ。従って、禿げている部分からの毛根の再生は、移植によるよりも、残っている毛根をもう一度強力に蘇らせる薬剤などの開発が必要だ。この論文の考察でも、直接Wntシグナルを活性化させ、BMPシグナルを抑制する事で、毛根を再活性化させられる事を報告したこのグループの論文が紹介されている。禿げの場所にも弱々しい毛根がある事の証拠は、禿げていても汗をかいたり皮脂が分泌されたりする事だ。一方、培養皮膚で再生した皮膚は、毛根がないため汗をかかず、また皮脂の分泌がないためカサカサに乾燥する。そのため、せっかく一命を取り留めても、皮膚移植を受けた患者さん達は苦しんでおられる。従って、皮膚の再生療法の完成は、毛根や汗腺・皮脂腺を備えた皮膚を構築して、機能的皮膚を取り戻す事だが、これについての大きな進展をもたらした研究であると評価できる。
さて、記事の方だが、見出しといい、本文といい、断片的で、誤解を招く箇所が多い。まず記事を読むと、禿の方への朗報だと言う勘違いが起こる。病気やけがで失った再生には朗報だが、禿げには有効な治療ではない事は断った方が良さそうだ。見出しも「ヒトの毛生える、マウスで実験」などと書かれると一般の人は何を想像するだろうか。更に、毛髪の元になる毛乳頭と言うのも間違いだ。毛髪はあくまでもケラチノサイトが原料で、毛乳頭は、毛根が出来る時にケラチノサイトの増殖や分化を促す組織化の司令塔の役目をしている。いくら共同から配信を受けた記事だからといって、もう少し自分で脚色して具体的なイメージがわかるように書いて欲しかった。
2013年10月22日
元の記事については以下のURLを参照して下さい。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20131021-OYT1T00786.htm
糖尿病の合併症で一番問題になるのは血管障害だ。その結果、糖尿病性網膜症になると失明の危険があり、糖尿病性腎症になると、腎不全に陥る。糖尿病予備軍の数を考えると、今後更に日本での透析患者さんが増えるのではと心配だ。今日、読売新聞が紹介したのは、慶応大学内科からの研究で、血中グルコースが上昇する事により、尿に蛋白が漏れでてくるメカニズムを研究している。論文を見ると、責任著者は脇野さんになっている。論文を読んでみると、脇野さん達のグループは、今回研究対象になったSIRT1遺伝子を尿細管で発現させると、急性腎症が軽減される事を報告している。さらにこの分子の機能を追跡する中で、今回の研究につながったようだ。SIRT1とは様々な蛋白の脱アセチル化に関わる分子で、当然多くの分子がその作用を受ける。そのため、この分子が特定の病理変化を来すメカニズムを特定する事は難しい事が多い。そのためか、今回の仕事の量は膨大だ。今回脇田さん達が提案しているシナリオは次の様な物だ。まずSIRT1によって脱アセチル化されるヒストンは、クローディン1と名付けられた細胞間接着に関わる分子の発現を抑制する。実際にはDNA自体のメチル化まで進んでいるので、かなり安定なパターンを形成するようだ。さて、糖尿病性腎症では、SIRT1の発現が低下するため、結果糸球体で血液から尿への物質の出入りを調節している、ポドサイトと呼ばれる細胞のクローディン1と呼ばれる分子の発現が上がる。このクローディン1は普通、細胞間の接着を強める働きがあるが、ポドサイトで発現すると細胞接着を持たない細胞へと変換させる活性があり、この結果分子の出入りの調節が狂い、蛋白尿がでる。また、SIRT1の変化はポドサイトに高血糖が直接働く事で起こるのではなく、まず近位尿細管に作用し、この細胞からのニコチンアミド・モノヌクレチドがポドサイトに働きかけてSIRT1の発現が低下し、蛋白尿と言う症状がでると言う複雑な回路を形成しているようだ。結果が複雑なだけ、仕事も大変だったろうと推察する。論文にも書いてあるが、今回提案されているシナリオは、高血糖から蛋白尿に至る因果関係で、腎臓機能とはあまり関係がなさそうだ。実際、SIRT1の発現と、他の腎機能との関係を見るとほとんど相関はない。ただ、これはあくまでも尿細管でのSIRT1との相関で、もし血糖の上昇が他の細胞でもSIRT1を誘導するとすると、更に面白い話になるかもしれない。
記事については、この複雑な回路に存在するキーになる細胞や分子を全て網羅し、苦労の跡が理解される。ただ、SIRT1の機能の紹介については、この論文で明らかにヒストン脱メチル化に焦点が当たっている事を考えると、多くの人が敬遠するエピジェネティックスの話にしても面白かった気がする。事実、食事やアルコールがエピジェネティックスの就職因子として重要である事など、生活習慣とエピジェネティックスは注目の領域だ。是非難しい課題にも今後はチャレンジして欲しい。見出しについては少し大げさな気がする。
2013年10月21日
元の記事については以下のURLを参照して下さい。http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20131019-OYT1T00426.htm
このホームページでもこれまで様々な進化研究を紹介して来たが。報道でも、一般の方の興味をひくのか、医学に次いで紹介される事が多い。今回も、ワシントン支局の中島さんが、10月18日号のサイエンスに掲載された(表紙になっている)、グルジアのDmanisiと言う場所で新しく見つかった化石についての論文を紹介している。論文は、この化石群は、欧州最古の原始人の化石が見つかる場所で、直立原人がアフリカからヨーロッパに入った最初の入り口として最も注目されている場所だ。グルジア国立博物館と、チューリッヒの人類学研究所・博物館の共同研究で、最も新しく見つかった、頭部が完全に保存された化石の観察と、同じ場所で見つかった他の不完全な化石との比較に基づいて、人類の進化を考察した研究だ。特にハイテクが使われている訳でもない。ただ、発見された頭部の化石が完全である事、また、同じ場所から見つかった他の4個の頭蓋化石と比べる事で、ここで発見された原始人の間に、大きな形態学的多様性がある事がわかった点が今回の主な発見だ。実際論文に掲載された写真を見ると、素人の私でも同じ種には見えない。では、この発見がなぜ人類の祖先の研究のために重要なのだろうか?
形態だけから分類する時一番問題になるのが、一つの種内での多様性なのか、あるいは種の多様性なのかを決める事だ。実際、現代の人類全体を見渡しても、大きな多様性が認められる。一方、これまでアフリカで出土した原始人の化石の多様性は、種の多様性と考える傾向が強かった。そのため、初期の原始人には様々な名前がついている。(Habilis, Ergaster, Georgicus, Erectusなどなど)。今回の研究は、同じ場所からの原始人の化石にこれほどの多様性が認められるなら、アフリカで見つかっている化石の多様性も全て種内の多様性と考えたらどうかと言う提案だ(今回発見された完全な頭部化石は、私が見てもサルに近い)。私たちは小学校で北京原人やジャワ原人しか習わなかった世代だが、人類の起源は多くの人の関心事である事を思うと、重要な仕事だ。
さて、記事の方だが、全体としては正確で、短く今回の発見の要点をまとめてあるが、問題もある。まず一番重要な問題は、この仕事をグルジア国立博物館とハーバード大学の共同研究にしている点だ。しかしこの論文の責任著者は、グルジア国立博物館のLordkipanidze博士と、チューリッヒ人類学博物館のZollikofer博士だ。これはオリジナル論文を見れば、明確に書かれており、それを違う組み合わせで記事にするのは報道の大きな間違いと言える。ノーベル賞でもそうだが、誰にクレジットがあるのかは科学界では最も重要な点だ。日本のほとんどのメディアはこの点については、感覚が麻痺しているようで、今回の報道もその例になってしまった。もう一つ指摘したいのは、この論文が新説を提出している訳ではない事だ。ましてや、これまでのドグマを見直すと言うほどの問題ではない。元々、種内の多様性か、種の多様性はこれまでも議論されて来た。そして、様々な可能性がしっかり議論されて来た。今回の研究の意義は、人類の起源を最も単純に考える方が良いと言うデータを示した点だ。どうしてもジャーナリスティックに書きたいのはわかるが、新説という部分を削除しても十分訴える所は多いのではないだろうか。また、見直しなどと見出しを書く場合は、これまでの考えについてある程度まとめるぐらいの事はして欲しい。
ただ、形態だけでは最終的にわからない事も多く、その意味で遺伝子が回収できると研究は進むだろう。しかし、このぐらい古い化石からはそれも困難だろう。とすると、この様な議論はまだまだ続く様な気がする。
2013年10月19日
え?と驚いてしまった。眠りはなぜ必要かについては、長い間議論されているが、はっきりとした答えがないらしい。睡眠を完全に抑制すると、実験動物は死ぬらしいから、眠りは生命に必須の機能だ。さて、今日紹介するのは、Rochester Medical Centerのグループがscience紙に掲載した”Sleep drives metablite clearance from the adult brain (睡眠は大人の脳からの代謝産物の除去を行っている)“という論文だ。睡眠は脳の中の老廃物を脳外へ運び出すのに重要だという極めて単純な結果だ。実験は、くも膜下に留置したカニューレを通して蛍光物質を脳脊髄液に注入し、生きたマウスの脳内でどう拡がるかを2光子共焦点顕微鏡という、生体内での出来事を見ることが出来る顕微鏡で調べた研究だ。どうしてこのような単純な研究が行われていなかったのかは驚きだが、結果は明瞭だ。起きているときは脳脊髄液内での対流は全くないが、寝ると急速に上昇し、老廃物が除去されるという話だ。この対流の上昇は、細胞外領域が睡眠時に拡張することに起因しており、自然睡眠だろうと、麻酔で寝ようと、あるいはアドレナリン受容体抑制で寝ようと、結果はまったく同じで、ともかく寝ることが重要らしい。結論としては、寝ることで、脳内の細胞外領域が広がり、対流が盛んになる結果、老廃物が脳内から除去されるという極めてわかりやすい話だ。本当に、この対流で老廃物が除去されるのか、眠りの程度との関係など、細部については検討を要するだろう。しかし、この解釈が正しいとすると、よく寝ることは重要だ。おそらく、報道する意味のある面白い仕事だ。最近眠りの量が減った私にとっては少し心配になる論文だった。
2013年10月17日
元の記事は以下のURLを参照して下さい。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20131016-OYT1T00576.htm
読売新聞には、外国特派員からの科学記事がよく掲載される。今回の記事は、アメリカの自然史博物館からのカンブリア紀化石の研究を紹介した記事だ。この研究は、モンタナ州のカンブリア紀の地層から得られた蚊の化石の中に血液があるかどうかを調べた研究で、アメリカ科学アカデミー紀要オンライン版で発表された。4600万年前の蚊の化石から赤血球の痕跡を見つける事が出来ると言う結論だ。とは言っても、血液の形が見える訳ではない。鉄などの分子を調べるエネルギー分散型X線分光計と、田中耕一さんが最初に技術の可能性を開拓した、ToF-SIMS(飛行時間型2次イオン質量分析法)という質量分析法を駆使して、鉄を含むヘモグロビン由来蛋白が存在している事を示している。それが本当に血液から由来するのかを確かめるため、蚊の腹部からのサンプルと、他の場所からのサンプルを比べ、血液が吸収される腹部だけにこのシグナルが検出できる事を示している。はっきり言うとそれだけの仕事だが、進化の研究に、ゲノムだけでなく、あらゆるハイテク機器が利用されている事を知る事が出来る。記事では、ジュラシックパークの事が書いてあったが、琥珀に閉じ込められると100年経たなくともDNAが完全に分解してしまっている事は既にこのホームページで紹介した。
同じ日に、日本経済新聞も、日中米共同で中国の雲南省出土の、カンブリア紀の節足動物の化石についての研究を紹介していた。(http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20131017&ng=DGKDASDG1605E_W3A011C1CR8000 )10月17日号のNatureに掲載された論文だ。最近中国から出土する化石から、続々と新しい事がわかって来ている。どの本で読んだのか忘れたが、中国で見つかる化石は、残った骨と言うより、生きていた時そのままの形がはっきりわかる化石が多く見つかるようだ。今回の仕事も、そのような化石を、新しい技術で解析し、脳の分節化が起こっているかどうか調べた研究だ。ここで使われた新しい技術も、X線分散型分光計による分子分析と、形態を調べるX線断層写真だ。ここで明らかになった形態進化が、現在とどうつながるのかについてはまだ良くわからない。
過去の出来事について実験をする事は不可能だ。従って、残された痕跡を如何に科学的に調べるか以外に研究の方法はない。この目的に、最新の方法を使った挑戦が進んでいる事を実感した。記者の目としても、本当はここに注目して欲しかった気がする。しかし、我が国の状況はどうなのだろう。少し心配している。
2013年10月17日
私は今年の3月まで、文科省の再生医療実現化ハイウェイプロジェクトのプログラムディレクターとして、幹細胞研究の中から臨床応用が可能なプロジェクトを選んで、一刻も早い実用化が可能になる様、支援して来た。今回Stem Cell ReportにCiRAの高橋さん達が発表した研究もその中で支援して来た研究だ。従って、私のコメントは、ある種の身内のコメントとして受け取ってもらっていい。高橋さん達は、自己iPSを使ってドーパミン産生細胞を誘導し、パーキンソン病を細胞移植で根治する事を目指している。ハイウェイでも、このプロジェクトの成否が、iPSの臨床応用が普及するかどうかの鍵になると位置づけていた。というのも、北欧を中心にパーキンソン病への胎児中脳細胞の移植治療が行われ、効果の見られた患者さんが報告されている。成功例の存在は、移植細胞が脳内で生存、機能することを示している。有効でなかった例も多いが、これは細胞の純度の問題とともに、一人の患者さんに何人もの胎児からの細胞が必要なため、炎症や免疫反応が避けられない事によると考えられて来た。その意味では、自己の細胞を使う事が出来るiPSは切り札になり得る。これに対し、脳の中では免疫反応は起こらないし、免疫抑制剤も使えるので、わざわざ自己の細胞は必要ないと言う研究者もいた。そんな中で、困難なサルを使った地道な研究を続けて、パーキンソン病の移植治療に予想される様々な問題を解決して来たのが高橋さん達のグループだ。
今回の研究も極めて単純だ。サルのiPSを樹立し、それから誘導した神経細胞を、同じサル及び他のサルに移植し(自家移植と他家移植)、免疫反応が起こるかどうか見る研究だ。結果は明確で、自分の細胞を移植しても免疫反応はほとんど検出されないが、他のサルに移植すると免疫反応が起こり、その結果移植された細胞の数が減ってしまうと言う結果だ。脳内への細胞移植にも出来る限り移植抗原を適合させておいた方がいいと言う結果だ。当然、自家が一番良い。
何か新しい事がわかった訳ではない。また、ここから新しい技術が生まれると言う訳でもない。しかし、移植を受ける患者さんの立場に立って、最適の治療戦略を確立し、患者さんの持つ懸念を解消する事は、臨床応用の最終段階で最も重要だ。この点から見ると、高橋さんは、1)自己の細胞の方が優れている事、また免疫抑制剤が必要ない事、2)自己細胞でも分化が誘導できておれば危険性のない事を、人間に近いサルのモデルで示した。一度はハイウェイに関わった人間として本当に良かったと思う。何よりも、高橋さんに期待している患者さんにとっても朗報だろう。プレス発表をしなかったのかも知れないが、是非報道して欲しい論文だった。